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はてなキーワード: 日常とは

2016-09-28

恋愛をこじらせてどうでもいいことを考えていた

22歳で初めて彼氏が出来た。

好きだと思う人は今までいたけどまともに付き合った事はなく、付き合うことになったときは「私が好きな人が、また、私のことを好きというのはなんて素晴らしいんだろう」と何度も思った。

でも、恋愛をしたことがないので相手が私のことをなぜ好きになったかからないという所で悩んでしまった。

もし、理由はなく、好きになったから好きと言われればそれもまた納得出来たのかもしれない。相手のどこが好きかを挙げると、そのポイントさえ押さえた人間なら他人でも好きになるのか?という話になってしまうと家族に言われて納得したことがあったから。

彼は聞いても答えてくれなかった。友達づてに少しだけ聞いたが、自分ではまったく長所と思えないような部分を過大評価しているようだった。彼の中の私と実際の私が違うのかもしれないと思ってしまって悲しかった。

なぜ好きになったんだろうという疑問の答えが完全な形で満たされず、不安つのってついには私のことを本当に好きなのか?と考えるようになった。

そもそも無口な彼の性格上、言葉で好きと言われたこともなければ、そもそも日常の会話で楽しそうにすることも少ない。一緒に寝るときに抱きしめられることだけが彼が自分を好きなんだとはっきり感じる瞬間だった。

共通の知人には、「私が相手を信頼していないからそんなことを考えるだけ」と言われた。その人から見ていれば、彼が私のことを好きなのはすぐわかると。ただ、私がそれを受け取る力がないと。だとすると私はどうすればいいかからなかった。それを聞かされても、そうか相手は私のことを好きなのか!とは納得できなかったし、実感を伴わないまま、ただ理屈相手は私のことを好きだと考えることが出来なかった。

それでも、何度か喧嘩をしたり、私が彼につらく当たったりしても、彼は私に別れようとは言い出さなかった。私が自分のことに手一杯で相手迷惑をかけてしまいそうになったので、少しだけ距離を置かないか提案したときも、それは嫌だと彼は言った。私のことを本当に好きなのかもしれないと思った。

そんなとき、彼が誘われていた共通友達との飲み会に私もついていくことになり、到着するとその友人に「また財布代わりに連れてきたのかと思った」と冗談で言われた。傷ついた。私は彼にお金を貸していた。そこまで大きな額ではないが、私が催促しないと返そうとはしない。私と別れないのは私にお金を借りているからかもしれないと思った。

彼の性格柄、態度や言動積極的ではなく、むしろ私への好意表現することが嫌いといった感じだったので、友達のような関係が続いた。

相手が私に対して能動的にならず、私自身も相手に対して自分を好いてくれているという信頼を出来ていない状態で、ただ一緒にいる時間が増えていった。

どうしても私とこれから付き合っていこうとするポジティブ気持ちが見つけられない。惰性で一緒にいるように感じられて、このまま結婚など相手から言い出す訳もないことが理解できた。私が言い出して初めて同棲結婚へと進んでいくんだろう。それでは私は満たされないと思った。相手気持ちがなければ意味がない。いいよ、じゃなくて、したい!が欲しい。


本当はそんなの全部考える必要ないんだろう。何も考えずただ相手気持ちを信じて日々を過ごせばつらくないんだろう。

ただ自分の中で消化しきれなくなった嫌な考えや気持ちと、それを話そうとしても真剣に聞こうとはしてくれない彼に少し疲れた自分自身相手への気持ちにすら疑問を持ってしまった。

なぜか、初めてセックスしたときかわいい」と言ってくれたのを思い出して、それからは聞いても二度と言ってくれなかったのを思い出して泣いていた。

ということが昔あったのを、季節の変わり目がやってきて思い出してしまった。当時の気持ちが蘇ってつらい。

2016-09-27

http://anond.hatelabo.jp/20160927093235

元増田とは見解違う(あまり恋愛要素は感じなかった)けど、俺もあの兄妹要らない派だなあ。

あの兄妹絡みのストーリーのせいで「異常な世界淡々とした日常」的な良さがかなりスポイルされてた気がする。

迫力を感じなかったのは原作だと見開きになる技名のカットがパッとしなかったからだと思う。やり過ぎ感が全然足りてなかった。

こんなのは失恋のうちにも入らないね

職場好きな人がいた。

1ヶ月くらいの期間限定他所から応援に来てくれていた人だった。

シフトの都合毎日顔をあわせるわけでもないし、役割分担なども違ったので接触時間はそれほど多くなかったけどストライクゾーンど真ん中の人で本当に何年かぶりに人を好きになった。

勤務中の接触時間が少ない分、機会があれば積極的に話しかけた。

その中で彼女日常など話してくれて、短いながらも幸せ時間だった。

ただ、彼女からこちらには何も聞いてくれず、ああ脈なんてまったくなさそうだな、ってわかってはいたんだけど。

先日彼女仕事に来る最後の日、もう今後会うことはないなと直感し、思い切って食事に誘ってみた。

普段時間の中でアプローチしづらいなら、大胆な行動をもって現状を変えるしかないと思ったから。

OKはもらえなかった。

当然といえば当然、見ず知らずの人ではないにせよ唐突すぎる。

こちらが勝手に熱を上げていただけで、彼女は何にも思っていなかったのだから

自分自身も愚かなもので、食事に誘うのではなくたとえば連絡先を交換するだけならもっとハードルが低かったかもしれない。

当時、短時間に色々な思いが頭の中を駆け巡った。

仮に連絡先交換できていたとしてもそれだけで関係を深めるのは難しいな、と直感的に判断した。

から誘いを断られたらそれですべて終わりにしようと決めた。

連絡先だけ知って中途半端なつながりがあると淡い期待を抱いてしまいかえって辛いから。

たから見ればこんなばかげていることでも、自分にとってはとても意義のあることだった。

これから秋本番。

そろそろ恋したいな。

昨日電車ベビーカーに後ろからぶつけられたんだけど

今、ぶつけられた足首を見てみたら、めっちゃ青あざができてた。

ガツッと勢い良くぶつけられてかなり痛かったんだけど、その母親は何も言わずに目を合わせずに電車を降りていったんだよね。

ベビーカーで人にぶつかるなんて日常茶飯事だから、もはやいちいち謝ってもいられないという感覚なんだろうか。

その母親に対してはかなり腹がたったので、増田愚痴を吐かせてもらいました。

2016-09-26

【「君の名は。ネタバレ感想】壮大にしないで欲しかった

君の名は。」、感動できなくてモヤモヤした派。

新海作品は一通り見てきたから、冒頭のCG合成したキラキラから、時空越え、引き戸カット不思議メールアプリ)と「新海誠の引き出しってこれしかないのかな」って心配になりつつも、

辻褄が合わないとか性差別的とか釣針モロバレとか野暮なことは呑み込んで、それなりにキュンキュンながら見てたんだけど、

夕焼けバックでめっちゃ綺麗な初対面シーンなのに「まだやることがある!」とか言った瞬間に冷めた。

"ある日男女が入れ替わる"だけなら「何かの偶然が重なってひょっとしたらあるかも」だけど、

"その2人が時空も超えてて、協力して歴史を変える!"までになると「そんな偶然とご都合主義はどんな並行宇宙にもありえんだろ」と。

安い正義感なんて混ぜず、思春期らしく「人命より私たちの恋の方が価値がある」とか思い込んでたらついでに村も救ってた、ならまだ良かったのに。

なぜかキーパーソン祭り上げられてる頑固な村長を説得するくだりとか、爆破やら放送ジャックやらの犯罪行為描写する時間で、もっと普通日常を紐解いてたら「いつかどこかでありえたかもしれない神秘」感も高まっただろうに。

言ってしまえば「秒速5センチメートル」が良かった。

わかりやすいヤマがない、オチハッピーじゃない、イミがあったかもわからない。

でも日常ってそういうもんだし、だから感情移入できて、そういう日常をがんばろう、と思える。

君の名は。」を楽しく観れた人が「俺もどこかの女子高生と入れ替わらないかな」って言うけど、さすがに「入れ替わったら俺も村救うんだ!」って思わないよね?

2016-09-25

人を笑わせる要素

http://anond.hatelabo.jp/20160925125021



人を笑わせる要素は、パーソナリティ5、技術3、内容2だと思ってる。



一番重要なのがパーソナリティだと思う。

昔、山里亮太芸人ネタをそのままやってくる素人に対して、「あれは芸人パーソナリティあっての面白さであって、お前らがやっても何も面白くないからな」と苦言を呈していたが、その通りだと思う。普段キャラな奴がいきなりモノマネとかやられても困る。



技術についてはテレビを通して芸人技法日常会話にも入ってきてる感がある。

さまぁ~ず三村が「昔は”天丼”とかお笑い芸人だけのものだったけど、今はふつうだよね」と言っていたが、よく分かる。

桂枝雀の「緊張と緩和」の理論松本人志千原ジュニアお笑い論を語るときによく持ち出すので素人界隈でもよく聞く。



あとやっぱり内容。どんなに技術があっても面白い体験をしてないと話は面白くない。

千原ジュニアなんかとにかく金使っていろんな人と遊んでいて、この内容が豊富

北海道Suicaを使おうとした話

http://anond.hatelabo.jp/20160925031147

これ見て思い出した話。

東京で働いていたが、辞めて北海道へ帰ってきた。

数年ぶりに帰ってきた北海道を堪能しようと思い、まずは札幌に住む友人のもとに向かい札幌遊んだ

Suicaにはまだ数千円の残高があったので、もう電車に乗ることもないので使いきろうと思い

コンビニ100円ショップなど会計は全てSuicaで支払った。

北海道民にはSuicaは馴染みがないので、レジ提示しても戸惑わないかな、と不安もあったが

「支払いはSuicaで」と伝えると、店員は「Suica…?あ、kitacaですね!」と言い直し、すんなり会計できた。

札幌市民は日常的に地下鉄移動をするので、ほとどの人は札幌地下鉄kitaca携帯しているので、東京でいうSuica的なカードレジ会計をするのは一般的なのだ

ただ、どこの店でもレジ店員が「kitacaですね」と言い直すのは面白かった。

一通り札幌を堪能すると、実家のある旭川へと向かった。旭川に来ても、まだ手元のSuicaには二千円ほど残高があったので、コンビニに行くたびSuicaでちょこちょこ支払った。

旭川コンビニSuicaを出すと、どこも「Suica…?ちょっと待ってください」と言われ、店員が店裏へ行きちょっとしたパニックになる。

店員マニュアルらしきものを見ながらレジ操作し、あーでもない、こーでもない、と5分ほどまたされる。

数分待たされた後、やっと「カードをかざしてください」と言われ、解放される。

旭川ではSuicaどころか、kitacaが滅多に見ないものである

札幌地下鉄があるのでkitacaでの支払いは一般的だが、札幌外の北海道全域では、そんなカード存在しない。

北海道ではJRのことを今も「汽車」と言うが、道民交通自家用車か、バスタクシー車社会なので、汽車は滅多に利用しない。

汽車カードなど、未知の存在なのである

そんな未知のカードコンビニ支払いなど、普段ないことなので当のコンビニ店員もよく知らないのだ。

一応バスにもSuica的なカードはあるが、それは地元バスに乗車したときしか使えない。コンビニやお店での支払いには使えない。

なので、北海道では札幌外のお店でカード支払いといえば、クレジットカードWAONくらいしか存在しないので、Suicakitacaで支払いとなると軽くパニックになるのだ。

ああ、北海道って田舎だなあ、と再認識した次第である

2016-09-24

パンチのきいた関西言葉

関西圏から大阪移住した。

めったにないことだけれど、日常生活の中で「でんがな」「まんがな」を聞くことがあると、ちょっと得した気分になる。

大阪市内オフィス街で「でんがな」「まんがな」なんてのは、ギャグでない限り日常的に使われていないのだが、

ながいこと営んでおられる小さな会社のおじいさん社長や、地元密着の喫茶店スポーツ新聞を広げている高齢者は使う。

「はあー、いつまでも暑ぅおまんなぁ」というように。

とても心ひかれる。大阪に住んで10年になるというのに旅情を感じる。

漫画やら映画やら小説しか接することのないパンチのきいた関西言葉に接すると、「お!」と反応してしまう、よそ者生活がもうすぐ10年。

直接聞いたわけでもないのに今まででもっとも衝撃を受けた関西言葉は、

「どくいり きけん たべたら しぬで」

グリコ森永事件のあれ。

事件当時小学生であった私は店頭から菓子がなくなる事態に遭遇したはずなのだが、よく覚えていない。

菓子に毒が混入される事件であり、小学生からの注目度はかなり高かったと思う。私も夢中になってテレビを見ていた。

しかし「どくいり きけん たべたら しぬで」は、後になってというか、ネット文字列として認識してはじめて衝撃を受けた。

内容の反社会性はもちろん、どことなユーモアのきいた恐ろしさのようなおもしろさ。

凄みのある顔つきの男が眉間にしわを寄せながら、片方の口角だけをあげてにやっとしたような気色の悪さに惹きつけられる。

それはそうと、豪栄道が優勝だ!

駅員飛び降りの件。

何件かのツイートで、乗客に対して「人が死んでるのに遅延したことへの文句しかないのか」と。

でも、都心部電車通勤してる人なら言わずもがな人身事故はもはや日常

年間3万件を超えるという自殺のうち、何割が電車で処理されてるのか知らないが、全くもって珍しくない。

私は列車トラブルを聞き逃すと困るからウォークマンは使わない。

車内放送聞き取りずらいし、第一報が聞けていたら、振替輸送で遅延回避できることもある。

で、振替可能ポイント第一報をキャッチしたら、いつもとは違う駅で降りて、振替用の券もらって、いつもとは違う列車に乗って会社に向かう。

列車通勤だと振替輸送も何度もお世話になるから、そんなに特別なことじゃないけど、

「いつもとは違う」ことで少し落ち着かない。


どうにもならないのは、振替不可ポイント第一報を聞いたとき

最短で40分は待ちぼうけ。

遅刻確定、会社に連絡。

乗り換え待ちでホームにいたなら、冬は寒くて夏は暑い

から出て、カフェにでもいればいい?

ホームの列に並んでないと、遅刻時間が長引くでしょ…

やっと電車が動き出しても、一本目にはまず乗れない。

運が良ければ二本目で。

でもすごい混んでる、ホントに混んでる。

まっすぐなんて、当然立てない。

座ってるおっさんの足が膝の間に割り込んでくる、信じられない、でも痴漢じゃない!

乗ってるだけで疲れるくらい混んでる…

会社の最寄り駅に到着した頃には、まちぼうけのイライラと混雑電車でもみくちゃにされたせいで、

すっかり疲れてる。

でもまだ一銭にもならない、仕事はこれからだ。

マジか?


そんなこんなで仕事を終えて、駅構内に入ったら真っ先に注目するのは電光掲示板

遅延発生の路線通勤路線でなければ、しめたもの

〇〇線はいつも大変だなーって思いながら、スイカで改札通ります

ちゃんと数えたことはないけど、電車使ってると人身事故ニュースを一か月聞かないで過ごすことはできない。

そしてその事故は一日限りとはいえ、ダイレクト生活に影響してくる。

一回一回は一時間程度でも、それは何度も起こり繰り返す。

多分、人身事故ニュースを聞いて一瞬でも気持ちが暗くならない人はほとんどいないんじゃないかな。

でも、何度も何度も繰り返すそれに、やっぱり慣れも生じてくる。

たか、って思ってこれから自分が起こすべきアクションを想定する。

今の自分が出来るよりよい行動の変更を。

人身事故に無感動な自分に、嫌悪感がないわけじゃない。

でも、日常に何度も何度も割り込んでくる、「見知らぬ人の死」に感情移入し続けることはできない。

からといって、駅員に八つ当たりしようとは思わないけど。

普段電車を使ってる人なら、人身事故が起きたら30分は復旧しないことは分かってると思う。(路線によるかもだけど)

から、遅延で駅員に絡んでる人は、

自分の行動が狂わされたことの収まらない腹立ちを当たりやすい人にぶつけてるだけだと思う。

イライラしてんのはお前だけじゃないよ…と思ってうんざりする。

その駅員が解放されれば、振替でまごついてる他のお客さんの対応ができて、

たまった人がスムーズに流れるというのに。

一度だけ、自分の乗っている電車事故の該当車だったことがある。

事故が起きた」といって、列車が止まった。

ほとんどホームに入っていたから、該当車であることにすぐに気づかなかった。

でも、ドアが開かないしなんだかおかしいな…と思っていたら、事故が起きたのはこの駅だという。

5両目くらいに乗っていた。

特に変わった音は聞かなかったと思う。

降車したい客は一両目のドアを開けるから、そこから降りろという。

電気が止められて暑くなってきたから、移動して電車を降りた。

ここしか開けられなかったのは、「救助活動」の現場を人目にさらさぬためだったかもしれない。

遠目に担架らしきものが運ばれていくのが見えた。

やがて運転再開アナウンスが流れ、該当車がこのまま運転を続けることに軽い驚きを覚えながら、

そのまま出勤した。

遅刻出勤しても、該当車に乗り合わせたことを仕事仲間には言わなかった。

救助された人が無事だったかどうか、私は知らない。

アニオタ非オタ彼女新海誠アニメ世界を軽く紹介するための10

元ネタアニオタ非オタ彼女アニメ世界を軽く紹介するための10

http://anond.hatelabo.jp/20080721222220

まあ、どのくらいの数のアニオタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、

「オタではまったくないんだが、しか自分のオタ趣味肯定的に黙認してくれて、

 その上で全く知らない新海アニメ世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」

ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、新海アニメのことを紹介するために見せるべき10本を選んでみたいのだけれど。

(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女に新海のアニメ布教するのではなく 相互コミュニケーションの入口として)

あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴う3クール、4クールアニメは避けたい(というか、ない)。できれば劇場版アニメにとどめたい。

あと、いくら新海的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。

新海好きが「遠い世界 OTHER WORLDS」は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。

そういう感じ。

彼女の設定は

アニメ知識はいわゆる「テレビまんが」的なものを除けば、ジブリ劇場アニメ程度は見ている

サブカル度も低いが、頭はけっこう良い

という条件で。

まずは俺的に。出した順番は実質的には意味がない。

ほしのこえ(2002)

まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「エヴァ以降」を濃縮しきっていて、「セカイ系ブーム」を決定づけたという点では外せないんだよなあ。長さも25分だし。

ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。

この情報過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報彼女

伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」試験としてはいタスクだろうと思う。

信濃毎日新聞(2007)、クロスロード(2014)

アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうなアニメCM(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」

のものという意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには一番よさそうな素材なんじゃないのかな。

アニオタとしてはこの二つは“CM”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。

雲のむこう、約束の場所(2004)

ある種のSFアニメオタが持ってる宇宙への憧憬と、オタ的な考証へのこだわりを彼女に紹介するという意味はいいなと思うのと、それに加えていかにも新海誠

童貞的なださカッコよさ」を体現する藤沢浩紀

童貞的に好みな女」を体現する沢渡佐由理

の二人をはじめとして、オタ好きのするキャラ世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由

星を追う子ども(2011)

たぶんこれを見た彼女は「ジブリだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。

この系譜作品新海誠フィルモグラフィーではその後続いていないこと、酷評されて2週間寝込んだこと、

アメリカなら実写テレビドラマになって、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、

日本国内でこういうのがさんざんつくられて(は失敗して)いること、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。

猫の集会(2007)

「やっぱりアニメ子供のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「笑顔」(2003)

でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかける新海の思いが好きだから

断腸の思いで削りに削ってそれで1分、っていう尺が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、

その「捨てる」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから

「猫の集会」の長さを俺自身冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、

一方でこれが宮崎富野だったらきっちり1時間40分にしてしまうだろうとも思う。

なのに、各所に頭下げて迷惑かけて1分を作ってしまう、というあたり、どうしても

自分物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえ新海がそういうキャラでなかったとしても、

親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。

はるのあしおと(2002)

今の若年層でminoriのオープニングムービーを見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。

君の名は。」よりも前の段階で、新海の哲学とかアニメ技法とかはこの作品で頂点に達していたとも言えて、

こういうクオリティ作品エロゲOPでこの時代に流れていたんだよ、というのは、

別に自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくアニメ好きとしては不思議に誇らしいし、

劇場アニメしか新海を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。

彼女と彼女の猫 (2000)

新海の「光」あるいは「背景」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。

「心にスキマを抱えて毎日生きる」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、

からこそテレビアニメ版『彼女と彼女の猫最終話はチョビが登場する以外ではあり得なかったとも思う。

「祝祭化するでもないささやか日常を生きる」というオタの感覚今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の

源は「彼女と彼女の猫」にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。

秒速5センチメートル(2007)

これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。

こういうジュベナイル小説風味の恋愛をこういうかたちでアニメ化して、それが非オタに受け入れられるか気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。

言の葉の庭(2013)

9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的に「言の葉の庭」を選んだ。

ほしのこえから始まって「言の葉の庭」で終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、東宝―新海時代の先駆けと

なった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。

というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら

教えてください。

「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。

こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。

2016-09-23

http://anond.hatelabo.jp/20160923135755

お前はナガサレのエロをわかっていない。

あれは日常の延長にエロを発生させる装置、いわばパンチラ派生形なんだよ!

http://anond.hatelabo.jp/20160923125759

俺はむしろ日常の延長にエロが入ってくるからこそ良いのではないかと。

http://anond.hatelabo.jp/20160923124336

わかるけど、理由ちょっと違う

エロ日常は隔絶されてるんだ

その隔絶が簡単に破られた瞬間にゾクっとくる

君の名は。」を観た彼女が出て行く。

彼女30前、自分40前。一緒に暮らし半年くらい。

一緒に観たいと言われて行ってみた。

映画の後はあまり感想はなかったけど、2日後に出て行くって。

どこかで「カップルで観に行くなんざ狂気の沙汰」って感想読んだけど、その通り。

あのキラキラの/手に入れたい/今手元にない恋愛を観たら、

日常の/手に入った/しょぼい恋愛はとても色褪せて見えるだろう。

それでもおっさんは、日常恋愛が楽しかったよ。

社会から排斥されるとどうなるか

反省したいじめ加害者のことを『許さない!』と、いじめ被害者が主張するのは、危ない思想(by山本弘)」なのか

http://amamako.hateblo.jp/entry/2016/09/22/223902



http://anond.hatelabo.jp/20081217111308

上記を見てどう思うだろうか?

いじめられた被害者が「それでも前を向いて歩きだす」という物語は、感動ポルノだろう。

これは、もと加害者被害者になって改心したから、【ではない】。

いじめられた被害者が、それでも社会適応し、むしろ肥やしになったみたいな感じで前を向いて歩きだすから感動ポルノなのだ



ちなみに、話は変わるが、改心してない状態でどれだけ相手非難しても、それは相手に届かないだろう。

だって相手クズのままなんだから

自分はむしろ迷惑かけられた被害者だと思ってんだから

自分は「正当な対応(仕返し)」をしたと思ってんだから

から、この時点では、クズ精神性は「いじめをした奴は苦しめばいい」と思うイジメ被害者と同一の物なんだ。

だっていじめ被害者から見て、イジメ加害者精神病み、まともな日常が送れなくなっても、「インガオホー」ってなもんでしょ?

から、最大の仕返しは相手真人間になることなのだ。

まずは、自分のしたことが「過ちであった」と気づかなくては始まらない。


許されようとするうちは、反省なんぞしていない。

それは全部「自分都合」だからだ。

自分が逃避したいだけだからだ。

許すってのは、「状態」であって、「行為」ではない。

関係性の積み重ねで、わだかまりがなくなったからこそ、相手を許そうと思えるものなのに、なんでかこれを「救済行為」だと考える馬鹿がいる。

から、「反省してマース、許してくださーい」とか態度で示すことが横行し、許さない事が狭量だと言われる。


うからな。

から私は、amamako氏を支持する。

誤用?】「課金した」で占う性格診断【許容?】

よくあるスマホゲーで「課金した」みたいな表現

課金は金を課す側の行動なので課される側が「課金した」はおかしいだとか、わかっちゃいるが通りがいいので使ってるだけだとか、いや子どもが誤って覚えて受験就活で失敗したら大変だとか、そんなこと考えたこともない普通に使ってるよとか、この言葉へのスタンスは人それぞれだろう。



そこでちょっと唐突なんだけど、別件のついでで「課金」で占う性格診断ってのを考案してしかし使う当てがなくなっちゃったからお前らもしよければやってみてくれ。

俺は大学でこういう専門、まあ社会人工学っていうんだけどそういうのの研究職やってて、あと今は社会になじめない人の自立を支援社会復帰させるようなNPOサイエンスアドバイザーみたいなのを複数掛け持ちしてる。

言語学は専門外だが、まあ個人社会社会社会の関わり様についてはいっぱしの知見は持ってるつもり(この診断にはそれほど関係ないけどな)。

本当はもうちょっとお堅い感じなんだけど、増田向けに柔らかくしたり単純化したり等アレンジしてある。



課金した」で占う性格診断

下記Aからはじめて指示にしたがって選択肢をたどっていくだけだよ!



A 言葉時代とともに変わるものだと思う  Yes→Bへ / No→Cへ / わからない→Fへ

B 「課金する」の意味も変わっていいと思う  Yes→Dへ / No→Eへ / わからない→Gへ

C 「課金する」という言葉を使う  Yes→【保守ハト派】 / No→【保守タカ派

D 「課金する」という言葉を使う  Yes→【革新タカ派】 / No→【革新ハト派

E 「課金する」という言葉を使う  Yes→【中道ハト派】 / No→【中道タカ派

F 「課金する」という言葉を使う  Yes→【なんとなく流されちゃう系】 / No→【なんとなく反抗しちゃう系】

G 「課金する」という言葉を使う  Yes→【考えるの面倒くさい系】 / No→【日常で使う場面がない系】



タイプ別典型的人物像》

  1. 保守タカ派 → 低学歴なのに自己主張したがり。昭和団塊おやじに多い。未だにファミコンとか言っちゃう
  2. 保守ハト派 → 低学歴自己主張したがりだが、低学歴ゆえ言うことがコロコロ変わって一貫性がないタイプ。そのことを指摘されると怒りだす。
  3. 革新タカ派 → 厨二病。「課金するって誤用やでーw」と指摘されるのを待っているタイプ反論早口聞き取りづらい。
  4. 革新ハト派 → 知識人気取りのブサヨ低学歴はてなブックマーカー想像すればだいたいあってる。
  5. 中道タカ派 → 一般人だけど少し世の中にモノ申したいことがあるタイプ自分のことを情強ロジカルスマートだと思っているが、それっぽい意見に流されてるだけなことに気がついていない。典型的はてなブックマーカー
  6. 中道ハト派 → 一般人はてなブックマーカー一般人はわりと近い価値観なはずなのだが、お互いかける言葉配慮が足らず無用対立・争いを招くことが多い。
  7. なとなく流されちゃう系 → DQN
  8. なとなく反抗しちゃう系 → 学歴コンプ
  9. 考えるのメンドくさい系 → 主婦
  10. 日常で使う場面がない系 → おかん

[]おざわ ゆき「あとかたの街」

こうの史代戦争漫画in名古屋空襲

って感じ

かなり雰囲気似てる

でもこっちのほうが大ゴマ使ったりより具体的で直接的・臨場感のある描写がかなり多くて、ダイナミックさがある

こうの史代の方は童話的というかどこかフィルターかかって一歩引いて読んでたけど、こっちはどうしようもなく激しい物語性を持って目の前の戦争押し付けてくる感じ

どっちがいい悪いじゃない

似てるけどこんなに違うんだーと思って新鮮だった

最初は割りと日常っぽいところからはじまってただの昭和日常ものかなと思いきや、だんだん切り詰めていって戦禍にモロ巻き込まれていくのも似てた

終わりの見えない戦争へのやり場のない怒りとか無念さとかがよく伝わってきた

理解できた、とは安易に言うまい、というか言えない

こんなのをBELOVEで連載してたってのもまたすごい

雑誌上でこうの史代と対談しててそれもなかなか興味深かった

あと、ひたすらひもじい!ってとこがフィーチャーされてたね

日常って意味ではやっぱりそれが一番問題だし印象に残るんだろうな

ちなみに作者の母の話がベースになったマンガらしいです

タイトルの時点で半分ネタバレしてるようなもんだけど、やっぱり戦争は大変だなあ

でも個人的感想としてはここまで入れ込む戦争時代に生まれ死ねればよかったと思ってしま

今いろいろときつくて戦争理由に死なざるをえない環境がうらやましくもかんじてしま

不謹慎まりいかリアルだったら絶対言えないけど

2016-09-21

君の名は。という大ヒット映画をどう見るか

遅れて鑑賞。若い子も多かったがカップル以外の客も増えていて、結構年齢層も公開初週よりは上がって来たのではないだろうか。以下、長い。



さて、売れている映画には二つの心配が付きまとう。

年間とかではなく今までの興行収入ランキングみたいなものを見たら分かると思う。

何故売れたのか?と疑問に思うものまでさまざまだ。

その点において、君の名は。はよくできた映画だったと思う。

少なくとも「スカスカ映画ではなかったし「何故売れたのか」という点でも完璧ではないが、ある程度説明つくのではないか

ステマだけではなく本当に評判が良い映画自分に響かないと、ただ普通にまらない映画を見たとき以上にガックリくる。

というわけで心配1、2はクリアした。



さて、増田自身のことを話すと、結構映画が好きだ。

この映画を見る今日まで、映画通やら映画通という名のアニメファンやら映画通という名のやり○ん騒動男やらの、いろんな批判を見た。

映画が好きな自分からすると、「そうか。食いつける映画なんだな」ということで、自分にとっては逆宣伝になった。

(まぁ信頼する映画通たちは結構試写時点で絶賛してたんだけど)

映画が好きだと書いたが、アニメ映画に関してはもっぱら円盤待ちの人間なので、その自分映画館に行かせたという効果は絶大だ。



映画を見て、その批判を改めて見た。

まず自称新海ファン評の「新海らしくない映画」だが、しっくりこない。

しろ海監督のファンサービスがちりばめられていて、過去作好きこそ振り回される映画ではないだろうか。

キャラストーリー構成から唐突感だったり、詩的な部分だったり、感覚的な部分。とても「新海らしい映画」だと感じた。

しろ新海らしくないというのなら、何らしいのか。

思いつかないので、やっぱり新海らしい映画だった。



次に「若い世代向け」という話。

隣りで見てた50オーバー号泣し、終わった後感想を熱弁していた。50オーバー若い世代という世界には住んでいない。

しかし確かに今まで見てきたアニメ映画とは、一味もふた味も違うのかもしれない。

ニュージェネレーションに対するギャップが、ある人にとっては大きかったのかもしれない。

例えば主役が高校生から高校生しか感動しない。というのは馬鹿な話である

じいさんが主役でも、子供が主役でも、感動するものは感動するだろう。無理なら想像力が欠如している、と言っているようなもんである



次に「RADWIMPSファンしか褒めない」という暴論。

RADWIMPSは嗜む程度だが、あまりRADWIMPSらしくもなかったので、激烈RADファンからすると絶賛はしにくいんじゃないか

自分のような嗜む程度のやつに、ちょうどよかった。

歌もしっかりはまっていたし、劇判にも仄かにRADらしさがあった。しかしやっぱりそんなにRADらしさは無かったかもね。

まりファン以外も満足しているということだ。(ファンもある種の初期RAD感が出ていて嬉しいのかもしれないが)

音楽映画は噛みあえば化学変化を起こす。

ここはとても「邦画」感が溢れていた。秒速~以外に、自称映画通なら何作品か思い浮かべたいところだ。

こういう音楽映画邦画は得意のはず。邦画の好きなところだ。



次に「物語薄っぺらい」という話。

昨今の邦画は設定を詰め込み、それを全て説明しようとしてくる。故に物語に勢いが無くなったりする。

しかしそこまで説明されずとも作りこまれている映画に傑作が多い。本家アカデミー賞受賞作などを見ると、設定をしっかりした上でとにかく勢いが凄くて、設定なんてどうでもよくなる。

その部分がエンタメ邦画には足りないなぁと常々思っている。(無いとは言わないし、説明カットし過ぎてダメなのも邦画あるある

結局作りこみすぎると、ヲタク解説したくなってしまうのだ。(ヲタク脚本家監督

君の名は。はその絶妙バランスにたどり着いた。日本人が受け入れられる塩梅での。勢いと説明狭間だ。

例えば、見てない人には分からないだろうネタバレだが、三つ葉が父を説得するシーンが今作には無い。しかし説得した、と分かる。

映画を見ている最中は、他の展開が忙しくてそこに気付けない。

でも後々…もしかしたら見終わった後で、もしかしたら2回見た後で「あ、そういえば説得してたな」と気付く仕組みになっている。

彗星軌道云々という批判があった。

見ても無い自分が「フィクションからさぁ…」と突っ込みたくなるような批判だったが、見た今なら「あれはこういう意味があったんじゃないかな?」と推測できる部分がしっかりある。むしろちりばめられている。突っ込んだ人はもっとストーリーをみるべきだった。

途中で出てくるラーメン屋おっちゃんも、ナイスだ。

きっとリピーターは血眼で探しているだろうし、他のそういう手品トリックみたいな演出も、多分2回見たいと思わせる構成だ。

男女入れ変わりと聞いたら、転校生を始めいろんな作品が頭をよぎるだろう。使い古された設定に見えるかもしれない。ボーイミーツガール王道だし。

その設定を使ったこういう構成脚本を、薄っぺらいと言うのか。本当にそう思ったのなら絶望的な感覚である。とまで言っちゃう

薄っぺらい」ではなく「説明なさすぎ」の言い間違いじゃないのかなあ。

これくらいで良いと思うけどね。商業映画は。(もう一度見て理解したいと思わせる技は必須



次に萌えヲタ向けという話。

おっぱい揉んだりパンツが見えたりしただけでヲタク向けになるのか。

パンチラは角度的にどうしても見えてるだけであって、逆に見えないのはあの画の中では大きすぎる嘘になってしまう。

パンツが見えないのはギャグだ。リアリティがない。むしろ日常萌えアニメミニスカ絶対見えるパンツを描かないことで、フィクション感をだしている。

ていうかパンツ一瞬しか見えない。コンマ何秒とかしか見えない。騙された。

この理屈と同じで、実際あの状況なら胸は揉むだろ。



そんなわけであがっている批判を見ても、「え?なんでそんな批判があがるの?」というものばかり。

(例えば漫画原作のように<漫画という神>と違うからという批判は、心情的に良く分かる。調理した方と見た方の問題根深い。)

是非まだ見てない人に、見てから判断してほしいと頼みたい。別に批判をする人がわるいわけではない。的外れ批判が溢れているだけだ。

どうも売れすぎて、色んな雑音が耳に飛び込んでくる状況になっている。

だけど是非ポジティブスイッチを使ってほしい。

これを読んでる人は、君の名は。のことが気になっているはずだ。素直に、自分がどう感じどう思うか?と映画で考える良いチャンスなのだ



君の名は。面白かったです。

絶望感と閉塞感。あれを思ってはいけない、感じてはいけない。

そういう空気が付きまとう世界情勢で、映画界、とくに邦画界にもある時点から閉塞感があった。

いつだって現実が向かってきたし、夢物語は無い。そう示してくる話が多く、心の片隅が窮屈な想いをしていた。

若者たち経済が少し上向いても無駄遣いをしない世代になった。夢を見るやつは、馬鹿だと思っていた。

でも「君の名は。」は希望のある夢を見せた。ここまでの大きな夢は、もしかしたらあの時の自粛ムードと共にタブーになっていたたのではないかと思う。

ずっとこんな映画を見たかった気がする。

フィクションからアニメから、一つの大きな嘘を内包することができた。

なにかの穴を埋めてくれたのかもしれない。

その功績はでかいし、言いたい。こういう映画を見せてくれて、本当にありがとう

4コマの話になると必ず出る話題

業田良家自虐の詩」は「読まないと人生損」だとか「これを読まずして4コマを語るな」みたいな文脈でよく語られるんだけど、

上巻はただひたすら同じネタの繰り返しで読むのが苦行レベル。たいして笑えもしない、同じ内容の4コマを延々読まされる。これ、いつまで続くんだ…地獄…って感じ。

熊本さんが登場してからは圧倒的に面白くなるんだけど、やっぱり前半のあの同じネタの繰り返しはキツい。前半は大幅カットして単行本化したほうがいいんじゃないか。

あと、みんな揃って「涙が止まらない」というラストシーンは、全く泣けなかった。あれだけ壮絶な展開を見せたので、どう落とし前つけるのかと期待しまくったし、みんながみんな「泣ける」というので俺の中でハードルが上がりすぎた。期待しすぎただけに、案外平凡な終わり方だな…という印象。

高校の頃に読んでこの感想だったので、大人になり高校の頃より涙もろくなった(というか人一倍涙もろい)今、ある程度自虐の詩の内容を忘れた上で最近久しぶりに読んだんだけど、やっぱり同じ感想になった。

他の業田良家作品大好物なんだけど、自虐の詩だけはどうしてもイマイチ感が…でも熊本さんの出る回は好き。

 

 

あずまきよひこあずまんが大王」は、登場時4コマ界に与えた衝撃ったらなかったことは認めるし、実際当時に衝撃を受けた世代真っ只中だ。

もちろん、こんな4コマ今まで見たことない!とおもったし、滅茶苦茶ハマった。

単行本の帯には「ハマる人はハマるし、理解できない人には一切理解されない4コマ漫画」みたいな売り文句が書いてあった。

今読めば全くいたって普通4コマだし、そこまで絵がオタク臭くないのですんなり読めるのだが

やっぱり当時には新感覚すぎる新しい4コマだった。「美少女日常4コマ」という今までに存在しなかった漫画発明してしまったのだ。初めて見る内容に、全く理解が追い付かなかった人もたくさんいたことは想像に難くない。

あずまんが大王が凄い作品だったが、そのあとに雨後の筍のごとく乱立した美少女日常4コマはクソの山でしかない。

あずまんが大王の模範というか、丸パクリしかない。中には、あずまんが大王キャラ設定そのままの作品である

模範とパクリばかりで、あずまんが大王から何も進化がない。どの作品を読んでも、絵が若干違うだけでどれも内容が同じ。

まんがタイム」のようなファミリー4コマ雑誌美少女日常4コマ専門誌になって久しいが、どのページをめくっても同じことしか書いていない。

自虐の詩の上巻状態。退屈な地獄

見るだけ時間無駄である。暇潰しにもならない。ゴミ中のゴミキングオブクソである

あんなもん楽しんでるやつなんて、あずまんが大王を知らない幼稚なクソガキのオタクだけだろう。

けいおんなんてクソも面白いと思わなかった。

あずまんが大王の連載終了後、「ぱにぽに」が登場して「あっ、やっちゃった」と思ったもんだが、まさかこんなのが乱立して今の4コマ業界みたいな惨状になるとは思いもよらなかった。ちったあ進歩しろや。

http://anond.hatelabo.jp/20160921121536

クレヨンしんちゃんとかドラえもん映画が怖い

冒険なんだけど、普通な楽しい旅行みたいなイベントがこわい非日常になるものばっかりで、TV版とは別ものに見えてしま

2016-09-20

婚活でもなんでもいいけどマッチングサービスって、特定人種しかまらないような気がするんだけどどうだろう?

例えば、中身クソだけどSEOだけは力を入れているサービスには情弱しか登録してなかったり

おすすめ アプリ」で上位にくるアプリだったら、

おすすめという言葉に弱い、アプリをメインに使うユーザー(webサイト日常的には見ない)の比率が高かったり

検索に埋もれているサービスを掘り起こして使うユーザーはひねくれ者率が高かったりするのでは?

と思ったけど、似た者同士で集まりたい人が使えばそんなに問題いか

本人がクソだが当たりを引きたいような場合はそれこそガチャゲーになってしまうね。

2016-09-19

自らの不遇をアトピーのせいにしているといわれる

実際アトピーのせいで十数年虐められたし、人からきもがられてきたし、痒みやガサガサの汚い肌のせいでまともな人生を送れないし、健常者に近い状態になってもやっとそれがスタートラインで恵まれた健常者には一生勝てない差が開いている。

アトピーのせいでじんせいめちゃくちゃになっている。恵まれた健常者は何のストレス苦痛もなく日常を送っている。

アトピーゾンビは二十四時間三百六十五日、とろろのような痒みや日焼けのような痛みに耐えている。

食事だって気を使っているし、運動もしてるし、シーツも変えてるし、できることはちゃんとしてる。

なのに、努力不足だからアトピーゾンビウイルスが治らないんだ!と恵まれた健常者に袋叩きにされる。

非健常アトピーゾンビは健常者より数億倍の努力をしているのに全く評価されない。

健常者が何の苦痛もなく生きてる一秒は、アトピーゾンビ必死でつかみたかった一秒なのだ




アトピーゾンビウイルスのせいで人生終わったし、人生狂った。関東ごみ高校に行くことになったのだってアトピーゾンビウイルス勉強に集中できなかったからだ。そもそも試験会場に行ったときアトピーゾンビウイルスの痒みや肌の汚さや痛みで意識朦朧としていたから、勉強していたとしてもまともな所には受からなかっただろうな。

虐められて前頭葉が委縮してるし、アトピーゾンビウイルスのせいで恋愛負け組だし、灰色青春が確定してるし、人生ベリーハードだし、虐待されてるしで散々である


まれた健常者は人生を生きてていいよな。アトピーゾンビウイルスが無くて虐待いじめもなくて容姿に優れた白人で親は資産家という小さい人生でよかったのに。

最悪である

みんな本ってそんな読んでるの?使う機会なんてないのだけど

本を読めって言っている人たちって、読んだ知識活用出来ているのだろうか?


本を読んでもWeb議論されているのが8割くらい同じ内容。


アフィリエイトなどで稼いでいる人はいいけど、日常会話で本に書かれている内容についてコミュニケーションで使うことなんてないのだけど。

京急すごい

から京急沿線引っ越し京急生活にはなくてはならないものとなっている

鉄オタではないので語るのは肩身が狭いが京急好きだ

一番好きなのは羽田まで一本で行けるところ

引っ越し生活が変わり海外旅行にもよく行くようになった

そこでひょいと京急に乗れば蒲田で乗り換えるけどまあほぼ一本という感覚簡単羽田に着くのである

駅着いて空港まで長い距離を歩く必要もない 長いエスカレーター上がればセブンが見えて、広大な国際線ターミナルとなる

わたしにとって、海外渡航とは現実逃避という意味合いが強い

日常京急が、同時にその非日常まで連れて行ってくれるという現実が、リアルなのにあべこべで、そのあべこべさに興奮する

空港に近づくにつれ、地下の駅が多くなり、停車駅も多くなる。まだ空港に着かないの!じれったい!そのじれったさも、好きなのだ

じわじわと異空間へ運んでいく感じが、たまらないのである

バスでも空港に行ける。車でも行ける。しかし、あの暗い雰囲気と、妙にピカピカの駅名表示を持つ空港線の各駅を見ながら、羽田に向かうのが好き。

まっこんなこと言ってられるのも学生のうちですかね????????!!!!!!

2016-09-18

日常のふとした良心交流

見知らぬ者同士の親切のやり取りが好きだ。

例えば、電車の中で席を譲るとか。すれ違った瞬間落としたものを声をかけて渡すとか。道を聞かれて教えるとか。

その関係、お互いに面識はない。その分、そこで行われる親切はシンプル良心からまれ純粋な優しさが詰まっている。ように思う。

そのようなやり取りをする人を見るのもいい。自分がどちらかの役割をするのもいい。

それらは刹那的なやり取りで、お互いに分かれた瞬間には忘れて、自分がかかわる世界意識が戻っていく。

泡のように消える日常の1ページにすぎずとも、そこで優しさに触れて一瞬でも心洗われることで、

その日がとても満たされたように感じられる。