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はてなキーワード: 受け手とは

2017-05-21

否定から入る人

スーパーエンジニア職場に居た。彼は高い学歴留学シリコンバレーで名の通った企業での開発経験

バグも無く、誰もが認める美しいプログラム。彼のコードを読んでは勉強する日々だった。

チームのあるエンジニア心療内科に通い復帰すること無く退職した。

ダウンするまで、自分否定されるのが辛い。と上司に幾度もアラートをあげていた。

それを機会に、エンジニアが幾人も抜けていき、リソースが足りず派遣プログラマ頼りの現場になってしまった。

派遣プログラマに今年からプログラム始めたばかりなんッスよー、というウェーイ系な人がいた。

ホスト業がキツくなってなぜかプログラマジョブチェンジした彼は、

契約が終わる際、スーパーエンジニアのことを指摘した。

スーパーエンジニアさんって、何でも否定から入るじゃないっスか。

「これはクソプログラムだ」とか「設計ダメだ」を何百万回もききましたよ

あとオレって繊細じゃないっスか?だから、話したりすると人間否定されてる感じがガンガンして

あんな感じの人がマネージャーって肩書きだと、ぶっちゃけキツいっすね

きっと悪い人じゃないんスけどねーw

(だいたいこんな感じ)

そう、彼は悪い人ではない。ただそのキャリアから自然に何でも否定から入ってしま

それが受け手によっては人間性をも否定し壊していることに全く気づかないでいた、かもしれない。

何かの機会に彼に話をしようとしたが、そのスーパーエンジニアさんが先に心を壊ししてしまい、退職してしまった。

次は僕が否定から入る人になる順番かもしれない。

2017-05-20

http://anond.hatelabo.jp/20170519152221

こういう風に見ると増田に味方したくなるな

折角こっちが旦那の帰って来るのに合わせてご飯を炊き上げて、おかずも出来上がってすぐ出しているのに、いちいち熱いと文句をつけて冷ましてから食べる。

特にこれ。

妻の違和感ていうかむかつくポイントここだよな。

「せっかく」っていう程度には労力を掛けてるのに、しか受け手の注文は断じて聞かない。

受け手個別ニーズはどう説明されても理解しようとせず「いちいち文句つけてる」という処理になる。

書き手増田に反感持って書いたんだろうけど

逆にこれのおかげで増田が何故あんなに苛立ってるのかわかったぞ。

要するに妻側は「こんなにしてあげてるのに」という自分感情だけで何かをする人で

そのアクション受け手気持ち人格無視する人なんだ。これたまに居る。

このタイプって最初は親切ないい人に思えるけど長く付き合ってるとキツい。

2017-05-15

http://anond.hatelabo.jp/20170515080202

受け手目線というものを軽視しているか、それか受け手の側の立場物事を考える事をできない

必ず整合性から入ろうとする不思議

『未知の恐怖』を描けない現代

映画ゲーム作品等で、「未知の恐怖」を謳いつつ、現代人は少しも未知の恐怖を描けていない

何故だろうか…

「未知の恐怖」といううたい文句は頻繁に使うけど

作品内では必ずその対象が、見てる側、受け手たちに、把握できるように設定をすべて教えてしまう癖のようなもの

受け手からみた、情報の受け取り方、視点目線、を少しも理解していない気がする

必ず全体像から入る癖

本当は受けてから見たら把握できる僅かな情報をつないで理解するようなもの

全体像から入って描写するような癖を持っている

要するに最初からネタバレしてから「これは未知の恐怖です」という

何ででしょうか?

2017-05-13

ワンオペ育児を「美化している」?

当該CMブコメ欄やツイッターでも散見された、「ワンオペ育児を美化している」という意見

ムーニーのCMに感じたモヤモヤしたものの正体と、あれがリアルだと感じるお母さんに伝えたいこと。 - スズコ、考える。

美化したい気持ちもわからなくもないけど、でも、なぁ。

良くも悪くも今もそれが自分も直面している現実であって、美化したり感動ポルノに仕立てていたりするCMよりよっぽど好感が持てた、と教えてくださった。

なるほど、と思った。

結局、美化してるかしてないかどっちだという意見なんだろう。

2つ目の引用は別人の発言らしいから、このエントリ主は今もあのCMを「ワンオペ育児の美化」と捉えているんだろうか。最後コピー<その時間が、いつか宝物になる。>が現状のワンオペを「否定まではしていない」程度ならいくら同意できる。

けど「美化」とまで言えるとは私は思えない。このCM意図は、辛い現実にただ「寄り添う」ことじゃないのか。舌鋒鋭く批判したり、頑張ろう改善しようとハッパをかけるだけが「寄り添う」ことではない。むしろ、今つらい人に対する態度としては批判や声高な応援ご法度で、「私はあなたのつらさを知っている、理解している、ここで聞いている」とただ伝えることが最善であったりする。

確かにCMには「もっと部屋は散らかっていて、もっと髪も振り乱していて、もっとボロボロ」な姿は出てこないかもしれない。でもそれなら、現実ママの大半はあんな広い部屋には住んでないかもしれないし、役者さんのように美人ではないかもしれない。夫のいないシンママかもしれない。フィクションとしてのリアリティは、リアルのものではありえない。必ず作為存在し、意図が仕込まれる。

この手の炎上案件問題にされるのは大抵が「意図しなかった意図である。「リアル日常を描き、応援したいという思いだった」(http://www.huffingtonpost.jp/2017/05/10/unicharm-cm_n_16524060.html)つもりが、「本当はワンオペ育児を美化する意図があるんだろう」と受け取られる。moms don’t cryという楽曲名が「母親は泣くなというつもりか」と受け取られる(実際のところは知らないが、一般的に考えればこれはヒラリー・スワンク主演の映画Boys Don’t Cry』のもじりじゃないかと思うのだが。ちなみに同作の主人公性同一性障害であり、タイトルは当然ながら「男の子は泣くものじゃない」というようなよくある抑圧への反抗でもある)。

私は長々と、表現の話をしている。なぜならこれはCM映像という表現への反応から湧き起こった議論からだ。現実育児環境についての議論とは、どちらがより重要ということではなく、違うのだ。しかし、冒頭のエントリでは「CMによって抉られた古傷」に関する語りが多く、映像表現への批評は途中から影を潜めてしまう。あのCMのどこがワンオペ賛美であり美化なのか、「肯定してはいけない現実」を肯定していると見えるのか、どの表現がどのように問題であるかは語られない。楽曲か、カット割りか、役者の選定か、舞台設定か、照明か、コピーか、フィクションに込められたどの意図が読み違えられたのか。

CM批評をしたいんじゃないんだ、現状のつらさをなんとかしてほしいんだ、という意見もあると思う。でもそれならCMへの批判を通して伝えるべきではないんじゃないのか。現実育児環境のここが問題なのだ、と直接に論じればいいだけではないのか。CMへの批判CMへの批判しかなく、現実の諸問題改善する糸口としては遠回りすぎるし、なによりずれている。表現への批判現実の諸問題改善するきっかけになることがしばしばあったとしても、最初からそれを期待して表現を的に据えるのは手段が間違っている。CMを端緒とした議論であればまず問題視すべきはその表現であり、現実への対応は別の話だ。

エントリ主や、他のモヤモヤを感じた論者が話したいのはどっちなのだろう。CM表現問題なのか、現実育児環境に関する議論なのか。別の問題である二者を混線させてはいいか。その対応はむしろ無力感を増幅させる方向へ働きはしないか表現現実へ、現実表現へそれぞれ影響を与えうるが、別物を同一とみなすのリテラシー問題になる。

私はこれを表現に関する議論として読んでいるから、ユニチャームが意図説明しなければならなかった結果を残念に感じる。それは表現の多様な読み方を否定するものから表現への批判自由に行われるべきだが、批判をしていると思い込んでいる受け手が実際に気にしているのが表現のものではないのだとしたら、議論はずいぶんな徒労だ。

美化している、賛美しているという批評言葉を、私はもっと詳しく知りたい。批評表現可能性を拡大するものだ。様々な読み方が可能だと知ることは、表現もまた様々な形を取りうる証拠になる。しかしもしあれらが批評言葉ではなく現実問題に対する心情の吐露なら、使う言葉が違うのではないかと思う。まあその言葉もまた表現一種ではあるわけで、私のような者にこうして「意図しない意図」を探られることもある。ただし使う言葉を選ぶことで読み取りエラーは減らせるのだ。だからこそ表現問題があるなら適切な批評がなされてほしい。

この文章もまた、「育児の大変さを矮小化しようとしている」等と読まれるかもしれないが、そういった意図はないと事前に宣言しておく。

2017-05-12

archive

アーカイヴはただ記録する。その声を聞けとまでは言わない。聞くかどうかは閲覧者にゆだねられる。アーカイヴ価値基本的にはその編纂手法によって決定されるのだが、より厳密には、その価値は送り手と受け手関係性の中に存在する。アーカイヴはそれを、ときには時空を越えて繋ぐ。

http://anond.hatelabo.jp/20170511121418

PixivとかHPとかでちまちま二次創作小説を書いている者の視点からで良ければ。

わりと同意します。私の場合自分情熱考察テキストを生成させる感覚であり、誰かの期待に沿うために書いているわけではないので、まったくお付き合いのない方から「この方がいい(変更してほしいという意味で)」「これ嫌い(公開停止してほしいという意味で)」とか言われても「お門違いでは……」となります。ではなぜネットで公開するかというと、「趣味が合う」「考えが合う」人とマッチしたらいいなというささやかな期待と、自分自分のために書いたものでも、誰かが面白く読んだら幸福が増えるんじゃないかな、と思うから

アニメとかの公式には「耳に痛い話も聞け」と言っておいて、自分作品には「二次創作同人趣味だし読み手書き手は元々の意味で対等なんだからネガティブ反応出さないで!」というのはちゃんちゃらおかし

ここは疑問です。アニメなどの制作側と視聴者消費者)と、同人作品の作り手と受け手では、結んでいる関係の形が違うと思っているので。オリジナル同人作品商業化していく例があるように、きっちりとした境界は引けなくて、グラデーション的につながっているとは思うけど、動いている金額の規模や関わっている人数などの差は大きいと思います組織個人と、個人個人という点も作用するかと。

  • 「読み専はいていい・いなくなれ」

いていいんじゃないでしょうか。読んでくれる方がいたことは慰めになりました(私の場合、読んでくださった方は常に過去存在します。未来はいません)。私にとってはあくまで慰めですけど、どなたかにとっては未来に対する大きな勢いを与えて下さる存在でもあると思います

作品を受け取った時に、こちらが意図したものをくみとって、それに対して建設的かつ友好的なコミュニケーションで応じてくれる方が理想ですね。読み専の方の好意や称賛ももちろん嬉しいんですが、「そういう考えならこういう場面設定はどう?」などのアイデアや、こちらの想像に対するさらに深いイメージを寄せてくれたり、自分なりに組み立てた工夫に「これって仕組んだ?」と技術面での反応もしてくれたのはやはり同じく作り手側の人ばかりでした。

ネガティブ感想だとか作り手の未熟が生んでしまう疑問だとか、そういう内容はある意味どうでもよくて、「唐突に、一方的に暗闇から飛んでくるコミュニケーションの質が友好的か、攻撃的か」ということのほうが個人的には大きい要素だと思いますネット経由の感想ってマジで暗黒から出し抜けに飛んでくる感じなので、攻撃的な質のものだとめちゃくちゃダメージが大きいんですよね…… そちらはこちらのことを知ってるかもしれませんが、こちらはあなたのことはまったく知らないのですよ!

ほとんどの同人コンテンツ個人個人の規模だと思うので、単純に「(初対面の)人間として」対等に、ていねいかつ友好的なコミュニケーションで向き合ってくださいますと助かります

なお、個人的には下品な口調もノーサンキューです(これはちょっと厳しい基準だと思います)。初コンタクト大草原を生やしてコメントしてきてくださった方がいまして、内容自体は嬉しかったんですが、その口調はちょっと、初対面の方としては受け付けない……となり、ためらっているうちにコメ返しのタイミングを逃しちゃいました。

2017-05-11

自分作品を悪く言うのは、その作品を好きだって読者に失礼です」みたいなの何なの、すっごい気持ち悪い

まず、言ってるおまえは好きなのかと、好きだから言ってるのか、好きじゃない奴が横から口を出すな

で、好きだとして、好きだから何なんだ、お前が好きだとして、俺が失敗だと思う気持ちを何で否定されないか

お前が好きだってはいいわ、好きにしろ、だが、こっちだって自分気持ちってものがあるわ

お前の個人的感情などしらねええええ

そりゃ、好きだってのは嬉しいよ、嬉しいけど、関係ないだろ、こっちの気持ちには

お前の感情一つで、なんで縛られなくちゃいけないっての

大体失礼ってなんだよ、失礼って、あやふやなんだよ、なんとなくほわっとした、こう言っておけば誰かしらの感情にそぐうだろう見たいな総花的な言いよう、ほんと知ったこっちゃねえよ

作ったもの責任とか、云々カンヌ映画祭だか何だか知らんが、

作って、出して、お前は満足したんだろ、もうそれでイーブンだろ

作品はそこでおしまいだっつうの、こっちが何をどう言おうが、もうすでに作品は完結してるだろうが

値段分のものを得たんだろ、そっから先に責任くそもねえよ

作ったほうからすれば、作品ってのは自分から”出した”ものから、もうその時点で客観化が始まってるわけで

自分の外に出した吐しゃ物で、自分ではあるけども、自分とは切り離された別のものなんだ

そっちは自分の中に”取り込んだ”から、それが自分自身の一部となって、それを否定されるのは自分否定されるように感じるかもしれないが

しったこっちゃねえええええええええええええええええええええええええ

こっちは、どこが失敗したか、何が悪かったか、それを客観視して、次につなげなくちゃいけないだろ

言語化して、それもこれも出して、そしてまた客観化する作業の途中で、そしてその終わりだわ

上っ面でつるつるすべるような「好きですー」「ありがとうございますー」って、滑らかな氷上のコミュニケーションとって終わってそれで満足できりゃあそれで良いんだろうけど

次だよ、もう次、次に行くんだよ

失敗したものを世に出したのかって?

結果的にはそうだろうさ、結果的にそうなってしまっただけで、それは結果論

出すときに失敗だとは思ってないし、作るときには失敗するとは思ってないし

でも、出した後に誤字が見つかって失敗してたって気づくことあるだろう

おんなじことだろ、出した後に、いろいろ考えて失敗だったって、結果として失敗だったって、そういうことはあるだろうが

じゃあ、出した後に「誤字がありました」「ミスプリントがありました」とかって言っちゃ駄目かって言ったら、言わないと駄目だろ

しろ言えだろ

その誤字に味があるったって「なにするだァー」は誤字だろ

お前が好きだからって、失敗を認めないとか、そんなもの、ただのなれ合いだろうが

他の受け手からしたら関係ないだろ

お前の感情が何ほどの価値があるんだって

好きだから自分の気に食わないことを言うなって、どこのストーカーだよ気持ち悪いんだよ

お前ひとりを相手にして恋を囁いてるんじゃねえよ

うぬぼれんな気持ち悪っての!!!

2017-05-10

https://togetter.com/li/1108958

聴覚障害があったからこそ心を通い合わせることができた?聲の形ってこんな話だったっけ。映画一回しか見ていないからよくわからないけど仮にそうだったとすると、直感的に問題ありそうだけど何がダメに感じるか。

障碍者と付き合う事の困難を理解せずに発言者が抱いた軽い気持ちや、社会的弱者に対して慈悲をかける俺優しいといった(例えそれが偽善だとしても、障碍を抱えた人に対し優しく振舞うことはいいことだから行動に移せるなら良いことだと思う、この場合は行動に移せないだろうにいい人ぶる点が不快に感じる。)文面には表れない隠れた醜い意図受け手勝手に汲み取ってしまうためだろうか。

ではなぜそんな意図勝手に汲み取るのか。それは発言者聴覚障碍者と付き合いたい理由にあると思う。そもそも、発言者が付き合いたいと思った理由は、作中では最終的に心を通わせる事ができ、自分にも障碍者相手なら同じ事ができるんじゃないかという希望を抱いているからなのでは。仮に、このような思考に至らなくても、マイナスなことを他人に求める人は何か裏があるんじゃないかと思ってしまうのは当然のことだ。

ただ、障碍から生じたメリットが好きな場合も考えられる。メガネっ子好きのように補聴器好きみたいな。どこかのメーカーがすごくかわいい補聴器を作れば、いつかは補聴器好きみたいなブームが訪れるかもしれない。ただ、その時は「耳が聞こえない彼女が欲しい」じゃなくて「補聴器が似合う彼女が欲しい」という感想にすり替わっているだろうが。

先の考え方は当該する障碍をデメリットだと捉えているが、実際はそうとも限らない。一般の人から見ればマイナスしかない面を肯定的に、個性として捉えている聖人のような人もいるだろう。それはとってもいいことだと思うし、多くの障碍者にとってもそうだろう。もっともこの域に達するのはそう多くないだろう。

結論として、今現在はまだ倫理的問題があるが、いつかそうで無くなる日が来るといいと思う。(もちろん、後述のような人が増えればいいっていうこと)

2017-05-07

フィクションにおいて「説明」は「猛毒である

フィクションというのは嘘っぱちだ

嘘に信憑性を持たせるには言いっぱなしにすることだ

ハッタリを効かせて相手に信じたいと思わせるような嘘をつきあとは受け手に委ねるのがいい

ネットの嘘つきを見ればわかるが、嘘は説明すればするほどそれが嘘っぱちである証拠が増えてしま

一番それらしい説明だけして後は経過を眺めればいい

だが話が長引けばそれだけでは間が持たなくなることもある

ならばどうすればいいか

次なる嘘をつくのだ

縦に嘘を重ねるのではなく、横に嘘を並べる

そして受け手考察する間もなく次々に嘘を流し込み処理能力を超えさせる

こうすることで上辺のもっともらしさの魔力を長持ちさせることができる

駄目なフィクションはそこが分かっていない

自分が今ついている嘘がよくできた嘘である必死に語るが、語るほどにその嘘がどの角度から見て欲しい嘘なのかが浮き彫りになる

から見ればよくできた張りぼても、裏に回られればどうしようもない

横に嘘を並べて張りぼての裏側に回り込まれるまでの時間を稼げばいいものを、自分が前に付いた嘘に固執し縦に積み上げてしまう、これこそ悪手なのだ

2017-05-01

http://anond.hatelabo.jp/20170430223444

作り手側が受け手解釈に頼った作品作りをしてると幾原作品みたいに大半の人間理解できなくなって客が飛ぶから増田ぐらいがちょうどいいと思います

2017-04-25

http://anond.hatelabo.jp/20170425013048

作品感想というのは受け手自己完結が全てであるため、面白い作品という「定義」が存在しない(面白い作品になるための要素を定義することは出来る)

面白くない作品流行ると云々という話は、まず面白くないという「感想」を前提にしないといけない

しか感想は全てが自己完結で、共有はできても啓蒙は出来ない

まり面白くない作品云々の話は成立しない

CGクオリティが低い、アニメーション稚拙ストーリーが平凡、テーマがない、声優は棒、しか面白い

そういう作品存在する

なぜなら面白いという感想自己完結するから

そして大多数の感想の共有を流行りと定義した外側の人間言葉に踊らされると、流行っているから見たけど面白くなかったわ~という的はずれな事を言うおじさんが生まれ

これはランキング文化に毒された人間のある種の到達地だ

2017-04-22

創作オタ婚活パーティー

前にオタク婚活パーティー的なものを開くと

男性特定作品ファンみたいな受け手の人がが集まりがちになり、女性創作してる作り手が集まりがちでミスマッチ起こして上手くいかない

みたいな話題があったけど、参加にポートフォリオやら見本誌やらどんなものを作ってるかわかるもの必須

対面するときはまずそれを見せるみたいなのやれば上手くいくかなと書いてるそばからそれ絶対無理だみたいな気持ちになった。

2017-04-19

どうして「jt_noSkeのダジャレが本気で不愉快」なのか。

はっきり言って出来の悪い駄洒落のみを投稿するからに尽きる。

音楽に例えるなら、歌は人々を楽しませ、コミュニケーションを円滑にするツールだ。

しかし、歌にははっきりとうまい下手がある。いくら歌という存在が素晴らしかろうと、歌う人物調子っぱずれでは逆効果となる。ノースティリスだったら死んでたぞってなもんだ。

それに加え、いくら歌がうまかろうが、挨拶も会話も、まじめな相談もすべてが歌で返されたら?

駄洒落ジョークにも巧拙はある。

駄洒落はただ韻を踏めばいいというものではない、発想の転換や飛躍、あるいは文脈に沿った返歌、もしくは諧謔、とそういったテクニックを駆使することでユーモアに満ち溢れた駄洒落は出来上がる。

しかしながら、氏の駄洒落の出来はすこぶる悪い。正直、基本(韻を踏むこと)すらできていない。もう、何年も投稿しているはずなのにだ。

(じゃあ、上手な駄洒落の見本を示せ! みたいなマンガ批評に対して「じゃあ、お前が面白いマンガを描いてみろよ!」と返すようなコメントはお控えください)

また駄洒落がうまくない人に限ってしつこく駄洒落を繰り返す傾向にある。

会話において駄洒落ジョークアクセントひとつしかない。相手に何かを伝えることの補助として使われるもので、それ自体目的と化すと独りよがりな印象を与えてしまう。

オヤジギャグとは質の低い冗談のことを指すが、なぜオヤジなのかと言えば、そういった独りよがり対話能力の低い人物に中高年(オヤジ)が多いと感じられたからだ。

ブコメ性質としてはメモ帳のようなものだが、はてブソーシャルな場である。ただメモ帳として使いたいのであれば、プライベート設定にするのが最善だろう。パブリックブコメを発信するということは、外部となんらかのつながりを得たいと考えた結果と言える。そして大半のブクマカはそのように扱っている。

氏の場合駄洒落を言うか言わないか、という使い方をしている。「言わないこと」による発言コントロールもされているが、言っている部分がほぼ駄洒落であり、内容に駄洒落を言うこと以外の目的も感じられず、非常に独りよがりものを見せつけられる格好となっている。

氏よりもまだ駄洒落が上ず…マシなヒゲじいが結構ヘイトを集めているのも同様の理由だ。

質の低い駄洒落と、独りよがりにそれを繰り返すというダブルパンチこそが、氏のブコメ不愉快たらしめている原因と考える。

これを受け手問題だと片づけてしまうというのは、いかがなものだろうか。



あと、NG設定について。

これに関してははてブに限らず、SNS全般に言えることだが、NG設定やブロックというものは、自室に侵入したゴキブリに対して姿が見えなくなるスプレー提供しているに過ぎないということだ。這いまわる音や、シルエットまでなくすことはできない。というか室内にいることに変わりはない分、逆に怖いな。

嫌いな奴のツイートフォロワーRTで回してきたみたいなことはツイッターでは日常茶飯事だ。氏をNGにしたところではてブを使っていれば、今回のようにどこかで氏のIDに遭遇してしまう。

ゴキブリに対する根本的な解決方法は殺虫スプレーだが、これをSNSの場で適応するのは不可能だ。だからこそ悩まされる者は、ぐるぐると負の思考に陥っていくし、結果としてその感情殺意にまで高まる

元増田に対して非難を浴びせるブコメも多いが、ここには重要問題があるように感じる。



それと、これに関連して虚構新聞に触れてる人もいたので、それについても。

虚構新聞で取り扱われている記事の質は低くはないかと思われる。しかし、サイト思想上、それらの記事は他の新聞記事に紛れ込ませることに存在意義見出している。しか事実に基づかない記事というのは、ニュースメディアの意義に反するし、純粋ニュースメディアを欲している人たちにとって、それがいくら出来のいいジョークであろうとゴミクズ以下の代物でしかない。

先ほど自室にゴキブリが…という例え話をしたが、これも人の部屋にゴミを投げ捨てるような行為と捉えられてもおかしくはないだろう。

2017-04-18

タモリの疑似社会科学っぽさ

先に言うとタモリは好きだ。

子供の頃からいいともをよく見ていたし、ジャングルクッキングとかのタモリもよく見ていた。

タモリ倶楽部面白いし、いまでも好き。

しかし、タモリは全肯定されすぎな気がする。タモリ教養あるように思われている昨今だが、あれは教養ではなくて、豆知識の集積であるように感じる。

ブラタモリもまちの新たな見方提供した番組のように思われているが、どうもサイエンス的な裏付けが弱い気がする。

いうなれば、やたら俗説をよく知っている戦国オタクのようなもので、最近タモリ界隈の雰囲気は疑似社会科学っぽさが高い。

はてな界隈は疑似(自然科学には目ざといが、社会科学人文科学では途端に俗説をよく知っている戦国オタクのようなものを褒め称えている気がする。

#追記

想像以上に反応が大きくてびっくりした。殴り書きのつもりだったので、みんなの反応をみて自分の考えも少しまとまった。

これは完全に同意。私もタモリ科学的に合ってる/間違ってると言いたいわけじゃなくて、「ブラタモリで言ってたからうんぬん」という周囲の反応がおかしいと思っているんだと気付いた

これも完全に同意。昔の中国人の真似とか、タモリ本来茶化す」人なんだと個人的には思っている。なので、タモリネタでやっていると思うんだけど、受け手が真面目に受け取りすぎている気がする。ブラタモリはオープニングで尻を振らなかったのがよくなかったんだ!(番組自体面白いと思います

あーもしかたらこれこそが一つの元凶なのかも、と思ったりした。タモリがまち歩きながら放言するくらいが面白かったのかもしれない。NHKが真面目すぎて、下手に専門家とか呼んで権威づけを結果としてしてしまたから、受け手もそのように捉えてしまっているのかもしれない。

個人的には知識自体教養ではないと思っていて、批判精神こそが教養だと思う。そういう観点では、タモリ権威に流れずに思ったこと質問しているので教養はあるのだと思う。

  • この反応にタモリはニヤリでは?

そう思う。というかみんながこういう反応をしてくれると思ったはずなのに、真面目に受け取られてタモリも当てが外れてそう(そんなこと気にしてないかもしれない)

言われてみればそうかもしれないタモリ自体芸能界の中では趣味人(古い意味でのオタクであるので他人社会に興味がないのかもしれない。所ジョージとか同じ雰囲気

なるほど。その観点はなかった。そういう学問分野にあまり詳しくないので思いつかなかったが、天皇陛下さかなクンを考えればありなのかもしれない。

しか主観を並べているだけですね。最初に書いた通り、タモリは好きだし,タモリ倶楽部ブラタモリも好きですよ。そういう意味タモリをこきおろしているわけではなくて、タモリを全肯定している人をこきおろしているのかもしれません。書いた時は自分意識していなかったですが。

荒れそうなのでノーコメントです

2017-03-28

なぜ日本企業生産性が上がらないのか? 「効率化」が「人の頑張り」に落ち着く現実

http://www.itmedia.co.jp/business/articles/1703/14/news037.html

記事にある宅配生産性の事だけど、宅配業者とビル自体業務分担として繋いでしまうと、そのビルの入居者個人が持つ業者選択の自由がなくなる分、宅配業者の営利配分の自由裁量が増えるので、利用者にとって非経済的となるし、何かその会社で社内的な問題が起きた時に利用者が他の業者を選べなくなったりと、また日本特有の非合理で生きずらい要素が一つ増えることになる。

ビル自分達の責任で荷受け室を作ってそこからは各ビル配達係を手配するか、住人が自分で取りに来るかどちらかの方法管理することで、ビル宅配中の事故対応など人件費的な宅配業者側の大きなリスクを軽減する。これ落としどころにならないかな?業者としても、業務簡素化によって経営効率は上がるわけだし、それによって浮いた今までの人件費効率化で少なくなった集配員に分配すれば、企業も今までの以上の利益を維持できるし、なによりも各集配員の地位が向上するので、各企業人材が集まる効果も自ずと生じる。経営者の力量采配次第では、今までと違った方向性業務を発展させることもできるし、業界業務全体の効率改善へとつながる可能性も秘めている。

日本国民意思は、それらの非合理に対する費用を払うことで、家まで届けてもらうサービス受け手効率性を優先したいという事なのか?

日本社会ではお互いがサービスし合う事(礼儀、絆、信頼、助け合い精神)で個人同士の関係が成り立っている面から鑑みると、それだけのサービス日本における宅配業務には欠かせない要素なのだとすると、単純に業者が見合った費用顧客転嫁すればいいだけ。それが出来ない理由を考えればよい。

ちなみに、そういった日本特有サービス精神起源はどこだろうか?儒教の影響なのか?戦後教育なのか?農耕民族? 誰か意見あったら聞かせてください。

2017-03-22

http://anond.hatelabo.jp/20170322001722

まずね、小説映画だとしたら、詩歌写真なの。

旅行写真でも卒業写真でもなんでもいいけど、自分にとっては大事な一瞬をとらえた写真って、知らない人が見たら「なにこれ?」ってなるでしょ。でも撮った本人はその一枚でもあのときのことを思い出せるから、わぁーいいなあってなる。そんなふうに物語のものではなく物語痕跡から全体像をを想像して味わうのが詩歌の楽しみ方のひとつから、詩は本来、書いた本人にしかからないのが普通なんだよ。

から詩はあなたにも書けるし、けれどもその詩は他の誰かには全く理解してもらえないかもしれない。あなたにとっては切実な場面でも、「なにこれ?」ってなっちゃう。

だったら他人他人詩歌をどう評価できるんだっていうと、みんなまず物語以外の部分をかみしめてるみたい。言葉って意味だけじゃなくて音や文字もあって、たとえば漢字がいっぱい並んでたら理屈抜きで「うわ、めんどくさ!」ってなったりするし、ミラバケッソとかヒノノニトンとか意味関係なく音として気持ちよくて頭に残っちゃうことって結構あると思うの(卑怯CM多いでしょ)。写真でも、単純にきれいなものが写ってたら誰がいつどこで撮ったか以前に「わーきれい!」ってなるでしょ、文字だってうつくしい言葉がきれいに並んでたらそう思えるかもしれない。写真だとモチーフが左右対称に並んで写ってたらそれだけで気持ちいいように、定型句でも575の音数に合ってたらそれだけで気持ちいいとか。この辺が、作品それ自体の内側へと入り込んでいく楽しみ方の例。

逆に作品の外側に目を向けると楽しいこともある。写真なら、たとえば撮った人や撮った場所に注目してみるとか。普通写真でも、自分の知ってる人、好きな人が撮った写真だって聞いたらそれだけで「どんな気持ちで撮ったんだろう」って想像したくなってこない? あとさ、ライオン大口あけてる写真とかだと「この人どうやって撮ったんだよ、撮った直後に殺されたりしてないだろうな」とか想像して怖くなったりもしそうでしょ? 他にも、京都タワーを手で支えてるような構図だったりしたら「ピサの斜塔かよww 京都タワーじゃかっこつかないでしょうがwww」なんて元ネタと比べて楽しむとか、それ自体では補えない情報量が実はそこかしこに見つかったりするものなの。

そうやって自分必要情報量を探していく、補っていくっていう探偵じみたプロセス詩歌の楽しみだと思うし、これって実は小説でも他の芸術分野でもおんなじだよね。さらに言うと、いろんな作品詩歌小説に限らず)を見ていくと、自分を泣かせる笑わせるために必要情報量ってじつはそれほど多くない、このツボさえ抑えてれば自分は大体泣けるっていうポイント抽出できたりする。物語全体じゃなくって特定の要素があれば人間勝手想像できちゃうし、人からもらうより自分で作った方が味付けも変えられておいしいのは料理と一緒。でもそうやってツボを探していくと、面白いことに、その自分だけのツボって実は他の人も泣かせてしまったりする。自分のためだけに作ったものが何故か他の誰かまで撃ち抜いてしまったりする。

究極的に個人的ものは、実は最大限に普遍的でもあるんだ。その普遍性だけを切り取って残そうとする挑戦が、詩歌を作る苦しみであり楽しみなのだと、わたしは思う。


あとは渡邊十絲子の『今を生きるための現代詩』って新書がすげーオススメなので一読されたし。自分詩歌詳しくないけど、わからないなりに楽しくなるよ!

すてきな紹介記事→ http://d.hatena.ne.jp/mmpolo/20130531/1369926781

2017-03-22 20:42 追記(返信など)

でも現代純文学はそういうツボに反感持ってるよね

自分文章読み返したら「ツボ」の例を泣ける笑えるに限定しすぎたのが失敗だった。「泣ける」が分かりやすい例だっただけで“面白い”のツボって千差万別からね。

でも自分なりのツボはすべての書き手が持ってるだろうし、それを分かってくれる人も必ずいるんだよ、なぜか。・・・いや、よき受け手出会えるかどうか、そもそも作り手がそのツボを自分表現で押さえることができるかどうかは別として。

青木淳悟でも木下古栗でも岡田利規小笠原鳥類橘上でも誰でもいいんだけど、たとえ共感を得やすいツボに反感を持ってたとしても、その人には別のツボがあるし、人間表現である限り普遍性を完全に排することもできない・・・とわたしは思う。

だってすべての表現コミュニケーションから。読者としての自分自身とすらコミュニケーションしない表現なんて、ヘンリー・ダーガーでも無理なんじゃない?

今を生きるための現代詩kindleにあったので買ってみました

わーいやったー! ありがとうございます、せっかくなのでその先の本もいちおう置いときますね!

入り口としては『今を~』がすばらしいけれど、もしそれで現代詩自体に興味がわいたら新書館から刊行されてる『現代詩の鑑賞101』がとってもいいです。やさしい解説つきで101篇も読めばだれか一人くらいは推し詩人も見つかりそうでしょう? つまんないのはどんどん飛ばそう。

歴史の流れが知りたければ野村喜和夫の『現代詩マニュアル』がなかなか手っ取り早いけど、ごめんなさい、なんかスノッブくさくて個人的にはちょっと・・・。

もっと深く勉強したい人は現代詩手帖特集版『戦後60年“詩と批評”総展望』などをどうぞ。谷川俊太郎が「やっぱ売れ専をバカにしないで売れる詩をちゃんと作んなきゃダメだろ、ジャック・プレヴェール見習えよおまえら」とか言っててわろた。

ちなみにわたしの推しは入沢康夫渋沢孝輔です。入沢翁、ツイッターはじめててびっくりした。俳句短歌の話は、ごめんなさいぜんぜん分かりません。だれかオススメおしえて。

2017-03-20

良い曲なのに勿体ない

流行にのっかって、けものフレンズを見ている。

勢いで見始めたがなかなかおもしろく、ストーリーにも引き込まれてる。

エンディングの曲が良く、購入を検討していたが、

みゆはんのCM生理的に受け付けず未だに購入に至っていない。



そういえば友人も似たようなことをいっていた。

自分水曜日のカンパネラが好きで勧めてみたのだが、

友人曰くコムアイのキャラ生理的に受け付けず聞きたくないのだという。

それぞれ、CMなりキャラなりが、受け手には決定的にスベっているのだろう。

2017-03-14

http://anond.hatelabo.jp/20170314075928

ポルノかどうかは作者が受け手に示したいテーマ性とかがあるかどうかみたいな曖昧ものしか測れないと思う

娯楽と政治は切り離せない

娯楽と政治は切り離せって意見をちょくちょく見る。

それは「娯楽作品に、政治的問題意識させる要素を入れるんじゃねえ」という作り手への批判文脈なこともあれば

「娯楽を政治的問題に結び付けて議論するんじゃねえ」という受け手への批判文脈なこともある。

いずれにせよ、非現実的すぎる。

娯楽は現実問題や難しいことからすっかり切り離せるなんていうナイーヴな考え方は捨てろ。

その二つは切り離せない。スポーツ政治も切り離せない。あらゆるもの政治は切り離せない。なぜなら人間のもの政治が切り離せないからだ。

政治の要素がなくただ快楽だけを味わえる娯楽もあるなどと以前まで考えてこられたのはおそらく、君の精神がまだ幼く政治的要素を認識できなかった上に、語り合う相手も同じくらい未発達な人に限られて、娯楽に含まれ政治に気づけなかっただけだ。

今もはや君の精神は成長し、更にインターネットによって無数の人間の考えを見るようにもなった。

政治と娯楽は切り離せないし、君は切り離せるという夢想の中で遊ぶこともできなくなったのだ。

娯楽に政治を入れる作り手を、「政治を入れた」というだけで叩くな。叩くならその描き口や政治スタンスを叩け。

娯楽を政治的に受け取る解釈車を叩くな。そこにある政治要素から目を逸らしてむずかしいことのわからない幼子のふりをするな。

これは、賢くなれとか政治に興味を持ち学べとかいメッセージではない。

君は既に賢いのだ。賢くなってしまったのだ。

めんどくさいことを考えられない気楽な愚者のふりをしようとしても、その欺瞞はやがて君を苦しめるだけだ。

これは自分を苦しませないようにという忠告だ。

2017-03-10

情熱ってなんだ

今の時代作品愛とか制作側の情熱がきちんと感じられるものでないと受け手に届かないとか何とか言われているが、

たとえば「制作側のやりたいことを情熱をもってやりきった結果作中のキャラの多数が無様を晒したり酷い死に方をした」みたいな作品ってそういう文脈だとどう判断されるのかなとふと思った。

作者の言いたいことを表現するために作中の登場人物が駒化してしまうこと(そしてそれが批判されること)ってよくあると思うのだが、そういう話こそ作者の主張やら情熱やらがうるさいぐらいに全面に出てしま場合も多いわけで。

情熱は認めるけどキャラに対する愛がないから云々」あたりで落ち着くのかな。

2017-03-09

受け手感性の話でもあるが言動は丁寧だけど「人を見下す態度が透けて見える」というのもよくある話で

幸せな歌ばかりだよね

口を開けば色恋沙汰ばかり

愛で何が解決するかっての

苦しみや絶望から滲み出てきたような曲を生み出してくれよ

洋楽ではちらほら見かけるけどここは日本だし

歌詞をしっかりと聴かせてくれるのは日本語しかないだろうが

こんな幸せガラパゴス社会でそんな曲は生まれ得ないだけなのかもだけど

なんだか薄っぺらいよね

受け手を無理矢理かっさらうように自分世界に巻き込むような深い情感がないよね

歌が上手い歌手はたくさんいるけどさ

ヘラヘラして才能を無駄にするなよ

何のための音楽だよ

音楽ファッションにするな

2017-03-03

[] #17-4『ヴァリアブルオリジナル制作秘話

3.ゴールデン進出

ーーそれにしては、意外にもファンタジーとしての完成度を高く評価している声は少なくないですよね。

シューゴ:まあ、ファンタジーって歴史のあるジャンルから。参考資料は多いからね。

マスダ:設定とかもファンタジー小説サイト巡って、ウケのよさそうなものをツギハギしていますし。

ーーえ、それってパクったってことですか。

シューゴ:ちょっ(笑)言葉には気をつけてくれよ。色んなファンタジー作品を参考にして構成されているってだけで、まんま一つの作品からトレースしたとかじゃないし。それに意識しなくても、設定だとかストーリ展開がカブことなんて珍しくないでしょうが。俺のをパクりっていうんだったら、ほとんどのファンタジー作品はパクりになるぞ(笑)

ーー失礼しました。ところで、その他のこだわりは何かありますか。

マスダ:こだわりを挙げるとなると、ズバリというのはないかもしれませんね。はっきり言って自社初のオリジナル作品という試みは、非常に志が低い状態で作られました。まあ、体裁は成しているので意外にも受け手は気づかないものなのかもしれません。

フォン:強いて言うなら、問題作としてスタジオイメージ低下に繋がらないよう心がけました。クオリティの安定と、作中の表現には注意するようシューゴさんにお願いしましたね。

シューゴ:俺の作風的に、そーいうのよく分からいから、結果やりすぎて一部では『子供向けすぎる』という評価をされたよな。

マスダ:でも、それが深夜枠から今のゴールデン進出に繋がっていると考えると感慨深いものがあります

シューゴ:今の子供たちには、普通の良作ファンタジーとして受け入れられているが、ゴールデン進出の際にリブートしたのは正解だったな。キャラデザ作風とか色々一新した結果、既存ファンには賛否状態になったが総合的には英断だったと思う。

フォン:ただ、この時のが尾を引いて、一部から監督は『心変わりのシューゴ』みたいな呼称ができてしまいましたね。私の意向もあったので、ちょっと申し訳ないです。

シューゴ:いや、それに関しては気にしてないよ。どーせ、あのテの古参ファンは羽振りがよくないくせして、過去の思い出にすがって口出しだけは一人前のヤカラだから顧客だなんて思っていないし、無視するに限る。

4.今後の『ヴァリアブルオリジナル

ーー今後ますます勢いを増す『ヴァリアブルオリジナル』。第三シーズンの見所をお聞かせください。

シューゴ:当面は四天王をどうするかという話になるかな。

マスダ:あれ、四天王は全部倒しませんでしたっけ。

シューゴ:いや、それは元四天王そいつらは影武者として登場した。

フォン:その影武者四天王なんじゃなかったでしたっけ。

シューゴ:影武者だった奴らが四天王より強くなったことで、取って代わったんだよ。

マスダ:ああ、つまり影武者が現四天王で、元四天王が現影武者ってことですか。

ーー最後に、今後の『ヴァリアブルオリジナル』の展望についてお聞かせください。

シューゴ:カードゲームとのタイアップ意識した話にして欲しいって指示されたから、そんな感じになるかな。

フォン:他の作品制作もやっていきたいところなんですけどねえ。

マスダ:上が「スタジオ内のスタッフでほぼ作り上げているのをセールスポイントにしよう」って言ってくるので、うちのスタジオはこれにかかりっきりの状態なんですよね。

フォン:まあ、とどのつまり上の意向次第ですね。カードゲーム好調な限りは、何シーズンでも作れと言ってくるでしょうけど(笑)

シューゴ:まあ、仮に他の作品やる余裕があっても、できればマシな企画持ってきてほしいけどな。

フォン:『女子ダベ』とかですか?

シューゴ:ざけんな(笑)

マスダ:(笑)

ーー本日ありがとうございました。

フォン:これ、本当に載せるんですか?

(おわり)
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