私は映画が好きで、月に3〜4回は映画館に足を運ぶ。レンタルも頻繁に愛用しているし、最近はデータ配信というのもあって好きな映画が見放題で大変素晴らしい。
仕事してるか映画見てるか、その間に諸事雑事をこなしているといってもいいけれど、でも本や小説も月に10冊ほど読むしマンガも読む。ゲームもする。最近はingressが面白くてよく歩き回っている。旅行が好きで年に1度は遠出をする。料理も好きで、一人暮らしなのにホームベーカリーを買ってしまった。味噌を自作しご飯は土鍋で炊く。掃除もまあまあなので部屋はそれなりに片付いている。洗濯はそれほど好きではないけど。
なんだが「質のよい暮らし」の様で笑ってしまう。そういうものに憧れはない。たぶん。
ところで私は30代後半に差し掛かった女でバツイチで子供がいない。
ちなみに収入は悪くない。フリーランスで、自宅やファミレスなどでノートPCのキーボードをカタカタと打っていると収入になる仕事をしている。取材や出張も多いから、だいたい忙しい。外出の隙を見て映画館に滑り込むのが楽しみの毎日。
今もおつきあいをしている男性がいるし、彼はいい人で収入もいいし、結婚して子供を作ることもできない訳じゃない。親姉弟祖父母親戚はそうするのが当然なのに何故しないと私を責める。なので離婚した時の苦しい思い出を語って泣き落としで黙らせる。
正直に言う。私は子供が嫌いなのだ。あの異星人どもと仲良くやれる気がしない。これはきっと非難されるのだろうと思う。人として女としてあたりまえのことをやりたがらないお前は何かが欠けているのだと。
それでも最近は歳をとったのか丸くなってきて、はしゃいでいる小さな子供などを見れば可愛らしいなあと思える。近くで子供が騒いでいてもよほどでない限りイラついたりはしない。イラつくのはむしろ、それを放置している親の態度のほうだ。
電車で子供が大声をあげて泣いていてもまあ許せる。降りろとは思わないし母は大変だなあと同情もする。丸くなったし大人になったのだと思う。
だが自分が親になるとすれば別問題だ。子供は親の言うことなんか聞かない。子供は勉強したがらない。子供は私が作ったものをおとなしく喜んで食べないだろうし、私がよいと思うものを理解もしてくれないだろう。
叔母や母は言う「自分の子は別なのよ」そうかもしれない。それが母性なのかも。でも、だったら、なんでこんなに多くの子供が虐待され育児放棄されて不幸なめにあうのだろう。
だいいち、ああきっとこれを書いたら一斉に非難されるだろうな。子供ができたら映画が見れない。子連れで入れる映画館なんてないだろうし、子連れで映画館に来るのはやめてほしい。それは無理、許せない。
自宅ででも無理だろう。子供がいてゆっくり2時間TVの前に居座って映画を楽しむ時間なんてとれる訳ない。
ベビーシッターか託児所か保育園か、他人に預けて映画を観に行くことは可能なのかもしれない。頻度を下げれば、たとえば月に1回程度なら。でも、もし万が一私が映画を見ている間に子供になんらかの事故が起こったりすれば。
「子供をほったらかして遊んでいる母親」と言われる。間違いない。絶対にそう非難される。
仕事もできなくなる。少なくとも妊娠してから出産し多少手が離れるまでの間は、かなりの量を減らさなければならない。それは辛い。離婚してから始めたこの仕事がやっと、順調に回るようになってきたのに。
子供を産み育てることの素晴らしさをなんとなく想像する。みんなが言うとおりきっと得難い体験なのだろう。プライスレス。でも、もともと嫌いな子供を自分で産んで親になる気にはどうしてもなれない。それは私に不自由を強いる足枷に思えてしまうのだ。
なんかいろいろ活動してるようだけど、ずいぶん、つまらない文章を書くんだな…
長文乙。 つまりはお前が未婚子無しの年増だってことだろ。