はてなキーワード: 有用とは
人生そこまで単純でもないよ。同年代の適齢期にアプローチすることの有用性を語っているのにすぎず、別に統計とか期待値とかしらんがな。1人を熱烈のアプローチすることにいちいち、いや、女は下方婚しないからな、とかいって勝手に諦める人のほうがアホでしょw
インドネシアのスタジアムでの暴動で多数の死者が出た事件で、NHKがあたかも暴力が主原因で170人以上が死んだと取れるような報道をしているが
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20221002/k10013845461000.html
はっきり言って間違いだと思う。素手の暴力でこんなに死者は出ない。
一方、雑踏の事故では簡単にこれだけの死者は出る。だからこれは観客席に催涙弾を打ち込んだ警察が原因と思われる。
日本の警察であればこんな事はまず起きない。だがこれは日本スゴイって話じゃない。ちょいと説明しようと思う。
警察は司法権力機関であるだけでなく、行政としても強い権力を持っている。
だから雑踏に関しても命令する権限があって、人が集まるイベントを届け出なくやったりすると怒られるわけだ。
店の外の行列を放置していれば「ちゃんと店員か警備員雇って整理しなさい」と言われるし「○○という有名人が△△に来てる」っていうデマを流して将棋倒し惹起したら逮捕される。
警備業というのは監督官庁が警察になっていて、更に警察官の天下り先でもある。また社長が警察上がりというケースも多い。
元々警備業はボディガードなどから派生して色々な形態の警備を請け負うようになったのだが、実はその前から同様の警備請負をする人士達が居た。右翼である。
右翼はボディガードだけでなく労働運動潰しなども請負い、暴力の行使や時に殺人も行っていた。更に昔の右翼はヤクザと不可分の所も多かった。
昭和30年代にTVで「ザ・ガードマン」というドラマが放送されると雨後の筍のように警備業者が起業されたのだが、ここに右翼/ヤクザ経営の企業舎弟の会社が大量に入り込んでしまったのである。
警備請負というのは暴力からの防御という仕事が多い。それは即ち対抗するための暴力だ。
一方、警察というのは国家という暴力装置の実行装置だ。暴力装置たる所以は暴力の独占であり、警察をコピーした暴力が世間にあってはならない。
また、道路工事での交通規制でも警備員は必要だが、土建業というのはヤクザの企業舎弟が大変に多い分野だった。つまりヤクザの資金源になってしまう。
という事で警備業法というのが施行され、警備業は警察を監督庁とする許認可事業で、前科がある人間の雇用禁止、警備員は法含む研修必須などが定められ、業務が完全に警察の指揮下に置かれたわけだ。
警察の天下り先って事で、利益誘導の面もあって警備業の派遣先が増える結果にもなった。「これやるなら警備員を何人以上配置せよ。その配置図を出せ」って何かにつけて言われるって訳ね。
因みに以上の経緯から警備員の装備というのは厳しく制限されているよ。例えば警察署の前で長い棒をついた私服警官が立ってる事がよくあるが、あれは実は軍隊と同じ立哨で立ち方も決まっている。持っているのは「警杖」なのだが、あれを警備員が持つことは禁止されてる。警棒の長さや形に制限がある為だ。
日本で雑踏事故が少ないのはこういう戦後の経緯の末に、人が集まる事をせんとする場合は警備員の配置と雑踏警備計画を提出させられるからだ。
雑踏警備での鉄則は「一方通行」と「ボトルネックを無くす」である。これは群衆が流体のような動きをするからだ。
一方通行にしない場合にどうなるというと、「クサビが噛み合った状態」になる。
例えば広いところの間にトンネル通路がある場合で、通路の両側から群衆が押し寄せた場合、通路の入口では「通路の半分からはみ出さない」という動機が働きにくいので通路のほぼいっぱいに広がって進行する。
だがこれは反対側でも同じなので、出口付近では人一人くらいの隙間をぬって通る事になる。
これは上から見ると三角形のクサビが噛み合っているような状態になる。効率的には最小化だ。
後ろから押されているので隊列が狭くなると群衆密度が増す。だが人は一定以下では足の歩みが出来ないので押されてやがて転んでしまう。
後ろの人間は前で起きていることが見えないので前にどんどん進行してくる→それらも更に転倒する、となって、転んだ人とのその手前の人間には数百キロ~数トンの圧力がかかり、皆死んでしまう。
これが通路を対面通行にした時に起きる雑踏事故だ。通路は一方通行が鉄則なのはこういう理由だ。
ボトルネックがあった場合は、細くなる手前で群衆圧力が上がる。
更にボトルネック手前の壁に当たった人間は通路に戻ろうとして横から割り込む→圧力が高いので弾き出される、となってそこでグルグル回って出られなくなったりする。まるで落ち葉だ。
でもそうする事でただでさえ高い群衆密度へ割り込まないとならない人が出て局地的に密度が極度に高くなる→転倒事故、あとは上記の例と同じで死亡事故まっしぐらである。
だから「狭くなる」箇所というのは作ってはいけない。狭い場所があったらそのずっと手前からパイロン等で狭い状態が継続した状態にせねばならない。
「ボトルネックを無くす」の類型に「通路をのばす」というのもある。
立体交差する駅で秋葉原駅は階段一本で山手線と総武線ホームが直接行き来出来るのに、武蔵野線南浦和駅はわざわざ遠回りして通路を歩かされる。不合理だと思った事ないだろうか?
これは秋葉原が通勤ラッシュなどを然程考慮してなかった昭和初期の建設、南浦和が痛勤ラッシュ常態後の昭和後期開業である為で雑踏事故対策なのだ。
電車の降車客は波状的なので、長い通路をダラダラ歩かせてそこで客の波を吸収してしまおうという思想だ。
秋葉原では短い階段でホームに直接客が展開してしまい、群衆密度が高い箇所がホームという危険な状態になってしまう。
地下鉄高田馬場駅の改札はホーム端の先にあるが、2004年頃の改築でホーム中ほどから改札への通路を増設した。
出口は一緒だから一見無意味な改造だ。だが長い通路で吸収して階段の手前で滞留する客がホームに溢れるのを軽減する効果があるのだ。
新潟の神社で行きと帰りの初詣客がかちあって滞留状態になった。そこでやがて参道の石垣が崩れて100人以上の死者。
だが石垣だけに問題があったのではなくて、群衆密度が上がりすぎて路肩にせり出し崩壊したものと思われる。
これは一方通行にしていなかったのが主たる原因の例。
列車が遅延し、混雑が激化して日暮里駅の板張り跨線橋の羽目板が客の圧力に負けて崩壊。転落した客13人が電車に轢かれ8人が死亡した事故。
対面クサビ状態とボトルネックの混合と思われる。跨線橋の角に押し込まれた客が流れに戻れず圧力が高くなって壁崩壊。
雑踏事故じゃなくて暴動なのだが、国労動労の順法闘争の為にダイヤが大きく乱れてカチ切れた乗客が駅員をぶん殴る、電車を悉く破壊するなどで収拾が付かなくなって機動隊が動員されて鎮圧。
翌日から他の駅多数で度たび同じ暴動が発生する国電暴動となって東京はカオス状態に。
大混雑と電車がいつ来るか知れないストレスフルな状態の上にアナウンスもせずにいた為に乗客の怒りメーターがレッドゾーン振り切ったの原因。
なのでこれ以降雑踏では拡声器を使ってうるさい程に行列に関する情報を与えろというのが鉄則となった。
数年前に宇崎ちゃん献血ポスター騒動というのがあった。セクハラっぽいポスターを公益性が高い日赤が使うな!という騒動だ。
この騒動は一枚の写真から始まったのだが、このポスターが掲出されていた場所というのは新宿西口のJRと京王の乗り換え通路である。
ここには「新宿駅西口広場イベントコーナー」というのがあり、その対面に「新宿西口献血ルーム」があって、そこに掲出されたポスターだったのだ。
この「新宿駅西口広場イベントコーナー」だが、実はここは1992年頃まで工事用バリケードなどで塞がれた単なる閉鎖区画だった。
照明もなく、ホコリが積もったままで少ない資材が置かれただけの殺伐としたところで、居心地の悪い場所だった。
実はここが封鎖されていたのは「新宿フォークゲリラ」という騒動による。
ここが広くなっているのは1966年竣工の西口立体化時に地下広場として作られたからなのだが1969年に学生中心のベトナム反戦集会、新宿フォークゲリラが開かれ、機動隊が導入されて解散させれらた。この際、広場として整備されたものを東京都は「通路」に変更するという禁じ手も使用(通路=公道の占拠は道交法違反)。
そこに起きたのが国電暴動で、新宿駅でも暴動が発生。「別に反体制学生じゃなくても暴動起こすのかよ!」と頭を抱えた警視庁と東京都は、別にギター持って屯してた連中と暴動は関係なかったが、万一を恐れて乱雑にこの区画を閉鎖してしまった。
時代が下って最早反体制なども流行らなくなり、閉鎖区画のせいで逆に荒んだ状態になっている元地下広場の有効活用として即売会や催事場としての活用をするようになった。
初めはしょぼかったが、やがて政策アピールの掲示や地産フェアなど商売がうまくなり、綺麗な内装もされて有用なイベントスペースとなってきて人の流れも出来てきた。
そこで対面に献血ルームが出来る事になったわけ。
上記のように日本の警察は雑踏事故防止に関しては極めて有能なんだが、その反面「人が集まる事」を嫌いすぎるきらいがある。
広場否定論なんだな。あんまり人が集まるのを封じてしまうと今度は現在のロシアみたいな事になってしまう恐れもある。
で、最近だと東京駅や池袋駅西口、渋谷駅(予定)みたいにロータリーを追い出して広場を作るという方に行政の方がシフトしてきている。
そういう戦後史と行政史の果てに出来たのが「新宿西口献血ルーム」でそこに掲出されたのがあの宇崎ちゃんポスターだったってわけだ。
あの騒動は色々感情的過ぎたが、でも一方でその辺知ってるとアゴラの復活でもあったって訳なんだな。
という訳で、統率されない人間が大量に集合すると雑踏事故が起きるのはデフォルト状態で、警察行政が力を入れて制御してるから日本じゃ事故があまり起きないのだ。
インドネシアのは警察に問題があり、観客席に催涙弾を撃って視界が乏しくなった客がパニックになったらどうやったって雑踏事故になる。観客席は階段状でそこに下り階段があるという構造ゆえ先が見えなくなるから普段でも危険な構造なのだ。インドネシア警察は雑踏警備の監督指導などを普段からしていないのではないか?
1964年にペルーで同じように暴徒に催涙弾を打ち込んで300人以上が死ぬ事故があったので、そういう事例研究をしていないと思われる。
「警察が私らを人間扱いしていない」との被害者のコメントが報じられているが、インドネシア警察は人間扱いと同時に流体扱いをすべきだった。
仁藤夢乃さんの偉業をお前ら凡百のはてなーにもわかるように紹介していく。
仁藤さんは矯風会で講演し、その前会長(当時)と親しげに寄り添うツーショットを投稿なさっている。矯風会を知らないお前らのために説明しておくと、キリスト教のプロテスタントが母体になっている由緒正しい組織で、性道徳を紊乱するような悪書に対して抗議し、わいせつ表現への規制を強めるべきだと主張している高潔な団体だ。そのような団体と仲の良い仁藤さんもまた高潔な志を受け継いでいることに疑問の余地はないだろう。>ttps://twitter.com/colabo_yumeno/status/620808038937526276
アキバは性犯罪者がたむろして若い少女を買春する街だという衝撃的な事実を告発されておられた。アキバに何度も通ってきた増田も「そ、そうだったのか、知らなかった……!」とハッとさせられ蒙を啓かれた鋭い指摘だ。>ttps://togetter.com/li/935702
エロゲー開発で赤字が救われたエピソードを聞いて「そんなもの許せない!」と憤っておられた。女性への暴力を助長する表現なのだから彼女が怒るのは当然だろう。>ttps://twitter.com/colabo_yumeno/status/977760034946863106
昔ホストに世話になった経験から、ホストは若年女性の実情を知っている頼れる存在だと指摘しておられる。ホストのことをそういう存在だと思ったことがなかったのでハッとさせられた素晴らしい投稿だ。>ttps://togetter.com/li/967888
彼女は辺野古基地反対のための座り込みに若い女性たちを連れて参加し、強制排除しようとした警察官を「若い女の子の体を触るな! セクハラだ!」と威嚇しておられる。なるほど若い女性を抗議行動の前面に出せばそういう攻め方ができるのだなぁとコロンブスの卵のような発想に感心した。彼女の政治的センスが卓越したものであることを示すエピソードだ。>ttps://twitter.com/colabo_yumeno/status/1166875826278686720
増田の観測範囲の表現規制反対派は「表現の不自由展」も守られるべきだと主張し、オタクを公言する地方議員の中には「表現の不自由展」に足を運んで支援の意を表明した者もいたのだが、やはりそれらはごく一部のノイジーマイノリティであって「表現の自由」を掲げる人たちのマジョリティは「表現の不自由展」に冷淡だったという当然の事実を指摘なさっていてハッとして涙が止まらなかった。>ttps://twitter.com/colabo_yumeno/status/1157645637602533377
2020年から継続中の動画シリーズ。これは差別では? というトンチンカンなツッコミを入れる阿呆もいるが、「キモい」というのは性暴力やハラスメントをしてくるという意味であり、容姿や趣味を揶揄しているわけではないから何も問題ない、というごくごく当然の理屈がなぜわからないのだろうか。理解に苦しむ。>ttps://twitter.com/colabo_yumeno/status/1254226451949207552
彼女はパパ活で辞任した経緯のある米山隆一さんをたいそう嫌っているのだが、彼が選挙に出たときに「妻も夫の性欲処理機ではない」と発言した。これに対して米山さんの妻である室井佑月さんが激怒していたが、仁藤さんが室井さんを性欲処理機だと言っているのではなく仁藤さんが米山さんに向けて「お前は室井さんのことを性欲処理機だと思っているのかもしれないが、それは間違いだ」と忠告している文脈なので、これで怒る室井さんはちょっと冷静になってほしいものだ。>ttps://togetter.com/li/1800362
仁藤さんは温泉地に出かけたときに『温泉むすめ』という温泉擬人化キャラクターのパネルを見つけ、その設定に問題を見つけたので強く批判した。それらの問題がある設定はパネルではなくウェブサイトに書かれていたのだが、パネルのイラストを見た瞬間に「なんでこんなものを置いているの😩💢と思って」調査を始めたという慧眼には驚くばかりだ。増田のような凡人であれば絵を見ても何も思わずサイトを調べることはしなかっただろう。ただのイラストから設定に問題があると勘づくことのできる能力は稀有である。>ttps://twitter.com/colabo_yumeno/status/1460060377379602434
仁藤さんは、「AV新法」と呼ばれる法律に反対していたが、そのときに中里見博さんという法学者と共同で勉強会を開いている。>ttps://twitter.com/minorikitahara/status/1527146739311865856
この中里見博さんという方は、トランスジェンダーとされる人たちが性自認のみに基づいて法的に性別変更できるようになる、いわゆる「セルフID制」に反対されている方だ。身体の性別に基づく女性専用スペースを守るために活動され、そのために心無いTRA(トランス権利活動家)からはTERF(トランス排除派ラディカルフェミニスト)でありトランス差別者であるという誹謗中傷を受けておられる方だ。女性スペースへの男性身体者の侵入を防ごうと尽力なさっている学者とも積極的に連帯する仁藤さんは、まさに女性の権利のための闘士といえるだろう。>ttps://sites.google.com/view/no-self-id-japan/
一部のAV女優が、AVの撮影に様々な規制を入れたAV新法によって仕事がなくなったと主張し、AV新法賛成派を攻撃している。立憲民主党の地方議員経験者にいたっては、まるで仁藤さんが新法賛成派であったかのようなデマを流布した。とんでもない話だ。彼女はAVの存在を認めるAV新法を手ぬるいとして批判し、AVの法的禁止を主張していたのだから、彼女がAV新法賛成派だというのは事実に即していないただの言いがかりだ。>ttps://twitter.com/colabo_yumeno/status/1524037374186901505
さらに彼女は、セックスワーク従事者からの相談窓口を設置し、性売買からの脱出を勧めている。この団体は、同じく性売買に憤るジャーナリストの郡司真子さんも「AVの仕事がなくなった人は相談すれば福祉に繋げられる」として紹介していた。AVを規制し、女優たちの仕事を失わせ、その上で自分の団体を紹介して彼女たちが食うに困らぬようにしてくれるのは、仁藤さんの優しさが、まさにアジア的な、無償の優しさであることを示している。無知なはてなーは彼女の活動の高潔さに瞠目するように。>ttps://key-official.net/about.html
ご覧のように、仁藤夢乃さんは家出少女をバスで保護する以外にも多岐にわたる物事に関わりを持ち、ご自分の意見を発信してこられたことがわかると思う。このように多方面にわたって高潔な志のもとで有意義な活動をなさっている彼女が、なぜあれだけ多くの人の憎しみを浴びねばならないのかはまったくの謎というべきだ。
増田は、アキバ系やエロゲーや萌えコンテンツを憎みホストと良好な関係を築きキモいおじさんやTRA(トランス権利活動家)に立ち向かう仁藤夢乃さんを応援しています。
まともなのもあるんだったら、それを紹介する方が有用なのでは
日本軍はここに気付いてなかったというのは読んだことがある。
違うぞ
海軍へ主に所属していた航空戦力はしっかりとその効果が認識されていたんだ(当時、空軍という概念は存在しない)
しかし当時の日本帝国軍は陸軍と海軍の主導権争いがあって、海軍の有用性をアピールするための象徴が必要だったんだよ
海軍の象徴は航空機ではなく軍艦であるべきという考え方で採択されたものであり、海軍内で航空戦力の効果を高く評価していた人たちは当然ながら戦艦大和構想へ難色を示していた
陸軍は主導権争いの兼ね合いで反対しては居たものの、陸軍の上陸作戦時に艦砲射撃による支援は当時非常に大事だったので戦艦大和が全面的に無用の長物とは言いにくかった
当時の航空戦力は各国がその効果を高く評価していたものの、今まで無い新兵器を作戦・戦術・戦略レベルへ昇華し、それを軍隊・群体として運用できる人材を育て、実行するまでが非常に困難だったんだ
そして日本がその下地を作り上げ、アメリカが完成させたんだぞ
調理器具はなんであんなに機能が絞られてて役割が決まってるんだろうね
それに比べて食器は使い回しは効くし多様性もあっていいしなにより実際料理を食べるのに便利だよね
両方を使う意味ってなんだろねって事だよ
調理器具は機能や段階で使い分けるし混在させたり共用したり変わりに使えたりしない
なぜって確実に同じ料理を作るため
食器はといえばおなじ料理でも皿を変えたり食器を替えて食べたりもする
それができるのは同じ料理が継続して作られることができるからだね
同じはずなのに同じ皿に盛れない料理が前と違ってできなければ違う皿にしてみようという選択肢がなくなる
料理は食器の変化対応いろいろな可能性を試して育てて続けられる事を素にそれに盛るための料理を作る器具や仕組みやレシピを作って、料理を提供できるようにする
そういうバランスなんだよ
そもそも実践すると有用な(金が儲けられるとか対人関係で優位に立てるとか)方法論があったとして、そのすべてにおいてお前はいちいち経済学や心理学の論文に則った作法で書かれていなければその内容を実践しようとは思わないのか?というよりレビューとかないモノに対してはその時点で「有用じゃない」と決めつけるのか?それって機会損失じゃねーの?食わず嫌いなだけじゃん。
「有用かどうか」じゃなくて「アカデミックかどうか」の話をしてるんだよ。
なんでそんな話になったかというと、https://anond.hatelabo.jp/20220916165454 の増田が「アカデミックな内容」と言い出したからだよ。
普通為替取引と言えば二つの通貨間で金を転がして相場の変動に伴う差額を儲けとして得ることを目的としたものを言うと思う。
相場が変化する中でこそ可能な方法という意味で動的な為替取引と言えると思う。
上記のような方法しか為替取引で儲ける方法など存在しないと思われる人たちににとって今ある唯一の方法論を「動的」とまるで別の何かと区別したような呼び方は単なる無駄に映るかもしれない。
しかし既存の方法論とは志向するところが異なる「静的な為替取引」と呼べそうな方法論を見つけたかもしれないということをこれから説明していこうと思う。
しかし「相場が固定されていたとしても」儲けることができるというのが今回説明したい方法なのだ。
むしろ相場が固定されていてくれていたほうがありがたいようなやり方なのである。
実際一個人が市場介入で相場を固定することはできないが、相場が大きく動いていく前に一連の取引を済ませてしまうということならできる。
そういう視点で考えれば今自分が行いたい全ての取引を一瞬で終えることが可能ならば大ざっぱに言えばその取引は固定相場制のなかでの取引と同等なものになる(大ざっぱに言えばと断ったのは、自分自身の取引による相場の変動が考慮されるため)。
一瞬のうちに全ての取引を済ませたときに得られる儲けが、数学における極限的な意味での、儲け得る金額の理想的な値に相当する。
この理想値に近い儲けを手にするためにできるだけ俊敏な取引が望まれるというわけだ。
つまり説明していく方法を実行するにあたっては手動ではなくプログラムを組んで行うことが望まれるということには留意してほしい。
またあえてこの時点で両者の為替取引を端的に表現しておくなら、動的な為替取引とは時間経過に伴う相場の変動を利用して儲けを得ること、静的な為替取引とは一時点における相場の「ひずみ」を利用して儲けを得ること、というところになると思う。
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具体的に説明するために仮想的な通貨とそのレートを仮定しておこう。
そのレートについての条件は以下の通り。(円に対して100円というように100Aや50Bと表記していく)
1.1C=100A(1.でこれから指し示すための通し番号となっており小数点ではない。以降同様の表記法を用いる)
2.1C=1B
AとBについては以下の2通りのレートを適宜考える(都度どのレートで考えているか示す)
3.1B=1A
同様に以下の通り
5.100D=1C
6.90D=100A
以降、文章だけで伝わるように努めたが、一応解説図のようなものも作成したので適宜imgurへ投稿した画像へのリンクを貼る(増田では1つの記事に貼れるリンク数には限りがあるためhttps://は省略させていただく)。
核心の部分を説明するまでの準備的な説明が多いので回りくどく思われるかもしれないが、読み飛ばしたりしてはおそらく理解できないはずなので辛抱強くついていってほしい(もちろん直截簡明に説明できない私の文章力不足もある)。
では具体的な説明をしていこう。
まずA,B,Cの三つだけで考える。
甲が100A、乙が100B、丙が100C持っていたとしよう。
まず甲と乙の間での取引が起こる。
レート3(1B=1A)の関係により、100Aと100Bがそのまま交換されることになる。
これにより甲は100B、乙は100A、丙が100C持っていることになる。
次に甲と丙で取引が行われる。
レート2により、今度は100Bと100Cの持主がそっくりそのまま入れ替わるわけだ。
これにより甲は100C、乙は100A、丙が100B持っていることになる。
甲は100C持っているわけだが、これはレート1により10000Aに相当する。
通貨Aに戻してから同様のことをサイクルとして繰り返すことで100倍ずつ資産の増やせるというわけである(厳密には甲と乙が行う取引自体によって取引中にレート3がAの価値が下がる方向に変化していく効果も考慮されることになるので、1サイクルにおいて変換させようとする通貨AとBの量の多いほどぴったり100倍にはならずそれを下回る成果となる)。
反面、乙がこの1サイクルで最終的に得たお金を通貨Cに換算すると、レート1により、1Cになっていることになる。
最初持っていた100Bはレート2により100Cに相当するのだったから、資産が100分の1に目減りしていることになるのだ。
これらのことはレート1とレート2が相場として確かにあることから起こることだ。
レート1とレート2の関係を知っていて、誰がレート3のような100分の1目減りする取引を行うだろうか。
つまりこの情報社会ではレート1とレート2が既にあるときレート3のような相場は発生しない。
ここで早速簡易な表を添付しておく。これを見ながらの方が俯瞰的に状況を見ることができ分かりやすいかもしれない。
結論としてはレート1とレート2であるときはレート4の相場で相場全体がこなれることになる。
これらの等式はまとめて1C=100A=1Bとすることができることから明らかなように、これら3つの相場が成り立っているときにはこの3つの通貨の間でいかにお金を転がそうとも損も得もしない。
つまりAのような一人勝ちできる勝者は発生し得ない。世の中そう上手い話はないというわけだ。
一応レート1,2,4のときの表も添付しておく。
ここまで分かりにくく感じるところがあったという人は、通貨A,B,Cをそれぞれ円、ビットコイン、ドル、に具体的な通貨に置き換えてみるといいかもしれない。
このときレートも具体化すれば1ドル=100円、1ドル=1ビット、1ビット=1円または1ビット=100円となる。
今まで円をビットコインを経由してドルにしてから円に戻すだけで資本が増やせるなんて話を聞いたことがあるだろうか?仮にそんな話があったとしてそれは確固たる成功例だったろうか?
そういうわけで、1ドル=100円、1ドル=1ビットのようになっているときは1ビット=1円のような誰かに都合のいい相場ではなく、1ビット=100円のようになっているはずだということである。
具体化した表も付しておく(レート4の場合)。
これは当然レート1とレート2のような相場に限ってしか言えないものではなく、ドルと円あるいはドルとビットのレートがどのようになっていても残りのビットと円のレートについて必ずそうなるということである。
ただしAとBの関係についてはレート4が成り立っているものとする。
表を見ればより一目瞭然かと思うが、上に書いたサイクルで甲が通貨Cを通貨Aに戻す直前には甲は持っている。
ここで甲と丁による通貨Aと通貨Dの取引を考える。丁は90D持っているものとする。
このとき甲と丁の取引が行われるとレート5により甲に100D、丁に1Aが渡ることになる。
今甲が持っている100Dを通貨Aに換算するには、レート6により、90:100=100:xという比例式を解く計算をすればよい。
x=10000/90ということで、もともと持っていた100Aより資産が増大しているのだ。
レート7があまりにも恣意的な設定なだけではないかと思われるかもしれない。
しかし肝心なのは、レート6であってはならないという必然性がないということだ。
丁が通貨Aなど念頭になく、通貨B,C,D間での取引にしか興味がない(そして多くの人もその傾向である)ならば、少なくともその三者間の相場を表すレート2,5,7は先ほどと同様一つの式にまとめられる関係にあるので、丁はこの取引において損も得もしていない。
丁(あるいはその他多数)にとっては安心して支払いなどと用として通貨を替えることができる環境にあるわけだ。
自分がした取引によってその取引相手である甲という一個人が得しているかどうかなどあずかり知らぬことである、ということだ。
同様に乙や丙にとっても通貨Dなど念頭になく、またそのような人々が多数派なのであれば、レート4を含む今のレート状態で乙や丙のようなA,B,Cの三通貨間の取引を期する人々にとって損も得もないことは表も交えて先述した通りだ。
レート6がどのようであっても先ほどの甲が100倍得したときに乙の資産が100分の1に目減りするような状況にはならないので、乙やその他通貨Bを持っている人たちの投資家心理はレート6には干渉しない・独立しているということなのだ。
概念図では念頭の埒外、蚊帳の外という様子を破線で示している(図中の数字はレートの通し番号に対応)。
私はレート6のような状態を相場のひずみとでも呼ぶことにしたい。
相場が固定するなかでは二通貨間の取引は言うまでもなく、一つのサイクルの間にどれだけ多くの通貨を噛ませても損も得も起こらないと考えるのが普通だろう。
いわば電気回路で一周すると電圧が元に戻るというキルヒホッフの法則のようなものが為替においても(手数料を抜きにすれば)成り立つはずだというのが素朴な考えとして多くの人に支持されるはずだ。
次々と自国の貨幣よりもより価値の高い通貨に替えていっても最終的に自国の通貨に戻したときには最初と全く同じ価値に戻ってしまうということである。
しかし大半の投資家心理とは独立した通貨ペアがあれば、そのレートも投資家心理の束縛を受けず、場合によっては誰かが得できる状況もあり得るのではないかという説を上では具体的に例示したわけだ。
ここでそのような通貨ペア=ひずみを生じる根源が成立条件について自信は無いが挙げておこうと思う。
さらに
条件として挙げたのはどれもAとDの為替を含む取引になっている。
逆に条件に挙げた取引がある程度存在するとAとDの相場であるレート6にも投資家心理が影響していくので誰も損得しない方向にレート6のひずみも解消されていくのではないかということだ。
たとえば1番目と2番目の条件はようするに金の流れが逆なだけなので、いずれか一つを挙げれば事足りる同値な重複した条件なのではないかということだ。
4通貨でひずみが生じる例を示したわけだがこの場合のひずみも解消され得るものである。
しかしそれ以上のある数以上の通貨間の関係のなかではそれらに内包されるそれぞれの二者間の相場がいかなるものであろうとも、どこかしらにひずみが生じてしまうものなのかもしれないと直感的に感じられる。
つまりある数以上の通貨を介せば必ず儲けを生み出す為替の経路が存在しているのではないかという主張であるわけだが、その通貨数がいくつであるのか、私にはそれを数学的に証明する技量はないのは悔やまれる。
話を戻せばこうしたひずみがあると、一見成り立ちそうな為替版のキルヒホッフの法則でも相殺しきれない差額が生まれ、それを儲けとして得ることができるかもしれないということだ。
これらの概念図を示しておく。
今までの話はこのようなごく単純な話に置き換えられるかもしれない(ただし以下は知人が見出したたとえ話なので語弊もある恐れがあり正しさは保証しない)。
今プレステ3の卸値が日本で3万円、アメリカで280ドルだとする。このとき100円=1ドルの相場である。
手持ちが29000円しかないなら日本でプレステを買うことは不可能だが、この相場ならドルでなら買える。
それどころかこのプレステ3を日本で売れば売ればお釣りが来るかもしれない。
ただし日本で売るにはアメリカで買ったそのプレステ3を日本まで運搬してもらう配送料がかかる。
この配送料次第では損かもしれないが、ここが先ほどまで説明してきた方法論の手数料負けするというおそれに相当するわけだ。
効率よく上記の条件を押さえた通貨ペアを探すなら、通貨ペアの相関係数表をチェックする方法が検討される。相関表の例:https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000299.000003206.html
まず日本円の列か行の中で相関係数の絶対値が0に近いものを探す。
0に近いものを見つけたら、今度は前の時点で列の中で眺めていたなら行を、行を眺めていたなら列を探して、同様にその通貨にとって相関がほとんどない通貨を見つけ出す。
こうして行から列、列から行と渡っていくことを繰り返し、最終的に日本円に戻ってくるループを見出す。
ただしこのループの中に同じ種類の通貨が二度以上あってはいけない。
もし同じ通貨があればそこで一つの完結したループができてしまっていると思われる(もちろん始点と終点として円だけは必ず二度登場しているはずである)。
そのようなループが今回の方法論を適用するのに優先的に試すべき候補であるが、実際にそのうちに手数料込みで儲けを生み出すひずみが生じているのかどれかといった計算や、このようなループを探し出す作業自体もプログラムで行なったほうが良いと思われる。
計算から取引の完了までの間に人力でもたもたしていると、その間にひずみの状況が変わり、行なっていた計算が適用できなくなるはずだからだ。
そもそも通貨の組み合わせも膨大であり、為替で利用できる通貨が10個だったとしても、順列の概念はうろ覚えで自信がないのだが、ひずみが発生し得る通貨数が4つ以上だと仮定してもその組み合わせ10P4+10P5+・・・+10P10のようになり、その中から候補のループを探すというのは人間が人力で行うべきことではないように思われる。
ともすれば量子コンピュータの実用化を待った方がいいぐらいかもしれない(なんとなくNP問題の匂いがする)。
ただしそれだけの組み合わせ数があるというのは良いことでもある。
プレステ3のような規格化された工業品はさておき具体的な物においてはひずみが生じやすい、しかし原油や貨幣は統一されたものなのでそのようなひずみは起こらないだろうというようなことを知人は言っていた。
しかしこれだけの数の組合せがあるなら、やはりそのなかにはまだ見出されていない、得できるような通貨ペア、ループが眠っていてもおかしくないと思うのだ。
頭の中で考えても俺の脳内スタックでは何か行ったり来たりするような状態を繰り返すばかりになっていたので埒が明かないと感じたし、また自分の中でも判然としないところが多いので、批判を乞う目的も兼ねて今回言語化を試みた。
そういう経緯ゆえに直観に頼ってごまかして書いたところもある。
ただし増田で間違ってると言われてもそれを鵜呑みにするようなことはしないつもりだ。
それを参考にはしながらも、今後金融や経済学の専門的なことを学び、もっと理詰めで考えられるような頭になった後で、この方法論が理屈として間違っているかどうか、また机上の空論ではなく有用あるいは実効性があるといえるかどうか確かな理解のもとで判定させていきたい。
生徒にとって親身で、将来への指針を示してくれて、多くの有用な知識を教えてくれて、いつか感謝されるような先生になりたいんよ。
残業しないと授業のクオリティが下がって教科書を読むロボットになるかもしれないし、ホームルームはただの伝達事項の確認だけになるかもしれない。部活は無理せずに週3で1回1時間のみ、とか。
それで良い、という人もたくさんいるだろうけど、多分卒業後、生涯に渡って感謝し続けられるような存在にはならないじゃん?それだとやり甲斐を感じない人が多いんよ。
自分より圧倒的に弱い立場の子供に一方的に「指導」をしてそれを生涯にわたって感謝されたいって、完全にサイコパスとか自己愛性人格障害にしか見えないな。でも実際そういう奴にとって都合のいい仕事なんだろうな教員は。
これまでいろいろな書籍やサイトから情報を得てきて、オブジェクト指向のプログラムを、「知識とスキルを持った職人をいっぱい雇ったプロジェクト」というように理解している。
極論を言えば、オブジェクト指向=擬人化思考というように捉えているけれど、この理解はどの程度あっているのだろうか?
とすると、
職人は、会社の指示によって働き、持っている知識とスキルを使って仕事をする。
知識やスキルは、各職人が会社に指示されたマニュアルを読んで覚える。
とか
オブジェクト指向が特に有用なのは、特に複数の会社と協力して作業する場合である。
そのような大規模なプロジェクトであるならば、各企業の職人一人一人に指示するよりも、マニュアル一つで指示した方が簡単だし、間違いが少ない。
オブジェクト指向の三大概念として、いろいろな媒体で紹介されている「継承」「ポリモーフィズム」「カプセル化」も、それぞれ「一つのマニュアルを用意して、職人に利用してもらいやすくする」「各職人は、自分にとって必要なマニュアルの一部を読んで知識とスキルを手に入れる(ここの理解は自信がない)」「マニュアルは、職人によって勝手に書き換えられないようにするべき」みたいな感じでなんとなく理解している。
ただ、根本のオブジェクト指向がよくわかっていないため、これが合っているのかもわからない。
のだけれど、なんとなく色々勉強してきて、複数人とプログラムを組むとか、大きなプロジェクトとかでもない限り理解していなくても問題なさそうなので、回収率100%を超える競馬プログラムが出来上がるのを夢見て寝ます。
当初は明るい気持ちになれる?というところを期待して飲んだ。こちらはそこまで感じなかった。ただ、不安感のようなものは一切なかった。
どちらかというと興奮する、躁状態にするもの、という感覚。飲んでから動悸がずっと気になっていた。作業には集中して取り組めた気がする。集中というよりは意欲的に、という感じか。
細かい作業、大した事ないものだがつい放置して億劫になっているもの、という類の作業に取り掛かるのがぐっと楽になった。事務手続きだったり、いつもの家事の類も、パッと始めてサクッと終わり次、となる。これはとても良かった。
当初の目的である明るい気持ちになれるサプリでは無く、むしろ仕事その他を始める・片付けるのに有用だと思う。
定期的につぶやいているが、日本を含めて全世界で汎用的に使える高機能SNSってのはかなり珍しく、その代表がGoogle+だった。
Facebookのように使いづらいUIと全然使えない機能ばかりなSNSは論外。Twitterもサークル機能を取り入れたけど、Google+はもっと先を行っていた。
というより、先を行き過ぎてサークル機能はさほど重要ではなくなっていった。それに変わるカテゴリーのほうがずっと良かったことを踏まえると、いまのTwitterの施策はGoogle+のスタートラインにすら立っていないと思う。
サークルは個人に付与するタグのようなもので、1人をたくさんのサークルにいれることもできるし、サークルに複数人を入れることも可能。そうやって特定のサークルに該当する人にだけ情報を発信したりしてゾーニングが可能。
当然、コミュニティ機能もあるし、のちにカテゴリーという自身の発言をカテゴライズして分類する機能も登場したため、SNSでありながら簡易のEvernoteのような使い方ができる非常に有用なアプリだった。
https://financial-field.com/living/entry-147826
「歯科検診が実施されている幼児や高校生までの学生に対しての結果として、乳歯のむし歯の減少や軽症化、20歳頃までの永久歯の1人平均むし歯数の減少傾向などがあります。」
とか書かれているけれど、違えだろと。
子供の虫歯が減った本当の原因は、虫歯は感染症であり乳幼児期に親などの家族から移しさえしなければその後はどんなに歯磨きを怠ろうともけして虫歯にはならないという知識が国民に知れ渡り
親が子供へのキスや食器の共用を避けて虫歯菌を感染させない努力をするようになったからだよ
歯医者や歯科衛生士は自分達の食い扶持を守るためにこの有用な情報を国民に広めようとはせず、上記の有用な知識はネットによって広まった
子供の虫歯の減少に歯科検診は無関係。寧ろ歯科検診によって本来ならば放置したら自然に治る可能性のある初期虫歯を見つけて無理に削って二次カリエスの危険を高めているとすらいえる。
そして大人の虫歯においてすら、歯科検診の無償化なんて何の意味もないんだよねえ
大人の虫歯や歯周病の予防のためには自宅での歯磨きだけでは足りず、歯科医院での定期的なクリーニングが欠かせず
もう虫歯になってしまった大人に対して必要なのはインプラントや歯列矯正の保険適用や再生医療の実現であって、歯科検診「だけ」無償化されたところで何の意味もないどころか有害だと思う