はてなキーワード: 高校受験とは
もう長いことフリーターやニートを行ったり来たりしている。仕事に就いても長続きせず、職を転々とする日々。もうかれこれ十社以上職を転々としてきただろうか。就いた職業の多くは施設警備や物流倉庫でのピッキングなど責任の伴わない仕事ばかり。コミュニケーションの得手不得手以前に、人と関係を結んで生活していきたくないと考える。人に指示を出すのも嫌だし、人の上に立って何かを行うことも好まない。集団の中において自分は空気のような存在でいたい。そういうわけで人間と関係を維持することもままならない。まさか自分が将来このような生活を送るとは想像もしていなかった。子供の頃は学校を卒業したらどこかの会社に就職してバリバリ仕事に精励するものだと思っていた。それがこのありさまである。未来と言うのは本当に不確かなものだ。
陽キャと陰キャの二元論で物事を語るのは好きではないが、今日はそれについて語りたい。学生時代の自分は割とスクールカーストの上位の方にいて、やんちゃで明るくてクラスでもみんなの中心となるような人物に囲まれて学生生活を送ってきた。といっても自分から進んでそうした人たちとコミニケーションをとって親睦を深めたわけではない。何というか気づいたら仲良くなっていただけのことに過ぎず、自分の意思で関係を構築していたわけではなかった。
自分は公立の小中学校に通っていたが、公立の学校には実に様々な人間が存在する。所得水準の高い家柄に生まれて幼少の頃から様々な習い事に触れてきて教養がしっかりと身に付いている人もいれば、親の社会的地位が高く、幼い頃から多大な投資を受けてきたことにより校内でもトップクラスの成績を誇る者。またそれとは反対に、貧しいが故にろくに教育を受ける機会のなかった人や両親がやんちゃをしていたために子もそうした性質引き継いで不良の道へと突き進んでいった人などなど実に属性の種類は豊富である。自分はたまたま同じクラスにやんちゃなことをする人が多かったからなのか、なぜか彼らと共にいることが多かった。公立の学校というのは本当にいろんな人がいるので、たまたまそういう人たちが近所に住んでいたから仲良くなったのかもしれない。詳しい事は自分にもよく分からない。
彼らとは本当にいろんなことやってきた。定期テストをサボってゲーセンに入り浸って夜を明かしたり、ワックスで頭を塗りたくって度々生徒指導の先生にお叱りの言葉を受けたりといったようにやることと言えば平気で校則を無視してきたことばかりであった。そうしたことばかりしてきたので周囲の人間からも自分はいたずら好きな人間なのだと認識され、近寄ってくる人たちも自然と自分と近しい人達ばかりであった。
中学生活も終盤に近づいてくると高校受験という大きなイベントがやってくる。自分は一応塾に通っていたので高校受験の受験をするつもりでいたし、そのための準備もしていた。しかし、しばらくするうちに自分と彼らとの間に深い溝ができ始めていることに気がついた。それは彼らが、僕が受験勉強に励んでいるのを快く思っていないのではないかということ。想像するところによると、自分が高校受験に向かって勉強してるのがどうやら彼らにとって喜ばしいことではないらしいのだ。彼らの中でも自分はまだ比較的に経済事情が恵まれていたので、教育にお金を費やすことができた。だから高校受験もできるし、将来の選択肢もそれほど狭くはない。しかし、彼らはそうではない。経済的に貧しいが故に教育にお金をかけることができず、高校受験を受けると言う資格すら与えられていなかった。また受験できたとしても学業への意欲が湧かないことやどうやって勉強すれば良いのかわからないなどといった理由により、レベルの低い学校に行くかのいずれかしか選択肢がなかった。そうした中で自分だけ勉強して彼らのもとから離れようとしている。それは彼らにとっては喜ばしいことではなく、どこか心にわだかまりが残ることだろう。これはグループの一人が自分だけ集団から抜け出して別の道に進むことをイメージしてもらえればよい。ドロップの主人公が自分だけ輪の中から抜けることや、ビリギャルの主人公がグループの反対を押し切って難関大学の受験に挑むのと似たような状況である。結局、自分は難関校とは程遠い偏差値が50いくかいかないかくらいの自称進学校に入学した。もともと勉強とは無縁の人間で、定期テスト100点中30点位がほとんどだったので、これが自分にできる限界の学習であったと言えるので特に後悔はないのたが。
高校に入ってから彼らと連絡を取ることもなくなった。もうすっかり別の世界で生きているような感じだったし、実際に会うことも何度かあったが、会話を交わす事はなく、以前のように親しい感じで接することもなかった。そこには陸と島ほどの距離感があった。そこそこ勉強して高校に進んだからこそ、彼らは自分を自分達とは別の人間だと考えていたようだし、自分たちのような悪質な遊びをすることも好まないだろうと考えていたから昔のように悪ふざけをして遊ぶこともなくなった。
高校は高校で中学までの人とは別のタイプの明るい人達と仲良くなってそれなりに楽しく日々を過ごすことができた。それでもたまたま仲良くなったから仲良くしていただけで、自分からそうした人たちと仲良くしたいわけではなかった。別に友達など作らなくても、一人で何かに没頭するような事があってもよかったのだけど、生憎オタクのように何か一つのことに強い情熱を注いだこともない。自分は人生そのものに関心がなかった。
自分の性質に関心を向けるようになったのは大学生活も終盤に近づいてきた頃である。これまでの学生生活を振り返ってみて、自分はどうしてやんちゃなことばかりしてきたのだろう、どうしてクラスでも目立つような人間とばかり付き合ってきたのだろうというようなことばかりを考えた。彼らと自分はベクトルの向きが真逆の人間であるというのに。自分は目立つことが嫌いで、教室でも隅の方で目立たず静かに生活していきたいと考える人間だった。思えば、僕は自分から人に話しかけて友達を作ったことなどなかったような気がする。自分がどんな人間と仲良くなりたいかと言う考えも持っていなかったし、主体性を発揮して何かを行ったこともない。いつも周りに流されて生きてきて、自分の意思で自分の人生を生きているという感覚がなかった。昔から自分は一人が好きで、人と関わりを持とうとせずに、一人で何かすることを好んできた。つまり、昔から自分は自閉傾向のかなり強い人間だったのである。それでも何とか今までやってこれたのは環境の影響や周りの方から声を掛けてきてくれたことにより、そうした性質が隠蔽され、それが浮き彫りにならなかっただけの事に過ぎない。
周りに流されて生きてきて自分の性質を客観的に見る機会を持たない人間は本来の自分がどういう人間なのか分からなくなる。人間の人格形成には遺伝的要因と環境的要因の二つが大きく関わっているけれど、子供の頃はそうしたことに頭を悩ませることもない。
結果として今では陽キャのようなアクティブな遊びを好んでみんなでワイワイ仲良く時間を過ごすこともなければ、アニメオタクやアイドルオタクのようにある一つの対象に過度に没頭してコミュニティを形成し、そこでのコミュニティーに強い仲間意識を持って生活することもない。陽キャにも陰キャにもなれず、中立的な立ち立場にいて、どこにも属さずに社会から孤立しているのがが自分である。
もっと早いうちから自分の性質や人物像を客観視しておけば後の人生もまた変わったものになったのかもしれないが、当時はそうしたことも難しく、後から結果論として物事を論じるしかない。それが人生というものなのだろう。
IQが20離れてると会話が成立しなくなるらしい。俺は今それをひしひしと感じている。もちろん、相手が高い方で、俺は低い方だ。
賽の目が神懸かっていたおかげで、高校受験、大学受験、就職まで、自分の実力以上の非常に良い環境に身を置くことができた。高校は進学校だったし、大学は宮廷、就職先は誰もが知っている大企業だ。もちろん要所要所で努力はした。でも、変に本番に強い性格と強運のおかげだと思う。普段は超不真面目だから、高校大学入学先、就職先とも、友人に伝えたときはえらい驚いてたもんだ。両親でさえ、高校大学受験で合格を伝えた時はえらい驚いていた。
ところが、そんな強運な俺は今非常に困ったことに直面している。入社して5年目になるが、シンプルに仕事についていけなくなってきたのだ。今までは受験、就職面談といったターニングポイントで最大瞬間風速的にパフォーマンスを発揮すればよかったが、社会人はそうはいかない。コンスタントなパフォーマンスを求められる。無能な俺にはこれがすごく辛い。
根が不真面目であることもだけど、地頭が悪いことが特にネックになっている。周りとの会話についていけない。大企業のそれも花形部署に入ってしまったばっかりに、周りには超有能しかいない。有能は有能同士でささっと話を進めて仕事をどんどん進めてしまうから、無能な俺はついていけない。
IQが20離れていると会話が成立しないというが、俺と周りの人とはそれぐらいは離れていそう。毎回、英語のリスニングテストばりに集中して聞かないと会話を理解できない。話されているのは日本語なのに。「基本的な質問で申し訳ないのですが...」って言って、基礎の基礎みたいな質問ばかりしている。辛い。辛いが、一番辛いのはそんな無能にも快く説明してくれている周りの有能たちだ。みんな時間とっちゃってごめん、ありがとう。
有能ばかりに囲まれていると、自分の価値ってほんとねぇなって思ってしまう。自分に支払われている人件費で、もう一人有能を雇えば仕事の回転率はさらに上がるはずだ。だからといって、さすがに会社を辞めようとは思わない。俺にも生活があるから。
世の有能達、ごめんな。君たちが作った基盤に乗っかるだけの無能だ俺は。「俺にも生活があるから」とかもっともらしい理由をつけて寄生してごめん。こんな弱くて無能な俺を、どうか許してくれ。
元々虐められていたけど、頑張って社会復帰する!そのために高校受験を頑張った!!治安がいいから大丈夫なはず
でもすぐにターゲットになった。……必死になってる姿がウケるらしい。でも、頑張るしかないんだ!また社会不適合者になっちゃうから。
テストの点数は最悪だった。邪魔されるのを我慢しながら勉強をしていたのにその仕打ちはひどいよね。横井さんはそれなりの点数を取れているのに。これじゃ社会復帰できないよ……
いじめの証拠を映像に撮り、youtubeに公開した。主犯たちは退学し、それ以外の人も映像に写っていた人が多く、なんJ民にけんまされてガチ病みしていた。
私は他のクラスの人から腫物に扱われるようになった。あーあ。もう誰とも仲良くなれないのかな……前よりもマシだけど……つらいよ。
こうなるのはざっくり偏差値60以上の学校限定。中学入学組と高校入学組とで素質にはあまり差が無いが、中学入学組のうち、中学3年間で勉強をサボっているやつは高校に入る頃には勉強はまるでできなくなっている。いわゆる落ちこぼれだが、そのタイプの人間も1~2年真剣に勉強すると旧帝程度の大学には合格する。高校入学組は中学の学習範囲をもれなく押さえているので、勉強に関してはそつなく3年間過ごす印象。
・SMART+CH(あるいはGMARCか。最近はマーチとは言わんらしい)にあっさり入れる人間がゴロゴロいる環境は偏差値55くらいまで。それ未満の中学に通わせるくらいなら中学受験は取りやめて高校受験で十分かもしれん。
今ちらっと調べたが、偏差値の相場はそんなに変わってないかもだが、中間層の厚みが薄くなった気はする。少子化の影響か?
https://www.yotsuyaotsuka.com/njc/deviation_top.php
https://www.study1.jp/kanto/list/deviation.html
・他の増田が
1. 高校受験をしなくて良いので、中学で内申点を気にせずに過ごせる、つまり中高の、6年間、成績を気にしないで、まとまった時間をもてることで、本当に没頭したいことに没頭できる時間を作れる
こう書いてるが、高校卒業まで担任の顔色をうかがわずに過ごせるのは不器用な人間にとって良いことかもしれない。学費さえ払ってくれるなら、私立はよほどのことが無い限り高校まで卒業はさせるスタンス。
・男子校や女子校は基本的にはお勧めしない。とくに男子校はお勧めできない(実体験として切にそう思う)。女子校はけっこう楽しめると学生時代に女子校出身者からはよく聞いた。男子が居ないから女子同士であらゆることをやり、のびのび過ごせるそうな。
小学3年生か4年生から6年生までずーっと、放課後は夜寝る前までの大半の時間を勉強に捧げることになる。毎週末に半日かけてテストも受ける。夏休みや冬休みも延々と講習だ。幼少期の密度の濃い貴重な貴重な時間を、それほどまでにおべんきょうに費やす価値があるのか?と言えば、あんまりなかったと私個人は思う。
中学受験のためだけに覚える無駄知識が膨大にある。そんなものを覚えるために時間を割くくらいなら、国語、数学、プログラミングなどリテラシー系の学習だけしっかりさせつつ(英語学習はたぶん無駄。子供らが大人になった時には自動翻訳で済むので)、なにか好きな習い事でも継続してもらうほうが有意義だろう。
年度の前半に生まれて発達が早い(から有利)とか、勉強大好きとか、勉強が苦にならないとか、そつなく何でもこなせる人間ではないから温室にぶっこんだほうが良さそうだとか、そういう理由があるなら中学受験は良い選択肢かもしれない。
何を重視するかは多少変わると思うが、落ちぶれるデメリットを無視して書いてみる
1. 高校受験をしなくて良いので、中学で内申点を気にせずに過ごせる、つまり中高の、6年間、成績を気にしないで、まとまった時間をもてることで、本当に没頭したいことに没頭できる時間を作れる
2. 1は、勉強以外の意味で書いたが、勉強に関しても、先取りで勉強できるので、大学受験で有利なのは言うまでもないが、中学受験で、算数をしていることで、整数問題とか確率とかそういうのに抵抗がなくなっていることがむしろ大きく、難関大学の数学に有利
大学にエスカレーター式で入ると、国公立受験のために5教科勉強したことがない、という人生になるのだと思うが、
それは結構後々響いて来るのかなって勝手に思ってる。継続力とか、努力がベースになさそう。
ワイは、常に興味があるものに対して継続をしている。それが楽しいし、極めることが人生だと思ってる。子育ても今はしてるが、子供生まれる前に継続していたものは引き続き続けている。
そもそも中学から大学入学まで、6年間フリーの時間ということだと思うが、そのときに何かを極めようということにならなかったのかな。
ワイは高校受験もしてたし、入ってすぐ大学受験の勉強してたから、将来のこと考える時間がなくて大学入ってから結構困ったんよね。大学で自分探ししまくった。
試行錯誤したり、何かを努力して目標を達成する、みたいなのがベースにないのだと思うので、
好きなことをひたすら見つかるまで試行錯誤したら良いよ。ワイは、8年以上かけて試行錯誤して色々試してやめてってのやって、ああ、自分に好きなものなんてないんだなって思ってたけど、見つかったときは結構感動したもんだよ。
有機農業って要は農薬を使わない農業だろうけど、農薬ってめっちゃ有機物じゃん。
と思って少し調べました。
化学界隈における有機化合物(organic compound)、無機化合物(inorganic compound)の定義は以下になる(wikipediaより)。
高校受験の理科で、様々な物質を有機物、無機物に分類する問題があったことは覚えているだろうか。
有機化合物はたとえば、人々が目にするもので言えば、医薬品、農薬、アミノ酸・タンパク質・糖・ビタミンなどなどから成る食品、香料、石油、プラスチック、ゴム、繊維など。塗料、化粧品、洗剤なども有機化合物からなる。
無機化合物の例は、身近なものだと、金属製品、宝石、ガラス、セメント、セラミックス、半導体、電池などでしょうか。
「有機農業の推進に関する法律」による有機農業の定義は以下のとおりです。
goo辞書より
ふむ。どうやら「有機」という言葉を有機化合物と同義で使うことは化学者の傲慢だったらしい。
wikipediaの有機化合物の欄に詳しい解説が書いてありましたね。
有機化合物、無機化合物という用語が生まれた18世紀末より前にも、有機体 (organisms) という言葉は存在し生物と同義で使われていた。今でいう有機物は、当時は生物の付属品と考えられていた。
18世紀末、イェンス・ベルセリウスは物質を生物から得られるものと鉱物から得られるものとに分け、それぞれ「有機化合物」「無機化合物」と定義した。
後に、当時有機化合物に分類されたものも人工的に合成できることが発覚し、定義を「炭素を含むものを有機化合物(一部例外あり)、それ以外を無機化合物とする」と修正された。が、本来「有機(organic)」には「生物の、生物由来の」といった意味があるのだ。
だから「有機農業」を生物由来の肥料だけを使った農業の意味で使うことは本来何も間違っていないのだ。
エセ科学っぽいからという偏見で間違った意見を持っていた。化学者の側が言葉の意味を曲げて使ってしまったのだ。
なるほど、以上の意味を考えても、本来の意味は、有機とは生物っぽいことで、無機とは生物っぽくないことなのだ。化学者の側が言葉の意味を曲げて使ってしまったのだ。
こういう、ある言葉の一般的な用法と、科学的な用語としての用法にずれが生じてしまうことって結構あるよね。新しい概念を定義する際に既存の言葉で運用してしまうからでしょうかね。科学用語は定義が厳密だが、一般用語は定義よりもイメージが大切だからね。
法律用語もこういったことが多いイメージ。例えば法律でいう「少年」は一般で言う少年少女を指すらしいじゃん。
という訳で、「有機」とは本来は「生物由来の」を指す意味であり、それゆえ生物由来の農業、というニュアンスで合成肥料を使わない農業を有機農業と呼ぶことは間違っておらず、化学界が定義した「有機化合物」の方が後釜であり、本来のことばの意味からはずれているのだ、という結論を知ったところで終わりにします。
私は今日もまた一つ賢くなれました。
引用の書式を修正しました。はてな記法を知らず、blockquoteタグでいけるかなと思ったらいけませんでした。ご指摘ありがとうございます。
運動会で1等を取っても自由研究で県に表彰されても親の口癖は「そんなの全然大したことじゃない。〇〇はもっとすごい」みたいな感じで褒められた記憶がまったくない。
高校受験で難関高に受かった時にもこんな感じで心が折れた。
勉強はまったくやらなくなりいつも赤点。部活もやらず毎日夜までぶらぶらして過ごすようになった。
先生がいろいろ面倒を見てくれて留年はしないで済んだが、気力は萎えたまま卒業。
名前を書けば入れるFラン大学に入り適当に小さな会社に入れてもらって今に至る。
滅多に会ったことがない親戚が「お父さんとお母さんは子供の頃いつも増田が頑張って賞をとったと自慢していた。なのに急にやる気を無くして何もしなくなったと言って悩んでいた」と責めてきた。
知らんがな。
運動会で1等を取っても自由研究で県に表彰されても親の口癖は「そんなの全然大したことじゃない。〇〇はもっとすごい」みたいな感じで褒められた記憶がまったくない。
高校受験で難関高に受かった時にもこんな感じで心が折れた。
勉強はまったくやらなくなりいつも赤点。部活もやらず毎日夜までぶらぶらして過ごすようになった。
先生がいろいろ面倒を見てくれて留年はしないで済んだが、気力は萎えたまま卒業。
名前を書けば入れるFラン大学に入り適当に小さな会社に入れてもらって今に至る。
滅多に会ったことがない親戚が「お父さんとお母さんは子供の頃いつも増田が頑張って賞をとったと自慢していた。なのに急にやる気を無くして何もしなくなったと言って悩んでいた」と責めてきた。
知らんがな。
私は母子家庭で育った。4歳下に弟がいる。経済的には不便はなかった。だが母親はアル中に片足を突っ込んだ状態で、精神科に通っているメンヘラだった。
私は母親のよき相談役で、理解者で、いい子として生きてきた。実際に(精神の)病気の母親が心配で、私が守らなくてはいけないと思っていた。
高校受験。成績には問題がなく、どこでもいけるとのお墨付きがあったため、公立で一番いい高校に進んだ。
高校に通いだすと、母の態度がどんどん硬化していった。私には、何が起きているのか理解できなかった。
日々罵倒され、色気づいているとか、だらしないとか、自分勝手だとか、ありとあらゆる否定をされて夕飯も用意されないことがあった。
高1の冬には、本当に何が原因でそうなったのかわからず、思い出せないのだが、母は私に怒り家に入れてくれないことがあった。仕方なく、母校でもある近所の小学校に忍び込んで一夜をしのいだ。
今思えば警察に行けばよかったのだが、15歳ではそんなことは分からなかった。
最終的に私と母の関係はどんどん悪化し、私は18で家をでて住み込みで働ける仕事についた。
最近になってアダルトチルドレンの役割というのを知り、ヒーローとケアテイカーの役割だった私が、新しい男性の登場で不要になり、スケーブゴート役に変更されていたのか、と合点がいった。そしてその配役を押し付けたのは母親だ。
配役を変更するなら、教えてほしいものだ。
「好きな男性と一緒になるのに、年頃の娘でもあるあなたがいると不都合なのよ、ごめんなさい」とはっきり言ってくれたなら、私はもうちょっとダメージが少なく迷惑をかけず自立する方法を考えられただろう。まぁ、仕方がない。
ちなみにそれまでのスケープゴート役は、浮気をして離婚した父親だった。母はよく罵倒していた。
あまり書かなかったが弟はあえていうならはピエロタイプで、いつもにこにこしていた印象がある。頭は少し足りないが、スポーツが好きないい子だった。私は弟が大好きだった。母と弟と新しい男性の3人で幸せになるために私が不要なら、それはそれで仕方がない。
幸いにも家を出たあと私は、仕事や友達、彼氏や実の父親の援助などにも恵まれ私はお金をためて大学にはいり、就職し、楽しく暮らしていた。
私を切り離した家族3人も幸せにやっているものだと思っていた。
そんなある日、弟が自殺した。
母親は「実の父親が学費をだしてくれなかったせいで、奨学金を借りて大学に行くことに悩んでいた」と言っていたが、まったく理屈にあうことではなく意味が分からなかった。弟は養子縁組も終え、今の父親は新しい男性だし、第一奨学金を借りるくらいのことで自殺をするということが考えにくい。
私というスケープゴート役もいなくなってしまったことで、うたれ弱い弟にその役割が回ってしまっていたのではないか、と。
それはまったく仕方がないことではない。
いや、ちゃんと就活なりなんなりをロクにやらなかったせいなのもあるけども。
元々理系脳では全くなかった。小学校のテストで算数はよく再テストになってたし。
高校受験の際市内でも割合レベルの高い学校も合格できると塾の先生から言われた。
でも当時家庭の事情もあって確実に公立校に合格したかったからレベルを下げて中の下くらいの高校を受験し、無事入学した。
思えばこの頃から努力や挑戦から逃げる癖や他人の目を気にする癖が付いてしまっていたのかもしれない。
そしたら学年2位の成績を取ることができた。もちろん苦手だった理系科目もだ。
当時僕は自動車とか飛行機に興味を持っていた。まあエー○コンバットとかグラ○ツーリスモの影響もあるし、中学の時離れていたミ○四駆を再開したってのもあった。
ちょうどテストの成績も良く天狗になっていた僕は自動車の開発に携わる人間になると三者面談で豪語した。
ただ決めたからには色々リサーチしておくべきだったのだが当時の僕は大学行けばまあなんとかなんやろみたいな感じでのらりくらり過ごしていた。
高校2年、数学系の成績が悪くなる。とは言っても充分上位にはいたので特に問題視はされず、教師からは是非この成績活かして推薦で大学に進んではと意見をもらっていた。
ここでその道に進むとはどういうことなのか、というのをきちんと理解していなかったのがダメなところだった。
高校2年の冬辺りから音楽ゲームの影響で音楽(電子音楽)ハマりだす。
コレが後々いろんな出会いを生み出すことになるし結果的に今の状態を生み出すきっかけになる。
推薦入試で県内の中堅私大に合格した。もちろんオープンキャンパスにも足を運んだ上で決めた。ただ今思えばここで「県内で近いし大学生になれるならココでいーや」みたいな気持ちがあったのも事実かもしれない。
推薦が決まった後はまあそれなりに真面目に授業を受けつつ、友人が音楽製作始めていて僕も興味あるしやってみるかとiPhoneでいじくり始めた。
そしたらまあ思いの外楽しかった。ただ今思えばココでちゃんと音楽の勉強とか自分でしておけばよかったと後悔している。
前期はまあそれなりに突破した。後期基礎科目なのにも関わらずいまいちついて行けず二つ単位を落とし、物理の授業はほぼお情けで合格と言ったところだった。
この時点で専門科目よりも教養とか英語とかの授業の方が楽しいと感じていた。今思えばこの気持ちに正直になっていればと思う。
世間は大学生らしいことができないだのなんだので騒いでいたが、僕は電車に乗らんでいいし色々ラクできるしええやんみたいな気持ちになっていた。
というかこの時点でもう自動車開発とかの気持ちはなくなっていた。この頃に音楽製作によりハマりだして色々買い揃える。ただ基礎からの努力を怠っていて色々不便を感じることもある。(この基礎からの努力を怠る悪癖は後々牙を剥く)
オンライン授業のせいにするわけではないが、大して理解せずともまあ単位は取得できた。できてしまった。
しかし、メールとか掲示板とか見ないバカだった僕は就職ガイダンスにロクに参加しなかった。というか気づいてなかった。意識クソ低い系の学生だった僕はインターンとか意識高い系のすることやろとか思っていた。今考えるとアホ極まりない。
というか今考えると意識的にシャットアウトしてたかもしれない。
同時にもう大学の授業に面白みを感じてなかったが、真面目系クズな僕は超低空飛行ながらも単位を取り続ける。
ここいらで自分の考えていたモノ作りはある種芸術的な方向であったと気づくべきだったかもしれない。
というか大学生になるべき人間ではなかったことにさっさと気づくべきだった。
もうこの頃には自動車の開発とかには全く興味がなくなっていた。研究室の配属希望を出すが、自己PRの解釈を間違えてクソみたいなことを書いたら第六希望くらいの大して興味もない研究室に配属される。
秋辺りからポツポツと1dayインターンとか行き始める。ちなみに自己分析だのspi対策だのES雛形作成だの全くしていない。
機械科だから機械の仕事をすべきみたいな考えでその辺りの会社を見ていた。
特に企業研究とかしていなかった。バカだ。この時点で音楽のが楽しくなってそっち方面で何かできたらと考え始める。
そうこうしてる内にまあちょっと音楽関係でいいことがあったりとか実験がクソ忙しく(実際にはレポートとか課題とか先延ばしにしまくってたクズ)なって就活から遠ざかる。
というかオンラインのガイダンスも後でまとめて受ければいいやで先延ばしにしてそのまま忘れるんだが。
合同説明会とかにも行き出す。今更かよ。合同説明会に行き、通路を通っただけでウチどうですかどうですかと声をかけられて、顔を覚えられたりして恐怖を感じ、トイレに逃げたりした。
3月、エントリーが本格化してくる時期。ようやくエントリーシートなどに取り掛かり始める。が、ここで最悪のつまづきをする。エントリーシートが全く書けない。そもそも将来のビジョンって自分にあるのか。学生時代何を頑張ってきたのか。自分は何をしたいのか。何者なのか。急激にどうにもならなくなってくる。今思えばうつ病に両足突っ込んでいた。ロクに寝れなくなった。食欲もなくなり、ゼリーをかろうじて胃に流し込む日々。
コレもすべて大学生活、もっと言えば高校生から自身の適性やキャリアプランを考えなかったツケなのだが。
こんな就活のしの字も分からない自分に誰かを頼る資格もないと考えひたすら内側で自問自答する日々。
就活の助けになるだろうと登録したエージェントからはメールや電話爆撃で電話に出るのも怖くなる。
このままじゃもうニートまっしぐらだ。周りに自身の、周りからいい子だと言われ続けた自分がこうなってしまうなんて。このままじゃ大学の名前にも傷が付く。
そんな気持ちで一杯になった自分は急に自殺しようと自室の窓から飛び降りた。まあ直前で怖くなってしがみついたおかげで打撲と派手な擦り傷で済んだのだが。まあしばらくは上手く歩けなくなった。
この頃はロクに思考も出来てなかった。よく嘔吐もした。体重も落ちた。
昔からその場の楽ばかり選び、他人からいい子で見られる為に生きてきたことに気づく。真面目系クズだ。
そんな中、企業の方との面談が入る。そこでなぜこの大学に、この学科に入ったのですかと聞かれる。
そこでクソみたいな思考の僕は焦点の合わない目でこう答えた。
クソみたいな考えだ。
そんな最中母親からこう提案される。音楽に興味があったなら卒業後に専門学校への進学も視野に入れてはどうかと。
昔(特に高校生)の僕はストレート大卒ではないといけないという考えに囚われていた。周り道した人と出会わなかったのもあるが。
作曲を仕事にするのは難しいが、音響のこととかなら視野に入るのではないかというアドバイスも貰った。ちょっとその気になりつつ、それがある種就活からの逃げではないかと罪の意識に囚われ、いまいち吹っ切れない。
この頃は理由もなく突然泣き出したりとかもよくあった。
そんな状態で4年生卒業研究が始まる。もうこの時点で単位は卒業研究以外すべて取り切っていた。
まるで興味のない分野、そもそも興味が薄れていた専攻、そしてこのような精神状態。決まったテーマも希望のテーマから外れた。
研究室で昨年の論文に向き合う。が、何も知識がない、というか応用することが全くできなかった(数学は公式を暗記して解くモノと思っていた)僕はもう何も理解することができなくなっていた。周りはどんどん前に進んでいるのに自分はどうして何もできないんだという気持ちになり、ますます自身を追い詰める。
研究室に行っても全く集中出来ず、じっとしていられなくなって席をよく立ったり、昔からの癖であった消しゴムとペンの戦いごっこが辞められなかったり、高校数学の知識が抜け落ちてたりしていた。というかどのように卒論を進めて行けばいいのか、という計画もできない。とはいえ研究室には行かなければという気持ちで毎朝嘔吐したりしていたがなんとか向かっていた。
5月、半ば辺りから徐々に食欲とかは回復していった。とはいえ、集中力散漫なままだし頭の中にずっとラップがかけられている感覚は抜けないし、風呂に入る気力もなかったり、帰宅すれば即寝落ちみたいな日々が続くのだが。研究報告のパワポもロクに仕上げられず、自身を殴ったりした。
そんな中共同研究者が失踪した。後で卒業研究2年目の先輩に聞いたのだが去年も1人失踪したらしいしなんなら所属学生全員卒論落とす可能性もあったとかなんだとか。
自身のテーマに関係する部分の勉強会に参加した。しかし、教授の言ってることがまるで分からない。どうにもならない。卒論は書けるのか。
オープンレターとか脱税とかで出てきた名大の隠岐さや香先生の経歴を辿ると多摩大学聖ヶ丘高校から東大へというプロフィールが出てきたが、こういう「それほど実績のない学校から急に出てきた東大生」という属性の方ってすごい嫌な人が多い気がする。
灘開成筑駒桜蔭ぐらいならエリート意識が鼻につく程度だし武蔵海城巣鴨豊島岡辺りならある程度は挫折も知っているので付き合いやすい。(浦和千葉日比谷は別の意味でウザいが)
ただこういう「中堅進学校から頑張りました」系の人、しかも現役の人ほど性質の悪い世間ズレを連発して周りに迷惑をかけまくるが本人は何も思っていないという連中が何故に多いのか。
アホ学校の特進クラスでさらに成績が良いと先生方にとっては唯一の味方になるんだろう。しかも周囲の生徒は馬鹿にして周囲の大人は過大な敬意を持つからどんどん世界がズレてくる。
というか高校受験で内申点の上げ方を身につけているのも大きい。調査書というのもAO入試というのもある。大人に媚びれば媚びるほど見返りがあるんだから。
東京都内在住で長男が中学一年生。今のところグレてなくて優しい良い子。
公立小学校から公立中学校に進学。東京東部だけど荒れてるという雰囲気ではない。
交友関係はすごく仲の良い友達が2人でそこそこ仲の良い友達が数人。
部活は運動部。小学生の頃は運動があまり好きそうではなかったけど
中学生になって友達と誘い合って運動部を選んだらしい。団体競技を選んでくれたのは嬉しい。
子供の頃の習い事はよくある水泳や公文とか一般的なものだけ。トップを目指して多大な努力をするようなものではない。
勉強は学校で教わる水準は理解できているみたい。小学校低学年から毎朝ドリルで自主学習している。
自主学習は5年間ぐらい継続しているので本当にエライ。親からみても尊敬できる。おれはムリだったし今もムリ。
中学年で進学塾にも入ったが、親が受験に本気になれなかったので1ヶ月ぐらいで辞めた。
親としてはこのまま公立中学で過ごして高校受験をして大学まで進んで欲しいと思っている。
中学生になったので塾に通うつもりだが、放課後の大半をつぎ込むような進学塾は考えていない。
ただ、ネット上で親である自分と同じような属性・収入の人達の話を読むとほぼ全員、子供を私立に進学させているので少し心配している。
仕事で会った子持ちの人と話をしても私立中学に進むことが前提になっているようで
中学受験しないことを伝えると「あ、そうなんですね(失礼しました)」みたいな微妙な雰囲気になることが何度かあった。
また、受験に力を入れていない家庭もあるにはあるが、そういう家庭は野球やサッカーでプロを目指すような家庭だったりする。
よくTwitterを見ていると中学受験で辛い思いをした、貴重な遊びの時間を勉強に充てて苦しい思いをした、というネガティブな話ばかり流れてくる。
生存バイアスの逆、というものはあるのだろうか、苦しい思いをした人の話ばかり流れてくるが、少しの才能があれば別に何も大変なものではない(ちょっとお金がかかるくらいである。)
私個人としては、中学受験は全く苦労せずに地域トップの中学に合格したし、そもそも地元の公立中学に行きたくなかったし良いこと尽くしだった。
中学受験するより公立から優秀な公立高校行った方が大学受験良いよね〜なんて話も聞くが、そもそも大学受験目的で中学受験をしていない。むしろ高校受験も無いから中学時代はずっと遊び呆けることが出来たし、内申なんてものも気にしなくてよかった。中学3年時点で下位20%くらいの順位だったが、国立医学部にも合格した。流石にずば抜けて優秀ではなかったので中堅どころだが…。
田舎のことを全く知らない都会の人が都会の公立中学を見て底辺を語るなら笑ってしまう。
なんてことを書いているとやっぱお前中学受験したせいで性格悪いじゃんと言われてしまうのでこの辺にして
ではそもそも中学受験するには本当に苦労して勉強づけの日々を過ごさないといけないのか?
そもそも中学受験をしてまともな中学に行く人間なんて、大抵小学校のクラスじゃ1番のちっちゃな頃から優等生で、他の人が2時間かかる学校の宿題を15分で終わらせられたじゃないか。その余った時間を余分な勉強に充てているだけだ。
週に何日か塾には通わないとは行けないが、他の人がサッカーや習字やピアノの習い事をしている時間をちょっと塾に割かないといけなくなっただけだ。(もちろんそれらを習ったまま受験する人もいくらでもいるが。)
たまたま習い事の選択肢として、Aちゃんはピアノとそろばん、Bくんは水泳と習字、私は塾という選択をしただけである。今になってピアノを弾ける人カッコいいなあって思うけどね。
とは言っても、6年生になれば土日は潰れてゲームをする自由時間はたくさんあるものの友達と遊ぶ時間は中々確保出来ず、1年ほどは本腰をいれて勉強しなくてはならない。
ただここで勉強した分、高校受験する人が中学3年の時にたくさん勉強していたタイミングでひたすら遊び呆けていただけなのだ。
中学受験は極論、受験のタイミングが小6にあるか中3にあるかという違いでしかない。
受験科目に英語も無いし内容も複雑でないし、なんなら高校受験より楽だと言っても過言ではない。(いや、流石に過言だ。ただ高校受験における内申点とかいうゴミみたいな制度を聞くと、やはり過言ではないのでは…?)
失敗した時に浪人が出来ないのも同じだし、最悪失敗したら公立中学に行くという手がある中学受験と違って、高校受験は失敗したら詰んでしまわないのだろうか。二次募集の高校に行くのと公立中学に行くのとでは流石に意味合いが違う。
私が「中学受験をしたんだ」と言うと、「そっか、大変だったんだね〜」と哀れみの目で見て、中学受験をせず大変な思いをしなかった自分を肯定するのを辞めて欲しい。
私だって大変な思いはしていない。
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私の地域は違うのだが、関東などでは?私立中高一貫校は土曜日にも授業があるのが当たり前らしい。それで「大変だったんだね〜」と思うらしく、大学に入ってから大層驚いたのだが、それならば仕方ない。
と思うので、誰か褒めてよ、という話である。
地方の公立から東大に入って上京した時には、同じクラスの開成や麻布の連中が眩しくて気後れしたものである。漫画の「東大リベンジャーズ」とかいうのを見たが、俺が現役だった20年以上前もあんな感じだったのだ。
うちの息子の話になるが、できは悪くないので、塾に行かせて中学受験をさせてという一連の流れの中でうまい具合に収まりそうなんだが、はっきり言って、昨今のSAPIXから鉄緑会と御三家を経て東大に大量に送り込む流れは完全にシステム化されてて生徒自身は大したことないと思うのよ。
地方の公立中でヤンキーと同じクラスで「生活指導」を受けたりとか「合唱コンクール」とかやりながら高校受験し、そのあとZ会とか河合塾とか組み合わせて這い上がった俺の方が100倍偉いってそう思うのよね。
https://anond.hatelabo.jp/20220331130032
それ以前に、多くの科目の教師がかなりいい加減で、授業の8割が無関係な雑談を一方的に喋ってるだけだった。それなのに中間・期末テストも高校受験も容赦なく迫ってくる。授業が崩壊しているのに家で予習復習など自主勉ができるはずもなく。
やる気無さすぎな教師どもにも腹が立ったが、まず不満だったのが教科書。教師が解説をするのが前提の造りになっているから、解法とか載ってない。例題、練習問題、応用問題。それらが広々とした余白の中にたゆたっていた。
ところで小学生時代のある年度始め、担任が新しい教科書を配る際にミスって教師用のも配布してしまい、それが私にあたった。家に帰ってから、記名する前に中身を確認してみたら、余白であるべき部分に赤字で色々書かれていた。問いの答えと、教える際のポイントのようなことだった。その時は、ヤバいこれは先生のだ。自分が持っていてはいけないやつだ。と思い、手垢をつけないようすぐ閉じて、ソッコーで学校に引き返して担任に渡して自分が悪いわけでもないのに深々と頭を下げて謝罪し、生徒用の教科書と交換してもらった。真面目すぎか。
そんなことがあって、教科書というものは知りたい事に限って書いていないものなのではないか? という発想というか疑問というかを懐いたものの、すぐに忘れた。
で、中学に上がってから教科書ガイドというものの存在を知った。きっかけは同じクラスの友人だった。そいつは学校の授業や宿題や教師の監督がない時の小テストでズルをするために教科書ガイドを使っていた。こっそり机の引き出しに忍ばしておけば、授業中に指名された時にいいよ、といってそれを私に見せてくれた。
教科書ガイドは教科書と同じ内容が書いてあったが、問題の答えが書いてあって解説も書かれていた。教師用の教科書とは違うのかもしれないが、これさえあれば教師要らなくね? と思った。
帰宅して私は母親に教科書ガイドを買ってくれろとねだり、本屋に連れて行ってもらった(当時の我が家はお小遣い制ではなく、親戚から貰ったお小遣いも全額親に没収されていたので、私は自分の金を持っていなかったのだ)。だが母親は平積みされていた教科書ガイドをパラパラめくって中身を確認して一言、
「ズルだからだめ!」
それより数ヶ月前に学習塾に入れられそうになったのを全力で拒否したのもまずかった。あんなに勉強するのを嫌がっておいて、今度はこんなズルい手を使って更に勉強をサボろうというのか! と母親をカンカンに怒らせて終わった。
言い訳をさせてもらえば、塾に入るのを拒否ったのは、塾に通っている同級生が皆授業中に睡眠補給をしているのを見ていたからだ。彼らは夜遅くまで起きて塾で勉強をし(?)「塾の宿題があるので出来ませんでした」といって学校の宿題をサボっていた。当然、成績は芳しくない。テスト当日の朝の挨拶は「勉強した? 俺はやってないw」
そんな奴らと同じ塾に行って成績が上がるか馬鹿野郎。むしろ全力で足引っ張られて沈むわ。
そんなこんなで教科書ガイドを入手するのを断念した私は、それでもなんとか別の手(通信教育と学校配布の問題集と参考書)を使って勉強して高校受験でしくじるのは回避出来たが、今でもあの時教科書ガイドを買って読んでいれば、あんなに遠回りしないで済んでいたんじゃないかと、ずるずる根に持っている。
けど、教科書ガイドを使って勉強して成績上がったとかいう奴には会ったことがないから、実際使えるのかどうか疑問だ。誰か使ってよかったよっていう人おるん?