はてなキーワード: 通勤とは
おれは通勤1時間半。貧乏臭い話なんだけど、定期だと途中下車できるじゃん?おれはそれが楽しくてまだ引っ越してない。
知らない駅で降りて一駅分歩いてまた電車に乗って帰宅、って感じで東京の街をお散歩してる。地方出身だから、街歩くだけでも楽しい。
東京から神奈川まで乗換を2回する電車での通勤が苦痛でしかない。
・通勤ラッシュ時は電車が毎日遅れる。自分で時間をコントロールできない。
・仕事帰りに、お腹がすいて買い食いしてしまうからお金を使う。
もう我慢できず、GWに職場まで徒歩10分の物件に引っ越した。
連休使っての旅行計画に精を出すうち、気づけば既にリアタイ勢から周回遅れを食らっている今日において今更1話の感想なんて…とは思いつつ感想を書くことにした。1~2話までしか観ていないので、3話以降を既に見ている諸兄においては「何言ってんだこいつ」程度の温情を頂ければ幸いだ。なおニコニコ動画のコメントやツイッターの実況などは敢えて見ずに書いてみた(このあと見るつもり)。ニコ動で観てると、感想がだんだん「ネットミーム紹介文」みたくなっちゃうの難しいよね。
それっぽく並べてあるけど、作品の優劣は付けてない。容赦して。
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私はTVでアニメを観ない(BS見れないし、TOKYOMXもAT-Xも受信できないし)ので、配信情報はこれ以外の手段について書いている。
Netflix独占
クリスマス生まれ(多分)と火曜日生まれ(多分)の二人が火星の大都会で一緒に音楽する青春ドラマ。「カウボーイビバップ」等でおなじみナベシン監督の新作。制作はボンズ。 本作で特に目を引くSF描写。都会の中心部はいかにもSFっぽい高層ビル群な街並みなんだけど、周辺に90年代アメリカみたいな町並みが広がってたり、往来する人も含め朝昼晩と色んな表情がある。「大都会だけど金持ちや貧乏人、ホワイトカラー、ブルーカラーが入り交じる都会感」に強いリアリティがあるところが好き。細かい所だと、飲食店の注文が全部スシロー方式(店員呼ばなくておk)なのに、作中の客がみんな店員呼びつけてクレーム入れてたのリアルすぎて笑った。設定こそSFだけど、現代を舞台にしても成立するような話をあえてSF世界で展開するっていうのもリアリティを強める要因っぽい。そんなSF描写の中でも好きなのが「家出ってどうやるの?そんなこと、聞ける人もいなくて。色々とググってみたけど、やってみたら意外と簡単だった」という冒頭のモノローグ。ゆうて火星の話ってことは実質ファンタジーみたいなもんかな、という先入観があっただけにこの一言だけで「実はこの世界はリアル世界と地続きで、しかも遠い未来というわけでもなく、とりわけ若者像はほとんど変わっていないんだよ」というSF世界であることがわかる。似たようなシーンだと、セッション後「私達のはじめての曲が完成しました!イエーイ!」つってインスタにセルフィをアップするシーン。作中何度も語られる「何も特別ではない、リアルの世界にもたくさんいる、何者でもない誰か」て感じをよく表してる。本作の脚本はみんな大好き赤尾でこなんだけど、私はやっぱり彼女の関わる作品に登場する女性が一番好きなのかもしれない。先のクールで言えば「同居人は猫~」「3D彼女」が赤尾でこ脚本。ハルって女の子だよね?特に同居人は脚本・赤尾でこx絵コンテ・佐山聖子タッグによる挿話がたくさんあってめっちゃエモかった。
1話では「二人がなぜ音楽をやっているのか」という部分が中心で、音楽への初期衝動を丁寧に描いてるのが好き。「ふとラジオから流れてきた曲を聞いて涙が出てきた」とか、路上で演奏してるけど歌はなく(ハミングだけ)「ただの音の連なり」を演奏してるだけ、とか。本作に限らず「初めて新入生に軽音部が自己紹介がてら演奏を見せるシーン」とか「生まれて初めてライブハウスでライブを見たシーン」とかめっちゃエモいよね。
セッションも、最初はお互いにそれぞれの初期衝動を持ち寄って始めるんだけど、お互い探り探りから徐々にノッてきて、歩み寄っていく過程がすごく丁寧。途中でやり直してみたりとか、お互いに相手を見つめながらテンポや歌を合わせる感じとか。
それにしても演奏シーンがやばい。最近は演奏シーンに3DCGを駆使してダイナミックな動きを表現する作品が増えてるけど(ピアノの森とか)、本作は演奏シーンに限らず多くが作画アニメーション。ボンズすげえ。ギターの弦を押さえる運指見てるだけで一日が終わりそう、別のカットも、手元だけを映すんじゃなくてチューズデイの上半身全部作画してるし(大抵の楽器は全身使って演奏するものなので、彼女もギター演奏中は体をかなり動かしている。本作はそれを作画で丁寧に表現している)。
加えてギターの作画が凄まじい。まずギターケースを開けるときのアニメーションから既にヤバイ。あえて楽器の持つ神秘的な雰囲気とか、艶やかな反射とかを作画で表現してるのは京アニだけだと思ってた。
SF的大都会、ストリート系の子と一緒にストリートミュージックを、お嬢様ファッションに身を包んだ子がアコギ演奏するっていうギャップは、案外「全力でアコギ演奏シーンをリアルに描きたい」という発想からスタートしてたり?
そしてギターの音ワロタ。開放弦でベヨェーンしたときのボディが響く感じとか、ギターに指が触れたときのギュインッまでちゃんと入ってるし、セッション中なんかギターの音に限らず、服の擦れる音「彼女たちが演奏してる部屋の空気の音」が(おそらく)全部入ってる。演奏シーンは文字通り空気が変わった。
「え、歌くっそうまいやん」と思った人も多いと思うけど、本作はCVと別に歌担当のアーティストがいる。英語圏でオーディションをしたらしく、この人たちがまたとんでもなく歌がうまい。もうハミングの時点でめっちゃうまいってどういうことなの・・・
音楽で言えば劇伴はMocky。R&BやJAZZの人で、軽快なベース音がたまらない。ついビバップの菅野さんを思い出しちゃう。それにしても、音楽がテーマの作品とはいえ劇伴が多彩すぎる。1話を通して音楽アルバム聴いてるみたい。
歌で言えばEDは作詞・作曲・編曲Benny Sings。劇伴から一変してPOPS。カートゥーンっぽい絵と相まってかわいい。
すんでのところでFOD独占を無事回避
浅草の日常アニメ。「さらざんまい」の意味は、ざっくりいえばユニバース感覚のこと。それにしても「さらざんまい」というネーミングセンスよ。幾原邦彦監督による新作。制作は「ユリ熊嵐」に引き続きラパントラックで、本作は共同でMAPPAが参加している。ピングドラムやユリ熊嵐で印象的なピクトグラムを担当した越坂部ワタルや、その2作で劇伴を担当した橋本由香利が本作にも参加していて、「チーム幾原邦彦」が確立されていく感じがある。
俺が本物のかっぱをみせてやるよ!(by幾原邦彦。公式ラジオ番組が毎週配信されていて、MCが諏訪部順一&まさかの監督。制作大丈夫ですか?)とのこと。曰く「かっぱと尻子玉は切っても切れない関係。なのに尻子玉を描かないかっぱ作品が多すぎる」というわけで、本作では尻子玉が重要なモノとして描かれている。これが本物のかっぱだそうです。噂に聞いてはいたけれど、かっぱに尻子玉を抜かれるというのはかくも恐ろしいことだったのか。ちなみにエンタの中の人は「尻子玉が抜かれるときの気分は、痛み8割気持ちよさ2割くらい。あと恥ずかしい」という気持ちで演技したとのこと。ノイタミナのプロデューサーからの「勘弁してください。ノイタミナですよ?」という柔らかい拒否を押し切って作られた尻子玉搾取シーンは割と必見。
1話は「かっぱとは?尻子玉って?」を中心にまとまったお話。ピングドラムやユリ熊嵐と比べてとっつきやすい感じがある。公式あらすじも
「中学2年生の矢逆一稀、久慈悠、陣内燕太の3人はある日、謎のカッパ型生命体“ケッピ”に出会い、無理やり尻子玉を奪われカッパに変身させられてしまう。『元の姿に戻りたければ“ある方法”でつながり、ゾンビの尻子玉を持ってこい』ケッピにそう告げられる3人。少年たちはつながりあい、ゾンビの尻子玉を奪うことができるのか?!」
といった感じでかなり分かりやすい。とはいえ、本質はピングドラム、ユリ熊嵐に続く群像劇、というか愛憎劇なので結構しんどい系ではある。非常に愛が重い。ピングドラムのストーカーっ子にドン引きした視聴者は多いと思うけど、要はあんな感じ。作画部分でもキャラの表情、特に主人公のアップがすごく綺麗(中性的な顔っていう感じがよく出ていて好き)で、より群像劇みが強い。冒頭の主人公が走るお芝居すごい。
ユリ熊嵐と比べると、あっちが「隔世」なのに対してこっちは「現実世界(浅草)」という舞台設定の違いがある。描かれる浅草の描写もすごくリアルで、いわゆる「世界的な観光地」ではなく「昔ながらの下町っぽさ」に焦点を当てている感じがすき(背景:スタジオパブロ)。ぐちゃぐちゃした看板まで再現してて、三ツ星カラーズ並みに生活感がある。そして登場する場所が、地元民ならではのチョイス。監督自身が若い頃から浅草で遊んでたらしく、その頃のイメージを元にアニメの舞台を浅草に決めたらしい。浅草寺などの観光地より雑踏(街を歩く人、通勤の車とか)によって街の雰囲気を描いているところとか、生活圏にあるテーマパークこと「花やしき」が出てくるとことか、地元民らしい描き方だよね。
そして例の尻子玉(尻子玉と書いて「よくぼう」と読む)搾取から始まる一連のシーン。みんな何回くらい観たんだろう。MAPPAが関わってるだけあって凄まじいアニメーションに仕上がっている。劇中歌とともに欲望搾取~浄化までシームレスに続くシーンの中毒性やばい。過去作と比べ、初めから終わりまでキレイにまとまってて完成度が非常に高い。「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」のレヴューと似たような感動を覚えた。またアクションをするのが人間ではなくかっぱやモンスターなので、より一層爆発力というかファンタジー感が加速しているのも好き。
挿入歌でいうと、ユリ熊嵐と一変して本作はほぼ登場人物が男性なのが印象的で、挿入歌も今の所ボーカルが全員男性。特に2話挿入歌「カワウソイヤァ」がすごい好き。余談だけど、アフレコ時点であのシーンはアニメ化用の実写映像資料だったらしい。ちょっと観てみたい。
EDは「青春ブタ野郎」OPでおなじみThe Peggies。青ブタもこれもしんどい群像劇なので、このバンドサウンドがすごく合っている。
ところで、最後の「フィクションです」的なキャプションは一体どういう意味なんだろう。「まあ、かっぱなんて存在しないんですけどねwww」とか「実際のかっぱはこんなんじゃないんですけどね、へへへ」とか?かっぱが非実在みたいなメッセージに見えるから不適切じゃない?
ゴブリンスレイヤー。英題は”DEMON SLAYER”。エミヤさん家に引き続き、ufotable肝いりの新作(ユーフォーテーブルって読むのね、初めて知った)。テーマは「動く浮世絵」とのこと。大正時代の日本を舞台に、鬼殺しをするお話。制作体制的にはufotableのアニメ「テイルズオブゼスティリアザクロス」の布陣。舞台こそ違えど、壮大なファンタジーっぽく仕上がっている感じは似てる。特に壮大なBGMの使い方とか、映画かな?これ絶対映像に合わせて作曲してるやつでしょ(やってるってラジオで言ってた気がする)。オケ~雅楽までなんでもありな感じが聴いてて楽しい。
近代の日本を舞台にしたアニメの中でも特に地方(山の中)が舞台のアニメといえば「ゴールデンカムイ」が似てるかも。背景美術でいうとあっちは「美しい自然を感じる」っていう印象なんだけど、本作は背景が全体的に黒っぽくて薄灰色に支配された不吉な感じ。闇=鬼の領分、みたいな緊張感がある。そういう意味では「どろろ」に近いのかも。金カムは実質ゆるキャンなので、自然の描き方は趣向がかなり違う。金カムが「自然怖い」なのに対して本作は「鬼怖い」だし。野生の動物が登場しない感じからもそういう意図があるのかな。
で、何その背景の書き込み。ユーフォーテーブルの背景(たぶん自前)って、エフェクトを自然に盛り込んで多角的に映す演出をするけど絵っぽさを残してるというすごい技術を使ってるよね。2話の修行シーンとか特にやばかった。主人公が背景の中にちゃんと存在して、立体的に生えてる木々の中を疾走しているようにしか見えない。でもキャラデザはテイルズオブゼスティリアザクロスと違い、輪郭線に特徴がある平面的なデザインになっている(浮世絵みたいな感じ)。そんなキャラが縦横無尽に画面を駆け巡るアクションシーンすごくない?最近だと「スパイダーバース」とか。あれは更にすごかったけど。
1話はゴブリンスレイヤーで言うところの前日譚で、「鬼って何なん?」みたいな話が中心。いわゆる妖怪等と違い、鬼がゴブリンくらい生き物してる。金カムではヒグマが神様の化身みたいな扱いで人間を襲ってたけど、あれくらい怖い。おまけに人並みに考える上に喋るしほぼ死なない。散発的に現れる感じはゴブスレで言うところの「落ち延びたはぐれゴブリン」なのかな。強烈なヌルヌル作画ゆえ、鬼がとても肉肉しくてキモい。「甲鉄城のカバネリ」のカバネくらいキモい。
そんな厳しい世界を生きる主人公(CV.花江夏樹)の、鬼気迫るセリフや息遣いがめっちゃ好き。ゴブスレさんは鎧に身を包んで常に平坦な口調だったのに対して本作の主人公はすごく感情表現豊か。「4月は君の嘘」を見てから彼の演技が大好きなので、またアレを見れるのが嬉しい。演技で言えば、鬼頭明里演じる禰豆子かわいい。基本的に山田たえ状態なんだけど、呼吸やうーうーだけで感情の起伏(非常にピーキー)や体型の変化を表現する感じとかめっちゃ好き。特に2話の見せ場では音楽とアニメーションによる強烈な緩急も加わってすごいことになってた。ご飯を我慢するシーンすごいよね。癒やされる。
入れ替わり立ち替わり、入ったり出てったりしてた。
気にせず会話したりしてたんだけど、夜中の2時くらいには静かになってて
起きてるのおれだけになって、構って欲しくてちょっかい出してたんだけど
その中で女の子が一人、「帰りたいんだけど」って言い出して、
じゃあ送ってくよって二人で静かに抜け出した。
家から出てすぐ家どっちって聞いて、
あっちって言ったらあっちの道行って、
こっちって言ったらこっちの方行ってとかやって、
そしたら「(遠いちほー)の彼氏の家に行きたい」と言い出し、
じゃあググったら最短で行けるよみたいなこといってその子のスマホで調べてこっちだーって行こうとした。
すると後ろからお袋の話し声が聞こえてきた。
隠れなきゃーと思って少し急いだら追いつかれそうだったから近くのでっかいマンションみたいな建物に二人で入った。
3階まで上がって部屋に入って聞き耳を立ててると、お袋と弟がおれを探してたっぽいくて、
その子にスマホと荷物返して下まで降りてく途中、人がいたから隠れた時にはぐれちゃって、
ちらっと外見てタイミング見計らって外にでて、しばらくその子を探してたら
待ち受けてた両親に捕獲された。
なんで居場所が分かったのか聞いたら、
見つけたんだと言われたんだけど、そこから見ても
木に隠れて建物が見えない。というかあの建物完全に廃墟なんだけど。病院?かな?
早朝の通勤っぽい人もいっぱいいたしマンションだと思ったっていうか駅かなんかみたいだったなって思ってたのに。
まあそんなタイミングよく見られてたら捕まるほかないよなって妙に納得して、どこ行こうとしてたんだって言われたから(遠いちほー)に行こうとしてたんだー、助けてあげようとしてたんだーみたいなこと言ってたら、
そういえばさっき駅でオバケが出たんだってーってお袋が言って、親父も「そうそう、男の人が30cmくらい浮いて落ちたら電車が故障して止まったらしいぞ」みたいな変なこと言ってて、
自分の気の抜けた「ぅゎあぁぁ」みたいな寝言で目が覚めた。そしたらラインきて。見たら妻からで。
そういえば一緒にいた女の子の名前と妻の名前が一緒だったなって。別人なんだけど。
人手不足と言っても労働者が大事にされるとは限らない、人手不足の業界や会社や労働現場には暗い何かがあると思った方がよい
「新人・新卒潰しで一部で有名なPLやPMがいる常駐先」・「二交代制のランダムシフト24時間365日」・「コストにうるさく労働者に通勤の選択肢を与えない会社」・「3年以上前の業務PCを壊れるまで変えない業務現場」
「業務PCが壊れても共有させて買い替えや新調を許さない業務現場」・「人手不足ゆえに対応漏れを防ぐため電話から離れることを許さない現場」・「人手不足ゆえに休みは全てPMが決めて決めた日以外は欠勤扱いな会社」
「ワンオペが日常な労働環境」「知らない人を異常者と捉える労働環境」「質問を許さない上司」「残業代を出さない派遣会社」「病休でも休むと減給な派遣会社」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
人手不足でみんな転職すればハッピーか?それは一部の国立大を出たR&D出身者か有能な技術者くらいで大多数は暗い何かがある人手不足な会社や労働環境に吸い込まれるだけであろう。
上記の例では例外なく賃金も低かった勤続10年でも30万いくかいかないかなのに過酷な労働環境を労働者に押し付けるから年中人手不足なのに管理職や会社は労働者の努力不足にして年中求人を出してカモを探している
凡人もしくは無能は「人手不足」に故に転職しやすそうに見えるが、暗い何かがない会社や労働環境ほど人手不足でないため期待した結果は出にくいだろう。
極論として都内で地方公務員目指せば誰でもハッピーなのさ!仕事に生きがいとか楽しさとかやりがい求める人には向いてないけどな!
多分新しい職場に変わるんだろうか
日付が変わるまでに帰ってきて、一緒に令和を迎えられるといいのだが。
うちの係を取りまとめる上司のGとソリが合わない。
俺のやる事がなにもかも気にくわないらしく、少しミスをすると鬼の首とったマンになり嫌らしく責めてくる
俺も仕事での積極性や、判断に適当なところが多いのは反省すべき点だが、周囲の人から見ても俺には当たりが強いようだ
むこうもこちらもコミュ症だから雑談や私的な会話が一切なく、関係を構築できてないのも原因のひとつだろうか、、
高校を辞めた頃も、学校が近づいてくるとこんな吐き気がしていた
いまの仕事のおかげで、やっと人並みの人生に軌道修正できたので辞めるわけはないのだが、頭の中は常に退職を意識してる、辞めないけど。
昨日の寒さと、化成肥料の与えすぎのどちらかだと思うんだけども、枯れてしまった。
元々芽が出始めで、もっと伸びていいはずだったのに遅々として成長していなかったのでおかしいと思っていたので掘り返してみると、根が伸びていなかった。
他の2つも掘り返してみたら、根が腐っていた。
かなしみ。
生き残ってた1個と、水耕栽培で発根してた3個を、安い培養土に植えつけ、表層だけを赤玉土にした。
いつかマイホームを建てたら庭にアボカドの巨木をそびえたたせるのが俺のささやかな夢なのだが、なかなか上手く育たない。
手をかけ過ぎて、逆に失敗するパターンが多いな
ダイエットを勢いづけるためにスマフォと同期できるアクティブトラッカー(というとかっこがいいが、万歩計)を買った
心拍とか見れるの面白いし、無駄にデータ眺めるのも面白いからとても満足してる
1日の目標歩数というのを自分で決められて、1万歩にセットして過ごしているのだが、記録をクリアすると何日間連続で続いていますよと通知が来る
が、これが1日でクリア出来なくなりそうになった時のストレスが半端ない
大抵通勤の行き帰りで8000本ぐらい行くので、普通に会社に行けば日常の歩数もカウントされるとクリア出来るのだが、ある日残業をして日にちが後15分で変わるという辺りで自宅最寄りの駅に着いた時はもう必死こいて早歩きして腕を振って歩きまくって、11時59分30秒ぐらいにギリギリ歩数を達成してドッと安堵感が来る。
とりあえず、買った次の日ぐらいからの1.5ヶ月目標歩数を毎日クリアしているのだが、これが一旦途切れてしまった時、またやり直しという気持ちに苛まれてサボってしまいそうで怖い
半分自分の中で勝手に強迫観念みたいに進めていたが、本当に強迫観念になりつつあってそれも怖い
自分のルールだから勝手にしろと言われたらそうなんだが、割と順調に進んできたダイエットすらもやめてしまわないか心配
歩き以外の運動もやる
でも欲を言えば午前3時ぐらいにアプリの日にちが切り替わってくれるといいな
1番上の兄は大学に行ったが私含め他は全員高校出てから働いていた。
そして何より周りの友達が大学とかで土日祝休みなのに業種が業種だから休めず遊べなかった。
人手が少ないから14連勤とかあったし基本給が手取り12万円だったから、残業で稼ぐしかなく…。
石の上にも3年だが、3年頑張った結果辞めたい気持ちはかわらず辞めた。
人間関係も概ね良く、仕事内容も簡単な電話応対がメインだったので楽しかった。
痴漢にもたくさんあったしつらかった。
しかし社内では隠すことにしていたので塩対応されたり、ハブにされたりで辛くなり辞めた。
正社員になって見返してやると思った。
派遣のコーディネーターをする求人で念願の正社員として入社したが実態は特定派遣。
いきなりソフトバン〇の販売店に行くことになり、ノルマを追う毎日。
販売店の先輩も騙されて送り込まれた人だった。すぐ辞めていった。
当時の手取りは15万円。なんなら販売店の運営会社から直接雇われた方が給料はもっと貰えることもわかった。
半年と経たずに辞めた。
人の悪口と噂が大好きで、秘密ごともみんなの前でバラしたりするし、社内で偉い人と不倫してる女からいじめられて会社を休みがちになった。
ここで私は初めて「うつ病」の診断をもらった。
さらに違う派遣先では上司からパワハラおよびセクハラをうけ、相談窓口に相談したところ、相談したことが速攻バレてクビになった。
今年30歳になる。
こんな人生を送るはずじゃなかった。
親から自立して、ひとり暮らしして、結婚して、やがて子どもが欲しかった。
もし社会復帰できても、ひとり暮らしできるような満足いく給料のところには行けない気がする。
なんか、私の人生何だったんだろうと思う。
母親は、結婚や子どもなんてどうでもいい、私が幸せであればそれでいいと言ってくれた。
でも、私が生まれた背景には母親が父方の家族から酷い言葉を受けていたことを知っている。
「お前は男しか産めないカタワだ」と。
そんな中でも私を産んでくれたのに私が女としての幸せを掴む姿を母親に見せないのは親不孝だって考えてる。
このままじゃいけないってわかってるのに。
本当、どこで間違ったんだろう。
そして、どうやって軌道修正すればいいの?
わからなくて困ってる。
朝の通勤ラッシュで男も女も老いも若きも機械のように職場に急いでいる様を見ると、たまにこの世界は誰のためにあるんだろうなと思う時がある。缶コーヒーのジョージアの宣伝で「この世界は誰かの仕事で成り立ってる」ってあったけど、みんな社会のために働いて消耗しているので、結局その最終的な成果の受益者って誰なんだろうと思ってしまう。
昔は国王とか大名とかがいたので、誰々様のために頑張って働くってすごくシンプルで分かりやすかったと思う。神様の像の前に「今年の実りです」っつって収穫物とかお供えものを奉納していた昔の人の気持ちすげー分かる。
ちょっと前までは「お国のために」ってことだったし、それがいかにヤバイ思想だったか日本人はバカほど思い知ったわけだけど、皆が納得する答えとしては悪くないんじゃないかとも思う。100点満点でいえば60点くらい。
話は戻るんだけど、今日電車の中でみんな何のために働くんだろうなって1分くらい考えたんだけど、結論現在この世界の最大の受益者は「子ども」であるべきなんじゃないかと思った。
超金持ちの玉の輿に乗って家事すらやらなくていい女とか、資産家のガキで一生遊んで暮らせる奴らとかも社会の受益者だろうけど、そういう連中に比べたら圧倒的に量が多いのは子どもだし、現世界で子どもがおかれる状況は決して良いとはいえない。我々大人は、自分の子どものためだけじゃなくて、すべての子どもが日々を楽しく豊かに過ごせるように働く。そう考えると色々スッキリしたんだけどどうでしょう。
ちなみに、星新一のショートショートで、人類の大半が消滅して、地球の滅亡のカウントダウンが始まった時に、わずかに生き残った人類がこれまで先人が築き上げてきた文明を破壊して回り、この時の「破壊の快楽」のために人類は気の遠くなるような世代に渡って文明を築き上げてきたのだ、という場面がある。子どものためにを年世代にも渡って続けていった最期はこういうのもありなのかもとも思った。
大学卒業したら借金返すまで実家出るなって言われたけども、実家から都内まで通勤1.5hは最低かかるからそれが無ければ2-3時間一日確保できる。その時間で金を稼ぐなり勉強するなりをすれば得なのではないかと思う
まぁ先の事なんか考えてないよな
これは,夢見りあむアドベントカレンダー7日目の記事です.
私は夢見りあむが大好きです.
私は,デレステのリリースと同時に初めてシンデレラガールズというコンテンツに触れました.始めた当初は別の作品に夢中だったため,デレステは音ゲーとしか認識していませんでしたし,もちろん総選挙の投票券を集めたこともありませんでした.
そんな私をデレマスに惹き込んだのは,姫川友紀を始めとするPaアイドルたちでした.卒業論文の追い込みや数か月に渡る長期のインターンシップで疲弊した私を,姫川のソロ曲「気持ちいいよね 一等賞!」はじんわりと癒してくれました.通勤中の耳元で叫ばれる彼女たちの応援は,間違いなく私の足を前に進めていました.
Paアイドルの何が良いのか.私のように彼女たちの底抜けな明るさが好きなPもいれば,その突拍子もない行動が好きなPもいるでしょう.一癖も二癖もある彼女たちは,様々な方法で私を楽しませてくれています.そして彼女たちの魅力を語る上で欠かせないのが,時折見せる不安定な部分です.もっとも話題になったのは本田未央のアイドル辞める宣言でしょうか.普段の明るい姿とのギャップがより彼女たちに厚みを持たせ,人間らしく,身近な存在にしてくれるのです.
そんな中,新アイドル夢見りあむがPaとして発表されました.その衝撃たるや.他のPも分かってくれることでしょう.前に発表された辻野あかりや砂塚あきらのキャラクター性からも並の個性を持ったアイドルがくるとは思っていませんでしたが,彼女は想像以上に歪なアイドルでした.
調子はずれと感じるほどに明るいセリフ,透けて見える承認欲求,あからさまな構ってちゃん...強烈な個性です.もしPに見つけられなかったら,アイドルにならなかったら,彼女はどうなっていたのでしょう.私には,描写されている彼女の姿が軽度の躁状態に見えて仕方がないのです.
人間は,よく虚勢を張る生き物です.描写されている彼女の姿が,家の中の彼女の姿と一致するとは限りません.無表情で無感情にスマホを眺めている方がしっくりときます.家の外と内で行動が違うのは当然かもしれませんが,それが心となると話は変わります.社交性がある人は明るく見えるかもしれませんが,明るく見える人は社交性がある人ではありません.ドイツの詩人であるゲーテは「光が強ければ影もまた濃い」という言葉を遺していますが,彼女の影には何が隠れているのでしょうか.
また,炎上してでも目立ちたいと豪語する彼女の自己評価の低さは極限です.「コミュニケーションだよね?触りたいだけじゃないよね?」という,怒る前に相手の顔色を窺うセリフからも,自己評価の低さが分かります.アイドルが不安になる状況を,我々Pが許していいのでしょうか.いや,良い理由がない.アイドルを輝かせるのがPの仕事です.
そんな彼女がアイドルデビューしなかった姿を想像した時,現代人のステレオタイプに一致します.生活に疲れ,惰性で生きる日々.生きる理由もなく,死ぬ理由もない.積極的に自殺を選べる人は稀ですが,消極的に自死を選んでいる人はこの世界に何人いるでしょう.好きなことがあれば生きていけるという人もいるかもしれません.彼女にはドルオタという趣味があり,それ故に生きていけると.私もつい先日までそう思っていました.
日の目を見ることができた彼女の先には,そういう人々がその人のままに成功する可能性のある未来が映っています.もちろん彼女にはお調子者の気質があり,煽りや失言を頻繁にするという欠点もあります.しかし,多少の欠点がなんでしょう.彼女は新人なのです.それくらいの欠点を愛でることができなくてどうします.どれだけ彼女のアンチが湧こうとも,彼女が輝かしい可能性を秘めたアイドルの一員であることに違いはありません.
本が読めない。
読書家が人生において遅かれ早かれ直面するところの事件である。
本が読めない。
当方二十代後半の男であるが、今より遡ること十八年ほど前にラノベ(ブギーポップは笑わない)と出会い、それ以降文芸における視野を国内外の純文学や文芸作品へと広げ、様々なジャンルにおける読書体験を営みながら、これまでの人生を生きてきたのである。
そして、その読書体験の勢いと呼ぶべきものを二十代の前半辺りにまで持続させ、さてこれからの人生においても長い付き合いになりそうだなあ、などと呑気に構えていた時分、不意にその能力が消失したのであった。
何故なのかは分からないけれど、突然本が読めなくなったのだ。
書物との別れ。
何故なのだろう?
当方通勤に一時間以上を費やす難儀な民であるため、通勤時間中は心を半ば無にし、脳の活動を極低状態にまで抑え、死んだ目で通勤していたのが仇になったのだろうか。
(皆さん、覚えておいてほしいのだけれど、通勤時間が20分を上回るようになると脳の鬱傾向が加速するというエヴィデンスがあるそうなので、通勤時間はできるだけ短縮するようにしましょう)
でも、俺に関して言えば未だに通勤時間は二十代の前半から変わっていない。むしろ職場の変更から伸びたくらいであって、つまりその移動距離は未だに脳に対して厄介な負担を掛け続けているということになる。
まあそら本も読めなくなるわな。
とにかく去年の夏に至るまでの数年間、俺は本を読むことができなかった。
読みたい本はたくさんあった。それこそ山のようにあった。かつて、若き日の盛りに大阪へと日帰りの小旅行に行った思い出があるのだけれど、それは梅田に存在する某超大型一般書店に立ち寄るためだけに計画された小旅行なのであった。そんなこんなで、俺はその超大型書店へと赴き、そこで購入できる限りの本をわんさと買った後で、地元へと帰還したわけである。無論、それらの本の内の殆どは積ん読ルートを辿り、今も尚本棚の一角を占めその存在感を俺にアピールし続けている。
まるでそれは十字架だった。
俺の、購入した時点で尽き果ててしまった、知識に対する独占欲と好奇心に対して釘を打ち付けるかのような、それは罪悪感を俺に植え付けるための十字架だった。
何故なのだろう。
何故我々は本が読めなくなってしまうのだろう?
ここに至る理由には色々あると思うのだけれど、第一に思い浮かぶ理由といえば加齢である。
人間の脳は部位によっては三十代を超えてもなお成長し続けると一般に言われているが、しかし厳然として人間の肉体は二十代の半ばを境に衰え続けるのも事実である。というか、どちらかと言えば成長よりも衰退の方を意識せざるを得ないのが殆どではなかろうか、と思う。我々は衰退している。というか、我々の脳は衰退しているのである。衰退しました。
――つまりは、我々は一度読書能力を失ってしまうと、よっぽどの克己心を持たない限り――あるいは、そのような驚異的克己心を持たない限り――そのような超人的克己心に基づく人格改造なり人体改造を経ない限り――再び読書能力を取り戻すことは、難しいということなのである。
俺もそうであった。
それは、まるで一人の気のおけない友人との別れにも似ている。
ぶっちゃけると何でなのかは分からない。でも、確かにできるようになった。
復活した。アーメン。
(イースターの季節ですね)
去年の夏頃からその能力は突如として再生した。昨年から現在に至るまでの読書量は、読書能力が失われていた時代を遥かに超えている。ここのところお硬い文学小説にばかり目を通しているのだけれども、ここ一年間くらいで読んだページ数は5000頁を優に超えた。これまでの読書量を遥かに凌駕するレベルである(待っててくれプルースト)
正直なところ、何かを意識して自己改革したという記憶は殆どない。強いて言うならば、当時スマートフォンの通信量制限が喫緊の重要な課題と成り果てていたため、そのデータ通信量を節約するという実情に迫られて、通勤手段である電車に乗り込んでから本を読むようになったのがその理由と言えるかもしれない。
行きに十ページ、帰りに十ページ。
それを毎日。
仮に、一ヶ月の間に通勤期間が二十三日存在するとすれば、行きに十ページ帰りに十ページを繰り返すのであれば、一ヶ月で我々の読書量は460ページに到達するということになる。
とは言え、まずはそういうレベルから始めるのが得策であろうと思われる。人間は恐らく一日の間に二十ページ以上の本を読むことはできないのだ――特に文学小説のような対象を相手取るのであれば、僕らの克己心は我々の想像する以上に貧弱なのである。
さて。
これは正確に言うとライフハックではない。
電車の行き帰りで、それぞれ十頁ほどの時間を読書に費やすようになった男が存在している、というだけの話である。
そう、キーワードは電車だ。脳ミソと通信量のダブルダメージを避けようと、不意に読書を人生途上で――つまりはレールの上で――再開しただけの、それだけの話なのである。
参考になったであろうか?
恐らくは、なるまいと思う。
とは言え、かつて存在しその後に失われてしまったところの能力が、突如として復活するということは有り得るのだと――俺はただただその事だけを――伝えたかったのだ。今日を生き始めたものだけが、かつての息吹に再び胸をなでおろすことができるようになるのである。
皆さん、本を読みましょう。
魂を取り戻すために。