はてなキーワード: プライスレスとは
もっとも効率のいい嫌がらせは網戸にタバコの火で穴を開けることだと気づく。
タバコの径だけでいい。だから網戸に1秒つけるだけ。これで嫌がらせ完了。
その時点で網戸は網戸の役割を終えてしまう。窓を開けると虫がその穴から侵入する。
そしてそれに気がつくのに時間がかかる。気づくまでは蚊に刺されるなどの被害がある
網戸の張替え自体はホームセンターで材料を買っても、業者にたのんでもそんなにかからない1000~2000円。だから仮にバレても賠償は少ない。
ただ、網戸を枠から外す手間、運ぶ手間、直すまでの時間。かなりプライスレスな手間が発生する。それもストレス。
と、かなり大きく長時間のストレスを1秒で相手にかけることができる。コスパ最高。
現場をみられたとしても知らなかったわざとではなかったと強弁することも可能。
そしてちょっとリスクは上がるが、直った網戸にもう1度同じことをする。これで向こうのストレスは以前の何倍にも跳ね上がる。明らかに悪意を持っている人間がいるとわかるから。
想像しただけで胃が痛くなるのでみんなは真似しないでね。
名前は「親」のものではない。では、「子供」のものか? と言えば、それも違う。
「親が子に贈る最初のプレゼント」みたいなお花畑理論を聞かされると、心の底からぞわぞわするんだが、
ああいうそれこそ「何の根拠もない」名づけ理論を信じてる人間がいることに、時々当惑する。
増田、アンタのことだ。
「あなたの所有物」に「あなたが名づける」なら、それはあなたの自由だ。その名前が名づけられるものへの贈り物だといいたいならそう言っても別に構わない。
だが子供は「あなたの所有物」ではない。あなたとは別の人格を持ち、別の人生を送る他人だ。訳あって、たまたま10数年共に暮らすことになった、他人だ。
そこを勘違いした人間が、お花畑理論を振りかざし、子供に関わる周囲の人間に噛みついて回る迷惑な毒親となる。
名前というのは、これから子供が生きる人生、社会の中で出会う人と共有される、一つの符丁だ。人間の名前とは、何をおいてもまず「社会のため」に必要なものなのだ。
そこでは親の「想い」とやらはどうでもいい。
例えばアンタが飼い犬に「タウマタファカタンギハンガコアウアウオタマテアポカイフェヌアキタナタフ」とか名付けても、別に誰もあなたを咎めはしない(馬鹿にはされるだろうが)。だが、それを子供の名前にしようとしたら、全力で止められるだろう。役所の受付ですら書類を突っ返すかもしれない。そこにどんな「親としてのご立派な想い」があろうと、そこはくつがえらないんだ。それを忘れてはいけない。「社会にとって利のない」名前は社会によって拒否されるんだ。
これは、字画判断がどうという話をしてるんじゃないぞ。俺が問題視してるのは、何をおいてもまず嫁さんに対するアンタの態度のことなんだ。
想像するに増田は、字画判断とかいう「非合理的なもの」が、自分の人生にまつわってくるのが「嫌」なんだろう。だが、アンタの「嫌」という感情だって十分に非合理的だ。いい年をして、理で全てを説明できると思ってるなら大馬鹿を通り越してお目出度いとしか言いようがない。自分が「理」に縋る「理由」はなんだ? 「理」のないものに身をゆだねる不安の源泉は「理」で説明されるべきことか? 全てを理で説くならそもそも「こっちがいい/悪い」などという「価値」の概念こそ真っ先に捨てるべきじゃないのか? だが、あらゆる「価値」概念を放棄したら、人間としての健全な社会生活など送れないだろう。
人間は、「理」以外の価値も持たなければ生きていくことはできない。絶対の価値規準など、ない。だから、重要なのは他者の価値規準を知り、認めつつ、共同の価値規準を創出していくという姿勢であり態度なんだ。増田がすべきことは、嫁さんが「画数にこだわる」って知った時に、「なるほど、俺にはそういう発想がなかったけど、そういう発想をするひとがやっぱりいるんだ」と気付いて、「なるほど分かった。じゃあ画数のことも考えながら、いい名前を付けることにしようぜ」っていうことだったはずだ。
なのに、「画数?は?」みたいな対応をした、と。馬鹿か? 馬鹿なのか? 社会性ゼロの子供か? 小学生でももう少し相手への気遣いをするぞ?
今すぐ嫁に謝ってこい。そもそもそんな「どっちでもいい」ことで、妊娠中の嫁の負担増やすことにそれこそ「何の意味がある」んだよ? 人間の社会で、メスの仕事が子を産むことなら、オスの仕事はメスが安心して子を産める環境作ることだと有史以前から決まってるだろうが。名前など、一でも二でも、分かりやすく周囲が呼びやすい符丁でさえあれば子は育つんだ。それよりもっと大事なことが目の前にあるだろ。
不合理に満ちた世の中で、誰でも不安で何かに縋る。それは別に悪いことじゃない。ただ、少しばかりの寛容さと、だまされない賢さ、それは必要だ。姓名判断とやらに何十万何百万をつぎ込むのは、それは愚かな行為だ。だが、画数を気にするのに、現実にどんなデメリットがある? 小さいことでいちいち嫁の不安をため込むと、そのうちとんでもない宗教にハマったりするぞ。夫の支えというのは、そのくらいプライスレスなものなんだぜ。
■てんかんを持っていてもレーザー脱毛はちゃんと受けられましたよ、という話。
■これから夏だし、「てんかんだからレーザー脱毛できない」「やりたいけど危なそう」とお悩みの、
自分の記録をシェアします。こんな匿名日記だけど必要な方にとどいたらいいな。
■理由
何かの拍子で「てんかんを持っているとレーザー脱毛できないらしい」ということを知った。
できないというのは語弊があって、ミュゼなどエステでは受け付けてない、ということ。
エステでは万が一の時に対応できない ということが理由なのだそうだ。
申し込んで断られて、初めて知った。でも理由としてはごもっともで納得するほかない。
これまで生きてきて、「てんかん」を生きていく上での深刻な問題だと思ったことはなかった。
就職先にもちゃんと報告しているし、免許センターと県警に診断書は届出済みで免許も取れた。
(そのうえ取得から全く乗ってないから、このあいだ遂にペーパーゴールドまで取得した。)
嫌な思いといえば、せいぜいがとこヤフコメでたまにブッ叩かれてるくらいだ。実生活で困難は(自分のケースだとそんなに)ない。
だからビックリした。休暇もレジャーも仕事だっていままで何でもできたのに、
「あなたはてんかんだからダメ」と言われた人生初の案件が「脱毛」ときた。そんなバカな。
つまりエステじゃなくて、緊急時の対応ができるように 病院なら施術OKってことかな?
と思って皮膚科に申し込んでみたら、同様の理由で断られた。待て待てそんなバカな。
自動車免許取得より就職より毛を抜く方が難しいなんてあってはならない。どう考えても大自然の摂理に反している。
備考としててんかんの旨をお伝えしたらそこでザンネン。
あなたの毛は抜けません…って申し訳なく電話で断られるのは地味に堪える。歯は抜けるのに毛は抜けないっておかしいでしょうよ
もうこの頃には完全にムキになっていた。
ネットの情報に従い、どうやら前例があるらしき某S南美容外科に
当たって砕けやがれと申し込みをしてみたところ、
拍子抜けするくらいアッサリと、無事に予約を取ることができた。最初からここに問い合わせとけばよかった!
「すげえ!!予約取れた!!!」と全米さえ涙にむせぶほどの感動にひとしきり浸っていたものの、
よくよく考えてみたら毛を抜く予約ができただけだった。
毛を抜くのってたいへん。
■てんかん
時々ニュースになったりするので知ってる人は知ってるかも。
100人に1人くらいの割合でいるらしいから、たぶんわたしも自分以外のてんかん持ちにどこかで会ったことあるし、
小学生の頃欠かさず見ていたアニメで、強い光の明滅シーンがあり、
家族が気付いたら泡を吹いてぶっ倒れていたという。念のため書き添えとくけどもポケモンではない。
長時間テレビ画面を見すぎてたせいでは?って評も見かけたけど、
兄弟の中でも発作を起こしたのは自分だけだし、視聴時間はあまり関係ないと思っている。個人差というか運というか…?
母曰くそのとき同じ病院に運び込まれた子供も自分一人ではなかったそうなので、
ポケモンはなかっただろうなあって、それは今でも思ってる。
(この件についてはなかったことになってるものと思ってたから、たまたまネット上で言及を見かけたときには感動した。
http://www.style.fm/as/05_column/shudo165.shtml)
■値段
高い!すごい高い。ビックリした。
エステ脱毛なら100円とか無料とか(よく電車内の広告で見るやつ)、
それこそ駄菓子屋に並んでそうな値付けなのに、
美容外科となると途端に中古車みたいな金額になった。マジか…毛を抜くためだけにこの出費って正直ちょっとムキになりすぎた感ある…。
全身とか気軽に言うけどムリでした。青褪めて手脚+両脇までにした。
背中とかうなじとかパス。なにせ両手足のムダ毛さえ消滅すれば、これによって得られる時間はプライスレス。
老若男女問わず「女子は身だしなみ整えて」とか気軽に言うひといらっしゃるけども
ムダ毛処理&それに伴う肌ケアって、ちゃんとやったら連日風呂に2時間かかる。
毎日2時間あったらそのぶん技術書も読めるしコードも書ける。買える時間は買うべきだ。
…ま、まあ、Appleはサポート数年で切れるけど、こっちは永久だし…
■院内いってみた
めちゃくちゃ緊張した!でも実際行ってみたらなんてことはなかった。
美容整形医院の会員カード持つってだけで、新鮮な感じがしてちょっと面白い。
なんかに並んであそこをピンクにする施術まであるのはちょっと面白かった。
まあふつうくろいしぐろいよね。色や形をスッキリ美しく変えられるらしい。「ふっくらとした理想の形に!」
VIOスッキリして初めて色や形状が気になるケースが多いそうだ。確かにそんなとこ気にしない。見えないし見ないし存在すら意識の外だ。
世界は広い…毛を抜くことによって生まれる新ビジネスもあるのか…。
事前にスタッフさん(看護師さんか)からカウンセリングがあった。
ネット申し込みの時点でも書いてはいたけど、ここで再度の自己申告。特に問題はなく通って、本当に有難かった。
他コースやプランの勧誘とかもなくスムーズ。看護婦さんの肌が底抜けに綺麗だったことだけ妙によく覚えている。
当然ですが「わかりやすい白衣の天使ナース服」ではないです。爽やかパンツスタイル。
近年スカート型が激減してる理由「血圧の上がる人がいる」ってのはさすがに笑う。
■施術
なんかこのあたりになると雰囲気もあって完全リラックスしてしまってた。
治療用のベッドは基本まあ病院なやつ。当たり前ですか。当たり前ですね。
診療スペース(?)は保健室のカーテンみたいなやつで仕切られていて、他の患者さんと治療中に目が合うなんてことはない。
気になるレーザー光は、アイマスク装着の上での施術だったので 何の問題もなかった。
うーん…アイマスク…とはいっても馴染みある布製ではなくて、何と表現すればいいのか、
ゴムなしの水中メガネというか、視力検査のスプーンを二つつなげたやつというか。
ゴムバンドなどで留めるわけじゃないけど、顔を動かすこともないのでズレる心配はなかった。
実際どうなんだろう…と内心ビクビクしてたところはあるんだけど、刺激は実際ある。
でもほんと「刺激か」「まあ刺激か」くらいの感覚。かな?そんな深刻な激痛じゃなかった。「ンムッ!…フハハ、なるほどな…」程度の軽い刺激なので身構える必要はないと思う。
でもこれはあくまで自分スケールなので、敏感肌の自覚があるなら+αくらいで聞き流してください。
肌に蛍光ペン?みたいなので範囲を捉えて、そこからちょっとずつレーザー光あててく感じ。
施術した肌エリアは冷タオルみたいなやつで都度冷やしてくれる。タオルなのにみたいなのって何だよ?というところだが、水中メガネしてるので見えないのだ。たぶんタオル。
ワキから始まって右腕、左上、右脚・左脚(表)、左脚・右脚(裏)。
■効くかどうか
劇的に「肌スベスベになった!」っていう感動は今のところあんまりない。
でも手入れの回数は確実に減った!色はあんまり変わらない感じ。
薄くなった感じはないけど、逆に 濃くなった!ってこともない。
あと特にワキは生えてくるペースが格段に遅くなった。日々生活する上でのストレスが減っていることは実感する…!
プロに毛を抜いてもらうだけでこんなに風呂+風呂上がりがラクになるのか…!!
VIOはデリケートゾーンなため照射器の出力をだいぶ落としているそうで(そりゃあ仕方ないよね)、
6回ではちょっと難しい、9回はほしい…と、
最初カウンセリングしてくれた看護師さんも仰っていた。検討中の方は参考にどうぞ。
値段は少し手を出しづらいというか、実際やっぱエステ脱毛よりすごく高いけど、
看護師さんに全身ケア(毛)してもらうだけで「ハァ~~ありがたい…」って心地になってたし、高いとは思わなくなったかな。
いやほんと、無事に毛を抜くことができてほんとうに嬉しい。一時はどうなることかと思ったが、こうして人並みに毛を抜けた。
■そろそろ夏なので、ここらのタイミングで調べ始めて
ショック受けてるような人がいたらなんなので
記憶がとどまっているうちに書いておきます。なにかの参考になったら嬉しい。
肌周期にも合わせなきゃなわけだし2週間後とかがむりなのはわかるんだけど
3ヶ月後とか4ヶ月後とか、ほんと、そんなん。だから今から始めたら完了は来年?とかそれ以降になるんじゃないかな。
レーザー脱毛は彼氏いる組よりも我々彼氏いない組の方がやるべきなんじゃないかなと思います。
気が向いた人は来年の夏に向けて一緒にがんばろっ☆
息子が3歳になった時、勢いとノリだけで通いだしたヤマハ音楽教室
幼児科だけは何がなんでも卒業(その先はその時考えればいいや)を目標に
私は楽しく全力でお歌を歌うストレス発散と
子育て力向上を目指して通ってる。
元々斜に構えて世の中をみる、捻くれ者の性格なので
ヤマハはやたらに入会金・教材費・授業料やら高い。お教室ママカーストありそう。
無駄に教材買わせて最終的に高価な楽器までセールスしてくる怖い場所。位な考え。
しかし、いまでは全力でヤマハ信者。小さな子を持つお母さんに「ぜったい入ったほうがいいっ!」と
ごり押しするくらいの信者になった。まさかここまで自分がどっぷりはまってしまうとは想像していなかった。
子供に任せきりにしない。親も責任を持ってとりくむ教室である所。
例えば、教室でのお歌。親が全力で楽しんで歌わないと子供も楽しんでくれない。
親の熱量がそのまま子供に伝わる。今日は疲れてしんどいから適当に手を抜いて
レッスン行こう。なんて思うとそれがそのまま子供に伝わる。そして
どうやって声をかければ子供のやる気を失わさせず
楽しいレッスンにしていくか。瞬時に判断しなければいけない対応力。
仕事と同じ様な感じ。クライアントにプレゼンや打ち合わせをする時も
思ってもらう様努力する。ような。
そして、宿題があるところも良い。
家庭内での反復練習を自然に(そして強制的に)習慣づけてくれる。
教えてくれるのでヤマハメソッドに素直に従えばあとは本当に親次第。
親が今までのぐうたらな生活習慣を見直して血がにじむ様な努力をする。
子供は親の態度を素直に吸収する。
あたり前な事を当たり前に地道にこなしていくことがいちばん大切。
それをヤマハに通って改めて学んだ事だった。
果てはエレクトーンの使い方講習会まで開いてくれるヤマハ音楽教室。
もう素晴らしすぎて感動。
子供の成長=親の成長
子供がどう成長していくのか。はもちろん大切だけれどそれだけではなく
自分自身が親としてどう成長していくか。
(窓口の対応はもう少しどうにかならないのか…と思う事は多々ありますが)
しかし、宗教みたいだけど宗教にハマる感覚ってこういうのかな。。。
。
。
。
追記
あとは達成感の喜び。スランプに陥ってもへこたれない粘り強さ。
あぁ、これは はてな読み過ぎの私の偏った妄想かもしれません。
レッスン代は施設費という謎の項目があり
月3回/50分で6500円
…プライスレス …習い事ってそんなもんなんですね(´・_・`)
今ヤマハ音楽教室は
(何度もチクチク言うけど)受付窓口の対応は
文章が得意ではないので書こうかやめようか何度も悩んだのですが、でもこれが理由で悩んでいる人を沢山見てきたので、やっぱり頑張って書いてみることにしました。
好きなことが仕事になったらいいなって思っている人が結構いると思うんです。
そうやって好きなことを仕事にして輝いている人を見ると素敵だなって思うし、目の前の仕事が自分の好きなことだったらもっと頑張れるのになって思ってるかもしれません。
でも、多分それはやめたほうがいいです。
なぜなら、好きなことを仕事にするということは、自分の魂を切り売りするのと同じだからです。
例えば好きな絵を仕事にしたくて、書いた絵を売りに出すとします。
しかし、その才能にニーズがなければ、その絵には大した価格はつかないでしょう。
その絵が、どれだけ大切に情熱を込めて作り上げたものだとしてもです。
でも、生きていく以上はその絵を売らなくてはいけません。
この瞬間に生まれる自分が思う価値と売れたときの価格との差額が、あなたが生きるために魂を売った価格です。
売りたい価格を付けることは自由ですが、売れる価格は世の中が主導権を持っています。
どんな価格を付けたとしても売れなければ価値がないのと同意です。
好きなことを仕事にする以上、この事実からは避けて通ることはできません。
これが情熱と希望を胸に、好きなことを仕事にしようと社会に漕ぎ出した自分に待っていた現実でした。
成功者の多くは、ただ好きというだけでなく、人よりもずば抜けた才能を持っているか、たまたま時代が求めるものに一致した場合かのどちらかです。
好きなことができれば貧しくても幸せだなんていうのも嘘です。
生きていくために自らの魂を切り売りすることは、生きていく意味を見失いかねないほどにむしろ苦痛でしかありませんでした。
もし好きという思いが強ければ成功できるなら、世界中には成功者が溢れているはずです。
このままでは暗い話で終わってしまいますが、それからいろいろあって、今では自分が好きなこととは全くかけ離れた業界で働いています。
全く見ず知らずの業界で働きながら、好きなことに価格をつけることは苦痛でしかなくても、得意なことに価格がつくことはむしろ喜びであることに気が付きました。
そうはいっても得意なことを仕事にしようとこの業界に入ったわけではありません。
働いている途中で気付いたことが、自分の得意なことがこの業界でも役に立つかも知れないということでした。
得意なことと言っても、それだってずば抜けた才能が沢山あるわけではありません。
人よりも少し得意な程度のものが2つ3つあるだけで、一つ一つの分野だけで言えば社内には自分より得意な人間がいます。
ただ、それぞれを組み合わせた仕事への取り組みは自分にしかできないものでした。
それによって生み出せるものを、私以外には作れる人はいませんでした。
それが会社の中で唯一無二な価値になり、今では無くてはならない存在と言われるまでになるようになりました。
多分に運の要素も多かったのだと思います。
ただ、それをわかった上でお伝えしたいことは、一つ一つが誰よりも優れていなかったとしても、それぞれを組み合わせることで人には真似出来ないものを生み出すことが価値になることもあるということです。
沢山の人が沢山の個性を持って生きていく世界の中では、何かに一番になることと同じくらい、唯一の存在であることでも活躍できるのだと思います。
今では生活に少しの余裕もでき、自分の好きなことに再び没頭する時間を持つことができるようになりました。
あの時、好きなことで生きていくことを諦めていなければ、好きなことを好きなままではいられなかったかもしれません。
だから「後から判明したこと」から遡って「なぜあのときああしなかったの?」と言うのは無しでいこうよ。小学生じゃないんだからちゃんとストーリーの中での必然性を語ろうよ。
「エネルギー切れるまで打たせろ」→ゴジラが一通り東京を荒らし尽くして制止している状態が「休眠」であると「仮定」できるようになって初めて言えること。それ自体がゴジラ停止から数日後でしょ。
「無人機使ってから誘導兵器云々」→だからそれも後出し。軍隊同士の戦争じゃなく「どんな進化するかわからない不明生物」との戦闘なんだって。相手の出方が全く予想できない状態で「相手停止!一斉攻撃!」なんて指揮したらそれこそ負けフラグそのものでしょ。ましてそこに「群体化・有翼化」なんて可能性が出てきたら、確実に「通常兵器による攻撃は差し控えよう」という判断になるわ。
「休眠してる間に次なる進化の可能性を誰も考慮してないの?」→だから、それがあったからこその国連の「核攻撃やむなし」って判断でしょ。ちゃんと見てた? その考察があったから安田くんも「そりゃ選択肢としてはある」って言ったんだよ。むしろ、群体・有翼化して四方八方に飛び散るかもしれない(そして各地で再び巨大化するかもしれない!)生き物に対して、あなたが「物量作戦で空爆が上策」と思ってるのが不思議で仕方ないよ。
結果論、結果論、そして穴だらけの考察。あなたの書いてることは、普通に全てシナリオの中で解決がついてることばかりだよ。あなたが「おかしい」と感じるのは、端的に言って読解力不足のせいなんだよ。
ハッキリ言うけど、そもそもあなた最初は「群体・有翼化」の話が作中で出ていたことを完全に見落としてたでしょ? そのレベルの記憶で作品の「あれがおかしい、これがおかしい」と言うのはちょっとどうかと思うよ。
それにね。「シン・ゴジラ」のラストは、「みんなでゴジラ倒したったwwwやったぜww」じゃないんだよ。あなたはそれさえ分かってないんじゃないの? ラストシーンの尻尾の大写しは、最後の最後で「ほんとにギリギリの幸運による成功だったに過ぎない」「一歩間違えたら最悪の事態だったかもしれない」「しかもその悪夢はまだ終わってないかもしれない」ってことをあの映像で観ているものに見せつけて、最後にゾッとさせる系のエンディングだったんだよ? 人類はゴジラ禍をまだ全然逃れ得ていないし、だからそもそも「あの攻撃が後から見てもベストでした」なんてこと、映画の中でも誰も言ってないしそういう作りにもなっていない。ただ「その時点その時点で得ていた情報の中で、各自が最適を選びながらがんばった」という話だったんだよ。各自の行動に、ストーリー上ご都合主義的で不自然かつ間抜けな見落としはほとんどない。そういった完成度の高さも、あの映画が評価されてる一因なんだよ。
もちろん、本当のところ映画制作の都合上「そう言いつつも、この絵を見せたいからこうしたんだよねー」という部分は、そりゃある。映画だからね。「リアル」と「リアリティ」は違うからね。ただ、その嘘の見せ方自体もかなりうまかった。納得して許せるなと思えるレベル。その意味で、あの作品の防御力はゴジラ並に堅い。だから、あの映画に切り込みたいならもっと違った角度、切り口、意表をつくアプローチが必要なんだよ。
http://anond.hatelabo.jp/20160823104151
なお、タイトルの「通常兵器による最大火力」について一言考察。ここからはオマケ。
アメリカには「通常兵器が有効」だというデータはあったのだろうけど、それに加えて、ゴジラがレーダーのような能力を備えることまで予測していたのかもしれないね。でないと『同質量の金と同額』とまで言われる世界一高価な「ステルス」爆撃機B2を(しかも3機も!)投入するのは不自然だから。そして爆撃に使用するのは外しようのない、最大火力の誘導兵器である地中貫通爆弾バンカーバスター。
つまり、この時点ですでにアメリカは「普通に適切と考えられる最大の兵力」を投入してるんだよね。しかも当事国の同意を得ないうちに素早く。アメリカがいかに危機感をもち早期収束を焦っていたかが分かるね。しかし、そんなアメリカですら残念ながら予測できていなかったことが二つあった。「ゴジラの攻撃の対空レーザーへの進化」加えて「バンカーバスターで貫くことはできても死なないどころか怒らせただけというゴジラの身体構成(結果、馬鹿みたいに被害(火災とおそらく放射能汚染)が拡大)」という2点。この2点のミスは致命的でかなり痛い。結果、米軍全体でも21機しか保有しないB2のうち3機(しめて約5000億円?)とその搭乗員を失い(エリート爆撃機乗員6名以上…プライスレス)、同盟国である当事国の首脳陣をほぼ全滅させ(プライスレス)、同首都に壊滅的な打撃を与え(東北大震災の約10倍としてざっと数百兆円? 円と株の暴落による世界経済への影響は…少なくとも米国債&ドルの暴落にも歯止めかからないレベルの打撃はまさにプライスレス)…。これ、単なる「攻撃作戦失敗」の域を越えてるよ?! いくら大統領に巨大な権限があるとしても「判断ミス」追及されたら辞任どころか死刑になってもおかしくないくらいの大失態だよ? ゴジラに対処する必要がある超非常事態だからこそギリギリ責任問われずに済んでるけど。結果、アメリカは自分の判断では動けなくなり、国連主導の解決策に移行するしかなくなった。その国連の判断が、中露という地勢的に近隣な国々を中心とした「核攻撃止むなし」という結論であって、「通常兵器でなんとかしようとしてた前半」と「核攻撃止むなしの後半」では主体が変わってることもけっこう重要なポイントですね。
「私のもっと大事な用事」がいくらだったのか説明していないのがおっさん。
まじ金で解決するとおもってる女性はなんでも「けっきょくそれいくらなの?」ときく。
自分の用事はプライスレスで相手の用事は金で解決できると考えるのはおっさん。
「だって、おかあさんわたしの用事がいくらか聞かないんだもん」
「わたしの週末の予定はだいたい10万くらいでキャンセルするのにそれもだせないなんて」
からの、が模範解答。
相手はお金でねじ伏せることができるのに自分はお金で売れない、という不条理で理不尽で非合理な思考はおっさん。
女は金で解決するといったらちゃんと相手も自分も解決する。
金で解決する女なめんな。
私は映画が好きで、月に3〜4回は映画館に足を運ぶ。レンタルも頻繁に愛用しているし、最近はデータ配信というのもあって好きな映画が見放題で大変素晴らしい。
仕事してるか映画見てるか、その間に諸事雑事をこなしているといってもいいけれど、でも本や小説も月に10冊ほど読むしマンガも読む。ゲームもする。最近はingressが面白くてよく歩き回っている。旅行が好きで年に1度は遠出をする。料理も好きで、一人暮らしなのにホームベーカリーを買ってしまった。味噌を自作しご飯は土鍋で炊く。掃除もまあまあなので部屋はそれなりに片付いている。洗濯はそれほど好きではないけど。
なんだが「質のよい暮らし」の様で笑ってしまう。そういうものに憧れはない。たぶん。
ところで私は30代後半に差し掛かった女でバツイチで子供がいない。
ちなみに収入は悪くない。フリーランスで、自宅やファミレスなどでノートPCのキーボードをカタカタと打っていると収入になる仕事をしている。取材や出張も多いから、だいたい忙しい。外出の隙を見て映画館に滑り込むのが楽しみの毎日。
今もおつきあいをしている男性がいるし、彼はいい人で収入もいいし、結婚して子供を作ることもできない訳じゃない。親姉弟祖父母親戚はそうするのが当然なのに何故しないと私を責める。なので離婚した時の苦しい思い出を語って泣き落としで黙らせる。
正直に言う。私は子供が嫌いなのだ。あの異星人どもと仲良くやれる気がしない。これはきっと非難されるのだろうと思う。人として女としてあたりまえのことをやりたがらないお前は何かが欠けているのだと。
それでも最近は歳をとったのか丸くなってきて、はしゃいでいる小さな子供などを見れば可愛らしいなあと思える。近くで子供が騒いでいてもよほどでない限りイラついたりはしない。イラつくのはむしろ、それを放置している親の態度のほうだ。
電車で子供が大声をあげて泣いていてもまあ許せる。降りろとは思わないし母は大変だなあと同情もする。丸くなったし大人になったのだと思う。
だが自分が親になるとすれば別問題だ。子供は親の言うことなんか聞かない。子供は勉強したがらない。子供は私が作ったものをおとなしく喜んで食べないだろうし、私がよいと思うものを理解もしてくれないだろう。
叔母や母は言う「自分の子は別なのよ」そうかもしれない。それが母性なのかも。でも、だったら、なんでこんなに多くの子供が虐待され育児放棄されて不幸なめにあうのだろう。
だいいち、ああきっとこれを書いたら一斉に非難されるだろうな。子供ができたら映画が見れない。子連れで入れる映画館なんてないだろうし、子連れで映画館に来るのはやめてほしい。それは無理、許せない。
自宅ででも無理だろう。子供がいてゆっくり2時間TVの前に居座って映画を楽しむ時間なんてとれる訳ない。
ベビーシッターか託児所か保育園か、他人に預けて映画を観に行くことは可能なのかもしれない。頻度を下げれば、たとえば月に1回程度なら。でも、もし万が一私が映画を見ている間に子供になんらかの事故が起こったりすれば。
「子供をほったらかして遊んでいる母親」と言われる。間違いない。絶対にそう非難される。
仕事もできなくなる。少なくとも妊娠してから出産し多少手が離れるまでの間は、かなりの量を減らさなければならない。それは辛い。離婚してから始めたこの仕事がやっと、順調に回るようになってきたのに。
子供を産み育てることの素晴らしさをなんとなく想像する。みんなが言うとおりきっと得難い体験なのだろう。プライスレス。でも、もともと嫌いな子供を自分で産んで親になる気にはどうしてもなれない。それは私に不自由を強いる足枷に思えてしまうのだ。
何年か前、フェミニストのルームメイトとオランダ版の『サバイバー』を見て面白い経験をした。この番組は、二つの島に女だけのチームと男だけのチームに別れて、それぞれでサバイバルをするというものだった。フェミニストのルームメイトは、俺や他の学生達にこの番組について何週間も前から喧伝していた。彼女によると、「家父長制の悪から無縁の、女性によって治められた社会がどのようなものであるかを、この番組は見せてくれるでしょうよ」ということだった。
そして、始まった。ああ、番組はそれを見せてくれた。
番組はまず両グループがそれぞれの島に降ろされ、いくらかの食料や装備を渡され、あとは自力で生き残ってくれというものだった。両方のグループでまずチームの体制をどうするかで口論が起こった。それから男達は彼らが必要だと感じたことを何でもやっていくことにした。そこには命令を下すリーダーはいなかった。狩り、採集、漁が必要だと感じた男達はそれをやった。別の男は砂の上に座るのにうんざりしてベンチを作り始めた。他の男達は小屋を建てた。その小屋は徐々に大きく発展していった。別の男は毎晩調理をした。男達の島には数日の内に、小綺麗な文明が出来上がっていて、生活は日を追うごとに少しづつ豊かになっていった。
女達も同様にルーチンに落ち着いた。タオルを乾かすための物干し竿を掛けた後は、日光浴と口論を始めた。男達とは違い、女達はグループ全体のコンセンサス無しには何もすることができなかったからだ。そして12人の女達の間でコンセンサスが得られることは一度も無かった。続く数回の放送の間に、女達は最初に与えられた食料を全部食べつくしてしまった。暴風雨で何度もびしょ濡れになり、砂ノミに喰われ、どんどんみじめになっていった。一方男達は非常に満足していた。もちろん意見の相違もあったが、それらは徐々に解決されていった。
これをフェミニストのルームメイトと見るのは最高だった。彼女も始めのうちはこの男島と女島の違いをなんとか正当化しようとしていたけれど、その主張も段々弱くなっていった。結局、番組側が助け船を出すことを決めた。女達を助けるために、3人の男達が選ばれ女島に行くことになった。その代わりに、3人の女達が男島に行くことになった。この回を見ていた時のフェミニストのルームメイトの顔はプライスレスだった。
選ばれた3人の男達も当然有頂天になっていたんだけど、彼らが女島に到着し女達に迎えられるまでだった。
「小屋はどこだ?」
「小屋なんて無いわ」
「食料は?」
「全部食べちゃったわ」
それで結局3人の男達は犬のように働くことになった。彼らが最初の数週間のうちに試行錯誤して得たスキルを使って、小屋を建て、魚を捕った。女達にも食料探しをしてもらおうとしたが、女達は文句を言って日光浴を続けた。
男島に送られた女達3人は喜びに満ちていた。食料もあるし、雨風をしのぐ小屋もある。男達からはチヤホヤしてもらえる。彼女達もまた日光浴を続けた。
原文はなぜ家父長制が史上最高の社会制度なのかという記事についたコメントの一つでredditにも転載されている。
チラシの裏にでも書いたよ。
WM生活そろそろ2年。
仕事は好きだ。
子供はかわいいがそれだけだと精神的にお腹がすくの、みたいな感じ。
旦那とうまくいかんのが最大の要因。
自分のマイルールにそぐわないことを擦り合わせたり許容することができないらしい。
謝ることも出来ない性分らしいことが結婚して数年でよく解った・・。
例えば、包丁をまな板の上置いたままちょっとでも席を離すと「危ない!!!子供が落とすでしょ!!」。
言ってることは間違ってはいないが、調理中にいちいちシンクに置かれると困ると言っても聞かず。(これは多少マシになってきたが)
調理中子供を見ながらのことも他の家事を並行中の時もあるが彼の中では意味はないらしく、何度かやると「あの子の脚が切れたらお前の責任だぞ!!」とキレてくる。
テレビをチョット見せると「バカになるでしょ?!」みたいなことも言う。
まぁこれは保育園があんまし見せないでと言ってるのでいいけど、多少見たい時もあります。
テレビつけた瞬間に「なんでつけるの」っていちいち言われるストレスは割とプライスレス。
あととどめは、ちょっとでも喧嘩するとこちらが務めて冷静にならない限り強烈な買い言葉を投げつけてくることかな。
「ここらへんはバカばっかり」
的なことを言われた時はさすがに離婚しようかと思ったね。
自意識が高いつもりはないが、これを言われては・・ね。
旦那の妹さん家族と会食した時にも妹さんと喧嘩になって、どう考えても妹さんの言い分が正しいから加勢に入ったら
「(妹さん)のほうがあんたより頭がいいだろうね(上から目線)」
仮に昔から君にとっての事実だったとしても、そこでそれを言うか。
引きつったけど。
あと、旦那は以下のような妙な特徴もある。
→長い口上を聞かされ「で、どうなのよ」って聞いて後から「だからそういうこと。解んないの?(バカにした感じで)」って返される苦痛
②挨拶をしない
(子供の前ではいい親でありたいらしいが、自分が言わない挨拶を子供に強制させているのを見ているのが苦痛)
③街を歩いていると誰にも何にも言わずふらっと消える
④正論ばかり言う
→正論ばかりでは喧嘩になるのに、一向に気にしないというか、意見を擦り合わせたい、確認したいより、相手をやり込めたい、という欲求のほうが強い感じ。
⑤物が捨てられない
→本当に困っている。お互いオタクだから解らないでもないが、量が多すぎる。
⑥人や物が自分のルールに沿ってないとダメ。しかもルールが多い。
→洗っても結構な頻度で洗いなおされたり、畳みなおしていたりする。
(これは長年の調教の成果でやっと増田に言うんじゃなくて自分で修正するようになった。でもあとでちくちく嫌味言われる)
→付き合った瞬間にプエラリアの錠剤とか渡された増田(一応E)は正直気持ち悪かった
⑧何を言っても態度は変わらない。
⑨友達がいない。
とかは昔からなので、なんかADHDとか愛着障害とかそっち系も疑っている。
ちなみに掃除は旦那もやる(几帳面なので向いているが、細かすぎて広範囲をざっとは無理。)が炊事は一切しない。
役割分担だから、と言うのは正論なのだが、土日は掃除も増田がやっているし、やってくれよとか思わなくもない。
しかも土曜午前寝てるし。
褒めること、ではなくても有難うと言われることもなく、早起き失敗すれば後からちくちく言われ、普段の子供との付き合い方すらダメだしされていると、家庭としてやり続ける必要性があるのか最近疑問だ。
育児書も沢山お読みになってるみたいですし、
「どんだけあなたのやり方をしたらいい子供になるんでしょうね?」
と卑屈にもなってきた。いかん。
精神擦り減らすと眠くなるタイプなので、旦那含めで子供と遊びに行くことが苦痛になってきている。必ずひと悶着起きるのだ。
子供さえ絡まなければ、旦那に激烈に怒ったり絡まれることは少なくなる。
面白い人だと思ったんだけどどうやら違ったらしい。
すごく欲しいけど高いものを買うかどうかウンウン悩んでいる。
どうしようかなー。ああー!悩むうう!!!
突然だが私には悩んでいるときにGoogleという神にその悩みをとにかく告白するという奇癖がある。この神はたまに良いお告げや天啓をくれるが、余計に悩ませてくれることも稀によくあるという実に自然的な神だ。
今回も多分にもれず「欲しいもの 買うか迷う」という悩みをGoogleへ投げかけると、Googleは膨大な数の記事をそれっぽい順番で示してくださる。
上位に来ていた記事のうち一つには「買うのを悩む時間がもったいないので、ビジネス用途なら迷わず買え、嗜好品なら迷ったら買うな」という教えが示されていた。
よく読んでいないが、お金を貯めるにはそれがいいらしい。確かにそうかもしれない。嗜好品で少しでも迷うということは、それは人生において絶対必要というわけではないのだろう。そしてその時間を何かもっと有意義なことに使ったほうが、お金も人生も充実するのだろう。
でもさー、よく考えたらこの買おうかどうか迷う時間結構好きなんだよなあ。実際買って品物を手に取って使うのと同じくらい好きなのかもしれないな。
悩むのにはお金はかからない!嗜好品としてのプライスレスな時間、サイコー!
ああ、そうか。だったら私は買うのを悩んでいる状態から抜け出そうとせず楽しめばいいんだ。
よーし、もうちょっと悩むぞー!(限定版だからあんまり悩んでられないのがまたもどかしい!そしてそれもまたスリルがあって楽しい)
やはりGoogle神は良い啓示をもたらしてくれる。
さて買おうか悩むなあ、どうしようかなあ。
マスコミバレするところとそうでないところの差はなんなんだろうと思っちゃったりしたわけよ。
ちょっと前は街中の飲食店のバイトが、全裸もしくは半裸で食材コスに走ったり、調理器具でSASUKEプレイに興じ、まさにプライスレスな瞬間を皆と共有しようとしたとこからバレしちゃったけど。
政治家さんや証券会社さんなんかでも、不正もしくはとっつかまらない程度の不正は日常的にやってるはずなのに、バレするところとそうでないところがある。
『人様が食べるものなのにとんでもないことしてる!!許せない!!信じられない!!』とか口に出して言って、その場はすっきりして解決した気になってる私たちですけども、晒されてない工場は現場レベルで工程見直すわけないわけよ。
だってシステム変えるのって稼動しはじめてからはほぼ不可能だと思うし。
機械まるごととっかえるならばなんとかなりそうだけど、従業員にしみこんだ現場の常識なんざ、左遷や首で転職して他の現場に移るとかいう大断行でも行われねば、変わるわきゃないのよ。
まさになんとかは一度死ななきゃ直らないって奴で、一回社会的に死ななきゃ心根の部分から意識が変わることはないのであります。
結局のところは、バレしたところはそこに集う関係者がバレしたくてたまらない気持ちでいっぱいなだけで、バレしないところは気分がモリモリしてないからバレしないだけなのだ。とか思っちゃうのよ。
Scottっぽい字面の衛生管理法なんか準拠したところで、作業中は前後不覚でミスがでちゃってそれをカバーするために三秒ルール発動なんてごく普通なわけだとおもうし、それをバレしないように運営するのが、集団に集うて日々の生業を粛々と遂行する連中の役目であり、作業上の要素や法律、世間一般の常識なんかはそれが破綻させないためのゆるい囲いに過ぎないと思うのねん。