はてなキーワード: 友達とは
122 :以上、自作自演でした。:2007/08/08(水) 15:04:44
実際、被告少年の生い立ちや人生を映画にしたほうが文芸的には価値があると思う。
母親と近親相姦?「お前そっくりの子供を産みたい」と、主人公(小学生)に言う母親。
父親に言われるままに、部屋の片づけをする主人公12歳。
いじめにあいながらもなんとか高校を出て就職するも友達はいない。
絶対的な孤独の中で、未熟すぎる少年は、誰でもいいから話し相手がほしくて犯行におよぶ。
卓越した技能、交渉力、自己管理力が無いと無理!みたいな否定派。
そんな事無いっての。明治時代より前は自営業が圧倒的に多かったわけだし、
たいした話じゃない。働く手段の一つに過ぎない。
ノマドの原則はただ一点。
製品またはサービスが、市場に直接晒されるだけというだけの事。
品質が高ければそりゃ楽だけど、品質が低くても価格で勝負ができる。
しょうがないのでノマド(ネットワークエンジニア/SE/プログラマ)になった。
そして12年経つ。
俺の強みは二つしか無い。顧客が何を欲してるか瞬時に理解できる事、
それと、問題が発生した時にそれを必ず解決する事、この二つだけ。
それ以外はマジでヒドイ。
いや、守ろうと努力はするんだが、中学時分から昼出勤だったもんで、
長年染み付いちまった習慣はどうにもならん。
10年格闘したけど、結局、全く克服できなかったw
そのおかげかな? ラッキーくらいに思ってたが、
ずっとキープしてるから俺自身の資質による部分も大きいと思う。
ただとにかく真面目だけが取り柄ってのもいるし、
全体的にバランスがいいのもいるし、まぁとにかく色々だ。
市場に晒されるってのは確定的なので、じゃぁ交渉力が無いと難しいんじゃね?
という意見もあると思うが、例えばデザイナーにしろPGにしろ、
品質がめちゃくちゃ高いけど、交渉苦手どころか、コミュ障ってのもいる。
意外となんとかなんのよ。
何か一つ光るものがあればそれで十分って陳腐な結論になっちまうのかな。
あと、その光るモノって対象が、例えばプログラムが書けるとか、
デザインができるとか、情報発信できるとか、なんかそういうわかりやすい
技能に目を向けられがちだけど、
とにかくただ真面目、とか、とにかく相手の事をホンキで思いやれる、とか
そういうのでしっかり食ってるヤツもいるし、
驚くほど、その要素はなんでもいいんだよね。
というわけで、ノマドは憧れるならとりあえずちょっとやってみればいいし、
やって駄目ならまた働く先を探せばいい。
そもそも会社が気に入ってるならノマドに目を向ける必要なんて無い。
ノマドにしろ会社にしろ、「小さくはじめて大きく育てる」を忘れなければ、
それこそなんだってアリだよ。食える市場かどうか? それすらどうだっていい。
ノリだよノリ。ただそれだけ。
心身に負担がかかっているようだから、とりあえずは休養して、雰囲気合う大学に編入してはどうか。
おそらくその大学は同じような子が集まっているので、つい小学校や中学校のノリが踏襲されてしまうのだと思われる。
可能なら、とにかく色んなバックグラウンドの人がいる大学に行くといい。
学生にも教授にも、外国人や障害者や元社会人とか世界中放浪してぶらぶらしてたみたいな人がいっぱいいるような。
そういうところだと、もし仮にぼっちをプークスする人がいても、更にその周りから「何がおかしいの?あんたがおかしいよ?」
ってプークス野郎に言ってくれる人がたくさんいるから。味方がいると感じられるだけでも違うと思う。
グループワークの必要な授業でも、チームメンバーはプライベートでも友達であるべきみたいな変な押し付けはなく、
近くにいた人とちゃっちゃと組んでさっさと終わらせる空気になってるよ。
彼らが何をしてるかというと普段はバイトして一人暮らしの生活費稼いで出席が
初対面だろうがなんだろうが拝み倒して前に座っていた人達にノート借りてた
ゼミでチームで何やこれやするときも、ガリ勉と組んでただ座っているだけ
プークスクスいうやつらは、友達3人揃って座っていても前に座っているだけでプークスクスいう
から。
どうしてもその人たちと会うのがいやなら教授に相談してゼミ変えてもらえばすむ話だと思うけど。
私なら勉強の成果をまとめるのはリア充に任せて、2~3回だけ勉強会に出て後はバイトとかいって出なくて
勉強発表会の席にはちゃっかり座っとく。全面的に投げられたら、勉強会でほぼ勉強一人でやらされてリア充達は
さいたま市で家族三人が餓死したのは、父・母・息子の三人ともが非コミュだったからだ。
全員が職場にも地域にも一切友達を作らず孤立して暮らしていたため、病気で働けなくなっても誰にも助けを求めることができずに死んだ。
名古屋で餓死した夫婦も、二人とも非コミュだった。北九州の男性孤独餓死は非コミュの単身世帯だったから起きた。
家族のうち一人でもコミュニケーション力が人並みにあり、友人知人の居る人間が居たなら餓死は起こらなかっただろう。
女性の非コミュが恋人や配偶者にコミュ力のある人間を求める傾向にあるのは、自身やわが子の危険回避の意味合いもあるかもしれない。
しかし男性の非コミュは恋人や配偶者に自分と同レベルの非コミュを求める傾向にあり、これは危険な傾向なのではないかと思う。
身体が元気で働けているうちは良いが、もし病気になって困窮したとき、夫婦共に非コミュでは行き詰ってしまうのではないだろうか。
ソースを出さないで切っただけのパンを突き出されてもな。
実態を知らないで批判されても空振りよ。
それとも「あーそーだね」って肯定してもらいたいだけなの?
回り道しないで、フツーに「自分はいま寂しい」と友達に言った方が
キミは早く満足すると思う。
君のためだ。そうしろ。
遺伝的要素が強い内臓の病気(完治はしない。症状は一生続く)を持つ女はどうやって恋愛したらいいんだろう。
細々と仕事はしているけれど、休日は家で安静にしながら仕事の勉強をしてる。
友達は優しいので早く彼氏を作りなと言ってくれるけれど、過去に持病がある女より健康な女がいいと
フラれた経験があるので、どうしても積極的になれません。
私が男側の立場だったらやっぱりそうだろうなって思うし。可愛くて健康な女の子がいいに決まってる。
ひとりで生きていくための人生設計を立てて仕事をしたり貧乏な中でやりくり料理をしたり、
入院手術を繰り返していた頃に比べればとても幸せな生活ができているのに、心がどうしようもなくさみしい時がある。
頭ではわかっていてもたまにつらい。努力でなんとかできることは全力でしてきて結果を出してきた。
悔しい。
http://anond.hatelabo.jp/20120221012245
自分がレイプの被害者になるかもしれないってもことも十分あり得るだろう
けれど、まぁブスデブだし、可能性は1%(もしこれで選ばれたらなんちゅう
センスだとこっちが驚くレベル)もないと楽観していることろもある
この事件にリアリティを持つようになった
そこが大きい
http://anond.hatelabo.jp/20120221012938
子供が成長するところ
それだけ、親って子供の成長を見ている
とくに赤ちゃんは1日1日で成長していると、嬉々として語るんだ。
かといって、本村さんの奥さんがレイプを受け入れればよかったって話しでもないし
ふと思ったことをメモ。理論なり参考にして演繹的に書くわけじゃないので、まあ反論なりいただければ是非読ませていただきます。
さて、結論から言うと以下の考えのコアは「嫌いな人といかにして距離をおくか」ということ。嫌いな人、までいかなくても苦手な人、ウマが合わない人くらいでもいいです。
自分の人間関係における考えとして、人生を楽しく生きるには嫌いな人なり苦手な人とは極力付き合わないこと、というのがあります。人によっては周りの感情に気を使いながら~とかとかあるけどそんなの気にしながらじゃなくて気の合う連中と好きなこと言ってる方がよっぽど人生の充実度高いっすよ。経験則的なところなんですけどね、自分自身も努めて友人の数を増やそうと、八方美人外交てきな態度をとってた時期がありまして。よくわからない価値観に頷いてみたり、おもしろくもない話に全力作り笑いしてみたり、やりたくもない呑み会の幹事やらされたりなどなどなど。
で、今はと言うと自分の価値観全面に出してすきなように生きてます。友達って呼べるのなんて片手ぐらいだったりするかもでその他表面的な付き合いだったりするけど今のがよっぽどいい。気を使わなくていいからラク。
どうなんですかね、多分そこらへん男女だったりで違ったりするのでなんとも言えないけど。ちなみに自分は男。
・一つ大事かなと思うのは、割りとどの人を好んで、どの人がそうでないかを公言してしまうことかなと。(※もちろんさすがに本人には聞こえないレベルで)共通の友人なんかにもこいつとこいつはあまり合わないというのを把握しておいて貰えれば、会合も上手く調整されてその場の変な緊張も緩和されて実に有意義な会合になります。
・もう一つメモにしておきたいところは相手がこっちが嫌ってると知ってても近づいてくる場合。婉曲的なアプローチだけでなく、直接拒絶した態度をとっても気づかれなかったり一方的な好意を示してくる人種もいます(本当に)こういった人の場合はもう共通の知人を通してそれとなく自分がその人のことを嫌ってること(ないし良くは思ってないこと)、そして場合によってはその共通の知人を通してその自分が嫌っている人に距離をとってもらうように言ってもらうこともありなのかなと。ここまで言っても態度が変わらない人っていうのは少しオトナの対応がとれない、あまり人間的には成熟度の低い人なのかなと思うところなので、周りに相談を持ちかけるような形で軽い村八分的な雰囲気に持っていくのが有効かなと思います。ここまですれば相手も態度を選ばざるをえないので。
以上、あくまでメモなのでご参考に。最近はSNSなんかも出てきて人間関係がほんとうに面倒になってきたなあと思います。で、前提にあるのは方針として嫌いな人とは付き合わない。(もちろん自営業の人で仕事上要面的な付き合いを切らないほうがよいこともあるし、割りと神経が図太くて些細なことが気にならないタイプの人はむしろ広く友達を募ればいいと思います。)ここ、はてなとかネットが好きな人って割りと価値観がリベラルだったり干渉嫌いだったり一人の時間が好きだったりする人が多そうですよね、そんな人とか、またさらに知性的だったりプライドが高いタイプの人なんかだと絶対人に合わせてる生活ってのに無意識に疲れてるはずなので、人間関係の取捨選択は思いの外有効ですよ。
※ここで注意が必要なのは「人と距離をおく」ことが必ずしも悪いことではない、ということですね。自分もらくになるし、そういう場合往々にして相手も気を使っている場合が多いです。また既に書いたように周りもその緊張関係を読み取っていることがしばしば。なので後ろめたい気がしても実際にこういう態度を採用してみるとラクになることがあるので、自分のケースだとどういうふうに取り入れられそうか考えてみてはいかがでしょうか。(もちろん、嫌いな人を安易に前切りしてはいけません、必要な人間関係もあるので。)
結果に関してさすがに責任は負いかねますが自身で考えてよりよい人間関係を築きたいものです。他にも気をつけていることなんかあれば是非一筆ください。
漫画雑誌も、ゲームもCDも、全部他人の借りて楽しんで、違法DL上等なスタンスで居るんだが、
貯金がどんだけ溜まったか、その投資配当でなにを無料で楽しめてるか、周りに自慢しやがる。
この間、職場の仲間でそいつに娯楽を与えるの止めようって話をして、実行に移したら、「減らねぇし、ケチんなよ」とか言い出してる。
いやいや、ケチってるのはおまえだろと。
そもそも、なくても困らない娯楽だったんだろ、続きが気になるなら、金払えよ。
「友達だろ」とか使い始めたから、「貸すのが友達の条件?」って聞いたら「うぜぇ」とか言って離れてった。
これ書いてて思ったけど、普通利益考えたら、貧乏な振りするよな。
反感かわないしさ。
みじめな思いを紛らわせるために
ではないけど、なんとなくだらっと過ごした。
馬鹿ニュース見たり、友達アテのメールしたり、ネットだけじゃなくテレビ見たりもしたが・・・
洗濯しただけで他なんもできてねえ!
だが後悔はしてない!
とりあえず週末だらっとすることで元気になればいいんじゃないか?
何となく分かるけど
と思っていたとしても、好意を持ってくれる女性が居て、増田もまあいいかなと思えたらつきあってやってくれよ
俺の友達(女)が婚活中なんだが、もし増田と知り合ってていいなとおもっても、「快い返事が来なかった」といって落ち込んだら悲しいからさ
多分ないとは思うけど
土台はまあ平均的じゃないのかな・・・
ただ表情だよね。やっぱ、仲いい友達と楽しい話してるときの表情とは違うだろうな、と勝手な解釈する。
どうせイケメンじゃねーからという気持ちがにじんでるように見えた。コメントのせいかもしれないけどな。
仲いい友達と遊んでるとき、馬鹿やってるときの自然な写真のほうがいいんじゃないか。
人生楽しんでる奴って顔がどうであれ、いい顔になるし、女も楽しい人生やってる人のほうがいいなと思うわけで。
なにやってももてねーと思わずに、「いくらかけてもこれだよ」とかあまり気負いすぎずに、おしゃれを楽しむとかめがねの斜めさwを楽しむとかやってみたらいいと思うよ
探し物をしていたら、見知らぬ方のブログに到着。
そこに書いていた話を見てビックリした。
↓
↓
彼氏、○○○を出して彼女の口に突っ込んで精液発射。「飲め!!!」
↓
「うう、助かりました。ありがとう」 終
って、ええええええええええ!!!!
家具、下着、洋服、お菓子など様々なところで無印良品を愛用してそう。
特に男性のボーダー好きは無印の化粧水を使ってそう。オードムーゲのこともあるか。
酒とか、タバコとか。どうかすると添加物入りのお菓子や、チェーン店のファストフードも嫌ってそう。
ただしフレッシュネスは例外。あと代官山や自由が丘系のハンバーガーなら喜んで食う。
かご収納とか。ギンガムチェックとか。ああ、ギンガムチェックも色気殺し柄ですよね。
自炊の経済性を説いてそう。居酒屋嫌いそう(コスパ悪いから)。
いい調理器具を持ってそう。一人暮らしの男でもオーブン持ってそう。
異性の友達は多く、恋人や配偶者もつくりやすいが、セックスに興味が無さそう。
1~2ヶ月に1回のペースで嫌々こなしてそう。体力も無さそう。
一人で完結できる運動のみを健康維持のためにしてそう。チームプレイのスポーツが嫌いそう。
色気は守旧的でバカそうなファッションに包まれた意外な新しさと賢明さに宿る。
あーもう今は楽しい事たくさんあるのになんで昔あった嫌な事ばっかり思い出すんだよクソが
それでへこみすぎて死にたくなるとか意味分かんねーよ
そもそも物心ついた時から弟の方が可愛がられてて、母にとって自分はいらない子なんだろうなあって思って育ったのがケチのつけ始めで
でも昔はその分父が構ってくれたからバランスとれてたけど、その父からも中学くらいから無視されるようになったし…
今思えばあれって犬をかわいがるみたいな、自分が構いたい時だけ構える都合のいい存在だったんだろうなあ…
そして普通に仲のいい両親と思ってたけど、いきなり父が浮気して離婚するのしないのって揉めてたくせに、ショックを与えまいとしてなのか全く事情を説明もされず蚊帳の外にされたのも嫌だった
親族会議の時はいつも部屋から出ないように言われて、何かおかしなことが起こっているのに何も言われないのは余計不安になると思います。今でもよくあの時のことを思い出します
私はその頃に一番仲良かった奴に裏切られてクラス中からいじめられていたわけだけど、そんな事には全く気づきませんでしたね
いじめはすぐに和らいだけど、その後も卒業するまで大抵の奴から出会い頭に罵倒されたり嫌な顔されるサンドバッグ役からは抜けだせなかったですね
部活だけが唯一の心安らげる場所だったのに、先輩とギクシャクして居づらくなった時は本当に死のうかと思いました
泣きながらスズランテープで輪を作って、首にかけたのを時々思い出します
両親が揉めていたら祖母が倒れて、看病も虚しく半年後に死んで、遺産相続で親族間で揉めて、今まで仲がいいと思っていたものはなんだったのだろうと思いました
中学を卒業した後は優しくて尊敬できる素敵な友人たちに恵まれたけど、いつも不安で疑心暗鬼にかられてもったいないことをしていたと思う
数年かけて、嫌われてはいないと思えるようになったけど、でもそれがいつまで続くかいつも不安に思っている
そもそも人に好かれてるって思ったことない
弟は何もしないで許されているけど私が家事をしなくなったらきっともう私がいる価値はないんだろうと思う
仕事でどんなに疲れてて家事をやっても誰からの労いの言葉もなく褒めてもくれずただ文句だけを言われるのに耐えるのもうやだ…
でも反抗なんてほとんどしたこと無いから面倒くさいし怖いし、何を言ったらいいかもわかんないよ…
誰にも必要とされないなら、せめて社会に必要とされる人間になろうと思ったのに就職できなくて、取るに足らない、楽しくもなんともないバイトをしている現状がコンプレックスで苦しいっていうのはわかってるし、このままだとジリ貧だから、就活とか何かしないといけないのはわかっているのに頑張れなくて死にたい
友達とも遊びたいと思うのにこんなクズ会う価値無いと思うと足がすくむし、人と話したいと思うのに人と会うの嫌と思うとか意味わかんねーよ…
もう何もする気になれないし気持ちが落ち込みすぎて動けない時とかあるし欝かなあって思うこともあるけど、食事はできるし、絵を描く事はやめないしただ怠けてるだけなんだろうな
仕事も行きたくなくて頭痛がしたり吐き気がしたりするけど、行けばそこそこちゃんと働けるし…
そもそも誰にも愛されないし認められないからつらい死にたいと思う事自体ちょっと駄目な気はしてる…他者に評価を委ねる考え方もどうかと…
誰かひとりくらい愛してくれる人に出会えればいいのになあ
ふりでもいいです、適当に大事にして抱きしめて愛してるって言ってくれればそれで
身体が条件というなら喜んで差し出すよ、がっかりボディですけどね
苦しい…つらい…
☆アーティストトーク「知覚神経としての視覚によって覚醒される痛覚の不可避」at 横浜美術館レクチャー・ホール, 2012.02.11(Sat), 15:00-16:00。
横浜美術館で松井冬子さんの講演を聴いた。彼女の個展「世界中の子と友達になれる」の関連イベント。
11時ころ会場前に行ってみたらスタッフの方(美人)がいたので話を聞くと、「どのくらいの方が集まるか何とも言えませんが、現時点ではどなたも並んでません」とのことで、とりあえず個展を鑑賞。同行した絵描き女子はたいへん楽しんだようだけど、私はよく分からんかった。むしろ常設展に感動。あ、でも松井さんの『ただちに穏やかになって眠りにおち』は印象に残った、私は宮沢賢治の『オツベルと象』が大好きだから。
13時ころ会場の様子を見に行ったらもう150人くらい並んでてびっくりした。慌てて最後尾に並ぶ。老若男女が並んでる。一人で来てる人も多い。並ぶときに、スタッフの方から「レジュメ」と称される紙が配られたのだけど、松井さんのプロフィールしか書いてなくて残念。
講演タイトルは「知覚神経としての視覚によって覚醒される痛覚の不可避」。この奇妙なタイトルは、松井さんが東京藝大で博士を取るときに提出した論文のタイトルだそうで、講演ではその論文について解説してくれるということだった。
とりあえずビジュアル的に面白い。つま先から太もも全体まで包む黒いエナメルのロングブーツ! テカテカしている。もともと脚がすごく長いのかヒールがすごく高いのか両方なのか知らないけど、やたら大きかった。
松井さんの話によると、彼女は博論を2006年に執筆して、2007年2月に教授陣の前で発表したのだけど、発表の際に高熱を出していて上手く出来なかったとのこと。今回はその時のリベンジをしたいという。
で、講演が始まったわけだが、うーん、日ごろ自分のプレゼン下手を痛感している私としては、非常に勇気づけられた。こんな下手な講演が世の中にあるのか! 私の前に座ってた中年女性が、講演中に隣の人と「おもしろくないね」と言っちゃうくらいである。
講演タイトルを見ても分かるけど、松井さんは基本的に、いわゆる「中二病」全開な文章を書く人だ。絵のタイトルも『陰刻された四肢の祭壇』とか『終極にある異体の散在』なんて感じだし、個展の絵にもそれぞれ解説文がついてて、それが全部同じような調子で長々と書かれている。まあ、幽霊とか臓物とかを描くくらいだから、「中二」なのは文章だけの問題じゃないと言われるかもしれないけど、それはともかく。
不必要に硬い語彙を好んで使い、しかもそれぞれの言葉の組み合わせ方が少しずつ適切な用法とズレていて、さらに主述関係や修飾-被修飾関係があやふやなので、全体として意味が不明瞭。そんな文章を、文字情報なしで口頭で早口で(つっかえながら)読み上げるのだから、分かりやすくなるわけがない。
と、つい悪口が長くなったけど、私の理解した範囲で要旨をまとめると、
~
他者との接触は私に痛みをもたらすよね。
でもそれを芸術作品に託すことで、目に見える形にして、人に伝達できるのでは。
そういう試みが視覚芸術のなかに確かに存在しているし、松井自身の制作も、その系譜に連なるんだよ。
~
こんな感じでした。
この系譜の探究として、河鍋暁斎とかダミアンハーストとかクリスチャンボルタンスキーとか色々な作品が挙げられ、分類され、その流れで自作解説も行われる。(ちなみにその分類の名前は「攻撃性自己顕示実践型/受動性自己犠牲変容型/局地的領域横断型」。一貫した中二感。)
余計なお世話だけど、「知覚神経としての視覚によって覚醒される痛覚の不可避」というタイトルでは全然内容を表せてない(うえにそもそも日本語としておかしい)ので、まともに修正するなら「痛覚の覚醒を企図する視覚芸術の系譜」ってところでしょうか。
私の記憶する限りでは、「不可避」の部分が講演のなかに出てこなかったので、もし質問コーナーがあったらお尋ねしたかったのだけど、むしろ講演の後半は時間が足りなくなって、松井さん自身の話さえだいぶ端折られてた。残念。
ちなみに私の同行者は、「全体としては難しくてよく分からなかったけど部分部分は面白かった」とのこと。例えば、ある作品に描いた孤独な幽霊が、少女コミックの主人公のようなものだという話。少女が運命の相手に出会うために奇跡を待つのは、逆に言えば奇跡なしには出会いが存在しないということであって、そこには極めて近代的な「ディスコミュニケーション」があらわれている、とか。
私は正直、講演の内容自体にはこれといった感想を持てなかったんだけど、にもかかわらず彼女に対する印象は大きく変わった。
松井さんの文章は、中二病的だ。見た目には間違いなく中二の文章だ。でも、彼女がそういう文章を書く理由は、いわゆる中二病とは大きく違うんじゃないか。講演を聴いてるうちにそう思えてきた。
全力でカッコつけて(実はカッコ悪い)文章を書き、しかもそのカッコつけた自分に酔っているのは、自意識過剰の中学生だ。
一方、松井さんは、無理やり日本語をねじまげて珍妙な言葉づかいをすることを、ある意味でむしろ強いられてるんじゃないか。そうでもしなければ、彼女が何を言っても「美女の言葉」として消費されてしまって、結局何ひとつ表現することができなくなってしまうんじゃないか。
彼女は、整った顔立ちの、いわゆる美人だ。私は、平たく言えば、「どこかで過剰に武装しないとなめられてしまって、男と対等に見てもらえない、それが嫌なのかもなあ」、と思った。感覚的な話だけど、堅苦しい言葉をたどたどしく話す彼女を見ながら、思ったのだ。
彼女は講演の中でも「メスしか描かない」と言っていたし(尾長鶏はオスだけどドラァグクイーンのイメージなので名誉女性と考えているとのこと)、ネット情報によるとフェミニストの上野千鶴子さんのファンらしいから、性に関する問題に強い意識を持っているのは確かだろう。
ただまあ、こんなふうに分析されるのは、たとえこの分析が実情を言い当てていたとしても(いやむしろ言い当ててていればこそ)、松井さんの立場からすれば不快以外の何物でもないだろう、とは思う。
残念ながら私には、松井さんの作品自体をフェミニズム絵画として論じるだけのモチベーションも能力も無いけれど、そういう見方もできるのかもしれないね。というかできるんだろうね、間違いなく。
長くなったついでに一つ。
私見では、松井さんは「言いたいことが山ほどあるけど上手く表現する技術がない人」だと思う。だからあんなに自作解説をしたがるのだ(いまネットで少し松井冬子評を探してみたら、彼女の自作解説にヘキエキするという人は一定数いるようだ)。 結果、彼女のファンは、「よくぞそれを言ってくれた!(技術はともかく)」というタイプの人と、「グロテスクな絵を描いて、博士号を持ってる、美人すぎる日本画家! おもしろい!」というタイプの人に分かれることになる。あとまあ、「幽霊大好き!グロ大好き!」という人もいるのかもしれない。サブカル?
私自身は、特に彼女に同調するわけでもなく、外見や肩書に魅力を感じるわけでもなく、幽霊が好きなわけでもない。そして彼女の文章を容認できる忍耐力もない。