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2017-02-22

管理者養成学校が続いている理由と仕組みを卒業生説明する

サラリーマン幹部養成学校の一日が刑務所と変わらない→実際に行った人たちが続出 - Togetterまとめ - https://togetter.com/li/1083373

▼Q:なんでこんなものが続いているのか

ビジネスモデル確立してるからです。

ここの母体は「社員教育研究所」という会社で、ビジネスマナー等の半日研修セミナーをメインにおこなってます。昔いた会社では、正社員は全員ここの半日研修を受けることになっていました。管理者養成学校に行くのは管理職新卒社員だけでした。

半日研修は、意外にもいたって普通の内容です。笑顔の耐えない講師の人が当たり障りのないビジネスマナーを教えてくれます半日話を聞いて仕事サボれてラッキー、くらいの感覚で受けました。しか講師笑顔にだまされてはいけません。それはただの仮面です。ここの講師は全員管理者養成学校教師を兼ねてます。いつでも怒鳴り声があげられるのを、セールス向けに意図的にゆるーくゆるーく振る舞ってるのです。

この、セミナーの使い分けがポイントです。管理者養成学校卒業生は一部が完全に洗脳されます。よしんば洗脳されなくても、管理職的な視点から後述の「一定の効果」を認めるひとは少なくありません。そのため、「管理者養成学校いかせるまでもない(行かせたくない)けど、多少学んでほしいことがある」と考えた管理職は、このゆるーい半日研修採用するのです。つまり

「ここの卒業生管理職になった企業管理職になる」

→「この企業運営する半日研修セミナー社員を受けさせる」

(→「一部の社員合宿セミナーへ参加させる」)

というサイクルが発生しています。飴と鞭に近いものを感じるというか、よくできています。多分なくなりません。

▼Q:「一定の効果」ってなに?

トップダウン式の企業における「上から命令には迅速かつ忠実にしたがう」という感覚を身に付けることです。

命令に従わなかったり、勝手判断で動く社員はどの企業にも一定数発生します。それを許容する文化もあれば、「上から命令絶対に守る/言われてないことは絶対にしてはいけない」という文化もあるでしょう。そして、例えば急成長して組織構造確立していない大企業のような「企業風土はまだ根づいてないけど、上としては絞めるところをしっかり絞めたい」という意識が働きやす企業は、荒療治であっても命令絶対服従の社員を育てたいと思うではないか…というのが私の予想です。

他にも「承認体験を与える」「ブレインウォッシュしたあとにある種の価値観を植えつける」とかもありますがこれも後述します。

▼Q:実際にはなにやるの?

意味のないことをやります

本当です。たとえば、「駅前に立ち、大声で歌を歌う」「歌で審査員を感動させる」「動きを激しくアレンジしたラジオ体操を覚える」「行動力基本動作10ヶ条を暗記する」といった課題を与えられます。それらがすべて合格にならないと補講が発生し、強制的宿泊数が一日延びます。そんなことをわたしは7泊8日で怒鳴られながらおこないました。

この「意味がない」というのは実はとても効果的です。そもそも、入校初日先生から

「ここで教えることに意味はない。大声を出そうが、歌が歌えようが、仕事はできるようにならない。だけど、ここは研修練習の場だ。練習でできないことが、本番でできるわけがない。ここでの訓練を通じて、社会人としての一挙手一投足を学んでほしい」

とか言われます。そしたら「意味がないじゃん」という反論意味をなさなくなりますしかも、「意味はない」けど「歌で審査員を感動させる」ために歌う歌が

要領とごまかしで 長い坂はゆけない

仕事場は戦いの場 半端ではない

やる気になって汗を流せど 力なき悲しさ

いつかみじめな自分を見るだろう

年をとってほぞを噛むなら いまやるがいい

君よ知るか仕事ができて、人生幸せ

ひらけゆく青空の大きさはどうだ

しなやかな若竹にできないということはない

なんて歌詞なんです。

ここが恐ろしい、そして本当にすごいところで、教師意味提示しないので、自分で考えるしかないんです。

意味がない」からこそ、「自分意味内面化する」。このための仕組みが管理者養成学校はとにかく高度に作られています。たとえば、大声で歌を歌うとどうなるか。脳が酸欠になり、思考力が低下します。どれだけ歌っても鬼の形相の教師が怒鳴ってきます。何度も審査に落ち限界限界を重ねて大声で、精一杯気持ちをこめたあと、教師が満面の笑みで「合格!」って言って抱き締めてくるんですよね。このとき承認された感覚半端ないです。涙がボロボロますし、ボロボロ泣くのは気持ちいいです。承認体験は人を盲目します。

なお、こういった方法論は一般的にbrainwashingと呼ばれているはずです。そういった仕組みを利用しているのは軍隊カルトの二つが一般的ですね。

▼Q:嫌じゃなかった?

→嫌だと考える時間と余裕があらゆる点で排除されています

ポイントは「秒単位の余裕すらない規律」「徹底した団体行動」「常に見られていること」「でも絶妙息抜き」の4つです。合宿中は一日を5時起床/22時30分消灯で行動します。自由時間はこのうち合計3時間ほどありますが、単独行動禁止です。研修グループでおこなうので、一人だけ休む、一人だけ練習するなどは禁じられています。本当の意味での自由時間は、起床と就寝のための30分くらいです。それらは布団の出し入れと着替えでつぶれます

なお、行動と行動の間に1分でも空き時間があれば、なにか練習しないといけません。寝泊まりと訓練をする部屋は一面ガラス張り、かつ消灯時以外はカーテンを閉めるのを禁じられています教師は常に見回りをしており、なにもしていなかったら怒られますあなた方はパノプティコンをご存じでしょうか。

見られているのは教師だけではありません。同じグループのひとや、違うグループのひとも同じです。学校では実に細かなルールが設定されています。「部屋を出入りするときは『失礼します』とおじぎをしてから出入りする」「移動時には常に小走り」「椅子から立ち上がるときには椅子を必ず机の奥まで入れる」等々。そして、「ルールを破った人がいれば他のひとが注意する」「注意されたら『ありがとう』と返す」等々。ここでは生徒もまた監視している存在なのです。

しかし、ガッチガチでありながら、休憩時間ビールタバコを嗜むことは許されています絶妙です。縛るところは縛りつつ、一握りの自由を与えます。また、グループ内でのコミュニケーション促進にもなります

▼Q:みんなこんなルールを守るの?

→守ります意味がないルールでも、ここでは規律内面化されるからです。

一番面白かったのは、「風呂に入る前には、風呂場の上に書かれている『風呂に入るときは、1:頭からお湯を二杯かぶる 2:頭を二分洗う 3:お湯を三杯かぶる 4:水を一杯かぶる 5:体を五分洗う ...』の規則を必ず読み上げてから入る」でした。みんな読み上げるし、書かれている「体を洗う順番」を守ります。本当に。風呂息抜きの場ではありません。厳密には、「息抜きをしつつも、規律規則として必ず守る」という感覚が四六時中植えつけられます

▼Q:あなたは何を学んだの?

ラジオ体操でぶっ倒れるとか、40キロ歩いて本当に立ち上がれなくなるとか、あとは四六時中怒鳴られたときに何度も発生したミスがあるとか、そういった点での「私自身の体力的・精神限界を知れた」ということは結果的によかったかなと思います

また、『1984年』の二重思考ってこういうことなのかと体感しました。承認体験が重なるにつれて、「規律めんどくさい!」が「規律を守ることは楽しい!」に刷り変わっていく感覚は絵も知れぬものがありました。訓練の最後には「この学校は最高だ!!」って本気で思ってました。でも「学校を補講なしで卒業し、一日でも早く出たいから全力で試験合格しようとする」んです。

矛盾してるでしょう?でもそれを可能にするのが管理者養成学校なのです。

▼Q:管理者養成学校さないと

→同感ですがつぶれないと思います洗脳されてるひと結構ますし、この「洗脳されてる」が「『個人人格』とは別の『社会人としての規範人格』を学ぶ」と錯覚してるひとは多いです。私も、管理職立場になったら部下に行かせない保証はないなと思います

▼Q:おまえは既に洗脳されてる

洗脳っていうのは「こんなの絶対おかしいよ!」って理屈理解していても「わー!たーのしー!すごーい!」と思ってしまうから洗脳なのです。

2017-02-21

友達合格しないと自分合格できない大学の話

仲の良い友達が居て、その友達勉強して合格しないと、自分合格できない大学受験があった。

受験来年レベルとしては一年間近く心身共に捧げなければ合格できないレベル



自分の成績は一切無意味勉強無意志。自分努力は一切考慮されない。

ただ友達合格することだけが自分合格するかどうかの合否判定。



だとしたらひたすら応援するしかないじゃん?



友達が挫けそうになって「もうだめだ」とか言い始めたら「でも頑張ろうよ」とか言うじゃん?

そうしたら「お前は何もやってないでしょ!」とか言ってキレられる。

でも実際そうだから仕方ない。



仕方ないので差し入れスイカを買ったりご飯を作ったりとかして。

疲れたときはできるだけ楽しい話をしたり未来の話をしたりしてポジティブにしたりして。

でも自分は何にも役立ってないな~とか思ったりして。



とにかく頑張ってもらうしか何もなくて。



ひたすら1年間、応援してるだけで何もできないわけで。



いよいよ当日は、ひたすら横で「頑張れ!」って応援したりして。

いろいろ肩を揉んだり背中をさすったりして。

「もうダメだ!」とか大変そうで。

でもひたすら応援するしかなくて、凄い無力だなぁとか愕然としたりするわけで。



でようやっと子供が産まれて。



お母さんは1年間かけてボロボロになりながらお母さんとしての身体と心になっていって。

お父さんは「産まれた!」っていう瞬間にお父さんになって、我ながらズルいなぁと思う次第。



あー随分負担かけたなぁ。これまで何もできなかったけどこれからは分け合えるといいなぁ。



と思ったか育児休業を取ったりして、せめてあの応援するしかなかった時間の恩返しができればなぁと思う次第であります

これからが長いわけですが。

2017-02-19

この世の中に居場所があれば

小さい頃から人見知りでプライドが高い人間だった。

親に聞いても、気難しい子供だったとのことだ。



繊細と言っていいのかわからないが、スーファミストリートファイター

位の暴力的描写が怖かったし、人にいわれた事にいちいち傷ついたりして

自分の内に閉じこもる事が多かった。



小学校くらいの時は友達が多かった様な気がする。

嫌な事があるとその人に暴力を振るったり、それが

できないと親に当たり散らしていたりした。親が自分

気持ちを察してくれないと激昂したたいたり蹴ったりしていた。

比較的楽しく過ごせていた様に思うが、いつも満たされない気持ち

あって辛かった。



中学生地元公立高校に行ったのだが、ここがまあひどかった。

基本的治安が悪く、勉強をちゃんとするやつらがいじめられて

いたり、文化的にひどかった。兄の影響でバスケットボール

始めたが、ここも不良たちばかりで基本的に気に入られる様に

たち振る舞う必要があって自分を押し殺すのが必死だった。

勉強ができればまだ良かったのだが、頭が良くなかったし、

勉強に対するインセンティブも無かった。する意味もわからなかった。

今ならわかるが。

中途半端に不良に足を突っ込んでいたが、真面目になろうと思い

中学3年の初め暗いか生活態度を改めた。勉強ができる訳じゃなかった

ので、真面目にもなれないし、居場所が無かった。このときは本当に

苦しくて何をするにも焦燥感しか無くて生きるのが辛かった。



その後、先生からは無理だといわれていた地元工業高校合格する事が

できた。

工業高校基本的資格を取って、工場勤務者を育てるための学校

そこでも生きる意味が見いだせず、ひたすら日々を無為に過ごしていた。

高校では硬式テニスを始めたがいっさい成績を残す事が出来なかった。

勉強なんてやれば出来て、その勉強が将来につながっているという

事もわからず、何か自分を活かせるものは無いかといつも考えていた。

太っていたし、勉強もできないし、背は高くないし、おでこは広い

性格は暗いし自分に自信を持てる要素なんて一つもなかった。



勉強もできないし何にも興味が持てなかったが、

親が専門学校でもいっとけなんて言ったもんで、

情報処理専門学校に行った。受験すれば受かる様

な所だ。専門学校なんてのは。

専門学校なんてのも基本的には資格を取る様な所だが、

勉強する習慣も仕方もわからなかったし、一個も資格

とれなかった。完全に落伍者だ。



その後、地元会社就職する事が出来て、上司

良い人だったが、自分根本的にだめでいつも自己嫌悪

抑うつ気分だった。仕事をしなくて給料泥棒といわれた

事もあった。

今も7年同じ会社にいる。部署は異動しているが、

基本的自分に自信が無いし、人間関係をうまく築けない。



そしてこれから何かが良くなったりする希望

持てない。30歳くらいになったら自殺したいと

思っている。


努力する習慣があれば。親がもっと教育してくれれば

もっと選択肢がある環境であれば。

自分精神的に強い人間であれば

頭が良い人間であれば

素直な人間であれば

他力本願なのはわかっている。

でも、環境も素質もなしに努力なんて

し続けられる人なんてほとんどいないはずだ。

2017-02-17

[] H23民法コメント

全体について

合格ラインぎりぎりの答案の出来が以下だった。◇が159.47点(合格)、◆が153.41点(不合格)。

設問1(1)

◇「利益」「損失」の額を何とかひねり出して、転用物訴権規範と当てはめが出来ている。額はめちゃくちゃ。

◆↑と同じような記述

設問1(2)

◇詐害行為取消を完全に落としているが、債権者代位にかろうじて気付いている。ただ被代位債権必要費償還請求権(608条1項)にしていた。

◆詐害行為債権者代位を完全に落とし、動産売買先取特権の物上代位を大展開していた。

設問2

将来債権譲渡とその付随義務理解できている。

◇ただし、帰責事由について謎の議論を展開している。

◆まず将来債権譲渡ということが分かっていない。

設問3(1)

◇「建物としての基本的安全性」の論点に気付いている。

◆709、717条を挙げて漫然と当てはめる。

設問3(2)

◇ばっちり書けている。

◆ばっちり書けている。

まとめ

なので、

転用物訴権を何とか書いて、請求額をめちゃくちゃなりに理屈を付けて算出している。

債権者代位に何とか気付いている。

将来債権譲渡とその付随義務をそれなりに書けている。

④「建物としての基本的安全性」の論点を書けている。

過失相殺論点をばっちり書けている。

辺りが合格ラインかなぁ、と。民訴会社との総合なんでなんとも言えないけど。

設問1(1)

◇上の合格ラインを余裕で超えていると思う。ウ.の「しかし~」以降は感心した。

設問1(2)

債権者代位に気付けているので大丈夫だと思う。問題文が悪いっすこれは。

設問2

◇いいと思う。「~~という債務」っていう風に明示できてればもっといいけど別にこれでも分かる。

設問3(1)

◇「建物としての安全性」ってワードが出てるんでいいと思う。

設問3(2)

◇できれば実質的理由が出せるともっといい。加齢を理由相殺したらじじいの損害賠償請求は全部減額されちゃうだろ!とか。

2017-02-16

プロってなんだ

向き合う姿勢性格従順さ?運?タイミング技術?実力?さっぱりわからない、だってレベルクソ低い下手くそプロになってるし。合格基準明確にしてくれ

2017-02-15

http://anond.hatelabo.jp/20170215122127

「(100点満点で100点のレベルは)20分でできます

「(合格点となる60点レベルで良いから)10分でやれ」

ということなんじゃないかな。



だいたい、「10分でやれる道筋を示すか代替案」なんて実務者レベルしかからないでしょ。

上司が考えるのは時間無駄

合格だった場合のみ連絡します」ってのは本当にやめてほしい

懸賞じゃないんだから

2017-02-14

大川隆法の経歴笑っちゃうよね

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B7%9D%E9%9A%86%E6%B3%95

来歴

生い立ち

1956年6月徳島県麻植郡川島町(現在吉野川市)に、畜産コンサルタントであった[4]父・善川三朗[2](本名中川忠義)と母・君子次男として生まれる[4]。出生名は「隆」。吉野川市立川中学校徳島県立城南高等学校卒業。幼少期の頃は、GLA高橋信次生長の家に感銘を受けて日本共産党活動家から転向した父[9][10]に「聖書」や「無門関」について教えられる[4]。10歳の頃、将来の夢は学者外交官だったという[4]。一浪の後1976年東京大学文科一類入学し[4]政治コースに進む[2]。ハンナ・アーレント研究論文作成した時には、教授からマチューアー(成熟している)」という評価をもらったという[4]。その後、司法試験国家公務員上級試験受験したがいずれも不合格となり、また学者の道に進むこともなかった[4]。大川は、司法試験について論文問題学者的な視点過去判例批判する答案を提出したために合格できなかったとし、大学に残らなかったのは自分師事すべき教官がいなかったと悟ったためと自らを振り返っている[4]。1981年法学部卒業し、総合商社トーメン(現豊田通商)に入社[4]。翌年1982年8月ニューヨーク本社研修生として派遣され、その間にベルリッツ語学学校ニューヨーク校を卒業[4]、ニューヨーク市立大学大学院センターで国際金融論を学んだ[8]。

大学卒業して商社マンとして勤める一方、この時期に宗教家としての「霊的覚醒」が始まったとされる[8]

東大法学部出て,ビジネスマンやって,法的に問題ない金儲け思いついただけじゃねーか

せめて,キリストブッダアッラーばりの逸話作れや

111医師国家試験受けてきた

以下感想

試験の内容について

 必修ブロック以外はそこまで難化していないと思う。一部?と思う問題があったもののヒントがあるし、使い回しの問題はあからさまに簡単問題がチョイスされていたので

「ここは悩ませる問題でこの問題は確実に点とってほしい問題」というのがハッキリしていたと思う。

現場的な問題は増えたと思うし、疾患がわかっても、患者状態評価できないと解けない問題結構あった。ここらへんをmedu4の某先生は良問だと評価しているのだと思う。

ただネットを見ると出題内容がおかしいという意見結構。確かに変なこと聞くなあという問題散見されたし全体を通して良い国試だったとは個人的には思えなかった。

 必修は明らかに難化。とはいえ、臨床問題文章題)については一日目の難易度に会場がざわついたものの二日目・三日目と徐々に簡単になっていったので

多くの受験者は三日間を平均すると8割に乗ったと思う。逆に一般問題(知識問題)は3日通して難化していたと思う。難化もそうだが何でこういうの出題するの?っていうのが多かった。

まずMLF症候群とか脊椎靭帯に関する解剖の問題が「必修」というのはおかしいと思うし、胃管に関する理念問題はまあ良いとしても学生が実習で経験できない動脈穿刺の手技の問題出すのはどうかと。

必修といえど簡単すぎるのもどうかと思ったのか知らないけど、難易度以前に必修らしい問題がどういうものかをもう少し考えて出題してほしい。

選択肢もなんか微妙感じのが多くて掲示板でも割れまくってるような問題を必修にするのはやっぱりおかしいと思う。

まあ多分出題者も一般は配点低いからっていう理由意図的に難しくしたのかな、とは思った。自分一般75%臨床85%みたいな感じなので出題者の思惑通りの点のとり方したのかな。

試験の結果について

 まだお偉いさんが正式な回答を発表してるところがmedu4しかない(しそこも重いから見れない)けど、まぁ合格基準にはなんとか乗っていると思う。

少なくとも一般と臨床は7割くらいは取れてるし流石に落ちないと信じたい。

ただ、必修が今年からいきなり臨床と一般で各々、基準もうけるとかされたら落ちる可能性ある。必修だって掲示板意見割れてる上に正式解答がハッキリしてないしね…

・実際の試験場の感じについて

殆どの人が大学単位専属バスにのって、大学単位で注文してたお弁当食べてた。

自分自力で会場行ったし、コンビニ食事してたけど周り見る限り立地が悪い会場だったので少なくとも移動バス大学単位のを利用した方がいいと思った。

あたりを見回すと自大学の弁当は揚げ物ばっかりの胃に貯まるヤツで後輩のメッセージも「勝利」とだけ書かれたそっけないものだったけど

他の大学のはバランスが良くてお腹に優しい弁当の箱にムーミンとかのイラストが直筆で書かれてて後輩のホスピタリティ格差を感じられて面白かった。

会場内はいくつかの大学学生が入り混じってるけど結構な人が立ち食いor椅子を持っていってまで知り合いと食事をしようとしてるのが少し気持ち悪かった。

自分は一切かかわらなかったが会場の外で(受験者以外会場内立入禁止なため)栄養ドリンクチョコを持って待機してる後輩が散見された。

後輩自信に何のメリットがあるかわからないがあれは見てるだけで可愛いし癒された。

ただ、一つだけ言わせてもらうと仮にも医学部なんだから会場の近くでタバコ吸うのはやめたほうが良いと思う。

・実際に試験受けてみて感じたもの

 試験開始前の空き時間が非常にダルい試験管理者の方がかならず20分近い事前説明をするから時間試験でもトータル1時間30分の作業になる。余りキリキリしてると精神がすり減る。

あと試験管理者に間違いなく当たりハズレがある。荷物の置き場所とかに細かい人とおおらかな人が居るのはまあ良いとしても、

何故か必ず問題冊子を画像冊子の下にのせて配る試験管がいて、自分の周りだけ試験開始までに試験の注意事項の1ページ目が読めないって状況が三日間ずっと続いた。

たった1ページの、何回も読み飽きた情報はいえ、こういうのは不公平になるからやめてほしい。

それと、マークシートも縦長型と横長型が三日間ずっとどちらかで固定されるからこれも人によっては影響あると思った。自分は縦型だったけど模試で横型シートだとマークミス多いタイプから助かった。

 必修うけるときメンタルが凄く大事だと思った。実際八割って結構キツイ問題は一日分で30問あるけど実際は臨床問題の配点が三倍もあるから

一日30題中の臨床問題15問で3ミスに抑えないといけないってことになる。今回みたいに問題が難しいと2つに絞れるけど最後が絞れないみたいな問題が一日に5問とか普通にあったりする。結構どぎまぎする。

 当日に掲示板をみて答えを確認するかについては意見があるけど自分絶対にやったほうが良いと思ってる。少なくとも必修はすべき。

メンタル弱い人はだめかもしれないけど、自分がどれくらいできてないのか、周りとどう考え方違うかはチェックしておいたほうが良い。

必修の難問は採点対象外になることがあるけど、問題が変でも皆がなんとなくあってるところは削除されないこともあるし、自分の間違え方・当たりが他の大多数と一致してるかは絶対確認すべき。

自分は一日目に考え方が違うのがわかって二日目から矯正してなんとか八割のれたと思ってる。

あと意外と同じような出題が多かったか掲示板で復習できるとちょっとお得。梅毒とか何回だすのって感じのも多いし、必修もやたら循環器・公衆衛生(臨床研究周り)・注射あたりの出題被りが多かった

・これから国家試験対策(もし落ちた時の自分来年のためにも)

 必修対策絶対必要になったと思う。テコムとかmedu4とか多くの塾会社が口をそろえて

「必修で8割いかない人はそもそも一般・臨床で点が足りない。だから一般・臨床で合格ライン乗る勉強すれば必ず必修も合格してる」

みたいなこと言うけど今回の内容見るにこれからはそういうの通用しないと思う。

どうせ今回も難しい問題が除外問題になって調整されるんだろうけど(願望込み)、実際どれが除外になるかなんて偉い人の考え方一つだし、そんなの試験中の安心材料になんて全くならない。

それに、必修の内容が明らかに実践向けになってるから一般・臨床向けの勉強だけじゃ通用しなくなってきてる。

「この病気のこの治療法はどの段階で有効でどんな人にだめなのか」を徹底的に覚えないといけない。とくに心筋梗塞とか脳梗塞とかの有名な救急疾患は絶対覚えないとだめ。

あと、手技的な出題が物凄い増えてるからこれも対策必須動脈穿刺とか胃管挿入とかCSF採取とか皮内注射とか学生経験させちゃいけないことでも平然とその手技の仕方が出題されてる。

手技の本で勉強することはこれからの国試考えると必須になると思う。

・塾講座について

 すくなくとも国試直前講座についてはMECが結構的中していた。当日予想メール?もかなり当たっていたらしい。直前講座とかはMECに依存したほうが良いと思う。

通年講座はtecomとMECがあるけど個人的にはMECの方が良いのかなと思った。テコム病態学習には凄くいいんだけど、ノート取るのめんどくさいし今となってはmedu4の方が良いように思う

(tecomは大学単位で申し込むせいで五年にならないと動画見れないのもかなり痛い。)

あと年末から開催されるまとめ講座みたいなのはコムのtargetとメックのsummarizeがあるけど、テコム過去問の寄せ集めだから最新の話題仕入れたいならsummarizeのほうが良い。

全体を通して、これから現場的な考えを教えてくれるMECが通年講座でも良いように感じた。

 一方で模試はテコムのほうがオリジナル問題多いし、結構予想が当たっていたので模試はテコムオススメする。

 公衆衛生自分はテコムでやってある程度出来るようになったけど評判悪いみたいなので一般的にはMEC+αで公衆衛生といった所だろうか

大学を通した勉強について

ぶっちゃけ基礎は殆ど訳に立たないと思う。強いて言えば病理と薬理、解剖当たりの考えが身についてる人だと4年から勉強が楽になるのは間違いないけど。

周り見ても卒試国試に強いやつの中には一年から成績良かったやつもいるけど六年から勉強がんばり始めた人も沢山いるし。前半学年は、ゲームなり部活なり恋愛なり好きにすればいいと思う。

四年生の時の動画講座は何故かCBT用の内容絞ったやつがあるけどアレは全く意味いからやらないほうが良いと思う。CBTはquestion bankやれば動画なんて全く要らない。

でも四年生とき時間が沢山あるからこの時に自分お金はらってmedu4の臓器別講座を授業で並行してやればいいと思う。授業では国試に向けて話すのにCBT部分だけ勉強するとか無駄すぎる。

大学の講座はどうせ授業中のプリントなんか捨てるんだから、medu4の国試用の臓器別講座のプリントレビューブック当たりを持ち込んで授業でなるほどと思ったことを書き込めばいい。

よく塾会社の最新の話題当たって凄い~みたいな話あるけど、ぶっちゃけ四年生の授業で最近~ってのがありますって先生が言ってた所とほぼおなじだった。みんな大学の授業聞いてないんだなと思った。

国試の勉強でイヤーノート個人的はいらないと思う。高いし分厚すぎて持ち歩けない。中古レビューブック買って過去問動画講座みて学んだことを書き込むだけで十分合格点くらいは取れると思う。

ただ、レビューブックだけだと手技系とか各課検査の基礎値とか心電図とかそういうのが弱いからそこだけは自分ノート作ったほうが良いかな。

六年のときは皆切羽詰まって勉強してるけど、受かるだけだったらそんなに勉強しなくて良いかも。結局1月から頑張れば就活卒試の勉強しっかりしてる人は大抵受かる。

人によるけど卒業試験終わってから10月末~12月前半は遊んで良いと思う。この時期凄く安いし早めに卒業旅行でも良いと思ってる。



 

2017-02-12

http://anond.hatelabo.jp/20170212000922

今思えば12歳という年齢で他者競争し、また自分自身を追い込み結果を出すという事は、なかなか得られない体験かもしれない

中学受験をする子供他者との競争なんて考えないよ。他の子どもとの比較を考えるのは親。子供はちゃんとそれをわかってる。自分を追い込むのも、自分のためではなくて、親のために自分を追い込むんだよ。自分のためになるという親の言葉を信じているから頑張る。

ゆるいプレッシャーを与え続け、「お前はどうしたい?」とか「誰のための受験なんだっけ?」と問いかける事が多かった。

から、「親がいう『自分のための受験』」をする子は多い。

そうなると困るのは、受験が終わったあとの、そして反抗期が訪れる中学期に、勉強するモチベーションがなくなってしまうこと。ほんとうは親のためにやっていたという記憶反動で、勉強自分のものとしてやる気持ちがなくなってしまう。そうなってないかということは十分注意を払う必要がある。受験というイベント中学ときにやったんだから勉強に対する自主性が育っていると勘違いしてそのまま放任してしまう親は多い。大学受験ときになっていきなり子どもを叱りつけても取り返しはつかない。勉強内容のレベルと、勉強する態度の育成の度合いは必ずしもセットではない。

小学校では勉強のできる子からできない子まで幅が広かったが、これから一定レベル人間の中で生活し、競争していく事になる。是非とも生き抜いて欲しい。

勉強のできる子たちの中での競争を期待するってことは、勉強のできる家庭同士で競争をする覚悟を持つってことだよ。勉強ができる子どもの後ろには勉強のできる親がついている。それは単に学生時代テストの点が良かった親ということではなくて、どの時点でどのような勉強をするべきかきちんと理解しており、それに基づいて子どもサポートする能力のある親ということ。そういう親を持つ子と競争するときに、親の後ろ盾がない子は勝ち目がないよ。今までの勉強の仕方が通用しなくなったとき姿勢を変えなければならなくなったとき、周りについていけなくなったときに、常に即時的にサポートしてくれる人間が身近にないと、大学へ入るのにふさわしい状態にたどり着くのは難しい。一貫校に行ったから、塾に行かせたからあとはオッケーではない。だから、これからも6年間お子さんと一緒に勉強してあげてね。

合格おめでとうございます

中学受験が終った。

上の娘の中学受験が終った。首都圏そこそこの中高一貫校合格

田舎出身自分からすれば中学受験なんて…と思っていたが、今思えば12歳という年齢で他者競争し、

また自分自身を追い込み結果を出すという事は、なかなか得られない体験かもしれない。

小学校では勉強のできる子からできない子まで幅が広かったが、これから一定レベル人間の中で

生活し、競争していく事になる。是非とも生き抜いて欲しい。

自分にしても、この受験はよい経験だった。ゆるいプレッシャーを与え続け、「お前はどうしたい?」とか

「誰のための受験なんだっけ?」と問いかける事が多かった。ほぼ部下との対話状態

娘よ、いろいろすまん。そして、よく頑張ったね。おめでとう。

2017-02-11

山本一郎やまもといちろう)さんがリツイート

レ点 ‏@m0370 2時間2時間

東大生の親の半分は年収1000万円以上!貧乏人には教育も受けさせない格差社会がー!」

「私は小学校入学から自分で稼いで貯めた数千万円(?)で偏差値70の名門中学合格しました(キッパリ」

ぐぬぬ…」 #芦田愛菜


ちなみに芦田愛菜父親叔父商船三井会長な。

芦田愛菜名族出身だよ。

高1の思い出。先生予言東大への合格

地学の授業で先生プリント音読するように言われた。

凡例

という言葉が出てきた。なぜだか知らないが私はこの熟語の読み方と意味を知っていたので、その通りに読んだ。

すると先生は、おお君はこの言葉を読めるのか。素晴らしい。おそらく君は東大に受かるだろう。といった。

こう言われたときは私は何を適当なことを言っているんだとおもったが、実際に私は東大に現役で合格した。

あの先生は今でもお元気でいらっしゃるだろうか。

教師との恋愛という罪の告白

 先生出会ったのは、わたし中学生の時です。彼は大学院卒業後、国語非常勤講師として赴任してきました。わたしと1周りほど年が離れていて、身長10cm程度高く、かわいい顔立ちをした、少し年齢不詳気味の人でした。


 当時のわたしは、授業中は寝ているか教科書の隅に落書きをしていて、学年下位をふらふらと彷徨っている、やる気のない生徒でした。そんなわたしに「やればできるから」と声をかけ、必死に授業に参加させようとする先生は、いかにも「教師になりたて」で。その熱い眼差しで見られる度に、わたしは居心地の悪い思いをしていました。どれだけ無視をしても「おはよう」と笑顔で手を振る先生、「わからないことがあればいつでも聞いてね」と教室を去る間際、席までわざわざ歩いてきて声をかけてくる先生わたしは、彼の笑顔がどうしても嘘くさく見えて、大嫌いでした。

 気持ちが変わったのは、制服シャツが半袖に変わり始めた頃でした。一週間遅れで課題を提出しに行った際に、とある難関大学過去問を意地悪のつもりで聞いてみたら、さらりと答えられてしまい、その際に知った彼の学歴の高さに意外性を感じたからです。先生はいま思い返してみても、とても頭の良い人でした。自分が頭の良いことを知った上で、きちんと、相手にあわせたレベルで話ができる、勉強を教えることのできる優秀な先生でした。彼の解説を聞きながら、初めて、答えを導き出す楽しさに気付き、勉強楽しいと思うことができたのです。

 いま思えば、わたしは彼のパフォーマンスの引き立て役のひとりでしかなかったのでしょう。後々、彼の鞄から発見した、クラスの成績表の書き込みを見れば分かります。伸びしろはあるがやる気がない、かつ、やる気になれば伸びるタイプわたしは「ちょうど良い生徒」に過ぎなかったのです。そして、幸か不幸か、彼の好きなタイプの顔立ちをしていました。


 先生は褒めるのが上手でした。たった10問の小テストで満点をとっただけでも「偉いなあ、嬉しいなあ」と、にこにこ頷いてくれました。自分で言うのもアレですが、わたし地頭は悪くなかったので、少し本腰をいれて勉強するだけで見る見る間に成績は上がっていきました。周りの教師が驚いた眼で答案を返してくるのが面白くて、わたしもっと良い点数が取りたいと思い始めていたのです。

 いや、違うかもしれません。分からない問題先生に聞きに行きたいがために勉強をしていたのかもしれません。先生担当教科の国語だけでなく、どの教科も教えることができ、また、教え方が上手だった。だから、分からないものがあれば、どの教科でも先生に聞きに行っていた。わざと分からない振りをしていると見抜かれてしまうので、本当に分からない問題を探し、解決していく内に、分からない問題は減っていき、どんどん難解になってしまった。わたし先生に会いたい、質問をしたい、話したい一心で、教科書に向き合っていたのです。


 たったの半年程度で、わたし順位は下の下から、上の上へと上がっていきました。先生は桁数の違う成績表を見比べて笑っていました。その彼の横顔を見ながら、わたしは少しだけ、意地の悪い考えを抱いてしまいました。言わなければ、幸せでいられた言葉を言ってしまったのです。


「1位を取ったらデートしてください」


 先生は、びっくりした顔でわたしを何秒か見つめた後、視線を宙に泳がせました。「お願い」。そう、一歩前に出たわたしから距離を開けるように後ずさり「1位は難しいよ?」と苦笑いしました。「無理だと思うなら、約束してください」。その時の彼の脳内には、きっと、学費免除をされている学年主席優等生の顔が浮かんでいたのだと思います先生は意を決したように「いいよ、ただし、全教科合計順位で」と小声で告げました。


 300人いない程度の学年でも、1位を取るのは簡単なことではありません。優等生は、わたし学校でも飛びぬけて頭の良い少女でした。しかし、わたしには彼女に負けない思いがある。恋心です。

 わたしは、先生とのデート権利をかけて彼女一方的勝負を挑みました。彼女の苦手科目であった生物攻略することで、大幅に点差をつけたわたしは、僅差で勝つことができました。学年末試験の結果が書かれたA4のペラ紙を持って、勝ち誇った笑みを湛えながら職員室に飛び込んできたわたしを見て、先生は少し罰の悪そうな顔をして「おめでとう」と返しました。



 誰かに見つかるのは避けたいと提案された場所は、あろうことか先生の自宅でした。少し驚きましたが、恋は盲目状態だったわたし先生からメールが届いた瞬間、秒速で返信しました。春休み、まだ蕾のままの桜並木を見ながら、ミスタードーナツの袋を下げて、先生の自宅への道を歩みました、人生で1番幸福な瞬間でした。私服姿の先生想像の何倍もおしゃれで、部屋も黒を基調とした、かっこいいものでした。

 わたしたちはドーナッツを食べながら「教師と生徒」という禁断の響きに似つかわしくないほど、平凡で下世話な話をして盛り上がりました。教室内のヒエラルキー職員室内のパワーバランスも変わらず馬鹿らしいと腹を抱えて笑いあいました。先生が録画をしていた、ただ絵面だけが派手な洋画を見ながら、作品とは全く関係ない話に興じました。


 映画を見終わった頃、先生が不意に真剣な表情で聞いてきたこと、その声音を、わたしは忘れることができません。「俺のこと好きなの?」。いつも飄々としていた先生が、こんなに真剣になるのを見たのは初めてでした。報われぬ片想い今日最後にするつもりだったわたしは、笑顔で「大好きです、結婚したいみたいな意味で好き」と頷きました。次に出てくる、哀れで馬鹿な生徒の恋心を突き放す言葉に怯えながら。

 しかし、先生の口から発せられた言葉は、予想の真逆をいくものでした。わたしのことがひとりの女性として好きなこと、これからもこうして会いたいこと。しかし、くれぐれも周りの人に気付かれてはいけないこと、それが守れなくなった時点で離れたいこと。彼の話していた言葉はよく覚えていませんが、約束事の多さだけは覚えています。「教師と生徒」の恋に怯える先生気持ちを手に取るようで、その真剣眼差しに促されるように、わたしは「はいはい」と頷いていました。

 先生が、なぜわたしのことを好きだったのかはわかりませんが、彼はよく「愛に飢えててかわいそう」とわたしを評しました。両親も健在ですし、人並みに可愛がってもらえていたはずですが、わたしは両親との関係性というものがどうしても希薄しか感じられなかった。そんな姿が、愛に飢えているように見えたのかもしれません。彼は小さなから過剰な愛、過干渉を受け育ったそうです。だから、その与えられすぎた愛を持たざる者(と彼が思うもの)に受け渡すことで、バランスを取っていたのかもしれません。


 先生わたしは、密かに逢瀬を重ねていきました。学校では、若いお気に入り教師に熱を上げる馬鹿な生徒を演じ続けました。その一方で、2人で会う時のわたしは、あまり騒ぎませんでした。先生に似合う、大人の女性に早くなりたかったので、静かに、黙っていました。

 高校生になり、バイトを始めると、わたしの身なりは少しずつ「ちんちくりんな子供」を脱却し始めました。大人になるにつれ、彼の熱が上がるのを感じ、気分が良くて仕方がなく、その感覚を味わう度に自分の箍が外れていく気がしました。己のアイデンテイティがうまく掴めなくなり、自分子供なのか大人なのか分からなくなる瞬間が増え、ぼーっとした日々を過ごしていました。誰にも言えないまま、大人になるストレスは存外厳しく、不安に泣いた日も多かった気がします。

 そして何よりも、わたしは頭が良くなってしまった、なりすぎてしまった。あんなにも尊敬していた彼の大学の合否判定は「A」しかでませんでした。学年1位は優等生からわたしの手に移ってしまった。彼が枕元で得意げに語る知識に、目を輝かせることは、もはやできなくなり、ただ黙って薄笑いを浮かべることで精いっぱいになりました。そういったわたしの変化を感じてか、彼はわたしの「人に言えない」ことに漬け込むようになっていきました。


共犯者だよ、君も捕まる」


 そんな言葉を言われる度に、わたしの頭の中はぐちゃぐちゃにかき回され、嗚咽をあげて泣くか、へらへら笑うことしかできなくなりました。誰かに言わなくては、と思いつつも、その先に待つ破滅を考えると声が出せない。何よりも「淫行教師」と「可哀想女生徒」として衆目に晒されるのが耐えられませんでした。

 わたしは、先生のことを本気で愛していました。彼の未来は輝かしいものであってほしかった。たとえその先に、わたしがいなくても。先生がどれだけ汚い姿を見せてきても、教室の隅で燻っていたわたしを救ってくれた人に他ならないのですから。それが例え、先生の株をあげるためのパフォーマンスであっても、救いだったのですから


 物語の幕引きは、あっけないものでした。先生は、自分の罪を周囲に告白してしまったのです。2度目の冬のことでした。放課後、その曜日先生学校に来ていない日だったので、早めに家に帰って漫画でも読もうといそいそ帰りの支度をしていたわたし学年主任が呼び止めました。主任は、まるで化け物でも見たような、恐ろしい、それでいて悲しそうな目でわたしを見ていました。すべてを察しました。

 先生は、主任校長にだけわたしたちの関係告白しました。校外で2人で会っていた事実を認め、これ以上関係が深くなる前に学校を去りたいと告げたそうでした。主任校長は、わたしに深く頭を下げました。そんなことしてほしくないのに、する必要ないのにと焦るわたしを2人は涙を堪えた目で見上げてきました。そして、痛切な表情で「肉体関係はあったのか」と問うてきました。「ありません、断じて」とだけ答えると、先生たちは泣き出し、再び謝り始めました。わたし校長室の分厚い壁が、この大きな泣き声を外部に漏らさないかだけが心配でした。


 先生からはその数日後、直接、学校を去ることを告げられました。彼は、わたしが嘘をついたことを責めました。勝手な生き物だと、少し幻滅したのを覚えています一方的に罪を告白し、逃げ出すのはルール違反だと怒りたい気分でした、しかし、解放されたがっている自分がいたのも、また、事実でした。わたしたちは主任校長に話したこと「だけ」が2人の間にあった関係であることを確認会話し、男と女関係を辞めました。

 先生わたしは、3学期中をいつも通りに過ごしました。終業式で言い渡された先生退職を聞き、泣いている生徒の多いこと。別れを告げ、さよならを惜しむ生徒たちを横目に見ながら職員室に顔を出さずに、わたしは去りました。先生の机に重なった書類の多さは、1日やそっとで持ち帰れる量ではないと判断たからです。

 春休みわたし毎日のように学校に通いました。先生の机が見える、職員室と質問コーナーの境目に陣取って赤本を進めました。毎日うつもりでしたが、たったの1日だけ大雨が降り、行かない日がありました。その翌日、いつものように職員室に向かうと、先生の机はもぬけの殻になっていました。わたしはその瞬間、初めて人前で叫び声をあげ、怒り狂いました。教師たちの静止の声も聞かず、わたしは何度も横に立ち、椅子にもたれかかり、無意味に引き出しを開け閉めして遊んだ、彼の机を蹴り上げました。そして、糸が切れたようにしゃがみ込み、永遠と、わんわんと小さな子供のように泣いていました。


 高校3年生の時、知り合いか先生都内の某大学で働いていると知らされました。わたしは当時の志望校よりも幾分か偏差値の低いその大学第一希望に変更し、無事に合格しました。学びたい学問でもなんでもありません、ただ、先生いるからでした。何も言わず、大雨の中逃げるように去っていった彼に、文句の一つでも言ってやりたかたからです。大学生としてあらわれたわたしを見た先生は、怯えきっていました。「お金ならあげるから」と言われた瞬間、わたしは、あの日職員室で暴れた時のように先生の鞄を投げ捨て、近くのベンチを蹴り上げました。

 なぜか彼は土下座をして、許しを乞うてきました。わたしがしたかったのは、してほしかったのは、そんなことではありません。ただ「さようなら」とだけ言いたかっただけなのです。先生は、季節が夏になる前に海外へと去っていきました、何か月か後に届いたエアメールには「許してほしい」と何度も綴られていました。

 先生は、わたしのことが恐ろしくて仕方がないようでした。大学でふとすれ違っただけで、化け物を見るような顔をして踵を返されるたびに、わたしの心は潰れました。きちんと別れを言いたいだけだったのに、いつしか、互いに恨みが募っていってしまったのです。彼はすでに日本に戻ってきているようですが、わたしは、まだ会いに行けていません。会うのが怖いのです。あの目が怖いのです。


 わたしの家には毎年、主任校長から年賀状が届きます。他の生徒には届いていないようですが、わたしにだけは届くのです。罪を共有し合う仲間ですからわたしはその年賀状に、便箋3枚程度の手紙で近況や1年の振り返りを送るのが常でした。母は、特別親しくもなかった教師への手紙を綴るわたしを眺めては、毎年、不思議がっていました。

 はじめて家を出ることになり、年賀状の送付先が変わることを告げる手紙を綴る最中わたしはぽろりと母に罪を告白してしまいました、勿論、関係については「公然事実」のみ伝えました。母は「でも、好きだったんでしょう?」と聞いてきました。そうです、わたしは好きだったのです、先生のことが。そして、今でも好きなのです。「さよなら」を言えないまま、わたし片想いの渦にまだ囚われているのです。「なら、良いじゃない、世間はどういうか分からないけれど」。そうです、他人など、どうでもいいのです。どうでもよかったのです。


 冬になり、主任校長一人暮らしになったわたし年賀状を出すことなく、立て続けにこの世を去りました。わたしのことをずっと気遣ってくれた2人は、成人し、就職が決まったことをとても褒めてくれました。彼らが、あの日以降、罪について話題に出した日は一度もありませんでした。わたしを気遣う優しい文面、文化祭に遊びに行ったわたしを出迎えてくれた笑顔、どこまでも優しい2人でした。

 2人の葬儀には沢山の生徒、教師が集まりました。その中の誰も、わたしの罪を知る者はもういません。しかし、幼き日の思い出話に花を咲かせれば、誰もが「あなたは、あの先生が好きだったのでしょう?」と聞いてきますわたしはその質問をされる度に「好きです、今でも」と答えるのです。そう答えながら、喪服姿の先生を横目で探してしまうのです。ヒールはいわたしと同じぐらいの身長、年の割にかわいい顔立ちをした年齢不詳の人。わたしは、彼がどんな姿をしていたのかも、もう曖昧しか思い出せません。一緒に撮った写真はたったの1枚しかありませんでしたし、それもどこかに消えてしまいました。

 

 はじめて会った日から、気付けばもう10年以上の月日が流れてしまいました。あの頃急速に大人になってしまったわたしは、ひどくアンバランスな心を抱えて生きていますわたしの心は未だに、あの新しいようで古ぼけた校舎に囚われたままなのです。職員室を入って右側の島、奥から3番目の灰色の大きな机、先生の足元にしゃがんで、顎をひんやりとした板にのせて、話すのが大好きな子供のままなのです。

 しかし、わたしがいまいる場所は、生きている場所は、あの箱庭ではないのです。過去の罪に囚われる時代はもう終わりなのです。だからこそ、口に出さなくてはいけないのです。だからこそ、会いたいのです。会って、言いたいのです。


 せんせぇ、さようなら


 はいさようなら


 いつか終わりを迎える日に、罪を抱えた半身の行方を知らずに眠ることが、わたしはできそうにないのです。

2017-02-10

http://anond.hatelabo.jp/20170206132420

3教科だけ勉強して下位クラス高校からでも入学できる、昨今は学力試験すら必要ない私立大学国公立大学を蹴って入学する人は数えるくらいしか居ないね

国公立大学入学辞退率 https://www.logsoku.com/r/2ch.net/joke/1310140922/ 見たらわかるけども


下宿国立大学or実家から私立大学比較で、ようやく私立大学を選ぶ人がいるくらい。

下宿国立大学or下宿私立大学比較で、私立を選ぶのは基本的には国立大学合格が無理だった点の人だけ。

http://children-money.net/moneyplan/gakuhi_college.html

2017-02-08

地域差が大きいので別の県に移動してはどうでしょう

子供の感じからすると関西の南の方にいらっしゃるような感じがします。子供が「教育委員会に言いつける」とか体罰だとか騒ぐ感じが(軽くやくざで、親もそんな感じなんだろうと思います。)

東京でも北東の方は大変だと聞きますしょっちゅう警察にお世話になる子供とか色々いて。

でも同じ教員でもそういう目に合わない地域もあります。何十年も教員をやっていてもそういう子供に当たったことがないという知り合いが何人もいます子供の中でのいじめとかはあるけど、教員イジメるという発想が子供の中にない。

そういうところは教員採用人数が少なく、採用されるのがかなり大変です。少子化過疎化さら採用が減っていく。でも採用されるとそれなりに尊敬され、今の増田さんのしているような苦労はありません。

増田さんがそういう難関なところも合格できる、という自信があるなら県を変えてみるのもありかもしれません。

私が育ったのは教員採用されるのが難関な県で、教員になる方は結構優秀な方が多かった。偏差値50くらいの東京大学を出て地元に戻りたいからと採用試験を受けたけど不合格で、結局東京とか都市に戻って就職という人も何人も知っています

http://anond.hatelabo.jp/20170207224412

保育園に落ちた→日本×ね

保育園合格→○先生が嫌い!どうにかしろ! 男の先生がいる!やだ~!

     →若い先生がいる→小梨なのに先生なんてw信じらんないwww

     →若い先生が居ない→子どもの遊び相手ババアばっかりで子供可哀想~!

どのパターンも見てきた。もう自分で育てればいいのに。

2017-02-07

僕のすべての受験体験

http://anond.hatelabo.jp/20170206102543

これを読んで懐かしくなった。

すべて関西エリアの話です。

幼稚園受験

最初受験記憶はこれ。完全に親の力で決まる受験

高校までエスカレーター私立幼稚園で。周辺の3つの市くらいか金持ちが集まり、お母さんが派手な美人が多い。親が元女優プロスポーツ選手ヤクザ幹部みたいな人も多い。

受験対策というのはほぼ無いので、親の職業年収寄付金なんかで決まる。

受験でしたことと言えばちゃんと記憶にあるのは面接。多動気味だった僕は面接中にもう全身が痒くなって大暴れしたのを覚えている。一応それ以外にも先生と遊ぶ時間もあったから、そこでも見られていたんだろう。

うちは普通サラリーマン家庭だったがバブルで潤っていたこと、母方の祖父母がそれなりの中小企業社長だったこともあってか合格

袖の下も渡したらしいという話は後から聞いた。

キリスト教系だったので、様々なクリスマスハロウィンミサなんかを味わえたのはい経験

小学校受験

エスカレーターで上がれるところを、親の意向で母の母校を受験することに。(幼稚園は人気高い小学校は頭がわるいイメージの強いところだったので、50%くらいの園児が別の小学校に進学する)

受験対策として塾に通わされる。もちろん塾と言っても勉強ということではなく、マナーとかお作法とか創造力があるか、といった試験クリアするためのもの

ひたすら折り紙練習や、箸を正しく持って小豆を皿から皿へつまんで移動できるか、面接で受け答えできるかの練習

そして迎えたお受験日。事前の練習通りやったし、面接もなんとなくだがよく喋れた記憶がある。しかし、結果は不合格。後の親の感想によると、サラリーマン家庭であったことと年収

中学受験

小学校公立に入ることになった僕だが、小2から学習塾に通い出す。小3の夏期講習をきっかけに進学塾へ。

小5の終わりまでは灘クラスにいたものの、常にその中の最下位だったのでワンランク下のクラスへと変更。あと、僕自身の二度と受験したくないという意向を受けて大学までエスカレーター中学第一志望に。

エスカレーター高校までの滑り止め中学合格したものの、第一志望は不合格

正直なところ第一志望は余裕で問題を解けていたが、珍しく内申点を重視する学校だったことが仇になったんじゃないかと見ている。なんせ受験反対派の先生クラス受験のために小学校休みまくっていたので。

高校受験

先述の通りエスカレーターのため無し。

大学受験

普通にすごしていたものの、怠けまくったせいで中学受験第一志望だったところ大学がD~E判定という状態で高3を迎える。まぁ一年留年するか〜と思っていたところにネットAO入試を知り先生相談

さすが私立高校ということで当時は珍しかったAO対策室みたいなところがあり、そこの指導のおかげで、中学受験第一志望だった大学と同ランク大学合格

人生史上一番苦労していない受験

就活

元々行きたい業界は決まっていたので、ちゃんと早めに3年の夏のインターンから就活を開始。3つほどインターンに参加し、そのうちの第一志望だった会社からかなりの早期に内定をもらう。

通常の就活より相当早めのいわゆるインターン裏枠選考だったため、そこで就活終了。なのでちゃんとした就活はしないまま終わった。そして、今も最高の会社だなと思いながら働けている。


うん、やっぱりちゃんと早めに受験対策してりゃ、いい人生送れると思うんだ。

2017-02-06

大好きなセンセのために汚名返上したい

http://anond.hatelabo.jp/20170204214653

私はジョシコーセーなんだけど、まああと1ヶ月でそれも終わるってことは置いといて

この記事書いた元増田先生とあまり話した事が無かったのでは。

正直、先生無能なのは当たり前で、この場合無能っていうのは増田が思い描く未来にどうしたら効率よく到達できるかを教えてくれないという意味での無能

クラスには40人近くの生徒が居て、大学行く人、就職する人、専門学校ほとんどの生徒が目指す場所が違うのに、全体に向けて「Fランでも大学出ないと詰む」とか言ったら問題になるし。

死ぬほど就職したい企業があって、学校がその企業への就職支援が手厚いとか、女の子だったら結婚するつもりだからすぐ就職して結婚して専業主婦だとか。大学に行かなくていい理由なんて探せば死ぬほどあるし、行かなくても幸せなるなんてよゆーな人もいる。

でも増田が思う幸せ、というか理想未来に届くためにはFランでも大学卒業する必要があっただけの話。

で、そこで増田大学出といた方がいいよ!て言うのは、教師というよりも信頼できる大人の方が正しいかなあ、学校という枠組みから出て、国公立合格率とか気にしない、自分に合わせて話をしてくれる自分より人生経験のある大人なら教師でも塾の先生でも親でも先輩でも誰でもいいし、自分から聞こうという意思もないのに教えてくれなかった…と嘆くのはお門違いだと感じる。

あたしの場合それが担任じゃない先生だった。だから教師という職業糾弾するのはあたしのセンセーに免じてやめて欲しいなあと思った。

http://anond.hatelabo.jp/20170206012952

からコメだけど、満州人官僚ニアミスだよー

西洋では、公務員試験合格する為に填め込み教育を受けている者や、時代遅れの発想を振りかざす官僚諷刺して「マンダリン」と呼ぶ。」

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%AA%E3%83%B3_(%E5%AE%98%E5%83%9A)

じゃないかな。

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ついでに記事内容に触れておくと、ちょっと拗らせすぎだよねぇ。東大生なんて半分くらいはアホだってみんな思ってるし、「マンダリン」って呼んじゃったりする感じの蔑視感覚はそれなりに流通してるんだから、そんなにプンスカするなよヨシヨシって言ってやりたくなる。

中学受験体験

小6の息子がめでたく中学受験を終えたところ、通っていた塾から受験体験記」の執筆依頼が来たのだが、1200字程度で収めないといけないらしく、思いの丈の全ては到底書ききれないので、その下書き代わりにこちらに字数制限なしで書こうと思う。

それに、どれだけうまく1200字に収めようと、自分がこれから書く内容はきっと塾の受験体験記集には採用されないので、せっかく書くのに日の目を見ないのも切ないという事情もある。

公立派 vs. 私立

そもそも自分中学受験必要性を何ら感じていなかった。気軽に通える範囲私立中学などない田舎で育ったし、気合を入れて遠距離私立中学に通わせようとなどという教育熱心な家庭でもなかった。

通った近所の公立中学は荒れていた。不良な上級生が授業時間中に教室外にたむろして騒ぎを起こし、先生一同でそれに対処するために授業が中止になることや、校内を卒業生バイクで走り回るなんてことはザラにあった。

力の強いやつが偉い、という暴力的世界ではあったし、自分クラスで一番のチビというハンディもあったが、それでも気の合う友人もできたり、部活に精を出したりと、自分なりに楽しく過ごせた3年間だった。

その後も地元では一目置かれる県立高校に進学できたし、大学東大京大ほどではないが、世間的には高く評価されるところに現役で合格することができた。

自分自身がこのように特に不満のない経歴をたどることができたので、公立中学に対するネガティブイメージもなく、息子についても近所の公立中学への進学で何の問題もないと考えていた。

しかし一方で妻は私立派であった。

私立派と公立派は基本的には分かり合えるものではないと思ってる。何しろ、1人の人間私立中学と公立中学の両方に通うことは基本的にはないのである公立中に通い、そこでの生活に満足した人は公立派になるし、不満足ならアンチ公立派=私立派になる。私立中に通った人も同様である。両者を公平かつ客観的比較するのは難しく、どうしても主観が入り交じる。

塾に通うきっか

4年生の終わりくらいに中学受験のための塾に通う話が持ち上がってきた。自分公立派ではあるが、それでも塾に通うことに反対はしなかった。

先に述べた通り自分田舎の狭い世界で育ち、教育熱心な家庭でもなく、例えば東大のような高い目標を目指したりすることもなかった。

息子は幸い勉強の才能に恵まれ、昔の自分よりは頭が良さそうなので、ぜひ広い視野と高い目標を持ってもらいたいと願った。中学受験塾は、頭の柔らかい小学生のうちから高度な勉強をして脳みそを鍛えたり、世の中には自分よりも頭の良いやつがたくさんいることを知るのには良い場所だと思ったのが、塾通いに反対しなかった理由だ。

最終的に私立中受験するかどうかは自分にとって重要ではない。勉強するだけ勉強して、受験せずに近所の公立中に進んだって何の問題もないと本気で思っていた。

そして中学受験

しかし息子本人はやはり段々と私立派に感化されていった。母親絶対私立派、父である自分公立肯定派ではあるが私立別に否定はせず、そして当たり前なことに塾に通う友達はみな私立派。塾の先生は...言わずもがな

仕方ない、分かった。私立に行くのは構わない。で、どの学校に行きたいんだ?

息子は御三家と呼ばれる男子校一角名前を挙げた。

受験方針

当時の息子の塾での成績からすると、その学校ちょっと高望みであった。一方、自分が見込んでいる息子の潜在能力からすれば、合格レベルに達することは可能だし、追い込んで勉強させれば御三家を超える最難関中学すら可能性はあるという思いもあった。

しか偏差値の高い学校に入ることに何の意味があるだろう?

聞くところによると私立中学の人気というものは、どうやら併設の高校東大合格者数の増減に大きく影響されるらしい。しか自分の考えでは、東大合格者数に大した意味はない。難関私立中高の東大合格者数が多いのは、教育力が高いからではなく、東大合格できる素質を持った生徒を選抜するからである。それにどれだけ多くの同級生東大合格しようとも、その中に本人が入ることができなければ、その指標には何の意味もない。逆に、素質があって、実力を高める努力を怠らなければ、どの学校に進学しても東大は狙える。

何はともあれ、私立受験が不可避となった段階で、自分

  • 「無理はしない」
  • 学校選びには口を出す」

という2つの基本方針を立てた。

無理はしない

中学合格した直後が自分人生ピークでした」という話しをいくつか聞いたことがある。親が積極的に介入して受験勉強に追い込み、より難易度の高い学校合格させることはできたとしても、それで燃え尽きてしまっては何の意味もない。

勉強というものあくまでも自主的にやるものである

本人がやる気になるような声掛けや仕掛け作りはしたが、無理に勉強させることはしなかった。そもそも教育熱心な母親というもの一般的に「勉強しなさい!」と口うるさく言わずはいられない生き物なので(偏見)、そこで父親まで同じことを言ってはいかんだろう、という思いもあった。

人生ピークはもっともっと後に来なければならない。そのためには中学受験とき限界まで追い込む必要はなく、いくらかの余裕をもって終えるくらいがちょうどいい。

学校選びには口を出す

いや、まあ、普通の親は口を出すものだとは思うけれども。

息子が御三家校に行きたいという理由は、本人に言わせれば「文化祭見学して自由雰囲気が気に入った」ということらしい。しか文化祭体育祭というのは「特別な日」であり、それだけ見てその学校のことを理解するのはほぼ不可能である

だいたいその理由すら本当かどうか怪しい。たまたま一番最初見学に行ったのがその学校だったので、一番強烈な印象を受けたのかもしれないし、母親が勧めたのを鵜呑みにしたのかもしれない。あとは塾の同級生である。親から刷り込まれ学校観を友達披露するような子もいたのではなかろうか。

いずれにせよ、中学受験において男女御三家というのは正義である

しか公立に行けば払う必要のない大金を払わされるこっちの身からすれば、偏差値ステータスなんてものには何の興味もなく、払うからには最も高い実利が得られる学校を選びたいと思うのは当然である

息子本人が言う志望校なんぞ当てにならん。行く価値のある学校自分で見極めることにした。

学校説明会に通う日々

6年生の春になってから候補となりそうな中学学校説明会にはことごとく足を運んだ。普通はもう1年くらいは早くこういうことをするらしいが、まあその時は自分中学受験に興味を持っていなかったので仕方ない。

学校説明会では目から鱗が落ちる思いをした。

正直言うと、それまではどの学校も大した違いはないと思っていた。しか校長の話しからは教育に対する信念や熱い思いが伝わってきたりこなかったり、個性的カリキュラムを持つ学校があったりと、それまでの自分の考え方は誤っていたことに気付かされた。

なるほど、これが私立か。

確かに高いお金を払ってでも通わせてやりたいと思う魅力的な学校がいくつかあった。難易度も低くはないが、届く範囲。そして息子の志望する御三家校は、魅力的ではあるが上位ではなかった。

学校選択プレゼン

さあ、本人を説得だ。

仕事クライアントを説得するかのようなプレゼン資料を作り、リビングテレビに映して、自分の気に入った学校誘導するプレゼンを行った。

学校選びに関する様々な観点提示し、各候補校のメリットデメリット説明した。内容を正しく理解すれば、自然自分の勧める学校第一志望になるはずの渾身のプレゼンである

そしてプレゼン終了後に改めて息子に志望校を尋ねたところ、あっさりと従来から御三家校の名前を挙げた...。自分プレゼンは何の効果も発揮しなかった。

説得を諦めるわけではないが、気分良く勉強してもらうために、ここはいったん退くことにした。最後最後に説得が成功すればいい。

勉強の日々

夏休みが明けると生活受験一色になった。1年生から続けていたスポーツクラブは休部した。塾通いはそれまでは平日2日+土の週3日だったのが、日曜も加わり週4日になった。

しかし、塾以外での勉強時間特別に多いわけではない。多くのアドバイスによると、朝は早起きして勉強すべし、と書いてあるが、それは結局無理だった。息子はどうやら夜型人間で、夜は11時、12時まで勉強して、朝は学校に行くギリギリ時間まで寝るというスタイルに落ち着いた。自分も夜型だから理解はできたし、それも個性だと割り切ることにした。

テレビマンガもちょこちょこ見ていたが、それこそが必要な「余裕」だと思い、特に勉強に追い立てるようなことはしなかった。(自分は。妻は別。)

ちなみに中学受験は親子の二人三脚、とはよく言われるが、生活面はともかく、こと勉強に関して言えば完全に塾と本人任せ。机に向かっている間、何の勉強をしているのかも知らない有様。

しかしそれが功を奏したのかどうかは分からないが、塾での成績は徐々に上昇してきて、10月から御三家校を完全に射程に捉えた。

その後は概ね合格圏内キープ、上昇ペースが予想よりも2ヶ月ほど早かった以外は、ほぼ自分見立てた通りのシナリオだった。

そして本番

第一志望は相変わらず御三家校だったが、第二志望は父に義理立てしたのか、自分お勧め校ということになった。加えて第三志望群に何校か。

この中で最も試験が早いのが第二志望の学校。定員が2つに分割され、試験は2回実施される。1月中に行われる1回目で合格することができれば、後はもう第一志望を受けるだけでよくなり、その後のスケジュールが非常に楽になる。

が、残念ながら不合格

さすがに本人も多少はショックだったようだ。しかしここは切り替えが大事

「失敗というのは、そこから学びがある限りは失敗ではなく、次の成功必要過程ひとつになるのだ。この不合格をそうできるかどうかは、この後の頑張り次第だぞ。」

そして迎えた2月1日からは怒涛の試験ラッシュ

2月1日

午後に受けた学校は当日夜にインターネット合格発表があり、めでたく合格!この学校自分評価は高く、本人もかなり気に入っていたので一安心である

なお第一志望校合格発表は2日後の2月3日午後。

2月2日

お勧めの第二志望校に二度目のチャレンジ合格発表は翌日朝。

午後校は当日夜の合格発表で、こちらは合格

2月3日

受験会場まで息子を送り届けてから少し経った頃に、前日の第二志望校合格発表時間がやってきた。緊張しながらホームページを開く...息子の受験番号を探す...

うーむ、残念!父の目論見はここで潰える。

実のところこの学校偏差値的には第一志望の御三家校よりも高いのである。ここを第一志望にして対策してきている受験生がたくさんいることを考えると、こっちは過去問ちょっと問いたくらいの準備で、まあ仕方のない結果ではある。

そして第一志望校合格発表

午前の試験終了後、息子と昼食を取り、気を取り直して向かうは第一志望校合格発表。これまでの合否確認はすべてインターネットだったので、実際に掲示板を見に来るのは本人も自分も初めてである

緊張の一瞬。

遠くから掲示板を見つめていた息子の顔が一瞬ハッとする。あれは自分の番号? 遠くてよく分からない。人混みをかき分け掲示板に駆け寄る。そして歓喜の瞬間。

合格

総括

父としては御三家校に合格したことよりも、息子が自分で立てた目標に向かって努力し、見事それを達成したことこそが喜ばしい。この成功体験はきっと今後の成長の糧になることだろう。

そして望外に嬉しかったのは、息子が「僕を塾に通わせてくれてありがとう」と言ってくれたこと。最近は塾で鍛えた脳みそをひねくれたことを言ってみたり、屁理屈こねることにばかり活用していたので、こんなにも素直な感謝言葉をもらえるとは思ってもみなかった。

また、自身合格を喜びつつも、残念ながら不合格だった塾の友人たちの気持ちを慮る言葉もあり、そこにも成長を感じとることができた。

自分としては第二志望校(父の第一志望校)不合格で、息子を説得する機会さえなかったのは少し残念ではあるが、合格した第一志望校も実のところ非常に魅力のある学校であり、本人の喜びようも見れば、きっと説得には耳を貸さなかっただろうし、自分もあっさり諦めたことと思う。

それに何より、自分がこれまで全ての場面でそうしてきたように、息子にも自分人生自分で決める権利があり、これはその第一歩だったのだ。

自由校風を大きな特徴とするその学校で、大いに自由を謳歌したまえ。

(ただし高い学費の元は取ってもらわないと困る。)

アドバイス

来年以降受験するご家庭へのアドバイスなんてものほとんどない。

息子の受験成功裏に終わったが、自分の立てた受験方針戦略あくまでもその息子が前提のものである。下の子が数年後に受験することになるかもしれないが、その子はまた違う個性を持っているので、同じ戦略は使えないと思っている。

あえて言うなら、

くらいなものである

以上、長文乱筆失礼致しました。

2017-02-03

http://anond.hatelabo.jp/20170203120002

でも、少なくとも外形的な基準社会人失格とはならないじゃん。

1つクリアしたところで合格にはならなくても、減点要素はないほうがいい。

中学受験を終えて

教える側としては受かる受からないは一期一会

両親がどれだけ知識と知性を持って良心的に子供へ接しているか合格率が段違いに上がる。

田舎天才と言われてても都内ハイスペック天才様には太刀打ち出来ないのは事実

まりは片田舎天才と、都内秀才の潰し合いなのだ

都内というか23区内だな。

  

だってそりゃ苦労してるけど、苦労の方向が違えば意味ないしそれは子供にも現れる。

住むところに妥協してないということは、親がそれだけで強い。

  

そんなことはどうでもいいとして給料がどうにも安いので俺は妥協して退職する。

教え子たちが大きくなってから搾取するのはどうにも耐えられん。

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