はてなキーワード: エコカーとは
10年後の日本では、人口減少、少子高齢化、技術の進展、気候変動など、現在進行中の課題やトレンドがさらに顕在化していると予測されます。以下、分野別に具体的に論じます。
• 地方分権化の進展
人口減少や過疎化が進む中、地方自治体の財政基盤は厳しさを増す可能性が高いです。国からの補助金に頼るだけでなく、地方ごとに特色ある税収確保策や産業振興策が必要になるでしょう。ふるさと納税のような地域活性化政策はさらに進化し、地方の自立性が増すと同時に、地方ごとの格差が生まれる可能性もあります。
高齢化率がさらに進行し、現行の年金制度や医療保険制度の持続性が危ぶまれています。少子化による労働力不足や若年層の負担増を考慮し、年金の支給開始年齢の引き上げや、医療サービスの効率化が進むと予想されます。消費税や所得税の見直し、社会保険料の引き上げも議論されるでしょう。
2. 社会
労働力不足を補うため、外国人労働者の受け入れが増加していく可能性があります。特に介護、農業、建設といった分野では、外国人の活躍が不可欠になるでしょう。その一方で、多文化共生に向けた社会制度や地域コミュニティでの支援が進むことが予想されます。言語教育や差別防止策の整備が急務です。
働き方改革や男女共同参画の推進により、家族や結婚の価値観もさらに多様化します。選択的夫婦別姓、同性婚の合法化も検討される中で、これまでの「標準的な家族観」から脱却し、様々な家族形態が当たり前とされる社会になっていくと考えられます。
3. 生活
AIやIoT(モノのインターネット)が普及し、家事や通勤、健康管理などが効率化されるでしょう。スマートホーム技術や遠隔医療の発展により、日常生活がより快適かつ便利になる一方、デジタルデバイドの問題も浮上するかもしれません。高齢者へのデジタル教育やサポート体制がさらに充実することが求められます。
テレワークが定着し、地方移住の動きがさらに進む可能性があります。自然エネルギーを利用したエコハウスや、地域の資源を生かしたサステナブルな生活スタイルが広まり、環境に配慮した生活が標準となるでしょう。特に若い世代が自然豊かな環境を求めて地方に移住し、農業や地産地消の取り組みが進むと考えられます。
4. 文化
映画やアニメ、音楽など、日本のポップカルチャーはさらに多様化し、国際的な影響力を持ち続けるでしょう。デジタル化やグローバル化により、日本発のコンテンツが世界中で視聴・消費される一方、日本国内でも海外の文化がより身近に取り入れられ、ハイブリッドな文化が生まれると考えられます。
若い世代の間で伝統文化の継承者が減少する問題に対し、地域ごとの保存活動が進むと予想されます。デジタル技術を活用して伝統芸能や工芸をアーカイブ化し、広く発信することで、国内外で日本文化に対する理解と関心が高まるでしょう。
地球温暖化の影響で台風や大雨などの自然災害が頻発すると予測されています。これに対して、日本は防災インフラの整備や、避難所の増設、地域社会での防災教育の充実がさらに進むでしょう。また、再生可能エネルギーの普及や、エコカーの普及を通じた温室効果ガスの削減に向けた取り組みも進むと考えられます。
まとめ
10年後の日本では、人口減少や高齢化、気候変動といった社会課題に直面しながらも、テクノロジーの進展や多文化共生、地方活性化といった新しい価値観やライフスタイルの確立が進んでいると予測されます。
肯定派というかEuro 7規制の中身をしっかり読んだ連中にとっては耳タコな話だが、Euro 7規制で事実上推進されるのは知られているようにEVやFCVを含んだいわゆるゼロエミッション車である。
例えば独自動車メーカーとして有名なフォルクスワーゲンは水素自動車技術を鋭意開発中であることは2022年の報道から明らかとなっており、プジョーやフィアットを傘下とする仏伊共同自動車メーカーのステランティスは2021年にFCVを販売開始さえしており、日産自動車と関係のあった仏自動車メーカーのルノーもまたFCVの市販化を発表している。
当たり前の話だが、我々は日本人なので日本語の情報を最も早く機敏に反応できるためトヨタの全方位戦略の内容を事細かに知る事が出来る。しかしこれが外国語となるとそうも行かず、自分で調べることが苦手な質であればEV一本化を目指していたはずの欧州勢がまさか全方位戦略を取っているなんて気付かないのではないだろうか?
当然ながらEVの寵児たるテスラやBYDはFCVへ参入していないので次世代のエコカーの話題でテスラやBYDは取り上げられやすくFCVは話題に上がりにくくなるので、これがもしかしたらトヨタ全包囲戦略否定派が生まれる遠因の1つかも知れない。
何故ここに来てFCVが注目されるのか?それは液体燃料の取扱いに関するノウハウとインフラを抜本的な変更をなしに運用できるからだ。
EVはその性質上、送電容量に関してEVの急速充電に耐えうる送電網の再構築という重大な問題を抱えているが、FCVはそもそも輸送する道路があり、燃料タンクを設置する敷地は既にガスステーションという形で存在しておりタンクと一部の設備を更新するだけで済むのだ。
しかも給油速度と同時進行車両数は従来のガソリン・軽油並みであり、航続距離もEVよりも優れているという点から時間対効果の視点から主に法人に向いているとされ、物凄く当たり前な話だがガソリン・軽油の車両での使用量は法人が最も消費しており、法人消費と比較すると個人消費など物凄く少ない。
車両原動機エネルギーインフラ業界の主な顧客は何処の世界でも法人や企業・商店・事業者であり、どう考えてもEVではその需要に答えられないことが判ってしまっている。だからこそ欧州勢もEV一本化にしたかったが泣く泣く折れてFCV参入を決めてしまった。
頭がおかしいんだろうな。
試しに自分たちが通勤ラッシュの時間に自転車で車道を走ってみれば無理な要求をしているのは分かるはずだろ。
まあ奴らの場合は実行に移させた所で、車道の左端ギリギリをバイクみたいにすり抜けていけばいいだけじゃないかと周りの迷惑も考えずにスイスイと身勝手に走り抜けるのだろうな。
そうして「全然平気だったぞ。たまーに車にぶつかりそうになったけどな☆」とのたまうのだ。
ふざけた奴らだ……こんなのが交通安全とは何かを考える権限を持っているんだから交通事故がなくなるわけがない……。
今の日本の道路で自転車が走れる道は文字通りの「シャドウ」しかない。
車道と路肩の中間、白線直上一本橋をひたすら走り続けるしか道はない。
その道を時速5kmのママチャリが塞げば、他の自転車はそれに合わせて時速5kmで走るのだ。
何故なら白線の外側では制限速度60kmの道を自動車が時速70kmで駆け抜けているのだから。
それも「キープレフトが大原則!自動車教習所で習いました!」と白線ギリギリに幅寄せしながら走るのだ。
白線からちょっとでもはみ出せばバンパーに跳ね飛ばされるのは目に見えている。
自動車が来ないタイミングを見計らって一瞬のスキをつけばママチャリを抜かすことも出来るだろう。
だがその一瞬にもしもママチャリが蛇行すれば一緒に車道に倒れ込み、今度は時速70kmで突っ込んでくるタイヤの餌食になるのである。
「自転車はシャドウを走ってください」とは、道路行政からの「自転車なんて邪悪な存在はそもそも公道を走らないでください」というメッセージだ。
ふざけやがって、SDGSなんて知ったこっちゃないねという態度が目に浮かぶ。
日本は京都議定書なんて口先だけで掲げておいて、エコカーを推進しますと言っておいて、自転車なんて悪魔の乗り物は光の当たる場所に居るべきではないと言い張るのだ。
歩道を白線で半分に区切って、その片方に自転車レーンを設けるだけも急場しのぎの対策はできるはずなのに、それさえやらないのだ。
ほんの僅かな手間暇さえ惜しんで、法律だけを強引に押し付けることを選んだのだ。
「シャドウを走る存在しない前提の乗り物が、何故か突然車にぶつかったのなら、それは道路行政の闇に飲み込まれた運転手たちが悪いのである」で押し通すことを選んだということだ。
マジで終わってるなこの国
今の暮らしを世界中の人がやると世界はすぐに維持できなくなるんだよ、という話は幼少のころから聞かされているにもかかわらず、世界はまだそこまで深刻なダメージを負わずに続いている
技術の進歩もあり、身近ではエコカーや電気自動車が普及したり、ソーラーパネルが一般家庭にも設置されたり、少しずつ確実に来るべき日を遠ざけられているのかな、という気持ちはあった
でも、冷静に考えると、世界人口全員に豊かな暮らしをさせ続けるだけの資源が地球にないことなんてみんな知ってる
そんなのみんな知ってるわけ
でもさー、破滅したら困るから、なんだかんだ言いながらもぎりぎりのところで規制かけたり、技術革新が起きたりして、なんとかなるんじゃないかなって期待してた
流石に誰も破滅したくないじゃん
だこら未来をなるべく見ないふりして、薄々わかりながらもちょっといい未来を信じてたわけ
集団の意思決定を大きく変えられる人はいないんだなってのもわかった
自国の経済的不利益になってまで未来に生きる人はいないんだなってのもわかった
ってことは、身を切って未来の地球のために、なんて行動とれる国なんてあるわけなかったんだな、とわからされてしまった
せっかく目を逸らしてたのにさ
とはいっても推進派にとって残念ながら、逆進性の改善によるものではない。
軽減税率の逆進性改善の有効性の低さは折り紙つきで、費用にぜんぜん見合わないというのは多くの研究で一致するところである。
の3点から来る。
需要の価格弾力性が高い財ほど低い税率、需要の価格弾力性が低い財ほど高い税率をかけることが社会厚生上のぞましいというルール。
簡単にいえば、値段が上がっても購入する量を減らせない生活必需品ほど高い税率をかけるべきというもの。
すると、税金をかけることによる人々の財の購入計画に与える歪みを小さくできるので、税による社会厚生の損失も小さくできる。
つまり「こっちの商品は税金が高いから買うのをやめて不本意だけどあっちの税金の低い商品にするか」といった税の存在によって人々の判断が歪むのを極力防げるということ。
クリーニングなど自分で作業可能なサービスや、自分で生産可能な財の税率が高くなると、
クリーニング店に持っていくのをやめて自分で洗濯を済ませてしまおうとする人が出てくる。
しかし、クリーニング店でまとめやった方が分業による効率化が働くため社会全体ではのぞましい。
そこで、クリーニングのような自家生産可能な財・サービスに関しては軽減税率を適用し、分業を促進すべきということになる。
つまり、やろうと思えば自分で出来てしまうような、市場での購入の必需性の低い財・サービスに軽減税率をかけるべきということ。
クリーニング以外にもレストランや、近頃ではセルフヘアーカッターの売れ行きが伸びていることなどからすると理髪店・美容院などもこれに入る。
誰かが消費を増やせば、それが市場を通じることなく(消費を増やしたことで誰かの給料が上がって景気が良くなって・・・といったものなどではなく)別の人のメリットになるのであれば、
そのような財・サービスに関しては軽減税率を適用し、消費を促した方がのぞましいというもの。
具体例を挙げれば、マスクを軽減税率にすれば咳をして風邪のウイルスをまき散らす人が減って他の人も助かるね、といったもの。
教育、医薬品、エコカー・省エネ製品などが代表例。日本新聞協会が新聞を軽減税率にするべきと言うのも、この点からは合理性がある可能性がある。
贅沢品やレストラン、エコカー・省エネテレビに軽減税率をかけろという、おそらく軽減税率の信奉者が受け入れらない結論が出てくる。
逆進性対策は別の形でやりましょう。
不公平"感"をどうするかが大切?合理性に欠けるものをゴリ押しされることに対して不満"感"を抱く人も多いってことですよ。
逆進性がほとんど改善しないものを逆進性対策としてやられて、実際の生活が改善しないのに不公平"感"が小さくなったね良かったね、とされては生活に困りきってしまう人もいる。
それに、やってから問題が噴出すれば手のひら返しで文句を言いたくなるのが人間の性。一時のアンケートで近視眼的に決めるより、合理性を重視した方が長期的には納得度も高まるものなんです。
だから政府は審議会を重ねに重ねて政策の合理性を高める努力をしてるいるわけよ、世論はこうだからこうしますみたいな手抜きのお仕事をするのではなく。
今の人気が高い政策をただ選ぶのではなく、合理性の高い政策は何かに熟議を重ね、そうした合理性の高い政策への納得度を高めるように説明を尽くすのも政府の仕事。
私は今の日本が嫌いだ。リーマンショック以前はアメリカよりも大嫌いだった。しかしそれでも世界3番目の大国。この国がしっかりしなければ、先進国の足並みをそろえて衰退への道に歯止めを掛けることはできない。そこで、私なりの「日本再生プラン」を考えてみた。
まず必要なことは資本至上主義発想の解体だ。良く言われているように、今の日本の諸問題は資本主義の暴走にあって、それに歯止めをかけるものがない。これは良く言えば一時期のアメリカに匹敵する経済構造を支えていた。
しかし今の日本では、資本主義が国家の味方というわけではない。むしろ弊害が増えていて、公務員でも資本主義を嫌悪する人も多い。そんな彼らからすれば「資本主義カースト上位」もモンスター思想家と同じくらい嫌悪すべき存在で、結果的に資本主義を活かしたプランが嫌われる傾向がある。
かつて大きな資本主義が必要だったのは日本の社会そのものが未熟だったからでもあるが、今の日本社会は成熟している。要するに社会主義的な考え方が導入・実践されており、たとえば高度な社会保障が持続化できるようになっている。
欧米各国で広まっている社会主義運動の流れを艦みて、日本はこの際、もう資本主義の拡張を諦めるべきではないか。勇気ある行動で示してほしい。資本主義社会も社畜思想もどうみても同じ側の存在であることは明白だ。旧来型の資本主義思想ときっぱり決別し、社会主義との共生への道を示すことを鮮明にすれば、国民は「日本は変わったな」と評価するはずだ。
日本国民はまとまりがなく「烏合の衆」とされていた。もともとが学生運動崩壊後にノンポリがごった煮になった国民なので、内心極左だった人もいれば極右もいる。その節操なさが日本国民の強みとも言われていたこともある。
ところが実際には、平成のポスト好景気になった時に、これがネックになった。景気回復問題、そして国民の荒れなど、是非が左右できっぱり分かれるテーマに直面した時に、はっきりと決断できなかった。妥協すれば国民は失望するし、一方をとればもう一方を失う。派閥抗争も激化した。
日本は当初、第二次世界大戦敗戦の際にアメリカなどの西側諸国と同盟を組んでいたが、韓国が反発し、戦前問題ではアメリカ人も躊躇するような過激思想が台頭し、2000年代の対中接近路線で一気に友好関係が破綻した。そうしたら、西側諸国との協調関係は崩壊したのである。
なので日本国民が烏合の衆である必要性はない。現状では、なんだかんだで一致団結すべき困難が続いているので、ネトウヨや新自由主義エリートたちが敵ということがわかりきっているのなら、日本国民がすべきは内部にある彼らを忖度することではなく、むしろ追放することではないか。
村田蓮舫がかつて述べた「私は多様性の象徴」という言葉にあるように。多様性こそが今の日本社会に必要なことなのである。日本社会の敵が右翼カラーの全体主義に陥る中、日本国民が示すべきは寛容な多様性主義である。そのために、まず右派なんか追い出したほうがいい。
日本社会のもとに集まるべきは、新自由主義エリートでも右派思想でもない人であり、インテリであり、社会主義になびく人ではないか。烏合の衆を脱し、多様性の国民に生まれ変わることも、日本の再起のために必要なことである。在特会みたいな小物右派をさっさと追放しろ。
かつて日本は藩閥社会(江戸時代のエリートの末裔)、帝国主義(天皇制シンパ)という大きな権威を抱える国家で彼らの末裔が総理大臣になったりした。現在も「日本2677年の歴史」であることから現状も帝国主義であると思い込んでいる人が多いが、それは間違いだと思う。日本の現状はどちらかといえばポスト帝国主義国家、つまりそれをブランドにしているに過ぎないのだ。
実際、本当の安倍政権の最大の支持者である藩閥主義者、帝国主義者は東京への搾取で裏切られ、選挙で左翼系が彼らを乗っ取る光景ももう当たり前だ。地方創生や天皇制問題を見ても、美しい伝統を民意を圧殺してぶち壊しているようにしか見えない。形は残っても中身は残っていない。
藩閥主義者や帝国主義者は安倍政権を支持しないが、高齢者なら左翼、若者は極左で大衆なら中道となると、残るは中道でも左翼でもない「右翼」というポジションである。経済面では、エコカーやコンパクトカーや安い車を作っても日本人の車離れは改善せず、公共交通の混雑は市場競争の弊害でむしろ激化するが、政治はちっとも進歩しないのだ。
そこで日本社会がすべきことは、安倍政権が見限った藩閥主義者、帝国主義者の受け皿になりつつ、歴代政権が放置し続けている諸問題(たとえば都市問題や経済問題など)に取り組むことである。ついでに共和制移行も検討してしまえばいい。なぜこれができないのか、不思議でならないよ。
今の持つ層と昔の持つ層と持たない層できっぱり考えが割れる傾向はアメリカを筆頭に共和制の先進国では当たり前になっているが、日本の場合はアメリカのような進んだ政治もなければ果てしなく富裕層を排出するような最高クラスの経済もない。「量産型化」したロボット国民の存在があまりに多いので、現役勝ち組と元勝ち組と負け組で割れない。
これら私の掲げる方向転換を日本国民が実施してくれる可能性はたぶんないだろう。だが、それくらい思い切った変化がなければいけない。あれほど圧倒的な勢いで経済成長できた日本が、わずか四半世紀で好景気終了後に凋落がとまらないのは、国家が現状維持以外の何もできずにいることに国民が失望しているからだ。
gudachanことbonchacchangaです。2013年から2016年まではてなブログをやっていた者です。
私は本当の意味での田舎者なんですけど、今回声を大にして訴えたいことがあります。
私は神奈川県の湘南地方に住んでいるいわゆる田舎者です。買い物で川崎や横浜や東京に行きます。
鉄道は日本人からすれば大きな商売かつ貴重な交通インフラです。でも良く考えてください。
今は昔と違って本当の意味での貧しい人は多くいません。増えたのは富裕層でないという意味での貧しい人です(中間層の存在を思いつかない頭の貧しさにもうんざりします)。本当の意味での貧困者は減っているんですよ。車は駄目でもオートバイとか自転車持てる人がいくらでもいます。20年~30年前より減っているはずです。人口減少ほど豊かになると言うことを考えれば、人口増加説が当たらない限り日本はさらに豊かになるはずです。
あたかも都会の人々を社会ぐるみで障がい者みたいに特別扱いしているのと同じです。都会人だって障がい者よりかは健常者のほうが多いですし、貧しくない人のほうが貧しい人より圧倒的に多いです。まさに「日本くたばれ!!!」ですよ。都会人が田舎者以上に見下されているんですよ。
しかも、都会の財政は地方に比べて豊かです。地方に私鉄が多いのは、法人税を回収するためなんです。地方はとにかく貧しいんです。そうでなければ今時公営鉄道か本物の車社会になっている筈です。もちろん私は公共交通が駄目になりますます車社会に苦しむ地方にも同情します。
また、欧米では少なくとも都会の旅客鉄道は「原則公営」です。あくまでも公共インフラに過ぎないからです。
最近鉄道会社は商売に煩くなってますが、公共インフラとして利用している人にはいい迷惑でしかありません。
さらにいえば、外国のどの都市も道路は日本で言う地方の道路並に広くなっていて使いやすくなっているのですが、日本の都市はどうでしょうか?
財政の豊かなはずの都会が道路整備や公共交通整備を怠り、民間の鉄道インフラを使わせているという状況に外国人や日本の田舎者すらあきれています。都会人はどう思っていますか?
田園都市線問題を期に今こそ、都会人が立ち上がるときなんですよ。都市部でのインフラを欧米水準少なくとも韓国や台湾や中国水準に引き上げるべきです。
大都市の私鉄がレガシーになり、都会の鉄道が公共のためのものにすべきなんですよ。道路を便利にしよう、「狭い道路は時代遅れ」に田舎も都会もないんですよ。
札幌・仙台・名古屋・大阪・福岡みたいなところや地方都市には私鉄は必要ですが、首都圏からみればダサいもいいところですよ。
皆さんが鉄道通勤ラッシュや鉄道の副業第一のことを外国人や田舎者に叩かれても都会人は何も疑問に思わない。東京の私鉄社会は終わりです。JRか都営鉄道にしましょう。そして道路拡張などの整備を促しましょう。
車は公害の元は昔のものです。ハイブリッド車やエコカーや電気自動車。オートバイなら電動バイクがかなり普及しています。バスをみて下さいよ。排ガスの黒い車はほとんど走っていません。
皆さん声を上げましょう。都会のインフラの近代化です。私も闘います。都会のために。
私は東京で道路の使いづらさに苦しむ人達の悲鳴を何度も聞きました。時代遅れの偏見のせいで道路整備が進まない。だからこそ訴えているんですよ。
暴走族が怖いだ?暴走族はとっくの昔に絶滅してます。(※完全には絶滅していないという声もありますが、個人の悪ふざけ以外殆ど見かけません。集団でのそれなんて私の知る限りここ5年間見ていません。そもそも私の住む街には2014年を最後にそれら含めて1度も見ていません。)
理系はてなーのみなさんは、MIRAIに関するさまざまな問題点の指摘をすでに目にしているだろう。
曰く、水素自動車に使われる水素は結局は電気で作るほかなく、その電気は化石燃料含めた既存の発電設備で作る。化石燃料をそのまま使う内燃機関車や、電気の段階でエネルギーを受け渡すEVより多段階のエネルギー変換をしているわけだから、そのぶんエネルギー効率が落ちている(実際、コストで比較するとHVやEVよりも燃費は悪い)。水素ステーションという社会的インフラ基盤を整備するコストも高い。液体ではなく気体を扱うわけだから設備にもそれだけ高い保安性能が要求される。1拠点で1億円かかると言われている。エネルギーロスがある技術に、多大な社会的投資が必要になる。
これらはすべて、MIRAIという車両の「川上」に属する問題だ。でも、MIRAI自体の問題について指摘した文章をあまり目にしていない。そこにこそ「MIRAI(FCV)には未来がない」ことの雄弁な証拠があるというのに。
なんでMIRAIには未来はないと思うのか。端的に、でかすぎ、重すぎなのだ。クラウンよりも5mm短くて横幅が15mmでかい。同サイズ以上。車重は2000kgオーバー。定員は4名で、後部座席の足元は前席下に入らない。トランクは狭小。これが、FCVに未来がないことの証拠だ。
そんなことがなぜ問題なのか。「初代の実験的販売車だからいいじゃないか。そのうち改善されていくだろう」。そうではない。たとえば初代プリウスはMIRAIより全長が600mm、横幅は100mm短く、車重は1200kg台で、定員5名だった。MIRAIより800kgも軽いのだ! 初代プリウスをあれだけコンパクトなパッケージにまとめたトヨタが、MIRAIでは会社の命運を賭けてもここまでのパッケージングしかできなかったということが、FCVの将来を暗示している。MIRAIはHVに比べても、積載している技術要素が多く、しかもそれぞれ小型軽量化するのが困難な技術的制約があるから、この大きさと重さになってしまっている。以下、それぞれの技術要素について言及する。
まずFCスタック、燃料電池部が重くてでかい。この重さと大きさでどうにか155psを確保した。2tを超える車重を動かすにはおっつかっつのレベルだ。しかも、その性能(重量出力比)を規定しているのが化学反応の領域なので、技術革新のペースが電子技術や機械技術よりも格段に遅い。これは燃料電池だけでなく、電池技術の一般的な命題として知られている。実用車として必要な出力を確保するには、大幅な小型化は難しいだろう。
高圧水素タンクも重くてでかい。でも、これ以上小さくすると650kmという内燃エンジン車の平均的航続距離を切ってしまう。タンク圧を上げればそれだけリスクが増す。現状でも水素自動車スタンドでは危険性を考慮し、専任オペレータがチャージしなければならない(=セルフ補充はできない)仕様なのだから、これ以上の高圧化の可能性はないだろう。そしてタンクの耐用年数は15年だ。しかも2年毎に定期点検が必要になり、一般の車検場では検査はできない。とてもエコだのサステナビリティだのを胸を張って主張できるような代物ではない。
水素ガスの供給系も重いしでかい。燃焼性の液体を発火プラグの直前で気化する内燃機関に比べて、気体を高圧タンクからスタックまで送り込むのだから、配管の気密性もポンプの性能も桁違いに保安基準が高く、それだけ重く大きくなる。これも技術的制約であり、簡単に解決できるようなものではない。ちなみにこの車には数ヵ所に水素ガスのガス漏れ検知装置がついている。
廃熱系も重くてでかい。水素自動車は水しか排出しない。つまり排ガス経由で廃熱を抜けない。しかし燃料電池部分はかなりの発熱を伴う。FCスタックで起きているのは、酸素と水素から電気と水と熱を作る反応だからだ。だからあの異形の巨大グリルが必要になり、その内部に大型のラジエーターが鎮座している。これも化学反応の特性に紐付けられた制約だから、技術革新で容易に克服できるものではない。
バッテリも、EVほどではないにしろ、それなりに重くてでかい。FCスタックだけでは柔軟な出力制御や回生はできない。だから大型の補助バッテリセルを積んでいる。FCスタック+モーター+バッテリというパワートレイン。これエンジン+モーター+バッテリとパラレルな、要はHV車と同じような構成なのだ。HV並みにパワートレインの構成が複雑で、構成部品も多い。しかも可燃性気体を扱うぶんだけ重く大きくなる。これは技術革新だけでどうにかできるような問題ではない。FCVという特定のテクノロジーの組み合わせによる、固有の限界、固有の制約というものがある。それがMIRAIの初期モデルの性能と価格を規定している。こう説明すれば、理系はてなーは直感的に「あっこれ、技術的に筋が悪いな」と感じるのではないだろうか。
だから値段も高い。補助金なしなら700万円オーバーだ。そこに、国民の皆様の血税が220万円注ぎ込まれて、やっと500万円程度になる。ちなみに初代プリウスは補助金なしで215万円だった。おわかりいただけただろうか。だからMIRAIには未来がないのだ。
2021年6月16日、ホンダ・クラリティFuel Cellの生産中止が発表された。ホンダ、FCV生産中止 販売低調で : 日本経済新聞 理由は販売低調。そりゃそうだ、高い(783万円)、でかい(全長4915mm・全幅1875mm)、買いにくい(リース専用)。2021年6月時点でも全国の水素ステーションの数は147箇所止まり。助成金たんまり乗せて官公庁と法人に買ってもらうしかマーケットがない。そもそもクルマとしてのユーティリティが乏しいFCVで、さらにあえてホンダ車を選ばなければならない自治体や企業はほとんどない。全世界での累計販売台数はわずか1900台だったそうだ。FCV全体を断念するわけではなくGM合弁でFCVは続けるということだが、あくまで保険的なムーブだろう。
もう一方のトヨタ・MIRAIはどうなったかといえば、こちらも累計販売1万台・国内販売3700台と全く振るわない状況だったが、2020年12月にガラッと雰囲気の変わった2代目が出てきた。https://toyota.jp/mirai これが実にお見事なのだ。といっても「これなら売れる! FCVの時代が来た!」という意味ではない。5年前にこの増田で書いた諸問題をまったく解決できないまま、それでも「FCVには将来性がある」という幻想を維持するために、針の穴に糸を通すようなコントロールで商品企画をやり直し、それにある程度成功している、ということだ。
どういうことか。まずボディサイズだ。レクサスLSと同じGA-Lプラットフォームを採用して、全長4975mm・全幅1885mmに。ちなみに初代は全長4890mm・全幅1815mmだった。初代よりひとまわりデカくなっているのである! 価格は? 細かくグレードを刻んで710万円〜860万円。こちらも高くなっている! 高圧タンクはどうなった? なんと3本に増槽している。しかも1本は運転席の真横に据え付けられている。
全幅1885mmにして、巨大なフロアトンネルにも水素タンクを入れて、750〜850kmという航続距離を確保。全長4975mmにして、ゴルフバッグ3個分のトランクを確保。大径タイヤを採用して地上高を上げ、タンク寸法を拡大。とにかく、全体をデカくすることでどうにかした。「技術的課題を解決しないという解決をした」ともいえる。
一方でトヨタはさすがだなと思うのは、そういう「FCVの限界に気づかせないための、ほぼ唯一の正解ルート」を新型MIRAIでちゃんと選んでることだ。上司に「お前、FCVなんとかしろや」と言われた時に現場が練ってくる商品企画としては、ほぼ100点満点といえる。つまり、デカさと高さを「これはあくまで高級車、ラグジュアリーカーなんですよ〜」という建て付けにすることで、「要素技術的に小型化・低価格化が困難」という自家用FCVの致命的欠点を希釈したのである。
自家用FCVの「デカい・狭い・高い問題」を誤魔化せるのは、もともとボディサイズが大きいスポーツ寄りの大型セダンか大型SUVぐらいしかない。だがエコカーの上得意である自治体や法人はSUVを買わない。だからMIRAIは「レクサスLSみたいな、スポーツ寄りの大型セダン」になった。2代目MIRAIは、顔つきこそスポーツカーっぽいが、シルエット的にはギリギリ自治体・法人用のショーファードリブンカーにも富裕層向けのドライバーズサルーンにも見えるし、実際に両方のニーズをそこそこ満たせるように作ってある。辻褄は合ってる。
ショーファードリブン用途に供するために、狭い車内で後部左右席をめいっぱい広く取った。だから後部中央席は実用に向かない。あくまで「5人定員」というカタログスペックのためのエマージェンシーシートだ。これはファミリーカーなら大きな欠点だが、ショーファードリブンやドライバーズサルーンなら別に困らない。ほとんど使わないから。辻褄は合ってる。
後部中央席を実際に使わない想定なら、フロアトンネルを大きくしてそこに水素タンクを増槽してもいいよね、となる。結果として航続距離が伸び、600km→850kmになった。これで水素ステーション不足の問題をある程度緩和できている。辻褄は合ってる。
ガッチガチの制約条件の中で唯一の正答を導く論理パズルみたいなことになってて、しかもちゃんと正解してる。さすがトヨタ。だがこれは「やっぱりFCVで大衆乗用車(5人乗り+5ナンバー)を作るのは無理でした」という事実上の敗北宣言でもある。やはりMIRAIには未来がないのだ。
おそらくトヨタも、自家用FCVという路線にはもう勝ち目が薄いと認識していると思う。そこで繰り出してきたのが水素エンジンという隠し球。技術的にはそう目新しくなく、過去にも複数メーカーが販売している。ただカーボンオフセットが問題視される以前は既存のガソリン内燃車に比べて全く優位性がなかったし、そもそも世の中に水素燃料のサプライチェーンが存在していないから普及することもなかった。
でもFCV普及が厳しくなった今、水素エンジン車は、既存自動車メーカーが手持ちの技術資源を使ってEV勢に対抗しうる希少な選択肢になる。内燃で培った基幹技術の多くを使い回せるので、今からでもイノベーションで先行するEV勢にキャッチアップしやすい。ミッション系ほか大手下請サプライヤーもそのまま連れて行ける。ガソリンに比べて重量エネルギー効率はかなり悪いが、お得意のHV機構と絡めれば何とか燃費も実用域まで持っていける可能性はある。官民を巻き込んだ水素ステーション全国展開というプロジェクトの延命もできる。モジュール化に不向きなので中長期ではEV勢に対してどうしても不利になっていくが、レガシーの技術を延命させて戦えるとこまで戦うというのも旧主派勢力の立派な戦略だ。3代目MIRAIは、出るとしたら普通の水素エンジンHV車に生まれ変わっているかもしれない。
(続きを書きました https://anond.hatelabo.jp/20210820195856