はてなキーワード: 活動とは
今思い出しても腹が立つ。
しかし、人間関係に波風立てても良いことないので思いを書き出して供養しておく。
---
私と苦手な彼は同じサークルに所属しており、会員は皆イベンター的な側面を持っている。
そこで私は苦手な彼と出会った。
初対面から苦手な人だな〜と思いつつも、同じサークルにいるから当たり障りなく過ごしていた。
苦手な彼と言いつつも彼は悪い人ではない。
私は苦手な彼の軽口に傷つけられた経験があるので、個人的には発言にもう少し配慮があると良いなと感じる程度。
苦手な彼は別サークルで仲良いグループ作って遊んでるから、私が苦手な側面であっても他の人は気にしない側面かと考え、深く考えることなく距離をとって過ごしていた。
サークル内で「何々が大変だよね〜」とか雑談してる時、「俺のイベントは、あなたのイベントよりも100倍進行が大変」(要約)と軽口を叩かれた。
良い大人だからとその場はスルーしつつも、腹の底に押さえきれぬ怒りを抱えてその日の活動は終えた。
苦手な彼のイベントは、事前準備も大変だし当日もリアルタイムの即興対応の負担が多く管理が大変だ。
私のイベントは、事前準備も同様に大変だが事前準備で大部分は管理できる範囲な大変さだ。
ただ私は、今もハラワタが煮えたぎっている。
感情的な側面としては、私も工数かけて準備して皆が楽しめるようイベント開催運営に腐心してる事実に対し、私の行動が矮小化された気持ちになり私の大変さは大したことでないと、否定された気持ちになった。
それぞれが大変と思ってることに対して、比較する必要があったのか?
反論できたろう。私の大変だと思った内容を理解を図るため、言葉で伝える選択肢もあったろう。
ただ私は伝達する気持ちにもなれなかった。
苦手な彼とは同じサークルで顔は合わすだろう。
---
今回を振り返ると、私は議論が苦手なのかも。
最近仕事では、目的をもって良い選択肢と行動を取るために話し合うスキルを獲得できた。
しかし、今回のように答えのない事柄に対して、相手を説得し合う言葉の応酬するスキルがないのかもしれない。
いや違うな。自分の好きなイベントを議論して自分のイベントを否定されるような結論の可能性もありうるから、結論を出したくなかったのかも。
仕事も落ち着いてきたので家庭を持ちたいと思い結婚相談所に登録した
一度も女性と交際したことない弱者男性なのでマッチングアプリは無理だろうと思い初めから結婚相談所で活動することにした
私のスペックはそこそこ有名な大学を卒業していて、年収は1000万程度で平均身長は越えてるくらいだ
いきなりショックだったことはアドバイザーの人に40歳で年収1000万しかない弱者男性では結婚は相当厳しいと言われたことだ
呆れた顔をされて「年収1000万では結婚生活は厳しいです。生活費とか子供の学費とか色々かかりますし」と言われた
結婚できれば誰でもいいと思って最低ランクの条件で女性と会ってみたものの同じようなことを言われた
「強者男性ならともかく弱者男性で年収1000万しかないのは厳しいです。子供が生まれたら生活費も教育費もかかりますし」
上司がムカつく→転職活動開始→アピール出来る仕事の武勇伝を増やしたくて今の仕事を頑張る→周りに認められて上司が態度変えてくる→なんかこのままでもいい気がしてきた
日本の女性参政権を戸主投票権を増やすことによってすり替えようとした政治家がいたよね
米英人のグイド・フルベッキと武者小路実世だっけ
当時最先端だったドイツのブルンチュリの偽翻訳書をばらまいた
イシンとレイワはネーミングからしても外国人がつけた名前だろうな
なお現代日本では、子どもの多い家庭は、ほぼほぼ上級国民なんで
最初に断っておくと、これは個人的なリアリティラインと制作側の演出のリアリティラインが合ってない、結果として「嫌なら見るな」でしかない話。ちょっと期待してた分のガッカリした気持ちを吐き出したいだけだ。
ガールズバンドクライは、何らかの問題を抱えた少女たちが出会いバンド活動を通じて自己実現していく系の作品だろうと思って視聴し始めた。まあそこは実際どうだかはおいといて
といったことからも、バンドにまつわる描写にはとくに本腰入れてリアリティ出そうとしてるんだと思った。音楽周り中心に周辺事情はちゃんと描くからこそ、ぶっ飛んだキャラ設定などのフィクションならではの部分に対して嘘くささを忘れられてドラマ性が高まる、そういうもんだと思ってる。
が、実際には1〜2話では逆の、とくにバンド関連の嘘が、演出だとしてもひどい印象だった。
なんかこの辺、要らん嘘って感じで、ストーリー展開のための嘘にしか思えず、演出だとしても筋が悪いように感じられて、視聴のノイズでしかなかった。
1話で仁菜のギターの扱いが酷いのは単にど素人だから別にいい。仕方ない。「他人の」「楽器」ってだけで大事に扱う常識的な感覚、を持ち合わせていないキャラで構わない。あと1話は、仁菜の住む予定の部屋の隣、そんなアパートに小さな子いる家族で住む?みたいのも気になったがあり得なくはない。2話での、壊れたシーリングライトをスイッチもブレーカーも落とさず着けるシーンは危ないのでやめて欲しいが、そこが無知なのは仕方ないというか全然有り得る。ちょっとした家電の知識すらない大人も現実にいる。そういうのよりスマホリテラシーの偏りの方が不自然に思える。ストーリー都合過ぎる感じがとてもした。
3、4話ではノイズになる嘘が減ってきた。3話の歩いてない鳩の首リズムも嘘だが、ストーリー展開が絡まないギャグ演出みたいなもんなのでそこは許せる。
冒頭にも書いたけど結局は個人のリアリティラインと作品のリアリティラインがズレてるだけの話。気にならない人には気にならない。
こういうこと書くとダブルスタンダードっぽいが、例えばバンド活動を主軸に扱った作品でも、以下のようなものはフィクションとして気にならない。
少なくともガールズバンドクライという作品で描きたいであろうテーマからすれば、上記に挙げたようなところはフィクションで構わないと思える。まあチートというか。例えば「バンドって金かかるし貧乏生活になるよね、そこをどうあがいて脱していくかを描きたい」ってんなら話は別だけど。なんか「いないパートの楽器の音が鳴る」のはチートじゃなくて、シンプルに嘘なんだよね。
花田作品は結構、ストーリー都合の「付かない方が世界観の品質維持できてよかったろうにという嘘」が多い印象はある。でも全部が全部自分に合わないわけじゃなくて、監督やどの辺に監修入ってるかとか、何題材にしてるか(→見る側のリテラシー変わってきてリアリティラインも変わる)などで結構変わる。
バカを一人雇ってしまっただけで、一生負債がつきまとうなんて。
就活シーズンのたびにトンボ鉛筆の話が再燃するのとか見ててもふと思ってしまう。
たった一人のバカを面接で弾けなかっただけのことなのに、どうして看板に一生取れないクソが塗りたくられてしまうんだろう。
社内教育でなんとかすればいい?
そんなの妄想だよ。
バカにつける薬はない。
バカの何が凄いって何をするのか誰にも見当がつかないことだ。
SNSでバズりたいからコンビニの冷凍ボックスに入り、寿司屋で醤油をペロペロする。
なんでもやりかねないバカに対して教育をしようとしても解決方法なんてない。
「お前はバカだからSNSをやるな。せめて本名を隠せ」ぐらいはアリかも知れない。
なぜならバカにはバカだって自覚がないから「アレはバカ向けの話だろ?賢い俺は大丈夫。むしろ一部のバカが下げたイメージを俺が回復させてやるから感謝しなよ」とSNSでバカ発言を繰り返すことだろう。
会社も学校も根本的に何も変わらず、バカがそこの看板に関わってしまった時点でもう取り返しのつかないことが起きるリスクがいつだってある。
偏差値が高いだけのバカがノリと勢いでレイプやドラッグ売買に手を出したせいでイメージがゴミになった学校がどれほどあるか。
でも学校の場合はある程度は周りも理解してくれるだろう、なぜならペーパーテストしかしてないから。
面接で相手のバカの頭のおかしさを見抜けなかったというミスだなんて世間は思わない。
真逆で「面接で相手したバカの頭のイカレ具合を、会社が求める人物像にピッタリだと思って採用したんだろう」と決めつけてくる。
差別的な人間を採用したら「会社の中に差別的な価値観があったから、差別的であることを評価したんだ」と世間は決めつけるんだ。
ありとあらゆるリスクを想定して、少しでもバカじゃなさそうな奴を選ぶしかない地獄のジジ抜きゲームなんだよ現代における採用活動は。
そして、そこにちょっと失敗しただけなのに、何故か「トンボ鉛筆という会社は驕り高ぶっている」とか「JAXAという組織はNASAと比べると精神年齢が大幅に低い」とか言われてしまう。
可哀想だよ。
本当に可愛そうだ。
悪いのはたった一人や二人のバカだけなのに。
まあ、自衛隊みたいに組織全体が本当にバカの集まりで、百人や千人では効かず上から下まで数十万単位で脳みそヤンキー高校じみたクソバカの群れになっている組織もあるが、あそこはもう本当に「そういう人達を集めたい」って組織なのでさもありなんだ。
戦場で他人のどたまをぶち抜いたり、民間人の中に紛れたスパイを見つけるために一人ずつ壁に手をつかせて銃口ちらつかせながら尋問できるような人間に、人権意識なんてあったらすぐ壊れちゃうもんな。
世の中にはそういう組織があるんだから、安心して面接ではバカを落として、最終的にそういう組織に流れてもらうのが適材適所なわけだよ。
自民党が守ってくれる!!
いいや?官僚や自衛隊、軍事同盟国や利害関係で結ばれた者達のしがらみがシステムとなり国を守ってくれると思ってるよ
はてなのあの人もそうだけど単にマウント取るために「海外でも~」って言ってるだけだったからな
「日頃海外事例を出して『日本でもやれ~』って活動してる出羽守さんたち、維新の案も海外で議論されてるんですけど~w」って仮想的を作ってのマウント。生産的やないよね
オレっちはニュース出た当初にヤフコメの維新批判で「こういう意見は海外でも議論されてるけど『親と子は別人格だし平等原則に反する』って結論が出て却下されてる」って意見を見てとっくに知ってた。
user:
https://anond.hatelabo.jp/20240427090235#を要約してください。
ChatGpT:
暇空本人の配信は長時間すぎる&電波すぎるため要約翻訳してくれる人の需要があって暇系tuberが伸びた
以前から活動してたゴシップyoutuberだけじゃなく新規に発生したのもすぐに収益化できて脱サラできるぐらい儲かったという
女性オタクのその、カタギに迷惑を掛けまいと鍵をかけて閉じこもる仕草、よくねーと思ってる。
迷惑だと認識してる時点で、好きを貫く活動が日陰でやるような後ろ暗いもの、だと言うメッセージになってるやん。一般層が見えない引きこもりの内情を理解することは永遠にない。
むしろ線引きのギリギリのラインに挑戦し、できる限り自分たちの活動は明るいものだと示してくべきだ。そうして表現の自由の領域を広げていく。男性オタクの開けっぴろげなスタイルは女からは嫉妬されてうとまれてるけど、言うなればこれは公開ロビー活動なんだよ。
先日、大阪府の吉村洋文知事が0歳児に選挙権を認めるべきという考えを示し、コレに対して愚策であるとするブコメが散見するという事態になったけれども「そもそも民主主義とはどういうシステムなのか?」を考慮すると、直感的に愚策と判断するのもわからなくはないが、実際のところ愚策とも言い難い「決して釈然とはしないが案外悪くはない・・・」「いやでも意思決定に関して能力の低い0歳児に選挙権を与えるのは大人としてどうなんだ・・・」「でも認知症の人も選挙権持ってるしな・・・」と困惑する程度には真面目に考えたい案であるのは間違いないのだ。正直に言って困惑するくらいがバランスの取れた姿勢なんじゃないかと思うが民主主義とはどういうシステムなのか改めて認識してみよう。
民主主義とは人口を背景とした意志の多様性により意志権力の分散を発生させ意志権力の一極集中を防ぐシステムである。
まぁそもそもより新しい形が出てこない限り、現在の形の民主主義とは人口に依存したシステム体系を持っていて、現在の形の民主主義ベースの政治体制を持つ国家が民主主義の保全保護をはかるという意味では人口の源泉足る家族集団へ対してより多くの票を与えるという考えは愚策と断言できるほど頭の悪いものではないんだ(何度も繰り返しているが"現在の形の"である。将来はわからん)。
もう少し具体的に言わないと理解できない人も居るかも知れないから具体的に言うが、我々の国は民主主義を取ることによって天賦人権説が国と有権者によって肯定されており、即ち我々の国の天賦人権説は人口に依存した形で運用されているのだ。
我々の国は神のための国でなければ王侯貴族のための国ではなく人民のための国であるが、それは民主主義システムを背景として運用されており、天賦人権説み言論の自由も表現の自由も信教の自由も性愛の自由も、あらゆる自由が人口を背景として運用されているのだ。0歳児選挙権はこれを心の底からマジで認識してから考えなきゃいけない。
更に付け加えると、あまりにも傲慢でかつ悪逆非道の物言いだが、LGBTQ+の性愛がなぜ違法でないのか?それはLGBTQ+の方々の懸命な活動によって我が国の民主主義を突き動かし民主主義を背景とする我が国の法がLGBTQ+の性愛の自由を認めたからだ。我が国の法は人口を背景として運用されているのだ。LGBTQ+の性愛の自由は人口に守られている。民主主義とはそういうシステムなのだ。
民主主義とは人口を背景とした意志の多様性により意志権力の分散を発生させ意志権力の一極集中を防ぐシステムであることを考えれば、事実上の権力者である政治家が0歳児選挙権を訴えることは自身に集中する現在の意志権力を削ぐことを意味し、民主主義国家の政治家の考えとしては不合格ではなく少なくとも合格ラインには触れる及第点以上は与えなきゃいけない考えなのだよ。
確かに「家族集団という意志権力へ対して意志権力の一極集中をもたらすのはどうなのか?」というのは真っ当な批判であり、前述したLGBTQ+の方々や子供を持たない人たちが苦しい思いをするのではないか?という懸念はもっともである。0歳児選挙権の大きな問題の1つであることは間違いないだろう。
このエントリの目的は「民主主義とはどういうものなのか?」と多くの人々が「0歳児選挙権へ対して直感的に愚策であると判断して思考停止に陥ることを防ぐ」ことにある。
どうかご一考いただきたい。
被告人らは、東京都板橋区前野町1丁目43-6およびその周辺に住む筋肉男や運営であるが、令和5年冬頃より、運営に対してトラメガを撃ち込まれたり、対象者を勝手に警察官と
考えて、これ以上対象者の活動が継続すると金もうけにならないと考え、令和5年6月13日のはじめに、戸田と熊谷と呼ばれる男を被害者のところに差し向けて、その公務を妨害し、
令和2年6月10日に、対象者がメガフォンを用いて建造物の屋上で演説をしているので、同様の行為を行い、被害者の自宅に寝ている間にリモコン装置により当該部屋に犯罪者を出現
まあクソを寄せ集めている以外の効果はないです。
もともとジェンダー論・フェミニズムにはクソを寄せ集める効果がある
+
「人権」で十分なものをジェンダーに引き寄せようとする既得権益競争でしかない。
+
たかが薄っぺらい日常の社会的活動に人読みみたいなディーププロファイリングなんか必要ないんで自分がどこに立ってるかから見直すといい
本当にお前が人読みをやっているのならな。