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2022-10-03

亜也子が戦死しそうで辛い

逃げ上手の若君、以前からこの中先代の乱で亜也子が戦死しそうと思ってたんだけど

今回でその説がさらに強化されてしまった

石塔に指摘されたこの二点、

・戦い方が雑でそのままではいずれボロボロになる →時行のそば最後まで戦えないかもしれない

・雫に嫉妬している →鉄の結束を誇る北条方においてその綻びとなる可能性がある

味方が劣勢になって時行を逃がす局面になった時に

亜也子が客観的判断して自分がこの先も付き従うより

自らを犠牲にするほうを選んでしまいそうなんだよな

2021-07-03

明治時代KKO(お婆さん)

松崎村の登戸の茂助という家の娘が、梨の木の下に草履を残して消息を絶った。

何年か経った嵐の日に娘が帰ってきたが、その姿は山姥のように奇怪な老婆に成り果てていた。

老婆はその夜は村に一泊したのみだが、それから毎年やって来て、そのたびに暴風雨が起きた。

村人たちは困り果て、老婆が来ないように巫女山伏に頼み、村境を封じる石塔を建てたことで、

老婆は来なくなったという。

2016-03-16

囲碁世界の縮図

囲碁ルールは、「周囲を全て囲まれたら盤上から排除される」これに尽きる。他の全ての細かいルールはこの派生に過ぎない。

その上で多くの地を囲えば勝ち、というだけのゲーム

そのシンプルから生じる多様性は、限られた素粒子が集まりわずかな規則のみで形作られる現実世界の縮図と言える。

一つ一つの石は単独では命を持たない。集まってある特殊形態を持って初めて「生きる」ことが出来る。

それはまるで、一つ一つの細胞が寄り集まって一つの生物成るさまを見ているかのようだ。

まり囲碁を解明するということは、この世界を解明するのと同じことなのだ。

その意味で、人工知能人間将棋で勝ったのと囲碁で勝ったのでは価値が全く違う。

しかし、人工知能には弱点もあった。石塔しぼりという中級者でもわかる手筋がわからなかった。

人智を超えた強さを持ちながら、素人レベルの手筋が理解できない。

不成や入玉という特殊ルール対応できなかった将棋とは質が異なる。石塔しぼりはシンプルルールからはみ出したものではない。単に人工知能が気付けなかっただけだ。

そのアンバランスがなぜ生じるのか、は示唆に富む。

人に簡単に出来ることを人工知能にさせられないのは、人自身がなぜそれが出来るのか、その仕組みが分かっていないからだ。

人工知能を知ること、そして囲碁を知ることは、人自身を知ることに帰着する。

ディープラーニングだけでもここまでの能力確認できたわけだが、それ以外にまだ人間しか持っていない、簡単なシステムがあるのだろう。

それを理解し、人工知能に導入すれば、さらに大きなブレイクスルーが起きる。

そのような大きな夢を見ることのできる、貴重な機会だった。

人間には勝ったが、まだ強化を続けて欲しい。

人でなくて良い。

神の領域に近づいた碁を、その知能をもっと見たい。

2016-03-03

[]日本大邸宅の庭の置物として売られていった…高麗初期の石塔が80年ぶりの帰郷

1935年、無断で日本に持ち出される…所蔵者を説得して韓国

朝鮮の石造の品が人気だった植民地時代違法な持ち出しの規模は把握されず


1935年11月26日東京上野公園で大規模な展覧会が開かれた。

タイトルは「時代民芸石灯籠展覧会」。

日本朝鮮陶磁器や木製の器具など2500点、石造の品100点、織物350点が展示された。

見事な美術品の間でひときわ目立ったのが、朝鮮から渡ってきたさまざまな石造の品。

高さ2.9メートルもある「新羅三層石塔」をはじめ、朝鮮の石灯、小型石塔、石人などが人気を集めた。


世界的な骨董(こっとう)商だった山中商会が主催したこの展示は、実は売るために物を並べた競売展だった。

山中商会は図録で「数年にわたって収集した朝鮮古代の各種石造物を展示し、見どころを豊かにした」と宣伝した。

最初の二日間はVIPを招待し、続く三日間は一般に公開、ほとんどの品を売り切った。

威風堂々たる「新羅三層石塔」は11月28日、ある日本人コレクターに売られた。

そのコレクターは、佐賀にある邸宅庭園石塔を運び、生涯これを鑑賞した。

当時一緒に購入された朝鮮の石灯や石人などは、駐車場などあちこちを飾った。


植民地時代に無断で日本に持ち出され、80年にわたり個人宅の庭園の飾りと化していた三層石塔が、故国に戻ってきた。

学古斎ギャラリーの禹燦奎(ウ・チャンギュ)代表は「10年かけて日本人の所蔵者を説得した末に購入し、昨年11月韓国へ持ってきた」と語った。

石塔研究している檀国大学のパク・キョンシク石宙善記念博物館長は「新羅の塔と誤認されたが、新羅塔の様式継承した高麗初期の石塔。堂々としていて素晴らしい比例の美が際立ち、新羅から高麗に至る過渡期的な建築様式が生きている秀作」と語った。

石塔運命は数奇なものだった。

朝鮮のどこにあって、いつ持ち出されたのか、正確な記録はない。


『石造文化財、その受難歴史』の著者、チョン・ギュホン氏は「朝鮮において塔や仏塔宗教的意味合いが強い上、村の象徴などとして尊ばれており、個人の所有物だとは考えられなかった」と語った。

また、石塔研究しているシン・ヨンチョル梁山市立博物館長は「贈り物としても数多く海を渡った仏像仏画とは異なり、日本にある韓国の石造の品のほとんどは、植民地時代違法に持ち出されたもの」と語った。


当時、日本では朝鮮の石造の品を「観賞用」として購入し、庭園に据えることが流行した。

石造りの物への需要が爆発的に増えたことを受け、士大夫知識人官僚階級)の墓にある「魂遊石」まで持ち出したという。

1933年11月大阪で開かれた山中商会主催競売展では、澗松チョン・ヒョンピル(1906-62)が日本のある財産家と最後まで競り合って「統一新羅三層石塔」などを買い入れた-という逸話もある。


現在日本韓国石塔がどれだけあるのかについては、おおまかな数字を把握することも困難だ。

1965年の「文化財および文化協力に関する協定」で返還された文化財の中に石塔類が含まれなかったのも、ほとんどが個人の所有だったから。戻ってきた「高麗三層石塔」は現在ソウル市昭格洞の学古斎新館横に立っている。

引用ソース

http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=shm&sid1=103&oid=023&aid=0003148851



>>植民地時代に無断で日本に持ち出され、80年にわたり個人宅の庭園の飾りと化していた三層石塔が、故国に戻ってきた。

>>石塔運命は数奇なものだった。朝鮮のどこにあって、いつ持ち出されたのか、正確な記録はない。

矛盾認知できない」という病気


>>1933年11月大阪で開かれた山中商会主催競売展では、澗松チョン・ヒョンピル(1906-62)が日本のある財産家と最後まで競り合って「統一新羅三層石塔」などを買い入れた-という逸話もある。

チョン・ヒョンピルとは朝鮮人と思われる。

1933年というと日韓併合の真っ最中

そのころの朝鮮人はひたすらニッテイに収奪され、創始改名強要され、過酷植民地支配にあえいでたのでは?

なんで競売普通に参加してるのか?

矛盾認知できない」という病気

 
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