はてなキーワード: 虚弱とは
最初に断っておくが、俺は元デブだったが今は体脂肪率10%前後の体だ。「デブのくせに」との指摘はあたらない。
ついでに言っておくと、体重だけ見てデブかガリかの判断なんてできないからな。体脂肪率で語れ。
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よく「アメリカではデブは自己管理できてない証拠だ」とか言い出すやつがいる。その話を聞くたび思うんだ。
おk,デブは自己管理できていないという話は認めよう。じゃあ聞くが、ガリは自己管理できているのか?
この話をすると「デブ乙」とだけ言って思考停止するヤツが9割くらいいるから議論にすらならない。そいつらのほぼ100%は虚弱体質といっていいだろう。
体質(笑)のせいで単に太れないんだ、とか言い出して、さも自分は自己管理できているかのように振る舞うやつの多いこと。まったくもって話にならん。
自己管理ができていないってのは、現状に満足していないのに怠惰から現状維持を選択するやつのことを指すとすると、ガリも全く自己管理できていないじゃねーか。
以下FAQ:
Q: ガリはデブみたいに見苦しくありませーん。だからこれでいいんですー
A: お前の主観で物事決めつけるな。デブのほうが好きなやつだっているだろうが。
A: ガリっつってもその大多数は体脂肪率低くないからな。要するに筋肉がない。腕や足は素麺みたいなのに、お腹ポッコリ出てるだろ?
地下に広がるダンジョンに潜る冒険者たちが、モンスターが溢れて来ないように堅牢な壁に囲まれた街で暮らしてるって設定なんだけど、ゲーム後半で外界に迷宮内のモンスターが出現して世界が大混乱に陥るのね
各国軍が壊滅したりしてメチャクチャなんだけど、実はその出現してるモンスターってのがゲーム最序盤に出てくるような雑魚ばっかりってことが分かるわけですよ
冒険者たちなら簡単に蹴散らせるけど、外の一般人だと全然無理 そういうパワーバランスが描写されていてすごく良かった
別に虚弱ってわけでもない序盤の主人公と互角の強さがあった序盤の雑魚敵を終盤には一撃で殺せるようになってるってことは、一般人からみると終盤の主人公は化け物なんだよな
『鬼滅の刃』の主人公、竈門炭治郎は六人兄弟の長男だ。ずいぶん子沢山な、竈門家。
ところが炭治郎ら六人兄弟のお父さんである炭十郎さんは生まれつき病弱である。
そげな虚弱体質で長生き出来ないかもしれなくて実際長生き出来なかった炭十郎さんは、現代ならば、自分はろくに面倒も見れんくせに、そんなに子供を沢山作るなんて、と非難されてしまうかもしれない。
しかし、鬼滅の刃の時代には子供というのは小さな頃から生活にかかる労働力であり、いずれは親の助けになる存在だったはずだ。
……ということは、病弱な炭十郎さんが奥さんに遺してあげられるものは子供達くらいだから、頑張って子供六人こさえたのかなぁ。
などと、わりとどうでもいいことに思いを馳せ、感慨に耽ってしまった、金曜の夜だった。
アニメに関心の無い一般市民から見ればラブライブも一括りでアニオタコンテンツと言って良いと思うんだが、一昔前のアニオタ(虚弱体質またはデブでともすれば不潔でコミュニケーション能力もゼロでネットスラング無しでは会話できない上にカバンの中からは去年のカロリーメイトが見つかるようなステレオタイプなオタク像)からするとラブライブのファン層はどうにも清潔過ぎて、『仲間』がそこに居ると期待して手を出すと結構面喰うと思う。とりわけ30代以降の年寄りは。
まあこんなものはライブか二次創作同人誌のオンリー即売会(通称僕ラブ)に行ってみれば一目瞭然なのであえて忠告するような事では無いのだが、大事なのは彼らのメンタリティへの理解だ。
リアルやSNSで話題になった時、決してネガティブな事を口にしてはならない。とにかく「最高」って言っときゃひとまず大丈夫。ツッコミどころがあっても全力でポジティブな解釈をして好意的な事を語っておけば良い。彼らは夢を買うスキルが年寄りと比べて比較にならないぐらい発達しているので、たとえ三文芝居のような表現であっても心の底から感動することが出来てしまうのだ。メタな視点で語るのもあまり好まれない事があるので注意が必要だ。
旧来のクソオタの場合だと歌が下手だとか作画がイケてないとか声優が大根だとかそういうところも含めて作品を味わい尽くすものなのだが、彼らは決してそうではないということは知っておこう。というより普通の人というのは大体そのようなものらしい。俺も最近までよくわかってなかったわ。
俺もラブライブの歴代の監督はクソ中のクソだと確信しているが、決して若いファンの前では言わない事にしている。
若い一般ファン層・イラストを描いている層が相手の時は極力気を付けよう。
ただし小説を描いている層やストーリー性重視の同人誌を描いている層の場合はわりと素直に心情を吐露しても大丈夫だろう。理由はわからないがそのタイプは作品愛と批判的態度が両立するということを知っていて、わりと本音で話し合える事が多い。ただそれでも慎重に絡んだ方が良い。
仲間との関わり合い方さえ間違わなければ面白いコンテンツなのは間違いない。頑張ってくれ。
あと繰り返すが監督はクソだ。特にサンシャインの方。シリーズ3作目となる虹ヶ咲学園では完全に他の所から引っ張って来ていただきたい。
「40度の熱で連日夜10時まで残業ってマ??NTTあたま大丈夫か?」とか
「いや40度あるなら会社に出ろ言われても拒否れよ常識的に考えて…」とか
なんか全体的に話がおかしい
「20代で持病がなくても長時間労働してると重症化=労働やばい」というのが事実
持病持ちや虚弱体質や高齢者並みに身体の抵抗力が下がって重症化するというのがポイント
イチャモンの長時間労働叩きに思われるかもしれないが、過重労働でウイルス性の心疾患を発症して死亡したとして労災が認められた判例もある
長時間労働は鬱病や心臓病や脳梗塞や糖尿病リスクを上げるのは知られているところだが、
感染症リスクをも跳ね上げる百害あって一利あるかどうかも怪しい悪の所業なのである
我々が新型コロナで慌てているところ、
アメリカはインフルエンザで今シーズン合計で1万人くらい死んで(「感染して」ではない、推計1万人超の死亡者を発生させて)おり、
一部の日本人はこれを「皆保険制度のない国はおっかねえなー、とづまりすとこ」というような
「半分は人災というか制度災害だろこんなの」みたいな見方をしているようだが、
これからパンデミックを起こしていくだろうことは容易く想像される
せめてこれを機に長時間労働は公衆衛生を損なうとして企業には多大な懲罰的罰則金が科され、
その悪質性によっては経営幹部は刑事罰を食らう程度の扱いにしていかなくてはならないのだが
(これから少子高齢化でいろいろな公共施設や機関が更なる人手不足でキャパオーバー・パンクするのが目に見えており、
パンクしてから慌てていては遅いのでその発生要因を予防的に潰しておく必要がある)、
もはやみんな長時間労働に慣らされすぎて残業が脱法行為の一種であるという意識すらない
こら日本死んだわな
いや、オリンピックやめるかどうかの検討すらしないという話だし、
もう一部では新型コロナがひっそり変異して脳に回っている可能性すら疑われるわ
正直なところ、世間の2,3割くらいの人は8時間労働に耐えられるような体・精神ではない
体の強さには個人差がある
でも社会に適用するには枠にハマらないといけないので、誤魔化しつつやってる
体育だって数学だって、ある一定の枠にハマる前提でカリキュラムが組まれている
みんな、体と頭と家庭事情が同じスタートラインだという前提で物事が進む
体が弱かったり、勉強が苦手だったり、家庭事情が特殊な人は、その理不尽さに気づくことができる
でもそれに気づかないもの居る
そういう人が鉄人となって、また枠を作る
個人差というのは非常に大きいということに気づかない
やればできる、やれてないのは怠慢だと信じてしまう
そういうモンスターをどうすればいいんだろうか
先日、父が亡くなった。がんだった。
父の呼吸が止まったのが14時半。来てくれた担当医さんが死亡確認したのが15時半ごろ。家族皆が泣いていた。自分も唇を噛み締めながら我慢して、それでも涙が溢れてくる。
訪問看護をしてくれていた看護師さんがとてもいい人で、自分たちも手伝いながら、髭をそったり着替えさせてくれたりして、父の準備をしてくれた。
家族で湯灌してあげて、最後の見送りすることがとても良い時間になるよ。と、いろいろ教えてくれた。
これまでの看病で疲れているし、親族や知人の対応は母することになるの明らかだったので、葬儀会社とやりとりするだけでもと、喪主をかってでた。
闘病中、なくなる数日前に、◯レマの営業さんが来て、契約とれないと来週クビになると言われ、母が契約したとのこと。
父は元教員だったので、教え子含めてある程度の人数が来ることが予想されたので、駅チカの広い葬儀場が使えるのが良いかと決めたそう。
15年ほど前に祖母がなくなった時には、地元の葬儀会社で、自宅葬だった。
在宅療養していた父がなくなり皆が動転している中、母は最後まで地元の葬儀会社にするか迷っていた。
とりあえず契約してるんだからという理由で、◯レマに電話を掛けた。
担当営業と契約担当者と葬儀場で連携が取れておらず、あちらに掛けて、こちらにかけて、折返し待ちして、とたらい回しされた。
加えて、最初に電話をかけた時点でこの時間で決めますがよろしいですか?と念押しされた。
こちらのことを知ってる営業からなんのコンタクトもないのか?と疑問におもいつつも、下手に時間を掛けても仕方がないので、最短の日にちで申し込みをした。普通なら、死亡後3日後が告別となるのが最短になるのだが、3日後が友引だったため、4日後となった。結果的には、日付が伸びたことで運良く救われることとなった。
それが終わると、葬儀のプランや料金についての説明が始まった。
私達は営業さんから貰った資料を確認しながら、プランの詳細を選んでいくが、一つひとつ決めるたびに、営業が話してた葬儀プランと言ってることが違うやんと言うことがどんどん出てくる。
契約時には、一般的な葬儀費用のように見えるこの内容で、事前予約75万のプランを契約していた。
この契約があれば、全部まかなえます。と営業さんは言っていた。追加のオプションは断れば良いとも。
https://cerema.co.jp/funeral/plan.php
・契約の葬儀プランでは、入り口近くの小さい部屋しか使えず、+10万ださないと、50名規模のホールには対応できません。
・プランで出来ると書かれていた花祭壇は、+10万ださないと、できません。
・病院から自宅までの寝台車費用は入ってるが、自宅から葬儀場への寝台車費用は入っていない。
→自宅で亡くなったため、おかしくないか?と問い詰めたら、じゃあプラン内の費用で対応します。と
・周りに飾る花代が最小16万~。無いと困りますと言われる。親戚から送られる分が合っても、親族一同の分が必須ですと。
・棺桶に掛ける布は燃やすために毎回新しいものが必要です。(+4万)
・湯灌できるけど、郊外の施設まで連れて行く必要があり、家族参加は不可。(+7万)
・骨壷も今のママだと貧相なので、アップしたほうがよいですよ。あと分骨するなら、追加費用(+1万)。
などなど、諸々で、事前の見積もりが180万ほどとなった。通夜の来場も50人と、少なく見込んだ上でだ。
契約書の文面を確認し、クーリングオフできますよね?と問いかけると、厳しい表情。
葬儀のトータル費用は相場からは離れてない。でも、言ってることこれだけ変わるというのはオカシイ。ちゃんと湯灌してもらえるのか?葬儀が滞りなくすすのか?
ただ、もう期日の予約はした、場所も親しい友人には伝えてしまった。今更変えるのも・・・・。悲しみに浸る間もなく、不安なまま夜を過ごす。
枕経をあげに住職さんが来る。母は自分の世代だと、珍しいと言いつつ、なんだかんだ年3回の法要を欠かせず行っている。
なので馴染みのある住職さんだ。
住職さんに、これまでの経緯を相談すると、◯レマの色々黒い噂を教えてくれる。噂についてはあとで詳しく述べる。
住職さんが、馴染みなので連絡してみますね。と地元の葬儀会社をあたってくれるが、友引明けなので、空きがないそう。
帰宅後にも別の葬儀会社を探してくれて、隣の市ならホールの空きがあるよと教えてくれた。
母の不安っぷりと、担当者が不審すぎて信用できない。これはキャンセルするしかない。
キャンセルもとい、クーリングオフすることを示すように電話。証拠として、電話の内容は録音する。
「次の予約が入っているのですが、そちらにお譲りして良いのですか?」何度も念を押される。
こういう引き止め工作が本当に手慣れている。
簡易祭壇の設置費用と、ドライアイス代で3万ほどかかったが、サンクコストとして考えれば安いもの。
営業担当の方が来て、説明してくれる。仏壇屋さんだったが、仏壇買いに来る人が葬儀の文句ばかり言われるので、なんとかせねばと作った会社だそう。
・花代は3万~。独自ルートで花を仕入れているのでその値段で胡蝶蘭も入っている。
・謎オプションはゼロ。分骨、フルーツ、棺の布、白装束。全部追加費用は不要。
・会葬返礼品の価格が、2万円ダウン。
・初七日するなら、会場費5万かかります。自宅ですることもできますよ。と教えてくれる。
見積もりは160万ほど。ただし、親族の花代と、通夜の時の親族の食事費用(2万)も含まれている。
費用は下がって、質が確実にアップした。
最初のプランの説明から、会場までの送迎、当日のオペレーション、ナレーション、葬儀後の祭壇設置まで。服装から振る舞いまで、すべてがプロの仕事だと感服する内容でした。
プラン説明時のアドバイスが的確で、常識よりこちらの都合を優先させて柔軟な対応してもらえたのが、ありがたかった。1時間以上かけて車で来る親戚が多かったので、通夜ぶるまいを通夜の前に変更。通夜中にお腹減ることや、通夜に来てくれた人の対応を後回しにせずに済んだ。また来てくれた親戚も早く帰せた。初七日供養後に、食べるのが普通だけど、粗供養品として、食事券を渡して帰ってもらうことにした。
他にも細かい相違点が色々。
・◯レマの線香が化学薬品臭がして、妻が煙たがっていたのが、変えた瞬間に問題なくなる。
・湯灌は家族でやれてよかった。父の体を拭いたりするのは、嫌な人は嫌かもしれないけど、お風呂入って背中流す感覚で、キレイにしてあげれたのは、最後の親孝行でしょう。
・花壇の品質がガッツリ上がった。◯レマの価格を見てたので、安いと思い、親戚からの花もだいぶ増えてしまった。棺に入れれなかった分は、すべて自宅に飾ってあり、1ヶ月近く経つがまだ元気だ。
・姉が嘱託で働いている先の互助組合の提携先葬儀会社だったため、-10万の割引。こちらからは何も言っていないにも関わらず、弔電を見て対応してくれた。
葬儀会社変更して、本当に良かったと思っている。変更の連絡しなおしたり大変な部分もあったけど、満足度が段違い。
結婚式と同じぐらいの金額払うのに、なんで文句言いながら、我慢しながら、サービス受けなあかんのかと。激しく問い詰めたい。
・勘違いさせる前提の資料を元に営業して、キャンセルできない。
・マルチ商法かと思うぐらいに、不安で人を動かそうとする。◯◯するのが普通。◯◯はできません。
・無駄なオプションつけてくる。ってか普通断れへんやろうぐらいの勢いで、オプションつけてくる。
・説明しない。
こうして◯レマをキャンセルして、地元の葬儀会社に変更できたのは、幸運が重なったからだった。
・契約して間もない状況で事前支払いが0円。クーリングオフで押し切れる状況だった。
・友引明けで、日程に1日分の余裕があった。
・付き合いのある信頼できる住職がいて、他の葬儀会社が見つかったこと。
これだけの条件が揃っていてようやくキャンセルできた。
今回は父の葬儀分を母が契約したが、普通はこんな契約はしない。なぜなら、営業担当は自分の葬儀を事前に支払う契約を勧めてくる。ここの情報格差を奴らは狙っている。
過去の噂を聞くかぎり、支払い済みの状況でキャンセルしようとすれば、事前支払い済み分は返金できませんと、そう脅されるだろう。
ちゃんとした式をあげるには+100万かかる状況で、葬儀までの時間はなく、決断は伸ばせない。
親族が亡くなって、気が動転している状況で、あとで事例調べるなり、情報収取するなり、冷静な判断がくだせるだろうか?
すでに親が70万支払いずみの状況で、プランの内容を聞いた後に、キャンセルする覚悟あるかと?
近所にも契約している人いたが、母はすぐ解約するように勧めた。
上にも書いたが、事前契約をメインに営業しているため、後々キャンセルされるケースも多い。
その場合に、解約手数料が掛かる形ではなく、1割も返金しないらしく、訴訟沙汰となっている。
https://www.sankei.com/affairs/news/150122/afr1501220037-n1.html
契約書にも、契約後、180日以後の解約は不可と書かれていた。
・どこかのお寺の檀家ではなかった場合、◯レマから仕事を依頼されることがあるという。
伝えれる範囲は限られるが、あまりタブー視せずに両親と話すこと。
「自分の葬儀代は自分でためておきたい。」「子供に負担を掛けたくない。」
そういう想いに、奴らは付け込んでくる。
なので、早めに話をして、事前に知っておけば、怖くない。
ほぼ悪徳商法なので、早く潰れることを願って、匿名ダイアリーに記します。
ブコメもらえて、拡散したので嬉しいです。(普段のブログでこんなにバズったこと無いので)
もちろん親族や各位には今回のことは包み隠す伝えたのですが、さすがに友達に言いふらすわけにも行かず。。。匿名ダイアリーに書きました。
親族でも、少し大きい規模で、280万という人もいて、葬儀場での話題になりました。
ちゃんとしたものにお金を掛けれた。という印象です。ロウソクや線香一つとっても、ケチるだけケチる姿勢が見えてしまい、なんの信用もできませんでした。5000円のランチ頼んだら、業務スーパーのパウチスパゲティが出てきた感じです。
あのまま乗っかった場合に、普及不要な請求をされそうだったのが一番の不安でした。
確かに160万は安くないと思います。(実際は来場者増えてもう少しかかりました。)満足度は5,000円出して、ちゃんとホテルのバイキング食べれたぐらいの気分です。
消されるの怖いので、反社記述だけ消しておきます。にしてもこんなこと匿名ダイアリーじゃなきゃかけない。
向こうは百戦錬磨でフル武装の営業モード。こっちは虚弱状態からスタートして意思だけで戦わなければいけない状況。
正直オプションを断ることだけに、体力と意思力を必要とします。途中から、やり取り自体が不毛だったので、さっさとやり過ごしてキャンセルできないか相談するモードに入ってました。
当日に葬儀会社まで決めてしまうのも良くなかった。という考えもあるので、決めるのはなくなった翌日でも良かったんじゃないかなと、後から思い返します。ドライアイス代が+1日で、+10,000円ほどかかりますが、4日後でも、最初から問題ないです。葬儀場が相手ないなら、1日ずらすとかでも良いくらい。
ほんとうに何から何まで、助けてもらいました。
看取ってくださったのが、緩和ケアを専門にやっている町医者さんだったので、看護師さんも経験豊富でした。(決して、年配の方ではないのですが)
冷たい対応されると、余計に辛いだろうなと思い返してありがたい限りです。
可能性としてはありえます。上記の通り、緩和ケアは車で訪問診療してますので、尾行すれば。なんの証拠もありませんが。
古めの住宅団地なので、営業さんがかなり訪問してまわっているそうです。
そのとおりですね。自分も、亡くなった父もそういう考え方です。
ただ、亡くなった人のためではなく、亡くなった人の家族・友人・知人・親族に向けてやるという感じでしょうか。息子としては、親がどんな生き方をしてきたのか知る数少ない機会だったので、ちゃんとやってよかったです。
アニメーターは、愚痴愚痴言いながら、自己否定のループにはまっていく人間が多い。周りから能力の高さを買われていても、全く評価されていないと嘆いていることが珍しくない。
感受性ばかりが高まって絵を描いているうちにアニメーターになってしまった。しかしアニメーターは下請け業務である。自己管理能力が問われる職業である。彼らはえがいていた仕事像と必要とされる能力とのギャップに驚きつまずく。
その言動をよく観察してみると、家族関係に問題を抱えている人間が少なくない。要するに、愛着障害によって、自己嫌悪と承認欲求の無限回廊に閉ざされている。
まずもって彼らは自分が嫌いなのである。理想の自分像があって、そこから外れると減点評価。当然、他者をも認めることができない。批評家になる。本人は目指すべき場所を目指しているつもりだが、実際には様々な外的評判を内面化しているに過ぎないことに気づかない。内省する力が残っていない。
彼らには大丈夫感が足りない。いつかやればできる。失敗しても次はなんとかなるだろう。その次失敗しても自分は成長している。そういった楽観を描くことができないし、自己効力感も得られていない。だからものごとに一喜一憂するしかなく、日々のちょっとした不幸を大げさに嘆いてみせたり、ほんのわずかな間だけでも自分を楽しませるためにゲームにのめり込んだりする。
彼らは自分の本当の欲求に目を背ける。理解されたい。愛されたい。しかし理想の自分がこれを許さない。自虐、自嘲。わたしも傷ついているから周りの人間を非難しても許されるはずだ、と他責も辞さない。それがまた内面に対する攻撃になってしまう。
必要とされたい。だから多すぎる仕事を引き受けてしまう。頑張れば褒めてもらえる。自分を褒めてあげることができる。そういう過去の体験がある。
過大な期待を自らに課す。期待は未来の報酬を予測したものである。つまり発生した時点でこころの借金になっている。支払うことができなければ、失望という形で清算することになる。
彼らは自己の能力を冷静に分析しないまま仕事をはじめる。ほんのわずか努力すれば届く目標にすべきである。しかし理想の自分がこれを阻む。伝説的な先人に自らをなぞらえて物語を作ろうとする。先人は目の前の仕事を終わらせ続けただけである。
人生は現在の連続である。人生の物語を先に綴ってしまうのは、資本が十分にある人間がやればいいことである。資本というのは、金融資本、物的資本、社会資本、すべてである。
彼らに必要なのはカウンセラーなのかもしれないが、それ以前にやるべきことがある。
自分の能力を遥かに超えた仕事に着手しないことである。身に付けるべき能力がないなら身に付けることである。仕事はあなたを成長させてくれるものではない。期日までに終わらせるものである。
自己実現は目的である。金融資本はその必要条件にあたる。条件を満たさずに走り出すのは愚かである。自分が嫌いだから、安すぎる報酬でも満足したふりをする。自分を愛していれば、そのような仕事を請ける道理はない。
過大な期待、経済的圧力、惰性。これらは仕事を続けるうえでのモチベーションを下げこそすれ上げるものではない。大切なのは、作業そのものに喜びがあること、仕事に意義を感じること、その先に描く未来に可能性を感じることである。これら内発的動機を、外的要因に振り回されないように用心しなくてはならない。気がつけば、日銭を稼ぐために生きがいを殺している場合もある。
繰り返すが自他問わず過剰な期待には要注意である。評価の前借りは認知の歪みを生む。自分は褒められて当然の仕事をするべきだと考えはじめる。名声欲である。認知が歪んでいると肯定的フィードバックを当然のものだとみなしてしまう。よって脳は報酬を受け取ることができない。得られた場合にも期待はさらに膨らむ。麻薬と同じである。
謙虚さが必要である。謙虚さは自己否定ではない。驕りがないということである。謙虚さは内省なくして存在し得ない。内省は自己像と現実の一致にある。つまり現実の自分を受け入れるところからはじまるのである。
作画は大変な能力の要る仕事である。能力不足であれば、仕事を請けている場合ではない。街に出てスケッチでもしているべきである。生活していくだけの金銭的報酬が得られないならば、趣味に留めるべきである。
ところで、精神が不安定になる原因は睡眠、運動、食事、社会的繋がりの欠如が上げられる。
まず寝ることである。睡眠を削ってでも対応しなければならない仕事などアニメには無縁である。放送が落ちても人が死ぬわけではない。救急外来で働く看護師ではない。業務内容は、決められた期日までに自分が請けられる数のカットを納品することである。睡眠不足で仕事に臨んでも成果は下がる一方である。
スケジュールを立てる際に、1日から睡眠時間を引くことを忘れてはならない。寝る時刻になったら、どれだけ惜しくても寝る習慣をつけることである。
寝るために必要なのが運動である。全身に血液を巡らせる習慣がない人間は精神虚弱になって当然である。本当なら1日2時間は日の光を浴びて運動するべきなのである。人間という生き物は部屋に引きこもっていると具合が悪くなっていくものである。
水泳、散歩、ヨガ、プランク、スクワット、リングフィットアドベンチャー。なんでもよい。座り込んでいるよりマシである。
もうひとつ、精神虚弱の原因として血糖値の乱高下が考えられる。
まずカフェインを絶つことである。白砂糖を控えることである。血糖値が急速に変化すれば精神的変化に見舞われるのは当然である。おなかがすいてないている子どもと変わらないのである。
3時間毎に低GI食品を摂取すればよい。おやつにケーキやシュークリームをやめて、おにぎりとチキンにする。コーヒー、緑茶をやめて水か麦茶、ハーブティーなどを飲むよう心がける。依存性のあるものを遠ざける。食生活を根本から見直さない限り、健全な精神は得られないであろう。
最後に、社会的繋がりは人間の本能である。相手が制作進行だけで、しかもそれが精神不安を煽ってくるような未熟な人間なら、たちまち追い詰められてしまうだろう。
大切なのは成熟した人間と多くの繋がりを持つことである。他人を利用したり平気で嘘をついたりする人間と付き合ってはいけない。
仕事が全てではない。趣味を増やすのもよい。ただし寝ている間を除けば1日の半分以上を費やすことになるのだから、わずらわしい思いはできるだけしないに限る。仕事仲間は互いに理念があってそれを語り合える人を選ぶべきである。寂しい人間同士が集まっても何にもならない。求めていないことを互いに共有することはできないのである。
また仕事以外の時間を大切にすることができれば、業務上のトラブルに立ち向かっていくだけの精神的体力を確保できる。
1日中仕事に溺れるならそれだけの信念と根気が必要である。仕事ばかりしている人間は大抵仕事自体が好きである。情熱が桁違いである。うつになるアニメーターには無縁の話である。
実際のところ、ジャンプ本誌で連載が始まった時点ではこの漫画を読む気にはなれなかった。
既にAmazon上のレビューに書いてある通りである。物語の中で語られる様々な専門用語、世界観に対する長大な説明、作者のエゴ、長年看板作家として一線を張り続けてきたプライドが裏目に出ている――などなど、実際にここまで既存のレビューが指摘していたかはともかく、本誌連載当初の時点での僕自身の評価も、これらのレビュアーの意見とそう変わるものではなかった。読みにくく、物語は柔らかさを主張しているようでその台詞回しは硬質で、目がところどころでセリフに行き詰まる――
でも、何故なのかこうも思えたのである。「連載話を一週間ごとにバラバラに読むのではなく、コミックスの形でしっかり腰を据えて読むことができるのであれば、これはひょっとすれば面白い作品に映る可能性を秘めているのではなかろうか」と。そして、実際にようやくコミックスを手に取りこの作品を読んだ時点での感想を述べさせてもらうならば、その予感は正しかったのである。
物語は星間飛行どころか銀河間航行ですら可能となった近未来であり、一部の人々は生身の身体を捨て自身にサイボーグ処置を施し強かに生きている。そんな世界において、自身に巨大な生命維持装置を直結させ、無数のチューブを接続していなければ生きられない少年、ハチマルが主人公である。もちろん、この作品のタイトルは黒澤明監督による『七人の侍』の文字りとなっている。
極めて脆弱な身体を持ちつつも、幼い頃から(身体の虚弱さのために熱中することとなった)全没入型VRゲームによって鍛えられた勝負勘と、反射神経は余人を凌駕する(アニメ作品『オーバーマン・キングゲイナー』のエピソードを彷彿とさせる)主人公にとって、この「サイボーグを是とする世界」は極めて相性が良く、やがて彼は類稀なる自身の戦闘センスを開花させていく。
ここでポイントとなるのは『三身一体』のキーワードである。本編において、「ロッカーボール」と呼ばれるエネルギー体によって自己改造を施したサイボーグ戦士のことを「侍」と呼ぶのであるが、この侍は単独では秘め持った力を十全に発揮することができないのである。ここでポイントとなるのが先程言及した『三身一体(勿論、これはキリスト教における神学的概念である「三位一体」をアレンジしたキーワードである)』という言葉で、侍は単独ではなく、追従型の動物を象った戦闘補助パートナーである「キーホルダー」と、侍の力の源である「ロッカーボール」に対する強い探知力を持った「姫」の両者と共にあることで、初めて「三身一体」となり力を発揮できる、といった物語の構造が示されているのだ。
「姫」は戦闘能力を持たないため、必ず侍と対になって守護される必要があり、そのために侍は自身の心を極限まで純化させ、「姫」を護衛する必要があるのである。この「純化」のプロセスが少年漫画の媒体にうってつけで、いわば虚仮の一念によって主人公は「強がり」を純然たる「強さ」へと純化していくのである。この辺りに少年漫画誌に長年連載を続けていた岸本氏のストーリー構築術の妙があると思わされる。
長くなったが、この作品に向けられたネットの悪評の多くは、これをコミックスという媒体で腰を据えて読むことによって引っくり返ること請け合いである。最近では某レンタルショップにおけるレンタルサービスもあることだし、是非ともコミックス媒体において、諸氏にはこの漫画に対する改めての評価を行ってほしいと思う。
キャーキャー見てたら、前の席の女性が振り向いて、うるさいって言われた。子供にやるみたいに、口に指を当ててシーって。
帰ってきてから、もっと逆ギレしておいた方がスッキリしたのでは?と後悔している。そしてその後悔を引きずって2週間近く経っている。
静かに見てぇなら円盤待ってろバ〜〜〜〜カ!!!!!出るか知らんけど!!!!
炎上ジャンルだなんだとボロクソ言われてたけど、投票のために指輪何十個も買ってCD何十枚も買って、の時期は楽しかったな。
もう一つ前のライビュは、みんな同じように声出してたのに。
すっかりご高尚マナーババアジャンルと化したみたいなので、匿名じゃなきゃ書けない悪態でした。
てめぇだよ9/8千葉の某会場で前方通路脇にいた親子連れのババア!!!!!!!2個しか指輪してないとか課金力が足りねえんじゃねえのか!!!!!
あ、八つ当たりです。
そしてこの期に及んで会場をぼかしているのは、映画館の注意書きは読んだはずなのにショックで内容の記憶を失ったからです。立ちOKしか記憶がない。ウケる。これで私が100パールール違反だったら笑える。
キャーキャー見てたら、前の席の女性が振り向いて、うるさいって言われた。子供にやるみたいに、口に指を当ててシーって。
帰ってきてから、もっと逆ギレしておいた方がスッキリしたのでは?と後悔している。そしてその後悔を引きずって2週間近く経っている。
静かに見てぇなら円盤待ってろバ〜〜〜〜カ!!!!!出るか知らんけど!!!!
炎上ジャンルだなんだとボロクソ言われてたけど、投票のために指輪何十個も買ってCD何十枚も買って、の時期が一番楽しかったな。
もう一つ前のライビュは、みんな同じように大声出してたのに。
すっかりご高尚マナーババアジャンルと化したみたいなので、匿名じゃなきゃ書けない悪態でした。
てめぇだよ9/8南船橋のららぽーとで前方通路脇にいた親子連れのババア!!!!!!!
あ、八つ当たりです。
グッズは全部売りました。ばいばいヒプノシスマイク。治安良く無課金微課金勢で発展してね〜。指輪も腕輪も買わなかったケチなファンの皆さん、よろしく〜〜。
今から書くのは、ありふれたクズ会社員のどうしようもない愚痴だ。
不快に思われるのを承知でダラダラと綴っていくので、物好きな方は読んでほしい。
詳細は伏せるが、私が寝坊して遅刻したせいで仕事のしわ寄せが先輩に行ってしまった、みたいな類の迷惑だ。
私はその場で謝り、先輩は「今はとにかく動いて」といった感じで、その日はそれで終わった。
一夜明けた今朝、私はおそるおそる出勤した。先輩は先に来て仕事をしていた。
ここですっぱりと「昨日は申し訳ありませんでした。以後気をつけます」と言えていたら良かった。
だが、私は躊躇してしまった。
先輩があからさまに不機嫌――というか、ひたすらに具合の悪そうな様子をしていたからだ。
先輩は身体が丈夫ではない上にメンタルが脆いところがあり(私も大概だが)、
心身の疲労がたまるとしょっちゅう精神的に追い詰められている。
私が出勤した時も、まさにそんな状態だったのだ。
ビビった私は、早口で「昨日はお世話になりました」とだけ言うと、今日の仕事の段取りを確認してそそくさと業務についた。
業務内容上、部署内コミュニケーションがそう求められるわけではないので、仕事としては特に滞りなく進んだと思う。
ただ、先輩の心身のコンディションはおそらく最悪だっただろうし、
先輩が発する「具合悪いオーラ」によって部署内の空気も最悪だった。
前提として、今回のことは完全に私に非がある。
迷惑をかけてしまったことも、そのことをきちんと謝らなかったことも、社会人としてダメだと思う。
どうして先輩は私を叱ってくれなかったんだろう。
「昨日はあなたのせいで大変だった、もうあんなことはしないでほしい」
とでも言ってくれれば、「本当にすみませんでした」と言えるのに。
それはそれとして何も言わずに不機嫌をまきちらすのだって社会人としてダメなんじゃないのか。
それとも私は「そうされるだけのことをしてしまったのだから何も言う資格がない」のだろうか。
先輩が心身ともに虚弱なのも「適切に」叱ることが難しいタイプなのもわかっていたことで、
でも、だからといってここまで露骨に「私は今(あなたのせいで)こんなにも不調です」というのを
言いたいことがあれば直接(口頭でもメモでもラインでも)言ってくれればいいのに。