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2015-01-02

賽銭に1000円以上投じるのが当然みたいな風潮初めて聞いた

かれこれ7年ほど神社信仰について研究してきたクチだけど

賽銭の額が御利益に左右するなんてハナシ聞いたことないんだが。

以下の↓

いますぐ別れよ! 女子を不幸にする男子の特徴「初詣でお賽銭を小銭で入れる男子」 - バズプラスニュース Buzz+

この部分、

賽銭は1000円以上が常識

意識調査も何度かした事あるけど、多くて100円前後相場

どこ情報しか常識だと論じてるからには何らかの根拠があるんだろう。

これに関する学術論文研究雑誌を一度も読んだ事ないし、置いてあるのを見た事がないのだけれど、

誰かこの記事にある「お賽銭は1000円以上が常識」について根拠立て出来る人はいますかね?

これはどう考えてもおかしい。

ワナビに向けたラノベ創作技術論の整理と俯瞰5

ワナビに向けたラノベ創作技術論の整理と俯瞰1

※本稿は上記を始めとして分割投稿されたものである

情報収集

アイディアを生み出すための想像力は「鋭い観察眼と知識」によって培われるものだと西谷は言うが、こうした知識に対する態度は他の多くの作家にも多く見受けられる。例えばクーンツは何かを調べる際、それについての参考書一冊を読んで満足するのではなく、2冊から3冊は確認しなければならないとするし、五代/榊も知識を増やす労を惜しむようでは作家になるのは無理だとする。

知識の広げ方という点では、例えば榎本ネット有用だとして、わからない単語が出てきたら放置せずその場で調べる、新書辞典、専門書を読むことなどを推奨している。またキングテレビ否定し、読書重要だとしている。

重要なのは何かを盲信しないことである五代/榊は単純に何かを鵜呑みにしたり、逆に根拠なく切り捨てることは思考停止であり、これは「極めて危険」だと明確に述べる。クーンツ複数の文献を確認することへの指摘も同じことだろう。

一方、情報収集なぞ必要ないという主張も存在する。水島ラノベを書きたいならラノベだけ読んでいればそれでいいのであり、ラノベに限らず幅広い文献に目を通すべきだという意見作家の見栄に過ぎないと言う。

ラノベ作家を目指すのならばラノベを読んでおくべきだ、という指摘は至極もっともだが、しかラノベ以外の知識は不要だ、というのはいささか乱暴な主張と言わざるを得ない。もちろんそれでラノベを書くことはできるだろう。しかラノベしか知識がないのだとすれば、そこで描かれる内容は他のラノベで既に描かれたものの域を出ない。もちろん、大塚の主張するような抽象化と具体化による工夫は可能だが、そこで具体化するための材料もまたラノベから引っ張ってくるという引き出しの無さは、相当の才能が無い限りすぐに限界を迎えるだろう。

知識という点で、飯田作家オタクであることを求める。しか飯田がいう「オタク」とは流行ラノベを楽しみ、流行アニメを楽しみ、ニコニコ動画流行している動画を楽しむ人のことである

一方で五代/榊は「新しく入ってきてる人達は、オタクと呼べるほど濃くない」とそれをオタクではないと断じる。共に作家が「オタクであることを求めるが、両者の言うもの似て非なるものに思われる。とはいオタクとは何か、オタクの濃さとは何か、という問題に本稿で踏み込むつもりはない。

最後に、知識の無さはワナビ創造する登場人物の幅にも影響することは理解されておくべきだろう。プロアマわずラノベにはよく「天才」が登場する。問題はこの「天才」が知っている知識は作家本人の知識を限界とし、その発想力や考え方もまた作家本人の能力に制約される、という現実である

天才を出したいのならば、作家本人が天才の知識と思考模倣できなければならない。幸い、作中の天才と異なり作家には十分な時間をかけてあらゆる文献を調査する時間的猶予があるのである

おわりに

ワナビの書いたラノベはなぜ面白くないのだろうか。

何度となく推敲され書き上げられたものは珍しくない。にもかかわらず全く面白くないそのラノベ問題点を、例えば登場人物に魅力が無い、物語リアリティがないとあげつらうことは容易である。それが欠点であることは間違いないだろう。しかし仮にそれが解決されれば、つまり偏差値30が50になれば、それは面白いラノベなのか。

五代/榊はワナビを「自分が知らない事は考えたくない、考えたくないところは考えないですましている」と批判するが、ワナビはそもそも「面白さ」について、とりわけ学術的に考えることを避ける傾向があると筆者は思っている。先行研究調査思考の基礎であるが、ネット上で飛び交う様々な「面白さ」についての議論がそれらに言及することは残念ながら稀である

練習は嘘をつかないって言葉があるけど、頭を使って練習しないと普通に嘘つくよ。

faridyu

本稿の整理が的を射ているとは限らない。しかし「面白さ」を構成する要素について、先行研究重要性を幾ばくか示すことができたのではないかと考えている。それが本稿をここまで読んだ時間ワナビにとって価値あるものだったかはわからないが、しかしせめて、なにかの気づきに役立つことができればと願っている。

2014-12-27

画像検索なんかで、ぼやっとしたイメージ動物を探したい時の備忘録

学名だとヒットが少なかったり、学術的に正しいがゆえに、出てきてほしいものが出てこないことがあるので

canine: 犬っぽいやつら

vulpine: 狐っぽいやつら

feline: 猫っぽいやつら

mustelid: 細長い肉食なやつら

rodent: 鼠っぽいやつら

prosimian: 猿のなかでも、いかにもな猿顔ではないやつら

cow: 牛乳を出しそうな牛

bull: 闘牛に出てきそうな牛

bison: 肩がごっついワイルド感ある牛

buffalo: 角がごっついワイルド感ある牛

antelope: スリム系のワイルド感ある牛

出てきていないものは、そのまま英訳でいけるか、特定動物名が代表してるパターンが大体

2014-12-25

ワナビに向けたラノベ創作技術論の整理と俯瞰3

ワナビに向けたラノベ創作技術論の整理と俯瞰1

※本稿は上記を始めとして分割投稿されたものである

ヒロイン

ほとんどの場合ラノベヒロイン必要不可欠である水島飯田は主張する。反例はもちろんあるが、ヒロインを据えたラノベがそうでないラノベよりも圧倒的に多いことは事実である

このヒロインについて、水島は「フラッグシップヒロイン」という独自単語を用いて説明している。フラッグシップヒロインとは、その出会いによって、主人公は平凡な日常から日常へと放り込まれる、という点で特徴を持つヒロインである水島はこのフラッグシップヒロインは一人であるべきで、また傍若無人タイプが好ましいと言う。日常が非日常へと変わるのは多くの物語で最初の1度であり、従ってそういった存在は必然的に一人であらざるをえないと言えること、前述の人物間のギャップを想定する場合ヒロイン傍若無人であるならば主人公は面倒見のいい親切な人物となり、このような人格は読者の倫理観を満足させやすく、ゆえに感情移入させやすい、という点で効率的である。ゆえにこの水島の指摘はこれまでの内容とも矛盾しない。

一部の例外を除いて、ヒロイン主人公に惚れなければならない。榎本はヒロイン主人公に惚れる理由はしっかりと、読者に分かる形で描写するべきだという。一目惚れ場合は「外見に惚れ、次に魂に惚れなおす」という形で段階を分けるべきだとする。

突如登場したこの「魂」についての説明は一切ないが、筆者が理解する限り、この「惚れる理由」や「魂」とは主人公の「行為」であり、精神的な何かではない。

クーンツ登場人物個性とは「行為」によって示されるべきだと言う。これは例えばヒロインは優しい性格の持ち主だ、と説明することよりも、読者がヒロインを優しい性格だと感じる行為描写することの方が好ましい、という指摘である

中の人物はテレパシー能力が無い限り他人の思考を読み取ることはできず、その人物設定の書かれた地の文を読むこともできない。ゆえにその行為によってのみ、どういう人物であるかを理解していくことになる。もちろんクーンツや榎本が指摘するように、それらの行為には動機必要である。現実と異なり、なんとなくで登場人物が行動していくことは読者は作家の思考放棄であり、ご都合主義だとみなす。

従って主人公ヒロインが惚れるに足る行為をなさねばならず、それは作中で明示的に描写されなければならない。

さらに、この指摘は主人公ヒロインに惚れることについてもまったく同じである美少女であるツンデレであるといった属性があるから主人公が惚れるのではなく、当該人物の行為によって主人公は惚れる必要があるのであり、さらにその行為が読者にとっても惚れうるものであればこそ、魅力的なヒロインとして意識づけられるものだろう。

登場人物オリジナリティ

水島登場人物オリジナリティなど不要であり、パクればいいとする。一方で五代/榊はそれを「チグハグで安っぽいもの」と批判する。両者の主張は実のところ特に対立するものではない。

西谷は次のような指摘をしている。

ライトノベル作家を目指している人の原稿を読むと、大ヒットした小説に登場したキャラクター名前だけを変えて自分小説に登場させ、自分ではそれに気がついていないことが多いのです

五代/榊が批判しているのはまさにこうした模倣だと筆者は考えている。水島意識的に模倣しており、さらにそれはバレないようにするべきだ、と言う。バレない模倣とは一体なにかについて水島特に踏み込まないが、この点で大塚既存キャラクター抽象化し、別の値で具体化することが正しい模倣だという。例えばオッドアイという属性を「左右で異なる目を持つ」と捉え、そこから「左右で見える世界が違う」と具体化する。

確かにこれは既製品の加工、変形に過ぎない。ゆえに大塚オリジナリティとは「パターンの組み合わせ」「パターンの再発見なのだとする。この2つは、クーンツの「われわれは古い物語の要素を新しく配列し直しているだけなのだ」という指摘、また榎本の「オリジナリティとは「全く新しいもの」ではなく「読者たちが知らないもの、見たことのないもの」の呼び名だ」という指摘を端的に表していると言えるだろう。

一方、様々な属性ランダムに組み合わせ、新たなパターンの組み合わせを発見しようというワナビは珍しいものではない。スクール水着巫女の組み合わせはこれまでにない!オリジナリティだ!といったそれに対し、大塚は「設定の上だけで奇をてらった個性オリジナリティを追求しても意味がない」と指摘する。

繰り返しになるが、大塚はそれが「主題」と深く結びついていることが必要不可欠であるとする。主題関係性を持たせられず、物語上の必然性もない「オリジナル属性」に価値は無いと言っていいだろう。

プロット

プロットについての学術定義としては例えばフォースターが有名であるが、それらを踏まえてプロット定義明確化した文献はフィールドぐらいしか確認できなかった。

よって本稿においては各説の最大公約数的に機能する定義として、「世界」や「登場人物」の変化を「出来事」とした上で、プロットとは「出来事配列」と定義することとした。

さてこの「プロット」について論じるにあたっては、当然ながらプロット不要論と向き合わねばならない。

プロットに重きを置かない理由はふたつある。第一に、そもそも人生に筋書きなどないから。第二に、プロットを練るのと、ストーリーが自然と生まれ出るのは、相矛盾することだから

キングはこのようにプロットを練る必要などないとする。

このキングの著作を高く評価し、手本としても例に挙げているクーンツプロットに関して次のように述べている。

作家にとって望ましいのは、ただひたすら登場人物たちの進んでいく方向に、ストーリーを方向づけていくことであるというのだ。どこやらあいまいなこの方法に従えば、より「自然」なプロットが得られるというのだ。ばかげた話である

作家登場人物小説の方向や狙いをすべてまかせてしまえば、必ずみじめな結果におわる。

ただしクーンツもごく一部の天才であればプロットを練らずとも名作を書きうるだろうとしていることは事実である。よってキングをその例外であるとすれば上記の見解の相違は回避可能となる。

ところが同様にプロットなど考えたりしないという主張は、例えば宮部みゆきや五代によっても主張されている。彼女らがクーンツより文才溢れる天才であり、キングと同格なのだとすることはさすがに暴論であろう。

しかしここでもこれは単なる手順上の相違に過ぎないと筆者は考えている。

まずキングは「原稿を寝かせる」ことを非常に重視している。書き終えた原稿キングは6週間寝かせるが、それは「プロットキャラクターの穴がよく見えるようになる」からだという。こうしてプロットの欠陥を認識し、書き直し、そしてまた6週間寝かせる。キングは欠陥を認識しなくなるまでこれを繰り返す。

確かにキングプロットを事前に練っていないが、これは推敲における徹底したプロットの練り直しに他ならない。もちろんキングが筆の赴くままに書いてもそれなりの内容を書くことができる、という前提はあるだろう。しかキングもまたプロットを最終的に納得いくまで練り込んでいるという事実は、単純にプロットなど不要だとする主張とは明らかに一線を画している。

宮部もまた、書き終えた後での推敲段階で物語の全面改稿を含む大幅な変更がありうること、よって発表後の現行を改訂できない連載小説などは「よく失敗」すると自嘲し、従って自分のやり方は非効率であるから真似するべきではない、と述べている。

このように彼らの意見をまとめると、プロットを先に練って書くことは確かに必須ではないが、それはプロットを練らないことを意味するものではなく、推敲段階で徹底して練り直さねばならない、ということと理解できる。先にプロットを練ることの効果は後で練るより執筆量の少ない段階で修正できることにあり、効率が良いという点に集約できるだろう。

プロットの手順

以上のように整理したところで、ではプロットを練ればそれだけで自動的に良いプロットになるのか、といえばそうではない。重要なのは魅力的なプロットを作り上げることで、練るという行為それ自体ではない。

練り方という点でラノベ作家陣は様々な「プロットの作り方」を提案している。その内容には「どのように作るか」という手順と「どのようなプロットであるべきか」という構造についての両方の側面があり、極端に言えば前者についてはどうでもよく、明確に意識するべきは後者であると筆者は考える。

従って手順について詳細に踏み込む必要は無いと考えているが、似て非なる様々な内容が提案されている点を簡単に紹介したい。

キング同様、西谷は「最初のシーンから順に次のシーンへと書いていく」というシンプルプロット作成手順を提案しており、そのメリットスケールの大きい物語ができること、デメリット時間がかかることだとしている。

他方、西谷は「主題をもとにして最初のシーンを考え、次にクライマックスとなるシーンを考え、その両者をつなぐシーンを考えていく」という手順も提案している。こちらは前者より物語構造を決めやすく、早く書き上げられる手順だという((この指摘はプロット不要に関する筆者の解釈とも合致するところである))。

水島の提案はこの西谷後者の説に類似しているが、「ヒロイン出会う事で主人公の平凡な日常がどのように変化するのか」「クライマックスで何をするのか」「ラストはどのように終わるのか」を最初に決め、次にその間を繋ぐ出来事を作っていくとするものである

榎本は「(人物)が(行動)をして、(結果)になる」を最小プロットとして位置づける。その上で登場人物たちの目的、遭遇する事件葛藤、対立、成長といった要素を盛り込みつつ、まず200字で作成するという。200字で納得のいくものが作れたら次に400字、800字と同様に徐々に増やしていく。これによって効率的プロット作成できるとしている。

大塚は上記とは全く異なり、下記の項目それぞれについて、暗示的な意味を付したカードオリジナルでもタロットのような既製品でも問題ない)をランダムに割り振ることでプロット作成できるとする。

割り振られたカードの暗示から想像を膨らませることで具体化するという。また、これとは別にグレマスの行為モデル主体、援助者、敵対者、送り手、対象受け手の6種の役割をもつ人や物によって物語構造化できるとする説)によってもプロットは作れるとしている。

これ以外ではさら物理的な手順への言及もあり、例えば榎本は単語帳やExcelで各アイディアカード化してこれらを並べ替えながら考えるのだとしていたり、大塚も場面単位で時刻、場所、人物、行動をカードに書き、それを時間軸に沿って並べて考えるのだ、としている。最後1972年初版であるクーンツの指摘を挙げて本項を終わる。

プロットカードとかストーリー構成リストとかの奇妙な発明品は、どれもかつて、作家アイディアを得るための手助けをすると称して売られたものであり、この手のもの現在もなお売られている。が、実際のところ、そんなものはまともな作家にとって、まったく無価値に等しい。


プロット構造

ラノベ作家陣によるプロット構造に対する言及曖昧なものが多く、またまとまった説明になっていないものが少なくない。

いくつか断片的にこの点について言及している部分を拾い上げると、例えば西谷は「キャラクターに新鮮みがあること」「魅力的なストーリーであること」「類似作品差別化できていること」といった要件を上げており、「魅力的なストーリー」とは何かという点については「主人公に苦労させる」「強い悪役を出す」「魅力的な仲間を出す」「新しい場所を訪ねる」としている。作中でそれぞれの出来事の起こる順番への言及特にない。

水島は順序について言及しているが、「タイトルも含めて最初に読者をツカむ」「ラストシーン一歩手前で盛り上がる」「ラストは短くだらだらせず、良い読後感を与える」「それ以外は読者が飽きないよう時々盛り上がるようにする」というもので、具体性に乏しいと言わざるを得ない。

あえて言えば「どんでん返し」と「天丼」への言及があり、「どんでん返し」はクライマックスの決着、直前、ラストシーン最後のいずれかに位置することで効果的に機能するが、当たれば評価を大きく上げるが外れると大きく下げる点に注意が必要だとしている。「天丼」は意外性があり、重要なことを最初は大袈裟に、二回目は間を空けた上でぼそっということで効果的に機能するとしている。

確かにこれらの要素は盛り上げるための1つの技術ではあるだろうが、プロット構造における要素とは言い難い。

さて、榎本は次のような構造プロットが持つことが望ましいとする。

クーンツもまた、古典的プロット成功パターンとして以下のようなプロット構造を推奨する。

念のため触れておくとクーンツミステリにはまた注意すべきプロット上の必須要素があるとして、それを15項目に別にまとめている。つまり上記だけであらゆるジャンルプロット必要十分条件であるとしているわけではなく、様々なジャンル必要十分条件最大公約数として機能するのだ、という指摘であると筆者は解釈している。

大塚プロット構造については後述するヒックスのそれが参考になるとして作中で丸ごと引用している。しかし同時にプロット本質的構造アラン・ダンデスを参考に「主人公の欠落が明かされる」「主人公は欠落の回復目的とする」「主人公は欠落を回復する」の三段階であるとしており、これは榎本やクーンツの主張をさら抽象化したものだと言いうるだろう。

ところでクーンツの主張するプロット構造は「三幕構成」と呼ばれるものである((三幕構成とは序破急であるという言説はラノベ作家の本でもよく見かけるのだが、あれは世阿弥風姿花伝における序破急概念を正確に理解した上でそう言っているのだろうか。まさか読んだこと無いけど字面的にたぶん同じだろといった糞みたいな思考で「教科書」と自称するものを書いているはずはないので、風姿花伝の解説書、待ってます))。榎本は「起承転結」を用いて説明するが、上記のように両者はそれほど乖離したものではない。この三幕構成はとりわけハリウッド映画脚本原則として確立されており、その端緒ともいうべきフィールド、そして大塚乙一などが参照するヒックスについて本稿では整理する。

フィールドプロット理想的構造を三幕構成によって説明する。三幕構成とはあらゆる物語はAct1, Act2, Act3の3つに分割可能だとする考え方である(その意味でいえばクーンツもまた「クーンツの三幕構成」というべき独自の三幕構成を定義しているというべきである)。これはパラダイムであり、ゆえに三幕構成は史上最高傑作にもメアリー・スーにも等しく存在する。

フィールドはこの三幕構成を下敷きに、次のような役割を持つ出来事が順に配列されることが望ましいとしている。

PlotPoint1と2はそれぞれ各Actの最後に、次のActへの橋渡しとなる機能が求められている。またMidPointはConfrontationの真ん中で起こることが望ましいされている。さらにはそれぞれのActはいずれも小さな三幕構成で出来ており、すなわちフラクタル構造であることが望ましいという(フラクタル構造への言及は榎本なども指摘するところである)。

映画脚本における理論であることからフィールドはMidPointが上映時間のちょうど中央で起きることが望ましい、としている。

クーンツがあげる「ついに最悪の事態に陥る」はMidPointのようにも思われるが、クライマックスのようにも思われ、それが作中の後ろにあるのか中央にあるのか言及がないため、判断しかねるところである。これに対してフィールドは明確にそれを作品中央で発生するべきだ、としている点で、クーンツのそれをもう一歩先に進めたものだと言いうるだろう。

なお、MidPointは必ずしも派手なものである必要は無い。例えば映画マトリックス」におけるMidPointはネオ救世主ではないとオラクルに告げられる場面である。争いの無い静かな場面であり、生命の危機に直面しているわけではない。しか物語をこれまで動かしてきた大前提崩壊した瞬間である。MidPointはこのようにもはや後戻りができず、先の絶望的状況の回避方法が読者に容易に想像できない出来事であることが期待されているものであり、派手な出来事 Permalink | 記事への反応(1) | 20:47

2014-12-11

ネット時代学術書を買う意味はあるのだろうか

大学関係者研究結果なら今はたいていネットで見れるわけで。

本にまとめられていて読みすい、本棚で探しやすいという閲覧性のために、

あるいは箸休め的な著者のコラム数ページのために何千円も出すべきなのだろうか。

2014-11-11

新しいWebサービス"Salon"を立ち上げました

新しいWebサービスを立ち上げました。

ちょっと紹介/宣伝をさせて下さい。

Salon」という名前サービスです。

http://talkinsalon.com/

Salon

どういうサイト

「気のあう仲間を見つけて、語りあい、まとめてコンテンツにするサイト

「『穏やかに話しをしましょう』と了解した人だけで議論を進める掲示板

といった感じのサイトです。

どういうニーズから

ブログのように「しっかりした記事を書いて情報発信をしたい」とか

twitterのように「ちょっと感じたことを吐き出したい」とか

ではありません。

1.完璧と言えるような考えではないけど、それなりには考えたので、ちょっと言ってみたい。

2.他の人から感想、他の人の考えも聞きたい。(リアクションを大いに期待している)

3.でも、「ちょっと言ってみる」ということを躊躇させるような、攻撃的なリアクションは避けたい。

4.他の人との議論を通して、最終的には、質の高いコンテンツにしたい。

このようなニーズを満たすサービスです。

「そこそこの意見を表明すると、他の人のリアクションがあって、最後はいコンテンツに育つ」

これを実現します。

概要

詳しい解説はこちらから

http://talkinsalon.com/users/guide

Salonとは - Salon

大雑把には、

1.サロン主として、サロンを開設し

2.メンバーを集めて議論

3.コンテンツにまとめる

という流れです。

例えば...

サッカー試合の中継後、感想を語るサロン

アニメの放映後、感想を語るサロン

デジタルガジェットなどIT話題を語るサロン

政治経済ニュースピックアップして語るサロン

学術的な本などを読み進める読書会サロン

などです。

個人的にいいなと思うのは、

自分より詳しい人がメンバーなってくれて、議論を通して、自分が向上できるようなサロン」です。

例としては、

1.サッカーに興味はあるけど、サッカー戦術とか詳しくない人が、サッカーサロンを開設

2.よりサッカーに詳しい方がメンバーとして参加

3.互いにリスペクトを保ちつつ、率直に議論上から目線慇懃無礼などはない)

4.サロン主は、徐々に、サッカーを見る目が育ってくる

5.メンバー自分の見識を遺憾なく披露できると同時に、初心者の考え方、感じ方を知ることができる

このようなサロン運営できればいいなと思います

さらに将来的には、サロン広告を載せて、広告収入などがあった場合には、サロン主だけではなく、メンバーにも収入が分配されるようにします。

サロン運営せずに、いろいろなサロンメンバーとして語ることで収入を得られるようになります

ちょっとだけ分析

議論をするためのサービスというジャンルはこれまでいろいろありました。

niftyフォーラム

2ちゃんねる

Yahoo掲示板

mixiコミュニティ

今、圧倒的に有力な議論サイトはないと思います。だから「もしかしたらSalonも行けるかも」と淡い期待をしています

ただ「Twitterで気の合う人とフォローしあうことで、Salonと同じようなことが既にできてるんじゃないか?」という疑念もあります

これはなんとも言えないのですが、

Twitterで、あまりうまく行かなかった人、イヤな思いをした人、別のサービスに切り替えたいと感じている人、がいるんじゃないかなと思っています

殺伐としているのがネット

殺伐としたネット議論愛する人から見れば、「『穏やかに話しをしましょう』と了解した人だけで議論を進める」というSalonのコンセプトは「甘い」と感じられるかもしれません。

でも、そういう合意した者同士での議論からこそ、よいコンテンツが生まれ参加者にとっても有意義時間を過ごせるものになるのではと思っています

「つい熱くなって議論したけど、あとから振り返って『不毛時間だった』」とならないサービスを目指しています

集客に関しての現状とお願いなど

サービスを開始するにあたり、"さくら"というか、知り合いを動員して、盛り上がりを演出する必要があるのですが、頼める人がいません。

そもそも記事を1つ2つ書いてもらえばいいという訳でもなく、継続的議論をしてもらいたいので、頼み込んで参加してもらうのはちょっと違うなと思ってます

とりあえず、自分のサンプルサロンを作り、更新を続け、あとは自然ユーザが集まるのを期待しています

少しでも興味を感じましたら、ぜひ使ってみてください。

議論とか好きそうで、なおかつそれなりに質の高い議論をしてくれる人達はてな周辺にいそうなので、増田で告知することにしました。

そのほかの告知はおいおい考えようと思っています

理想は、ある程度利用者が集まって盛り上がった状態で、いろいろなメディアに告知するのがいいかなと思っています

下手に告知して、ユーザが来ても、全く盛り上がっていなかったら直帰されてしまうでしょうし(昔、kawangoさんがそのようなことを指摘していました)

増田では「文系がはじめてサービス作りました」というのりでアピールするのが定番のようですが、もう飽きられている気がするので止めました。

最後

バグ/セキュリティホール/ご意見などがありましたら、トラバはてブなどで教えて下さい。

よろしくおねがいします。

2014-11-01

バイラル周りの炎上を眺めていて

村長片岡Kおよびアスペクト幻冬舎あたりの脱法出版について言及しておられたけども

出版業界って、一部の超大手学術しかやりませんねんみたいなお堅いところ以外の、中小零細後発隊はほとんどのとこが

「ひと山あてたらんかーい!」的、山師スピリットあふれる胡散臭い業界だよなぁと改めて思う

原稿料ばっくれて雑誌作ってる社長もこないだ話題になりましたけど

はい出版は、多少は資金も集めなきゃならないし人手も必要から、こりゃひどいというのは「得られる果実もそれなり」だったりもする

一方、さらにやっかいなのがwebメディアだと思うんだ

スタートだけなら少人数、なんなら一人でも始められちゃう社会的信用も不要

 違法行為への認識って、ある程度いろいろ経験すると法知識がなくても「あ、ここはまずい」という嗅覚が働くけど、彼らにはそれがない

 そもそも、社会生活上で毀損されるようなものが何もなかった輩だったりする

 だから違法行為炎上して信用がなくなってもなんとも思わないんだろう。全能の人ってやつだ

 メンタルとしてはアイスケースに入って記念写真撮る子と根っこは変わらないんだろうなというか

 もともと友達がいなかったし、面倒なこと言う友達はいない方がむしろ楽、また別の友達探すから、という感覚だろうか。よー分からんけど

出版物よりもパクリやらの脱法的違法行為が「流れ」やすい。

 ばれなきゃいんだよ、ばれたら消しゃいいよ。という感じはあると思う。

 メンタル小学生ぐらいから進化してない感じというか。ー

 そんなのでも、労力比ではそこそこは稼げたりするんだろうから馬鹿のフォロアーが絶えなかったり

・そういうのをちやほやする「お仲間webメディア()」で信用ロンダリング

 先に大いに燃えて名を上げた先輩が持ち上げるパターンもよく見る。

 名前をよく見るようになれば、悪名だろうが成功というのが「炎上商法」のベースだろうと思うんだけど

 同じような屑同士で「あいつ悪くねーよ」「話題の○○に会ってみた」とか、ねぇ…

 リアル社会での信用力がなければ効果限定的だと思いますけど

 「リアルの信用力は多少あるけど、基本がうっかりしてる佐々木先輩」みたいなのもいるし油断できない

webメディアで飯食ってる人は業界全体である程度質とか遵法製とか考えていかないと、そろそろメディア自体頭打ちになると思うよ

2014-10-25

吉田証言なんて当初から学術的に全く信憑性が無かった」って言うけどさ、そんな与太話を30年も訂正しなかった朝日新聞って一体何なのよ…

2014-10-23

橋下徹vs桜井誠についての所感

 橋下徹桜井誠の約7分にわたる「意見交換」へと感想はさまざまあるが、どれもしっくりこない。

在特会意見を聞いていないという反応

言論の自由】「橋下vs桜井意見交換会を見て[桜H26/10/22]https://www.youtube.com/watch?v=vu0fpCZikIk&list=UU_39VhpzPZyOVrXUeWv04Zg

 まずは「論外」という反応から見ていく。

 この動画で言ってることは結局「橋下は桜井誠の「在日特権」についての主張を聞かなかった」ということにまとめられる。そもそも問題となっているのは「ヘイトスピーチ」についてである在日韓国人朝鮮人侮辱して、憎悪を煽る言動についての意見交換なのであって、「在日特権」について意見交換をする場ではなかったということを確認する必要がある。よって、私はこの種の意見を「論外」である評価している。

 てか、もともとチャンネル桜は、桜井誠を世に出したメディアでもあるんだから(途中で喧嘩別れにしたにせよ)、その辺をちゃんと清算すべきだよね。水島総氏は「ヘイトスピーチ情報謀略戦において不利に働く」と様々なところで、さかしらに言っているけれども、ようは「保守がみんな在特会みたく見えるようにつくられてしまうからやめろ」って言ってるだけである水島氏のこうした発言ヘイトスピーチへの本質的批判には程遠い。「自分に不利になるからやめろ」と言ってるだけだから

 あと、「在特会アンチ在特会平等規制する法律をつくらなければアンフェア」だと動画で述べているが、この点に関しても詭弁があることを述べ添えておく。問題となっているのは「ヘイトスピーチである。「ヘイトスピーチ」とは、特定人種国籍に対して差別を煽るような憎悪表現であるアンチ在特会にそのような発言は、明示的には存在しないはずだ。(アンチ在特会も「ヘイト」だ、という意見をよく聞くけれども、ヘイトスピーチについての基本的知識がないのだな、とそのたびに私は思っている)

橋下と在特会どっちもどっちという反応

 中道左派に多い意見だと思う。おそらく国民の多くは、桜井氏の下品さに嫌悪感をもよおし、橋下氏の「公人」としての振る舞いに疑問点を抱いたことだろう。

 橋下氏の発言には、たしか同意できない部分がある。例えば「本当に政治的主張を行いたいなら選挙に出ろ」といった類のことだ。これは彼が昔から言ってたことだが意味不明デモ活動は立派な政治的活動であり、直接に法整備を行うわけではないにせよ、国民意識を変えていくことで、ひいては国会にも影響を与えうるものであるから、立派な政治的活動である。こんなことは、グラムシヘゲモニー論を引用するまでもなく常識で考えれば分かることだ。

 こうした疑問点は様々あるにせよ、今回の橋下の綿密な行動に私は驚嘆した、というのが感想であった。橋下氏自身も述べていることではあるが、彼の行動はきわめて計画的であったとリアルタイムで見ていて感じた。彼はなかなか感情的には流されない人間であり、冷徹人間性を見せる。そもそも桜井氏の今回の言動くらいで激昂して理性をなくしてしまう男ではない。「帰れ帰れ」という言葉もおそらくはじめから用意したものであっただろう。というのも、在特会が常々言っていた「朝鮮人半島に帰れ」という言葉模倣して、桜井氏個人に突きつけるという手法を橋下氏はとっているのだと私は理解しているかであるそれから、より政治的に言えば、「ヘイトスピーチ」を行う人間公人が思いっき面罵した、という点も評価できる。ヘイトスピーチを行うものはこのように扱われても仕方がない、と世に流布した功績は大きい。

 他方、桜井氏の行動について。彼の「激昂」も半分以上は作為的・演技的であっただろう。そもそも彼の「激昂」それ自体が演技的であるのだから、当然と言えば当然なのだから仕方あるまい(この点については「ネットと愛国」における西村修平桜井誠出会いについての記述を参照いただきたい)。しかし、彼の「激昂」は、残念ながら、その容姿・恰好からしても、多くの国民賛同を得られるものではない。クレーマーのものである。多くの国民は彼の言動に不愉快を覚えたことだろう。

 桜井は自著がAmazonで一位になったことを喜んでいるが、それはあくま一過性のものだと私は考えている。動物園にいるチンパンジーを見たがる好奇心以上のものではない。二三年の視点から見れば、この会談が自分に大きな打撃を与えるだろうことから目を背けているに過ぎない。

 なお、こうした人物評にまどわされずに、あの場にいて、どちらかに組せねばならぬ、という当事者視点から見れば、100人中99人は橋下につくのではないかと思う。第三者的視点だけではなく、こうした当事者意識を持ってみることは様々なコンフリクトを見つめてみる上ではきわめて重要なことだろう。

 したがって、「どっちもどっち論」に対して私は違和感を覚えている。

「やっぱり私は桜井誠より橋下徹の方がはるかに嫌いだ。」

 外山恒一ツイッターで「やっぱり私は桜井誠より橋下徹の方がはるかに嫌いだ。」と述べている。

https://twitter.com/toyamakoichi/status/524541443637919745

https://twitter.com/toyamakoichi/status/524558184594173954

https://twitter.com/toyamakoichi/status/524577760044277760

 言葉数が少ないのでその真意は測りかねるが、外山氏らしい発言だと私は受け取った。外山氏は、世の中でヘイトスピーチ批判的になってきたのを見計うかのように、反ヘイトスピーチを大上段から罵る「パフォーマンス」をおこなう橋下氏の「したたかさ」に不愉快を覚えるのだろう。私は全力で同意をしたいと思った。それにしても、「橋下徹か、桜井誠か」という二者択一を迫られるような事案が出てくるとは、やはり悲しい出来事であるだろう。

ヘイトスピーチと法

 法的にヘイトスピーチについて見てみたい。まだ日本にはヘイトスピーチ規制する法律はなく、日本国憲法第21条における「表現の自由」に抵触しないかどうかという慎重論も上がっている。しかしながら、これは国内法だけではなく国際法にも目を向ける必要がある。日本批准している人種差別撤廃条約だ。この条約は、「京都朝鮮学校公園占用抗議事件」の民事訴訟においても注目されたことで記憶に新しい。京都地裁は「我が国裁判所に対し、人種差別撤廃条約2条1項及び6条から、同条約の定めに適合する法の解釈適用義務づけられる」と述べ、大阪高裁も支持している。司法によって国際法の直接適応を受けるのには、立法府のだらしなさを私は思う所である。同条約4条1項では「人種的優越又は憎悪に基づく思想のあらゆる流布、人種差別扇動、いかなる人種若しくは皮膚の色若しくは種族的出身を異にする人の集団に対するものであるかを問わずすべての暴力行為又はその行為扇動及び人種主義に基づく活動に対する資金援助を含むいかなる援助の提供も、法律で除伐すべき犯罪であることを宣言すること」を締約国に求めている。しかしながら、日本1996年正式批准してからもう20年近く経とうとしているのに、いまだに「表現の自由」を盾にして足踏みしているのは情けない。憲法98条2項に基づき、早く法整備を行うべきである

在日特権

 「在日特権」について最後一言

 日本国において日本人以上に「特権」をもっている人は存在しない、というのが私の意見である。もし日本人以上の特権在日の人が持っているのだとすれば、具体的に教えていただきたい。

 なお、私的には、むしろ竹田特権」を告発したい。竹田恒泰のことである。彼は慶應大学憲法学講師をしていたというが、通常ではありえない「特権」がなければ、とても彼は講師になれる人間ではない。彼は修士号も持っていないし、学部時代憲法学をおさめていたわけでもない。学術論文も一つもない。なぜそのような人間大学で「憲法」の講師をすることができたのだろうか。これは「特権」以外の何ものでもないだろう。「特権」という言葉はこのように使うのである

2014-10-20

研究室を選ぶときに調べるべきこと(進学希望者向け)

とりあえず修士には行きたいと考えている現3年生向けに、

研究者としてまともな人の方が後で痛い目は見ないよ~ということで

研究室選定のときに調べるべきことをまとめました。

公立コンピュータサイエンス系を前提としており、他で使えるかはよくわかりません。

月の査読本数や学会幹事などをやっているかまでわかれば

その分野においてどのような位置づけなのかもわかりますが、

とりあえず科研と業績を調べれば本当に危ない人は避けられるということで。

2014-10-18

http://anond.hatelabo.jp/20141018140230

学術的な分野って、基本英語じゃん?

論文とか。

日本人だって研究分野の人は英語で読み書きしてるっしょ。

http://anond.hatelabo.jp/20141018140230

英語人口が多いから?

英語記事は全体の50%学術的なものなのに、日本語記事では10%しかない」みたいな比率問題だったら、国民性とかネット文化の違いかもしれない。

海外ウィキペディアはどうしてあんなにも充実してるんだろう。

いや、日本もさ、AV女優一覧とか他国に負けない点はあるけどさ、学術的な面から見ても圧倒的に優れてるじゃん、海外ウィキペディア

なんなのあれ?根本的な考え方が違うからこその充実度だよね。

2014-10-08

青色LEDに関する日亜化学工業の主張まとめ




青色LED訴訟「真実」 問われる相当対価「604億円」の根拠

http://techon.nikkeibp.co.jp/NEWS/nakamura/mono200406_1.html

青色発光ダイオード訴訟帰結

http://www.nichia.co.jp/specification/about_nichia/ip/zuisou.pdf

2014-09-24

愚行権」じゃなくて、「多様性を認めて欲しい」じゃないの?

いまの愚行権の話題ってさ

Beeメイツになろう!」と題名で釣った上で

國府田マリ子のすばらしさを語って「國府田マリ子を称えるBeeメイツになろう!」ってシメ

Beeメイツはそうじゃねえだろ」って総ツッコミ食らってるように見えるんだよね。

分かり難いか。

「オマエの愚行権の使い方はどう考えても間違っている」

まずね、id:netcraftさんは謝った方が良い。

愚行権」という単語定義される概念は、ジョン・スチュアート・ミルの「自由論(1859年)」にあって、

それなりに一般的学術用語として、その歴史的な経緯を踏まえて定義けがなされている。

から、いかにキャッチーであろうとも、自分表現したいことを「愚行権」とラベリングした時点で、

「オマエの言う愚行権は、ミル定義とは違うし無知乙」と言われるのがオチで、学術的にも混乱を招くので良くない。

原則の第一は、個々人は、その行動が自分自身以外のだれの利害とも関わらないかぎり、自分の行動について社会にたいし責任がないということです。他の人たちが自分利益のためには必要と考えてなす、忠告、指図、説得、忌避は、社会が彼の行為にたいする嫌悪非難を正当に表現できる唯一の手段なのです。第二には、他人の利害を侵害するような行為については、個人に責任があり、もし社会がその防衛のためには社会的処罰や法的処罰必要だという見解をもつなら、そのどちらかの処罰に服すだろうということです。

http://page.freett.com/rionag/mill_js/lib.html 第五章応用 より

利害関係がなければ社会に対して責任は無いが、

他人が、忠告、指図、説得、忌避をするのは、嫌悪非難を正当に表現できる唯一の手段としてる。

ミル結構過激で、飲酒が原因での暴行前科があれば、飲酒に対しての予防的な制限適法とまで書いてる)

からnetcraftさんが主張したいコトのために「愚行権」という単語を使うのは、全くもって間違っている。

多様性の許容じゃないの?

netcraftさんが主張したいことって、ダイバーシティマネジメント概念に近いことなんじゃないの?

Twitterバカ発見器と言われるように、私達はソーシャルメディアを通じて毎日全国や全世界馬鹿発見しては、イナゴのように食い散らかして消費する。

彼らの愚行権行使尊重しようとする態度が見られない。

愚行権行使が認められるネット社会をつくろうぜ!

http://www.open.sh/entry/20140923/1411463422

このエントリで言わんとしていることは、「愚かなことを表現しても、他人から忠告、指図、説得、忌避嫌悪非難表現をされないこと」じゃないの?

このままでは混乱を招くので、ここでは仮に「愚表権」とするな。

  1. 愚行権は、認められるべきだ
  2. 愚表権もまた、認められるべきだ

この場合、1番目まではアグリー人間であっても、2番目はノーセンキューだったりするだろう。

愚行権は、認められるべきだ

そりゃそうだろう。今だって認められてる。

他人に害を及ぼさない限り、例え「他人から見て」愚かでも、現在だって自由に行える。

(その人が子供だったり、錯乱していたり、興奮したり上の空で、よく思案する能力が十分使えないというのでなければ)危険の警告を受ければ十分で、危険に身を曝すことを無理矢理防ぐ必要はないと思います

ミルは少なくともそう言っているし、現状でも限りなくそれに近いことになっている。

ただ、ミル自己責任で、自分犠牲になっても良しとせよと言っているけど、実際には警察消防等のリソース(つまり税金)が投入されてる。

飲酒検問中州に取り残されたBBQ民の救助、山岳救助等々。

から、「自分自身以外のだれの利害とも関わらない」については、ある程度予想できることについては予防的に禁止されてる。

この線引きに文句を言いたいわけじゃなかろう。

愚表権もまた、認められるべきだ

netcraftさんが主張したいことってこっちじゃないの?

たぶん一番近い表現は、the right to diversityだけど、より広い概念だと思うんだよ。

肌の色、国籍宗教性別趣味差別されるべきでない、許容すべきだって言うのは、その通りで、ダイバーシティーなんて単語が使われてる。

例えば、「私はキリスト教徒です」というだけで、会社での昇進が遅れたり排除されるのは、正義ではない、と今の社会はされている。

「オマエはアイヌであることを止めないんだから自己責任の基、ネットイナゴ政治家からヘイトも受容すべきだ」とはならないだろう?

(それがアグリー社会もあり得るが、現代日本ではそれは政治的には正しくない態度とされている)

この、「趣味」の部分に、極端な性癖であるとか、「刑事罰に至らないような行為」を入れて欲しいって事じゃないのかい

放置権、みたいなもの確立されて欲しい

俺が愚行権の話を読んで真っ先に思い出したのは、NHKの「ドキュメント72時間トランクルーム もうひとつ秘密の部屋」なんだよね。

取材されていた人達は、それが他人には理解されないと痛々しいほどに理解していた。ただ、そっとしておいて欲しいと願いながら。

趣味嗜好で、バレたら後ろ指をさされながら生きていかなきゃいけないって、やっぱり間違ってると思うんだよね。

今までは、勝ち取ってこないと権利は得られなかった。

レインボーフラッグ振って、主張して主張してやっと、「居て良い」レベル

アナと雪の女王だって、どうみてもカミングアウト後の家族との和解物語だろ。

でも、ミル愚行権ではそこまでは保障していない。

他人から、誰に迷惑をかけるわけでもない趣味に対して、忠告、指図、説得、忌避嫌悪非難表現をされる。

そうされない権利確立されて欲しい。

まとめ

ある程度以上定義けがなされた単語を使うときは、注意しよう。

刑事罰に至らないような行為」を許容して欲しいという主張は判る。が、それを愚行権とは呼ばない。

ネット上での愚かな行為を、ムスリムを見つけては過激なメンション飛ばさないのと同じで、尊重しようっていう主張は判る。

netcraftさんの主張とは違うが、放置権みたいな「叩くのではなく、そっ閉じ」される権利は、確立されて欲しいと思う。

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なお、自由論についての引用部分は、

 John Stuart Mill : On Liberty (4th ed.1869 [Originally published in 1859])の日本語訳である

 自由について、ジョン・スチュアート・ミル:著、永江良一:訳 http://page.freett.com/rionag/mill_js/lib.html より行った

2014-09-19

http://anond.hatelabo.jp/20140919153822

ちょっと追ってみたけど「学術的な情報を上げた」とかいリンク先がただの妄想撒き散らしブログめまいがした。

http://anond.hatelabo.jp/20140919110149

個人的には、そのblueboyの提唱している区体論についての学術的意義についてkwskな感じ。

2014-09-14

http://anond.hatelabo.jp/20140914070138

明らかに子どもが相手ならいくらでも優しく対応するけどさ。議論の中身を見て子ども並の人間なのか子どもなのか判断して優しくしろ、というのは難しいなあ…。冷たい対応してるはてなー民の方が、実は中学生だったりするかもしれないじゃんか。そういう人には優しくしなくていいのか。

ちなみに、機会の平等結果の平等という話は、今は高校くらいで習うだろうから特に高度な学術的知識というほどのことはない。自分文系だが、そりゃ学者同士が議論してるようなことをふっと疑問に思って書き込みしたのに対して、「それは○○とか○○とかが既にいついつの論文で言ってる話で今更だ、低脳」とか言われたら、そりゃ「そんなの知るかよヴォケっ!」と思うだろうけど、高校程度の理系知識がなくて書き込みしたときに、理系の人から「それはこれこれの本を見れば全部書いてあるよ」と言ってもらえれば、それはとてもありがたいと思うけどなあ。

2014-08-30

いじめ人間習性なので

コミュニケーション能力ってなんでそんなに大事なんですか? - 考えたことについて書いていくにて、コミュニケーション不足がいじめに発展する件が載ってました。やりきれない内容ではありますが、基本的には人間習性なので、こりゃ仕方ないねーと思ってますので、自分の思うメカニズムを記載。誰か学術的に解明して、改善BUG-FIXか、Workaround)してくれ。

社会心理学上の人間習性

 人間特権を持つと、その特権行使したがる習性があります。これは、脳みそに刻まれたBIOSみたいなもんですので、いわば人間仕様です

コミュニケーションが未達だといじめに発展するメカニズム

 コミュニケーションが未達だと、まわりと効率的情報を伝達できない、あるいは、集団として有利な地位を手に入れることが難しくなります。そもそも情報戦って、力や武力を越える程の実行力を持てると考えています。このような状態になると、コミュニケーション未達の人は情報収拾/活用において大変なハンディを背負うことになり、コミュニケーション優位な人はますますコミュニケーション未達な人に比べて圧倒的に優位に立てます。これが、コミュニケーション未達な人に対して、コミュニケーション優位な人が特権を持つ状況を生みます

(最悪なのはコミュニケーション未達な方は、状況を変える為に必要情報すらも得られなくなってしま場合があります。こうなると、不利な状況から逃げ出す事もできなくなります。これはコミュニケーション優位な人に圧倒的な特権を与える事につながります

 で、ここで、人間習性であるところの、特権行使したがるという人間仕様が発動し、コミュニケーション優位な方は、道徳などの規律を越え、本能特権行使します。これがいじめなどの形で現れると考えています

まとめ

 道徳は理性で悪い事を抑制する考え方ですが、そもそも本能(BIOS)に抗うことを損得抜きに自分に強いる事になるので、実行力に疑問がありますもっと他の規則ゲームルール社会ルール)などを活用して、今回のケースでうっかり特権行使すると、行使した当人に明確に不利益になる仕組みを作り上げ、本能による作用抑制することが必要かと思ってます

参考

まあ、これがパワハラとか、セクハラに関する法律とかの社会的仕組みの1つなんだろうけどね。もうちょっと法律以外に、しくみで解決できんのかなーと思った。

2014-08-17

http://anond.hatelabo.jp/20140817194206

学術誌の査読者のことなら、普通明かされないでしょ。(同分野の研究者に回されるから、事後的に学会とかで話しててバレちゃうこともあるけど。)

何が聞きたいのかよくわからないんで、もうちょい詳しくたのむ。

2014-08-15

http://anond.hatelabo.jp/20140815090918

学術論文からエロ小説まで多読してるとあんま気にならないの意味

 

ぴぴるぴるぴるぴぴるぴ~とかな。

2014-07-27

http://anond.hatelabo.jp/20140727113356

ビッグデータを用いた学術研究は実は人文系研究と同じ難しさを抱えている。

ビッグデータをいわゆる科学仮説検証に使えると思ってたら

科学を舐めているとしか思えない。

ビッグデータ分析対象とした研究あるじゃん!という人もいるかもしれないが

それは方法論の研究科学じゃないかのどっちか。


煽ったつもりが無知晒すパターンは見飽きたので

知らないジャンルのことをうかつに書き込むのは止めて下さい、マジで

2014-07-18

http://anond.hatelabo.jp/20140718171113

 学術論文でもないし、個人の雑談偏見を語る場じゃないのかよ。

 いちいちソース要求されても相手するのが面倒なんだが。

アスペ同士と言いつつ完全にお前の気持ちが吐露されてるじゃねーか。

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