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はてなキーワード: 批評とは

2017-05-27

http://anond.hatelabo.jp/20170527120604

いわゆる「二次創作」は、元作品批評するための表現手法の一つでしかない。

これはほんとその通り。

二次創作小説でも二次創作漫画でも、他の評論なんかと本質は同じ。

「この作品を読んで僕はこう思う」「私はこう考えた」を表したものから

論文pixiv引用の件、二次創作者をバカにし過ぎていて不快

論文を書いた側ではなく、論文批判している側(の一部)が。

美味しい所だけつまみ出して無責任に遊びたいんです、遊ばせてあげたいんです、

というのは創作の魂から外れすぎている。



言及された内容に対して反発しても反論しても当然何の問題もないのだが、

批判的に言及されることそのものや、

批判のために引用されることそのものを押さえつけようとすることは、

創作行為理念からかけ離れている。

なぜなら創作というのは、

何らかの事象に対する批評批判の側面が抜きがたく存在するからだ。


例えば二次創作でなら、

こうであったらいいのに or このようなことがあったに違いない、

という妄想を形にするには、

そうではなかった or そのようなことが描写されなかった

原作に対する批判的な目線なしには成り立たない。

批判的な目線がないなら、原作を丸写しする以外にやれることはない。

(一応補足すると、批判的に見ることと、その原作面白いかどうかと、原作者に〇〇を書けと要求することは、それぞれ全く違うカテゴリの話である


から創作者にできることは、

あくま言及の内容が不当であるかどうかについての反論であり、

言及引用されることそのものについては耐えるしかない。

そうでないなら、

「そのようなカップリング原作にないものであるからやってはならない」

という理屈が通ることになる。しかしそんなわけはない。

こういうカップリングがありえると主張(=原作への言及)したって、まったくかまわないんだよ。

から二次創作」なんでしょう?

例の論文は、本当に法的にセーフなのか

本題に入る前に、いくつか検討を行うべき点がある。

(1)表現を『有害』と評することについての社会的通念

社会流通する特定表現を具体的に名指しして『有害』と評価する場合、その評価責任は、そのような評価を下した主体が負うのが一般的である

例えば、都道府県の定める条例に基づき『未成年者の健全育成に有害である』と評価された特定出版物を、『有害図書』に指定流通差し止め場合があるが、その指定(あるいは指定基準)の責任は当の都道府県が負う。

実際に、都条例(「東京都青少年の健全な育成に関する条例」)の条文が変更され、近親相姦描写指定根拠に加えられた際、またその条文を根拠として実際に書籍が『有害図書』に指定された際に、都を批判する声が少なからずあった。表現を『有害』と評価する主体はその評価について責任を問われる、という社会的通念が如実に現れた実例と言えるだろう。

有害情報』はインターネット上に流通する表現についての評価であるが、これも評価主体責任を問われるという点は『有害図書』の場合と同様である

例えば、特定ウェブサイトが、検索エンジンサービスセキュリティソフトウェアフィルタリングソフトウェア等によって『有害』と評価され、アクセスを妨げられた場合、その評価責任を当該サービスないしソフトウェア提供者が負うという点については、広く合意されるところである

(2)予めゾーニングされた表現の『有害』性

どのような表現を『有害』と評価するか、具体的な線引きについては評価主体により差はあれど、大別すれば、「援助交際違法薬物の取引」といった実際の犯罪行為と一体のものと、「(現実架空の別を問わず暴力・性行為犯罪行為描写」といった未成年者の閲覧に不適切もの、の2つである

このうち後者について、評価主体行政ないし公的機関場合表現の自由知る権利とのバランスを取る必要から未成年者による閲覧を抑止する施策ゾーニング)が講じられていれば表現のもの禁止はしないという形を取ることが多く、またそのような施策が予め講じられた表現に対して『有害』か否か積極的評価することは(必要が無く、にもかかわらず上記のような責任無用に負うことになるので)避ける運用となるのが通例である

他方で、ゾーニング必要性の有無を判断するのは表現を発表する側であり、通常これは『有害評価を下す側とは別であるから、『有害ギリギリラインゾーニングが行われることはない。すなわち、表現を発表する側はより大きな安全マージンを取り(安全側に倒して)ゾーニング実施することになり、そして上記のとおりゾーニングされた表現については『有害評価が保留されがちであることから、もし仮にゾーニングされていなかったとしても『有害』とは評価されなかったであろう表現ゾーニングされてしまっている(が、そうとはわからない)という例も珍しくないはずである

したがって、ある表現ゾーニングされているからといって、その表現直ちに(例えば行政公的機関などの評価主体判断に照らして)『有害であるとは断言しえない。

(3)慣行としてのゾーニングに対する表現者意識

業として表現流通させている者(出版社小売店ウェブサービスなど)がゾーニング実施するのは、上記条例をはじめとする法令を遵守することが第一義的な理由と考えてよい。そしてそれらの業者を介して自身表現流通させんとする個々の表現者は、業者との契約規約に基づく形でゾーニング同意し、間接的に法令を遵守することとなっている。

このことは、当該法令理念目的基準について、必ずしも表現者賛同ないし納得はしてないけれども、業者を利用する都合上その定めに従っている、というケースが内包されている可能性を示唆する。より具体的に言えば、表現者自身は「未成年者にとって性的表現有害ではない」と考えていたり「この程度の性的表現は『有害』にあたらない」と考えていたりした場合でも、業者を利用するため業者実施するゾーニング基準に従った結果として(あるいは、閲覧者の利便性を図る手段としてゾーニング活用する意図で、もしくは、自身思想と食い違っても「悪法も法なり」という判断の下)法令を遵守している、というケースがありうる。

同時に、上記のとおり行政公的機関ゾーニング済の表現への『有害評価を保留するので、動機はどうあれゾーニングに従っている以上、自身表現が『有害』にあたることはない、という意識表現者にあったとしても不思議ではない。これは逆に言うと、『有害評価を下されること=ゾーニング努力を怠った粗忽者ないし社会迷惑をかける厄介者レッテルという意味包含し、表現者にとってのスティグマとして機能しうる。

(4)著作者人格権侵害とみなされる引用

著作物二次利用原則的著作権者許可を要するが、著作権法32条により『引用』であれば無許可に行うことができる。正当な『引用』と認められるには「引用部分とそれ以外の部分の主従が明確であること」「引用する必然性があり、その必要な量のみの利用に留まること」「出典を明記すること」などの要件を満たさなければならない。

第三十二条  公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行合致するものであり、かつ、報道批評研究その他の引用目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。


しかしながら、著作権法113条6項には、次のような条文がある。

百十三条  次に掲げる行為は、当該著作者人格権著作権出版権、実演家人格権又は著作隣接権侵害する行為とみなす。

6  著作者名誉又は声望を害する方法によりその著作物を利用する行為は、その著作者人格権侵害する行為とみなす。


これは上記の『引用』と矛盾するように見えるが、そうではない。無許可で『引用』することはできるが、その結果として著作者名誉・声望を害したら著作者人格権侵害とみなされる、という形である。つまり理論上は、正当な『引用』であっても著作者人格権侵害になる場合があるとされており、ゆえに「例の論文は『引用』の要件を満たしてるから法的にセーフ」とする主張は、全て誤りである

このような条文があると、否定的な論評・批評のための引用ができなくなるのではないか、と心配する向きもいるかもしれないが、意見表明による名誉棄損を免責する『公正な論評法理』が、上記条文における「名誉又は声望を害する方法」の当否判断にも準用され、否定的な論評・批評のための引用も内容の公益性妥当性次第で免責されると考えられている。

ここまでのまとめ



本題

例の論文では、R18としてゾーニングされた10作品を標本として利用しているが、ゾーニングされていることをもって直ちに有害であるとは言えず、またその作者らが自らの作品の『有害』性を自認していることにもならないため、「この10作品は『有害である」との評価自明ではない。

にもかかわらず、論文ではこれら10作品を「『有害情報』のフィルタリングアルゴリズム学習データ」と位置付けており、このことはつまりこれら10作品が『有害情報』の代表であるという評価を下しているに等しい。その際、法令制度あるいは他者によって定義された『有害評価準拠する旨の記載がないため、この『有害評価論文著者が主体的に行っているものと解され、その責任論文著者が負う。

これら10作品が『有害情報』の代表例として紹介されたことは、作者らにとってスティグマとして機能することが懸念され、名誉・声望を害したと言えるのではないか

整理すると「論文著者が主体となり10作品を名指しで『有害評価したことが、10作品の作者らの名誉・声望を害したと疑われる」。

論文ではこれら10作品に含まれ性的表現引用批評しているとは言えるが、『有害情報』の代表例としてこれら10作品を名指ししたことについて十分に補強できるだけの論理が築かれ『公正な論評法理』に適う内容になっているか、といえば、議論が分かれるように思う。少なくとも「論ずるまでもなく法的にはセーフ」とは断言できないと考えるが、どうだろうか。

2017-05-26

二次創作小説研究目的引用することは研究倫理に反するか

http://anond.hatelabo.jp/20170525145352

どちらかというと大学側に同情している情報系の院生なので,以下の内容はそのようなバイアスがかかっていると思われます

論文自体について

個人的感覚では「インターネット上に公開したもの分析批評対象となる可能性がある」と思っているので,この点について著者を責めるのは難しいと感じます

オタク的に言えば、「任意作品は,2次創作対象となる可能性がある」程度の感覚です.ここで大声を上げすぎるとブーメランにならないのかとヒヤヒヤします.

公開した論文は必ず批評・文献の対象となる可能性があり,それに際してわざわざ許諾を取る必要はなく,必要があってはならないと言う文化存在するのもその一助となっているのではないでしょうか.

一方で,論文趣旨に対し,「対象作品の作者は誰か」「対象作品種別BLか・そうでないか」は重要情報ではないため,わざわざ記述する必要もなく,当てつけのように受け取れるとは思います.著者はそこまで考えてないと思いますが.

論文再現性を考えると,pixivランキング過去のものも参照できるので,「201x年y月aa日〜bb日のウィークリーランキング上位10小説対象とした」程度でよかったのではないでしょうか.

また,「自分の公開した論文想定読者以外の人間に突然有害と言われ不愉快だ」という点においては,研究を行う側としては気をつけていかなければならないと思いました.「猥褻表現フィルタリング」くらいが妥当でしょう.

もしくは「pixivって男子に人気で見ても男同士の小説がかなり混ざるので,(実用の為に)分類したい」くらいですかね.個人的にはこの問題があるのでノクターンノベルズの方が好きです.

大学学会側について

一般の方を名指しをするなら許可を取ろうね,くらいの話で収まってほしいと思います.何か法的に明らかに危険だ,とは感じないので……

学生処分みたいな話になったらさすがに大学の上の方々の頭の中身を疑います

pixiv側について

「うちの客が不愉快になったんだけど」以上の対応は取って欲しくないです.pixivは内部で多少機械学習を行っているようなので,あまり極端な対応は取らないと思いますが.

もしくはこれを機に,匿名処理を施したデータセットの販売なんかを行っても良いんじゃないかと思います

オタクとして

インターネットには気をつけよう.

学生として

このような研究は,当然pixivが内部でやっていると思われるので恐ろしいテーマ選択をしたな,と思いました.研究途中にpixivが何かを出してきたらどうするんだろう.

2017-05-25

http://anond.hatelabo.jp/20170525145352

ある意味、一昔前にあった「研究者異民族神聖儀式を見てもいいか問題現代版なのかも。

ほらあるじゃん余所者には見せられないと言われてる神聖儀式だけど、研究のためにどうしても見たい……! みたいな。

たぶん今の人類学では、外の人間が、異文化の人が大事にしてる儀式にズカズカ入っていっちゃ駄目ですよ、ということになってるんだと思う。

ただ厄介なのは、その異文化神聖儀式、昔は山奥とか孤島とかでやってたんだけど、今ワールドワイドウェブで全世界から見れるんだよね。

おたくとか腐女子とかの文化、本人たちにとってはすごい大事もので、外から踏み込んできてほしくないし、自分たち文化尊厳尊重してほしいと思ってるし、ついでに言うと昔偏見さらされてきたという過去もある。だからすごいセンシティブ存在、ああ見えても。

でもそれ、外からはよくわからないんですよね。

外部から見たら、そりゃウェブで公開されてる二次創作小説文芸誌に載ってる小説も同じに見えますよ。実際「自分で読まれたくて公開してる」作品もの。そういう意味では同じですよ。後者引用して分析してあれこれ論評していいものとされているんだから、そりゃ前者に対してもそうしていいと思いますよ。

後者への論評なり分析なりは、「トンチンカン批評言いやがって! くやしい! ころす!」みたいな反応を呼び起こすかもしれないけど、「学者がおれの小説分析するなんてゆるせん!」「身の危険を感じる!」みたいなことはあまりない。でも前者への批評はそう言われてしまう。これ、その文化全然知らない外部の人から見たら理不尽ことなんじゃないかな。でもやっぱり、調査対象から嫌悪・拒絶されるような分析は、やっちゃだめだよね。

研究者の扱える対象は増えているけれど、〈外からはそう見えないだけで実は地雷〉な研究対象も増えていて、そういう対象とどう向き合うか、というテーマなのかなあと思いました(こなみかん

追記

hachi09 でもその異民族にも普通アポイントとるもんでないの? 今回はそれすらないし知らぬ間に素材として調理されたことも踏まえておこなんじゃないのかな…

そりゃ異民族側がメアドさえあれば誰でも見られる場所で誰でも見られるように神聖儀式やってるんだからアポなしでも見ていいんじゃね? と思っちゃうのは仕方ないのでは。

2017-05-18

岡崎体育のなにがダサいのか

dis文化模倣文化は大いに結構なことだと思ってる俺がなんで岡崎体育ダサいと思ってるんだろうと考えた

やるだけやって結局「いやいやにーさんネタですやんw」と関西ノリで逃げるところにあるんじゃないかという結論になった

ネタですやん」はダサい関西のあれは本当にださい

お笑いに限らず、このノリの卑怯なところって、攻めるだけ攻めてネタですやんで終わらせようとする一方通行にあるわけで

そうすると、岡崎体育自身への批評ですらネタですやんになるわけで

アーティスト批評には大いにマイナスで、ネタですやんのマウンティングしかならない

「バーカ」「馬鹿って言ったほうが馬鹿なんですー」みたいなくだらないものになる。

ラップ文化が持ってるdisは違う。覚悟とか、ネタで終わらせずちゃんと言った本人が反応を受け止めようとしているところとかが全く違う

岡崎体育雑誌とかのインタビュー必死ネタですやんを繰り出している

ほんとこれはダサい


ちなみにこの岡崎体育のノリ、初期のヘイヘイヘイでダウンタウンがやってた構図すごいにてる

当時はお笑い芸人は人気あってもテレビ芸能では格下、いくら勢いのあるダウンタウンでも例外ではなく

音楽をやられている」アーティストな方々とはヒエラルキーが違った

そんなダウンタウンが司会をし、調子乗ってるアーティストの頭をどつくスタイルは斬新で痛快だったけど、

でも松本人志のなにかあったらすぐ「ネタですやん」を出す感じはダサかった

お笑いヒエラルキーで上位になりダウンタウン権威を持ち始めヘイヘイヘイはただのいじめの構図になり価値がなくなった

当時は斬新さがあったからまだよかったけど焼き直しをしているように見える岡崎体育の縮小再生は目新しさもなく、ただダサい


岡崎体育修正した!

2017-05-17

http://anond.hatelabo.jp/20170517121830

何でも否定から入る人って、本当に感じ悪いだけなんだけどねぇ…本人は気の利いた批評だとでも思ってるのか?評論家っぽくて頭良さそうとでも?

ただ、物事を全て否定的しか捕らえられていないだけなのに。読んだ人を不快にしているだけだって気付かないのね。

http://anond.hatelabo.jp/20170517120643

否定しか書いてない連中は、自分否定しかしてないとか思ってないよ。

しろ「冷静な正しい批評をしてます(キリッ)」くらいの意識だと思う。

トラバつけてるバカものカスとかもそうだけど、自分では面白いこと言ってるつもりで周囲を不快にさせるタイプ人間なんだと思えば腹も・・・立つか。

2017-05-16

義弟キモイ

タイトルだけ便乗してるけどマジでキモイ

28歳いままで彼女無し実家暮らし

職を転々としている

他人のことが気になってしゃーない性格らしくて

私と義母とのLINEとか勝手に見ているらしく義弟が知らない情報を俺は知ってるアピールしてくる

犬を飼っててよくそ写真義母におくるんだが

義弟LINEアイコンがいつの間にかそれになってたりする

義母義弟に送ってるわけじゃなくて勝手スマホいじって保存してくらしい

あと義弟は今配送関係仕事をしているのだが、よく私の職場の前をわざわざ通って

私が居るのを確認すると夫に連絡してくる

夫が何回キレてもやる

28歳にもなって夫に物をねだり断られると嫁にばっかり金使いやがってなどと暴言を吐く

暴言があまりに酷かったので1度夫が殴り合いの喧嘩をした)

夫と私がどこへデートへ行ったのかをいつも聞いてきていった場所批評を始める

一番ドン引きだったのが家族グループLINEに犬の死体写真を載せてきたこと

家族全員が義弟の扱いを持て余している

義妹もいるのだが本当に嫌いらしく義弟と目も合わさな

話を聞くと彼女も付き合っていた彼氏メール勝手に見られたり等色々やられていたようだった

夫も妹も凄くまともというかいわゆるリア充側の人間なのになぜこの義弟だけこじらせているのかしらんが

本当キモイ

2017-05-14

http://nottegra.hatenablog.com/entry/2017/05/13/014544

あくまでこの文章を読んだ限りの感想だけど

なんかこいつ公開すれば捗るっていう謎の思考があるんじゃ?

レビュー、つまり批評自体はいいと思うが、その批評内容を経営層に伝えるだけじゃ駄目だろ

改善点の指摘はメリットがあるが、公開には基本晒された側にメリットは無い

こういう奴が晒しサービスtogetterとか作っちゃうのでは

2017-05-13

ワンオペ育児を「美化している」?

当該CMブコメ欄やツイッターでも散見された、「ワンオペ育児を美化している」という意見

ムーニーのCMに感じたモヤモヤしたものの正体と、あれがリアルだと感じるお母さんに伝えたいこと。 - スズコ、考える。

美化したい気持ちもわからなくもないけど、でも、なぁ。

良くも悪くも今もそれが自分も直面している現実であって、美化したり感動ポルノに仕立てていたりするCMよりよっぽど好感が持てた、と教えてくださった。

なるほど、と思った。

結局、美化してるかしてないかどっちだという意見なんだろう。

2つ目の引用は別人の発言らしいから、このエントリ主は今もあのCMを「ワンオペ育児の美化」と捉えているんだろうか。最後コピー<その時間が、いつか宝物になる。>が現状のワンオペを「否定まではしていない」程度ならいくら同意できる。

けど「美化」とまで言えるとは私は思えない。このCM意図は、辛い現実にただ「寄り添う」ことじゃないのか。舌鋒鋭く批判したり、頑張ろう改善しようとハッパをかけるだけが「寄り添う」ことではない。むしろ、今つらい人に対する態度としては批判や声高な応援ご法度で、「私はあなたのつらさを知っている、理解している、ここで聞いている」とただ伝えることが最善であったりする。

確かにCMには「もっと部屋は散らかっていて、もっと髪も振り乱していて、もっとボロボロ」な姿は出てこないかもしれない。でもそれなら、現実ママの大半はあんな広い部屋には住んでないかもしれないし、役者さんのように美人ではないかもしれない。夫のいないシンママかもしれない。フィクションとしてのリアリティは、リアルのものではありえない。必ず作為存在し、意図が仕込まれる。

この手の炎上案件問題にされるのは大抵が「意図しなかった意図である。「リアル日常を描き、応援したいという思いだった」(http://www.huffingtonpost.jp/2017/05/10/unicharm-cm_n_16524060.html)つもりが、「本当はワンオペ育児を美化する意図があるんだろう」と受け取られる。moms don’t cryという楽曲名が「母親は泣くなというつもりか」と受け取られる(実際のところは知らないが、一般的に考えればこれはヒラリー・スワンク主演の映画Boys Don’t Cry』のもじりじゃないかと思うのだが。ちなみに同作の主人公性同一性障害であり、タイトルは当然ながら「男の子は泣くものじゃない」というようなよくある抑圧への反抗でもある)。

私は長々と、表現の話をしている。なぜならこれはCM映像という表現への反応から湧き起こった議論からだ。現実育児環境についての議論とは、どちらがより重要ということではなく、違うのだ。しかし、冒頭のエントリでは「CMによって抉られた古傷」に関する語りが多く、映像表現への批評は途中から影を潜めてしまう。あのCMのどこがワンオペ賛美であり美化なのか、「肯定してはいけない現実」を肯定していると見えるのか、どの表現がどのように問題であるかは語られない。楽曲か、カット割りか、役者の選定か、舞台設定か、照明か、コピーか、フィクションに込められたどの意図が読み違えられたのか。

CM批評をしたいんじゃないんだ、現状のつらさをなんとかしてほしいんだ、という意見もあると思う。でもそれならCMへの批判を通して伝えるべきではないんじゃないのか。現実育児環境のここが問題なのだ、と直接に論じればいいだけではないのか。CMへの批判CMへの批判しかなく、現実の諸問題改善する糸口としては遠回りすぎるし、なによりずれている。表現への批判現実の諸問題改善するきっかけになることがしばしばあったとしても、最初からそれを期待して表現を的に据えるのは手段が間違っている。CMを端緒とした議論であればまず問題視すべきはその表現であり、現実への対応は別の話だ。

エントリ主や、他のモヤモヤを感じた論者が話したいのはどっちなのだろう。CM表現問題なのか、現実育児環境に関する議論なのか。別の問題である二者を混線させてはいいか。その対応はむしろ無力感を増幅させる方向へ働きはしないか表現現実へ、現実表現へそれぞれ影響を与えうるが、別物を同一とみなすのリテラシー問題になる。

私はこれを表現に関する議論として読んでいるから、ユニチャームが意図説明しなければならなかった結果を残念に感じる。それは表現の多様な読み方を否定するものから表現への批判自由に行われるべきだが、批判をしていると思い込んでいる受け手が実際に気にしているのが表現のものではないのだとしたら、議論はずいぶんな徒労だ。

美化している、賛美しているという批評言葉を、私はもっと詳しく知りたい。批評表現可能性を拡大するものだ。様々な読み方が可能だと知ることは、表現もまた様々な形を取りうる証拠になる。しかしもしあれらが批評言葉ではなく現実問題に対する心情の吐露なら、使う言葉が違うのではないかと思う。まあその言葉もまた表現一種ではあるわけで、私のような者にこうして「意図しない意図」を探られることもある。ただし使う言葉を選ぶことで読み取りエラーは減らせるのだ。だからこそ表現問題があるなら適切な批評がなされてほしい。

この文章もまた、「育児の大変さを矮小化しようとしている」等と読まれるかもしれないが、そういった意図はないと事前に宣言しておく。

2017-05-10

千葉雅也氏は今こそSUKEBENINGEN氏の文章批評すべき

優しすぎるのがチャームポイントな人だとは知っているが

http://freemagazine.jp/new-mind-new-look_sukebeningen/

求人レビュー会したい

この案件怪しいよねとか

ここ危ないよとか

この数字がアレだからいい会社だとか

 

そういうレビュー会したい

しろ求人批評みたいなのほしい

ブログでもニコ生でも良い

だれかやって

 

俺はITなら、大体わかってきた

もう7社目だし、面接面談も累計150回くらいやったし

2017-05-09

アニメ虚構現実監督

宮﨑駿や富野由悠季日本アニメの始まりからアニメ業界に身を置いているので

自身身体性や社会接続された現実のものとしてアニメを作ることができる

だがアニメ視聴者としてアニメ虚構として受け取りながら育った庵野などの世代

どうしてもアニメに対して現実感を抱けず、批評的に突き放してしまうか、虚構を再演することしかできない

一方で成人してからアニメに触れ、別業種から転職してきた押井守アニメに対して特殊距離感をとっており

現実の物とも虚構世界とも区別しない曖昧な捉え方をしている

現実派の監督絶対的自信があるから厳しく頑固である虚構派の監督は居心地の悪さを感じており苦しそうである

それらに対し三番目のタイプ監督幸せそうであるが不真面目でもある

この分類は世代に依らず個人の来歴によって多くのアニメ監督に当てはまるだろうと思う

2017-05-07

基本批評なんて当人エゴサしてないと思って書き込むからな。

もし見てると分かったらそれなり配慮した書き方にもなるよ。

アニメでもゲームでも

最新のものに触れなくなったら、それについて語る資格を失うと思う

最近のは知らないけど」「最新作はやってないけど」と言いつつ、そのジャンルダメになったとか文句をつけるやつはすごくうっとおしい

やってから言え、見てから言え、というのは批評をする上で最低限のルールだと思うのだが

それを怠って何らかのジャンルについて語るようになると、とたんに人は老害化する

モノを見るときスタンスってそうなの?

映画とか音楽もそうだけど、批評するときの基本スタンスってなんで上から目線になるの?

大多数の人ってなにも作らないし、生み出せない非生産的なニンゲンほとんどだから不思議に思う。

お金を払うと業界全体を批評してよいってことなのかな?

自分は、お金を払って作品を拝見させていただく、拝聴せていただくが基本スタンスなのかなって思ってた。

だって映画とか音楽って作者の究極の公開オナニーShowじゃないですか。

わざわざそれお金払って見に行ってるって、見る側も相当キチガイじみてるよね。

人のオナニーみて、いやいやそのやり方じゃ全然気持ちよくないはずだとかさ、おかずにそれはないとかっていってると思うとシュール

いや、日本人オナニーダメだ、やっぱ海外だよねってまじめに言われてるように聞こえるから個人的不思議に感じました。

2017-04-26

オタク表現規制

 オタク自由放任主義右翼親和性が高く、いろいろと口うるさい左翼とは親和性が悪い。

 左翼は、その攻撃性でオタクを敵に回した自らの愚かさを悔いるべきと言う言説を最近良く見かける。

 その言説について思うところを描いていく。

 左翼による攻撃があった事は事実である

 ヘイトスピーチ所謂言葉狩り」については、間違いなく左翼と呼ばれる人たちが中心になっている。これらについては、人権の基本である他人人権侵害しない」という原則問題でもあるが、チャタレイ裁判に関する憲法学界隈から反論(1)や、大日本帝国時代児童文学新聞規制言論統制のものに変化していった前例が示すように、原則否定するべき物ではない。

 また、宇宙の戦士に対して、ファシズム的と言う評価(2)や、さらば宇宙戦艦ヤマトラストシーンに対しては、それぞれ「軍国主義的」について言及があったことは確からしい(3)。

 漫画関係表現規制で真っ先にやり玉に挙げられる「悪書追放運動」では「軍国主義への回帰」と言う表現が使われてきた(4)。

 これらの理由からオタク左翼的言説を嫌うことには一定理由があることがわかる。

 その上で、右翼放任主義という主張は疑わしい。

 チャタレイ婦人事件からずっと、右翼はむしろ表現規制側に回っていた。猥褻物公序良俗使用した最高裁判決に対しては、保守派批判する側の法律学者の方からこそ強力な批判が行われていたことを思えば、左翼表現の自由不寛容と言うのは、この手の表現の自由に関連する議論の実状からかけ離れているように思える。

 悪書追放運動以来漫画規制では政府与党応援してきた。悪書追放運動主体の一つである主婦層の応援をしていたのは、逆コースまっさかりだった当時の政権与党である

 所謂「左」が表に出ていたのは事実だが、思いっきり「右」がそれに乗っかっていることもまた事実なのだ

 84年の衆議院予算委員会で、マンガ規制するための法律の導入を求めたのは自民党の政調副会長だった三塚博氏だし、中曽根総理もそれに大いに賛同していた。

 漫画関係でも、保守派麻生議員とかは、漫画規制積極的な人だし、東京都でのマンガ規制が著しく深刻化したのは石原慎太郎都知事だった期間だ(5)。

 漫画に対して公序良俗に関するとして出版禁止のための法整備を実際に行ったのは自民党だ(6)。

 つーか、なぜかよく言われる「左翼の側が、オタク趣味ポルノ呼ばわりして規制している」と言う言説とは裏腹に、実際にオタク趣味ポルノ扱いして規制しようとしているのは保守政権側のほうが明らかに多い。ってか、実際何度か規制に踏み切っている。

 ついでに、戦前でも児童文学表現に著しい規制が付けられていた。

 表現規制問題を見ていると右も左もオタクとは親和性が悪そう。

 それどころか、この10年の間は、マンガ表現規制保守の側から行われている。

 だと言うのに、どう言うわけか保守層放任主義と誤解している意見が不自然なほど目立つ。

 幾度か、マンガ規制法制化がされるときに反対に回ってきた共産党立場がない。いや、共産党もちょくちょくマンガ規制するよう求めてはいたか濡れ衣ではないのだが(7)、法制化を阻止するために動いた(8)という一点においては、力が及んでいたかはさておき、むしろ表現の自由については無理解というわけではない。

 にもかかわらず、左翼教条的で何でも規制する頭の固い連中で、保守派は様々な価値観を認めてくれる懐の深い存在という、表現規制法制化の歴史を紐解くと真逆しか思えない、訳の分からない言説が結構広まっている。

 ……本当に、どう言うことなの?

 理由を考えてみると、実際の活動兎に角左翼系の攻撃の方がオタクの方に印象に残りやすかったのが問題なのではないだろうか。悪書追放運動発言や、ウルトラセブン12話、ジャングル黒べぇの封印や、さらば宇宙戦艦ヤマト宇宙の戦士への批判小説批評批判自体はまっとうな活動なのだけど)等、人気作品への影響が大きいこと為、実際の活動量以上に目に付く機会が多かった。

 特にウルトラセブンの「第12話は欠番とする」と言う趣旨文言は、兎に角目立つ。簡単に閲覧可能な人気シリーズに、「抗議による封印」の痕跡がポツンと残されているのは、イヤでも目立つ。

 また、政府肝いり団体でも、悪書追放運動の折りは基本的に「左翼」に同調する言動をとっていた。

 恐らく、「左翼」の認識が悪くなったのは、ここら編が原因だろう。

 で、そこから反対の陣営自分たちに寛容と勘違いした。

 その上で、90年代後半から2000年代初頭の「サヨク人権を御旗に自由侵害しようとしている連中」とか言う、自由主義史観発のいい加減な認識が、雑な認識化学反応を起こして、いい加減な認識を加速させたと言うのが実状ではないだろうか。

 00年代前半から10年、警察保守政権の側からによる表現規制が著しく深刻化していた時期に、そちら側からの影響が殆ど省みられていない現状を鑑みるに、自由主義史観発と言うか、小林よしのり発の「人権を美旗に世界の均質を試みている」と言う趣旨認識の影響は少なくない気がする。

 余談だが、戦前表現規制に対する反省と言うことで使われた「言葉表現問題ではなく、実際に差別をなくすことこそが重要だ」と言う考えが、この保守派への契合に対する触媒になっている節があるのは中々興味深い。

 左翼表現規制……所謂言葉狩りにも一片の理がある。

 実質的に、差別助長していたり、差別に根ざしている表現を使い続けることによる、現状の肯定差別の強化自体問題にされてしかるべきだ。

 キチガイと言う言葉が使われなくなったために、統合失調症の人の気持ちが幾分か楽になったと言う証言もある。言葉を狩っただけで問題解決されるわけではないが、差別に使われるメインウェポンを使用禁止にすること事態を無価値と断定することも、非常に問題がある考えのように思える。

 一方で、一片の理が合っても問題があるのは事実。だからこそ、チャタレイ裁判以降、多くの憲法学者表現規制のもの問題にしてきたし、前例がある以上、この手の批判積極的に行われてよい。

 兎に角、「表現規制する要理も、現状の改善の方が重要」と言う言説が「表現問題ではないのだから、どんな差別的表現を使い続けたってかまわない」と言う理屈正当化に使われ、惹いては、差別語を平然と使い続ける側の心強い理論武装になってしまっているのではないか

 いい加減話を終わらせるために、まとめに入る。

 「どんな表現にも寛容な保守と、教条的表現規制を押し進めようとする左翼」と言う、表現規制歴史に多少なりとも興味が有れば噴飯もの理屈ネットの世まかり押し通ってしまうのは

60年代悪書追補運動の折りに、法制化を進める活動家よりも、直接行動を行う「左翼」側の活動の方が目立った

・「セブン12話」や「宇宙の戦士批判など、容易な「左翼の抗議による作品封印」の戦果に容易にアクセス可能

00年代前半、個人サイト全盛期に自由主義史観初の雑な政治認識流行した

・「表現だけではなく、現状を変える事こそ重要」と言う、それ自体はまっとうな言説の悪用

 と言った要素が、悪魔融合を果たした結果ではないだろうか。

(1)浦辺法穂「全訂 憲法学教室」161~163ページ、岡田信弘「憲法エチュード86~91ページ

(2)ロバート・A・ハインライン宇宙の戦士」483~484ページ

(3)牧村康正・山田哲久「「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展狂気」第4章栄光は我にあり、広がりゆく波紋、第10段落

(4)長岡義幸「マンガはなぜ規制されるのか」100~102ページ

(5)長岡義幸「マンガはなぜ規制されるのか」177~180、196ページ

(6)長岡義幸「マンガはなぜ規制されるのか」143~144ページ

(7)長岡義幸「マンガはなぜ規制されるのか」139ページ

(8)長岡義幸「マンガはなぜ規制されるのか」129~130、143~144ページ

2017-04-25

anond:20160522084213:何だろう…この批評は…批判の為の批判

http://anond.hatelabo.jp/20160522084213

何だろう…この批評は…批判の為の批判?色々理屈をつけているが要は作品にちりばめられている価値観や展開が自分好みでない、でもそれをそのまま言うと「好き嫌いだ」と呆れられるので専門的な評価を装っているようにしか見えない

>全くそうとしか取れない、それ以外の情報も全くない絵とセリフ提示してくれるのよ。

小学生女の子が初めて描く漫画みたいなネームだよな

要するにすっごい単純な情報しかないのね。常に。

まらないお話情報量の少ない最も単純な見せ方で常に提示してくれる。

悪い意味脚本家と直接おしゃべりしてるみたいな視聴体験

脚本家の思い付きをそのまま聞いてる感じでさ。

その思い付きはいろいろと技巧と工夫凝らして商品にしてからはじめて視聴者に食わせるものじゃないのかい

やりとりもリアクションもまた極度に情報量がない。別々の示唆が絡み合うような効果全然ない。

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これって一部分だけ切り取っているよな?全体的に示唆が全く無いことは問題だろうが直接的な台詞が入っては一切だめだという道理は無い、全てのシーンで直接的な台詞は言わせずに示唆だけで構成するって無理だろうしそ無理やりにそうすれば直接的なやり取りもほしいのでそれはそれで物足りなくなるだろう、直接的な台詞のやり取りばかりに偏る(その逆も然り、何事も偏りは良くない)なら問題だろうがとあるシーンにそれがあるからといって批判するのはおかし

そもそもこの人は直接的なやり取りは下位で示唆を上位の表現だと決め付けているが使い分けやバランス重要なのではないのか?勿論、千鳥気持ち視聴者は分っているがそれをあえてアップで口にすることで千鳥の思いがぐっと鮮明になる、現実恋愛でも思っているだけでは駄目で言葉にしてほしいという感情があるのだから「分っていることをわざわざ言わせるなよ」という主張はそういった感性を感受できていないだけではないだろうか

逆にこの人の評価する作品を聞いてみたい、直接的な台詞の一切登場しない作品ってあるのだろうか?どうもこの人は色々理屈をつけてはいるが本音は「女の子男の子を気遣うことが気に入らない」とかミサンドリー的な別の理由があるのではないだろうか?というのはキズナイーバー批判

「なんで男ばかり得をして女の子片思いが誰1人報われないんだ」とか

「俺は女の子幸せになってほしいのに、キズナイーバーは男キャラばかり勝ちすぎで女の子はのりちゃん以外想い人と結ばれないとかふざけんなって思ったよ女の子片思いは報われないのが現実恋愛だ? そんなこといつ決まった?マリーの過去作品では男キャラでも報われないキャラいたのに、キズナイーバーは3人全勝とか異常だわ」とか

「男女の恋愛物語は完全に終わったよ恋愛結婚出産もこの国ではノルマからね」といったフェミニズム系の主張がある(俺といっていても男とは限らない、別に男のフェミニストが居てもおかしくは無いが)http://yusaani.com/topics/2016/10/03/364783/

フェミニズム男嫌いなのは周知の事実だがそれが故にフェミニズムは男を敵視(ライバル視)しており「男だけが得をして…」とか「男キャラばかり勝ちすぎ」とか「過去作品では男キャラでも報われないキャラいたのに、キズナイーバーは3人全勝とか異常だわ」という発想が生まれる、別に女の子が報われなくても男の子が報われたのならそれはそれで祝福すべき(一緒に不幸になるべき道理は無い、報われたキャラがいたならその分だけ良い事のはず)なのに男に対抗心があるので「男女関係無くこのキャラとこのキャラが報われた」という見方ではなく「女より男の方が幸せになった、これは負けだ、悔しい」という発想になる、これは男性に敵対心を持つフェミニズム独特の感性だ、ここの返信にも「あんなの楽しんでるのなんてネトウヨみたいな低知能なやつ位だろ。」という左翼系(フェミニズム左翼)の書き込みがある、この手の人達は少数派なのだ思想を(間接的にでも)流布する能力に長けており放っておくと我々が気が付かないままに身勝手な好みを押し付けられることになる、キズナイーバーへの批判もそうだがマドマギまどかが死んだ(神になった)展開を呪って脚本家に「死ねばいいのに」とか言っている輩もいた、この人も専門的な評価を装っていたが結局展開が好みでないというだけで評価している、私はこの様な評価邪道邪魔だと思っている、後味は悪いが優れた文学作品というのはいくらでもあるがどれだけ秀逸に作っても「自分の好きなキャラ幸せにならないから」とか「女より男の方が幸せになったか駄作」というのはまともな評価といえるだろうか?

勘違いしないでほしいがこういう歪んだ評価をする人は一部だがその手の思想を持った人達は明確に男性に対抗心を持ち常にそういった目線(男の方が得をしないか?男に負けたくはない)があるのでアンテナが高く目ざとく見つけ出して批判するのでそういった意見が集中しても別に多数派ではない、他の人は何のことか分らずに静観しているというだけだ

そしてはっきり言うがこれって明らかに差別的だし病んでいる

2017-04-19

どうして「jt_noSkeのダジャレが本気で不愉快」なのか。

はっきり言って出来の悪い駄洒落のみを投稿するからに尽きる。

音楽に例えるなら、歌は人々を楽しませ、コミュニケーションを円滑にするツールだ。

しかし、歌にははっきりとうまい下手がある。いくら歌という存在が素晴らしかろうと、歌う人物調子っぱずれでは逆効果となる。ノースティリスだったら死んでたぞってなもんだ。

それに加え、いくら歌がうまかろうが、挨拶も会話も、まじめな相談もすべてが歌で返されたら?

駄洒落ジョークにも巧拙はある。

駄洒落はただ韻を踏めばいいというものではない、発想の転換や飛躍、あるいは文脈に沿った返歌、もしくは諧謔、とそういったテクニックを駆使することでユーモアに満ち溢れた駄洒落は出来上がる。

しかしながら、氏の駄洒落の出来はすこぶる悪い。正直、基本(韻を踏むこと)すらできていない。もう、何年も投稿しているはずなのにだ。

(じゃあ、上手な駄洒落の見本を示せ! みたいなマンガ批評に対して「じゃあ、お前が面白いマンガを描いてみろよ!」と返すようなコメントはお控えください)

また駄洒落がうまくない人に限ってしつこく駄洒落を繰り返す傾向にある。

会話において駄洒落ジョークアクセントひとつしかない。相手に何かを伝えることの補助として使われるもので、それ自体目的と化すと独りよがりな印象を与えてしまう。

オヤジギャグとは質の低い冗談のことを指すが、なぜオヤジなのかと言えば、そういった独りよがり対話能力の低い人物に中高年(オヤジ)が多いと感じられたからだ。

ブコメ性質としてはメモ帳のようなものだが、はてブソーシャルな場である。ただメモ帳として使いたいのであれば、プライベート設定にするのが最善だろう。パブリックブコメを発信するということは、外部となんらかのつながりを得たいと考えた結果と言える。そして大半のブクマカはそのように扱っている。

氏の場合駄洒落を言うか言わないか、という使い方をしている。「言わないこと」による発言コントロールもされているが、言っている部分がほぼ駄洒落であり、内容に駄洒落を言うこと以外の目的も感じられず、非常に独りよがりものを見せつけられる格好となっている。

氏よりもまだ駄洒落が上ず…マシなヒゲじいが結構ヘイトを集めているのも同様の理由だ。

質の低い駄洒落と、独りよがりにそれを繰り返すというダブルパンチこそが、氏のブコメ不愉快たらしめている原因と考える。

これを受け手問題だと片づけてしまうというのは、いかがなものだろうか。



あと、NG設定について。

これに関してははてブに限らず、SNS全般に言えることだが、NG設定やブロックというものは、自室に侵入したゴキブリに対して姿が見えなくなるスプレー提供しているに過ぎないということだ。這いまわる音や、シルエットまでなくすことはできない。というか室内にいることに変わりはない分、逆に怖いな。

嫌いな奴のツイートフォロワーRTで回してきたみたいなことはツイッターでは日常茶飯事だ。氏をNGにしたところではてブを使っていれば、今回のようにどこかで氏のIDに遭遇してしまう。

ゴキブリに対する根本的な解決方法は殺虫スプレーだが、これをSNSの場で適応するのは不可能だ。だからこそ悩まされる者は、ぐるぐると負の思考に陥っていくし、結果としてその感情殺意にまで高まる

元増田に対して非難を浴びせるブコメも多いが、ここには重要問題があるように感じる。



それと、これに関連して虚構新聞に触れてる人もいたので、それについても。

虚構新聞で取り扱われている記事の質は低くはないかと思われる。しかし、サイト思想上、それらの記事は他の新聞記事に紛れ込ませることに存在意義見出している。しか事実に基づかない記事というのは、ニュースメディアの意義に反するし、純粋ニュースメディアを欲している人たちにとって、それがいくら出来のいいジョークであろうとゴミクズ以下の代物でしかない。

先ほど自室にゴキブリが…という例え話をしたが、これも人の部屋にゴミを投げ捨てるような行為と捉えられてもおかしくはないだろう。

2017-04-17

Twitterをやってる大学生は何者を読め

自分たちがどれくらい痛いか自覚したほうがいい

他人批評するだけお前はすごいやつなのか?

何か得意なことがあるわけでも、何者になれたわけでもない奴が何語ってるんだ?

Twitterをやってる大学生は何者を読め

自分たちがどれくらい痛いか自覚したほうがいい

他人批評するだけお前はすごいやつなのか?

何か得意なことがあるわけでも、何者になれたわけでもない奴が何語ってるんだ?

http://anond.hatelabo.jp/20170417171236

鋭い指摘にすぐ反応して暴言を言うフレンズなんだね

去年ならリゼロのレムもネトウヨに都合のよい男の願望が詰まったキャラ

ネトウヨ好みの気持ち悪いキャラは今まで保護されすぎた。

例え制作者はネトウヨどころは未来を見据えるリベラルだったとしても厳しい批評必要

2017-04-16

http://anond.hatelabo.jp/20170416211701

アニメ原作漫画原作それぞれやれることが違うのでそりゃそうなる。

まして小説は近年までシーンの切り替えを頻繁にやるのは下品、という不文律みたいなものがあったので、

映像作品ノベライズやその逆はシーンの伝え方から変わってくる。

小説モノローグ漫画ではどうにかなるが(それにしたって悪手)、映像でそんな助長手法は多用できない。

逆に細切れのカットの多用により両者が皆合する、というシーンなどは映像のほうが圧倒的に有利。

まあ当たり前すぎて自分が言うことでもない気がするが。

作品として批評する人もいるかもしれないが、片手落ち感は少しわかる。

小説特に高度に文芸的というか芸術的作品って、どう考えても映像化しても上手く本来ニュアンスが伝わるとは思えないんだけど

それなのに映像化作品だけ見て評論してる人をネットで大量に見てなんかなあと思った。

批評、ましてや政治的な話を絡めて語りたいなら、該当部分だけでも本文にあたるべきってのはもう古い考えなのだろうか?

正直漫画ですらアニメ原作ニュアンスを全部出しきれてるとはいい難いものもあるんだから

文学作品になればなおさらだと思うんだが。

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