一体どうやって生きていけば自分の自己肯定感が満たされるのかまったくわからないことに気がついた。もともと典型的に自己肯定感が低いタイプで、一時期はそれで鬱になった。自分に取り柄がないと常に感じているし、普通の人から見たら被害妄想に見えることばかり考えている。
だから漠然と、誰かに褒められたりしたら自分のこと好きになれるのかなあ、とか、そうじゃなくて自分で自分のこと好きになれるのが自己肯定感なのかなあ、とか思っていた。
ただ最近、じゃあ逆に何をすれば自分の自己肯定感は満たされるのだろうと思った時、まったく思い浮かばないことに気がついた。
何かしらの才能を認められた時? いやそもそも才能がないわ。
無条件に誰かに好かれた時? 一生来ないです。もし仮に万が一何かしらの奇跡が起こって街中で誰かに急に自分のことを好きと告白されても、絶対に怪しむし、その人がたとえ知り合いでもいやそんなことないだろと一蹴するに違いない。
何をしたら自分は自分を認められるのか、そのビジョンが見えないのに満たされることばかり考えてた。
満たし方のわからない、底が見えなければおそらく穴も開いてる漠然とした「自己肯定感」という容れ物に水を注いでる気分だ。それにそもそも、水を入れるのが合っているのかすらも分からない。
「なんかよく分かんないけどこれ一杯に水を入れれば満足できるかな……?」と思って一生懸命自分なりに水を注いでいるけれど、永遠に満たされない。どころか、水を入れるという動作自体も苦しくなってきている。
助けてほしい。
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