はてなキーワード: ゾロゾロとは
ジョジョ5部の上映を見に行ったのだが、運営がクソだったので記録しておく。
◯ 11/9(土)
× 11/9(日)
しかも告知解禁と同時に約1週間前にチケット販売開始は結構ヤバいのではないか?
ちなみにこのポスト以後、修正(「正しくはこちらです」的な案内)はない。
チケットには18:45開演の表記があったが、実際は19:00開演だった。
いつまで経ってもチケットページの登壇者情報が更新されないと思っていた。(Xのポストでは告知されていたらしい。また公式サイトのNEWSは登壇者部分に誤字、さらに続きには「ニンジャバットマン」と書いてある。誰もチェックしていないようだ。)
18:45になっても何の説明もなく、18:50ごろに一度だけスタッフが「10分押しで入場する」とアナウンスした。
待機中の説明はそれだけであり、ほかのスタッフは客のことを完全に無視。スタッフ同士で喋っているだけで、客のケアは一切なかったので、待機列ではストレスを感じている人が多かった。(UDXシアターはガラス張りのため、ロビーの様子は待機列から見える。)
登壇者である岩浪氏が待機列の横を通り、「入場遅れてごめんね〜」と声をかけていたが、スタッフからはアナウンス時のみで他は何も言われなかった。
19:00過ぎにゾロゾロと客が出てきたことで、前の上映が押していたことが判明。
前の上映は「Gのレコンギスタ」であり、上映前トークショーだった。つまり映像の上映が始まった時点で、何分押すかは想定できているはずなので、客に対しては単純な案内不足である。
入場開始のアナウンスは特になく、前方が動いたのでついていく形だった。(前の方は聞こえていたかもしれない。)
入場口のスタッフがもぎりに手間取っており、スムーズに入れなかった。
シアター内は先にマスコミが入っていたが、一番前の階段にスーツの女が座っており、通行の妨げになっていた。
19:15ごろ開演。
「ジョジョの奇妙な冒険 黄金の風」とは読み上げず、上映話数タイトルから始まった。
なお「38話:ゴールド・E・レクイエム」のEを「イー」と読んでいた。
登壇者のプロフィール紹介も日本語があやしかった。「しています」「されています」が混在しており、違和感があった。台本がまともではない様子が伺い知れる。
台本なしで、岩浪氏に丸投げされていたと思われる。
トーク内容から、おそらく上映作品の枠が埋まらず、岩浪氏担当作品から何か上映することになり、かつ菅野氏が劇伴を担当した作品ということで「ジョジョ」が選ばれたようだ。
岩浪氏がX上で上映してほしい話数のアンケートを取ったのが10/23であるので、映画祭約2週間前の時点でまだ上映作品が決まっていなかったということになる。(仮に5部の上映が決まっていたとしても、上映素材は10/25のアンケート締め切りから準備したことになる。)
登壇者が「朝から出ずっぱりで疲れている」と言っていて、そのようなスケジュールを組んでいることが大変残念な気持ちになった。
上映前に予告がついていた。(映画祭に来るのは初めてなのだが、これは普通なのだろうか?タイトルを忘れたがフルCG制作っぽい女性キャラが出てくるアニメ映画と、サンドウィッチマンがやっている求人の広告だった。スポンサー?)
秋葉原国際映画祭の数秒の動画もあったが、これがフィルムのリマスターのような映像・音声だったので、「何年も使用しているのか」と思っていたら、どうやら今回が第1回のようで大変驚いた。
まともな映画館であればもう少し音響は良かったはずなので、今後立川などに期待したい。
退出しようとしたら、のんびり司会の人が歩いて出てきた。
せっかくの余韻をぶち消す司会だったので、ない方が良かった。
シアター内のスタッフの誘導がなく、結局もう退出していいのか迷った客が多かった。ポスターも退出し始めてから2枚(映画祭ポスター、作品ポスター)を並べており、おかげでロビーも混雑した。
「開催することに意義がある」、「客のことはどうでもいい」という印象が強い。待機中に一番ストレスが溜まった。開場予定時間になぜ開場しないのか、本当にわからなかった。まさかチケットが間違っているなんて思うまい。20:45終演予定を信じて新幹線など移動のチケットを持っていたら、気が気でなかっただろう。
スタッフはガラスの向こうでずっと喋っており、関係者と思われる人達だけたくさん出入りしていて、客のことは完全放置だった。私たちは客ではなく舞台装置であり、スーツを着た彼らにとっては、登壇者・作品関係者が「客」である映画祭だと思った。正直かなり印象が悪い。
「作品の音にスポットを当てた」トークを期待したが、台本もなく既出の話しがほとんどであったことも残念だった。作品タイトルを紹介しない台本を用意し、さらに話数タイトルを読み間違え、客だけでなく作品のことも馬鹿にしているように受け取れたし、告知の間違いもかなり多く、登壇者が疲れ果てるようなスケジュールを組んでいて、まともな運営でないということはハッキリした。
2週間前で上映作品が確定していないことで、この映画祭の力の弱さを感じた。「映画祭」なのにTVシリーズの上映を多数していることが答えだと思う。岩浪氏と菅野氏の共通作として「PSYCHO-PASS」のタイトルもトークショー中に出ていたが、そちらは映画も存在する。なぜ上映できなかったのか?
作品を埋めてなんとかイベントを開催したというだけにしか思えない。本当に運営がクソだった。楽しみにしていた分、残念が多すぎて、オタクとしても擁護できない。
帰り際にアンケートの声かけがあったが、気分が悪すぎて早々に退出した。帰宅後にアクセスする方法がなかったのでこちらに記載しておく。
ジョジョ5部の上映を見に行ったのだが、運営がクソだったので記録しておく。
◯ 11/9(土)
× 11/9(日)
しかも告知解禁と同時に約1週間前にチケット販売開始は結構ヤバいのではないか?
ちなみにこのポスト以後、修正(「正しくはこちらです」的な案内)はない。
チケットには18:45開演の表記があったが、実際は19:00開演だった。
いつまで経ってもチケットページの登壇者情報が更新されないと思っていた。(Xのポストでは告知されていたらしい。また公式サイトのNEWSは登壇者部分に誤字、さらに続きには「ニンジャバットマン」と書いてある。誰もチェックしていないようだ。)
18:45になっても何の説明もなく、18:50ごろに一度だけスタッフが「10分押しで入場する」とアナウンスした。
待機中の説明はそれだけであり、ほかのスタッフは客のことを完全に無視。スタッフ同士で喋っているだけで、客のケアは一切なかったので、待機列ではストレスを感じている人が多かった。(UDXシアターはガラス張りのため、ロビーの様子は待機列から見える。)
登壇者である岩浪氏が待機列の横を通り、「入場遅れてごめんね〜」と声をかけていたが、スタッフからはアナウンス時のみで他は何も言われなかった。
19:00過ぎにゾロゾロと客が出てきたことで、前の上映が押していたことが判明。
前の上映は「Gのレコンギスタ」であり、上映前トークショーだった。つまり映像の上映が始まった時点で、何分押すかは想定できているはずなので、客に対しては単純な案内不足である。
入場開始のアナウンスは特になく、前方が動いたのでついていく形だった。(前の方は聞こえていたかもしれない。)
入場口のスタッフがもぎりに手間取っており、スムーズに入れなかった。
シアター内は先にマスコミが入っていたが、一番前の階段にスーツの女が座っており、通行の妨げになっていた。
19:15ごろ開演。
「ジョジョの奇妙な冒険 黄金の風」とは読み上げず、上映話数タイトルから始まった。
なお「38話:ゴールド・E・レクイエム」のEを「イー」と読んでいた。
登壇者のプロフィール紹介も日本語があやしかった。「しています」「されています」が混在しており、違和感があった。台本がまともではない様子が伺い知れる。
台本なしで、岩浪氏に丸投げされていたと思われる。
トーク内容から、おそらく上映作品の枠が埋まらず、岩浪氏担当作品から何か上映することになり、かつ菅野氏が劇伴を担当した作品ということで「ジョジョ」が選ばれたようだ。
岩浪氏がX上で上映してほしい話数のアンケートを取ったのが10/23であるので、映画祭約2週間前の時点でまだ上映作品が決まっていなかったということになる。(仮に5部の上映が決まっていたとしても、上映素材は10/25のアンケート締め切りから準備したことになる。)
登壇者が「朝から出ずっぱりで疲れている」と言っていて、そのようなスケジュールを組んでいることが大変残念な気持ちになった。
上映前に予告がついていた。(映画祭に来るのは初めてなのだが、これは普通なのだろうか?タイトルを忘れたがフルCG制作っぽい女性キャラが出てくるアニメ映画と、サンドウィッチマンがやっている求人の広告だった。スポンサー?)
秋葉原国際映画祭の数秒の動画もあったが、これがフィルムのリマスターのような映像・音声だったので、「何年も使用しているのか」と思っていたら、どうやら今回が第1回のようで大変驚いた。
まともな映画館であればもう少し音響は良かったはずなので、今後立川などに期待したい。
退出しようとしたら、のんびり司会の人が歩いて出てきた。
せっかくの余韻をぶち消す司会だったので、ない方が良かった。
シアター内のスタッフの誘導がなく、結局もう退出していいのか迷った客が多かった。ポスターも退出し始めてから2枚(映画祭ポスター、作品ポスター)を並べており、おかげでロビーも混雑した。
「開催することに意義がある」、「客のことはどうでもいい」という印象が強い。待機中に一番ストレスが溜まった。開場予定時間になぜ開場しないのか、本当にわからなかった。まさかチケットが間違っているなんて思うまい。20:45終演予定を信じて新幹線など移動のチケットを持っていたら、気が気でなかっただろう。
スタッフはガラスの向こうでずっと喋っており、関係者と思われる人達だけたくさん出入りしていて、客のことは完全放置だった。私たちは客ではなく舞台装置であり、スーツを着た彼らにとっては、登壇者・作品関係者が「客」である映画祭だと思った。正直かなり印象が悪い。
「作品の音にスポットを当てた」トークを期待したが、台本もなく既出の話しがほとんどであったことも残念だった。作品タイトルを紹介しない台本を用意し、さらに話数タイトルを読み間違え、客だけでなく作品のことも馬鹿にしているように受け取れたし、告知の間違いもかなり多く、登壇者が疲れ果てるようなスケジュールを組んでいて、まともな運営でないということはハッキリした。
2週間前で上映作品が確定していないことで、この映画祭の力の弱さを感じた。「映画祭」なのにTVシリーズの上映を多数していることが答えだと思う。岩浪氏と菅野氏の共通作として「PSYCHO-PASS」のタイトルもトークショー中に出ていたが、そちらは映画も存在する。なぜ上映できなかったのか?
作品を埋めてなんとかイベントを開催したというだけにしか思えない。本当に運営がクソだった。楽しみにしていた分、残念が多すぎて、オタクとしても擁護できない。
帰り際にアンケートの声かけがあったが、気分が悪すぎて早々に退出した。帰宅後にアクセスする方法がなかったのでこちらに記載しておく。
元増田のダサいかどうかの是非善悪については一旦おいといて、傾向としてファッションの関心度に男女差があるのは確かだな。
これは市場規模からみても明らかで、レディースの方が明らかに大きい。
身近な例としてユニクロひとつとってみてもレディースの方が型数が多い。
あと、クオリティやデザインについてもレディースのほうが力入れてるものが多い(これは個人の感想じゃなくてファッションに多少でも関心あるなら周知のこと)。
ユニクロのように薄利多売のマス向けに商売しているブランドは在庫管理がよりシビアだから、売れるところは拡大するし売れなきゃ縮小させる。
つまり傾向として女性は服を買ってる(ファッションに関心がある)し、相対的にみて男性は服を買ってない(ファッションに関心がない)とはいえる。
ここからは、なぜ「男の方がダサい恰好しているとことが多い」と感じやすいのかを考察していく。
まず大きな理由としては「服の選択肢が女性より少ないため、オシャレ/ダサいをジャッジしやすい」から。
先ほどユニクロの型数に男女格差があると書いたが、これは男女兼用のものまで含めるとより顕著になる。
そのため女性は服の選択肢が多く、それはコーデの回答例(オシャレ/ダサい)が多いことを意味する。
オシャレ/ダサいは突き詰めれば主観や相対的評価によるものだが、コーデの回答例が多ければそれだけジャッジしにくくなるし意見が割れやすくなる。
ファッションショーとか見て「これってオシャレなのか分からん」って気持ちになったことあるだろう。
まあ、あれは商品発表の場というよりブランドやデザイナーの価値観や世界観を表現する芸術発表の場って側面が強いが、色んなブランドが色んな服をきたモデルたちをゾロゾロ歩かせてると、もうオシャレ/ダサいってジャッジを容易くはできない。
で、そういう先鋭化したところから角がとれてマス向けに一般化されたものが普及していくわけなんだが、そういうものは似たり寄ったりになりやすい。
しかも男性ファッションは衣服の選択肢(コーデの解答例)が少ないわけだから、似たり寄ったりのダサい(とジャッジされやすい)ファッションになりやすくて見解も割れにくい。
もうひとつ、これは大きな理由ってほどではないが「そもそも男性ものの服はオシャレ優先で作られているものが少ない」からってのもある。
いま一般にも普及している、昔からある男性向け洋服のほとんどはワークやミリタリーなどをルーツにしている。
そもそも実用性って視点で生まれた服をベースに、いまカジュアル服として普及しているわけだ。
この背景が男性のファッションシーンを窮屈にしているともいえる。
オシャレと実用性ってのは相反するほどではないけれど、制約が増えるので両立しようと突き詰めていくと限界がきやすいからだ。
ちょっと前に、女性ものの服には実用的なポケットが少ないってのが話題になってたよな。
あれって逆にいえば、女性ものの服はそれだけオシャレ優先で作られてるものが多いってこと。
オシャレってのは基本「衣食住の衣」をカルチャーとして捉えて、前のめりに享受していく過程で生まれる概念。
だから“衣”を趣味的な側面から見ていない人にとっては「オシャレより実用性」って考えが基本となる。
ある分野を趣味的に追及する人は、そうじゃない人間よりも相対的に少ないのが常。
だから「もっとオシャレな男性服を!」って声は小さく、マス向けのアパレルブランドは小さい声に耳を傾けてられない。
そのため一般男性のファッションシーンは流動性が鈍く、ひいてはファッション感度を高める機会が少ないことを意味する。
結論、男性の方がダサいファッションが多い(と思われやすい)のは「服の選択肢が少なくて、オシャレな服も少ない」からなのが理由として大きい。
もちろんファッションシーン自体とても流動的だし、オシャレ/ダサいなんていうものを画一化したり厳密に数値化して統計をとるなんて無理だろう。
それでもいえるのは、一般人がある分野について関心をもったり感度を上げたりするには「それにどれだけ触れる機会があるか」による。
選択肢が増えたり、質が高まったり、その流動性があればあるほど意識する機会も増えるわけだ。
最後に断っておくが、今回ここで述べたことはオシャレ/ダサいの是非善悪についてではない。
「もし現状そういう風に捉えられている外的要因があるなら、こうなんじゃないの」っていうニュアンスの話。
もちろん基本的には望ましいことで、諸外国と比べてもまだ低い水準なのに水を差すような話をするのもどうかという気持ちも大いにあるが
ここまで最賃が上がってくると、
「ギリ健に時給1000円出すのは流石に無理」という、雇う側のぶっちゃけた本音に向き合う必要が出て来るんじゃないか。
実は俺がまさにそう。某地方にある高炉メーカの下請け中小の二代目。
ウチは一律の給与体制にはしておらず、基本的に職人に手厚くしており、事務所内勤は低めにしている。
それでもハロワに求人を出すと内勤の方にゾロゾロ応募が来るのだが、
(職人の方は本当に来ない。応募者に職人の方が相当給料良いよと言っても断られる)
その中には、敢えて悪い言葉を使うと「ギリ健」が一定数いる。俺は医者じゃないから所詮素人の偏見•レッテル貼りと言われればそれまでだが、実際問題として一般的な日本語の会話がすでに覚束なく、履歴書の日本語も危うい人間がちょくちょく居るのだ。
で、これはあくまで弊社の文化だが、地域貢献としてそういう人にも活躍の場を与えようという会社方針で一定数は雇用しており、ひとつの部署として請求書の宛名書きかやら古い紙ファイルのPDF化(業界が紙文化のため過去の紙資料が大量にあるのを処分する)、はては社内で再利用するために古いキングファイルの修繕なんかもやっている。
この雇用はあくまで弊社の地域貢献として行っているもの。上記の作業は全て仕事をさせるための仕事であって、言ってしまえば穴掘って埋める作業を延々繰り返しても構わないのである。
ちなみに、同じように地域のためとしてこうしたことをしている中小は意外と多い。製造業で何代か続いてる古めの会社なら結構やってるんじゃないか。
だが。
最低賃金がこのままのペースで上がり続けると、近い将来確実に彼らを雇用出来なくなるときが来る。弊社のキャパを超える。
当たり前だが彼らの雇用は利益を生まない。慈善事業だからね。だから賃金も最低賃金に張り付いている。
そんな彼らに正直千円は出せないよ。中小企業にそこまで求めんで欲しい。
ウチの県が最低賃金1000円超えた瞬間いきなり全員クビなんてことはしないけど、多分新規で雇うのは辞めると思う。
本人やご両親の責任ではなく一定数生まれてしまう物なんでしょう?
父も俺も、そうした人々にわずかでも力になれたらと思って今までやってきたけど、もう正直無理。
大きいところが雇ってくれたら良いんだけど...
🥺💦ヒー 😡😡😡😡💨
📃🥺「お札よぉ、ぷゆの代わりにエッチでマッチョなプリケツのアナルの写真になってくれぇ」
📃👈?🥺なった!
🥺🫴ポーイ 📃 ❗?😡😡😡😡
😡😡😡😡これは…アナル!
😍😍😍😡
🥺💦 😡💨 📃😍😍😍💕
😡💨逃さねぇぞぉ俺の目は誤魔化せねぇ、アレはお前のアナルじゃねえ💢
🥺ひええ💦
🥺あいつはどうしたら…💦
🥺そうだ!
🥺👈?🥺なった!
🥺🫴ポーイ 🥺🍑✳😡
🥺💦 🥺🍑✳😍ウッホホ
🥺やっと寺まで帰ってこれた…💦
🥺和尚さーん!開けてくんろ~おいらだ!寺の小僧だよ!今山姥♂から逃げてきたんだ!早く入れてくれよお!
👴「ふむ、その声は確かに小僧の声。じゃがもしかしたら、山姥♂が化けているのかもしれん」
🥺「んなことねぇ!おいらだよぉ!証拠にほら、貰ったお札も持ってるんだ」
👴「ほほう!それならばこちらに入り、奥に隠れていなさい」
🥺「やったどー!!」
😡😡😡😡ゾロゾロ
😡「なに!見せろ!」
👴「いいじゃろう…正しわしと穴比べをしてワシが勝てたら二度とここに近づくんじゃないぞ」
👴🍑✳ 😡🍑😡🍑😡🍑😡🍑
和尚さんのアナルを見た山姥♂達は恐れ慄きます。その黒さたるや、年季の長さ、使い込まれた経験、何よりシワの多さによる格の違いを見せつけてきたからです。
😡😡😡😡「や、約束する💦二度とここには近づかねぇ💦」
参考『3枚のお札』
1
https://i.imgur.com/AD6lZtE.jpeg
ためになる話や
和尚さんすげー😯
👷♂?🍑プリケツダァ
もっと話して😡😡😡😡
ええ話やな
爺アナルすげー✊👦
なにこのスレ
猛剛妹妹@mei_gang71835
岡本美桜@mei_gang24718
梅子刚@mei_gang23051
mei 美・梅・苺・妹
gang 岡・剛・崗・鋼
というようにユーザー名に使っている漢字の読みのアカウント名+数字で管理してるっぽい
普通の人間ユーザーが、例えば 増田庵@masu_io0723 とつけても不自然ではないが
まあmei_gangでアカウント検索してゾロゾロ数字5桁出てくるのは大概がスパム用途だろうね
岡本美桜が多すぎるし
岡本美桜@mei_gang18442
岡本美桜@mei_gang13295
岡本美桜@mei_gang54005
岡本美桜@mei_gang86752
深い暗闇に住んでいて、ときおり我らの住む浅瀬へ浮いてきては我々を魅了する。しかしいくら個体を調べたところで、その生態は深海に生きる者しか知らず、浅い海に生きる者にとっては永遠の謎でしかないのだ。
……こんなことを真顔で言ったら一発で社会的に死ぬかもしれないが、女性とは何者なのか、小さい頃から気になっている。
筆者には女性の服の下にあるものをよく知らない。というとまず、母親の裸くらい見たことあるだろという反論が飛んでくるだろう。厳密には、筆者は先天的に視力が悪かったために、両親の身体的な区別がつかなかった。要するにぼんやりしていて記憶にないのである。幼児期には男女で混じってトイレや入浴、着替えをする機会もあるだろうが、メガネという文明の利器を得るのが遅すぎた。服装や趣味嗜好のほかに男女の違いなど見出せない解像度の低い幼少期が横たわっている。
性差の興味を持つきっかけは、習い事として始めたスイミングスクールだった。
小学校の水泳授業では、児童は各家庭から水着を持ってきていた。興味はなかったが、女子は模様入りの"ワンピースのような水着"を着ていることが多かったと記憶している。
当時の男子水着はVパンツと呼ばれるもので、動きやすさ重視の、大事なところを隠すだけのわかりやすい水泳パンツであった。しかし女子は全員競泳用のワンピース水着を着ていたのである。
指定水着に限らず、制服というものは集団をカテゴライズする。10年足らずの人生に於いて初めて、男子と女子を身体的に明確に区別した集団という者に遭遇したのである。
女子の水着には上半身と下半身の繋ぎ目すらなく、肩紐が背中でX字に交差して、奇妙な服装という印象を与えた。もはや水泳パンツではない、謎の女子専用水着の仕組みが気になって仕方なかったが、全ては女子更衣室の中で起こることゆえ男子には一生わからないのである。
やがて筆者にも思春期がやってくるのだが、このときまだ性知識が乏しく、異性に対する興味も薄かった。
筆者は中学受験キッズなので、胎児の発生において、父親の精巣で作られる精子と母親の子宮の中の卵子が結合するという概念があることは暗記していたし、卵巣と精巣の構造も予備校のテキストに描かれた性器の断面図から知っていた。
しかしこの性器がどこにあるかわからないのである。子宮はお母さんのお腹の中にあることはほぼ確実とみれるが、精巣は男性の一体どこにあるのだろう。
大人になったいま改めて、小学校向け理科教材を見返しても精巣の在処は伏せられているのである。
おちんちんは男性器の呼び名であるが、思春期以前の男子にとっては「おしっこをするところ」であって、精巣がここにあるという発想に至らなかったのだ。
ようやく性教育に出会ったのが中学時代。筆者は教科書が配られたらまず一通り目を通すタイプなのだが、保健と家庭科の教科書に性や家族計画にまつわる記述があった。やっとのスタートラインだった。
教科書を通じて、女性に膣という器官があることと、月経という現象があること、そして、精巣の場所と性行為について学んだ。陰茎が尿器から性器という概念に変わってようやく、女性に陰茎がないと言う現実を受け入れさせられた。そして身の回りの女子は毎月血を流しながらも平然と生活している。という想像し難い知識にただならぬギャップを覚え、異性への興味がエスカレートしていた頃だった。しかし女友達と仲良くなっても、この疑問をぶつけることはとうとうできなかった。
紆余曲折ありながら敷かれたレールを走り切って社会人になって、縁あって関わり始めたのが今の交際相手だ。付き合って2年ぐらい経って、いよいよ身体を見せ合った。初めて女性の体をメガネ越しに見て、本当に男女の身体機能が異なっていることを実感した。人生の大きな一歩だった。本当に長かったと感じている。
とはいえ、身体を交えて快楽を得ても、知的好奇心は満たされなかった。
男子が陰茎を心の友として生きてきたように女性にも女性の何かがあるはずだと筆者は考えた。しかし身体をまさぐったところで真実には辿り着けないし、拗らせた疑問を投げかけても答えが返ってくるとも限らない。
そもそも体が目当てで交際したわけではないので、消去法的に彼女を欲望の捌け口にしてしまうことは避けなくてはならない。
そんな筆者の欲求に、ある程度は応えてくれたのがAVである。盗撮は犯罪であるから女優によるヤラセであると知っていながらも、スクール水着の着方、ブラの付け方、男には縁のない知識をこうした動画で多く学んだ。
しかしこれでも満たされないものもある。AVと違って現実のトイレはいつも行列を作っている。「どうして女子トイレは並んでいるの?」なんて女性に軽く聞いても、それが普通なせいかなんとも思っていないようであった。いくら親しくとも筆者にはここが限界だ。排泄に時間がかかるのか、スマホでもいじっているのか、なぜ個室しかないのにゾロゾロと連れションしたがるのか。いろいろな文化が気になっても聞く勇気がない。
自分で言うのも変だが、筆者の人生は敷かれたレールの上を上手く走っていると思っている。それは絶対に脱線できない人生であることの裏返しだ。今の時代、異性とみだりに関わることはリスクを伴う。そう言い聞かせてやがておっさんになってもなお今更聞けない謎を一生引きずって生きていくのだろうか。
浅瀬で見かける魚が深海で卵を産んでいても、それを知る術は、浅瀬で卵を産むのを待つか、自ら深く潜るか。どちらにしても茨の道である。
この手の事件が起きたり死刑判決が出たりした時だけ、まあ大騒ぎする奴がいるもんだけど
ぶっちゃけどうにもならんでしょ?
「孤立対策」とやらでNPOが税金つまんでちょいと何かやって、それで防げるなら苦労しねーんだわ
そういう小手先の対策ぐらいでどうにもならないからこそ、ああいう事件起こすのに
今でも思い出すのは低能先生の一件でさ
あの事件でも「なぜ先生に誰も寄り添えなかったのか」みたいなこと抜かすアホが、まあ後からゾロゾロと湧いたもんだ
リアルタイムじゃだーれもそんなこと言ってなかったのにね
挙句の果てにはてなや増田を「殺人者を生んだコミュニティ」呼ばわり
あんなん単に血の気の多い奴がたまたま粘着してきたのがはてなってだけの話だろ
そりゃあはてなも大概憎悪増幅拡散装置ではあるし、住民だってやたらと正義を気取りたがる割にはお前ゲスだなと思うことばかりだけど
何度BANされても戻ってきて、ブクマでも増田でも低能ゴミクズ死ねの連呼
殺人までするからにはよほどそいつに恨みがあるのかと思えば、実は「いつか殺すリスト:Bランク」の、たまたま近所に来た奴殺しただけ
そんな奴にいったいどうやって寄り添えばいいのか教えてくれよマジで
思想的にお友達の左派やフェミの皆様ですら、他人のフリして見なかったことにするしかなかっただろうが
こうやって、世の中の事件に便乗しては、言いたいことだけ言いたい放題の無理・無駄・無責任
問題視するポーズだけは全身全霊で頑張るけど、具体的な行動も負担も何もしたくない
だいたい「殺人犯」とかハクがついた奴には「なぜ我々の社会はあんなモンスターを生んでしまったのか?」なんて毎度のようににわかに優しいこと言い出すわけだけど
どうせそういうの何も持ってない奴には今まで通りただひたすら冷たいだけだろ?
面倒くさいのは宗教とか精神病院とかなんたらホームとか、とにかく座敷牢じみたアレに放り込んで、あとは見なかったことにしたい
それが本音なんだろうけどさ
前 https://anond.hatelabo.jp/20231231221401
あれは、F君が福祉課2年目の時だった。課内で飲み会があったのだ。肝心のお店だけど、和風か洋風かどっちつかずの、食い倒れ的な意味で名店と呼ばれるところを予約した。課のほぼ全員が参加する、夏場の納涼飲み会だった。
あの頃の俺は……異動した先輩の跡を継いで苦戦中だったけど、ようやくマトモに業務を進めることができるようになり、調子に乗ってた。後輩にもマウント取ってたかな。まだ当時は、マウントを取るというネットスラングは一般的ではなかった。
しかしまあ、俺はやはり調子に乗っていた。当時は、市内に軽く十以上はある社会福祉法人の指導や監査をする立場だった。会計報告も読み解かないといけない。その業務担当者になったのは、俺が史上最年少だった。
でも、仕事の負担はどんどん重くなった。特に、人間関係のトラブルとか、犯罪性のある監査事案になると実力が追い付かなかった。年を経るごとに消耗していった。躁鬱的な症状だ。
年を経るごとに、冒頭あたりで説明したような、よくない先輩方に近づいている感覚が出てきた。
飲み会の話に戻るけど、自分と若手複数名が幹事役だった。予算を考えるとか、お店を押さえるとか、当日の司会進行とか、みんなの注文を伺うとか、二次会の手配とか、上司のタクシーを呼ぶとか――増田社員のみんなもやったことがあるような飲み会の仕事だ。
納涼会にはF君も参加していた。こういう会だと奥の方で大人しくしてることが多い。協調性がないキャラだったから、どの上司もF君に幹事を任せようとしなかった。彼も任されそうになると断っていた。
予約した居酒屋は、料金に比して料理がたくさん出ることで有名だった。部屋に案内されると……広い客間の中に、テーブルをいくつも合体させたうえで純白のクロスが掛けてあった。みんなゾロゾロと椅子に腰かけて、料理を楽しみに待っていた。いや、サランラップがかかった刺身はすでにあったかもしれない。
食卓の見た目は洋風で、床はカーペットだったけど、部屋の造りは伝統的和風スタイルだった。参加人数は、三十人ほど。
飲み会スタートから数十分後のテーブルの上には、刺身の盛り合わせとか、おしゃれな豆腐とか、唐揚げとかポテトとか天ぷらとかフランクフルトとか、なんかもういろいろと並んでいた(高そうな料理もあったが名前がわからない)。食事的な意味で皿を片付けるのも難しかった。
俺と同年代の職員は幹事役で手一杯だった。注文の多い上司や先輩が多かった。福祉課長もその1人だ。毎回違うお酒を注文する。飲み放題メニューにないお酒の注文は、もはや基本だった。
そのうち、飲めや歌えやの大騒ぎになった。カラオケはなかったが、大声で民謡を歌う人はけっこういた。フローリングの上に敷いてあったカーペットが柔らかかったな~。もう長らく行ってないけど、今度地元に帰った時に行ってみよう。
F君は、端の方で大人しくしていた。たまに会話に混ざったりしてたかな。俺は参加者全員の様子を見てたけど、F君は基本こぢんまりと黙食していた。お酒は飲んでなかった。烏龍茶か緑茶のどっちかだ。
覚えてるのは、F君が年配の職員とか、臨時職員さんとおしゃべりしてたのと、あとは女性職員がおそるおそる彼に話しかけていたのを見た。会話の内容はわからなかったが。
F君は、隣の人の空になったビールグラスをサーバー(※樽の方だ。基幹システムの方じゃない)まで持って行って、注いであげてた。
うるさい飲み会だったけど、若いから気にならなかった。でも、嫌なことが数点あった。こういうのが、数年後に市役所を辞めたきっかけになる。
早い話、この福祉課全体の飲み会でひと悶着あった。ひとつはF君案件だ。その飲み会で片隅に座っていたF君が、近くにいた福祉課長や直属のグループリーダーその他先輩がいた席まで呼ばれた。「おい、ちょっと来い」と呼ばれてた。なんか最近、彼が失敗したことがあったらしい。
ところが、F君はストレートに断った。「行きません」だって。周りの空気が冷たくなったのを感じた。要は突っぱねたのだ。
それで、上司や先輩方と口論になった。周りは雑談してたけど、やっぱり気にしていた。俺達幹事はどうしようかって感じだった。そしたら、先輩方の態度が軟化してきて、F君のところに行って「まあ一杯飲めや」と勧めたのだ。そしたら、それも断ってしまって、また険悪な雰囲気になった。
でも、そのうち優しめの年配職員がF君の隣の席に移ってきて、「まあ飲みなよ」とお酒を注ごうとした。「グッジョブ!!」と心の中で感じたけど、F君は「帰りが~」と言っていた。聞き取れなかったけど、そんなことを言ってた。※F君は自転車かバイクで通勤していた。飲酒運転を気にしてたのではないか。
それで、そういう態度に憤った福祉課長その他数名が、F君のところに詰め寄ってお酒を飲ませようとしていた。下は、ほぼ福祉課長のセリフだ。印象的なやつだけを抜粋してる。
「帰りがバイクでもいいだろう。一杯だけでいい。飲め」
「ここは呑んでおく場面だ。呑まなかったら男じゃない」
「上の人から酒を勧められたら飲まないと。法律とかいう問題じゃなくて、社会の常識だ」
「お前。結婚してるか、する予定があるのか……ない? だったら、増田君の方が『上』の存在だよ。婚約者いるんだからな」※当時、俺は婚約中だった。
「結婚できない人間は、お前みたいに人間性に問題があるやつが多いんだよ」
といった、福祉課長その他の発言が心に残ってる。それでも断固とした態度のF君に、彼らは声を荒らげて、ついにグループリーダーがF君の胸襟のあたりを掴んだところで、「やめてください!!」と彼が拒否して……。
隣の客間にも聞こえていたと思う。はっきりいって大声だった。店員数名が「どうしました!?」と客間に入ってきたことで、それでようやく騒ぎは収まった。
かくいう自分は、どっちもどっちだと感じていた。双方とも行動に問題があった。まず、F君は協調性がない。お酒の一杯くらい飲んでもいいじゃん。限りなく透明に近い酎ハイとか作ってもらってさ。
上司や先輩方だって、アルハラなる言葉はまだ世間に浸透してなかったけど、さすがに飲酒運転容認はまずいだろう。
それからも、俺にとっては歯がゆいというか、嫌な飲み会風景が続いた。大体こんなところか。これでもだいぶ端折ってる。
※公務員の原則たる身分保障が働かないから、首を切られないように気を遣ってる
・女子職員がキャバ嬢扱い。女の子の場合、全員の席を周ってお酌は基本だった
・酔いつぶれて動けなくなった職員を店の駐車場に放置して帰ったこと
あんなことがあったが、F君は堂々としてたよ。その後にあった余興(参加者がひとりずつ挨拶と抱負を述べる。やりたい人は芸とかする)でも、超然として仕事の抱負を述べていた。「自分、まだまだだけどフツーに頑張ります」みたいな感じか。
堂々としていた。自分が正常な人間みたいに振る舞っている……微妙に笑いも取っていた。それを見てる人達は「おー」みたいな雰囲気になってた。
さすがに一発芸はしなかったけど、F君には芸があった。中学生の頃、ムジナ(アナグマ)の物まねをして剣道部の先輩連中に気に入られてた。「ムジナってなんやねん!!」て感じで。ムジナが身を低めながら、スウェーバックで後ろに下がって、また出てきて、身を起こして威嚇するポーズだった。
※ようつべで野生のムジナ(アナグマ)を見ることができる。「アナグマ ムジナ」で検索してみよう。
別に、そこまでF君に興味があったわけじゃない。ただ、あまりに珍しいというか。学校・公務員・民間を通じて、これまでに見たことのない存在だった。
その飲み会でも、確かにF君は浮いてたけど、でも完全ボッチチェリというわけではなかった。年配の職員とも、中年の職員とも、同年代とも、若い職員とも、数は少ないけどコミュニケーションは取ってた。料理の取り分けとか、空いたグラスや皿の片付けもやってた。もしかすると、発達障害とかパーソナリティ障害の人がする『擬態』みたいなやつかもしれないが。
飲み会が終わった後は、手配したタクシーに上司や先輩を乗っけて二次会まで連れていく仕事が待っていた。帰ろうとするF君を見ると、なんと杜甫ではないか!! 今日はバイクに乗ってないみたいだ。
帰り際に呼び止めて、F君とちょっと話をした。「今日は災難だったね」と言うと、「まあ、こんなもんでしょ。次に期待。料理うまかったし、無事に終わって神に感謝」という答えが返ってきた。ひどい目にあったのに他人事みたいだった。キャラクターが読めない。
それからF君は、上司や先輩から姿を隠すように、公道に出ずに駐車場のフェンスを飛び越えて(笹食ってる場合じゃねぇ!のやつ)、店の裏側にあった河川管理道に躍り出ると――そそくさと帰って行った。
まあ、問題職員(モンスター社員)のことばっかり書いてるけど、実際なんであいつらは発生するんだろうな。普通のイメージだと、モンスター社員が採用試験で間違えて採用される、といったところだろうか。
いや、でもわからない。もしかして、モンスター社員は採用試験を受ける時はまともな人間なのかもしれない。それが、組織の環境に当てられることでモンスターに変化してしまう――そういう見方はできないだろうか?
こんなことを書いてたら、とある書籍の記述を思い出した。書棚から引っ張り出して引用してみる。
組織の成員を変えようとするよりも、創造や革新を阻む組織内の要因を探った方がよいのではないだろうか。「現在の環境で、なぜ人びとは創造したり革新したりしないのか」という問題を提起すれば、正しい方向に一歩踏み出したと言えるだろう。ここで思い出されるのが、もはや伝説的存在となった著述家であり、いまなお精力的に啓蒙活動を続けるピーター・ドラッカーの逸話である。彼は企業の上級管理職向けの講演会で、社内に「無用の長物」を大勢抱えていると思うひとは挙手するよう求めた。多くの手が挙がったところで、ドラッカーは次のように尋ねた。「そのひとたちは、皆さんが面接を行い、採用を決定した時点から無用の長物だったのですか。それとも、入社後に無用の長物と化してしまったのですか」 P19 完全なる経営(2001) P.19 A.H.マズロー (著), 大川 修二 (翻訳)