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はてなキーワード: 意識とは

2016-08-25

共働き子持ち世帯におけるリモートワークへの懸念

オレ、Webサービスエンジニアやってます

https://github.com/uiureo/remote-in-japan を見て、エンジニアリモートワーク事情もけっこう選択肢があるなぁと思っていた。

でもうちって共働きで子持ちなんですよね。子供保育園にあずけてるんだ。朝延長と夕延長つけて、園で保育可能時間ほぼマックスで預けてる。今はリモートやってないんだけど、業務的に出社の必要は感じないし、通勤時間も70分くらいかかるからリモートしたい。

自社にリモート可能かを上司に打診したら基本的に無理で出社に支障がある(けど仕事をすべき)時のみ都度申請をして許可がでたらいいよって感じだった。そういうのじゃなくて、勤務体系として完全リモートとか週の何日かをリモート前提にするとかいうのってできないですか?って聞いたら、勤怠の管理ができないからって言われた。8時間働いてるかもそうだけど、残業してるかしてないか見えないって。営業と違って、出社さえしてれば管理がちゃんとできる職種だしって。

上司的にはそう答えるよなぁって思って、今度は総務の偉い人に聞いた。リモートだと「オフィス外での作業っていう観点から情報管理問題、経費処理の問題社員安全確保の問題などがある」って言われた。「自宅なら安全はまぁけっこう保証されてるだろうから、やるとしたら在宅勤務になると思う」って。カフェとかコワーキングスペースでの業務セキュリティーの面から許可できないってなった。まぁそうですよね。

そんでさらに「増田さんはお子さんを保育園に預けてるでしょ、在宅勤務があったら預けられないんじゃないの?」って言われた。そうだわ。保育園に勤務証明出すわ。在宅になったら家で保育しろって言われるわ……。盲点だった。子供見ながら仕事は無理だよな〜。ご飯も子供用に作らんといけないし(今は夕延長で夕飯は園で食べさせてもらってる)、結局時短勤務になるなーそれ。

仮にリモートってか在宅やるとなったら、子供を預けないとさすがに仕事無理なんで、勤務証明オフィス勤務ってことにできませんか??って聞いたら、「突発的な在宅勤務ならわざわざ書かないけど、恒常的な勤務体系として在宅になったら書類は書くよ。それを保育園に提出するかしないか増田さん次第ってことになる。でもたまに園からお迎えの電話来るけど、そしたら”増田は在宅勤務なので本人ケータイにかけてください”って答えざるをえないよ」って。

そうだわ。子供が熱が出た時に電話かかってくるわ。早くお迎え来いって言われんだよな。嫁の方が会社いから俺の方を第一連絡先にしてるんだった。「その辺の根回しをしておけばいいのかもしれないと個人的には思うけども、会社に嘘つけって言ってるのと同義から、あまり感心はしないよね。そうまでしてオフィスに来たくない理由があるの? メンタル的な。それならそれでとるべき手続きは変わってくる。違うならなんでオフィス外で業務したいのかの説明責任が出てくる」って。

せ、説明責任〜〜〜〜〜。うぜ〜〜〜〜〜〜。

「え?リモート?いいよいいよ〜 え?保育園書類とか電話とか良いようにうまくやっとくわ〜」って融通をちょっと期待してたけどみごとに砕かれた。たいして大きい会社じゃないのに総務とか上司意識が高いとつらいな。しっかりしてるのはいことなんだけど。

もしリモート可能になったら、在宅って言われてもカフェとか行くと思う。やりたいのは自宅作業じゃないんだよ〜。台風とかの時は自宅でいいけど、仕事する場所自分の行きやすいところから自由に選びたいんだよな〜。でも「会社に嘘言って(在宅シテマース)、さら会社にも嘘つかせて(増田は出社シテマース)、保育園を騙して(オフィス勤務デース)までやりたい」のがオレのリモートワークってことなんだろうか。なんかやばいな。自覚なかったけどナチュラルにクソだよな、嘘に頼った勤務体系って。

共働き子持ちでリモートワークしてる人って、やっぱり融通の利く組織にいるんだろうか。

長年死にたいと思っている人間が、「自殺を止める人の気持ち」につい

私が、なぜ死にたいか、社会的ステータスや状況なんかは別の記事として投稿しようかと思います



今日記事が目に入ってなんとなく。

http://anond.hatelabo.jp/20160823230040




現実世界では(インターネット上の話ではともかくとして)エゴがどうとか以前に、無意識的に止めようとすると思う。

例えば、ちらほら人通りのある橋から目の前で人が飛び降りようとしていたとする。

格好や目つきや動きがよっぽど変ではないかぎり、止めようとすると思う。

止めようとするのが怖くても、警察電話の一報くらいはしようとは思う。


高校生の頃に、飲食店で財布を忘れて戻ってきた客が急に怒りだして暴れだしそうにしていたことがあった。

隣にいた友人や他の客はすぐに止めに入ったし、私もすぐに警察に連絡した。

意識を失っている人がいたら救急車をすぐに呼ぶと思う。

現実世界自殺を止めるってのは、そういうことと似たものだと思う。





自分所属している社会コミュニティ(会社学校、旧友、家族)なんかが

どう反応するのか、なぜ反応するのか、というのも気になる話ではある。



もし、自分が新しいコミュニティに移行したとして、初めからかなり自分勝手に振る舞って、周りからの印象が最悪、1ヶ月くらいでいなくなったとしよう。

そういう人は、誰から自殺を止められないし、どうでもいいって思う人がほとんどだと思う。



仕事が出来なくて、怒鳴られている人がいたとする。同僚や上司とある程度の会話を普段しているなら、

仕事的には邪魔でも、長く過ごすと少しは情や想像力が働くので、無意識的に心配してくれるときもある。



一般的には、所属する社会がある程度健全機能しており、自分も人並み程度に人と情のやり取りをしていれば、不登校の子どもにはプリントを持っていくシステムがあるように、

人の死を心配するってのは自然に組み込まれてるもんだとは思う。それは割合的には小さくはあるものの、一応多数の部類だとは思う。



会社にしても、学校にしても、ワタミ過労死一橋大学アウティングのように

責任を有しており、追求される可能性があるので、大きなリスクを小さくするためにも自殺というものは避けさせないといけない、

そういう論理からの力場も存在するとは思う。



ある人が自殺を止める理由については、一概にこうだから、とは言えないとは思う。

自分生存ルールなんかを把握できるほど人間は頭がよくないし、学問的に分析しようにも世界中コンピュータを集めても計算量は足りないと思う。



はてブの、矢口ベッキー狩野英孝不倫記事コメントを見ると、その人がそれぞれ違った叩きと擁護と無関心をしているように、

自分でもよく考えずに自殺を止めたり止めなかったりするんだと思う。動物的な本能人間的な社会性や自分経験、保身、いろんなものが混じってると思う。





エントリー主は、自分死にたいはずなのに、どうして他人自殺通報したんだろうというところに何か引きづられているのだろうけど、

「何を読んでも、自分死ぬべきだと思う」と思っているからこそ、自分の考えと発言矛盾で混乱しているだけで、

少なくとも現時点で死んでいなかったり、変な行動や犯罪的なことをやり警察連行されていないということは、

生の論理や生の執着、死の恐怖結構こびりついていて、現在の生と将来の生への逃避ばかりに目が行っていて、

それが同時に存在するということに目が行っていないだけだと思う。

通報した理由は、ハッキリとはわからないけど、自分の考えたり想像したりしていることが、死だけではなく、生についても自分の知らない裏側できっちり考えていることは確かだと思う。




>「しかしなぜ、自分を変えられるからあなたは変われるから死ぬべきではないと言えるのだろうか。」

これは、現実的な人がいう自分の変わると、印税をもらえる人のいう自分の変わる、自分の想定する変わる、を分けて考えた方がいいと思う。

私は、3年間くらい死にたいって思っていて、今も、今すぐに死ぬボタン、みたいなのがあったらその日のうちに押すなーとは思っているけど、

死にたいって思い始めた当初と現在を比べると、変わったことはたくさんある。

少なくとも、前向きに生きてみようかな、と思い始めている時期は数ヶ月間あったり、

普通に何気ない会話も心地よい気持ちでできるし、

超たま~にではあるが、温泉行ってみようだとか、シンゴジラ見に行ってみようだとか、楽しみを実行したいという気持ちも生まれることもある。

昔は、外に出て誰かが歩いているだけで陰鬱気持ちになっていたのが、今は特に何も思わなくなっている。

その程度には変われるし、いい出来事も起きたりはする。

けど、長い間生きることをメリットとは思っておらず、やっぱり死んだ方が楽だろ、とは思っていて、そこは変わっていないと思うし、

あと数ヶ月したらいつの間にか死んでいるかもしれない。




死ぬ時は、死んだ何日か後に増田記事自動投稿するようにPCに仕掛けておいて、死ぬ思いなんか残しておこうかと思う。それは死ぬ前の楽しみ。

その時はブクマお願いします。

世の中には、気持ちよく反論をする、あるいはよどみなく自説を述べることで自分をより論理的(な風)に見せるという目的のために、批判対象議論勝手矮小化単純化する輩がいる。

冷房はつけっぱが良い」という話は、ただ「つけっぱの方が電気代が安くなった」という話だけでなく(諸条件によってはこれもありうるが)、「変に我慢して暑さが頂点に達するまで待っても、暑くなったところから一気に冷やすためには涼しい時間からゆるゆるとつけとくのと『同じくらい』電気を使う」(我慢するだけ損/不健康)とか「さらにその場合最高出力を全世帯で同時刻にかけることになり『ピーク電力』が上がる」とかのデメリットも勘案しての話であり、詳細は自分の状況に応じて考えようという程度の「提案である

しかるにこれら議論を全て捨象して単純に「エアコンつけっぱで電気代が安くなるわけないだろ」などと言い捨てて得意げな奴らが大量に発生した。

 

似たような事象は数年前「朝バナナダイエット」に注目が集まった時にも見られた。

これは本来カロリーコントロールをすべきだ/したい」という目的意識と意欲があるものの、「では具体的にどこから手を付けよう」というところがわからない、もしくはそこを研究している時間がないという「意識は高いが忙しい層」に向けて、朝食をバナナに置き換えると「総カロリー抑制」「朝食は抜かず、一日の活動に支障がない」さらに「食物繊維も取れてなお良し」ですよという考え方のヒントを与えたものに過ぎない。

バナナを食べれば食べるだけ痩せる」なんて話はどこの誰もしていないのに、勝手にそのようなものの様に決めつけて「反論」し、気持ちよくなっている猿が雨後の筍のように現れたものである

 

節電カロリーコントロールといった生活の知恵に限らず、大抵の知識テクニックとはこういうものである

絵描きに「どうすれば絵がうまくなりますか」と質問すると、「デッサンをすると良い」とか「模写をする方が早い」とかいろんな答が返って来る。

結局は人の数だけやり方はあるという事だが、一点だけ誰が何を挙げている場合にも共通する前提がある。「それら練習を通して、自分の絵を客観的反省し、描きたいものイメージを鮮明に思い浮かべられるようにしろ」ということである。それをいちいち言葉にしないのは、それこそが「絵を描く」ということに他ならないかである。「絵を描く」ことをしたいと望む人間が、その時点での自分技術問題点認識し「こういうところをもっとうまく描きたい」という問題意識を持って『いない』とか、「構想段階でもっと良いアイデアポンポン出て来ると良いのに」という野心を持って『いない』とかいう事は、そもそも想定する必要すら意識に上らないかである

にも拘らずこの場合もまた、現れるのである。その程度の常識的問題意識も持たず、「デッサンをやってもうまくなんてならないぞ!詐欺だ!」なんてことを言い出す連中が…

 

おおよそ全てのアドバイスティップスと呼ばれるものは、「問題意識」が相手にある事を前提に、その「問題意識」に取り組むとっかかりのヒントを与えるだけのものであって、問題意識の有無に係らず万人に適用可能な、ただああしろこうしろという指示のままにエスカレーターに乗っていれば勝手問題解決されていてくれるような、甘ったれにありがたい『完全な答』を教えてくれるような神様仏様はこの世に存在しないのである

しかるにその程度のことも、人生十数年か何十年か生きてるのか知らないが、理解できないくそったれの甘ったれが世には溢れている。

あまつさえ、そうやって自分問題意識がないだけのことを逆に笠に着て、問題意識のない自分にもすぐにご利益を与えてくれるドラえもんとはなれないアドバイザーをかように「論破」してみせたり無能呼ばわりしたりする。

自分では「頭の良い俺が不完全な証明喝破してやった」なんて悦に入っているが、何の事はないただ自分の中に問題意識が足りなかったために相手が役に立つ話をしているのが何も理解できなかっただけである

 

「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、 ほめてやらねば、人は動かじ」とはよく言ったものだ。

実際は、動かないどころか、そんな自分正当化し、あまつさえ相手より有能な人間かなにかの様に錯覚し出す。そうして誰にも「論破」されない全能感を、何も『しない』ことで肥大化させ続けるというアクロバティックを通り越してもはや永久機関的ですらある自己完結に至るのが真に無能な輩の生態なのである

考える脳味噌のない連中ほど、自分の頭が良いものか何かのように思い込み、考える脳味噌がないゆえにその状態矛盾にも気づかずますます確信を深めていく。

自分から動き、問題意識を蓄え、種々の知識がその問題意識解決しうるものかという観点のみをもって議論評価する、ということが出来ないのはただの前提条件に達してすらいない無能中の無能なのである、ということを、この永久機関の中に引きこもった連中が理解する日は来るのだろうか。

無能である問題解決能力がない、ということの闇は、深い。

2016-08-24

ものの呑み込み方が分からなくなった

ついさっきまで無意識にできていたはずなのに



意識しだしたら急にできなくなった。



ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

http://anond.hatelabo.jp/20160823230040

保護したい」という気持ち、が動機という方が多いのではと思います

(「他人」に「死にたい」という相談を行った、という今回の前提の場合ですよ?)

 

せちがらい話が許されるなら…

自殺したい」という相談は「自傷他害のおそれあり」として、保護扶助)しなければならないことがあります。もちろん法的に。

これをしなかったからといって、一般人保護責任者遺棄をとられることは少ないと思いますが、医師公務員自傷他害のおそれがあることを認知しておきながら、なにもしなかった(不作為ときは、責任を問われることがあります

 

 だからといって、自殺を止めようとする気持ちを「義務感」だと主張するつもりはありません。

しかしながら、こういった法律があるということは、「困っている人を見かけたら 可能な限り手を差し伸べる」ことが すべての人に期待されている、あるいは期待されてきたからこそ、こういった法律があるのでは、という気がするのです。

 つまり 期待されるということは、本来、人には「相互扶助気持ち」が備わってるのではないか、ということです。

それが実際の行動に移されるとき動機モチベーションはわかりませんが、とにかく助けようという気持ちが人に存在していることは確かなようです。

 

 なお、これが本人の「自殺したいという意思に反しているのに」という部分で、増田さんは問題を提起されているようにお見受けしました。

 

 これについては、増田さんの結論前に解いておきたい誤解ですが、

自殺したいという意思」と「自殺に着手すること(意識)」は、

異なる概念らしいことが、サバイバーから証言で明らかになっています

 具体例で言うと、これまで自殺など考えたこともなかったのに、突然

「そうだ いま死のう!」

と猛然と(数秒~数分以内に)死のうとしちゃう人がいる。

自殺とは、陰鬱として死んでいくものとは限らない、ということを できれば知っておいてください。

 

 いま持っている自殺意思が、実際に着手に到達するのか。それを外部には斟酌(しんしゃく)できません。ともすると「その本人も よくわかっていない」ことがあるぐらいです。

すなわち「救助行為」の一環として行われる「自殺の制止」は、本人の意思を斟酌する必要はありません。

なので、余計なお世話だと考えたかもしれませんが、保護したい気持ちと、自殺意思は別のステージ上の概念なので、両者を結び付けたり・同じテーブル混同して考えないほうがいいかもしれません。

 

 いつか増田さんが納得できる答えに到達できるといいですね。

http://anond.hatelabo.jp/20160824222800

仲直りは可能だと思うけどさ、君が「加代子の遅刻が悪い」という意識さえ捨てれば。

それよりも、加代子も君との関係に飽きてるからいつも遅刻するんじゃないか

加代子から何も言ってこないってことは、ギスギスしたまま疎遠になることを、加代子も望んでいるんじゃないか


てゆうか本当に君たち友だちなのか?


それでも君のほうから関係を修復したいというなら、自分が100パー悪いという姿勢で謝ることだ。

はてなーが案外やさしかった件と、その他のもろもろ

母親結構な金が注ぎ込まれてる」(http://anond.hatelabo.jp/20160823232626 )を書いた元増田です。




まずは予想をはるかに超えて、多くの方からかいコメントをいただいたことに感謝したい。

こんなにブコメがつくとは思わなかったし、ついたとしても、もう少し甲論乙駁するブコメになるかとおもっていた。





お金ことなど気にすることはない」という趣旨コメントを多くいただいた。

本当にありがたいし、そういうコメントに対してこんな返し方をするのも失礼なのかもしれないが、

本心を言えば、多分、そういう言葉をくださる優しい方々が心配するほどには気にしていない。

母は、当然の権利行使しているのだと思っている。



ただ、やっぱり現実に「60万円」という金額を見ると驚かざるを得ないのは事実だし、

どちらかというと気にしているのは「俺らが後期高齢者になっても、これが続けられるのか?」ということなのだと思う。

日本現在人口ピラミッドをみれば、そう思わざるを得ない。

その解決方法が、少子化対策なのか一億総活躍社会なのか、はたまた移民の受け入れなのか、難しいことはよく分からないが。






「きちんとQOLが保たれているから、ちゃんとしたお金の使われ方だ」「寝たきりに金を注ぎ込むのとは違う」という趣旨コメント散見された。

それはそうなのだが、ただ、では、どこで線を引くのかと言われると、それはそれで難しいのではないかと思う。

一度線を引いたら、その線の位置だんだんずらされていくのではないか? という危惧もあるし。


母はガンの罹患前、「あたしは別にそんなに長生きしたいとも思わない。元気なうちにポックリいきたい」という趣旨のことをよく言っていたが、

逆にガンと戦い始めてから生への執着が強まったように見える。

多分「長生きなんてしなくていい」というのは健康が当たり前な人の贅沢なのであって、

実際、死を意識し始めると、すこしでもそのタイミングを先に延ばしたいと思うのが本能なのではないか?と、最近考えている。

「いつ死んでもかまわない」といっている人に、「じゃあ、あした死んでもらいますね」というと、大多数は「え? ちょ、ちょっと、もう一日待ってくれ」と言い出すのではないか

で、「もう1日」が毎日続くのだろう。






自分の書いた増田リツイートされて回ってくるというのも、初めて経験した。

そのなかで @natorom さんが「はてな匿名ダイアリー抗がん剤加療中のstage 4の母親の話。医療費がメインのエントリーだけど、

現在抗がん剤治療リアル副作用がないわけではないけど普通に生活可能)が描かれている」

と、拙文を紹介してくださっていたので、この辺のことも触れておく。


母が抗がん剤治療を受けている、というと、患者ことなど考えない医者にやたらめったら薬を打たれ、

副作用でのた打ち回って悲惨きわまる闘病生活を送っているに違いないと勝手に思い込んで慰めてくれる人が、少なからずいる。

はっきりいって迷惑だ。

確かに、副作用がないわけではなく、特に新しい抗がん剤に切り替わった直後などは、食欲も落ち、夜中も何度もトイレにたって、

日中ほとんど寝たきりになっていることもあるし、母がレディースアデランスの愛用者になっているのも事実だ。

初めての薬を投与して、一週間後の最初の検診までの期間は、当人家族も緊張はする。

どの程度の副作用がでてくるのか、医者だって正確なところはわからないし。

薬を変えてはみたが、どうやら医者が当初想定したほど腫瘍マーカーが下がらなかったらしい、という局面にも遭遇した。



からといって、その他の期間は、時に温泉旅行に出かける程度に回復するわけだし、勝手イメージで同情されても困る。

そういう人に限って「自分想像しているような、苦しそうな闘病生活」を送っているわけではない母をみると

今度は、「あら~、大変かと思ったら元気そうじゃない! よかったよかった! もうすっかり良くなられたのかしら!」などと、トンチンカンを言う。

「アタシだって病気と闘っているのに・・・」という母の愚痴を聞くのは、こういう人とあった後だ。


確かに、今ほど抗がん剤進歩する前は、いろいろと悲惨な状況もあったのかもしれないし、病状によっては、かなり大変な副作用を併発することもあるのかもしれない。

だが、別にがん患者がすべて、あなた想像するような悲劇の中で生きているわけでもないし、だからといって病気の大変さがないというわけでもない。

おそらく大半の現場医療関係者は、真摯に最善の治療法を(保険でまかなえる範囲で)考えているし、

製薬会社だって別に人の命を食い物にして儲けることだけ考えているわけでもあるまい。

とりあえず、何十年前の知識で、抗がん剤批判を繰り広げて金儲けするのはやめろ、近藤誠

(実際、母親世代には、まだまだ近藤誠信者と思しき人がいる。そういう人との付き合いは、なんとしても切るのが吉だ)



早期発見できた人は違うのかもしれないが、「ステージⅣで発見」という状況だと、「基本的に治ることはない」というのが、周りの人間にとっても難しいところだ。

当人もっと大変なのだろうが、自分当人ではないので、本当のところは分からない)

普通病気のように「頑張って、治しましょうね」という励まし方はあり得ない。

いかに上手に付き合っていくか、いかに現状を維持していけるか、というスタンスで付き合えないと、患者家族双方にストレスたまることになろう。

しかも「いつまで続くか分からない」「いつ悪い方向に進むかわからない」という不安を抱えながら、である

この辺、バランスを取れなくなった人が、「奇跡治療法!」とかに走るのだろう。

奇跡はめったに起きないか奇跡なのであって、その奇跡自分には起こると考えてしまうのは「逃げ」だと思うけれど。




先日、とある観光名所にいったとき、「健康」とか「長寿」とか「家庭円満」などと書かれた名産品が売られていた。

ちょっと考えた上で「長寿」のヤツを、母の土産に買って帰った。本当の意味で「健康」を回復することがない人に、「健康」を祈願するグッズを渡しても白々しいからだ。


ちょっと迷ったが、母に「『健康』ってやつもあったんだけどさ、まあ、いまさら健康』ってのは無理だから、『長寿』にしたよ」と言ってみた。

母は、「そうねえ、もうちょっと早く『健康』のヤツがほしかったけど仕方ないわよねえ」といって笑っていた。

ああ、この人は強いな、と思った。



長くなってしまったが、最後にもう一つだけ。


60万超の治療費にたいして1万5000円という負担に関して。

これは、母が後期高齢者で、かつ、健康保険の仕組みにおいては、もっと収入の少ないカテゴリに分類されているので、この金額になる。

(なお、自分とは世帯は別)

もし、母がもっと若かったり、年金以外に収入があったり、夫(自分の父)が生きていて収入があったりしたら、もっと請求されている。

まり、母は医療費世界において「相対的貧困者」とされているおかげで、この程度の負担で済んでいるということだ。

ここで「でも、温泉旅行いったり、映画見に行ったりしてるんでしょ? もうちょっと払えるんじゃないの」とか

「息子、治療費全然だしてないのかよ。親子なんだから出させろよ」とか非難されたらと思うと、ぞっとする。

だが、どうやら世間は、子供貧困に対しては、似たようなことを平気で言うようだ。

ぶっちゃけていえば、あと長くても10年は持たない老女よりも、この先何10年もこの国を支えていく若者のほうが、

ROIは確実に大きいと思うのだが、なぜこうなるのかは、考察に値すると思う。




いずれにしろ、この話題は、増田でこそいろいろ吐き出せるネタであった。

この世に増田があったことに、感謝したい。

http://anond.hatelabo.jp/20160824141402

この件で判るのは、欧米同調圧力少なくて自由があるとかって、ウソだっていう事。陰湿に「こっちの方が合理的」と同調理屈で置き換えているだけ。他人自由など尊重はしてくれない。海外から内村選手自由選択を抑圧する意見がいっぱい来ている。

未来は判らないけど、現状という意味では、AV女優さんが完全に毛を剃らないのは、需要問題なので、現状は見る側に無い方がいいという意識が少ないんだと思う。無い方がいい人は、ジャンルとして区切られていて、別扱いになっている。

2016-08-23

http://anond.hatelabo.jp/20160823234720

それは普通にお前が意識してない部分で高給取りになれる資質があったんじゃねえのって思うけどな

成功した人間でも成功した理由を正確に分析できるやつってかなり少ないし

まあ資質を持って生まれるかどうかが運なんだから結局は運だって話もあるけど

シンゴジラ官僚職業意識

あれってどの程度リアルなんですか?

一般零細企業勤めからすると給料以上のことをやってやるぜ!ってなることはないかシンゴジラの面々の仕事に対する熱意にかなりおどろいた。責務が重く人々の生活に大きく影響する現場って、ああいうふうな熱意で仕事してるんだろうか?

いい加減、高齢者契約させるなよ

代理人いない限り、すべての契約はできませんってすればいい

ネットだって賃貸だって意識認識あってのものだろ

現金払い現物消費に徹しろ

沢にある集落を辿るのが好き

山がちな場所に住んでいるのだが、普段意識はしないと思うけど、山と言っても意外と奥が深く、山単独で●となることはほぼないのは何となく想像がつくだろう。

で、大抵の山は単独ではなく横になが~く複数の山が連なりながら地形を形成しているのだけども。

この複数の山々それぞれに沢といって、だいたい川が流れている。

で、この川を追っていくと、その沢の深奥部に行き着くんだけど、そこの集落をめぐるのにハマっている。

この沢は時として著名な所だと峠となり、別の道に繋がることもあるのだけど、ど田舎だと、この沢が終点だったりして、ここは2016年なのかと思えるほど古い家や営みが残っていることが多い。

ちなみにこういう地形は一本大きな川がある平野部ではない所の話なので、関東の人にはちょっと想像がつきづらいかもしれないけど。

http://anond.hatelabo.jp/20160823005153

うーん、あなたちょっと足りてないな。達者なバランス感覚を持ってはいるけど、「マスコミ様に認定されたか大正義」って思考の部分が危うい。

好き嫌いや美醜の感覚に、正しいとか間違いとかはない。絶対的基準はない。そこに多数派少数派という概念が加わったり、マスコミのような権威お墨付きを与えたりしても、一方のセンスが「正しく」なったりはしない。単に多くの人のセンスに合ったというだけの話だ。

その意識が足りてないと、いわゆる「売り豚」の思考に陥ってしまやすい。A作品はこれだけ売れてるから、売れてないB作品より優れている、みたいな対立煽り思考が抜け切らない。

アンサー漫画見方も、いわゆる「アニメアンチ」の思考と同じだ。アニメアンチ脚本演出の拙さを執拗に責めるのに執心していて、作品本質であるメッセージ性や感動ポイントを受け止められなくなっている様に似ている。

表現者や、視聴者、すべての人間に対して、デフォルトで侮るのではなく、デフォルトで敬意を払うことが、あなた必要ライフハックではないか勝手忠告してみる。

LGBT関連の炎上案件が多発するなか『ラブデスター』がこの先生きのこ

ラブデスターとは

ジャンプ+にラブデスターという漫画が連載されている。

作者は榊健滋週刊少年ジャンプで連載経験もあるので、ご存知の方も多いかと思う。

セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん』、『ピューと吹く!ジャガー』で知られる、うすた京介の妻という点でも有名かもしれない。

LGBT炎上案件

さて、世界的な近年LGBT人権意識の高まりもあってか、国内でも最近立て続けにLGBT差別問題話題になった。

このような世間意識の変化を受けて、大手企業ではどうしても敏感にならざるをえないようで、

人々が自身性別自由に変更出来る近未来舞台にした『境界のないセカイ』(幾夜大黒堂)は、

作中の表現について講談社同性愛差別にあたるという懸念から打ち切られることになった。

作者のブログで経緯が説明されている。

講談社さんが危惧した部分は作中で"男女の性にもとづく役割を強調している"部分で、「男は男らしく女は女らしくするべき」というメッセージが断定的に読み取れることだと伺っています

…中略…

これが顕著にみられるのは本作第5話で、バーチャルリアリティ空間内で女性化した主人公に対して男性恋人があてがわれ、オペレータが「女性恋人男性であることが当然である」ように語るシーンがあります

このオペレータ台詞が同姓を愛する方々にとっては酷いことを言っている、という認識はありました。

だったらなぜそれを言わせたのか。

…中略…

物語が進む中で主人公ヒロインをはじめとして性の越境を行った人に触れる中で、こうした無関心から来る考え方にすこしづつ疑問を抱いていき、最終的には多様な生き方に寛容な考えを持たせていくつもりでおりました。

ここの描写は背景世界説明の一部であり、主人公の変化を描く過程の一部でした。

問題となった描写作品世界内の個人発言しか無いこともあるし、それが現実世界において好ましくない意見だとしてもいずれ作品総体としては否定されていく意見であるので、最終的には問題なくなると判断していたのです。

なお、LGBT団体レインボーアクションはこの打ち切り騒動について、

「この作品の性に関する描写に、他の作品と比べて特段の問題があるとは思われ」ず、むしろ打ち切りは「表現の自由を抑圧するものだろう」との声明を発表している。

ラブデスターでの同性愛

そして、やたらと前置きが長くなったが、ラブデスターにも同性愛者のキャラクターが登場する。

まずラブデスターのあらすじをAmazonレビューから引用したい。

 廃墟のような実験都市連行隔離された月代中学校の三年生140名。彼らの前に試験官と

称して現れたファウスト(1.st)は「真実の愛を示せ」と命じる。誰かが誰かに告白、左腕にはめ

られた装置ハート)がカップル成立と判定すればその二人は解放される。だが失敗して拒絶され

れば告白した側がその場で死亡、期限の一ヶ月が過ぎた時に残っていた者も同じ運命

恋愛事に興味のない生徒会会長・若殿ミクニは反発し、何とか皆をまとめて生還の道を探るが…。

真実の愛を示せ」と言った理由は「ファウストにとって理解できない愛を理解するため」と言いながら

そのファウストカップル愛情の真偽を判定してるのはどういうことだ、とか色々と突っ込みどころはあれど、

詰めの甘さは前作から引き継いだ作風なのでここでは取り上げない。

140人もいれば当然、人口比で5%とも10%ともいわれる同性愛者も存在する、ということで、

本作にも男性同性愛である姫川』と女性同性愛である蝶野』というキャラクターが登場する。

しか特に姫川の扱いが天下の集英社が連載するタイトルとは思えないほど酷い。

真実の愛を持ち得ない同性愛

姫川好意を寄せているのは主人公で、ことあるごとにアピールしていくのだが、

ノンケである主人公からは当然のように拒否されるばかりでなく、

なんとゲーム裁定であるファウストからもその感情ごと全否定されてしまう。

前提としてこれは命をかけたデスゲームであり、よくある少年漫画のように

ゲイキャラクターギャグ要員として入れているわけではないことに留意されたい。

(一般論としてゲイギャグ扱いすることについてはここでは触れない)

挙げだすとキリがないが、これらの、一貫してこの作品からは、

同性愛真実の愛ではあり得ない」という主張が見える。

集英社も当然チェックした上で70話近く連載を続けているのだから、このメッセージ問題と思っていないのは明らかである

異性愛至上主義世界観で登場させられた同性愛者の姫川および蝶野がどんな結末を迎えるにしても、

くらいしか思いつかないのが辛いところである

2016-08-22

anond:20160822230306

何なんだろうね。人間、一回手抜きを覚えたらそこに安住してしまうからね。

汚字書いてる人間は、これくらいなら全然読める、オッケーだろうと思ってるんだよ。そもそもの意識が低いから。

http://anond.hatelabo.jp/20160821104620

リンク間違えてた

ごめん普通に増田が正しいと思いますよ。以下は全部言い訳です。

おれはテーマ絶対不変の価値があるという前提の人に対して、そんなものはないけど逆にだからこそみんながテーマを論じるのは多様性があって面白い価値があるよって言いたかった。結局うまく説明できてないが。どんな糞ゴミ映画でも人間制作して人間が観る以上、人間というテーマは最低限あるよ的なそんなやつ。

どのスタンスが正しいかの話をしたかったわけじゃなくて、どれか一方を押し付けられるのがやだってことね。好きに語れるようにしてくれよと。

要はネット上での「娯楽作品なんだから批判禁止」「テーマについて語ると(自分の)作品評価が揺らぐからテーマ禁止」みたいなアホみたいな見方強制じわじわ着実に浸透して蔓延ってるのが最悪っていう。そういう感想のものが悪い訳じゃなくて、それだけに終始してるとか他の人にもそれを強いるのをやめてくれってことね。

そのために「テーマの話をされると他の高尚な映画ゴジラが負けちゃうからテーマの話はそもそも無効にしよう」みたいな考えをそもそもやめれと。テーマ価値なんてないと思った方がいいよと。変な優劣とか考えんなと。

いや本当は考えてもいいんだけど、人に強制するなというか同調圧力かけてくんなというかそういうまともなこと言おうとするとそんなつもりはないとかで簡単反論されてどんどん泥沼な感じなので、もうテーマ価値はないと言い切っちゃえみたいなそんなやつでした、という言い訳

いやいや感想なんて好きに語れてんじゃんとか強制なんてないよとかい意見もあるだろうが、同調圧力がめちゃめちゃ強いでしょうっていう。少しでも批判しようものなら炎上PV狙いとか逆張りとか言われるの、怖すぎるじゃん。ネット自分意識を預けるとそんな馬鹿なっちゃうのかって。何言っても通じないんだって。そのレベル発言が主流になって、なんか書いてもそのレベル反論ばっかりくるって、語れないのと同じようなもんでしょ。

アナ雪、ガルパンマッドマックスズートピアとか、反論するにも自分は好きなんですけど〜と前置きいれる必要あるとか、みんな思い当たる節はあると思うんだけど。

id:kidspong 電車30分で都会に出られる程の土地だと、そこから離れる人も少なく、必然的地元コミュニティーが強固になり、絆()が永続的に続く様子。「大都市と言われる都道府県」にこそ所謂ヤンキー層が多い気は確かにする。

とても優れた考察。なぜスター2なのか理解できない。そしてこれは日本人の村意識の現れそのものだと思う。

個別的集落=村(q)が集合して真偽判定を行っているが、全体としてはQであるという囲われた牢獄

シン・ゴジラそんなに言うほど面白くはないけどそれでいいんじゃね、

俺はスペック的には映画をよくみる一般人アニメディズニーくらいしかみない。そんな俺が思ったシンゴジラ面白い/面白くない論争のこと。映画は月に20本くらいはみる。平日の夜毎日見てるから多分そのくらい。うちにTVないしやることもないからいつも見てる。とはいってもみてるのはハリウッドの有名ドコロが多い。

面白くなかった

まりにも周りで絶賛するひとが多いもんだからシン・ゴジラ映画館にみにいったんだけど、正直俺としては大して面白いと思えなかった。邦画にしてはいいできだな、すごい、と思ったくらい。面白くなさについて細かいところはもう挙げられつくしいるからざっくりというと。

人が死ぬ描写がない / 災害の規模が小さい

人が死ぬ描写がない。描写ってのは別に死体を見せろ、ってわけじゃなくて、主人公(級の登場人物)の同僚やら友人とか家族死ぬ所。ハリウッドとかだとそうやって観客を感情移入させるんだと思う。次に災害の規模も小さい。東京破壊されるのはリアリティあるけど、前述のポイントがあって感情移入がそんなに進んでないのに東京がガシャガシャやられても、そんなに恐怖湧いてこないし、災害の規模も結局東京まりなんだよな、って。俺は東京住まいだけど東京滅んでも京都あたりに首都移せばいいんじゃね、くらいの発想になっちゃハリウッド脳。

この映画、全体通してとにかく絶望感が少ないと思う。絶望インフレしたハリウッドパニックアクション映画を見慣れていると、「このままでは復興にすごくお金がかかってしまう」みたいなネガティティじゃ絶望全然ない。2012とか世界だいたい滅ぶ。

解決策地味すぎ

地味すぎわろた。

シン・ゴジラ = パニックアクション映画 - アクションアニメ

とまあ俺はあんまり好きではなかったんだけど、それに対する問題は多分俺のみかたと事前情報にあったように思っていて。みんなが「絶望する!」「ゴジラ怖い!」って煽るもんだから、俺は(勝手に)シン・ゴジラを「できの良いパニックアクション映画」だと思ってみにいった。でも、フタを開けたら全然そんなことなかった。

ここ、大事なとこだと思うんだけど、シン・ゴジラアクション要素ってすごく地味。自衛隊バンバンやってたけど、リアリティ出すためなのか詳細な描写で引き伸ばしててむしろダレた。あとインデペンデンス・デイ(1)ならあの時点で核使って失敗して、絶望を煽ってる。

解決策が地味なのも、すんなりうまくいっちゃうのも、シン・ゴジラって映画にとってアクション要素によるエンターテイメント性が二の次からだよな、って思っていて。今更だけどシン・ゴジラって、ゴジラという非日常に対して政治という日常的なアプローチ戦う政治家の姿を描いているんだよね。それは3/11への皮肉なのかなあ、とか考えたりするわけだ。重要なところを人の想像力に補わせるような、ストーリーラインを重視した映画とか、日本アニメちっくなストーリーで作られてる感じ。「なにを今更」って言う人も多いだろうけど、ここが多くの論争のポイントなんじゃないかって思ってる。

から、そういう意識で観客自身ストーリーとか意図を深掘りする気持ちで見に行けば、楽しく鑑賞できるんじゃないかなって思う。

B級映画だけど…

率直に言って映画というエンターテインメント産業の中で考えると最高ランクの出来の映画ってわけじゃないと思う。とはいほとんどの邦画ハリウッドB級映画に遠く及ばない出来でつまんない。そういうその他大勢邦画にくらべればすごく出来が良かったと思う。テンポが良くて、ダラダラするシーンが少なかったのはほんとに好印象。続編を作ってこの資産を活かすべきだと思う。

シンゴジラの何がすごいって関係者全然内容漏らさなかったところね

当然っちゃ当然だけど、スタッフキャスト含めみんなが高い意識ものづくりしたんだなあと思う

http://anond.hatelabo.jp/20160822044913

こういうこと繰り返してるのは、匿名ネット規制しましょう、という話に説得力与えてるだけだわ。

実名か、IDか、何かしら発言した個人特定できるようにすれば、無責任個人情報晒し上げリンチに対する抑止力になる。

ネットの群小メディアは目先のPV欲しさに、匿名を歓迎するだろうし、

匿名他人個人情報晒し上げて叩いて喜んでる奴らは、大手マスメディア権力捏造情報統制と戦ってるんだ。という意識なんだろうけど、

明らかに行き過ぎた私的制裁なっちゃってるケースが多いし、

自分発言や行動に責任感あるまともな大人ほど規制しても良いと思うんじゃないかな。

今の無意味でやりすぎなネット炎上では、

匿名から言えることがある。というメリットよりも、匿名から無責任に言いたい放題というデメリットの方がどんどん目立っちゃう

初めてオナホを使ったが死にたくなった

http://anond.hatelabo.jp/20160818013029 の続きです。

最近の尼は発送が遅くなってきたのに、今回は即日発送して翌日には到着しました。なんでこんな時だけ早いんだよ。でもちょっとしかった。死にたい

ちゃんと調教しないとフェラは歯が当たる・喉まで使えない等あまり気持ちよくはない。

これ絶対言う人がいると思った。同種に「パイズリは気持ちよくない」ってやつがある。「え、キャビア?あれってそんなに美味しくないよ~(苦笑)」みたいな台詞だという実感がないのだろうか。ただ好きなんだから、実際にどうだったかなんて関係ないし別に知りたくもないです。死にたい

何買ったの? 「真実の口」とか?

はい、一発で当てないでください。真実の口と言えば嘘つきが手を入れると抜けないというあの口です。上手いネーミングですね。ついでに尼にお勧めされた、真実の唾液ってローションも一緒に買いました。死にたい

手で触った感触は、デブ親父の三段腹でもここまでではないだろうという程にぶよぶよとした感触で、率直に言うとやや気持ち悪い(シリコンってもっと硬いもの想像していた)。これをベヘリットとか言った奴は一生オナホで抜けない呪いに掛かれば良いと思う。お陰でベヘリットが思い浮かんでしまって物凄く辛くなった。死にたい

とりあえず気になる口周りの造形、先述の通り、自然に空いた口元は真正からでも真横からでも大きな破綻はなく、見た目としては非常に良い。恐る恐る指を入れてみるとすぐ歯と舌に当たるわけだが、この上下の歯に挟まれ感触が口腔内を強く意識させるアクセントとなっていてなかなか馬鹿にできない。見た目だけかと思ったが、これはリアルと言って良いのではないか。ただし人体模型を見て思うリアルの方だと思う。死にたい

これは存外に期待が持てると確信し、キスも試してみたが想像力が足りないのか魔法使いとしての経験不足なのか何かが違う気がする。舌が短いから?いやそういう問題でも無いだろう。油臭さといったもの特に感じなかったし、外観及び内部の造形は確かに人体を模しているはずなのに、だ。こんなものなんだろうか。とりあえずファーストキスの味はシリコンの味でした。これはかなり死にたい




慎重に慎重を重ねるべく下調べした結果、最初風呂場で使うことを決めていた。これは次の二つの理由による。まず、温めて使う方が良いらしいということ。カツ丼弁当は冷めたままでも美味いが、温めればさらに美味くなるのと同じ原理だ。次に、勝手の分からない最初特にローションを多めに使う方が良いらしいということ。これはそういうものなのか、と先人の知恵に倣う。ここでふと冷静になると何を真面目に調べてるんだと正気に戻りそうになる。死にたい

尚、一応の葛藤として、ここまで守り通した童貞を失って良いのかということについても悩んだ。今この瞬間はまだ、ただの童貞でいられるが、使ってしまったが最後人間童貞になってしまう。人間に対する童貞ってただの童貞よりずっと恥ずかしいのではなかろうか。死にたい

道徳教育の場に於いて、人という字は人と人が支え合う姿を示すと言われる。しかし肉親を除く誰にも支えられず、また支えるべき人を持てなかった自分にもはや人としての幸せなど望むべくもない。人でないなら人に対する童貞など何も不自然ではない。この手が他の誰かの手を取ることをできないなら、もうこの手にはオナホさえあれば良いじゃないか死にたい




風呂場ですべきことを終え、湯で人肌程度に温め、ローションをたっぷりと注入し、さあ準備が整いいざ鎌倉といったところで時間が止まった。何かを忘れていた気がしていたが、立つべものが立たない。何もおかずが無い。そりゃそうだ、風呂場なんだから。むしろリラックスして萎える場だ。予想外の事態に少々戸惑ってしまったが、最初はお試し、練習のようなものだと割り切って想像力で半立ち程度にしてとりあえず入れてみる。感触としては違和感、としか言いようが無い。そもそも包まれるという感覚自体違和感なので仕方ないのだけど。死にたい

気持ちいい…?と呼んで良いのかも微妙で、確かに、まあ、知らない感覚なんだとは思う。刺激があるわけでもないし、気持ちいいわけでもないし、本当に何とも言えない感覚だ。ああいや、半立ちだったのがちゃんと立つ程度には刺激はあるのだと思うが、多分それは文字通り刺激に対する生物的な反応であって精神的な感応にまでは至っていない。動かすとまた違うのかとも思ったが、特に差は無い。いや、上下の歯で削られてるような感覚がある。痛いと言うほどでは無いが、痛覚に近いものなのでこれが苦手な人はいるのは理解した。とはいえ、これが良い刺激なのかともいうとよくわからない。全くこれだから童貞ってやつは。死にたい

ただ、横向きにしたときビジュアルについては造形の良さもあって非常に良い。また抜いた瞬間には、ちゅぱっという感じのリアルな音が自然と出るのも悪くなく、このビジュアルと音については充分、リアルと呼べるのではなかろうか。どのぐらいリアルかって言えば、コイン投入即天和スーパーリアル麻雀ぐらいのリアルさだろうか。死にたい




だらだらと微妙感触を楽しむのも微妙なので、さくっと致すことにしたがやはり何というか。悪くは無いと思うんだけど良くもない。一応、当該商品名誉のために補足すると自分の側に問題があるのだと思われる。よくよく考えてみれば、恐らく一般的と思われる上下運動による致し方を普段していないのでその動きの刺激に対する感覚がない。また面倒なことに、寒がりの愚息は分厚い皮ジャンを着込んでおり全く脱いだことがないので刺激に対して極めて鈍感であることが容易に想像される。つまり自分は、道具で致すことすら満足にできない不出来な存在だったということだ。死にたい

水洗いについては案外、早々に滑りが取れたこともあって虚しさを覚える前に終えることができた。問題はむしろ乾燥だ。逆さまにしてもさすがに奥には水気が残る。数日置けばそこそこに乾燥はするようだが、それでもまだ奥には水気が残っている気がする。ひとまず黴の発生は避けたいので、ドラム洗濯機で低濃度オゾン殺菌を行うことにした。白物家電の何とかイオン系は居住空間に於ける効果は全く信頼に値しないが、密閉空間に於ける(何とかイオンと同時発生する)低濃度オゾンによる殺菌効果であればそれなりに信じられなくもない。まさか家電メーカーオナホの殺菌に使われるとは夢にも思わないだろう。死にたい



今後の課題。ローションを使ったこともあり、風呂場以外でやらなくて良かったと思う程度には手足含む周囲が酷い有様になったわけだが、世間ではどうやってこの問題解決してるのだろうか。やはりタオルやら何やらを敷いてやってるんだろうか。もっとカジュアルに使ってるイメージだったのだが。カジュアルオナホを使う生活って最低ですね。死にたい

自分には合わなかった」で済ませられる美徳

これが理解できない人が多すぎるようにみえからネットは醜悪だ。

作品Aを貶す人が作品Bを絶賛していたのを見て、

作品Bなんてクソ作品評価する時点で味音痴」みたいなマウントをする人。

うそれは、作品Aを貶す人と表裏一体、同じ穴のムジナだ。

好き嫌いや美醜の感覚は、正しいとか間違いではない。絶対的評価はない。

そこに多数派少数派という概念が加わっても、一方が正しくなったりはしない。

何かを好ましく受け取る感性は、その人がそれを好ましく思える生き方をしてきた故だ。

その生き方あなた人生とは違うし、想像が及ぶものではない。

からそこで、多様性尊重してデフォルトで敬意を払わなければならない。

それが出来ない人は、おそらくこういう話を無意識矮小化しているのだろう。

生き方の違いは、たんなる「個性の違い」で理解される範囲にとどまらない。

年齢の違い、性別の違い、経済環境の違い、容姿など体質的素地の違い、

特定学問の習熟や分野への理解の違い、

それから来る、特定ジャンルに対する問題意識の高さの違いなど、多岐にわたる。

また、いか日本単一民族国家であれ、いまや

個々の文化的コンテキストはてんでバラバラだ。

それぞれが複雑に差異を抱え、感性を異にしながら人生を紡ぎ上げていく。

その過程で、あるとき作品出会うべくして「出会う」。

その時それは自分にとって「刺さる」作品になる。

もし、それが少年誌系のオモチャ漫画だったりすれば

ぱっと見「刺さる」層――セグメントが他者から見ても分かりやすい。

けれど今の時代映像芸術特に、セグメントがわかりづらくなっている。

しろ、作り手の側も、わざとセグメントを複雑怪奇に設定する。

子ども向けアニメには大人や親を虜にする仕掛けがあり、

幼稚に思われがちなアイドル特撮もの社会派意識高いテーマ内包する。

そして尖った作りを受け止めてもらえる人を探るような野心作がヒットする傾向がある。

から自分には合わない」「思っていたのと違う」作品を鑑賞する機会も多くなっている。

そういう出会いを楽しんで、自分に合わなかった要素を

自分の側が足りなかったんだ」と謙虚に捉え、貪欲に

「楽しむための作法」を吸収していける人ならばなにも不幸はないだろう。

一方で、そうでない人もたくさんいる。

けれども、本稿で述べてきたことに想像が及ぶなら、

安易作品批判自戒しないといけないと分かるはずだ。

そして、次のことも同時に分かるはずだ。

 どんなものであれ作品を貶す言葉は、

 異なる価値観人間、ひいては

 他人人生すら否定することに繋がりかねない。

 その言葉の「重さ」に無自覚であってはならない。

さもなくば、安易作品を「取るに足らないもの」と捉えてしまう。

それは、クリエーターに対してだけでなく、すべての他人に対して「侮る」姿勢だ。

そうやって自分価値観の枠を狭いままで固めていく。

その対価として、小さな自尊心を満たしている――

そんなサイクルに陥っている人が、周囲に当たり前にいる。

そういう状況が、あまりにもネット上で普通になりすぎているのではないか

 

ネットで見られるのは「批評」という皮をかぶせた「作品侮蔑」ばかりだ。

作品評価するには、作品理解しないといけない。

作品理解するには、まず表現者思想に寄り添わないといけない。

なぜなら、作品を出すことは、とりもなおさず思想表現であるからだ。

思想というのが堅苦しく感じるなら、美意識価値観と思ってもいい。

そんな大層なものが込められていなさそうな、フェチの塊みたいな

娯楽作品であっても、そのフェチの詰め込み方などに表現者思想が表れる。

そういうものにまずは理解を示してみる姿勢がなければ、よさを感じ取れるはずがない。

それだけではなく、

表現技術価値制作背景、時代背景なども織り込まないといけない。

映像作品さら特有圧縮のされ方をするので、

視聴者は脳をしぼって意図を汲み取る努力をしなきゃいけない。

莫大なエネルギーと解読時間必要なのが「批評」という作業であるので、

「ふつーに面白さが分からなかった、繋がりが変、あの描写は変」

みたいなレベルの表面的な感想を目にしたときは、

読み手に基礎がない状態であることを疑わなければならない。

それでも、仮に自分がそんなレベルだと自覚していたとしても、

自分ネガティブな受け取り方をネットに排泄したくて仕方ない人がいる。

あるいは、断固として自覚はせず、マウントマウントを重ねて、

作品が好きだからこそ叩く」とか理由をつけて、作品に寄り添う気すらない

「オレ好みの『正しい』展開」的なものを主張し続ける人もいる。

そういった、他人の作ったものに乗っかって文句を言うような人のために

ネットがあるのだろうか?

そんな感情は胸にしまうまでもなく、

スッと「自分には合わなかった」で済まして去ってしまえば、

負の感情連鎖に次々と人が囚われる現象は生まれないのに?

ネットネガティブワードを吐くことをやめられない人は、

ネットのことを勘違いしている。

今のネットは、もう「便所」ではない。

今のネットは、もはやリアルよりも暴言失言が指弾される場だ。

実名肩書き付きでの書き込みは言うまでもなく、

匿名からといって、浅慮な軽口が許容されるわけではない。

ネットで言うこと自体自由だが、

それならまだログの残らないリアルで友人相手に暴論かました方がいい。

そしてネットでは逆に、良識者でいるのが賢い。

ネットからこそ高潔でいられる人の方が、

この先人気をあつめるだろうと思う。

というよりも既に、人気のYoutuberなどを見ると、彼らは例外なく

表面上ははっちゃけているもの

ネガティブ感情を生むような物言いは華麗に巧妙に避けている。大人である

こういうネットディストピアだと思う人もいるかもしれないが、

今のところは、順当な変化だと感じている。

ライブに行ってきたんだけど

ライブ参加は数回目の初心者オタクライブ自体は最高だったし次も絶対行きたい。

ライブ終わってからTwitter見てたら「『ウリャオイ!ウリャオイ!』がうるさかった」みたいなツイートに対して、そういうことをしてそうな人たちが「ウリャオイ程度で厄介認定されるのか…」「MIX聞きたくないなら家でCD聞いてろ」みたいな反応をしてるのが気になった。

個人的にはライブは生歌を聞ける貴重な機会だから出来れば静かに聞きたいなと思っているのだが、叫んだりするのが楽しいという人がいるのは理解してるしそれを咎めるつもりもない。

しかし、「みんなで叫ぶ一体感楽しいの!そういう場所だって分かっていながら来ておいて文句言うなよ」みたいなことを当人たちが言ってるのを見るとそれはちょっと違うんじゃねえのって思ってしまう。

黙りながら叫ぶのは無理だってのはわかる、黙れとも言わない、だけど節度を持って自分の楽しみ方が他人の楽しみ方をなるべく邪魔しないようにっていう意識くらいは持って欲しいなって思った。

お互い気持ちよく楽しめるライブにしたいじゃん。

2016-08-21

http://anond.hatelabo.jp/20160814180024

自分の頭で考えられる、っていうのは、

イコール批判的に見られる、って事じゃないんだけどな。

自分の頭で考えられるからこそ、ブコメの野蛮な批判の流れと逆の

肯定的で理知的な捉え方を出来ることもある。

じゃあ自分の頭で考えられる状態になるには何が必要か、

っていうと、

1つは、記事に書いてあること以外の情報源からくる知識

2つは、想像力

どちらも、色々なものを見聞きすることで養われるセンス

あとは、補助的なものだけれど、アウトプットの習慣。

アウトプットをすることで、知識が頭のなかで整理され体系化されるから

この2つ+αを意識して能動的に情報摂取するといい。

個人的に、この「自分の頭で考える」力が優れていると思う人は、

まあちきりん氏もそうだけど、堀江貴文氏だね。

彼くらいの情報ジャンキーになれば、あらゆる事に造詣が深くなれる。

地頭の良さが必要だけど、見習う価値はあると思う。

彼のように、どんなジャンル話題を振っても

洗練された視点コメントができると世の中が面白くて仕方ないと思う。

それからブコメには確かにすぐれた洞察力をもつコメントもあるが、

ほとんどのブコメは、記事の「書き方」の印象に流されているのも事実

それが記事肯定的であれ、批判的であれ、空気に流された即レスほとんどで

本質的価値を多岐にわたって検証した上のコメントみたいなのは

めったにないことが、よーく見てみれば分かるはず。