はてなキーワード: 灰色とは
民宿の泊まり込みで夏休みにうぇーいしてくる連中の相手が仕事内容で、
時々、男同士で喧嘩や、レイプまがいの事件もあったりしたが、それ以外は平和だった。
誰かが餌付けしちゃったようで、また餌でもくれるのかといった顔をしてやってくる。
痩せてかわいそうなので、時々飯をあげていた。
そのうちの赤いネガネのふちをしたオタクっぽい女の子が一人が犬嫌いだった。
僕は彼女が好きになった。
晩ごはんをたべてから、浜辺でふたりきりになって盛り上げっているところにその犬がやってきた。
女の子は犬が気になって仕方がなくないようで、ちらちら見て、
なんとか犬をやってほしいと懇願してきた。
犬をどうにかして。お願いどっかへ犬をやって。ああ、犬が怖くてしょうがないということだった。
僕はその辺にあった流木を片手に近寄った。
犬はまた餌でもくれるのかとおもい、
無邪気に、はーはーと舌をだして僕に近づいてきた。
若さとは性欲のことだと思う。
犬を殺って欲しいから、犬を殺るのだ。
鈍く頭蓋骨が折れる音と、波の音がかさなって目の前の死んだ犬が現実のものじゃないような気がした。
急に怖くなったのか、そそくさと逃げていった。
いちゲーオタ中年男性のハートのど真ん中の最奥部に抜けないほど深く突き刺さった「テン年代ゲーム」10本をランキング形式で挙げていきます。お付き合いください。
のっけから「特別賞」から始めることをお許しあれ。ランキング発表後だと、1位よりもスペッシャルな空気を醸し出してしまいそうで。それを避けたかった。
でも、本作がとくべつな1本であるには違いない。だから悩んだ挙句の……「特別賞」。まんまでごめん。
個人的には『ノベルゲー」って昔からあんまやらないんです。ノベルゲーやる時間あったら小説を読むほうが(たいてい)有益だろう、という長年の思いこみ集積のせい。でも、『Doki Doki Liteature Club』は例外。ゲームらしいインタラクティブな要素があるわけじゃないのだけど、小説でもマンガでもアニメでもこの表現は絶対不可能。
本作の凄さについてはもはや語り尽くされている感があるし、強く深い思い入れを持っている方が世界中にいらっしゃることも存じておりますし、まだプレイしていない方のためにも、内容については何も言いたくない。
でも、これだけは言わせてほしい。
本作は「神は存在を愛している」ってことをギャルゲー/ノベルゲーのガワで見事に顕してみせた一大叙事詩である。ここには生があって、性があって、詩があって、死があって……愛がある。さらには現象学的「彼方」をも開示してみせる。
その(一見)破天荒、かつ強烈な内容に憤怒するかもしれない。ショックのあまりマウスを壁に叩きつけるかもしれない。号泣するかもしれない。戦慄するかもしれない。でも最後にはきっと宇宙大の愛に包まれる……絶対。
ああ、すっきり。
では、こっから心置きなく2010年代・心のベスト10を発表させて頂きます。
「……なんか妙に懐かしいな。子供の頃、お前と行った鵠沼海岸をまざまざと思い出したわ」
ゲームと本の山でとっ散らかった僕の部屋にやってきて、このゲームをしばらく遊んだ君は、いかにも重たいPSVRヘッドギアをつけたまま、そう呟いた。
僕はかなり潔癖症だから、君が顔じゅうに汗をたっぷりかいてることがひどく気になって、除菌ティッシュ片手にそれどころじゃなかった。
けどさ、あの頃君と一緒に見つめた空と海の青さに、まさかVRの新規アクションゲームの中で出会えるとは夢にも思わなかったよ。
ハタチん時、『スーパーマリオ64』を初めてプレイした時の驚きと、海辺で自分の子と君の子が一緒に遊んでいるのをぼんやり眺めてるような、そのうちに自分たちも同じくらい小さな子供に戻って、一緒に無邪気に冒険してるような……切なくて温くて微笑ましい気持ちがじわじわこみあげてきた。そのことに、僕は本当に心底驚いたんだよ。またいつでもやりに来てくれ。
「あー、なんかシャベル持ったナイトのやつでしょ。古き良きアクションゲームへのオマージュに溢れる良質なインディーゲーって感じだよね、え、あれってまだアップデートとかやってんの? なんかsteamセールん時に買って積んでんだけど、ま、そんな面白いならそのうちやるわー」
あなたが『ショベルナイト』をその程度のゲームだと思っているのなら、それは大きな大きな間違いだ。
プレイ済みの方はとっくにご承知と思うが、本作はレトロゲーもオマージュゲーもとっくに越えた、誰も登れない山頂に到達した類い稀な作品である。アイロニーと切り張りだけで作られた、この10年で数えきれないほど溢れ返った凡百のレトロ風ゲームとは、かけ離れた聖域に屹立してゐる。
そして3つの追加アプデ(大胆なアイデアに溢れた全く新規追加シナリオ。今月でようやく完結)によって、本作は10年代下半期にリリースされた『Celeste』や『ホロウナイト』の先駆けとなる、傑作2Dアクションとしてここに完成したのだった。さあ、ショベルを手に彼の地へ赴け。
このゲームの印象を喩えて言うなら、
久し振りに会って酒でも飲もうものなら、いちいち熱くてしつっこい口論になってしまう、共感と嫉妬と軽蔑と相いれなさのような感情を腑分けするのが難しいくらい綯い交ぜになっている面倒きわまりない幼なじみ、みたいな。
正直、ランキングにはあまり入れたくなかった。が、初プレイ時の衝撃をまざまざと思い出してみると、やっぱり入れないわけにはいかぬと悟った。
もし未プレイだったら、このゲームはできればPC(steam)でやってみてほしいとせつに願う。当方バリバリのコンシューマー勢なので、ゲームでPC版を薦めることは滅多にない。だが、コンシューマー機ではこのゲームの持つ「鋭利なナイフ」のような「最後の一撃」が半減してしまうだろう。
作者トビー・フォックス氏は、かつての堀井雄二や糸井重里の系譜に連なる倭人的王道シナリオ(コピー)ライターと感じる。
確認のために本作の或るルートを進めていた時、初期ドラクエと『MOTHER』と『moon』が携えていた「あの空気」が30年ぶりに匂い立ってくるのを感じて眩暈がした。会えば会うほど凄みを増す狂人のような作品だ。
2020年内に出る(であろう)2作め『DELTARUNE』において、トビー氏は堀井/糸井が書け(書か)なかった領域に確信犯的に踏み込んでくるにちがいない。それが半分楽しみで、半分怖くて仕方がない。
その山の森の奥には古い洋館があった。
庭は川と繋がっていて、澄んだ水が静かに流れていた。
君は川沿いにしゃがみこんで1輪の花を流していた。
俺は黙って君を見つめていた。
君は俺に気づかない。
俺は木に上ったり、柱の影から君を見守ったり、触れられない手で君の髪を撫でたりしているうちに……君の可愛がってたシェパード犬がこちらにひょこひょこやってきて、ワン、と小さく吠えた。
ああ、なんだかこのゲームやってると批評的目線がどんどんぼやけていくのを感じる。まるで透明な死者になってしまったような、奇妙で懐かしい感覚に否応なしに包みこまれるような……。
本作は「VRで描かれた古典的AVG(アドベンチャーゲーム)」であると言われている。個人的には、そんな持って回ったような言い回しはしたくない。
VRでしか描けない世界と情緒に対して、あまりに意識的な本作。その手腕はあざといくらいなんだけど、実際に本作をやってみるとあざといどころじゃない。泣くわ。胸の内に熱いものがこみあげてくるわ。
『Deracine』はプレイヤーの原風景をまざまざと蘇らせる。かつて失ってしまった友人を、失ってしまった動物を、失ってしまった思い出を、「ほら」とばかりに目の前に差し出してくる。そのやり口はほとんど暴力的でさえある。
もしVR対応しなかったら、知る人ぞ知る良作(怪作)止まりだったであろう本作。
かくいう俺もPS Storeで見つけて何となく買った時は、まさか2010年代ベストに入れることになるとは思わなかった。怪しい仮面被ったバレリナ少女がサイケ空間を飛び回ってんなあ……製作者はドラッグでもやってんのか?くらいの。
しかしPSVR対応した本作を再度プレイして驚愕した。怪作がまごうことなき傑作に生まれ変わっていたのだ。あるいはコンテンポラリーアート作品としての本質を露にしたとも言える。ああ、VRというハードではこんな事態が起こり得るのか……。
画を作っているサンタモニカ・スタジオ(ゴッド・オブ・ウォー、風ノ旅ビト他)の仕事はいつだって凄まじいクオリティでため息が漏れるのだが、VRとの相性は抜群だ。とりわけ今作での仕事は白眉と言える。
とにかく、思わず自分と少女の頬をつねりたくなるほど美しい。少女が、景色が、色彩が、確実に「もうひとつの世界」(夢、とは言いたくない)を現出させている。
そして本作は本質的な意味で——究極の恋愛ゲーでもある。誰も認めなくても、俺はそう強く感じる。あの少女と過ごした時間を、あの少女が内に秘めていた闇の部屋を、あの少女が戦っていた怪物を、そしてこの狂気と色彩にみちみちた世界を日常生活の中で思い出す時、この胸に去来するのは——それは「恋」としか言い様のない儚い感情だ。
書き始めるまで、本作がここまで自分内上位に食い込むとは思わなかった。
が、確認のために軽くプレイしてみたら、やっぱりとんでもなかった。
実験施設内部に、そして自分の内側(Inside)に展開するめくるめく不穏な景色。ディストピアの先にある、吐き気をもよおさせると同時に、穏やかな安寧に包まれるような、唯一無二のビジョン——を完璧に描ききった本作。
終盤の怒濤の展開と比類なき生命体描写のインパクトに心奪われるが、本作の真骨頂は木々や空や雲や雨、海などの自然情景(それが何者かによって造型されたものであれ)の美しさだと思う。荒んだ世界の中、思わず立ち止まって、天に祈りを捧げたくなるような敬虔な心持ちを強く喚起させる。
俺にとって『INSIDE』とは、自己の内面に深く潜るための潜水艦、あるいは哲学書のページを繰っても繰っても掴めない、自分と世界との乖離を自覚するための尖った注射針であり、神なき世界の宗教である。
灰色にけぶった空の下、雨降るトウモロコシ畑で無心で佇んでいた時のあの安寧と絶望感に、これから先もずっとつきまとわれるだろう。
人の生には「もっとも幸福な時期」というものがたしかに存在するようだ。そして、それは必ずしも幼少期だったり青年期だったりする必要はない。
俺にとっては、傍らに愛猫がいてくれて、WiiUと3DSが現役ハードで、仕事から帰ってくると毎日のように今作にあけくれていたこの頃が——生涯でもっとも幸福な時期だったと言いきってしまいたい。なぜなら、幼少期や青年期と違って、その記憶ははっきりと想起できるから。
そして後から振り返ってみて、その時期がどれほどありがたいものだったかを確認し、やるせない気持ちに包まれるのだ。「ああ、やっぱり」と。
総プレイ時間は生涯最長となったし、この作品を通じて(自分にしては珍しく)老若男女多くの「オンラインフレンズ」ができた。
が、続編『スプラトゥーン2』は発売日に購入したものの、ろくすっぽプレイしなかった(できなかった)。
その理由は(おおざっぱに書くと)3つ。
ひとつは『2』発売時、先に述べた、俺にとってもっとも幸福だった時代が過ぎ去っていたこと(ごく個人的な理由だ)。
ふたつめは、初代スプラトゥーンが持っていた、俺を夢中にさせるサムシングが『2』には欠けているように感じられたこと(批評記事ではないので、それについてここでは掘り下げない)。
3つめは、次に挙げる同じく任天堂開発の対戦ゲームの登場である。
それは35年前に夢見た未来の『パンチアウト!!』だった。そして20年前に夢みた『バーチャロン』と『カスタムロボ』の奇跡的融合であり、同時にそれらとは全く別次元に昇華された「理想的格ゲー」であった。
『スプラトゥーン』で「共闘」の愉しさを味わった俺に、本作は「見知らぬ相手とサシで戦う」ことの妙味と厳しさをばっちり思い出させてくれた。
そして画面内のキャラをこの手で操る——そんなあまりにも原初的な「ゲーム」の喜びが本作には隅々までみちていた。こればかりは「Just do it」(やるっきゃない)。
やがて俺は日々のオンライン対戦では飽き足らず、リアルの大会にまで足を運んだ(あっさり敗退してしまったが……)。そんなゲームは、おそらく生涯最初で最後だろう。
余談だが、Joy-con特性を生かした「いいね!持ち」による操作こそが本作の革新性であると信じているのだが、革新性よりも「合理性」と「勝率」を求める猛者たちには殆ど浸透しなかった。
「いいね!持ち」メリットをうまく調整できてさえいれば、本作は『e-sports』ゲーム初の従来型コントローラーから離れた(両腕全体を用いた)操作形態を実現していたはずで、それについては至極残念だが、現在開発中であろう『ARMS2』に期待したい。
2010年代下半期は、俺にとっては「VRに初めて触れた年代」としていつまでも記憶されることになるだろう。
2017年冬、とにかく『Rez infinite』をプレイしなければならない——そんな義務感でPSVRを勇んで購入した。配線がややこしい機器をPS4に繋げ、想像していたよりもさらに重たいヘッドセットを被り、本作をプレイすると——すぐに「ここには未来がある」と思った。いや、正確じゃないな。「未来に至る——今の時間と自分」をばっちり感じたと言うべきか。現在は可視化され、360度方位に顕在し、俺をユニバーサルに包みこんだ。
AreaXを初めてプレイした時の、重たい身体感覚から自由になり、魂だけが全宇宙に放りこまれたような未曾有の感覚は、ゲームなるものと関わってから過去30数年を振り返ってみても、5歳の時に生まれて初めて電子ゲームに触れた時の体験と並ぶ、あるいはそれを越えかねない、空前絶後の体験だった。
これだけ長いこと「ゲーム」なるものを続けてきて、ゲームからそのような感覚を初めて得られたことに深く感動し、ラストではほとんど泣いていたことがつい昨日のように思い出せる。
そして『Rez infinite』の「次の体験」を今か今かと待っている。
『Rez infinite』からのまさかの……自分に驚き、何度も自身に問うた。
あれだけ昔から『どうぶつの森』嫌いだったお前が。とび森を。テン年代1位に。据えるつもりか?
お前はそんなにぶつ森好きだったのか? ありがちな中年男性みたいに「しずえ萌え」になったのか? それとも親子くらい歳の離れたフレンドと時々会えるからか? おいおい、かあいこぶってんじゃねーぞ、と。
だが本作を1位にした決定的な理由——それは、テン年代初頭に放たれた今作から「仮想世界」における、人間存在の理想的な在り方の萌芽をひしと感じたからだ。
一発で脳内に凄まじいヴィジョンを注入した『Rez infinite』と比べると、まるでアリが餌塚に砂糖を運ぶようなゆったりとした足取りだが、本作は確実に世界中のゲームファンに「もうひとつの世界」をキュートな顔つきと口調(しずえ嬢のような……)でじわじわと浸透させ、人々の無意識をしれっと変容させ、もうひとつの生活を愉しませ、ネット接続により文字通り「飛び出させた」。
『どうぶつの森』は今年3月に発売する次作『あつまれ どうぶつの森』においてさらなる大きな広がりと変化を見せてくれるだろう。
が、俺は本作をとくべつに、個人的に、偏執的に、限定的に愛しているのだ。
それは故岩田社長が生み出した『3DS』というハードへの偏愛と、ゲーム機では3DSだけが備えた「裸眼立体視」——ARとVRを折り合いし、先取りした——唯一無二の機能によって『どうぶつの森』というクローズドな世界をまるで飛び出す絵本のごとく彩り、「夢の中で他者の森を訪ねる」という奇妙かつ魅惑的な通信世界を生み出し——
要は、全シリーズを振り返っても今作『とびだせ どうぶつの森』だけが持ち得た、この奇妙で牧歌的で神秘的なアトモスフィアに由るものだ。
カフカ『城』や村上春樹『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』主人公のように、俺はある時、この森の中に、夢の中に、村の中に、これからも留まり続けることを選んでいた。
そういうわけで、本作を迷わずにテン年代1位に据えたいと思う。
※※※※※※※※※※
長々とお付き合いくださって本当にありがとうございました。
余談ですが、最初は「順不同」にしようと考えていたのです。これほど自分にとって大切なゲームたちに順位なんてつけるのは相当失礼な気がして。
でも、敢えてつけてみた。並べてみたら、なんとなく自分内重要度みたいなものがぼんやり浮かび上がってきたので。
異論提言はもちろん、よかったらあなたのテン年代ベスト(5本でも20本でも1本でも)教えて頂けると、いちゲームファンとしてめっぽう嬉しいです。
エアコンもない居室のドアは、いつも開けっ放しだし、24時間誰かが起きていて誰かが起きていたから
気が向いた部屋に入っては、ベッドで寝たり、餌を貰ったり、酔っ払いに絡まれたりしていた。
ぼくの周囲の友達からはタロウちゃんと呼ばれていたが、いろんな部屋に出入りしていたので沢山の名前を持っていたようだ。
タロウちゃんは、弁当が入ったコンビニ袋を開ける音を聞きつけると
コンクリートの廊下をカチャカチャと爪を鳴らしながら走ってきて、分け前をねだってきた。
授業をさぼって寝ていると、ベッドに入ってくるのだが多分ノミを背負っていたから、その後で体が痒くなったりした。
その秋にタロウちゃんは友達の先輩のベッドで子供を3匹産み落とし、僕らは彼が実は彼女だったことを知った。
冬になる頃、子供はいつの間にか1匹になっていたが、僕らもタロウちゃんも特に気にせず
冬休みが終わって2日目の朝、その街はいきなり何も無くなってしまった。
みんなで周りの家を掘りに行って、何人かを助けたり、助けられなかった人を中学校まで運んだりした。
くたびれて部屋に帰って寝た次の朝、廊下にタロウちゃんは1人でポツンといた。
僕はタロウちゃんに声をかけたけど、タロウちゃんは怒ったように向こうに走って行ってしまった。
僕はその次の日に実家に避難し寮に戻ってきたのはしばらく経ったあとで
《追記》
たくさんのコメントありがとうございます。
当時の記録などあわせて読んで頂けると幸いです。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jime/47/2/47_148/_pdf/-char/ja
常連さんの中に、
「お願いします!」
の一言で全ての注文を済ませる人がいる。私は、変な奴だなぁ、と思いながらも、いつものやつを用意してレジを打つ。
取扱のタバコの種類が増えすぎて、数種類がタバコ棚からあぶれてしまい、別に売れない種類でもないのに辺鄙な所に、番号札も付けられずに並べられている。売れない種類でもないからこそ、辺鄙な所に置かれていると言ってもいい。
ただ、バイトの私共もお客様もそのタバコの正式名を中々覚えないので、
「あの棚の左の棚の、右側から三番目の、灰色の、6ミリの……」
という、純文学みのある(あるいは魔方陣グルグルっぽいと言ってもよい)曖昧な指示をされ、
「これですか?」
「そう、それっす」
みたいな受け答えをしてタバコを出す訳で、それを三回ほどやったら、タバコの銘柄を覚えないわりに、私共はお客様の顔とタバコのパッケージの色とミリ数と辺鄙な定位置をセットで覚えるのであり、お客様の方も、私共の中で「話が通じる」者の顔を覚えるわけだ。
そしてまた、
「お願いします!」
突然ですが、ゲームは皆さん大好きですか?
僕は大好きでした。
様々な人とネットやリアルを通してゲームについて語りながらゲームしているだけで幸せでした。
リアルがいくら散々で灰色な日々を過ごしてもゲームに酔っていればそれで良かったのです。
数年前は。
数年前、ゲームコミュニティ中で、自分またはその他が原因で(誰が悪いかと言ったら自分含め全員悪い)
亀裂が生じて面倒になって4年間続けていたソーシャルゲームをやめてしまいました。
その頃から心に穴が空いたように何をしても虚無感に苛まれる毎日。
当時高校生だったのですが、そのことをきっかけになんとかリアルを頑張ってはみました。
ゲームもやめると思いつつもなんだかんだ触れてはやめ、触れてはやめを繰り返し、
現在将来に向けて考え、動く時期ではあるのですが、
現実的に考えて今年受験しても、どうせ浪人して受験したほうが将来のリターンが大きいと思い、
それは差し置いて勉強をしようとしても、うまく行かないのでモチベーションが続かず、
1.コミュニケーション等で本来抱えるはずのない罪だが、抱えてしまった重大な罪
(先程の亀裂というのは、
特定のキーワードでググればすぐ出るレベルで2chでも晒されているレベルです)
に対してのすべき対処
3.100から1で考えてから動く(最終目標から逆算しきってから動く)人間が、
それとも50くらいに無理矢理抑えて動き出さなきゃいけないのか、
それともそれ以外に方法があるのか
の3つです。
これらは周囲の人間でも話題について来てくれる人間が少数(小難しいだけ)なのと
リアルな人間には向かい合って話しにくい話、ということで質問させていただきたいです。
自分語りでも構わないです。
どんなに矮小で卑屈でも構わないです。
利用してくれても構わないです。
(1. 2. 3.のように答えていただけると読みやすいです。
>>古代の北方少数民族を漢族と称し、その男子を'漢子'と称していました。後世そこから転じて男子を漢と呼ぶようになる。
少し昔の話だが、田舎の高校生1年生だった俺は、人気の少ないバスに乗って帰宅していた。
一番後ろの席で、部活帰りだったこともあり、汗まみれのジャージ姿でうとうとしながら眠っていた。
ふと気付いたら、20代前半くらいのスーツの女性が隣に座っていた。
いまでも覚えている!俺はうとうとしながら隣に座ってきた女性の肩に寄りかかっていたのだ。
小声で、わ!ごめんなさい...!と俺が言ったのを覚えている。
一瞬びっくりしたけど、相手もびっくりしただろうなぁとか思いながら、また眠りかけていたその時だった。
男性諸君ならわかると思うが、俺に、眠勃起現象が起きていたのだ。
16歳の勃起、そらもうビンビンだ!しかもジャージだから丸わかりなのだ!
ごめんなさい...!とまた小声で言って、鞄で隠した。足を組んだ。また足を組み直した。勃起を隠すための最適なチンポジに移動させようとしているのだ。
恥ずかしさと眠気で、顔をそらして必死に寝てるふりをしてやり過ごそうとしていた。
そうこうしていると、女の人がそっと俺の手を触ってきた。覚えている!嬉しかった!興奮した!
俺は必死に眠いフリをしながら、”これは俺の意志じゃありませんよ?”と主張しつつも、触れてきた手を握って、女の人も握ってきて、握り返して、またそれを握り返して、くんずほぐれつな状態になった。
そんな状態から、女の人は俺の手を自分の股間に誘導していったのだ!触ってもいいんだよ?と言わんばかりの誘導だ!興奮した!俺は、はじめて大人の女性の股間を触った!湿っていた!触れば触るだけ湿りが、濡れに変わるのを感じた!興奮した!灰色の俺のジャージにも我慢汁でシミがついていった!
”触っていいんだよ?”って小声で言われたのを覚えている!
一生懸命触った!興奮した!理性が保てない!うおおお!永遠を感じた!
そんなこんなしてたら、バスは目的地についたのか、女の人は、”ありがとね”と小声で言って立ち去っていった。
***
さて、本題に戻ろう。
いまでも覚えているが、翌日学校の友達に”逆痴漢にあった!”と鼻息荒く何回も説明したものだ。それから数ヶ月、馬鹿みたいにそのバスに乗った!(田舎だから2時間に一本も走っていません)高校生の俺にとって、バスに乗るのは疲れた時だけの贅沢だったからお金にも困った!
そして、現代。
なぜ”漢”ベースなのか?!
20代の半ばの良い時期に新宿で働いてたことがあるからかもしれない。なんというかあの年の瀬も近づいてきた雑踏が落ち着くのだ。歌舞伎町や三丁目よりは、西口から東口のあたりがより良い。
あの街ではみんな他人で、無関心で、誰かと笑いあっている人も居れば、一人疲れて帰路に着く人もいる。色んな日常が混じり合って、でも黒く塗りつぶされてしまう程ではない灰色がとても落ち着く。
欲望に近いのも良い。すぐそこに歌舞伎町の風俗やホテル街があり、新宿の日常は欲望と隣合わせだ。女友達と飲んでいたら流れでホテルに居た、みたいなことがあの街では毎日たくさん起きてるし、水商売の女性が仕事に向かう姿はなんとも言えぬ美がある。
人混みから少し離れてみるのもいい。すぐそこにある沢山の人の営みを感じながら静かに飲むのも乙なものだ。
最もあの街の優れている点は、雑踏の中の孤独が街に同化されないことだ。あの街では孤独は誰のものにもならず、ただ自分の孤独のまま存在する。ただそこにある。それが認識できる。
君は昔の自分だ。と思った。
僕は現在25歳の素人童貞だが、二か月前初めての彼女ができた。
ただ、それまでが地獄だった。
他人の恋人の話に激しく嫉妬して、やり場のない感情を抱く。周りと自分の違いに恥ずかしさを覚える。それ以上聞かないで。いやだ。
こんなにも人を愛したい、彼女が欲しいと思ってるだけなのにどうしてダメなんだ。
なんで、デートに断られるのか。死ぬほどモテ本読んだんだぜ。モテると聞いてオナ禁だって1年以上やったわ。ハゲてんのに美容室行ったんだぞ。
もともと乏しい自己肯定感だが、さらに自信を失っていく。人に目を合わせるのが怖い。声が小さくなっていく。
僕は大学卒業する年の3月をデッドラインと定め、それまでに彼女が作れなかったら風俗に行くと決めた。
結果全くモテず大学卒業とともに童貞を卒業し素人童貞が誕生した。風俗嬢から「卒業おめでとう」と囁かれた時にはどっちの意味だ?と笑ってしまった。
僕は二村ヒトシ著「すべてはモテるためである」を君に読んでほしいと思う。
この本では、冒頭で「なぜモテないのかというと、それは、あなたがキモチわるいからでしょう。」と述べられている。
しかし、それだけではなく、どう自分のキモチわるさと向き合うかを真剣に書いた本だ。
そこでは、自分の居場所を作ることが大事だと書かれている。自分の好きなものへのキモチは、人の目を気にする必要のないものである。
恋人がいることがすべてに思えるかもしれない。セックスがしたくてたまらないかもしれない。
それでも、まあいいやと思える何かがあればいいと思う。それは僕の場合、Jリーグのチームの応援だった。チームが勝った瞬間はすべてどうでもよくなって、そこに救われていた。
君にもそういう居場所があるかもしれない。なければそれを作ってから、ゆっくり彼女を探せばいいと思う。僕なんかより恋愛工学の人やナンパ師の方が彼女の探し方について詳しいと思うけど、出会ってラインしてご飯誘ってデートして、みたいな順序でね。そういえばアルテイシア著の「モタク」っていうモテ本もよかったなぁ、恋愛の順序がきちんとわかったし、今の彼女にそれ参考にしてLINEしたりデートしてた。
君が僕の話を聞いてくれるかはわからないが、僕は君のことを応援している。
この前、僕は気になってた後輩とデートに行って告白した。正直、彼女の外見はそんなにタイプではなかったけど、今彼女と話すのがすごく楽しいし、ときどき自分にこんな愛おしい存在ができたことに気づいてコッソリ泣いてしまうんだ。本当に好きだと。僕の青春はくすんだ灰色のままだけど、だからこそ今があると思える。まだ素人童貞のままだけどね。
橙田(とうた) 橙木(とうぼく) 橙山(とおやま)
浅黄(あさぎ) 黄木(おうき) 黄地(おうち)
白川(しらかわ) 白木(しらき) 白崎(しらさき)
茶園(ちゃえん) 茶木(ちゃき) 茶谷(ちゃたに)
大空(おおぞら) 空閑(くが) 空田(そらた)
茜部(あかなべ) 茜ケ久保(あかねがくぼ) 茜谷(あかねや)
紅林(くればやし) 紅露(こうろ) 紅谷(べにや)
紫垣(しがき) 紫藤(しどう) 筑紫(ちくし)
緋田(あけた) 緋本(ひもと) 緋山(ひやま)
飴田(あめだ) 飴谷(あめたに) 飴本(あめもと)
鴬地(うぐいすち) 鴬生(おうしょう) 白鴬(はくおう)
このくらいでしょうか・・・赤色・桃色・青色・水色・緑色・草色(黄緑)・橙色・黄色・黒色・白色・灰色・茶色、桜色・空色・朱色・藍色・鼠色・茜色・紅色・紫色・緋色・飴色・銀色・金色・蓬色・鴬色・紺色・土色・藤色で苗字を計153程挙げてみました。
お役に立てれば幸いです(^_^)♪
ここで批判されがちながらも一応例え話にしよう。
フェミは鳩だ。灰色で鶏より一回り小さく、くるっぼーとなく。それだけだ。
それくらい別にいいだろうと息巻いていたのだが、実は鳩は保護鳥であり狩猟には特別な許可が必要な鳥獣に該当すると知り、それがじわじわ理解できてくるとオタクは焦りだした。
そうしてある妄想に耽りだす。
「あれはカラスに違いない。俺の持ってる光り物を狙って攻撃しに来たのだ。それなら保護鳥じゃないから問題ないはずだ」
この発想自体は無理もない。人間だれしも、自分自身の過ちを認めたくないために、都合のよい空想にふけることはある。
オタクは集団だから「あれはカラスだ」とお互いに言い合い「それならしっくりくる。納得できる。鳩だというよりもよほど分かる」と言い合う。
その時、あれは黒いはずだ、カーと鳴くはずだ、一回り大きいはずだ、光り物を憎んで攻撃するんだ、いや光り物を欲しがっているのだ、とどんな言っても、目の前にいるのはくるっぽーと鳴く灰色の一回り小さい姿しかしてない。
普通の人は「やはりそう都合の良いことはなかったか」と諦めるのだが、オタクはここで独特の思考回路を放つ。
「あれはカラスのはずなのに、灰色でくるっぽーと鳴く。本当は黒くてカーと鳴くはずなんだ。つまり『ダ ブ ス タ だ』」
普通現実と空想が齟齬を起こした場合、自分達の抱いていた空想は妄想であったと認める思考をするものだが、オタクは一定数以上『現実が空想に合わせてくれないなんてダブスタだ』的な発想をする人が現れてしまう。
「鳩は何故ダブスタを認めない。お前はカラスのはずなんだ。鳩はこのことについて真剣に考えるべきなのにそうしないんだ」と嘆き続ける。
それにしても、こうも空想と現実が反転するというのは、大昔のゲーム脳やらオタクは現実と虚構の区別がつかなくなるやら、なんやらのエセ科学だったはずの話が、事実として目の前に現れたようで、いっそ薄気味悪くすらある。
わたしはそれまで、いわゆるデビュー組のオタクをしていたから、彼らの後ろで踊っていた自分と同い年かそれより少し若いくらいの男の子たちに興味なんて最初は一切無かった。
YouTubeにジャニーズJr.チャンネルというものが公式に存在していて、そこでコンスタントに動画を配信していると知った時の衝撃は大きかった。だって、わたしが今まで応援してきたアイドルは、少しでもネットに載ろうものなら灰色に塗りつぶされていて、その顔が笑っているのかどうかさえ分からなかったのだ。それなのに彼らは液晶の向こう側で確かに動いていて、その笑い声は何よりもクリアに聞こえた。
気が付けばわたしは、あるひとりのジュニアに夢中になっていた。彼はジュニア内で結成されたグループに所属していた。この文章に出てくる情報でわたしの言う"彼"がどこのグループの誰を指しているのか見当がつく人は多いと思う。それくらいには知名度があるし、パフォーマンスで言えばその他のデビュー組と比べても見劣りしないであろう圧倒的な華があった。
そんな彼らの単独ツアーが決定した。キャパ2000人程度の会場を押さえてのホールツアーだった。もちろんチケットは激戦。わたしは呆気なく落選した。全て。悲しかったけど、半年後にデビュー組のライブも決まっていたし、その時はまあ仕方がない、縁がなかったと割り切った。だけど正直、その頃わたしの熱はデビュー組からそのジュニアに大きく傾いていて、ツアーの開始が近付いてくるにつれて行きたい気持ちはどんどん増していく。チケット流通センターを覗けば、定価の何倍にも跳ね上がったチケットが大量に売られていた。別に払えない値段では無かったけれど、定価1万円もしないチケットをこの値段で買い取ったら、それはもう何か一線を超えてしまうような気がした。そうしているうちにもどんどん売り切れていくチケットを毎日のように確認して、ついにツアー初日の幕は切って落とされた。
ここまで踏みとどまったのだ、もう後はオーラスまで辛抱強く耐えるだけだと思った。だけど、初日の公演が終わった晩にTwitterで公演のセトリが流れてきた。これ以上、見ないでおこうという考えはうっすら頭の端にあるのだけど、少し知ってしまったのだ、そしたら全部知りたくなる。自らサーチすればどんどん手に入る情報は見れば見るほど辛くなるだけだった。その中で彼とハイタッチしたという内容のレポがあった。それを見た瞬間、もう、居ても立っても居られなくなって、ぽろぽろと泣いた。
すぐに次の公演のチケットを購入するべく、Twitterから様々なチケット売買サイトまで探し回った。相変わらず可愛げのない金額が提示されていたけれど、いい歳した大人がたかが140字の文字列を見て泣いたのだ、もう理由はそれだけで十分だと思った。そうして、わたしはチケットを譲り受けることとなった。
代金は会場での手渡しを指定された。当日、初対面の女の子に家賃みたいな金額を封筒に入れて差し出した時は、流石にちょっと冷静な部分が顔を出して、自分に呆れた。座席は会場入りするまで分からなかったけど、とにかくこの公演に入ることが出来ればそれで良かった。ところが、いざチケット発券して座席を確認すると、最前列から数えて5本の指に入るほどの前列だった。目と鼻の先にステージがあった。デビュー組では、まず有り得ないであろう狭いそのステージで、これから彼が歌って踊るのだと思うとひどく手が震えた。半ば呆然としているうちに開演時刻が迫ってきて、周りに倣っていそいそとペンライトを点灯する。わたしのペンライトは彼の色に煌々と輝いていた。
暗転、彼らが登場した瞬間、割れんばかりの歓声で会場が包まれた。センターに立って真っ直ぐ前を見つめて歌う彼は、誰よりもかっこよかった。彼だけをずっとずっと見つめていた。客席に降りる演出が多かったから、1メートル先に他メンが立つこともあったけど、それに目もくれず何メートルも離れた3階席で歌う彼の方を見上げていた。
衣装のビジューがスポットライトを浴びて輝いて、それに身を包んだ彼があんまり綺麗だから、まぼろしなんじゃないかと思ったけれど、彼の白い肌から透ける鼻の先の赤が確かにその体に血が通っていることを証明していた。やさしい歌声も振りの大きい踊りも窮屈そうにはしゃぐ姿も、何もかもわたしの好きな彼そのものだった。彼が笑うと私も笑ったけど、それと同じくらい泣きそうだった。
あっという間に時間は過ぎて、アンコールを迎えたとき、彼は下手側から客席へ降りた。わたしの席は上手側だっから一生懸命、彼を目で追っていたら、上手側の通路を通って彼がステージの方へ戻ってきた。あんなにハイタッチが羨ましくて、どうか指一本でいいから触れてみたいと思っていたのに、いざとなると尻込みしてしまって、恐る恐る手を伸ばした。
そして、彼に触れた。
正確には、触れた、と思う。
トンッとわたしの手のひらに当たったのが彼自身だったのか、彼に触れようと無数に伸ばされたうちの手のひとつだったのか、正直分からなかった。だけど、やっぱり触れたんだと思う。それでいい。腹の底から愛おしいと思った。
公演が終わったあとは、どうしても落ち着かなくてアテもなく街を一人で歩いた。駅の喫煙所でタバコ吸いながら、彼がすぐ隣を通った瞬間のことを思い出そうとしたけど、ぼやけた記憶しか残っていなかった。でもなぜか彼に伝う汗だけは鮮明に覚えていた。死ぬまで忘れたくないと本気で思った。そのためなら、例えばわたしの寿命が短くなったとしても全然いいや。タバコを吸い終わる直前、ちょっとだけ泣いた。
わたしは彼の背中を追って、いつの間にかもう後戻り出来ないくらい随分と遠くまで来てしまったんだと思う。ジャニーズに限らず何かに熱狂している人間なんて程度はあれど、みんなちょっとずつ狂ってる。その中でどんどん冷静さが摩耗していくんだろう。現に高いお金を払ってチケットを買ったこと、今はちっとも後悔していない。なんならこれ以上ないってくらいだ。馬鹿だよね。でもさあ、彼の肌の色がすごくすごく綺麗でね。わたし、あんなに美しい色を生まれて初めて見たんだよ。