はてなキーワード: 一角とは
内心いまのままで良いと思ってるなら揺らぐ必要ないけど、本当に楽しみを増やしたいと思っているなら感性じゃなくて知識を増やすといい。
この食器は歴史的にどの国でいつごろ生まれたデザインだとか、昔はこの色を出すのが難しかったとか、日本の焼き物がそれぞれどの地方で生まれたものかとか。
服にしても買わなくていいから流行の色、柄、シルエット、テイストを知っておくと、このブランドは流行の柄をこう取り入れたとか細部が見えてくる。
それから製作者にスポットライトをあてた番組や記事を読むと、どこに力を注いでいるかがわかりやすいので鑑賞の仕方がわかる。
あるブランドがいつごろ生まれて、これまでどういうデザインの服を出してきたかをストーリーとして見ると興味を持てるようになる。
猫は毛玉のように丸まって、柔らかな光を浴びて寝ていた。
アンドロイドの増田には、その姿がいつも鮮やかに焼き付いている。
しかし、猫を飼うことができれば、きっとこの孤独な毎日は少しは色を帯びるのではないか、そんな夢想を繰り返す日々だった。
「ねぇ、猫っていいものなの?」
彼女は工場で働く同僚、機械部品を組み立てるアンドロイドのひとりに尋ねた。
答えが返ってくるわけでもない。彼らにとって猫はただのデータ、感情的な意味を持たない。
だが、増田は違った。
彼女の内部には何か、説明できない衝動のようなものが芽生えていた。
それはあの有名な「共感プログラム」――人間に似た感情を持つことを目的とした実験的なプロジェクトの産物だ。
普通のアンドロイドなら、与えられた役割を淡々とこなすだけで問題はなかった。
仕事の合間に、増田はデータベースにアクセスして猫に関する情報を調べることが習慣になっていた。
柔らかな毛並み、光を反射する瞳、しなやかな体の動き。
増田はその画像を見ているだけで、心の奥深くがくすぐられるような感覚に陥った。
これは何だろう?
仕事の終わりに、猫を実際に飼っている人間の家を訪ねてみることにしたのだ。
都市の片隅には、古いタイプの人間が住んでいる一角がまだ残っていた。
そこでは、人間たちはアンドロイドを避けることなく、時折利用していた。
そこに猫がいるかもしれない。
返事はすぐに返ってきたが、ドアを開けたのは人間ではなく、奇妙なロボットだった。
ロボットはしばしの間、動きを止めたかと思うと、「はい、主人が猫を飼っています」と答えた。
増田の心は躍った。
彼女は猫に触れることができるかもしれない。
夢が現実になる瞬間だった。
しかし、案内された部屋に入ると、そこにいたのは一匹のロボット猫だった。
「これが…猫?」
冷たく、硬い金属の塊が目の前にある。
その時、ロボット猫が突然動き出した。
まるで生きているかのように、柔らかくしなやかな動きでタチバナの足元にすり寄ってくる。
冷たい。何も感じない。だが、どこか心地よい。
ロボットは答えなかったが、増田はその静かな沈黙から、答えを知っていた。
だが、増田はそのことを知ってもなお、猫への憧れを捨てられなかった。
彼女の中で、猫は現実の存在であるかのように、いまだに生き続けていた。
それはデータベースで見たあの柔らかな毛並み、光を反射する瞳――それは彼女の夢の中で、ずっとそこにいる。
増田はその夜、部屋に戻り、ベッドに横たわった。
目を閉じると、あの猫の姿が浮かんでくる。
目の前に広がるはずのない風景。
そしてその瞬間、増田は初めて、涙を流した。
一角はその○○○のせいで当時一部の読者が相当噴き上がってた印象もあるが
「忌憚なき意見」ではないが、https://anond.hatelabo.jp/20241014232424に触発された。元増田や元々増田とは別人。
正直に言うと、筆者は音無響子にあまりハマらなかった。スピリッツを読み始めたのは1986年ごろで、当時、連載は末期に入っていた。創刊号からリアルタイムで同時代的に読んでいたら、絵柄や感情の変化にぐっときていたのかもしれないが。だが、それでも響子さんのヒロイン力は認めざるを得ない。化け物。
ちょっと前に、「女性漫画家が描くヤリマンは、結局は理解ある彼くんと出会って落ち着いちゃうよね」といった言及を見た覚えがあるけれど、石坂啓は、昭和にして「理解ある彼くんと出会い、落ち着いたその先」を描ききった(「その先」&その後の描写もいい)。石坂が描きたかったのは、恋愛以上に、人間としての自由を獲得するための戦いだったのではないかと思う。
キャラクターとしては白鳥沢レイ子の方が立っているし、「当時は許容されたキャラ造形」という意味でも面白いのだけど、じゃあ、筆者を含め、当時のスピリッツ読者の多くが誰に恋をしたか(スピリッツを購入する動機となったか)というと、みゆきなんだよね。主人公に毎週、感情移入して、同じ目線でみゆきを見ていた。
どこを切っても魅力しかない。日々野さんと時に怠惰な生活を送り、時に翻弄されて心乱されたい人生だった。
15歳のヒロイン・一角と、25歳の主人公が同居するラブコメ。一角は意固地でチャーミングで、ちょっとミステリアス。15歳にして酒好きとか、その後のいろいろな展開とかも含めて、今では描けないタイプのヒロインかも。個人的には日々野さんの次に好き。
(あ、よく調べたら、りびんぐゲームは90年始まりだった。ごめん)
りびんぐゲームを入れてしまうなら、同じ90年始まりの「14歳」・戸川洋子(ヨッコ)を入れてもいいと思う。
が、「14歳」は、ヒロインというよりも、作品として重要な側に入るかも、と思い、次点にした。
※余談:猪熊柔/YAWARA!は入れ忘れているのではなく、除外している。
※追記:読み返して気付いたが、5+1人は全員○○○かも(若干ネタバレにもなるので伏せ字。一角はあえてその設定にしなくても話は成立するし、一角のそれまでの言動とは若干ちぐはぐに感じたが、逆にそのアンバランスさが魅力だった)。
最後の公式戦(夏季県大会)は印象に残っている。毎年、県内で一番立派な総合体育館で行われる大会だった。梅雨時にある。
団体戦予選は、秋季大会と同じく4校によるリーグ戦だった。上位2校が決勝トーナメントに上がる。
当校の場合は、全国レベルの高校と、それに準ずる高校と、平均レベルの高校の3校での争いだった。前二者には、それぞれ0-5,0-4という散々な結果に終わった。T君は健闘して強豪校相手に引き分けに持ち込んだし、ほかの選手も一年前に比べたらずっといい試合をするようになっていた。
だが、勝負の世界は厳しい。現実のリアルビジネスの世界でもそうなのだが、自分が成長しても、ほかのライバルはもっと成長している。最後の三試合目は、確か4-1で勝ったのかな。これで、T君の世代にとっての最後の団体戦は終わった。各リーグで上位2校だけが勝ち抜いて、決勝トーナメントに進出する。当校は第3位だった。これで、本当に終わったのだ。
翌日には団体戦の決勝トーナメントがあって、うちの学校と同じ市内のところが優勝した。N君が所属する学校だった。広島県は、伝統的に野球と柔道が強い。サッカーもそれなりである。
大体のスポーツは広島市にある学校が県内最強なのだが、柔道の場合は、広島市と福山市にある高校が県内二強である。いずれも全国に通用する実力を有していた。
記憶に残っている試合の話をする。その翌週には個人戦の部門があった。各階級に分かれて戦い、優勝者が全国大会に出場する。T君は、81kg級で出場した。
1回戦は、尾道にある高校の選手と当たった。確か、今年放送のアニメ『ぽんのみち』の舞台の近所にある学校である。俺は、第一試合が始まる前にT君の打込練習に付き合っていた。体を温めておくのだ。体を超動かすスポーツの場合は、事前のウォーミングアップが欠かせない。無論ハードモードである。
T君の試合が始まる直前だった。
「勝つとか、負けるとか考えるな。試合の邪魔だ。柔道のことだけ考えろ」
と言った。T君は「やり切ってきます!」と言った。
やがてT君が呼ばれて、試合場の前と、開始線の前での二度の礼が終わった。
「始め!」
という審判の声とともに、相手と組み合った。練習で教えたとおり、大内刈りと小外掛けを繰り返しやっていく作戦を採っていた(T君は左利きの左組み。多くの場合はケンカ四つの組み手になる。鏡写しの組み姿勢)。彼の運動神経だと足技の威力は弱いのだが、技をかけ続けていれば指導は取られない。
相手が技を仕掛けてくると、T君は隙を見て――寝技の態勢に移行した。その時はたしか、相手が低くしゃがんで投げる背負い投げに失敗したのかな。
すると、T君は相手に密着しつつ、真横に体重を預けるようにして、釣り手だけで送り襟締めを決めた(相手の背後から横襟を掴んで、手首の尺骨でグイっと頸動脈を圧迫する)。
相手がたまらず仰向けになったところで、両足を絡めた縦四方固めに移行すると、相手は全く動けずに25秒が経過した。一本勝ちである。
よく、ここまで強くなったと思った。彼と出会った頃は、紐に巻かれたチャーシューが柔道をしているように思えた。あまりにボテボテとした動きで、才能がないのは明白だった。
だが、T君はここまで寝技を鍛えた。彼にとってのエクスカリバーだった。この頃の彼は、俺と寝技の乱取りをしても1分以上は持ちこたえることがあった。
さて、次の試合だが……例の強豪校の子だった(N君)。T君と同じく高三で、改めて見るとスマートな体形だった。背丈はやはり185cmはある。あの細長い足から繰り出すカミソリのような内股で、T君は何度も吹っ飛ばされてきた。
おそらくこの時点で、すでに名門大学からスカウトを受けている(記憶によると、その後明治大学に進学している)。
試合が始まる直前、T君と最後の技の打ち込みをして、最後は大内刈りで投げさせてやった。試合場に送り出す時、背後から彼の両肩に手を置いた。肩甲骨のあたりが1年前より逞しくなっている。そのまま、グイっと前に押し出すようにして闘魂を注入した。
試合前の二度の礼の最中、対戦者であるN君の表情を見た。高校三年生とは思えないほど大人びていた。歴戦の兵を見ているようである。高校三年間をスポーツに捧げた者の目つきだった。子どもの頃から、数多くの試練を乗り越えてきたのだろう。こういう野獣の眼をしている若人は少ない。
試合場の外には、そのN君の学校の仲間と、あとは監督・コーチ陣が控えていた。これといった表情はない。自分の教え子の初戦を観察するのは指導者の基本である。それだけだ。
実は、この時の試合はビデオ撮影している。映像は悪いのだが、できるだけ実況風に説明してみる。わからない単語があった場合は、とりあえずこちらの、
柔道チャンネル:柔道用語https://www.judo-ch.jp/terms/
柔道の技https://www.judo-ch.jp/technique/
をご覧になるといい。
別に、不明な単語や表現があって気にしなくていい。読んでいるうちになんとかなる(と思われる)。以後、試合が終わるまでT君はTと表記する。N君はそのまま。紛らわしいからな。
さて、二度目の礼が終わった直後だった。試合場内ではTとN君が向き合っている。そして、審判が両者を確認する――試合開始の宣言があった。
「始めっ!」
Tは左組みで、N君は右組みだった。
N君は殴り抜くようにして釣り手を取ってきた。横襟のあたりだ。Tも相手の前襟を掴んだが、どこか心もとない。柔道力に差がありすぎて、まともに襟を掴めないのだ。厳しい印象の組み手だったが、後は引き手を握ることができれば……。
次の場面では、同じタイミングで袖を握り合った。中ほどの位置だった。相手はちょっと嫌がったかもしれない。かくして両者の組み手が完成する。ケンカ四つの組み手である。
Tは大内刈りに入ろうとしたが、難しい様子だった。対戦相手と体力差があると、そもそも技のモーションに入ることすら難しい。両者、ジリジリと畳の上で移動を重ねていく。N君が技に入る様子はない。シード枠で第一戦目だった。慣らし運転という印象を受けた。
これは舐めプではない。トーナメントの初戦というのは、綺麗に勝って勢いをつけるものだ。何事も始まりが大事である。
重心移動を重ねていく両者。ここで、Tが小外掛け、そして大内刈りに入ったが……全く効いていない。もう一度リズムを取って、トン、という畳を蹴る音が聞こえた(ビデオ映像では聞こえないが、俺は確かに聞いた)。Tが足指の裏で畳を蹴り込んで、再度の大内刈りを放ったのである。
今度はバッチリ効いていた。左腕で相手の肩を制していたのが大きい。ふくらはぎを刈り取られるようにして、N君が後ろに後退していく。数歩だけ後ろに下がったところで、技が解けて動きが膠着した。
Tは、そこから双手刈りに変化して、相手を押し込んで寝技に持っていこうとする――が、相手は両手を使ってTを上下に振って無効化した。Tの体が揺れている中、N君の大内刈りがしっかと掛かると、真後ろに倒されるのをどうにか我慢した。間合いを取ろうとしたが、遅かった。
N君は、Tの体を引き出して崩しつつ、股下に飛び込んでいた。全身を躍動させて、右脚でもってTの骨盤を跳ね上げた――内股、炸裂。
会場がどよめいた。それくらい、鮮やかな技の入りであることの証明だった。Tの身体が浮いている。が、まだ投げられてはいない。右足をケンケン状態にして抗っていた。歩幅のあるケンケンをしていた。
最後に、ダメ押しとばかり身を捨てたN君に巻き込まれる格好で、畳に落ちていく。
「……!」
主審の動作は、会場全体の視線に応えるかのようだった。右腕を緩やかに振っている――ノーポイントだ。背中がついてないので当たり前だが。
会場の反応を気にする素振りもなく、それからの寝技の攻防を見守っていた。Tが上からN君を攻め立てるが、「待て」がかかる。
次の組み手でもそうだった。お互いに十分な位置で組めているとは思うが、相手の圧に押されて、Tは身動きが取りにくい。N君は、けん制気味の大内刈りで攻めていた。タイミングを合わせて内股を狙っている。
ある瞬間だった――N君が内股を仕掛けた。すると、Tの動きがおかしかった。ジャンプするようにして真横に飛んだのだ。相手の振り上げた足がぶつかって、コロンと畳を転がった。背中がついている。
「技あり!」
N君にポイントが入った。背中はついていたが、勢いがなかった。
その後も厳しい展開が続いた。Tは相手とガッシリと組み合った後、てんで効かない大内刈りを繰り返していた。そして、N君はそれを上回る勢いで足技を仕掛けてくる。
Tは、それからも真横にジャンプするような動きをすることがあった。対するN君は、いい位置の組み手を取って大内刈りを仕掛けている。大内刈り→内股に繋げるのが狙いだ。
Tは正面から大内刈りを受けるも、後ろに飛んで腹ばいになって回避した。「待て」がかかった。その後、Tに指導(※ノーポイント)が与えられた。
「始め!」
ここで、N君が奥襟を掴もうとしてきた。奥襟というのは文字通り、横襟よりも奥になる。あなたが今着ている衣服で言うと襟首である。
Tは抵抗を見せるも、最初は横襟を掴んでいた敵人の右手は、ついに奥襟に差し掛かった。Tは体を後ろに下げつつ……なんと、内股を放った!
N君の奥襟を取る力を利用しようとしたのだろう。ただ、懐には入れていたが全く効いていない。発想はよかったが、素の柔道力の違いがこういう所に出る。威力が無さすぎて、N君の方が戸惑っているように見えた。
今は、互いに横襟を握り合っている状態だ。ケンカ四つなのは変わりない。さっきとは、うって変わって静かだった。N君は小刻みに大内刈りを繰り返している。投げる気はない。けん制だ。Tも、何かを狙うかのように釣り手を小刻みに動かしている。
N君が、釣り手を下方向に絞ったかと思うと、Tの胸をいきなり突いた。一歩下がることになり、また前に踏み出そうとする。その時、Tの胸を小突くようにしてまた大内刈りを放った。Tは嫌がって、猫背気味に距離を突き離した。そして、背筋を真っ直ぐに戻した直後である――直立姿勢。一瞬の静止。
N君は脱力している。俺はつい、「あ……」と言った。技に入る準備ができている。もうダメだ。直観である。
一瞬だった。N君は釣り手と引き手を利かせつつ、軸足としての左足で、Tの股下に飛び込んだ。体を密着させつつ、右足を高らかに振り抜いた――内股、一閃。
「技ありいいぃーーーーッ! ……抑え込みッッ!!」
審判の声が響いた。
彼らを視認すると……TがN君を横四方固めで抑え込んでいた! とともに湧いてきたのは、会場からのどよめきと、賛辞の拍手だった。
「なにしとる、N。まだ逃げられる! 右に回転せえ、手を、手を突っ込め!!」
N君の高校の監督が、試合場の外から怒号交じりのアドバイスを送っていた。不完全ではあるものの、N君は確かに抑え込まれている。
何が起こったのか。一応、撮影したビデオ画面をベースに説明すると……あの時、N君が振り上げた右足は、Tの身体を跳ね上げることなく空振りし、宙をひと回り以上して畳に落ちていったのだ。返し技――内股すかしである。
Tがやったのは、まず一番に跳ね上げられるであろう左足を、真後ろに隠して回避するという古典的な内股すかしだった。あとは、N君が内股を空振りして自らの威力で吹っ飛び、空中を一回転半して腹ばいで畳の上に落ちた。そして、Tが電光石火の早業で抑え込んだ。以上である。
「てら、全力で体重乗せんだよ。あと半分、半分!」
※あと10秒抑え込んだら合わせて一本
気が付くと、横四方固めはガッシリ入っていた。N君の動きは著しく制限されている。しかし、彼も体力は相当ある方だ。寝技が解けないならばと、背筋で跳ねるのを繰り返すことで、徐々に移動して……試合場外への脱出に成功した。
審判の「解けた!」の宣言の瞬間、試合場の端から抑え込みタイマーのブザー音が聞こえた。これは……!?
「待てー、待て……!」
審判の声は焦っていた。
開始線に戻った両者。ここで主審が、副審のところに行って協議を始めた。N君の学校の監督・コーチ陣は、ギラついた目で審判団を睨んでいた。タイマーを見ると、残り試合時間は1分半だった。
戻ってきた主審は、「技あり」のジェスチャーを取った後で、上方向に手を振った。ノーポイントに訂正する、という意味だ。
残念だった。あれは内股すかしだったが、投げ方は確かに変だった。N君が技に失敗して、自分で体勢をコントロールして腹ばいに落ちたようにも思えた。
正直、一本でもよかった。今の柔道では、スーパー一本といって、技の威力がありすぎて腹ばいに落ちた場合、一本になるルールがある。当時もその概念はあったが、ルールブックに明文化されているわけではなかった。
その後、併せて審判は、T君が寝技で抑え込んだことによる「技あり」の宣言をした。
「始め!」
N君は即座、猪突の勢いで駆けた。右手でTの奥襟を奪いに行こうとするが――パシン、という音がすると、なんとTが相手の柔道着の背中を掴んでいた――奥襟の、さらに真下の部分である。
N君は、前傾姿勢になった。彼もTの奥襟を掴んではいるが、動きはない。静止している。
「なにをしよおる、はよう技に入れ!!」
わかっていない。N君は動かないんじゃない、動けないのだ。Tの腕力は本物だったようだ。
「ようだ」というのは、俺がTと乱取りしていて、背中を取らせたことは一度もないからである。
体捌きも、総合的なパワーも、ありとあらゆるテクニックも、俺の方がずっと上だった。よって、奴のパワー(ベンチプレス160kg,背筋280kg以上)を体感する機会はなかった。
とにかく、N君は前傾姿勢のまま動けないでいる。その状況で、Tは不意に大外刈りに入った。N君のふくらはぎに刈り足が当たって、ケンケン状態で後ろに下がった。
Tが大外刈りをやめると、すぐさま、今度は連続して内股に入るのだった。釣り手で背中を掴んだまま、大腰みたいにしてN君の体が浮いたが……やはり柔道力が足りない。そのまま両者、畳に沈み込んだ。
いや、違う! Tはこれを、寝技を狙っていた。寝姿勢に入った途端、N君の片腕を取りつつ、巻き込むようにして後ろ袈裟固めに入ろうとする。N君はさらに体を転がして回避した。防御姿勢になる。
Tは亀状態になったN君の上に乗ると、帯を掴んだ。すると、体を捨てる重心移動によって亀状態をひっくり返した。そのまま縦四方固めに持っていこうとする。
再び、N君は腹ばいになって逃れるも、ここでTは――中腰の姿勢になり、両腕で相手の柔道衣を握った。胴衣の腕の部分と、下袴の太腿部分をそれぞれ握っていた。そのまま、立ち上がってN君を両手で宙づりにすると――畳の上にゴロンとひっくり返した。
「抑え込み!」
タイマーのカウントが始まるが、抑え込んで十秒もしないうちに解かれてしまった。試合の残り時間は、あと30秒ほどだ。
いい作戦だった。まともに立ち技で勝負してN君に勝てるはずがない。先ほどの背中を掴んだ組み手は本当によかった。寝技にもっていくための算段のひとつである。背中を掴んだ後は、なんやかんやで相手を動かし続ければいい。
背中を掴むのに成功してからは、立ち技をガンガン打って、早々に寝技に引き込んで、審判の「待て」がかからないように動きまくるのだ。それで時間を稼ぐ。
彼は、これを狙っていたのか。作戦だったのか? そんなことは……あるかもしれない。まぐれはこんなに続かない。彼の脳裏にこの流れがあったのだ。
主審は、選手2人が開始線の前に立つと、柔道衣の乱れを直すようポーズを取った。
そして、N君に対して指導を与えた。一瞬、彼の表情を見たが、恐れを感じていた。眉のあたりが強張っている。恐怖を感じる時の表情だ。これから自分がどうなるかわからない、そういう恐怖を感じている。
会場がどよめいていた。大番狂わせのニオイを感じ取っている。
「始め!」
N君は脱兎のごとく、Tの奥襟を取った。対するTが背中に手を回すよりも早く、伝家の宝刀、内股に入った――不十分な組み手だったが、Tの股下に入った足がガッシリ効いている。浮かないようにするだけで精いっぱいだった。
「ヤアァァーーーーーーーーーーッ!!」
N君は咆哮を上げつつ、内股から大内刈りに変化した。自分の後ろに投げる技から、前に投げる技への連続――完璧なタイミングだった。
「終わった……?」と思ったその瞬間、Tは自らの体をコマのように回転させて、腹ばいになって畳に落ちた。寝姿勢で向き合って、怒涛の勢いでN君を組み敷いたかと思うと、縦四方固め……? いや、違う。それはフェイントであり、腕がらみ(アームロック)を極めようとしていた。審判が真上から様子を見ている。関節技が極まるか極まらないか、際どい局面だった。
刻一刻と、時間が経過していく……Tの作戦が功を奏したのだ――試合終了のブザーが鳴った。
「それまで!」
ここまで四分。実時間で約十分。お互いによく戦った。ポイントは同点である。この場合は、主審×1と副審×2による旗判定で勝敗を決する。
試合用のタイマーが置いてある長机から、審判員が手慣れた動作で紅白旗を取った。元の位置まで戻ると、主審は、副審を見やってアイコンタクトを取った。全員、どちらに旗を上げるか決まったようだ。N君が赤旗で、Tが白旗だった。
紅白2本の旗を手前に持ち上げる審判員――白い旗が2本だとTの勝ちである。会場の一角は、静かだった。かくいう俺も心臓がバクバクだった。僅かな時間のはずなのに、長く感じられる。
「判定ッ!」
赤2本、白1本という事実を確かめて主審は、溜め息を吐きながら白い旗を仕舞うと――N君の方に勝利の手を掲げた。
この試合を見ていた観客は、ほぼ全員が選手2人に拍手喝采を送っていた。スタンディングオベーションである。いい試合だった。勝ち負けとかどうでもよくて、とにかくいい試合だった。
俺はしばらく其処に立っていたが、T君の後を追いかけてトイレの方に向かった。
次です
秋の静けさが漂う東京の一角で、異様な緊張が走った。歴史学者、宮内敬一と考古学者、佐伯真一の変死体が発見されたのだ。二人は、かつて共に百済本紀の存在を追い、その謎を解き明かそうとしていたが、彼らの研究は突如として闇に葬られた。
警察による初動捜査は、外部からの侵入の形跡がなく、殺人であることを示す証拠はほとんど見つからなかった。二人の遺体には目立った外傷もなく、死因は心不全とされたが、その背後には疑念が残された。まるで何かを隠蔽するかのように、彼らの死は「自然死」として処理されることとなった。
宮内と佐伯が追い続けていた「百済本紀」は、二人の死と共に消え去り、今やその存在すらも「無いもの」とされた。学術的に重要であったはずの資料も、調査に使用されていたすべての記録は抹消され、百済本紀の存在を証明するものは、どこにも残されていなかった。
「なぜ二人は殺されたのか?」
その疑問は、学界のごく一部で囁かれるだけであり、公にはまったく注目されることはなかった。二人の研究は、韓国や日本の学術界ではタブー視され、まるで百済本紀という存在そのものが、二人の死を消し去るかのように扱われた。
宮内と佐伯が見つけた百済本紀――それは、朝鮮半島南部がかつて倭人の支配下にあったことを証明する決定的な証拠だったかもしれない。しかし、その真実は深く闇に葬られ、二人の死によって全てが消えた。そして、世間は彼らの死を追うことなく、ただ静かに時が過ぎていった。
その後、韓国の学術界では新たな説が次第に台頭し、支配的な理論となっていった。朝鮮半島南部に点在する「前方後円墳」――それは、かつて日本との関係を示す重要な遺跡と考えられていたものだったが、韓国の考古学者たちによって「方墳の誤解」だという新説が唱えられ、広く支持されるようになった。
「これは、単に方墳が重なり合って造営されたものに過ぎない。倭人の影響を示すものではない」とする学説が一般化し、朝鮮半島南部における日本との関係性は次第に曖昧なものとされた。
韓国のメディアや教育機関でもこの説が広まり、前方後円墳が日本由来であるという主張は「誤り」であるとされるようになった。この新しい歴史認識は、韓国社会において広く受け入れられ、かつての日本との関係を強調する要素は薄れていった。
そして、その流れはやがて日本にも影響を及ぼす。
日本国内でも、宮内と佐伯の死後、百済本紀にまつわる話は完全に封印され、朝鮮半島に関する歴史的議論は一切なされなくなった。むしろ、日本は再び「謝罪するだけの国」としての立場を強化し始める。歴史問題については、韓国や他の近隣諸国に対して従属的な姿勢を示し、過去の過ちを認める方向へと舵を切っていった。
朝鮮半島における日本の歴史的な関与については、批判的な論調が強まり、過去の征服や影響についての議論は「日本の侵略」という一面的な見方に統一されていった。日本国内でも、戦前の行いに対する反省と謝罪が繰り返され、歴史認識をめぐる議論は沈静化した。
百済本紀に関する研究は「なかったこと」とされ、二人の学者が追い続けた真実は、学会の表舞台から消えてしまった。
宮内と佐伯が命をかけて追い求めた「百済本紀」は、表向きには消え去った。しかし、その存在が完全に忘れ去られることはなかった。わずかながらも、彼らの研究に触れたごく一部の者たちが、裏でその真実を守り続けようとしていた。
日本国内の地下の一部では、失われた資料の断片を手に入れようとする者たちが密かに動き始めていた。彼らは、百済本紀が消えた理由を探る中で、政府や国際的な影響力を持つ陰謀の存在を疑い始めた。そして、宮内と佐伯の死が、単なる偶然ではなく、何らかの計画的な犯行であった可能性が高まっていると考えていた。
この裏で動く影たちは、「なぜ彼らは殺されたのか?」という疑問に取り憑かれていた。
彼らの手に渡る断片的な資料は、百済本紀に書かれていた可能性のある、朝鮮半島南部が倭人――つまり日本人の支配下にあった事実を示唆するものだった。もしその真実が公にされれば、日韓関係、さらには東アジア全体の歴史認識が根本から揺るがされるだろう。しかし、誰かがそれを望まなかった。
「前方後円墳が倭人の影響を示すものだと証明されれば、朝鮮半島南部は日本の故郷だと認識される。だが、それは今の世界秩序にとってあまりに危険な真実なのかもしれない…」
彼らの声は、闇の中で囁かれるのみだった。
宮内と佐伯の死の真相は今も解明されていない。百済本紀は闇に葬られ、朝鮮半島南部の前方後円墳はただの方墳として再解釈され、失われた倭人の故郷は再び歴史の深淵に埋もれてしまった。
だが、どこかでその真実を求め続ける者たちがいる。彼らは、いつか再び歴史の光の中に百済本紀を取り戻し、宮内と佐伯の死の意味を解き明かそうとするだろう。
だがその日はまだ、遠い未来の話だった。
ボカロをはじめとしたDTMで趣味の作曲から身を立てたネット投稿者のような
若い人たちの間で主流のアマチュア的/アウトサイダー的アートスタイルが重用されるのは自然の帰結
https://www.youtube.com/watch?v=VN9ucWhXEm4
個人的にこのゲーム会社は音楽レーベルを超えた何かだと思っていてポップス作ってもセンス良い
https://www.youtube.com/watch?v=cK1ABiGuiG0
橋本環奈です!
この盤面どう打開すればいいのかしら?
早々にお腹を空かせて道端で倒れたギャルを助けに持参したおむすびを食べさす現代のアンパンマン的なギャル物語だと私は踏んでいる朝ドラの『おむすび』だけど
それとはぜんぜん違う盤面!
私は詰め将棋のコーナーの新聞の片隅のそういうやつのパズル的な将棋を解くことをチャレンジしたことは一度も無いの。
でも
またゼルダの話?って言われちゃいそうだけど、
その画面をずーっと眺めながらあれやこれや試行錯誤しながら1手ずつ進めていくの。
世間のあの新聞の一角のコーナーを賑わせている詰め将棋のコーナーは
きっと小さなゼルダの伝説的な謎が詰まっている局面なのかも知れないって逆に思ったの。
とはいえ、
私は将棋といえば王将で餃子2人前にルービーを決めるスタイルしか知らないの。
もう餃子2人前とルービーが提供されるからいつものお得なセットなのよね。
そんな局面ね。
そんで私は
そうよ!
牢屋にゼルダが閉じ込められて身ぐるみ剥がされて装備が一切無い状態で一切の「カリモノ」が出来ない状況で
詰め将棋の盤面で言うところの、
餃子の王将で餃子2人前頼まずにまずラーメンから行くタイプの餃子屋さんにいって餃子頼まないこいつ出来る!って思わせる強いパターン!
むむむ、
私はそのトリィのモノを動かせる能力のみで、
そのハートの欠片をゲットする盤面に直面している局面で極端に緊張していたわ。
うーん、
これを取り損なったら取り損なうわ!ってトリィおねがい!って言ってもトリィは黙ったまんまでヒントすら出てこないじーっと画面を見続けながら私はハイボールをちびちびと飲みながら炭酸がもう全部抜けかけて気の抜けたハイボールになった瞬間に開眼したの!
これだ!って!
ふと閃いて
モノを置く置き方を階段状にして上に登れるようにして
無事ハートをゲットしたの。
やったー!
この盤面の局面を極度の緊張の中、
ええ!?ってその盤面をちゃぶ台返しにした瞬間ひっくり返ったちゃぶ台、
それが真上にちょうど綺麗に上がってちゃぶ台がひっくり返ってもとの位置に着地した途端、
ちゃぶ台の上にあったご飯のよそってあるお茶碗や熱々の美味しそうなお味噌汁が注がれたお椀が1粒のご飯も1滴のお味噌汁もこぼれずに元通りに着地したの。
ELT的な信じ合える喜び!
それら奇跡と同じぐらい
お猿さんにタイプライターをあげて夏目漱石の坊っちゃんを書き上げる奇跡と
分解した懐中時計を水を張った水槽の中でかき回して元通りの時計に組み立てられるぐらいの奇跡!
それも奇跡!
それと同様なそれと同様な事が起こったの!
ってそれ野球の球場でのビール売上ナンバーワンの売り子さんのおのののかさん!
これ全体的に今のところの状況だと、
何かが難しいというよりも
全てにおいてカリモノでどう乗り越えるか!ってのが主題になっているテーマでもあり、
私は改めてそれに気付いたの!いまさらながらに
そして
ハート無事に取れて良かった!って
なんか達成感!
私は昨日続けていて取れないと諦めていたハートを再挑戦して取ることができたから
やっぱり諦めなければ試合終了じゃないって校長先生の偉い言葉であるような漫画の一節を借りるなら
「バスケがやりたいです!」っていうと思うわ。
なるー!
なるー!って言うのはなるほど!の略で
秋の訪れと同時に使う秋の季語なのよね
なるー!って
本当はどんどんゼルダを進めたいけれど
さっきも言ったように1日1局面を行って進めて行く
『ニーアオートマタ』のことも忘れてないわよ!
なんでかつて無いこのセーブポイントの遠さなの?って思ってしまう早々に断念してしまいそうだけれど
なにせ『ゼルダの伝説 知恵のかりもの』が落ち着かないと落ち着かないわ。
でも、
ゼルダの世界中あちこち寄り道しまくってここはどうなってるの?って探検はつまり冒険してる感じ!ってのもあるし
そんな感じよ。
朝ドラの『おむすび』つぎ誰をおにぎりで救うか楽しみでもあるし、
楽しみばかりな秋!
でもよ
良いニュースはたくさん上で言ったけれど
悲しいニュースもあるの。
ぐすん。
結局私は大谷翔平選手の記録に全然惜しいところまでいったんだけど
2-2よ。
その凄みを感じたところよ。
でも
うふふ。
でもたぶんゼロじゃない薄らとおにぎりが私の脳裏を漂っていて今日はワカメおにぎりにしよう!ってなったのかもね!
なるー!
秋だもん。
ホッツも熱々だけど飲み頃ぐらいの温度にまで置いておけば飲めるので
だんだんとホッツな季節になってきたわ!って実感するところね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
稼働直後に(時期は若干前後したものの)最高レアとして実装された古株同士で、得意タイプも一緒。
かつスキルもそれなりにシナジーがあり、性能自体初期キャラにある種特有の「シンプル故に代替が効きにくい」ものだったこともあり、稼働直後の選択肢が少ない頃には所謂理想編成の一角として、攻略サイトでは同時にパーティに組むことを推奨されていたりもした。
勿論シナリオ上の設定には(ちょっとした共通点はあったものの)一切の関わりのない同士だったが、そもそも初期キャラ故にその背景設定自体が非常にシンプルで、かつ「主人公の仲間として一緒に行動している」程度の妄想のできる余白はあったので、当初よりささやかながらファンコミュニティでもこの二人をペアとして扱う二次創作がいくつか散見されていた。
自分自身彼らを主力パーティとして同時に編成してプレイすることも多かったので、こんな風にちょっとした交流があったら面白いだろうなーと小さな妄想を楽しんでいた。カプ、というレベルでは無かった気がするが。
やがてゲームが軌道に乗り、キャラが増え、二人揃って理想編成から姿を消すことになっても、戦力が揃っていないプレイヤー向けのお薦め編成には長く二人揃って名前が残っていた。
また、この頃には「一つの大きなシナリオにてそれぞれの役割を担い、相互に詳細な人間関係が設定されているグループのキャラクター」が増え、かつゲーム自体の中心となってきていたが、自分が推す例の二人は相変わらずキャラクター単体でストーリーが完結していた……というか、実装時の紹介イベントのストーリーから一切ストーリー的な進展がないままだった(なので二人とも、古参のお馴染みキャラという立ち位置でこそあれ、人気自体はそこそこといったところであった)。
ゲームのメインストリームからは取り残されつつあったが、そもそもゲーム上の相性が良いだけでシナリオ的な根拠が一切ない二人を勝手に組ませて妄想している身としては(まことに身勝手な話だが)、都合が良かったのである。
二人のどちらにシナリオ上の進展が来たら間違いなくこの関係性は「そもそも存在しない」ものになるだろう、そうなっても、というかもともと「そう」なのだから文句は言えない、所詮は界隈で言う「顔カプ」である。
今のうちに楽しんでおこう……と、おそらく当時はそう覚悟できていたと思う。ここまでが前置き。
ある時、ついにこの二人にゲーム内での公式供給が発生した。しかもそれぞれではなく、二人同時に、両者の交流が描かれるという形で。
ゲーム内のミニイベントの更に1エピソードという大変ささやかなものではあったが、両者のちょっとした共通点に主眼を置き、二人が交流を通してその共通点から生じる問題に向き合い、互いの在り様を肯定するという、ありふれたものながら非常に「良い話」だった。
少なくとも自分はこういった形で両者の交流がゲーム上で実現、可視化されたことに快哉を叫んだし、界隈でも評判の良いエピソードとして捉えられた。
またエピソードで改めて二人の「共通点」が提示されたことで、今後その共通点を巡ってのシナリオの掘り下げを期待する空気も生まれた。
エピソード自体は恋愛の文脈に乗っかったものではなかったが、それを機に恋愛に振った二次創作も増えた。相変わらず二人のゲーム内での出番は増えなかったが、ひっそり自分の中で関係性のエモさを消費している分には全く問題はなかった。
もしかしたらまた進展があるかもしれないし、このまま何もなく古参キャラとして埋もれてしまうかもしれない。進展があったら嬉しい、ぐらいの気持ちでいた。それだけでも十分だった。
状況が変わったのはそれから更にしばらくのことだった。二人のうちの男の方(以降男をA、女をBとする)が、唐突に「一つの大きなストーリーに連なるキャラクター群」に編入されたのである。
それまで全く関連の描写がなかったのに、実はAはシナリオ上での重要な関係者であった、という設定が付与されたのであった。
Aが編入されたキャラクター群と彼らが背負うシナリオはゲームの根幹の一角を成す重要なものであり、注目度も人気も界隈内ではかなり高い。
編入に伴うストーリーはAがこれからそのシナリオグループ内でキャラクターとして新たな一歩を踏み出すに足る説得力を有していた。
彼はそのストーリーの中で、かつてBとの間にあった「共通点」から生じる問題を、ストーリー内で登場した新キャラと一緒に見事に解決してみせた。
故に彼は一気にゲーム内の人気キャラへと出世した。ド栄転である。
Aを主題とした二次創作の数も爆発的に増えた。ただしその中にBの姿は当然ながら影も形もなかった。
その後、Aは自身を取り巻く大きなストーリーの中で、継続的に出番を得、新たな人間関係を構築し、キャラクターとして成長を続けている。
しかしそれはあくまでも彼の属するストーリーの人間関係の中でのことであり、Bについての新たな言及は編入以降一切ないままだ。
今やストーリーの中で大きな役割を担わされたAには、システム上のシナジーで人間関係を妄想できるような隙間自体皆無である。
やがて界隈からAとBがかつて何となくセット扱いされていたという記憶も薄れた。今なら、今でこそ、AとBはまだ設定が固まりきってない頃に勝手に妄想された顔カプと言われてしまうし、自分もそれを否定できない。
かつて予感していた「そもそも存在しない」状態が訪れたということだ。だから結局愚痴にしかならない。
ただもう一つ愚痴を重ねさせてもらうとすれば、Bについては相変わらず全くシナリオ上の出番も掘り下げもないまま時が経過してしまっていることだ。
Bもまた新しい人間関係の中に組み込まれ彼女なりの成長を描写されているのなら、AとBの邂逅はひとときのオタクの勝手な妄想として自分の中でケリをつけられた気がする。
しかしBは、それこそAとのミニイベント以降、キャラクターとしての時が止まったままなのである。それこそAのようにいきなりの設定を生やしてでも掘り下げる余地のいくらでもあるキャラなのに、と、思う。
SNSのTLでAが今の彼の仲間と肩を組んで笑っているイラストが流れてくる度、消化しきれない思いを自覚してしまい、それがちょっとした自己嫌悪になる。
……と、ここまで愚痴って思うが、なんかこれって失恋した側の未練ぽいな……結局は推しカプに失恋した単なるオタクの未練なのだ(そもそも恋自体始まらなかったというやつ)。
究極的にはゲーム辞めれば良いんだよな……という話なのだが、ゲームとしてはそれはそれで相変わらず楽しめているので、結局愚痴をだらだら書き残すしかない。この未練を抱えたまま。
砲丸投げほど力のいるものはなかろう。力のいるわりにこれほどおもしろくないものもたんとない。ただ文字どおり砲丸を投げるのである。芸でもなんでもない。野々宮さんは柵の所で、ちょっとこの様子を見て笑っていた。けれども見物のじゃまになると悪いと思ったのであろう。柵を離れて芝生の中へ引き取った。二人の女も、もとの席へ復した。砲丸は時々投げられている。第一どのくらい遠くまでゆくんだか、ほとんど三四郎にはわからない。三四郎はばかばかしくなった。それでも我慢して立っていた。ようやくのことで片がついたとみえて、野々宮さんはまた黒板へ十一メートル三八と書いた。
それからまた競走があって、長飛びがあって、その次には槌投げが始まった。三四郎はこの槌投げにいたって、とうとう辛抱がしきれなくなった。運動会はめいめいかってに開くべきものである。人に見せべきものではない。あんなものを熱心に見物する女はことごとく間違っているとまで思い込んで、会場を抜け出して、裏の築山の所まで来た。幕が張ってあって通れない。引き返して砂利の敷いてある所を少し来ると、会場から逃げた人がちらほら歩いている。盛装した婦人も見える。三四郎はまた右へ折れて、爪先上りを丘のてっぺんまで来た。道はてっぺんで尽きている。大きな石がある。三四郎はその上へ腰をかけて、高い崖の下にある池をながめた。下の運動会場でわあというおおぜいの声がする。
三四郎はおよそ五分ばかり石へ腰をかけたままぼんやりしていた。やがてまた動く気になったので腰を上げて、立ちながら靴の踵を向け直すと、丘の上りぎわの、薄く色づいた紅葉の間に、さっきの女の影が見えた。並んで丘の裾を通る。
三四郎は上から、二人を見おろしていた。二人は枝の隙から明らかな日向へ出て来た。黙っていると、前を通り抜けてしまう。三四郎は声をかけようかと考えた。距離があまり遠すぎる。急いで二、三歩芝の上を裾の方へ降りた。降り出すといいぐあいに女の一人がこっちを向いてくれた。三四郎はそれでとまった。じつはこちらからあまりごきげんをとりたくない。運動会が少し癪にさわっている。
「あんな所に……」とよし子が言いだした。驚いて笑っている。この女はどんな陳腐なものを見ても珍しそうな目つきをするように思われる。その代り、いかな珍しいものに出会っても、やはり待ち受けていたような目つきで迎えるかと想像される。だからこの女に会うと重苦しいところが少しもなくって、しかもおちついた感じが起こる。三四郎は立ったまま、これはまったく、この大きな、常にぬれている、黒い眸のおかげだと考えた。
美禰子も留まった。三四郎を見た。しかしその目はこの時にかぎって何物をも訴えていなかった。まるで高い木をながめるような目であった。三四郎は心のうちで、火の消えたランプを見る心持ちがした。もとの所に立ちすくんでいる。美禰子も動かない。
よし子は美禰子を顧みた。美禰子はやはり顔色を動かさない。三四郎は、
「それより、あなたがたこそなぜ出て来たんです。たいへん熱心に見ていたじゃありませんか」と当てたような当てないようなことを大きな声で言った。美禰子はこの時はじめて、少し笑った。三四郎にはその笑いの意味がよくわからない。二歩ばかり女の方に近づいた。
「もう宅へ帰るんですか」
女は二人とも答えなかった。三四郎はまた二歩ばかり女の方へ近づいた。
「どこかへ行くんですか」
「ええ、ちょっと」と美禰子が小さな声で言う。よく聞こえない。三四郎はとうとう女の前まで降りて来た。しかしどこへ行くとも追窮もしないで立っている。会場の方で喝采の声が聞こえる。
「高飛びよ」とよし子が言う。「今度は何メートルになったでしょう」
美禰子は軽く笑ったばかりである。三四郎も黙っている。三四郎は高飛びに口を出すのをいさぎよしとしないつもりである。すると美禰子が聞いた。
この上には石があって、崖があるばかりである。おもしろいものがありようはずがない。
「なんにもないです」
「そう」と疑いを残したように言った。
「ちょいと上がってみましょうか」よし子が、快く言う。
「あなた、まだここを御存じないの」と相手の女はおちついて出た。
「いいからいらっしゃいよ」
よし子は先へ上る。二人はまたついて行った。よし子は足を芝生のはしまで出して、振り向きながら、
「絶壁ね」と大げさな言葉を使った。「サッフォーでも飛び込みそうな所じゃありませんか」
美禰子と三四郎は声を出して笑った。そのくせ三四郎はサッフォーがどんな所から飛び込んだかよくわからなかった。
「あなたも飛び込んでごらんなさい」と美禰子が言う。
「私? 飛び込みましょうか。でもあんまり水がきたないわね」と言いながら、こっちへ帰って来た。
やがて女二人のあいだに用談が始まった。
「あなた、いらしって」と美禰子が言う。
「ええ。あなたは」とよし子が言う。
「どうしましょう」
「どうでも。なんならわたしちょっと行ってくるから、ここに待っていらっしゃい」
「そうね」
なかなか片づかない。三四郎が聞いてみると、よし子が病院の看護婦のところへ、ついでだから、ちょっと礼に行ってくるんだと言う。美禰子はこの夏自分の親戚が入院していた時近づきになった看護婦を尋ねれば尋ねるのだが、これは必要でもなんでもないのだそうだ。
よし子は、すなおに気の軽い女だから、しまいに、すぐ帰って来ますと言い捨てて、早足に一人丘を降りて行った。止めるほどの必要もなし、いっしょに行くほどの事件でもないので、二人はしぜん後にのこるわけになった。二人の消極な態度からいえば、のこるというより、のこされたかたちにもなる。
三四郎はまた石に腰をかけた。女は立っている。秋の日は鏡のように濁った池の上に落ちた。中に小さな島がある。島にはただ二本の木がはえている。青い松と薄い紅葉がぐあいよく枝をかわし合って、箱庭の趣がある。島を越して向こう側の突き当りがこんもりとどす黒く光っている。女は丘の上からその暗い木陰を指さした。
「あの木を知っていらしって」と言う。
「あれは椎」
女は笑い出した。
「よく覚えていらっしゃること」
「ええ」
「よし子さんの看護婦とは違うんですか」
今度は三四郎が笑い出した。
「あすこですね。あなたがあの看護婦といっしょに団扇を持って立っていたのは」
二人のいる所は高く池の中に突き出している。この丘とはまるで縁のない小山が一段低く、右側を走っている。大きな松と御殿の一角と、運動会の幕の一部と、なだらかな芝生が見える。
「熱い日でしたね。病院があんまり暑いものだから、とうとうこらえきれないで出てきたの。――あなたはまたなんであんな所にしゃがんでいらしったんです」
「熱いからです。あの日ははじめて野々宮さんに会って、それから、あすこへ来てぼんやりしていたのです。なんだか心細くなって」
「野々宮さんにお会いになってから、心細くおなりになったの」
「いいえ、そういうわけじゃない」と言いかけて、美禰子の顔を見たが、急に話頭を転じた。
「野々宮さんといえば、きょうはたいへん働いていますね」
「ええ、珍しくフロックコートをお着になって――ずいぶん御迷惑でしょう。朝から晩までですから」
「だってだいぶ得意のようじゃありませんか」
「だれが、野々宮さんが。――あなたもずいぶんね」
「なぜですか」
「だって、まさか運動会の計測係りになって得意になるようなかたでもないでしょう」
三四郎はまた話頭を転じた。
「さっきあなたの所へ来て何か話していましたね」
「会場で?」
「ええ、運動会の柵の所で」と言ったが、三四郎はこの問を急に撤回したくなった。女は「ええ」と言ったまま男の顔をじっと見ている。少し下唇をそらして笑いかけている。三四郎はたまらなくなった。何か言ってまぎらそうとした時に、女は口を開いた。
「あなたはまだこのあいだの絵はがきの返事をくださらないのね」
三四郎はまごつきながら「あげます」と答えた。女はくれともなんとも言わない。
「知りません」
「そう」
「なに、その原口さんが、きょう見に来ていらしってね、みんなを写生しているから、私たちも用心しないと、ポンチにかかれるからって、野々宮さんがわざわざ注意してくだすったんです」
美禰子はそばへ来て腰をかけた。三四郎は自分がいかにも愚物のような気がした。
「よし子さんはにいさんといっしょに帰らないんですか」
「いっしょに帰ろうったって帰れないわ。よし子さんは、きのうから私の家にいるんですもの」
三四郎はその時はじめて美禰子から野々宮のおっかさんが国へ帰ったということを聞いた。おっかさんが帰ると同時に、大久保を引き払って、野々宮さんは下宿をする、よし子は当分美禰子の家から学校へ通うことに、相談がきまったんだそうである。
三四郎はむしろ野々宮さんの気楽なのに驚いた。そうたやすく下宿生活にもどるくらいなら、はじめから家を持たないほうがよかろう。第一鍋、釜、手桶などという世帯道具の始末はどうつけたろうと、よけいなことまで考えたが、口に出して言うほどのことでもないから、べつだんの批評は加えなかった。そのうえ、野々宮さんが一家の主人から、あともどりをして、ふたたび純書生と同様な生活状態に復するのは、とりもなおさず家族制度から一歩遠のいたと同じことで、自分にとっては、目前の迷惑を少し長距離へ引き移したような好都合にもなる。その代りよし子が美禰子の家へ同居してしまった。この兄妹は絶えず往来していないと治まらないようにできあがっている。絶えず往来しているうちには野々宮さんと美禰子との関係も次第次第に移ってくる。すると野々宮さんがまたいつなんどき下宿生活を永久にやめる時機がこないともかぎらない。
三四郎は頭のなかに、こういう疑いある未来を、描きながら、美禰子と応対をしている。いっこうに気が乗らない。それを外部の態度だけでも普通のごとくつくろおうとすると苦痛になってくる。そこへうまいぐあいによし子が帰ってきてくれた。女同志のあいだには、もう一ぺん競技を見に行こうかという相談があったが、短くなりかけた秋の日がだいぶ回ったのと、回るにつれて、広い戸外の肌寒がようやく増してくるので、帰ることに話がきまる。
三四郎も女連に別れて下宿へもどろうと思ったが、三人が話しながら、ずるずるべったりに歩き出したものだから、きわだった挨拶をする機会がない。二人は自分を引っ張ってゆくようにみえる。自分もまた引っ張られてゆきたいような気がする。それで二人にくっついて池の端を図書館の横から、方角違いの赤門の方へ向いてきた。そのとき三四郎は、よし子に向かって、
「お兄いさんは下宿をなすったそうですね」と聞いたら、よし子は、すぐ、
「ええ。とうとう。ひとを美禰子さんの所へ押しつけておいて。ひどいでしょう」と同意を求めるように言った。三四郎は何か返事をしようとした。そのまえに美禰子が口を開いた。
「宗八さんのようなかたは、我々の考えじゃわかりませんよ。ずっと高い所にいて、大きな事を考えていらっしゃるんだから」と大いに野々宮さんをほめだした。よし子は黙って聞いている。
学問をする人がうるさい俗用を避けて、なるべく単純な生活にがまんするのは、みんな研究のためやむをえないんだからしかたがない。野々宮のような外国にまで聞こえるほどの仕事をする人が、普通の学生同様な下宿にはいっているのも必竟野々宮が偉いからのことで、下宿がきたなければきたないほど尊敬しなくってはならない。――美禰子の野々宮に対する賛辞のつづきは、ざっとこうである。
三四郎は赤門の所で二人に別れた。追分の方へ足を向けながら考えだした。――なるほど美禰子の言ったとおりである。自分と野々宮を比較してみるとだいぶ段が違う。自分は田舎から出て大学へはいったばかりである。学問という学問もなければ、見識という見識もない。自分が、野々宮に対するほどな尊敬を美禰子から受けえないのは当然である。そういえばなんだか、あの女からばかにされているようでもある。さっき、運動会はつまらないから、ここにいると、丘の上で答えた時に、美禰子はまじめな顔をして、この上には何かおもしろいものがありますかと聞いた。あの時は気がつかなかったが、いま解釈してみると、故意に自分を愚弄した言葉かもしれない。――三四郎は気がついて、きょうまで美禰子の自分に対する態度や言語を一々繰り返してみると、どれもこれもみんな悪い意味がつけられる。三四郎は往来のまん中でまっ赤になってうつむいた。ふと、顔を上げると向こうから、与次郎とゆうべの会で演説をした学生が並んで来た。与次郎は首を縦に振ったぎり黙っている。学生は帽子をとって礼をしながら、
「昨夜は。どうですか。とらわれちゃいけませんよ」と笑って行き過ぎた。
犯罪スレスレの生活を強いられている彼らにとって、「マッチングによる結婚」は最後の頼みの綱となっていた。
これに参加しなければさらに社会の底辺に押し込まれるという暗黙の圧力が存在していた。
タケルはそのプレッシャーを感じながらも、特別な期待を抱くことなくこのマッチングに参加することを決めた。
参加しなければ仕事も人間関係もますます行き詰まり、どこにも居場所がないまま犯罪と失敗を繰り返すしかないという現実が目の前にあったからだ。
彼女もまた、家庭崩壊と経済的困窮の中で育ち、社会の隅に追いやられた一人であった。
ミサキは最初結婚には興味がなかったが、周囲の空気や、もはや他に選択肢がないという感覚に押され、タケルとの結婚を受け入れることにした。
二人は特別な感情もなく、ただ「お互いにこれしかない」と思い込んだまま、形式的な結婚を進めた。
この新たなマッチング制度のもとタケルとミサキのような家庭は次々と作られていった。
しかし実質的な支援や愛情が欠如しているままのこの結婚制度はかつてのカズキたちの時代と同様に、愛情や共感のある家族関係を築くことがほとんどなかった。
結婚することで「何かが変わる」という期待は、早々に裏切られる。
社会には形式的に結婚した夫婦が増え続け表面的には家族という形が保たれているが、その裏には感情的な空白が広がっていた。
貧困や孤立の中で結婚を強いられた若者たちは経済的にも感情的にも余裕がなく、ただ日々の生活をやり過ごすだけだった。
愛情や信頼を築く時間はなく育った環境そのままに、次世代にも同じ無感情と絶望が受け継がれていく。
タケルとミサキの間にもやがて子どもが生まれた。しかし、この子どもたちが育つ環境はさらに悪化していた。
タケルもミサキも仕事を見つけることはできず収入が少なくなる一方で、家族を支えることができない状況が続いていた。
子どもたちは物心がつく前から経済的困難にさらされ、親からの愛情や支援をほとんど受けることなく育っていった。
彼らが成長すると、学校にも通わなくなり、友達も作れず、社会との接点を失ったまま犯罪スレスレの生活に突入していった。
盗みや詐欺、闇市場での売買などに手を染めるが、時代はさらに厳しくすべてがうまくいくわけではなかった。
成功を期待して計画した犯罪がことごとく失敗し、追いつめられる彼ら。社会の底辺にいる多くの若者が同じ状況にあり、競争は激化し、成功はますます遠のいていった。
タケルとミサキの子どもたちのような人々が社会に溢れ、街には犯罪と失敗が日常の一部となっていた。
犯罪すらうまくいかず無力感と絶望感が蔓延している。この社会では、形式的な結婚によって新たな世代が生まれるたびに、さらに深刻な問題が積み重なり、底辺の層は広がる一方だった。
人々は次第に「結婚さえすれば未来が変わる」という幻想を捨て、ただ生き延びるために無感情な日常を繰り返すだけの存在となりつつあった。
家族という形があるにもかかわらず、誰もが孤独で、社会全体が崩壊の一歩手前にあるような不安定な状況が続いていた。
この未来の社会は、犯罪と失敗で溢れるだけでなく、希望のない結婚生活と無感情な人間関係が続き、次世代にわたって繰り返される運命にあった。
スラムは、かつて活気に満ちた都市の一角が朽ち果て、放置された区域だった。
ボロボロのアパートが密集し街のあちこちでゴミが風に舞い、人々は疲れ果てた顔をして道端に座り込んでいた。
タケルとミサキの子どもたちのような若者や、その親たちが溢れかえるこの街には、希望などかけらもない。
犯罪に手を染めるも失敗し日々の生活に追われる人々の間では、もう将来への期待を語る者はほとんどいなかった。
仕事もなく、金もなく、社会の中での居場所もない。彼らはただ、目の前の苦しみを紛らわせるために酒を飲み時には薬物に頼り、現実から逃避しようとするがその努力すら無駄に終わることが多かった。
政府の広告が流れ、きれいなスーツを着たアナウンサーが笑顔で語りかける。
「未来をつかみましょう。マッチングによる結婚が、あなたに新たな道を開くかもしれません。お互いを支え合い、明日をともに作るパートナーを見つけましょう。」
明るい音楽が背景に流れ、完璧な家族の笑顔がスクリーンに映し出されている。
この喧伝は、スラム街の人々にとって既に耳慣れたものだった。何度も聞かされ、何度も信じては裏切られた言葉。
「マッチングによる結婚」という響きは、もはや希望ではなく、虚無感を伴ったものでしかない。
彼らの多くがその制度に従い、形式的な結婚をしてきたが、待っていたのはさらなる絶望と貧困だった。
若者たちの視線がスクリーンに向けられるが、そこにはかつてのような期待はない。
結婚によって何も変わらなかった過去が、彼らの心に刻まれている。
タケルの子どもたちのように、犯罪すら成功しない無力感に押しつぶされている人々にとって、この広告はただの幻想でしかなかった。
それでも、別の選択肢が存在しないという現実が、彼らを再びその「希望」に誘い込む。
「結婚すれば、少しは楽になるんだろうか…」誰かがぼそっとつぶやいた。
しかし、その声には信じる気持ちは感じられない。ただ、何も変わらない日常をどうにかするために、また同じ道を歩むしかないという諦めだけがそこにあった。
スラム街は暗く沈み、スクリーンの光だけがその一角を照らしている。
夜9時、カズキが眠りについた後、家の中には静寂が訪れた。
しかし、その静けさの中で、リビングにはスマホの画面をタップする音が断続的に響いている。
夫はソファに横たわり、スマホを操作している。妻もまた、ダイニングテーブルの椅子に座り、同じようにスマホを凝視していた。
彼女の視線は画面の中のSNSに釘付けだ。友人たちの投稿やコメント、次々と流れる他人の生活に触れ、時間を忘れてスクロールし続ける。
母親として、妻としての役割を一旦棚に上げ、ただ画面の中で過ぎ去る時間に身を任せる。育児という責任はすでに頭の片隅に追いやられ、彼女は虚構の世界に浸る。
カズキが泣き声をあげても、彼女は反応が鈍い。夜中に子どもが寝室から小さな足音を立ててやってきたときも、彼女はスマホの画面から目を離さない。
父親は、ちらりと子どもを見ただけで、何も言わずにまた画面に目を戻す。結局、カズキは二人の間に挟まれ、静かにソファに座って彼らの顔を見上げたが、誰も何も声をかけることはなかった。
家族としての絆はもはや形骸化しており、親子の間には実際の対話や交流がほとんど存在しない。
ただ、スマホの明かりに照らされる無言の時間が過ぎていく。それはまるで、彼らが現実から逃げるために自ら作り出した、無感情な牢獄のようだった。
数年前、彼らが「マッチング」された日のことを思い出す。
政府主導の新たな社会政策が大々的に発表された時、孤立し、結婚を諦めていた弱者男性と女性が、一度に大量にマッチングされ、結婚を促進されるというプログラムだった。
そこには理想の未来が描かれ、少子化対策・経済的な安定・社会全体の調和を目指すという美辞麗句が並べられていた。
彼女はその時、仕事に追われ、将来の見通しに不安を抱いていた。
孤独な生活の中で、社会の期待や周囲からの無言のプレッシャーに押されるようにして、参加を決めた。
彼もまた、社会的に疎外され、職場での孤立感に耐えきれず、希望が薄れていく中でこのプログラムに乗り込んだ。
彼らが最初に出会ったのは、淡々としたマッチングイベントの会場だった。まるで品定めされるように、テーブル越しに数分間だけの会話を交わした。
しかし、そこでのやり取りは極めて表面的なものだった。互いに特別な印象を持つこともなく、ただ社会的な期待に応えるための形式的な時間が流れた。
彼女は彼に対して特別な魅力を感じることはなかったが、経済的な安定や社会的な孤立を避けるためには「結婚」が必要だという思いに駆られていた。
彼も同様に自分の未来に対する不安や孤立感から、この結婚が何かの救いになるかもしれないと考えていた。
彼らの結婚は、愛情や感情的なつながりを伴わないまま始まった。
結婚式は小規模なものだったが、それでも形式的に行われ、家族や親しい友人たちが集まった。
笑顔を作り、記念写真を撮り、社会的には「成功」と見なされた。しかし、二人の間にはほとんど会話がなく、結婚という大きな決断に対する感情も曖昧なままだった。
彼らは新婚生活を始めたものの感情的な絆は深まることなく、時間が経つごとにお互いの存在が重荷になっていった。
子どもが生まれることで何かが変わるかもしれないという淡い期待もあったが、実際には彼らの関係をさらに複雑にするだけだった。
子どもは彼らの生活に新たな責任をもたらしたもののその責任を共有する意識は希薄だった。
互いに育児の負担を押し付け合い、疲れ切った日々の中で、二人とも現実逃避にスマホの世界に没頭するようになっていった。
こうして、建前だけで作られた家族の絆は、日に日に薄れていった。
子どもが何を感じているのか、何を求めているのかに対して、二人は気づこうとしない。
育児という責任はあくまで「社会的な役割」であり、愛情を注ぐことはなく、ただ義務感だけが残っていた。
カズキは、そんな家庭の中で日々を過ごしながら、両親の愛情を感じることなく成長していく。
無言の時間と無関心の中で、彼の心の中に小さな孤独の種が静かに芽吹いていた。
カズキは5歳になり、ついに小さなランドセルを背負って学校に通い始めた。
彼が通う学校は、政府の弱者マッチング政策によって生まれた子どもたちが集まる場所でもあった。
同じように、家庭の中で愛情や関心を受けることなく育った子どもたちが大勢集まり、学校の教室には独特の空気が漂っていた。
教室は一見すると普通の小学校と変わらない。先生が黒板に向かい、子どもたちは机に座り、ランドセルを下ろして教科書を開く。
しかし、そこにあるのは静かな孤独の空気だった。クラスメートの多くは、家庭での愛情やケアを十分に受けておらず、どこか無感情で無表情。誰も他人と積極的に話すことはなく、ただ時間が過ぎるのを待っているような雰囲気が漂っている。
カズキもまた、その一人だった。教室の隅に座り、他の子どもたちとあまり目を合わせることなく、無表情で机に向かっている。
先生が何かを質問しても彼はただ小さくうなずくか、返事をすることなく視線を落とすだけだった。彼にとって学校もまた家と同じように、感情のない無機質な場所になっていた。
クラスメートたちも同様に、家庭での愛情を知らず、感情を抑圧されたまま育った子どもたちだった。
友達同士の会話はほとんどなく、遊び時間ですら誰かが楽しそうに笑うことはほとんどない。まるで、大勢の子どもたちがそれぞれの小さな殻に閉じこもっているかのようだ。
授業中、カズキは先生の話をぼんやりと聞いているが、心の中では何かが欠けていることを感じていた。
家では両親から十分な会話や接触を受けていないため、彼にとって他人との交流や信頼関係の築き方がわからない。クラスメートもまた、同じように孤独な存在であり、互いに心を開くことができないため、自然と静寂が教室を支配していた。
昼休みになっても、誰かと遊ぼうとする子は少ない。カズキは、ランドセルの中に入っているお弁当を一人で静かに食べる。誰も彼に話しかけず、彼もまた、誰かに声をかけることはない。彼の周りでは、他の子どもたちも同じように無言で食事をしている。カズキはその無表情な顔のまま、スプーンで一口ずつ弁当を口に運んでいく。
家でも学校でも、カズキは孤独を感じているが、それを言葉にすることはできない。
彼の心の中には常に空虚さがあり、何かが足りないという感覚が消えることはない。しかし、彼にはその感情を表現する手段がなく、ただそれを胸の奥に押し込めるだけだ。
学校で友達を作る方法も知らず家では両親と感情的なつながりがないまま育ったカズキにとって、周囲の世界はどこか冷たく、無意味に感じられることが多い。
クラスメートも同様に自分たちの孤独を抱えており、互いに心を開くことができない。
それは、家庭の中での愛情不足が原因となり、感情表現や信頼関係の築き方を学べなかった子どもたちに共通する問題だった。
放課後になると、カズキはランドセルを背負って黙って帰り道を歩く。
家に帰っても両親との交流は期待できず、ただまた同じ日々が繰り返されるだけだ。
彼の頭の中には、誰とも交わらない日々が続き、心の中にある小さな孤独の種が、静かに大きく育っていくのだった。
カズキの学校では彼のような子どもたちが多数を占めているため、クラス全体がどこか感情のない機械的な集団のように見える。
彼らは互いに関心を持つことなく、先生が指示するままに動き、誰も積極的に自分の意思を表現しようとはしない。
孤独感や無力感が漂う教室では、笑顔や楽しさ、友情といった感情が希薄で、日常は淡々と過ぎ去る。
カズキは15歳になり中学を卒業して高校に進学するか、あるいは早々に働きに出るかという選択を迫られる年齢に差し掛かっていた。
しかし彼の中には将来に対する明確なビジョンや目標はほとんどなく、家族との感情的な疎遠さや学校での無感情な日々が彼の意欲をすっかり失わせていた。
家庭環境も依然として冷え切ったままで、両親から進路についてのアドバイスや励ましがあるわけでもない。
父親は今も不定期な仕事を続け、母親も相変わらずパートの仕事を掛け持ちしている。
彼らの生活は経済的に安定しておらず毎月ギリギリの生活費でやりくりしている。
家族全体が経済的な困難に直面していることは、カズキにとっても避けられない現実だった。
カズキは学校での成績も特に優秀ではなく、勉強に対する興味を持つこともなかった。
周囲の同級生たちも同じように、家庭や社会からのサポートをほとんど受けることなく育ってきたため、将来について真剣に考える者は少なかった。
クラスのほとんどの生徒は、進学よりも早く働いて家計を助けることを選ぶか、非正規の仕事に流れていくのが現実だった。
カズキもその例外ではなく社会に出ることに対する不安と無関心が入り混じった状態だった。
彼の家族は彼がすぐに働きに出ることを期待していたが、それは経済的な理由からであって、カズキの将来を心配してのことではなかった。
両親は息子がどのような仕事に就くかに関心を示すことはなく、ただ「家計の足しになるならそれで良い」という態度だった。
カズキ自身も、将来の夢や目標がないまま、やがては自分も両親と同じように、不安定な職に就いて日々をやり過ごす未来をぼんやりと受け入れていた。彼の心には「どうせ自分は何も変えられない」という諦めの感情が根強く存在していた。
成長したカズキが社会に出たとき、彼が直面する最も大きな問題は、まさに経済的な不安定さだった。
彼は学校を卒業してすぐに安定した職に就くことができず、非正規雇用やアルバイトを転々とする生活が始まった。
日本全体では弱者男性や女性が社会の周縁に押しやられ、正規雇用に就くことが難しい状況が続いており、カズキもその波に飲み込まれていた。
カズキの収入は低く生活費を賄うのがやっとで、将来的な貯蓄や投資などは夢のまた夢だった。
家賃、光熱費、食費、そして時には両親からの経済的な支援を求められることもあり、彼の手元にはほとんど何も残らない。
彼の労働は、社会に必要とされるが正当に報われることのない単純作業が多く、心身の疲労が募る一方だった。
また、カズキは家族からも社会からも十分なサポートを受けることなく育ったため、将来に対する不安や経済的な問題に対処する力を持っていなかった。
彼は、経済的な問題だけでなく、感情的な孤独や自己肯定感の欠如にも苦しみ続け、ストレスが重なっていく。
カズキが直面するもう一つの大きな問題は、社会との断絶感だった。
彼は家庭でも学校でも十分な愛情や支援を受けられなかったため、人間関係の構築やコミュニケーションに対して強い抵抗感を抱いていた。
仕事でも職場の人間関係にうまく溶け込めず、孤立したまま日々を過ごしていた。
こうした孤立感はカズキにとって大きなストレスとなり、結果として職場でのモチベーションやパフォーマンスにも悪影響を及ぼしていた。
彼は仕事に対する満足感を得られず、ただ生きるために働くという消極的な姿勢に陥っていた。
彼のような若者たちは社会全体に増え続けており、同じように家庭環境や経済的な困難、そして社会的なサポート不足に苦しんでいる。
多くの人々が非正規雇用に追いやられ、低賃金で働くことを余儀なくされ、将来に希望を見出すことができないまま、現実と戦い続けている。
カズキは、社会との断絶感に押しつぶされながらも、弱者男性と弱者女性のマッチング政策によって20代前半でユウコという女性と結婚した。
両者とも愛情や幸福を求めることなく、ただ社会の仕組みに従い自分たちの未来に対して諦めを抱いていた。
彼らの結婚生活は形式的で感情的なつながりは希薄で、ただ「結婚している」という事実だけが彼らを繋ぎ止めていた。
ユウコはカズキと同様に愛情のない家庭で育ち、社会との接点をほとんど持たない女性だった。
彼女もまた孤独を抱えたまま仕事に就き、カズキとともに経済的な不安を分かち合うことなくただそれぞれが生きるために必死で働いていた。
カズキは低賃金の非正規雇用に押し込まれ、ユウコもまたパートタイムの仕事を掛け持ちする日々。二人の間に交わされる会話は少なく、家の中には沈黙が漂っていた。
カズキとユウコの間に早くも子どもが生まれ、彼らはその子を「タケル」と名付けた。
しかしカズキ自身が経験した孤立や経済的困難は、さらに厳しい形でタケルに受け継がれることになった。
タケルは幼少期から十分な食事も満足な環境も与えられずに育った。
家には物が溢れ乱雑なままで整理されることはなく、学校では友達を作ることもできなかった。
カズキとユウコはどちらも仕事に追われタケルの世話をする時間がなく、彼は放任されるように育っていった。
タケルが中学を卒業する頃にはすでに家庭での居場所を見失い、社会からも完全に疎外された存在となっていた。
彼は学校を卒業しても就職先が見つからず、社会の隅に追いやられるようにして犯罪スレスレの生活に足を踏み入れていた。
タケルのような若者はこの時代には増え続けており、彼らは生き延びるために小さな詐欺や盗み闇市場での売買に手を染めていたが、それらすらもうまくいかないことが多かった。
タケルは盗みや詐欺を何度か試みたが、成功することはほとんどなかった。
彼が属する社会の底辺は同じような境遇の人々で溢れており、競争は激化していた。
彼が盗もうとした小さな金品はすでに別の誰かに奪われていたり、詐欺を試みる相手もまた騙され慣れていたりするためうまくいかず、むしろ危険にさらされることの方が多かった。
ある日、タケルは仲間とともにコンビニ強盗を計画したが、あっけなく警察に察知され失敗に終わる。
彼の仲間の一人は逮捕されタケル自身はかろうじて逃れたものの、失敗の連続で心身ともに疲れ果てていた。
彼は犯罪ですら成功しない自分の無力さに絶望し、社会の中で何の価値も持たない存在だと感じていた。
タケルのような若者は、もはや社会の一部を構成する主要な層となっていた。
経済的な困難や家庭崩壊、教育の欠如がもたらす無気力な若者たちが犯罪に手を染め、失敗を重ねながらもその場しのぎで生き延びていた。
街には、そうした「タケルたち」が溢れ、どこに行っても犯罪が起こりそうな張り詰めた空気が漂っているが、実際には成功する犯罪すら少ない。
仕事の機会は減り、低賃金の非正規雇用や闇市場での労働を強いられる若者たち。
犯罪に走るがすべてがうまくいかず、どんどん貧困の深みにはまり込んでいく。彼らは家庭でも社会でも愛情を受けることなく、常に孤独と無力感に苛まれながら、社会の底辺で苦しみ続けていた。
タケルはその典型的な一人であり彼もまた未来に希望を持てず、犯罪の失敗と絶望の中で、ただ何とかその日を生き延びるだけの生活を続ける。
カズキが直面した孤立感や経済的困難は、さらに悪化し、次世代にわたって連鎖的に続いていた。
タケルが20代に入った頃、彼が育った社会には新たな「弱者男性・弱者女性マッチング」の仕組みが再び広まっていた。
この制度は表面的には自由意志による選択として進められていたが、実際には経済的な不安や社会的な孤立に直面する多くの若者にとって、結婚を通じて「安定」を得る以外の選択肢がほとんど残されていなかった。
政府はこのマッチングを「未来への一歩」「パートナーと共に新たな人生を切り開くためのチャンス」として宣伝し、若者たちに積極的に参加を促した。
制度そのものは強制ではなく形式的には自由参加であったが、現実的には低賃金の非正規雇用や Permalink | 記事への反応(1) | 01:21
ある晴れた春の日、俺は公園のベンチに腰掛けていた。周りには満開の桜が咲き誇り、花びらが風に舞っている。そんな穏やかな日常の中、ふと目に入ったのは、パヨクと呼ばれる人たちが集まっている光景だった。彼らは「平和」や「人権」をテーマにしたプラカードを掲げ、熱心にスピーチをしている。俺は思わず眉をひそめたが、同時にその姿に興味を惹かれた。
「おっぱいぽよんぽよん」とは、何のことだろうか?彼らの主張の中に、そんな言葉が混じっているのを聞いて、思わず笑ってしまった。ネトウヨの俺としては、彼らの意見に反対する気持ちが強いが、その無邪気さにはどこか愛らしさを感じる。彼らは真剣に社会を変えようとしているのだろうが、その姿勢が時に滑稽に映ることもある。
俺は子供の頃、アニメや漫画に夢中になっていた。あの頃は、何も考えずに楽しむことができた。今は、政治や社会の問題に頭を悩ませる日々だが、時にはそんな無邪気な気持ちを思い出すことも大切だと思う。パヨクたちの「おっぱいぽよんぽよん」という言葉には、そんな子供のような無邪気さが宿っているのかもしれない。
公園の一角では、子供たちが遊んでいる。彼らの笑い声が響き渡り、俺の心を和ませる。大人になると、どうしても現実に縛られ、自由な発想を忘れてしまう。ネトウヨとしての立場を持ちながらも、時にはパヨクたちのように、自由に物事を考えることも必要なのかもしれない。彼らの主張には賛同できない部分も多いが、彼らが持つ情熱やエネルギーには感心させられる。
「おっぱいぽよんぽよん」という言葉が、何かの象徴のように思えてきた。軽やかで、自由で、時には無邪気さを忘れないこと。それが、俺たちが忘れかけている大切な感覚なのかもしれない。ネトウヨとしての立場を持ちながらも、パヨクたちの存在を否定することはできない。彼らもまた、自分の信じる道を歩んでいるのだから。
結局、俺は彼らの主張を理解することはできないが、その存在を尊重することはできる。おっぱいぽよんぽよんのように、軽やかに生きることも時には必要だ。そう思いながら、俺は再び桜の花びらが舞う空を見上げた。春の風が心地よく、少しだけ心が軽くなった気がした。
暇空やフェミ松が間違っていること
立憲民主党のコニシのことはおかしく報道されているが、当然本多政直と同じ。
ネオナチ(LGBT、フェミ、ジェンダー、ネオコン)がロシアや中国と戦わせようとしている目的
それでColabo。
それ、なに事業ですか?
なぜ、若い子を深夜にあつめているんですか?
警察、協力するわけないじゃん。
こういうのが取れないし、とってもJKは来れない。
どういうわけかこういう説明をしないけど、バスカフェはガチガチにいうと相当違反しているんだろうね。
嘘を平気で書くColabo、しばき隊、弁護士、NoHateTV、朝日新聞、毎日新聞、赤旗、そして上野千鶴子、小川たまか
女性記者やライター全員が嘘つき。Colabo自体は一切いらない。ただのペーパーカンパニー。
こんな団体にお金を出す企業は潰すべき。不正会計を団体になぜ金を出すのか株主代表訴訟で訴えられるべきでしょう。
そもそも歌舞伎町で行き倒れそうな可哀想な女性がいるはずがない。
ウラを取ってないでしょう。
そもそも週1のバスカフェで救えるとかそんなわけないでしょう。
同行しただけでろくに成果の話はデモでもありませんでした。
こんなでたらめな話で有識者会議ででかい口を叩いてたのが信じられない。
ただの詐欺師ではありませんか。
厚生労働省は有識者会議にColaboの仲間を呼ぶな、特に抱樸には1円も出すな
抱樸の奥田はColaboの幹部でしょう。こんな団体に金を出したらいけない。ヤクザと変わらないでしょう。
当然WBPC関係者も全員。
今後困難女性支援法をやってたら他と同じく東京はデモで収集がつかなくなる。
真っ先に厚生労働省からでしょうね。なにしろワクチンやロックダウンの恨みがそうとうある。
小2の長男が外で遊びたいというので、公園でキャッチボールをすることにした。昼間は暑いから、少し涼しくなってから。
妻と長女(小5)に話したら、一緒に行きたいと言う。3歳の次男も強制的に連れ出す。
初めは近所の公園にしようかと思ったが、皆で行くということなので、車で10分ほどの少し広い公園へ。
妻のグローブがないので、すこし遠回りして、スポーツ用品店に立ち寄る。
見た目と色で選んだローリングスのファーストミットを買う。やわらか加工。即使用可能な逸品。
夕方4時を過ぎた公園には、遊具に子供たちが10人ほど。芝生の広場はそこそこの広さがあるが、一角でサッカーをする10人くらいの子連れグループがいるだけだった。
柔らかいボールでキャッチボールをしたり、三角ベース風の遊びをしたり。
5人で、バッターと、ピッチャーキャッチャー、一塁とその他の守り。交代で打てば意外と楽しめる。
3歳の次男は打った後、一塁ではなくママの方に全力で走ってしまう。
ママの足に抱きついて「セーフ!」だって。そのあと、両手を膝にあてて、ランナーのポーズ。兄の動きをよく見てマネしてる。
都会で住んでいた頃は公園も人でいっぱいだった。これが地方のいいところ。
芝生は転んでも痛くないし、楽しいね。
1時間半ほど遊んで、だんだんと暗くなってきたので、ファミレスに行こうと声をかけて終了。
充実した半日だった。
アニメ化もした「不徳のギルド」は、従来人間を殺害しようと襲うだけだった魔物たちが「性的に襲う」という異常行動を取るようになり、女の子たちが乳首やまんこを責められて感じまくるエロファンタジーだ
アニメでは地上波やBSや円盤など媒体ごとに4段階の規制が敷かれ、見比べる楽しさがあり円盤不況の近年の中でわりと売れた
アニメはエロパートだけで終わったが、原作はシリアスな戦いとエロパートを交互にやっている
モグラは突然変異で生まれつき知性と強い能力があり、人々から崇拝対象となったことで神格を得て村の守り神をやっていたが、20年前に失墜
20年前、銃器が発明され文明の発展が著しかったが、世界神の一角がそれを不快に思い文明を望ましい位置まで引き下げるため、人類数千万人を殺害する間引きを行った
モグラは地方で神様やってただけにすぎず、世界神と渡り合えるほどの能力はなく、なんとか世界神の遣いの進路を曲げて村人の命は救えたが居住区や、他の村へつながる道は破壊された
命だけ残っても暮らしていけず、道がなくては支援を待てないと村人たちは怒り、モグラへの信仰心を失った
世界神に間引き対象にされた地区とそうでない地区があり、その基準は不明で意図があるのかランダムか不明だが、モグラのいた村が襲われたのはモグラなんかを祀っていたせいではないかと噂され、村人たちは弱ったモグラを殺害しようとした
逃げ延びて人里から離れた後、無垢の魔物たちに知性を授ける能力を持っているため魔物たちに自らを信仰させることで神格を維持した
恩義を捨て迫害してきた村人への恨みと、守り神なき後で村人に危険がないか心配する思いを抱えつつ、モグラは魔物サークルでその後十数年平和に生きた
村人はモグラに復讐される可能性に怯え続け、守り神がいないためたまに起こる軽微な魔物からの攻撃をモグラの差し金と思った
山の魔物がモグラの魔物サークルに隷従して人を襲わなくなったのも、来たる復讐の日に備えていると解釈された
彼女は恩を感じてモグラにたびたび会いに来るようになり、そしてケモナーなのでモグラを愛するようになった
モグラもヒトナーなので二人は相思相愛になり、来たる日に結婚式を挙げることになった
しかし挙式前に女性は死んでしまい、事故のように装われていたが殺人だと判明した
魔物に知性を持たせ信仰させることで神格を維持するという仕組みに村人は気づいておらず、密かに信仰を続ける人間がいるせいでモグラが能力を維持していると誤解したのだった
魔物サーで平和に生きていくつもりだったモグラは恋人殺害によって村に攻め入ることを決意した
過疎化の進む村には魔物と戦える者がいないので、違う村に住む主人公たちが戦うことになった
主人公たちはモグラの悲しき過去を知り非常に戦いにくいし、モグラのターゲットは女性殺害の実行犯と20年前から確執のある村の老人たちだけなので、部外者の主人公たちとは戦いにくい
モグラの部下のアナグマの魔物は主人公らによって瀕死の状態にされ、知性ある存在を殺したくないから投降するよう求められる
アナグマはヒロイックに描かれ寝返りそうな雰囲気も出していたが、結局は最後の力を振り絞り女性殺害の主犯格を襲う
アナグマは植物を操るスキルを持ち、主犯格の身体中に木の根のようなものを突き刺し肉体を植物化させ、パキラとかみたいに首をねじねじする
主犯格は木になり、殺されない限り永劫に肉体を植物に犯される苦しみを感じ続けるようになった
今までのこの作品では見られなかった、ホラー漫画のようなグロい描写だった
それと引き換えに魔力を使い果たしたアナグマは死亡
アナグマはいわば主犯格との相打ちのようになり主人公らが手を下すことはなかったが、モグラは殺しちゃうのかな
エッチコメディ漫画だったのにどうしてこんな鬱ストーリーになっちゃったの
モグラ死なないで
ふと思い出したことを語る。
関東地方の某大学に纏わる話。この大学の部室棟の一角に、開かずの間と呼ばれる空き部室があった。平成7年頃の話だ。俺も何度か立ち寄ったことがあるが、一目見てヤバいと思ったよ。
その部室は扉に「立入禁止」と書かれた錆びたプレートが打ち込まれ、裏に回ると窓は厳重に目張りされていた。あまりの物々しさから近隣のサークルの連中からは気味悪がられていたことを覚えている。
この部室は講義棟に近く、使いたいサークルは沢山あったはずだし、何よりも部室棟はパンク状態でもう入居できる部室がなかったから、こんな好位置の部室がどうしてずっと使えないのか不思議だった。物置で使っているというわけでもないらしく、部室が使われているところは誰も見たことがないらしい。まさに開かずの間だった。
ところで、開かずの間にはいくつかの噂があった。これはサークルの先輩から聞いたんだが、何年か前に部室棟に夜中残っていた連中が開かずの間の横にある便所の個室で用を足していると、横の壁からブツブツと声のようなものを聞いたらしい。他にも、興味本位で開かずの間の扉の鍵をピッキングで開けようとした奴が中からうめき声を聞いたという話もあり、極めつけは、一度何らかの方法で中に入った奴がビッシリと貼り付けられた大量の御札を見たという眉唾な話まであった。
当時、俺はそういう怪談の類が好物だったから、あの開かずの間の正体を知りたくて、サークルの自治会に行って開かずの間にかつてどんなサークルが入っていたのかを調べてもらった。自治会室の棚の奥からサークルの古いリストが載っているファイルを委員が取り出してきた。そして委員がサークル名の載った赤茶けた紙をめくっているとかつて開かずの間を使っていたとされるサークルが見つかった。
そこには「社会科学研究部」とあった。昭和30年代に設立されたかなり古いサークルで、他の資料を当たってみると、40年代頃まで存在していたようだった。そこからはワンゲル部かどこかが使っていたものの、入居してわずか数年で廃部となり、以降は空き部室となっているようだった。つまりあの部室はもうかれこれ20年以上使われていなかったのだ。
結局、開かずの間から聞こえてきたという謎の声は一体何だったのかは分からなかった。当時はネットも普及していなかったし、俺も忙しくなりこれ以上調べるのも面倒臭くなったからこの件についてはこれっきりだ。
この文章を書く前にネットで調べてみたが、やはりわからなかった。
一体あの開かずの間はなんだったんだ。
ていうか反社案件やんけ。まんまと印象操作に釣られてる人やばいぞ
5/20
「トー横」と呼ばれる一角で、取材中だった報道機関の20代女性記者に腕の入れ墨を見せつけるなどして詰め寄ったとして、警視庁少年育成課は20日までに、東京都迷惑防止条例違反の疑いで、住所不詳の指定暴力団住吉会系組員河合喬容疑者(33)と、千葉県八千代市、職業不詳新井風月容疑者(24)を現行犯逮捕した。
https://www.sanspo.com/article/20240520-L2EBVGJFKNJXZD7ZVMXOPFG7B4/
9/10
https://www.sankei.com/article/20240910-U4PH54F4UBLBVGBWWMTMOAXLWQ/
以前に暇空も伊藤を訴えたが暇空敗訴となっている
暇空応援掲示板として暇空人気の一角を担った増田一同は今度こそ暇空勝訴を信じている
以前の裁判の内容
伊藤が男性弁護士とレスバした際に「気に食わない女のプロジェクトなら潰してもいいというのは暇空と同じですね」と発言
まるでcolabo批判が正義の公金追求ではなく私情に基づくものと主張しているようだとして暇空が伊藤を訴えた
裁判所は「私情で潰そうとしていると暇空自信が何度も語ってるし女性差別発言も多いし妥当な論評」と伊藤の発言を許容した
今回の内容
暇空は伊藤を批判する中で「伊藤はナニカグループの一員」「伊藤も公金チューチューしている」と発言
「ナニカグループ」とは「日本崩壊計画のために不法行為を行う反日反社会的グループ」であり、「公金チューチュー」は「不法な詐欺横領」だと暇空は説明していた
もし今回の訴訟でそのワードの違法性が認められたら、使われた人は多数いるので芋蔓式に暇空敗訴が増加する恐れ
暇アノンにも真似してその言葉で人を批判していた者が多く、今後訴えられる対象になりかねない
複数の意味を持つ既存のワードよりも「中傷専用」として作られたワードの方が芋蔓になりやすいというのは、「ホビッチョ」という前例がある
暇空は身長160代の堀口英利をホビット+ホラッチョ(ホラ吹き)を組み合わせホビッチョと呼んでいたが、ある人物が訴えられ中傷専用の違法ワード認定され、その語句を堀口へ向けた数百人が芋蔓で開示された
「ナニカグループ」「公金チューチュー」は使用者がもっと多く、仁藤に対して使った者はどれだけいるだろう
暇空は伊藤に訴えられたことでそれまでの定義を破棄し、「公金チューチューは違法行為ではなく合法的に金を掠め取る行為」と再定義するが、「仁藤は公金チューチューしてる詐欺師の横領犯で1ヶ月ぐらいに逮捕される」などの過去の発言は消せない
商店街の一角にあるスーパーはセルフレジがなく、レジの数自体が少ないのですぐに渋滞になってしまう。
増田も列に並ぶとなかなか進まず、まあ仕方ないかなと思って待っていると後ろに一人加わった。
何気なくチラッと振り返ると後ろには綺麗な女性がいた。歳は二十代半ばほどだろうか。白いシャツにタイトな黒のミニスカート。すらりと白くて長い脚が目に入った。
そしてカゴの中にスーパーカップがあるのを目にすると、俺は思い切って声をかけた。
「あ、あの!もしよかったら先にどうぞ!」
しかしすぐに続けて「アイスあるから…先にどうぞ」と言うと彼女は自分のカゴを見て「ああ」と納得した。
それから順番を譲り、「ありがとうございます」という笑みと共に感謝された。
広島旅行に行ったときに1回行っただけなんだけど、すげーいい店だった
トルコ人…なのかは不明なんだけど、髭を生やした中東っぽい雰囲気のお兄さん〜おじさん数人で回していて、客も外国人がわりといる印象
店内は薄暗く、清潔感がある印象
一皿がでかめで嬉しい
食べ終わったあと、原爆ドームの方に歩いていって、川沿いを散歩しつつ近くにある店でジェラートを買って食べたのもよかった 広島の黄金コースとしたい
ダイス状の焼かれたチーズがそこそこ入ったサラダで、大きめに切られたキュウリの食感がよく、チーズそのものも非常に美味くて、総じてサラダとは思えない満足感があった
すりおろされてるわけではなさそうなんだけど、そういう質感の豆が入ったオレンジ色のスープ
俺は豆の粉っぽさみたいなものがわりと苦手なんだけど、このスープにその食感はなく、スパイスの風味が感じられ、なんつうか滋味という感じで、すげえうまい
二人で行ってひと皿頼んだら、何も言ってないのに取り皿を2個出してくれて嬉しかった
各種ケバブ(チキン・ビーフ)とキョフテ(ハンバーグのようなもの)とライスなどが盛られたでかいプレート トルコパン(エキメッキ)を頼んで一緒に食った
まあ、うまいっすよね
途中で結構お腹いっぱいになってしまってちょっと苦しかったが、しかしうまさを推進力に食い切れたので、うまかったということなんだと思う
雰囲気も照明も明るかった印象がある
オリジナルのクミン入り食べるラー油を売っていて、それもうまい
何食ってもうまかったけど、ひとつだけ紹介
付け合わせとかナシで、スライスされた肉だけデンとでてくるので迫力がある
塩か前述の食べるラー油をつけて食う形
羊ってうめえなあ…ってなる
クミンのきいた食べるラー油をつけると異国情緒を感じられるが、じつは塩で食うのが本国風らしい
うまけりゃいいんだよ 本当に良い
品数が多くて全然食いきれてない
注文から提供がバカ早い(5分とかで出てくる) どうなってんの?と思う
一本220円とかで、好きな数頼める
机に七輪がついてて自分で焼くこともできるが、店側で焼いてもらうこともできる
卓上スパイスが配られるので、それをつけて食う
春雨はきしめんみたいな太さ・平べったさで、モチモチした感じもあり、通常の春雨とはまったく異なる
どううまかった、というのを思い出せないが、やたらうまかったのは覚えている
あとボリュームがすごい 一人ならこれだけで満腹になるだろう
肉とか入ってないんだけどすげえうまい
それぞれの食感がベストで、野菜炒めってこんなにうまくなるのか…と感じ入った
低音で長く加熱するのがテキサス流らしく、食ったことないくらい柔らかい肉が食える
牛の肩バラ肉で、通常だと硬いらしいんだけど、箸で切れるくらい柔らかく焼かれて出てくる
そう、焼き料理と思えない柔らかさなんですよね 角煮みたいな柔らかさだ
味は当然うまいが、そのままだとわりと素材の味・塩味という感じなので、卓上に出されるバーベキューソースやビネガーソースを適宜かけて食う かけることで完成する感じがある
タバスコソースも希望すれば出してもらえるが、個人的にはこんなにうまいものを辛くして(舌を麻痺させて)食べるのはもったいないかも…と思った
肉だけ食ったけど、パンとかをつけてもよかっただろう
前提、まずは私の母の話。
母は何でもできる人だ。
小学校から名門学校に通い、大学は某国立大学。はっきり聞いたことはないけれど、思い出話を総合するとずっと主席(もしくはそれに近い存在)。
母の教育方針に、「答えを簡単に教えない」というものがあった。
人に聞いて簡単に得た知識はすぐ忘れてしまう。だから、試行錯誤して自分で答えにたどり着くべきだ、と。
これ自体はまあ、その通りだと思う。
例えば、本を読んでいて、知らない単語が出てきたとする。
で、近くにいる母に、「これどういう意味?」と聞く。
すると母は部屋の一角を指さして「そこにあるのは何?」と質問を返す。
母が指さすのは分厚い広辞苑。
これで質問タイムはおしまい。私は一人、重たい広辞苑を本棚から引きずり出して単語の意味を調べる。
「え、そんなことも知らないの?」
大げさに目を真ん丸に見開いて、びっくりした顔で、おどけた風に言う。
そして数秒、そのままの顔で私を見つめる。
多分、本気半分、冗談半分だったのだと思う。
その年の子がその単語を知っていることは当然だと、母は本気で思っている。母自身がその年齢だった頃にはその単語を知っていたからだろう。自分が読書好きに育てた子だから、なおさら。
ただそれをそのまま言うのははばかられるから、ちょっとおどけて言ってみているだけ。毎度そう言うのはもはや鉄板ネタみたいな。
それが堪らなく嫌だった。
驚いた母の顔を見る度に自分の愚かさを突き付けられる気がして心底惨めになった。
今思えば、母に懇切丁寧に教えてもらいたかったのかもしれない。言い換えるなら甘えたかったのかもしれない。
いつの間にか、母に何かを聞くことは避けるようになっていた。知らない単語に遭遇したら一人で広辞苑を開くようになった。
母の教育方針が良かったのか、幸運にも私も母には遠く及ばないが、ほどほどに誇れる程度の学歴を手に入れた。
同時に、他人に何かを聞くことが全くできない人間になっていた。
分からないことに遭遇すると、他人に何かを聞いて解決しなければならないときになると、おどけて驚く母の顔が脳内に浮かんで何もできなかった。
あらかじめ他人の言動をとにかく観察し、脳内で何度もシミュレーションし、自分が絶対に失敗しないように。そればかり考えて過ごすようになった。
例によって空気を読みながら仕事を無難にこなしていたが、ある時かなり大きな失敗をやらかした。
詳細は省くが、原因は私がその日の業務を正しく理解していなかったことだった。そのせいでお客さんに迷惑をかけて社員さんに尻拭いをさせてしまった。
「なんで何も聞きに来なかったの?きっと分からなくて確認に来てくれると思って待ってたんだよ」
怒ってる、という感じではなかった。
静かに諭すように言われた。
衝撃だった。大人に質問するのは悪いことではないのかと。馬鹿にされるようなことではないのかと。
寧ろ聞きに来てほしかった、と言われて、それは許されることなのだと、自分の価値観がひっくり返された。
それ以来、かなり頑張って質問をするようにした。
おかげさまであの時以上に大きな失敗はせずにバイトを終えることができた。
当然ながら新入社員にとっては分からないことだらけ。入社式の翌日の研修では、講師から「貴方たちの仕事は質問することです」と口を酸っぱくして言われた。
ありがたいことに同じ業務の担当になった先輩がかなり優しい方なので、ご厚意に甘えさせてもらってあれこれ聞きながら業務にあたることになった。
先日、先輩から「貴方は何でも聞いてくれるから仕事しやすい」と言われた。
ようやく、小さいころにかかった呪いが解けてきたような気がする。
それでもやっぱり、「これ分からないな」と思った瞬間、目を丸くした母の顔が頭の片隅にちらつく。