はてなキーワード: デフレスパイラルとは
最近、自分のメンタルがだいぶ病み気味になってきてる自覚があるので、ちょっと吐き出して浄化を試みたい。
私は、メスの私が嫌い。
自分自身が嫌いなわけではない。
人としての自分はそれなりに面白おかしく、それなりの魅力がある人物に成長したと思っている。人としての自分は割と気に入っている。
けれど、メスとしての自分が大嫌いだ。
他人から見ても人としては魅力があるのに、メスとしての魅力はないのだろう。
好きになる人は、いつだって私じゃない女の人が好きなんだ。
それが、いつしかメスとしての自分への嫌悪感になったのだろうと思う。
この悩み、むしろ私にとってはアイデンティティの危機ですらあるこの感情をなんとか解決するには、もはや私は二つしか解決法を見いだせていない。
一つ目は、私の代わりにメスの私を愛してくれる人を手に入れることだ。
もう、誰でもいいから私を愛して欲しい。たとえそれが、言い方は悪いがチビデブハゲでもかまわない。
ここまで深みにはまってしまった私には、その程度がお似合いなのだろう。
けれど、おそらく彼氏に求めるには重すぎる要求だろうし、そもそも彼氏が欲しいと思ってできるものなら、ここまで深く悩むことにはならなかった。
二つ目は、もう要らないのだから、メスの私を殺してしまえばいい。
腹を切り裂き、卵巣をつぶし、子宮を引きずり出し、乳房を剥ぎ取れば、どれだけ心身が軽くなるだろうか。
別に男になりたいわけではない。女の自分に嫌悪しているわけではない。
好きな色はピンクだし、フリフリヒラヒラ、キラキラした可愛い物が好きだ。今まで好きになった人だって男性だし。
でも、メスであることが耐えられない。
メスではない、ただのヒトになりたい。
けれど、これを実現するには手術費がかさむだろうし、性同一性障害者の性適合手術でもないし、無理なんだろうなあと思う。
そうなると、じゃあメスの私を愛してくれる人が欲しいとなるのだけれど、やっぱり彼氏はできない。
誰か助けて
連休なので、過去のツイート編集を投稿して、3以上のブクマが付くかチャレンジ。
(今日は既に3つ投稿して、2勝1敗。『CMに見る日本人の女児嗜好の強さ』はメガヒットだな。)
今回は、一応自信作なんだが。
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お客さんとの契約書類とか、社内の決裁・伺、はては「個人交通費の建替払」のような書類ですら、記載漏れや添付書類不足を起こすような人。
いわゆる経理部とか総務部とかの人間からしたら、「なんでこんなカンタンな書類一枚も、作れないのか?」な低レベルだったりする。
でも、そういう人が「営業スキル」はピカイチで、契約を取ってきたりするから不思議だ。
『書類作成能力がある人』と『ない人』では、たぶん人間の種類が違っているんだろう。
★役所というのは『書類作成スキルがマトモな人』ばかりが集まっている場所。
役所の人間は、世の中に『書類作成能力が欠如している市民が、少なからず存在している』という事実を、全く想像すらしていない。
役所担当者は、『99%の市民は、書類作成スキルを持っているだろう』な前提で、各種行政を組み立てる。
マトモに対行政の書類を作れない市民が割といるということを、行政は意識せずに、行政サービスの手続きに書類作成を組み込んでしまう
★皮肉なことに「行政による弱者向けサービス」ほど、不正受給対策のために書類が煩瑣になる。
で、弱者向けサービスを必要としている層ほど、書類作成スキルが低い。
★世の中には「行政書士」という職業があるが、行政書士も相手にしないレベルのカンタンな書類、例えば「児童手当の申請手続き書類」なんかですら、
マトモに書けない市民なんてのもいたりする。
★「なにが言いたいか?」と言えば、
1.行政は市民とくに弱者市民の『書類作成スキルの低さ』を正しく計測把握すべきである
2.行政は可能な限りにおいて、要求書類数を減らすように行政サービス手続きを設計すべきである
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「行政書士はなんでも対処するが、むしろ行政書士の存在そのものが弱者に認知されてない。」とのRTを受けた。
★だから、弱者福祉って、「役所に来てください」「書類書いてください」な待ちの姿勢の行政じゃなく、
「何かありませんか?」とこちらから出向いていく「攻めの福祉行政」に転換すべきなんだろうな
★例えば「民生委員」とか「ケアマネージャー」とか、弱者のための各種スタッフ制度は、
「必要としている弱者」が「どれだけ彼らの存在を認知している」のか、疑問。
冗談抜きで、世帯年収200万円未満の人に「民生委員って、知ってますか?」と聞き取りアンケートすべき
★実際、ウチの妻なんか、
「民生委員って、そんな職業(?)があるんだ、知らなかった」と言ってるもんな。
一般人でも、実は民生委員制度の存在知らない人が3~4割いそうな気がする。
義務教育の過程で、『生活保護の仕組み』『民生委員の役割』『行政書士について』など、
『弱者に転落した際の、生存ライフハック教育』をすべきじゃないかと思う。
★生活保護なんかだと、一説には「行政は極力、制度を使わせないようにブロックしている」と揶揄されているが、
「行政が用意した弱者向け制度が、アピール不足等で全く弱者に周知されてなく」て、
「行政が利用率向上に躍起」という弱者向け制度は、実は結構多い。
行政が用意した弱者向け制度の利用率が低迷していると、ぶっちゃけ、「次年度以降、予算打ち切り」になっちゃうから、
役所側もメンツにかけて利用率向上のために啓発にいそしむんだよな。
なんか倒錯した話。
★で、有識者会議なんかが
「なぜ、●●という弱者救済制度の利用率は低いのか?」と雁首揃えて議論するんだが、
「手続きがややこしくて、申請を挫折する」みたいなプリミティブなハードルが高いということに、有識者は気づいてない
いちいち教育するより「共産党に聞きなさい」「公明党に聞きなさい」と教えた方が一発だったりする
共産党や公明党の地方議員は、その意味では下手な行政書士よりは機能している訳だ。
民主党がダメダメなのはこの辺だろうな。弱者が困った際の相談窓口の機能を、まるで果たしていない。
★変な話だが、共産党と公明党(の地方議員)同士で、『弱者救済競争』になって切磋琢磨してるんだな。
もし公明党が出現せず、弱者救済が『共産党の独占状態』だったら、共産党も胡坐をかいてしまって、弱者救済がおざなりになってただろうな。
『競争が好結果を生みだした』訳で、そう考えると、『創共協定』で両者を和解させようとした松本清張は、
『競争原理を、わかっていなかった』ということになるのか。
生活保護制度以外の支援政策って、自分も含めたほとんどの人は認知していないんじゃないかな?
人によっては、生活保護よりも最適な支援政策がある筈だったりするが、それが弱者にアプローチしていない。
「生活保護の一強状態」は、いろんな意味で日本の福祉行政を不幸にしている。
生活保護制度は、あまりにも有名になりすぎたが故に、給付を意図的に抑制するなどのイレギュラーな運用を強いられる。
「知名度がないから利用率が低い」
⇒「利用率が低いのは問題だとして打ち切られ、新しい制度が出来る」
⇒「新しい制度だから、なお一層知名度が低くなってしまい利用率が低下・・・」のデフレスパイラルに陥っている気がする。
本気で「弱者への福祉制度の効果的周知メソッド」を研究すべきなんじゃないか?
★この辺の構図は、「(本来は知の弱者のための施設である)図書館の活用法を、肝心の知の弱者が知らない」な話に似ている。
自分は「景品で弱者を釣る禁じ手を使ってでも、知の弱者の図書館利用率を上げろ」と考えてるが、「知名度低い弱者支援政策」も、景品で釣るべし
うつ経験者として語らせてもらうと、確かにうつは甘えかもしれない
少なくとも初期の段階はけっこう甘えも入っていたように思う
そして心療内科に通い始めた
当時、何かの本で「うつは病気だから、周りの人に対して自分はうつだと宣言した方がよい。周囲の協力が必要」みたいなこと書かれていたので実践した
結果、怠け者のバカだと思われた
何を甘えているんだ、と
協力どころか理解すらしてもらえない
甘えじゃないんだ、病気なんだって自分に言い聞かせたけど、それ自体がすでに甘えだと、今になって思う
例えば、熱が出た、仕事休む、それは仕方ない。でも、治って復帰したら、休んでた間にたまった仕事は頑張ってやらなければならない
病気だからって仕事が消えるわけでも、誰かが助けてくれるわけでもない
ある程度は助けてもらえることもあるかもしれないが、それは当然の権利ではなく、あくまで相手の善意
うつも同じで、やるべきことはやらないといけないし、なったところで誰も助けてくれない
自分はうつだということを理由にして、何もしない、助けだけを求めるというのは甘えだろう
よく言われている、「頑張ってはいけない」というやつ
これは正しいと思う、本当に頑張らない方がいい
いわば風邪でぶっ倒れている人間に無理やり仕事させるようなものだ
頑張ってやったら悪化するし、それに上手くできるわけもない
これはデフレスパイラルみたいなもので、何かしたら余計悪化してしまう
抜け出す術は、薬飲んで、ゆっくりして、少し元気になってきたら、ちょっと行動に移してみる
例えば、ゴミをちゃんとゴミ箱に捨てるとか、その程度の誰でもできるようなこと
ここで無理をしてしまうとまた元に戻ってしまうので、無理のない範囲でバカじゃないかと思えるほど小さいことから始めてみる
こうやって少しずつ、できることのハードルを上げていくしかない
ただし、そこで甘えだなんだって、横槍入れられたら治るものも治らなくなる
甘えから始まったものであるかもしれないが、ある時点からは甘えとか言ってられないくらいの精神状態になる
そこまでの状態になってしまった人に対して、「甘えだ」とか言うのは、「死ね」というのと同義だと思う
人の気も知らず、思いつきで言うような言葉じゃない
というか、まともな経済学史はガン無視して、需要と供給の観点から
その結果、経済的新自由主義と呼ばれるものが世界を席巻したわけ
レーガンとかサッチャーとか、まあ、おっさん世代には懐かしい名前だよね
内容としてはサプライサイド経済学という名前からして供給に重点を置いた考え方だ
・民間投資を阻害したり非効率な経済活動を強いたりする規制の、緩和・撤廃(規制緩和)
・財政投資から民間投資へのシフトを目的にした「小さな政府」化
([wikipedia:サプライサイド経済学])
ようするに、ときどき増田にも出てくる、金持ちを優遇したほうがいんじゃね、というあれ
お金持ちはお金をもうけるのが得意なんだから、より多くお金があればより有意義に投資をして
イノベーションやなんかを起こして経済を活性化するから結局みんなが幸せになると
確かにこれは旧共産国や途上国ではかなり上手くいった。少なくとも最初のうちは
もともと、こういった国では計画経済やなんかのせいで供給がぼろぼろだった
だから、需要はたっぷりあって、供給側の企業を税金面などで優遇して、邪魔な規制を
撤廃してやれば、どんどん供給が増え、増えたものはちゃんと売れて、みんな豊かになった
(実際には、きちんとした資本を整備するというのは、もっと繊細な仕事で、そこらへんは
そして、このころ、いわゆる伝統的な金融政策というものが強固になった
・景気が良くてインフレが加熱してきたら金利を引き上げる⇒企業はお金を借りにくくなり
経済活動を減速させる
・景気が悪くて困ったら金利を引き下げる⇒企業はお金を借りやすくなり、経済活動を活発化する
ちなみに、これも、読んでわかるように供給側(企業)に注目した政策だね
もちろん、この政策を実行した国は格差が拡大したし、途中から不調に陥る国もあった
ただ、格差自体は経済の問題ではないし(トリクルダウンが起きるはずとか)、汚職や教育に
由来する問題が足をひっぱているだけだと思われていた
社会問題として改善の余地があるが、経済政策としては問題ないはずだった
バブル崩壊以降、日本はサプライサイド経済学で頑張ろうとした
でも、景気は回復しなかった
確かに、金融機関は不良債権で困っていた。でも、優良企業には貸さないと業績が上がらない
ところが優良企業は借りてくれなかった
でも、景気は回復しなかった
規制を緩和した。もりもり緩和した
金融ビッグバン、非正規雇用、大店法、酒タバコ医薬品販売、タクシー台数制限撤廃にいたるまで
でも、景気は回復しなかった
それでもサプライサイド経済学のひとは、うまくいかないのは政策が徹底していないからという
ただ、ここまでくれば、もういくらなんでもおかしいだろうと思われだした
サプライサイド経済学が正しければ「セイの法則」が発動するはずだった
もういちどさっきの例を書いてみる
お金持ちはお金をもうけるのが得意なんだから、より多くお金があればより有意義に投資をして
イノベーションやなんかを起こして経済を活性化するから結局みんなが幸せになると
もう、みんな答えを知っている
減税や人件費の圧縮で作り出された資金は、イノベーションへの投資ではなく値下げ競争に使われた
だって、それが市場の出した答えなんだもん。イノベーションへ投資した企業は死んだ
需要のない市場で資本を優遇しても、溜め込まれるか値下げに回る
そりゃ企業も売れる見込みもないのに、投資もしないしお金も借りない
ここに至って、今まで供給の付随物と軽視されていた需要が景気のカギになると認識されたわけだ
さて、どうやら需要が景気の動向に大きな影響を与えるらしいということがわかったけど
そこで登場したのが期待インフレ率
需要が多ければ、商品をほしがる人が多いので、値上がりしてインフレになるだろう
需要が少なければ、売れ行きが悪くて、値下がりしてデフレになるだろう
なにより素晴らしいのは、金利とあわせることにより、以前の経済学に需要を接続することができた
期待インフレ率が高ければ、たとえ金利が高くても、将来的にお金の価値が下がるので返済は楽
期待インフレ率がデフレなら、たとえゼロ金利でも、将来的にお金の価値が上がるので返済は苦しい
さて、じゃあ期待インフレ率を上げるのはどうしたらよいか
確かに、個々人の購買力が需要につながるので、究極的な需要の制約条件ではある
しかし、財産を多くもつ高齢者が金を使うかというとそうではないように
本当に有効な使い道を官僚や政治家が決められるのか。汚職や財政規律の問題がある
まあ、ほかに人口動態のせいとかで、そもそも需要上げるの無理という人もいる
そんなこんなで最終的に期待インフレ率が貨幣に結びついているのを利用することにした
つまりお札を刷って物理的にインフレを起こし、需要を上げやすくお金を借りやすくした
あえて書くまでもないかもしれないけど、第一の矢はリフレ政策だけど
第三の矢は昔ながらのサプライサイドの政策に近く、あまり期待できない
というか、需要を重視する立場からは足を引っ張るだけと思うので止めてほしい部類だ
消費税が需要の足を引っ張るのは長引く「反動減」で、もううんざりするくらい明らか
この3月が消費税の納付期限なので企業業績がどうなるかで場合によってはリストラや
倒産などひどい影響が出るかもしれない(出ないことを祈るが)
消費税が消費への罰税であるのと同じように法人税を企業活動への罰税と思ってる人もいるが
端的にそれは間違い
設備投資や人件費など経費にはかからないのだから、利益が出たのに事業を拡張しない
ことに対する罰税なんだ。働かないことに対する罰税ね
また、一部の人は法人税が節税のための無駄な投資を生むから良くないという
しかし、良くないというのはやはり供給から見た視点で、需要から見れば特に問題はない
というか、推奨すらされる
それに対し法人税の減税は、何もしない溜め込みに有利に働く。これは最悪
ここから伝統的な金融政策に代わる理想的な経済政策が考えられたりする
つまり、期待インフレ率が高いときは法人税を下げて消費税を上げ
まあ、実際には税金をいじるのは大変なので、最低限、消費税を上げるなと
それだけ
サプライサイド経済学はもうやめよう
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2015-3-10追記
皆様たくさんコメントをいただきありがとうございます
財政出動の項で話としてややこしくなるけど出しといたほうがいいか迷った点
id:cider_kondo これを完全反転させた「全部ケインズが悪い流れ」も割と簡単に書けるよなー、と思った。散髪行くから書かないけど(嘘
734 ソーゾー君 2015/01/03(土) 17:22:37 M7QJlPzo
何処をどう読んだら2015年が素敵な年になるんだ?
どう読んだら素晴らしい年になるんだよ?
バブル崩壊後に小泉安部構造改革で緊縮財政=民営化をやり日銀に独自性を与え。
格差拡大政策の結果、実態経済=消費経済の通貨枯渇=庶民の可処分所得が減少。
これが原因でデフレスパイラルになったのに、デフレ対策をせずにアベノミクスをやってまだ被害を拡大。
↑格差拡大政策で庶民の可処分所得が減り、実態経済=消費経済の通貨枯渇が原因なのに、
2「通貨を「価値有る物=生活に必要な物と交換」するのが実態経済=消費経済。」
1と2の二重構造になっている。
それが「バブル」だ。
このバブルでも大半の人は関与していない。
馬鹿が煽られて借金して金融経済で通貨を運用するからバブルが起きる。
馬鹿を煽って膨らませて、時期が来たら銀行家は銀行を使い金融収縮を行う。
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/movie/10043/1414594539/
キングの小説に出てくる殺人ピエロ、ペニーワイズのモデルとなったジョン・ウェイン・ゲイシーは父親から常に完璧を求められ、少しのミスでも罵倒され続けた。
それでも彼は父を愛しており、父が求める完璧なアメリカ人になれば自分を認めてくれるだろうと思い、幾たびの挫折を乗り越え必死に努力して成功した。
福祉施設などを慰問し、子供たちの人気者になり、地元の名士としての地位を確立する。
だが父が自らの事を認めぬままに死んだとき、彼の精神は破綻し、33人の少年を殺害し、アメリカの歴史にシリアルキラーとして不朽の名を刻むことになる。
前置きはさておき、家族と30云年つきあってきてさすがに疲れた。
ここ数年間、精神科やアルコールの手を借りてまでどうにかしようとしてきたが多分もう無理だ。
近いうちに何も言わずに引っ越し、電話番号も変え、名前も変えようと思う(こういう時に外国人みたいな変わった名前であるというのは許可がおりやすくてラッキーだ)。
うちの両親が悪人なのか?と聞かれればいささか戸惑う。
彼と彼女は一個人としては極めて優秀な能力をもった人間であり、社会的地位も年収も僕とはくらべものにならない。
そしてこのタイプの人間の多くに見られるように(ワタミが典型例)自分自身の相対化というものがなく、自分ができることは他者もできるものであり、そうでないのは努力や精神力がたりないから、という風に考えている。
そして子供の立場からすると最悪なことだが、起きた出来事=その人間の人格として考える、「状況だのなんだのいうのは甘え、自分の人生はすべて自分で責任を負うべき」という思想がある。
「部屋が汚い」→なんでこんな当たり前のこともできないのか。お前らは狂っている
といった具合に。
こういう親とずっといると子供も同じ思想に染まってしまうが、すでに罵倒され続け自尊心というものを奪われているので、ゲイシーのような一部の強者を除けば両親のマネをして成り上がろうとするも失敗する=自分の存在意義の全否定になる為にたいていの場合、努力するのが怖くなり、逃げてしまう→俺は両親があたりまえにできたこともできない屑という風になり自尊心のデフレスパイラルに陥ることになる。そしてそれをみた両親はまともに努力もできない屑と見て(以下略
僕と兄はずっとこの状態だった。
必死に努力しようとしても怖くて仕方がなくなり、手がつかず「それでもあんな両親みたく立派になるんだ」などと愛情を抱いていた。
兄は勉強で頑張ろうとしたが、失敗し、ネトウヨになり、両親の代わりに関係ない在日に対して憎しみをぶちまけ続けた。
その後はヤのつく自由業になって成功し、今度は「金こそすべて」という価値観に逃避した。
そして生まれた子供に対して「こいつは俺が完璧に育てる。最高の教育を受けさせて海外で働けるような完璧な人間にする」と、かつて自分自身が親にされたのと同様の事をやろうとしている。
僕は普通に働いていたが、数年前から不眠症、アルコール依存、鬱を発症し、精神科やらカウンセラーのお世話になった。
そこで、起きた出来事=自分自身の人格な考え方(典型的なアル中やうつ病の人間の発想らしい)を指摘され、初めて自分自身のゆがみに気づき、修正していくようになり、だいぶ回復した。
なんだかんだでこの数年間で学んだのは「人間は結局全てを背負う事なんてできないし、色んな状況で成り立っている。そしてすべてが自分の責任という発想は宿命論を呼び込んで物事に対する選択肢を奪い、改善の余地もなくし、他者や自分自身を許そうという発想も出てこない」というごくごく一般的なことだった。
まあ先の例でいうなら
「部屋が汚い」→「俺は屑だからできない」
「部屋が汚い」→「動線の確保はできているか?ごみ箱を増やしては?本は電子化。ルンバ購入して楽しよう」
といった具合に変化したわけだ。
で、先日そのことを両親に伝えたところ「いろいろつらい思いをさせてすまなかった」・・・などということはなく「お前は自分自身で責任を負わず、親に責任転嫁しようとしている。そういう甘ったれた考えだから、アル中や鬱なんかになる」「精神科医なんてのは責任をそらして甘やかすのが仕事。お前はそれに洗脳されている」などと言われた。
特に「お前は6歳の頃、勉強をやれと言って課題を与えてもやらなかった。俺はそれが信じられなかった。そういう無頼な生き方が現状を招いたのにそれを他人のせいにしようとしている。うちは普通の家庭なのにおまえらだけが異常だった。普通の子供なら親にやれと言われたことはやる。我々は普通の子供が欲しかった」と言われたときに家族を捨てることを決意した。
僕と兄が育ったのは普通の家庭ではなくたった一つの事で六歳のガキんちょに異常者のスティグマを張るような家庭であることにようやく気付いた。
子供のころから特別に優秀な人間になって両親に認められたら幸せになると思っていたが、結局僕の幸せは「家族と関わらず、静かに日々の生活を送ること」なのだろう。
収入が下がるのは痛いがこのままこれを続けると遅かれ早かれロード・オブ・ジョン・ウェイン・ゲイシーに乗っかる予感がする。
長々と駄文にお付き合いさせてごめんなさい。
結局一言でまとめるとこういう事になる。
「我々は一見して家族のようであったが、残念ながら異なる惑星の住人だった」
追記1
部屋の掃除のたとえが誤解を招いたようですいません。
両親とは就職して以来、近所ですが別居です。
追記2
反響がとても大きくて驚いています。おそらく僕の文章云々ではなく、家族との関係に悩まされている人が想像以上に多いのだろうと思います。
釣りだとおっしゃってる方もいらっしゃいますが、本当に釣り宣言でもできたらどれだけ楽かと思いますw
ジョン・ウェイン・ゲイシーの例は自身の投影というよりも、自尊心を奪われた人間の行動の一つの極北として記しました。
自尊心を傷つけられ続けた人間に残る憎しみというのは消すことができないし、それは兄やゲイシーのようにまったく無関係な人間に向けられるか、僕のように自分自身に向けられるかの場合がほとんどであるように思います。
残念ながら自分を傷つけた人間に返して、謝罪なりされて許してハッピーエンド、といなるのはなかなか難しいのではないでしょうか。
あと、ブコメ欄で舞城王太郎の「奈津川家サーガ」に触れていた方がいらっしゃいましたが、僕自身がうちの家庭や自分は普通ではないのではないか?
と疑念を抱いたのが、この本の元ネタになった村上春樹が翻訳した「心臓を貫かれて」だったりします。
内容はこれまた殺人犯ゲイリー・ギルモアの家庭について弟がしるしたもので虐待を受けた親がそれを子供にそのままぶつけ、子供たちは自分自身にぶつけるもの、無関係な人間を殺したり、みんな一様におかしくなっていく様を記したもので我が家に似ている部分が多々あり非常に衝撃でした。
まあ三十年以上問題がある家族と過ごした身としていえることは「対話による解決は難しいだろうし、まず逃げ出すことを考えた方がいい。」ということでしょうか。
時間が解決することもあればしないこともありますが、こういう生活は常に毒を飲み続ける生活に似ていますし、どんな人間でも毒に対する耐性には限界があります。
そしてその貯めこんだ毒は自分自身のみならず、周りにも向けられるものでもあるのです。
僕は自分自身が家族をつくったとして、その毒が子供や伴侶に向けられ、その子供が家庭をつくってさらに毒の拡大再生産をするような事態に一番怯えています。
表題の「家族を捨てることにした。」というのはそういう意味では今ある家族のみではなく、将来家族を作るという選択肢を放棄するという意味でもあります。
さて最後に暖かいご意見をいただいた方も厳しいご意見の方も、ろくでもない我が家の家庭事情にお付き合いいただいた全ての方に感謝を。
ありがとうございました。
他の音を大きくして見るだのなんだの言ってる奴は本質分かってないだろ。
外食の時気にならなかった、てのもそう。
全ては、クチャラーである人間がそこにいる、ということに気付いてしまって、
その存在自体がもう許せないんだよ。
そのようなことはいくらでもあって、小さなことだと付き合ってまだ好き度が高い時は気にならない。
それが結婚し、落ち着き、いつまでも一緒に居るのだ、とか、夫婦だから世間から同体として見られるとか、
色々考えだすと、好き度自体が同じでも、相手の欠点が気になりだすんだよ。
そこに加え、相手に対する好き度が減っていけば、さらに加速する。好き度が減ることで欠点が見え、さらに嫌いになる、というデフレスパイラル。
外食の時気付かなかった、って一度も家で食事したことなかったのか?んな事ないだろ、アホか。
もしそうだとしても、今、外食いったら、同じように気になるだろ。
テレビの音を大きくして食事をするようになれば、やがて、テレビの音がする=クチャラーの音を消すため
という意識が頭に染み付いて、
そのうちテレビの音を聞くだけで逆に、クチャラー夫を思い出して気持ち悪くなるようにすらなるぞ?
分かってんの、ほんとに?
http://www.j-cast.com/kaisha/2011/09/27108232.html
きっと↑に貼った記事のような事も関係しているのではないだろうか。
あとは個人な見解として
『効率化』とやらによって仕事の『薄利多売化』が進んでしまったのだと思う。
極論だが
昔一つの仕事しかこなせなかった時間で、今は5つぐらいの仕事がこなせるようになってしまった。
すると安く仕事を売りはじめる所も出てくるし、クライアントからも安く提供しろとの要求も出てくる。
そうなると一つの仕事に対しての値段が下がる。当然それに従事する人間の収入も減る。
同時に仕事の質も問われはじめる。コスト削減も叫ばれ、クライアントからの要求もます。
以前よりやることが格段に増す。
結果として、労働時間が増える。
通貨の価値が下がるから、よりたくさんの通貨がないとモノと交換できなくなる。つまり物価が上がる。
デフレってのは通貨の価値が上がってく状態。だからみんな現金溜め込んで投資しない。
そりゃそうだ、リスクとって投資なんかしなくても現金の価値が勝手に増えてくんだから
(物価が下がってくということは、今日の100円より明日の100円のほうが相対的に価値が高いということ)。
すでにカネ持ってる奴が有利で、これから世に出て稼ごうって奴には不利。
投資意欲は減退するから、経済は停滞する。ますますデフレになる。
デフレスパイラルって奴だな。
一方インフレだと逆になる。カネをただ持ってると価値が下がってくから利潤を産んでカバーするべくリスクとっても投資しようという動きが生まれる。
設備投資とか、人を雇って事業を拡張しようとか、ベンチャーにカネだそうとかな。
という前提が間違ってるだろ。それは高度経済成長期で、その人口にみあった職があったからで、その職があったのはアメリカの対アジア戦略による軍需の特需があった影響が大きい。
アメリカという大きな消費国があって、そこに対して輸出をすることを起点に、労働者が増えて、そこで需要が生まれたから、内需が生まれたのであって。
人口にみった、仕事があったから、経済が回って、経済が回っているから 政治が安定しただけ。
短期的には人口を増やせば、今の日本ならば需要が上がって、産業が回るだろうが。長期的にどうする?年寄りたちが持っている金がなくなって
低所得者層ばかりを増やしていけば、先細るのは同じ。
安いだけを売りにするなら、それこそ、サムスン一人勝ちとかそういう世界。インドとかそのへんも最近はどんどん台頭してるしな。
まぁいいよ。そう思うなら、どんどん人口を増やして、どんどん工場労働者を増やせばいい。
ただ、今の時代は テレビが売れていないっていうけど、テレビが売れていないわけじゃない。 利ざやの高いテレビが売れていないだけ。利ざやの低いテレビは売れる。
そして、それはどこで作るか?海外で作るんだよね。
結局、安くなければ売れないなら、あとはデフレスパイラルで、みんなの給料が下がり続けるだけ。安くするのは労働者の給料下げるのが一番だから。
今はもう、工場は海外の時代。 工場をどんどん 海外移転している時代に、国内の工場労働者を増やそうっていうのは、すごい考え方だと思うけどね。
まあだいたい同世代ってこんな感じなのかなと思ってること(私自身は23歳)
主にネガティブな面。論文でもないし偏見たっぷりで特に得るものはない。
なおこの文脈での「大人」は子供の頃に見た「大人」で、お前もういい大人だろというツッコミは無用
なに言ってんだか。
単にコストが掛かりすぎるだけだ。
今と同じもの(労働力)を中国並みの値段で提供してみろ、あっと言う間に席巻できるし、事実昔はそうだった。
コストが上がってもバブリーなころは、国内需要で買っても貰えたが、今ではもうだめと言うだけ。
(今では中国も労働力としてはすでに高い、タイも高くなり出している)
別の視点で。
同じ製品でも値段が違うことがあるが、これは何処かで搾取が行われている。
生産元の労働者かもしれないし、流通かもしれないけれど、どこかでちょっとつづ安くしていって、10円の差額が生まれてる。
それを選り好んで買うということは、その10円の搾取を看過するってことだ。
そういうのも、じわりじわりと売り上げを締め上げていく。
デフレって奴だ。
生産者や労働者への還元が減り、それが売り上げを圧迫し、さらに労働報酬が減るのをデフレスパイラルとかいったっけ?
こういうの、他人事じゃないんだぜ?
人を動かす立場は辛い。まとめる、って言ってもいいけど、結局は「動かす」だと思う。
「人一倍がんばって」も、大抵、ほかのやつからは見えない。
頑張って当たり前、成功したらみんなの手柄、でも失敗したらそいつの責任。
だから誰もやりたがらない。やった時点で人生負けてる。
そこでは、学内イベントとかに合わせて、年に一回くらいのペースで大きいプロジェクトが企画されてた。
でも、同期で統括的な立場に立ったやつは、関係者からボロクソに言われて悪者扱いされるか、気を病むかで潰れてしまった。
結局、やりたがる奴がいなくなって、でもその年、何もナシってのも嫌だったから、俺は一回だけ引き受けた。
睡眠もプライベートの時間も削ってやったけど、結局、俺自身もその過程で払った対価を背負いきれなかった。
で、俺も、卒業前にひっそりと部室から消えることになった。
今思えば、プロジェクトを形にすることに必死で、協力してくれた皆と十分に話せていなかった。
反省点は沢山あった。けれど、一緒にやった人間から悪い噂を立てられていた、って話を聞いて、もう限界だと思った。
確かに完璧ではなかっただろう。でも、おそらく誰よりも努力した。これだけは言える。結果も残した。
それなのにこの仕打ちは何だ、そう思って死にたくなった。あいつらもこういう気持ちだったんだなって思った。
思うに、協力して何かをやる、って、並み大抵のコトじゃないんだ。
使う側も、使われる側も、自分の責任は自分でとれる人間、大人でないといけない。
一緒にやる相手は選ぶ必要がある。プロフェッショナル、っていうのはその姿勢が最適化された人間なんだ。
重要なのは利害関係、あとは金銭。これ大事。思いやりだの友情だの、そんなものに頼ってはならない。
統括者も、動く側も、自分の中で収支を越える行動を強制すればどこかで歪みが生じる。
だから、人を動かすときは、自分の利益も他人の利益も、全力で守る義務がある。
そして、責任の所在はハッキリしておかないといけない。
何らかの不利益が生じたとき、躊躇無く他人を利用できる人間は常に存在する。
澱は全て統括者に返る。自分の利益と自分の立場は、自分で守るしかない。
人と一緒に何かをやるのは途轍もないことだ。
社会的に自立したメンタリティと、かつ相手を尊重できる器が必要だが、そんなん社会人でも持ってない奴は持ってない。
そして、今のままでも縁を繋いでいてくれる奴を手放すな。
縋りつくんじゃない。手放さないんだ。相手を喜ばせる努力を怠らず、相手にとっての利益であり続けろ。
それはホンモノの友人だ。
俺が居たサークル内に居た「頑張りすぎて、結果フェードアウトした人間」は、
ウザさいから人が離れる、その噂を利用して、プロジェクト上の失敗を全部そいつに押し付ける奴が出る、その悪循環。
彼らを見ていたのに、俺は見事に同じ轍を踏んだ。その後一年くらい、ずっと辛かった。
おかしい、自分のこの感じ方は理屈に合わない。そうわかっても、思考のデフレスパイラルを止められない。感情が重い。
素因はあった。そもそも「誰かのために、自分の利益を度外視しても」頑張る奴は根本が病んでる。
身の丈に合わないことをやろうとした。幾らかの失敗をした。立ち回りをしくじって、周りの人間に否定される結果になった。
だからといって、そこに注ぎ込んだエネルギーが本当に無駄になったのか、それを決めるのは自分だ。
自分が何をやったのか、それは増田自身が知っている筈だ。お前が逃げてたらお前が関わったプロジェクトは完成しなかった。
完成したプロジェクトは関わったすべての人間だが、責任者はお前だ。誰が何と言おうとお前だ。
そして、その経験に学べ。何に失敗したのか気づく機会は、今お前が苦しんでいる現実そのものに立ち現われているはずだ。
気づいた瞬間、全部返ってくる。
今は大変だと思うけど、頑張れ。
頑張って、っていうのは今と違う自分になれ、変われ、って意味じゃない。
生き延びろ。乗り切って、諦めずに人と関われ。また違う世界が見える。
俺はそうだった。