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はてなキーワード: お題目とは

2024-10-28

anond:20241028101159

お題目はそうだけど、政党政策集団であったことなんて、たぶん世界史見渡してもそんなないぞ。

 

大抵は、北部南部だとか、都市労働者農家だとか、ブルジョア貧乏人だとか、そういう分裂とか党派性の表れでしかない。

2024-10-27

投票率24%らしいけど

最早「選挙に行く方がおかしい」んだよな。

選挙に行こうとか、政治家がどうとか、政策がどうとか、

自分たち24%の異常者だということを自覚するべき。

お題目はわかってるよ。民主主義大事ですね。

そういうことを言ってるわけじゃない。

お前が、おかしい、人間なのを、自覚しろ

多数派じゃないんだよ。普通じゃないんだよ。一般的じゃないんだよ。感覚おかしいんだよ。

お前が、選挙に行くのは、お前が異常者で、多数派の心や感情がわからいからだよ。

それを自覚した上で、反省して人生を見つめ直せ。

2024-10-22

anond:20241022205339

このシリーズも、とうとう「つまらない奴がつまらないことをする」ターンに突入した

おまえのせいで、この一連の流れは終わる

追記

hecaton55 興味がないという言い回しである可能

興味があるから「つまらない奴」って言ってるんだろ?

興味なかったら、そもそもレスしないってわかんないかなあ

norinorisan42 「(自分が)飽きてきた」程度の話を、どうにかしてかっこよく言う選手権だろうか?

お題目としてレジェンド作品を書き連ねるシリーズ

「この作品は知らないのでパス」なんて書いてる奴が、名乗りをあげはじめた現象

「つまらない奴がつまらないことをする」って言ってるんだよ

こういうものは、ガチ勢の絞り汁を摂取するから面白いんだろうが

ヌルオタがたまたま通ってきたものだけを列挙する自分語りが面白いわけ無いだろっていってんの

わかれ

世の親たちがコドモカワイイコドモカワイイってお題目のように唱えるのサンクコストの最たる例だと思うんだよな

子育てを国が主体でやるようになり、いつでも子供を国に預けられる社会になったとき果たしてどれだけの親が最後まで子供を手元に留めて置けるだろうかね

2024-10-01

anond:20241001171027

そのお題目をおまえ自身が固く信じているなら

知らん増田が何を書こうとも動じないだろうな

リベラル”のためのポリコレポルノになり果てた『虎に翼』は、「法」を全肯定しなくてはならなかった

法律なんてもの必要悪で、なくて済むならないほうがいい。

偏差値が高い高校ほど校則がゆるい」とよく言われる。実際、都立のある一番校では、制服なし、校則ほとんどなしだが、風紀は荒れていない。偏差値けが理由かどうかは疑問(家族状況、経済状態もあるだろうし、私立の高偏差値高校で薬物が蔓延っていたりもする)だが、決まりなどなくて済むのであれば、敢えて決まりをつくらないほうがその社会構成員無用ストレスを与えない、というのは事実だろう。押さえつけなければ反発心も起こらないのだ。

究極的に人間は、互いの生まれながらの尊厳を認め合い、「自分がされて嫌なことは他人にしない」という最低限の倫理を身につけていれば、法律などなくとも平和共存し得る。その理想が実現できないから、仕方なく法で自らを縛る必要があるのだ。

 

『虎に翼』最終回をで主人公が死んだ後、娘に「お母さんは法律のものだった」的なことを言われて、幽霊状態主人公が喜んでいたのは、私にとってはグロテスクなシーンだった。娘から必要悪、と言われていながら、満面の笑顔を浮かべる母。

あれだけ法が取りこぼしてしまった人間たちを見てきながら、まだ法に全幅の信頼をおいている主人公そもそも理解できなかったのだが、彼女最後まで法はアプリオリ人類必要もの、という認識でいたようだ。

新潟出会った少女の「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いに、直ちに答えることができなかったのも当然だ。彼女には「自然法」という観点が欠如している。「人間が生まれながらにして平等で、それぞれに尊厳をもっている」ということが、“憲法によって与えられている”と考えているのだ。(正しくは“憲法によって保証されている“であり、尊厳自体アプリオリ存在する;憲法停止したら人権が失われるとでも思っているのか)

 

しかしこの逆転、このグロテスクさこそが、今のリベラル象徴しているとも言えよう。

グローバリズム多様性というお題目で、共感できる背景を共有しない者同士の共存を進めていけば、明文化された決まり法律けが、“相互理解”を増進するためのツールにならざるを得ない。そしてその法律が力を持ち、万能なツールとして必要以上に神格化されていく(あとはカネだけが共有可能価値となる)。それと同時に、それまでの社会構成していた重要な要素である感情的・非論理的物語的(説話的/神話的)な共感背景は無価値化されていく。

個人的には、尊属殺の重罰化は違憲だと思うが、家族は共に扶助すべきという民法の一文は意味があると考えている。「家族」というものが結局はフィクショナルなものだとしても、その“物語”を社会である程度守っていくことに価値はあると思うのだ。

 

上記新潟女生徒からの重大な投げかけの解決法にも心底がっかりした。

女生徒は死に、ダウングレードした娘に、主人公が何か感情的おためごかしを言って、解決してしまったのだ。まぁ上のような法への認識でいる主人公から仕方ない。その後彼女少年法改正についての委員会で「愛でしょ愛」などとまた感情的なことを言っていた。

真のリベラルからすれば彼女モデルが「家裁の母」と呼ばれていることに怒りを覚えるはずだが(なぜ“母”なのか、性差意味がないはず)、ここでの主人公の描かれ方は、まさしく保守的な「お母さん」像であった。

もはやこのドラマ立ち位置がわからなくなるほどの倒錯が起こっているように感じたが、実際こうでもしないとまとめることができなかったのだろう。そもそも彼女は法への姿勢という最初立ち位置から間違えているのだから

 

最初から最後までいわゆる「上級国民しか登場しないドラマであったが(上野の浮浪児くらいだろうか)、その恵まれ位置にいながら、たまに(ポーズのように)反省して見せるだけで、根本的なところでは法の無謬性を疑わなかった。原爆裁判を経て、主人公が変わるかと期待したが、結局はそのままだった。

残念なドラマではあったが、その時代には絶対にそういう発言をしていなかったであろうLGBTを描き始めたところで、ああこれはポリコレ好きのためのポルノなのねと諦めはじめていたので、最後の方は期待感も薄かった。

 

anond:20240822052827

2024-09-25

左派反戦の為の経済論を立てられない理由自分なりに解釈する

立憲代表へ野田選出は戦後左派が反戦の為の経済論確立に失敗したからはてブまで含んで読んだ

実は前々から考えていたことがあって、もちろんこの考えは自分個人勝手解釈だし、これが正解だなんて言うつもりは毛頭ないが、1つの意見として咀嚼してくれたらなと思っている

自民党反戦経済論の申し子である

一部の人特に反自民党みたいな属性の人からするとビックリするようなお題目だけれど、これにはちゃん理由がある

そもそもとして、戦後日本政府って(米国意向もあって)平和憲法を採択したのは歴史に記されている通りなんだけども、これはつまり戦災復興経済を再始動させますという段階の時点で反戦立脚した経済体制を築かなきゃいけなかったんじゃないかと思うのよね

もちろん一部の人に言わせれば朝鮮戦争特需があって〜のような考えにも着目したくなるんだろうけれど、戦後日本政府としては戦争という選択肢自体が無いわけで、元増田言葉を借りれば反戦経済論を構築していかなきゃいけなかったわけだよね

そんな戦後日本政府の後継たる現代自民党経済観の根底ベースには戦災復興期の反戦経済論があって、そのベースを元に自民党現在まで経済政策を採択してきているわけだよ

そして、ここで野党(戦後左派)の経済政策へ1つの問題が生じるわけだ

反戦経済論に自民党が居座っている

戦災復興期の反戦経済論をベースとする自民党経済政策は反戦であって、様々な面で反戦標榜してきた野党、例えば日本共産党社会党(社民党)、民主党(民進党立憲民主党国民民主党)などが党内で経済政策を採択しようとすると思いっき自民党と被ってしまっていたんじゃないだろうか?

国際経済だってブロック経済世界大戦を誘発した反省から不正競争を抑えつつ国際取引を促進し〜みたいな流れがあるわけで、それに乗っかっていた自民党経済はやっぱり反戦的だったわけだよね

でもさ、野党からすると自民党(の経済観)が反戦的だなんて自分たちの政党スタンスから言っても認められないわけだから自民党(とその支持者)には戦時経済への羨望が〜みたいな国際経済へ乗っかってる自民党実態とはズレてしまっている評価をしはじめちゃうわけだよね

そこで登場したのが何でも反対と再分配の促進

結局、野党自身反戦経済やらないといけないとわかっているわけだから反戦的な自民党経済政策へ対して取り敢えず反対して一層の改善を促すことに注力し始めたんじゃないか

しかし、反対するだけなので改善自民党任せで来てしまったため実行力が無く、結局は自民党に与する企業労働者などがどんどん豊かになっていったから、その豊かさを一層の再分配しろと言うようになった

例えば直近だと日本共産党が主張した内部留保課税なんかもそうで、そもそも利益がなきゃ留保なんてできないわけで、日本共産党企業に稼がせることはしてこなかったので今ある富を切り崩す方向でしか経済政策提案できないわけさ

同じような解釈民主党がやった埋蔵金探しの事業仕分け理解可能で、企業労働者もっと稼げる環境を作るという方向じゃなくて、今ある財源の中に埋蔵金があるはずだ!という発想になっちゃったわけだよ

野党反戦経済出来ないのは自民党反戦経済から

どう?この考え?

自分でもどこかに破綻矛盾があるとは思ってるんだけど「ちがう!そうじゃない!」「お前バカだわ」「勝手に言ってろよ」「自民党が〜」「安倍が〜」とか反対ばかりで中身無いのは、対策代替案、補償ほとんど打ち出してこなかった左派という元増田エントリ裏付けなっちゃうからマジでやめような

2024-09-23

立憲代表野田選出は戦後左派反戦の為の経済確立に失敗したか

安保防衛法制に関する知見を持つ野田佳彦中間浮動票層を取りに行くために必要な選出だったという悔しさを滲ませる評価左派の多くが行っているみたいだ

それ以前の視点として、左派として解決しておかなければいけなかった問題放置したせいで安保防衛法制に関する知見を持つ野田佳彦を選出せざる得なかったことを無視し過ぎでは?

だってわかっているはずだ。戦後左派食糧エネルギー鉱物など様々な分野の自給率が乏しい島国日本で、これらを解決する経済政策をほぼ提案できてこなかった

自民党自然破壊する火力発電所水力発電所原子力発電所を作ろうとした際に、自然保護をお題目し反対活動現在でも繰り広げるが、自然共生できる経済発展とはどのようなものか?を答えられる左派ほとんど存在しないだろう

土地再開発ときも、成田空港ときも、新幹線ときも、オリンピックときも、万博ときも、原発ときも、リニアときetc...挙げればキリがないほど左派は反対した

土建業製造業を例に企業営業活動デモなどによって妨害を繰り返したこともあった。国鉄時代には通勤客の雇用人質自分たち意見を押し通そうとしたこともあった

かに公害薬害への補償左派が良い働きをした面があるだろう。国は被害に遭った方々を救済せよという左派たちの声は非常に心身健康を害した人々にとって心強いものだっただろう

しかし、左派はこれまで経済活動邪魔された者達へなにか補償はしたのだろうか?就職氷河期世代補償せよと言われ、(内容は非常に薄いながらも)補償をしようとした自民党

自民党比較し、製造業海外移転を促進させてしまった民主党政権を生んだ左派就職氷河期世代就職率を下回ったリーマン・ショック世代へ対して何か補償せよ!と誰もが記憶に残る形で強く訴え出たことがあっただろうか?

野田佳彦だと戦争法制が加速するだって

よろしい。では日本列島から見て西方諸国輸出入することで成り立っている島国経済日本で、日本西方輸出入海路である南沙諸島-台湾-尖閣諸島-沖縄へ対して中国強硬姿勢を示している

日本西方輸出入海路欧州アクセスするためのスエズ運河へ通ずるアデン湾で、イスラム教フーシ派から資金提供を受けていると観測されている現代武装を所持する海賊が、いわゆる西側諸国船舶攻撃を仕掛けている

アデン湾での海賊事件過去ソマリア海賊として知られ、これらに対し国際連携で歩調を整えて海上自衛隊派遣するとという時限法が成立したが、一部の左派しか賛成に回らず大半は反対色が非常に濃厚だったな?

あなた達の衣服食糧も、住宅道路の建材、発電のための燃料、化粧品に含まれ添加物に至るまで、日本国民生活西方輸出入海路依存しているが、これまでに行われた自民党による経済刺激策や、あなた達の言う戦争法制へ反対する左派は一体これをどうするつもりなのか?

そして、これらに反対するだけ反対をし、対策代替案、補償ほとんど打ち出してこなかった左派のせいで立憲民主党新代表野田佳彦が選出されることになったんだ。お前らが生んだ代表野田佳彦

対策代替案、補償を行ってさえいれば、そのifの世界線野田佳彦無用存在であり単なるファシストだと言える。しかし現状では野田佳彦有用経験知識背景を持つ人物たり得てしまっているんだよ

左派戦争をしないために反戦のために経済をやれ、戦争する気が起きないくら国民を富ませてみせるという気概を見せろ

それは出来ない、そんなの無理だ、国民平等に貧するべきだと思うのならば、現状お前らが実感している通りに、反対するだけの左派は徐々に力を失って消滅し、野田佳彦のような名ばかり左派が台頭する

2024-09-11

本意透けてるぞ、オタク

Vtuber 名取さなAI反対派の絵描きオタクに燃やされそうになっている

一例

https://x.com/shint_akatohi/status/1833554700098302062?s=46&t=5SC2ijxK10L6bnY__PUM5A

この曲は実際には人間が作ってる!とか言われてるけどそんなことは実際どうでもよく、音楽AI使用(だと彼らが判断して)燃やすのは結構珍しい

彼らは基本的に絵にしか興味がなく他の創作を見下しているためお絵描きAI以外にキレることは少ない

YouTubeにはSuno AIで作った曲が溢れているが燃やされるところを見たことがない。

今回は一体どういう了見だ?と一瞬思ったがすぐ察しがついてしまった

名取さなVtuberからだ。お絵描きオタク距離の近いところにいるVtuberAIを許容することは彼らの中では許されないんだ。

浅い、あまりにも浅すぎる。彼らの著作権意識は全部お題目で、実際には自分たち損得勘定が大きく関わっている。

かっつーが「ゲームカード落としちゃったァ〜」と数々の曲を無断学習(笑)して作られたAI製の曲をBGMにしても怒らない。なぜなら音楽なんでどうでもいいしかっつーなんて自分らと関係いか

ただ名取さなAI製の(実際には違うらしいが)曲を歌うことは許さない。なぜなら音楽なんかどうでもいいけど名取さなオタクの近くにいるはずのVtuberから

ただしたっくーtv動画の途中にAI絵を使うのは許さない。なぜなら絵だから

本当に著作権的に問題があって許せないと思っているならせめて全部叩け

説得力ないよオタクくん

2024-09-09

エンタメ業界とかの未来が暗くて鬱で死にそう

謎の楽観視が会社業界蔓延しててマジで謎。宗教団体お題目みたい

生活にかかるお金が増えるのになんでお客が自分のとこへの出費は減らさないと思うのか。値上げ自体はするのに

世界で見れば顧客は多いって言うけど、コロナから統計見ても世界市場しょっぺーでしょ。別に中国大金持ちがたくさん買うとかないし中東石油王投資から意外とシビア

なのに値上げは仕方ない。ファン我慢して受け入れろを業界が平気でやるのが意味不明ライブ演劇もグッズも何もかも高くなったら推す作品を減らし、見る回数を減らし、買うグッズを減らし速攻値上げ以上のマイナスが来るよ

手弁当価格維持しろって話では無くて、価格分のサービスを与えようよ。ライブとかなら寄生虫転売を無くしたり、商品は受注生産とかで飢餓感を減らすとか。ほんと今の消費者一瞬で見限るよ。企業側が強気に出るのは不可能

って感じの空気が数年前からあるのに業界はいけるいける電子書籍中国かいう感じで最小限の金で最大の儲けを取ろうとしてる。マジで日本エンタメは1年で結構潰れるよ。大手はともかく中小上場しててもヤバい。それくらいヤバい。なにか作る費用も高い。流通も高い。電子書籍で安く上げてもその先のグッズ売れない。くじとか転売ヤーが買い占めるけど誰もそこから買わないから2弾が爆死。もう今までの供給量が無理です。半分がちょうどいい

2024-09-04

anond:20240904175016

営業上の試算が間違ってるとか赤字覚悟だとかは

明確に会社側の裁量範囲しかなくて差別と結びつけるのは無理スジ

差別お題目から初めてマーケティングの失敗を社会悪みたいに言い出すパターン

2024-09-01

anond:20240901135948

こんなん言うからコレを真似してお題目唱えて騒ぐ陰謀論者が増えたんだと思うけどな

医師水銀がどうとか噛み付く反ワクとか弁護士に謎理論で噛み付く共同親権親とか

2024-08-31

anond:20240831112448

単に責任感ないだけでしょ

女性管理職を増やすというお題目でゲタはい管理職になったとかそういうのじゃないの

2024-08-24

進学を重視するなら校風で選ぶにしてもまず実績が第一だと思うんだけどな

実績の上がってない「校風」なんて失敗したコンセプトか実態が伴ってないお題目なんだし

2024-08-19

NHKラジオ国際放送翻訳担当する中国籍の男が尖閣諸島中国領土などと原稿にない不適切発言

お題目のように戦争反対と唱えてる人たち、これどうすんの?

2024-08-18

煮詰まる」はいかにして「結論が出る」という意味になったか

それでは夏休み自由研究を発表したいと思います

最初

現在のところ「煮詰まる」という言葉は、「議論交渉がまとまって結論が出る」という用法が正しいとされ、「議論が進まなくなって行き詰まる」という用法誤用であるとされている。「煮詰まる」という言葉がどのように用いられてきたのかに興味を持ったので、その変遷を辿っていこうと思う。ソースはだいたい国会図書館デジタルコレクションである

注意として、ここでは「煮詰まる」と「煮詰める」を区別して、「煮詰まる」の用例のみを追っていくこととする。現在においても「煮詰める」のほうには「行き詰まる」という用法はなさそうだからである

白樺派の例

調べてまず気付くのは武者小路実篤が「煮詰まる」を多用していたこである。そして同じく白樺派有島武郎長与善郎、その影響を受けたという岸田劉生木村荘八なども「煮詰まる」を用いている。まるで実篤から伝染したようである。それらは概ね「無駄な修飾を排して凝縮されている」あるいは「態度が一つに決まっていく」というような用法であり、いずれもポジティブ意味で使っているところが共通している。いくつかの例を挙げる。

大正10年 武者小路実篤自分脚本に就て』

僕は脚本はどうしても人間精神のあらわれである上に、煮つまったものであることを要求します。


大正10年 有島武郎『筆頭語』

心が二元的である間は、即ち或る機縁によって煮つまって一元的にならない間は、どこまでも二元なり多元なりの生活を押し通して行くがいいと思う。


大正11年 木村荘八『泰西名画家伝』

長官デリニのあやが「うまく」かかるもかからぬもなく、競技――即(すなわち)対抗の空気は忽ち煮つまるばかりであった。


大正13年 長与善郎『書斎より』

牛のよだれのようにだらだらした書きぶりがいかんのは問題にもならぬ事であるが、さればと云って何でも只無暗に簡潔に端折って書きさえすればいいと云う事を一つおぼえて、まるで電報文句のような言葉さえつかえば煮つまったいい文章だ、と思っている人の文章は又不自然な、とらわれた感じのするものである


昭和5年 岸田劉生演劇美論』

全体として、一つの美しさを出すけれど、旧劇の如く煮つまった味はなく、その美は甘く、低級である


白樺派以外の例

もちろん白樺派以外の用例も同時期にあった。意味的にはさまざまだが、ネガティブ用法も多かったようだ。

明治40年イヴィッド・パーリー『くらげ』

この説明には余程可笑しな点がある、で、僕は云った。

『じゃ、この国では、宗教煮詰まって了ったのですネ。』

もとは『The Scarlet Empire』というタイトルアメリカ小説である。原文は「It looks as if religion may correctly be said to have gone to seed, in this country.」となっており、「gone to seed」は「盛りを過ぎて衰える」という意味なので、つまりそういった意味で「煮詰まる」が使われていると考えられる。「加熱しすぎて水分が飛んでしまった」ようなイメージだろうか。

大正9年 ドストエフスキー白夜

私が余りに余計なことを喋舌り、私の心の中で長い間煮つまっていたことを必要もないのに述べ立てたことを、而もそれに就いては私は書いたものから読むように話すことが出来たのだ

こちらも翻訳書。英文は「I had unnecessarily described what had long been simmering in my heart」。「心の中でくすぶり続けていた」とか「ずっと感情が渦巻いていた」といったイメージか。

大正10年 岡本一平へぼ胡瓜』

何処かに法華宗があると見え、この熱気の世界の中へ煮詰まった声でお題目をいきみ出してる。

真夏暑い日に遠く法華宗お題目が聞こえてくる…という場面で、この「煮詰まった声」は「重苦しく絞り出している」ような印象を受ける。もの煮詰まったあとのドロドロとしたイメージだろうか。

大正12年 佐々木味津三『呪はしき生存

単にそれを考えるだけでも、彼は天地が煮つまるように感じていたたまらないような震撼を覚えた。

「居た堪らない」というので、世界が煮られて、そこにいられなくなるような感じだろうか。ぎゅっと狭窄するような感覚もあるかもしれない。

昭和2年歌舞伎 第三年第十三号』

森金之丞は正直にこれに答えるが、だんだん議場(公議所)の空気が煮つまって行き怒声、罵声騒然たる裡に第一場は閉じて行く。

議論が悪い方向に盛り上がってヒートアップしているという描写結論が出そうにないという点では現在の「誤用」のほうに近いか

昭和6年 大高巌『近代支那文学史上の先駆者

かるが故に自己生活を安泰ならせんが為には儼然として己れが階級城壁を固守しなくてはならない。科挙制度がそれだ。かかる試験制度採用することは一に権力者に反抗する意志学問の為に煮つまらせ、又一には士大夫階級思想擁護有為なる人材を作ることになる。

こちらは「集中させる」「浪費させる」ようなニュアンスか。

昭和9年 式場隆三郎バーナード・リーチ

高村光太郎は余り外に出ない。併し仕事は煮つまってきていると思う。暫らく作品を見ない。

この式場隆三郎白樺派との交流があったらしいが、「作品を見ない」ということは、ここでの用法は「行き詰まる」に近いのではないか

昭和10年 丸山幹治『黒頭巾を脱ぐ』

勿論コチコ官僚型で煮つまって、倒さにふっても水っ気もないような人ではなく、時代に対する感受性は強く、好んで人の長所認識する感服癖さえある。

こちらは「頭が固い」というような用法

昭和10年 ギュスターヴ・フローベールジョルジュ・サンドへの書簡

では左様なら。もう遅いのです。頭がまるで煮詰まりそうです。

翻訳書。英文は「Adieu, it is late, I have an aching head.」なので、普通に頭痛がすることを言っているのか、それとも「悩んで行き詰まっている」的な意味なのかはわからない。

戦後の例

戦前武者小路実篤を中心に、小説詩歌戯曲などの文学的文脈で使われることが多かった「煮詰まる」だが、戦後になると現在のような「議論交渉煮詰まる=結論が出る」といった用法が登場し、やがて支配的になっていったようだ。

それに関してわかりやすいのは「国会会議検索」で、戦前の「帝国議会会議検索」では「煮詰まる」はほとんどヒットしないが、国会会議録では1950年代あたりから見られるようになる。さらに用例を確認していくと1960年代から爆発的に増えていったようだ。労使交渉文脈が多いように思われるので、そのあたりをきっかけに流行りはじめたのかもしれない。

となると次に気になるのは「議論煮詰まる」=「行き詰まる」という用法がいつごろ確立されたのかということである。どうやって調べればよいか。たとえば「煮詰まってしまった」みたいな形だとネガティブ文脈で使われていそうだ。ということで検索してみよう。

昭和34年週刊現代

しか日本側は表面上は「朝鮮総連相手にせず」とその抗議を重視せず、裏では字句は修正せずとも運用面に幅をもたせるという妥協の動きに期待を寄せていた。それが、日赤相手にせざるをえない北朝鮮赤十字から真向に攻撃を受けたのだから問題は煮詰ってしまった。


昭和44年『先見経済

やはり人間災害にあってみないとなかなかわからないもので、そういったことで安堵感を持っている。しかしジワジワと危機に瀕してきているわけで、そのとき判断をあやまると、残念ながら煮詰まってしまう。


昭和47年ミュージックライフ

ハイスクールからジュニアカレッジヘと進んだアリス達は2年間のカレッジライフ煮詰まってしまい、カリフォルニアに向かったのである


昭和50年キネマ旬報

その後の二本は結局むしかえしのドラマをやるしかなくて、無残な作品になってしまった

あれも、会社方針企画貧困の為せる業で、プロデューサー監督も完全に煮詰まってしまったんですよ


昭和51年レコード芸術

あい自由さが背景にあってのこの音楽じゃなくて、すごい煮詰まっちゃってて、つらいだろうなというところで出て来る音なんですね。


昭和53年スイングジャーナル

でも、いつか自分のやりたいことをやらないと苦しくなるというか煮詰まちゃうわけだよね。


昭和54年ジャズ批評

昔は、自分が何をやっていいかからなかった。やり過ぎると煮詰まってしまうし。


昭和56年週刊読売

「でも、仕事ばっかりしていると煮詰まちゃう」「煮詰まちゃうってのは、息詰まる、退屈する、スランプに陥るって意味なんです。」


昭和60年 毛利子来岡島治夫・末永蒼生『「体」発、宇宙へ』

たとえば原稿書いてて、もう煮詰まっちゃって、しょうがない、寝よう、横になると、ア、と思いついちゃう


昭和60年 チャールズ・シェフィールド放浪惑星

その問題ととっくんでいるうちにわたしの頭は煮詰まってしまい、あとをマッカンドリューにゆだねた。


昭和60年 松浦理英子いちばん長い午後』

実はそれは性的遊戯の一環ではなく、二人の交際煮詰まってしまったあげくのもがき合いであった。


結論が出る」用法と比べれば圧倒的に少ない。とはいえ1970年代くらいからは、日常語として「行き詰まる」的な用法もわりと広まっていそうな感じはする。というか「結論が出る」用法議論交渉文脈しか使えず、それ以外のときは「行き詰まる」用法になることが多かった、という感じではないか

ちなみに、この「行き詰まる」用法誤用として問題視されるようになったのは2000年ごろらしい。実際、Google Booksで「煮詰ま誤用」などと検索すると2000年以降の書籍しか引っかからない。

まとめ

といったところか。

煮詰まる」のコアイメージは「熱されることで水分がなくなっていき固形分だけが残る」というようなものであろう。

それをポジティブに捉えると「余分なものが削ぎ落とされて本質がはっきりする」といった意味合いになり、ネガティブに捉えると「瑞々しいものが失われて停滞する」といった意味合いになる。たとえば「議論」にポジティブイメージ適用すると「論点が整理されて結論がはっきりする」になり、「思考」にネガティブイメージ適用すると「新しいアイディアが生まれなくなり行き詰まる」になるわけだ。

もともとの料理としては「美味しくするために煮詰める」ことも「熱しすぎて煮詰まってしまう」こともあるわけで、どちらのイメージで使うのも自然感覚である。当初から煮詰まる」は多義的比喩表現だったのだから、「これが唯一正しい用法なのだ」などとはあまり気にしなくていいのではないだろうか。

発表は以上となります。ご清聴ありがとうございました。

2024-08-17

anond:20240817185113

そんなんある?

お題目だけでむしろスパスパ切り捨てて使い潰すイメージしかないけど🤔

いや、てか大手はみんなそうじゃない?ってイメージは確実にある。

実態は知らん

2024-08-13

「~~するな!」とか「~~しろ!」とかわざわざ言うのって、そもそもその集団がクソすぎるからお題目大声上げてバランス取らざるを得ないだけなんだよな

欧米で「黒人差別反対」って言うのはそもそもとんでもないレベル黒人差別してるからだし、アフリカの大半で「黒人差別反対」って言わないのはそもそも人口の大半が黒人黒人に対する差別を維持できなかっただけだから

南アは維持できるくらい白人系が多いからまだ燻ってる

南アと同じく白人統治系の非欧米であるインドオーストラリア人種差別的傾向は残るが、こちらは「黒人」が少なすぎるから黒人差別反対」とはわざわざ言わない(インド欧米統治以前から多人種カーストと肌の色の結びつきが強い、オーストラリアは言うまでもない)

だが「肌の色の薄い人間」がなぜ「肌の色の濃い人間」を差別するかと言えば、将来の転落を恐れているからだ

2024-08-09

anond:20240809181857

いや、「私が気に入らないことをするな(あるいは私を気持ちよく扱え)」で統合される

人権風のお題目わがまま通したがるのはここ十数年のトレンド

anond:20240807210906

主と妻の論点が異なってるし、どっちもそこそこ正当なことを言ってるから、主と妻がお互いどの領域でなにを言いたいのか冷静に整理しないと先に進めなさそう

妻の主張

①息子がチー牛かもしれん

子育てのやり方を見直すべきでは?

主の主張

①(嫁に対して)チー牛とかい差別的ネットスラングを(特に家族に)使う人間になるな。

②息子がチー牛の特徴に当てはまっていたとして、それのなにが悪い?

って感じで、議題が噛み合ってる箇所が②しかないし、

その②も簡単に論じれるような話題じゃないから、もっと慎重に論点を切り分けながら個別意見のすり合わせをしていく必要があると思う

以下それぞれに対する俺の感想

まず主①の主張、これは賛同できる

チー牛とかいうかなり差別的ネットスラングをあろうことが子どもに対して向ける妻の精神性はかなり「それはやばくないか?」と思わざるを得ない

そして妻①の主張、「息子がチー牛かも?」これはまあ判断できる要素が書かれてないからなんとも言えないが、主が否定してる描写も無いしそこそこ当てはまっているのでは?と感じた

で、主妻それぞれの②の主張、まとめると

「チー牛っぽい特徴を持っているかもしれない息子に対して今後どうアプローチするべきか?」に対しては、

俺は少し危機感を持った方がいいと思う、という立場

「息子がチー牛でなにが悪い?」という主の意見はわかる、わかりはするんだが、

一旦冷静になって、「悪い」のニュアンスを分けて考えるべきだと思う

チー牛っぽい特徴を持っていることは人格的に、もしくは社会的に、「悪」なのか?というと、これはもちろんそんなわけがない。そういう意味で、主の意見通り「息子がチー牛なのはなにも悪くない」。善悪概念では、悪ではない。

が、チー牛っぽい特徴を持っていることが、今後何か不利益に働くか?と言われると、これは「だいぶ不利益に働く」と言わざるを得ない。良不良の意味では、不良。

そういう意味で、「なにか対策を打つべきなのでは?」という妻側の意見の方に賛同する。

そうだな、「学歴差別は不当」と「低学歴は苦労する」は両立するのに似てるな。

主は「生理的に無理」とか「キモい」とかそういう言葉即物的だと言って一笑に付してるけど、

人間理屈や正しさよりもかなり感情第一印象先入観で動きがちで、なんならたとえ理性的であろうと心がけている人でもなんだかんだ生理的感覚に引っ張られるものなので、

生理的に無理」「キモい」と感じられてしまうような人間に対する世の中からの扱いはかなり悪くなってしま

これが不当な差別だっていうのはわかる、わかるんだが、人種差別とかと違って、本能に根差しものとして指摘すればなくなるわけじゃないんだよ ある程度根拠のある差別と言ってもいい

学歴差別を無くしたからといって、学力方面での高学歴低学歴の差がなくなるわけじゃないのと同じ

妻がいう通り、チー牛という言葉がそういう「感じ」を上手く言い表しているんだよね

昔は「ネクラ」とか「オタク」という言葉にその「感じ」が含まれてたけど、「オタク」がもっと価値中立言葉浄化されたから、代替としてチー牛という言葉が生まれただけ

チー牛という言葉を無くしても、その「感じ」がなくなるわけではない

妻はなんというか、チー牛というスラングがそこまで差別的言葉だっていう認識が薄いんだろうね

からもちろんチー牛という言葉を使うこと自体咎めたほうがいい

ただその「感じ」があること、その「感じ」に世の中から差別的な目が常に向けられていることとは別に議論した方がいい

じゃあどうすりゃええねん、と言われると、

そうだな、そうだな……

俺もチー牛だからそのへんはあんまりよくわかんないな……

ただなんとなくは、「父性」が鍵のような気がしている。

母親が過干渉父親が無関心気味の家庭が「そう」なりがちというのは各所で言われがちで、

やっぱり教育家庭における「男らしさ」の不足が原因の一端なんじゃないかな?とは思う

男らしいとか女らしいとかそういうのはジェンダー平等に反してるだろ、と言いたいのはわかるが

なんだかんだ現代でも男は男らしい方が得するんだよな

男女平等を主張してる女たち自身が男らしい男を嗜好するし、男同士であってもそうだから

男女平等ジェンダーバイアスの解消というのはお題目としては立派であっても現実に即してはいないんだな

優しさとか誠実さとか生真面目さは世の中を渡っていくにあたってそこまで大きなプラスになる「見た目」ではないんだよな

これらを持つこと自体否定してるわけじゃなくて、もちろん大事ものなんだけど、無害性のアピールしかならないから、

必要な時に(時として他者のために)他者に対して強く出られる能力責任を引き受けたりする能力リーダーシップイニシアチブを取る能力と見かけ上相反してるから、やっぱりなにかしらそういう芯の強さを育む機会が必要だと思う 無害性オンリーでは人間評価だと下の上止まりになってしまう おそらく中の下にもいけない

運動部に入れろとかそういう感じに近いけど、部活強要するわけにもいかないし、親にできることってどれぐらいなんだろうな……

まとめると、

•「チー牛」はその「感じ」を端的に表していることばではあるが、かなり差別的なので息子に向けるのはやめたほうがいいと伝える

•息子がチー牛的素質を持っていること自体は、すこしなんらかのアプローチを考えた方がいい

って意見かな。

なんか内容を見るだけだと夫婦自体が悪そうに見えてしまうけど、そこも見直したほうがいいのでは?

anond:20240807210906

主と妻の論点が異なってるし、どっちもそこそこ正当なことを言ってるから、主と妻がお互いどの領域でなにを言いたいのか冷静に整理しないと先に進めなさそう

妻の主張

①息子がチー牛かもしれん

子育てのやり方を見直すべきでは?

主の主張

①(嫁に対して)チー牛とかい差別的ネットスラングを(特に家族に)使う人間になるな。

②息子がチー牛の特徴に当てはまっていたとして、それのなにが悪い?

って感じで、議題が噛み合ってる箇所が②しかないし、

その②も簡単に論じれるような話題じゃないから、もっと慎重に論点を切り分けながら個別意見のすり合わせをしていく必要があると思う

以下それぞれに対する俺の感想

まず主①の主張、これは賛同できる

チー牛とかいうかなり差別的ネットスラングをあろうことが子どもに対して向ける妻の精神性はかなり「それはやばくないか?」と思わざるを得ない

そして妻①の主張、「息子がチー牛かも?」これはまあ判断できる要素が書かれてないからなんとも言えないが、主が否定してる描写も無いしそこそこ当てはまっているのでは?と感じた

で、主妻それぞれの②の主張、まとめると

「チー牛っぽい特徴を持っているかもしれない息子に対して今後どうアプローチするべきか?」に対しては、

俺は少し危機感を持った方がいいと思う、という立場

「息子がチー牛でなにが悪い?」という主の意見はわかる、わかりはするんだが、

一旦冷静になって、「悪い」のニュアンスを分けて考えるべきだと思う

チー牛っぽい特徴を持っていることは人格的に、もしくは社会的に、「悪」なのか?というと、これはもちろんそんなわけがない。そういう意味で、主の意見通り「息子がチー牛なのはなにも悪くない」。善悪概念では、悪ではない。

が、チー牛っぽい特徴を持っていることが、今後何か不利益に働くか?と言われると、これは「だいぶ不利益に働く」と言わざるを得ない。良不良の意味では、不良。

そういう意味で、「なにか対策を打つべきなのでは?」という妻側の意見の方に賛同する。

そうだな、「学歴差別は不当」と「低学歴は苦労する」は両立するのに似てるな。

主は「生理的に無理」とか「キモい」とかそういう言葉即物的だと言って一笑に付してるけど、

人間理屈や正しさよりもかなり感情第一印象先入観で動きがちで、なんならたとえ理性的であろうと心がけている人でもなんだかんだ生理的感覚に引っ張られるものなので、

生理的に無理」「キモい」と感じられてしまうような人間に対する世の中からの扱いはかなり悪くなってしま

これが不当な差別だっていうのはわかる、わかるんだが、人種差別とかと違って、本能に根差しものとして指摘すればなくなるわけじゃないんだよ ある程度根拠のある差別と言ってもいい

学歴差別を無くしたからといって、学力方面での高学歴低学歴の差がなくなるわけじゃないのと同じ

妻がいう通り、チー牛という言葉がそういう「感じ」を上手く言い表しているんだよね

昔は「ネクラ」とか「オタク」という言葉にその「感じ」が含まれてたけど、「オタク」がもっと価値中立言葉浄化されたから、代替としてチー牛という言葉が生まれただけ

チー牛という言葉を無くしても、その「感じ」がなくなるわけではない

妻はなんというか、チー牛というスラングがそこまで差別的言葉だっていう認識が薄いんだろうね

からもちろんチー牛という言葉を使うこと自体咎めたほうがいい

ただその「感じ」があること、その「感じ」に世の中から差別的な目が常に向けられていることとは別に議論した方がいい

じゃあどうすりゃええねん、と言われると、

そうだな、そうだな……

俺もチー牛だからそのへんはあんまりよくわかんないな……

ただなんとなくは、「父性」が鍵のような気がしている。

母親が過干渉父親が無関心気味の家庭が「そう」なりがちというのは各所で言われがちで、

やっぱり教育家庭における「男らしさ」の不足が原因の一端なんじゃないかな?とは思う

男らしいとか女らしいとかそういうのはジェンダー平等に反してるだろ、と言いたいのはわかるが

なんだかんだ現代でも男は男らしい方が得するんだよな

男女平等を主張してる女たち自身が男らしい男を嗜好するし、男同士であってもそうだから

男女平等ジェンダーバイアスの解消というのはお題目としては立派であっても現実に即してはいないんだな

優しさとか誠実さとか生真面目さは世の中を渡っていくにあたってそこまで大きなプラスになる「見た目」ではないんだよな

これらを持つこと自体否定してるわけじゃなくて、もちろん大事ものなんだけど、無害性のアピールしかならないから、

必要な時に(時として他者のために)他者に対して強く出られる能力責任を引き受けたりする能力リーダーシップイニシアチブを取る能力と見かけ上相反してるから、やっぱりなにかしらそういう芯の強さを育む機会が必要だと思う 無害性オンリーでは人間評価だと下の上止まりになってしまう おそらく中の下にもいけない

運動部に入れろとかそういう感じに近いけど、部活強要するわけにもいかないし、親にできることってどれぐらいなんだろうな……

まとめると、

•「チー牛」はその「感じ」を端的に表していることばではあるが、かなり差別的なので息子に向けるのはやめたほうがいいと伝える

•息子がチー牛的素質を持っていること自体は、すこしなんらかのアプローチを考えた方がいい

って意見かな。

なんか内容を見るだけだと夫婦自体が悪そうに見えてしまうけど、そこも見直したほうがいいのでは?

2024-08-07

anond:20240807134849

おまえの個人的な押しつけがどうでもいい

「なんでみんな浮気不倫に甘いの」というお題目に対しては

大いに意義があるのでレスする

おまえの意見イエスでないならレスしてはいけないルールでもあるのか?

2024-08-06

anond:20240805211301

おまえ書いてて気持ちよくなっちゃって口が滑るタイプだな

「目下の少子化消滅がほぼ確定しつつある」とかどこソースよ?暴論がすぎる

下げ止まるタイミングがいくつもあることのほうがむしろ確定してるだろ

マイルドヤンキーみたいな方が優れた形質」

種の保存的な意味で言ってるんだろうけど、優生思想お題目でこれはずれてるとしか言いようがない

目下の少子化消滅がほぼ確定しつつある日本を見ると賢い人間よりマイルドヤンキーみたいな方が優れた形質なのでは無いかという気もしま

2024-08-03

anond:20240803093533

とても詭弁的な返しで嬉しくなる

強姦因果関係を語るのは意味がない

   ↓

なぜなら実際におこってるから

   ↓

そのために、割れ窓理論的に街を浄化すべき

いまだにフェミ典型的に用いられてるけど、割れ窓理論はとっくの昔に意味がないって否定されてるの知ってる?

稚拙論点ずらしというか、あなた自身が「性被害をなくしたい」と「性加害を意識せずにすむ社会暮らしたい(or子供を暮らさせたい)」という欲望自分区別をつけて飼い慣らせてない気がする。

から本当に因果関係があり、性加害が減るかどうかの話を「意味がない」なんて言ってしまえるし、

自分たちがしようとしてることが「臭いものに蓋」どころか、「臭いものに布をかけて女性尊重というお題目を唱えれば性加害はないはず」というファンタジーで性加害を増やそうとする側になってることが受け入れられない。

人類史上、ガチガチ思想統制した宗教国家独裁国家ですら性被害ゼロ社会は実現できてないし、実際に犯罪があるのならまず必要なのは危険欲望社会として飼いならす」ことだよ。

被害発生8割のダウンタウンキレイにして安全に見せかけたとしても油断させて致命的な被害を発生させやすくなるだけでしかない。

しっかり、因果関係が強く証明されてるところにお金と人を使うのが性加害を減らすのに必要なことで、メルヘン世界暮らしたい欲望はわけて考えないと

「〇〇人はなんか犯罪率高い気がするしゴミのような存在からゴミのように殺処分してもいいよね」という相手根拠なく人間扱いすらせず殺そうという酷すぎる差別してることに一生気付けないよ。

2024-07-28

平和の祭典なのに〜とか言ってるやつら

あんハッピークィア表現や、グラン・ギニョール風のかわいらしい悪趣味劇程度で拒否反応示してるひとびと見てると、ほんと日頃から常識的資本主義最適化された歯ごたえのない創作物ばっかり見てんだな〜、そら美術とか誰も見ないし興味ないわな〜と思わされる

てか批判してるやつ、だいたいネットに流れてくる画像切り貼りのまとめしか見てなさそうだし、ほんまくだらん。

単に自分のクソ狭い常識と好みの埒外からって「平和の祭典なのに〜」とか「アジア軽視〜」とかお題目つけて苦言を呈してるつもりの人たちは、イスラエルがふつーに出てることや、パリ路上生活者が立ち退きさせられてることや、現代パリにたくさんいるムスリムたちが無視されてることにこそ問題意識を向ければいいのにね

  

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