はてなキーワード: 少年漫画とは
少年漫画家志望者に含まれる数多の才能のある人材だって、そのまま使うことはないじゃん。育てるじゃん。まあ、そういう問題じゃなくて、商業BLの場合はとかくエロを! エロを描け!! って作家のケツを叩くというか、テコ入れがなされるので。しかもそれだって単に無理にでもセックスを描かせているってだけで別にセックス描写を極めようってんでもないしさ。セックス描写をノルマ通りに入れるという、ただそれだけの為に他の全てを捨てさせる感じなので、そんなことして作家が育つ訳もなく。
少年漫画分野で例えるなら、少年ジャンプ作品のキャラでは伝統的にベジータとか飛影とかみたいなクール系のキャラクターが流行るから、そういうキャラクターを隙きあらば登場させて読者の気を惹けと担当編集が漫画家をせっつくようなもん。
俺には統合失調症から発達障害に診断を変えてくれた医者がいて、今の定期的に診てもらっている。
しかし医者がプロだとは分かっていてもやはり変に思われるんじゃないかと言えないことが複数ある。
たとえば資格勉強をしようとしてもすぐエロ画像を探したくなってしまい集中できないということ。
頻繁にオナニーしたくなって集中力がつづかないこと。おかげで効率がすこぶる悪い。
そういうわけで性依存症について相談したいものだがどうしても恥ずかしい。
漫画を読んだことがある女性について読んだことがある作品の男性向け女性向けの比率を出したらその平均ぐらいの割合では俺も女性向けの漫画を多く読んでしまっているかもしれない。ハーレクインもあすかDXもプリンセスも読む。
まあ俺は上記のように男としての性欲がばりばりあるから問題ないだろうが、それが無かったら俺の性自認はどうなるんだろうとは思う。
下手なたとえだが、葉緑体があって維管束が種子で増えるのならばその時点で動物ではありえない。それどころか種子で増えるという時点で大方植物だろう。
同じように俺ももうちょっと女性性的な行動傾向が強かったら俺が男性を騙るのは男性の定義に対する誤認に過ぎないのではなくなってしまうのではないか。
男でもたくさん少女漫画を読む人はいるが、そういう人も女性向けだけを読むということはなくて、少年漫画も少女漫画に劣らぬ量を普通に読んでいたりするものだ。
女性向けを女性と同じ比率で読んでいる、これは男としてかなり危ういのではないか。
漫画というのは性のアイデンティーと分かちがたく結びついたものだと思う。それを証明するようにシーモアみたいな電子書籍サイトでは全ての漫画をまず男性向けか女性向けかのいずれかに分類している。
持論だが身もふたもない言い方をすれば漫画というのは多かれ少なかれそれに対して疑似恋愛やそれ以上のものを求めるためのもので、読者は意識的か無意識的かに関わらず漫画を疑似恋愛を楽しんだりオナニーのおかずにするために買っているのだと思う。
そういうものを女性と同じようふうに読んでいるというのはたとえば尾木ママみたいに女言葉を使うのよりもよっぽど男性性にクリティカルに矛盾する要素なのではないだろうか。
だから本来はいさぎよく適合手術を受け戸籍を女性に変えるべきということになってしまうのではないか。
現代社会では男女の選択が自由という権利があるから「法的な性別を変えない権利」を行使できているに過ぎないような気がする。
男の身体をもって生まれたものの、本来女とされるべき人が、ジェンダー論とかに無頓着なために、形式的には男として登録されたまま生涯を押し通すような、つまりは無知による誤認に過ぎないのではないか。
もし人語を騙る植物がでてきて人間が行使できる自由権を交付されて、「俺は動物だ」と言えば、定義上どう矛盾してようがそれが本人の無知による誤認に過ぎなかろうが、ただ主張が尊重されるとうう権利のもとで動物として認識してあげられているみたいな感じ。
俺は権利によって男であることを保護されているだけで、女なのか?そういうことを訊きたくなる。
あとはなんでゲイは性転換手術を受けないんだろうという疑問がある。
男が好きなら女になればいいというのが素朴な考えだろう。男と交際したいなら同じゲイを集めるより女になった方が早いだろう。
トランスジェンダーではなくあえて同性愛者として生きることに何の意味があるのだろうか。
単に手術費用がもったいないと思っているだけだろうか。それともアイデンティーに関わる考え方がちゃんとあってゲイとして生きているのだろうかと、気になっている。
昨今の温泉むすめでぎゃいぎゃい騒いでる男どもを見ると本当にそう感じますね
彼らは女性を性的に搾取し自身の優位を維持しようとする、ゴミ溜めみたいなものです
例えばまだ実用には程遠いけどiPS細胞で女性のみでも妊娠、出産が可能になる
そうでなくても必要最低限の精子さえ培養できれば、男性なしでも繁栄はできる
治安や環境の観点から言っても今の倍以上は美化、清潔になるだろうし
女性の方がスマートな視点で物事を解決できるから、今よりもっと便利なグッズが出来るでしょうし
中々解決しなかった些事についてもすぐさま対応できる社会になるでしょう。
育児も介護も女性だけなら安心ですし、通勤や日常だって断然平和になる。それだけで素晴らしいと思いませんか?
それに女性だけの方が協調性は湧きやすいし、国家として立派になれると思うんです。
レディーファースト先進国として海外からも称賛されるに違いありません。
(もっともその時には海外の方が国民皆女性化運動を完遂しているかもしれませんが!)
これを実施すればLGBT問題も気にする必要はありません。あれは男性がいるからこその問題ですし。
ほら、ここまで書いて貴方も分かったでしょう?
男性がいなくても社会は回る。むしろ、より円滑に進行していくのです。
『日々、君』の小池定路先生はエロゲ職人だと知る。なんとなく、BL業界外から来た人という印象のある漫画だなと思ったけど、予想外の本職。なんかすごい。なんとなく他の業界から来た人という印象の作家さんは他にも多くいると思う。作風に独特な雰囲気があっていい。
けれども、少女漫画家だったけど売れなかったからBLに転向しましたみたいな感じの作家の漫画ってあまり面白くない気が。とはいえ、そのようにざっくり括れるほど沢山のBL漫画を読んで来たわけではないから、ただ単に偶々面白くないなと思った作家さんが元少女漫画家なだけかもしれない。
絵の上手い人の作る物語は面白いの法則、というのが私の中にはある。これは商業BL漫画限定。少年漫画だと絵は上手いとはいえないがストーリーはすごく面白いという作品はざらにあると思う。
商業BL漫画に限っては、絵が上手い人の作る物語は面白い(気がする)のか。思うに、絵が上手い人しかストーリーを描かせて貰えないのだと思う。商業BLのストーリーは、セックスをする口実のようなところがある。セックスのシーンですごい絵を描ける作家さんは話の途中で一、二回しかセックスを描かなくてもいいが、下手な作家さんは1話1エロを描いて無理矢理にでも読者の気を引けということなのかもしれない。
だとしたら、BL読者ってそうとうナメられているよなぁー、と思うのだが、ネットで商業BLの感想を検索などすると、エロがない作品はBLにあらず! という過激派から、エロは必須とまでは思わないがエロはあったらうれしいというぬるい層まで、多くのBL読みはエロを欲しているので、商業BLは基本的にポルノであると言わざるを得ない。
BLを読む時は、面白ければエロとかどうでもいいというスタンスなのだけれど、いざ自分でBL小説を書く時は、エロの部分はかなりノリノリで書く。けれども、ストーリーを考え出すとエロを書くタイミングを逸してしまい……それどころか、攻めと受けがキャッキャしてる所すら書いてないじゃないか! となりがち。いつも配分に悩む上、悩んだ甲斐のない作品を書き上げがち。
二次創作をやってた時代はある意味よかった……頭をパァにして最初から最後までセックス、みたいな短編とか書いて……。その代わり、ストーリーをちゃんと書けないのが、歯がゆかったけど。二次創作でストーリーを転がすと、必ず解釈違いとか原作私物化とか高尚様呼ばわりとかで他人と揉めるので。
セックスシーンを書くこと自体は好き。だが、好きなあまりについ最近まで気付かなかったのだが、セックスシーンを書くにあたっては読者の想像力のレベルに合わせることが必要だというか……あまり自分の筆のペースで飛ばすと読者の頭の中で、攻めと受けが複雑骨折するようなことになるので、控えるべきだ……ということ。文章は、絵みたいに状況がパッと見でわかるわけじゃないから……。
エロを書いて思うのは、気持ち良さそうなエロを文章で書くのは難しく、また書けたところで解ってもらうのも難しいということ。セックスの表現には暴力的なものも多いけれども、なんでそんなもんがウケるのか? といえば分かりやすいからなんじゃないかと思う。快感よりも痛みに対するリアクションの方が普通は大きいからだ。分かりやすいエロを書こうとするとどうしても暴力的になるのかもしれない。そんなの私は嫌だけど。
事件記者のパーカーは、連続殺人犯のリッキーを正義感から助けたが、恩を仇で返され殺されかけた。
再び収監されたリッキーだったが、ある日刑務所を脱走して行方不明となる。リッキーからの報復を恐れ、警察に付き添われつつ逃避行したパーカーだったが、護衛に着いてくれたスッタッグ警部補に好感を持ちはじめ……。
すごく面白い訳じゃないけど、つまらなくもない。終盤、もしリッキーが復讐に訪れたら、その時パーカーはスタッグ警部補に何をしてもらいたいと願っていたのか、その胸の内を白状するところが、人間臭くてよかった。
柴からのプロポーズを受けて、結婚するのもいいかなと思った、秋山くん。だが、自分と柴がふわっふわしていて地に足が着いていない有り様を仲間達に指摘され、自分がしっかりしないと、と決意したのだった。
進路選択を機に我に返って現実を見る、というのはあるあるだけれども、世間に歩調を合わせて妥協するのではなく、「結婚する」という目標はブレないまま、それぞれ成長していくところがよかった。
柴と秋山くんだけでなく、柴の友人のじおんくんやちえちゃん、秋山くんの悪友達も彼らなりに考えて成長し、互いに影響を与え合っている様もいい。
そして、地方のヤンキーや底辺高校生達の人生を回すスピード感がリアル。彼らは都会の大卒がアラサーで悩むような事に、高校在学中に悩み決断するんだよなぁ。
BL漫画を描くような人が、こんな感じの市井の人々にスポットを当て、「ヤンキー」という形だけでなく彼らの暮らしぶりのリアルを肯定的に描くのは意外な感じがした。
第1巻の、かなり酷すぎる性的虐めからのまさかの展開の時点では想像もつかなかった、大団円。よかったわねぇ、皆……と近所のおばちゃんの気分でほろりとしてしまった。
記念すべき第80号。飛ぶ鳥落とす勢いの人気小説家、凪良ゆう先生の作品をコミカライズ! というスペシャルな感じがあるんだけど、寄稿者の人数が今月も少なく、大丈夫なの……? と一読者の私は若干心配になるのだった。朝田ねむい先生の『スリーピングデッド』が2話分一挙公開! さもなければ雑誌がもっと薄くなってしまったよね。私は電子派だから、リアルに本の厚みに一喜一憂は出来ないのだけれども。
ちなみに、『Canna』のテイストはエロ大人しめで、青年漫画に近い感じかな。変わった作風のものが多いと思う。じっくりストーリーを楽しみたい人向け。
ではでは、作品ごとに感想を書いていくぞ。順番は掲載順。文章量があからさまに思い入れに比例してて御免。
昨今はあまりにも小説が売れないが、ストーリーを作れるのはやっぱり小説家、ということで、小説のコミカライズがお盛ん。しかし小説のコミカライズを読む度に、大体原作の方が面白いなって思う。やっぱ、漫画には漫画の、小説には小説のやり方があるんじゃないかな。
という訳で、この作品もやっぱり原作読んだ方がいいんじゃないかなという感想。私自身は凪良ゆう先生の作風が好きだけど、『積み木の恋』は未読。原作の方が好きになれそうと思った。
凪良先生の良いところは感情表現とユーモアで、ユーモアの方は台詞に出がちなのでいいとして、感情表現は地の文に出がち。しかも行間を読ませるというよりは分析的な文章なので、漫画の余白とか空気感で表現はしづらいんじゃないかなと思う。
コミカライズ担当者がまずいという訳ではない。漫画化との相性がいい原作を選んだの? と疑問に思うだけ。
現在、他誌でも凪良ゆう先生の作品が漫画化されているんだけど、そちらは近々ドラマ化される『美しい彼』で、コミカルな台詞回しが多く、少女漫画のセオリーを綺麗に踏襲しつつたまに強烈な逸脱を見せる作風で、より漫画向きな感じがする。
すごく評判のいい作品なのだが、私はつい最近(4、5号前かな)から読み出したせいで、話がさっぱりわけわかめ。最近までは悪魔Jの過去話で、現在は主人公のマコトちゃんがなんか生首持ってJの家に来たところ。
まあ、よくわかんないけど、マコトとJのどろどろの愛を楽しむ漫画なの? 今回はやばやばエロ回。Cannaの漫画っておかしな性癖のエロはあまりない感じなんだけど、本作の今回は若干アブノーマルかなぁ。最中の台詞を読んで、それ奴隷商人痴皇(@『幽遊白書』)が言ってた台詞のやつじゃん、とツッコミを入れたりなど。
ストーカー?×恋愛の美味しい所だけ味わいたいグラスハート のおっさんずラブみたいな感じ。画風がサラリーマン向け雑誌みたいだが、エロはがっつり腐女子好み。エロシーン多め。「×」というよりは「VS」が似合う関係性のようにも思ったが、受けの人は粘着されて嬉しそう。まじかよ。
第1話を掲載した後数回休むってすごいな! と、これまで読んできた漫画雑誌といえば有名少年漫画・少女漫画雑誌くらいの私は思うのだが、Cannaにはよくあることなのかもしれない。
別にBLでなくてもよくないか? と思った。まあ、こういうBLが好きな人もいるさ。
相変わらずタイトルの響きが最高だなあ、ベルガモットアンドサニーデイ! 声に出して読みたいタイトル。
働く大人女子向け漫画っぽいもだもだした恋愛もの。別にBLでなくてもよくないかという気がしないでもない。
オメガバースって、二次創作においては行きつく所まで行ったニッチな性癖感あるけど、オリジナルBLにおいてはネタの範疇に妊娠と出産も一応入る為に社会派の側面もあるよねー。ということで、これもうっすら社会派っぽい雰囲気のある作品。
とはいえ、大概のオメガバースはαとΩのやり過ぎエロとかΩの業の深さを楽しむものだとも思う。本作も社会派っぽい面はあくまでおまけかな。
イエーイ今回一番楽しみにしていましたイエーイ!! 2話ぶん一挙掲載にしても凄い分量がある。全部で80ページ越えだもんな。
ネタバレをしながら書くので、ネタバレ無しで読みたい人は読み飛ばしてください。
今年の8月末日に刊行された第一巻の続き。殺人事件に巻き込まれて理不尽な死を遂げた佐田が、マッドサイエンティスト間宮に拾われ理不尽にもゾンビにされ、これまた理不尽にも食人をして生きることになったのが、第一巻までのストーリー。
巻末辺りで、間宮が実は顔見知りだったことを佐田は思い出す、という謎めいた展開に。
今回は、佐田の記憶に結構ぼこぼこに抜けがあるのが判明しつつ、視点は佐田から間宮に移る。
これまでもっぱら佐田視点で物語が進み、佐田の人となりを読者は佐田の自己認識という形で知ってきた。ところが! 間宮の記憶に残っている佐田の人物像がとても意外。いや、表向きは佐田は昔から非の打ち所のない、ほどほど善良な人物だった。それを間宮はスクカー最底辺のひがみ根性から「偽善者」と決めつけていたのだけれど、あることがきっかけで、佐田の邪悪な一面を垣間見たのだ。
一巻までは、クレイジーな科学者間宮に翻弄されるごく普通の善良なスパダリ佐田、という構図だった。けれども一皮剥けば、間宮は科学的探求心に突き動かされていない時には案外まともな感性を持っているのに対し、佐田は無意識ながら自身の暴力性を発揮する隙を窺っているようにも見える。
理由も無しに暴力を振るわない間宮と、理由さえあれば嬉々として暴力を振る佐田。彼らは似ているようで根の部分は真逆。
佐田の仮面を剥がすと現れるのは、過去に間宮を虐めた奴らと同じような気性で、間宮が佐田に惹かれるのはストックホルム症候群のようなものに思える。お、これって同作者の『マイリトルインフェルノ』じゃん? 『マイリトルインフェルノ』のあとがきに、最初はいじめられっ子が悪魔の力を借りていじめっ子に復讐する話だったが暗くなりそうだからやめた、と書いてあったと記憶しているが、今回はそのテーマに再挑戦するということなのだろうか?
間宮と佐田の過去編にはBLなのに若干百合みを感じる。陰湿×陰湿だからかな。
感情を表情や言葉で表すのが大の苦手な間宮の、一巻までの言動の伏線は全部一巻内で回収(あーこいつ実は佐田のことかなり好きだな、と。)されたものだと思っていたが、そのなかでの特に重要な台詞や表情の一つ一つが、実は二人の過去(しかも佐田には綺麗さっぱり忘れられている)に掛かっていた、というのにはやられた。なんてすごい構成力なの……。
ここまで見てくると、間宮の佐田に対する一方的な想いが実にエモーショナルに感じられ、間宮の佐田に対する言動の一つ一つが愛らしく思えてくる。間宮が佐田の死顔を見、「……あまり変わってないな、キミは」と呟き佐田の頬を撫でるシーンにはちょっと涙が出てしまうな。一巻収録ぶんを未読な人には、変な人の変な行動にしか見えないかもしれないけど。いまだ紆余曲折の真っ最中にあり見た目にまで苦労の滲み出ている間宮が、昔のまま歪みなく順風満帆に大人になり夢も叶えた佐田に対し、羨望と嫉妬以上の眼差しを向ける、名シーンだ。
ところで、佐田が肝心の所をまるで覚えていなかったのは、何かの影響による障害にも読めるし、加害者と被害者の記憶のギャップにも読める。佐田は間宮を虐めた人ではないけれど、佐田の心根にはいじめっ子的な所があるというか。間宮が佐田のことで強烈に記憶している部分というのが、佐田にとっては他人に対する悪意を解放した部分である(佐田本人はスカッといい気分)であるから、そりゃ覚えている訳はないか。
間宮と佐田の過去と二人の関係性、そして間宮の佐田に対する想いは明らかとなった。だが、ゾンビ化が佐田に与えた影響という伏線はいまだ回収去れていない。これが今後どのようにストーリーに関係していくのか。ゾンビものの定石として佐田が人格を喪い人食いモンスター化し暴れ出すとかいう展開も予想出来る流れだし。
次回が待ち遠し過ぎる。
えっ、この漫画もう第5話なの? あらまあ! 時の経つのは早いなあぁ。そういえば、私が初めてCannaを買ったとき、ちょうどこの漫画が新連載として載っていたような記憶がある。
ハードっぽい作風と画風で、日本の漫画という由りは海外の、フランスとかの漫画っぽい雰囲気なのだが、やっぱりBLはBL。急速に恋が始まり、油液が飛んだ。(←何かの隠喩ではない。)ここまで一応事件はあったものの凄い急展開が起こった感はないのだけど、もう5話。一巻以降も続く感じかな。次号とかで終わったら、何だったのかよく分からない漫画になってしまうし。
娼館ものでかつ猫耳獣人ものという欲張りセット。連載が長く続いているのもあり、私にはさっぱりストーリーがわけわかめ。
この間まではなんか過去の話をしていなかったか? 攻めの人がどっか遠い所に行っちゃうような話では? と、前回までの話を把握していないまま今回を読んでも理解出来るはずもなく……。絵が綺麗。しかし、何故レディコミではなくBLなのだろう? という疑問もなくはなく。まあ、こういうBLが好きな人もいるさ。
イエーイ、これもすごく楽しみにしていましたイエーイ!! だが、ストーリーはそんなに進まなかったので、ネタバレのしようがない。
前回までの色々が解決も進展も後退もせず。フィーは子供時代に犯した過ちがシャングリラに及ぶことを恐れて怯え続けれており、一方アポロといえば、輝く白さのホワイト労働のはずがまさかの自身の性質によって馴染むことが出来ずに進退を考える局面に差し掛かっていた。
アポロが試情夫として正規雇用されて依頼、なかなか接点を持てないふたりは、それぞれの悩みを一人で抱え込んだまま、ひたすら悶々とし続ける。
精神的に詰みそうになったタイミングで、運良く二人きりになれたとこまでで次回を待て!
なんとも言いようがない。ただ、座裏屋蘭丸先生の描く、男子達がより集まってあーだこーだ言い合うシーンは最高だなあ、ということくらい。
絵柄がすごく綺麗なのに、背景を真っ裸で歩くフィーの超遠目に映ったおちんが白抜き修正されてしまうのが、地味に悲しい。全身クローズアップ絵では脚とかで隠し切っているのになぁ。
別にBLでなくてもいい気がするのだが、BLじゃなかったらこのモフモフが観れなかったので、BLでよかった。
つむぎの狐Ver.の口元のふにゃふにゃさと狐らしいお手々の感じが癒し。だが今回は人間姿でこってりエロ回。モフモフしっぽガードがよかった。
この作品はかなり人気があるようで、Cannaの代表作といえばこれ、みたいな扱いをされているけど、私はあんまり好きじゃないんだよなぁ。BLなんだけど、少女漫画特有のねっちりさがあるところが、あまり好みではない。そういうのが良ければ少女漫画を読むよ。しかし世間ではこれが王道綺麗めBLなのかもしれない。知らんけど。
***
個人的に、「BLなのに百合みがある」は正直な感想でありつつ褒め言葉でもある(と言いながら、私はあまり百合は好き好んでは読まないのだが)のだけど、「BLでなくてもよくないか?」は明確にdisりとして使っている。
せっかくの増田。何もしがらみのない場所なので、そりゃ忌憚のない感想をかくさ。
では今日はこの辺で。
ぼくたちは勉強ができないとはいわゆるハーレムラブコメ漫画であり、週刊少年ジャンプで連載されていてアニメ化もした作品である。
勉強を通して主人公が美少女たちと仲を深めていくというごく一般的なラブコメだが、週刊少年漫画としては史上初めてヒロイン5人分のルートを描くということで話題になったので知っている人もいるのではないかと思う。
そのぼく勉の作者である筒井先生がジャンプGIGAで読み切りを掲載したので、以前に増田で書かれていたぼく勉の感想を要約とともに紹介する。
作者に嫌われているキャラクターを好きになってつらい
ここで嫌われていると言われているキャラクターはヒロインの1人である武元うるかである。
理由としては以下の通り。
・うるかの話をマルチエンドのサプライズのための前座にされて余韻を台無しにされた。
例:
ところでぼく勉、うどん編ラストが普通にイベントスチル一枚絵だったせいで、花火アップで終わったうるかの悲惨さが増してるの、面白すぎる pic.twitter.com/gVKILw2MSs— タイツマン (@TAICHUMAN) May 25, 2020
・単独表紙の単行本がない。(補足として、元記事が書かれた後に21巻まで出ているが、他のヒロインには単独の表紙がそれぞれ2冊ずつあるにも関わらずうるか単独の表紙は一冊もない)
(参考(日焼けで褐色の子が武元うるか):https://jumpbookstore.com/item_list.html?keyword=%E3%81%BC%E3%81%8F%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AF%E5%8B%89%E5%BC%B7%E3%81%8C%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%81%AA%E3%81%84 )
・ヒロイン5人の中でうるかだけナンバリングのある長編回が存在せず、その代わりと言われていた回を他のヒロインのルートで踏み台にされる。
・他のヒロインの最終話はそのヒロインと主人公が結ばれた後の様子を描いているにも関わらず、うるかの最終話は他のヒロインの描写に大部分が割かれている。
・うるかの最終話でわざわざ他のヒロインを象徴する花火にフォーカスを当て、煽り文でもそれを強く強調している。すなわちこいつの話は終わったから次にいこうとあえて示唆している。
・解説コラムでうるかの顔の上に「完了」と書き、他のヒロインのルートが終わった後に「Happy end」に書き換える。
作中の描写についての不満がメインだ。
【追記】作者に嫌われているキャラを好きになったら特典でも冷遇されてつらい
この特典とは音声ドラマ(原作のストーリーをアニメの声優が再現したもの)、単行本の描き下ろし、抽選で当たるプレゼントの抱き枕のことを指している。
理由としては以下の通り
・他の4人のヒロインには音声ドラマが作られたのに、武元うるかだけ音声ドラマが作られていない。
・うるかの音声ドラマが欲しいというファンの要望を作者は軽く笑ってあしらう。
・筒井先生は読者からのリプライにほぼ全リプしているのに、うるかのこういった扱いが悲しいというリプライには一言も返事をしない。
・うるか以外のヒロインは単行本で最終回のその後の姿を描き下ろしているが、うるかだけはない。代わりにあるのが他のヒロインのルートがありますよという告知であり無神経にもほどがある。
・読者プレゼントの抱き枕のイラストであえてうるか以外のヒロインも大きく描かれているイラストが使われている。
作品外での扱いの不満がメインだ。
以上のことについて、元増田の感想部分については争いがあるだろうが、実際の扱いについては全て事実である。
ぼくたちは勉強ができないのヒロインである武元うるかは、このように徹底的に、完膚なきまでに、作品内外含めてありとあらゆる面で冷遇された。
こうした格差が生まれる原因がなにかまでこの増田のように断言はしないが、作者の意向に依るものであることに疑問を挟む余地はない。
だから筒井先生の漫画を楽しむのは最悪いいけど、好きになるのは絶対にやめろ。せめてキャラを好きにはなるな。
好きになったキャラがこんな扱いをされても笑顔でいられる人間なんていないだろう。
この増田みたいに長文は書いていなくてもTwitterで嘆いた人、怒った人はたくさんいた。悲しみでアカウントを消した人も何人もいた。
Twitterにわざわざ投稿する人やアカウントまで消してしまう人がいるのだから、黙って傷ついた人はもっと大勢いたことは容易に想像がつくだろう。
これが筒井先生の漫画を好きになる人の未来だから。もしもあなたがキャラを大切にしたいと思っているならば絶対に好きになってはいけない。
ただまあギャンブルに勝って敗者にマウント取りたいなら好きになってもいいかもしれない。
嘆く人には同情するふりをして、恨みを吐く人はアンチ扱いして蔑むようなファンしか残らなかったから。
酷いのになるとコラでうるかの遺影や黒人にフェラやキスするような画像を量産して盛り上がっていた。気に入らない相手を貶すためならどこまでも品性を失えるという好例だろう。
あなたも筒井先生の描いた新作漫画を好きになればもしかしたらそっち側になれるかもしれない。俺はどっち側にもなりたくないからゴメンだけど。
人気度で言うとその認識であっとるんやが、部数に関しては当時「公称部数」というものが認められ採って
実際に発行、販売した数とはほとんど関係がない出版社がハクをつけるために大幅に水増しした部数が公表されとったんや。
で、それが2000年代前半に問題になっていろんな出版社が「発行部数」ベースで発表するようになった。
ネトフリの「イカゲーム」大ヒットでまた韓国にエンタメにおいて差をつけられたなあと悲しくなった。
デスゲームの産地とも言える日本で、明らかにカイジや日本産デスゲームの影響を受けてるイカゲームが大ヒットして、日本ではそれが出来なかったことが悲しい。
「今際の国のアリス」はプチヒットしたけど、構成のわかりにくさがネックだったみたいだね。
あと、日本の作品について海外評でよく言われるのが「リアクションが大げさでわざとらしい」ということだ。
確かに世界的に評価受けた日本映画は、わざとらしい表情や大げさなリアクションをやってない。日本人はそもそも欧米より日常のリアクションは大きくないのに、なぜ映画やドラマになるとああなるのだろう。
また、国内でヒットする日本実写映画の上位がほぼアニメか漫画原作映画なことも憂慮のひとつだ。
漫画原作でもそうでなくても、コスプレ映画で一定の評価を得て最近は三国志をヒットさせた福田監督が映画界でのヒットメーカーになっている現状。これがのちの映画文化に良いことだとは思えない。
思うに多くの日本人が支持するものが、いつの間にか『物語』ではなく『キャラクター』になってしまった故の現象だと感じる。
キャラ萌えできて消費されるものにお金が回り、質の高い物語を作れる人たちは金を得られないためにパージされていく。
日本の誇るコンテンツは今では漫画とアニメのみくらいになってしまっているけど、それすらも今後の地位は危うい。
webtoonの台頭で、少年漫画はともかく少女漫画好きのシェアはかなり奪われていると思える。ピッコマやラインマンガの女性向け人気を見るとこれは強く感じる。
韓国とか中国が羨ましいと思うのは、国策であろうとそこに金を注げば結果を出せるとこだ。
日本はクールジャパンとかに国費を注ぎまくってもアニメータの環境向上は一様に変わらないままで、あれが何に貢献してるのかすらわからない。
有用に投資すれば返ってくる構造で国費を使ってる韓国と中国と比べて、日本のクールジャパンは本当に無駄遣いでしかないと思える。
「書評が書けない」という投稿を読んで、いつか自分が言語化したいと思っていたことだったので整理したいと思います。
https://anond.hatelabo.jp/20211010201513
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https://anond.hatelabo.jp/20211010213345
これはこれで少し躓いている人には良いアドバイスだと思うのですが、
私の「書けなかった」のはかなり深刻なので、下記のブコメに納得していたところもあります。
そのため筆を執る気になったということも付記しておきます。
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こういうのは「得意だったタイプ」の人のアドバイスよりも、「壊滅的にできなかったけど教えてもらったらそこそこできるようになった」みたいな人のアドバイスの方が欲しい気がする。|「なんとでも書け」ないんだよ
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私も大学生の途中までレポートが全く書けませんでした。そこそこの大学に通っていたのでそれなりに学力はあったとおもうし、その後書けるようになってからは書くことが楽しくなって今ではムダにFacebookに長文を書いているぐらいなので、つまづきのポイントは自分の中では明確になっています。
私の場合の結論から書くと、「読み手がどう思うだろうか」「読み手が気分を害さないだろうか」という配慮が働きすぎて、怖くて文章が書けない(主張ができない)というものが原因でした。
自分は少し毒のある家庭環境で育っていたので、正直に自分の考えたことを吐露すると家族に叱られる。みたいなことがよくありました。(今となっては少し社会的配慮が足りてなかった側面は否定できませんが。)
今回の「書けない」方の状況に必ずしもマッチしているかどうかわかりませんが、参考になれば幸いです。
一般的に対話において過度な配慮をするような性格の持ち主は、日常的なコミュニケーションでもつい遠慮がちに話したりするので聞く側もそれなりの配慮が必要になるケースもあります。
何れにせよ、そういう性格、気質の持ち主の場合は「自由に書いていいんだよ」ということを伝えても内在する遠慮が邪魔してなかなか改善されません。
私の場合問題の解決につながったことは、私の場合は大学の途中でマーケティングリサーチの会社でアルバイトをするようになったことがきっかけでした。
最初は報告書に使う帯グラフなどをExcelでシコシコつくるような作業をしていたのですが、その後の工程でその集計結果を見てかんたんなコメントを書くようになりました。
「ウマ娘をプレイしている人についてみると、女性より男性が20ポイント高い」みたいなコメントです。このようなほぼ事実を記述する内容はほぼ怒られる心配はありません。
単純な文章ですがその作業を任されるようになって楽しくなりました。
一般的なマーケティングリサーチの報告書ではそれらの単純な集計結果を統合して、「ブリーフィング(まとめ)」を書きます。
これはそもそも調査の目的が、いまとある商材を売っているメーカーが今後どんなプロモーションをしたらもっと売れるようになるか?みたいなケースが多く、ある種の問題意識や仮説が明確です。
その仮説を検証するためにアンケート調査を設計して、結果を分析しているので概ねまとめは書きやすいものが多いです。
もっともまとめはある程度シニアなリサーチャーが書くので、バイトが書くものではありませんでしたが。
私はこれらの経験・作業を通じて、自分の意見を主張する、考えを披露するということに関する自分なりのパターンを掴みました。
整理すると下記のようになります。
4)解釈をまとめて、問題意識に対する自分なりの見解を書くこと。
結局、私はバイトで経験したマーケティングリサーチが面白かったので、その後色々あってアンケートやスクレイピングデータを用いた実証的分野の大学教員になるのですが、文章を書くときの考え方の基本は一緒です。
もっとも、実証的な研究というのは論文の価値にしめる実証データの存在が大きいので、上記の考え方を当てはめやすいですが、実証という考え方が存在しない読書感想文や書評のケースでは困ってしまうかもしれません。その場合の「事実」はその本に書いてある表現や書き手の主張として考えてもらえると良いのですが、自分が大学教員としてレポートを指導していても書けない学生にはなかなか伝わらないことも理解しています。
そのため、下記のような思考実験をやってみてもらえませんか?
A)自分が興味がある対象を選ぶ(漫画でも鉄道でもいわゆる趣味と呼ばれているものが良いと思います。)
B)その対象において自分の選択を振り返る(例:少年漫画より少女漫画が好きだ。)
C)その理由について考えて、構造化する。(自分が少女漫画が好きな理由は〇〇である。)
世の中の読書感想文のよくある問題は、読み手が全く興味がない本でも読まされて何か意見を表明しなければならないことだと思います。
すくなくとも、同好の士との対話を想像して、自分がそれなりに語れる(周辺知識と単語が内在している)ジャンルを選んでください。その語りの内容をテキストに落とすことを考えます。
もちろん書評の場合は、自分が興味のある本をA)の対象にしてください。
また、読み手の読解力に比べて記述内容が難解な本の場合はなかなか感想が出ないことも一般的だと思います。
(例えば村上春樹は私にとって面白い小説であるが、感想をかけと言われてもとても困る題材だったりする。そのあたりは個人によって異なる。)
Withコロナの時代になり、私もフルリモートで勤務していますが、知識労働としての適切に文章のまとめられる能力はますます重要になってきていると思います。
対談番組「ボクらの時代」でお笑い芸人の野田クリスタルが「俺(34歳)はかなり早くからお笑い界入りしたから楽屋では同世代が少なくて10歳以上年上のオッサンと一緒になることが多かった、ポケモンの話なんてしようものならめちゃくちゃバカにされた、いつの間にか急に『俺らがそういうことを話してもいい時代』が来ていた」と話していて粗品(28歳)がうんうんと頷いてた
既に言われてるけどさまざまな事件の影響で一番オタク差別激しいのは40代くらいのイメージ
それより上になると子ども時代にドラゴンボール、北斗の拳、タッチとかをリアルタイムで追ってて男女やオタク・非ヲタ関係なくクラス中が少年漫画に熱狂してた世代になる