はてなキーワード: 自己嫌悪とは
具体的には、名前を呼ばれず話しかけられると自分に言われてると気付かなくて結果無視してしまったり、上手い返しが見つからなくて会話が続かなかったり。
「今、自分のせいで場の空気を壊したな..」と感じ取ることは出来ても、その後とっさに気の利いた対応が出来ずそれらが積み重なっていく感じです。あと自分を客観的に見るの苦手です。
県の発達障害センターみたいな所はあまりあてにならないみたいで、県庁所在地には大人向けの発達障害センターがありますが県庁所在地の市に住んでいないと治療を受けられないみたいです。
大人の発達障害を見てくれる心療内科を回るのが1番いいのでしょうか?
頭と口がうまく回らず、周りの空気だけは感じ取れるので自己嫌悪がすごいです。
しかもこんなコミュ障の自分に限って、よく喋る人の近くでフォローを入れないといけない立ち位置?になったり..。(例えば、独り言をよく言う方で、喋りかけられたらきちんと答えていたけど独り言にはほとんど反応していなかった。でも本当は時々でも反応するべきだったかも..今になって不安になってます)
もう疲れました。
心療内科に行ったら薬を貰えて、それを飲んだら少しよくなるんでしょうか?
支離滅裂な文章で申し訳ないですが何でもいいのでアドバイス頂けると嬉しいです。ちなみに20代後半女です。
追記
烏山病院は聞いたことあると思い調べてみたら、色々書かれていますが診断を受けるだけならそんなに問題はないんでしょうか..?
一番いいのは居場所を見つけることですよね。
実際は、優しい方はいてもそれ以上にその場の力のある人に嫌われがちなのでなかなか難しいですが。。
これはただの甘ったれな人間の、心の整理がてらに書いたここ数年のお話です。自己嫌悪の文章です。
もともと、好きで行った大学ではありませんでした。天文学をやりたいと思っていました。しかし、受験の出願をするとき、親に猛反対されました。「天文学なんか食ってないからやめなさい」、と。私と両親は大げんかしましたが、天文学では物理が必要になります。でも私は物理が大の苦手でした。だから泣く泣く諦め、両親が勧める医療系に進みました。一応、両親は最後の方は私のすきにすれば良いと言っていましたが、医療系に行くと言ったら喜んでいました。
だけどやっぱり、心の底から笑えません。同じ学部の友達を作りたいと思えません。勉強も全く面白くないです。毎日後悔ばかりです。一年生なのに留年してしまいました。
今は入学してから三年目、二年生です。この大学に入らなければよかったと思わない日は一度もないです。
退学することを考えます。でも、できません。退学したら働くことになりますが、働きたいと思えません。働いて幸せになる未来が見えません。
私はひどい人間です。今の状況から変わりたいと思いつつ、働きたくない、他の分野に興味が持てないと言い訳ばかりをして現状を変えようとしません。なんだかんだで優しく色々援助してくれる両親に甘えっぱなしです。しかもそのくせ、内心は両親のせいでこんな大学に入る羽目になったと逆恨みしています。
思うよ!!
そしてがん検診のたびに「あー(略)ないですかー」と聞かれて
「ないですスンマセン」となぜか誤ってしまい、
検診痛いんじゃー。
でも経産婦の友人も痛いとは言ってたからなぁ。
今自分は恋をしている。
恋をしていると言っても完全な一方通行で、いつもその人を見かけては勝手にドキドキしたり運よく話せると1日嬉しくなったり、30を越えているというのにまるで中学生のような片思いをしている。
テレビや漫画では恋は良いもので素敵で、その気持ちは大切にしていいと大抵話している。でも自分の場合は絶対に違う。なぜなら、自分は既婚者で夫と子供がいるからである。
詳しい定義はわからないけれど、きっとこの状況は不倫とは呼ばないけれど浮気ではあるんだろう。家庭に不満はなく夫のことも息子のことも大好きだけど、それはほぼ家族愛に近くなってしまったのかもしれない。特に不倫という行為自体に興味があるというわけでもない。だけど何故だか、理屈抜きでとてつもなく好きな人が出来てしまった。
好きになってからやや一年ほどたつけれど、このことは当たり前に誰にも話せていない。
家族に申し訳がなさすぎて自己嫌悪が酷く、嫌いになろうと相手の嫌なところを沢山探したがうまくいかなかった。
それならば好きになってはいけないという背徳感に酔っているだけなのでは?と思い逆に気持ちを肯定して好きな人がいる生活を楽しもうともしてみたが、そんな空元気も長くは続かなかった。
それからはずっと、好きな人を見るとバカみたいに元気になるくせにいつもぼんやりと罪悪感をもっているまま生活するようになった。
世の中では恋愛は理屈ではないという意見が多くを占めている。理論で説明できないのが恋で、頭で考えてパートナーを選ぶのは打算的だという風潮ですらある。恋で検索すると、苦しいけれど辛いときもあるけれどそれはとても素敵なことという意見が沢山出てくる。
ただし、それに「既婚」とつけると当たり前だが世間の反応は180度変わってくる。
文春が猛威をふるっているのを見ても、一般的に不倫はかなり許されない悪とされているのだろうなと感じる。こんなことを書いている自分も、もしも夫が他の人と恋愛をしていたら悲しいし辛い。なのに自分には好きな人がいるのだ。
誰にも相談できないことが辛く、以前匿名チャットで一度だけ見知らぬ人に対して恋をしていることを打ち明けたことがあった。すてきだね、応援するよ、どんな人なの?と沢山質問されたが、こちらが「実は私は既婚者なんです」と話すと「不倫は応援できません」という一言を残してチャットは切断された。
不倫はしていないしそんなことになることはほぼ100%ありえないと思っているが、万が一相手が好意に答えてくれたとして、それをはねのけられるのか?と考えてみると自信がなかった。だからもうこれは不倫しているようなものなのかもしれない、と思っている。
先日友人の結婚式に出席した際に、永遠の愛を誓い合う2人を見て永遠の愛とはなんだろうか?と考えてしまった。一生同じ相手を好きでいられるなんて確約どこにあるのだろうか?私だって本当は、同じ相手を一生好きでいたかった。
こんな日記を書いてしまったけど、私は不倫を肯定するわけでも結婚を否定するわけでもない。ただ、大好きな人がいることをどこかで言いたかっただけなのもしれない。
早くこの恋が終わりますように。
https://blog.tinect.jp/?p=52254
記事の内容は(結論以外)だいたいうなずけるし同意なんだけど、社会的地位の保証については首を傾げざるを得ない。
収入や仕事を提供するのは起業家や資本家の仕事かもしれないけれど、地位だの自己肯定感だのは文化の範疇なんだから、そんなもの求められても困るでしょ。
いや、それが自己肯定感の問題で、そこにダメージを感じる市民が増えると社会不安が噴出しちゃうので、社会的な課題として対処すべきだっていうのはよく分かるし同意できる。のだけど、彼らがそこにダメージを受けてるのって、すごく自主的なものだよね? 彼ら自身が自分自身を痛めつけてるような、自分の同類をだれかれ構わずリンチして卑下する文化をつくってるのが主たる原因でしょ?
今の政治が〜とか収入が〜とか税制が〜とかもっともらしい事を言う人がいるけれど、それらの指標において日本より遥かに劣悪な事情にある国だって、もっと自分自身を肯定して前向きに生きる文化の国、たくさんある。日本はもうおしまいでお先真っ暗だってマスコミもはてな諸賢もそういう記事ばっかり巻き散らかすけれど、数字比べてみれば日本は裕福で恵まれていることは否定しようがないわけで、すくなくとも自尊心破壊されるほどの状況とは到底思えない。
いやいや日本国内にいる限り比較対象は国内で国外の貧困国は関係ない、というのならば、まさに日本国内での相対的な皮革の話であるのだから、多数派が劣等感を感じるっていうのはおかしな話だ。多数派であるのならばそこが普通であって劣等感を感じるべきではないでしょう? どうかんがえても自分たちで奇妙に社会のハードルを高くぶち上げて、それに対して不合格だからと周囲を断罪し、同じハードルが自分にブーメランしてきて劣等感を感じているだけだ。
なによりたちが悪いのは、その部分が問題であり解決しようとしたとき、彼らにどんなに高い収入や社会的なサービスを与えたところで「私は絶望してる! 傷ついてる! 保証と補助を要求する!」という要求を、原理的には排除できない点だ。内面の問題なので「それが嘘だ」と断言することはできない。結局それって弱者の居直り要求ビジネスだよね。
最初に述べたように、社会的に解決が望まれる課題であるというのはそう思うのだけれど、以上のような理由で積極的な関与をするつもりには到底なれない。むしろ、社会的な弱者が、弱者同士で同族リンチしたり自己嫌悪でサボタージュする文化をやめた上で、その上で収入なりなんなりを要求してほしいよ。
これ「https://note.mu/amakara_no_tare/n/na4eb53fb6768」を受けて書きたいと思ったこと記事。
自分は今回に関してはテレビ局に慎重に取り扱ってほしい旨をメールで送った、ドラマ実写化に関してのみ規制賛成派。
該当作品はツイッター投稿をリアルタイムで見てて、その後ピクシブのぶんだけ読んだ。
ここまで前提。
■幸色のワンルームは少女にとって魅力的なのは「性」の扱い方にもあるんじゃないか
■クロスメディア展開がへたくそなのと制作側が色々甘く見てそうで怖い
■実写ドラマ反対したい理由は色々だけど、私個人に関しては”自分のため”だったと思う
の3本です。長い。一番最後に3行でまとめたから忙しい人はそれ読んでくれたら嬉しい。
幸色のワンルームは単なる誘拐の話ではなく、ただの男女の逃避行でもなく、
・理不尽にただ蹲って耐えるしかなかった少女が守るべきもの(=居たいと思える居場所、人)をはじめて得て戦うことで少女から大人へと羽化する話であり、
・リアルの男女の性に絶望した読者に対して「男と女ではなく、大人と子供でもなく、ひとりとひとりの人間として関係性を結ぶ」という夢を与える物語。
と捉えることができる。できるんですよ。傍から見たら犯罪だけど。
(問題は誘拐ストーカー設定なくてもこれを描けたことだけど、その設定のおかげで(いろんな意味で)バズってるから うん…)
「男とか女とか性とか支配被支配とかラベルだけの話ではなく、ぜんぶひっくるめて、私という人間とあなたという人間の話であり、救いの話」というふうに見たとき、
正直、読み口としては2000年代の商業BLやブロマンスに近いなと私は思った。
実際幸色のワンルームの幸とお兄さんの関係は決して恋愛感情だけにはとどまらないという風に描かれています。
加害者と被害者であり、無自覚的な搾取する側とされる側であり、姫と従僕であり、ナウシカと王蟲の幼生であり、友情であり、慈愛や同情であり、恋愛感情もうっすらあり、依存であり、共闘関係であり、勘違いであり、共犯者であり、そして全てを肯定し合う関係である。
だから人気が出た。
恋も愛もべたべたラベルが付いてひと山いくらで売られていることを、十代の少女たちはとっくに気づいている。そんなふうに安っぽくない、けれど十代少女たちに門戸を開いているフィクション作品をもとめている。それがどれだけ過去の文学や映画や漫画でありふれてやりつくされてきたものだとしても、「いま」「ここ」で「私たちに対して」向けられている作品に惹かれて何がおかしいのだ。
またこれは重大なポイントだが、お兄さんは性のにおいがしない。
デフォルメされた世界で成人男性の記号をほとんど持たない、いってしまえば無性の存在。メンタル的にもそう。
その上、精神年齢は少女とほぼ変わらないため、罪の意識を持った姿は読者にはどこか可哀想にうつる。過去の傷があるらしく年下の幸が守らねばと思うほどいたいけでたよりない。幸に都合の悪いこともしない。
けど、男。
「そんなやついねえよ」だ。だからこれはファンタジーだし理想たりえる。リアルと切り離せる免罪符でもある。
ひと山いくらのラノベに出てくる都合のよいヒロインから性の匂いをひっぺがしたようなものだ。少女にとって男の性は不要なもの、というか幼いころから自分を脅かしてきたものでしかないから、無い方がいい。幸の安心できる居住空間を提供する為にも。
だから、ストーカー、誘拐犯の男、というショッキングでスキャンダラスな設定はあるものの、それは今やおにいさんと幸が法を犯したことをしても問題ないというハードル下げのための設定になり下がっており、基本「ある日突然(可愛くて自分が居ないと生きていけない(A))女の子が空から降ってきた」と同義なのだ。ぺらっぺらだが、それこそが求められている。「怖くないから」だ。
(A)には「やんごとない身分の」「血のつながらない妹/姉である」とか、あと「大量殺戮生体兵器の」とか「妖怪の」とか「暗殺者の」とか「殺人鬼の」とか「サイコパスの」とか入ったりする。よくあるやろ。そういうのを①男女逆にして②リアル現代の③クライムフィクションにチューニングすると
ついこないだあった事件にそっくりで笑えなくなる、みたいなの超あるあるなんすわ…
とはいえフィクションだし少女漫画だし、問題ねーじゃんと思うだろ?私も思う。お兄さんは捕まるか虐待親に突撃して共倒れして死んで美しい思い出になって欲しいけど(どうせやるなら徹底的に幸に都合よく退場して欲しい)。
ツイッターへの最初の投稿とか現実の事件に対してタイミングが最悪すぎる件に関してわざとかどうかはもう「関係ありません」で貫き通すだろうし実際分かんねえからいいわ…。マジでインスピレーションさえ受けてないとしてももう運が悪かったと思ってほしい。というか当時あれだけのトップニュースすらチェックしてなかったなら作者はうかつだし、チェックしてても特に何も考えず出したならそれはそれで大変アレなのでそれは怒られても仕方ないんじゃねーかと思う。
特に問題に思うのは、クロスメディアするとしたら慎重にやるべき題材だったということだ。
「先生!」「PとJK」の実写化の時も同じこと思ったけど(あれも「少女漫画なら素敵だがリアルに考えるとわりとやばい」案件)今回は格が違う。なんせ誘拐犯でストーカーだ。どれだけ気を使っても使いすぎるということは無いだろうに…と思う。
後ろめたさも、退廃的なことも、この作品の魅力と分かちがたく結びついている。伝え方を一つ間違えたら倫理観を疑われる作品なのは変わらないのだ。
このへんは制作側の、なかでもプロモーションの腕が必要な作品だろうなと思う。
たとえば、この作品がギリギリまで性のにおいを消臭できているのは、絵柄の影響が大きい。デフォルメが強く、リアルさは無いティーン向けの絵。虐めのシーンにも性的なものは見受けられず変態教師とのバトルでさえ匂わせる程度だ。
性も犯罪も、それが主題ではないのだと、なによりも絵が主張している。
また、この作品は家族で見てやいやい言いながら見るより、一人で集中して見たいものじゃないだろうか?ターゲットは現在テレビを良く見る層と被っているか?いないんじゃないか?ティーンの原作ファンがこの作品を見て語り合うなら、家族よりも、同性で趣味の合う友達とではないか?
だから、メディア展開を思い切り間違えてる気がしてならないのだ。
テレビでやるならアニメ作品にすべきだったと思う。その人気に火を付けた一端でもあるキャッチーな絵柄を生かし、フィクションであることを最大限利用すればよかった。あくまでこれは夢物語で、リアルとは違うのだとアピールすればよかった。それでも非難は受けただろうが実写化よりはましだったはずだ。「誤解されやすいけど本来こういう話ですよ」と12話でも24話でもかけてやればよかった。
実写化したいなら、この退廃的な作品は映画の方が合うだろうと思った。それに映画館でしか見れない、というフィルタリングは大きい。実写化することでどうしても露悪的に、生々しい匂いになる画面をテレビから無作為にまき散らすのではなく、納得して料金を払い席に着いた観客にだけ誠心誠意向き合う形をとれば良かった。観客を巻き込んで二人の世界に浸れる場所を作ればよかった。
広告展開で規制派の火に油を注ぐ可能性は大いにあっただろうが、中止よりはマシな結果になったんじゃないか。
なんで再現が難しい絵柄を実写で、なんでナイーブかつ視聴者を選ぶであろう題材を全国放送の誰でも見れる割にメインターゲットを逃しまくるであろうテレビで、やろうとしたのだろう。やはりコストの問題だろうか。
いや本が売れたらいいなと思ってたんだろうけど炎上商法やった割にリターンがアレ過ぎない?そうでもない?わからんけど
正直、ドラマ制作側も作者の方も編集部も、「現実にある犯罪を扱った現代劇である」という認識が甘すぎたのではないかと思う。
それも、未成年の被害者がいる事件を、「犯罪としてではなく救済として描く」というひねりを売りにした作品でだ。
「カリオストロの城」でも撮っている感覚だったのかもしれない。モニタの解像度低いわ。
もしくは、とてもリアルだと思ったから実写にしよう!と思ったのかもしれない。
そのリアルさは虚構で夢でしかなく、それでいてとてもありふれた現実だ。
だって、実際の誘拐や幼児への事案はひっきりなしに起こっていて(マジでひっきりなしに起こっている)。
ストーカーや誘拐犯の脳内で、自分は被害者と愛し合っていたという美しい物語が展開されているのは決して珍しくないのだから。
その恐ろしさを無視して、リアルに寄せる実写化をするのは賛成できなかった。
苦言を呈す派に対して作者からのコメントは「実際の事件とは切り離してみてください」これだけだ。たったこの一言で全て免罪されるなら表現の自由とはなんとも気楽で無責任なものではないですか。いや作品内で色々ファンタジー要素盛って免罪符切ってるしあれこれ言及するより作品に集中するのは良い手だと思うけど無責任だとは思うぞ。
だって「世の中いろんな人もいる」と、これが現実でもありえるかもね、とでも捉えられるコメントを付けて世に送り出したのは、他ならぬ作者自身なのだ。
ドラマにしても、女優に「実際にこういうこともあるかもと思う」というコメントを、編集もせず流してしまった。(これで規制派の使命感に火を付けたようなものだと思っている)。制作側止めろよ…
現代のクライムフィクション作品でこのコメントが出るときは「だから怖いなって思いました」くらいのことが続くはずが、「実際あったら素敵」と続いてしまうような。
作品そのものというよりもその周りの倫理観がガバガバなのだ。現実がガバガバ。
そうでなくても今現在、長年沈黙されてきたハリウッドやら世界的に女優の性的搾取の告発が起きてて転換期で、それでも搾取する側の擁護をやめない(「いや、でも女性側も望んでたんじゃないか」みたいなのワイドショーで沢山見ましたね!)、日本のテレビ業界をつい最近私たちは見せつけられているのだ。そもそもの信頼感が地に落ちている時に「地獄の真ん中で搾取されてるけど女の子はハッピーです」みたいな作品作ってもそりゃ倫理観が疑われるだろという話だ。
お兄さんと幸の間にある感情はとても純粋なもののように描かれる。
それは憂いを帯びて美しい。破滅に向かっているからだ。地獄の上にある安息だからだ。あかるい太陽ではなく、暗闇の中の星。
薄汚く、ふたりを虐めるものばかりの世界でここだけは綺麗であるように感じる。実際そうだからなのだろう。未来なんて考えたくもないし過去の事は忘れたい。いまここにある、おにいさんと幸のあいだにある、形容しがたいなにか、それだけが全ての世界でいたい。
この作品のメディア展開が一つ潰れることで、悲しく思うファンもいるだろうなと思う。恨まれるだろうなとも。
つーか私も十代の時に、リアルで起きた殺人事件(娘が父を鎌かなんかで…)をうけて「ひぐらしのなく頃に」のメインキャラが義父を鉈で殺す回の放送が見送られた時「いやリアルとの区別くらいついてますけども~~~~~????」って怒ってたよ。
でも今(アラサーだよ)、もし「新幹線で鉈をふるう殺人事件が起きたけど、犯人は実は悪い人ではなかった」みたいなフィクション作品がテレビで予定されてるとしたら…今の私は、「それは見送った方が良いのではないか」と思う。
大人になるにつれて、想像力は広がりだけではなくリアルさを増していった。経験と知識が増えたからだ。
「これのせいでちいさい子供や、少年少女が酷い目にあうかもしれない」と思うと、耐えられなくなってくる。大人になれば強くなると思っていたのに、陰惨なフィクションも年々見れなくなっている。それは、年を重ねた分現実に起きる陰惨な事件を、それに対する酷い言説を、これまで見過ぎて、現実を見過ぎて、どうしても思い出すから、なんだか嫌になっちゃうからだと思う。大人になるにつれて、後から生まれてくる子たちが傷つかない世界になればいいと、祈るようになってきたからだと思う。
フィクションなのに、現実で被害に遭って泣いていた子や、かつて嫌な思いをしたときの自分を、思い出す。被害者の絞り出す様な言葉や、それに向けられた酷い言葉の数々を、理不尽を、やたらと思い出して、想像してしまって、苦しいときがある。
子供の時はフィクション作品やメディアの力を舐めてたし、大人になればもっと区別がつくようになる、
なんならフィクションを見てリアルを思い出すなんてオタク失格だとすら思っていた。
でもそうじゃなかった。
倫理観スイッチ切って倫理観ゼロの作品を楽しむには、TPOがある程度大事だと知った。自分の家族を亡くした直後に、家族を殺す話を楽しく読めないように。
倫理観ゼロの作品は、倫理観ゼロの現実世界では楽しめないと分かった。楽しめるならそれは娯楽である以上に、麻酔や薬であり、治療なのかもしれないと思った。生きるための救済。
作品の影響力を舐めたらダメだと思った。面倒なオタクである自分は偶像やフィクションに命を救われてなんとか生きてきた。
ならば人の命を奪う作品が無いなどとどうして言えるのか。
だから今回の幸色のワンルームへの規制は、わたしは(あくまで私はな)、
これを見た「大人」がリアルに起きた事件や今までの経験のフラッシュバックに耐えきれなくて「やめろ、せめて少女漫画のカテゴリのなかにいてくれ。そうでないなら無作為にまき散らす前に対策してくれ無作為にまき散らされて何が起こるか分かってんだおれはくわしいんだ(※嫌なことを沢山思い出しながら)」
って言ったんだと思う。
そういう側面は大いにあると思ってる。
「それでも僕はやってない。」が公開された以降から痴漢被害者への二次加害が酷くなったって話聞いてワァーってなった。
そんな変遷を見てきたら「こういう作品が公開されたら、また…」というフラバもそりゃ起きるよと思った。
直前に現実の誘拐事件があり被害者バッシングを見てるんだから余計に「あれが、また…」ってなるよ。(だから本当にタイミングが悪すぎたんだよ…)
というかそれはダメだ。現実がこうだから配慮して作品自体消そうみたいなのは私が一番やりたくないことだった。だからゾーニングとフィルタリング推進派なんだけどさ。
そしてゾーニング・フィルタリングはメディアの差でも実施できると思う。その作品に触れるまでのハードルの差があると考えているから。テレビは特にハードルが低い。例えば映画館での上映や本屋で棚が分けられパッキングされた単行本等とはそれだけでも違う。同列に語れないと思う。
だからってガチガチにこの本は誰向け!この本はこの性別この年齢このカテゴリ!とかマジ誰もやりたくねーよ。なにそのディストピアだよ。
ネックは「現実の事件に対する二次加害が野放しなこと」だから、ここがマシになれば結果的に表現の自由も守られるんじゃねーかなと思うけどどうですかそのへん。
ほんとね現実クソだったよ。現実の誘拐事件おこす犯人もマジでクソだったし被害者に向ける目も相当クソ。二次加害を大量に見過ぎて本当にメンタル削れたし、なによりオタクのリアル事件に対する大喜利に慣れ過ぎて、被害者がいるっつーのに自分も一瞬「あっそんなひどいことされてなかったのかも?」とか思ってしまったのがめちゃくちゃ自己嫌悪で死にたくなった(自分ネットのアイドルと二次元オタクカルチャーに10数年どっぷりなんですよ)。「そんなわけねーだろ」と思った。被害者の苦しみをも加害者のやったことも軽視出来るもんじゃない。絶対。
この感覚のままでいるのはやばいと思った。でもこれは曲りなりにも女体持ちで嫌な思いも散々してきたから「そんなわけねーだろ」と思えた部分はあるだろうなってのもあるし、「そんなわけねー話」をいくらでも茶化せる人がいるのも知っていた。
誘拐もストーカーも盗撮も被害者叩きも遠い世界の人にとってはそれはファンタジーだろうしな。
でもファンタジーじゃねえんだよな。
私が生きていく現実に影響があるんなら、私は私のために戦わないといけないと思ったんだよ。
舞台に通うのが趣味で、出演者の中で気になった人を追ってまた違う舞台に通うという生活をしている。
気になった人ができたら当然まずはプロフィールを調べるんだけど、そのときに同い年だとわかるとなんかモヤッとして推せなくなる。
「この人は私と同じだけの時間を使って私とこんなにも違う生き方をしている」ということがなんかモヤッとする。これが尊敬なのか嫉妬なのか自己嫌悪なのか何なのかわからないけれど、とりあえず雑念が生じてしまう。
同い年だって知る前にめちゃくちゃ好きになった人だったら「生まれた場所さえ違えば、この人は私の隣の席にいたかもしれない」っていう、よくわかんないけど後悔みたいな感情が生まれる。
年上だったら素直に尊敬できるし、年下だったら「がんばってるなー」って応援する気持ちになれるのに。同い年にはそういう感情を持てない…というか、持てるけどそれ以上に雑念が生じてしまって嫌になる。
推したいのに、推せない
コンプレックスを克服するってどうやればゴールなんだ
ただ漫然と自分が劣等感を感じる要因をパテで埋めるように補ってその基準において誰かに承認して貰えば一丁上がりだと思ってたんだけどどうもそれだけじゃ駄目らしい
子どもの頃の私はその価値基準を丸ごと否定してやりたくて自分を追い込んでたのに、なんで今になってそこに乗っかってるんだって自己嫌悪が半端じゃない
この自分で歪めた価値観にセラピーだかで焼入れして正しい形に戻してやらないといけないのか、それともこの子どもの私の価値基準に従って生きてやるのがいいのか
どっちにしろ生きづらそうで自分のアホみたいな願望に真面目に取り合うことがそもそも無益な気がしてくる
しかしまぁダイエットだの美容だの死ぬほど金と労力を使ってこのオチは虚脱感が凄い、もっと実益ある勉強に回してりゃそこそこ良いとこいけたんじゃないのか
私も誰かに嫉妬し自己嫌悪するので、とても共感しながら読ませて頂きました。最終的に距離を置く点についても「結局、他人は他人。問題は自分」と律するのが自分の中での正解だと思っています。
今回Vtuberと絵描きについて言及されていますが、それぞれの立場にもやはりカーストのようなものはついて回り、各々大なり小なり何かを抱えているものだと考えます。
実際私も趣味程度に絵描きを名乗っていますが日々嫉妬に駆られます、ですが絵を描いている時間だけは純粋にその行為だけを楽しみ、一切の負の感情を切り捨てる事が出来るのが救いでした。
どなたかの指摘にもあるように絵が描ける事はあくまで手段のひとつであり、
自分が相手の立場なら、絵を描いてくれる人に親しみは感じますが、例えば身の回りの人間、家族や友人、恋人、親身になって接してくれる人達が絵を描けなくても好意は変わらずあると思います。
感情の赴くまま取り留めのない文章になってしまいましたが、逆に距離を詰めて家族や恋人とはいかないまでも友人位の関係になる、もしくはなれるように足繁くアピールする事も絵が描ける事と同様の正解のひとつかもしれず。
人生に絶望し、自己嫌悪と社会への不満が爆発した時に、目の前に現れたのは正義感溢れる順風満帆な人生を送っていそうな成功者。
刺すよね。たとえ人を傷つけるつもりが無かったとしても、予定変更して刺すよね。
そりゃ相手も色々苦労あったかもしれないけど、外見じゃ分からないし、そもそも他人を助けようとする余裕があるんだよ。産まれながらの勝ち組。完全無欠。
もちろん犯人の人となりなんて逮捕後に分かったことだけど、一番目の前に出ては駄目な人だったね。可能性の話だが、チューハイ飲んでるほろよい親父だったら手傷くらいで済んだのではないか。
他人を助けるのは素晴らしいことだけど、それは自分を守れる余裕があっての事。自分も守れるか分からないのに助けに入るのは勇気じゃなくて無謀な賭け。
が、アウトプットが「女に肩をぶつける」になるところがどうしても理解できない。
アメリカだと、こういうのが銃乱射みたいなことになるのかな?(映画『エレファント』)
それが日本だから矮小化されているだけ?にしては卑屈すぎるような。
社会に理解されない自分、の鬱憤ばらしなんだとして、スカッとするもんなんかね。
銃乱射だと、開き直ってもう後に引けないところまでイっちゃってるからわかりやすいんだけど、肩ぶつけるだけとか、余計自己嫌悪にならないか。
もしもう1度がんばって説明してもらえるなら教えてほしい、「何度も言葉にできない気持ちから女にぶつかりたいと思った事のある俺」さん。
尚、私のプロフィールは以下。
・都内1人ぐらし
・社会人7年目
内定をもらった会社が内資系コンサル企業でちょうど電通のまつりさんの件があり長時間労働にびびって内定辞退した。
(ばかりか、利用したリクルートエージェントはメール誤送信多くて困った)と知っていたので
書類で落ちるのは想定済みだが前回の経験から面接には自身があったので
若干精神的にショックを受け、転職エージェントに頼ることにした。
・DODA
全てIndeedで検索した結果、興味のある企業の求人を掲載していた会社で企業採用ページに該当の応募がなかったことも利用した理由の1つ。
でも実質利用したのは@Typeのみ。
DODA:サイトが見にくい(スクロール後画面遷移→戻る→ページ上部に戻される。回避のために別ウィンドウで開こうとするもうまくいかない。)
エージェントに前もって伝えた避けて欲しい求人条件を無視して大量の紹介を送りつけてくる
築きたいキャリア(半未経験)より、良い年収を獲得できそうな企業ばかり紹介してくる
パソナキャリア:遅い、催促するまで応募を企業側へ伝えていなかったと推測している(3社しか応募していなかったため?)
総じてメールがウザい、紹介求人が100社以上届いて見るのが大変(うまくフィルターになって欲しかったのに)、
最初エージェントは嬉々としてアポを取りたがるが、半分未経験の職種が希望としてると少し対応が変わる。
概算ではあるが書類通過率は5割程度だったように思う。売り手市場は伊達じゃない。
とはいえ、同時並行で企業採用ページから応募した場合の書類通過率は3割程度。
(これなんでだろう。確かに転職難易度が高い企業ばかりだったとはいえ、エージェントを使うと同程度の難易度の企業も通る。
企業サイドにとっては直接応募のほうが安く済むはずなのに、会ってもくれないなんて…。劣等感で死にそうだった。)
エージェントを使うと志望理由は一次面接で考えればいいのは楽だった。数撃ちゃ当たる戦略が出来るのは精神衛生の観点からもよい。
個人的に大事だと思ったのは(経験や資格はどうしようもないので言及しない)「企業にマッチしていると思わせること(志望理由と逆質問)」
HPを隅々まで読み、利用できるなら提供サービスを使い、ニュースリリースとIRは一読、キーワードでSNSやGoogleNews検索する。
企業が大事にしていることを理解し共感し(志望理由)、改善点や課題、可能ならソリューションまで考えて述べてみる(逆質問)。
人間は往々にして理性より感情を優先しがちな生き物だから、理論的に共感を示せれば落とす理由を粗探しされることはない…と思う。
自分が面接官をした経験もあるが、結局最後は一緒に仕事ができそうか互いに不幸にならないかというポイントが大きく作用していた。
それを除くと第一希望だった会社は4月後半一次面接、5月半ばに最終面接、そして無事内定。
四季報にポジティブなランキングにランクインしているような成長と安定を兼ね備えた企業だと思う。
志望度が高く、提示している年収がもらえるなら必ず入社すると伝えているので
途中の状態の数社(一次通過2社、書類通過5社)にチャレンジできないのは今となっては残念に思う。
(内定もらってない期間は、常に転職が頭から離れなくて、それはもう凄まじいストレスだった。
自己嫌悪や劣等感、不安感で、食欲は失せ遊びに行く機会が減った。)
面接は、自分が評価されていると同時に自分が企業を評価できるいい機会で
(実際、約束の面接時間から始まらなかったり、廊下ですれ違う人の会話、トイレを借りた際に聞こえてくる会話等々で企業が見える)
色々なオフィスを見ることができるのは、楽しいし価値があるように思う。
(先進的でデザインが優れたオフィスはわくわくするし、企業が何を大事にしているかオフィスから見えることもある。)
他社の偉い人と直接話せる機会は少ないし、いい経験だ。
業務中に、ちょっとしたことで声を荒げてしまったことが短期間に何度もあった。
周囲の目につくところでモロに、といったところなのでさすがに心苦しい。
自分の心の平静を取り戻し、周りからも普通の目で見られたいのだが。
このような状況で根本的に何が問題なのか、何をどう解決したいのかも分からない。
まとまりはないが、整理するために思っていることを書き出してみる。
・コミュ障。特に自分のことを相手に説明、報告、プレゼンするのが苦手。予行練習とかで誰もいないところで壁に向かって話しても、話の内容がだんだん訳分からなくなり言いよどむ。ここは決定的にダメなところだと思う。
・なので発言の粗をついて、言葉を遮って突っ込んでくるタイプの相手には、全く自分の考えを伝えられない。
・この手の上司に何度も言葉を遮られたため、ブチ切れて「お前は何も分かってないじゃないか」と叫んで帰ってしまった。翌日以降普通に接してはいる。
・36協定の職場で、年間残業750時間は守られている。睡眠時間も6時間以上は確保している。なので業務のことを言い訳に持ち出すのは甘いのかな、とは思っている。
・とはいえ業務量に作業時間が追いついていない。クオリティの低い仕上がりを自転車操業的に回している。
・退社後や休日に検討をしようと思っていても、結局家に帰ると別のことをしてしまう。当然業務が立ち行かなくなることが多い。そして自己嫌悪に陥る。
・業務に将来性はなく、自身の専門性も乏しい。だから潰しがきかない。そうした八方塞がり感はある。
・帰ったら食事をとって、寝るだけ。睡眠時間を極力最大化するのが精一杯。もう何年もこういった生活を続けて、趣味も自己研鑽もモチベーションは潰えた。
・ヒラの中では年長者なので、業務がうまく回らないときは管理職リーダーからも後輩からも、まず自分が矢面に立たされる。そういうプレッシャーを常に感じている。
・ギリギリのスケジュールで回しているときに、何度も念押したことを遂行しなかったり、突然スケジュールに割って入られたりで、さも平然に振る舞われた際、切れてしまって、突如と大声を出してしまった。
・特定の人とか状況ではなく、本当に何かツボにはまったとき、としか言いようがない。そういう冷静なコントロールが効かなくなってるのが怖いし、未熟だしやるせない。
・普段は穏やかだし、そういう面を見たことがない人にはやさしいと言われることもある。ただそれは意識してやっていることにすぎない。自分が苦しいとき、余裕がないときにはぞんざいな態度だし、あまつさえキレる始末だ。
・とはいえ生活全般で、イライラすることは多くなったと感じている。歳か。
・自分がいないと今の業務は全然回らないと思っているが、周囲の態度や評価を鑑みるに、自分がそう思い込んでいるだけなんだろうとも思う。そこも少し切ない。
なんか公式や声優さんたちの一挙一動に「頼むからあいつら刺激しないでくれよ…」って思っちゃって公式情報に喜べなかったりライブとかにのめり込めない自分がいるし、今日に至っては、円盤の新しいジャケに噛みついてる奴もいて、「字面をそのまま受け取るってことができねえのか!?!??」って思っちゃったよ…いや深読みするとそうなるんだろうけど…
粗探しして難癖つけてキーキーキレて嫌いになるぐらいなら、とっととやめたらこのジャンルって思う
私はだんだんふわーっと熱が離れる(ただしジャンルは好きなまま)タイプの人間なので、そう思うのかもしれないけど、そうできない人もいるから難しいところ…ただ、呪詛を見えるところで撒き散らさないでくれ 頼む
好きなまま、距離を置いてほしい
いいなとまた思ったら、戻ってきて一緒に楽しもう
好きなものを嫌いになっていって傷ついていく方がよっぽど辛いだろうし、見てるこっちも辛い お節介でごめんなさい
それはそれとして、運営は色々格差作っておいて、それを認識してない無神経なツイートとかするのは本当に反省しろよマジで
あの件も一向に声明出さねーし何考えてんの?なんで燃えてる火をそのまま眺めてるの?なんかしらの措置は取れよ それが結果的に油になってしまったとしても、まずは一歩動けや
あの曲もメロディラインは好きだけど歌詞はもう少しどうにかならなかったの?あの神を作詞に採用しておきながら、あんな歌詞にするようオーダーしたのか?それとも神があの歌詞を自ら書いたのか?疑うところがいっぱい出てきてほんと自己嫌悪に陥ってしまっている
とりあえず彼らの持ち歌がいっぱい増えるといいなと思っています!!!私の推し(あえてこう書かせてもらう)もいるからな!!!!贔屓すんなよマジで!!!!!アニメ作ってるところと曲作ってるところ、ゲーム作ってるところはきちんと連携してくれよな!!!!!市場調査もして!!!!とりあえずTwitterでエゴサしろ!!!!
母のことが嫌い。ずっと嫌い。
でも、親のこと大事にしないなんて人間としてどうなの、みたいな風潮があるから(あるよね……?)、嫌いって大声で言えない。
母は視野が狭くて頑固で人の話を一切聞かなくて、親である前に女の自分を優先する。
女である母をあまり見たくない。それがあまりに子どもすぎる意見だと、今はわかっているけど……
ちょうど思春期の頃、母は家にいなかった。もちろん、いたのは男の家。私が小学生の頃に父とは離婚していたので(父もまあまあのクズだった)、私は基本的に一人だった。
月初めに母が家にお金を置いていってくれたので、そのお金で食べ物を買って一人で食べていた。洗濯も掃除も自分でした。料理は気が向いたらするくらい。たまに保護者会の出欠をプリントで出すことがあったけど、母がいないので、できるだけ大人っぽい字で偽造していた。おかげでいろんな字を書き分けるのが得意になった。
母が当時いっしょにいた男もクズだった。そいつのことも大嫌いだった。母を奪った、というより、自分が性的な目でみられていることが気持ち悪くて、絶対に会いたくなかった。そういう意味では母が家にいなくてよかったのかもしれない(男がくっついてくるので。同居なんてしたら何されてたかわからん)。
酔っ払って「私も大変だったのよ」と泣きつかれたことがある。
私は「しらんがな」と思ってしまった。許しを請う言葉だったのだろうか?しらんがな。
よくいう「毒親」ではないと思う。だからこそ、むげにできない。嫌いといえない。母の日には花を贈らなくちゃならない。
年の離れた姉がいる。姉には「だめじゃない、お母さんのこと大切にしなくちゃ」といわれる(母からの連絡を無視したり平気で2年くらい会わなかったりするので)。そのたびにクラクラする……姉は、両親が離婚した頃はすでに高校卒業くらいで自立していたから、あまり私の心情は理解できないのかもしれない。
親孝行を強要されるのがつらい。正直言って、まったく大切にしたいと思えない。だからといって、憎んでいるわけでもなく、ただただ、興味がない。
なんでそんな人にお金かけなきゃいけないんだろう?って思ってしまって、「ああ、私って冷たくて最低な人間なんだな」と自己嫌悪に陥る。
最近、好きな人ができた。幸いなことにお付き合いをさせていただくことになった。
彼は本当の意味で育ちが良く、家族仲がすばらしく良い。私とあまりに対照的である。