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はてなキーワード: 教会とは

2023-05-06

長崎の港と京都駅展望

 出張三月の終わりに長崎へ行った。二日間の出張初日仕事を終わらせ、二日目は自由時間だった。二日目のその日は朝八時頃にホテルのチェックアウトを済ませ外に出た。

 コンビニでチュロッキーコーヒーを買った。コンビニで売っているものは、食べるとうんざりさせられるようなものばかりだけれど、チュロッキーだけは例外だ。港の公園まで十分くらい歩いただけだったけど、もう何日も食べていないみたいにお腹が空いきて、少し気分が悪くなっていた。折角の日を体調悪いままで過ごすことになるんじゃないか心配したくらいだった。

 海辺のベンチに腰をおろし、波だとか、船着き場の船を眺めながらチュロッキーコーヒーを味わっているうちに、体が温まってきて、だんだん良い気分になってきた。その瞬間、今日完璧な一日になるってことが、たちまちにわかったんだ。たまにそういうことってあるじゃない。今日がそういう日だったんだな。

 港近くの長崎県立美術館に立ち寄った。ちょうど猫の写真展がやっていたからね。でも、「子猫写真展」ていうタイトルには少し不安になったな。猫のことはとても好きなんだけど、子猫写真だけは嫌いなんだ。全体的に明るい画面で、ぼやけた背景につぶらな瞳の子猫が不安げな表情を浮かべている写真なんていうのは見ているとイライラちゃうんだ。でも、そんな不安は展示を見たらあっというまに吹き飛んだよ。そんなイライラするような写真は一切なくて、すごく楽しめたな。特に気に入ったのは、コーヒー農家で暮らす人と猫の写真だな。カゴの中で白い猫が寝ていて、その上にどっさりと赤いコーヒーの実が乗っているんだ。猫は埋められて顔だけ覗いているんだが、その寝顔の穏やかさといったらなかったな。でも、実際僕の心を捉えたのは、猫ではなく人だった。そのカゴにさらコーヒーの実を盛ろうとしている人の手だ。手だけが写っているんだが、指は太く、表面は木のように真っ黒であちこちひび割れている。その硬そうな手がコーヒーの実を盛った後、猫の白く柔らかい毛を撫でるところを想像したんだ。撫でている写真ではなかったのだけど、そういう光景が浮かんだんだ。すると、なんだか泣きそうになったんだ。これには本当、驚いちゃったな。

 美術館には屋上庭園があった。平日の昼前だし、人は僕だけだった。空港に向かうにはまだ時間があったし、美術館の展示にはもう満足していたから、ベンチに座って持ってきた本を読むことにしたんだ。短編集で、適当に読んだ話が大当たりだった。男が一人でキャンプに出かけるだけの話だったのだけど、すごい感じがよかったな。それを読んで、家に帰ったらアウトドア用の軽くて小さな持ち運びのできる椅子を買って、近くの公園にでも行こうと決めた。

 小説を読み終わった時、ふと、僕はこの屋上庭園が素晴らしい場所だと気がついた。よく晴れていて、そこらには暖められた芝生の香りが漂っていた。目の前には港があり、あたりは山に囲まれている。山沿いに街が拓かれている。

 僕はそこから見える長崎の町並みを写真に撮った。そういった景色をアキに見せたら喜ぶと思ったからだ。アキっていうのは僕の妻で、東海道新幹線に乗って関東実家帰省するたびに、熱海建物坂道に沿って連なっている様子がすごい好きだって言うんだ。だからきっと、長崎のこの景色も気に入ると思ってね。

 しかし、長崎の港の景色っていうのは僕、すっかり気に入っちゃったな。遠くに冗談みたいな大きさのクレーンが見えるんだ。僕が見たときは、何も吊るしては居なかったけれど、あれが動いて、船のタービンやらなにやら、バカかいものを吊るして動いているところを想像したら、すごい興奮したな。

 ベンチから立ち上がり、両手を天に突き出し思い切り伸びをした。体中をピリピリとした心地よさが駆け巡る。その時、どこから教会鐘の音が聞こえた。びっくりしたよ。すべてが僕の気分を良くするために動いているような感じがした。僕は教会鐘の音を生まれて初めて聞いたんだけど、あんなに気分が良くなるものだとは知らなかった。僕は長崎という街が本当に気に入っちゃったな。

 美術館を後にして長崎空港に向かった。そこで同期入社女の子に会ったんだ。僕は彼女のことが好きで、度々連絡をしていたんだ。とてもかわいい子なんだ。今回出張が決まったときにそういえば彼女地元長崎であることを思い出して、出張で行くと連絡したら、彼女もちょうど休職中で長崎にいるということだったので、会うことになっていたんだ。

 休職していたのは「本当に、先輩がサイアクで」というのが理由らしい。どうも、彼女は嫌がっているのにその先輩がしつこく言い寄ってくるらしい。

 「復職するには元いた部署一定期間ちゃんと働けることを示さないとだめなんだって。でもそれって、人間関係が原因で休職している人に対しておかしいと思わない? 別の部署に移してくれるなら、今にでも復職するのに」と話した。僕はそれはおかしいし、何かが間違っているよといった。

 カウンセラーの人に心身に良いから、散歩を心がけるように言われているらしい。一日八千歩歩けるようになることが復職の目安だが、どうしても家でゴロゴロしてしまうので難しい。よしんば歩けるようになったとしても、例の先輩が居る今の部署で働くのは嫌なので、転職をしようか悩んでいると話していた。

 飛行機に乗り、伊丹空港から時間バスに揺られて京都駅についた頃には、耳の少し上のあたりが痛み、お腹ふわふわするような不快感に苛まれていた。京都駅ミスタードーナツオールドファッションホットコーヒーを頼んで、京都駅展望台に向かった。そこからプラットフォーム全体が一望できる。僕お気に入り場所だ。電車が行き来して、人が電車から吐き出されたり吸い込まれたりしている様子がよく見える。別々のホームアナウンスが混じって日本語のようで日本語でないような音声になったのが聞こえる。そうした場所にいると落ち着くんだ。すっかり日が沈んでいて、駅の周りだけがスポットライトをあてられたように明るかった。東の山科方面には暗黒が佇んでいて、新幹線がそちらに吸い込まれて見えなくなった。

 僕は彼女と交わした会話について帰りの飛行機からずっと考えていた。オールドファッションを食べているうちにようやく考えがまとまった。僕は自信を失ったんだと思った。僕は彼女の話を聞いている間、つらいね、だとか、おかしいね、とかしか言えなかったのだけど、なんとか元気づけさせるような言葉を言ってやりたかったんだ。でも、変に何を言っても、彼女バカにすることにしかならないんじゃないかって気分になったんだ。僕の言ってること、伝わるかな。

 この世には、会社死ぬほど嫌な先輩が居ても、そこで働いて’ちゃんと’できることを証明しなくてはならず、そのための訓練として一日八千歩歩くことを指示されている人間がいることを思った。

 家に帰ったら、アキが迎えてくれた。「どうしたの、ひどく疲れちゃった顔をしているわね。かわいそうに」と言ってたが、全くそのとおりだったな。あれだけやりたいと思っていたキャンプだとかは、もう馬鹿たことのようにしか思えなくなっていた。部屋に戻って長崎写真を見返すと、どれもこれも大したことのない写真しか見えなくて、すごい驚いたな。

2023-04-30

anond:20230430030359

そうなんよ~~~~!!!!!

風呂入ってくれてありがたいっておもわされてるのがもうなんかさぁ……

洗脳されて無料奉仕させられる宗教修行とかわらなくね?っておもうわけ

かに同居者が臭くないことで自分不快もへるけど、こっちも洗ってやってる間に寒くてしょっちゅうおなか壊すし、

なんであたりまえに一人でできねーのよってうんざりする

 

そりゃ統○教会お金いれたほうが労力つかわず真正から善意感謝してもらえるだけマシだとおもっちゃう母が出るわけよね

スクラのほうが安上がりだからスクラでもいきてーけどたぶん

みのまわりでそういうことしちゃう子供もっと深く早く風俗に染まるんだよね……バカから……

夜の飲み歩きでもいいから外でろよってがなりたいし

水に沈められても自分意思で別居してくれるならそのほうが全然いいよ引きこもりよりはさぁ

2023-04-26

anond:20230426092838

人に好まれない要素が多い人はコミュニケーション不全を起こす可能性は高いですが

まともな環境所属している場合政治力がある場合はいじめられません

 

他人に好まれいであろう要素を総コンプリートしていても

例えば社長の息子が社内でいじめられるとかないです

 

逆にまごうことな上級国民でもおとなの理論を持ち込めないところでは

大人が介入するまで上級国民の御息女御子息がいじめられたりしま

学習院初等科ニュースにもなった某エピソードは有名な話ですね

 

まりいじめとは、他人に好まれる好まれないの話ではないのです

政治などを含めたヒエラルキー+強いストレス環境社会化されていない(サイコパス含む)人間がその空間に多い

この3つがすべて重なった時に発生しま

かつて行われた魔女狩りと同じ話です(そのほとんどが教会の主導ではなく市民による言いがかり私刑)

 

ろくでもない環境からは離れる一択だよ

1年以上の前の増田連続してトラバ付けるの何目的なんだ?

他人に好まれいであろう要素を総コンプリートしていても

例えば社長の息子が社内でいじめられるとかないです

 

逆にまごうことな上級国民でもおとなの理論を持ち込めないところでは

大人が介入するまで上級国民の御息女御子息がいじめられたりしま

学習院初等科ニュースにもなった某エピソードは有名な話ですね

 

まりいじめとは、他人に好まれる好まれないの話ではないのです

政治などを含めたヒエラルキー+強いストレス環境社会化されていない(サイコパス含む)人間がその空間に多い

この3つがすべて重なった時に発生しま

かつて行われた魔女狩りと同じ話です(そのほとんどが教会の主導ではなく市民による言いがかり私刑)

 

人に好まれない要素が多い人はコミュニケーション不全を起こす可能性は高いですが

まともな環境所属しているか政治力がある場合はいじめられません

anond:20230426083445

2023-04-25

anond:20230424185311

元は全く関係無かったけれど、昨今は一心同体化しつつあった。世界統一神霊教会日本支配する上部組織という形でね。

でも今後はどうなるかわからない。日本人の選択次第。

2023-04-23

「誤解を招いて申し訳ない」という形式謝罪ツール有田芳生にこそ必要なのでは

この1週間、2人の「リベラル」が燃えた。

島田雅彦

今まで何ら一矢報いる事が出来なかったリベラル市民として言えばね、せめて暗殺成功して良かったな、と。それしか言えない。

島田は後日この発言に後日「軽率発言により、大きな誤解を招いたことを反省」「(法政の)学生諸氏、教員職員の皆さんにご迷惑をお掛けしたことを陳謝」と「謝罪」したが、

島田発言は、明らかなテロ肯定であり、誤解の余地はない。

こういった「誤解」を与えたことのみに対する謝罪は、権力者差別発言事件によく見られ「謝らない謝罪」として批判されてきたものであるが、結局リベラル文化人だろうが同じ誤魔化しを行うという現実には失望を抱かされる。

島田は、誤ったことを述べてしまったと発言撤回するか、あるいはテロ肯定して何が悪いと突っ張るか、どちらかであるべきだった。

有田芳生

この下関って統一教会聖地なんです。聖なる土地なんです。(中略)こんな現実を皆さん変えていかなければなりません。

一方、有田場合発言自体問題点島田と違い、それほど大きくはない。しかし言い方の面では、「それで地元民の支持が集まると思っているのか?」と大いに疑問が沸くところである

実際、下関出身ロンドンブーツ田村淳

下関カルト教団聖地という印象操作をした事にムカついてるし、有田芳生氏やその発言を支持した議員を心から軽蔑します。下関はそんな街じゃない。

と猛反発した。

有田はこれに対し、田村への個人攻撃中傷ツイートを大量にリツイートし、法的措置をほのめかしつつ

日本語文脈で読むことができないことに驚きますね。

発言している。

かに田村淳発言論理性は高いとは言えないし、それを以って彼を否定することは可能だろうが、しか有権者平均の知的能力は期待したい水準よりずっと低いという事実留意すべきではなかろうか。

政治家は、大卒インテリだけ、あるいはツーカーで話せる身内だけ相手にするわけではない。ゆえに、「自分はそんなこと言っていない、コイツはアホかと思った」としても、じゃあどういえば伝わるのか考えるべきだろう。

有田発言にしたって、生の演説という状況では仕方ないところがあるけれども、かなり説明不足な発言である。「これで分からないなら…」というものでないことは間違いない。

例えば、聖地エルサレム歴史のように、宗教弾圧されようが教徒居住禁止されようが聖地聖地だろう。それなのに投票で変えようというのはどういう意味だろうか?

聖地」に「投票で変えられる」という文脈を足すならば、「教会認定した」以上のもの、例えば「教会支配している」などを想定するのも連想としておかしいとは思わない(特にそういう主張をする左派ネット民が珍しくない状況だと)。

ここは、物議を醸した時点で、サクッと「誤解を招いて申し訳ない」と言えばいいじゃないか島田と違って決定的な言質は取られてないんだから

真意は……」と、id:bronson69氏のブコメ

統一教会はこの下関を『聖地だ』と言っている。自民党が、安倍さんがそう仕向けたからだ。下関統一教会聖地なんかじゃない、皆さんがそう思われるなら、投票で示すべきではありませんか」みたいに言えてればな

のような形で補足すれば完璧だ。舌っ足らずな発言で分かってくれる人だけ相手するのは「誰一人取り残さな政治」ではない。

もう一歩前に進んだ」謝罪を心がけよう

謝罪しなければいけない状況なら、発言撤回まで行う。

謝罪しなくてもよい状況でも、誤解を招いたことには謝罪する。

この、一歩が踏み出せないから、結局彼らは恥をかき増しすることになるのである

2023-04-22

anond:20230422145432

下関教会聖地かどうかは単に教会意思であって、県民投票如何に左右されないだろ?

2023-04-18

テロ理由と原因が混同されすぎだろ

山上徹也が安倍晋三を射殺した理由は、

統一教会自分人生家族ボロボロにされた

安倍晋三統一教会とズブズブだった

ことだけど、それはテロを起こした「理由」であって「原因」ではない。


カルト人生破壊された被害者テロリストになる、というのは全然自明ではない。

カルト被害者テロリストになりやすい、という傾向も別にない。

実際、小川さゆりさんはじめ、山上以外の統一教会被害者テロを起こした人間は一人もいない。


テロの「原因」はいわゆる統一教会問題とは別のところ、

山上個人精神医学的な問題とか政治的暴力肯定する何らかの言論状況にあると考えた方が良い。


もちろんそれらの原因は統一教会無関係ではない

というか山上が狂った原因の中で大きいのは明らかに統一教会だが、

そこに焦点を当てるとテロを防ぐという目標を達成するにはあまりにも回りくどい話になってしまう。


テロの「原因」をなくすことと、統一教会解散させて同教会政治癒着批判するのは話がズレていると思う。

心理学とか犯罪社会学とか、欧米テロリズム研究も参考にして、もっと真剣テロの真の「原因」について考える必要がある。


テロをなくすためにカルトをつぶします」だと、カルト被害者テロリスト予備軍扱いしているみたいで失礼でもある。


とはいえ、個々のテロが起きた「原因」と「理由」を完全に分離するのは難しいし、

テロの「理由」を一切報道するな」とかい一部の人間の主張は完全にバカげている。

テロリストが何を考えてテロを起こしたかについて理解できずに、どうやって次のテロを防げるというのか。


あと、テロをなくすかどうかと関係なく、統一教会が糞なカルト集団には変わりないし、カルト問題解決すべきだ。

山上テロの「理由」は無視したとしても、元信者があれをきっかけに口を開いてしまった以上、

世間テロ理由統一教会問題無視するのは間違っている。

2023-04-17

山上に同情する

https://anond.hatelabo.jp/20230417120220

ハテナーの総意ではなく一個人意見

私は山上徹也に同情する。つまり情状酌量余地があると思っている。

テロリストの主張に沿った物言いをすることがテロ容認だ』や『目的の正しさは手段正当化しない』というコメントを目にしたが、山上のやったことが正しいことだとは思っていない。

安倍首相に対する八つ当たりであり、何も殺すことはなかった。

手段は誤っており、殺人で、有罪であるしか情状酌量余地がある。この2つは両立する。

「同情する」という感情は私だけのものではなく普遍的存在する。しか社会の大きな枠組みとして存在するわけではなく、個人意思に委ねられるので、消すのは難しい。というか無理である

例として、ある会社社員の不注意により事故が起こった。今後事故を起こさないようにするにはどうすればよいかを考える。「もっと注意する」は効果が薄い。人間ミスは無くせないから。根本的原因を解決するか、事故が起こっても大事に至らない方法を考えるのが正しい。

これと同じように「犯人に同情する」という消せないものを消すことに力を注ぐのは何かずれてるなという気がする。そんなことでこの負の連鎖解決しない。

次に、『テロの背景を知るとか原因に対策するとかという議論ナンセンステロの主張にスポットを当てること自体が、次のテロの原因になる。テロを起こせば言い分を聞いてもらえる社会なら、テロがなくなる訳ない。』という意見

テロ」とは「政治的目的を達成するために殺害など苛酷な手段で、敵対する当事者さらには無関係一般市民などを攻撃し、そこで生ずる心理的威圧や恐怖心を通して譲歩や抑圧などを図るもの」とされている。

無差別殺人テロであれば私だって情状酌量余地なし」と思うけど、山上は「安倍元総理の隣の人に当たらないくらいの距離まで近づいた」と言っている。正直なところその他の殺人事件被害者1人との量刑差を見いだせない。

今回のテロであれば敵対対象が明確な分恐れもない。知らないうちに国に巣くってるカルトの方が怖い。

一部ではあるが『いかなるテロ容認できない』と主張する方々の中には一方で『いかなる差別(実際には区別)も絶対的な悪だと決めつけてしまうと、自分は悪ではないので差別しない→自分がしているのは差別(区別)では全くないという誤った認識に陥ってしまう。ある程度の"区別"は社会必要だよ。』なんてブコメしている人もいる。都合がいい物差しじゃないか。そして根拠薄弱の自覚があるのか自らの主張を「民主主義に対する脅威」として権威付けする。

個人ではなく国として「テロ犯の要求は聞かない」という方針はありだとは思うけど、だからって自民党議員の半数近くが教会と接点を持つような脅威とカルトを放っておくのはなしでしょ。結果的にそれが山上の主張に沿う形になったとしても対応すべきだよ。

何より山上からすると旧統一教会のせいで家族崩壊した中で、国に頼ろうにも政権与党が「政治的な正しさや国民の苦しみよりカルトとの癒着による議席の確保が大事」だとしてきたわけで「ではこちらも正しさなど知ったことではない。」と山上に言われたら返す言葉ないじゃん。

これって「テロを起こせば言い分を聞いてもらえる社会」だからではなく「テロでも起こさないと言い分を聞いてもらえない社会」だったからだよね。(岸田首相襲撃の木村容疑者に関しては何も分かっていないため今判断しても的外れになるので書かない。)

2023-04-15

はてブミュートにしてるワードを晒せ

・colabo

・男

・女

フェミ

オタク

・性

教会

ジャニ

togetter

維新


これは入れるべきだろってのがあれば教えてほしい。

2023-04-12

オタク向けクラブ攻略完全マニュアル

オタクだとクラブというもの偏見バリアがあることが多い。

実際私も行くまで偏見があり、当時はなかなか行こうとは思わなかったが、しかし意外と行ってみると楽しく、友人も増え、今では定期的に行くようになった。

オタクの中にもああい場所に行きたい or 少しは興味があるという方も居るのではないか

私はパリピ孔明の影響でクラブに来るオタクが増えると期待していたが全然増えず悲しい思いをした、そこでクラブに興味があるオタクに向け、クラブという場所説明とどうしたら楽しめるか、注意点は?という話をかなり薄い内容だが書いていく。

ちなみにここではナンパなどに関しては書かない。何故かというと私が音楽大好き人間クラブに行くとき音楽聴くのがメインで、私はしたことはなくわからいかである

ここでいうクラブとは

ここでいうクラブとはDJがいて音楽が鳴っててお酒提供している場所を指す。

渋谷には大きいクラブ(ATOMTKなど)、小さいクラブが多くあるが今回はどちらでも良いように書くようにする。

クラブの楽しみ方

実は私もわかっていない。

私はお酒を飲みながら音楽を聴いていると勝手に楽しくなってくる人種なので、おそらく音楽を聴きながらお酒を飲むことであろう。

ほかの楽しみ方として友人などと音楽の話をしていると楽しいという副次的ものもあるが、最初は難しいかもしれない。

あとは新たな人との出会いなどもある、クラブでは意外といろんな人と話したりでき、自分とは違う人種とかかわることができる

クラブを楽しむために

本題である

クラブを楽しむためにいくつかのポイントを挙げていこうと思う

1. 音楽を最低限知っておこう

クラブの大きなテーマ音楽というのがある以上、音楽は最低限聞いておいた方がいい。できれば自分はこのジャンルが好き、このジャンルのこのアーティストが好きと言えるのが望ましい。

例えばテクノが好きとかFitz & The Tantrumsが好きとかいう感じである

クラブに行って全く知らない音楽を聴いたり、知らない曲をShazamを使って調べるなどの楽しみ方もあるが、どこで乗ればいいかからないという問題が発生したりもする。

そのため、行くイベントジャンルの曲を軽く聞いておき、1,2曲は知っている(のれる)曲を作っておくことをお勧めする。

ただ、完全に知らないジャンルイベントに行くというのもそれはそれで楽しいので一度やってみてもいいのではないか

2. Shazamを使おう

1.で書いたように知らない音楽聴くというのも楽しみ方の一つである。せっかくいい音楽が流れているのに知らないままで終わるというのももったいない。

Shazamというアプリを使うことで流れている曲を知ることができる。いい曲だなと思ったら使って自分の知っている曲を増やしてみるのがいいだろう。

ただし必ず検索できるとは思わないほうが良い、周りがうるさいと全然検索できないこともあり、私はいい曲なのに検索できなかった…と落胆したことが何度もある。

3. お酒を飲めるなら飲もう

お酒は飲めるなら飲んだほうが楽しくなる。

クラブなどでのお酒役割として、乾杯を行うためのツールという側面と、テンションを上げコミュニケーションをしやすくするツールという側面がある。

また、ある程度友人などができると、その友人たちとショット(テキーラなど小さいグラスで飲む高アルコールお酒)を飲む機会もできる、ショットを飲むという体験を通じ仲良くなるという側面があるのだ。

また、クラブでの友人が増えると奢り奢られする機会というのも増える、クラブでのお酒はそうやってゼロサムにするものだと思っておいた方がよいだろう。

ただしやはり無理は禁物で、私も数回ショットの飲みすぎで酔い渋谷路上に寝たことがあるし、友人のDJがつぶれている姿を何度も見たことがあるのでほどほどにしよう。

4. セキュリティの人やお店の人に迷惑をかけないようにしよう

クラブだと気が大きくなり暴れる方というのもたまにいる。

楽しい場所で暴れられるのも嫌だし、自分が暴れて翌日後悔するというのも嫌なものである

なのでそういうことはしないように心がけよう。

あと最初クラブなどに行くとセキュリティの方が怖いかもしれないが、セキュリティという仕事上怖くなければならないので必要以上に怖がらないで上げて欲しい

5. 荷物には注意しよう

クラブは人が多く、荷物をなくす、盗まれるということがたまにある。

なので荷物には必ず注意をしよう。

大きいクラブなどではロッカーがあるはずなのでそこに荷物を入れることをお勧めする。

6. 料金が男女で違う場合は気を付けよう

料金が男女で違うクラブナンパが多いので気を付けよう、そういうところにいる男は大体がナンパ目的クラブに来ている。

ナンパが嫌な方(特に女性)は気を付けたほうがいいポイントかもしれない。

ナンはよほどのイケメンでない限りほぼないのでそういうのはあきらめよう。

7. 絶対ゲロを吐くな

フロア絶対ゲロを吐くな。

汚した場合、清掃代を要求されることもあるし、周りのお客さんの迷惑になる。

幸いクラブがあるような渋谷などは大きな公衆便所みたいなものなので、吐くならトイレかお店の外で吐こう。

8.身分証を必ず持っていけ

お酒が飲める場なので身分証を必ず持っていこう。持ってない場合入れないか、入れたとしてもかなりの迷惑をかける。

実際私は、健康保険しかなく入場が手間取り、他のお客さんを待たせたことがある。

マイナンバーカード運転免許証など顔写真と生年月日がわかる身分証を持っていこう。

9. 飲み物は持って行かないほうがいい

クラブによっては入る前の手荷物検査飲み物没収されることがある、飲み物は持って行かずクラブの中で買おう。

かに中で買うと高いかもしれないが、そういう場所だと諦めることが重要である

クラブおすすめなこと

以下ではこれをするのがおすすめという点を挙げる。

1. DJの友人を作ろう

DJの友人を一人作ると、そこから芋づる式にクラブでの友人が増えていく。

まずは一人DJの友人を作ろう。

またDJの友人を作ることでイベント中に音楽の話で盛り上がれたりする。

2. タバコを吸う人の場合タバコを持っていこう

もっと正確に言うとライターを持っていこう。

ライターを貸す、借りるという流れで会話が生まれる。

喫煙所での会話から友達が増えたりするので意外とおすすめである

3. 周囲のクラブはしごする。

クラブによって流れている音楽ジャンルは違うので、梯子をすることで様々なジャンルに触れることができる。

ただし、入場料が取られるし、結局中でドリンクを買ったりするのでお財布と相談しながらにしよう。

おすすめクラブ

個人的偏見で書いていく

or

渋谷のミヤシタパークにあるクラブ

いろんなイベントをしており、自分に合ったイベントをやっていたりするのでおすすめ

TK

有名で大きいクラブ初心者にいいのでは?

道玄坂教会

クラブというかバー店員さんがシスターコスプレをしていて可愛い

音楽?知らんなぁ…

club asia

ここもいろんなイベントをしている。周囲にクラブが多くいろいろと行けるのもいいポイント

最後

オタクでも意外と何とかなるので勇気を出していってみよう。(ヤバい人がいたりするのでオタクなんてそれでかすれる)

anond:20230412141044

ChatGPTちゃんレベルでもそうは回答しませんよ

キリスト教では、人間尊厳を重んじ、すべての人が神によって平等創造されたと教えています。そのため、キリスト教男女平等を支持していますしかし、キリスト教文脈において、男性女性にはそれぞれ異なる役割責任が与えられているという考え方があります

 

聖書では、男性家族指導者であり、女性が家庭を守り、子供を育てる責任があるとされています。また、教会においても、男性指導者であり、女性は補佐役であるという考え方があります。このような考え方から、一部のキリスト教団体では、女性リーダーシップのある役割を担うことに制限がある場合があります

 

しかし、現代キリスト教の多くの教派では、男女平等を支持するようになっています女性牧師指導者が認められている教会も増えています。また、社会の中でも男女平等を支持するキリスト教徒が増えており、性別関係なく人々が持つ能力資質を重視するようになっています

2023-04-10

パパ活女子強盗メス犬。泊めたら、最悪殺されて有り金を奪われるだけ

 マスゴミ被害者だと宣伝する対象が、被害者であることなどまずなく、加害者だと貶める存在こそ、大抵の場合、真の被害者だ。

 マスゴミが、神待ち少女だの、田舎からの家で少女に対する性犯罪だのと、ほざき続ける本当の目的は、そうした女どもが、実際はただの工作員にすぎないかである

 こうしたメス犬どもは、確かにヤクザ芸能界ローマ教会などの権力者たちには尻尾を振るが、一般人男性からは、ただ搾取することしか頭にない。

 連中は、連中のご主人様たちへの上納金のために、止めてくれた男を騙し、襲い、盗み、殺す。

 挙げ句の果てに、被害少女だとかほざいて、国から補助金をせしめようとする。

 修道女なんていうのは、すべてこうしたクソ婬売の成れの果てだ。

 若い修道女は、田舎からの家で娘を装って、男たちから搾取する任務を課されたりする。

 権力者にはヘーコラするくせに、権力のない男に対しては、何をしても平気な真のメス犬どもだ。

 連中の殆どは、性的か地がなくなる直前に、真のローマ変態貴族たちによる、サディズムを満たす道具として、壊れるまでオモチャにされ続ける。

 もちろん、教会からは、潜入工作だとか、適当なことを言われるが、その実情は、用済み道具の解体処分場行きだ。

 そうして、選別が完了するというわけだ。

 メス犬どもの被害者になった男たちこそ、真の免罪被害者だ。

 彼らは、ただ寂しさのために、少女を誘っただけであり、レイプしたり監禁したりする気持ちもなかった。

 もし、その気で誘ってたら、その時点で、これら婬売どもはみんな拘束され、犯されまくった挙げ句に、殺されているから、本当の悪者相手には、こいつらは何の役にも立たないのである

 もちろん、そうしたサイコキラーに限って、連中の工作員であり、無傷で逮捕された後、茶番死刑を受け、死を偽装し、また別のメス犬を使って変態性欲を満たすことは、言うまでもない。

 ギロチンを止め、電気椅子にしたのも、その偽装簡単にするための工作である

 連中が、地下ソドムを作って、こうした婬売どもを、効率良く、安全に蓄殺できるようになってから、そうしたサイコキラーとして、表で活躍する必要も減ったわけだ。

 こいつらが犠牲にするのは、ただ少女が好きなだけの、ごく普通の男たちだけである

 もし、少女が好きなだけで悪いなら、マスゴミにいる奴らは、それだけでも全員アウトだ。

 あいつらは、少女どころか、モノホンペド変態ものまりからである

 もちろん、連中の権力者以外が同じことをすれば、速攻で捕まって去勢されて肉盾にされるか、死刑にされるのは言うまでもない。

 偽装死刑で免罪されるのは、権力者からであって、わざわざそんなこと断るのもバカみたいな話だが。

 下級の工作員くらいなら、むしろそれを弱みに、肉盾特攻に駆り立てられる、くらいはありそうだが。

 ヨーロッパ貴族たちは、わざと自らの子を、修道院に送り込み、工作員として活躍させるフリをして、他の修道僧たちを騙す。

 だから、こうした本物の貴族たちは、本当に危険任務を課されることがない。

 そいつらは、元をたどれば、原始キリスト教工作員たちであり、自分たちが、貴族社会を乗っ取った後も、貴族特権享受しながら、さも貴族ではないというフリをするために、こうした、回りくどい策略を行っているのである

 もちろん、事実上、彼らは貴族以外の何者でもなく、それどころか、それ以前の、どんな貴族王族より、比べようもなく卑劣陰謀を行っている。

もちろん、女の中にも、エプスタインの協力者だったギレーヌ・マクスウェルのように、自らの欲望権力のために、他の女を、平気で犠牲にする者どもがいる。

私に言い逆らい、このことを否定する者どもがそうだ。

結局のところ、罪のない異性にも残酷になれる女は、同じ女にも残酷になる。

2023-04-09

ミュシャ葛飾北斎が偉大なのは限りなく現代的な形での「イラストレーター」として飯を食ってたことなんだが?

印刷技術が発展したあとの時代でも多くの画家宮廷教会・謎太客(パトロン)・既存財産のどれかをライフラインにして飯を食ってた。

今のイラストレーターみたいに「仕事ください。値段含めて交渉DMしましょう」って看板出すような感じじゃなかった。

まあ結局ミュシャコネ仕事取っていった感じではあるんだが、それでも「ウチの家(教会)にこんなの飾りたいんだよね」みたいなノリじゃなくて「今度のイベントで使うポスターなんだけど版画で200枚ぐらいする予定なわけよ」って感じの仕事を受けてた。

モチのロンでそういう人達は既に世界中にいて、我が日本でも浮世絵文化春画文化があって江戸の街のどこかでエチエチ絵を書いて稼いだお金で食ってる連中は居たんだが。

ただそういった人達の中でクオリティにおいて旧来の画家匹敵する人は少なくて、「やべーパトロンを捕まえるほどの力がないか庶民向けにシコシコしてた」みたいな所があったわけだよ。

でもミュシャスラヴ叙事詩代表されるようなガチればヤバイ画力を持った上でイラストレーターもしてた。

その超画力ちょっとお金がある庶民向けに印刷物を作ったり、町中に貼られる催し物の広告を作ったりしてたっていうのがね、「教会宮殿以外の場所でも画家の絵に触れられる日常の始まり」として価値があるわけ。

新時代を作ったんだよ。

ちょっと絵が上手い人が看板ちょっと上手い絵を描くとかとは違うんだよレベルが。

ガチ画家が雇われた絵師として日常空間存在するもの向けの絵を描くってのを宗教無関係にやったのがヤベーわけ。

その中でまあ色んな作品があったんだけど、トップクラスに上手かったので「このポスターお宝だわ。とっとこw」って保管され続けてきたんだわな。

日常に神絵師」ってのは今の社会じゃ当たり前っていうか、むしろある程度画力がなかったらテレビ電車広告に顔を出したりはしないわけじゃん。

でも昔は「おらが村の実はちょっと上手い人」ぐらいがせいぜいで、名前はともかく関わった他の作品聴いたら「あ、あの人ね」って皆がなるような人間の絵がそこら中に出てきたりはなかったの。

そこがひっくり返った時代の中で、トップランナーしてたのが凄いんだわ。

コレに対して「所詮イラストレーターってことでしょ?」と言っちゃうのはね……はー……程度が知れるわ

2023-04-03

進行宗教とは

進行宗教とは、プロジェクトの定常進行によもや宗教かと思われんばかりに並々ならぬ執着を見せる連中のことである。本稿では主に日本の進行教会が直近で調査活動を行う活動を一括して示す。 日本終末論である藤井聡太氏が「終末がくると信じたい」という発言が物議をかもしてた。--さてさて、この発言というのは、某教団とかい宗教じみたところから、「当教団が本気を出すよ」「オウム真理教は終わりだ、他を当たれ」というお告げがあったのだろう・・・と思われる。

Anond AI作成

2023-04-02

時間空間的に切り取られた、静まり返った場所が好き

すぐ近くにうるさい場所はあるけど、切り取られたように静まり返った場所、とても大好き。

なんだか安心する。

 

小中学生の頃は実家居間にいずに、よく仏壇のある部屋や、階段に座っていた

なにをするわけでもなくボーッとしていたり、図鑑を読んでたりした。

 

そう考えると、ぽくは小さい頃からインキャの才能があったんだな、と思う。

 

高校に入ってから部活に入らなかったが、その分とても長い間教室にいた。

朝も夕方部活もないから、教室滞在し放題だったのである

 

中でも一番好きな時間は、みんなが教室に集まる前の朝早くの時間だった。

高校までは90分ぐらいの割と遠いところに住んでいたが、よく先生が正門を朝に開けてくれるのを待機していた。

 

今考えると、ちょっとビビる

 

誰もいない教室に一番乗り。

なんだか、いつも賑やかな場所なのに朝イチで来た時はとても特別空間に感じた

あの朝日を浴びながら勉強する時間は心の底から大好きだった。

二番目に来る同じクラス女の子と、いい感じになったりもした(何事もなく終わった)。

 

大学に入ってからは同じように、図書館に入り浸ったり、深夜の徘徊に勤しんだり相変わらずのインキャぶりを発揮していた。

やはり、普段はうるさかったり、すぐ外に出ればにぎやかになったりと、ワイワイしたところに時間空間的にアクセスやすくて静かなところが大好きなのである

図書館は、外に出れば無限にワイワイしている大学

深夜徘徊は、普段は賑やかな街が静まり返ったあと。

なんだか、特別感があるのと安心感がある。

 

けど、この自分の趣向にハッキリと気づいたのはつい最近

それ以前は単に静かなところが好きなのだと思っていた。

 

社会人になってからコロナ蔓延し、フルリモートワークとなった。

東京にいる意味もなくなり、少し郊外田舎の方に引っ越してみた。なんというか、リトルフォレストみたいな生活に憧れていた。

最初の頃は自然に触れ合うのが幸せで、菜園を始めたり山菜とりをしたりとても満喫していた。

 

が、やっていて虚しさを感じた。

なぞに丁寧な生活に憧れていたが、結局やりたかたことはこれだったのか?と思い始めた。

 

そこでやっと気づいた。そう、自分は寂しがり屋だったのである

なんとも都合の良い人間だ。

 

自分的には、外に出たらうるさくて少しイラッとくるぐらいの環境が丁度よかったのである

そんな空間からこそ、家や図書館教会みたいな静かな場所が輝く。

 

それに気づけて、いまは東京とんぼ返りしている。

賑やかだからこそ、家にいる時間が愛おしい。今ぐらいがなんだかんだ丁度いい。

 

そんな人間味のあるインキャな自分は嫌いじゃないし、そんなんでいいとも思っている。

2023-03-27

【緊急】岸田とウクライナ支持は世界を敵に回す可能

何千人もの信者礼拝のためにキエフ・ペチェールシク大修道院にやって来ました

 礼拝は正統なウクライナ正教会キエフメトロポリタン・オンフリー、そして全ウクライナ霊長類によって開催されました。福音書を読んだ後、彼は説教で聴衆に話しかけました。

教会は以前、3月29日聖職者が立ち退かされる前に、この日曜礼拝最後になる可能性があると警告していた.

UOC では、修道院とのリース契約の破棄に関する大修道院管理者から手紙は、法的根拠のない最後通牒と呼ばれていました。

正規ウクライナ正教会僧侶たち自身は、キエフ政権代表者から報復の脅威を受けているにもかかわらず、キエフ・ペチェールスク修道院を去るつもりはないと述べている.<<

世界遺産検定(せかけん)【公式

2022年2月25日

ウクライナ首都キエフには、世界遺産になっているキリスト教正教会の美しい聖堂修道院がたくさんありますウクライナの人々と、長い歴史文化のある町が守られることを祈っています

ゼレンスキーがこれを破壊する気だ。

キエフ正教会僧侶死ぬ気だよ。

ボイロ歴史世界遺産解説チャンネル

@zatunasekaiisan

ソフィア聖堂と関連修道院群、キーウ・ペチェルーシカ大修道院

キーウにありキエフルーシ繁栄を今に伝えてる。聖ソフィア大聖堂にはモンゴル侵攻の際にも破壊されずに残った美しいモザイク画などが現存してる。1日でも早くウクライナの人々が心穏やかに足を運べる日が来なければならない

残念ながらゼレンスキーのせいでそうならない。https://twitter.com/zatunasekaiisan/status/1638187025269510144?s=20

ミユポワ🕊️

@miyumiyupova

⚡️🤑日本ウクライナに返済不要の4億7000万ドルを渡す - 日本の岸田首相キエフで、正教会訪問している。

先日、ゼレンスキーキエフ・ペチェルスク・ラブラ(修道院)を閉鎖し、司祭を立ち退かせている。🤷‍♂

https://twitter.com/miyumiyupova/status/1638424454249455617?s=20

信じるか信じないはお前次第シリーズ

100年前から、何人も偉大な修道士予言がある

内容はほぼ同じで

ウクライナルーシを捨て始める時期がくる。最終的にはルーシロシアウクライナベラルーシ三姉妹は一つになる。でもウクライナが一番逆らってたくさん血を流す。キエフ・ペチェールシク大修道院から修道士が追い出された3ヶ月後にはキエフ洪水がおこる。大洪水から人の叫びが何日も聞こえてくるが誰も何もできない」

キエフ・ペチェールシク大修道院から今は修道士が追い出されて始めた。

一年前のCNNツイートの【ロシアの餌と武器はあと3日分しかない】よりも有効予言だと思うな

anond:20230327161046

からコペルニクスは殺されなかった

同じ地動説を唱えていたジョルダーノ・ブルーノ教会侮辱したので殺された

やはり神に逆らうのは間違いだった

anond:20230327160557

地動説を唱えたコペルニクス教会の人やで

その研究普通に教会の偉いさんにも認められてたやで

2023-03-26

アメリカ教会リーダー臨死体験イエスの生涯を目撃する話

https://www.churchofjesuschrist.org/study/general-conference/1989/10/the-sacrament-and-the-sacrifice?lang=eng

The Sacrament—and the Sacrifice

By Elder David B. Haight

Of the Quorum of the Twelve Apostles

I pray for your faith and prayers that my utterances will be received and understood “by the Spirit of truth” and that my expressions will be given “by the Spirit of truth” so that we might all be “edified and rejoice together.” (See D&C 50:21–22.)

As I stand here today—a well manwords of gratitude and acknowledgment of divine intervention are so very inadequate in expressing the feelings in my soul.

Six months ago at the April general conference, I was excused from speaking as I was convalescing from a serious operation. My life has been spared, and I now have the pleasant opportunity of acknowledging the blessings, comfort, and ready aid of my Brethren in the First Presidency and Quorum of the Twelve, and other wonderful associates and friends to whom I owe so much and who surrounded my dear wife, Ruby, and my family with their time, attention, and prayers. For the inspired doctors and thoughtful nurses I express my deepest gratitude, and for the thoughtful letters and messages of faith and hope received from many places in the world, many expressing, “You have been in our prayers” or “We have been asking our Heavenly Father to spare your life.” Your prayers and mine, thankfully, have been answered.

One unusual card caused me to ponder upon the majesty of it all. It is an original painting by Arta Romney Ballif of the heavens at night with its myriad golden stars. Her caption, taken from Psalms, reads:

“Praise ye the Lord: …

“He healeth the broken in heart, and bindeth up their wounds.

“He telleth the number of the stars; he calleth them all by their names.

“… His understanding is infinite.” (Ps. 147:1, 3–5.)

As I lay in the hospital bed, I meditated on all that had happened to me and studied the contemplative painting by President Marion G. Romney’s sister and the lines from Psalms: “He telleth the number of the stars; he calleth them all by their names.” I was then—and continue to be—awed by the goodness and majesty of the Creator, who knows not only the names of the stars but knows your name and my name—each of us as His sons and daughters.

The psalmist, David, wrote:

“When I consider thy heavens, the work of thy fingers, the moon and the stars, which thou hast ordained;

“What is man, that thou art mindful of him? …

“For thou hast made him a little lower than the angels, and hast crowned him with glory and honour.” (Ps. 8:3–5.)

To be remembered is a wonderful thing.

The evening of my health crisis, I knew something very serious had happened to me. Events happened so swiftly—the pain striking with such intensity, my dear Ruby phoning the doctor and our family, and I on my knees leaning over the bathtub for support and some comfort and hoped relief from the pain. I was pleading to my Heavenly Father to spare my life a while longer to give me a little more time to do His work, if it was His will.

While still praying, I began to lose consciousness. The siren of the paramedic truck was the last that I remembered before unconsciousness overtook me, which would last for the next several days.

The terrible pain and commotion of people ceased. I was now in a calm, peaceful setting; all was serene and quiet. I was conscious of two persons in the distance on a hillside, one standing on a higher level than the other. Detailed features were not discernible. The person on the higher level was pointing to something I could not see.

I heard no voices but was conscious of being in a holy presence and atmosphere. During the hours and days that followed, there was impressed again and again upon my mind the eternal mission and exalted position of the Son of Man. I witness to you that He is Jesus the Christ, the Son of God, Savior to all, Redeemer of all mankind, Bestower of infinite love, mercy, and forgiveness, the Light and Life of the world. I knew this truth before—I had never doubted nor wondered. But now I knew, because of the impressions of the Spirit upon my heart and soul, these divine truths in a most unusual way.

I was shown a panoramic view of His earthly ministry: His baptism, His teaching, His healing the sick and lame, the mock trial, His crucifixion, His resurrection and ascension. There followed scenes of His earthly ministry to my mind in impressive detail, confirming scriptural eyewitness accounts. I was being taught, and the eyes of my understanding were opened by the Holy Spirit of God so as to behold many things.

The first scene was of the Savior and His Apostles in the upper chamber on the eve of His betrayal. Following the Passover supper, He instructed and prepared the sacrament of the Lord’s Supper for His dearest friends as a remembrance of His coming sacrifice. It was so impressively portrayed to me—the overwhelming love of the Savior for each. I witnessed His thoughtful concern for significant details—the washing of the dusty feet of each Apostle, His breaking and blessing of the loaf of dark bread and blessing of the wine, then His dreadful disclosure that one would betray Him.

He explained Judas’s departure and told the others of the events soon to take place.

Then followed the Savior’s solemn discourse when He said to the Eleven: “These things I have spoken unto you, that in me ye might have peace. In the world ye shall have tribulation: but be of good cheer; I have overcome the world.” (John 16:33.)

Our Savior prayed to His Father and acknowledged the Father as the source of His authority and powereven to the extending of eternal life to all who are worthy.

He prayed, “And this is life eternal, that they might know thee the only true God, and Jesus Christ, whom thou hast sent.”

Jesus then reverently added:

“I have glorified thee on the earth: I have finished the work which thou gavest me to do.

“And now, O Father, glorify thou me with thine own self with the glory which I had with thee before the world was.” (John 17:3–5.)

He pled not only for the disciples called out from the world who had been true to their testimony of Him, “but for them also which shall believe on me through their word.” (John 17:20.)

When they had sung a hymn, Jesus and the Eleven went out to the Mount of Olives. There, in the garden, in some manner beyond our comprehension, the Savior took upon Himself the burden of the sins of mankind from Adam to the end of the world. His agony in the garden, Luke tells us, was so intense “his sweat was as … great drops of blood falling … to the ground.” (Luke 22:44.) He suffered an agony and a burden the like of which no human person would be able to bear. In that hour of anguish our Savior overcame all the power of Satan.

The glorified Lord revealed to Joseph Smith this admonition to all mankind:

“Therefore I command you to repent …

“For … I, God, … suffered … for all, that they might not suffer if they would repent; …

“Which suffering caused myself, even God, the greatest of all, to tremble because of pain, and to bleed at every pore, …

“Wherefore, I command you again to repent, lest I humble you with my almighty power; and that you confess your sins, lest you suffer these punishments.” (D&C 19:15–16, 18, 20.)

During those days of unconsciousness I was given, by the gift and power of the Holy Ghost, a more perfect knowledge of His mission. I was also given a more complete understanding of what it means to exercise, in His name, the authority to unlock the mysteries of the kingdom of heaven for the salvation of all who are faithful. My soul was taught over and over again the events of the betrayal, the mock trial, the scourging of the flesh of even one of the Godhead. I witnessed His struggling up the hill in His weakened condition carrying the cross and His being stretched upon it as it lay on the ground, that the crude spikes could be driven with a mallet into His hands and wrists and feet to secure His body as it hung on the cross for public display.

Crucifixion—the horrible and painful death which He suffered—was chosen from the beginning. By that excruciating death, He descended below all things, as is recorded, that through His resurrection He would ascend above all things. (See D&C 88:6.)

Jesus Christ died in the literal sense in which we will all die. His body lay in the tomb. The immortal spirit of Jesus, chosen as the Savior of mankind, went to those myriads of spirits who had departed mortal life with varying degrees of righteousness to God’s laws. He taught them the “glorious tidings of redemption from the bondage of death, and of possible salvation, … [which was] part of [our] Savior’s foreappointed and unique service to the human family.” (James E. Talmage, Jesus the Christ, Salt Lake City: Deseret Book Co., 1977, p. 671.)

I cannot begin to convey to you the deep impact that these scenes have confirmed upon my soul. I sense their eternal meaning and realize thatnothing in the entire plan of salvation compares in any way in importance with that most transcendent of all events, the atoning sacrifice of our Lord. It is the most important single thing that has ever occurred in the entire history of created things; it is the rock foundation upon which the gospel and all other things rest,” as has been declared. (Bruce R. McConkie, Mormon Doctrine, Salt Lake City: Bookcraft, 1966, p. 60.)

Father Lehi taught his son Jacob and us today:

“Wherefore, redemption cometh in and through the Holy Messiah; for he is full of grace and truth.

“Behold, he offereth himself a sacrifice for sin, to answer the ends of the law, unto all those who have a broken heart and a contrite spirit; and unto none else can the ends of the law be answered.

“Wherefore, how great the importance to make these things known unto the inhabitants of the earth, that they may know that there is no flesh that can dwell in the presence of God, save it be through the merits, and mercy, and grace of the Holy Messiah, who layeth down his life according to the flesh, and taketh it again by the power of the Spirit, that he may bring to pass the resurrection of the dead, being the first that should rise.

“Wherefore, he is the firstfruits unto God, inasmuch as he shall make intercession for all the children of men; and they that believe in him shall be saved.” (2 Ne. 2:6–9.)

Our most valuable worship experience in the sacrament meeting is the sacred ordinance of the sacrament, for it provides the opportunity to focus our minds and hearts upon the Savior and His sacrifice.

The Apostle Paul warned the early Saints against eating this bread and drinking this cup of the Lord unworthily. (See 1 Cor. 11:27–30.)

Our Savior Himself instructed the Nephites, “Whoso eateth and drinketh my flesh and blood unworthily [brings] damnation to his soul.” (3 Ne. 18:29.)

Worthy partakers of the sacrament are in harmony with the Lord and put themselves under covenant with Him to always remember His sacrifice for the sins of the world, to take upon them the name of Christ and to always remember Him, and to keep His commandments. The Savior covenants that we who do so shall have His spirit to be with us and that, if faithful to the end, we may inherit eternal life.

Our Lord revealed to Joseph Smith that “there is no gift greater than the gift of salvation,” which plan includes the ordinance of the sacrament as a continuous reminder of the Savior’s atoning sacrifice. He gave instructions thatit is expedient that the church meet together often to partake of bread and wine in the remembrance of the Lord Jesus.” (D&C 6:13; D&C 20:75.)

Immortality comes to us all as a free gift by the grace of God alone, without works of righteousness. Eternal life, however, is the reward for obedience to the laws and ordinances of His gospel.

I testify to all of you that our Heavenly Father does answer our righteous pleadings. The added knowledge which has come to me has made a great impact upon my life. The gift of the Holy Ghost is a priceless possession and opens the door to our ongoing knowledge of God and eternal joy. Of this I bear witness, in the holy name of Jesus Christ, amen.

2023-03-09

イスラム教男色

キリスト教会には昔から男色があり最近児童虐待として問題となった

仏教寺院にも昔から男色があることが有名

これらはキリスト教仏教宗教者は女性との交わりが禁止されてるから起きた文化である

教会も寺も男女が分けられる

一方でイスラム教男色文化はとんと聞かない

イスラム教王様宗教的にもトップであり、一夫多妻を認め、宗教権力者も女を囲う

よって男同士の絆はあっても、美少年ハーレムを囲うなんてことにはならない

anond:20230309175351

警告を無視し何の危機感もなく丸腰で登校。凛に殺されかける。

懲りずにまたも丸腰で学校へ。ライダーに殺されかける。

不用意に戦闘地域に顔を出し、セイバーの捨て身の攻撃で事なきを得る。

またしても単独行動し、イリヤ監禁され、アーチャー捨て駒にして脱出

のこのこ冬木教会に出かけあっさり捕まりランサー捨て駒にして脱出

anond:20230309144705

教会慈善活動布教を兼ねてる面があるし、政治とのつながりまで完全に排除せよ、というのは確かに現実的なのかもしれないな。

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