はてなキーワード: レジとは
このようなタイトルをつける時点で、自分はあまり希望を持てていない。
まず今のネットやデジタル化で気になっている点を挙げてみると、
電子マネーで便利になるというが、お店の売り上げには貢献せず、マージンを取るところが美味しい。
例えば九州のお店で支払いをしたとして、電子マネー対応のレジと決済代金をお店が負担し、客はスマホ本体代金を負担し、マージンは東京の会社に入る。
スマホは毎年OSが変わり、アプリ更新費用がかかる。OSのアップデートの度にアプリが動かなくなる可能性を検証しないといけない。
それで電子マネーが使えるからと言って、商品の値段を上げられるわけでもないし、客数が増えるわけでもない。
現金も費用がないわけではないが、デジタルになったら費用が安くなるというが本当か。
売り上げが伸びて日本全体のパイが増えれば、マージンで稼ぐのは当然の権利だが、そうなのだろうか。
転売ヤーと、メルカリやヤフオクといった売り上げから手数料(10%など)を取るところだ。
例えばPS5だとすると、本体がどれくらい売れるのかがわかれば、工場のラインを増強するといった、
利益の見通しに応じて対応が可能かもしれない。(口で言うほど単純に増強できないが)
転売によって生活できている人もいるだろうが、最終的に誰がその費用を負担しているのか。
広告した品の売り上げは本当に増えてるのか?
Apple製品を紹介した動画に、Appleの広告が入って売り上げが上がるといった単純なものではない。
関係ない広告を見せられて、多くの人は広告を飛ばしてしまうだろう。もしくはアドブロックやプレミアム料金を払って広告を表示しなくなる。
1つのサービスが買ってしまったら、広告をバンバン入れて使い勝手を悪くしても儲かってしまう。(売り上げが下がるところまで広告を入れ続けられる)
誰でも知っているような製品はアクセスが取れるのでYouTuberは宣伝するが、誰もが買うようなものは取り上げる必要があるだろうか。
1人が取り上げるならともかく、多くのYouTuberが取り上げる。
ふるさと納税のような仕組みを入れないと地方産業が維持できない。
計算機の性能も足りていない。機械学習で億単位のお金がかかる。
というかチンポに関する質問自体を避けたほうがいいと言いたい。
いきなり何言ってんだと思うかもしれないが俺は自身の経験からそう考えるに至った。
わりと真面目な話なので、どういう事なのかちゃんと説明していく。
俺は、チンポが長い。
チン長30センチを超えている。
なかでも一番困ることのひとつは、
他人からチン長に関する質問をアホほどされることだと思っている。
俺は今まで生きてきて数え切れないくらいチン長に関する質問をされてきた。
よくある質問がこういうやつ。
「合うパンツ見つけるの大変じゃない?」
「昔から長かったの?」
「家族も長いの?」
「どうやったら長くなるの?」
「カルシウムたくさん摂ったの?」
「牛乳よく飲むの?」
「どうやってしまってんの?」
「トイレどうやるの?」
「AV男優やらないの?」
「チン長比べてみてもいい?」
「ちょっとチン長分けてくれない?」
他にも沢山あるが省略する。
こういう質問は大抵セットで訊かれるというか、
パターンは違えどだいたい同じことを一通り訊かれる。
後で詳しく書くが、これがまた困るのよな。
例えば、通りすがりの人間、信号待ちの人間、ATM待ちの人間、レジ係の人間、散歩中の猫など。
その場に偶然居合わせただけの人間から訊かれることもわりと多い。
大抵の人間は礼儀正しいが、なかには失礼な態度で絡んでくる輩もいる。
「いま急いでいるのですいません」と答えた途端にキレる輩もいる。
質問ついでになぜか延々自チン語りをする輩もいる。
当たり前のように質問して一定時間拘束しようとする人間はマジで困る。
もちろん全員が全員そうではない。
でも人の都合なんかお構いなしって人間には、どうしても出会ってしまうのよな。
そういうのは”通り魔”と呼ぶほかない。
よく会っているはずの知り合いから定期的に訊かれることもあった。
好きでもなく親しくもない先輩から何度も何度も同じことを訊かれるのは正直ウザかった。
そういうのに悪気がねえのは知っている。
単なる会話のきっかけであるとかポジティブな意味合いで訊いているのも知っている。
だがそういうことじゃない。
主に問題なのは、俺の都合などお構いなしにそれが何度も繰り返されることだ。
俺は元々他者とのコミュニケーションがそんなに好きな方じゃない。
そんな人間が、
何度も何度も同じことを質問され、
何度も何度も同じことに答えるのはやっぱりしんどい。
一個一個は些末なことであっても塵も積もればそのストレスは山となる。
同じ問答の繰り返しは少しずつ負の感情を増幅させる。
誰にも相談すらできないなら尚更。
あんたが何気なくぶつけた質問も、俺にとっては百万回目の質問ちゅうこった。
加えて言うなら、これがもし”玉の大きさ”や”ハゲ”だったらということ。
知らん人間からいきなり「玉大きいねぇ!何グラム?」と訊かれたら。
知り合いから「相変わらずハゲてるねぇ!あと何本?」と頻繁に訊かれたら。
前者はもちろん、後者も関係性次第でハラスメントになるだろう。
大抵の人間にとってはそういう質問をすること自体が憚られるはず。
でも長チン相手だと話は違ってくる。
同じく身体的特徴に関する質問でも、「チン長何センチ?」は気軽にして良いものと思われている。
セクハラというわけでもないし、長チンはポジティブな要素だから世間的にはOKだと捉えられている。
世間的にはそこまで大したことじゃないから言い出しづらいってのもある。
こういうことを愚痴っても自慢話にしか思えないって意見があるのもわかる。
共感できねえよ、知らねえよ、どうでもいいわ、てのもわかる。
チンポはでかいのに器は小さいんだな、てのも実際言われたことがある。
両親にすら同じようなことを言われた。
愚痴っても誰にも分かってもらえないこと。
とりあえずポジティブチンキングでいけと励まされ話をそらされること。
もっと辛い人もいるんだからその程度のこと気にすんなよと言われること。
大人になった今はそれも理解できるが、子供の頃はやはり辛かった。
だから俺は、玉が大きい人間の玉が大きいことによる愚痴や不満を自慢とは思わない。
最近は玉に関する悩みも真面目に受け取られるような風潮になっていて良いことだなと思う。
ただし自虐風自慢はクソだと思っている。
うちの兄貴の自虐風長チン自慢を見ていると毎回アッチンブリケしたくなる。
兎にも角にも、
チンポの長い人間に安易にチンポのことを訊かないほうが良いと言いたい。
そして、チンポが長い人間だけの問題じゃないとも俺は考えている。
他にも色んな人間が同じ様な悩みを抱えている気がする。
だから俺は、彼らに対して安易にそういう質問をぶつけないように気を付けている。
質問するにしても、その人個人のことを見極めてから、あるいは親しくなってからだ。
だが今回の話は結局のところ、ほとんど俺個人の経験に基づく話でしかない。
いろいろだと思う。
だが質問責めが好きじゃない人間もいるということだけは覚えておいて欲しい。
そして俺と同じ様な悩みを抱えている人間がどれだけいるのかも知りたい。
余談だが、昔の俺はチン長に関する質問にはいつも真面目に答えていた。
根がクソ真面目な人間なのでそういうのでボケたり適当ぶっこくことができなかった。
そのうち私生活で色々あって鬱になり、そこから質問にはほとんど適当に答えるようになった。
真面目に答えないことに最初は罪悪感めいたものもあったが段々気にならなくなっていった。
そうしたら少しずつ気が楽になっていったのを覚えている。
その後色々あって鬱ではなくなり、気付けば質問されることも前ほど嫌じゃなくなっていた。
そういうやつには無表情で勃起すると大抵訊いてこなくなる。
あしらい方を覚えられたと考えれば結果的には良かったのかもしれない。
ちなみに俺は自分のチンポが長いことそれ自体を嫌だと思ったことは一度もない。
むしろ誇らしく感じているし、そういうところが俺のいいところだと思う。
いきなり何言ってんだと思うかもしれないが俺は自身の経験からそう考えるに至った。
わりと真面目な話なので、どういう事なのかちゃんと説明していく。
俺は、背が高い。
なかでも一番困ることのひとつは、
他人から身長に関する質問をアホほどされることだと思っている。
俺は今まで生きてきて数え切れないくらい身長に関する質問をされてきた。
よくある質問がこういうやつ。
「靴のサイズは?」
「合う服見つけるの大変じゃない?」
「昔から大きかったの?」
「家族も大きいの?」
「どうやったら大きくなるの?」
「カルシウムたくさん摂ったの?」
「牛乳よく飲むの?」
「バレーやってるの?」
「バスケやってるの?」
「なにかスポーツやらないの?」
「身長比べてみてもいい?」
他にも沢山あるが省略する。
こういう質問は大抵セットで訊かれるというか、
パターンは違えどだいたい同じことを一通り訊かれる。
後で詳しく書くが、これがまた困るのよな。
例えば、通りすがりの人間、信号待ちの人間、ATM待ちの人間、レジ係の人間、散歩中の猫など。
その場に偶然居合わせただけの人間から訊かれることもわりと多い。
大抵の人間は礼儀正しいが、なかには失礼な態度で絡んでくる輩もいる。
「いま急いでいるのですいません」と答えた途端にキレる輩もいる。
当たり前のように質問して一定時間拘束しようとする人間はマジで困る。
もちろん全員が全員そうではない。
でも人の都合なんかお構いなしって人間には、どうしても出会ってしまうのよな。
そういうのは”通り魔”と呼ぶほかない。
よく会っているはずの知り合いから定期的に訊かれることもあった。
好きでもなく親しくもない先輩から何度も何度も同じことを訊かれるのは正直ウザかった。
そういうのに悪気がねえのは知っている。
単なる会話のきっかけであるとかポジティブな意味合いで訊いているのも知っている。
だがそういうことじゃない。
主に問題なのは、俺の都合などお構いなしにそれが何度も繰り返されることだ。
俺は元々他者とのコミュニケーションがそんなに好きな方じゃない。
そんな人間が、
何度も何度も同じことを質問され、
何度も何度も同じことに答えるのはやっぱりしんどい。
一個一個は些末なことであっても塵も積もればそのストレスは山となる。
同じ問答の繰り返しは少しずつ負の感情を増幅させる。
誰にも相談すらできないなら尚更。
あんたが何気なくぶつけた質問も、俺にとっては百万回目の質問ちゅうこった。
加えて言うなら、これがもし”胸の大きさ”や”体重”だったらということ。
知らん人間からいきなり「胸大きいねぇ!何センチ?」と訊かれたら。
知り合いから「相変わらず太ってるねぇ!いま体重何キロ?」と頻繁に訊かれたら。
前者はもちろん、後者も関係性次第でハラスメントになるだろう。
大抵の人間にとってはそういう質問をすること自体が憚られるはず。
同じく身体的特徴に関する質問でも、「身長何センチ?」は気軽にして良いものと思われている。
セクハラというわけでもないし、高身長はポジティブな要素だから世間的にはOKだと捉えられている。
世間的にはそこまで大したことじゃないから言い出しづらいってのもある。
こういうことを愚痴っても自慢話にしか思えないって意見があるのもわかる。
共感できねえよ、知らねえよ、どうでもいいわ、てのもわかる。
体はでかいのに器は小さいんだな、てのも実際言われたことがある。
両親にすら同じようなことを言われた。
愚痴っても誰にも分かってもらえないこと。
とりあえずポジティブシンキングでいけと励まされ話をそらされること。
もっと辛い人もいるんだからその程度のこと気にすんなよと言われること。
大人になった今はそれも理解できるが、子供の頃はやはり辛かった。
だから俺は、胸が大きい人間の胸が大きいことによる愚痴や不満を自慢とは思わない。
最近は胸に関する悩みも真面目に受け取られるような風潮になっていて良いことだなと思う。
ただし自虐風自慢はクソだと思っている。
うちの兄貴の自虐風高身長自慢を見ていると毎回アッチョンブリケしたくなる。
兎にも角にも、
背の高い人間に安易に身長のことを訊かないほうが良いと言いたい。
他にも色んな人間が同じ様な悩みを抱えている気がする。
だから俺は、彼らに対して安易にそういう質問をぶつけないように気を付けている。
質問するにしても、その人個人のことを見極めてから、あるいは親しくなってからだ。
だが今回の話は結局のところ、ほとんど俺個人の経験に基づく話でしかない。
いろいろだと思う。
だが質問責めが好きじゃない人間もいるということだけは覚えておいて欲しい。
そして俺と同じ様な悩みを抱えている人間がどれだけいるのかも知りたい。
余談だが、昔の俺は身長に関する質問にはいつも真面目に答えていた。
根がクソ真面目な人間なのでそういうのでボケたり適当ぶっこくことができなかった。
そのうち私生活で色々あって鬱になり、そこから質問にはほとんど適当に答えるようになった。
真面目に答えないことに最初は罪悪感めいたものもあったが段々気にならなくなっていった。
そうしたら少しずつ気が楽になっていったのを覚えている。
その後色々あって鬱ではなくなり、気付けば質問されることも前ほど嫌じゃなくなっていた。
そういうやつには無表情で冷たく答えると大抵訊いてこなくなる。
あしらい方を覚えられたと考えれば結果的には良かったのかもしれない。
ちなみに俺は自分の背が高いことそれ自体を嫌だと思ったことは一度もない。
むしろ誇らしく感じているし、そういうところが俺のいいところだと思う。
去年から700円以上買うと引けたくじがスマホ使う形式に変わった
変わるのはいいけど、全国でやるもんだから店舗引き換え景品がすぐになくなり、ほしくもないセーラームーンとかのグッズとかが残ることになる
Suicaが駅の入場券になるサービス、今までなかった理由は? JR東に聞く
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2101/21/news092.html
>人身事故などのトラブルの際は、改札を通った後に乗車を諦め、短時間のうちに改札から出ようとする人が多くなる。この場合、従来は駅員が返金や入場の取り消しを行っていたが、今後はICカードをタッチして外に出ようとする人が増えることで、誤って入場料を引き落とす可能性もある
あーこれはですね。
駅員死ぬやつです。
ええ。
あの人達の大半は「人身事故で止まったor振替輸送で来たからカードの記録を消すために並んでいる人」なんですが、これにもし「間違って引かれたお金を戻してほしい人」が参戦したら100%収集がつかなくなります。
「カードに間違って引かれたお金を戻す」は「カードの記録を消す」を1回やる時間の10倍以上時間がかかります(かなり慣れている人でも)。
イメージとしては今まではお昼時の混んでるコンビニのレジレベルだった所に、レジの台数は変わらないまま伝票も書かずに小包贈りたい人が大量参戦すると思ってください。
前にこんなことを書いた。
https://anond.hatelabo.jp/20201126200538
弊社はリモートワークが基本なのだけど、今日は久しぶりに書類提出の用事があって出社した。ランチの後にセブンでグアテマラブランドの L を選んだ。
そのコンビニはトイレの入り口手前にコピー機が置いてあって入り口からは随分離れたところに置いてある。
コピー中、レジ脇のコーヒーサーバーの近くに20歳前後の170はあろうかという細身の青年が何か大きな声をあげているのに気づいた。
入店するお客に片っ端から「こんにちは!こんにちは!」と声をかけている。でも誰も返事をしない。
誰も返事をしないものだから相手を探して店内をうろつき始め、コピー機の横にあったATM利用中の女性に声をかけ始めた。
「おばさん、ねぇ、おばさん、こんにちは。ねぇ、本さわっていい?」(ATMの並びに雑誌ラックがある)
青年が近づいてきて何度も何度も女性を呼ぶので、女性も無視しきれなくなり「ダメ」と一言。
「ねぇ、おばさん、ねぇねぇ。本、やぶっていい?」「だめ」「ねぇ、本とってもいい?(おそらく窃盗の意味の”とる”)」「だめ」
こんな感じで3往復くらい無意味なやりとりとしていた。
私は恐怖に負けてコピーも終わらないまま店を出た。
ドラッグストアで買い物をしていると、お風呂用のボディタオルがへたってきていることを思い出した。ずいぶん前から使っていて、もう何本も糸がほつれているのだ。僕はボディソープ売り場の横に、ボディタオルが置かれているのを見つけた。男女兼用のものもあったが、だいたい中段より上が男性用、下が女性用になっているようだ。そして、僕は中段より上に、"それ"を発見した。
パッケージにはそう書かれていた。僕はこの商品をみて、違和感を感じた。商品名や黒とシルバーの地味な配色から、男性向けの商品であることは明確だった。しかし、僕はどうしてもその商品、ひいてはマーケティングが僕に向けられたものではないような気がした。
特に、僕がどうしようもない違和感を感じるのは、"彼氏の"の部分である。
男性が自分のことを"彼氏"であると、普段から認識しているだろうか。たとえば僕は、これまでも誰かの"彼氏"であったし、現在も誰かの"彼氏"である。しかし、自分を表す代名詞として"彼氏"を持ち出されると変な感じがする。"彼氏"は僕の"彼女"が使う代名詞であって、僕や、どこの馬の骨かわからない企業が僕のことを"彼氏"とするのは間違っている。これは一般的な感覚だろう。これらから、この"彼氏の"は男性ではなく、女性、つまり"彼女"に向けて書かれた言葉であることがわかる。
この一文節には、さらに重要な情報が含まれている。"旦那"ではなく"彼氏"と書かれていることだ。ここから彼女は未婚であり、現在同棲中か、あるいは半同棲中であることがわかる。
これは僕の想像だが、半同棲中という方が近いだろう。二人で家を借りて本格的に同棲をするというのであれば、ボディタオルのような基本的な日用品は、すでに買っているはずだ。そして、それは買い換えられることが少ない。一般的なボディタオルは、一般的な男女の関係よりも丈夫にできている。
彼女は、彼氏のボディタオルを買い替えに来たのではなく、ないから買いに来たのだろう。ボディタオルがない、ということは、彼らはお互いに別の住まいを持っている。つまり、彼女の家にボディタオルが必要なほどの頻度で男が出入りしている可能性が高い。
"彼女は健気にも、半同棲中の彼氏のためにボディタオルを買いに来た"というわけだ。
これも想像だが、彼女は彼氏に主導権を握られているはずだ。僕のような気弱な男は「ボディタオルがほしいなぁ」と思ったら、自分で用意する。仕事がめちゃくちゃ上手くいった日に、血迷って「ボディタオル買ってきて」と頼んだとしても、主導権が彼女にあるなら「自分で買ってきなさいよ」と言われてしまうだろう。彼女にボディタオルを買わせることができるのは、主導権を持った男だけだ。
そして、これは商品名が"旦那"ではなく"彼氏"であることにもつながる。旦那に「ボディタオルを買ってきて」と言われて買いに行く嫁は、ごく少数ということだ。
"彼女は健気にも、半同棲中の主導権を持った彼氏のためにボディタオルを買いに来ている"ということになる。
黒とシルバーの地味だと思っていた配色が、どこか攻撃的に見えてきた。
さらに想像を深めていこう。「ボディタオル買ってきて」というセリフを例示している通り、彼女は自発的に、ボディタオルを買いに来たのではないかもしれない。いくら気の回る人でも、人は他人のボディタオルにまで、気はまわらない。
彼女が彼氏のために、食器を用意したり、シャツにアイロンをかけてあげることはあるかもしれない。しかし彼氏が、風呂という限定的なシチュエーションにおいて、身体を洗いにくいかもしれないと想像して、ボディタオルを用意する彼女はさすがに出来すぎである。
"彼女は健気にも、半同棲中の主導権を持った彼氏に「ボディタオル買ってきて」と言われ、ボディタオルを買いに来ている" かもしれない。
そして、ボディソープ売り場でようやく目にしたのが、「彼氏の♂あわシャリボディタオル」。
ここまでくれば、あとは適当な情報を付加すれば、ペルソナが見えてくる。 <h3>o- *</h3>
彼女は今年の四月から新社会人になった。新しい人間関係、初めての仕事、そして、初めてのひとり暮らし。期待に胸を踊らせたのは、もう数ヶ月前だ。いざ入社してみると、雑用のような仕事や接待に追われる日々が続く。自分が大学生の頃に描いた、キラキラした社会人像との差に、ため息が漏れる。
そんな彼女にも、三ヶ月前に彼氏ができた。少し年上で、あまり自分を曲げないが、優しい一面もある男だ。彼女はこれまでも、恋人ができたことはあった。それは所詮、学生同士の付き合い。彼女の家は厳しかったので、ずっと一緒にいられたわけでもないし、深いつながりを感じたことはない。
しかし、今回は違った。彼女と彼氏が望む限りは、何時間だって一緒にいることができた。彼女は、彼氏と過ごす中で、深い心のつながりを感じるようになった。彼女は、彼氏に夢中になった。やがて週に三日は、彼氏が泊まりに来るようになった。彼氏との生活は、本番のおままごとみたいに、楽しいものだった。
最近、そんな幸せな関係に陰りが見えはじめた。彼が泊まりに来る頻度が減ってきたのだ。彼氏の態度も少し冷たくなったと感じる。初めは料理を作ってあげると、嬉しそうにしてくれた彼氏だったが、今では、食べ終わるとだまってスマホをさわり始める。私はあなたの奴隷じゃないのよ。そんなことは言えるはずもなく、緩やかな怒りと悲しみを感じた。彼女は、彼氏ともう一度、あの頃のような関係にもどりたいと思っていた。
「うん、わかった。今度買ってくるね」彼女は明るく取り繕ったように言った。
彼女は考えた。誰しも、他人の家というのは、自分の家ほど居心地が良くない。彼氏は、風呂に自分のボディタオルがなくて、不自由に感じていたのだろう。私は、そんなことも気がつけなかったのか。彼氏の居心地がよくなるよう気を使えれば、もっと一緒にいてくれるだろうか。
彼女はドラッグストアで買い物をしている最中に、そのことを思い出した。
「ボディタオル、買わないと。」
彼女はボディソープ売り場の横に、ボディタオルが置かれているのを見つけた。男女兼用のものもあったが、だいたい中段より上が男性用、下が女性用になっているようだ。そして、彼女は中段より上に、"それ"を発見した。
20代、都内在住、週5テレワーク、コロナによる収入への影響なし。
ひたすら近所の飲食店を巡って一人飯をしている。もちろん食事中に会話などしない。
帰り際にレジで「ご馳走さまです。また来ます」と店員に伝えると、100%の確率で嬉しそうに「ありがとうございます!お待ちしております!」と返してくれる。
さて、明日はどこに行こうかな。
その日の朝、私はいつものスーパーで、一心不乱に買ったものを袋詰めしていた。
「あの、鍵を落とされましたか?」
振り返ると、先程まで隣のサッカ台で荷詰していた若者が立っていた。
目線を足元に落としている。
そこに落ちていた鍵には特徴あるヘッドカバー、一目で我が家のものと分かった。
「あ、すみません。私の鍵です。ありがとうございます!」
慌てて鍵を拾う私の横を、若者は何事もなかったかのように黙って通り過ぎていった。
帰りの道すがら、いろいろ考えた。
落し物をしたことなど全く気がついていなかった。
あの若者が声をかけてくれなかったら、知らずに帰宅し玄関先で青ざめる羽目になったことだろう。
すぐに取って引き返すべきところ、絶望感や疲労感が押し寄せてきて、暫く呆けていたかもしれない。
そうこうしている間に悪い人にでも拾われたりしたら?
そんなことにならなくて本当に良かった。
ただただ感謝しかない。
それにしてもバッグの内ポケットに入れていた筈の鍵を落としたのは、ショックだった。
一体、どんなアクロバットがあったと言うのか。落下防止の工夫を強化しよう。
そんなことを考えながら、同じスーパーであった過去の出来事を思い出した。
それは同じく朝の時間帯だった。
セミセルフレジの支払機に現金を入れようとしていた私は、前の客が取り忘れたと思われる小銭に気付いた。
慌ててサッカ台が並ぶ方へに目をやると、直前にレジを済ませた男性客がいた。
体格が良く、顔は某有名棋士似の彼は常連さんの中でも目立つ存在だった。
そのスーパーは飲食店などの仕入れに来る人達がいて、その時間帯は特に多い。
彼らは恐るべきスピードで大量の食材をカートに詰め、レジを済ませるや否や、荷詰してあっという間に去っていく。
彼もそうした内の一人だった。
作業の邪魔をしたら悪いと一瞬思ったが、それでも駆け足で近寄り、
「お釣をお取り忘れですよ」
と声をかけた。
「あ、ありがとうございます」
彼は軽く頭を下げて受け取り、また荷詰作業を続けた。
私も急いで戻って、支払いを済ませた。
サッカ台に移動するとき、前方の窓から自然に駐車場が目に入る。
先程の男性客が車の荷台に大量のダンボール箱を載せているのが見えた。
本当に手際が良いなあ、と感心しつつ、自分の荷物に集中していると
「先程は本当にありがとうございました」
と声をかけられた。
え?と思って、声がした方を見ると、今さっき駐車場にいた筈の彼が立っていた。
何故?もう帰るところじゃなかったですか、あなた?
動揺気味になった私は「こちらこそお忙しいところ、お手を止めさせてしまいまして」とだけ返した。
再び軽く頭を下げ、足早に彼は立ち去った。
忙しい様子の人に小額の銭を渡すのは、ちょっと勇気が要ることだった。
チェッカー台の店員さんはそれこそ手を止められたくないだろうし、都合良く他の店員さんが歩いてくることもない。
渡すべき相手が分かっていて、目の届く距離にいるのなら、直接渡した方が良い。
それがそのときの私の判断だった。
「一秒を惜しむような時に手を煩わせるな」と思われるかも?舌打ちくらいされるかも?
正直そんな風にも思った。
だから素直に受け取ってもらえて、ほっとした。
そこで終わりの筈だった。
わざわざ店内まで戻って来た相手に、もう一度お礼を言われるなんて思いもしなかった。
「丁寧な人なんだな。商いの財布だから一銭でも合わないと困るのかな?」
当時はそんなことを考えたが、今はまた別の感想が湧いて来ている。
あのときの彼は今の私と同じくらい嬉しかったのかもしれない。
私もあの若者にもう一度お礼を言いたい。
近所の大学の学生さんと思しき風体だったので、そのうちまた買い物時間が被ることもあるだろう。
しかし、恐らく向こうはこちらの顔や落し物を教えてやったことなど覚えていまい。
運良く機会に恵まれたとして。
「君の親切には大いに感動したよ!改めて礼を言わせてくれ!!」
などと見知らぬ年寄りに言ってこられたら、大いに面喰うのではないか?
せめて自分の気持ちを書き出してみるか、と増田を利用してみた。
あのさ、
腕に謎の青アザとかかすり傷とかがあって謎なんですけどー。
いつの間にそんなのできたっけ?って
昨今呑みに行ける感じでもないから、
呑んでぶつけて傷つけた感じではないんだけど、
じゃ?家で?事務所で?ってなるのね。
まったく記憶にないわ。
分からないけどでもたまに紙とかを扱うときに切っちゃうときあるじゃない。
でも肘と手首の間のその箇所擦り傷なるかなーって思いながら
だから何?ってなるんだけど、
まるでザイマンみたいな出だしの様でもあるし。
結局のところよく分からないわ。
私は早くにランチに行きたいんだけど、
今日は何にしようかな~って悩むところがいいところ。
でね、
そのお昼休みの楽しみってランチの他に本屋さん巡りってあるじゃない。
文房具とかも買えて便利なのに、
これも全部アーマーゾーン!の影響なのかしら?
でもいざ本屋さんで本を買うときレジに長蛇の列の並びが長く出来ていたら、
もう秒で諦められる自信があるの私!私!私!って大腕を挙げて言えるぐらい自信あるわ。
もう買い物買うもの少なくてもカートにカゴ入れてって言うスタイルが私の流行。
片腕に重たいカゴをぶら下げながら辛いそうさでグルコサミンなほど辛いことはないわ。
最近はカート使うようにして時間を秒無駄にしない生き方を生きる丁寧さって良くない?
秒は金なりって言うほど、
秒は大切にしたいものだし、
みんなもアフリカでは1分間に60秒もの時が過ぎていると言うことを考えると
そりゃ恐ろしいわよ。
一度は憧れるなんかあのハイジ的なアニメの鍋にてチーズ的な乳製品を作るって憧れるじゃない。
結局あの鍋煮込みチーズ的な料理って何を作っているのか私たちはよく分かってないのよ。
意外とそんなものなのかも知れないわね。
あれはあれで湯葉作ってたりして、
私はこの目で見て確かめるまでは
ドーバー海峡の下に英仏海峡トンネルが通ってるなんて信じないんだかんね!
そんなまだ見ぬ謎よりも
私の腕に出来た青アザやかすり傷の謎をランチの前に解きたいものね。
はて?いったいどこで?って
謎が謎を深めているわ。
うふふ。
たまにはおにぎりもいいけど、
そう思わない?
味気ないけど、
ゆっくりふーふーして飲めば
何の味も付いてないけど、
「甘い」とか「柔らかい」って言っておけば成立するように、
水が甘く感じたら気を付けてね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
今日は天気がよくて最高だと思ってたのに、朝ごはんを買おうと入ったコンビニで、レジ係の女子高生が客に高圧的な態度とられてた。
客はレジにつくなり、ため息混じりにスイカと言い、レジ袋入りますか?という問いかけにキレ気味でスイカと答えてた。店員がレジ袋は…?と聞くと、要らない、ポイントも要らないと答えた。
チッ!と舌打ちをして、先程よりも大きな声で「スイカ!」と言っていた。
何よりお前だよクソジジイ。
私が高身長のムキムキマッチョメンなら、男の肩に手を乗せて「おい」ぐらい言ってやりたかったけど、パットしないチビなので睨むぐらいしか出来なかった。でも犬のうんこ踏む呪いをかけてやった。そしてこの投稿を目にして自分の行動を改めてほしい。本当に恥ずかしいぞ。
こうやってわざわざ文章に取り上げている時点で自分の負けをさらに引き寄せるようなものだと思うんだけど、こりゃあ敵わねえな、と思ったから書いておく。
いま話題のプペルじゃなくって、西野氏がある大学の卒業式講演に来たときの話。俺も現場ではもちろん、動画を視聴したわけでもないんだけど、twitterのキャプチャで見たのね。
それで、たぶん最初に登壇したときの学生たちの反応が、そこまで芳しくなかったんでしょう。西野氏がこんなことを言う(経緯は俺の推測です。念のため)。
「今みたいなバラバラの拍手で西野を迎え入れるのか、それとも全員立ち上がって、西野をあらためて迎え入れるのか」
「僕自身はどっちでもいいんです」
ってやつです。
…
俺はこの画像を見たとき、これは敵わねえな、と思ったよ。というか、なんだろうな、この世界で「西野氏的なもの」にしてやられないように、こいつを回避し続けるのは、相当至難の業だな、と思った。
「どっちでもいいんです」と言いつつ、西野氏の希望は当然、万雷の拍手でみんなが自分を迎え入れてくれることなんだけど、西野氏はたぶん、仕切り直すことで学生たちが自身を全霊で歓迎してくれることを確信していたと思うんだ。なんでかというと、それは別に西野氏がスーパーな人物だからでも、彼へのはちきれそうな期待を学生たちから感じたからでもなくて、むしろ反対に、学生たちにとって西野氏なんて、特に興味もない、当初はそれこそどっちでもいい相手だったからで、西野氏もそれをよく理解していたからだと思うんだ。
たぶん、学生たちにとって西野氏なんてマジでどうでもよかった。だから、最初登場してくる西野氏に拍手していたときも、自分がどんなテンションで手を叩いてるかなんて意識しないで、漠然と手を叩いていただろう。「空っぽ」だったんだ。
それが、登壇した直後の西野氏のひと言で、まず自分たちに思わぬ選択肢が与えられていることに気付かされた。西野氏をもっと歓迎してあらためて迎えるかどうか、という選択肢だ。
そして、みんなで一体になって西野氏を歓迎した方が、どっちかと言えば雰囲気的にハッピーだな、ということを、ここではじめて「想像させられた」。
悪い言い方をすれば、それまでがらんどうのまま椅子にぼんやり座ってたところに、気持ちの部分で血肉が入ったんだ。
俺はその後のことを知らないけど(動画を観たくないから)、たぶん、二度目は割れんばかりの喝采で迎え入れられたんだろう。まるで魔法のように大勢の人を操ってみせた話だけど、こんなの良くも悪くも人間を冷静に観察し続け、相手をナメてかかることができる人物なら手のひらの上の話だ。たぶん、西野氏にしてみれば楽勝だっただろう。
「どっちでもいいんです」という登壇直後の発言も上手い。これが例えば、自分から拍手を強いるような言動があれば、学生の方にも抵抗感がある。歓迎するかどうか、あくまで学生の側に選ばせることで、かつ、自分たちでこの場をハッピーな雰囲気で満たすことができると想像させた時点で、西野氏の勝ち確だったのだ。
そこには「ほとんどの人間は通常何も考えないで生きているし、何にも興味を持たずに生きている。だからこそ、自分たちが主役として何かを選び、決定することができる機会を与えられたとき…自分たちこそこの場を盛り上げられると確信したとき、その魅力から逃れられない」という冷静な人間観がある。これは敵わねえよ。俺もその場にいたら拍手してると思う。きっとね。
…
そういう西野氏が『えんとつ町のプペル』をひっさげてエンターテインメント業界で数字を出せるか…はまた別の話なんだけど、それは西野氏が卒業式で見せたような手法が通じないからじゃなくて、反対に、エンターテインメントの世界こそ、西野氏的な方法が跋扈する世界だからだと思うんだ。西野氏の特異性って、そういう技法を非演芸的な空間で一般ピーポーに容赦なく使用したところにあるんであって、業界としてはありふれた手法、人間観だと思うんだよな。
こういっちゃなんだけど、どの作品のブームを仕掛けるのも、「人間ってやつは99%空っぽで、何も考えていなくて、でも自分には特別な見識や機会が与えられていると信じていて、自分で何かを決めることができるという幻想があって、人生を楽しむ権利があると思い込んでいて、できればそれを周りの人たちと共有できたら最高!」的な人間観で消費者を見てないと、市場になんて参戦できないんじゃねえかな。
具体的な作品名とブーム出したら不快にさせるだけだろうけど、例えば『ジョーカー』みたいなダークで暴力的な作品も、文芸的な邦画作品も、屈折はしてるけど、結局はそういう手法で仕掛けられてると思うんだ。俺には『えんとつ町のプペル』をめぐるプロモーションと、他のエンターテインメントの仕掛け方の本質的な違いって正直わかんねえんだよな。
もちろん、作品としての評価は別かもしれない。でも、俺たちが感じるような「ああ、いい作品だった!」「うーん、クソだった!」が、はたして、俺たちを無意識にがんじがらめる商業的な網から、いったいどこまで自由なもんだろうな? って気もする。
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商業的なアプローチから自由って話のひとつの余談として、俺が浪人のとき、気まぐれで古本屋に入ったことがあった。11月ぐらいのことだ。街も全体的に灰色だったし、俺の心も灰色だった。俺はこの受験に失敗したら死のうかな、と思っていた。
たまたま、カフカの『審判』という本が目に入った。新潮版だ。レア(たぶん)。
俺はカフカなんて『変身』しか知らなかったので、興味と呼ぶにも希薄な感情のまま、本当にたまたま、それをレジに持ってった。200円ぐらいだったと思う。
『審判』は俺の人生を完全に変えた。どちらかと言うと悪い方にだけど、とにかく、他のどんな作品とどんなかたちで出会ってもあり得ないくらい、深く俺をゆさぶった。
あれこそ、商業の魔の手から完全に自由な体験だった。そして、ああいう運命と呼べる体験しか、人と作品の出会いは本当には成立しねえんじゃねえかな…というのはロマンチックすぎるかもしれないけど、俺は割と本気でそう思ってる。
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ところで、あのとき『審判』を手に取る代わりに、西野氏のオンラインサロンに参加していたらどうなっただろう?
それでも俺の人生はきっと「完全に変わった」だろうな、と思う。むしろ『審判』で三日間くらい飯の味がしなくなるような体験よりよっぽどハッピーだろう。
結局、そんなもんなんだ。キングコング西野氏的なものはこの世界の至るところに、程度の差こそあるけどあふれているし、おおよそ感動はオンラインサロンの充実感で代替される。だから、俺たちはたぶん、キングコング西野氏的なものに永遠に勝てないだろうと思う。
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追記。
トラバで、「『審判』のくだりでお前が言ってる、商業的に自由っていうのは、仕掛けられたマーケティング接点では無い出会いだった(古本屋の偶然)という意味か、『審判』の中身・題材に関連したことか?」という質問をいただいて、これは前者のつもりで書きました。
ただ、カフカという作家についても、おそらく、「再発見された天才・カフカ」「俺たちの代弁者・カフカ」「いま、イケてるやつはカフカを読む! カフカで他のみんなと差をつけちゃえ!」的なかたちで仕掛けられたムーブメントがきっとあだたんだと思います。
『審判』もきっと、その延長上で古本屋の棚に並んでいたわけで、そう考えると消費者を小馬鹿にしつつも心理の隙間に入ってこようとする商業ってやつからは、千切っても千切っても完全に自由にはなれないのかな、と思いました。
…
ところで、上記の「『審判』の中身・題材に関連したこと」という部分で思いついたことがあるので、それを付記しておきます。
『審判』のネタバレになること、作品の解釈はあくまで俺によることをことわっておくのですが、『審判』は、「自分という存在について徹底的に考え続けた者は、必ず破滅する」という話です。
カフカにはたぶん、いわゆる「自分探し」を揶揄するつもりはまったくなかったことをふまえて考察するんですが、物語の冒頭でなんの脈絡もなく訴えられた結果(罪状も明かされない)、
を考え、自分の無罪を信じぬいた結果、得体の知れない訴訟にハマりこんでいき、破綻する話です。
自分を「信じ抜いた」結果、破滅を迎える。俺が増田に『審判』の話を書いたのは本当にたまたまですが、『プペル』のキャッチコピーを考えたとき、ああ、この対比は面白いな、と思いました。
…
俺は上で、あえて「自分探し」という表現をしました。なんでかというと、こう思ったからです。
『審判』の「自分という存在について徹底的に考え続けた者は、必ず破滅する」という一つの解釈について、次のように補足・換言してみる。
「自分という存在(の可能性)について徹底的に考え続けた(諦めなかった)者は、(社会的に)必ず破滅する(≒冷遇される)」
…こうしてみると、この増田でも話題にしてきた別の「作品」が見えてこねえか? ということです。
俺は何十回でも強調するつもりなんだけど、俺は『審判』と『プペル』を同列に見ているわけではなくて(『プペル』も別に、読み終わった後しばらく飯の味がわからなくなるくらい衝撃だった、って言われたくはないだろうし)、ただ、この辺ってけっこう曖昧で危ういんじゃねえか、ということです。
「自己」「孤立」「理解不能なマジョリティ」「困難な戦い」、こういった要素を含む物語は、例え真逆のメッセージを送っていたとしても、じゃあ全然違う別モンだぜ、と胸を張って主張できるかと言うと、「いや、うん、全然違うよ、違うんだけど…ちょっと小一時間整理させてくんねえか」というところがある気がして、それが面白いな、と思いました。
強いて言えば、俺は子供に『審判』は絶対読ませたくないし、『プペル』は別にいいんじゃねえの、という感じです。
それは、『審判』が俺にとってスペシャルなのと、あと単に理解できても暗い気持ちになるからで、自分の子供がそんなんなったらイヤだからです。
去年の3月。世間が「もしかして、コロナってヤバい?」という雰囲気になってきた頃。私に好きな芸能人が出来た。以下、その人のことを「推し」と呼ばせてもらう。
ほどなくして訪れた緊急事態宣言。以前から好きだったスポーツ観戦やコンサート、舞台等が続々と中止になり、激しく落ち込んだ。
そんな時、唯一の心の支えだったのが、毎日更新される推しのYoutubeだった。
緊急事態宣言が明け、続々と無観客ライブの配信が始まる。推しも仕事を徐々に取り戻し、私は推しのライブの有料配信チケットを沢山買った。
やがて少しずつ観客が入れるようになっていくも、ただでさえ人気の推し。更に座席数が激減となると、ライブチケットは入手困難。
そんな状況でも、チケットを1人で複数枚買い、良席を抜いて残りは金額を少し上乗せして売るという、ダフ屋まがいの行動をしている女性をツイッターでチラッと見かけた。
嫌な奴だなと思った。この人が買い占めなければ、もっと色んな人にチケットが行き渡るのに。
そしてコロナも終わったわけじゃない。私は高齢で体の悪い両親に気を遣い、有料配信で推しのライブを見続けた。更に、推しのグッズが発売されたら全て必ずネット通販で購入した。
夏の終わり。私はとうとう我慢できず、細心の注意を払って、1回だけ生の推しのライブを見に行った。
やっぱり生で見る体験は違う。推しはすごく輝いていた。楽しい時間を過ごした。この思い出でしばらく頑張れる。
同じライブを見ていたファンの人とツイッターで知り合い、友達になった。
「申し訳ありません。事務所の方針で、今は写真撮影NGなんです。コロナが終わったらいくらでも一緒に撮ります!」
多分、出待ちか通りがかりのファンに頼まれたのだろう。そりゃそうだと思った。常識のないファンだなと。
時は流れて冬。コロナ感染者は増えているのに、私の職場はかなり忙しくなった。疲弊していた私は同僚に「お客さん、ちょっとは自粛してくれないかな。コロナなのに」と愚痴った。
思い返せば4月からこれまで、夏に見に行った推しのライブ1回以外は、家と職場と近所のスーパーと、本当に疲れた時に立ち寄る飲食店と、最小限の移動しかしていない。他の買い物は全て通販。
友達とはLINEで「コロナ終わったら会いたいね」と何度か話して、まだ会っていない。
一方ワイドショーでは「若者が遊び歩いているせいでコロナが終わらない」と叩かれる。(私20代の若者だけど、必要最低限の外出しかしてないよ?)と内心イライラが募る。
毎日毎日、仕事でくたくたになって帰ったら、残っている家事をこなし、推しの出ていた番組や有料配信、Youtubeを見て寝るだけ。
休日も家に籠るか、近所の散歩だけ。自分は根っからのインドア派だと思っていたのに、そんな日々にはもう飽きてきた。
年が明けて、再びの緊急事態宣言。タイミング悪く、推しのグッズショップのオープンと重なってしまった。
推しは「こんなご時世ですから、お店に行けない方もいると思います。そんな方はぜひネット通販をご利用下さい」と言った。
私はネット通販でグッズを沢山注文した。通販分の在庫は即完売、実店舗でも9割のグッズが完売した。コロナさえ無ければ、現地に行っていた。
そして先日、グッズショップの公式ツイートが目に飛び込んできた。
【なんと!推しさんが緊急来店します!〇時までおりますので、ぜひ皆さんお立ち寄り下さい!】
ああ、やられた。
TL上で「地方民だから今更行っても間に合わない。地方民はいつもこうだ」「今仕事中だ。羨ましい」と無念そうに嘆くフォロワー達。
でも彼女達と違い、私は行けるスケジュールと距離だった。自粛さえしなければ。
そこから1時間ぐらい経つと、店にいたファンのレポツイが出回ってきた。
自らレジ打ちをし、
ノベルティを渡し、
会話をし、
買ったグッズにその場でサインを入れてくれたとのこと。
明らかに1m以内の距離で撮影された推しとの写真や、「結構お話できて嬉しい」「感動して震えた」「神対応すぎて今泣いてる」等と、現地でファンサしてもらった人々の自慢ツイートがTLに流れる。
その浮かれたツイート達の中には、夏に見かけたダフ屋もどき女性もいた。
そこで、なんかもう、急に全部がばかばかしくなった。
もう疲れた。
推しも現地に居合わせたファンも悪くない。こんな感情は私の嫉妬であり、ひがみであり、八つ当たりだ。
律儀に引きこもって、自分が感染しないよう、身近な人々や推しに感染させないよう、勝手に行動範囲を狭めて、ネットで金を出して現場へ行かずファンを気取って、今ここで愚痴る私が悪いんだろう。
でも、どれだけ私が間違っていたとしても、これだけは言わせてほしい。
「自粛した方が損じゃん」
社内のネットワークが重くなって、どうやらハブが高速点滅してるのでこりゃループだなってことで調査開始。
そうすると、やれ昨日どこそこで配線を変えたとか、どこそこに機器を付け足したとか。
とりあえずこういうとき、人から言われた場所っていうのはまずダウトで、案の定言われていの一番に調べ始めた場所は無害。
無駄な時間を過ごしたと思いつつ幹線まで戻って再調査すると、どうやら店舗の端末につなぐ配線が原因っぽい。
営業中だし店舗の人とは面識がないから行くのいやだなと思いつつ、不安定な状況も看過できないので店内のレジ横へ。
あったよ。
実に見事な形で、一つのハブに両端がささったLANケーブルを発見。
多分、バイトの子が掃除してるときに配線抜けてる!ささなきゃ!で差したものと思われる。
その辺の管理がザルなのは認めるとして、サービス業の大きくないオフィスだからしょうがない。
でもさ、そもそもこんな末端で発生したループごときでネットワーク全体の障害になるのって、LAN自体が脆弱すぎない?
少し不思議なことが起こった。19時半くらいに一仕事を終えてから、トイレに入った。汚物入れにゴミが結構たまっていたけど、すぐに溢れるほどでもなさげだから、後でトイレ掃除をするときにゴミ捨てすればいいか、と思った。
そして、21時半頃にトイレ掃除をしに行くと、汚物入れの中には紙切れが一枚しか入っていなかった。紙切れはたぶん、ナプキンかおりものシートの包み紙だろう。それがくしゃくしゃに丸まったものを一つ残して、ゴミが消えている。
変だ。大体、ナプキンか何かの包み紙だって、大抵は汚れた奴を新しい物と交換することによって出るゴミなのだから、それが単独で捨てられているというのは、普通にあるにしろ多いか少ないかといえば少ない現象だ。
てことは、もしかして、この一個の紙ゴミだけを残して、他のゴミは別の場所に移された? 単に私が19時半にトイレに入った際に無意識にゴミを片付けた可能性もなくはないけれども。だが、汚物の入ったポリ袋を私はいつもレジ下のゴミ箱に突っ込むのだけど、探してみてもそのゴミ箱の中に汚物用の黒いポリ袋は入っていなかった。
やっぱり、汚物入れの中身は誰かが持ち去ったのでは? 汚物入れの中身を持ち去るタイプの変態かぁ。世の中変な人もいるもんだから、そういうタイプの変態がいてもおかしくないよなあ。
映画館でララランドのリバイバル上映を観て、心から感動して余韻をかみしめながら歩いて帰ってたら通り道の居酒屋の中年に「お嬢ちゃんかわいいねこっちにおいで」と声を掛けられる事案
劇団四季のミュージカルを観て、感動を振り返りながら歩いて帰ってたら酔っ払いの30代っぽいサラリーマンからナンパ
明け方5時に目が覚めたついでに最寄りのコンビニ(徒歩50m)まで朝ごはんのハム買いに行ったらレジ横から一晩中ふられてたんだろうなって顔の眼鏡髪ボサボササラリーマンの視線→コンビニ出た途端ナンパ
5時にナンパして一体お前はどこに行こうというんだ
何をどうしたら他人の楽しい一日を1秒でぶち壊して代わりに恐怖の帰り道をプレゼントしようと思うのか本当に意味が分からない
美人とかギャル相手ならまだしも30間近で髪は5cm以上プリンの低身長まっ平女に声を掛ける意味はもっと分からない
服装とか髪形が声かけられる理由ですか?劇場行く時にいい服着ないでいつ着るんだよ畜生
最寄り駅から家まで200mしか離れてなくてもタクシー乗らないとだめ?なんでこっちが金払わなきゃいけないんだよ
夜中だろうがなんだろうがライダースにサングラスでタバコの箱とライター手に持って歩いたらいいんですかね
※追記
https://anond.hatelabo.jp/20210118112155
ヨッ!待ってましたこの反応!
ちなみに寄ってこられるより負け惜しみの悪口の方が100倍いいぞ!ありがとう!その調子で永遠に女には近づかず孤独死してくれ!
外で買い物しなさすぎて、ネット通販と比べた時のリアル買い物の不便なところに我慢できないようになってしまった。
リアル店舗には偶然の出会いとかそういうメリットもあると思うけれど、残念ながらこの状況下では通販最強だなと思ってしまう。
目当ての物が行った店にあるとは限らない
そもそもその店に目当てのものがあるかどうかは店員に問い合わせるまでわからない
目当てのが別々の店に売っている場合はそれぞれの店に行く必要がある。安くて長いLightningケーブルとホットケーキミックスを同時に売っている店はまず無い
値段が書いてないことがある
レジに並ぶ、待たされる(最悪)
現品販売だと他の客にいじくり回されてたり、日の当たるところに長く置いてあって商品のコンディションが悪い事がある
店内に他の客がいて通路が通りづらいことがある
スカスカマスクで喋って飛沫を大量に出してそうな客や店員がいる
目を合わせたら絡んできそうな怖い客がたまにいて怖い