2022-06-10

とある機能不全家庭のACお話

私は母子家庭で育った。4歳下に弟がいる。経済的には不便はなかった。だが母親アル中に片足を突っ込んだ状態で、精神科に通っているメンヘラだった。

私は母親のよき相談役で、理解者で、いい子として生きてきた。実際に(精神の)病気母親心配で、私が守らなくてはいけないと思っていた。

高校受験。成績には問題がなく、どこでもいけるとのお墨付きがあったため、公立で一番いい高校に進んだ。

高校に通いだすと、母の態度がどんどん硬化していった。私には、何が起きているのか理解できなかった。

日々罵倒され、色気づいているとか、だらしないとか、自分勝手だとか、ありとあらゆる否定をされて夕飯も用意されないことがあった。

後で思うと、ちょうど母に再婚を考える男性が出来たころだ。

高1の冬には、本当に何が原因でそうなったのかわからず、思い出せないのだが、母は私に怒り家に入れてくれないことがあった。仕方なく、母校でもある近所の小学校に忍び込んで一夜をしのいだ。

今思えば警察に行けばよかったのだが、15歳ではそんなことは分からなかった。

最終的に私と母の関係はどんどん悪化し、私は18で家をでて住み込みで働ける仕事についた。

その後母は男性再婚し、弟と3人で暮らしはじめた。

最近になってアダルトチルドレン役割というのを知り、ヒーローケアイカーの役割だった私が、新しい男性の登場で不要になり、スケーブゴート役に変更されていたのか、と合点がいった。そしてその配役を押し付けたのは母親だ。

配役を変更するなら、教えてほしいものだ。

「好きな男性と一緒になるのに、年頃の娘でもあるあなたがいると不都合なのよ、ごめんなさい」とはっきり言ってくれたなら、私はもうちょっとダメージが少なく迷惑をかけず自立する方法を考えられただろう。まぁ、仕方がない。

ちなみにそれまでのスケープゴート役は、浮気をして離婚した父親だった。母はよく罵倒していた。

まり書かなかったが弟はあえていうならはピエロタイプで、いつもにこにこしていた印象がある。頭は少し足りないが、スポーツが好きないい子だった。私は弟が大好きだった。母と弟と新しい男性の3人で幸せになるために私が不要なら、それはそれで仕方がない。

幸いにも家を出たあと私は、仕事友達彼氏や実の父親の援助などにも恵まれ私はお金をためて大学はいり、就職し、楽しく暮らしていた。

私を切り離した家族3人も幸せにやっているものだと思っていた。

そんなある日、弟が自殺した。

遺書もなく原因がわからなかった。

母親は「実の父親学費をだしてくれなかったせいで、奨学金を借りて大学に行くことに悩んでいた」と言っていたが、まったく理屈にあうことではなく意味が分からなかった。弟は養子縁組も終え、今の父親は新しい男性だし、第一奨学金を借りるくらいのことで自殺をするということが考えにくい。

それから10年以上が立つ。最近になってふと思った。

私というスケープゴート役もいなくなってしまたことで、うたれ弱い弟にその役割が回ってしまっていたのではないか、と。

それはまったく仕方がないことではない。

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