はてなキーワード: 映画館とは
「そうやって自分とは行動規範が異なる他者に不寛容であることが、回り回って満員電車のベビーカーに舌打ちするような冷たい社会を作ってるんじゃないのかい? そもそも映画は娯楽さ。他人の行為にいちいちケチをつけるよりも、みんなで笑い、泣いて、拍手する方がずっとハッピーじゃないかい?」
何も言い返せんかったわ、、、、
コロナで上映が伸びたりディズニーが配信でムーランやるとか言ったりして映画館いるいらない話が盛んだ。
俺は年間100以上映画館に行くそこそこの映画好きだと思うが、もう映画館は要らないんじゃないかと思う。
というのもコロナで映画館いけなくなってから整えたホームシアターがまじ快適だから。
プロジェクター、スクリーン、スピーカーで3万以内の安セットから始めたがびっくりするぐらい画質も音質も良い。ちゃんとした遮光カーテンで暗闇にすれば本当集中できる。
そもそも映画館の隣の逆ガチャが嫌いだった。1900円払って携帯チカチカさせたり遅れて入ってきていつまでも喋ってるアホが隣だとクソ萎える。家だとそんなことはない。
今映画館は一つ空席が基本だから良いかと思いきや、こないだ一つ開いてる先の連れと喋ってるやつがいてげんなりした。
もちろんスターウォーズやアベンジャーズなどの話題作では拍手がおこったり、コメディ映画をみんなで笑って楽しむのも好きだった。
でもあまりにも映画館で見ることによるマイナスが大きいし、ホームシアターのクウォリティも高いので配信に切り替わっていって欲しい。
最初は映画館でもやるし、配信でも同価格でレンタルという並行みたいな感じで進んで欲しい。レンタルは一度再生し始めたら巻き戻せないとかの仕様でも良いと思う。
今朝は寝ているときに緑茶を床に大量に溢してしまっていて、今日は布団干しは必須であった。
NHKの天気予報は夕方まで晴れ。アレクサが表示している天気予報は正午が雷。
アメッシュで確認するといつもにわか雨が降りがちな遠い山の方が雲が沸き立ち振りだしている。雲の流れはこちらに来る可能性もなくはないが遠い。平野部を通るうち萎み未到達に終わるはず。
NHK天気を信じ全て干したまま外出。
映画が終わり外に出ると、来たときは快晴で眩しかった日差しが今は薄暗く、地面にはうっすら濡れた跡が。
賭けに負けた…ッ!今夜布団に寝られるのか…?布団巻きジローに行くことになる?凄い出費だ…と暗い気持ちに駈られつつもアメッシュを二時間巻き戻してみてみるとなんと、家の周りだけ雨雲は華麗に避けて流れているではないか…!
急いで帰る帰り道、家の方角は暗雲立ち込めて稲光がビカビカ紫に迸っている。
アメッシュのレーダーは相変わらず何故そこだけ避けるのか家の辺りは降っていない。アメッシュを信じている。しかしタイムラグはある。
はらはらしつつ家に戻り強まる風に布団がふっ飛んでいないことに安堵しつつ急いで布団と洗濯物を取り込んだ。
安心すると現金なもので雷を見たくなる。ゴロゴロ音はし、辺りは薄暗い。
からからに乾いた喉を麦茶で潤しながら何度となくレーダーを見る窓の外を見るが一向に降らない。
降りそうで、降らない…
帰宅してからかれこれ一時間半、雷はゴロゴロ聞こえるが未だ降らず。
15時になってしまった。
田舎と言っても、県庁所在地の隣町で、映画館付きの大型ショッピングモールや有名どころのチェーン飲食店が軒並み並ぶベッドタウン。
この度子供も産まれたことなので、家を買おうと思って土地探しをしているが、なかなか予算と希望立地に見合う土地が見つからない。
そんな中、広さも駅からの距離もそこそこよく、価格が安めの土地を見つけ、地元工務店の営業マンにここの土地が気になると相談した。
数日経って、その営業マンから、「その土地、実は〝そういう集落〟なんですよねぇ」と、言われた。
言われた瞬間、あぁ。。。と値段の安さを理解したがなんだかとってももやもや。
地元の図書館でいろいろ調べるもそこがそういう土地だという確証は持てず。
そういう関係の本を読んでみたけど、不動産業者がそういうことを言うのも問題視されてるみたい。
何が正しいのかわからないけど、この令和の時代に、そこそこ栄えてる地方都市で、未だにそんなことを言われる地域がある事にびっくりした。
元々この春に公開だったが、コロナ騒ぎで延期してて、ようやく昨日から上映開始。
個人的に人生最初に映画館で見た映画がのび太の恐竜で、それから長い長い時を経て、子供と一緒にのび太の新恐竜を見てる自分に感慨深いものがあった。
さて中身。
以下ネタバレもあるので、内容を楽しみにしてる人は読まないでね。
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あの話は無かったものとして、のび太がジャイアン&スネ夫コンビに「恐竜を見せてやる!」と啖呵を切る所から始まる。
以前のピー助は歴史的にもちゃんと日本にいたフタバスズキリュウだったが、今回は謎の新種。名前が無いので物語中は新恐竜という名前で通される。
姿は始祖鳥。始祖鳥似なんだから鳥の子孫な訳で、物語もその鳥になる系統の新恐竜の特性を軸にしたストーリーが展開される。
産まれたての新恐竜に翼があって、成長して飛べるようになるまでのお馴染みのやつ。
飛べるように頑張る、でも飛べない。
何度も努力する、でも飛べない。
でもでも最後に?ってやつだ。
TV CMやってる木村拓哉は途中から出てくる。こいつはまぁまぁ重要なキャラで、ネタバレすると話が興醒めするので書かないが、小さめのどんでん返しがある。
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いつも思うけど、ゲスト声優で有名人連れてくるのはどうだかなと思う。
俳優が声を当てても大抵は合わない。演技とキャラがどうにも合わない。今回は芸人とかじゃない分、ましだったが。
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さて話を戻して。
今回は話の舞台は白亜紀。恐竜時代の最後の時期なのを利用したプロットになってます。
因みにフタバスズキリュウのピー助も白亜紀で、この物語の中でも実はピー助が出てきます。
でも正直、ここは話交じるけど出して良いのか?とも思った。そもそも前作見てない良い子の皆んなはピー助知らないだろうに。
その他、生物学的に疑問が出る箇所があったり、恐竜がCGだったり手書き風だったりが混ざってたり。ストーリーも絵もあちこちで粗さが見えた。
小学校高学年にはアラが目立つかも。
今回は50周年記念作と言うことでもうちょい頑張って欲しかったが、短い夏休みでどこにも行くとこないなと言う子持ちの皆んなは映画館に足を運んでみて欲しい。ガラガラだから映画が潰れないよう映画好きは少しでも貢献してね。
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おまけ。
9歳の妹が姉に「生写真とメイキング付きの巫女の口噛み酒」売って金にしたら?と発言した時点でダメだった。
もう映画を楽しむ気持ちは消えていた。なんで9歳が自分達の性的商品価値を把握してんだよって、中身おっさんじゃねーか。少女たちを操縦してるおっさん見えちゃってるじゃねーかって。
三葉もそれ聞いて恥ずかしがって赤面してんじゃねーよ。そこは「そんな汚いの売れるわけないじゃん」が真っ当でしょうが。
なんで売れると思ったんだよ中身男だろ完全に。さやかが「神様もあんなものもらって嬉しいのかねえ」と言ったら、てっしーが「バッカ嬉しいに決まってんだろ」ってオエエ(嘔吐)
「当然の様にJKの唾液をありがたがる世界が受け入れられないなら、すぐ映画館から出るべきだ」と言われた気がした。くそう。
「ぼくも三葉ちゃんの口噛み酒飲みたーい!フォヌカポゥ!」とサイリウムを振る人々の中に入るのか・・・なんだよ!「ヒット作で泣きたい」ってこんなハードル高ぇのかよ!
開始早々の祟り神戦は、アニメ映画の中でも屈指の爽快なアクションシーン。
激しい動きのようでいて人間の目の動きをよく押さえていて、ただ画面を揺らして画面酔いさせるようなものとはレベルが違う。
音楽も画面と完全にシンクロして印象的な金属音ともあいまって脳汁ドバドバである。
その後、アシタカが西国へ赴く場面は多くの人が言うように素直に号泣するしかない。
一見のどかな田舎の風景でも病や飢え、戦が絶えない非常に厳しい世界であること、シシ神の森の不思議さやタタラ場の異様さなどが自然と配置され、複雑な背景を解説無しですっと飲み込ませる演出はまた最高。
思うに、エボシは、高級遊女か何かで上流階級とツテがあり、そこから師匠連とつながって石火矢の技術や、もしかしたらタタラの技術も手に入れたのだろう。
ただし、おそらくきちんとした後ろ盾はなく、師匠連やその上の人たちから見て使い捨ての手駒でしかなく、地侍などと組んでも主導権を奪われかねない危うい立場であったと思う。
そこで、手っ取り早く勢力を築いて生き延びるための手段として、自分を裏切らない捨てられた女達と病人を利用し、そのことに本人も自覚的だったと思う。
だから、「曇りなき眼」発言で大笑いしたのには、意表を突かれたこともあり、また多少は青二才に対する嘲笑もあったと思うが、自嘲の成分もある気がして目頭が熱くなる。
結局、神々たる自然に向かっていくのは、人間の地から追われた弱い者たちであって、「最初に人が自然を侵したのだ」としたり顔でいう人間に限って、人間の地の真ん中でのうのうと生きているという欺瞞に気が付いたから、エコを前景から引っ込めたのではないかと疑っている。
ジコ坊というのも面白い人物で、徹底的に現実的な前線指揮官であるにもかかわらず、結構な遊びがある。アシタカのようにやけに戦闘力の高い不審な若者を、自分の関係先に送り込んだりする。
作中に天朝様の御文が出てくるが、基本的に師匠連の目的は神殺しとそれによる更なる権威の増大である。
ジコ坊のセリフで「神殺しは怖いぞ」というのがあるが、彼は以前にも神殺しに関わっているともとれる。
怖いのは神による祟りだけなのか。神殺しの英雄は、権威を求めるものにとって邪魔なのではないか。ジコ坊は神殺しに関わったために、いい年して最前線に送られているのでは。ことが済んだとき、エボシの立場は非常に危うい。
たぶん、ジコ坊が「神殺しは我々でやろう」と部下に言ったら、その時点でエボシは殺されてしまったかもしれない。
新幹線の乗車率が引き続き低調とのことなので、JR各社には新幹線の空席をテレワーク用に格安で販売して欲しい。
到着地の駅構内からは出られず、在来線への乗り換えもできず、1時間以内に復路の車両に乗らなければいけない、という条件で。例えば、東京〜新大阪の往復乗車券と指定席特急券でのぞみなら1万円、こだまで6000円とかどうだろうか。
のぞみの場合は往復5時間、こだまの場合は往復8時間強制的に缶詰になり(書いていて思ったが、だったらのぞみとこだまの料金は逆でも良いな)、集中して作業ができる。作業に疲れたら車窓からの風景を楽しむもよし、車内販売でコーヒーを頼むも良し、到着地では駅ナカグルメを楽しんだり、お土産を買うこともできる。
最近は各席にコンセント付き車両も増えてきたし、wifiが飛んでる車両もある。まぁwifi無しの方が集中できるとして人気になるかもしれないが。
もちろん感染対策で、隣は誰も座らないようにし、2人以上は予約できないようにすれば良い。またこのプランで予約した場合、飲酒禁止を条件にしてしまうのもアリかもしれない。
新幹線もホテルや映画館と同じ稼働率産業だ。追加の投資も必要無いし、空気を運ぶぐらいならこんなプランを提供して欲しい。使う側だってどうせ旅程を決める必要は無いんだから、通常席の売れ行きを元に1週間前〜前日に売ってもらえれば十分だ。
コロナが流行りだして自粛を余儀なくされているけど、バイトも辞めたばかりでしてないし本当に大学以外で出かける用事がなくてその大学もオンライン授業だから、この半年間月に二回程度しか家を出てない(マスク着けるの嫌いだから尚更出たくない) あと買い物は通販に任せてしまう
外出ない生活に何の問題もなく暇つぶしも色々試せて悪くないな〜とか思ってたけど、ふとスケジュール帳をみてもう半年というか8月なことに震えた 自粛前のスケジュール帳とか月に数回ライブで遠征したりしてたのに、それがキッパリなくなって真っ白で寂しい
テレビ番組や映画館とかソーシャルディスタンス守ってアクリル板とか距離を守ってるけど違和感しかなくて、もうほとんど見なくなった
ライブはいつまでも出来ないし、コロナが収束してもソーシャルディスタンスが続くならちょっと嫌だ 密がしたい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
早くマスク付けないで出かけても許されるようになって欲しいな〜
いつまた閉鎖されるか分からんから映画館に行ってきたんだが、「邦題が酷すぎる映画ランキング」生涯ワーストをぶっちぎりで更新してくれたので怒りがいまだに収まらない! だから書き捨てるッ!
原題が"Trafikant"=タバコ店だから訳しようがないのは分かるが、この題名でR15指定なら、フロイト教授の夢判断で性的なリビドーがスッキリ解消する過程でお色気シーンがムッフッフ、みたいなの期待するじゃん! でもセックスシーンは合計1分未満なんだよ! ていうかフロイトは主人公に通り一遍の恋愛指南をするだけだし、むしろ話の流れとしては主人公がフロイトに与えたアドバイスの方が重要じゃねえか! どうなってんの全く!
…ということで邦題の酷さにはゲンナリしたものの、映画そのものは良い出来です。
登場人物の設定や属性でどういう扱いをされるか予想できる、ということは映画を見慣れてくるとままあるものですが、例えばタバコ店の主人は片脚が不自由だったり(これでヨーゼフ・ゲッベルスを思い出せる程度の前提知識が求められますが)、主人公の初恋の相手がボヘミア出身だったり、という設定が実は伏線としても機能しているのは手際が素晴らしい。他にも「葉巻は男性のペニスの象徴で…」みたいな読解もできそうだけど、私はその辺の知識が無いので詳しい人お願いね!
私はオバさんだから、中学生のときに映画館でリアルタイムで見たよ。しかも一緒に行った友だちが「面白かったからもう一回見よう」というので2回。映画館で今回初めてナウシカを見る世代が結構いるようなので、自分の歳を実感した。
その後DVDが発売されれば即買いし、テレビで放映されるたびに見ている。自分はテレビの前に2時間とか座っていられない方なので、面白そうだと思った映画でも録画するだけで見ないことが多いのだが、なぜかジブリ映画だけは何度放映されても見ていられる。若い世代の人にもその良さが伝わることが分かって嬉しい。
この増田のせいでもののけ姫観るつもりがナウシカ観てしまった。どうしてくれる。
漫画版ももちろん大好きだけど、音と声と動きとがあって感覚全部使って揺さぶられる。
ただでさえすごい映画で、何回もテープやDVD見てるのに、それをおまえ映画館で観たらさあ…
腐海や蟲達の描写とか、一歩間違えればめちゃくちゃグロいし目を背けたくなるだろうに絶妙に綺麗。初っ端の腐海描写が全面青っぽいのが海の中みたいで嫌悪感減↓とか、王蟲の威厳とか。
傷付いたウシヤブの守ってあげたくなる感とか。
ここで蟲描写に拒否反応出てたらナウシカに同調・共感できないもんね。
すごい。ほんとにすごい…
あと場面がすごい速さで展開してる。
1日目→ユパ救出、風の谷到着、深夜に艦墜落
2日目→トルメキア軍に制圧される
3日目→朝からペジテに出発、アスベルに襲撃される、腐海泊まり
4日目→ペジテ行って捕まる、脱出(ここのコルベットと会敵して逃げるときの音楽だーいすき!!!!ありがとう久石譲)
5日目→なんやかんやで終幕
書き出したら5日だった。
あとは自身の子が出来てから初ナウシカだったので、ちょいちょい親目線の感想が入るようになった。
ボロボロボロボロ泣きました、ナウシカ、優しい、気高い、尊い、推せる。
え???これ名作すぎん???公開ン十年前なのに超越して面白すぎるんだが。
天気の子を見た自分には、はじまって数秒は「絵、ちょっと古いな~」とか思ったけれど、すぐに没入したね。
もう浮遊感がすごい。ナウシカがメーヴェで飛んでてワクワクする。そんで虫たち登場ね、疾走感ハンパない。
ナウシカのなんという労りの心よ…LOVE…ユパ様もテトも良いよ、みんな幸せになってくれ。
でも、忍び寄る暗雲…滅びゆく美しい里の愛すべき村民達…大丈夫かな???
うわぁぁぁ~~~~戦艦が墜落した!!!怖い!!捕虜!?死んじゃう!?あっーーーかわいそう!!
仕方ないからLISTENERSを見てみる。あまり評判が良くないから完走出来るか不安だが。
1話目はOASISの名曲がタイトルになってるけど、他のエピソードも同じかな?
OASISの曲って偶に聴きたくなるよな。
東のエデンも映画見てないから完走出来てないんだよな。今度見よう。
…否。
アニメ映画を家で見ようと思うと気合が要るので、今の仕事辞めてからじゃないと無理だな。
はぁ。映画かー。
配信で沢山見られるんだけど、全然見ないなあ。2、3時間一つのエピソードを見続ける気力が無い
(とか言いつつ2日で1クールアニメを見終わるんだから、ずっと見っぱなしなんだけどね。
テレビアニメなら途中で止めても別になんとも思わないけど、映画はなあ。丸一本一気に見たいからね…。
上の空で見るのも嫌だし)
歩きかケッタで行けてた時はすごくよく見てたんだけど。安い日狙って行きやすいしね。仕事帰りでも気軽に寄れる。
ここじゃあ散歩したって楽しくないから金をかけずに出来る気晴らしも無い。
博物館はあるが、すごく遠い。そして行き飽きた。常設ばっかだし。
美術館は無い。
そういう文化的に死んだ所に住むと、本当に生ける屍になるよな。
くだらない人生に僅かな彩りすら与えられなくなる。
夏になったけど、今年は怖い話をする相手がいないのでここに書く。
私の経験した怖い事。
幼い頃に山の中で見たクモのような謎の生き物(大きさが小学生の腰ぐらいの高さ)
特定条件が揃った時にしか聞こえない音(13〜14歳、深夜に一人きりで起きていた場合のみ特定の場所から大きな音が聞こえる)
色々経験したけど、その中で最も怖かったのが「黒い腕」だ。
その日、私は仕事帰りに映画館でレイトショーを見てご機嫌で自転車を走らせながら帰路についていた。
映画の良かったところを反芻しながら、近道だからと深夜の誰もいない住宅街を走っていると……視界の端に何かが見えた。
なんだろう?そう思ってよく見てみると、ある民家から「黒い腕」が生えていた。
真っ直ぐに伸ばされた前腕、だらんと垂れ下がった手首。ぽつぽつとある街灯の明かりの中でも認識できる真っ黒な腕。
頭で理解した瞬間、血の気が引き嫌な汗がにじんだ。
震える体を無理やり動かし、力一杯ペダルを漕いで全速力で家に帰った。
あれは何かの間違いだ。
きっと誰かの悪戯でゴム手袋でも引っかけられてたんだろう。そういうことであって欲しい。
……でも、たとえ悪戯だとしてもあんなマネキンのような細い腕を民家の壁に付けるか?
思い返せばあの道では頻繁におかしな事があった。
昼間に走る時は何も無いのに、夕方以降は前後に人がいない状態になった時だけ誰かに背中や肩を叩かれるのだ。
気のせいだと思ってた。きっと自分の髪が当たった衝撃だろうと。
でも、もしかしたらーー。
後日、どうしても気になった私は昼間に現場へと足を向けた。
「黒い腕」が生えてた民家の壁は何かを取り付けたような跡もなく、誰かが入れるような隙間もなかった。
あれ以来、私はあの道を使っていない。
「自殺報道ガイドライン」がどうのこうの言われて…が理由かはわからないけど、もうほとんど報道もされてない気がする。もうみんな日常に戻れてるのか。みんな適応能力高いね。
私はまだ全然受け止めきれてない。特別ファンだったわけじゃないし、舞台もいくつかしか観たことないけど、私が幼い頃からの大スターで、最近はミュージカルでもよく観てたし、いつでも当たり前に観られる俳優だと思ってた。何より「死」から一番遠いところにいる太陽のような存在だと思ってたから、名前の隣に「死亡」と続くのが変な感じ。
訃報が流れた当日はテレビは一つも見れなかったけど、今は少しでも受け止めようと思って、名前で検索してネットニュースを読んだりもしてる。(不謹慎だとは思うけど)私はワイドショー的な情報も多少は有り難く受け取った。例えば、部屋から「死にたい」と書かれた日記が見つかったというニュース。これを知れたおかげで、「ああ、三浦春馬は死にたくて死んだのか。よかった」と少し思えた。(とはいえ詮索・憶測は大嫌いなのでほとんどのニュースはミュートしてる。)
訃報のちょうど5日後に「SUPERハンサムLIVE 2012」が映画館で上映されていたので、都内の映画館に観に行った。
別に死んだから上映されたわけでもないし、死んだから観に行ったわけでもない。死ぬ2・3日前にも配信・上映されていて、そのとき私は自宅で配信を見てた。楽しく見てた。
というか2012年に現地でも観てた。でも「推し」は三浦春馬ではないので、正直彼がステージ上にいたときでも観ていなかった時間はたくさんあった。そもそも見るべきところが多すぎるんだよなハンサムライブ。
死んだから観に行ったわけでもないけど、まあ、つい目で追ってしまうよね。めちゃくちゃかっこよかった。何で今まで知らなかったんだろうってくらいかっこよかった。顔が端正なだけじゃない、脚が長いだけじゃない。全ての出で立ちがまさに「ハンサム」。このイベントが「イケメン」とかじゃなく「ハンサム」を冠してるのは間違いなく三浦春馬のおかげが大きいだろうと感じた。
開演時のコメントで彼は「今日昼公演あって明日も2公演あるけど、そんなの関係ねえ!」と言った。そうだった、彼は2012年末、劇団☆新感線の公演(しかも上演時間4時間くらい)にメインキャストで出つつハンサムライブに出演してくれていたんだった。恐ろしいことするね。でも「三浦春馬ならこれができる」と思ってたし、事務所もそう思ってたし、実際彼はやり遂げた。映像見ればわかると思うけど(8月6日にも映画館上映・ネット配信されるから観てね)翌日2公演控えてる人の動きじゃないんだよね。ダンスも歌も笑顔も。
彼を「30年で完成した完璧な作品」と評するファンもいる。けど、そんなきれいなものではないと思う。だって、決まってた映画も、ドラマも、ミュージカルも、全部捨てていっちゃったんだもん。これを「美しい物語」として消費してしまうのは、それこそ完璧主義者の三浦春馬に失礼な気がする。
と思ってしまうほど、ライトなファンのイメージの中でさえ「三浦春馬」は完璧だった。
そんな「完璧な三浦春馬」でいることに彼は疲れてしまったんだろうか。彼の友達が言っていたように「たとえどんなに苦しくても、必ずその困難に打ち勝ち、最高のエンタメを届けてくれた」を貫いてくれたのは最後の優しさだったんだろうか。それとも最後まで苦しめてしまってたのかな。
でも、たまには負けてもいいから、生きていてほしかったよ。(これは完全に私のエゴだということはわかってる。)
今日、彼の著書やCDが売上ランキングの上位を席巻してた。…こんなことがなくても一世風靡するだけのポテンシャルがあったはずなのに。特にもうすぐ発売される新曲「Night Diver」は本当に美しい曲なので、ここまで読んでくれた方は絶対に聴いてほしい。
でもこの世に三浦春馬が存在しない以上、もう「歌の力」も「演劇の力」も「エンターテイメントの力」も信じられなくなっちゃったな。エンターテイメントが私の生きる力を支えてくれていたのは間違いないけど、これって別に命綱ではなかったんだなーって強制的に気付かされちゃった感じ。
4月に都内で挙式披露宴を予定していました。緊急事態宣言が出てしまい当然延期を決断。
実施か延期か心底悩んでいた時期だったから、緊急事態宣言が出てくれて正直ホッとした。なかなかふんぎりがつかなかったけど「国がこう言ってるんじゃ仕方ないね」って自分たちを納得させることができた。
延期した先は9月。「半年も経てば収まってるよね」「夏には落ち着いてるよね」って根拠はないけどそんなムードが世の中的にもあったと思う。
でも今、こんなありさま。春の流行は前座だったのでは?ってレベルで増え続けてる。go toキャンペーンも始まっちゃって少なくとも9月の収束は無理だと思う。
私の親族は地方にいる。屋内での飲食。感染拡大中の東京。マスクをしたままの記念撮影。ゲスト同士お喋りを控えた進行。こんな披露宴やる意味あるのかな…と思い、再延期。
次は来年の3月。ほぼ1年後。さすがに再々延期はモチベーション的にありえないから、次の3月もこんなコロナ状況だったら親兄弟だけでこじんまりとやる予定。
もしそうなったら(というかそうなりそうだけど)悲しくて悔しいなぁ…。本番2週間前に延期を決断したから準備自体はほぼ終わってたし、脳内リハーサルも何回もやってさ。本当に当日を待つのみって感じで。
どうしてこうなった。結婚式を去年の秋に挙げていたら。今年の冬からコロナが流行ってたら。春のうちに徹底検査→隔離の仕組みが整って夏には落ち着いていたら。考えても仕方のないことばかり考えてしまう。
私個人としては、ガチガチの自粛はしていない。外食するし仕事は週3出社だし友人とも会ってる。マスクと手洗いと密回避を気をつけてるくらい。
だけどこちらがホストとして披露宴を執り行うからには、ゲストの安心安全を考える義務があると思って延期の決断をした。お祝い事だから、もし不安に思っても断りづらいと思うし。
だからこそ10月に披露宴決行予定の友人にモヤモヤしてしまう。大好きな友人の晴れ姿をお祝いしたい気持ちがある一方で、私はまだドレス着れてないのにな…お祝いしてもらえてないのにな…ていうかこの状況で決行するって選択肢があるんだ…という気持ち。