マスコミバレするところとそうでないところの差はなんなんだろうと思っちゃったりしたわけよ。
ちょっと前は街中の飲食店のバイトが、全裸もしくは半裸で食材コスに走ったり、調理器具でSASUKEプレイに興じ、まさにプライスレスな瞬間を皆と共有しようとしたとこからバレしちゃったけど。
政治家さんや証券会社さんなんかでも、不正もしくはとっつかまらない程度の不正は日常的にやってるはずなのに、バレするところとそうでないところがある。
『人様が食べるものなのにとんでもないことしてる!!許せない!!信じられない!!』とか口に出して言って、その場はすっきりして解決した気になってる私たちですけども、晒されてない工場は現場レベルで工程見直すわけないわけよ。
だってシステム変えるのって稼動しはじめてからはほぼ不可能だと思うし。
機械まるごととっかえるならばなんとかなりそうだけど、従業員にしみこんだ現場の常識なんざ、左遷や首で転職して他の現場に移るとかいう大断行でも行われねば、変わるわきゃないのよ。
まさになんとかは一度死ななきゃ直らないって奴で、一回社会的に死ななきゃ心根の部分から意識が変わることはないのであります。
結局のところは、バレしたところはそこに集う関係者がバレしたくてたまらない気持ちでいっぱいなだけで、バレしないところは気分がモリモリしてないからバレしないだけなのだ。とか思っちゃうのよ。
Scottっぽい字面の衛生管理法なんか準拠したところで、作業中は前後不覚でミスがでちゃってそれをカバーするために三秒ルール発動なんてごく普通なわけだとおもうし、それをバレしないように運営するのが、集団に集うて日々の生業を粛々と遂行する連中の役目であり、作業上の要素や法律、世間一般の常識なんかはそれが破綻させないためのゆるい囲いに過ぎないと思うのねん。
囲いは守られないのが当然だからこそ、最初からきつめにしておく必要があるわけですな