はてなキーワード: 政策集団とは
1987年、アメリカ合衆国へ渡り、左派リベラルでフェミニズム運動の急先鋒だった民主党下院議員、パトリシア・シュローダー(英語版)の個人事務所でコングレッショナル・フェロー(一定の団体のスポンサーシップにより、アメリカ合衆国議会の議員事務所や委員会に派遣される制度[7])として勤務した。
(中略)
1993年、第40回衆議院議員総選挙に奈良県全県区から無所属で出馬し、得票数トップで初当選。1994年、政策集団「リベラルズ」に参加し、リベラルズを母体に自由党(柿澤自由党)が結党され、党首の柿澤弘治が羽田内閣で外務大臣に就任し、与党入りする。同年7月、自民党を離党した海部俊樹を代表に自由改革連合を結成し、同年末に新進党に合流。
このままどこかの国が核落としてくれないだろうか
そうすれば奇麗なままの日本で終われる
( ゚д゚)ポカーン
まだ終わったわけじゃねぇだろうが、と。民主党には、色の付いていない、右も左も分からない新人議員が150人以上もできてしまったんだ。彼ら彼女らを、敬愛する松原仁タンとか土屋敬之都議のように立派な国士に染め上げることができれば、人権擁護法も外国人参政権も吹っ飛ばせるだろ、と思うんだが。
彼らにはここで燃え尽きるのではなく、できてしまった民主党政権をどのように日本人のための政策集団に変化させていくか、獅子身中の虫の社会党系左派を切らせるか、という前向きな方向にエネルギーを使った方がいいよ、とアドバイスしたい。