はてなキーワード: ゆとり新入社員とは
「慣例が~」「老害が~」と批判して朝礼には出ない休日出勤はしないという所謂ゆとりが増えてきてる。
ウチの会社にも「飲み会は仕事ではないので参加する気はありません!」「その仕事は先輩がやったらどうですか?」という
絵に描いたようなゆとり新入社員達がいるんだが4月に入社して数ヶ月経った今、会社では孤立していて全く仕事ができていない。
そんなゆとりでも先輩や上司は熱心に仕事を教えようとしていたのだが根底にある無駄なプライドと自己主張のせいで
1人、2人と離れていき今では話しかけることもない。仕事を振っても「何故、私が?先輩がやったらどうですか?」
現状やこれからについて少しでも話せればと食事や飲みに誘っても「参加しません!」と突っぱねる。
今のゆとりは「出世しなくてもいいから安定してればいい」という風潮があるらしいが
こんな考えで誰がフォローしてくれるのだろうか?
何かの記事で「乾杯の飲み物はみんなそろえるべきという慣例は老害のせい」というものを見た。
確かにこれは慣例の1つだが相手がどう思うかということを思案することは仕事をするうえはもちろん
1人のせいでみんなが待つという状況を考えたら事をスムーズに運ぶためにも飲み物を統一するという考えは合理的。
こんな簡単なことにすら気づかず思いを巡らすこともなく、ただただ自己主張をしてるゆとりを眺めてると
自分で自分の立場を窮屈にしてるだけなのにかわいそうだなと感じて仕方がない。
もし立場が上なら自己主張も通るだろうけど右も左もわからない状態で牙を剥き出しにしても良いことはない。
だからゆとりは全員考えを改めろ!なんてことを言うつもりはない。
ただ、その自己主張のあとの自分の少し先の未来を客観的に考えてみてほしい。
それでいったい誰が得をするのかってこと。自己主張したいならすればいいんだけど
まるで成人式に歌舞伎の格好でオープンカーに乗って日の丸の旗を振ってる子供達のような滑稽さと
撫でようとするたびに本気で噛んでくる犬を合わせたような気持ちで見られてるってことを知ってほしい。
入社2ヶ月と数日の私が同期のゆとり新入社員に思うことを書きます。
普遍的な話とかゆとり世代の話とか同期に限った話とかが十把一絡げになっているのでその点ご注意ください。
良くも悪くも就活マニュアル本の延長線上的な振る舞いが散見される。
良く言えば、礼儀に関しては最低限の知識があり大きく間違うことはなく、模範的で平均的な社員である。
悪く言えば、かしこまらなくていい時でもマニュアル通りに振る舞い、先輩や上司とくだけた話をするのは苦手である。
その原因は、敬語に対する恐怖心や失礼なことを聞いてはいけないという思いだと思う。
例えば、おふざけを言った先輩社員に軽いつっこみやいじりをするということができないということがある。
敬語がフランクになってしまうことへの恐怖心と失礼にあたるのではという躊躇いがそうさせているのではないだろうか。
また、そういう場合に彼らは「あ、、ええ、、、そうですね」のような不自然な返答や困った表情でただ言葉をつまらせているケースが多い。
言葉を換えれば、リスクをとってまで挑戦しない傾向が強いのだ。
成功して得ることより失敗して失うことを避けたいと考えているといってもいい。
失敗して道を外れた人たちが再び元の道へ戻ってくることができないのが日本社会であり、厳しい現実だと教育者(両親・親戚や、テレビ・パソコン等の情報も含む)から日常的に刷り込まれてきたことが背景にあると感じている。
刷り込まれた情報の代表例として、雇用状況の悪化、平均年収の低下、節約生活ブーム、学歴差別、世代批判、SNSにおける個人への誹謗中傷、が考えられるが、こうした情報が日常生活を通じて身体に染み付いてしまったのである。物心つく前からケータイとともに成長してきたマセガキな自分達がこうした情報に右へ倣えで育ってしまうのは必然ではないだろうか。
(親御さんへ、インターネッツは怖いところです。なんて脅しぐらいでは子供は余裕でネットに浸りますよ。リテラシーを教えましょう。)
生まれ育った環境が悪かったんだ!もっと優しくしてよ!なんて微塵も思わない。
ゆとりというのはこういう傾向がある、と参考にしていただければいい。
あくまで参考であって、世代という言葉で定型化することはあまりに無謀であり乱暴な話なのだ。
決めつけて扱うのはやめてください。お願いします。
マニュアル本に頼っているうちは補助輪付きの乳母車のようなものだろう。
そんなものに乗ってる奴を誰が大人として扱うのか。
失礼な態度をとってしまったら2度目はしないよう心がけろ。
お前たちと同じゆとり世代として生きる私の歯がゆさを考えろ。
ふう、、、