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はてなキーワード: 通勤とは

2024-06-24

バスでたまに一緒になる人から向けられる悪意って

仕事帰り、バスから降りるときSUICAが残高不足で、運転手さんにチャージしてもらってたら、

後ろから「ブツブツ……しとけよ……ボソボソ…」と小さい声が聞こえた。

最初は聞き流しそうになったんだけど、「あ、自分文句言ってんのか」と気づいて、

支払いして車内から出る時にチラッと振り返ると、後ろに並んでいた女の人が

視線こちらに向けずに「チッ……邪魔臭えな……ボソボソボソボソ」とまだ呟いてるのが聞こえた。

自分に明確に悪意を向けられてる!と分かって心臓バクバクしてきた。

でも同時に「言うならはっきり言えや」とちょっと腹も立って

「さっきから聞こえてるけど、僕に言ってます?待たせてすんませんね!!」

くらい言ってやろうかと思ったんだけど、

週に一、二回ほどバスで一緒になる人だと気づいて、また顔を合わせる機会があると考えると、

怖気付いて何も言えずにそのまま帰り、いろいろ考えた。

自分は前にSUICAをなくした時のショックから、いつも少額ずつチャージしていて、降車時に残高不足になることが多々ある。

向こうも会うたびにチャージしている自分の姿を見て「またこいつか!!」と思っていたかもしれない。

数秒のロスでも、相手時間を度々奪っていることについては反省した。

それに正直に白状すれば、自分だって急いでるときに、

レジで順番が回ってきてから財布をトロトロ探し出す人に遭遇すれば、つい舌打ちが出てしまうこともある。

これからは態度には出さないようにしようと思ったけど、一生絶対しないとは言い切れない気がする。

でも、全くの赤の他人ならともかく、それなりの頻度で遭遇する、行動範囲が近しいであろうあの人に、また次に会うのが、めっちゃ怖い。

自分でも驚くぐらい、かなりビクビクしている自分がいる。

しばらくは通勤経路を変えてみるのと、なくなる前に多めの額をチャージするのを心がけて過ごしていく。

男の性犯罪被害者自衛しろ自衛したら怒るあれ。

とらドラ!高須竜児、刀剣乱舞のにっかり青江、暗殺教室千葉龍之介等をやっていた声優間島淳司燃えた。

燃えツイートこちら。

電車乗ったらけっこう席が空いてたから、手すり挟んで女性の隣に何気なく座ったんだけど、すぐに女性が向かい側の端の席に移動したのよ。

んで一駅進んで別の女性が僕の隣に座ったら、その女性の隣にまた座り直したの。

たぶん移動した席の隣も男性で、隣に座って欲しくないんだろうけど…感じ悪いよね

現代風にいうならば知らない女性からなんとかハラスメント食らったことになるんだろうけど、そんなことより「そんなことばっかやってるから変な男性に絡まれるんだろうなー」と。

しらないうちに、自分が先に逆撫でしてる場合もあるから、みんな自分の行動には気をつけましょう。

https://x.com/maji_opai/status/1803705931915522386?t=jn_wYSbwv1amOhDiCnLc9Q&s=19

過去エロセクハラ臭いツイートも掘られてるくらい燃えている。

散々性犯罪自衛しない女が悪いとぶん殴り、自衛したら俺にハラスメントをしたと言い出すネット男性うんざりだ。

地味女で通勤通学に電車バスを使わない私ですら、空いているバスで隣に座ってきた男にロングスカートをずりあげられ他の席に逃げたら前に立たれてずっと睨まれたり、電車の向かい合わせた四人席で向かいに座った男に新聞紙を読むふりして足にかけられて撫でられた事がある。

空いているのに隣に座ってくる男が怖いのは当たり前だ。

マジで被害者自衛しろ自衛したらハラスメントだ!って言い出す男はいいかげんやめてーやと思う。

2024-06-23

anond:20240621211622

丸の内線に乗ってるとさあ、東京駅とか銀座あたりで

激混み通勤電車

クソデカキャリーケース何個も持ってさあ

電車に乗ってくる外国人がいて毎朝カオスだぞ

通勤する日本人だけで満杯なのによお

2024-06-21

anond:20240621212557

観光GDP比1割くらいあるっぽいな

日本は2%とか。

日本観光についてあんまなんもしてない国だったみたいだな。

でもすでにいっぱいいっぱい感ある。

とりあえず通勤せんでいいとこはなくして観光メインにするとかしないと無理そうやな。

A駅からB駅までの運賃複数ルート計算するとき

乗り換え数と所要時間の少ないXルート比較して多いYルートがあり、

それぞれ片道運賃計算するとYルート>XルートとなりXルートコスト面でも勝るが、

通勤定期代で運賃比較するとXルート>Yルートとなり関係が逆転する(そして時間も乗り換え回数も多いほうじゃないと定期代やんねーぞとなってしまう)現象名前をつけてほしい

anond:20240621090304

増田ちゃん、その視点は確かに興味深いっすね。

ただ、増田ちゃんが感じた余裕ってのは、人によって感じ方が違うっすよね。

例えば、増田ちゃんは他の人よりも圧迫感に強いかもしれないっす。

でもね、現実的にはもっと詰め込むと、安全面とか健康面の問題が出てくるっすよ。

たとえば、急ブレーキとか事故の際に密集してると怪我やすかったり、通勤時間が長いとストレス半端ないっすよ。

それに、快適さを犠牲にしてまで詰め込むってのは、長期的には逆効果になるかもっす。

通勤ストレスが増えると、生産性も下がるかもしれないっすよ。

から、もう少し余裕がある状態の方が、多くの人にとってはいいんじゃないかなと思うっす。

2024-06-20

anond:20240620103415

ワイはリュック通勤やで

革の質よさそうなリュック使ってるサラリーマン見ると下手な安もんのビジネスバッグなんかより断然かっこええ

anond:20240620001030

ワイは週4日テレワークやし出社するとき下り電車から座って通勤できるやで。

2024-06-19

anond:20240619145925

どうせ運動不足やろ

通勤で歩いてたのが良い運動になってたんやなあという話

フルリモートに限って月180時間基準にしてほしい

通勤ないし、ダラダラやりたいし、いいだろ?

東京に住む人の可処分所得は、全国平均に比べて低いと言えますか?

統計的に見て、東京に住む人の可処分所得は全国平均に比べて必ずしも低いとは言えませんが、生活費が高いために実際に使えるお金可処分所得)が減る傾向があると言えます。以下のポイントで詳しく説明します。

### 所得水準と生活費

1. **所得水準**:

東京は全国平均と比べて所得水準が高いです。総務省の「家計調査」や厚生労働省の「賃金構造基本統計調査」によれば、東京都の平均賃金は全国平均を上回っています

2. **生活費**:

しかし、東京生活費特に家賃)が高いため、手取り収入可処分所得)に占める生活費割合が高くなります。これにより、可処分所得相対的に減少する可能性があります

### 可処分所得統計

1. **総務省の「全国消費実態調査」**:

総務省データを見ると、東京都の世帯収入は全国平均を上回っている一方で、生活費も高いため、可処分所得が全国平均と大きな差がないか場合によっては低くなることがあります

2. **家計調査**:

総務省の「家計調査」によると、東京都の家庭の支出は他の地域よりも高い傾向があります特に住居費や通勤交通費外食費などが高いため、可処分所得の余裕が他の地域よりも少ないことが多いです。

### 具体的な数値例

東京都の平均所得が全国平均を上回る一方で、東京都の平均的な家計支出も全国平均を上回っています。たとえば、家賃公共料金食品外食費などが高くなるため、手元に残る可処分所得は減少します。

東京都の相対的貧困率が他の地域よりも高い場合があり、これは高い生活費が原因の一つとなっています

### 結論

統計的に見ると、東京に住む人の収入は全国平均よりも高いものの、生活費の高さがその分相殺されるため、実際の可処分所得は全国平均と大きな差がないか場合によっては低くなることがあります。従って、東京の高い収入が高い生活費により、実質的可処分所得を減少させるという点で、「東京に住む人の可処分所得は全国平均に比べて低い」と言うことができますが、これは主に生活費の影響によるものです。

2024-06-18

発達障害水泳平成不況リーマンショック、30代

・これは何か

私の半生を占める水泳と、それがその後の人生に及ぼした影響について整理するために書いた記録である

なお、当時は強いストレス下に置かれていたため、詳細を思い出せなくてぼんやりしている部分もある。

・なぜこれを書いているか

私は現在休職状態にあり、ADHDの診断を受けたところである

精神科に通いつつ、投薬とカウンセリング治療をおこなっている。

そしてカウンセリングを受けつつある今、自分がいまこうなっていることの底にはあまりに苦しかった水泳記憶があり、それを直視することは避けては通れない道ではないかと思ったからだ。

(先生に直接「直視しろ」と言われたわけではない。ただ、「あなた言葉あなた感情をひとことも説明しませんでしたね」、と言われ、その原因を自分で考えていたら、勝手にそこに行き着いたという話である)

正直に言えばそこに目を向けるのはめちゃくちゃ嫌で、前回のカウンセリングを受けてから2週間くらいメソメソメソメソメスティーソ泣いていたのだが、友達と遊んで少し息抜きをしたらちょっとした気づきと癒やしがあり、なんとか気力を振り絞れそうなので書いてみた。

水泳のこと

3歳から高校2年まで水泳をやっていた。

早いうちに才能を見出され、小学校1年か2年くらいでヘッドハンティングのような形で選手育成クラスに移った。

当時、肉体にすごく負荷を掛ける練習方法流行っていた時代だったから、シンプルに肉体的につらかった。スパルタが主流で、体罰は当たり前だった。

楽をしようものならコーチにも怒鳴られ叩かれ全員の前で吊し上げられた。そこまでは周りのみんなと条件は変わらないのだが、私の場合母親ほとんど毎日練習を見にきていて(それほどに熱心な親は他にはいなかった)、仮にコーチに怒られなくても、母親の目から見て私のパフォーマンスが悪ければ、そのことを帰りの車の中で詰められる日々だった。

行き帰りは車で母親に送迎してもらっていたが、車の助手席に乗り込むと母親の「今日練習について」の裁判が始まるので、毎日まるで犯罪を犯して法廷に立たされるみたいだった。キツい負荷の練習をこなしてやっと家に帰れるのに、すこしも安らいだ気分になれなかった。

でも、私は無理にでもやらせればやらせただけ、負荷をかければかけただけ、結果が出せてしまタイプ人間だった。

父親も叔母もスポーツ学生時代成功した経験があって、家系としても肉体的に優秀だったのだと思う。

それが母親成功体験になってしまい、尻を叩けば叩いただけ結果が出るという思い込みを強化したふしがおそらくあるんじゃないかと思う。

長期休みに入るたび、朝夕2回の練習では足りないと別のプールに連れて行かれ泳がされた。この習慣は我が家では「こそ練」と呼ばれていた。

ただでさえキツい練習をしてるので嫌だったが、嫌がれば母親から「速くなりたくないの?」と頷くまで詰められる。

こうやって追い込めば追い込むほど結果が出たので、母はどんどんエスカレートしていった。

極め付けはようやく出来始めた友人関係破壊されたことだった。

中学に上がると、小学生選手育成クラスから中学クラスに上がって、ここがジュニア女子選手としては一番上のクラスだった。その上に、高校生の男子さらにその上澄みだけが入る、一番練習ハードクラスがあった。

いま振り返ってみると、私はかなり発達障害的な特性のはっきり出た子どもであり、周りと関わるのがかなり下手だった。だから、キツい練習を何年も毎日一緒にこなしてきたというのにチームメイト連帯感を育めなくて、ずっと浮いていた。浮いているのに才能だけあったから、周りからすると目障りな子どもだっただろうと思う。選手育成クラスというだけあってそこそこ実力主義ではあるので、幸運にもいじめられこそしなかったが(あるいは特性上あまり他人に興味がなく嫌がらせに鈍感だっただけかもしれない)、やっぱり浮いていた。私は人生を通してずっと普通になりたい、と漠然と願ってきたが、その願いはこういう環境のなかで醸成されてきたように思う。

(ちなみに、当時どのくらい浮いていたかというと、なんか男子たちが私に話しかけるのを何かの罰ゲーム一種として扱っているな、と気づいたことがある程度には浮いていた)

けれど、ここで話の合う友達ができたことで、この一瞬だけ練習に行くのが楽しかった時期があった。

私はもともと才能があったので、中学生のクラスを受け持っていたコーチにも期待されていたし、たくさん話を聞いてもらえて、私自身もコーチのことを頼れる大人だと思っていたし、期待に応えたいと思っていた。信頼関係を築ける大人との出会いがここであった。だから、このクラスちゃんと私の記録は伸びていた。

だけど母はその伸びでは満足できなかった。

母にはいわゆる白雪姫の母コンプレックスみたいなものがあって、私が楽しそうにしていると不安になる性質だった。不安を感じやすく、その解消のために誰をどれだけ振り回しても良いと考える傾向があった。

私が楽しんで練習に行き始めた時、母は不満だった。私が苦しんでいないから、きっと負荷が足りないのだと考え、「娘の才能が無駄に消費されている!」と強く不安を感じたのだろうと思う。これでは速くなれない、と母は考えた。

そして、「上のクラスに上がりたいと言いなさい」と母は私に強要した。

私はかなり嫌がった。もともとジュニア女子が入れる中で一番上のクラスではあったし、せっかく話の合う友達ができたのに、その子たちと話せなくなってしまうことも嫌だった。先生の期待を裏切ってしまうことにもなる。すごく抵抗があったことは覚えている。

母は私に、「あん肥溜めみたいなクラスにいたら、あなたダメになってしまう」と言った。

嫌だった。泣いて抵抗した気がする。あまり覚えていない。でも、最終的には「上がりたい」と言わされた。コーチはショックを受けていたと思う。でも最終的には上のクラスコーチに頼んでくれて、私の(母の)要求は通った。

中学1年の女子高校生の男子クラスに入れられて泳ぐことになった。毎日階段をまともに降りられないくらいの筋肉痛になった。まわりはひと回り年の違う高校生の男子しかいないので、友達と話せる機会は減った。肉体の負荷は上がるのに、心の支えは何もなくなり、ただ苦しかったしつらかった。

私が苦しんだので、母の不安は解消された。

そして、精神とはうらはらに、私の肉体はそれに応えた。

実際に大幅に記録が伸びた。一緒に泳いでいた高校生の男子より私は上のタイムを叩き出し、彼らにもよく頑張ったと認められた。中2のころにはジュニアオリンピックで決勝に残り、関東中学で優勝し、全国でも10本の指には入った。国体にも県代表で選出された。県で私より速い選手はいなくて、私がベストを出せばその度に大会新記録、県の新記録だった。母はこのことについて、自分が尻を叩かなければ結果が出せなかったはずなので、自分の手柄だと考えた。

注意して欲しいのは、これらの成果を私自身もまた喜んでいたこである。才能や能力があると見做されることは、特性持ちの人間にとっては他人から受けるマイナス感情を弾く盾にもなる。母の手柄は、私を絞り上げ、苦しめて作り上げられたものであるが、同時に私を守るものでもあった。

あなたは結果で他人を黙らせなさい」というのが、母の持論だった。母は私のために、心を鬼にして私を苦しめていたはずである。叩けば結果が出ることがわかっていたのだから

この頃から試合合宿遠征先に行くと、夜中にこっそり抜け出して、当て所もなく歩き回るようになった。特に裏道や暗い道を選んで歩いた。いま考えると、間接的な自傷だったと思う。酷い目に遭いたかった。私という価値が一気になくなってしまうくらい、誰かに酷い目に遭わされたかった。母が守る『私』という価値と、それに伴う苦しみが分かちがたく結びついていたために、母の目の届かないところで地味な自傷行為に走っていたのだと思う。

体に傷を残すようなことはできなかった。そんなことをした日に母を襲う衝撃と、その衝撃の余波を受ける自分のことを考えたら、とてもではないが無理だった。

しかし、こういう無理は続かないものである。ほどなくして精神的に破綻して、泳げなくなった。中3の秋ごろだったように思う。喘息悪化させ、負荷のキツい練習から逃げ、最後は何か喚き散らして家に帰り、そこからしばらく練習に行けなくなったように思う。詳細は覚えていない。

だけど、そこで辞めるには水泳は私の人生で大き過ぎた。人生の大半を占める一大事業に等しかった。だからそこから高校2年の夏まで、通うスクールを変えて足掻きブランクを取り戻し、記録は少し伸びたし、インターハイにも出た。

ただ、大学受験に切り替えるならこの辺りがタイムリミットだった。結局、わたしはここで引退して受験に切り替えた。水泳のために自分学力よりかなり下の高校に行ったので、辞めてから予備校漬けになった。

受験勉強は圧倒的に楽だった。体の負荷も消えたし、学業自分特性から見ても結果の出しやすい分野だった。あまりにも結果が出やすくて、母も不安にはならなかった。躓きや苦しみも多少はあったが、水泳で受けたそれとは比べ物にならなかった。この時期、私と家族はかなり明るく過ごした。

大学には簡単合格した。願書を出した大学ほぼ全てに受かった。

とにかく家を出たかったので、その名目が立つ大学を選び進学した。

ここから水泳を辞めた後の話に入る。

友達が作れない、学業に身が入らない問題が出る大学1年目

ひとり暮らしをはじめて、やっと手に入れた自由を楽しんだ。でも1年目、ぜんぜん他人との関わり方がわからず、友達が作れなかった。小中高と水泳にかまけていて、相変わらず発達特性的な部分で学校でも浮いていたし、そもそも自分偏差値より随分下の学校に行った(水泳にはリレーメンバーの都合がある)ため、頭の程度が均されている環境でほかの人間と接して友達になる機会がまったくなかったのだ。県大会で何度も優勝し、実家に腐るほどトロフィーがあっても、友達の作り方がわからなかった。この時点で、私の能力は社交性に比して随分歪だったと言えると思う。

ひたすら学校と家を行き来して、家ではゲームばかりやっていた。

1年の後半の方になってようやく所謂オタクサークルに入って、対人能力に似たような問題を抱えた人たちに出会い、それでやっと少し友達ができた。ここから就職活動が始まるまでは、楽しく過ごせていたと思う。彼氏もできた。

とはいえ、あまり成績は良くなかった。勉強したいと思って進学したはずなのに勉強に向かう気力が湧かなかった。どころか、水泳を辞めたことが傷になっていて、「どうせ最後には全部台無しにする、水泳だってあれほどつらい思いをして人生を捧げてきたのにそうやってダメにした」と囁く声が頭から離れなくて、あまり集中できなかった。

漠然と、卒業したら死のうかな、と思っていた。

就活ができない問題が出る大学3年生

学業もそんな感じだったので、いざ3年になってもぜんぜん就職活動を進められなかった。というか授業もギリギリラインだった。

振り返ると、つらい思いをして思春期を生き延びた先に、ようやく手に入れたご褒美としての『自由』がたった4年で終わることに全然納得が行っていなかったんだという気がする。他の人たちは将来を考える精神の準備ができていたのに、私には何もできていなかった。こんな人生の先に、また何十年も続く苦痛が待っていると思って、絶望感があった。

就職留年

このあたりのことはぼんやりしているが、就職活動が出来なさすぎて就職留年した。ちょうどリーマンショック東日本大震災の影響があった時期で、特に女子就活は周りを見渡しても厳しかった。なので就職留年という言い訳は通った。

でも、留年したのに就活全然ちゃんとできていなくて、とうとう親が乗り込んできた。希望する企業の傾向は決まっていたので、母親マイナビリクナビエントリーする企業を選んでくれて、エントリーシートや履歴書に書く志望動機などの文章としてこちらで考えたら、それを母が手書きで代筆してくれたりして、こんな大学生はおそらく他にいないなと思うほど過剰にサポートしてもらった結果、なんとか書類選考が通るようになり、面接を受けたりと就職活動らしいものを進めることができた。

面接が苦手すぎて苦戦はしたが、なんとか内定をもらった。たた、周りがちゃんとこなせていることも自分にはろくすっぽできないとわかって情けなかった。

卒論が出せなくて2度目の留年

このあたりもぼんやりしている。夏くらいに内定が決まって、そこからしか全然ゼミに行かなかった。いや、たぶん特性的に並行してふたつのことができないので、就活中はゼミにも授業にも行けていなかった気がする。内定が決まった後、バイトしろと言われてしていて、必要な授業の出席とバイトくらいはしていたが、ゼミに出てないので卒論が当たり前に書けなかった。英米文学専攻なので卒論英語で書く必要があった。ぼんやり決めたテーマがあるくらいしかなくて、そのまま冬になった。ちょっと書こうとしたけれど当たり前に書けなくて、でもそれを就活を熱心にサポートしてくれた親には言えなくて、卒論提出の日に失踪した。1〜2週間家に戻らず、銀行口座の金が尽きたら死のうかなくらいの気持ちでいた。漠然と死のうと思っていたし、その時が来たのかと思っていた。

結局親に口座の金を引き上げられて、無様にも死ねずに戻った。怒られ、殴られ、彼氏にも心配をかけまくり、色々あったとは思うのだが、この辺りの記憶ぼんやりしている。

ひとり暮らしの家を引き払い、実家カンヅメになって母親監視のもと卒論を書いた。足りない単位のための授業とバイト以外の外出はさせないくらいの感じだったと思う。

ひとり暮らしの家を引き払った時、この時も家がゴミ屋敷になっていたので、ゲーム依存病気だと親に疑われたが、ゲームは単なる逃避行動で、やれない環境であればあっさり辞められた。振り返ってみれば、何らかの支援の網に引っ掛かっておくタイミングがここだったような気がする。ただ、スポーツで結果を出し、世間的には良い大学に行ったような人間が、ゲーム依存なんかで病院に罹るのは外聞が悪い、という意識がなんとなく家族全員にあったのか、結局ここでは必要だったであろう支援とつながることはできなかった。

この環境でなんとか卒論を書いて卒業した。就職は結局バイト先に拾ってもらうかたちになった。

新社会人として

もう一度実家を出てひとり暮らしをはじめた。

働き始めるととにかく眠かった。ひたすら眠かったことを覚えている。仕事でも会議でも寝てしまい、怒られて、怒られたあとは体が一時的闘争反応というか覚醒状態になるので、それで過集中を起こし仕事を進めてなんとか巻き返す、みたいな感じだったと思う。昼に寝てしまうので夜は眠れなかった。その悪循環で昼にまた意識を失った。

本当は病院に行くべきだったと思うが、家に帰るとその気力もなかった。家の電球が切れて、ほとんど暗闇だったのにも関わらずその家を引っ越すまで電球を変えられなかった。1年以上真っ暗闇で生活した。歯が折れて激痛でも病院に行けなかった。ぎっくり腰でも行かなかった。ゴミ屋敷はここでも生産された。

この時期私は相当な困難を抱えていた気がするけれど、同時にどこか安心しているような部分があった。自分価値がこうやって毀損されていくことに対する「ざまーみろ」という気持ちがあった。ちょうどこの頃、母親と完全に連絡を遮断して、実家と絶縁状態になった。直接のきっかけはなんだったか覚えていない。ただ、自分価値ボロボロと溢れ落ち、人生ダメになっていくことについて、母親への不健全復讐欲求が満たされるように感じていたのは覚えている。

この状態を5年くらい続けて、3つくらいの現場経験した。就職先は人売りのSESだった。

コロナ禍でリモートワークが開始する

これは自分にとって大きな転換点だった。寝ているところを他人に見られないのでストレスが大幅に減り、なんとか自分が起きていられる時間帯に仕事を進め、眠りたい時は寝ていることができた。とても褒められた就業態度とは言えないが、それほど能力的なハードルが高い客先でなかった幸運もあって、なんとか巻き返しが効いた。この時期が一番平穏だったように思う。この現場自分にとって一番長く続いたし、終わり方も案件ごと終了ということで円満だった。

この現場が4年くらいで終わり、本社に戻ることになる。

本社に戻る。眠気の問題ふたたび

リモートワークが終わり片道40分くらいの通勤生活が数年ぶりにスタートする。10年近く戻っていなかった本社に知った顔はほとんどなく、コミュニケーションが得意そうな子たちの若い顔が並ぶ。すでにこの時点でうまくやっていけるか不安ではあった。

自社開発の案件アサインされるも、やはり眠気の問題が復活し、怒られる。仕事客先常駐とは違い、粒度の粗い仕事を上手いことやっておいてというような感じで振られるため、勝手全然からず、先の見通しが立たない。作業をうまくこなせず、進捗が出せない。学歴スポーツの成績だけ見れば能力はあるはずだと思われているので、サボっていると見做される。寝てるよね?なんでコミット全然出ないの?

年次だけは無駄に高いので直属の上司もおらず、まともな相談先もなく、周りの子たちは若くてこんなことを相談できる相手ではなく、結果誰にもうまく頼れずにひたすら信頼を失い続け、頼みの綱だった週1回のリモートワークも許可を取り消される。

社長から新卒みたいなことを注意させないでくれる?」と言われる。怒られて、闘争反応になった勢いで、なんとかメンタルクリニックの予約を取った。

そうやって通院治療を開始したのが、2023年10月ごろ。

日中の眠気、夜の不眠、集中困難、ゴミ屋敷などの問題が主訴。

これらの問題は通院治療を開始したところでたちどころに解消するようなものでもないので、年末年始休みを挟んだ後、ボツボツ休みが増え、雪崩れ込むように職場に行けなくなって休職開始。

心理検査(WAIS-Ⅳ)の結果、言語理解ワーキングメモリ・処理速度の間で有意差50を超えた。言語理解・知覚推理凸、ワーキングメモリ・処理速度凹のタイプだった。

この結果と、現在社会生活が送れていない実態をもって、5月ごろにADHDと診断された。

現在は、投薬治療カウンセリングを受けている。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援 Permalink | 記事への反応(21) | 22:15

anond:20240617163621

結婚の切っ掛け

世間人生の謎だわ

30才はよくありそう

昔は25才を目処とか聞いた

女性は親にせっつかれるのが25くらいだったらしい

あとは学校卒業後の交際年数か?3年とか?

ちょっと前まで結婚すると女性

通勤関係転職必須になるとか出産予定聞かれて

要するに仕事差し障りがでるから

2024-06-17

姫路城外国人料金における懸念事項

姫路市長が外国人の料金を4倍にしたいという話をしたニュースについて、外国でもやってるから〜みたいなコメントが見られる。ただの私人による観光施設ならそんな話で片付くこともあろう。しかし、姫路城地方自治体施設である。本邦の地方自治法に基づいた存在として、単なる海外事例の追随では終われない。

前提1:姫路城姫路市による公の施設

「公の施設」とは地方自治法244条1項にて「住民福祉を増進する目的をもってその利用に供するための施設」と規定されている。

また、同法244条の2第1項において、法令特別な定めがある場合を除き設置や管理条例で定めることとされている。

翻って姫路城であるが、姫路市条例にその名もずばりな「姫路城管理条例」というものがあり、公の施設である

前提2:公の施設使用格差について

地方自治法225条において、公の施設の利用について使用料を徴することができる旨定められている。この使用であるが、当該公の施設に係る住民とそれ以外とで格差を設けること自体可能と解されている。

実際のところ、文化会館プールなどで市内在住者とそれ以外で料金が異なる例は見たことがあるだろう。

使用料以外でも、図書館で本を借りられる人が市民に限られている例などが挙げられる。

地方自治法244条3項は「普通地方公共団体は、住民が公の施設を利用することについて、不当な差別的取扱いをしてはならない。」としているが、この住民は当該公の施設を設置する団体住民である

また、公の施設は同条1項のとおり「住民福祉を増進する目的をもってその利用に供するための施設」であり、一義的には住民のためのものからだ。

ちなみに、外国人住民住民であるため、当該自治体住民ならば、格差を設けることは基本的に「不当」としてできないだろう。

懸念

公の施設について、住民と非住民とで使用料や対象者に差を設けることは可能である

また、非住民間であっても、その地域との関係性や政策意図で差をつけることは否定されない。市民のほか、その市への通勤学者なども使用できる施設は見たことがあるだろう。

しかしながら、憲法14条法の下の平等)もあり、著しい格差はよしとされず、これらの差には当然一定合理性が求められる。その上で、ざっくり2つの懸念がある。

料金4倍の合理性

料金を上げるとして、公の施設での使用料の格差はあっても2倍程度が相場であり、4倍は著しい格差であるとの指摘は当然出て来よう。この格差に至る理論武装は避けられない。

外国人とそれ以外で差を設けることの合理性

姫路城は公の施設であり、基本的には姫路市民のための施設だ。差を設けるのなら市民とそれ以外で分けるのが基本であり、次いで近隣市町など一定生活圏などで区切るのが常道だ。裁量こそあるものの、線引きの妥当性は求められる。市長の言う「外国人」が指す者は推測の域を出ないが、生活圏や来訪頻度に求める場合外国人観光客と遠方から邦人観光客など、居住地に求める場合在日外国人在外邦人など、差をつけるに足る理由はあるのだろうか。

姫路市長がどこまで考えて発言たかはわからないが、こういったハードルにどう対処するのか、姫路市役所職員の手腕に期待である

anond:20240617134902

大学の最寄り駅ってわざと各停にしてる場合もあるからなんとも言えなくね

通勤ラッシュ中に学生の群れぶち込まれサラリーマンの身にもなれよ

チラ見被害は草 そんなんワイ

いつも通勤プライベート

電車乗る時この人可愛いな〜とか

エッ!!って思ったら目の保養に

見てるから刑務所行きやなw

見るだけ痴漢とか自意識過剰

統失やろw精神病院

行く事オススメするレベルやで

男は全員盲目にでもなればええんか

人生飽きちゃった

30代、都内住み、実家暮らし、未婚。

心身ともに大病を患ったこともない。

仕事。何度か転職あれど、どの仕事も大体3年〜5年は続き半年以上の空白期間を作ったことはない。

恋人については、20代(社会人)の時趣味を通じて遊んでいた男性に「結婚を前提に」という文言とともに告白され、2年ほど付き合うものの、あまりのだらしなさに未練なく別れた。

(カビが生えるまで冷蔵庫内にコンビニ弁当放置する。

私の両親が渡したお土産(お菓子)を紙袋に入れたまま部屋の隅に1ヶ月放置

誕生日プレゼントで渡したカバンを布団の下敷きにする。後日埃まみれなのを見つけたのをきっかけにさようなら。)

その後も他の男性と交友関係を持つけれど、結局恋愛や将来のことを考える人よりも「性的欲求」をする人が多く「適当に遊んでいた方がマシ」となり、結婚願望はなくなった。

今、人生がとても退屈で仕方がない。

仕事はありがたいことに順調。

実家を出て一人暮らしも考えたが、住まいをさがすとなると今よりも職場から遠い場所になり、かつ満員電車になることになる。何より家賃が高い。

今の立地と通勤メリットを捨ててまで一人暮らしをする必要は無いのだ。

年代の友人は結婚し、出産し、その生活についてSNS愚痴を撒き散らすだけの人らになった。

Instagramだけを見ればキラキラ豊かな生活だけしか見えないが、X(旧Twitter)ではあまりにも口汚く、夫や子供への不満を漏らしている。あまりにも見ていられなくて、別にアカウントを作って隔離したくらいに。

オンラインゲームにも手を出してみたけど、つまらなくてすぐに辞めてしまった。

結婚という未来は望まない形で男と遊ぼうにも、デメリットが多すぎると感じ実行に移す前に辞めた。

今の幸せは、美味しいものを作って食べること。

年齢的に代謝が落ち、余分な肉付きを感じ始めたので運動には力を入れている。それくらい。

でも休日はそれだけでは時間が消費できないので、大体食う寝る遊ぶ(運動)という、あまりにも生産性が無い週末を送ってしまい飽きを感じているのが現状だ。

贅沢な悩みと言われるから身近な人には話せないこと。

来週はなにしようかなぁ。

と考えても、どうせ似たような週末なんだろうな。

退屈。

2024-06-16

anond:20240616193355

普段は速攻で仕事前だから、とか通勤時間帯とかい言い訳が書き込まれるのですが、

18時まで通勤中なんでしょうかねえ

2024-06-15

先月、犬が亡くなった

その日は早く出社したからいつもより早く帰った。まだ誰も帰ってきていない家のドアを元気よく開け、今日晩御飯は何にしようかなと考えながら犬の名前を呼んだ。相変わらず玄関からの呼びかけは聞こえていないのか反応はなかった。もう老犬だから耳が遠いのは知っていた。耳が遠いのか名前を呼んでも「どこだ?」とキョロキョロする姿に家族みんなで微笑ましく見ていた。昨日もそうだった。今日もよく寝てるなと思って名前を呼びながら家の中へ進む。

ソファーの影から犬がよく寝るクッションが見えた。いつもの窓際でいつもの陽ざし。いつもの…。何か嫌な予感がした。

「おーい」と大き目の声で呼びかけるも全く反応がない。いや、そんなまさか。昨日まで老犬とは思えないステップ散歩したんだ。健康診断も耳が遠い以外問題もなかった。「老犬とは思えないほど元気ですね」なんていつも言われた。「申請して長寿賞状でも貰ったらどうかな」という話をしたのがこの前の休みだった。

ゆっくりと足を止めて犬のそばに立つ。そういえばいつものいびきがない。プーとか、フゴーみたいないびきに話の腰を折られて笑ったあのいびきがない。いつもより脱力している。膝をつき、触ろうと手を近づけた。

あ、死んでる。

体が動いていない。呼吸していたら動くはずの胸が動いていない。

明らかに生気がない。触らなくてもわかった。というか触りたくなかった。冷たさを感じたくなかった。夏は「暑いよ~!お前~!」とのしかかってきたこと、冬は「あったかいな~!お前!」と言って寄り添った思い出が悲しくなってしまうから触らなかった。

ボー然としてしまった。お前が食いつくであろう31の箱を横向きに倒してしまった。

お前は友人から頂いた犬だった。引き取り手がいなかったお前。お前の兄妹は大きかったのにお前だけ小さかった。トイプードルから「小さいね」と、妹が使わなくなった立派なドールハウスにピッタリ入るくらいの大きさだった。ゲージではなく、よくそっちに入っていたな。

来た当時は夜が怖くてよく泣いていたな。最近じゃもう腹出していびきをかくほどには大丈夫になったな。

さいころ東北震災地震がめちゃくちゃ怖くなってしまったな。最近になってようやく地震大丈夫になったな。

お前はボールおもちゃに全く興味を示さなかったな。ドッグランに来ても芝生で寝ているだけだったな。

トイプードルなのにでかくなって、柴犬サイズの服を着てたな。トイプードル用なのにお前に合うkgの参考がなくていつも笑っていたよ。「お前に適切な量はなんだ?」って。そんなこと気にせずお前は大食いだったな。人間でも腹いっぱいになる量をいつも食べていたな。

嫌なことがあって泣いてしまった日はそばにいてくれたな。風邪をひいたときも気が付いたら横にいたな。犬ってそばにいてほしい時はわかっているのだろうか。

老犬だからいつきてもと覚悟はしていた、と思っていただけだった。無理だ。覚悟したって無理なもんは無理だ。

喜んでいる家族を見て『なんだ?なんだ?嬉しい事か?!』と一緒にしっぽ振って喜んでいるお前がもう見られない。

帰路で他の家族散歩中のお前に遭遇して、「気が付くかな」とニヤニヤしながら通り過ぎては気が付かないお前に「気が付けよ~!」とわしゃわしゃしては『誰だこい…お前か!』と臭いを嗅ぎながら、家族だとわかってベロベロしてくるお前を見られない。お前を留守番にして外食して帰ってくると、ゴミ箱をひっくり返して何度か怒ったな。でも家族が帰ってきて甘えてくるお前が愛おしかったよ。

お前の散歩途中でケンタッキーを持ち帰りした時、匂いに興奮しすぎたお前がその袋に突撃し、反動で膝カックンになって転んで家族爆笑されたのが亡くなる直前の休み

熱中症気味でふらふらしていた家族の後ろをずっと付いていたのが亡くなる一昨日。

ちょっと開いてしまっていた引き戸をこじ開けて、こっそり在宅勤務中に部屋に入ってきて、反動で閉まったドアで出れなくなってくぅんくぅん鳴いていたのが亡くなる昨日。

あいつが喜ぶかな」とサービスエリアで買ったご当地ドックフードがまだ未開封だ。「今度はここに連れていこうか」と家族計画したドライブ用の地図にはまだ印をつけていない。開けたばかりのちょっといい犬用シャンプーがまだ残っている。

スマホ写真フォルダは開いた瞬間に、お前が人間食べ物を狙うキラキラした顔のお前が表示される。

ペットロスはあると思っていた。あるからこそたくさん思い出を残したのに辛い。

小学校の頃から一緒にいた思い出が出てきては涙が出る。通勤電車内でもお構いなしに悲しくなる。

お前に追いつこうとした小学校時代。お前に追いついた中高時代。お前と一緒に歩いた大学時代。お前の歩幅にあわせるようになった社会人自分寿命の長さが違うというのはこんなにも悲しい。お前の方が遅く生まれたのに、お前の方が早く逝く。

今日肉料理からあいつの分も豪勢に…」といつものように思ってしまい、スーパー精肉コーナーで立ち尽くしてしまった。亡くなって一カ月も経つのに。

今も寝床について、ふと足をもぞもぞと動かしても重さを感じない。いつも飼い主の足を枕にしてふてぶてしく寝ているあいつがいないのを感じてしまって喉の奥が熱くなる。

いつか思い出が温めてくれる日がくるまで、と言い聞かせて今は涙をなるべくこらえる日々を過ごしている。そんな日がすぐに、いまにでも、はやく早く来てほしい。

今日も枕が濡れてしまう。

2024-06-13

[]

たかだかキロ通勤のために、1トンを超える鉄の塊を一緒に運ぶ必要あるの? そのためのエネルギーはどこから調達するの? その鉄の塊の事故で何人の犠牲者が出ているか知っているの?

なんて馬鹿げているのだろう。一体どこら辺が「ホモ・サピエンス」なの。

自転車の修練を積めば、往復20kmの通勤なんてなんてことない。往復100kmの通勤だって不可能じゃないだろうに。できない、できない、と煩い人たちが何と多いことか。

でも必要に迫られれば「やる」んだよどうせ。まあ必要に迫られている頃には、もう手遅れだがね。

新卒で電力に就職したんだけど、28歳の今すでにもう人生クリアした感じがしている

今年28歳、大したことない地方国立工学部学卒。新卒奇跡的に某電力に内定を貰い、喜び勇んで入社した。配属は原子力部門原発で働いている。

俺のところの原発はまだ再稼働していないのでもっぱらデスクワーク資料を作ったり直したりがメインの仕事

残業は長めだが、後述するように給料は高いし、人間関係にも恵まれている。給料が高いので皆ある程度心にゆとりがあるのが大きいだろう。

で、毎日何をやっているかというと、今のところはお国向けの許認可対応用社内資料を作っている。

勤務時間のだいたい半分くらいは誤字脱字・てにをはレイアウト修正。あとの時間会議とか雑務

出張ほとんどないが、研修で外に出ることはある。出張すると飯代の名目で小遣いがもらえるので嬉しい。

お国に提出するものだと考えると体裁重要になるので、目を皿のようにしてチェックしているが、難易度は正直高くない。

それで年収残業代込み600万超。28歳の時点でこれだぜ?仕事の負荷、労働強度で考えるとかなりの高収入じゃなかろうか。

勤務地は一言でいうと僻地独身寮があるのでそこに住んでいる。

から職場までは(当然といえば当然だが)バス通勤ルートが完備され、皆それが前提なのでアフターファイブ的なことも気にしなくて良い。

飲酒運転の厳しいこの時代に、車を使わないと飲み屋ですら行くのが難しい。笑

唯一ギリ徒歩圏内スーパーコンビニが一軒ずつあるが、それだけ。

けど俺にはアマプラがある。これのおかげで文化的生活を送れていると言っても過言ではない。サンキューベゾス

食事は朝晩は寮が食堂を開いてくれており、自炊する必要もなくかつ安い。

昼は原発食堂コンビニよりは栄養バランスも考えられて、コスパもいいし、毎日数種類から選べ、その選択肢自体も適宜アップデートされる。

毎食のメニューを考えなくてもバリエーションのある食事を摂れるというのは、自炊経験がある奴ならその有難さが理解できるだろう。

30が見えている今婚活という単語意識する世代だが、社内には出会いが無い。

だが車も生活の前提なので中古新車も入手性がよく、行動半径が広い。車を飛ばし県庁所在地に行けば女も捕まる。

家賃が安いので、可処分所得は同世代の似たキャリア東京住みよりもなんなら高く、駐車場は大抵無料なので車の維持も容易だ。

行った先では酒を飲む関係で一泊することになるが、カプセルホテルネカフェみたいな施設ちゃんとあるので、安く済ませたければそこで寝ればいい。

そうやって結婚していった人はよく見るし、地元では最強クラス名刺なので婚活を始めれば容易なのもわかっている。結婚相手で苦労する人はほとんど聞いたことが無い。

電力はガチゴチの年功序列から飛び級みたいな出世は期待できないが、その分何歳になったら給料なんぼかというのは全部分かり人生計画が立てやすい。

遅くとも42歳までには管理職に上がり、年収1000万。ペイペイ管理職以上に上がれるやつは相当少ないが、最低ラインでそれだというのがデカい。

今の生活が至上至福かと言われると、まぁ多少の不満がないといえば嘘になるが、とはいえ富みすぎず乏しすぎず、中の上をキープできており非常に安定している。

まさに「トンカツをいつでも食えるくらい」の人間になったという実感がある。幸せと言ってもいいだろう。

安定しすぎて引退老人みたいな精神性になってしまうのが逆に怖いかな。そこはネットも駆使してインプットアウトプットを怠らないことでカバーしたい。

土日祝休み有休も十分なので、それを活かして資格にも挑戦しようと思ってるし、彼女も欲しい。やることは尽きない。

もちろん積み立てNISAもやってるし、大病して退職なんてことにならない限り老後2000万円問題自分には関係無さそう。

最近の株高で「純富裕層」くらいは狙えそうな気もしてる。

anond:20240612004800

都内在住/独身/年収1800万/借金0だが生活は楽ではない。

一般的年収1000万を超えると高所得者と呼ばれるとは思うが、

実際のところ、生活はそこまで楽ではない。

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自分都内在住の38歳男性

個人事業主として、在宅の仕事にはなるが年収としては1800万程度。

熱を出して起きていられないという状況でもなければ、基本休みを取らないので、

365日ほぼ引きこもって毎日12時間以上は平気でPCの前に座っている。

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上司や同僚がいるわけでもなく、対人関係通勤ストレスもなく、

好きなアニメYouTubeを流しつつ、愛猫と戯れながら自由

働けているので今の生活自体にはなんら不満は無い。

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簡単自己紹介をしたところで、表題に戻る。

年収としては1800万程度であるが、ほとんど経費も掛かっていないため、

ほぼ半分は税金社会保険料で持っていかれると考えてもらって構わない。

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となると実質900万の手取り、月75万程度ということになる。

ボーナスなんてものは無い。1800万稼いで、月に使えるのが75万。

どんだけ酷い国だよ。ほんと。

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ではここから支出について。

家賃13.5万

光熱費4万 (エアコンPC付けっぱなしなの電気代がクソ高い)

・食費10万 (基本3食とも外食)

・猫2万 (食費や通院費)

・親への仕送り10

風俗20

支出合計:約60万

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これだけ稼いだところで手元に残るのは15万ほどである

家賃光熱費の半分は経費に出来るので、実質20万くらいは残ると考えていい。

となると年間で貯蓄できる金額は250万前後

ここ1年の貯蓄額の増加もそのくらいだったので、この数値はおそらく正しい。

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とは言え、収入保証されている仕事でもないため、無駄遣いはできないし、

税金の支払いのために、現金は出来るだけ残しておかないといけない。

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本当に生活は楽ではない。

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で、突っ込まれるであろう、支出最後風俗20万について。

ソープ2~3万円×月4回

・月1定期で会う子に7万円

このほかにメンズエステピンサロなど。

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正直な話、恋人を作るのはもう面倒だし、自分の性欲が強すぎて、

合う子を探すのがそもそも大変すぎるという事情もある。

これまでの彼女さんたちはだいたい性の不一致で分かれるケースが多かった。

それ以上に、どれだけ好きになっても、1回か2回、致しただけでその子に飽きてしまう。

最低だとは思うが、10代の頃からこんな感じだったので、20-30人くらいは交際経験があるものの、

最長交際期間はわずか2カ月というレベルで、我ながら呆れているが、こればかりは仕方がない。

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まぁ、その点、風俗であれば女の子の機嫌を取る必要も無ければ、

飽きたら別の女の子指名すればいいし、好きなタイミングで店に行けばいいだけなので時間も縛られない。

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やはり最低だとは自分でも思うが、ロリコンなので正直20代以上の子キツイ

捕まるわけにもいかないので18歳~19歳の子我慢しているという感じである

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定期の子たまたまデリヘルで見つけた見た目が●学生みたいな130cm代の女の子

外見がモロにタイプだったので、この子に関しては1回指名した日に店外のお誘いをして連絡先を交換し、何度か会っている。

女の子にもよるが、だいたい1日分の売り上げくらいをあげれば店を介さずに会ってくれる子は結構いたりする。

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こんな感じが年収1800万、都内在住38歳の独身男性リアルである

税金高すぎんだろほんと。

2024-06-12

anond:20240612153229

普段通勤と2週に一度のメシ買い出しでしか外でないんだけど、全くもって分からない。どこに行けばそういう環境になるん?

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