はてなキーワード: 映画館とは
タイトルの通り。
トニトニの売り上げが少なすぎる。
15組75名参加でこの枚数。
トニトニと同様の目的で作られた、Jフレの1stシングル『明日が聴こえる』は1,021,010枚の売上だ。
V6、TOKIO、Kinki kidsの3組13名でこの枚数。トニトニの倍以上。
確かに最近はダウンロードで曲が手に入るからCDを買わなくなってきていることは理解しているつもりだ。
各グループの最新曲の売上枚数などを調べてみたが、長いので結論から。
すべて最高。好き。
特に若い世代のグループのファンがトニトニを無断転載や配布をやっているを見かけるけど、犯罪行為だからね?有償なんて以ての外。その売上金額すべて寄付しろよ??
買う買わないは個人の自由だけど、買わないんだったら我慢しようね。犯罪者に頼っちゃだめだよ。
別件になるが、サマパラ、ドリアイの配布もやたら多いけど犯罪だからな。パルコステージが名指しで配布を注意したツイート見ても配布を続けるのか?よく考えろ。交換もだめだからね。
配布する人は映画館で録画をして配る人、大げさに言うと密売人、受け取る人はチケットを買わずに映画を見る人、万引き犯、という認識。
ということで、まだ買っていないジャニオタはトニトニを買おう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
結果は以下の通り↓
(エクセルに纏めたのを貼っただけで見にくいです。)
kinki 『KANZAI BOYA』(3形態)200281枚
KAT-TUN 『Ask yourself』(3形態)152988枚
JUMP 『Last Mermaid』(3形態)219898枚
キスマイ 『Edge of day』(3形態)182637枚
スノ/スト 『D,D』『Imtation Rain』(6形態)1721420枚 ※
※スノスト纏めての売上枚数しかわからなかったため、纏めてしまいました。不快に思われた方申し訳ありません。
こんな感じ。
トニトニが1形態での販売のため、それぞれの売上枚数を形態数で割ってみた。やることが単純だが許してほしい。
Kinki kids 66760.33枚/形態
WEST 65168枚/形態
計 1318855枚/形態
この数値は、それぞれのグループのファンが全形態購入しているという考えになっているから、全くあてにならない。それでも131万枚。
全形態購入していないファンもいれば、複数枚購入しているファンもいる。掛け持ちだっている。
ということで、トニトニ買ってくださいね。
配布してる人は早く捕まってね。
おわり。
新型コロナで世の中大変なことになっていますが、私個人としてはハッピーな生活が送れている。
結婚して1ヶ月後に新型コロナが流行りだしたので、新婚生活は夫在宅勤務で2人仲良く過ごせているし、通勤や残業が減ったおかげで子供を作るチャンスも増えた。
GOTOトラベルのおかげで近場の旅行が激安で出来るし(小さい宿は貸し切り状態)、好きなミュージシャンのコンサートはチケットは苦労せずにめちゃくちゃいい席が取れた。美術館も映画館も空いてるし、たまに電車に乗っても余裕で座れる。
あまり仲の良くない家族とも、新型コロナを理由に会わなくて済んでいるし、なんなら結婚式も新型コロナで中止に出来た。やりたくなかったけどなかなかそういうわけにもいかず、それがこんな予想もしなかった理由でスムーズに中止に出来るなんてー!
「新型コロナだから仕方がないですよね~」という、言い訳をハッピーに利用させてもらっている。
他にもいろいろハッピーな出来事はあったけど、新型コロナで苦しんでる人たちはたくさんいるので、自分が幸せに過ごせている分少しでも還元しようと寄付したり物買ったり有料サービスを利用したりしています。みんな幸せなのが一番いいからね。
いわゆる女性向け(腐女子向け)の話題なので増田のお兄様たちには興味ない話題だろうけど書き捨てさせてください。酔っぱらいのオチのない思い出話です。
私と妹が中学生の時にヘ〇リアにハマったのは、母が唐突に勧めてくるので勧められるがままアニメを見たのがきっかけだった。
母はちっともオタクではないのだが、当時『銀幕』を公開していた時期で、母が務めていた映画館でたまたま放映していたらしく、存在を知った母は何も考えず我々に勧めたのだろうと思っていた。
この出会いにより、「ちゃお」しか漫画を知らなかった私の人生はオタク方面へ大きく狂わされてしまったので、「何も知らない母親め軽い気持ちでこんなものを勧めようとか思い立ちやがって本人はちっともオタクではないくせに…!」と時々思っていた。
ところが実は、母は自主的に我々にそのアニメを勧めた訳ではなく、母の同僚の大学生(当時)のお姉さんにとても熱心に布教されたため、我々にアニメを見せたらしいのだ、ということを今日知った。
我々が無事ハマったらしいと知ったそのお姉さんは、「娘さん、グッズとか、街まで一緒に買いに行きませんか?」と提案していたらしいということも知った。生憎当時はアニメで精一杯でまだグッズまで食指を伸ばしていなかったので妹が断っていたらしいとも知った。すべて初耳である。
ここから先は今の私から当時のお姉さまへの感謝の文言になります。
顔も名前も知らぬ当時大学生のお姉さまよ…、あなたが原因で私はすっかりそちらの世界に足を踏み入れ、見事染まってしまいました。一人のいたいけな娘を布教することに無事成功していますよ。アニメを見てすっかりハマってしまった私はDVDと漫画を全巻買い揃えました。そしてその1年後にいわゆる個人サイトの存在を知り、その3年後にはPixivの存在を知り、すっかりその道に転がり落ちてしまいました。お姉さま自身がそうであるかは存じ上げませんが、私はいわゆる腐った道にも入ってしまいました。その後も様々なその手のコンテンツにハマってまいりました。
私の人生はお姉さまにのおかげでとても人生は豊かになりました。ティーンの頃にあれほどハマれたコンテンツに出会えたのはとても幸運だと思っています。もし出会わなかったら人生大分違っただろうな、と夢想することは何度がありますが、出会わなければこれほど感情を揺さぶられる豊かな体験はしなかったことでしょう。とても感謝しています。
オチが思いつかなかった。ぶつ切りで。
コンテンツ名伏せたほうがいい?なんか最初別に悪口書いているわけじゃないし伏せないで公開していいかな、増田検索性悪いし、とか思ったけど、伏せないで公開するのがなんとなく怖くなったので最後に修正することにした。
上手なツイッタラーならこのだらだらした文章を小気味よい140字にまとめられるんだろうな、すごいな…。増田は字数制限ないから、つい冗長に書いてしまうよ。でも増田のそんなとこが好き。
一泊二千円台の安宿に部屋を借りている。安宿ではあるが、値段の割にサービスも質も悪くないのだ。しかし、どうやらこのホテルは霊がいるらしいと、Googleの検索ボックスが教えてくれた。確かに、このホテルは何かうら悲しい感じがしないでもない。礼儀正しいフロントの従業員から鍵を受け取り、エレベータに乗り3階で降りると、真っ暗でソファの置かれた空間にでる。そこの奥には普段は使われていない宴会場があるようで、いつも消灯されているのだった。そして、数段だけの小さな階段を降りて、私の部屋のある棟へ歩く。私の部屋の前にもソファがあって、壁に時計がかかっている。その時計は一分ごとに、「ギイ」という錆びた螺子の音をさせて、心霊ホテルを演出している。
ハムスターが餌をとって自分の巣へ戻るように、私も外から戻るとき、はいつもなぜか足早に部屋へ急ぐ。いつも通り駆け足でエレベータから私の部屋に向かって、鍵を開け、私の部屋につくと、濡れたパーカーを脱ぎ、帽子をとった。靴下にも雨水が浸食して気持ちが悪い。「Do not disturb」の札を下げて何日も封印している私のもので散らかった部屋に帰ってくると、少し安堵した気持ちになった。
この日は確か、目的もなく、見知らぬ駅の周りを歩いた日だった。駅には隣接するビルがいくつかあったが、私が出歩いた時には、商業施設も、映画館も営業してなかった。
飲み屋街を歩いてみた。老夫婦が、腕を組んで歩いていた。若者のグループがテントの下で何か民族的な楽器を鳴らしながら歓談していた。スーツを着た3人の男たちが、「じゃあ、また!」とご機嫌に挨拶していた。私は、なんだか自分がお化けになった気持ちになって、ゲームセンターに向かってみた。ゲームセンターはもうすぐ閉店するようだった。湿っぽい雨の夜に、真っ白な蛍光灯で照らされて冷たく乾燥した空間は、とても無機質だった。カラフルな景品たちがガラスの中に入っていて、それが無数に繰り返されていた。私は、暇だったので、景品の一つ一つを見て、欲しいか、欲しくないか、考えてみることにした。愛らしい丸みを帯びたデザインの動物モチーフのぬいぐるみ、あどけないの顔つきの成熟した身体の女のフィギュア、原色で彩られた小包装のお菓子。どれも夢のようであったが、今欲しいものは、そのどれでもなかった。
スロットやアーケードゲームのコーナーをうろつくことにした。そちらのコーナーは少し薄暗く、音も大きかった。広くて新しい店内ではあったが、時間が時間なので、人はほとんどいなかった。仕事帰りの若いサラリーマン風の男が何かロボット系のアーケードゲームをやっていた。レーシングゲームのコーナーには、若いカップルがいて、二人ともマクドナルドの青い飲み物を飲んでいた。音楽ゲームのコーナーには、もう一人、メガネをかけたサラリーマン風の男が、グローブをしてゲームに熱中していた。
私は、何回も彼らの横を通り過ぎながら、どのゲームをしようか考えていた。でも、うろうろと歩きすぎていいかげん不審者に思われているかもしれない、そう思って、考えるのはやめて個室風に覆われたシューティングゲームをやることにした。そのシューティングゲームでは、ゾンビが次から次へとやってきて、それを銃で撃ち殺していくゲームだった。何かゲームについての説明があったが、その説明の画面が流れるのが早すぎて、理解する前にゾンビが襲ってきた。とりあえず照準を合わせトリガーを引くと、簡単にゾンビたちが死んでいった。ゾンビたちで埋まったパーティ会場から脱出するべく、次から次へと撃っていった。「いけてるかも」普段ゲームをしない私であったが、私がトリガーを引くたびに死んでいくゾンビたちをみて、そう思った。そして、救出しにきたヘリコプターに群がるゾンビにも、乱射をお見舞いした。しかし、次の画面で、何やら今までとは体格の違うゾンビが出てきたと気がついたときには、「Incert coin to continue」と表示されていて、しばらく経って、ようやくゲームが終わって現実に戻ったのだと気がついた。
私が遠回りをして、ゲームセンターからホテルの部屋へ帰る頃には、頭にこびりついたゲームセンターの騒音は消えかけていた。
ふと、私は、黄色が嫌いなことを思い出した。黄色、というのは何か溌剌としたエネルギーを感じる色である。けれど、気狂いっぽいそんな雰囲気も私は感じ取ってしまう。ところで、「ち」というひらがなを見ると、私は、黄色をなぜか連想する。
霊(ち)、地、血、乳。
ち、という言葉には、生生しい印象をうける。
ぴちぴち、みちみち、ぱちぱち、かちかち。
ち、という音は、何か瞬時に飛び出していく感じがするのだ。
私が、黄色を好きになれないのは、私に生気が足りないことを叱られているような気持ちになったから、というのもあるのかもしれない。
前にはてブか増田で読んだんだけど何カ国語も話せる学者さんの話でその人は数学を考えるとき日本語や英語じゃ思考のスピードに追いつかないから1番発音数が少なくてすむ中国語で考える、とかそういう内容だった。
コミュニケーションというのは相手に伝わるように論理的に組み立てて話す、ということは知っている。
知ってるけど、話半分だったりもしくは自分の説明力が乏しかった時に相手が言いたいこと100%理解してくれた時の喜びってなんなんですかね。
これはいつも一緒にいる人や仲の良い人だと身内だけに通じる言葉があったり前提の共有ができてるので起こりやすい。
でも全くの初対面の人でも発動する時がある。
エレベーターに乗っていてしばらくすると夫婦が入ってきた。私はこの夫婦がショッピングではなく映画見に行くんだなとなぜか分かったし、そして、駐車場の階数と売り場の階数が連動していないという不親切な設計のこのビルで映画館の5Fではなく駐車場の5Fを夫婦が押してしまってることにも気づいた。
5Fの映画館に行くためには駐車場のエレベーターでは6Fを押さなくてはたどりつけない。
私はこの夫婦が映画館に行くという確証もないのに階数間違えてますよと話しかけた。
しかしこの階数が連動していないという情報をどうやって言語化すればいいのかその時は分からなくて話しかけたはいいもののすぐ言葉に詰まった。
階数パネルを指してあのー……えーっと…としか言えない私。今思うと完全に不審者。ほんとごめん。
でも奥さんのほうがすぐに「ああ!そういうことね。ありがとう」と言って分かってくれた。
そう奥さんもそれだけしか言わなかった。でも全てが通じ合っていた。なんて頭のいい人かと思った。
傍から見たらまったく会話になってない意味不明の人達だ。なにも論理的ではなくただただ直感によってだけ会話している。
でもこういう時私は脳が快感でたまらなくなる。こういう感覚の遥か光年先に藤井翔太さんの試合中の脳内があるのかなって考えたりする。
だから全てを言わずとも、あーはいはいそれ!というノリで話したい。そしてどんどん言葉が削ぎ落とされノンバーバルになってテレパシーで会話がしたい。エレベーターの中の会話なんてほぼほぼテレパシーでしかない。
5chの有名コピペ「閃いた!」「通報した」。このスピード感こそがテレパシーだ。テレパシーが使えたとき人は快感になる。
だから私はテレパシーが通じる人に稀に出会うととても幸せな気持ちになる。
もし世界線が違えばロジックではなくテレパシー能力が発達した世界になったのかな。
※自分がテレパシー好きなの充分理解しているので仕事の時などは特に気をつけて言語を使ってなるべく論理的になるように努力してます。気を抜くとすぐ長嶋さん論法になってしまうので。
https://anond.hatelabo.jp/20200821145056
>映画館で突発的にデカい声を出してしまう症状があるのなら、席を隅にするなり混雑する時間帯をできるだけ選ばないとかあるでしょうよ。
というかガキ全般連れて歩くなも通るな
https://anond.hatelabo.jp/20200821145056
>映画館で突発的にデカい声を出してしまう症状があるのなら、席を隅にするなり混雑する時間帯をできるだけ選ばないとかあるでしょうよ。
というかガキ全般連れて歩くなも通るな
劇場や電車等の閉鎖空間で変わった人に絡まれて怖い思いをした→相手は知的障害者かもしれない、一方的に突っぱねるのはどうかと思う、みたいな構文をあちこちで見るけど、知的障害者だからなんだってんだと思う。その場にそぐわない行動をされて冷静になれ優しくなれもっと寛容にとか馬鹿じゃねえのか。こっちは怖いんだよ、めちゃくちゃ怖いの。いきなり見ず知らずの人間に距離感ゼロで話しかけられたり、映画や舞台も見ずにこっちをガン見されて、どうやって冷静になれっての。
何度でも言うよ、馬鹿じゃないの。そういう見当外れのお気持ち構文持ち出してくる馬鹿って大概当事者でも当事者の家族でもない、「自分は理解(わか)っている人間なので」ってしたり顔してマウント取ってくる浅はかな馬鹿で本当にイライラする。
怖いの。こっちは怖いんだよ。怖いって言ってるだろ。なんで怖いのに冷静に優しく寛容になれるんだよ、馬鹿じゃないの。じゃあこっちはいきなり見ず知らずの人間に話しかけられたりガン見されると極度に緊張し、パニックになって過呼吸になってしまうので劇場や映画館ではそっとしておいてもらえますかね?一見してわからないかもしれませんけど、そういう症状が出てしまうので。本当に大変申し訳ないんですが。
大体映画とか舞台と買って自分で自発的に安くないお金を払って見に来てることがほとんどなんだから、「自分が作品を見に来ている」ことを忘れてしまうようなレベルの障害者の方が一人で見に来るのか?って気がしますけどね。
お気持ち構文を多用して冷静なアテクシオレサマを気取る馬鹿は自分がそういう場面の当事者になってから口をお開きになってください。突発的な事態に巻き込まれて頭真っ白になった経験があるならそんな薄っぺらいお気持ちなんて言えるはずないと思うんだけど。
言っておきますけどだから知的障害者を排除しろとは一言も言っていません。その場に沿った最低限の行動というものがあって、それを遵守できないような心身状態であるのならば、できる限りの準備をするなり、控えるなりしろと言っているだけです。
映画館で突発的にデカい声を出してしまう症状があるのなら、席を隅にするなり混雑する時間帯をできるだけ選ばないとかあるでしょうよ。
劇場内で舞台ではなく隣に座った人をガン見してしまう症状や、電車内でテンションが上がって見知らぬ人に話しかけてしまう症状があるのなら、映画のジョーカーじゃないけど絡んでしまった人に見せるためのカードを用意するとかあるでしょうよ。そもそも席を離すとかさ。
何もかもできない?知らねえよ、じゃあこっちはどうすりゃいいんだよ、わかんねえよ、他人に寛容さを求めるだけの何かを用意してくれよ。こっちは怖いんだよ。なんでこっちがお金を払って確保した空間に土足でズカズカ踏み込まれて恐怖を与えられた挙げ句、我慢だの逃げだのでこっちが諦めることを強要されなきゃいけないんだよ。理不尽じゃん。どうすればいいの?教えてよ。恐怖を覚えてるのに優しくするなんて全然全くできませんけど?無理ですけど?
大前提として、自分の性的欲求を満たすために赤の他人に絡む最低な輩は誰かに深刻な被害を与えて犯罪者になる前にさっさと病院に行ってください。お前たちは本当に最悪で最低です。治せ。せめて治すようにがんばってくれ。おかしいんだから。
チー牛だのカオナシだの本気が冗談か知らんが余り目にも目についてすげえイライラする
直近でもfateの映画で映画館が臭いだのもちろん陽キャが言うならわかるよ?
でもさこういうので声荒げるようになったのって5chとかtwitterでアニメアイコンしてるような奴ばっかなんだよね
先⽇⾦曜ロードーショーで『打ち上げ花⽕、下から⾒るか?横から⾒るか?』を初めて観て、これがなぜ世間で酷評されているのかが私にはわからなかった。この作品に与えらえた不当な評価を少しでも覆すことはできないだろうか、インターネットの⼤海の中に⼀艘でも肯定的な感想を加えられないだろうか、と思いここに駄⽂を書こうと思う。
誰かに伝えるメディアを持たない私が、おそらく一番⼈⽬に触れる場所、⽅法として本来の⽤途とは違う、この場所、はてな匿名ダイアリーをお借りすることをご容赦いただきたい。
私がインターネット上で⾒た感想、この作品の⽋点としてあげられるものは⼤きく5つに分類される。
・主⼈公に対して都合の良すぎる物語
私は映画化された⼩説、ドラマ化されたアニメ、現代化された古典作品、どれにおいても原作が最も優れた作品だと思っているからだ。また以下の考察はすべてアニメ映画を元にしている。
⽣徒が先⽣同級⽣等に対してセクハラを行うことは、若いからと⾔って許されることではない。実際の教育現場で現在⽣徒たちがどのような発⾔をしているのかは学徒でなくなった私にはわからないが、実態とは関係なくそれを映画館という⼤衆の場で晒すということを、フィクションであるならばこそ考慮しなければならない。
上記は台詞による登場⼈物間で⾏われるセクハラである。そしてもう1つ、映像を通して⾏われる観客へのセクハラも問題だ。それは必要のないシーンでの性描写である。もちろん場合によってそれが必要とされるシーンも存在する。主⼈公である中学⽣男⼦が、ヒロインの揺れるスカートに⽬を奪われることはあるだろうし、後述する都合のいいヒロインは主⼈公の意のままに動くことも肯定される。
しかし、ヒロインが部屋の中で着替えるために下着になるシーン。これは物語にとってこの作品にとって必要だろうか。ローアングルでスカートの中をのぞくシーン、これを誰が求めているのだろうか。せっかく⼈格を与えられて動きだした登場⼈物を、お⼈形遊びによって再び創作物へと叩き落す⾏為は、この作品に限らず、こうした作品においてあまりにも散⾒される。これは私が多くのアニメを観るのが好きでない理由でもあり、⼤衆映画として成功するジブリなどのアニメ映画作品と、ただのアニメとの⼤きな境界でもあると私は考えている。
これは主⼈公が新たなストーリーを始める、過去を巻き戻す、ようにみえる、際に起こる、映像の揺れ、歪みを指す。はっきり⾔って邪魔である。主⼈公の既視感の整合を表現しているのだが、この作品中都合3回も繰り返すのだから、いい加減主⼈公も慣れてくれ。初めの1回で観客は慣れている。この表現の過剰さ、強弱の無さがこの作品をやや分り⾟くしている要因であると私は思う。
以上3点においてこの作品を酷評し、つまらないと思っている⽅はもう少し我慢してこの駄⽂を読んでいただけないだろうか。これから4つ⽬について反論し、5つ⽬のわからなかったという⽅のために私なりにこの作品を解説したいと思う。
好きな⼥の⼦が夏休みの間に転校することを知った、主⼈公はその最後の1⽇を⼀緒に過ごすために、うまくいかなかったこと、失敗したことを、もしあの時こうしていればと、何度もうまくいくまで繰り返す。
確かにこの作品は都合の良すぎる物語である。主⼈公は意のままに時を戻すことができ、ヒロインはいつの間にか主⼈公を好きになる。この作品にはハラハラドキドキという⼭場、⾼揚感が⼀切ない。壁にぶつかっても努⼒無しに乗り越えてしまえば、観客たちは何のカタルシスも得られない。感情移⼊も出来ない。
しかしここに⼤きな誤解がある。この作品はタイムリープものではない。主⼈公は好きなように時を戻すという能⼒は与えられていない。彼は主⼈公だからといって特別な能⼒を⼿にしたわけではない。私たち観客も皆持っている能⼒を使って物語を作っている。それは「もしも」である。
この作品はすべて主人公の妄想である。実際に時を戻しているわけでも、本当のヒロインが主⼈公のことを好きになったわけでもない。ただ妄想の世界で主⼈公が願った通りに物語が進⾏しているだけなのだ。すべてが都合良くいくのはこれが理由だ。
⼀般に妄想で物語を終えることは、くだらない、夢オチかよ、などと⾔われるが、この作品においてはそれが許される。なぜならくだらない妄想への批判こそがこの作品の根幹であり、テーマであるからだ。
単⼑直⼊にこの作品を述べると、
【好きな⼥の⼦が⾃分を好きになってくれない現実を受け⽌められずに、妄想の中で⾃分のことを好きな彼⼥を作り上げる、という思春期の愚⾏】
を丁寧に描いた作品である。原作が、恋愛と友情との天秤を主題に据え主⼈公に⼩学⽣を置いたのに対し、思春期の始まりである中学⽣を主⼈公としたのはここに意味がある。
ではどこまでが現実でどこからが妄想なのだろうか。いつからヒロインは主⼈公に都合良くなっていったのだろうか。この作品の現実はこうである。
主⼈公を差し向けるという形でライバルに振られたヒロインは、親に無理やり⼿を引かれて引っ越す。それを⾒た主⼈公はライバルを殴る。新学期が始まり、先⽣が名簿を読み上げる。そこに転校したヒロインの名前はなく、主⼈公は学校に⾏っていない。
つまり「もしライバルに⽔泳で勝っていたら」からラストシーン⼿前までがすべて妄想である。
妄想であるという根拠は後述するとして、この作品をわかりにくく、かつ魅⼒的にしている謎について先に解説していきたい。
ヒロインは花畑で主⼈公に何を語ったのか。そして主⼈公はなぜライバルを殴ったのかである。
このシーンを境に妄想が始まっているので、妄想の動機、この物語において最も⼤事な出来事であるといっても過⾔ではない。
この物語の中で唯⼀、意図的に観客に隠されているシーンがある。それはライバルの代わりにヒロインを病院へと迎えに⾏った主⼈公と、ヒロインとの会話である。
「なんで島⽥くん(主⼈公)が勝つと思ったかわかる?」
その後に続く台詞は省略され、次のシーンではヒロインは主⼈公から⾛り去ってしまう。これを聞いたことで主⼈公はライバルへと怒り、結果として殴ることになる。ではその内容はどのようなものであっただろうか。
ヒロインがライバルにプールで告⽩をし、花⽕を⾒に⾏こうと誘ったこと。しかし振られてしまったこと。再婚で転校しなければならないこと。そのために「家出」をしたいこと。その後の妄想の種となる部分を聞いたのは間違いないだろう。ただそれだけではないのは明確である。それだけのことなら省略する意味がないからだ。
ここで妄想前後のライバルの変化について注⽬したい。プールで勝ったライバルは、主⼈公がヒロインを好きなことを知っていて、それを応援している。主⼈公とヒロインが⼆⼈きりになるようくだらない理由をつけ、また逆に⾃分とヒロインが2⼈きりにならないよう振舞っている。しかし、プールで負けた彼の態度は⼀変する。主⼈公とヒロインが2⼈きりでいることに苛⽴ち、主⼈公への不満を露⾻に表す。後者は主⼈公の妄想をもとに作られているということは重要な点だ。妄想後にプールで負けたライバルは妄想前にプールで負けた主⼈公と同⼀なのである。
ライバルは⾃分へと向けられているヒロインの好意に気付いていたのではないだろうか。しかし、⾃分はヒロインのことを、少なくとも主⼈公がヒロインを想うよりは、好きではなく、告⽩されても振ると決めていた。なぜならそれに対して主⼈公が苛⽴ち、ライバルへ不満を持つことをわかっていたから。そしてライバルがそのように思っていることを、ヒロインも察知していたのだろう。それが上述の発⾔「(主⼈公)が勝つと思った」につながっている。
転校前に最後の思い出が欲しかったヒロインは、ライバルへの告⽩を決意する。その結果はライバルが⼿を抜くという形で、主⼈公の勝利という形で、実際に想いを伝えることなく、判明する予定だった。しかし、実際には主⼈公のアクシデントによってライバルが勝ち、主⼈公の⼝からヒロインは⾃分がライバルから振られたことを告げられる。
そのことを聞いた主⼈公は、親に⼿を引かれるヒロインが「助けて」と⾔った相⼿が本当は⾃分ではなかったこと、ライバルのヒロインへの適当な態度に対して怒り、ライバルに殴りかかったのだ。
そして主⼈公の妄想が始まる。もしあの時⽔泳で勝っていたら、ヒロインがライバルに振られることはなかったのではないか。ヒロインを助けるのは⾃分だったのではないだろうか。ヒロインは⾃分に対して告⽩してくれたのではないか。
妄想であり、ヒロインは⾃分のことが好きではないとわかっているから、花⽕⼤会へは誘われるものの、告⽩は⽔の⾳にかき消されて主⼈公の⽿へは届かない。
この告白のシーンは主人公自身だけでなく、観客をもごまかし誤認識させている。プールで勝った方を誘うと言うヒロインの言葉をそのまま信じてしまえば、主人公が勝ったことをヒロインが喜んでいるかのように、まるで現実では主人公のことが好きだったのに負けてしまったから不機嫌になったかのように誤解してしまう。制作者は上述した会話の意図的な省略により、ここで主人公と共謀して観客を妄想の中に引き摺り込んでいるのだ。
妄想が進むにつれて、主人公はヒロインを自分の都合の良いものへと作り替えていく。「家出」であったはずのヒロインの⼩さな反抗は「駆け落ち」へと変わり、浴⾐から⽩いワンピースへと⾐装が変わる。
主⼈公は⼀度は変な花⽕の形を⾒てこれが妄想であると気付くものの、妄想の中のヒロインに2⼈でいられるならどっちでもいいと⾔われ、世界を好きなように変え始める。海の上を⾛る電⾞、レンズに囲まれた世界。
「これは典道くん(主⼈公)がつくった世界なんだね」
世界のおかしさを気にする主⼈公に対し、同じおかしな存在である妄想のヒロインは世界をおかしいとは気にしない。その後主⼈公の望み通りにキスをしたヒロインは
「次会えるのはどんな世界かな?」
という⾔葉を残していなくなってしまう。
そして主⼈公は妄想の世界から抜け出せないまま、現実が始まる。主⼈公が今も妄想の世界を渡り歩いているのかは明らかにされずに物語は終わってしまう。
上記の論の根拠となる、妄想の開始位置を示す手掛かりは3つある。
1つ⽬は⾵⼒発電のプロペラの回転方向である。現実では時計周りに対し、妄想が始まると反時計回りに回り始める。おかしな世界になってからはプロペラが回転を止め、妄想世界が破綻すると再び時計回りに動き始める。
2つ⽬は「茂下(もしも)」という駅名、町名である。駅舎や標識などで度々映り込むこの地名は、現実世界では⼀度も登場しない。
そして3つ⽬、ヒロインの表情である。同じシーン、プールサイドでの告⽩で比較するとその差が顕著であるが、現実のヒロインは感情を顔に出さないのに対し、妄想のヒロインは常に笑顔で表情が豊かである。これこそがこの世界は主人公の妄想である明確な根拠と言える。今⽬をつむり、頭の中にあなたの好きな⼈を思い浮かべて欲しい、おそらく彼、彼⼥はあなたに対して微笑みかけているはずだ。
『打ち上げ花⽕、下から見るか?横から見るか?』は、誰しもが思春期の始め、クラスメイト、芸能⼈、またはアイドル等々を相⼿に、通ってきた道、妄想という愚行を再体験させる、素晴らしい⻘春映画だ。もちろんこれは私なりの解釈であり、皆さん⼀⼈⼀⼈の考えを否定するものではない。ただ私のこの⽂章を読んでいただいた⽅が⼀⼈でも、もう⼀度この作品を観返そうという気持ちになって頂けたのなら、幸いである。
私は、茨城県南のつくばではない市に住んでいる。茨城在住ではない人は茨城について魅力度と納豆ぐらいのイメージしかないだろうが、つくば市は茨城の市というより「筑波研究学園都市」として馴染みがあるだろう。約300の研究機関、2万の研究者を擁し、そのヤバさたるや時に「悪の組織」などと言われるレベルである(実際には多分悪の組織ではない。JAXAの見学とか楽しいし)。秋葉原からつくばを45分で繋ぐつくばエクスプレスが走り、キャンパス敷地内をバスが走るクソやべえデカさの難関国立筑波大学があり、国際会議場があったりもする。茨城にこんな重要そうな場所があっていいのかと思う。
私は、つくば市に原因不明の憧れを持っている。上につくば市の良い(と思われるところ)を挙げたが、それらが理由ではない気がするし、幼い頃から日常的につくば市に行っているのでつくば市への幻想は砕かれていると思う。実際にはホイホイその辺の歩道をロボットが走っていたりはしないし、他の市よりは発展してはいるものの都会を名乗れるほどではないし(なんなら筑波山ふもとあたりはクソ田舎)、国際会議場のレストランの冷やし中華はマズいし、あと交通の便がめちゃくちゃ悪い。つくばエクスプレスはあくまで東京との行き来に便利なのであって、現地民が使うには駅の場所が微妙だし高い。乗ったことないけど通学で使ってた友達がやりづらそうにしてた。あとイーアスへの交通の便も悪い。
それなのに、私はオシャレな街を思い浮かべるとき、渋谷や横浜、名古屋などではなく、曇り空の洞峰公園近くの道路や、日が落ちた後の竹園などを思い浮かべる。3DSのNintendogs+catsの街みてぇな雰囲気のところに住みてぇなと常日頃思っているのだが、それと同じノリでつくばのことが思い浮かぶ。もしかしてつくばってなんかの開発のモデル都市とかになってたりする?よくわからん
自分の住んでいる市が嫌いなわけではない。故郷なわけだしむしろ好きな方。研究学園都市に比べればクソ田舎だが。
田舎者なので先程挙げた渋谷などのようなゴリゴリの都会への馴染みが薄いというのもあるかもしれない。それに比べてつくばの安心感たるや。両親は結婚する前、つくば近郊で働き、つくばのアパートで同棲していた。私は幼い頃はつくばにピアノのレッスンに行き、その発表会をイーアスのホールでやり、シネプレックスつくばに映画を見に行き、国際会議場まで入試を受けに行った。多くの場所がメチャクチャ馴染みがある、かといって自分が住んでる市ほど詳しくはなく、僅かな「特別な場所」感が残っている。つくばは私にとって東京よりも身近な都会なのだ。クッソ高えビルとか巨大な画面のついたビルとかヤバいほど歩いてる人とかに慣れていない私にとってはこのぐらいがちょうどいい。私の家の前歩道の白線すらないし。
これからも世界に羽ばたいてくれ筑波研究学園都市。あとはバス多くしてどっかにアニメイトとかデカめの映画館とか建ってくれたら最高。上映館が少ない映画は柏か水戸まで行かないと見られないことが多いし、シネプレックス死にかけてるし。
住みたいかと言われれば交通の便から微妙だけども、いつか1日かけてつくばをゆっくり見て回る日を設けてもいいかなと思っている。観光名所などではなく、幼き日のピアノ教室だったり、今はもうないアジトオブスクラップの近くのパン屋だったり、母が馴染みだったと言って連れていってくれた洋食屋やケーキ屋だったり。そこで美味しいオムライスを食べながら、受験説明会の時に国際会議場で食べた冷やし中華はクソ不味かったなあと感慨に浸りたい。
スピンオフ元であるプリティーリズムレインボーライブは未履修だったし
ある日、突然に、落ちた。
落ちたというよりは、突き落とされたとか引き摺り込まれたといったほうが正しいかもしれない。
エリートの巧みな誘導により、プリズムのきらめきを浴び、摂取し、そして世界が輝いて見えた。
私は目を輝かせて浄水器でも壺でもブレスレットでも買っていただろう。
だけど私が買ったのは、スタァジュエルだった。
キンプリにハマり、映画館やイベント、コラボカフェに舞台など様々なところへ足を運び
それまでインドア派のオタクだった私は初めて「現場のオタク」になったが
1番多く触れたのはやはりアプリ「プリズムラッシュLIVE」だった。
つらい事があった時は景気付けに
嬉しい時は祝砲がわりに
頑張った時はご褒美として
自転車や馬でお届けに来てくれるスタァたち、
大抵は渋い結果に苦笑しながらスクショを撮り
たった2作の劇場版と1クールのアニメを飽きずに擦り切れるほど見たが
ラッシュくんの中では新しいストーリー、新しいキャラクターが生まれ
スッスッスがアニメになって
ロズパがあってスパライがあって
キンプリと共に生きていけると思っていた。
サ終は悲しい。
ラッシュくんと過ごした3年間を忘れない。
私は誓う。
精一杯生きることを。
ありがうとーーーー!!!!!
自分について
・○○県って人住んでないんでしょ?と言われるような田舎に住んでいる
・そろそろ30歳
・免許はあるけど遠近感とか内輪差とかを掴む力が著しく低いので車の運転ができない
・愛嬌なし ブス
・頭悪い
なぜ家を出たいのか
・母親と折り合いが悪いのとニートの弟が家にずっといてうざいので離れたい
・監視と噂が大好きな田舎のおばさんになることを強要されるのが嫌だ
・オタクなのでコミケやスパークやナンジャタウンや音響の良い大きな映画館やコラボカフェや特典つきの単行本が手に入るような書店に軽い気持ちで行ったりしてみたい
・ユニクロやGUに行くことですら自転車で1時間半や2時間くらいかかる人生をやめたい
・「普通の人でいいのに!」を読んでから都会人への嫉妬が心の内でますます増大して荒れ狂っている
ふらっと気軽にライブだの古書店だのに行って放送作家の知人がいるような環境にありながらあんなに不幸せそうに振る舞ったり経理を馬鹿にしたりできるってすごい世界だ
・「この割れ切った世界の片隅で」も読んだ あの子を責めるような反応の多さにもムカついている 都会人が憎い 田舎が憎い
・実家に犬がいるので犬がいるうちは出たくない
・地元が推しジャンルの聖地で(今はコロナで諸々中止になってしまったが)年に何回かイベントがあるのでそれに参加し辛くなるのがネック
・毎週漫画雑誌を買っているのだが一人暮らしをするとなると置き場所が…………推しのグッズの置き場もどうするか
・転職ができるのかどうか 体や心を壊したら元も子もないのでなるべく楽な感じの仕事がいいが選べる立場ではないと思うのでここが一番不安要素
・父親の遺産があるのだがそれを今から使わせてもらえるかどうか分からない(自分の貯金は当面はある)
・病気になった時誰にも頼れない
言うだけ!
映画館でジブリやってたからもののけ姫観に行ったらめちゃくちゃ良かったんで
翌日千と千尋も観に行ったら隣席ガチャが最悪でかなりのストレスだった。
ポップコーンあんなでけえ音立てて食える奴初めて見たわ。しかも女かよ。
靴脱いで椅子に足乗せてるのが輪をかけて苛ついた。日比谷シャンテな。
あれ高い金払ってるからそうなるのか知らんが行儀悪い奴だらけですげえ印象悪い。
逆の隣に配慮しないんで腕とか普通に伸ばして視界が遮られたりもする。
リラックスの仕方が見苦しいのが視界にギリギリ入るんですげえげんなりする。
他県のマジでガラガラな映画館まで行くのが一番リスク少ないけど
基本行かなくていいやってなるわな。
障碍とは何なのか。我々が障碍と呼んでいるものは進化の可能性かもしれません・・
映画を見るか迷っている人は予告動画をみれば話の筋がだいたいわかると思います。
今作はお涙頂戴要素はほとんどなくて終始ワクワクしながら見るタイプです。
両腕には羽がありドロマエオサウルス類かトロオドン類のような外見ですが、未発見の種で名前がないため劇中では「新恐竜」と呼ばれています。物語が進むにつれ彼らが鳥類の起源のひとつであることが明らかになっていきます。新恐竜は高所から飛び降りることで滑空飛行をするようです。一方で多くの鳥類は羽ばたき飛行ができます。彼らはどうして羽ばたき飛行を獲得したのでしょうか?
キュウは新恐竜の中でも脆弱な個体です。彼の体は小さく空を飛ぶことができません。障碍のせいでいじめられ仲間にいれてもらえません。
強者と弱者、健常者と障碍者。これらは環境の変化で簡単に逆転し得るのです。
のび太の落ちこぼれ描写はいつも以上に執拗です。同級生たちからバカにされてものび太は怒ることすらしません。のびたは自信を失い、自分自身を見捨てているかのようです。
作中しずかは自暴自棄になっているのび太にあなたはやさしい人だと語りかけます。「のび太の結婚前夜」から続くおきまりのフレーズですが、今作ではそれとは異なる特別な意味を持っています。
物語ラストにおいてキザなお兄さん(名前なんだっけ?)が人類の進化について言及します。彼の語る「やさしさ」とはのび太のことでしょう。現代の社会において落ちこぼれにみえるのび太もまた、人類の進化における無数の鍵のひとつなのです。
恐竜!恐竜!恐竜! 恐竜が3DCG なんだけれどもね、恐竜もカメラもめっちゃ動くの!映画館で見ると大迫力!すごくいい!!
冒頭にでてきた博物館は!恐竜キッズの聖地!福井県立恐竜博物館だーーー!!
のびたくんが調べている図鑑は! 小学館の図鑑 NEO 「恐竜」だーーー!!
あれ持ってる!あれ知ってる!の連続なんですよ。うちの恐竜キッズも大興奮です。
1作目「のび太の恐竜」はフタバスズキリュウを当時中学生の子供が発見したことが元ネタで、「裏山を掘って恐竜の化石を発掘」は多分当時の子供達のリアルな夢だったはずなんですよ。今では「福井県立博物館の化石発掘体験で恐竜を発見」が現代の子供達の夢なんでしょうね。福井でたくさん新種の恐竜が発見されているとか近年中国で羽毛恐竜がたくさん発見されたとかそんなところ全部拾ってつくった夢なんですよ。
みんなだって子供のころ夢見たでしょ?化石発掘体験で新種を見つけて学芸員さんに「こ、これはーーーー?!」とか言われるのワクワクして妄想したでしょ?身近な夢から壮大なスケールで大冒険ですよ。これがドラえもんですよ。大好きです。
ふつうは恐竜映画つくると安易にティラノサウルスとかだしちゃいそうでしょ?この映画はそういうことしないの。
舞台は過去の日本なんですけれども、映画に出てくる恐竜もみんなアジアの恐竜なんです。
劇中では「ティラノサウルスの仲間」みたいな呼ばれ方をするのですが、映画館で配られる小冊子に恐竜図鑑が載っていて彼の本当の名前がモンゴルで発見された「タルボサウルス」であることがわかるのです。劇中でもドラえもんが「この時代日本はまだなくて大陸とくっついていたんだよ」と解説していてバッチリです。恐竜キッズって設定にうるさいじゃないですか。こういうのって素敵です。
子供向けなのに全然手を抜いていないのすごいね。逆かな?恐竜キッズ相手だからこそ真剣に考えて作ったのかな?
秘密基地みたいなやつ。あれの設定・元ネタはたぶん「ドラミちゃん ハロー恐竜キッズ」から。
●●●●●●●●はなんでドラえもんやのび太を見逃しているの?なんて我々おたくが100回くらいネタにしてきたじゃないですか。
この作品は真正面から取り組んでいるんですよ。のび太くんが●●●●ところが個人的ハイライトです!めちゃめちゃワクワクしました。
この部分だけでも小一時間語りたい感じなんですけれども完全ネタバレトークが許されるのっていつ頃ですかね・・・?
のび太って過去で未来で世界を救いすぎもはや手を出せないんでないの?みたいな話ししたいんですけれどもだめですかね・・?
うちの恐竜キッズが喜んでいたから100点満点中10000点です
よかったです