はてなキーワード: 合理主義とは
・「日本語・風紀・世相の乱れ」はそう感じる人の心の乱れの自己投影
・問題解決力の低い者ほど自己防衛の為に礼儀作法やマナーを必要とする
・真実事実現実史実は人の数だけある。「一つしかない」は視野狭窄
・「真実は一つ」に執着する者だけがその矛盾(煩悩、争い)を体験する
・憤怒激昂は無知無能の自己証明。中途半端な知識主ほど辛辣に批判する
・十分なリテラシー教育を受けてない者ほど宗教・偏向思想に洗脳される
・体罰肯定論は指導力向上心問題解決力に乏しい教育素人の自己正当化
・死刑は国家による集団リンチ殺人。廃止した方が凶悪殺人は減る
・虐めの原因は唯一「虐める者の精神疾患」。真に救済すべきは加害者
・犯罪加害者に必要なのは懲罰ではなく救済。被害者のみ救済は偽善
キリスト教は良いぞ。
・金銭問題、嫉妬感情などが大体解決する。正確に言うと、人生を辛く感じても絶望に陥らずに済むようになる。
・欧米における2000年以上の議論の蓄積があるため、現代人が信仰を持つときにぶつかる問題、特に「合理主義(科学)と宗教との対立」がほぼ克服されており、受け入れやすい。
・同様に、とにかく蓄積が多いため、人生でぶつかる問題(結婚、病気、貧乏、嫉妬)のあらゆる点についての先人の議論に、キリスト教を通じて触れることができる。
・本による習得がある程度可能なので、教会に行くことに抵抗がある人でもしっかりとした信仰を持つことができる(そのためカルトにも引っかかりにくい)。
・西洋の文学、映画、歴史がよく分かるようになる(というかキリスト教の理解なしに文学やヨーロッパ史の勉強は無理じゃないかとも思う)。さらに勉強を進めるとアメリカの政治なんかも分かってくる。
・仏教やヒンドゥー教に比べれば勉強は簡単だが、それでもやはり難解。教会に行く場合は聖書購読にある程度参加し、行かない場合には注釈書を数冊読まないといけない。その意味ではインテリ向けとも言えそう。
・↑と関連するが、ある程度勉強が進むと周囲がバカに見えて仕方がなくなることがある。そもそも他人と違う価値観で生きることになるため、どうしても軋轢が多くなる。ただこれはどの宗教も一緒かもね。
なぜキモくて金のないオッサンを「失うものがない存在」だとid:KoshianXみたいなキモくて金のないオッサンが言ってしまうのか。
喪男板も非モテ論壇も、そのような「失うものがない存在」論を叩くためにこそあったのではなかったか。
もっと言えば「失うものが無くても犯罪には走らない」ための模索だったと思っていたのだが。
動物生殖生理学的にも、歴史人口学的にも、現代日本の独身男性や少子化は極端な例外とは言えない。むしろ戦後ベビーブームこそが異常事態であり、現代日本は東アジアの中で出生率という点ではかなり頑張っていると言っていい。VRやロボット工学で慰みになるなら福祉による救済対象ではない。シングルマザーも貧困自動も救済されてないのに五体満足の男性が救済が優先されるわけがない。そもそもキモくて金のないヤツが結婚できないのに、結婚できないことがキモくて金のないヤツを増加させるという論理の組み立て事態が破たんしている。自由恋愛主義でない江戸時代などは婚姻率も低い。また乳幼児の死亡率は高い(屈強なDQNしか生き残れないのでは)。
ちょっとずれるが一夫多妻は現状追認であり一妻多夫は逆ハーではなく経済的理由や非対称な農牧兼業(性別による間引き)などドス黒い制度だ。女性の選択権と雇用がある状態で復活させたところでキモくて金のないおっさんは余るのだ。逆に言えば選択権は保証されているのに冴えないやつでも結婚できたのは専業で雇えるだけの収入があったからというだけのことだろう。
キモくて金のないおっさん論に同調的なブックマークコメントにも腹が立つ。リンク張るのも面倒だがid:heis101みたいな「幼少のころから仕込め」論は糞である。幼少のころから「孤独だと不幸」だという刷り込みを強化しかねない。また30代婚姻率と中学高校のウェイ陰キャ率って一致してるなと思ってさかのぼってみたら幼稚園にまでさかのぼって一致する。たぶんアスペが上層に集中し、ADHDが下層に集中するというような、遺伝的な問題である。かつてシゾイド人間(ちょっと異常)と言われたウェイが主流になっているのである。同質性が高まればヤンキーになるか陰キャになるか極端な2分の1の微弱ADHDや微弱双極の傾向は高まる(そして男性のほうが差は激しくなる)。
id:p_shirokumaがまた「自由は弱者にとって不利」論なコピペしてるのも気になる。もうすでに自由と豊かさの恩恵を受けているのだ。乳幼児のころ死んでおけばよかったのなら死ねばいいし、江戸時代のように婚姻率が低くていいなら今の社会はまさにそれをなぞっているので問題ないではないか。
カオスな世界でさらにカオスな人間がなぜか社会を築いているのだ。末期がん患者がみな好き勝手ふるまうわけでもないし、失うものがない、程度の問題で犯罪に走られても困る。極論言えばどうせみないつか必ず死ぬのだがらみな失うものがないではないか。地球だって宇宙だって消えるかもしれない有限のものでしかないのだ。仏教の教義も失うものを失おうではないか。失うもの絶対主義みたいな近代合理主義のまずい部分を凝縮したような理屈で近代批判なんかしてもネトウヨが増えるだけである。
最近オタク批判派、非モテ非コミュ批判派よりオタク内部、非モテ非コミュ内部で織り込み済みだったずの反社会性情念を暴走させてるヤツが目立つ。こしあんはもうどうしようもないと考えているのか、VR等でなんかなると思っているのか、救済するとして具体的にそんなものがあると思っているのかガチで聞いてみたいのだが。
元々、モダニズム建築ってのは、機能主義や合理主義を追求して、無駄な装飾を排して、最新の素材を使うという試みだった。
コンクリート打ちっ放しの壁や、大きなガラス張りの窓がそれだ。
しかし、現代ではコンクリート打ちっ放しよりも断熱性の高い工法や、壁面に汚れがつきにくい素材が開発されている。
そうして、より機能的で、より現代における合理性に適合した建築ができるのに、未だに20世紀のようなモダニズム建築がまかり通っている。
しかし、現代のモダニズム建築は、モダニズムの根底に流れる思想を無視した、モダニズム(風)建築である。
このような似非モダニズム建築家を持ち上げるのはそろそろやめにしてもらいたい。
安藤忠雄とか。
T先生=50代 担当教科は国語。ハゲ。オタクではない(はず)
先生とは卒業してからも年賀状のやり取りをしていたり、たまに飲んでいたりしてたが、俺が忙しくなり、なかなか連絡が取れなかった。
仕事もひと段落したので先生に連絡してみたら、積もる話もあるからと、学校の近くのファミレスで会うことになった。
席に着くなりT先生が聞いてきたのは、
飲んでた水を噴出しそうになったよ。確かに先生はアニメに抵抗はないと昔いっていたけど、まさかそんな上級者向けアニメを見てたとは知らんかった・・。
先生いわく、ツイッターのフォロワーの映画監督に教えられたらしい。
先生「あの主人公の女の子、本当に合理主義者だね。ああいうタイプはなかなかいないよ。」
俺「そうですよね。1話見ただけだと戦闘狂に見えますけどね。」
先生「そういえば、質問なんだが、あれに存在Xってやつが出てくるだろ。あれと2話の男が電車にひかれるシーンとどんな関係があるんだ?」
えっ、それわからないのに幼女戦記見てたの?と二回目の噴出しタイム。
俺「え、先生、存在Xが電車にひかれそうになったあの男を、いったん死なせた後にターニャ・デグレチャフちゃんに転生させたんですよ。」
先生「なるほどな。んで、飛ばされたのは第一次世界大戦の時代だよね。」
俺「確かに見た目はそうですけど、決定的に現実の第一次大戦と違うところがありますよ。」
俺「魔法ですよ!」
先生「あ~、確かにな。」
この会話をして、自分がいかにオタク的世界にどっぷりはまっていたか、オタクの常識は一般人の非常識だということを思い知らされた。
先生「そういえば前に勧めてくれた艦隊これくしょんのアニメ、つまらなかったぞ。6話でダウンした。」
ここで3回目の噴出しタイム。あの苦行を6回も経験するとは。ちなみに原作はまったくやってないらしい。
俺「たしかに艦隊これくしょんの話はしましたけど、あくまでゲームの話でアニメはお勧めしてません!」
先生「そうだったっけか。話がまったくわからなかったし、キャラもちんぷんかんぷんだったぞ。」
ああ、本当に申し訳ないことをしました。この場を借りて誤ります。すいませんでした!
この他にも面白い話はたくさんしたが、あまり長くなってもあれなのでここでは割愛させていただく。
最後に、「増田のお勧めアニメは何かないか?必ず見るから」といわれたので、「けものフレンズ」と「ガールズandパンツァー」を教えた。
生徒と深夜アニメの話で盛り上がれる教師って、やっぱり最高だと思う(唐突)。
小学三年の時からの腐れ縁で、中学高校と一緒で、クラスは離れたりしたもののいつも何かの縁で自分の近くにいた。委員会が一緒だったり、名前の順が近いため集会では隣にいたり、なぜか文化祭では二人が司会に選ばれたり。
私と彼は似てるんだと思う。
彼は自己中心的で、合理主義、冷酷無比だと自分を評しているが、まあその通りだと思う。しかしその実、人一倍繊細である。自分に自信がなく自己肯定感が低いため愛されたいという願望が強い。自分に良い所なんてひとつもないと本気で思ってしまうほど自信がないのだ。でもその自信のなさを隠して不遜に振る舞ってしまうくらいにはプライドが高い。
そんな矛盾を抱えている。
私と彼は似ている。似ているからこそ、話していてとても心地よい。相手の考えていることが自分の考えていることと一緒なのが分かるから。自分に一番馴染んだ他人、という感じがする。
でも似すぎているからこそ恋愛対象にはならない。自分を鏡写しにしたような存在と一生恋人として付き合っていくのはなかなかきつい。
彼は私に対して主に優しくない。わたしが失敗すれば容赦なくからかい、
バカにする。容姿についてもいじり倒す。でも彼からいくらひどいことを言われようと、なぜか怒りは感じないのだ。怒るどころか、妙に嬉しくなる。こんな風に自分にあけすけにものを言える人なんて君だけなんだからな、という気持ちになる。
私も彼に対して同じようなテンションでものを言う。素の自分でいられる。
今更気を遣う必要もないとお互いに了承し合っているのだ。
でも困ったとき寂しい時に側にいてくれたのはいつも彼だった。失恋した時、決定的なミスをしてしまったとき、一人で眠れない夜を過ごすとき。彼と他愛もない長電話をすることによってどれほど心が救われたか。そんな風に私の心を治療できるのは彼だけだ。
こんなに仲が良いなら付き合ってしまえば楽なんだと思う。その方が物事は簡単に行く。でも恋愛対象として見るのは決して無理なのだ、そこが難しい。
こんな風にいつまでも敵であり味方であり戦友であり、親友であるような、二人にしか分からない何かで繋がっていたい。切実にそう願ってしまう。
BLUE GIANTっていう音楽の漫画を見た。(まだ途中だけど)
あーなんていうかさぁ 痺れたよね。
僕は合理主義だし、論理的に物事を考えるタイプでそれも頭の悪い自分から脱却したくて・・・
でも、どことなく切ない。
BLUE GIANTの主人公を見ると羨ましいっていうか、漫画の世界っちゃ漫画の世界なんだけど。
でも、本を読んだり少しでも賢くなろうとしている。
賢くなろうと思えば思うほど、主人公のような人間に遠ざかってる気もする。
いつか、そんな自分をぶっ壊してくれるようなものに出会えるだろうか。
あれは漫画だからって思ったりもするけど、自分はこのままで良いのかと少し迷っている。
このまま、知識をつけて合理的に論理的な自分を極めていくことが本当に正しい道なのか。
あの主人公と僕の溝はなんなんだろう。
まとまった文章を書くのが久々だけど、内側に積もったものを少し外に出してみたくなった。
昨日彼氏と別れた。
全然予想してなかったけど、最近体調崩しがちでメンタルも落ち込み気味だったから、些細なことでムキになってしまい、彼氏に当たってしまった。
さすがにこれが原因で別れる、ではなく、今まで3ヶ月に一回くらい喧嘩してたから、相手が性格の不一致だと思ったらしい。
私も根本的な部分で性格の違いは感じていたけど、ある程度は当たり前かなと思って、
お互い歩み寄れる性格なら大丈夫なんじゃないのと、のんきな気持ちでいた。
でもそもそもこの考え方さえ根本的に違ったらしい
相手は多分私よりも結婚を意識して付き合っていたから、もっと色んな考えがあって、もっと色んな可能性を想定していたんだと思う。
人付き合いって難しい。
お互いは別の生き物だね。
彼氏はなんていうか、かなり頑固でひねくれ者で、ちょっとアスペ気質のある人だった。
なんでこんなこと言うの?みたいなことが何度かあった。
私の感情に配慮がほしいと指摘したら改善してくれたけど、無意識にしてることだから完全に変えるのは厳しいらしい。
でも合理主義的すぎて世間と折り合いをつけられず、不器用に生きてるところがよかった。
正義感強くて、子供みたいに純粋すぎるところがあるひとだった。
そういう生きづらさがゆっくりいい方向へ変わっていったりしないのかな、とかぼんやり思ってた。
最後に別れの電話した時、私も泣いてたんだけど、相手はもっと泣いててびっくりした。
ラインの文面がハードボイルドだったからギャップにびっくりした。
友達には今はお互い距離が近すぎて視野が狭くなってるから、一度別れるのはいいと思うって言われた。
今後連絡するのもやめようって言われてそれはさすがにと思って、とりあえず今は友達同士になってる。
エコグラムという言葉が出てたのでGoogleさんで検索して一番上に出たサイトでテストしてみた
こちら
http://www.egogram-f.jp/seikaku/
結果
貴方は社会の規則や常識などと云うものに、殆ど縛られないタイプです。考え方が非常に革新的と云うか、無責任と云うか、とにかく反体制派有る事だけは間違い有りません。又、周りの人々の動向を余り気にしないタイプで、自分に対する批判なども、全て柳に風と受け流すタイプです。考え方や行動は、徹底した合理主義者で、どんな事態に直面しても、それらを割り切った考え方で、躊躇(ちゅうちょ)する事無く、処理出来るタイプです。完全なマイペース主義者で、自分の生きたい様に生きる事をモットーに、全ての柵(しがらみ)を振り切って、自分の人生を少し離れた所から、鳥瞰(ちょうかん)している様な傾向の強いタイプで有ると云えます。
計算高く、分析力、判断力に長けて居ますので、反体制的なマイペース主義者で有るにも関わらず、恋愛や結婚は、かなり常識的な線に落ち着く可能性が高いでしょう。しかし貴方は、もともとブレーキ装置の欠けたタイプなので配偶者次第では、糸の切れた凧の様になる可能性も否定出来ません。配偶者に対しては、
約束を守る事
責任を果す事
妥協を忘れない事
の三つが特に注意すべき点でしょう。
職業適性
重い責任や使命を課せられる様な仕事は全く不向きですし、常に人の顔色や態度を見て、臨機応変な対応を迫られる様な職業も、避けた方が無難です。故に警察官、刑務官、検事、判事、弁護士など治安関係公務員や法律家。サービス業、秘書、事業家などは全て不適正でしょう。性格的に無難と思える職業は、学者、エンジニア、コンピュータ技術者、各種の技術士、その他でしょう。
対人関係
ややもすると、遁世の傾向がありますし、それ程で無くとも、我関せずと云う個人主義、孤立主義の色合いが強まって行きそうな傾向が有りますので、そこの所を適当に調整する必要が有るでしょう。
俺自身は、はっきり言って物心ついた頃から「頭のいいキャラ」だったので、このとんでもない現実になかなか気づけなかった。
しかし今、Twitterのしょせん高卒漫画家が何故か「こんなに真実を知ってる俺。それが分からない馬鹿ども」みたいな振る舞いをしていることに違和感をもって初めて気づいた。
ネットが、ひいてはそんなネットに影響される日本の現代社会がこんなに頭が悪くなったのは、馬鹿が頭が良いふりをしているからなのだ。
もっと正確に言えば、馬鹿が「ネットの振る舞い」として学習してしまった「マナー」が、本来は「本当にリアルでも頭良いキャラ」の奴だけが取っていい行動の猿真似という形に行き着いているということなのだ。
良いか? 俺みたいに、学校の成績も良かった、本を読んで雑学もあった、ガキの頃からこまっしゃくれたディベート小僧として大人に嫌われてきたくらいの奴が、ネットでも同じように知識をひけらかし議論を吹っかけて、俺頭良いんだぞアピールをしまくるのは当然の事だ。
だけどお前は、別に学校の成績も良くなければ、本も読まず雑学クイズなんか全然解けなければ、小難しい哲学の問題なんか考えてると頭が痛くなってすぐゲームでも始めちまうような馬鹿だったはずだ。
いつからお前は「お利口キャラ」として振る舞える立場なんだと錯覚するようになった?
学校教育レベルの歴史年表も一通り抑えてない、ニュースで政治家の名前や外国の地名が出ても殆ど知らない、ソクラテスを読んで「これこそ知だ」なんて中二レベルの初歩的な知的好奇心を刺激された経験すらない、完璧な非インテリ層だろ?
それが悪いわけじゃあない。漫画家やらなんて一芸で生きてるのはそれはそれで偉い事だ。頭が良くても出来る事じゃあない。
でも、馬鹿には変わりないんだ。
なんで、「俺は馬鹿だけど漫画を書く才能があったんだぜ」って身の丈にあったプライドで満足しなかった?
なんで、「俺は馬鹿だけどスポーツの才能があったんだぜ」って昔は誰もが留まれていたはずの領域で留まりきれなかった?
「馬鹿だけどオシャレだぜ、喧嘩が強いぜ、音楽の才能があるぜ、」それで良いじゃないか。
何故ネットに繋がると、TwitterやSNSや掲示板、匿名ダイアリーに投稿し出すと、みんなまるで 俺 み た い な 、元から頭が良くてそれを証明する事実にも事欠かなくて、傲り高ぶってますみたいなキャラになろうとするんだ?
無理なのに…
俺は元々「頭が良いキャラ」なので、気づいてなかったんだ。
単にみんな、俺みたいに頭が良いキャラとして驕ってるだけの同志だと思ってたんだ。
でもよく見たら、お前ら完全に教育ドロップアウト組じゃねーかみたいな奴が今や何故かいっぱい俺みたいな奴の真似をしている。
どう考えても、ガキの頃からリアルで「俺って頭良いなあ〜」なんて自己陶酔に浸れる経験ばっかだった俺とは違う人生を送って来た奴がいっぱいいる。
いつからこうなった。
いつからお前ら、そんな身の程を完全に勘違いした行動をとるようになったんだ…。
これは実のところ、「高卒のくせに」くらいの、完全に身の程知らずなレベルだけの問題ではない。
昔なら「世間知らずで一般の本とか読まないけど、この分野の知識だけは人生賭けるレベルに究めてるぜ」って自己完結で満足してた理系の研究者なんかが、何故かこれっぽちも知りもしない法律の話題にいっちょ噛みなんかして、酷いでたらめを平気で吹聴したりしている。
そもそも日本人は、「欧米みたいに合理合理言ってない」のが緩くて自慢の民族じゃあなかったのか?
いつから「世界は全て間違っている。日本だけが真理を知り宇宙の真実を見つめている本当に合理的な立場を取れる国なのだ」なんて勘違いで世界に喧嘩を売るほど頭が良い事になった?
長い間「合理的にものを考えるのが苦手」「幅広い知識に欠けている」と当たり前に、ありのままに認識されていた連中が、何故いきなり挙って「実は俺は完璧だった。物知りだし合理的だった」なんて言い出すようになっているのか?
一つは、結局ネットが「言論」の世界になったことで、誰も彼も「言論の徒」として能力を競わなければならなくなったということがあるだろう。
それ自体は悪い事ではない。民主主義の基本にあるのは、民衆がきちんと議論を通して意思決定できるということへの信頼だ。
誰も彼もが「言論」に参加せざるを得なくなったことについては、歓迎すべき面もある。
しかしながら、この国はやはり、「合理主義じゃない、緩い民族」の国だったのだ。
誰も彼もが言論に参加しようと思っても、それを支える教育的基礎がなかった。
きちんと事実を引用した主張をするという文献取り扱いの基礎や、混ぜっ返しや詭弁は許されないという弁論的な基礎は一般国民にまったく叩き込まれていなかった。
結果、誰も彼もが、とりあえず「頭が良い奴みたいに傲慢に振る舞う」という上っ面の真似だけをして、言論と呼ぶことも憚られるような子供の屁理屈をがなり立てる社会が、本当に気づかぬうちに一瞬で、出来上がってしまったのだった。
なんということだろう。
今からでも遅くない。考え直せ。思い出せ。
お前は、もともと、頭が良かったか?
http://anond.hatelabo.jp/20160708081215
俺の嫁はタイプは全然違っていて、たとえば家事はかなりやるほうなんだけど、「着信アイコンを見るたびにつらい気持ちになる」とか「帰宅時というのは一日で一番緊張度が高まる瞬間」みたいなところはスゲー分かるわ。
「僕が後から帰宅すると4割くらいの確率でヒステリを起こす」ってのも、感覚としてよく理解できる。ここも俺の嫁はタイプが違っていて、俺の帰宅が遅いことを理由にキレるってことはないんだけど、「これをやると4割ぐらいの確率で大騒ぎになる」っていうパターンみたいなのはあるんだよね。
たとえばうちの場合、嫁が帰宅した瞬間に俺がリビングにいたりすると高確率で不機嫌になって、色々なことにケチをつけ始めてだんだんボルテージが上がっていき、そのまま放置すると大爆発まで行ってしまう。疲れて帰ってきた後は1人になりたいみたいだ。だから嫁が帰ってくるまでにやることはすべて終わらせて、寝てしまうか、自分の部屋に引きこもることが必要だ。
俺の感覚からすると、疲れてるのにキレるってのはとても不思議で、キレたら余計エネルギー使うじゃねーかと思うんだけど、まぁそういうものらしい。
で、元増田のブコメをみていたら、夫婦喧嘩していると勘違いしているものとか、「離婚しろよ」みたいな声がけっこうあって、「あー全然分かってないコメントだなぁ」って思った。女がヒステリーを起こすのって、同居してる男からみれば病気とか天災みたいなもんなんだよ。だから「揉めてる」って意識は全くないんだよね。
なんか自然災害のようなもので家の中が荒れていて、とても憂鬱なんだけど、べつに夫婦喧嘩しているわけではないからこっちに「怒り」みたいなものも無いわけ。当然、子供に愚痴を吹き込んだりもしない。「仲の悪い夫婦って子どもにも悪影響あると思うよ」というブコメがあったけど、あるとすれば「母親が感情的に不安定であること」の悪影響であって、仲が悪いのとは全然違うんだ。
ヒス発動中に嫁が吐く暴言にムカつくことは確かにあるんだけど、だからって嫁と戦おうとは思わないんだよね。とにかく、「早くこの嵐が過ぎ去って欲しい」っていう願望と、「我慢するしかない」っていう憂鬱だけがある状態。これ、分かんない人にはほんとイメージできないだろうけど……。
そして我慢して嵐が過ぎ去る(嫁の機嫌がよくなる)と、案外どうでもよくなるから、離婚とかそんなこと考えないよ。そもそも子供もいるから、簡単に離婚するわけにもいかないし。母親がヒステリックなのは子供にとっても辛いだろうけど、いくら辛くても子供にとって母親は母親だ。
じゃぁそもそもなんで結婚するところまで行ったんだよって思うだろ?
それは、ヒステリックな女でも「機嫌がいい時もあるから」だ。ひょっとしたら増田は、同棲せずに結婚きめたんじゃないかな。別々に住んでると、女の側も機嫌が悪い時にわざわざ会おうとはしないから、結果的に機嫌がいい時にだけ会うことになって、けっこう楽しい思い出が蓄積していくんだ。
ヒステリックな女って、24時間怒ってるわけじゃなくて、どっちかというと「感情の起伏が激しい」ってイメージに近いんだよね。
機嫌がいい時はほんとに良い人なんだけど、突然機嫌が悪くなって、倫理感や道徳感がゼロになり、めちゃめちゃに暴言を浴びせてくるようになる。元増田の嫁が「あんたは何一つ家事をやっていない」と言い放ったってのは、そういう暴言の一つだろう。
凄いのは、機嫌がよくなると、本人は暴言を吐きまくったことを忘れてるんだよね。いや、あえて思い出させれば記憶にはあるだろうけど、何事もなかったかのようにふつうの会話ができるんだ。これは凄いことだと思う。イメージとしては、二重人格だと思えば近いかな。俺には、機嫌がいい嫁と機嫌が悪い嫁っていう、二人の嫁がいるんだ。
まあそんなこんなで、関係は続いていくんだ。客観的にみれば、離婚するほうが合理的かもしれない。でもヒステリックな嫁の相手をしている男にとっては、それは離婚の理由になるようなものではなく、むしろ己の人生の制約条件として背負っていくべきものだという意識になっているということを、理解してもらいたい。
DV被害者の意識も似てると思うので、ほんとはこういう思考はヤバイかもしれないんだけど、まあ相手は女でこっちは男だから、暴言さえ我慢してればなんとかなるんだよね。元増田は薬を飲んでいるということなので、もはやそれは物理的DVと同じような領域なのではって気はするがw
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追記。
「それDV被害者の典型的な思考パターンじゃん」ってコメントぐらいしかこないと思ってたんだけど、意外とみんな、自分の体験ベースでいろいろなコメントくれてて面白かった。特に「ヒステリックな母」についての経験談が多くて参考になったわ。ちなみに、人それぞれ背負ってる経験や考え方が違うので、「賛否」に反応する気はない(賛成されて嬉しいわけでも、批判されて腹が立つわけでもない)。
俺の場合、嫁のヒステリーは元増田よりかなりマシだろうし、もともと打たれ強い性格だから、比較的冷静にこういうことを書けるんだけど、本当にひどい場合はそうもいかんだろうな。当然、離婚したほうがいいケースもたくさんあると思う。
ただ、俺が言いたかったのは、そういう人に「離婚すれば?」なんて提案しても意味ないよってこと。俺が書いたような心理構造になってる場合、ぜんぜん響かないんだよね。
それに、「離婚しろ」って提案は、うまく言えないけど軽すぎるというか客観的すぎるというか、なんか当事者目線じゃないところがあるんだよね。子供がいるって事情もあるし、ヒステリーがひどいっつったって、曲がりなりにも好きになって結婚した相手なんだし、できれば別れたくないよ当然。そんな軽々しく離婚なんてできねーの。
元増田がどうかは知らないんだけどさ、俺は自分の嫁の暴言をきいてて「ひでーなこいつ」って思うんだけど、他人から嫁の悪口言われたらムカつくよ。
家族ってそういうもんでしょ。子供の頃姉貴が太ってたんだけど、仲悪い時期がけっこう長くて「なんだこのデブ」って思ってたけど、それでも他人から「お前の姉ちゃんデブだよな」とか言われるのは腹立ったわ。
客観的に見ればロクでもない家族であっても、自分にとってはかけがえのないもので、このかけがえのなさが色々ややこしい主観的な感情を生み出している。それが家族ってもんだから、客観的操作の目線で「離婚すれば」とか提案するのは安易すぎると思うわ。家族関係ってそんなに合理主義的にマネジメントできないよ。
ブコメで、「妻のヒステリーは一方的な感情の爆発だから、対話なんて無理。母が更年期でヒステリーが酷かったからわかる。ちなみに、うちの両親は別居したらラブラブになった。別居が無理なら、接触を避けるしかないかも。」っていうコメントがあって、これはあり得ると思った。
うちの嫁は年齢的にも更年期ではなく、ヒステリーの最大要因はPMSだと思うんだけど(ただし生理前以外でも盛大にキレるので、PMSだけで説明はできない)、確かに距離を取ってると関係がうまく行きやすくなるんだよね。「揉めない」という意味でうまくいくんじゃなくて、それこそ「ラブ」が復活する感じ。
ただやっぱり夫婦であり子供の両親だから、そう思い通りに調整できるわけでもないんだけど、間合いの取り方でヒステリーをいくらか制御できかもってのは一つの希望にはなる。別居までいかなくてもね。
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追記その2。
http://anond.hatelabo.jp/20160306221417
おそらく、
当方は某宮廷院卒だが、正直理系文系の区別はナンセンスだと感じる。
1でも感情的な人間は多いし、2でもロジカルでない人もよくいる。
3で感情がないような人間もいるし、感情と天秤にかけて意思決定しているやつもいる。
だから理系だから感情がないととか、理系だから合理主義というのは偏見にすぎない。
多くは普通の人とそこまで違いはない。
(研究室生活してれば、まるで中学生の夏休みのような生活をしているのは結構いる)
強いて言えば、ロジカルシンキングができる人間の割合とメガネ率が高いことくらいだ。
たまに勘違いして自分のこと頭いいと思い込んでいるのもいるけど、
多分そういうのが勘違いしてネットで声を荒げているから目立っているだけで、本当にみんな普通。
なので、少数の共感性の低い理系や頑固な理系を見て全体がそうだと思わず、
世の中の大多数が勘違いしているので、言いたい。
ウェディング業界が煽るような嘘くさい「一生に一度の体験」とか「最高の感動」、その他にも「家と家が結びつく儀式」だとか「結婚してこそ人として一人前」だとかそういう価値観。それらは結婚に価値があると信じている人にとってのみの価値にすぎない。その価値はマジョリティが押し付けあうことで、その社会の中で再生産され続けている。日本の場合、結婚した者への法的な補助・メリットもそれを助長している。
金やダイヤの価格と同じように、それは、みんなが欲しがるから価値があるように見えるだけの幻想だ。
それを疑いもせずに結婚に憧れる若者、社会や他人の考えを自分の思考として刷り込まれていることに気づけ。結婚は幸福を保証しない。
それを疑いもせずに結婚を信じる中年、自分が何も考えずに社会や他人に迎合したことを恥じろ。生き方を見つめなおすことは恥じゃない。
それを疑いもせずに結婚を強いる老人、あなたたちの生き方には何も言わない。だから恥ずかしいイデオロギーを吹聴しないでくれ。
本人が満足していればこうした幻想に金や時間を費やし続けたって構わない、という意見もあるだろう。だが、こうした反理性・反合理主義的な考えを社会に残し続けることは害悪だ。
それでもなお結婚の価値を個人の意志で認め、選択するのであれば何も言うまい。それはもはや立派に啓蒙された人間だから。
以上、既婚者より。
特攻隊はその人間をそのまま突っ込ませることからその悲劇性が強調され戦果はあまり無かったという論評がよく行われる。
しかしこれは兵器としてみれば高性能な誘導兵器であり未熟なパイロットでも有効な戦果を期待できる唯一の方法だったという客観的な事実があるんだよ。
実際アメリカ海軍の艦艇で受けた被害というのは半分以上が特攻隊によるものという歴然的な事実がある。
そのアメリカ自身からも戦後の報告書で「もっと特攻を早くから始めるべきだった」という受け入れがたい指摘まである。
女には合理主義は冷たすぎる。
遠方に住む実家の母親が、やれオーラソーマだのアデプトプログラムだの霊氣だの、スピリチュアル系にどっぷり漬かってて辛い。
母親は離婚後一人で自営業(サービス業)を営んでて自活してるが、副業としてスピリチュアルの伝道師的な事をしたり、本業のお客さんもそういう繋がりの人が多いっぽい。
交友関係もそういう繋がりの人が多くなってるだろうし、仮にやめさせられたとしたら今度は仕事や交友関係が上手くいかなくなる未来が待ってる。
これが江原啓之のように「搾取する側」になるなら、もう勝手にしてくれと距離を取れば良いだけの話だけど、順当に行けばカモられる側になるだろう。
既に大金を注ぎ込んでるかもしれない。
同じ問題抱えてる人はどう対処してるんだろうか。「母親がスピリチュアル化してしまった人の会」みたいな会合、相談できるサイトなどがあれば教えて欲しい。