はてなキーワード: 伝統とは
親類が秩父在住ということもあり、秩父は幼少から慣れ親しんだ第二の故郷だったりする。
そして気がついたらアニオタになっていた自分にとって、あの花のヒットは本当に凄い出来事だった。
個人的には皆野寄居バイパスによるアクセス超短縮などよりも嬉しかったというか。
地元民でもないくせに、なんだか誇らしげに感じている。
そんな秩父は、もう空気の匂いからして好きだけど、気になることもいくつかあって、そのうちの一つを書いてみる。
あの花では、ゆきあつとつるこが飯能の進学校に通っているという設定だったけど、あれは今も昔も完全にフィクションらしい。
基本的に秩父地域在住の、中学3年時点で上位10%に入るような優秀な子は、高い運賃と長い通学時間を飲んで、熊谷高校or熊谷女子高校に通うと。
そもそもあの地域は公立校からして数えるほどしか無く(普通科に限っては秩父高校のみだったと思う)、私立なんてあったっけ?という感じ。
これはもうれっきとした埼玉の秩父地方とその他という、地域内教育格差じゃないかと思ってしまう。
ちなみに他の地域の進学校をざっと調べた感じだと、県立に限っても
という具合に、県外の人間でも一度は聞いたことがあるような伝統校が必ずある。
幾多のアイドル(グループ)の例に漏れず、ももいろクローバーの歌唱力がいまいちなことについて盛り上がっているわけだけど、気になるのは
同じ「アーティスト」であるセックスピストルズもいまいちだから!っていう反論を信者が言っちゃうこと。
(http://azanaerunawano5to4.hatenablog.com/entry/2013/08/01/112642)
いやいや、それは伝統的なアイドルではないのであって、れっきとしたアイドルだよ?
Perfumeもそうだけど、買い支え、コアに支持しているのはやっぱりアイドルを求めていた層なわけで、ど真ん中なアイドルは欲しくない
そりゃ操り人形であることをやめるしかない。しかし、Perfumeの支持層は人形師である中田の支持層であることも必然としているし、
ももクロの支持層なんかもっとひどくて、おもちゃとして操れるカタルシスを覚えるから支持してるんだろ?どうしようもないじゃないw
若い世代の方にとって、今回の参院選ではどういうことが話題になったでしょうか。「ブラック企業」と名指しで批判されることも多い、ワタミの渡邊美樹候補を自民党が擁立したことでしょうか(ここではワタミが実際に「ブラック企業」であるかどうかは問いません)。
「ブラック企業」と呼ばれる企業は、労働基準法の抜け道をつかい、若い労働者を長時間働かせます。もちろん、低賃金で、です。そのような扱いを受けた労働者のなかには、体調を崩し、「うつ病」に近い状態になり働けなくなってしまう人もいれば、自殺をしてしまう人もいます。「ブラック企業」は、どうしてそんなひどいことをするのでしょうか。
「ブラック企業」の経営者は、国内や国際の市場における競争に勝つためには、経営努力が必要であるといいます。つまり、売上を増やし、売上をつくりだすために必要なコストを最大限に下げるのです。際限なくコストを下げようとするとき、まっさきに削られるコストは人件費、つまり労働者の賃金です。
そんなひどい低賃金で長時間労働をさせられるのなら、退職すればいいじゃないか、もっといい会社に転職すればいいじゃないか、そうすれば「ブラック企業」などなくなってしまう、と考える方もいるかもしれません。
しかし、現代の就職難の状況では、生活していくためのお金を稼ぐために、厳しい労働環境の職場を選択しなければならない人々がたくさんいます。誰かが退職しても、いくらでも新しい労働者が「ブラック企業」に供給されるからこそ、「ブラック企業」のようなやり方を続けていくことができるのです。「ブラック企業」は、「お前がやめても代わりはいくらでもいるぞ」と労働者を恫喝します。だから、労働者は労働環境を改善するような声を挙げることが非常に難しくなってしまいます。
つまり、「ブラック企業」で働く労働者には、企業の言いなりになって奴隷のように働くか、退職して厳しい求職活動を行っていくかの2択がつきつけられるのです。背に腹は代えられません。いくら低賃金でも、お金がなければ日々を生きていくことはできません。その結果、労働者は自分の自由を犠牲にしてでも、ブラックな労働環境で働きつづけることを余儀なくされます。
さて、一部から「ブラック」と呼ばれる渡邊美樹候補は、こんなことを言っています。つぎの演説をみてください。
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/90354
この演説のなかで彼はこう言っています。
「日本のこの国を立て直すとしたらですよ。確かに社会保障費、そう動かせないお金もあります。しかし半分にしたらですよ。この国、立ち直るんですよ!」
国には、たしかに「経営」としての側面があります。その点では、国の運営にかかるコストを少なくすることが大事でしょう。
ワタミの渡邊美樹候補は、会社の経営を合理化するように、社会保障費を縮小し、国の経営を合理化したい、と言っているのです。
「社会保障費」は、働けなくなった人、病気をした人、高齢者などの生活を支えるための重要な費用です。すこし前に、生活保護の不正受給が問題になりましたが、実際のところ、生活保護の不正受給というのは、全体のわずか1.8%にすぎません(2010年のデータ)。もちろん不正受給は許されるものではありませんが、専門家は、生活保護に関してはむしろ、本当に生活保護を必要な人に支給できていないことが問題だと指摘しています。つまり、実際には生活保護が必要なのに、生活保護が支給されていないケースが非常に多いのです。
このように考えると、渡邊美樹候補の主張に疑問を感じる方も多いのではないでしょうか。
だから、ワタミの渡邊美樹候補を批判しつつ、彼を擁立した自民党を支持するという意見を聞くことがあります。
国の経営を合理化し、国際競争に勝つために労働基準法そっちのけで労働者を使い捨てるいわゆる「ブラック企業」の精神は、現在景気を回復させはじめた経済政策(アベノミクス)を武器に、さまざまな労働改革を行い、社会保障を引き下げ、生活することすら困難な日本に住むマイノリティを排除しようとする自民党の精神と同じであるように私には思えます。
いわゆる「残業代ゼロ法案」であるホワイトカラーエグゼンプションを推進したり、企業が労働者を解雇しやすくする解雇規制緩和を推し進めようとしているのは、自民党です。安倍首相は、アベノミクスによって60万人の雇用をつくりだしたと主張しています。しかし、実際に増えたのは非正規雇用が116万人であり、正社員は47万人減少しているのです。国の経営合理化によって、今後も不安定な非正規雇用を強いられる傾向は、今後どんどん高まっていくのではないでしょうか。
そのほかにも、自民党は憲法を改正し、立憲主義の原則を取り壊し、これまで保障されてきた基本的人権を縮減し、自衛隊を「国防軍」として位置づけることによって、日本が軍事力を明確にもつことができるようにしようとしており、その点でも多方面から批判されています。
しかし、それでもなお、自民党の経済政策に期待する声があります。
そういう人は、おそらく次のように考えているのではないでしょうか?
―― 「国際競争のなかで日本が負けてしまったら、大変だ。うちの会社がつぶれると、自分も食えなくなる。だから、自民党の多少の欠点には目をつぶって、日本をうまく経営してもらいたい。それが結局のところ、自分の利益にもつながるのだ」、と。
しかし、この考えは、「うちの会社はブラックだけど、自分がサビ残してでも何とかしないと、自分の職がなくなるから困る。食えないのは困るから、ここで働くしかない」という、「ブラック企業」で働くことを余儀なくされている労働者の考えとまったく同じです。
「ブラック企業」やそれに近い労働環境で働く人たちは、自分のことを「社畜」などと呼んで、ブラックな労働環境をネタ化して、無害化することがあります。ならば、「ブラック企業」と類似した考えによって行われる経済・福祉政策を肯定する人たちは、自分のことを「国畜」と呼ぶのでしょうか。
「社畜」「国畜」などとネタ化すると、本質が見えなくなります。それは、たんに「奴隷」なのです。賃金がなければ、お金がなければ生きていけないから、基本的人権は制限されてもしょうがないし、社会保障はどれだけ削られてもしょうがない、という考えは、お金という鎖につながれた奴隷以外のなにものでもありません。
無理やりの原発再稼働、ブラック企業の正当化、国防軍が必要だという声。これらに共通するのは、恫喝でものごとを動かそうとすることです。権力者はつねに次のように言います。「原発を動かさないと経済がダメになるぞ! 労働基準法など守っていては国際競争に負けてしまうぞ! 中国韓国に侵略されるぞ! 」、と。
このように、危機に乗じて威圧的な論理をつかい、政治を動かそうとすることを、ナオミ・クラインは「ショック・ドクトリン」と呼んで批判しました。
もっと簡単にいえば、それは「(現在の危機に対して)いつやるの? いまでしょ! いまやらなければ、さもないとひどいことになるぞ!」という論理です。
こういう論法は非常に威勢のいいものです。たしかに、いますぐ何かをやって、変えてくれそうな気がします。しかし、その一方で、「いま」の危機がどういうものであるのか、という点は覆い隠されてしまいます。たとえ国際競争に負けるからといって、過労死者をだすような労働環境が正当化されるでしょうか。たとえ経済がダメになるからといって、活断層の上にある原発を動かしていいものでしょうか。
その意味で、例の「いつやるの? いまでしょ!」の人は時代の申し子というか、およそ考えうる最高の(最悪の)タイミングで出てきたわけです。
少しうがった見方をすると、ワタミの渡邊美樹候補というのは、今回の参議院選挙における自民党支持のための逆説的装置なのではないでしょうか。
つまり、こういうことです。――世の中では、自民党の勢力が強いらしい。かといってその流れに単に乗るだけでは自分は「自由」ではない。しかし、ワタミの渡邊美樹候補を批判することができる私は「自由」であり、自分で「主体的に」政治についての情報を得ている。だから私は政治を「知っている」。 このように考えることができるというわけです。
要するに、「ブラック企業」といわれるワタミの情報をインターネット等から得て、それを批判することによって溜飲を下げ、安心して「自由な主体」として自民党を支持できるというわけです――「私は自民党にどっぷり浸かっているわけではない、批判もしている。それゆえ私が自民党を支持することは自由の証である」、と 。
この参議院選挙のあと、自民党は憲法改正にむけて大きく舵を取ります。彼らの改正案は、どういうものでしょうか。
その一番の特徴は、基本的人権を守ろうとする姿勢が大きく後退していることです。たとえば、自民党の改憲案では、表現や集会や言論の自由は、たしかに保障されています。しかし、この自由は「公益及び公の秩序を害することを目的」とする場合には、保障されません。この規定によって、たとえば今の政府についての批判を行うことが「公益及び公の秩序を害する」と権力者が判断すれば、そのような批判は制限されてしまいます。政府を批判することすらできなくなってしまう可能性があるのです。
もちろん、批判する必要のないほど完璧な政府であればいいでしょう。しかし、日本に生きる全員にとって「完璧な政府」などというものが、はたしてありうるでしょうか。
それでも、景気の回復だけを理由に、自民党を支持することができるでしょうか?
ある男が暴漢に拳銃をつきつけられ、「自由か死か!」と問われます。ふつう、死にたくはないですから、「自由」を選びます。しかし、「自由か死か!」という二択を迫られたときに「自由」を選んでしまうことは、その選択を暴漢から強制されることにほかなりません。ならば、その男は、自分が自由であることを示すためには、「死」を選び、自由を放棄するしかありません。こういう逆説がいま、現実に起こっているのです。
経済政策を武器に、私たちの自由を奪うような憲法改正を行うとする自民党を支持することは、自分が自由をもっていることを示すために、表現の自由も思想・信条の自由も、さらには基本的人権すら売り渡すことに他ならないのです。
実際に、いままさに私たちの「表現の自由」が制限されはじめつつあります。興味のある方は、次の記事をしっかりと読んでおきましょう。
http://kiikochan.blog136.fc2.com/?no=3113
世界の歴史の至るところで、私たちは私たちの「自由」を獲得するために、数多くの努力を行ってきました。その結果が、現行の憲法の「思想及び良心の自由(第19条)、表現の自由(第21条)、学問の自由(第23条)」です。こういった自由は、おそらく、あっさりと奪われてしまいます。そして、こういった自由をふたたび取り戻そうとするときには、数多くの血が流れることは間違いありません。そのことは、歴史が証明しています。
すでに長くなってしまいました。
ここまで読んできてくれた方のなかには、「いや、そうは言っても外交問題などは、自民党以外にはまかせておけない」と言う方がいるかもしれません。
ところで、今の若い世代の方のインターネット上の発言をみていると、少なからぬ方が、いわゆる「2chまとめサイト」(「痛いニュース」「保守速報」「アルファルファモザイク」など)のURLをSNSに貼り付け、それを情報源として政治について語っていることがよくあります。中国や韓国、北朝鮮といった東アジアの外交問題に関しては、とくにその傾向が強いように感じます。
しかし、そのような「2chまとめサイト」を情報源として利用することは、とても恥ずかしいことだと私は思います。
なぜなら、いわゆる「2chまとめサイト」は、その名の通り「2chで話題になったことをまとめた」ものではないからです。
この点について興味のある方は、次のURLを参照してください。
http://anond.hatelabo.jp/20130705113110
若い世代の多くの方が、「2chまとめサイト」をTVや週刊誌などのマスコミから伝えられる情報とはちがった「自分で手に入れた真実の情報」として受け取っています。しかし、「2chまとめサイト」は、その話題を提供するプロセスから、その記事作成に至るまで、実はごく少数の人物によって管理されているのです。
多くの「2chまとめサイト」は、嫌韓や民族差別ネタを娯楽のようにパッケージ化して私たちに提供しています。本当に愚かなことですが、「差別」はもっとも簡単に娯楽になるのです。差別を娯楽として提供することが一番PVを稼げるから、結果として思想的な偏向を生み出しているわけですね。
しかし、その娯楽を享受し、そのURLを嬉々として貼り、情報/娯楽として消費する行為は、まるで、いとも簡単に餌につられ、その餌に群がる昆虫のようではないでしょうか?
少し、個人的な話をさせてください。
私はたぶん2chとの出会いは早かったほう(たしか2000年)だと思います。
2chを最初に見たとき、歯に衣着せぬ酷い書き込みの嵐に、「あ、これが筒井康隆が言っていた「ブラックユーモアは厳しい自己認識の手段である」ということなんだな」と思いました。そのことをよく覚えています。
作家・筒井康隆の作品には、さまざまな差別ネタや障害ネタが登場します。そのため、筒井は「2ch以前から一人で2chみたいなことをやっていた人」のように言われることがあります。
しかし、彼の作中での差別や障害ネタは「差別を見て笑って/楽しんでしまう私のおぞましさ」を発見するための装置なのである、と筒井は語っている。私たちは、いくら「差別はいけない」と思っていても、実際に差別を目にしてしまったときに、笑ってしまう、その差別を楽しんでしまうことがあります。そういう「私」のおぞましさを発見させてくれるのが、「厳しい自己認識の手段としてのブラックユーモア」だということです。
文学的価値としてはパロディよりもブラックユーモアのほうが高いとされている。なにしろ ブラックユーモアは16世紀のイギリスで発生してこのかた5世紀というスウィフト以来の伝 統を持っていて、それはすなわち死体をもてあそび、宗教を冒涜し、病人をいたぶり、糞尿を 好み、身障者を笑いものにし、極端な人種差別をするというものであることはご存知のとおり である。それはまさに人間が、人間であることによって否応なしにもたされた醜さをすべて暴 き立てられ、鏡のごとく自分の醜さに対面させられ、叫ぼうがわめこうがどうしようが、それ を自らの笑いによって証明させられて認識せざるを得ないという、いわば厳しい自己認識手段 なのである。この伝統を守り、20世紀の日本などという建前社会において消滅させたりして はならないと孤軍奮闘してきたつもりであったが、今や世の底流はほうっておいてもブラック ユーモアを指向しはじめた。「偉い人」だの「尊敬すべき人」だのといった言葉が出てきた限 りは、以後そういうことを言い出した人自身が自分の醜悪さの中にまみれてもらわねばならな い。どうやらまた何かしら倫理を作ろうとする連中がちらほらしはじめている。人間が人間の 倫理など作れるほどの偉いものなのかどうか、自分の魂の地獄へサイコダイバーとなっており ていってもらい、じっくり見てもらおうではないか。もちろんおれも一緒だ。安吾先生ではな いが、堕ちるところまで堕ちた人でないと倫理の何たるかすらわからない。
(『笑犬樓よりの眺望』http://sound.jp/kita-g/black.htm より引用)
初期の2chには、おそらく「厳しい自己認識の手段」としてのブラックユーモアがあったように思います。しかし、現代の「2chまとめサイト」は、その差別やブラックユーモアを単に娯楽として消費されるようにパッケージ化しています。
こういったサイトの「情報」をもとに、政治の話をするのは、もうやめにしませんか?
最後に、映画監督の想田和弘さんと、哲学者の木田元さんが今回の参院選について語った言葉を引用しておきます。
「僕は別に自民党に恨みがあるわけじゃないんだけどいまだに原発進めたり海外に売ったりTPPを公約違反を犯してだまし討ちで進めたりトンデモ改憲案を出したり軍法会議を検討したり生活保護切り崩したりワタミの会長公認したりとあまりに最近ブラック過ぎて絶対投票するのはやめて欲しいと言いたい。 」
「時代には勢いがあります。今ならば、ちょっと右寄りの方がかっこいいとか、そろそろ憲法改正が必要だとか、昔日の日本の威光を取り戻そうとか、そういう動きですね。それらに安易に同調したり、勝ち馬に乗ろうとしたりすると、とんでもないことが待っているかもしれない。… 戦前、日本の孤立を決定づけた国際連盟からの脱退に国民は拍手喝采しました。その愚を繰り返さないように立ち止まって考え、『勢い』をチェックして、場合によっては抑えることが必要でしょうね。賢さと言い換えてもいい」
議論になってないと思うけど
http://anond.hatelabo.jp/20130709094912
漢語訳の祈りもしらねーのかwww
日本語しゃべるな、は言い過ぎだけど、単に昔からある日本の風習があるなかでは辛いんじゃね?ってことじゃん?
知らないままでよくこんなこと書けるな。
イスラム教は批判しいても良い対象だということ?
http://anond.hatelabo.jp/20130709105108
聖書前提で話されてもな。
この日本じゃ逆に
いい家柄のお嬢さんお坊ちゃんにキリスト教の古い方の派が多いのは、
関わりをそうやって「選別」する目的もあるかもな。
というか、まともに宗教やってる人は良い家柄が多いんだと思う。
何にしろお金をかけてこそ"ちゃんとした宗教"って感じがあるからじゃない、日本では?
http://anond.hatelabo.jp/20130709095614
根本的に勘違いしてると思うけど、葬式とかに行って、自分の信念のためにこれが出来ないあれが出来ない、って面倒じゃない?
ってことだと思うんだけど。
別に拝め、ってわけじゃなくて、自分の信念上あなたがたと同じ事は出来ない、というようなことが
日本の伝統的な儀式の中にたくさんあるとあれじゃないかな?って。お祭りとかもそうでしょう。
逆に信仰心の低い日本人なんかは何も関係ないクリスマスで大盛り上がり出来るわけで。
何より、ここだけでこれだけキリスト教の人が居るということに驚いた。
ま、半分は同一人物だったりするのかもしれないけど。
「ああ、自分は日本人なんだ」と思うと、嬉しさがこみ上げてくる。
認定の日のあの喜びがいまだに続いている。
「いいかい?伝統というのは我々自身が作り上げていく物なのだよ」と。
僕は感動に打ち震えます。
「日本政府が何をしてくれるかを問うてはならない。君が日本政府に何をなしうるかを問いたまえ」
僕は使命感に胸が熱くなり、武者震いを禁じえませんでした。
でもそれは将来日本の各界をになう最高のエリートである僕たちを鍛えるための天の配剤なのでしょう。
日本を作りあげてきた先輩はじめ先達の深い知恵なのでしょう。
日本に帰化し社会に出ることにより、僕たちは伝統を日々紡いでゆくのです。
素晴らしい実績。余計な説明は一切いらない。
って高いという衝撃。
ふらっと今から行こうぜというやつではなく、一学期ごとに定例でやってるお疲れ様会として。
出席確認とかちゃんととるやつ。
飲み放題付き3000円。相場としては安い。でも高い。不景気だもんな。
いやそりゃチェーン居酒屋なら2000円台であるのだろうけど、チェーン居酒屋は嫌なんだわ…という人が自分含め多数なので除外せざるを得ない。
かつかつの一人暮らしならキツイよな。何日分食べられるんだって話だものな。
なお宅飲みは不可。大多数が多少高くてもいいからおいしいものと美味しいお酒を飲みたい、と言ってる。
予算は5000円までOKという感じ。
参加する10人の中の3人が、2000円(ファミレスで1000円以内がベスト)がいいと言っている人たちがいる。
定例飲み会の伝統的には、やはりファミレスやチェーンだとさすがに……という雰囲気ではある。なにせ一学期に一回しかない。
しかしそのためにこの3人に、「いやごめんねーやっぱ最低でも3000円出してもらえないとキツイっすわ」と言うのも、なんだか気が引ける。
みんな仕送りに格差があるとはいえ、みんなでこの3人の分を補填するという方向もできない。
仮に2000円の激安居酒屋で全員参加できるとしても、それなら参加したくないというのが残り7人。自分も実はわりとそう。
はあ。
日本人って伝統的に妬む民族で、昔話なんかもその成立の背景に妬みがあったのではないか、と研究されていたりする。
そんなとき辛坊さんが太平洋で遭難したら烈火のごとく怒る人がいるわけだ。
昔ならまず最初に出てくるのは「命が助かってよかったね」だったと思うんだが、ネットという世間体を一切気にせず発言できる場所が出来てからこんなことになっている。
では、そうやって非難する人間に、妬みの気持ちが無いと言える人間はどれくらいいるのだろうか。
ほとんどの人間は、ヨットで太平洋を横断しようかしまいかと思う以前に、ヨットを持てない、費用が無い。だから妬んでいるのではないか、と思う。
韓国人を火病ると笑う前に、自国民のこの妬みをなんとかした方がいいと思うのだが。
※追記:これに対してそうじゃない、って言って出してくる理由は、自分の妬みの感情を覆い隠し正義であることにするための言い訳、屁理屈。
在特会とレイシストしばき隊のデモとカウンターデモが激化していましたがついに双方に逮捕者がでましたね。
両方とも共感できないのでどうでもいいです。平和な日本のため潰し合ってフェードアウトして下さい。
で、名前だ。
在特会は正式名『在日特権を許さない市民の会』
双方ともストレートなネーミングですね。
在特会について
今言われている在日特権については都合のいいように使われてはいるところがあるものの、過去彼らが受けた不当な差別を是正するためには必要なものである部分は否めません。
なので本当に特権と言えるか僕は疑問です。通名でなく本名で普通に生活できることが一番の幸せでしょうからね。
なので在日特権を許さないという在特会の名前も、彼らのやってることも共感出来ません。
レイシストしばき隊について
まず『レイシスト』
これは彼らにとって「新大久保や鶴橋でデモやってるネトウヨ」でしょうかね?
「いや違う」って言われそうですが外野からはそう見えます。そして「なんだこいつらもネトウヨをレイシストというカテゴリーに入れて攻撃してんじゃん。差別じゃん」って感じです。
次、『しばき隊』
本人たちは非暴力を掲げてるつもりみたいですが非常に暴力的な名前です。
隊は「~したい」という願望の表現と集団である「隊」をかけてるんですね。ダジャレです。寒いです。
なのでこの「レイシストしばき隊」からはふざけ半分で差別的かつ暴力的な行為を行う集団という印象を受けます。
今後在特会に関するマスコミ報道で僕が注目しているのは『市民団体』という言葉がどう使われるか?ってとこです。
『市民団体』って【決まりはありませんが】左翼に使われることの多い言葉ですね。
しかし在特会は『在日特権を許さない市民の会』です。
ここでマスコミが「在特会を名乗る右翼グループが」というと、『市民団体』とは左翼のためにある言葉と暗に認めてしまいます。
そうなると左翼に対しての見方が厳しくなりつつある昨今他の「市民団体って言われるところはやっぱ左翼だね、胡散臭いね」ってより多くの人が思っちゃうんじゃないかな。
逆に『市民団体』と言うと「ほれみろ市民団体なんて胡散臭い連中ばっかだ」ってなっちゃいます。
名前だけなら『何らかの政治思想のある団体VSチンピラ』です。
まぁどうでもいいのには変わりないので平和な日本のため潰し合ってフェードアウトして下さいと重ねてお願い申し上げます。
さて
「うるせーよこのノンポリ野郎の卑怯者!」って声も聞こえてきそうですね。
なんで僕の立ち位置はどこかと言っておきましょう。
『レイシストやネトウヨではない保守より』といったところです。
かの国と戦争はしたくないけどテキトーに経済破綻で自滅してくれんかなって感じです。
僕もロックが好きで10代の頃は反体制の思想にかぶれたこともありますよ。
でもね、日本のカウンターの皆さんを知れば知るほど「ダセェwww」って思っちゃったんですよね。
崇高な思想を掲げていた学生運動のはずが内輪もめで別れてお互いしばきあってねぇ、挙句の果てはテロリストですよ。
何やってんだか。
流行りの学生運動やってりゃ女とヤレるなんて不純な人もいっぱいいたでしょうね、青春ですから。
そのうちの多くの人は学生が終わると同時に体制側に吸収され日本の発展のため身を粉にして働いたんですね。
ありがとうございます。ご苦労様でした。
やめなかった皆さん
僕の通ってた大学にもその残党と残党に捕まった若者が沢山いらっしゃいました。
彼らは僕が10年前でも「闘争」「革命」「団結」と威勢のいいタテカンをキャンパスのアチラコチラに設置し、折にふれてコート、白ヘル、ゲバ棒の伝統的装束に身を包み、正門で難しい言葉で僕のような意識の低い学生に説教を説いていました。
「立ち上がれ」と
僕は思いましたね
他にも某音楽グループに所属していた時に知らず知らず左翼的な活動に引きこまれたこともありました。
グループにその色が濃くなった時僕を含むメンバーは逃げましたね。ついていけないもの。
反原発運動も最初は支持してたんですけどね、彼らの色が濃くなって離れました。
「そうか、反原発は名も無き個人の声を届けるものから左翼の新しい戦いの場にシフトしたんだね、ああ、止まっていた彼らの時間がまた動き出した。青春は終わっていなかったんだな。彼らの瞳を見ろ、青春の喜びでキラキラと濁ってる」
やり方も相変わらずですね。
敵認定をしたものに屈辱的な名前をつけ悪いイメージをつけ己の行為を正義とする。
過激なパフォーマンスの先鋭化。
ついていけなかった人々にそっぽを向かれ、支持しいたはずのその人達にすら石を投げる。
そして待っているのは蛸壺化とカルト的地下活動に精を出す日々でしょう。学生運動からの40年で何も学んでない。
しかしまぁレイシストしばき隊のやることは火に油を注ぐことしかやってないでですね。
本人はそれで低収入のネトウヨに屈辱を与えたかったそうですがそれで「悔しい!負けた!」なんてなるはずありません。
しかしね、これがどんどん大きくなっていく背景ってのは確実に不況なんですよ。
ドイツの若者の間でネオナチが支持されトルコ移民が迫害された事がありましたね。
本当に在特会の活動を封じ込めたかったら使うべきではなかったですね。これを使うことで『レイシスト・ネトウヨ=在特会』の構図ができちゃった。
でもね、今韓国への悪感情は多くの普通の人達にもジワジワと広がってるわけですよ。
そんな時に上の構図ができると
「俺は中国も韓国も嫌いだけど在特会じゃないからネトウヨでもレイシストでもねぇよ。」って解釈が成立しちゃうんですね。
はい、もちろん僕もそれですよ。
本当にこの問題を解決しようと思うなら『レイシスト・ネトウヨ=在特会』の構図はフェンスの向こうの外野を作った悪手。大失敗だと思います。
世論を形成しているのは大多数の問題意識の意識の低い普通の人、つまり外野の人ですからね。
そういう人を味方に付けマジョリティになり勝利するってのは選民意識のたかいエリートさんには何十年たっても学ぶことができなかったようです。
さて、長々と書きました。
在特会の皆さん、韓国も眼中になくなるくらいお給料増えていい暮らしできるようになればいいですね。
僕も給料安いっす。
頑張れアベノミクス!
レイシストしばき隊のみなさん、言葉のセンスをもっと磨きましょうね。
大丈夫、知的エリートで文化人がたくさんいるあなた達ならできるわ。
そして3度めになりますが
在特会の皆さん、レイシストしばき隊の皆さん、これからも元気に潰し合いより一層のフェードアウトを期待します。
では、さようなら!
http://latitude.blogs.nytimes.com/2013/06/07/margaret-thatchers-advice-for-abe-from-beyond-he-grave/
Maggie and the Medium
By GRAEME WOOD
訳はとっても適当。
2002年にマーガレット・サッチャーが老衰のために公の場から引退すると発表した時、彼女の敵対者たちはこうささやいたーーあんな手練の政治家を、完全に息絶えさせるのは難しいだろう。
どうも彼らは正しかったようだ。4月9日、サッチャーがロンドンで亡くなって19時間後に、日本の幸福実現党の党首であり霊媒でもある大川隆法が東京でイギリス前首相へのインタビューを行ったのである。
選挙区ごとに候補者をたてたにもかかわらず国会では一議席もとれなかった大川の党だが、東京では純真な信奉者たちが路上で熱心にパンフレットを配っていることで有名である。パンフレットの内容の大半は政治的で、対外強硬主義的なナショナリズム、移民政策や原子力の推進等を妙な具合に混ぜあわせたものである。とはいえ根っこのとこではこのグループは宗教団体であり、その目的は、人生を支配する6つの見えざる真理について人々を教化することで幸福をもたらすのだという。大川(彼は証券マンとしてニューヨークで働いた後、1986年にこの宗教をはじめた)はこれまでに霊界の金正日や預言者ムハンマドと話したと主張している。そして今度はサッチャーだ。
「なんですって? 私、まだ生きてるわ」非常に具合の悪そうな声で彼女は大川に言ったそうだ。(このインタビューを公開したサイトによれば、驚愕と混乱は呼び出された死者における典型的な反応である)「日本? あなた、日本って言いました?」
サッチャーはここでは人気のある人物だ、彼女の強いリーダーシップへの感謝の念や、労働階級出身でありながら男性優位社会で成功したという点。彼女はまた、英国がフォークランド紛争でアルゼンチンに勝利した時期、1980年代のナショナリズム復興の主導者として名をあげた。彼女の政治的信念によって政府の役割は縮小され、またインフレは積極的に抑制された。
大川のグループはアベノミクスを全面的に支持しており、日本政府は、インフレやマイナス金利を通じて経済を勢いづける試みに今のところは成功している。しかし大川とのインタビューではサッチャーは、一国の経済的命運は、究極のところ、積極的な金融・会計上の政策ではなく、ビジネスしやすい環境をいかにつくるかにかかっているのだと語った。
「政府に必要なのは産業の民営化をサポートすることだけです」と彼女は語った。あまりにも多くの法律が「私企業の成長を阻害している。ですから彼らを自由にさせ、成功を目指して皆が戦うよう教えるのです」
これは、安部首相のインフレ政策が経済を傷つけるんじゃないかと心配し始めている日本の大衆にはアピールするのかもしれないーーもしそうだとしたら、彼らはサッチャーの成功が緊縮財政と福祉の抑制によるものだったということを忘れてしまっている。
安全保障の話題になると、サッチャーはえらく軍国主義的なようだった。まるで大川みたいに。この点では彼女は安倍よりさらに上を行く。中国と韓国について、彼女はこう語った。「侵略を絶対に許してはなりません! あなたがたの素晴らしい、美しい、歴史ある伝統と文化を守るために彼らを攻撃しなさい。誇りを持つのです!」彼女は力説した。「自分たちの領土だと信じるのなら、私たちはそれを保持し、守らねばなりません。そして私たちの敵、侵略者を攻撃し、滅ぼすのです!」この"私たち"という言葉から判断するに、彼女は死後の世界で日本人になってしまったようだ。
このインタビューはリバティwebで公開された。幸福の科学の宣伝サイトである。記事の長さは数ページだ。サイトいわく「死後24時間は、死者の身体と魂はいわゆる"銀色の紐"でまだ結ばれている」死のショックが生々しいので「通常の死の直後は、話すことは極めて難しい」というのが普通だそうだ。しかしわれらがサッチャーはいつだってサッチャー、見当を失っていたのは僅かな間で、すぐに明晰かつ猛烈、傲然たるいつもの彼女に戻ったのだった。
反応
http://www.the-liberty.com/article.php?item_id=6151
サッチャーの霊言を米一流紙が紹介 日本のマスコミは置いてけぼり?
米ニューヨーク・タイムズ紙の国際版であるインターナショナル・ヘラルド・トリビューン(IHT)紙が7日、大川隆法・幸福の科学総裁によるサッチャーの霊言を紹介した。
(中略)
同記事では一部、一方的な思い込みも散見されるが、米一流紙が霊言の内容を冷静に分析して議論を行なっている点は注目に値する。たとえば、「霊子線」などの霊的な用語も、当然のように受け入れて議論しているのだ。大川総裁の霊言について取り扱うことがほとんどなく、週刊誌等が取り上げたとしても、「霊言があり得るのかどうか」で議論が止まってしまっている日本の大手マスコミとは対照的だ。
大川総裁は、世界の5大陸すべてで説法を行っており、各国の現地マスコミも大きく取り上げている。インドやアフリカのウガンダでは、講演会がテレビで生中継されたほどだ。世界的に見れば、宗教家の説法や「霊言」などの霊的な現象は、ニュース価値があると考えられているのだ。このまま日本のマスコミが宗教や霊界の話題を無視したままでいれば、世界のメディアから取り残される一方だろう。(晴)
具体的に言うと、まずは「俺は両親のことで劣等感をため込んだり思い悩んだりしない」という決心をした方が良い。
実際には縁を切るのも難しいだろうしつきあいはあっても良い。でも、それで色々苦痛を覚えなくても良い。俺だって苦しいのはいやだけどどうしても感じてしまうんだ! って思うかもしれないけれど、「もう感じない」って決心するだけでけっこう変わる。そもそも苦痛は増田の義務ではないし、そんな事で苦しむ必要はあなたにはない。別に増田が苦しんだって、増田も両親も含めて、世界中の誰も得なんてしない。
関係ないって思って良いんだ。そんな事で悩むのは俺の人生の目的じゃない、俺はそんな事はしないよって捨てて良いんだ。時間がかかるかもしれないけどすぐにでもこれははじめられる。
2番目のステップ。
大事な人とかありがたい人にはさっさとそれを言葉で伝えた方が良い。たぶんだけど増田の両親はそれがとてつもなく下手なのじゃないか。そしてそれは増田も同じ教育を受けている。そんな伝統はさっさと捨てて、自分のポジティブな感情はさっさと伝えた方が良い。とりあえず大事な人とかありがたい人には感謝を伝えるべき。
手始めに祖父母はどうだろうか。大学の時は援助してくれて非常に助かった。そのおかげでいまは安定した暮らしが出来ていると伝えるのが良いと思う。一度伝えたことがある手土産が無いと失礼とか距離が遠いとかそういうことじゃない。感謝や好意を伝えるのは相手のためじゃない。増田自身のリハビリのためにも意識してやるべきだ。
増田はしつけの良い普通の家庭に育った友人達の暖かさについて触れてるけれどそれは獲得不可能なものじゃない。彼らは子どもの頃からそういう感謝を自然にやってきて増田はスタートでちょっぴり出遅れただけだ。まだまだ人生の先は長い。ありがとうも言えないで壁を蹴り飛ばす中年になるのはとても不幸なことだ。孤独な老人になって余生を送るのは増田にとって先が長すぎる。
大事な人とかありがたい人に感謝を伝えられたら身近な人の日常のさりげない美点を探すと良い。「わざわざ探すのはなんか偽善っぽい気がする」かもしれないけれど、これはすべて訓練なのだ。自分のためにやってるんだ。偽善でも良いんだ。むしろ善悪とは関係なく、自分の将来を幸せにするために他人を利用させてもらってるくらいで良いんだ。相手の良いところを探して、なにかしてもらったら感謝の言葉を言うだけで良いんだ。その当人がいないところでも「あいつは、これこれこういうところが良い点で、実は目立たないけどこういう美点があるんだよ」って言って良いんだ。人間はそういう目で見れば増田の大好きだったゲームと同じくらい面白いんだ。ちゃんと歴史があっていろんな理由で動いてるし、それらは背後で繋がり有ってるし。
それに感謝は往々にして手遅れになる。言えるうちに言っておいた方が良い。次の機会はないことの方が多い。メール一本出すだけで良いんだ。たいしたものじゃなくて良いんだ。
三番目。増田は非常にコンプレックス持ってるしそれはすごくよくわかるんだけど、家族はもう一回作れるんだ。
だって、もし、悪い親子関係が遺伝のように、あるいは毒のように伝播して、増田が人を愛せない人間になっちゃって家族が作れないのだとすれば、確率的にみてとっくに人類は滅びてる。一回ダメな家系になったらその子孫は全部ダメなんて有るわけがない。
ここで言う家族は結婚をして子どもを産んでということには限らない。一緒の家に住んで隠し事が出来ない至近距離で人間関係を長期間維持できればそれで家族だ。それは、もう一回作れる。
最初っからハードルあげなくても良い。友だちとどっか遊びに行ったり旅行に行ったりとかでも良い。というか友だちじゃなくたって良い。同僚程度で言い。どうせ「どのラインから先が友だちか?」なんて設問に明確な答えを返せるやつなんかいやしない。後から振り返って「ああ、あの時俺らは友だちだったんだな」なんてよくあるし、社会人における友だちづきあいはそんなに親密でもべったりじゃなくてもあたりまえだ。
ともあれ、家族はもっかいつくれる。ステップ1とステップ2を5年続けてみてほしい。ぜひ。それらをやる前が思い出せなくなるくらい自然になったら、家族を作る準備が増田にはきっとできてる。いまから5年じゃ適齢期に間に合わないと思うかもしれないけれど、歩き出さなければゴールもない。増田は大学進学から世界が変わったんだとおもう。もう一回世界を変えても良い時期じゃないか。
家族って言うのは、それが悪い記憶であれば、スティグマのように残っていつまでも苦しめてくるけれど、上書きできないものじゃない。上書きしながら前に進むエンジンにもなり得る。
もちろんこの時代だから結婚や家族が人生のすべてではないと思うけれど、でも確かなのは、増田が家族の記憶にいつまでも苦しめられる必要はないって事だし、家族の記憶は新しい家族の記憶で上書きも祝福も出来るって事だ。
なんだか、非常に乱暴な記事になっちゃったけれど、似たような人生を歩いた年寄りの書き込みでした。望めば絶対幸せになれるよ。
396 ソーゾー君 [] 2013/02/18(月) 20:56:15 ID:K8qf.RI2 Be:
キリスト教つーのはな信者から聖書を剥奪した究極のカルトなんだぜ?
トーラとは全く違う出鱈目ばっかが書いてあるタルムドを聖書にしてるんだからな・・
トーラを読んでいるユダヤ教徒とは考え方が違う・・イスラエルを批判している急先鋒がトーラを聖書とするユダヤ教徒だしな・・
バチカンと言う存在が糞だ・・ホモセックス愛好家の楽園なのは最近知れ渡ってきたが
人身売買、スパイ、破壊工作等々をやってる犯罪組織だからな・・
バチカンを崇めてる時点でアホばっかだ・・今すぐミサイル打ち込んで灰にした方が良い。
ベネディクトが退位してもバチカン自体がホモセックス愛好家の集まりで
麻薬の斡旋業者で人身売買と臓器売買の元締めで各地で宣教師と名乗って破壊工作している
バチカン自体を叩き潰して灰にしなければ過ちを繰り返し続ける。
まー欧州の銀行家はNWO移行の為に潰すんだが・・潰すまではこの犯罪組織を利用するわな
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1353851390/l50
もう年だし、とっととこんな浮世離れした仕事はやめて親元に帰り身の丈に合った仕事をして暮らしたいのだが、
今いる業界にはでかい貸しがあるので、きちんと納得のゆく額を取り立てるまでは去ることができない。
理不尽に背負わされた借財を取り立てるのは当然の事だが、ペースは遅く、また職場内での反発も多い。というか非協力的に過ぎる。
日本人の考え方の根底には社畜根性がこびりついているとつねづね思う。同じ日本人でもここまで違うとは思わなかった。
納得のゆく理由もなしに仕事を通じて奪われたものは、同じ仕事で取り返す。絶対にだ。
誰にも邪魔はさせないし、また止める事もできない。
職場の連中は伝統と格式に重きを置くばかりで、商売気がまるでない。
私は職場の名前すら使わずひとりで客を集め、ひとりで利益を上げ、間でマージンを取ってる。
正直言って職場の名前はいらない。むしろ職場の施設を利用する必要さえない。
このスタイルが完成したら完全にひとりでも食ってゆける。
他業種では、それを「独立」というのだろう。
その日が待ち遠しい。
今ならわかると思うけど、新卒で人雇ってずっと同じメンバーの終身雇用で回してる伝統的日本企業って、
上から下までそういう当たり前のことがわかってない人間であふれてるんだよね。
自分たちの常識が相手にとって常識ではない、というコミュニケーションの基本が想定できていないわけで、
やりたくないことを無理やりやらすことをコミュニケーション能力と呼ぶようになったんだか。
てめーのくだらねー飲み会に出たくないから「今日は都合が悪い」といってることもわからず、
「予定があるの?じゃあ○○のためにずらすよ!」を繰り返すバカに、「もう誘わなくていい。行きたくない」と伝えたところ、
こっちがコミュ障ということになった。ざけんな。俺はお前が嫌いなだけだ。
なんでか知らんが、「自分が嫌われているかもしれない」という意識ゼロな人種がこええ。親戚の集まりみたいな感じ。
「自分(たち)は伝統的・世間的に正しいことをやっているのだから、これは楽しいはずだ。嫌がる相手のいるはずがない」みたいな。
どいつもこいつも他人に感情があることを忘れてるんじゃないのか。
私もフェミニストのつもりだが、日本のフェミニストの女性の間での婚外子万歳の風潮がよく分からない。
結婚せずに子供を持つってそんなに進歩的で素晴らしい事なのか(その逆で結婚しても子供を持たない夫婦ならまだ分かるが)?
別に私は伝統的な家族観にこだわってるんじゃなくて、子供を産み育てる事をやたらと持ち上げる古い価値観を嫌悪してる。
子供なんて持たなくても生きていくのに困らない。寧ろ人口爆発して大変なんだから子供の数は減らした方がいい。
婚外子だろうが何だろうが女は子供を産んで当然って意識に囚われてるなら全然自由じゃないと思う。
最近の立ち飲みブームで、全品500円のちょっとおしゃれなイタリアン立ち飲みバーみたいな店増えてるだろ。
そういう店、いいぞ。
伝統的な立ち飲み屋は爺さんばかりだが、立ち飲みイタリアンだと20~40代がコア層なので疎外感がない。
週に1回くらい行ってれば、常連や店員と適度に仲良くなって、空いている日なら愚痴くらい聞いてくれる。
会社の後輩を連れていっても2人で5000円とかだし、笑笑とかと違って「金をけちった」のではなく「あえて雰囲気が好きで通ってる」感じがするので、「増田先輩って意外といいお店知ってるんですねー」と喜んでもらえる。
まあ、そういう店がない田舎の話だとしたらすまんかった。