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2023-09-15

[] そのななひゃくはちじゅうろく

タイターッス

 

本日は国際民主主義デー、日本においてはスカウトの日、ニュータウンの日となっており

他に、大阪寿司の日、ひじきの日という長らく敬老の日であった9月15日を由来とした記念日がございます

 

年寄りを敬う、大事なことですね。

何が大事かっていえば大人が案外サッパリしてる人達ばっかりじゃなくて、その時の気分によってネチネチすることがあるから大事にしなきゃいけないってところです。

まり居丈高にしていたら膝カックンさせられますしね。

まぁそれは同級生でも年下でも変わりませんが。

とはいえ年の功で出してきた経験値からとんでもない飛び道具が出てくることがあるのが年寄りですから

皆さんも気をつけておきましょう。

 

ということで本日は【他人への敬意よいか】でいきたいと思います

他人への敬意よいか他人への敬意ヨシ!

 

それでは今日も一日、ご安全に!

2023-08-20

流山何であんなに土地高いの?

つくばエクスプレス沿線から人気なんだろうけどそれにしても高過ぎだろ

秋葉原までは近くても結局家から駅まで歩く時間と、秋葉原から職場まで行く時間考えたら1時間は行くだろ

土地の値段と実際の価値全然見合ってない気がするけど……

の子育て世帯子育て終わったら一斉に歳をとるし、その子供たちはまた別のニュータウンに行くだろうから価値暴落するんじゃないだろうか

2023-07-21

娘よ、パパは小学校が嫌いだった。

今年、娘が小学生になった。都内公立小学校に通っている。そんな娘に「パパは小学校しかった?」と聞かれて、僕は「楽しかったよ」と答えたけど、これはハッキリ言って嘘だ。

娘に変な先入観を持ってほしくないから、ポジティブに答えたけれどパパは小学校が大嫌いだった。正確には学年が上がるとともに制度先生が嫌いになっていった。

平成初期に生まれた僕は小学校3年生まで80年代に開発された所謂ニュータウンに住んでいた。比較若い住民が多く、大きな電機メーカー工場などが集積していたので、所得教育水準もそれなりに高かったのだと思う。小学校も開校20年程度だったと思う。好きな先生もいたし、友達ともよく遊んだ。指の皮が剥けるまでスマブラ64をしていたと思う。

その後、両親の離婚を経て、僕は母方の祖父母の家に住み、かつて祖母や母が通ったという小学校に転校した。明治時代からある古い学校だった。

カルチャーショック

この学校に転校した時は激しいカルチャーショックに見舞われたので一部ご紹介する。

1.男女でトイレが分かれていなかった。壁際に小便器がずらっと並び、その後ろには個室が並ぶ。要するに男子便所と同じ構造だ。そして、この個室には男子女子関係なく入る。ジェンダーレストイレが話題になった今となっては時代最先端なのかもしれないが、当時は本当に驚いた。

2.自転車に乗っていいのは小学4年生から自転車の解禁が小学4年生以降だった。何も知らずに毎日自転車乗っていたら、ある日学年集会でいきなり晒し上げられてルールを知った。

こういう一つ一つ、当時の自分が嫌なポイントが増えていったのだが、決定的だったのは先生の質の低さだ。

小学校先生たち

3年生当時

30歳前後/女性

とにかくヒステリーをよく起こす人で、どうでもいいことで一々叫び散らす先生だった。クラスで少し問題があるとなんでもかんでも集団責任と言い、一々放課後に全員で居残りさせられて迷惑だった。クラスいじめられている子がいて、僕は転校生クラスヒエラルキーの外にいたので、助けようとして喧嘩になったら怒られたり、その放課後に、このクラスいじめはありません!とか宣言しててこの人もうダメだと思った。毎日上履きに泥を詰められたりして、◯◯菌とか言われてる奴がいじめられてなかったらなんなんだろう。

4年生

40代後半前後/男性

この先生はかなり変なおじさんだったが、好きだった。いつも扇子を持ち歩き、教室に畳を敷いて、カーテンを簾に変えていた。将棋趣味将棋を教えていた。その先生から将棋を教わって将棋を始めたクラスメイトはその後、当時史上最年少で女流棋士としてプロになったのでその一点だけでも凄い人だと思う。

5,6年生

30代半ば/男性

この人はマッチョな見た目そのままの脳筋だった。子供ながらこんなに頭悪いのに学校先生になれるんだなぁ、と思ったものだ。悪気があるのか無いのかわからないが、事ある毎にうちが母子家庭であることをクラスで話し、当時は今ほどシングルマザー理解も無かった時代、そして土地柄。そのせいでクラスメイトやその親から「お父さんいないってどんな気持ち?」と聞かれたり、煽ってくる奴がいた。

決定的におかしいと思ったのが、成績の評価だった。大前提として、僕は公立小学校程度のテストならばどの科目も殆ど100点以外取ったことが無かった。年に1回の県統一学力テストでも成績は学年1位だった。そういうわけで国語算数理科社会通信簿は常に5段階中の5以外もらったことがない。

ところが、僕はこの先生に「3」を付けられたのだ。そして、自分より頭の悪い子が5を取っていた。この成績を見た母は「1学年1位の息子が何故3なのか?」と学校に問い合せた。実は当時、通信簿評価がそれまでの相対評価から絶対評価に切り替わった。先生曰く、生徒一人ひとりの成長を元に点数を付けることになったが、100点しか取らない僕は成長が見られないので中評価だという説明だった。

それに加えて、各科目の課題や授業に対する態度が悪いということ。具体的にはドリルとか問題集とか、その学期を通して行うべき課題最初の1週間で全部終わらせて提出したことが悪い、授業中騒いだり他のことをしたりするわけではないが、かと言って授業も真面目に聞いていないことも理由であったと。

全く意味がわからなかった。

学校簡単テストは100点以外取りようが無いのに、どうやって成長を示せばいいのか。簡単宿題を早く終わらせて一体何が悪いというのか。教科書を読めば一瞬でわかることを延々と説明する授業の一体なにを聞けばいいのか。僕は授業の邪魔することもなく、ただただ黙って大人しく時間が過ぎるのを待っていたのに。

ちなみに結局その後、試しに中学受験に向けた全国模試を受けたら偏差値は55~60くらいしかなくて、中学受験組の中では精々中の上程度だとわかった。そして日能研の「シカクいアタマをマルくする」とかい広告問題全然解けなかった。別に自分が頭が良いわけではないことを理解出来た。そして実際に市川という上の下くらいの中学校になんとか滑り込んだ、というのが僕の実際の実力だ。開成筑駒?渋幕?全然無理、って感じ。

何故嫌いになったのか

当時を振り返ると嫌いになった要素がいくつかあると思う。

まず第一に、制度問題日本公教育は、基本的に出来ない子に合わせざるを得ない環境であり、そもそも人間としての最低限の指導しかしてもらえない。加えてその基準は非常に低い所にありすぎて、子どもたちの学力すらもまともに測れない。物差しすら用意していない。当たり前のことが出来るだけでメーターを振り切ってしまう。そして相対評価の謎運用無駄な不平等を生み出している。

そして先生問題先生の魅力というのは、学力だけでなく教育への熱意や広く言えば人間力など様々な観点があると思う。そしてその仕事過酷さが度々話題になるように大変な仕事なのもわかる。

しかし僕が出会った先生は今思い出してもヒステリーなオバさんや脳筋が多く、学歴的にも大凡他人に物を教える事ができるようなレベルではない。人間力含めたって精々小学生くらいにしか教えを説けるレベルになかったと思う。

考えてみれば、そこそこの学歴を持つ友人を見渡した時、高校教員大学教員になった奴はいても小学生相手をしている奴なんて殆どいない。

そんなことを考えると、子供私立小学校に入れる選択肢を考える親の気持ちもわかる。ただ、個人的には小学校の時に悪かった友達大人になって逮捕されたりしてるのを見ていると、人種の坩堝に身を投じて色々な人がいるということを理解するのも大事な気がする。

娘よ、そういうわけでパパは小学校が嫌いだった。お前が思ってるよりしょうもない大人先生をやっているからな。そういうことにも一つ一つ気づいていきながら人生を歩んで欲しい。

2023-07-19

anond:20230716132330

たぶん今の全国メインニュース基準って、河川護岸の大規模な決壊とか、住宅密集ニュータウン土砂崩れとか、そんくらいなんだよね。

ただの浸水とか、ため池の決壊被害の少ない土砂崩れぐらきでは、一回報じてそれきりぐらい。都市部浸水結構ボーダーラインではある気がするけど。今がそうならそうなのだろう。

良い悪いではなく、頻度の話。

そのくらい全国で災害は頻発してるってこと。

 

あとそちらの事情よくしらないけど、地方マスコミが貧弱だと余計にそう感じることはあるかもな。

2023-07-07

銀の匙八軒くんの感想

銀の匙という、荒川弘の書いたマンガがあります

これは、「札幌育ちで、受験に失敗した八軒くんが、農業高校に進学して成長する物語」なのですが…八軒くん、つらい受験勉強をしたから、まんべんなく勉強ができる基礎学力があるんですね。

しかし、農業高校クラスメイトは、みんな自分の得意分野を持っていて、「全科目2位」というすごいけど本人的にはスッキリしない結果に落ち着くんですね。

それが本人には自己肯定感の低さにつながるのですが…

「何でもまんべんなくできて、いいやつで、苦労して勉強して覚えたから覚えるのも教えるのもうまい!」

から農業高校頭角を現して、自信もつけていく。…というマンガです。(めっちゃ面白いからぜひ読んでね)

都会やニュータウンで育った子には、受験学内成績では振るわなかったけど、「やってきた努力があるから地域によってはすごくレベルが高い」という子が…少なからずいるんですね。

1巻か2巻までしか読んでない人間じゃないとこんな感想書かないと思うんだが、この人ちゃん銀の匙読んだのか?

2023-06-29

anond:20230629224750

それじゃああなたニュータウンにでもいってきなさい。

乳首がいっぱいよ。

2023-06-27

anond:20230627231840

そういうこと言ってるうちにさらに高くなっていくだけだと思うぞ。限界ニュータウンとかは安くなるだろうけど。

2023-06-26

anond:20230626100017

なるほど。とても腑に落ちました。(その説明を読むまで元の文章意図理解できてなくて失礼しました。)

で、この違いは何なんでしょうね。日本都市計画関係者の人たちはどう考えているのだろうか?

というか、一般の人たちもそういう視点からこの件を見てすらいないのかも。(私が良い例ですね、はい。)

ということで、そういう視点もっと広まるといいんじゃないかと思いました。

だけど、実際のところどうなんだろう。昭和の半ばあたりのニュータウン開発の反省を踏まえて最近はいろいろと工夫がなされていたりしないのだろうか。よく話題になる流山とかはどうなんだろうな。行ったことないけど…

anond:20230626153105 anond:20230626153545 anond:20230626154123

それかなり特殊だと思うが?

外国と違って日本に一軒家タイプ公営住宅はないでしょうよ 

団地公営もしくはUR共同住宅マジョリティ認識ですよ

マンションアパート団地の違いは? |ニフティ不動産編集部

団地とは、行政UR都市機構、公社が開発・運営する共同住宅のことを言います

建物のものの特徴を表すわけではないので、アパートマンションとはまた違ったカテゴリーだと捉えてくださいね

https://myhome.nifty.com/column/rent/220221334951/

通常、団地とだけいえば公共住宅のことを指しているのであって、工業団地と同じようなニュアンスでは使いません

あと、マンションや戸建てとか住宅が集まってるところをなんかの企画書やらで団地呼称することはあっても、

マンションや戸建てとか住宅が集まってるエリアのみを指してニュータウンって呼ぶことはないです

ニュータウンニュータウン(新しい街)です

anond:20230626153309

昔あったニュータウン的なヤツを団地と思うヤツもいるんかw

2023-06-25

anond:20230624221212

俺は千葉で生まれ育ったけどすごいわかるこの感覚

その気になれば東京に行ける距離ではあっても、よっぽど発達のいい子供か、親が上手く動機づけしてくれるかじゃないと行けないんだよな。「東京がそこにある」ということを認識できないから。元増田は俺よりもずいぶん精神の発達が早かったようで、郊外の家しかない街が嫌なんだと自己認識して東京に行ってみたりバイトしてみたり色々したのは凄いことだな。

俺は自分郊外を嫌だと感じていることすら大人になるまで認識できなかった。ただずっと言語化できない何かを渇望していただけだった。言語化できていなかったから、色々やってみてそれなりに文化的体験をしたりもしたけど、本質にたどり着くのには随分時間がかかった。

ファスト風土」で有名な三浦展の「首都圏予測」という本の中に書かれていることを読んだときに俺は膝を打った。

純粋な戸建て住宅地は異物を排除しがちである。静かな環境を求めてきた住民は、住むこと以外の生活住宅地に入れたがらない。静かに音楽を聴いて、読書をして、食事をして、寝て、という家族だけの平穏暮らしを乱されたくないと考え、むしろ家庭を外の社会から隔絶させることを大事にするからだ。”

これだ。俺が生まれ育った郊外住民はこういう連中だった。俺の実家は戸建ではなくニュータウン系のマンションだったが、全く同じだった。それぞれがそれぞれの「家庭を置く場所」としての街を求めているだけで、それ以上に何も求めていなかったんだ。だから家庭以外の商売活動は、住民がそれを求めていないのでビジネスとして成立させることができず潰れる。せいぜい子供関係の集まりくらいだ。それもお仕着せのようなテンプレート子ども会みたいなものだけだった。取り敢えず型通りやっとけばいいだろという感じだった。今ほど情報が行き渡ってない時代だったので、仕方がなかった面もあるだろうけど。

郊外にもショッピングモールができて十分便利だろとか、銀座ダイソーがあるくらいなんだから東京だって大して変わらんとかコメントがついているが、全くそういうことではないと思う。そういった通り一遍の「生活」以外の要素が存在する余地のあることが重要なんだ。郊外にはそれがない。やればできなくはないが、住民がそれを求めていないので広がっていかない。彼らは庭付一戸建て(あるいは柏の葉やおおたかの森や海浜幕張の駅近マンション豊洲晴海のタワマン)に住んで公園イオンモールに行ければそれで十分満たされていて、そこに渇望はないのだ。彼らの子供たちには渇望があるだろうが、子供なのでかつての元増田や俺のようにどうしていいのか分からず燻るだけだ。

都市会社に勤めて郊外の閑静な住宅街に住み自然豊かな環境で伸び伸びと子供を育てる」というのは高度成長期から平成に掛けての「物語」だったのだろうと思う。社会が拡大していく時代はそれで良かったんだろう。「都市」が拡大し「郊外」を取り込んでいくという期待があったから。

でも現代ではもうその「物語」は終わってしまった。人口は減っていくことが確実になり、拡大の期待に依存することはもはやできなくなった。これからは集積の時代になると思う。人口が減っていくからこそ人々が寄り集まりスケールメリットを活かしつつ新しいものを生み出していかなければならないと思う。集積を都市に任せ、互いに隔絶された「家庭」の集まりとしての「郊外」を存在させておく余裕は無くなっていくのではないか。家庭も生活仕事文化も全てが一体となって存在する、かつての下町のような社会になっていかなければならないのではないか。何より、俺が生まれ育った千葉ニュータウンのような街なんかより、その方が面白みがあって楽しいからね。

そう思って俺は都心に狭いマンションを買ったよ。千葉には帰りません。

不思議なのはさ、例えばアメリカは「大いなる田舎」と呼ばれているように、NYCなどのごく一部を除いて、日本人にも名の知れてる街でもまあ田舎なんだけど、ある程度の街はちゃんと街ごとに文化があって小さくても面白みがあるんだよね。Googleがあるマウンテンビューとかさ。街のサイズとしては多摩より遥かに小さいし大した歴史もないんだけど、住宅だけじゃない文化がある。歴史がないゆえに(スタンフォード大学を除いて)新しいものばかりだけどね。だから東京郊外の街も原理的にはできるはずなんだよ。でも現実にそうなっていないのは、やっぱり住民価値観のせいなんだと思う。そこが嫌。

2023-06-16

anond:20230616014637

>20年後の限界ニュータウン化について

わが家も当然懸念しています

なので定期的に自治体内での引っ越しをしながら、その自治体で今後上がりそうなところに先に住むという選択をして、うまくやり過ごしている感じです。

の子高校生くらいになったら都内引っ越しをする予定です。

また、学校に近いので、将来的にも一定人口流入は見込め、土地も売却しやすいのではないかと踏んでいます

現在入学時にこの自治体に入ってくる人が結構ますし。

>一旦キャリアを降りて仕事に戻れるのか

前線バリバリでやるのは難しいと思いますが、リハビリを兼ねて兼業でやる。

以前一緒に働いていたメンバーから引き合いもあるので、最初アシスタントから始める等も検討しています

それこそ、「その業界・商材に携われれば、現状大して年収は欲していない」ので、今より年収が変わらないor多少下がっても、やりがいを求めて働ける環境にある感じです。

anond:20230615234629

うちの妻でも年収700万以上あるので、800万が上位1%というのは実感と合わないなあ。

なお俺の年収は1100~1200万くらい。そんなに収入がいるのかという点については、この水準を定年まで維持できるなら確かに必要以上に多いのだけど、60まで能力的にお払い箱にならず稼ぎ続けられるイメージ全然できないので稼げるときは稼いでおかないとなって感じ。

公務員なんかだとそういう心配はないんだろうな。

関東郊外

都心通勤圏でもあるが、都心用事はない

ただ緑の多い郊外に住んでいます、という感じ

そうは言っても人気の地区に住んでおり、地価は順調に上昇中で子育て世帯が多い

柏の葉とかおおたかの森とか幕張とかその辺かと思うんだけど、こういうところって20年も経てば限界ニュータウン化する気しかしないんだよなあ。その辺どう考えてるのかは気になる。

高級腕時計とかはどうでもいいけど、その手の郊外で家とイオンしかないエリアにはどうしても住みたくないというのがうちの価値観なので、それだけで世帯年収1000万はちょっと足りないとなるんだよなあ。

もしくは、お金はあるので、本当にやりたい仕事に戻り、やりがいを追求しても良いだろう。

一旦キャリア降りて誰でもできる仕事しかしてない期間が長いようなオッサンが「本当にやりたい仕事」に戻るなんてできるもんなんだろうか?なんの実績もない割に歳だけ食ってるのに。給料ゼロ円でもいらないというのが大体の組織感覚だと思うけどなあ。うちだってそんなオッサンに来られても困る。

やりたいことやりたいなら、途切れずやり続ける以外では無理なんじゃないかと思うんだよなあ。

2023-05-29

なぜ「地方ロードサイド」だけがコピペ」と言われるんだろう

俺には多摩千葉ニュータウンコピペに見える。

埼玉神奈川ベッドタウンコピペに見える。

なぜこれらは「コピペ」と言われないんだろうか?

2023-05-14

anond:20230514124004

正直新築は興味ないかあんま知らないというのはある。

あいずれにしてもタワマンだろうとそうでなかろうと住民(や街)に多様性無いのは無理だわって話。

その最たるものがタワマンということで、流山だとかのニュータウン系も同じだね。

2023-05-06

anond:20230504110406

愚痴らせてほしい。昨年の春、向かい新築戸建てに家族引っ越してきた。

そこは元々100坪ほどの土地だったのだが、3分割にして分譲されている。

 

販売が終わり戸建てが建築され始めても、新住民は一向に挨拶に来ることはなかった。

ニュータウンマンションならいざ知らず、古くからある住宅街に家建てて挨拶に来ないことなどあるのだろうか。

戸建てが完成するまで建築業者の車が頻繁に出入りして危ないし、それなりに騒音もある。

 

さすがに不安になって、新住民引っ越してきた直後に、お隣さんが挨拶に行った。

居住マナー町内会ルールを丁寧に説明したそうだ。

けれど、結局新住民はうちに挨拶に来ることはなかった。

 

しばらくして、新住民の女がうちをずっと見ていることに気がついた。

正直気持ちが悪かったけど、色んな人がいるだろうしということで我慢していた。いつかはなくなることを信じて。

 

でもある時、敵意の原因が分かった。

うちは和風の古い住宅で、急階段トイレが1階にしかない。

自分の部屋は2階だったので、恥ずかしながらたまに2階から用を足していた。

我が家敷地範囲内だったし、まさか見られていると思っていなかった。

 

女はすごい剣幕でうちの親にクレームを言いに来た。

自分が悪いので、謝るしかない。

それでも気が済まなかったのか、精神異常者扱いで近所の人に言いふらされた。

 

 

週末になると、目の前の道路で新住民の子供が遊ぶ。

ガレージ程度の広さの庭なので道路で遊ぶしかないのだろうが、車が1台通れる程度の道路なのに、奇声を発したり塀にボールをぶつけたりとやりたい放題。

目の前に分譲住宅ができたことで、静かな生活が一変してしまった。

どうしようもない状態だ。どうすればいいんだろう。ノイローゼに近くて、仕事の方もうまくいかなくなってきた。

 

 

かに非常識な行動はあるんだけど、あとひとつだけ言わせてもらう。

8月だった。日曜日。新住民の庭に大勢大人が集まってバーベキューをしていた。

庭が広いとか、田舎なら分かるけど、普通住宅地だよ?

煙が流れてくるし酔っぱらってうるさいしで頭に血が上り、ついに「おい、お前ら!!」と言ってしまった。

そうしたら、新住民の男が言い返してきた。

 

「なんですか、あなた?」

「あの家に住んでますバーベキューくさいんでやめてくれますか?」

別にいいんじゃないですか。匂い届かないでしょ」

「あの家の二階に住んでます。やめてください」

「いや、どう見ても離れてるでしょ。くさくないでしょ」

「ほな警察よぼか!!」

 

もう辛いので、これくらいにさせてほしい。

態度が悪くバーベキューもやめようとしないので、仕方なく警察を呼んだ。

状況を察して、お巡りさんが新住民に注意してくれたようだ。

 

どうやら、最近は近所の人に自分や親の仕事などを聞きまわっているらしい。

住民は住む場所を選べるが、旧住民は新住民を選ぶことができない。

まれ育った町なのに、こちらが引っ越しをするしかないのだろうか…。

2023-04-17

anond:20230417090604

良くも悪くもお役所仕事特定の党しか許可しない、とかするわけねーので

 

そこで演説してねーなら、別で演説してるんだよね。

それがどこなのか? それによって彼らが何を狙っているのかが結構かると思うぜ

例えば通勤客狙いやめて、ニュータウン団地で車流しているかもしれん。

2023-03-26

増田♂52歳のナントカ

(´・ω・`)「…濃いぃ一日でしたやで」勤務先としては何の物質金銭的な協賛もしてないのにハッシュタグ付けて宣伝してあげた手前、たとえ午後以降の夕方手前という時間から野暮用が入ってもワイは行くのだ!…ちゅーて見に行ってきましたで「NT高の原」!近鉄奈良線大阪市内から乗ったのも初めて、でも車両乗り入れしとる阪神電車(笑)西大寺で乗り換えしてもやはり京都府から乗り入れしとる京都市営地下鉄烏丸線車両(笑)に偶々あたって認識が混乱しかけそうやったけど。しか沿線風景がまた興味深い!日本橋を過ぎてから地上に顔を出したら鶴橋の町並みの屋根の上を通る高架、あーじゃあこれからどんどん建物の間隔が空いてくるんやろ?とおもったらこれがまた東京みたいに密集した街のままでずべらーっと西へ拡がってて意外だった、しかしそのうちに木々やら丘やら増えてきて段々と山に向かって傾斜が付いて、突き当たりの山肌を斜めに横へ駆け上がっていく!眼下にさっき感嘆してた拡がった街並みを見下ろすのがいい感じ、そしたらその駆け上がった山を最終的には正面からトンネル穿ち、抜けた所が生駒の駅でやたら開けたニュータウンという面持ち、さらにそこからまた下りつつも小さな山をやはり抜けて大和西大寺、ここで同じホーム全然ちがう路線車両が交互に発着しているという初見デンジャーな乗り換えを無事にこなし、二つほど北上したらそこが高の原だった。

高の原はしかしここも山の上を拓いて造ったニュータウン雰囲気バンバンしてて(京都府乙訓西山民なら桂の西の奥の例のやつで身近なアレ)、なんだか造成がやたら立体的に作ろう作ろうとしてんのな空中通路の祭典みたいな。極めつけのダメ押しに駅の直近のイオンモールも正面玄関唐突に二階へ上がるエスカレーターというね…(突風の吹く雨や雪の日にはそこらじゅうで傘が反り返りまくりなんでは?)

さてここで午後から入った予定のために先を急ぐワイくんは間違いをおかしてまいました、家でWi-Fiつかって検索したルートを細切れにスクショ撮って、それをファイル閲覧アプリで見ながら徒歩で会場を目指したこと!アホー

もうね、汗だくになって迷いつつ、なんとか開場時刻の10分過ぎくらいに着きましたわ…素直に駅から時間に2本のバスに乗っときゃあ、額の汗を気にしながら開場内を周回することもなかった。(中略)

2023-03-11

anond:20230311085306

以下のくだりが、とても印象的だった。

その時にわたし出身地名産が好きで、通販でたまに買って食べてるんだけど美味しいよね、とさりげなく話題をそらしてくれた年配の男性がいた。

その人が後から「あの人、悪い人じゃないんだけどごめんね、自分神戸出身でさ」と言われた。

恥ずかしい話、「神戸出身から」と言われて私は何も分からなかった。

私は自分地震津波被災者で、東北で育った私たちが一番の被災者で、今後数十年はわたしたちが一番のかわいそうな立場だという感覚を持っていた。

「なぜ急に神戸?」とポカンとして「はぁそうなんですか…」と雑に返した気がする。

その後、関東に戻ってしばらくしてから、何がきっかけか覚えていないがオウム真理教の話になったとき

上司が「あの年は神戸で大震災もあって、オウム事件もあって日本は終わりだと思った」と言ってて

やっと気づいた。


ひとの災害経験というのは、ほんと様々で、一概にかわいそうな被害者としてのっぺらぼうな面をみるわけにはいかないよね。

自分けが被害者面していたかも、という気づき。こういうちょっとワンクッションおいて、時間が経って考えること、こういうのが大切なんだと思う。

ただ、被害者という言葉共通項を見出したとしても、阪神淡路大震災経験したひとと、東日本大震災経験した増田がこうして、何かのきっかけでお互いの体験共通部分に触れようとしたときでさえ、お互いが経験したものの奥行や背景は全く違う。でもそれは、もっと言葉を交わさなければみえてこないもの

多分、増田上記言葉を交わしたとき、その手前でふと立ち止まって考えたんだと思う。

ひるがえって自分の親戚の話。自分語りをトラバに混ぜるのはなんだかな、と思うところもあるが、テーマ性質上書かせてもらう。津波から数日後、東北もっとも大きな漁港ひとつで、親戚が経営していた漁業関連会社生産工場が全滅したとの一報を受けた。一方、杜の都に住む息子娘世代は全員無事だったという朗報にほっとしたことを思い出す。

しかし、それよりも震災から半年くらい経って、父が一言つぶやいた言葉のほうが忘れられなかった。

父は東北我が家家系からすると、よそから婿養子だった。

その父が他界した親戚をふりかえってぽつりとこうつぶやいた。

「あれは天罰のようなものだったんだろうね 」と。

期待していない予想外の冷徹つぶやきに私は動揺した。

他界した親戚一家は、さかのぼると、昭和8年津波の前から漁港生計を営んでいた。1933年津波で多くの財産を失った親戚は一から再建する際に、同じ場所でやり直すのはやめるべきだと再三にわたって、周囲から助言されていたという。しかし、結局、同じ場所人生をやり直し、次世代が引き継ぎ、そして次第に事業規模が大きくなり、津波記憶が遠ざかっていくなかで、そのまた次世代の方々が財を成し、地元の名士として羽振りよく、親族のなかで存在感を持つに至る。そんななかで、半世紀以上前東京に出て行った東北の令嬢が結婚前の父と出会う。

大切な令嬢(大地主の長女)をどこの馬の骨ともわからないよその県の小作人末っ子風情に嫁がせるわけにはいかない、という大反対の嵐。本家からなにから親戚中の冷たい目線。結局、結婚は許されて、父は母の家系に婿として入ることになるのだが、その時に受けた屈辱を忘れられないらしく、東日本大震災で全滅した親戚に対して、天罰、という言葉自身のつらみを含ませて表現したのだった。

父にとっては、かわいそうだね、では決して片づけられない感情

個人的には、なにより、貧しい者も栄華を誇った者も等しくなぎ倒した大津波の、客観的な、物理的な力に圧倒せざるを得なかった。

たとえ、誰と震災経験の話をするとしても、このようなパーソナルヒストリーの違いによる温度差は避けることができない。そう思っている。

震災経験していようがいまいが、あるいは同じく焼け出された隣人でも同じではない。大地震大津波破壊力を前には、あの家は無事だった、無事でなかった、そういうさまざまな経験がそれぞれにあるにすぎない。

こうしたファミリーヒストリー視点でそれぞれの思いがある一方で、

上司が「あの年は神戸で大震災もあって、オウム事件もあって日本は終わりだと思った」と言ってて

やっと気づいた。

という上司言葉。そして、「やっと気づいた」という言葉。このつながり方は、大変興味深い。「あの年は~」というのは個々の経験の違いを超えた、歴史を振り返った俯瞰的な総括を含んでいるからだ。1995年という時代、そういったマクロ視点での気づきをもたらすのも災害だ。

そして、それが何かの理由で、自分自身ファミリーヒストリー神戸出身者とのちょっとした会話と結びついたのだとすれば、それは自分ある意味「かわいそうな」私的な思いを、歴史の一コマなかに着地させようとする、そういう覚醒だったのかもしれない。

実をいうと、よりマクロ視点で、それぞれの災害にはそれぞれの社会的な背景があり、その脆弱性被害を増幅させている、という視点最初に提起したのは、阪神淡路大震災だった。

1990年代以前は、災害被害者というのは、災害管理文脈で救援対象として、比較ステレオタイプに捉えられていた。しかし、その認識を大きく変え、都市社会構造脆弱性に関心が高まったきっかけが1995年震災だった。こう書くとなにやら上から目線風だけど、阪神淡路大震災自分仕事として防災世界に入るきっかけを作った。

ざくっとまとめると以下のような歴史神戸にはある。

神戸都市としての成り立ちは、明治の初め、神戸港が開港された時から始まる。以降、港湾労働者が多く流入低所得層脆弱埋め立て地や条件の悪い内陸部へ集住するようになる。他方で、20世紀鉄道時代に入ると、阪神間交通網が充実し、六甲山ろくに高級住宅地が開発されるようになる。高度経済成長期には六甲の開発で切り崩した丘陵地住宅地建設、その残土で海岸が埋め立てられ、工場用地や港湾建設が進められていく。おりしも公害問題が深刻化した時代都市生活環境はますます深刻化していった。そんななか、オイルショックを契機に産業構造の転換という時代の変わり目を迎え、神戸産業シンボルであった造船、鉄鋼は停滞してゆく。それは関連する神戸の零細地場産業を苦境に陥らせ、今度は人口流出が起こり都市部の空洞化が始まった。都市部に残っているのは、流動性の低い層つまり高齢者低所得者ばかりとなった(インナーティ形成)。

これに対して1980年代神戸市の政策的な対応としては、財政問題の打開が先行した。バブル前の当時の考え方では、大規模開発こそが地域経済再生をもたらすと信じられていた。埋立地の利用による、ポートラインラド、六甲アイランド建設物流機能強化のための明石大橋建設最先端技術産業の誘致、ニュータウン建設など、新たな付加価値の創出が事態打開の切り札だった。

その一方、社会脆弱層への支援行政による市街地再生は後手に回っていた。

オイルショック後の産業構造の転換で取り残された低賃金労働者の町、老朽化の進んだ木造住宅密集地域長屋建ての住宅の占める割合の多い市街地長田区スラムのようなオールドタウン)は新陳代謝が進められなかった。地震対策の上でも洪水対策の面でも取り残された街となった。どのような地域であったか番町地区検索をしてほしい。

このような経済格差脆弱性が生み出された、マクロ構造変動のなかで襲ったのが1995年大地震であり、被害社会経済的脆弱な人々に集中した。暴力団員が懸命に救助活動していたエピソードを覚えている人もいるだろう。そういう街だった。

社会学的な視点でみれば、この地震の教訓として、被害高齢者低所得者に集中したのは、ある意味歴史的必然だ。格差が生み出された背景などのマクロ政治的経済的な動向と切り離せないということだ。

そして、このような格差脆弱性という切り口でみる構造分析は先月発生したトルコシリア大地震でも、当てはめることができる。

このように、可哀そうな存在というのを社会学的に脆弱性として構造的にとらえる、ひとつきっかけは、やはり他の災害を知るということであるし、昔の災害を知るということだと思う。

パーソナルヒストリーとしてお互いに触れあうことで、お互いに違うバックグラウンドにあることがうすうすわかってくる、それもまた、大切な気づきなのだと思う。

また、パーソナルなコミュニケーションが、例えばまさに「通販でたまに買って食べてるんだけど美味しいよね」みたいな会話、これが実はマクロ特性を知るうえでも、その人のパーソナルヒストリーをしるうえでに、もっと重要エントリーポイントだったりする。仕事上、ひとから話を聞くときにいつも気に留めていることでもある。

からトルコシリア現在進行形震災について全体状況を大きな視点理解している国際機関よりも、よりミクロ視点で、特定家族地域の人たちにコンタクトがとれる小規模のNGO支援団体に私自身は微力ながら支援金を送付している。たまたまシリア難民支援をしている人と知り合いの知り合いくらいの関係SNSでつながっていたのがきっかけだ。アサド政権物資を止めてしまう現状も現地の声としてより関心を持つようになった。そのほうが確実に、受け取った人の顔がみえ、困っている状況がミクロにもマクロにもわかってくる。自分支援したお金支援先の一家族あたりの支援額(しか第一バッチ)の1/4にも満たないことを知る。こういうことも大切だと思う。

そのように、何かをきっかけに、他の災害に対して接点を持つ機会を大切にしたい。

その人が後から「あの人、悪い人じゃないんだけどごめんね、自分神戸出身でさ」と言われた。

というのは、居酒屋トイレ洗面所とかで何気なくかわす会話、とか想像していたのだけど、そういうのが大切だよね。そういうのが心の残って覚えている、ということがさ。もちろん完全にひとのことを理解するなんてことはどんなに会話を交わしてもない。でも覚えてさえいれば、そのなぜか覚えていた思いを何かにつなげることができる。その「きっかけ」というのはとても大切に思う。

災害を忘れない、というのはそういうことだと思うので。

2023-02-28

anond:20230228122453

いらない理由と「なぜ子供が欲しいのか?」を質問した理由をごちゃまぜで回答しま

そもそも子供が欲しいという感情が分からいか

本当にこれが一番大きい

宇宙飛行士は確かに立派で尊敬すべき職業だけど私自身がなりたいとは思わない、みたいな感じ

自分でもずっとなぜだろうと考え続けているけど、いつも結論には至らず「いらないものはいらない」という話にまとまる

今日聞きたかったのはこの感情の部分で、欲しくない理由を考え続けていても分からないなら欲しい理由他人に聞いてみようと思った

親は親をやめられるが子は親の子をやめられないか

大人は親であることをやめたいと願ったとき、やめる方法はいくつか合法で用意されている

仕事が嫌なら転職する、配偶者が嫌なら離婚するのと同じで、親が嫌なら親をやめられる道が親には存在している

だけど子供は親の子であることをやめられない

親子とは言っても思想思考も全く違う他人なので、性格や体質の致命的なミスマッチが発生する場合もある

そんなとき、親側から離れることはできても子供から親の元を離れることは法律上難しい

子供が親の子供をやめられるのは何か大きな事が起こってからで、その時には既に親子共に大きな傷を負ってしまっている可能性が高い

下手したら人が死ぬ

そんな重大な責任を私は負えない

私の元に一人の他人を縛り付けるなんて怖いことはできない

それにもしも私が産んでその子合法的に手放したとしても、子の戸籍には私の名前永遠に残り続ける

私が死んだら、その子に死後処理と相続放棄負担をかけることになってしま

教育コストを充分にかけられない可能性が高いか

金銭面の話

恥ずかしい話、自分の老後の世話と今後生きていく資金はなんとか積み立てていく目処があるけど、子が本当に望む進路を全て準備してあげるだけの甲斐性がない

まれ子供が、もしもスポーツ芸術の道を志したら?もしもじっくりと成長を待つ支援必要だったら?もしも大きな手術が必要な疾患を持っていたら?もしも学力平均値から上下どちらかに外れて、私学に行くための費用必要になったら?

子供を育てるための資金は二千万とも三千万円ともいわれているけれどそれは平均でしかなく、自分の子供となる一人の人間と向き合うためにはもっと覚悟を持った金額必要になる

さら自分の老後まで考えるととてもではないけれど自分人間一人の人生を背負えるとは思えない

産んだあとに後悔するより産まずに後悔する方が被害者が少ないか

子供を産まずに生きて後悔するかどうかは分からないけれど、子供を産んだら100%後悔する未来が見えているので、もし後悔するなら産まない後悔を選んだほうがいくらかマシかな

ちなみにリアルでこれを言うと私の出自や親を心配する方が多いのだけど、私は一般的平成初期のニュータウンで生まれメーカー務めの親に普通に愛されて普通に大学出た人間なので、虐待されたとか暗い過去とかはない

2023-02-23

anond:20230223202834

限界ニュータウン面白いんだけど、

この世に不満を持つヲタクのような声で喋る所があまりきじゃないんだよなあ

anond:20230222194136

若い人にはどう受け取られるか判らないけど、年寄りには響く

資産価値ZERO -限界ニュータウン探訪記-」

は、震える面白さなので見た方が良い。

とにかくコツコツ調べて、現地も取材したりして、そんな事になっているのか!とビックリする。野生のジャーナリストって感じ。他の廃墟訪問興味本位知識も薄いけど、体当たりで見てみた!的なチャンネルには無い深い感動がある。

2023-02-21

田舎じゃなく新しめのニュータウンに引っ越せば良い

って記事が上がってたから読んだけど、本当にそうなんかな

記事では新しめのニュータウンには古参がいないので「都会風を吹かせるな」というようなやつもいないし

交通機関もしっかりして買い物や生活不自由しない場所もあるとのことでいくつか紹介もされてるけど・・・

どうしても都会の人の俺たちの方が立場が上だよ的な匂いがしていちいち気になる

少し田舎に行ってコスパよく過ごそうってことを目指してるんだったら多分どこに行っても失敗する

そういうつもりだから「都会風を吹かせるな」とか言われちゃうんだけどそういうの多分理解できないんだろうな

2023-02-13

田舎なんかリアルIngressやぞ

東京都下に住んでいる。都心まで40分くらいのセミ田舎だ。

うちの近所を散歩していると、分譲住宅に混じってチラホラと馬鹿かい屋敷がある。

表札を見ると、どのお屋敷もだいたい同じ苗字だ。仮に増田家としよう。

近隣の駐車場も「増田第1パーキング」だったり、アパートも「ヴィラマスダA棟」だったりする。

まりそこら一帯は増田家の支配地域であることがわかる。

要するに地主さんだ。

 

少し歩くと、やがてその苗字が別の苗字に変わる。これをハテナ家としよう。

一帯の駐車場名前アパート名前がその苗字に塗り替わる。

ハテナ不動産があったり、ハテナ建設があったりと、そこらはハテナ一族支配している。

 

歩けど歩けど、これの繰り返しだ。

少し離れた実家の周りも同じ。地主苗字が違うだけ。

見覚えのある苗字だなーと思ったら、大きな保守政党役職者だったりすることもある。

代々地域の有力者で、市議になり、都議になり、代々地盤を固めてやがて国政を担うことになったんだろう。

 

最初に戻って増田家。

市史を繙くと、江戸時代から代々この地域豪農で、増田のほか数件の家で辺りの膨大な田畑山林を持っていたようだ。

それらの土地の大部分は今ゴルフ場ニュータウンショッピングモールや広い道路になっている。

開発業者自治体に切り売りするたびに莫大な富を得たんだろなあ。

 

都心まで数十分のベッドタウン周辺ですらこんな感じだから地方だとまだまだもっと露骨だろうな。

2023-02-09

anond:20230209223134

逆に都市圏郊外ニュータウンなのによく知らん人が東京ではないって1点だけで田舎因習ガーって言われたりすることがあって

結局みんなこまかいそれぞれの土地事情とか知らずに叩いたりしてるんだろうなってのはたまに感じるわ

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