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2018-01-16

Beeメイツだったみなさま

どなたか曲名を教えてください。

♪「信じていた 幼い頃は 空を飛べると」

♪「今も夢では青空を駆けているけれど」

という歌詞で始まったと記憶しています

ツインビーパラダイスで聴いた覚えがあるのですが、

検索の仕方が悪いのかヒットしないのです。

Beeメイツだったみなさま、お力添えください。

2014-09-24

愚行権」じゃなくて、「多様性を認めて欲しい」じゃないの?

いまの愚行権の話題ってさ

Beeメイツになろう!」と題名で釣った上で

國府田マリ子のすばらしさを語って「國府田マリ子を称えるBeeメイツになろう!」ってシメ

Beeメイツはそうじゃねえだろ」って総ツッコミ食らってるように見えるんだよね。

分かり難いか。

「オマエの愚行権の使い方はどう考えても間違っている」

まずね、id:netcraftさんは謝った方が良い。

愚行権」という単語定義される概念は、ジョン・スチュアート・ミルの「自由論(1859年)」にあって、

それなりに一般的学術用語として、その歴史的な経緯を踏まえて定義けがなされている。

から、いかにキャッチーであろうとも、自分表現したいことを「愚行権」とラベリングした時点で、

「オマエの言う愚行権は、ミル定義とは違うし無知乙」と言われるのがオチで、学術的にも混乱を招くので良くない。

原則の第一は、個々人は、その行動が自分自身以外のだれの利害とも関わらないかぎり、自分の行動について社会にたいし責任がないということです。他の人たちが自分利益のためには必要と考えてなす、忠告、指図、説得、忌避は、社会が彼の行為にたいする嫌悪非難を正当に表現できる唯一の手段なのです。第二には、他人の利害を侵害するような行為については、個人に責任があり、もし社会がその防衛のためには社会的処罰や法的処罰必要だという見解をもつなら、そのどちらかの処罰に服すだろうということです。

http://page.freett.com/rionag/mill_js/lib.html 第五章応用 より

利害関係がなければ社会に対して責任は無いが、

他人が、忠告、指図、説得、忌避をするのは、嫌悪非難を正当に表現できる唯一の手段としてる。

ミル結構過激で、飲酒が原因での暴行前科があれば、飲酒に対しての予防的な制限適法とまで書いてる)

からnetcraftさんが主張したいコトのために「愚行権」という単語を使うのは、全くもって間違っている。

多様性の許容じゃないの?

netcraftさんが主張したいことって、ダイバーシティマネジメント概念に近いことなんじゃないの?

Twitterバカ発見器と言われるように、私達はソーシャルメディアを通じて毎日全国や全世界馬鹿発見しては、イナゴのように食い散らかして消費する。

彼らの愚行権行使尊重しようとする態度が見られない。

愚行権行使が認められるネット社会をつくろうぜ!

http://www.open.sh/entry/20140923/1411463422

このエントリで言わんとしていることは、「愚かなことを表現しても、他人から忠告、指図、説得、忌避嫌悪非難表現をされないこと」じゃないの?

このままでは混乱を招くので、ここでは仮に「愚表権」とするな。

  1. 愚行権は、認められるべきだ
  2. 愚表権もまた、認められるべきだ

この場合、1番目まではアグリー人間であっても、2番目はノーセンキューだったりするだろう。

愚行権は、認められるべきだ

そりゃそうだろう。今だって認められてる。

他人に害を及ぼさない限り、例え「他人から見て」愚かでも、現在だって自由に行える。

(その人が子供だったり、錯乱していたり、興奮したり上の空で、よく思案する能力が十分使えないというのでなければ)危険の警告を受ければ十分で、危険に身を曝すことを無理矢理防ぐ必要はないと思います

ミルは少なくともそう言っているし、現状でも限りなくそれに近いことになっている。

ただ、ミル自己責任で、自分犠牲になっても良しとせよと言っているけど、実際には警察消防等のリソース(つまり税金)が投入されてる。

飲酒検問中州に取り残されたBBQ民の救助、山岳救助等々。

から、「自分自身以外のだれの利害とも関わらない」については、ある程度予想できることについては予防的に禁止されてる。

この線引きに文句を言いたいわけじゃなかろう。

愚表権もまた、認められるべきだ

netcraftさんが主張したいことってこっちじゃないの?

たぶん一番近い表現は、the right to diversityだけど、より広い概念だと思うんだよ。

肌の色、国籍宗教性別趣味差別されるべきでない、許容すべきだって言うのは、その通りで、ダイバーシティーなんて単語が使われてる。

例えば、「私はキリスト教徒です」というだけで、会社での昇進が遅れたり排除されるのは、正義ではない、と今の社会はされている。

「オマエはアイヌであることを止めないんだから自己責任の基、ネットイナゴ政治家からヘイトも受容すべきだ」とはならないだろう?

(それがアグリー社会もあり得るが、現代日本ではそれは政治的には正しくない態度とされている)

この、「趣味」の部分に、極端な性癖であるとか、「刑事罰に至らないような行為」を入れて欲しいって事じゃないのかい

放置権、みたいなもの確立されて欲しい

俺が愚行権の話を読んで真っ先に思い出したのは、NHKの「ドキュメント72時間トランクルーム もうひとつ秘密の部屋」なんだよね。

取材されていた人達は、それが他人には理解されないと痛々しいほどに理解していた。ただ、そっとしておいて欲しいと願いながら。

趣味嗜好で、バレたら後ろ指をさされながら生きていかなきゃいけないって、やっぱり間違ってると思うんだよね。

今までは、勝ち取ってこないと権利は得られなかった。

レインボーフラッグ振って、主張して主張してやっと、「居て良い」レベル

アナと雪の女王だって、どうみてもカミングアウト後の家族との和解物語だろ。

でも、ミル愚行権ではそこまでは保障していない。

他人から、誰に迷惑をかけるわけでもない趣味に対して、忠告、指図、説得、忌避嫌悪非難表現をされる。

そうされない権利確立されて欲しい。

まとめ

ある程度以上定義けがなされた単語を使うときは、注意しよう。

刑事罰に至らないような行為」を許容して欲しいという主張は判る。が、それを愚行権とは呼ばない。

ネット上での愚かな行為を、ムスリムを見つけては過激なメンション飛ばさないのと同じで、尊重しようっていう主張は判る。

netcraftさんの主張とは違うが、放置権みたいな「叩くのではなく、そっ閉じ」される権利は、確立されて欲しいと思う。

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なお、自由論についての引用部分は、

 John Stuart Mill : On Liberty (4th ed.1869 [Originally published in 1859])の日本語訳である

 自由について、ジョン・スチュアート・ミル:著、永江良一:訳 http://page.freett.com/rionag/mill_js/lib.html より行った

 
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