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はてなキーワード: スイッチとは

2011-06-17

http://anond.hatelabo.jp/20110617112517

横だけど、

ロック解除ボタンを押さないとアクセルが踏みこめない

普段の走行でも支障が無いようにするためには、簡単にロックが外せないといけない。

信号になった後、面倒くさい方法でロック解除してアクセル踏んで、ロック解除して…なんてやってたら、事故から

ロック解除ボタンなんてものはすぐに形骸化する。

MT乗りの現AT乗りなんだが、MT車と同様に、停車中はNに入れるようにしてる。

Nに入れとけばアクセル全開にしても(エンジンの回転を理由に)クルマは動かないし、

ロックスイッチほどではないが、左手で一手間入れないとエンジンの状況と無関係にできる。

いろいろ批判もあるようだけど、MTの頃は基本的に信号待ちでギヤを抜いて・再び入れてたわけで

(クラッチペダルを踏みっぱなしにするのもアリだけど)

それぐらいならできるかと。

2011-06-14

女子力学ガリ勉

4歳の娘の通園バッグに付けていたキーホルダーの一部がお友達によってむしり取られるという事件が起きました。

それはそれはカワイイキーホルダーで、リボンから宝石みたいな飾りがいくつもぶら下がっています。その飾りの一つをお友達がポケットに入れて持って帰ってしまい、おうちでお母さんに見とがめられて次の日に返してくれたというのが事実関係の模様。

子ども同士の間では落ちていたのを拾っておいてあげたという話になっていたものの、母親同士が顔を合わせたときに謝罪されて真相が発覚したのだそうです

その話を聞いた私は反射的に、妻と二人の時間にそんな報告を聞いた私は反射的に、

「そんな魅力的なキーホルダーを付けていたのも悪いよ。」

と言いました。良識派のありがちな見解何気なく言ったつもりでした。

すると、妻が思いの外、強い調子で反論してきました。

幼稚園ではキーホルダーを一つだけ付けていいことになっていること。

そのきまりを守らずに複数付けている子もいること。

そもそも我が家は長いこと付けさせていなかったが、幼稚園でまわりを見渡すとみんなが付けていて娘がかわいそうだから一つだけ厳選して付けたこと。

上履きは白無地のきまり我が家は厳格に守っているが、キャラクタープリントされたものをかなりの子が履いていて、それは参観日に私も見ているはずだということ。

妻は私の意見にかなり怒っています

しかし、私にしてみれば、他の子の目を引かないような子どもだましのキーホルダーお茶を濁しておけばいいとしか思えません。カワイイことにそれほどこだわる必要性を感じないのです

しばらく平行線口論が続いた末、妻が放った一言に私は衝撃を受けました。

「みんながうらやむカワイイモノを誰がいち早く持っているかが、女子の力関係を決めるんだからね!」

この一言で私の好奇心スイッチが入ってしまい、妻もぼんやりしていた考えがシンプル表現できたことに満足してしまい、口論はどこかへいってしまいました。代わりに、この説を深めていく会話が始まります

「でもさ、それって俺が東大出会った同級生の女の子達は、また別だよね?」

「そうだと思うよ。ガリ勉人達別世界の人だし。」

久しぶりにガリ勉という言葉を聞きました。東大ではまず聞かない言葉です。でも、このカワイイモノをめぐる女子力学を語るには、「ガリ勉人達」という表現は絶妙です

男子校育ちの私にとって長年の謎だった「女子力学」の秘密が、やっと見えてきたように思いました。

言われてみれば、ごくごく単純な話で、

ファッションリーダーリーダー

なわけです。でも、何だかんだで腕力が権力の源泉となる男子力学からすると、ファッションなんて取るに足らない(ように思える)ものが権力の源泉になるなんて、なかなか実感が湧かない価値観なのです

もちろん、このファッションの表す意味の範囲やカワイイの基準はグループごとに違うわけですが、そこに学校試験の点数がほぼ無関係なのは間違いありません。

 

ということで、家庭には価値観の振れ幅が出来るだけ大きくあった方がいいと改めて思ったのでした。

「主流派女子のものさし」と「ガリ勉人達のものさし」とで両親がチャンバラしていれば、子どもも安心して自分のものさしを振りかざせますから

ちなみに、「ママ友の力学」は、この上に様々な力学が加わってますます大変なのだそうです

2011-05-23

http://anond.hatelabo.jp/20110523143829

いったい元の文章のどのへんが君のブチ切れスイッチONしたの?

2011-05-22

君が職人なら僕はハッカー

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20110521

上記エントリを読んで、なんか違う気がしたので、風呂に浸かりながら考えた。

だって外国製品でも、iphoneってたぶん過剰なくらい多機能だし、ウィンドウだってゴテゴテ機能がついてて悪趣味じゃん。

http://d.hatena.ne.jp/katoyuu/20110518/hacking

そういえば、こないだどうして、フィクションの中のハッカーはもの凄いはやさでキーボードを叩くのか、って言う話があった。

記事の内容とは異なり、俺はこう思っている。

フィクションの作り手たちは思っている。読者にとって、スーパーハッカーとはあまりに縁遠く、理解のできない職人であると。

から、その描写は「なんかすごそう」というレベルに留まる。

サマーウォーズハッキングが根性で、超絶操作キーボードがちゃがちゃだったりするのと余り変わらない。

おそらく、それは

http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20110517/220014/?rt=nocnt

欠如モデルに沿っているからだと思う。

一般人無知蒙昧であり、一部の理解ある人間たちだけが、本当のものの使い方や価値をしっている。

松下幸之助はこういっている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E9%81%93%E5%93%B2%E5%AD%A6

でも、それっていうのは、家電水道のように、っていうのは、

一般人に対して家電の仕組みを伝え、馴染む道具として使わせよう、

というアプローチとは真逆だと思う。

家電の使い手は無知であり、蛇口を開く(スイッチをオン、オフする)以上の操作を期待しない。

という哲学のような気がするのよね。(誤った意味での)お客様神様的な。

そうした発想からは、家電ユーザが分解して、自分メンテナンスする、という思想は生まれ得ないと思うのよ。

これは、家電じゃなくて、携帯電話でもポットでも、電子ジャーでもそうね。

「壊れたら新製品を買いましょうよ」というのは、その方が儲かるから、っていうだけじゃなくて、

日本人は一回壊れたものを直して使って、また壊れても使う。

というような、そこまで自己責任を負う種類の人種じゃないと思うのわけで。

本来、たぶん昔の日本人っていうのは、じっくりと道具を手に馴染ませて、それを扱う職人の集団だったはずなんだけど、

逆にそれは自分の知らないことについては何も関与しようとしない無責任者の一団であって、

気がついたら、手に持った職業技術適当な舌先三寸の営業技術を除いてほぼ失われたものの、

自分の専門分野以外は専門じゃないから、理系じゃないから知らないよ、的な集団になってしまった。

そうしたエスニックグループに向かって、保温ができないポットを売るとかいうのは正気の沙汰じゃなくて、

エアコンが壊れたら自分で分解して修理しろ、といのも本気でいってるとは思えない。

だって、そんなことはどこか遠くの技術センターにいる技術者がやるはずで、一般人の俺にはわからないことのはずだし、

政治なんて十重二十重に囲まれてクローズされた世界のなかでやってるなにやらヒミツめいた活動なわけだし、

原子力なんて専門家のいうことや、誰かが語ってることを信じるしか専門家じゃない俺たちにはわからないはずだ。

そうやって自分の関与外のことに対して、極端なほどに無知蒙昧を装う。

だって、そうしている限り、責任回避ができるのだから

自分責任回避しつつ、他人には無限責任を負わせようとする。

そんな連中に向かって、エアコンを分解して修理してずっと使えって? それも自己責任で?

それとも、壊れたエアコンを確実に修理できることを企業として保証しますって?

そんなの、昭和のオッサンでなくて、オッサンじゃないけど、オッサンになりかかった俺でもいやだわ。

2011-04-04

しか言わない人間など存在しない

武田邦彦氏の功罪 - NATROMの日記

http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20110318#p1

この指摘はその通りである異論はない。

そして、今日

武田邦彦 (中部大学): 原発 緊急情報(47) 汚染・6日に日本全土に拡がる怖れ

http://takedanet.com/2011/04/47_afa2.html

これはどちらかというと玉寄りの記事であると思う。そしてブコメでもそういう評価も多いようだ。

今回の大震災でボロを出した人は多い。一部ではそれ以前からボロが出ていたが、これを機に人口に膾炙したような人もいるだろう。

代表例として池田信夫がいる。彼は玉石で言えばごくまれに玉のような記事を書くが、たいていは石っころの記事を書く残念な「学者である

ところで、

NEWSポストセブン|反発覚悟で森永卓郎氏提案「日本原発スイッチを入れよ」

http://www.news-postseven.com/archives/20110404_16422.html

森永卓郎池田信夫よりマシという程度の凡な学者だというのが私の中での評価だが経済学者はどうしてこうもリスク度外視した提案をするのだろう。

経済学にはリスク評価や維持コストまで含めたモデル存在しないのか?それとも経済学とはここまで残念な学問だったか。それはないと思いたい

とにかく、今回を機に「学者」の権威も失墜したと言える。「東大www」とバカにされるように、「東大教授wwww御用学者限界集落だろwww」と罵倒される時代が来たのだ。

政治不信にせよ、御用学者不信にせよ、根っこは共通である。彼らに求められているのは超人かつ聖人である。あるべき日本人イデアを求められているのであり、彼らはそれを体現する圧力に晒されているのだ。そしてそれが実現不能なのは言うまでもない。彼らは失敗するし、無理解もある。

玉石混淆こそ人間の証明である。玉しか求めないのは机上論人間押し付けしかない。

そしてこの超人欲求こそが張りぼて神話を呼び起こす圧力になる。失敗しません、なんてのは初めから可能である正社員安全神話鉄道安全神話崩壊した。そして原発安全神話崩壊した。それが崩壊することこそが権威失墜の動機であり(権威は失敗が許されず、失敗するということは世間に取って凡人であることを導く)、デマを信じる源泉になるのだ。信頼性に於いて学者の言い分もデマも同列になったのだ(最大限譲歩して、フラットになったといえる)

繰り返す。失敗しない人間など存在しない。正しいことしか言わない人間など存在しない。それはすべて大衆幻想だ。

完璧学者存在しない。完璧正三角形存在しないように。

2011-03-23

http://anond.hatelabo.jp/20110320032147

元増田とほぼ同じ状態だったと思う。

ustNHKTBSを同時に見続けてたところも同じ。

ちょうどustによる配信が終了した頃(震災発生から1週間後くらい)から落ち着いてきたので、ちょっと思い出しながら書く。

関東でも大きな揺れがあったあとしばらくして、いくつもの街が津波で壊滅してる映像が飛び込んできたときに何かスイッチが入った気がした

それ以降、テレビ報道番組だけじゃなくて、ネット上でどんな反応が起きてるのかも食い入るように見続けた。

たいして英語力ないけど、英語圏メディアの記事も読みまくった。国外でどう報道されているのか気になったからだ。

Twitterでは発言するのを控えた。というよりも、自分感情表現できなかった。

原発トラブル収束せず、誘発された別の地震が起きるかもしれないという恐怖感もあり、

とにかく情報を集めて何が起きてるのかをできるだけ正確に理解しないといけないと真っ先に思った。

具体的に被災者のために何かをしないといけないという衝動かられてる人も多かったみたいだし、

かつて自分新潟震災報道を見てて同じような状態になったことがある。

でも、今回は自分にできることは募金以外何も無いと割り切った上で、「見る」ことに集中した

Tumblrはまっている人なら分かるかもしれないが、

自分の興味・関心がある情報が大量に流れてくるとある種の快楽を感じる。

これは脳内麻薬による作用なので、人間に取ってごく自然な反応と言えると思う。

もし不謹慎だと他人から責められるとしたら、それはナンセンスだと思う。

ただし、その結果どのような行動をしたか、については別の話だけど。

そしてこれについて。

今の刺激に慣れてしまえば、あとは倦怠の日々が続くだけだ。聞くところによれば、計画停電は夏すぎまで続くのだという。面倒でたまらない。経済だって下降するだろう。そんななかで、いったいいつまで被害者冥福を祈ったり、知らない土地復興を祈ったりすればいいというのだ。原発処理には数年かかるというじゃないか。2万人も死んだっていうじゃないか。それを忘れることなんて、できるわけないじゃないか

冗談じゃない。もう何も楽しめない。もう何も楽しめない。

かに爆発的に情報を浴びる期間は終わってしまったように思うけど、

これから世の中がどのように変わっていくか、についてはまだ始まったばかりに思える。

そして、震災の影響から何かが大きく変わるであろうことは確信している。

今回見て知ったことを別のところで役立てたい、とまでは言わないが、

俺は今後も、今何が起きているかをただ見続けると思う。

http://sankei.jp.msn.com/etc/news/110315/etc11031517370003-n1.htm

最後に、写真の持っている力が凄いということを今回思い知ったので、この記事を紹介したい。

被災者に「今どんな気持ちですか?」と聞くようなインタビュー映像よりも、一枚の写真のほうが現実を伝えているように思う。

2011-03-15

1日目

その時、私は書店にいた。仕事は3時から始まる。

業務の前に書店に寄ることが、半ば習慣化していた。

買いたい本を片手に持って、レジへ向かう。

人の声の重なりのような、妙なざわつきを感じる。

地面が揺れていることに気づいたのは、その後だった。

一昨日の余震だろうか?それならばすぐに収まるだろう。

生まれて初めて体験する激震が、我が身を、そして店全体を揺らしたのは、そんな甘い考えが脳裏をよぎった瞬間のことだった。

平成23年3月11日午後2時46分の出来事である

本を買うより、身の安全の確保が第一だ。

左手に持つ本を放り投げ、私は出口を目指して駆け出した

棚の高い場所から、多くの本が勢い良く吐き出されていった。

店を出る瞬間に、視界の片隅だけに見えていたものだけど、その光景は良く覚えている。

職場はすぐ近くにある。職場へ向かおう。

激しく揺れ動く地面と同様に、あまりにも落ち着きのない思考が私を動かしていた。

だけど私は運が良かった。ガラスが割れる軽やかな音に気づけたから。

目の前で、ガラス造りの街灯が落ちて地面に砕け散った。

あと数秒、私の走りが早かったら、危なかったかもしれない。

まずは身の安全の確保だ。最優先事項にやっと気づいた私は、元々いた書店入り口近くにある金属の柱にしがみつく。

建物の近くにいては倒壊に巻き込まれるのではないか、という考えもあったが、倒れそうには見えない外見のビルであったし、何よりも、屋根があった。

何かが落ちてきても、屋根があれば最悪の事態を免れることが出来るだろう。

一息ついて油断した、その瞬間を見逃さずに追撃するかのように、それはやってきた。

もっとも、どんな覚悟も、あれの前には無意味だったと思う。

視界に入るもの全てが揺れ動いていた。地面が左右に揺れる、というのを視認したのは初めてだったと思う。

地鳴りと悲鳴が重なる。震度表には「立っていられないほどの揺れ」という表現があるが、まさにそれであった。

銀色の柱にしがみつき、身体を支えること以外、何も出来なかった。

勇気ある人は、危険な位置にいた女の子たちを比較的安全な場所へと誘導していた。

その後、ガラスの街灯がまたひとつ落ちた。ガラスの破片が散らばったけれど、気にしている余裕はない。

私は死ぬのか、この世は終わるのか。本当にそう思った。

長い、長い、私の体感では3分ほど、実際はもっと短いだろう(これを書いている時点では正確なデータがないのです)、

だけど長い地震が終わって、私の思考はまた落ち着きのないものへ切り替わっていた。

そうだ、職場に行かなければならない。

揺れが収まり、身動きが取れることを確認すると、私は職場ビルへと向かった。

本震があって間もなく、仙台市内全域は停電となった。

エレベーターは動かない。12階立建てのビルの3階に職場はある。

階段の壁は一部が崩れ、破片がそこらに落ちていた。非常灯がなかったので、昼と言えど薄暗かった。

それは階段だけではく、各階でも同様のようであった。日の光が差し込むだけ、階段よりは明るかった。

ドアを押しあけ、オフィスへ入るとほぼ同時に、余震が襲いかかった。あの本震の直後の余震である。実際にどれほどの震度の余震だったのか、これも現時点ではわからないけれど、本震と同じくらい強いものに感じた。

「危ないから入ってきちゃ駄目!」と悲鳴に近い声が私に掛けられたけれど、入ってきてしまったものは仕方ない。

オフィスの中にいた他の方々とともに、私は机の下に身を隠した

自ら飛び込んできた私はともかく、朝から働いていたオフィス内の人々は、突然の、しかも未曾有の大きさの地震を受け、憔悴しているようだった。

それから階段を降ってビルを出て、一度は近くの小学校へ避難したしかし、地域の方々の避難が最優先であるため、解散の命令が出るまで、私たちは歩道で待機していた。

その間も余震はまるで容赦しない。地面が揺れる、街灯や電線が揺れる。大きな看板地震で壊れていて、たくさんの人が携帯電話写真を撮っていた。

本震の最大震度が7と聞き、やっぱりね、とか、宮城県沖地震かな、などという話題が上がった。少量ながら雪が降り始めて、とても寒かった。

地震保険の話があった。我が家には適用されるのだろうか。いや、それよりも我が家は無事か。

携帯電話操作して、自宅に電話をかけるも、繋がらない。当たり前のことだった。

それからしばらくして、今日のところは解散、ということが上司から伝えられた。私は家まで歩いて帰ろうとしていたけれど、同じ方向に住まいがある同僚がいたので、家の近くまで送っていただくことになった。

車道は当然のように渋滞していた。加えて、一部を除いて、信号も動いていない。

仙台市中心部から郊外へ移動しようというのだから渋滞に巻き込まれるのは致し方ないことだ。30分で100メートル移動出来たかどうか、ということもあった。

正直に言えば、自宅まで徒歩で戻った方が、早く家についたかもしれない。しかし、車で送って頂いて本当に良かったと思う。

そう思う理由はいくつかある。ひとつは、複数の人とともに移動することによって、不安や恐怖と言ったものを少しは紛らわせたということ。また、車にはラジオが搭載されているから、最新情報を確認することが出来たのも大きい。外気を遮断し、暖をとりつつ移動出来たというのもある。被災直後から仙台市内には断続的に雪が降り、吹雪くことさえあったから。

最終的なマグニチュードが8.8であるという報道を聞き、私たちは笑うしかなかった。この地震で亡くなった方が出るかもしれない、という話題にもなった。これを書いている今現在、確認されている死者は1000人以上であると聞いている。ここまで多くの方が亡くなってしまうとは、あの時、思いもしなかった。

移動中、私は家族が心配でならなかった。特に、自宅にいるであろう、母。我が家は築25年の木造住宅である。自宅が倒壊してしまったのではなかろうか、それに母が巻き込まれてしまったのではないか、心配で心配で溜まらなかった。

同乗している同僚は、2歳のお嬢さんを心配していた。夫の実家に預けているのだが、連絡が取れないのだという。

私も母との連絡は取れない。「頼りがないのは良い証拠」であるという、この場にはまるでふさわしくない故事を信じるしかなかった。

被災直後であるから携帯電話は全く役に立たない。それはとうに承知していても、家族の安否を確かめたいというのは当然のことだ。電話はとても繋がりにくかったが、幸い兄との連絡はついた。それから機械に疎い家族が見るかどうか分からないが、災害伝言板に書き込みをしておいた。

車に乗っていても、余震は我が身に伝わる。窓から見える外では、多くの人が歩いていた。結婚式最中だったのか、よそ行きの格好のまま避難する人、スーパービニール袋を被る人、クリーム色のカーテンを纏う人、様々いた。

1、2時間も経つと、日が傾き、徐々に日の光が失われていった。明かりがあるのは車ばかりで、どの店、どのビル、どの建物も真っ暗なままだった。唯一、警察署だけは明るかったけれど、自家発電装置はいつまで持つのだろうか。

これだけの巨大な地震であるにも関わらず、高層ビルの倒壊がなかった、このことはすごいことだと思う。

しかし、それは外見の話だ。どこも大なり小なりの被害を受けていて、壁が崩れたり、窓ガラスが割れたりするのは当たり前、水道管が壊れて、水が溢れだしている家もあった。

時間半ほどの時間を掛けて、自宅の近くまで送って頂いた。ここからは、歩いて帰ることになる。

外はやはり寒かった。実際の気温だけではない。街のどこにも光がない。駅の近くにある大きな交差点、そこの信号は機能していたけれど、他の信号は依然光を失ったまま。これまで車で通り過ぎてきた光景と同じく、街のどこにも灯りはなかった。

この夜の空は、山中で見るもののようだった。星座が確認出来るくらい、綺麗な星空。あまたの星がいつもと同じように、黒のキャンパスの上で煌めき、瞬く。暗い街並みといつにも増して美しい夜空を、私は生涯、忘れないと思う。

さて、この地震では、かなり多くの方が避難所での生活を余儀なくされている。

我が家はかなりましな状況であるということを、ここで記しておく(こうやって被災最中に手記らしきものを書いている時点でお察しの方も多いだろう)。

何せ、不自由なことは多いものの、自宅で生活が出来ているのだ。現在、これを書いている3日目の朝も、白いご飯を食べ、暖かな野菜スープを飲み、ゆで卵まで頂くことが出来ているのだから

時間かけて自宅まで戻ってきたが、電気はついているはずもない。もしかしたらみんな、避難所にいるのかもしれない。あるいは……。

最悪の事態を思い浮かべながら、玄関を開ける。ただいまと誰もいないかもしれない家に声をかける。返事はすぐに戻ってきた。

家族全員茶の間にいた。みんな、無事だった。そのことに安堵の息を漏らしつつ、私は茶の間に入った。

意外なことに、茶の間は暖かだった。捨てるつもりでいた石油ストーブを物置から持ってきて動かしていたのだ。停電していても暖が取れるのはありがたかった。さらに、ストーブの上にやかんを置けば、時間はかがるがお湯が湧く。パンを置けばカリカリに焼ける。外は氷点下にまで冷え込む中、石油ストーブで外から身体を暖め、お茶で内からも暖める。とても幸せなことだった。これを呼んでいらっしゃる皆様には、是非一家に一台、石油ストーブの購入をお勧めする。

家の中には、父、母、兄、それに近くに住む親戚の小母さんがいた。小母さんは、この地震で誰とも連絡が取れず、また誰も帰ってこないという。家の中は地震家具が散乱しており、中にはとても入れない。一人でいるのも不安である。そのため我が家に来たのだという。

自宅へ帰って来た頃、時刻はもうすぐで8時を迎えようとしているところだった。こたつの上には大きな蝋燭が立てられていて、その脇にラジオが置かれていた。懐中電灯もあるにはあるが、あまり明るくないので、部屋全体は照らせない。そのため、トイレに行く時等、移動する際に使われていた。

そういえば、自室に小さなライトがあるのを私は思いだした。いつだかにゲームセンターUFOキャッチャーで取ったものだ。おもちゃに近いが、電球はなくLEDなので、大きさの割には強い光を出す。

本棚が倒れたため、本で埋め尽くされ、足の踏み場がない部屋へ行く(自室の荒れ方がまた素晴らしかったので、出来ればお見せしたいところであるが、この時既に携帯電話の電池が切れていた。残念である)。机の引き出しの中にライトはあった。スイッチを入れると、白い光が散乱した部屋を照らした

また、その時の私は、黒いタイツストッキングと随分冷える格好をしていた。荒れ果てた部屋からジーンズを引っ張りだして着替えた。ついでに、タオルケットと毛布を茶の間へ持ち出した

茶の間に戻り、ライトで辺りを照らしてみせると、蝋燭や懐中電灯よりも広い範囲をより明るく照らせたので、当座はこのライトで部屋を照らすことになった。裸火がなくなり、火事可能性が低くなったのでひとまず安心した

余震は断続的に続いていた。これを書いている今もそうだが、大小の関係なしに、何度何度地震に遭っていると、いつも地面が揺れているような感覚に襲われる。恐怖が完全に拭われることはなく、むしろ大きい余震があるたびに増大していった。

地震当時、各々が何をしていたかを話した

母は、少し昼寝をしようとしていた時に地震に見舞われたそうだ。これほど大きな地震であれば、逃げることをまず第一に考えそうなものだが、母は42型の液晶テレビが倒れないか心配だったらしいテレビを支えつつ、近くの柱にしがみついて、本震を耐えきったそうだ。

兄は仕事をしていた。オフィスの中にあったパソコンは全て倒れて使えなくなったそうで、しばらくは仕事にならないだろう、それどころか解雇されるのではないか、と心配していた。

父もまた、仕事をしていた。スーパーでカゴ集めのパートをしている父は、地震の瞬間に店内にいた。これは危ない、と思い、しかし出口からは遠い場所にいた父は、普段は閉じられたままのガラス張りのドアをこじ開けて外に出たという。後から聞いた話によると、父の勤務地のスーパーは、天井が落ちてしまったそうだ。

ラジオから聞こえてくる男性の声が、この地震による被害の状況を伝える。泉区で家がひとつ倒壊した、壁に挟まれて死んだ人がいる、火災が発生した津波で何もかも飲み込まれた……。いつもの夜のラジオなら、軽やかな音楽や楽しげに話すDJの声が漏れてくるのに、今宵は厳しい現実と、それを乗り越える手段が、無機質に流れ出ているだけだった。

私が自宅に帰宅して、1時間ほどして、親戚の小母さんの娘さんが帰ってきた。

この時、電話はまともに使えなかったが、メールインターネットならば使用可能な状態にあった。

機械音痴しい小母さんは、メールを打てない。私が代わって、娘さんに「小母さんは我が家にいる」との内容を打ち、送信したところ、娘さんはすぐに我が家に駆けつけた。それまでは近くの避難所を当たっていたらしい

娘さんの勤め先は、長町にある。我が家仙台市泉区に位置しており、長町とはかなりの距離がある。娘さんは同僚の方から自転車を借り、ここまで帰ってきたのだった。それまでに1時間半の時間を要したそうだ。

午後の10時頃に、小母さんの旦那さん、つまり小父さんが帰ってきた。小父さんは地震発生直後に車に乗ったのだけど、ひどい渋滞に巻き込まれて、この時間に帰ってきたのだという。実に7時間もの時間をかけての帰宅だった。

先にも述べたが、被災はしたものの、我が家はかなりましな方だった。屋根瓦が吹っ飛んだり、壁に多少のひびがはいったりはしたけれど、とりあえず住める状態にはあったのだから停電していて茶の間以外は真っ暗だし、ガスも当然止まってはいるけれど、この時点水道は使用できた。トイレも流せる。これだけで、精神に随分と余裕ができた。とは言っても、時間が経つにつれて水圧は低下していき、2日目の昼には断水になってしまうのだけど。

しかし、断水前に風呂に水を貯めておけたのは良かったと思う。おかげで、今のところ、トイレの水には困っていない。流石に大しか流せないので、そこらへんの節約は必要だ。

とにかく、電気とガスが使えないのが痛い。そうは言っても、ライフラインが回復するまでは今ある環境で耐えるしかない。母に菓子パンを食べるように勧められたが、遠慮して、お茶だけ飲んでいた。……皮下脂肪が厚いので、少しの間飲まず食わずでも耐えられる。

夜の11時を迎えたところで、両親に就寝するように言われた。どうせ、余震が続いて眠れないので、次の日の夜明け、6時50分頃まで起きているつもりだったが、せめて横になるように、と言われたので、茶の間の畳の上に体を横たえた。今夜は座布団が枕の代わりだ。寝転がり、目をつぶるだけで、少しは休むことができる。

形だけの就寝をし始めて1時間。日付が変わった後、ふと母の携帯電話を見てみると、2、3時間前まであった電波がなくなっていた。メールネットならば使えたのに、それすら出来ない。ラジオ以外の情報獲得手段がない。ニコニコ動画ユーストリームNHKの放送をしている、とラジオは伝えていたけれど、そんなもの役に立たない、と思った(もちろん、まだ電池のある携帯電話等を持っている人には重要なのだと思うけど)。ちなみに、家に帰ってきた時点で、私の電話の電池は切れてしまった。

日の出まであと6時間ラジオは伝える。どうか日の出まで、希望を持ってと。ラジオは伝える。現実を。荒浜に、200から300の遺体が流れ着いたとの報を聞き、涙が頬を伝った。

3時か4時になった頃、NHKラジオ音楽を流した。2曲流れて、1曲は確か「カノン」だったと思う。そのおかげがどうかは分からないが、私は少し、眠ることが出来た。余震がある度に起こされはしたものの……。

 

長い、長い夜を過ごしているうち、私はひとつ思いついた。

被災している最中から、忘れないうちに、体験談を記しておこうと。

携帯電話は使えない。iPadは不向きだ。だから今、pomeraを使って書いている。我が家にて、単4電池を使う懐中電灯等もなかったから、こうやって書いている。

これは被災してから2日目に書き始めた。現在荒削りながら、被災当日のことを書き終えて、5日目である。出来れば電気が繋がった3日目のことまで書いて、増田に上げられれば、と思う。私なんか、とてもとてもましな方だったけれど、千年に一度とも言われる天災体験談は書いておかなければならないと思った。……エゴイストで申し訳ない。

また、普段は趣味小説のようなものを書いているので、そのような表現があり、読みにくい箇所も多々あったかと思う。このことについてもここでお詫びする。

私が住んでいる仙台市泉区とあるところでは、3日目で電気が繋がり、4日目で携帯電話の通話及びメールが使用可能に、そして現在、5日目の朝にネットが復旧した

ガスと水道は未だ使用不能。ライフラインが完全に復旧するまで、一ヶ月はかかるそうだ。

しかし、命があるだけ儲け物である。生きていれば何とかなる、との言葉を信じてみようかと思う。

2011-02-27

http://anond.hatelabo.jp/20110227073146

原因が自分からもでてるから変わらないと何処に行ってもいじめられる。

からスパイラル

学校いじめられる→地域つきあいいじめられる→バイト先でいじめられる→リアル絶望ネトゲはじめる→MMORPGいじめられる→SNSいじめられる→仕事先で・・

いじめられる自分が変わらないと場所を移動どころか、ネトゲ上の仮想空間でさえいじめられる。ネットといっても所詮相手は人間から。でもネットだと違う自分テストしやすいから、自分が変ればの初体験はなりやすいけど。同じく転校や彼女ができたで抜け出す人もいるけど、周りが変わったからじゃなくて、周りがかわったことで新しい自分スイッチできたかスパイラルから抜け出せたということ。

2011-02-17

一言でいい

結局、だらだらと長文を書いたところで、人の心に引っかかるのはたったの一言だったりする。その一言がひっかかって、人を動かしたり、唸らせたり、止めたりする。だからこそコピーライターなんて職業が成り立つわけで。

なぜこんなことになるかといえば、概して人は自分の認めたいのしか認めないためだ。仕事学業以外の、いわゆる第三者的な視点が入り込まない趣味空間では、誰しもが自分の見たいもの、聞きたいものにしか関心を向けない。デイリーミーなんていったのは誰だったか忘れてしまったが、インターネットなんてメディアではその傾向がことさら強くなる。だから、文章の中にはたった一言スイッチがあればいい。それがいかキャッチーか、あるいはセンセーショナルか、はたまた誰かの願望を適切に表現しているか、それだけだ。その一言さえあれば、人々はそこに列をなしてコメントするし、ブックマークだってする。

思いつきで長文を書こうとする前に、人を動かす一言を考えよう。それさえあれば、結構な確率で人は興味を示す。それがあなたの書きたいこととは関係なくてもね。

2011-02-15

母源病ってすごいよ

奥様がそれを見て顔を引きつらせて、息子の名前を叫んで、何度も平手打ちをしていた。

XXちゃん、いったいこれはなんなの!キー!って感じで。もう可哀想過ぎる。

中学生坊主が両親が2週間もいなかったらそうなっても不思議じゃない。

俺はよくあることだから気にしないで大丈夫です。と言ったんだけど、

もう性格が変わっちゃうほどなじられて叩かれてた。

その少年と駅前で偶然、合った事がある。俺が、あ、あの時の・・・と思ったら、

少年は下を向いて足早に遠ざかっていった。なんかもう可哀想過ぎる。

多感な時期につらい目に合わせてしまった。後で笑い話になってくれれば良いのだけど、

あれをきっかけにおかしくなってしまったとしたら・・・

まあ、絶対笑い話にはならないよね。


っていうか

そういう、母親性的なことを強く詰られたり牽制されたりした結果病気って凄い多い。

穏便なところでは性欲の薄い人、無い人、ED、病的な早漏

しいところになるとsex offender全般や快楽殺人犯

そのXXちゃんは少なくとも前者グループのどれかにはなると思う。

後者キリスト教快楽殺人の本場であるアメリカで多いんだけど

結婚し家ではセックスレス&夜な夜な娼婦を惨殺する人

少女から老人まで幅広くレイプして絞殺する人

・「聖女とそれ以外」で女を見てて、後者と判断するとパチーンと憎悪スイッチが入る人

・家宅侵入と殺人を繰り返し、逮捕後の法廷質問で

 「殺人自慰はどちらが罪重いと思ってるか」「自慰に決まってますからかってるんですか」って答える人

・ヒッチハイカーを誘拐しては頭部を切断してからセックスしてた人

などなど、

以上は全部実例だけど

みんな母親からオナニーしちゃダメ」とか「女の子デートしちゃダメ」とか言われた人達

本当は母親したいだけなんだよねこれ。

でもどんなに残虐な犯罪繰り返してても不思議なぐらい母親には何も出来ない。

最後の人(すごくIQが高かった)だけはしまいにトラウマを克服して母親を殺害出来た。

母親の頭部を切断して"うるさい口"を損壊したあと警察電話して全犯行を自供。

めでたしめでたし


わが子がオナニーするのも嫌なら幼児期に去勢ときゃいいのに。

http://anond.hatelabo.jp/20110214235048

2011-02-07

マイナス思考スイッチ

失敗したり、壁にぶち当たったりすると

マイナス思考スイッチが入る

諦めモード全開で

もう何もかも放り出してしまいたくなる

そして、無力感が襲ってくる

辛い。辛いけど、もう相談に乗ってくれる人はいない

2011-01-10

http://anond.hatelabo.jp/20110110025952

理念あっての仕様であるというのは建前でしょ。

差別用語なんか変換できちゃうと普通にモンスタークレーマーにつきまとわれるだけ。

あなたの考え方じゃ、営利目的で開発されたIMEは買えない。

正直に言えよ。金が無くて、Google日本語変換にスイッチする口実を探していたんだって

2011-01-05

http://anond.hatelabo.jp/20110105163938

「母の豹変スイッチ」読ませていただきました

すぐ消したたいでうすが、面白いので保存しておきました

そのうち活用させていだたきます

2010-12-27

http://anond.hatelabo.jp/20101227230731

携帯は大体持ってる。

財布>時計携帯電話の順で持ってる頻度は高いな。

思い出したけどコナン時計ライトつけてるね。

携帯バックライトは弱いし操作しないと暗くなってしまうので夜道を歩く際などのやや長い時間必要な時は面倒。

これはカメラライトにも言える事で、僕の携帯だけかもしれないが操作しないと勝手に消えてしまうんだ。

から消えないし操作もしやすいようにライトだけ独立したスイッチが欲しいのさ。

ライトってさ、ごくたまに必要になる時あるじゃん

たとえば、ブレーカーが落ちたけどブレーカーの位置がわからない時、夜帰ってきたらマンションの明かりがついてなくて鍵穴がどこかわからない時、足元もおぼろげな暗い夜道を歩く時、災害が起こった時。

でもそんなことって1年に数えるほどしかない。

そんな時のために常に非常用ライトを携えるのって面倒じゃないですか。

普通やらないでしょ。

で思ったんですけど、携帯電話にさ、カメラ用のライトがついてるじゃないですか。

あれ、カメラから独立してオンオフできたら便利ですよね。

できれば普通ライトたいに、横にライトスイッチがついてるとありがたい

そんな携帯電話って、ないですかね?

2010-12-25

むかし、貧しかったころ。

父親がやらかして、母親がどっかに消えて。

18歳の俺は底抜けにしかった。高校を出て、働き出して、同じような仲間二人とアパートシェアして暮らしていた。

友人たちも似たようなもので、「親の再婚相手に連れ子が三人いて家を追い出された」とか「親と同居して働くと生活保護が止まる」とかなんというか、貧民丸出しド底辺、どうしようもない状況だった。

からクリスマスになるといつも思い出す。あれはもう7年も前のクリスマスだ。こういう話にありがちなとおり、俺たちの金は底をついていた。挙句に俺は失業中だった。さらにいえば、三人ともここ暫くまともな職にありついていなかった。

雪国地方都市に住んでいた経験がある人間ならわかると思うけれど、こういう町にはフリーターが生きていくだけの余地が少ない。時給は600円前半だし、こう景気が悪くては日雇いのドカチンも限られる。唯一マトモな収入が得られる可能性はパチンコ屋の店員だけれど、町に4軒しかないパチンコ屋のアルバイトはいつも奪い合いだ。

思えば、あの頃はいつも腹が減っていた。コンビニアルバイトにありついていたときけが例外だった。大量の廃棄がいつも腹を満たしてくれていたあの時期は、本当に幸せだった。

三人合わせて210円。家賃はもう既に一ヶ月滞納していたし、灯油は1ccもなかった。寒くて寒くて仕方がなかった。俺たちの住んでいたアパートの向かいには焼肉屋があって、クリスマスの夜には肥えたクソガキが旨そうにカルビだのロースだのをつついていた。なのに、俺たちは210円でなんとか腹を満たして、仕事を探しに行かなければならなかった。

どうするか、と我々は話し合った。210円で三人、出来ればひとり600カロリーは摂りたい。どうすればいいか。我々は、セイコーマート小麦粉を買った。それを水で延ばしてフライパンで焼いた。塩をつけて齧った。食えたものじゃなかった。一人が空になったウスターソースボトルを見つけてきて、我々はそれに水を注いで搾り出した。うまかった。少なくとも、食えるものだった。町はクリスマスで、俺たちは焼肉屋を襲おうかと真剣に考えていた。でも、腹が一杯になればそんな気力も失せて、とにかく明日は朝から仕事を探す、出来れば三人のうち一人は廃棄の出るコンビニを見つけよう、と決めた。

あれから七年が経って、色々あって。

我々はそれぞれ、大学に通ったり就職したりして今はそれなりに暮らしている。社員寮でストーブを贅沢につけるクリスマスの夜に、なんとなくそんなことを思い出した。今となっては、俺はガス代をケチらないし、寒ければストーブをつける。蛇口をひねればお湯が出る。幸せなんだろうな、と思う。とにかく、なんか色々あったけど、俺は幸せだと思う。

そりゃあ、合わない仕事はしんどいし上司に怒鳴られる度にうんざりもするけれど。少なくとも、蛇口をひねればお湯が出るし、スイッチを押せば部屋中温まる。幸せだ、と思わなきゃいけない。だから俺はもっとがんばらなきゃならない、鬱になってる暇なんかない。俺は幸せなんだから仕事に行かなきゃいけない。頑張らなきゃいけない。

仲間に会いたい。また、焼いた小麦粉を水っぽいソースにつけて食いたい。もちろん、あの頃は決して幸せじゃなかったけれど。でも、少なくとも孤独じゃなかった。

2010-12-18

モテずに恋を実らす方法

最近ふと思ったことなんだけど、モテるかどうかと、

色恋沙汰で美味しい思いをできるかどうかって結構相関が低い。

 

自分は外見も恵まれてないしスポーツできるわけでも

オシャレなわけでも女の子受けする話ができるわけでもなくて、

モテない男同士でモテない話題しながら飲むのが好きな

ごく普通モテない男子だと思う。

 

でもここ数年ぐらいの自分人生振り返ってみたら

確実に、このモテなさからあり得ないぐらい、

たぶん色恋沙汰で美味しい目を見てる気がする。

 

そんな「武勇伝」を語ることはどうでもいいわけだけど、

要するに、モテるかどうかとは別に

「口説けるか」みたいな力がかなり重要で、

その力の大半はある種の図々しさで出来上がってると思う。

 

相手との距離を適切に詰めていくことが「口説き」の極意で、

その「距離を適切に詰めていく」ために重要なのは

つまるところ相手が引かないギリギリ距離感を目測することである

 

それぐらいはまあたぶん誰でもわかってることだろう。

そしてここを見誤って相手が引いてしまった場合

かなりの確率で取り返しは難しいということもみんな知ってると思う。

 

でもそれ故に多くの人は、距離感の目測が圧倒的に保守的なのだ。

 

普通だったら、―この場合普通というのは

例えば同年代の同性に対して何の下心もなく好意を持って接する場合とか

そういう意味でとらえて欲しいだが

そういった場合には全く嫌われる要素がないような事についても

「もしかしたら引かれるかも」って自重するし、

そんな「もしかしたら引かれるかも」って気構えが

逆に相手を警戒させることになっていくのだ。

 

 

例えそれが会話したことない人でも、

学校とか職場とか住んでる地域とかが共通してる人にばったり会って、

にこやかにおはようございますと挨拶されて嫌がる人はいるだろうか?

 

自分がちょっといいなと思って身に着けてる小物を

流れで褒められて嫌がる人はいるだろうか?

 

休み前に一緒にいてしゃべってる相手から

「よかったらお昼一緒に食べますか?」と聞かれて嫌がる人は?

 

既に何度も会話して知り合いという以上の間柄になってる人から

良かったら携帯教えてもらえませんかと言われて嫌がる人は?

 

たまたましばらく会えなくて携帯だけで連絡とってるところから

もしよければ久しぶりにごはんでも食べに行きませんかと言われた時は?

 

 

もちろんこれらの過程において相手の考え方とかタイミング次第で

何度か断られることもあるだろうけど、

そういう風に考えていけばセクハラで訴えられるような行為以外、

こちらに変な下心とかそれ故のキョドりとかがなければ

相手が引くこととか全くないことがわかると思う。

 

なので、もうクセというかルールというか無意識レベルで、

自分があ、いい感じの人だ、と思ったらにこやかに挨拶して、

食事の時間に誰かとしゃべってたらごはんに誘うとか実践してれば、

常に自分の周りにはマメに連絡をとるべき素敵な女子存在することになる。

 

あとは、その人たちの中の誰かにゆっくり恋していけばいい。

イケメンでない我々相手では途中でそれ以上近づけなくなる人もいるだろうけど

ちょこちょことごはんを食べに行くような間柄になるような人ならば

きっかけ次第で十分恋が芽生えることもある。

 

というか、さっきセクハラで訴えられるような行為以外とか言ったけど、

信頼関係出来ててこっちに変なキョドりがなければ

そのへんのオッサンが知らない女の子にして捕まるようなことの何割かも

案外笑って許してくれたりする。それぐらいの寛大さを女子って持ってる。

 

小さい男の子とハグするのも、同性愛者じゃない女の子同士でハグするのも、

なんか陽気な外人男性とハグするのも全部案外平気なんだから

逆になんで我々だけが不可能なのかという話であり、

それが下心とキョドりのせいなのだ。

 

いや、もちろんいきなりハグしようぜとか言い出したダメだけど、

頭ぽんぽんするとか、頬をつつくとかつまむとか、

ある種の「イチャイチャ」をさらっとやってさらっと流されないことって少ない。

というか、比較的若い人とか、何かのコンプレックスを抱えてる人を除く、

それなりに年齢的にも精神的にも成熟してるお姉さんなら100%セーフと言っていい。

多少ビッチな人だったりすれば、さらに少しずつセーフティなラインを押し上げて、

お酒の勢いでそれ以上のことに及んでしまっても全然問題なかったりもする。

 

で、そういう悪気ない(あるいはたいへん悪気だらけな)身体的接触から

ふと相手の心にスイッチが入ってしまう、なんてこともけっこうあった。

 

 

世の中のマスメディアモテるために服装やら何やら

ありとあらゆるアイテムの消費を煽ってくるけどたぶんあれは大嘘だ。

あるいは、目指すベクトルが非効率なのだ。

 

せいぜい2,3ヶ月に一回ちょっと内装のオシャレな理髪店で髪を切って、

いでにそこで理容師さんのセンスで眉毛も整えてもらったら

服装とかは、別にユニクロでもなんでも全然問題ないか

半年に一回ファッション雑誌立ち読みして、自分の分を守りつつ

何かそれなりに今っぽい服を一着ぐらい買ってみる、とかで十分だ。

 

もちろんユニクロ着てる男なんて…て言ってる女の子もいるけど

その絶対数はそれほど多くないし、あからさまにユニクロっぽいわけでもないアイテム

正しくユニクロだと見破れるような人はさらに少ない。

そして、ユニクロ云々いう一部の女子と、そうでない大半の女子なら

どちらが自分人生重要かというと答えは明らかである

 

 

そして、こういうやり方をするにあたり、たぶん多少小太りぐらいの人なら

別に体型を気にすることもなく、案外背が低いとかも問題にならず、

顔だけで芸人として成功出来るほどでなければ顔も問題にならないと思う。

 

 

ただ単に少しだけフレンドリーに、少しだけ図々しく、

例え自分の中に下心とかキョドりがあったとしてもそれを上手く乗りこなしてれば

モテなさ」は全く問題にならず、幸せ恋愛が出来たりする。

 

 

そんな感じで僕と同じくらいモテず、僕より遥かにいい男な人たちが幸せになれば

世の中はずいぶん楽しくなるのになぁと僕はしばしば思ったりするのだ。

 

2010-12-14

最高

真っ先に沈み込む俺のメロディ

記憶喪失もヒビ鍛えあげてきたこの文章力すらも

何もかもがぶち飛ばされる世界

俺はただもがいてもがいて助けを待って

生き血をすする地獄のように

彼らもきっと分かってるはず

俺が闇に捨てた黙るフォイだってこと

カマンベールチーズでも食べなよ。

一旦闇に落ちる。

世界大黒柱が崩れる。

灰と化した神様が、うなだれてる。

俺は俺になる。存在を確かめる。

生きている実感を感じる。

相応のスレを常に探しているけれど、見つからない。

ピンポーンハンドクラッシュ

決して見えない虚像むぞう。

そして果てのない冒険へと出る。

それを皆が待っている。世界は我々の答えを待っている。

パトラッシュうううううううううううううううううううう

世界は正解へと向かっているのか!?

あらゆる物質を越えて。更なる深い闇へ。

もっともっと大きなものが作れるはずなのに。

大好きビームでパンチング

スイッチングにミステイク

ラストスマッシュは顔面に。

書きこむスレがなきゃ俺は捨てゆくよ。

ここで発散する意外方策がないじゃないか

意味のないトラブルじゃないか

くだらない駆け引きじゃないか

結局何もなく終わってしまうんじゃないか

愛はお金で買える時代さ。

容赦ねぇな。

くだらねぇな、本当に。

興味もねぇよ。本当につまらない。

俺はただ眠たい一心さ。

やりたいことが見つからない。

さてはて、どうしたものか。

普通ブログ書いたって人なんざこねーし

どうしてくれようこの悪循環

(・_・。))マイッタナァー

/(-_-)\ こまった~

2010-12-03

http://anond.hatelabo.jp/20101203161515

そういう相手にはその人の興味のありそうな系統ニュースの話をするようにしてる。

あまりに相手の好みにピンポイントな話を振ると、相手のスイッチが入って延々と関連する知識を語り出すから気をつけなきゃならんが。


一応、過去ニュースすら見てない相手もいたが、そういう場合は気にする必要もなかろう。

少なくとも俺の場合、その人はそもそも人と会話すること自体覚束ない非コミュだった。

縁が太くなることはそもそもなさそうだったというか、あちらからお断りといった感じだったからな。

同時にいろんな仕事を進めるのはよくないな

コンテクストスイッチコストがかかる。

2010-11-22

好きだったはずの相手に一瞬で冷めた

バイト先で知り合った女の子と仲良くなった。

メールを交換したり、親しく話すようになって、食事に誘ったらOKの返事。

約束の日まで、もう付き合ってんじゃね?ってくらいベタベタメールを交換し続けた。

昨日がその約束の日。

相手が希望した店に行った。

そんでさ、何気なく

「○○ちゃんは、苦手な食べ物ある?」

って聞いたんだ。

途端、彼女は何故か身を乗り出した。

そして

「■■でしょ、▲でしょ、●でしょ、××でしょ、□なんて存在すら許せない!」

と『私の嫌いな食べ物自慢』を開催。

ある食べ物をあげて、それが何故嫌いかを語り

それを食べる人間が信じられない、でまとめ

また別の食べ物いかに嫌いかを語り出す。

その姿がなぜか自慢げ。

それを見てたら、「あ、この子とはダメだ」と思ってしまった。

本当は食事の後にちょっと散歩でもして、告白してくるつもりだった。

相手もそれを期待してたと思う。

散々、どんな告白をしようかと脳内シミュレーションを繰り返していた。

それなのに、彼女の嫌いな食べ物自慢を聞いた瞬間

スイッチがパチンと切れたかのように、「好きだ!」と思っていた気持ちが消えてしまった。

その子から、次はいつどこに行こうかというメールが来てる。

断らないと。

恋心って一瞬で冷めることもあるのだなぁと妙に感心してる。

それとも、本当に恋をしていたわけではなかったのかな。

2010-11-19

http://anond.hatelabo.jp/20101119110651

このウンコ上司と戦うためではなく、これから新しい仕事を覚えて上司ともコミュニケーションを取ることに要点をおいています。

録音のデメリット

・録音後、文字を起こすとメモを取る以上に労力が掛かる。

ICコーダを勤務時間中持ち歩き、話すごとにスイッチいれてる奴なんていない。会社で不審者扱いされるだけ。

上司早口だった場合、録音しても意識のズレは解消しない。


メモを取ることで話す方も相手に伝えるペースが分かるし、しっかり聞いてくれてるという安心感もあるのでオススメ

2010-11-01

・・・

死にたいわけじゃないけれど、消滅できるスイッチがあったら押すと思う。

誰の記憶にも残らず、痕跡一つ残さず、記録もきれいに消えて、最初からいなかったかのようにしてくれるリセットスイッチ

2010-10-28

ネット巡回のコツ

ネットを巡回するときは、エロ画像のあるところに近づかない。

エロ画像を見てしまうと、脳のスイッチエロモードになってしまうので

他のことを忘れてしまう。

グロ画像残酷画像も同様。

ということで、tumblrふたばなど画像掲示板は後回しにする。

2010-10-25

USBトリプルフットスイッチATOKWindowsXPIMEON/OFFを切り替える方法

USBトリプルフットスイッチ

 http://www.scythe.co.jp/input-device/usb3footswitch.html

 を使って、フットスイッチXPIME日本語ON/OFFを切り替える方法。

 1/フットスイッチの設定で、Ctrl+Shift+Pageup を割り当てる。

 2/http://masaru.org/diary/20100128.html を参考に、

  ATOKの機能を使って、Ctrl+Shift+Pageup  ボタンIMEON/OFF機能とする。

  1/ デスクトップツールバーATOKアイコン右クリックプロパティ(環境設定)

  2/「キー・ローマ字・色」タブをクリック

  3/「キーカスタマイズボタンを押す

  4/ 左下の「キー」ボタンにチェック、キー別設定一覧にする。

  5/「Shift+Ctrl+Pageup」キーを探す。

  6/「Shift+Ctrl+Pageup」キーの設定を、現在の「半角/全角」キーの設定に合わせる。

   (要するに全項目を「日本語入力ON/OFF」にする。)

  7/ OKボタン→OKボタンで確定。新しい設定として名前をつけて保存。

 

ついでながら、現在IMEON/OFF状態を知るのには

SetCaretColor http://www.forest.impress.co.jp/article/2007/05/29/setcaretcolor.html が便利、あと「Dさんの日本語でなきゃイヤン」は絶対に必要。

 

AutoHotKeyを使って「踏んでいる間だけ」IMEONになる方法にも一応成功したが、なぜかNumLockがついたりきえたりというおかしな動きを見せたので諦めて削除した。

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