はてなキーワード: スイッチとは
コメント(トラックバック?)下さった方がいらっしゃることに驚いています。
変更前→元増田
変更後→増田
先日に帰りの電車内であったこと。
駅のホームで、先頭の方で電車を待っていた20代のメガネをかけた僕。
その駅は、時間帯の関係で、先頭で待ってたら、間違いなく座れる。
後ろの方で待ってる人が全員座れるかどうか分からない。
ましてや、隣同士で座りたいグループになると、
バラバラに座るか、誰かが立つ必要がある。
電車が来たので、真っ先に空いている座席の端に座る。
まるで、オセロの角を取るかのごとく狙いすましたように。
遅れて、後ろの方で待っていたと思われる、
ちょうど、僕の隣が空いていたので、外国人の一人が座る。
もう一人の外国人が僕の前に立つ。
とりあえず、僕は座っておくことに。
電車内の人の席争いが一段落をして、一つ空いてる席があったので、
外国人が、日本語で「ありがとう」と言う。僕は微笑み返しをする。
空いてるせきに座る頃に、電車は発進。
お年を召した方(以下、お)が、話しかけてくる。
お「君の厚意にありがとうって言ってたね。」
僕「あっはい。(大事なことだから、同じこと言うのね、分かります。)」
お「君の厚意は、素敵だけど、あんまり外国人に気を遣いすぎたら、ダメだよ、
なめられるかもしれないから。」
iPhoneをいじりだす僕にお年を召した方は、
慎重に話しかけてきた。
お「所で、君のやりたいことについてもいいかな?差し支えなければだよ、差し支えなければ。」
それは、自分の為にもなるし、人を喜ばせることも出来るので、プログラミングで、
多くの人の役に立ちたいです。」とたどたどしく緊張しながら言う。
※自分は、説明が下手意識があるので説明する時は、若干の緊張を伴う。
お「プログラミングって具体的にどんなことが出来るの?」
ブラウザの説明をする。
Webサイトの説明をする。
誤解を招くようだが、MicrosoftのOfficeを例えに出して、
それをブラウザでやれるようにするのが
僕のやりたい(Webプログラミング)ことです。的な説明をする。
お年を召した方は、途中途中、相槌を打ちながら、理解してくれたみたいで、つぎのやり取りをする。
お「ということは、沢山の人にとって簡単に操作出来るものを作らなきゃいけないね。」
僕「(おっ、理解してくれたというような感じと思ったので)素晴らしい、素晴らしいです。」と言う。
それに気を良くしたのか、
そこから、暫くは、お年を召した方がこうしたらいい、
こういうものを作らなければいけない等と助言を僕にする。
ちなみに、僕は相槌が上手い方だと思われる。
加えて、iPhoneをいじっていた僕に対して、iPhoneを指差しながら、次のことをいう。
お「全ては、それで操作出来るものを作らなければならないね。」
助手が手放しで喜びを見せるように。
ただの話好きのお年を召した方という感じで終わる。
ここからが、違かった。
お「ところでね、私は、(A5orB5ぐらいの大きさをジェスチャーをして、)これぐらいのパソコンにも興味を持っていてね。」
お「あれだと、重くてね。(iPhoneを指さしながら)これで全て出来るようにならなきゃならない。
私たちみたいな一般人は、それを求めている。」的なことを畳みかけるように言う。
僕「あれは、けっこう年配の方も普通に使ってますよ。」ちょっと無視。
お「これから、高齢化社会になるから、君はそういうもの作らなきゃならない。」
そして最後になぜか自分が消費者の中心的発言の断定。これでちょっと、僕にスイッチが入った。
僕「ですから、iPadも実際に年配の方も使っているのを知ってます。
お「・・・。(iPhoneを指差して、)これをつかって、君は年寄りが分かるように作らなきゃならない。」
また無視。都合が悪い場合に、話題を変えるのは、社会人のやることである。
お「我々のような年寄りにそれを求めちゃいけない。」
僕「だから、なぜ分からないんですか?何が分からないんですか?」
お「我々にそれを求めちゃいかん。」
僕は我慢をせずに、不満な顔をあらわにして、
降りたい駅が近づいてきたこともあり、席を立ちドアの前で待つことに。
年寄りだから?このPCのアプリケーションが使える使えないで、年寄りが理由になるの?
年を取って、身体機能が衰えることは知ってる。
だけど、頭とかを対して使わないようなアプリケーションに年寄りって関係あるの?
まるで、高齢化社会だから自分中心の世界が待ってるみたいな意見とかむかついたし、
恐らく介護は日本人だけでなく外人に頼るようなケースはけっこう出てくると思う。
加えて、日本はTPP参加表明をして、外国人労働者が増えると叫ばれている。
と、こんな思いがあって、かなり腹が立った。久方ぶりである。
とりあえず、腹がたったということは、
外人差別と、高齢化社会に対して、割と興味があるんだなって思った。
こういう感じで腹が立つっていうのは、気が短いだろうか?
※会話は一語一句正確ではなく、あくまでもこんな感じの言い争いでした。
両者とも、声は荒げてないです。僕の方が冷静なトーンで、不満な顔で言ったレベルです。
この長い日記を最後まで読んでくれた方がいたら、お礼を言います。
ありがとうございました。
affected そういうシステム
● 動いているネットワークには触るな。
● 配線図を信用するな。
● 特権権限のパスワードが「password」の機器は誰もログインしていない。
● 冗長構成は動かない。
● 機器触っている時に「あっ。」って言う人は信用するな。
● しばらくアラームが来ない場合、何らかの問題が起きている。
● ググれ。
● 再起動は命がけでやれ。
● バックアップは戻らない。
● 素人は素直に申し出ろ。
● 手順書も読めない
● 手順書は読めるが作れない
● 手順書がないと作業できない
● だいたい手順書が間違っている
● 早業で障害対応したのに怒られる
● 飲み会の日は夕方障害発生
● コンフィグを保存し忘れる
● デフォルトオリジネートは消える
● 堅い名前をつけても誰も呼ばない
● MUAにこだわる
● キーボードにこだわる
● OSにこだわる
● そのスイッチのせいでSTP走って混乱
● 攻撃だそれフィルタと安易に言う奴が多い
● それはだいたい管理職
● 攻撃されている顧客には連絡が取れない
● DNSのことは知らない
● 経路交換は政治だ
● 落雷に敏感だ
● 生き字引みたいな人が居る
● その人のデスクはだいたい汚い
● 椅子の座り方をしらない
● 椅子を並べて寝るのが上手い
● ラックの間で昼寝する
● 光ケーブルの受光は目で確認しちゃう
● DC電源が怖い という話が怖い
● 低レイヤの事は以外としらない
● ケーブルは埋め殺す
● 埋め殺されたケーブルが多くてケーブル撤去できないのでそのケーブルも埋め殺す
いろいろみても悩む・・
でも持っていない子もいる。
でも持っていない子もいる。
友達が持ってれば興味津々。
でも、友達(一人に限らず)が遊びにきてる時に
うちのコにかしてくれたことはない。
うちは下に年中がおる。
これも興味津々。
のぞいたりつい手が出たりする。
(上もだけど)
でもやっぱり貸してもらえず
ぶちぎれされてぼろくそ言われてる・・
私としては・・
単純に・・
貸すわけでも一緒にプレイするわけでもなく
うちがもってないので通信するわけでもなく
怒るのならば
旦那さんはその様子を聞いて
「それでも一緒に遊んでる事になるんじゃないの?」とのほほん
「そうだよね・・」と引き下がり
終わるのをずっとそばで何もせずに待っていたり
しびれを切らせて
「一緒にベイブレードしようよ!」と誘っても
見るに見かねて「ちょっと休憩しようよ!○○くんが持ってきてくれたおやつたべよ」と
声かけて
無言で飲み食い・・
とか
やっぱり・・なんできたの?としかー
いまどきはそういうものだろうか・・
相手の親にも何かの流れで「うちにはDSなくて~」と
話してあるのに持たせてくるし
遊んでて実際「ゲームやりたいから帰る」と会ってすぐ帰ることも
ゲームが悪いとかじゃなく
一緒に遊べる!と期待して
ゲームばかりされると・・
じっと待ってる子供がかわいそうに見えちゃう
でも旦那さんは「かわいそうじゃないよ~楽しんでるよきっと」って言うんだけど
それ理解できない・・
旦那さんいわく
私の方だし
もっといえば子供が起きてる間でも「ゲームしてぇ」って時あるし
やってないだけで
かわいそすぎてゲームを与えたくなる時あるけど
あげたらずっとやりそうで不安だし・・
ずっとやると私が楽なんで私がなにもしなくなりそうなのが不安ってゆう意味で・・
いざ「今一番欲しいものは?」って聞くと「なんとかスイッチ(ライダーの?)かブーブ(車のおもちゃ?)」
っていうし、なんかすごくDSが欲しいわけでもないのかなぁとか。
ビーゴ(ちゃれんじも)やってるからゲームあげたらそっちやらなくなりそうって
なんかイライラして「こっちもかったるわー」と子供に買い与えたくなる時もあるし・・
もしゲーム与えたらうちとしては「一日何時間」にあまり意味はないと思ってて
(眼精疲労とかドライアイとか、やからちょっと休憩しろよとは思うけど)
やることやったらどんだけやってもええとか思ってて
ただあんまり遅くまで起きてて朝起きれないなら
それはあかんやろーできないなら寝ろやってなって
じゃー休日で学校とかなければ夜までやっててええんかい言われたら
ええんちゃうの?って言いそうでこわいとか・・・
平日も子供が友だちと遊びたいと飛び出していくより
家でDSやっててくれた方がハラハラドキドキしなくてすむし・・
行き場のない子供たちが
さほど接点もないのに
そういう子達に外で出会って絡まれて
連れてくる事もなかろうにと
でもなんか親の責任放棄しそうで
なんかいいのかなぁとか。
テレビももっとつけててええよ(つーかちょっと今○○やってるから(ご飯作ってるとか風呂掃除してるとか)みててくれ)
思っても突然「もういい」て消したりするからな・・
親がこれみたいねん!って、もう今日はテレビ見ながら限界まで起きてていつの間にか寝ちゃったね☆パターンでいってくれ
ゆう時でも「もう見なーい」ゆうたり
与えたところで
思ったよりゲームにはまってくれない気もする・・
与えたら「上手くなって欲しい!」とか「続編(?)出たから欲しい!」とか
親の方があつくなりそうだし
そもそもDSもってない子と遊ぶときにDS持ってくるってどうなの
公園でやったりするけど
公園でやるなら遊具で遊びたい子の邪魔やからじぶん家でやればええやないの・・
もし「家でやらないで外で遊びな」と出されてるとしたら
約束破ってることになるし
とにかくいらいらしちゃう
「なんでDSやってちゃいけないの?」って聞かれたりするけど
(持ってきた子に)
「きたねぇ手でさわんなよ!きもちわりーなそばによんなよ!」
逆に「ゲームやめて遊んだら」ってなぜ思っちゃ不思議よ?と思うんだけど
友達トラブルが嫌で小学校入学後に習い事が増えると聞いたこともあるし
なるほどなとも思うし
実際そういううちも多いけど・・
うちは平日の習い事嫌がるしな・・
とにかく友達と遊びたいわけで・・
やっぱりまだ与えない方がいいのかなぁと思ったりの繰り返しで
悩む悩む悩む
ソフトかせとか買えとかそういう問題も出てきそうな不安もよぎるなぁ
えんどれす
この記事どう思いますか?
飲食店でアルバイトをしていると、たまに「ああ、このお客さんは俺のことを人間だとは意識せずに、店員だとしか思ってないな」と感じる瞬間がある。
別にそれで何かあるわけではなく、ちょっと不快な思いをして、こっちも店員とお客さんという型に合わせたコミュニケーションのスイッチが入るだけ。これはよくあること。
ただ、最近そういったお客さんが「店員さんに横暴な態度をとる人が信じられない。」と言っているのを耳にした。
理由を聞きたくてうずうずしたのは言うまでもない。
理由を聞けば、きっと「店員さん可哀想じゃん、店員さんも人間だよ、そもそも人としてどうなの」的な言葉が返ってくるんだろうなあと思う。
彼に理由は聞いていないので想像になるけど、もしそういう考えなのだったら、それは非常に手抜きしたコミュニケーションではないか。
つまり、店員と客という間でも根本に自分とあなたという考えがあれば、「生中」じゃなくて「生中下さい」、「どうも」じゃなくて「ありがとうございます」って言うんじゃないの。普段からそういう話し方の人じゃない限り。それをしないってことは無意識のうちに店員と客っていう型に合わせてコミュニケーションしてればいいやと思っているのでしょう。
「店員に横暴な態度とるのは良くない」という言葉は自分は相手を人間として捉えていますよというポーズであって、その根本は、その言葉自体がコミュニケーションの型に含まれているか、あるいは、自分が嫌われたくない、よく思われたいという感情を「店員さんが可哀想」という相手の為ですよという言葉に置き換えているかのどちらか。
余談だけど、大学生が飲食店で「ごちそうさま」をいう割合は80%以上。
そのうち80%が学生バイトに対しても丁寧に「ごちそうさまでした」「ありがとうございました」という。残りは「どーもー」「ごちそうさま」など。
対してコンビニのレジで「ありがとうございます」という割合は40%。レジに人がいない時に「お願いします」など言わないで無言で待つという人が70%以上。(数字は全部適当。自分の感覚)
お礼を言う言わないは今回の趣旨ではないが、居酒屋では「ごちそうさま」を言うけどコンビニでは「ありがとうございます」を言わない理由は何なのでしょう。
別に挨拶はしっかりとか、敬語で話そうとか、僕に優しくしてとか言っているわけではない。
例え、そうですかと「生中お願いします」とか言われても今までのコミュニケーションの型が置き換わるだけで何も変わっていない。
生まれつきなのか、環境なのか、自然にそういう意識を持てる人がいる。自分の周りにもたくさんいて、とても羨ましく感じる時がある。
というのも、僕自身がずっと手抜きしてきたと思うし、今でも「やばい、手抜きしてる」と気づく瞬間がある。自分の行動がちゃんと説明できない時がある。
何が心配かというと、自分がそんな手抜きのコミュニケーションにどっぷりつかってしまって、何かの基準なしには生きていけなくなること。
友達だからこうする。彼女にはこうする。先生と学生のコミュニケーションはこうで、親と子供だとこう、みたいに、自分と相手のコミュニケーションのはずなのに誰かが定義した友達、彼氏、先輩、後輩、彼女、親etcの枠組みに合わせなきゃコミュニケーションが取れないのは不幸なことだと思う。
よく言う、自分に役割が与えられていて、その役割を演じるっていうやつ。
「世界の中心で愛を叫ぶ」を読んで一通り感動した後に、舞城王太郎の「好き好き大好き超愛してる」を読んではっとする感覚。
あの感覚を忘れないようにしたいと思う。
「自分の軸足を自分の内側に置くことは大事だよ」「自分のものさしではかりなさい」などよく言われてきたけど、最近になって本当に大事なことなんだと感じることが多い。
以上、居酒屋のバイトしているときにぼんやり考えていたことを、ぼんやりまとめました。
(あらためて読むと、すげーひねくれてるなあ(笑))
↓特にこのあたりとか、自分で自分を追い詰めてぶっ壊れやすいタイプ。
診断書出されて薬も2年ほど飲んでたけど、俺は病気だったとは今でも思ってない。
というかそこはどうでもいい、医者がどう診断しようが俺が違うと思ったら俺にとっては違う。
それは一度スイッチが入ったら後は何もしなくて良いものではなく、常にそれをしていかないといけない。
それが生まれつき備わっている人もいるのかもしれないけど、俺は常にそれをしていかないといけないことがわかった。
せっかく判ったのにまた元に戻ることはできない、気を抜くと元に戻りそうで怖い。
残念おっぱいではない。
CかDの美乳、シンメトリーで全体的にバランスが整っていて素敵だった。
おっぱい大好きってしょっちゅう言ってたし、激しく有言実行で少し嫌がられてた。
そして美人ではないのかもしれないけど俺にとってはかわいかった。
体型は普通というよりはチョイポチャだったけど、それ言ったら俺だって何様だよって感じだしね。
顔も体型も俺は好きだった、多分本人は最後まで俺がそう思ってるとは思ってなかったと思うけど見た目に文句はなかった。
総論として、「押せなくて終わってしまった」と書いてくれた人に近いのかもしれない。
ただ、俺には根拠は無いけど自信はあって一緒にやっていきたかったけど押しても効かない相手だということがわかったんだ。
それは、まだ次の男はないって書いてくれた人の通りで、結婚・子供にも興味なかったと思う。
本心ではどうか知らないけど、結婚に興味ない・自立が大事ということを常に主張してたことは事実。
欝については笑える部分がどこなのかはよくわからない。
診断書出されて薬も2年ほど飲んでたけど、俺は病気だったとは今でも思ってない。
というかそこはどうでもいい、医者がどう診断しようが俺が違うと思ったら俺にとっては違う。
でも、彼女にとってはそうじゃなかったし、彼女を信頼してたから何も考えずに通院・服薬は続けていた、効いたのかどうかはわかんない。
自分が正しいと信じてることが正しいとは限らないけど、行動はともかくとして気持ちだけは正しいと信じてることを信じたいと思ってる。
それは一度スイッチが入ったら後は何もしなくて良いものではなく、常にそれをしていかないといけない。
それが生まれつき備わっている人もいるのかもしれないけど、俺は常にそれをしていかないといけないことがわかった。
せっかく判ったのにまた元に戻ることはできない、気を抜くと元に戻りそうで怖い。
男の嫉妬やうらやま感ってのはよくわからないが、罪悪感から叩いて欲しい気持ちは少しはあったし今もある。
それが無意味で空しいものだとも判ってるけど、実際こうやって吐き出して色々消化できたしコメント?トラバ?をもらえて素直に嬉しい。
これからもクヨクヨしたりがんばったりしながら、元に戻らないようにしていきたいと力強く思えることができた。
携帯メールアドレスを変えて、彼女にもらった財布も新しく自分で買った(これはもうボロくなったからだけど)。
明後日は職場の女子3人と男俺独りのハーレム飲みなので楽しんでくる。
人生を踏ん張っていきたい。
母はいつもそうだ。
カレンダーに勤務時間を書いてるのに、「今日何だったっけ?」って聞かれることが続いたから
「覚えろとは言わないからカレンダー見たらいいのに」と言った。
お母さんが何時に帰ってきてると思ってるのーもうトシなんだからしょうがないでしょあんたにはわからないわー
そう言ったら「今日何?って聞くくらいいいじゃない、そんな会話までなくしたいの?」って、そういうことじゃねえよ。
いつの間にやら「あんたたち姉弟は仲悪すぎ」って話になって、「家族だからって仲良しばかりじゃないよ」と返した。
「別にお母さんのせいじゃないよ」と付け加えた。
そしたら「お母さんのせいだよ」。あーやばい、スイッチ入ってしまった。違うと言っても「お母さんのせいだから」攻撃。
いつもそうだ。むやみに自分に荷物を背負わせて、自分が悪い、自分のせい、って主張しまくる。
本当はそんなこと思ってない。違うと言われたいだけだと思う。それでも尚言ってくるのがよくわからないけど。
自分がいちばんかわいそう、になりたがる。何かにとりつかれてるみたいで気持ち悪い。
実際母は遅くまで働いてるし、食事もちゃんと作ってくれてる。
ちゃんと手助けできるように本当に頑張らねばと強く思うけど、こういうのは心底めんどくさい。
2011 9/8 失敗したものと部屋の選び方を追加しました
2012 9/29 わあ!また上がってるぜってことで、またちょっと追加です。
見た目の良さは度外視している。
本当にずぼらでめんどくさがり(しかも貧乏)だが、できるだけ清潔に便利に(そしてできれば健康に)暮らしたいという人向け。
そんなの今更目新しくねーよってことばかりだけど一応。
俺は、めんどくさがり屋だが、それ以上にパンクしやすい人間だ。
ゴミ、未実行の工程(畳む、拭く、しまう)などが貯まると、パンク、というかショートして何もできなくなり、どんどん散らかり汚くなっていく。
だからできるだけ、工程を減らしつつ、ひとつひとつの工程のハードルを低くしつつ、散らかりにくくすっきりした暮らし方を目指している。
■オサレじゃなくていいが、すっきりと清潔にしたい
■できるだけ自炊したい(俺は人工甘味料で腹を壊しやすい体質だし、カップラや弁当を食い過ぎるとニキビができるからな)
おれがとりあえず言いたいこと
■整理整頓ができていないと、掃除はできません
■食事は【体に良い物を取り入れる】よりも、まず【体に悪いものを取り除く】方が簡単で効果的
■↓意外ににめんどくさくないこと
金のある人はもちろん外食やなんかでもいいんだが、俺は如何せん金がない。
メンドクサイ→外食、ってできればいいんだが、それができない。
メンドクサイ→でも金無い→カップラーメンとか安い弁当→体調壊す、ってなっちゃうんで、
体に良い(マシ)なものを、いかにインスタント食品のように簡単に(できれば美味しく)食すか、という風に工夫している。
ご飯やスープを冷凍していれば、カップラーメンをたべるのと同じくらいの時間で、腹を満たすことができる。
■↓失敗した!!
■↓これから引っ越したり、新生活をはじめるやつに言いたいこと
■↓ミニ知恵
続ける秘訣は在庫を切らさないこと、つまりはまとめ買い、かもしれない。
アルコールティッシュなんかも、
なくなる→詰め替えがない→買い忘れる→また買い忘れる→なんとなくヤル気失せる、
ってなっちゃうんで、クイックルワイパーとか、アルコールティッシュなんかは買いだめが良いです。
■追記(11/08/29)
もちろん何もかも習慣化してシステマチックに動くのが一番良いかもしれない。でもなかなかできない、ずぼらだから。でもできるだけ頑張ります。
服も何度もたたもうとしたんだが、
最初は調子よく畳む→忙しくなったりで畳めてない洗濯物がたまる→パンクする、ということの繰り返しになってしまう。
確かに俺はずぼらに見えないかもしれない。
でも俺はハウスダストアレルギーと弱い腹の持ち主なので、ある程度きれいにしておかないと、鼻水下痢お化けになってしまうのだよ。
その条件下でいかにサボるか、という風に生活していたら、こういう感じに落ち着いた。
実際俺は、一人暮らしを始めて2年くらいまでは、半年に1度くらい必要に迫られて大掃除をするだけ、六畳間が一杯になるほどゴミを貯め、食料を腐らせ、食器をカビさせ、洗い物のたまったシンクから腐敗臭をさせ、あらゆる粉類をこぼしまくり、出したものは出しっぱなし、服は床に山のようにぐちゃぐちゃに…という生活をしていたのさ。もちろん友達なんか呼べねぇ。生活の質も著しく悪い。台所がちらかって料理できないから、出来合いのものばかり食って腹を壊し、大事なモノもすぐなくす。毎日ホコリやカビのせいでかゆいし鼻水だらだら出るし。
これはそういう事態を改善するための最低限の習慣なんだよ。
そしてこれは、そんな俺にできる精一杯のことだ。はっきりいってこれ以上やることを増やすと、パンクして元の状態に戻ってしまうだろう。
■蛇足(11/08/30)
まあ、ずぼらに思えないわな。真のずぼらのみなさん申し訳ない。
なんというか、別にホコリで痒くなったりしないし、腹も壊さないし、ニキビもできないし、ものをなくしたりしない人ならば、
掃除とか整理整頓とかしなくていいんじゃねーですかね。こういうのは必要に迫られてる人だけすれば良いというか。
俺も数年前までは、自分はそういうことが必要のない人種だと思っていたし。
でも、あまりにも常に鼻をずーずーやっていて目が充血、ひどい時には喉がピーピーなりだすので、
こりゃなんだろうと病院へ行ったら、ひどいハウスダスト(その他あらゆる花粉)のアレルギーだったことが判明したのですよ。
「よくこれまで我慢できたねwww」と医者に笑われるレベル。
それで、抗ヒスタミン剤なんかを飲んでやりすごそうとするんだけども、眠くなったり、ホコリとかダニが多すぎて薬が効かなかったりやらで、
こりゃいかん、と少しはがんばろう、と思ったわけですわ。
それに、脂漏性皮膚炎という皮膚の病気と、脂っぽいものと甘いものですぐにニキビだらけになる顔の持ち主なんで、
ところが、小さい頃から母に、
「出したものはしまいなさい!」「服を脱いだら洗濯機に入れるか畳みなさい!」「蓋を開けたらしめなさい!」「ものをこぼしたら拭きなさい!」「部屋を片付けなさい!」を、
家を出るまで言われ続け、1度もできたことのなかった俺なので、本当にできないんですよ。
「ふっ。本当のライフハッカーにゃ特別な道具なんていらねー。砂糖の袋なんか洗濯バサミでとめときゃいいんだよ」
とか思ってやってみるんですけど、その一手間「洗濯ばさみで袋を閉じる」ということが出来ず、開けたまま放置、湿気て塊だらけにした挙句、こぼす。
野菜食おうと思って野菜炒めとかつくるけど、思ったより野菜食えない割に手間かかるし美味しく作れないし、ですぐにやめる。
そんなかんじで試行錯誤してるうちに、いきついたような感じです。
ぼくもお答えします。
だんだん難しくなってきたのでついていけるかわかりませんが…
わかる範囲で答えたいと思います。誤解があったらすいません。
でもやっぱりちゃんと理解されるほうが嬉しいです。
「音楽を聞いて感動することはでき」ると私も考えています。ですから音楽表現の場合は私の述べた理解から共感に至るまでのプロセスはそもそも通用しませんし、最初から文章表現に限定した話をしたわけです。(書いてないことを取り上げて批判することは簡単ですが、それは藁人形論法という詭弁であることを指摘しておきます。)
絵や写真、音楽のような表現なんかは良し悪しや感動するしないがハッキリしていて理解や共感がしやすいけど、文章表現はそうじゃないという話です。
それもそうか…。音楽と文章を同じものとして扱っては余計わかりにくくなるのかもしれないね。
あと「徹頭徹尾、理路整然としてなければいけない」なんていうのは思ってませんし、そういう話はしていません。
①人に文章表現を共感してもらうには②人から理解が必要で③そのためには発信者が正確で、分かりやすく書いたほうが望ましいという話であり、誰に対しても(自分自身に対しても)「徹頭徹尾、理路整然としてなければいけない」というのは思っていないわけです。
そういう話じゃなかったのならぼくの誤解だったね。ごめんなさい。
ぼくはこう思うって話と
あなたはこう思うって話がとりあえず明らかになったのかなあ。
「この人の言ってることはよくわからないけど、なんとなく切羽詰まってる感じが伝わってくる」と書いてもらえれば大分理解しやすいです。
蛇足ですが、そういう人が現実生活にいた場合、相手の状態に拠って励ますか慰めるか共感するといった行動を個人的には取りますね。
文章だとそれが分からないので(文章だと相手の気持ちが分かったつもりになるのでそれは避けたい)、たぶんスルーしてしまいますが。
わかりやすかった?よかった^^
そうだよねーぼくも同じ立場だったらどういう対応をするかちょっと悩むなあ。
「完璧に論理的な文章を書くことのほうが難しい」のはもちろん同意です。というか難しいのではなくて不可能です。
「文章を書きたい」という気持ちは誰にも邪魔できません。そして文章を書くという行為自体は「敷居の高い行為」である必然性はありません。
ですが「何かを伝えたい」という目的がある場合には話は変わります。「何かを伝え」るということには当然のことですが他者の存在が必要です。
文章を紡ぐ行為の先に他者がいるということは必然的に文章が公共性が生まれ、責任が生じてきます。
そうした場合にはミスリードによって翻弄される他者も出てきます。
こういう事態に直面した時に取りうるスタンスは少なくとも2種類あります。
①「理解してくれる人はしてくれるし、してくれない人はしてくれない。」から誤解した人はスルーするというスタンスと、
②「理解してくれない人(大多数だと思います)に理解に近づけさせる」ために対話を続けたり、根気良く文章を紡いだりというスタンスです。
私は後者のスタンスです。そして前者のスタンスも認めています。
ただし前者のスタンスを採用している人たちには「人を翻弄している可能性を放置している」という事実を直視していただき、他者がいる文章表現に否応無く、避けがたく存在している責任=ハードルをぜひ自覚していただき、自覚の上でハードルの下をくぐるなり、きちんとハードルを飛び越えるなりご自由に行為を選択していただけたらなあと思います。
(念のため言っておくとハードルの下をくぐる場合でもヘイトスピーチなんかは避けてください。ヘイト野郎はどんな場合も美しくないと思いますので。)
ぼくは①と②のどっちのスタンスなんだろうなあ。
わかりやすいように書きたいとは思うけど
たしかに翻弄している可能性あるなあ。
翻弄してしまうのはイヤだけど
かといって「ある程度」以上の努力をしてしまうのもイヤなんだよなあ、わがままかなあ^^;
ハードルは飛び越えられたらいいなという願望はあるけどめんどくさかったらやめてるかも…。
「この世に神様なんていなければ世の中の宗教はほとんど詭弁だってことになる」と仰る意味がよく分かりません。
「この世に神様なんていなければ」という仮定が良く分かりませんし(だって神様が存在するか否か、実在するか否かなんて真偽の水準では判断不能ですし)、
「世の中の宗教」という言葉が組織としての宗教なのか、制度としての宗教なのか、人々の信仰対象としての宗教なのか、など
要するに、ぼくは詭弁を弄することが悪だとは思ってないってことかな。
読者に文章を理解させようとする気があるのなら
詭弁のような不当な推論はなるべくやめたほうがいいんじゃないか
もし、詭弁を使うつもりなら留保を付記しようって話だったかな(合ってる?)
うーん…。ちょっと考えてみる。
理解してもらいたいとは思ってるけど
だからといって詭弁を言ってはいけないのかどうかもわからないし
ミスリードは理解を困難にする…ような気がする。
もしそうなら、詭弁はなるべく少ないほうがいいってことになる?
ウソはついてないつもりだけど「つもり」なだけかもしれない。
なるべく詭弁を書かないつもりでいたいなら
この理解であってるなら、それに対するぼくの答えは
まず書いてしまいたい!ってことかな。
したくなったらやろうかな~。
ちょっと勉強する手間を惜しんでいるだけで
かなり間違ったことを言ってる可能性はあるのかもしれない。
そんなこと言ってる場合じゃないのかなあ。
私は貴方の「悲しいなあ」に関する表現を「『こいつはウソを言っている』と思われた場合、悲しい」と解釈しました。
それで今回の返信に「悲しいのは事実なんだよ。」と書かれてました。
私の解釈と貴方の書いたことを総合すると、「こいつはウソを言っている」と(私に)思われようが思われまいが関係なく「悲しい」ということで良いんですかね(繰り返しますが私は貴方が嘘を言っているとは思いません)。
いや、勝手な推測ですが、誤解されること自体が悲しいのでしょうか。
どういう経緯で「悲しい」と感じたのか仰っていただけると、こちらもそちらに配慮できるかもしれないので、うれしいです。
悲しいまでの経緯か~うーん・・・
的確に表す言葉が思いつかないけど
頭では誤解されることは仕方ないことだと思うけど
でも、実際に誤解されたときにはっきりと心がきしむ。
そう言いながらも実は「わかりあえるはずだ」と思っているのかもしれないけど。
「こいつはウソをついている」と思われているのならぼくは悲しい。
そう思われていないなら悲しくない。これはたぶんハッキリしてる。
誤解されること自体が悲しいということだと思います。
それは「(あなたに)誤解されることが悲しい」と言ったわけではないのです。
ぼくも「あなたに嘘つきだと誤解されている」とは思いません。
「もし誰かに誤解されることがあるとするならば、それは悲しい」ということです。
うーん・・・わかりにくかったらまた言ってください^^;
他者に「どう思ってくれてもいい」と思いながら「他者からどう思われてるかということを気にせずにはいられない」という感覚ってどんなものなんですかね。
「どう思ってくれても構わないけど誤解されると悲しい。でも誤解だろうがなんだろうが何でもオッケー。悲しいけど否定はしない。」ってスタンスなんでしょうか。
私は「ある程度こちらを理解してくれたらどう評価しても良い。明らかに誤解されてる場合は理解してもらえるよう努力する」みたいなスタンスなので後学のためにどんな感覚なのか理解したいです。いや、やっぱり書かなくて良いですよ。この辺でお話はやめておきましょう。
おおむねそんな感じです。
悲しいけど否定しないんです。
でも、諦めるってことでもないなあ。なんだろう。
ある程度の努力をしてみて
どこかにボーダーがあって、もうそれ以上は努力をやめようという気になる。
あれ?矛盾してる?
うん、「否定しない」はたぶん違う。
否定しないんじゃなくてぼくと相手の理解を近づけようとする。
それで…どこかはわからないけど
ぼくが相手に対して「この人はわかってくれたかも」と思ったら
理解を近づけることは一時停止する。
「この人はまだわかってくれてないかも」と思ったら
引き続き理解を近づけようとする。
でも、「まだわかってくれてないかも」と思う人でも
ぼくは理解を近づけることを一時停止することがある。
そのスイッチがどこにあるのかわからないけど、そんな場合があります。
「まだわかってくれてないかも」と感じるだけでも悲しくなります。
加えて、「わかってくれたかも」と感じる人でも
こんな感じです。
んー…ウソがあるかもしれない…。
あらゆる状況下でぼくの言ってることが
必ずしも再現されるかというとそうじゃない気もします。
まだわからなかったら遠慮なく言ってください。
長々と述べてきましたが、言いたいことは以上です。もしハードルの下をくぐるような無責任な文章を書いていくつもりならこれからもどんどん批判や指摘を行っていきますし、ちゃんと責任を意識した文章を書いていくのなら批判や指摘もしつつ応援していきますので、よろしくお願いします。増田ではなくてブログやツイッターなどのご自身のフィールドでやるなら批判も指摘も何も書きません。何れの文章記述のスタイルを貴方が採用するにせよ、私は貴方を応援しています。
批判や指摘は大歓迎です(でもやっぱり心がチクチク痛いです)。
わーい応援ありがとう^^
私も人が死ぬのは嫌ですし、弱い者の味方でありたいし、弱い者が弱いままで生きられるコミュニティを実現するかもしれない連帯の可能性を信じたいですから。
ちょっと救われました。ありがとう。
よかったらどうにかして繋がりましょう。
当初は悪くないサービス内容でした。
小額のものでもすべて「送料タダ」、
午前11時ぐらいまでに頼めばその日に到着の「お急ぎ便」。
ですがやがて、
プライムのサービス内容といえば実質「お急ぎ便無料」だけになりました。
このお急ぎ便の期日が守られない。
お急ぎ便の到着日時がとにかく守られなくなりました。
平気で予定の日の次の日にくる。
さらに酷いのが、なぜか通常便発送のように2,3日かけて到着することがある。
発送自体が遅いので末端配達業者が原因ではない。
「へたな中国人より日本語通じない日本人がいる」と知る人ぞ知る酷いものなので
「どうなってるんですか」などと問い合わせをするのも一苦労です。
一回目は必ずコピペでの返事が届き、
「ふざけないでください」とやや語気厳しくして再返信すると
ここで「こんなにふざけた対応とサービスならプライム料金を返金してしかるべきではないか」ぐらいまで言うと
「どうしてそうなったのかはよくわからないけど、プライムサービスを1ヶ月延長してあげるから機嫌直せよ」
というもの。
謝罪やお詫びではなく「なんでこうなるのか教えろ」と言ってるのに無視。
その後も遅着あまりに度々なのでもはや愛想が尽き
もう使いません。
そういうわけで私のアマゾンプライムは9月の15日に切れるのですが、
8月15日からアマゾンの画面にものすごくうざったい黄色いラベルで
「大変です!プライムの更新スイッチがオフになっています!オンにしてください!」
みたいな画面が出るようになりました。
これの消し方を問い合わせてまたメールを3往復する根気は湧かないので我慢しています。
1ヶ月無料に加入させて一ヵ月後に
という悪質な手口もあったそうです。今もやってるのか知りませんが。
>心に余裕をもって礼節をわきまえた振る舞いをするのが親孝行だよ。
小遣い貯金は全額かき集めれば今のすみかでぎりぎり一年くらいは無職で頑張れなくもないくらいの額がある。
しかし、正直言って、心に余裕は、ない。
「これ貧困妄想とパニック障害とかの合わせ技とちゃうん?」みたいな荒れ方をする。もちろん素人判断だけど。気分に波があって、一番ひどいときの話ね。
そういう気分にならないことはできない。
眠くなったり腹が減るのと同じようなもので(頻度が大分違うが)消滅させることはたぶん不可能だ。
強いて言うならスイッチさえ遠ざけておけばタイミングにある程度コントロールを効かせられるので、それでやりくりしている。
使い道考えたいよお。
無駄金払われてるってつらいやん。
追記:
っていうかマジで無職になったとしたらこの親が金出さねーわけがねえという確信があって、それも一種の余裕というかセーフティネットというかって感じで安心感的に機能していいはずなのに、なんで俺こんな焦ったり絶望的な気分になったりしてんだろ。
むしろその確信を裏切られたい。
プログラムを理解させるには?のブックマークコメントを読んでいて。
ブックマークコメントの中に、「資格」とかのコメントがいくつかあった。
既に情報処理試験とかあって、いろんなIT系資格があるのだけど、プログラマーやってる人なら誰でも感づいているとは思うが、資格など何の役にもたたない、という事で。高度情報処理資格を持っているからと言って、プログラム(その他設計やコンサル)が出来るとは限らず、逆に何の資格も持っていないのに、すばらしいプログラムをする人がいる。
まぁ、これら既存のIT系資格にある一定の目安にはなるとは思うけれども、万能では無いのも確か。昨今の不況、ITバブル崩壊で、IT系資格の資格手当が真っ先に削られたのも、記憶に新しい(弊社だけかもしれないが)。
雇う外注のソフトハウスから派遣されて来た人など、だいたい15分も話せば、どのくらい出来るか、使えるかは判断出来る。これは資格では計れないものだ。
仮に、弁護士や行政書士、医師など、士制や免許制はどうだろうか?
車の免許はどうだろう?
プログラマーはどうだろうか?
例えばトイレ。水を流すのに、最近のトイレは、リモコンでスイッチを押すと水が流れるが、あれ、プログラムだよね。
例えば炊飯器。米と水を入れて、スイッチを押せば、ご飯が炊きあがるが、これもプログラムだ。
車。ハイブリットや低燃費車が走っているが、あれは電子制御で動いている。
ロケット。アポロはファミコンにも劣るコンピュータで月まで行ったが、プログラムだ。
先日の中国の高速鉄道の事故も、ATCプログラムのミス(?)による事故だ。
先日の$oftbank携帯の通信障害は、故意に仕組まれた通信障害だった。
どこにでもプログラムは入り込んでいるし、そのプログラムによって、便利になっている反面、人命をも奪い、都市機能を麻痺させる事も出来る。
なんでだろう?
介護について考えてみよう。
ヘルパー資格や介護士とかいろんな資格が必要だが、世間一般的には、ワーキングプア、もしくはそれに近い悲鳴が聞こえてくる。
なんでだろう?
資格や免許を持っていても、それが収入や時間に反映されないいい例だと思う。
「プログラマー」「SE」と名乗るのは簡単だ。「漫画家」「小説家」と名乗るのと同じように。なんだったら、名刺の名前の上にそういう肩書きを書いておけば、「プログラマー」であり「SE」である。
漫画家・小説家と違うのは、漫画家や小説家は「売れなければただの無職」という事だ。あっという間に食えなくなる。自分、アシスタントをやっていたし。アシスタントでは、ちょっと食っていけなかった(アシスタントと作家自身は違うが、それなりに間近で見てはいるわけで)。
プログラマーやSEが個人事業種の人達だったら、その通りになるだろうけど、多分、半分以上の技術者は、どこぞの会社に所属しているサラリーマンだと思う。もちろん、これはこれでメリットがある。営業や経理・総務・庶務等が他の人に分担されている事や、会社などの福利厚生も使えるから。
逆に「金の切れ目が縁の切れ目」が使いにくいというのがある。同僚が失敗したり行方不明・自殺等というのはこの業界日常茶飯事だが、そのリカバリーは必ず誰かがやらなければならない。そして不思議な事に、それをやる人間は決まっている。失敗したマンガや小説を他の作家がリカバリーする、というのはあり得ないのにね。
資格制度・免許制度が万能とは言わないが、有効かどうかと言われると、自分には判断出来ない。しかし、前述したとおり、非常にクリティカルなモノを作る場合も有り、無資格なのはそれはどうだろうか?とも思う。
プログラマーやSEがミスすれば、都市機能は麻痺し、人が死に、医療器具が動作せず、電力が起きず、このインターネットすら動かない。TVもラジオもダメ。第1次産業以外のほとんどが停止する事になる。
そんなクリティカルな仕事なのに、この士農工商穢多非人の非人のような扱いを受けるのは何故なんだろうか?
経営者や管理者からみれば、次から次へとターゲットが蛆のように沸いて出てくる職業であり、使えるだけ使って、あとは使い捨て、という業界だし。
一度、プログラマーやSEは自分のやっている仕事がどういう事なのか、考えてみた方が良いのでは無いだろうか?
考える事は出来ると思うよ? だって、「完全動作する事を常に考えている」のだから。それが過失・故意にでも動かなかった場合、どういう事になるかは、簡単に想像出来るよね。
絵描きや小説書きや楽器演奏や作曲は、小学校の頃、学校で習うから、分かると思うんだけど、【今の現役世代以上】のプログラマーやSEは、小学校で習わなかった。この差が非常に大きいのだと思う。
どんな無能な経営者や無能な管理者だって、「自分が絵を描けない・難しい」というのは、自分で分かる。なぜなら、義務教育時代にやっていたから。ところがプログラミングやSEはどうか。やってないから分からない、わけだ。
あと、拍車をかけているのが、どこかが発表している「情報技術者何万人不足」という発表。この時点で「質」が考えられていない。そこへ、程度の低い派遣業が入り込んで、エライ事になる。そもそも派遣とは、受け側に技術が無いからその手助けに赴くものであって、人身売買では無い。先日も弊社で「組み込み系の低いレイヤーの部分を作るC言語(かなりアセンブラ寄り)が出来る技術者」を要求したのに、実際ソフトハウスから派遣されてきた人間は「C言語のポインタという概念も知らない」技術者だった(どうやら、Windowsの統合開発環境上においてC#だったら使える、というレベルだったようだ)。もちろん、そんな人員を使えるわけ無いのでその場でお引き取りを願った。こういう、「質」や「ベクトル」に関係無く「頭数」だけでどうにかなると思っている奴らが非常に多い。日本の(少なくとも情報系)派遣や客先常駐の考え方は、間違っていると思う。
そう考えると、ある一定の基準として、質やベクトルを明記する必要はあるのかもしれない、と思う。それが労働時間や賃金に反映されるかどうかは分からないが。
うん、いや、君の気持ちなんて犬の糞よりどうでもいいから
「大部分」の根拠を聞かせてくれって。
気持ちじゃなくて根拠をどうぞ。データ。
日本語読めないの?
「普通の男は中一には欲情しない」が偽だなんてこと、統計を持ち出すまでもなく(というかこのテーマで信頼性のある統計は無理だと思うが)明らかだと思うなあ。
中一って何???
俺は
男の性欲は、いわばスイッチ
というのに対して
「まともな根拠があってのことなら述べよ」
「それが出来ないなら主語を身の丈まで縮小せよ」
つっただけ。
そしたら根拠の代わりに
「大部分の男はそうなんだよ!」
「お前は女だ!」
とかいう
すげーめんどくさいけど
「男の大部分が理性薄弱な動物だという根拠を述べよ」
と重ねて問うた。
何言われてるかぐらい理解してから返事を書いてくれよな。
だってさあ、「俺はこいつに欲情したことがある」っていうのは証明可能だけど「俺はこいつには欲情しない」っていうのは悪魔の証明でしょう。
まるで好みのタイプでない筈の女性に劣情を催した経験ってない?そこから類推すると、あきらかに射程外の筈の年齢であっても欲情しないと断言することはできないと思うんだけど、どうかな?ああ、あんた女だったか。
話を逸らしてゴチャゴチャわけわかんねえこといわなくていいからあ、
お前の発言である
>「私を含め男のなかの一部には理性の薄弱な動物がいます」だろ、正しくは。
>勝手に全男をお前の同類にしないでくれ。
一部は、とかじゃなくて大部分がそうだからだろ。
の根拠、データを示してくれ。
なっ!
これに答えるほうが簡単だろーよーどう考えても。
例えお前が中卒だとしても
こんな簡単な問いを3回も繰り返されればいい加減まともに答えられるよな。
聞かれたことだけキリキリ答えてくれ。1行ですむだろ。
たーーのーーーむーーーーよーーーー、な!w
生まれ変わりたいと思う。 けど実行しない。
そのチャンスがあったとしても。
なぜなら、記憶を持ったまま生まれ変われたとしても、それは今まで僕が生きてきた過程を否定しているのはかわらない。
それを否定して生きるぼくは、ぼくではないと思う。からだ。
たぶん、同じ形をした、別の人だ。
どんなにクソ腐った自分でも、生きてきた過程があって、出会う人があって、いいことも、悪いこともあってきたこと。
それが、ぼくを形作ってきた。
それを否定することは、ぼくにはできない。
それを否定して生きてゆくことは、ぼくにはできない。
でも、やっぱり未練や後悔、将来への不安はある。
ああすりゃよかったなぁー、別の親のもとに生まれればよかったぜ、なんてのはある。絶対ある。
だから生まれ変わりたいと"思う"んだ。
だから、ぼくは生まれ変われたとしても生まれ変わらないし、
…というのは後付けで、はてブ以外にも差別的に使ってる人がたくさんいるから。
まあ結果的には当たってたわけだが。
はてなーはベンチャー礼賛するけどそれだけでは社会は回らないのわかってないバカが多いから。
もちろん、
については何も否定することはない。億単位で黒字上げてて労働環境もいいなら優良企業だろうし。
一方で逆にひたすら拡大を目指すベンチャーが日本にないのは問題だと思う。
ライブドアが一時期はその位置にいたけどね。
何で差別なの? もしかしてベンチャーは良くて中小企業はだめ、っていう偏見持ってる?
俺自身スモールビジネスやってるけど、これは単なる方針の違いだよ。All or nothingの勝負に出るか、堅実に続けることを選ぶか、っていう選択の問題。
経営者自身はそれを自覚しとく必要がある。ベンチャーなら勝負どころではどんどん増資してリソースを突っ込む。そこで迷ってケチったらゼロになるから。スモールビジネスなら、負けても手持ち資金で生き残れるような舵取りをする。最初ベンチャーのつもりで始めて、比較的早い段階でスイッチするのはあり。元増田が
実際には何がきっかけだったかはっきりと自覚があります。「短期的にも中期的にもそこそこ儲かるけど、粗利ベースの市場規模はまず100億円超えないだろう」と予測した事業と、「短期的には赤字垂れ流しだけど、10年後には市場規模が1兆円になるだろう」と予測した事業、の2つの選択があったときに、前者を選んだことですね。
と書いてるのがまさにその選択。
元増田がYouTubeの例を引いてるけど、YouTubeが「ベンチャー」なのは彼らが特別に優秀だったわけじゃなく、月$1Mとか何とか言われてた赤字を垂れ流しつつ、著作権訴訟リスクも抱えつつ、ひたすら拡大を目指してたとこ。
世の中のスタートアップの数からすれば、スモールビジネスの方が圧倒的に多いし、それが健全だと思う。けれどたまに無謀な賭けをする(当人たちはそう思ってないかもしれないけど)ベンチャーが成功してくれると、世の中もっと面白い。