はてなキーワード: リスクとは
1.不純さへの疑念
「あの有名クリエイター」が亡くなった、と聞けば確かに大きな喪失感はある。
だが、自分のような一般オタクはあくまで、コンテンツを通して当該人物を知っていただけのいち消費者に過ぎない。
それはつまり、本人の存在の消失というより、その人が生み出すコンテンツがもう増えることがない、という事実に対しての嘆きに過ぎないのではないか。結局は己の損得でしかないのでは。
そのように疑ってしまうと、「ご冥福を心からお祈りいたします」とは軽々しく言うことができない。
2.消費への抵抗
SNSとは一種のUGCであり、そこに参加するということは、互いに言葉をコンテンツとして消費し、消費される関係に同意することだと思っている。
ふだんはあらゆる出来事をネタにして軽薄に笑い合っていても、人の死と「お悔みの言葉」まで消費の輪に組み込むことにはどうしても抵抗がある。
それならば、心の中だけで冥福を祈って、表面的にはいつも通りのくだらない大喜利ツイートを続けていた方が、まだしも純粋な追悼の気持ちを守れるのではないか。
死は、人間にとって最も重大な出来事の一つだ。故人の存在が大きければ大きいほど、それは残された人々を激しく動揺させる。
そんな状態で口を開けば、余計な本心や、逆に思ってもいないようなことをつい言葉にしてしまい、あとで後悔することにもなりかねない。単純に炎上の可能性もある。
安全性の点からいえば、何も言わずに済むに越したことはないだろう。
同業者や関係者など、半ば義務としてひとこと言わざるを得ない立場の人々には正直同情する。
とはいうものの、そんな小理屈は当然わかっているがそれでも何かを言わずにはいられないんだ、という意見もあるだろう。
そこまでの強い衝動が生まれないのなら、それはその程度の悲しみに過ぎないのだ、と言われれば返す言葉もない。
なんにせよ、あくまで自分はこう考えた結果として訃報をスルーしているという話であり、他人の行動を制限するつもりは毛頭ない。
皆、それぞれの形で故人を悼めばいいと思う。
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押す側の人はわかると思うんだけど、車椅子ってちょっとぶつかっただけで超痛い。
だから押す側はだいぶ神経使う。重いし。
繊細な人なんだなとか思われるかもしれないが、身内は人並に大雑把で人並に優しく人並に理不尽な人だ。
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例えば、人混みを通らなければならないとき。
介助者の自分は当然「すみません」って声をかけて通るんだけど、
乗ってる側としては「何で謝らなきゃならないんだ」って悲しくなるらしい。
そんなことで?ただの声かけじゃない?と思った。
大体人混み通るときって健常者だって「すみませーん」ぐらい言うし。
で、よくよく話を聞いてみると、そもそも「頭を下げないと道も通れないことが悲しい」というような旨を言う。
それは意味が違うと思うけどなあ…と思い、
そのときは「SorryじゃなくてPardonの意味だから、受け取り方が違うよ!」と慰めた。
そういうことを言う人でもなかったので、何となく引っ掛かりを覚えた。
よくよく考え、「そういう風に考えてしまう」こと自体が、身内の内情を表している、そんな気がした。
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金銭的に依存したいとか、恋愛的に依存したいとかは健全じゃないながらあると思うが、
『身体を動かす点において依存したい』という人間は、多分いない。だって不便じゃん。
最初は周囲に助けられてなんとかなるかもしんないけど、それがずっと、死ぬまで続くなら本当に毎日毎日うんざりすると思う。
周囲だって、毎日毎日世話することに疲れてくると思う。そう考えちゃうのも、周囲を信用できていないみたいでいやだし。
でも車椅子の人って実際こうなんだろうなと。
傲慢な人だとか、人を使役することに慣れている人なら、「でも俺は動けないし」で済むかもしれない。
本当~に一般の、どこにでもいる普通の人が突然そんな状況に置かれ始めたら、段々だんだん「申し訳ないな…」って気持ちになるのは必然な気がする。
「自分の要求のために絶対人が動かなきゃならない」が毎日毎日、この先もずっと…って考えたら、しんどくなるわそりゃ。
つまり、身内の中に蓄積された「また頼ってしまった」「また助けて貰ってしまった」という無力さと、
「それに対して自分が返せるものが何もない」という良心の呵責、周囲が自分をどう思っているかへの不安、
それらが蓄積した結果、「何で謝らなきゃならないんだ…」という最初の言動そのものになってるのかなと思った。
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いや、これはマジでよくない。と思った自分は「もっと外に出て元気でいて欲しいな」と安易に考えた。
だってずっと家にいるってことは、やっぱり生活に彩りがなくなるし、体力も筋力も落ちてくる。
これって、人によっては段々生きる気力が減退する場合もあるし、ネガティブになることも多くなると思う。
外に出て沢山刺激があった方が、色んなことが塗り替えられるじゃない。
でも、それも難しいんだよね、車椅子だとさ…。
だから多目的トイレを探さなきゃならない。で、もし使用されてたら使用が終わるまで待たなきゃならない。
車椅子用トイレが使用中で、仕方なく待つことはある。大体お仲間だったり、赤ちゃんだったりする。
ただ、10分後ぐらいに水を流す音もせず、ばっちりメイク決めたJKが出てくると流石にムッとする。
いや確かに多目的だけれども…苛つく気持ちは理性では抑えられない。
もしかしたら彼女も何か抱えているのかもしれないので口汚く言いたくはない。
かもしれないが…しれないが…しかし…世の中には多目的トイレでセックスをするアホもいたりするからな…。
健常者なら、許容できる範囲かもしれない。だってそんな苛立ちも抱えず他のトイレに行けば済むのだ。
車椅子の人だって介助者だって別に、自分に関係なければ許せるかもしれない。
そういうありもしない未来・過去がそのたびに去来し空しくなる。
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他の例だと、地方の美術館では2階に行けないこともあったし、砂利道はガタガタしすぎて危ないから通れないこともある。
外出の選択肢として楽なのはアウトレット。舗装されてるし広いから一人当たりの占有面積もゆったり。でも数は限られてるし場所によっては早々行けない。
海辺の砂浜なんて車輪がもたれるから絶対だめだ。山を登ることも、ハイキングもできない。
エスカレーターも階段も使えないから常にエレベーターを探さなければならない。
エレベーターって意外と辺鄙なところにあるから、実際探し当てるまでもかなり大変な目に遭ったりする。
一度エレベーター縛りで移動してみると、面白いと思う。それをこの先ずっと続けるとなると辟易だと思うが。
見つけたとしても、必ずしも乗れるわけではない。混んでたりするからね。
降りて譲ってくれる優しい人がいると、この先この人に今の五万倍の幸せがあるといいな!と思う。有難いことこの上ない。
実際バリアフリーは沢山あるし、色んな公的機関では配慮されてることが多い。
障害者オンリーの観覧日を設けてくれる美術館などは本当に助かる。
若ければ車椅子サッカーとかバスケとか、そういった活動もあるかもしれないが、年をとるとインドアなことしかできなくなるので。
とんでもない角度の段差の補助?だったりすると「あーっ惜しいですね」となってスルーせざるを得ない。
エレベーター行くのに遠回りしなきゃいけなかったりするし。まあ、仕方ないんだけどね。やってくれるだけ有難い。
(この「やってくれるだけ有難い」も、身内の「何で謝らなきゃいけないんだ」の一部だとは思うが…)
施設は、入場料がいらなかったり、半額になったりする。
でもまあそれは「平等なサービスを受けられないことによる減額」なのかもなと思う。
美術館だと照明が反射して、絵がよく見れなかったりする。健常者と見る位置が違うから。
コンサートなら車椅子用の席は固定で、「可も不可もない中間よりちょっと遠い席」が普通かも。
たまに逆にえらい良い席なときもあるけど。最後尾があたる可能性もないが、最前席があたる可能性はない。
本人は車椅子に乗ったまま、介助者の自分はパイプ椅子…なんてこともあった。
クラシックコンサートだったが、ずっと尻が痛かった。ちゃんとした席が横にあるんだからそっちにして欲しかったなあと思ったけど、まあ仕方がない。
「尻が痛かった…」と少し溢すと、申し訳なさそうな顔をされて「しまった」と思ったりする。
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マジで行ける分いいと思うのだ。行ける分良い。でも、ざっと書いただけでもこれだけ大変なことがある。
自分が車椅子だったらと考えると、そりゃ外出たくないよなって思う。
望んだわけでもないのに、同じサービスが受けられない。周りに迷惑だと思われているし、介助者にも迷惑がかかる。遠回りさせる。自分がいるから存分に楽しめなかったりする。そもそも、自分の行動や欲求に付き合わせている。
そういった事実によって生まれた葛藤が『何で謝らなきゃならないんだ』、ひいては『何でいちいち感謝しないといけないんだ』になるのは、わからんでもない。
そういう立場を体験していない自分が、その感情を否定することはできない。
ただ「しょうがないよね」って茶を濁して共感することしかできない。無力だなあと思う。
身内の気持ちは身内にしかわからないから、ここまで考えているか感じているか実際は知らないけど、まあ大外れではないと思う。
当初は「そんなことで?」と困惑した自分も、もう肯定するほかないなと思ってる。
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社会に生きる人間は良くも悪くも社会にある程度迎合しなきゃならないというのが個人的な持論。
人間は全員が「違う」から。違うから、お互いを譲歩し適切な距離を保って、険悪にならない距離でコミュニケーションをとる。
これは最近のトランスジェンダー関係の話でもそうなのかなと思う。
自分のすべて受け入れてほしい!と思うなら、そういう社会に行くか、新しく作るしかないんじゃないだろうか。
平和に生きてる人たちを脅かしてまで自分を押し通したいと思う人と、手を取り合いたいなんて思わないだろう。
だからまあ、身内の心情に心をいためつつも仕方ないよな、なんて思う自分もいて、
なんていうか…罪悪感じゃないけど、申し訳なさを感じたりもする。
色々人生楽しめるものを用意できるよう、無理じゃない程度にやっていきたい。
無理させてると思わせるのが一番、本人にもよくないと思うので。
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そういうわけで(?)
車椅子を押す側として思うのは、優しく見守ってくれる人がたくさんいてくれればいいなと思う。
助けてくれなくたっていい、通り過ぎたって全然良い。
舌打ちしたり、からかったり、邪魔になることはしないでくれれば。
こんなん、健常者でも当然のマナーだと思うんで、改めて言うのも変な話だけど。
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おまけ
テレビの某野外音楽フェス特集を見て「一回ぐらい行きたかったなぁ」と言われた時は「それは…無理だな…」と思った。
「そりゃ車椅子なんだから無理でしょ」って当然のように言う人はいると思う。
いや無理なんだよ。そりゃそう。無理なの。物理的に。
確かに頑張れば行けるかもしんないけど。知らないけど、配慮もされてると思う。
でも立ち見の音楽フェスに行くというハードルがそもそも高い。そこに行くまでの道程のハードルも高い。
立ち見だから見るとしても多分後ろの方でしっとり見るしかない。車椅子にぶつかると怪我させちゃうだろうし。
そういったリスクをひっくるめて考えて「無理」となる。勿論フェスを非難してるわけではない。
「金がないから無理」とか「忙しいから無理」とかと違って、「車椅子だから無理」は本人にはどう努力もできない「無理」だ。
介助人としては軽く「え!行きたいなら頑張るよ!」なんて返したりするけど、身内は難しいことを知ってるから、何も言わずに首を横に振る。
こんな無力なこと、ある?
自分はまあ行こうと思えばいつでも行ける。
身内はこの先あの景色を体験することはないんだ。と思ったら無性に悲しくなった。
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視界に入ってるだけでは何分か認識してないから、そこに視線を移して時刻の文字を認識して最初の時刻と比較する手間とそれをしなきゃと意識する必要はあるよね
結局タイマーなら必要ない何分何秒か覚える手間と時刻を目視と比較で確認する手間があることに変わりはない、しかも時間が過ぎるリスクまである
グロースなNQ100のリターンはS&P500やオルカンに劣後するのにリスクだけが高い。
なぜFANG+ではなくオルカンが良いかの理由は、長期で投資を考える場合、特定の国や企業に偏った投資は好ましくないから。データ付きで説明するよ。
特定のジャンルが流行しているときは、それが永遠と続くように錯覚するし没落する理由なんて全く思いつかないけど、歴史的にそれはない。
今回は過去とは違うと思い込んで失敗する投資家は過去に大勢いた。
どこかの1国が延々と繁栄し続けることはない。ローマ帝国、大英帝国、日本のバブルなど、一時期は世界を制覇するほどの勢いだったが、永遠と続くことはなかった。
また、特定の企業が繁栄しつづける事はもっとない。国の繁栄より短期間で終わる。
現在のアメリカやITセクターの繁栄が終わる事は容易には想像できないけど、それは多くの人が10-20年程度でしか物事を考えられないからだし、どんな原因で終わるかは予想できないから。
となると、若者で数十年間の長期投資を予定しているのならば、特定のセクターや国に偏重するのは好ましくない。
できるだけリスクを取ってリターンを高めたいなら、余裕資金をすべて株式インデックスファンドに投資するくらいが一般人の許容範囲。
レバレッジを掛ける事はさらにリスクを取る1つの手段ではあるが、人間は射幸心を煽られて不適切にレバレッジ比率を高くしてしまう傾向があるし、コストも割高になるので、ほとんどの人には薦められない。
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100年ほど前の欧州のシェアの低下や、1970年代のアメリカの株式の死の時代、日本のバブル崩壊がとても分かりやすい。
https://i.imgur.com/cRbyugc.png
5 Intl. Business Machines
6 Mobil
7 Chrysler
8 Texaco
9 ITT Industries
1 NTT
2 日本興業銀行
3 住友銀行
4 富士銀行
5 第一勧業銀行
6 IBM
7 三菱銀行
8 エクソン
9 東京電力
10 ロイヤルダッチシェル
2 NTT
4 AT&T
5 エクソンモービル
6 コカ・コーラ
7 メルク
8 トヨタ自動車
9 ロシュ・ホールディング
1 GE
2 エクソンモービル
3 ファイザー
5 シティグループ
6 ウォルマート
7 ボーダフォン
8 マイクロソフト
9 AIG
2 エクソンモービル
3 マイクロソフト
4 シティグループ
5 BP
8 ウォルマート・ストアーズ
9 トヨタ自動車
2 アルファベット
3 マイクロソフト
5 エクソンモービル
7 フェイスブック
本当はみんな、結婚して子供を作った方が人生のコスパが良いことくらい十分にわかってるけど、
そうだね。
あとはまあ資本が無くても、よくわからん田舎のボロ家に住んで片道2時間通勤して休日はイオンと公園をブラつくだけの生活をすれば子育てはできると思うけど、
さすがにそれはちょっと、という人が多いんだろうね。
「愚か者のコスパ厨が人生の幸福の本質を理解しないがために目先の楽さに囚われて子供を持たないのだ」というストーリーで少子化の犯人探しを語る保守派がいるけど、
毎度毎度「膣で気持ちよくなる女はいない」とXで書くやつがいて、男がエロ本知識で「中イキあるだろ^_^」と返して地獄にリプ応酬になっていくわけですが、100人ぐらいとセックスして理想の一本に近いのを手に入れた経験から言わせていただければ、結論から言うと膣中で気持ちよくなることはできる。だけれども条件が過酷。自分のサイズにあったチンコ。これが絶対条件。だからほぼ無理。膣トレも意味ないよ。
頭が海綿体の野郎だと「大は小をかねるんだから巨根ならいいんじゃね?」と言うんだろうが、甘い。大は小をかねない。自分のサイズよりデカすぎれば入らない、入ったとしても圧迫感しかない。気持ちいいかどうかの前にまず苦しいがくる。こうなると嫌悪感が強くなってダメ。しかも自分のサイズ基準だから、ちょっと大きいぐらいでも合わない可能性がある。小さすぎるのは論外。ちょっと小さくてもフィットしないのでアウト。膣の中の形は個人差が大きいので曲がりの勾配、右か左かそれでもフィット感に差が出る。
第一、チンコは目に見えるが自分の膣の中がどんなふうになっているか知ってる人の方がかなり少ないのではないか。私も医者にいくまで自分の膣が中で曲がっているとは知らなかった。そしてそういう人は決して珍しい存在ではないということも。膣内が長い人もいるだろうし短い人もいるだろう。チンコがあれだけ個体差があるのだからなんで膣も千差万別だと思えないのか。ガバも狭いもそれはお前のチンコと合わないせいだよ。挿入が気持ち良くないのもフィットしないチンコだからです。
こうやって書いていくと「膣イキ」できるチンコに遭遇するのがいかに天文学的な偶然に左右されるものかご理解いただけると思う。私が出会った理想の一本は童貞だったんだけど、とにかく入れた瞬間今まで味わったことがない気持ちよさで、生まれて初めてもう一回入れて欲しいと思った。こなれてくると気持ち良くて死ぬ死ぬいう人の心情がわかりすぎるほど理解できた。いままであれちょっと気持ちいいかぐらいでギャーギャー喚いてた自分がバカにしか思えなかった。まさに山岡さんに「あと2本待ってください、本当の挿入の良さを教えてあげますよ」といわれた気分だった。気持ちいい箇所を満遍なく擦り、ここというポイントからズレることがない。
それまでは挿入されると「あー入りましたかハイハイ」となり、動かされることによって摩擦で膣内があったまってキモチイイかな?→おキモチイイじゃん→イイヨーイイヨーというステップを踏んで、はいフィニッシュおつかれさまでしたーとなったのだけど、「山岡さんの究極の一本」だと、挿入されると、動かないで!となる。動かないでいるとそれだけでジワジワ腰が落ち着かない感じになり、自分で腰を動かし始めてしまう。口の中で溶け始めるチェルシーのように、甘い痺れが全身に広がる。よだれがたれそうになるがここからが本番で、快楽も苦痛に近いほどになって長い時間の果てはぐったりして起き上がれずそのままぐうぐう寝て目覚めれば「今日も一日がんばりましょう!!!」とポジティブな輝きに満ちた朝を迎えることができる。
入れるだけで気持ちいいという感覚はほんとに経験したことがなかった。
この至高の一本はLサイズのゴムを使うくらいでちょっと大きめかもしれない。普段はでかい金玉の中に埋もれているのだが有事には金玉の皮まで使って本体を表すのでなかなか壮観である。童貞だったけどいまや「甘い生活」の江戸伸介のようになり、手マンで潮吹きさせるぐらいお手のものである。才能があるということは偉大なことだ。
(ちなみに本人は全くセックスに興味がなく、30半ばまで童貞だったぐらいで、私はセックス の天才と思っているが「無駄な才能」「ゴミ」とにべもない。)
ここまで書いておきながら、ただこの一本よりさらにベストマッチする可能性があることは否定できないとおもってる。だけどこちらを手放してまた珠玉の一本を探すユアストーリーをするのはリスクがありすぎるので、今のところヨシ!としている。
グダグダ書いてしなったけれど、ちんこもまんこも相性があるので膣で気持ち良くなれなきゃ、そういうチンコだと思って双方諦めるしかない。手マンは技術なので習得できるからそっちで活路を見出すか、妥協するか、できなきゃ探しまくって◯◯人斬りのカウントを増やしていくルートを取るか。後者は修羅の道なのであまりおすすめしない。性病怖いz
結論から言うと20代と40代で取れる時間リスクは違うはずなのに、積立NISAでオルカンしか話に出ないの何か変だなって話だよ。
わー分かってるよ、
複利効果を活かす意味で手数料が低い投資信託のほうがいいんでしょ。統計的には個人運用よりインデックス投信のほうが成績良いんでしょ。積立NISAはクレカ積立で月10万、idecoは満額ぶちこんで、明治安田のじぶん積立で保険枠の節税しといて、ふるさと納税で食料品仕入れて結果的に節約しておくのがベストでしょ。知ってるよ!!!!!その話じゃない!!!
積立NISAでオルカンか次いでsp500が人気なのは、手数料が低い投資信託で、過去数十年で暴落はあれど持ち直している実績があって、アメリカ他主要国の経済成長が続く限りはノンゼロサムゲームでみんなの資産が増えるよ、引き出すタイミングで多少の誤差はあるけど、積立期間が長ければマイナスにはなりづらいよ、みたいなワケだったと思ってる。
でもこれさ、出口戦略をすぐとらなきゃいけない40代-50代のおっさん向けじゃないの?何回かの暴落を経験してもその後まで様子見れる20代-30代なら、リスク高めのNASDAQ100とかFANG+あたりでも問題無いと思うのよね。なのにオルカンやっとけばOK!オルカンなら安心!オルカン最高!ってうるさすぎ。
おじさん達は安心してもらってもいいけど、20代の若い子に居酒屋でオルカンの良さをくどくどとご教示するのはやめてほしいね。20代で投資始めた子がそれ信じて時間的資源を活かせないままオルカン積むのが良いって、思わないんだよなー。暴落見ても積み続けられる時間と余裕があるなら、リスク高めでリターン大きいほうが良いでしょ。明らかに。あのさ、おじさん達よりこの先積み立てる時間長いんだよ!
これもズレてるんだよね。
他人を巻き込みたくないのはその逆で、現状既に大きな不満があって「リスク」を抱えている人達の方だよ
umaway コスパ云々よりも、現状大きな不満がない自分の人生に他人という不安要素を組み込むリスクの回避じゃないですか
https://b.hatena.ne.jp/entry/4750770261891194944/comment/umaway
「結婚を避け、子供をもたない」ほうが人生のコスパが良い…現代の日本人に起きている"憂慮すべき変化" 「自己家畜化」が進み、資本主義の下僕になっている
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/president.jp/articles/-/79526
これホントに幸せのコスパを求めている資本主義の下僕なのかね?
本当はみんな、結婚して子供を作った方が人生のコスパが良いことくらい十分にわかってるけど、
リスクが高いのと、結婚して子供を育てられるだけの資本が無いから、
結果として、コスパの悪い、独身子無しの人生を選ばされているだけなんじゃないの。
独身子無しの人生は、とにかく、リスクが低くて費用も安くて済む。得られる幸せは小さいけど、それで満足するしかない。
裕福な人は通勤定期代をまとめて払えるので、コスパのよい通勤手段を使えるが、
貧しい人は定期代をまとめて払えないので、毎回払いのコスパの悪い手段を択ばされることになる。
みたいな感じ。
たかが80年前に特攻してた、切腹が文化的な儀式であった民族がリスク取りにいかない国民性のわけないんだよなあ
GHQの占領とか戦前の全体主義の揺り返しとか近隣諸国からの共産主義工作とかいろんな歪みの結果直近ほんの30年程度そうなってるだけで
そもそも日本の場合はリスクを取りに行かない国民性が問題だと思う
海外は自分もリスクを賭して物申す時が来るかもしれないという意識を持ってるから日本よりデモとかに優しいところはある
ただ、ぶっちゃけ論理や理屈が通ってなくて共感を得られないデモはフランスでも叩かれるよ(まぁ、そこが大事なことを知ってるから理論武装するデモが殆どだけど)
デモだから良い、じゃなくて共感できる論理や理屈がないとダメなんだよ、で、それがなかったら叩かれるリスクはどこにだってある
デモにもリスクがあり、理論武装や共感を得るというリスクヘッジをする必要があることをわかってないバカな学生運動の生き残りとかがデモなら何でも許されると思ってろくな理論武装をせず感情でデモを先導してるから問題、っていうのもある
例えばもし仮に1個の犯罪をチャラにするカードがあったとして(魔法でも良い)
何がしたいと思う?
男ならエロ系か?でもかわいそうなのは抜けない人多いと思うんだよね
あとは憎い誰かを殴るとか?
案外ヘイトスピーチとか?
爆破予告とか?
薬物はなー、捕まるかどうかって言うより健康上のリスクが怖いよな
ああ俺インサイダー取引したいわ、どこのインサイダーでもないけどな
あと車で最大速度出したい人とか居そう
器物破損とか、入っちゃいけないところに入るとかもあるか
あと全裸
____
あれ、元増田が消えとる
「定年過ぎたら犯罪犯してもデメリット無いってコト!?」みたいな投稿があったんだよ、そのアンサーな
書けるわけ無いじゃんって言ってる人、ガチっぽくて好き
犯罪者・水商売・ギャンブル・宗教ぐらいしか該当しない気がする。
一般娯楽業界は一見すると無価値だけど、遊びを通して社会の知識水準を高める知育玩具的な側面がある(漫画もテレビもなかったら言語能力の平均値は今よりも大分下がると思う)。
AVや大人のおもちゃ業界は性欲の発散によって犯罪を未然防止する機能がある(男も女も抜けばひとまず落ち着くからな)。
酒・タバコは禁酒法状態を防止するための必要悪として機能していると言えなくはない(全て地下取引でいきなりハードドラッグに行かれるよりはマシという感じで)。
観光業界は経済基盤が貧弱な地域に金を回すための導線としての意義がある(あまりにも金がない地域を作るとそこら一体がヤクザのねぐらになりかねない)。
広告業界がないと新規事業立ち上げても宣伝するルートを確保するのが難しくなる(結局金持ってる奴が強いままだけど、いない世界よりはマシには出来てるはず)。
金貸し共は資本主義に巣食う寄生虫みたいなもんだが、コイツらがいなかったら設立に辿り着けなかった会社や始められなかった事業は数多くあるので社会に貢献してる(単にタンス預金を予防することで経済回せてるってだけでも割りと助かってはいる)。
あとの業界も概ね社会に貢献しているから存在できてるって気がするんだよな。
ただし、ギャンブルと水商売が社会にプラスになっているかって言われると、差し引きでマイナスに感じる。
どっちも娯楽の一種ではあるんだろうけど、それに関わって身を持ち崩すリスクがあまりにも高すぎる。
娯楽が社会に及ぼすプラス量は元々決して高いものじゃないわけで、そこに大きなリスクが入ってきたらどうやっても総合評価はマイナスに傾くよ。