はてなキーワード: 人を動かすとは
文春砲の後、松本およびダウンタウンを崇め奉る記事は多数書かれているが、その多くで「ダウンタウンは笑いの天才である」という表現がある。
以下の記事でもダウンタウンは、いじめや無礼を平気で行う悪童キャラとして「時代に求められた2人」だったとブレイク当時の様子を書いている。
デイリー新潮「常識の修正を拒否した松本人志、ダウンタウンに批判的だった横山やすし…「天才」2人の歩みは今になって重なる」
とはいえ、当時から賛美一色ではなく、苦情の投書も多かったことは併記されているのだが、
ダウンタウンの笑いが受け入れられなくなっていったことを「時代のせい」にしていることは問題である。
この記事では「お笑い人の常識が時代とズレるのは珍しいことではない」とし、
かつての大物芸人も自分の常識を修正し、時代に合わせてアップデートしてきた人が何人もいたと書いているが、
そういう人たちは、単にやっちゃだめなことをして怒られて、反省して常識的になっただけであり、決して「時代のせい」ではない。
あえて時代的背景ということを考えるのであれば、
ダウンタウンがブレイクした時代は、日本社会全般として、今より上下関係が厳しかったり、若い人に対するシゴキというかパワハラが酷かったのかもしれない。
年上世代に日々苦渋を舐めさせられている若者たちがダウンタウンのテレビに魅力を感じる理由があったとすれば、
若い2人が先輩に楯突く様子がカッコよかったり、どんな人の前でも傍若無人な振る舞いをするダウンタウンに憧れたりしていたのかもしれない。
だがそれは、攻撃的な気持ちを発散させるための一時的な憂さ晴らしに過ぎず、「笑い」と呼べるものだったのか、自分には疑問でしかない。
この記事では、松本はアップデートを拒否したとして「一方で自分が納得することが第一だった松本は修正しなかった。むしろ積極的に修正を拒絶した。」と書いているけど、
前にバズっていた『教養がないと冗談のレパートリーが、セクハラとパワハラと下ネタだけになる』という話じゃないけど、
「教養を意識して身に付けなさい」という父にその理由を聞いたら「教養がないと冗談のレパートリーがセクハラとパワハラと下ネタだけになる」とのことで納得した
https://b.hatena.ne.jp/entry?url=https%3A%2F%2Ftogetter.com%2Fli%2F1832733
(パクツイらしいけど)
結局のところ、松本は何歳になっても教養や社会性を身につけることができず、
「わがままを言って大暴れして周りを恫喝する」以外に人を動かす方法を学べなかったというだけのことなんだと思う。「天才」がやることじゃないよね。
まぁ、こういう暴力的な幼稚性を持った芸人の威を借りて、やりたい放題やっていた吉本やテレビ業界の連中も共犯ではあるんだけどさ。
真っ二つに斬られる「首」の一文字が、これからのストーリーへの広がりやこの作品における「首」の意味を観客に意識付ける。
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まず、見終わったあとの感想として、単純に面白い!という感想が残った。映画って、それなりのお金を払うコンテンツとして鑑賞し終わったあとのずっしり心に残る感じとか、教訓があればあるほど価値のあるものと思っていたフシが自分にはあったけれど、この映画はただただエンタメだと思った。2時間弱があっという間だった。
映画コンテンツに対していろいろなバックグラウンドを持たない自分としては「いいエンタメ作品を観た」というのが一番の感想でした。
加瀬亮は最高だったし、いつもの一本調子な演技がいまいち好きになれない西島秀俊の明智光秀も好きでした。
男色は普段あまり触れない分野なので理解はできないけれど、この時代の人を動かすには十分な理由になると自然に納得できた。
なにより、結末を知っている物語なのに飽きずに見られたのは、役者さんがその役をどう演じるかを期待して見ていたからなのかもしれない。
合間の舞や能も興ざめにならず物語を盛り上げていたし、映像もthe映画って感じ。劇場で見るの最高ね。
もう一回みたいと思いました。
他人の心を動かすには、その他人に誠実な関心を寄せることが大事なのだという。だが他人に関心を持つのは難しい。
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D・カーネギーの「人を動かす」という本の中にこういう一節があった。
「まずあなたが相手に関心を持たないとすれば、どうして、相手があなたに関心をもつ道理があろうか?」
まあそうだろうな、と思う。
他方で、これは難題だな、とも思う。
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自分のことを振り返って考える。他人に関心を持つのは難しい。たとえば職場のひとの家族構成なんかは興味がなくて話を早々に切り上げがちだ。自分の友人、親友、親、配偶者の順に関心は増す。これは、順に自分の人生への関係度が高まるからであろう。畢竟、自分自身のことにしか興味がない。
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好きなまんが、好きな映画、小説、作家、曲、アーティスト、芸能人、Vtuber。
推し活コミュニティや趣味のコミュニティが成立するのは、「物語」が関心の架け橋になるからだ。相手のことには興味は持てなくてもコンテンツには興味が持てる。ここで大事なのは、共有された物語でなければ意味がないということだ。いくら好きでも、自分の配偶者や子供や親の話は、他人との話題(コンテンツ)にはならない。共通の知人の話であれば、少しコンテンツになりうる。自分の子供の話でも、エッセイ漫画化するなどして、コンテンツ化を図るやり方もある。
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他人の心を動かすには、好きなコンテンツを持ち、それを語ればいい。好きなコンテンツを介して、他人と繋がりあうことができ、距離が縮まり、心を動かすことができる。以上。
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余談:
しかし上記解決策にもわたしは困難を感じている。わたしはうつ病なのである。好きや関心が摩耗していく病だ。
それに「いいね」疲れもある。昔はSNSで好きなコンテンツを語り、それに「いいね」をもらったり、他人の語りに「いいね」することで、コミュニティに所属していたこともあった。昔はそれが楽しかった。今は老いた。自分が好きなものを他人と共有するなんてぞっとする。こうして自ら孤独の道を歩むのだろうか。
増田はすごくがんばってると思うし、怒りももっともだと思う。私も一時期、働かない男性を養っていたことがあるから、相手がいつもグータラしてることに怒りがわいてきて、関係がこじれてよく喧嘩していた。
でも「年収が低いんだからそのぶん家事をしろ」というのは、互いの認識が一致していないならモラハラに近いものがあると思うので、増田も考え方を変えたほうがいい。
それに、年収と疲れ具合は比例しない。ハードで年収が低い仕事もある。増田の夫は疲れやすいとかグータラしたいタイプなのかもしれないけど、グータラな人は年収が低いとも限らない。私は年収そこそこあるけど、家ではグータラしてるタイプ…。
増田が本当に思っていることは「自分ばかりに負担がかかっていてつらい」から「家事を分担してほしい」「協力してほしい」「いたわってほしい」ということだと思う。
まず、増田がしんどいなら家事をサボってもいい。とことんサボって、夫が文句を言ったらやってもらうという手がある。増田がしんどい思いをして先回りしてやってるから、夫は家事の必要性に気づいてないのでは。
それから、夫が家事をやってくれたらなんでも褒めること。もちろん手際も悪く適当な仕上がりかもしれないけど、目くじらを立てて怒ってはいけない。家事が少々雑でも死にはしない(育児は別だが)。「ありがとう! すごく助かる!」と大喜びすることが大事だ。
男性は女性が喜んでニコニコしてくれたら幸せを感じるので、もっと喜ばせようと思ってがんばってくれるようになるよ。
サレンダード・ワイフ 賢い女は男を立てる (知的生きかた文庫―わたしの時間シリーズ)
夫や人に動いてもらって大切にしてもらうにはどうすればよいかが書かれている。
ちなみに、これは女性が我慢しろという話ではないので誤解しないでほしい。互いに主張して非難し合うだけでは相手は変わらないし、自分の不満も募る一方。だから互いに歩み寄れるように、こちら側の対応を変えてみるということだ。
最初はこちらが折れたり下手に出たりしないといけないように見えるけど、実践するうちに、こじれた人間関係を修復するために必要な努力なんだなとわかってもらえると思う。
夫はダメ人間ではなく、何をしたらいいのかわかってないだけだと思うから、ダメな奴と諦めずに、こちら側がポテンシャルを引き出すよう努力するほうがいい。これからも関係性を続けたいならね。
あと、夫には働き続けてもらったほうがいいと思うな。