はてなキーワード: 上方とは
普段、めったにお腹を壊すことなどないのに、今日は派手にやらかした。
昨晩からお腹のあたりが張って気持ち悪いなと思っていたら、水より水っぽい便が一気に出てきた。
こんなことは生まれて初めてだったのでしばらく便器に腰掛けて呆然としていた。
原因としては、昨日、3時間ほど登山して山頂で食べたキムチ鍋くらいしか思いつかない。
ザックに入れていた豚肉が駄目になっていたのか・・・。
ふと便器のほうに目をやると便座の裏までまっ茶色に汚れていた。
ケツ周りも結構悲惨なことになっている。ウォッシュレットの守備範囲外まで汚れちまっているじゃないか。
トイレットペーパーを幾重にも引き出し、なんとかキレイに整えたと思ったその時、
右手の壁、ちょうど肩の高さにあたる位置に、飛散したと思われる茶色い粒が付着していた。
え?
知らなかった。
http://anond.hatelabo.jp/20150921225006
専業主婦家庭は、言われているほど少なくはない https://konkathu-renai.net/?p=8604
つくづく、上方婚って楽だ。と言うとフェミニストの皆さんには意識が低すぎると叱られ、 http://anond.hatelabo.jp/20150331000424
女はやっぱり「専業主婦がいちばん」? http://courrier.jp/blog/?p=14707
仕事を辞めたいま、ケリーはいたってハッピー。彼女はこう言います。
「私たちの世代は、女性も働くものだと教わって育ったので、働かない女性は時代に逆行しているように扱われてしまう。でも、なぜ私たちは女性らしく生きてはいけないの? 女性らしさを保ちながら男性のように
生きるなんてことを、なぜしなければいけないの?」
独身女性、3人に1人が専業主婦希望 厚労省調査 http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2403Y_U3A920C1CR8000/
小林よしのりが昔言っていた。
現実主義なんて言葉を口に出す人間はその時点で現実が向上することをあきらめている敗北主義者であり、
現実主義をとなえながら世の中よくなるだとかこれが必要だなどと言ってたらそいつは間違いなく詐欺師である、と
私は昔右翼だったが今は逆に左翼寄りなため小林よしのりが嫌いだが、この言葉は間違いなく正しいと経験上思う。
まともな教育を受けてない人間は、何が良くて何が悪いかという判断すらつかないため
大人がこれが正しい、といった方向に簡単に誘導される、そんな恐ろしい世界で、
それを打ち砕くためには学がなくても通じる原始的な欲求に訴えかけるしか無い、というような話だった。
この教育をまともに受けておらず知識がないバカが増えると、バカは自分で判断する能力を持たないため
自分の頭で考えず周りの空気に流されてとんでもない方向に進んでしまう、という話は
ガッチャマンクラウズインサイトというアニメでも描かれている。
こういうアニメが出てきたということは、それだけネットにもバカなユーザの利用者数が増えてきて、
そのバカが国家による誘導に対してどれだけ無防備であるか、ということが可視化されるようになってきているということであろう。
実際そういうバカを食い物にしてのし上がろうとする国会議員やWebコンサルタントなどの姿が今日もはてなで目についた。
学のない人間はどれだけ裏切られても国家を信じて依存し右翼になるしか無いのが惨めである
ダマされるというよりも、右翼のいうことを信じるという選択肢しか持ち得ないからだ。
おかしいと思っても、それ以外に彼らに寄り添ってくれる考え方がないのだ。
学のない人間は、自分がいまいる世界の中で自分が上方に移動するというイメージが持てない。そのための知識がない。
だから自分にとってもっと良い世界があるということもわからなければ、
もっと良い方向に移動する方法もわからない。そもそもそういう希望を抱くことすら出来ない。
国そのものが上昇すればそのお零れで自分の生活が少し良くなるかも、という形でしか自分の生活が良くなるイメージを抱けない。
しかしアベノミクスは、全体の底上げという非効率的な手法は取らず、大企業優遇で株価を上げるという方策をとった。
別に私はこの方法が間違いだとは思わない。まず金融政策が最も即効性があり、かつ効率的である。
あてもない財源を計算にいれて実行できない財政政策ばかり唱えていた民主党よりはるかに意味がある仕事をした。私自身それなりに儲けさせてもらうことができた。
しかし学のない人間にはこういう話は理解できなかっただろうし対応も出来なかった。そして彼らには何のメリットもなかった。
ただただ金持ちがより金持ちになるようにしか見えなかったはずだ。国家を信じてももう意味が無い。
それでも、学の無い人間は国家のためにつくしていればいずれ国家が報いてくれると信じるしかない。そこにしか希望がないからだ。
そういう絶望の裏返しとしての狂信に踊らされれているのが現代の愛国者であり、右翼である。
上に書いたような事情で右翼をやっているやつらが現実主義なわけがない。ただの現実逃避である。
自分自身に対してはウジウジして希望も持てないくせに、愛国みたいなことを言って自分を慰めるようなやつのどこが現実主義者なのか。
タチが悪いことに学があって現実をよくわきまえているのに右翼を気取って、馬鹿を扇動して搾取することを目的とする最低最悪のクズも見てきた。
私はこういう右翼を山ほど見てきて嫌気が差したので右翼的な活動から身を引いた。
何が右翼は現実主義、だ。 左翼もたいがいお花畑だが右翼よりはマシだし、そんな右翼にならざるを得ない学のない人間を騙して儲けようとしている人間はただのクズだ。
9日、19日、29日の9のつく日はクッキー詰め放題イベントをやってるみたい。税込880円也。
今回で2回目。悔いの残る結果となったけど次回に活かすべく記録を残したい。
詰め放題用の小袋はビニールが伸びない仕様。詰め放題テクニックのビニールを伸ばしてから入れる方法は通用しない。
厚めのクッキーを立てて並べ土台を作る。これを2段分やる。
土台1段目は可能な限りきっちりとクッキーを並べる。厚いものを用いるのが好ましいようだ。
そして2段目は隙間を作りながら配置し、3段目以降のクッキーをその隙間へテレコに入れてバランスさせる必要があったらしい。
私はこの土台作成の部分でまずミスしていたようだ。2段目も隙間なく詰めたことによって、3段目の足場がなくなってしまった。
今回、3段目を隙間なく並べたところで更に上部への積み上げが難しくなりゲームオーバーとなった。
3段目以降は小袋という外壁/支点がなくなる。ここからは自分なりのバベルの塔を積み上げていくフリースタイル競技となる。
先述した隙間ありの2段目と交互になるよう差し込んだ3段目には、クッキーとクッキーの間に隙間ができる。
その隙間に4段目のクッキーを差し込み、今度は4段目のクッキーの間にできた隙間に5段目を作る……というのが練達者のやり方のようだ。
画像検索すると芸術的な積み方をした写真を見ることができる。参戦の際は是非参考にされたし。
他にも、2段目以降の場所に厚いクッキーで壁面というか底面を作り、袋をほぼ横倒しにして、そこから斜め上方に積み上げるという原理不明の戦法を採るお姉さまも現地で見かけた。すげえ積んでた。
とにかく、クッキーを上下段で交互に並べ、足場を固めていくというのがポイントのようだ。
元は量り売りクッキーなので、会計時に計量し、普通に買うと**円分と教えてもらえる。
レシートには書いてなかったので正確な金額は不明だが、私は1,700円台分だったと記憶している。
数字だけ見るとなかなか頑張ったやないの、と思っていただけるかもしれないが、他の戦士たちと比べると大変残念な結果である。
周りの人達大体2,000円以上は行ってた。しゅごい……
と言っても別に「夫の地位=アテクシの地位ザマス、結婚しただけでアテクシの地位大幅上昇したザマス」とか考えてる訳じゃない。
夫がいかに高収入だろうが社会的地位が高かろうが、私はただの低学歴の無職でしかないってのは百も承知だ。
じゃあ何が楽かと言うと、夫に嫉妬しなくて良いんだ。
夫の都合で人生左右され、あちこち引っ越しし回ったり仕事も辞めさせられたり孤立育児したり等々あろうと、
「だって性別とは全く関係なく、私の方が無能なんだから仕方ないじゃん」と心の底から思える。
何せ夫の大学の偏差値は私より10は軽く超えている。収入は私の独身時代の3倍以上だ。
これで夫が同じ大学の同級生だとか、同じ仕事をしていた同僚だとかだったら
人生で女ゆえの不利益を得る度に、絶対に「何故本来の能力は同じor自分の方が高いのに、男ってだけで常に夫が優先なんだ、良い目をみれるんだ」と思ってしまうと思う。
実際「夫に猛烈に嫉妬してしまう」と言う人をネットのどこかで見たけど、その気持ちはよく分かる。
私も昔は同級生や同僚の男に対してそう思っていた。
男であるというだけで楽々良い所に就職し、仕事でも自分より評価されチャンスも与えられ、給料も無条件に上がる男に対して理不尽な思いを抱えていた。
当時は割り切ったつもりで気にしていなかったけど、今考えれば全然割り切れていなかった。
(と言うと「てめえの能力を買いかぶり過ぎ、実際は男の方が能力高かったんだよwww」とか言われるんだろうけど、
自分だけではなく周りの他の女と男を客観的に比べても、明らかに男の方が能力が低かろうと評価されていた)
これで自分と同レベルの男と結婚してたら、職場では同僚男に嫉妬して、家に帰ったら夫に嫉妬する人生になる訳で。
しかも歳を取るほど男と女の差は広がるわけで。子供でも産んだら絶望的な差になる訳で。定年まで嫉妬し続ける職業人生。
或いは途中で仕事辞めさせられて、死ぬまで納得出来ず「こんな男の為に私は犠牲になったのだ」と恨み言を言う人生。嫌すぎる。
かと言って結婚しなければしないで同僚男に嫉妬し続ける人生な訳で、やっぱり不毛だ。
でも夫に対してはそんなの関係ない。私が男だろうと、比較対象ですらない事に変わりはない。
どちらかが仕事を辞めなければならないのなら、私が辞めるのが当たり前だ。給料3倍だもの。
女だから出来ないんじゃなくて、夫の同僚にも女性は何人もいる。私は彼女達の足元にも及ばないもの。無理無理。
それは単に私が夫より遥かに無能だからであって、女だからじゃない。
と言うとまた「三食昼寝付き」とか言うんだろうけど、そんなんじゃない。と言うか昼寝してる暇ねえよ。三食は自分で作らなきゃ食えねえよ。
女である事がデフォな世界、女だらけの世界、女だからと言って差別されるという事が無い世界、むしろ男の方がマイノリティな世界だから、楽なんだ。
(そもそも専業主婦そのものがある意味それ以外から差別されてる世界だろう、ってのは見ない事にして)
こんな事は他の女はもっと若いうちから考えてる事なんだろうなあ。
よく独身女が挙げる理想の結婚相手として「尊敬出来る男」ってのがあるよね。
「専業主婦になりたい」ってのも増えてるとか。
あれはこういう事なんだろうなあと、若くもなくなってからようやく気付けた。
フェミをかじった時期もあるので、政治的に正しくないのでは的な罪悪感を感じた事もあったけども、
もういい。私は開き直って実利を取る。
もう疲れた。
一日が経って冷静を取り戻したので改めてまとめてみます。
今まで議論されていたのは主に露出、ホワイトバランス、色かぶり、光源方向でした。
特に特定の色を取り囲む周辺における明暗や色調の差が与える影響が最も有力な説として語られていました。
白黒のチェック柄に落ちる円柱の影の塩と明るい部分の黒が同じ色であるとされる錯視画像なんかがそれです。
http://matome.naver.jp/odai/2133396306637431601
たしかにその観点で例のドレスを見てみると、背中と腰回りの本来黒であるとされるラインの密度の違いが顕著であることがわかります。
腰回りの太いラインを堺に、下半身にかけては黒とされるラインが高い密度で配置されているのに対し、背中から首にかけてはラインが一本のみ、さらに広範囲を覆う首周りの布には照明のハイライトが落ちていることで他のラインに比べ明るく感じられるようになっています。
この事から考えるに、下半身の青とされる部分はラインの要素によりより色が濃く感じられ、背中回りの青とされる部分は下半身に比べ明るく感じられるように錯覚するようになっていることがわかります。
つまりこのドレスは、下に注目すると暗く=青みが強く感じられ、上に注目すると明るく=青みが弱く感じられるという仕組みなっているのです。
こちらも腰のラインを堺に上下を見比べてみると、上半身は背中を含め上着からも高い光沢感が感じられるのに対し、下半身は光沢感よりも布のエンボス感が強く感じられます。
これも照明のなせる技では有りますが、ワンピース部分の本来青であるとされる布の横縞に注目しても、腰から上は陰影の差によってライン上に光沢が感じられるのに対し、下半身は全体的にラインが均一にあらわれています。
このことからも、下から注目した人にはタオル地のような色の自由度が比較的高い生地に見え、上から注目した人はサテンやシルクのような高級感を感じさせる色の選択肢が比較的少ない布を想像させるようになっているのです。
すでに話題の旬が過ぎ、さらに本物が出回っていることから検証は難しいですが、青黒に見えた人、白金に見えた人にそれぞれドレスの素材が何で出来ていると想像したかを確認してみれば傾向が色濃く現れるはずです。
こうした要素を組み合わせることで、主に左下方向からこの画像に注目した人はこのドレスを青黒と決定づけ、主に右上方向からこの画像を注目した人はこのドレスを白金と決定づけたといえるのではないでしょうか。
加えて肩口のシルエットを歪ませる光源は強い逆光を感じさせています。本来逆光であれば、光源を背にする方向はほかよりも暗いと感じる人が多いのではないでしょうか。
そうして一度そう見えてしまったものを別のものだと認識するには先入観を取り去る必要があります。
例えばこの画像に意識せず出会い、前回とは違う要素によって色と質感が決定づけられれば、それぞれ異なる色調として認識できるのではないかということです。
そうした検証を行うに最適だったのがデイリーポータルZにあげられた検証記事であり、下からこまめにスクロールさせることで脳に青黒だと先入観を植え付けて、なおかつ青黒の色調が強く、布の質感も本来のものに近い下側から表示させることで改めて脳を騙してみるというのが前回の増田の内容でした。
もしかすると青黒に見えている人も、画像の上1/4程度を表示させ、特に肩口の光沢感と逆光に感じられる照明部分に注目し続けることで白金に見えてくるようになるかもしれません。
http://swiked.tumblr.com/post/112166688660/bellasfault-swiked-katze-geht-meow
http://portal.nifty.com/kiji/150314192985_1.htm
http://anond.hatelabo.jp/20150323172942
これから試したい人は、デイリーポータルZの記事を開いて、読まずに一番下まで下げて、そこから青黒だと認識しつつ徐々に上にスクロールするといいかもしれません。
ただし、こうした色の理解もその人がもつ記憶から再形成されるものであって、例えば光沢感のある生地を目にする経験が少ない人は右上から注目しても青黒に見えたかもしれませんし、ドレスにタオル地を使うはずがないと思い込んでいる人なんかも下から注目しても白金に見えたかもしれません。
以上、今までなされてきた主に光による色調変化と錯視議論に加えて、生地の質感に対する経験則による誤解と、画像を視認するときの人間の視点の傾向も加えてみてはどうかと、ここで提唱したい所存でございます。
3月5日、昨年12月18日に上場したスマートフォンゲーム開発のgumi【3903】が業績予想の下方修正を発表した。新興企業としては珍しい、東証一部への直接上場からわずか3ヶ月足らずのことだ。翌日は260万株もの大量の売りが殺到し、終日値段が付かずに2081円のストップ安比例配分となった。公開価格=初値の3300円からの下落幅は1219円。発行済株式総数が2866万株なので、この日までに349億円もの時価総額が失われたことになる。果たしてこの巨額のマネーはどこへ消えたのだろうか。
その行方を解説する前に、本件に関連して盛り上がっている、ある人物の勘違いを正しておこう。
今回のgumiのようなIPO銘柄のことを、我々個人投資家は「上場ゴール」と呼んで揶揄する。本来企業にとってはスタートであるべき上場時の業績が天井となり、まるで上場して市場で株を売却することを最終目標として頑張ってきたかのような業績推移をしてしまう銘柄があまりにも多いことから、このような習慣が出来た。
その意味では、梅木氏も
VCの観点で「上場ゴール」と揶揄されるのは、明らかに上場後に成長が期待できなさそうな銘柄をVCのリターンのため(ファンド満期なども踏まえて)に上場させたのではないか?というケースといえよう。
ただ、それはあくまでもVCの立場からの話であるらしく、彼の考える一般的な定義では
となっているようなのだが、これは彼の勘違いだ。我々個人投資家も、上場ゴールに対する認識は等しい。上場した後の株価は市場が勝手に決めていることで、会社や経営者の与り知らぬところであり、会社の自助努力によってコントロールが出来るのは業績だけだからだ。
それでは、なぜ上場ゴールはいけないのかという話になるが、IPOやPO(公募増資)を行う際には企業はエクイティストーリーと言って、調達した資金を活用したその後の成長シナリオを投資家に提示している。各投資家にとって大事な資金を入れてもらう以上、これだけのリターンを出してお返しします、だから投資して下さいと言う筋書きが必要で、それがエクイティストーリーなのだ。
特に新興企業の場合、その後の高い成長性を謳うことで、いわゆるPERやPBRと言った株価指標で見て、安定した企業よりも高い評価をつけてもらっているので、上場後のエクイティストーリーの達成度合いはシビアに見られることになる。
そうした観点から言うと、今回のgumiのIPOに際して付けられた公開価格945億円という時価総額は非常に高い期待値が盛り込まれている価格設定だったと言える。同じ時価総額900億円台の企業を見てみると、IT系では電子決済のGMOペイメントゲートウェイや、Twitter、カカクコムなどに投資していたデジタルガレージがおり、他業種ではメガネのJINS、ドトールや洋麺屋五右衛門のドトール日レスホールディングス、化粧品のマンダム、ペンタブレットのワコム、中古車のガリバーインターナショナルなど、一般に知名度の高い中堅企業の顔ぶれが揃う。
そんな場所に乗り込んでいって、國光氏は以下のような発言を繰り返してきた。
本日、東証一部に上場しました。情報革命時代を代表する世界一のエンタテイメント企業になるべく、これからも挑戦し続けます! 20世紀ディズニー、21世紀gumi!w 頑張ります^^
他にも挙げればキリがないし、それぞれのどこがどうだったのかを言っていると日が暮れてしまうので割愛するが、要するに國光氏はこういうタイプの人だと言うことだ。
つまり、業績予想の達成は当然のこと、上方修正を繰り返して倍々ゲームの成長が求められるほどの時価総額をつけてIPOしてきた上、社長が大きな口を叩きまくっていたのに、このような下馬評通りの結果となったことが本件の問題を大きくしている要因の一つなのである。
例えば風俗店に行って、激安店でモンスターみたいな嬢が出てきたとしても、そういうところに行った自分が悪いよなとある程度納得することができるが、最高級のサービスを売り物にした高級店で普段の何倍もの料金を奮発して払ったのに、出てきたのがそこら辺を歩いているようなギャルでサービス精神の欠片も無いとなれば、ふざけるな!金返せ!となるわけで、「話が違う」の度合いの大きさがいかに重大であるかはおわかりいただけるだろう。
また、國光氏は1年前に自身のフェイスブックで以下のように発言している。
日本のIPOマーケットは異常。不健全すぎる。企業もVCも証券会社もIPOすることだけが目的になってしまっている。IPO後2年間は少なくとも売上くらいは右肩成長ができる確信が持てるビジネスモデルの熟成、組織力が出来てからでないとIPOすべきでない。
ギャンブルに明け暮れるデイトレイダーを増やす政策も大反対。短期売買で個人投資家が勝てるわけがない。基本は投資信託に任せるか、長期保有しかない。こういう状態を焼畑農業という。絶対に長続きしない。日本の成長の為には健全な資本市場の形成が必須!
とても長期保有するに耐えない、過去最大級の焼畑農業をやって健全な資本市場の形成を阻害した國光氏に対するペナルティとしては役員報酬の100%削減だけでは足りないのではないか。仮に資金の出処がグリーからの4000万円の借り入れだったとしても、売出で得た数億円の返還を要求されても仕方ないぐらいの特大ブーメランだと言える。
これによるとNEXT BIG THING出資分はグリーから借り入れてますね
同じように華麗な上場ゴールを果たした最近のIPOだと、ANAPと夢展望のアパレル2銘柄が代表格になるが、いずれも上場の規模が小さく、公開価格に対して投資家が高すぎる初値をつけてしまったことが問題であり、この場合はバカな高値で買った投資家の方が笑いの対象となることが多い。それに対してgumiの場合は、公開価格を上回ったのが上場初日だけと言うのが全てを説明している。
だから我々個人投資家は、こうした背景を勘案して、この「gumi」というIPOにおいて、上場後3ヶ月で下方修正を出すと言うのは言語道断であり、金融危機や大震災が起きるなどの事故でもない限り、いかなる論理を持ってしてもgumiや代表の國光氏を擁護することはできないと糾弾しているのである。
もう一つ、本件で私が許せないのは、上場後に買った全ての投資家が大きな損失を出しているこの銘柄で、莫大な利益を挙げた少数の人々が存在することである。
先述した通り、gumiは2014年12月18日にIPOし、その公開価格は3300円だった。ところが、上場に際して提出される目論見書を見てみると、IPOの3ヶ月前の9月24日にLINEが1362円で、半年前の6月と7月にはVCのWiL、ジャフコ、B Dashベンチャーズ、新生企業投資、三菱UFJキャピタル、DBJキャピタルらに加え、グリーとセガネットワークス、gunosyの前代表であった木村新司氏が1214円で増資に応じており、その総額は83.2億円にものぼる。余談ではあるが、木村氏はこの時点で住所がシンガポールになっている。
私は単なる個人投資家なので上場に関わる実務のことは全くわからないが、普通、上場準備や上場審査にはそれなりの期間が必要だと思われるため、半年前のタイミングはまだしも、LINEが増資に応じた3ヶ月前の時点ではほぼIPOすることが見えていたのではないかと言う疑念が残る。一般的にベンチャー投資はリスクが高く、投資回収も長くなると言われているが、仮にIPOという出口がほとんど確実に見えていたとしたら、これほど美味しい投資はない。勝つことを事前に知らされている馬の馬券を買うようなものだからだ。
それに加えて、IPO前とIPO時では3倍近くの価格差がついていた。時価総額が10億円の超小型株ならいざしらず、わずか数ヶ月という短期間の間に企業価値が340億円から945億円に急増する合理的な理由がこの世に存在するのだろうか。既存株主は上場に際して1036万株、総額342億円の売出を行っている。この大規模な「利食い売り」は、主幹事の野村證券によって全国の個人投資家に売り捌かれ、既存株主は莫大な利益を手に入れた。
梅木氏の言うように「VCにとっては上場は一つの大きなゴールであることは明白」と言うのは一面では正しく、再生案件ではない成長企業のIPOでこれだけ大規模な売出が行われるのは異例ではあっても異常とは言い切れない。
だが今回、業績後退の兆候が上場前から既にあったことが決算資料によって明らかになっている。gumiの上場承認が降りたのは昨年11月14日だが、gumiは4月決算なので、この時点で既に上半期(10月末)が終わっている。先日出された決算資料のグラフ(http://v4.eir-parts.net/v4Contents/View.aspx?template=ir_material_for_fiscal_ym&sid=14373&code=3903)を見れば一目瞭然だが、第一四半期(7月末)までは急激に売上高が伸びていたが、続く第二四半期(10月末)ではなんと売上高が減少に転じているのだ。
公開価格は上場承認を受けた後に決定されるので、その時期にあたる11月の後半には、会社も主幹事証券も第二四半期の数字を当然把握していたはずだ。従って、第一四半期までの飛ぶ鳥を落とすような売上高の伸びが更に続くことを前提とした業績予想、及び公開価格をつけることは出来なかったはずである。
更に言えば、今回下方修正をすることになった第三四半期は11月から1月なので、上場した12月18日にはその半分が経過しており、日々どころか1時間毎の売上の変動にも気を配らなければならないスマートフォンゲーム運営の会社であるならば、計画値の達成が困難であることは覚悟できていたに違いない。そうしたことを踏まえて上場前後の國光氏の発言を見ると、また違った見え方が出てくる。
こうした事実を無視して、時価総額ありきで直前の増資価格から3倍近くに引き上げての高値でのIPOを強行した野村證券の行為は問題視されて然るべきであるし、数百億円もの大金を一般投資家から合法的に搾取した金融大量殺人をやったのだから、担当者は当然クビにした上で、新規の引受の一定期間停止などの厳しい措置が取られるぐらいのことはして欲しいと個人的には思っている。逆に、公開時の価格が妥当であったとするならば、gumiはお世話になった方々を儲けさせるための「お友達ファイナンス」をやったと批判されても仕方ないのではないか。
このような極悪非道によって、大量の個人投資家の屍の上に黄金の宮殿を築いたVCの人々は、今どのような気持ちでいるのだろうか。あるいは我々個人投資家のことを、賢く儲けている自分たちの側に来れない資本市場の敗北者だと見做しているのかもしれない。ただ確実に言えることは、私達は決して梅木氏が考えているような無能な個人投資家ばかりではない。このようなことが行われた事実をきちんと理解しているし、記憶してもいる。真に日本のベンチャー業界を盛り上げたいと考えているなら、このような行為が長期的にどういう結果をもたらすかについて、もう少し想像力を働かせて欲しい。
それはさておき、私が今危惧しているのは、ベンチャーキャピタル業界の人々が新たに見つけてしまったかもしれない巨大な金鉱脈の存在である。それがアプリ市場だ。
gumiは上場前にも数度の巨額な資金調達をして度々話題をさらっていたが、その資金が何に使われたかと言えば、主に「テレビCM」である。それまで「テレビなんてオワコンだ、これからはネットだ」と言い続けてきたベンチャーの人々がテレビCMの価値を再認識したのは、恐らくガンホーのパズドラの記録的なヒットによるところが大きい。ガンホーは多額のテレビCM予算を、しかし効果的に投入することによってゲームアプリの市場を全国津々浦々に広げることに成功。その結果、パズドラは老若男女が遊ぶ国民的ゲームの地位を築き上げた。
またアプリ市場のもう一つの特性として、公式ストアでのランキングが非常に重要であることが挙げられる。毎日無数にリリースされるアプリの一つ一つを見ていくことなど不可能なので、多くの人はランキングを頼りに新たなアプリを探している。そのため、一度ランキングの上位に来るとしばらくはランキング効果によってダウンロードされて更にランキングが上がるという好循環が生まれやすい。
だから、一時的には大きな出費でも、ある時期にまとまった広告費を投下してランキング上位を手に入れてしまえばその後が戦いやすくなる、と言うロジックが経営戦略上有効になり、今となってはそれをしなければそもそもアプリの存在を認知してもらえず勝負にならないというところまで来ている。
ただ、いかに広告費を使ってダウンロード数を稼いでも、そのアプリそのものに魅力がなければいずれはユーザーが離れて行く。なので、大事なのは瞬間的なダウンロードの勢いや累計のユーザー数ではなく、どれだけ多くのユーザーが定着したかという指標になるはずだが、それが明らかになるまでには若干のタイムラグが有る。
腐ってもテレビなわけで、テレビCMを打ち続けている間はユーザーが結構な勢いで伸びていくため、広告費さえ出せれば一時的には会社が急成長しているイメージを作り出すことができる。もちろん、その器となるアプリを最低限作り出す開発力は問われるし、ゲームアプリであればきちんと課金させる運営力も必要になるが、集めたユーザーを長期に渡って定着させ、かつそうしたヒットタイトルを複数生み出していくことに比べれば遥かに容易い達成目標ではあるだろう。
穿った見方かもしれないが、今回のgumiの上場ゴールが、会社、投資家、主幹事が結託してこのタイムラグを悪用することで生み出されたものなのではないか、という疑念はどうしても残る。それを拭い去るには、この後の圧倒的な再成長という結果によって上書きしていくしか術はないだろう。
続き gumiという錬金術に群がった人々と、日本のスタートアップ業界の暗部【2】http://anond.hatelabo.jp/20150308224002
もう二十年以上前の話だから時効ということで許して貰えるだろうか。実は私は生首を運んだことがある。十七歳の時のことだ。
その日真夜中に『2001年宇宙の旅』を観た私は、感激のあまり外に飛び出し線路沿いの道を歩いていた。夜空に煙草を押し付けて穴を開けたような月が空に輝き、灰色の線路が鈍く輝いていた。
既に路線の運行は終わっていたので、私の足取りも勢い大胆になる。私はいつしか線路の真ん中を歩いていた。すると私は、線路沿いの側溝に黒いものが落ちていることに気がついた。
それはクラスメイトのヨーコの生首だった。ヨーコが線路に飛び込み自殺したという話は聞いていたが私は普段は列車を使わないし、ヨーコとも特に仲が良くなかったので自殺の話はそのまま忘れてしまっていたのだ。
初めて私はヨーコの生首を見た。切断面は粗く踏み潰されたようにぐちゃぐちゃになっており、辛うじて骨と分かる部分が肉色に染まりながら白く光っていた。生首に手を触れてそれを拾い上げる。手ににちゃにちゃと脂と血がついたのだがそれは構わなかった。
ヨーコは目を閉じていた。土で汚れていたが未だ生命力を誇示するかのようにストレートな髪が私の腕をくすぐった。頬は奇跡的に綺麗なままでその象牙のように白い肌を光らせていた。
閉じられた瞼に目をやったところ、生首も瞼を開けた。死んだ魚のように濁っていた。生首は口を開いた。
ミツバチ君じゃない。
こんばんは。ヨーコだよね。
呼び捨てにしないで、とヨーコは言った。そんなに仲が良かったわけでもないでしょう?
私は生首を私の首の高さに掲げた。面と向き合う形にしたかったからだ。結構人間の生首というものは重いんだな、と思ったことを思い出す。
ミツバチ君、こんな遅くまで何をしてるの?
さっき『2001年宇宙の旅』を観たんだ。最高だったよ。
私とヨーコの間には、改めて言うが何の付き合いもなかった。せいぜいフリッパーズ・ギターやモーマスのCDを貸し借りした程度の仲だった。
ねえ、それより私を運んでくれるかしら、とヨーコは言った。
どこへ?
沼まで。私が案内するわ。
その言葉に従って、私は生首を胸のところで抱きかかえて歩き始めた。
ヨーコはその角を右に、左にと指示していく。私はその通りに歩いた。私たちはどんどん線路から外れていく。家に無事に戻れるんだろうか、と心配になった。
やがて私たちは町の外れの森に辿り着いた。既に道は舗装されておらず、土が茶色く光っていた。
森の中に入ると、道の両側から立っているクヌギがその幹を誇示してどこまでも高く伸びていた。森は腐葉土特有の芳醇な匂いに満ち充ちていた。そしてその頂点にある四方八方に伸びた枝から生えた葉が頭上の月を丁寧に隠していた。僅かな月光を頼りに二人で歩いた。
ヨーコは言った。ねえ、ミツバチ君。
どうしたの?
さっきはごめんね。呼び捨てにしないでって。
こっちこそ呼び捨てにしてごめん。確かに僕らってそんなに仲良くなかったよね。
ミツバチ君のことは気に入っていたのよ。告白しようかって思ったこともあった。
そうなんだ。
今から思い出せば私はあの頃は恋愛に特に興味を持って居なかった。好きに音楽を聴いたり本を読んだり出来れば幸せだったのだ。だから異性の私に対するそうした反応に対しても私は極めて鈍かったのだろう。
今度は私から尋ねた。ヨーコさん。
何?
死ぬってどんな感じ?
ヨーコは少し目を閉じた。しばらく黙りこくったうちに、ごめんね、と言った。脳が痺れてうまく考えがまとまらないの。
分かるような気がするよ。
私たちはどんどん森の内奥へと入っていく。それはまるで陰部をどこまでも探るような淫靡な試みだった。森の中を彷徨う私たちの足取りに到達点などあるのだろうかと不安になる一方で、月をやがて覆い隠すクヌギの森の葉が濃くなってきたことに興奮を覚えた。
ヨーコは言った。生きていた頃のことが全部夢だったみたい。
途方もない夢だね、と私は言った。十七年間も続いたんだから。
そうよね。本当にね。
私たちはそのようにして森を小一時間ほど歩いて、ヨーコの言っていた沼に辿り着いた。表面が鰻のように黒くぬめっていて、おぼろげに月が反射していた。
中に沈めて、とヨーコは言った。
いいの?
いいわよ。私泳ぐのが好きだったから。
そこで私はヨーコの首を沼の中に漬けた。最初は浮かんでいた首はやがて水の中に沈んでいき、上方に漂う髪の毛が藻のように揺らいでいたがそれもまた沈んでいった。彼女が浮かべる細かな泡が後に残った。私は帰ることにした。
森の中は相変わらずどこかじめじめと湿り気を帯びており、土を踏む私の足は時々剥き出しになっている石に躓いて転びそうになった。途中で小動物らしきものが立てるかさかさとした物音が聞こえた。私は森の中をどこまでも歩いた。
死ぬってどんな感じなんだろう? そんなフレーズがヴィーナス・ペーターの歌にあったことを思い出した。「死ぬって何だろう?/解ってる、この漂う世界は/一時的な輝きに過ぎないんだ」……。
私は家に着き、窓から二階の自室に入り込んでそして眠った。クヌギの木の匂いと彼女の首の匂いは朝になっても残っていた。
今でもヨーコのことを思い出す。つい最近休暇が取れたので私はあの沼に行き、追悼の言葉を呟いて戻って来た。何故かは分からない。ただ、そうしなければいけない気がするから、そうして来た。それだけだ。
従前から妊娠出産という負担、リスクをなぜ女ばかりが負わなきゃならないのかと思っていた。
肉体的負担。
最後には激痛と闘いながらの出産(これに関しては無痛分娩もあるらしいが)
持病のための薬も飲めなくなり症状が悪化することによるストレス(精神病とかでなくアレルギー体質など)、
旦那は好きな物を食べ好きな酒を飲み生きているのに自分は節制しなくてはならない(無論飲み会を控える旦那さんもいるだろうけども、そういう時は仕事の一環の飲み会すらストレスにみえる)
とにかく自由に行動できる旦那と比較するストレスによる夫婦喧嘩の多発、
精神的負担の後段でも書いたが、とにかく男にはなんの負担もないのだ。
ちんこしこしこして、穴に液を流し込んで、嫁を家の中においておけば、卵を割って溶いてダシをいれてレンジでチンして茶碗蒸しを作るかのごとく、10ヶ月後には子供が出来上がる。
なんて気楽なんでしょう!
なぜ、世の中の女はそれでも子供を持とうとするのか?
それは結局女である自分より男である旦那のほうが立場が上だと認められているからだろう。
私は到底そんなことを認められないので産むことはないが、批判されることの多い上方婚は子供を持つためには必要なことなんではないかと感じる。
それは、充電に使用するケーブル類は上方向に伸びるように設計して欲しいということ。
具体的には、USB端子は上向きに付けてほしい。
理由は簡単。
机の上にスマホを置いて充電しようとする場合、電源は大体机の奥にあったりする。
机の奥から伸びてくるUSBケーブルを挿し込もうとする時、スマホ側の端子が下向きだと、ケーブルは本体をグルッと回り込ませなければならなくなる。
端子が横向きなのもあまりよろしくない。スマホから垂直にケーブルが伸びることになるので意外とスペースを食ってしまう。
しかし上向きであれば、ケーブルはまっすぐそのまま端子に接続できて無駄がない。
確かに、スマホ自体の向きを変えればいいという指摘は最もだと思う。しかし上下反転した状態では、ちょっとメールをチェックする、といった時にケーブルを気にしながらスマホ本体を回転させるかケーブルを外すかしなければならなくなって不格好だ。
今日車運転していたら、前の車が遅かったので、少しイライラしていた。
そしてら急にブレーキを掛けやがる。俺も急ブレーキを踏んだ。ABS付いてなかったら危なかったかもしれないぞ。
猫でも死んでるのかなと思ってみていたら、上方にNシステムが!
アホかー!Nシステムやんけ!オービスとNシステムの見分けもつかんのか!
それとも綺麗に取って欲しくてポーズとってたのか!
しかも、次またもう一台あったが、それも急ブレーキ。確信犯だな。アホ過ぎる…
仮にオービスだったとして、制限速度は50km、走行速度は56,7km/hと言ったところだ。
7km/hオーバーで捕まるかー!もう一回アホだ!
仮にオービスでスピード30km/h以上でも出してれば、もうすでに光ってる。
今まで2,3回見たこういうアホ。後ろ走ってると、なんもないところでいきなり急ブレーキかけられて焦るんだ。
http://anond.hatelabo.jp/20140818003513
上方婚、marrying up, シンデレラコンプレックスとか、まぁ結婚をクラスチェンジの機会とみる女性が多いわけです
この辺の統計は政府も調査してるし、社会学、心理学でも研究対象になりえるんで調べればでてきます。
という訳で男性側の作戦はシンプルで、単純に年収が低い女性にターゲットを絞った方がよいです。ギャップは大きい方が良いです。
年収が高い女性、実家が裕福な女性は、付き合ってからも大変で(そもそも付き合うまでも大変だが)結婚まで踏みきれませんでした。
生活道路における歩行者・自転車の死傷事故率は、幹線道路の約5倍。
日本 交通事故 歩行者 - Google 検索 http://www.google.co.jp/search?q=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%80%80%E4%BA%A4%E9%80%9A%E4%BA%8B%E6%95%85%E3%80%80%E6%AD%A9%E8%A1%8C%E8%80%85
http://archism.org/works/02-27-lunch-26-news.htm
埼玉県川口市の市道で9月、保育園児の列に車が突っ込み21人が死傷
した、あの痛ましい事故は記憶に新しい。事故現場の道路の幅員は約6メー
トルであった。広い幹線道路から一つ内に入った日常の散歩道での事故。
1年前の2005(平成17)年11月17日、警察庁は国土交通省と連携して作
成した「生活道路事故抑止対策マニュアル」を都道府県警察に通知した。
2004(平成16)年度中の交通事故発生件数が過去最高を記録し、なかでも
住宅地などの日常利用する生活道路での事故の増加が著しいという。
このマニュアルでは、幅員5.5メートル未満の道路における交通事故、なら
びに、市町村道における死傷事故率の増加が指摘され、早急の事故抑止
対策を呼びかけている。
川口市の事故現場の道路幅員は約6メートル。「平成18年警察白書」の
統計資料によると、道路幅員別の死亡事故件数がでており、2005(平成17)
年の件数全体の56.3%を幅員5.5~9.0メートルの道路が占めている。狭いな
がらも車の速度が出やすくなる道だ。ちなみに5.5メートル未満の道路は
14.5%を占める。警察庁の統計でも死亡事故発生率の高さが明確に示され
ている。
既存の生活道路の幅を広げ歩道をつけたり、車道部との分離を明快にす
るための整備には限界がある、当面は歩行者と車の混在を前提に、事故
という観点である。市町村道における死傷事故率の増加、いったいどう対
処したらよいのだろう。
道路統計年報(2006年版)の道路種別整備状況の表を見ると、市町村道
路の長さは、道路全体の長さの84.5パーセントを占めている。道路全体とは
一般国道・都道府県道・市町村道の合計である。われわれの周りの道路の
多くは市町村道で占められているのだ。事故対策は、行政まかせでも警察
まかせでも、もう手がまわらないのではないか。
しかし何か方法があるはずだ。子どもたちの犠牲を、多数の園児の犠牲を、
そのままで終わらせたくない。
『道はだれのもの?』
『みんなのものだよ』
Transportation Alternatives(New York City)
レポート表紙より
交通事故多発で
17日朝、タレントの風見しんご(44)さんの長女(当時10)が交通事故で亡くな
った。なぜこのように、交通事故で大切な人が命を落としてしまうのか。風見
さんの悲痛な叫びとともに、交通事故発生の異常な実態を深刻に受けとめ
てほしい。
4日、警視庁のホームページに掲載された 「平成18年中の交通事故死者
数について」 は、交通事故発生から24時間以内に亡くなった人の数を
6352人と発表した。この数字には24時間を越えて亡くなったケースは入らな
い。医療技術が発達した現在、24時間を越えて必死に命をつないでいる人
も一方で増えている。その数がここから漏れていることを忘れないでほしい。
全体の死傷者数は100万人を超えている。
また交通事故発生後30日以内に亡くなった人の状況について、警察庁の
「平成17年中の30日以内交通事故死者の状況」 は、事故時の状態を分析
死者数の構成比を国際比較している。
日本では、歩行中が30.8%、乗用車乗車中25.1%、自転車乗用中
13.9%。歩行者のほうが乗用車乗車の人を上回っている。
欧米諸国は、歩行中が8~20%台、乗用車乗車中が44~60%台、歩行者
より乗用車乗車の人のほうが圧倒的に多い。
交通事故はどうしようもない、車は便利だから仕方がない。交通事故によ
る死傷者、とくに歩行中の犠牲者に対し、社会はあまりにも無関心である。
しかし、交通事故死は、一切予告なく突然巻き込まれ、尊い家族を奪われ
た人の嘆き苦しみは行き場がない。交通事故死全体の数字よりも、歩行者
の死亡率の高い実態と、今の道路構造上の問題を具体的に取り上げ、歩
行者のリスクを下げる方向へ政策転換をしてほしい。(以下省略)
冒頭の川口市、市道での園児死傷事故を受け、あまりにも悲惨であり、被害
者への警察などの対応が理不尽であったために、現在の川口市長が速度
規制へ動き出した。
管理者が市であるからといって道路行政は埼玉県警や県の公安委員会が
担っていることもあり、簡単に動くものではない。しかし、昨年から年明けに
かけて、事態は急速に動いた。被害にあった保育園の周囲の市道が時速
30キロに規制されることが、県の公安委員会とともに決まった。
速度指定がない場所で事故にあった場合と、30キロ規制の道で事故にあっ
30キロにしても誰も規則を守らないという多くの声がある。しかし、規制があ
ると無いとでは加害者に対する、社会的処罰が異なる。だからこれは最低
今の法律の下では、とにかく被害者は悲惨である。ことに交通事故において
は、言葉は悪いが「死に損」と言われている。
今の法律、道路交通法や刑法は被害者を救うものではない。法整備を
進めるためにも、規制を増やし厳罰の項目をつくっていくこと、そのために
市民が声をあげ、市や県、国にお願いすることが大切ではないかと思う。
まずは身の周りの道路をよく見てほしい。情報を集め実態を知ってほしい。
子どもたちがもっと外で自由に遊べるようにと、多くの人が願っている。
そのための条件は、歩行者が守られる道である。車優先の道と、人を優先
させる道を分けて、はっきりさせたい。また、悪質な犯罪者が、車を使い
住宅地へ簡単に流入している現実も見逃せない。車による犯罪者が増えて
いるのだ。
記事より抜粋】
異例の市内全域 川口市 【共同】
昨年九月、保育園児ら二十一人が死傷する交通事故があった川口市は
二十七日までに、事故再発防止のため、市内全域の住宅地や裏通りなど
の「生活道路」で最高時速三十キロの規制を設ける方向で検討を始めた。
自治体全域での速度制限は異例で、実現するかどうかは不透明だ。
規制速度は、都道府県公安委員会が個々の道路について法定速度(一
般道はミニバイクを除き時速六十キロ)内で定める。生活道路の多くはスピ
ードを出しにくいなどの理由で規制が見送られてきた。岡村幸四郎市長は
「悪質ドライバーは狭い道でもスピードを出す。悲惨な事故を経験した自治
体として抜本的対策を打ち出したい」と訴える。
県公安委は昨年末、事故現場周辺の約八十五ヘクタールについて原則
三十キロの速度規制を実施することを決定。川口市は、市全域の規制につ
いて「県公安委と協議していきたい」としている。しかし「全域に新たな規制
標識を設けなければならず、予算面から考えても難しいのでは」(県警交通
規制課)という声も。
岡村市長は、市が主体的に速度規制を決める新たな制度を国に提案す
ることも検討。「例えば構造改革特区制度を適用できないか」と実現に意欲
を見せる。しかし構造改革特区は規制緩和が目的で、速度規制は「制度趣
事故で長女の悠月ちゃん=当時(5つ)=を亡くした福地禎明さん(37)は
「娘のような犠牲者が二度と出ないよう、交通規制行政をぜひ見直してほし
い」と話している。
川口の園児死傷事故 昨年9月25日、川口市戸塚東の市道で、近くの
公園に向かう保育園児らの列にライトバンが突っ込み、3―5歳の女児4人が
死亡、保育士を含む17人が重軽傷を負った。運転していた男は助手席の
カセットプレーヤーを操作しながら時速50―55キロで走行していたとされ、
業務上過失致死傷罪で起訴された。遺族は危険運転致死傷罪の適用を求
めたが、さいたま地検は法定速度以下だったことなどから適用を見送った。
*法定速度が高すぎることが原因のひとつ。