はてなキーワード: 合理主義とは
インターネットは嘘を嘘として楽しむ場所なので、こんなことを言い出すのも野暮なのかもしれないが、
私は「騙されるのが嫌だ」「感動を返せ」とほざくバカに自衛のための武器をあげたい。
なぜなら増田とは地上に残された唯一博愛の地であり、敵に塩を送る礼儀をわきまえた唯一の匿名人種だからだ。
そのことが増田たちを誇り高くしている。
まず、見てすぐわかるタイプのがいる。いわゆる「初級おっさん」というやつだ。これはおっさんもわざわざ隠そうとしない。場合によってはラスト一行で男バレを自らやることもある。
これをもって「おっさん乙」などと得意げにコメント打つのは愚の骨頂、カモの所業である。
即バレなどおっさんにとっては前戯のようなもの。まだアナルには爪先すら触れていないのだ。
そんなおっさんが本気を出して騙しにかかった場合はどうだろう。
ぶっちゃけていえば、通常その真贋を看破するのは不可能に近い。人間、その気になればwikipediaと小手先と情報の非対称性でいくらでも人を騙せる。
難しいのは増田という場自体が「騙しやすさ」を底上げしていることだ。
増田は匿名サイトだ。そこに書いてある意見や発言は実名で発言する地位ないし度胸のないクズのたわごとと見なされており、まず真剣に読まれない。ゆえに「自分は◯◯だ」と言い張ればまず、多少瑕疵があったところで、わざわざ検証コストかけてまで反論しにくるやつはいない。今回の女音楽家風俗嬢事件のように、たまたま増田にそのスジに詳しい人物がいればいいが、いつもそうした専門家に恵まれるとはかぎらない。「女音楽家」が「女カバディ選手」だったら手の施しようがない。
だから基本的に増田の言うことはそのまま額面どおり信じられることとなる。
では騙されたくない人はどうすればいいのか。現状では三つの伝統的な対処法が存在する。
1. 増田をみるのをやめる。
一番健康的な対処法である。もともと読むに値しない記事が99.9999%を占めるので、全く読まなくなったところで人生になんら悪影響を及ぼさない。むしろ、増田を見なくなることが人生の良い側面が目につくようになり、精神衛生も向上することでご飯がおいしくなり、毎日がハッピーに、年毎の健康診断でも改善が見られるようになる。
しかし、タバコや大麻といっしょで、簡単に止められるなら最初から誰も苦労はしないのである。
2. 元増田が女性と自称する記事のコメントをすべて「おっさん乙」にする。
知性の敗北である。「高度に発展したおっさんは本当の処女と見分けがつかない」とするならば、常に一定割合で含まれるおっさんをバスターするために絨毯爆撃はそれなりに理にかなっている。リスクもない。
しかし、それであなたのプライドは満足するのだろうか? おっさんと処女をまとめて鏖殺する、そんなのがあなたの人生なのか? そのような雑でサイコパスじみた合理主義がベトナムで、アフガンで、イラクで、悲劇をひきおこしてきたのではなかったか? あなたはおっさんを敵視するあまり、ドローン以下の存在に堕落してしまっているのでは? おっさんと子どもたちの未来を奪う空爆に今こそNOを!(おっさんという文字列には NO WAR という語が含まれている)
いわゆる、深淵を覗くものはキャーのび太さんのエッチ! ってやつである。
みずからおっさんを演じることでおっさんの意志に沈潜し、同化し、その思考をトレースすることでおっさんを完璧にプロファイリングすることが可能となるのである。先ほど挙げた「初級おっさん」にもおっさんプリテンダー、おっさん検挙を最終目的とするおっさん潜入捜査官が含まれていると言われる。
もちろん、この手法には重大なリスクが伴う。やがて、マジモンのおっさんになってしまうかもしれない、という危険だ。そして、その罠にはまる若者は事実後を絶たないのである。虎穴はいらずんば虎児を得ず。おっさんを殺すためにはおっさんの力が必要なのだ。君にその覚悟はあるか?
以上三つが伝統的対おっさん検挙手法であるが、年々高度化する知能犯であるおっさんに対して、いずれも決定打とはなりえていない。
そこで私は一つ新たな手法を提唱したい。名づけて「それ、AVで観たよね?」メソッドだ。
あなたが、増田で自称女を名乗る記事を発見したとしよう。文章も設定も物語も高度に練り上げられ真に迫っており、とても創作とは思えない。が、あなたの脳内では一目観た瞬間から「これはおっさん!これはおっさん!」という警報が鳴り響いている。
この直感の正しさを証明するために、あなたは以下の行動にでる。
まず、あなたは記事の設定を抽象化して抜き出す。「女音楽家」、「苦学したため金を稼ぐために風俗で働く」。
そして、その設定からそれっぽい検索ワードをひねりだし、DMM.comのサイトで検索にかける。
ヒットした候補のなかから記事の設定によくにた設定のAVを見つけよう。
「おっさんは自分の願望に基づいて女を創作する」――その習性を利用してやるのだ。なぜなら、おっさんの妄想の八割はAVに由来する。
そうやって、おっさんを割り出せたとして、あなたはそのおっさんをどうすればいいのか。
断罪するのか。弾劾するのか。無視するのか。むしろ擁護してやるのか。おっさんの嘘に加担するのか。
そう、真実の先には常に「あなた自身の真実」が投影されるのだ。
欧米の古典を読んでいると、ギリシャ・ローマ時代の偉人の格言の引用に頻繁に出会う。
先日読んでいた本で引用されていたのが、
"et nihil humanum"
という言葉で、紀元前2世紀のローマのテレンティウスが書いた喜劇の冒頭の一節だそうだ。
「エット・ニヒル・フムマム……人間的なことはどんなことでも自分とは無縁ではない」
という意味だという。
つまり、酒を呑むことも恋をすることも、他人を羨ましく思うことも誰かを助けてやりたいと思うことも、
すべてひっくるめて人間の行為であり、それは自分とは無縁のことだとは思ってはならないという、
この言葉は、ヒューマニズム=人間主義のモットーとして欧米でよく知られているという。
「つまづいたって
いいじゃ
ないか
にんげんだ
もの」
相田みつをのこの言葉も、近年よく日本人が引用するようになった。
そこに、一時期もてはやされた相田みつをのこの詩が日本流のヒューマニズムのモットーとして
利用されるようになった機縁がある。
西洋から移植されたヒューマニズムが日本人の中に根付き、そこに相田みつをの言葉がピッタリとはまるようになったのだろう。
彼等の根っこには、ギリシャとローマという、合理主義的で民主主義的な、今の時代を覆う思想の花開いた文明がある。
だから深みがあり、強い。
それに対して、日本人、いや、韓国人も中国人もベトナム人も、王による独裁的な支配を当然とする思想を
二千年間信奉してきたために、近代までの思想に、現代の思想に利用できるものが少ない。
よって深みがなく皮相的だ。
私は1期生です。
当時彼が主催していた自己啓発プロジェクトirスクールというものに登録していたところ
この新しいプロジェクトの案内が届き、当時は金がたくさんあったのでダメ元で申し込みました。
その時は22万円でした。今19.5万らしいので値引きされてますね。
広告の内容を見る限りそれほど大幅に変更されていないコンテンツをそのまま使われているようなので
参考になればと思ってその時の経験をシェアさせていただきます。
最近は教材に金をかける業者が多い中、手抜き…いや徹底的な合理主義ですね。
基本的に文字ばっかりでした。デカデカと赤字がとても目立って目にやさしくない感じでした。
講義内容は神王さん自身が直接講義を行っているビデオが20本くらい。
私は1期生だったのでビデオは最初数本しかなく、その後徐々に追加されていくという方式でした。
彼は妙に甲高い声で、トーンが均一なので途中で眠くなるのが難点でした。
講義の内容ですが、
「自分にあった常勝システムを築く」というテーマで語られており
企業のファンダ分析などの詳細は殆どなかったと記憶しています。
最終的には「大型株のみをターゲットとしたシステムトレード」の話であることが判明します。
なので、バリュー投資やグロース投資を目指してる人には全く役に立たないと思います。
これはほんとに重要なことなので、ちゃんと商材ページに明記して欲しいです。
以下はシステムトレードあるいはテクニカル重視のトレードを目指してる人だけ読んでください。
Part2は市販のテクニカル指南本に書いてあるレベル以上の内容はほとんどなかったと思います。
2~3冊本を読んでいただけの私からしてもわかってることをだらだらと語られているだけに感じました。
Part1は投資の落とし穴について語ってくれる部分があります。
これはまだ株式投資をやったことがない人であれば聴く価値はあると思う。
もっとも、話を聞いたところで実際に損しないとわかりにくいものだとは思いますが。
Part3ですが、申し訳ないけれど全く記憶に残っていません。
天才投資家のシステムをパクれ!みたいな話で私はここが聞きたいためにこのプログラムを始めたのですが
期待していたものとは違い、あまり具体的な話はあまりなかったような気がします。
ですが、もしかしたらとてもすごい話をしていたかもしれないので、この機会に聞き直してみてもいいかもしれない。
印象に残っているのはしきりに「トータル・プラス」をめざせみたいなことを言っていたことです。
きいてるこちらとしては、当たり前じゃないかと思ったのですが、多分私はあまり良い生徒ではなかったのだと思います。
元を取るためなのかこの言葉が好きすぎるのかわかりませんがもうほんとに繰り返し強調してました。
「神王リョウが今まで投資を勉強するために読んできた本のリスト」というPDFがおくられてきました。
これは素直にありがたいと思いました。
そしてさらにその中でも厳選したリストをプラス5万円であなたにだけ送ります、というメッセージが添えられており、
私はその時は神王さんの信者だったので喜んでそれにも課金しました。
今から考えると普通に知名度の高い本なので、わざわざ5万円払う必要なかったのですが、
そこまでして手に入れたリストなので図書館で借りて必死に読みました。
http://ir-car.com/t_cr2/index.html
おそらく内容は私が受講した時からほとんど変わっていないように思います。
サポート内容ですが、特典1には全く期待しないほうが良いです。宣伝主体です。
特典2ですが、これも個別銘柄などの相談には一切乗ってもらえないので余り役に立ちません。
特典3と4ですが、これはアリだと思います。
もっとも2006年当時と違って今は投資に詳しい人のアカウントたくさんありますので
特典5ですが、すごく当たり前のことしか書いていません。
たしかに重要ですが、読めば力がつくとうたぐいのものではありません。
力がある人が読めばなるほど納得、というたぐいのものです。
特典6と7は私の時にはなかったのでなんとも言えません。
ただ、特典6はそこそこ期待できると思います。
基礎的な話を高い値段で売りつける情報商材系は、
逆に言えば基礎的なところは必要以上にものすごく丁寧にしっかり説明してくれる傾向が強いからです。
ただし、本編講義でもめちゃくちゃ詳しく入門者向けの話をしているのでかぶっている可能性は大です。
特典7ですが今までの経験上対談CDが役に立った経験などありませんので私は否定的にとらえています。
特典8ですが、これは良いと思います。私の時はこの仕組がありませんでした。
それどころか、1年たったら再入学する権利をやろう的なメールが来ました。もちろん更新しませんでしたが。
そこから下のものは私の時にもあったような気がしますが全く興味なかったのでスルーしました。
神王さんと握手した写真とか取りたいひとはやればいいと思います。
長々と書いてしまいましたが、
中身を全部知った今の状態で価格つけるならいくら?と言われると難しいです。
マイナスを避けられるだけでもかなり大きな価値はあるからです。
このプロジェクトの内容は基礎的な話が多く、
よほど大きな資金が無い限り大儲けできるようなものではないと感じていますが、
逆に言えば、初心者が大損をしにくいシステムを取り入れることができます。
なので、ある程度資金力があって、でもずぶの素人で勉強もあまりしたくないという人にはおすすめしてもいいかもしれません。
ただ、真面目に本を読んで勉強出来る人には、特別な話はそれほどなかったのでおすすめはしません。
私は残念ながらシステムトレードが性に合わなかったので、
でも、テクニカルの考え方については少しだけ今でも役に立っていますし
おすすめ本リストを読んで勉強したことは役に立っていると思っています。
ただ、私に合わなかったのが少し残念。私のようなミスマッチが起きないよう、
せめてバリュー投資なのかテクニカルなのかグロースなのか、そういう話くらいはしっかり表に出して欲しいところです。
あまり知られていない、神王リョウ(神リッチプロジェクト)の投資戦略とは?
神王リョウ氏の投資戦略は、短期トレードであり、出来高分析とファンダメンタルズ分析を基本としているようです。
と書いてあるので、私の記憶は正しくないのかもしれません。でもファンダ分析の話なんかあったかな。
アフィサイトがどぎついですね。これアフィリエイトで1件売れるだけでそれ以上のアフィ報酬が入るってことですよね。そりゃそうか。元手ほとんどかからないのに1件あたり20万以上で売れるんだもんな。こういう高額な商材はグーグル・アドセンスに向いてるので人によってはひたすらこればっかり表示されることになりますしね。
世紀 | ||
---|---|---|
前6 | 孔子(前551・儒教の祖) 孫子(前544・『孫子』著者) | |
前5 | 釈迦(?・仏教の開祖) ヘロドトス(前484・歴史の父) ヒポクラテス(前460・西洋医学の父) プラトン(前427・哲学者) | |
前4 | アリストテレス(前384・万学の祖) アレクサンドロス大王(前356・マケドニア王) | |
前3 | アルキメデス(前287・古代最大の数学者) 始皇帝(前259・最初の中華皇帝) 劉邦(前256・漢の高祖) ハンニバル(前247・包囲殲滅戦術を確立) | |
前2 | 司馬遷(前139・『史記』著者) | |
前1 | カエサル(前100・ローマの終身独裁官) ウェルギリウス(前70・ローマ最大の詩人) オクタウィアヌス(前63・ローマ帝国の初代皇帝) イエス(前4・キリスト教の開祖) | |
1 | プトレマイオス(83・天文学者) | |
2 | ガレノス(130・古代医学を確立) 張仲景(150・医聖) 曹操(155・三曹の一人) | |
3 | ||
4 | 王羲之(303・書聖) アウグスティヌス(354・古代最大の神学者) | |
5 | アッティラ(406・フン帝国の王) | |
6 | ムハンマド(570・イスラム教の開祖) 李靖(571・『李衛公問対』) 李世民(598・唐の第2代皇帝) | |
7 | ||
8 | アブー・ムスリム(700・アッバース革命の立役者) 李白(701・詩仙) 杜甫(712・詩聖) カール大帝(742・フランク王国) | |
9 | ||
10 | フェルドウスィー(934・『シャー・ナーメ』著者) イブン・ハイサム(965・光学の父) イブン・スィーナー(980・アラビア医学を体系化) | |
11 | ||
12 | 朱子(1130・儒教の中興者) サラディン(1137・アイユーブ朝の開祖) インノケンティウス3世(1161・教皇権最盛期のローマ教皇) チンギス・ハン(1162・モンゴル帝国の初代皇帝) | |
13 | トマス・アクィナス(1225・『神学大全』著者) ダンテ(1265・イタリア最大の詩人) ジョット(1267・西洋絵画の父) | |
14 | 羅貫中(?・『三国志演義』『水滸伝』編者』) イブン・ハルドゥーン(1332・『歴史序説』著者) ティムール(1336・ティムール朝の建国者) ヤン・ジシュカ(1374・マスケット銃を使用) グーテンベルク(1398・活版印刷の発明者) | |
15 | ジャンヌ・ダルク(1412・百年戦争の聖女) コロンブス(1451・アメリカの再発見者) ダ・ヴィンチ(1452・万能の天才) ヴァスコ・ダ・ガマ(1460・インド航路の開拓者) マキャヴェッリ(1469・『君主論』著者) ミケランジェロ(1475・芸術家) マルティン・ルター(1483・宗教改革) スレイマン1世(1494・オスマン帝国最盛期の皇帝) | |
16 | エリザベス1世(1533・アルマダ海戦に勝利) セルバンテス(1547・『ドン・キホーテ』著者) ガリレオ(1564・科学革命の中心人物) シェイクスピア(1564・イギリス最高の詩人、劇作家) グスタフ・アドルフ(1594・三兵戦術を確立) デカルト(1596・合理主義哲学の父) | |
17 | ルイ14世(1638・絶対王政最盛期の王) ジョン・ロック(1632・イギリス経験論の父) ニュートン(1642・科学革命の中心人物) 康熙帝(1654・清の第4代皇帝) バッハ(1685・音楽の父) | |
18 | オイラー(1707・数学者) 曹雪芹(1715・『紅楼夢』著者) アダム・スミス(1723・経済学の父) カント(1724・哲学者) ワシントン(1732・アメリカ初代大統領) ワット(1736・蒸気機関の改良) ラボアジェ(1743・近代化学の父) モーツァルト(1756・音楽家) ナポレオン(1769・初代フランス皇帝) ベートーヴェン(1770・音楽家) ガウス(1777・数学者) クラウゼヴィッツ(1780・『戦争論』著者) スチーブンソン(1781・鉄道の父) ファラデー(1791・電磁気学の父) バベッジ(1791・コンピュータの父) | |
19 | ダーウィン(1809・進化論を提唱) ポー(1809・ミステリの父) マルクス(1818・共産主義を提唱) ヴィクトリア女王(1819・帝国主義最盛期の女王) パスツール(1822・近代細菌学の父) ヴェルヌ(1828・SFの父) モネ(1840・印象派の祖) ロダン(1840・近代彫刻の父) エジソン(1847・発明王) フォード(1863・自動車の大量生産) ライト兄弟(1867・飛行機の発明) アインシュタイン(1879・相対性理論を発表) ピカソ(1881・画家) ケインズ(1883・マクロ経済学を確立) グデーリアン(1888・電撃戦を確立) ヒトラー(1889・ナチス指導者) |
諸事あって『中島らも』について調べる機会があった。どんな諸事だ。
カネと時間と労力をかけ、あのへべれけのオッサンについて調べるのは、控えめに言って気が進まない。
死ぬまで散々稼いだらもに貢ぐのは癪である。なので地元公立図書館で彼の著作を借り『諸事』を済ませてしまおうと思ったのだが驚いた。
共著含め、著作が百冊以上あるのだ。
中島のキャリアを鑑みれば少ないのかも分からないが、なにせ公立図書館である。
一部小説を除き、頭の先からしっぽまでくだらなさで詰まっている著作が百冊もあるのだ。
スノッブで鼻持ちならない、上層階級で文化を囲いたがる欧州では、らもが書くような下世話な本を公費で揃えるなどおよそ考えられないことだろう。
本当のクールジャパンはAKBでも、元はウォルト・ディズニーが作った商業(セル)アニメでもない。
見て分からない人間に言って分からせるのは難しい。こんな言葉がある。「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、 ほめてやらねば、人は動かじ。」。五十六ちゃんの名言だ。
見ても分からない人間に教えるのはかくも難しい。「見て分かるでしょ?」で済む「見て分かる人材」がいかに貴重なことか。
「1を聞いて10を知る」なんてまだまだ有能じゃない。「聞かなくても知る」のが真に有能だ。
人生には無数のシチュエーションがある。本で読んだ知識が通用しない時、頭で考えていた通りにいかない時も沢山ある。「言われなくても知る」には知識や思考だけではダメなんだ。
「見て分かる力」が大事なんだ。そんな「見て分かる力」を持った人こそ「地頭がよい」とみるべきだ。
ところで、程度の差はあれ見て知るのは誰でもやっていることである。私たち人間は頭で考えなくても見てある程度学習できる。
いちいち全てを頭で考えていたら頭がパンクする。時間もかかる。忙しい世の中にもついていけない。だから多くの知識は見て学ばねばならぬ。見て分かる力は超重要。
重要な力だが個人差は激しい。見ても中々覚えられない人から一発で覚えられる人までいる。見て一発で多くのことが分かる人は極めて少ない。そんな人材を我が国は育てるべきだ。
知識だけで役に立たない人間はいくらでもいる。そこで「生きた知識」って言葉が叫ばれる。臨機応変に使える知識。
そんな知識をつけるにはどうすればいいか?とにかく実践?そうじゃない。沢山実践しても要領をつかめないと意味がない。その要領をつかむために見て分かる力が重要なのだ。
「身体で覚える」という言葉は窓から投げ捨てよう。馬車馬のように働くのは御免だ。無駄な努力大好きなドMでもない限り。
日本は美徳の勤労を「無駄のない勤労」にアップデートすべき。国際競争に勝つためにも、そうすべき時代に来ている。今すぐにも見て分かる力を養成せねば。
見て分かる力は従来の学校教育では育たない。知識偏重は駄目ってことで思考を育てる教育が推進されてる。でも、思考偏重もダメなんだよ。
確かに論理的思考力は情報の真偽や矛盾を判断するのに重要だ。また、思考力があれば知識の少なさをかなりカバーできる。だから、思考力は育てたほうがよい。
だけど、思考力だけでは臨機応変にはほど遠い。いくら論理を構築しても現実に即していないと意味がない。論理性と実用性の間には解決しがたい隔たりがあるのだ。
なのに思考力ばかりが重視されてしまっている。それも本の知識をもとにした思考が想定されており、現場の知識はほとんど想定されない。
そんなことだから、それに反発して「とにかく実践」を連呼する実践至上主義が出てくる。結果、頭でっかちな人間と体育会系人間を育てているだけで、本当に必要な人材を育てていないのである。
そもそもの原因は思考への誤解である。思考など人間の情報処理の氷山の一角なのである。それがよく分かってないから思考偏重になる。
人間はいちいち考えずとも見て沢山の情報を処理している。思考はその一部をピックアップして制限された処理をしてるだけ。
具体的には、使用言語、論理性、興味、好み、道徳性、常識、先入観といった制限を受けるということだ。
そうした制限とは引き替えに良質な情報が得られるかはともかく、とにかくかなり制限される。仮に良質でも微量では役に立たない恐れがある。
そんな思考ばかりを推進せず、まず現場の実物や実態をよく見たほうが良い。そのほうが現実に即した情報が大量に入る。
この手段を世間では「観察」や「直観」と呼ぶ。「観察」だと得られるのは生データであり規則性を認識するニュアンスが弱い。よって、ここでは「直観」という言葉を用いる。
教育学において直観は古くから重視されてきた。しかし、教育制度や教育現場ではあまり重視されてこなかった。
思考への過剰な信頼が原因である。今こそ我が国はデカルトに象徴される西洋近代合理主義を振り払う時なのだ。
スローガンは「見りゃ分かる」だ。この言葉をどんどん使っていこう。「ググレカス」(調べれば分かる)や「頭使え」(考えれば分かる)は抑え目にしていこう。
俗に言われる「空気読め」という言葉や、世の会社で言われる「周り見ろ」という言葉もこの亜種だ。じつに妥当な言葉である。
ただ、「見ようとしないこと」を非難してはいけない。部下が言うことを聞かないのはあなたが部下を「見ていない」からである。
また、「見ても分からないこと」も非難してはいけない。誰でもステップバイステップで成長していくのであり例外はない。適切なステップを与えるのは教育者の役目である。
コレクション愛好家にとって、コレクションされた収集品は皆宝物であり
例えば、鉄道コレクションはあまりにマニアック過ぎてむしろ理解者を探す方が難しい。
妻帯者なら、よりコレクションを重視してしまいがちで、奥さんが無理解の人間ならば
尚更で、部屋の掃除をしたときに誤ってそのコレクションを処分するかもしれない。
あるいは、夫に内緒でインターネットオークションに出品したり質に入れたりするかもしれない。
夫婦に置いて主婦というものは合理主義者である、という話を聞いたことがある。
主婦は家庭に不利益だと感じたもの、主婦自身にとって家庭環境を乱しかねない物品はどうしても
また、それらが家計を圧迫する者であれば尚更処分されるべき対象物として見られるだろう。
あるいは、主婦にとって最優先的に片付けたいものがコレクションであれば、
夫に黙って処分する事は妻として当然の好意であると正当性を主張してしまいがちだ。
何故なら、コレクション収集は夫婦仲を悪化させるギャンブルと同じだからである。
そういった点が考慮されるため、コレクション愛好家はそれを理解した上で付き合える女性と結婚するのが一番良い。
そうでなければ離婚か、あるいは、そもそも女性と付き合わない方がその人にとっても幸せである。
結婚すると言う事は愛好してるモノとの別れも覚悟しなければならない。
コレクションが如何にそれを阻害するものなのだと理解しておかなければならない。
それを踏まえるとむしろ奥さんにそれらを処分される事はギャンブルを辞めるに等しい夫婦仲を取り戻す絶好の機会に違いないわけである。
言わずと知れたチンコの役目は、マンコという小さく狭い穴に入って、
精液をぶちまけること。
その役目を果たすために、チンコは勃起するわけだが、これが理にかなってない。
<勃起の特徴>
・チンコがでかくなる
・チンコが硬くなる
おかしいよな。こんな変身をとげたら、余計にマンコに入りにくくなる。
生娘がこんなの入らないと泣き叫ぶはずだ。
例えば、狭いところに入っていくのが得意な生き物を想像して欲しい。
猫やミミズ、etc……ふにゃふにゃ柔くて細長い生き物が多いよな。
勃起も本来こうあるべきなんだよ。なのに、真逆のことをやってのけるわけだ。
その点、マンコはすごいよ。準備が出来ると、ヌメヌメして穴が広がってくる。
チンコはマンコを見習え。
「 会ったこともないお方をどうして信じられるのだろう 」という記事を書いた増田。はてブやトラックバックに寄せられた意見をみて、そもそも自分の疑問に根本的な誤りがあり、もう一度別の視点から考え直す必要があるのだということがわかったので再度記事を書いてみる。
そもそも信じるということは自明ではないものを真だとみなしてみる行為なのだ。はてブでは数名の方がAmazonで商品を注文することや通貨の価値を信じる例を挙げられていたが、生活をおくる上で直接出会ったことのない人との取引や自明ではない価値を信用するという行為は必要不可欠な行為である。つまり、信じるという行為は生存する上で誰もが行っている行為ということができる。
これを元々の疑問にあてはめてみれば、会ったことのない存在を信じるということは何の不思議もない。むしろ、会ったことがない=自明な存在ではないから、そこでは信じるという行為につながるということになる。
するとここから新たな疑問が湧いてくる。自明ではないものを真だとみなすことが信じるということなのだとして、あるものを信じてあるものを信じないという区分けはいかにして行われるのか、人は何を判断基準として信じるという行為を為すのかという疑問にいたる。
これに対する答えはいくつか考えられる。
ひとつは、そもそもそれを信じるということがその人の生活を支える基盤となっているかどうかである。キリスト教の家庭に生まれて子供の頃からイエスをキリストだと信じることが当たり前だと考えているキリスト教徒がこれにあてはまる。地動説といった科学的学説にしても、それを真とする社会に生きているがために、検証したことはないけれども真だとみなしている。
もうひとつは、それを真だと考えた場合、自分にとって都合が良いか悪いかということである。ある貨幣の価値を信じるということは、その貨幣が流通する市場に参加する資格を得るために必要なので、人は自分の利益のために貨幣を信用する。この貨幣のケースがここに分類されるだろう。
最後に、これは判断基準とは異なるかもしれないけれど、それを信じる以外に自分が人として生きる選択肢が残されていない場合が考えられる。合理主義者が死の間際に死後の世界を信じる場合、自分の基盤であるかとうことや損得の問題を越えて、もはやそれを真とするしか自分を保つ方法が存在しないのである。
このように様々な判断基準を挙げてみたが、ここで新たに疑問が湧き上がってくる。
神を信じるということ、キリスト教徒にとってはイエスをキリストと信じることと、日常世界で何か信仰と関わりのないものを信じるということは同じなのだろうか。上に上げた判断基準のどれもが、キリスト教の信仰を成り立たせる基準になりうるのか。さらにいえば、既に信じるための環境が用意されている中で、主体的に選ぶこともなく信じるということは、本当に神を信じるということ、イエスをキリストだと信じるということになるのか。
こう色々考えてはみたものの、自分の考えのどこに誤りがあるか、ポイントとすべきところがあるのかてんで分からないので、このあたりで増田に載せてみることにする。
男ってのはすぐに理屈を捏ねたがる。
言いわけは顔だけにしときな!
ホントそう思う。
声掛け事案が怖いからしないけど。
声掛けして見た目が良かったらナンパだけど、俺みたいに見かけが悪いと
女はすぐに感情的に全てを否定する。
そういう生き物だから、俺には永遠に分かり合える日はないと諦めてる。
それを両天秤にかけて都合の悪い問題を切り捨てる、いわば合理主義者のような所が
女にはあって、それによれば、自分は可愛くて誠実だから男は放っておかないだろうと
内面を磨かない癖に、いざそういう関係になったりフラれたりすると感情的になっては
都合の悪い問題すら振り翳して自分を正当化するわけだから、どうにも解せない。
女って感情的になるとすぐに自分は悪くない、悪いのは周りだと駄々をこねる。
女っていうのは、割と他の女と共通した部分があるよな、なあんて思う事もしばしばある。
逆に男は、そういうのを嫌う傾向があって、独り善がりになりやすいんだけど、
女は常にちやほやされていないと生きられない可哀想な人が多いのは確か。
でもだからといって、そういう雰囲気の彼女たちにおいそれと批判するともれなく
フェミニストという独善的かつエゴの塊で女の腐ったような最終段階みたいなのが、
レッテルを貼り付けてくるので注意したい。
女性専用車両やレディースデー、採用枠は彼女らには都合の良い問題だけど、
寿退社とか言ってすぐに会社辞めるって都合の悪い問題に対しては
社会がもっと理解を示さないといけないと、あたかも女でなく組織全体の問題として扱っては批判する。
不倫しまくる男に対して確かにマスコミなんかは甲斐性とばっさり切るけど、女の不倫に対しては恥だとかいう風潮も
確かにある。
そりゃね、女は身体は許しても心までは、というのは本当に都合の良いように解釈してるし、見てて馬鹿かと言わざるを得ない。
でも不倫はいずれにしても問題だから、これに対して女が私だけ一方的に貶されるとか辱められてると思い込むの勝手だけど、
だからといって不倫行為自体は正当化されるべきじゃない事をよく理解しておいてほしい。
昔、ある有名な話で、不倫女が旦那と離婚するという時に、慰謝料はどれくらい貰えるのかと相談した事があった。
そう、女というのは都合の良い生き物なのだ。
男でも都合の良い方向に持っていくけど、それは理屈をこねてる。
私は悪くない、周りが全部悪いと、自分自身が悪かったと認めるためには時間を要すのが現状だと思う。
女はすぐに感情的になる。
まるでお隣の国の人達のような言いがかりで、男はいつも辟易してる。
そもそも女が結婚は至上の幸福なんだと思い込んでる事実が足をもたげてるというのに、
女が男社会で生きられないならば、男社会を是正すればいいのに、いつまでも男が悪い私は悪くないと駄々をこねてるんだから
呆れてものが言えないよ。
でもあえて言わせて貰うけど、女は感情を捨てろ。
そうすれば楽に生きられるでしょ?
今の上司世代ってちょうどバブル期の全社全入時代だったわけで、
今みたいに一つの求人に何百という倍率じゃなかった苦労知らずの世代が
今では大きな顔して威張り散らしてるわけだ。
そんな人間ほどコスト至上主義、つまり合理主義者ばかりだから困る。
とはいえ困るのは若い労働者で3K(きつい、きたない、危険)労働を味わわせるのが
こいつらはやたら職歴が長いだけで若者に指導したがる迷惑なだけの存在で、
実はこいつらこそが日本の今の不景気を作りだし雇用でも若者が苦戦しているのだから、
どうせなら、バブル世代こそ首切りの憂き目に遭ってもらいたいものだ。
何故なら今の若者はバブル世代の5人分は働けるスキルやスペックを兼ね備えているためである。
キリスト教なんかだと いただきますを言う代わりに、神への祈りを捧げると思うけど?
http://emuzu-2.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/46-5366.html
頂きますは 仏教思想 からきていて 文字通り キリスト教が食前に神への祈りを捧げるように、 仏教では頂きますを言う(手を合わせる)んだが
なのか?ではなく、そのとおりなんだが・・・なの?程度の知識しか持たないレベルで、他の宗教に文句をつけるのはどうよ?
信仰の自由があるから、増田が無神論を信仰していても、それに文句をつける気はないけど
日本ではアップルが生まれない、アマゾンが云々てエントリーを見るたびに
の中身は大方同じようなことが書かれている
*アップルやアマゾンから感じるアメリカ的合理主義の良い部分がものづくりや経営の隅々まで行き渡ってる
*日本でもかつてウォークマンを生み出したソニーがそうであり、任天堂&ソニーが世界中のゲーム業界を席巻した
そこまでネガティブな事ばっかりならべてまぁ読んでるとこっちが痛い
そんな中で日本の楽器メーカーってのは実は世界中で大きなシェアを持っているって事はwebではあまり見かけない
先日のグラミーでRoland社が賞をとって少しは知れ渡ったかなぁ?と思ったが違った
そもそもグラミー何冠ってなAdeleですらソフトバンクの孫さんのTwitterで知った人も多かったようだ
日本にはローランドの他には、KorgやYAMAHAなどもある
過去にはRolandのTR-808/909、TB-3030、YAMAHAではDX7、KorgのM1など世界中で定番となるような銘機を各社リリースしており
その後も進化しつづけているように思う
ピアノやバイオリンはヨーロッパなどに多く有名なものが有るのかな?と思っていたが、アメリカだが先日のスーパーボールではアリシア・キーズはYAMAHAだった
他には(踊る)クラブのDJ関連機器でも世界中の定番となってるメーカーが日本にはある
一社はダイレクト・ドライブ式のターンテーブルSL-1200シリーズのTechnics(いまのパナソニック)
こちらの制作秘話をドキュメントやってたのを見かけたことがあるが興味深いものだったが、デジタル化の波に押されてSLシリーズ生産停止したようだ
もう一社はそのデジタル化の並にのって躍進したCDJシリーズのパイオニア、こちらも圧倒的なシェアを誇ってるようだ
今のDJスタイルってのはデジタル化がいっそう進みパソコンでほとんどのことが行われるそうで、そちらのソフトウェアは海外のメーカーが定番となりつつあるようだ
第二次世界大戦で、機動戦の支援のために械化歩兵っていう兵種をドイツが軍隊に組み込みはじめたことで憤死した国家があったらしい。
ちょっと前にあった、ポーランドとドイツが不可侵みたいな内容の条約も、こんな状態なら確かに……、と思った。
たぶん10年経たないうちに各国が真似したんだけど。
それはそうと械化歩兵だけど、あんなん出してくるドイツとかやばいだろ。(科学技術を誇るイスラエル軍なんて第4次中東戦争でようやく気付いたんだぞ)
「ドイツの科学力は世界一ィィィ」うんぬんではなく、MBT(主力戦車、いわゆる戦車)が効果を発揮するポイントを押さえまくってて小憎たらしいわ。なぜみんな(ミリヲタじゃない人)そこに気付かない。問題のサムゲタンはどうでもいいけどこの国確実に戦争慣れしてるぞ。
サロンのオヤジ(リデル=ハート)とか、フラーがよく話してたんだけど、歩兵と工兵の混成で良バランス、接近戦の支援も得られて、索敵能力もたっぷりで非常に良い感じの機甲師団編成なんだそうな。
自分は勉強のためにAFV(戦車とか装甲車とかまとめたもの)模型雑誌も読んでるのだけど、最近のAPC(兵員輸送に特化したAFV)はかなり戦車力たかい扱い。
あまりにお洒落なかんじでインドの列車みたいに戦車に歩兵乗せてたソ連にはとても手が出ない。
一方、枢軸国のドイツは国家社会主義で何か民族主義的に思うことはあるみたいだけど、バトル・オブ・ブリテン後のバルバロッサ作戦でぐだぐだのソ連国境付近の中、ひとりゲルマンじるしの機械化歩兵を編成してきてバルト三国をぶん殴っていた。
当時のドイツは思想的には不合理なまでに右っぽいんだけど、打撃力(と随伴支援)が必要そうなら超合理主義で喜んで発明してくる。