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はてなキーワード: 黄泉とは

2018-03-17

anond:20180317202959

http://b.hatena.ne.jp/entry/nenesan0102.hatenablog.com/entry/2018/03/16/221105

「本文読めよ」

タイトル脊髄反射!」

火葬ワロタ

「昔はみんな土葬

イザナミ出てない・・・出てた」

イザナミゾンビじゃなくて黄泉の国の話じゃね?」

そしてなぜかブログ主5連スターの無いLhankor_MhyちゃんOutfielderちゃん……

これぞブコメ

タイトルしか読まない

http://nenesan0102.hatenablog.com/entry/2018/03/16/221105

本文引用

日本神話にはかなり細かくイザナミの体が腐った描写が出てくるのに、日本霊異記にはそういった描写ほとんどない。まるで遺体は腐らないかのような書き方すらされている。イザナミは、黄泉の国の食べ物を食べてしまった。黄泉の国の火で調理したものを食べてしまった。だからあのように腐ってしまったのか。復活することができなかったのか。キーワード食べ物のようである

ブコメ

bottomzlife あ、あの…イザナミはどこ行っちゃったんでしょうか。右翼から抗議文届きそうですが…

giyo381 イザナミ

bigburn いきなり黄泉平坂のイザナミスルーされてていい話だなー。

2017-12-28

死んだら無です

私の全ての意識は刈り取られ、完膚なきまでに何も残りません

魂とかありません

まれ変わったりしません

天国地獄六道黄泉もありません

まれてきた意味とか、使命とかありません

私は、純粋物理現象の結果としてただ生まれてきただけです

そして物理現象としてただ死んでいくだけです

救世主殺人犯も等しく死に、等しく無に帰ります

物理現象は決して善や悪を判断しません

から、好きなように生きましょうよ

生前に行うすべての行動は、生前で完結しま

少なくともそう考えるのが最も合理的です

この世界自分死ぬまでに、自分が得る得点を最大化するゲームです

得点とは自分の満足のことです

まれる前や死後の世界勘定に入れて戦略を組み立てるのははっきり言って下手なやり方です

そして、他人というのも本来どうでもいいことです

自分以外の人間生物にちゃんとあなたと同じような意識が宿っているかどうかすら知りようがないのです

このゲームにおいて他人というプレイヤーは味方でも敵でもありません

それぞれが得点を最大化する過程で、自分戦略マッチすれば協力しあえるし、逆なら排除しあう関係になるだけです

他人を喜ばせて嬉しい、傷つけて悲しいというのは結局あなた自身得点を増減させます

そう考えたほうがきっと楽ですよ

こういうことを話すと、きっと、じゃあ自分利益のためにいくらでも悪いことしていいんだな、とか

気に食わなければいくらでも殺していいんだな、とか意見をいただくでしょう

そのとおりです、してもいいんです

逆にしてはいけない根拠はなんなんでしょうか

先に書いたように物理現象善悪判断しません

人間が100メートル飛び上がるのはおそらく「できないこと」でしょうが

人を殺すのは「できること」の範囲に入ります

物理的に、です

刑法では殺人は罪になりますが「殺してはいけない」ではなく、「殺したら罰を与えます」としか書かれていません

それは当然のことで、いくら刑法ダメと書いても、本人が決心するだけで実行できてしまうのですから

刑法に駄目と書くことにあまり意味はありません

となるともはや宗教上の理由しか残っていないわけですが、

これも先に書いたように私は死後の世界云々を否定しています

殺人を否とする根拠はどこにもありません

(というか、この現代宗教上の理由『だけ』で『全ての』人の行動を縛るなんて無理がある手法です)

たとえば私に限って言えば、それでも殺人を犯さないのは、それはこのゲームにおいて得点が下がる行動だからです

精神的、金銭的、あるいは刑罰的な理由で、様々な方向から得点がガリガリ下がります

得が全くありません

これは日本システムがそういう風に上手く作ってあるからです

他の人にとって困る行動をすると、自分自身得点が下がるように、法律できっちりとルール付けしてあるからです

これが法律の最も重要存在意義です

それでもやはり殺人の方が、余りあるマイナスを乗り越えてでも得点が上だとなった時、私はきっと殺すでしょう

そうやって世の犯罪は起こるはずです

これが私の宗教です

2017-11-24

黄泉の国からブクマ達が帰って来た

ブクマが消せない」が正しいような気がする

個別ごみ箱削除も全削除も効いてない

もともと時間がかかる処理だったが、個別ごみ箱もこんなに遅いのは初めてだ


できた。一度編集してから更新時刻を更新してからごみ箱ボタンを押すと削除できる。なんだこりゃ

黄泉の国からブクマ達が帰って来た

今日はてなブックマークを見るとブクマ総数がやたらに多い

なんだろうと思ったら過去に全消ししたブックマークが戻ってきたようだ

やっぱり見えなくしただけでデータベースからは消してなかったんだな!

はいいのだが、なんだかこれはこれで総量がしんどい

もう一回全部消せばいいのだろうか


(2か月くらい前の自分はてブを読みつつ)こんな面白くないこと書いたかなあ俺

2017-06-21

https://anond.hatelabo.jp/20170621071603

ここ100年くらいで日本の歴史を語られてもねぇ。

神代の頃は完全な女系社会だったので、女性への暴力不可能だったのでは?

しろ伊弉冉尊黄泉の国から連れ出すのに失敗した時の台詞がむしろ、当時男の方が殴られていたのではないかと感じるくらいだ。

貞永式目では女性財産権が語られているにもかかわらず、暴力については御家人かそうでないかしか区別がないので女性への暴力が認められていたとは思えないのだが。女性財産相続することも認められていたので、それなりに女性地位があったのではないかと思う。

江戸時代女性は、女不足であった江戸では特に権利が強かったと言われていると思う。三行半は男が女にたたきつけるものでは無く、女が男に無理矢理書かせるものじゃなかっただろうか。

そう考えると、日本の歴史で女が殴られている方が短い気がするんだけど、どうなんだろうね?

2017-06-16

XboxOneを買おうかと思ったが

Xboxを持っていたことがあって(ちょっとゴタゴタがあってその頃持っていたハードは一度全部手放した)、現行でもXbox360を所有している。

で、ちょっと大きめの臨時収入があったので、そろそろいいかな…と思いXboxOneに手を出してみようと思った。

もちろんXboxOneの状況は知っている、つもりだった。

Amazonを見てみて絶望した。レースレースFPSレース鉄拳レースFPSレースFPSレースマヴカプFPSFPSサッカーレース鉄拳やりたいソフト鉄拳くらいしかねえ。そして鉄拳なら既にPS4があるのでわざわざ持ってないハードを買う意味自体がねえ。

2ページ目も相変わらずFPSサッカーGTAコンボで、末尾になってやっと雷電Vが出てきた。

いや、いい。XboxOneにおいて日本市場がクソ市場その一扱いなのは知っている。フィルスペンサーが「巨大市場ではないが重要市場」と慰めるようなことを言っても11月7日XboxOneXが発売されることが確約されていないという現実が全てを物語っている。だがその分をさっ引いてもこの偏りぶりは何だ。RPGはないのか。シューティングはないのか。無双は…まああれは日本市場ほぼ限定なので無いのは仕方ないとしても、あれか、e-Sportsとか言うキモヲタ祭り上げバズワードに関連しないもの存在すら許されていないのか。エクスペリエンス千頭社長はこんな市場の何を応援するつもりで「黄泉裂ク」をリリースするつもりなのか。

なんかドン引きしたのでじゃあSwitchにするかと思って、転売屋のすくつになっているのを見てそっとページを閉じた。ゲーム業界ってこんな地獄だったっけ…?

2017-03-14

[] 龍の歯医者見た

物語的には、運命を軸にして、それを受け入れて生きる龍の歯医者(野ノ子)と、異を唱える黄泉帰りのベルというわかりやす構造から、最終的にベルがまるで己の運命に導かれるようにしてあの結末を選んだという感じで。

個人的には柴名ねえさんの業を否定しない流れが気に入った。まあ結末ってほど話終わってないんだけど。

何より驚いたのはCGだった。例えば馬のシーンもセルアニメとほぼ見分けがつかないくらいになっていて、カラーCG部すげえなって。

でも、サンジゲンポリゴンクチャーズもそうだけど、日本アニメCGってセルルックばっかり追及しててなんだかなって気分になる。せっかくだからセルルックに限らず、CGからこそ出来る表現を追求して、誰も見たことのないものを作ってほしい。

2016-11-27

http://anond.hatelabo.jp/20161127002956

仏教ってあれなのか。万人救済はする気はないんか。分かる奴だけ来い、みたいな

「救済」ってどういうことなんですかね?

黄泉の国にでも連れてけっつってんのですか?

んなこと考えてるからオウム真理教とかにコロッと騙されちゃうんじゃないっすか?

 

ヒントはね・・・

むかーしのインドでは・・今もそうらしいですけど・・「輪廻転生」を繰り返す、とかって思われてたらしいんですけど、仏教創始者と思しき人々は輪廻転生なんかないって言っちゃったらしいです。

たったそれだけで、輪廻の苦しみから逃れられますよね。

なんで「輪廻転生なんかない」ってはっきり言えてしまったんでしょうね?

 

ちなみに、インド気候って激しい雨季があって乾季があって、のように繰り返すので洪水や飢えに苦しむのも繰り返し。

その上、バラモン教古代ヒンズー教)、カーストは生まれ変わろうと変わんないとか言われてたので、ぐるぐる繰り返す苦しみだけがあるのが人間、という思い込みが強烈だったそうです。

そういうのが輪廻転生思想の源流です。なのでみんなそこから解脱たかったんですよね。

そういう古代インド思想をそのまま仏教でも引き継いでます用語とかがそのまま使われていると言うような意味でね。

その辺をちょっと理解すると理解の助けになるかもしれません。

 

でも、日本サラリーマンだって似たようなもんですね。毎日毎日仕事の繰り返し・・・宝くじでも一発当てて楽になりたいって気持ち古代インド人のそんなのと一緒ですよねーw

2016-02-28

死霊術師井上

死霊術師としてのすべては、今は亡き祖母から伝習した。大学では文学部に進学した。これはもともと歴史学に興味があったことと、死霊術師としていつか遭遇するかも知ない事態に備えるためだった。

大学3年生の終わりころ、死霊術師としていよいよその事態を迎えることになった。

ある日テレビを見ていると、旅番組のようなものがやっていて、滋賀県西部の山林地帯をいつも見る芸能人が歩いていた。何の変哲もない番組だった。しかし、テレビを介しても充分過ぎるほどに、死者が放つ霊の波動が伝わってきた。もちろん、普段生活していてもその種の死者の波動を感じることはある。霊波は一般に、腐ったり火葬したりして身体が失われると弱まる。またたとえ身体があっても、時間経過によっても霊の波動は弱まる。人間やその他の生き物は、その場にとどまろうという意志を長くはもちえないのだ。恨みだとか、一般に強そうと言われる意志ですらそうだ。こういうのは仏教的に言うと成仏していくってことなんだろう。魂は残らない。めったには。

テレビで知った、滋賀県の霊波は別次元と言えるほど古く、そして強力だった。おそらく、亡骸がある程度そのままの、古い死体があるのだろう。そして、強靭意志21世紀でも保っている。

死体と強い意志。これが重要だ。死者蘇生の用件を満たしている。そしてかなり古い。

腕試しにはちょうどいい。見つけてしまったらもう止められない。死霊術の行使者として、その興味関心を止めることはできない。

祖母から習った作法で、霊波の質から霊が生きた(死んだ?)時代のおおよその年代を感じとった。520年+-30年前くらい? 手元の『日本史辞典』を紐解く。室町後期? 手が震える。研究室で『国史辞典』にかぶりついた。

その頃の近江一般に長享・延徳の乱と呼ばれる動乱期にあった。守護六角氏討伐のために将軍足利義尚が長く近江に陣を設けていた。どうやら死体はこの時期のものらしい。

私は大学研究室院生の先輩に聴いてその時期の文献を学んだ。また隣りの言語学研究室国文学研究室に行って、室町時代言語やその発音について質問した。かなり難しい。筆談の方がいいかもしれない、と祖母アドバイスを実感をもって思い出した。まさか室町期の死体に会えるなんて。せいぜい行って天保期くらいだと思っていた。古い死体なんてもの時代を遡るにつれて加速度的に少なくなる。祖母明治4年に死んだ男の死体蘇生したことがあると言う。これでもだいぶん古い方だ。室町期の死体なんて、祖母からもきいたことがない。後で聞けば、先輩方は私が卒論室町時代後期を扱うから一生懸命調べていると勘違いしていたそうだ。


春休み近江に旅した。大きなスーツケースを持って。蓬莱なんてお誂えむけの地名だ。山の方に入っていく。山は静かだった。ほどなくして現場に到着した。霊波は強い耳鳴りのような形で私の身体に具現する。こんな古くて強い霊波、他の死霊術師が気付かなかったのはちょっと不思議だ。まぁ波長が合う、合わない、はかなり厳密だから。私にもってこいのチャンスなのだ。私は女ながらオリエンテーリング部で体を鍛えていたから山歩きは結構得意なのだオリエンテーリングなんて全然興味が無かったんだけど、新人歓迎コンパで迎えてくれた先輩方の雰囲気がすごく良かった。サークルでは、大学生なりだけど、人との付き合い方、間の取り方を学べたと思う。高校生の時にはあまり意識できなかった、人間(じんかん)の距離感や発話。

山道から沢に下りる。死体が残った理由が、何となくわかった。日本では死体はすぐ腐って亡くなってしまう。しかし沢下にはぽっかりと、知られざる洞窟が顔をのぞかせていた。多分ここに死体がある。相違ないだろう。もしかしたら近年はずっと埋まっていて、最近になって地震などで再び穴が地表に現れたのかもしれない。だから今まで波動に誰も気づかなかったのかも? 洞窟は沢が近く低温が保たれ死体が保存されたのかも。あるいは永久凍土なんかがあって風穴で涼しいのかも。ま、これを考えても詮無い。とにかく、死体があるのは明らかなのだから

ひんやりした洞窟に足を踏み入れる。かなり急だ。いよいよだ。震えるほどだ。周囲には驚かれるけれど、死霊術の技術は、実は私にとってはとても簡単なものだ。血も継いでいるし、祖母と言う佳き師もあったから。祖母もいっていたことだが、基本的死霊術師は技術的な部分はそんなに問題にならない。むしろ重要なのは、死者と会い、契約する時の対話の仕方だ。死者が生きた時代言語常識を、こちらが把握してしっかり対話せねばならない。そうしないと蘇生に応じないこともあるだろうし、蘇生したい旨すら伝えられないこともあるだろう。死霊を怒らせてしまっては、あるいは成仏させてしまっては元も子もない。死霊術師の実力はここで決まる。このことを上手くやるために、私は大学では文学部へ行ったのだ。もし死霊術師に生まれなかったら、稲の光合成研究をしに理学部農学部へ行きたかった。

洞窟の奥にややひらけた場所があり、その壁によりかかるように木製の箱型の人工物が見える。…ああ、かなり古い牛車だ。小八葉の牛車? 公家が移動手段として用いていたもの。八葉の大きさ、小さい? 大きい? これで身分が大体分かるのだが…肝腎の大きさが、大きいのか小さいのかわからない。そんなの文献に載ってない。牛車なんて初めて見るんだ。そもそも近江に牛車。やや不可解? 足利義尚近江出陣の際には公家近江まで出向いたというから牛車できてたのか? それにしたって牛車で近江まで行くの? なにもかも自信が無くなってくる。

これではだめだ。祖母の言によれば、まずはその人をそのまま、そのままに感じるのだ。先入主観は退けるのだ。牛車の文様が大八葉だろうが小八葉だろうが、なかに居る主こそを見るべきなのだ

精神を澄ませる。霊とは頭の中で会話する。結局、『太平記』のテキストをメインに準備を進めていた。『太平記』は南北朝時代を描いた軍記物で、室町後期には往来物として身分を問わず人々に広まっていた。死体教養がいかほどであっても『太平記』の語調なら大丈夫ではないか、と考えた。とうぜんテキスト変わっているんだろうけど…。

太平記』の文法で私は語りかける。

「私はあなたよりも後世を生きる人間で、その間に人間が語る言葉も変わってしまった。この言葉あなたにどの程度通じるか私にはわからないが、どうか話を聞いてほしい」。ここまでテンプレ国文学研究室富田先輩ありがとう

…牛車がガタガタと動く。御簾が超自然的な動きを示し、内の暗闇をあらわにする。お化けが怖い人はびっくりするんだろうけどもちろん私はそんなことはない。打掛の裾が見える。小袖が二重? そして茶色く干からびた手のひらが…暗くてよく見えない…が、死者に話しかけた段階で幽界との淡いが生起し、この世ならざる強烈なイメージ五感以外から五感を経由し認知される。死体は髪の長い公家女性が見える。平安時代のオカメ十二単イメージがあるけど、それより軽装だ。でも相当めかしこんでいる。この時代人間は小さいしガリガリだな。さぁ、いよいよだ。頑張って蘇生素体になってくれるよう語りかけよう。

「…私の寂滅からどれくらいの時間が経過しまたか?」むむ、なんとかこれくらいなら聴き取れる。うほっ、「太平記読み」専攻の坂田先輩ありがとう! 高校非常勤やりながら大変でしょうけど博論頑張ってください。

「五百有余年でございます。『太平記』を読んであなた時代言葉を学びました」「…私も『源氏物語』で古の言葉の遣いに触れました。」「実は、…今日あなたお話しがあって武蔵国から参ったのです」いよいよ本題だ。

あなたは強い心をお持ちで五百有余年をお過ごしになられました。そして幸いにしてお体も崩れず残されております。私はあなた精神と身体とを結び付かせ、再び現し世に復することができます。再び洞窟の外に出て暮らしてみるのはいかがでしょうか」

「たしかに私はまだ黄泉の食物を口にしておりませんね」さすが公家の娘だけある。当意即妙にこたえねば。「私なら黄泉比良坂をあなたを連れて戻ることができます。」「どうして私を選ぶのです」「あなたのように長らく意識と身体とを保つ例はめったにないことなのです。」実はこれはあまり理由になっていない。死霊術師の衝動説明するには、私には言葉が足りない。彼女が尋ねる。

「当時(筆者注:ここでは現在の事を指す)は死者を供養する作法は未だ仏式を用いますか?」意外な質問だ。自らの供養を望んでいるのか? 「ええ、大分形はかわっておりますが仏の教えは今でも通用しております」「ならば既に死んだ者を私なりのやり方で供養して、意味があるということですね」…あやうく意味を取り損ねるところだった。ちょっと不可解な質問だ。彼女は何を考えているのか。彼女の事を深く知った今になって考えると、これは彼女なりにかなり考え抜かれた、ある種の哲学のようなものだった。彼女の培った供養の作法。そのルールがもし現代で途絶えていたら。つまり仏教現代に伝わらなくて、もし私たちが何か違う祈りの作法で死者を弔っていたら。きっと彼女蘇生に応じなかっただろう。彼女の知っているルール現代でも供養ができる。これが彼女にとって重要だったのだ。

「私は京都六角富小路邸宅がある公家(筆者注:ここでは「こうけ」って読んでね!)に生まれました。大乱(筆者注:ここでは応仁の乱を指す)の後の騒擾の世でありますから、私は近江根拠にする武家の御仁に嫁ぐことになりました。いよいよ渡嫁のとき、牛車が谷に落ちて私は命を落としたのです。嫁ぐことが決まってから武家奉公人生活が如何様であるか、主人が如何なる稟性を持つのか。和歌は読めるのか古典は存じているのか。いつも想像していました。」死霊術師の常識から考えれば、それだけでここまで精神は保てない。私はほとんど確信をもって尋ねた。「もちろんそれだけで想いを保つことはできなかったでしょう。どうして。」

彼女はここで初めて表情を私に感じさせた。「実は洛中で一度彼の人をお見かけ申上げたことがあるのです。私の生家は上って四位の家柄ですから、ふらふらと外にでてもあまり咎められることは有りませんでした。ある日京師が物騒になり武家の人が20騎ばかり邸宅の前を過ぎりました。颯爽と武者を連れていたのが、後々判ったことですが我が主人となる方でありました」え? それだけ。うーん恋愛感情ってわからないけど、そんな単純な感情で何百年も持つのかな? 単純だからこそ長持ちする? わからんね。すると彼女が続ける。

「死んだあとはずっと新しい生活の事を考えていました。武家生活。今まで見知った知識や噂話全てからひとつひとつ、未だ来ぬ時の先をずっと、ひとつひとつ限りなく。一日の起きてから寝るまで衣服の糸先から世情に至るまで。とにかくひとつひとつ。世に現れるであろう現象をすべて想像しうる限り、ひとつひとつ。彼や周囲の人間との交わされたであろう会話をひとつひとつ。彼の人とのありうべき時と出来ごとの全てをひとつひとつ想像していたのです。そうしたら、ええと、五百有余年過ぎ去っていたというわけです。」そうして彼女は莞爾した。私は一発でこの女性を好ましいと思ってしまった。こんな偏執的で叮嚀な思考回路を持った人があるだろうか。この人なら。彼女21世紀平成の世の中で夫となるはずだった人の菩提を弔わせたり、あるいは彼の一族についてその後どうなったか調べさせたりすることは、彼女の心性をおそらく負に傾けることはないだろう。ひとつひとつ彼女には想像したことの自分なりの答え合わせをしてもらえたら。私がそのお手伝いができたら。ちょっと勝手か。とにかく、この人なら大丈夫だ。

好奇心イマジネーションとを併せ持って、平成の世まで意識を有した五条顕子姫の死体は、その意識と共に、こうして私の赤羽マンションにやってきた。

2015-08-29

http://anond.hatelabo.jp/20150829231502

ハイエンド系が持て囃された時代はあったがそれが最先端だったことはないだろ。

つうかハイエンド系とエロゲ比較してる時点でお前は何かを勘違いしている。

ハイエンド系」って言葉が何を指すのかがよく分かってない奴らが塊魂の如く取り込みまくった無数のジャンル全部をまとめてごったまぜにして「よく分からないけど超すごい何か」を脳内に買ってに作り上げてる匂いがしてしょうがないんだが。

そもそも「何を持って最先端としているのか」がお前の文章の中では曖昧なんだよね。

物語ピーキーさを持って最先端とするならエロゲは昔あった小説の焼き直しだらけだから最先端どころか単なる黄泉返りだし、表現方法においても単なる紙芝居からトーキー映画に完全に負けてる。

CG技術に関しては下は素人にすら負け上は海外ゲームフルボッコ

あえて何か最先端だった所を上げるとすると「消費者の間で何か大きなブームが起きる際の種火や中心」としてなんだが、これに関してはかなりいい線いってた時期がある。

葉鍵全盛期とか型月全盛期とか呼ばれるアレな。

でもまあそれぐらいじゃないかなと思う。

ただこう考えると「お前の言うハイエンド系」が何を指してるのかわからないんだけど少なくとも「俺の知ってるハイエンド系」が消費ブーム火付け役として最前線走ってたことは無いと思うんだよね。

あと作り手の側で最前線だった事も無いと思う、だってそれもまた既に他で使われている技術を数年や10年遅れで追いかけなおしてるだけだからね。

2015-08-01

釣鐘は宮処の北の果ての寺に黄泉にとどくとふ井戸を隠す

2015-05-09

http://anond.hatelabo.jp/20150507012413

結局、人生の目的は、「いま、この一瞬を生きる」ということなんだろう。

宮崎駿

風の谷のナウシカ漫画版)」最後の「生きねば…」が全てを物語っている気がする。

宮崎駿 虚無」とかでググると、彼は虚無に襲われないようにアニメに没頭したのではないかと思えてくる。

伝道の書に書かれてる突き抜けたニヒリズムっていうのは読んでてちょっと元気が出ました。

黄泉の国に行ったら何もないよって、権謀も術策もないけど知恵も知識もない。

からおまえの空なる人生の間は自分のパンを喜びをもって食い楽しみながら酒を飲んで

額に汗して尽くせるだけのことを尽くして生きるのは神様も良しとしているんだっていう。

すごいですねえ、旧約聖書っていうのはすごいものなんだなあっていうのを初めて知ったんです。 」

塩沼亮潤

SWITCHインタビュー」「死ぬのは怖いですか?」という質問に対する回答

「何回か死にかけているので、もう怖くもなんともなくなった。死を意識するっていうことは全くなくなった。」

「ただ 生きられるうち、精一杯 生きようっていう気持ちですね。自分の力を十二分に発揮してこの世で終わりたい。」

西畠清順

「選ぶのは長い時間風雪に耐え、生き延びるために独特の形になった松」

自然に生えている植物ほど生きることにすごい一生懸命

人が恵まれていることは、一生懸命になれることの選択肢が無数にあることではないか。

文章を書くこともそのひとつで、この文章を書かれた「その瞬間」は、

それなりに一生懸命に生きていたのではないか?

そうでなければ、これほどのブックマークは集められないと思う。

そして、そこらへんの企業研究員は、残念ながら、これほど一生懸命研究していない。

2015-04-17

黄泉がえれ!はてなしぐさ

はてなしぐさ」ってなんだろう?

「手斧磨き」「ブコメデマおしえ」「プリントアウトすすめ」といったネットワークしぐさを身につけたはてなの人々は、お互いを慈しみ、支え合い、平和で豊かな生活を送っていました。しかし〈大災禍〉のさなか、匿名掲示板民の暴走きっかけに、各地で燃え上がった特定祭りによってはてな民虐殺アーカイブの多くも失われてしまいました。今、本当のはてなしぐさを知る人は少ないのです……。


はてなの人々が育んだはてなしぐさは、良きネット民としていかに生きるかという行動哲学であり、人間関係を円滑にする共生のティップス・ライフハックでもありました。はてなしぐさを学び身につけることで、精神と身体を健康に保つことの大切さを知り、周りの人たちを幸せにしながら笑顔の絶えない生活を送ることができます


やってみよう!はてなしぐさ

はてなしぐさがどんなものかわかったかな?では実際にはてなしぐさを体験してみましょう!


■ つたえしぐさ・よみしぐさ

相手を思って伝えた言葉でも、小さなすれ違いから互いに傷つけ合うこともある。どうしたら自分の気持ちを相手に伝えられるの?どうしたら相手の気持ちが分かるの?はてなの人たちはいつもそのことを考えながらネットに向かっていました。

〈手斧磨き〉

ひとりよがり言葉を何度も繰り返すより、正確な言葉一刀両断するように伝えることがお互いの幸せにつながる。言葉に出す前にどれだけ深く考え抜いたかを一番大切にしていたはてなの人たちの間では、手斧のように磨かれた言葉けが飛び交っていたんだ。

〈不達あやまり

自分の考えていたことと違った受け取り方を相手にさせてしまったときはてなの人たちはそのことを反省して「上手く伝えられなくてすまん」と謝ったんだ。自分から先に謝ることで相手の気分も和み、コミュニケーションを円滑にする効果もあったんだよ。

〈はてみんアイ〉

自分視点からは見えないことでも、相手の視点に立って見つめ直すことでたくさんの気づきが訪れる。日本の伝統的な盤ゲーム将棋プレイヤーが行っていた、相手の肩越しに盤面を見つめ直した様子になぞらえたはてなしぐさだよ。相手の気持ちを理解しない人には、「はてみんアイをしてみましょう」とみんなで声を掛け合ったんだ。

エスパー利かす〉

どんなテキストでも、まずは本文を最後までしっかり読み込む。はてなしぐさの鍛錬を積んだはてな民の中には、言葉言葉あいからテキストに書かれていないことまで深く読み取れるようになった人もいたんだ。普通の人から見るとまるで超能力のように映ることからはてな民テキスト読み取り能力は「エスパー」「エスパー利かす」と呼ばれました。


ブックマークしぐさ・スターしぐさ

一般の人でも不適切情報アクセスできた成時代ネットワークでは、はてな民たちが付けていたソーシャルブックマークコメントが、望まない接触を予防するためのリスク判断に役立っていたんだ。また、コンテンツブックマークコメントに「はてなスター」が付けられることで、信用性はより正確になったんだよ。

ブコメひとめ〉

暴力的で不健全情報で身体や精神を傷つけないために、コンテンツを見る前にひとめブックマークコメントに目を通すことは、はてなの人たちにとって当たり前のしぐさになっていたんだ。実際にコンテンツを見たあとは足りないリスク情報を補い合って、正確性や有用性を高めていたんだ。

ブコメデマおしえ〉

曖昧情報源を元に不安を煽ったり甘い響きの嘘で人を騙していても、「嘘は嘘であると見抜ける人でないと難しい」とも言われていた当時のネットコミュニケーションでは、デマも個人のスキル判断するしかなかったんだ。情報一次ソースを見つけて誤りを指摘するスキルを「ソース力」といって、ソース力の高かったはてなの人たちは、デマを見つけると丁寧にブコメで指摘し、正しい情報流通させることに貢献していたんだ。

〈ほほえみスター

はてなの人たちは「ほほえむ気持ちで☆を付けよう!」と心掛けることで、スター価値を高めていこうと考えていました。☆がたくさん付いたコメントはたくさんの人を笑顔にできたコメント。☆がたくさん増えたら笑顔もたくさん増える。そう考えて実行していたはてなの人たちは、コメントに付いた☆を見つけるとそっとほほえんだといいます


■ 思いやりしぐさ

テキスト読み取り能力の高いはてなの人たちは、言葉の先には生身の人たちの生活があることをいつも感じていたんだ。書き手の身体や精神の状態が優れないことがわかったときには、その人が健康人間的な生活を送れるように、できる限りのアドバイスを送っていたんだよ。

〈向いてないつたえ〉

はてなの人たちが見つけた多くの気付きの中に"不幸を回避してより豊かな人生を送るためには、その人に合った生活スタイルを選択することが大切"というものがあります。生きづらさを訴えるテキスト出会ったときには、その原因となっている無理や過剰を見つけ出して、「あなた○○向いていません」と伝えてあげたんだ。

プリントアウトすすめ〉

当時はまだセラピーを受けないまま心的外傷を負ってしまったり、精神的に大きなダメージを受けた状態でネットワークコミュニケーションをしていた人も多くいました。テキストエスパーしてそのことに気付いたはてなの人たちは、症状の現れたテキストプリントアウトして、すぐに専門の心理カウンセラーに見せることを勧めたんだ。身体と精神健康を保つことの大切さに気付いていたはてな民ならではのしぐさだね。

くねくねしぐさ〉

くねくねしぐさ」は、自然発生的にたくさんの人が話し合い、一つのことに対して多様な議論が生まれる様子をあらわした言葉です。ときにそれは、はてな全体を巻き込んだ大きなうねりになることもあったんだよ。また、同じ思いを持つ人たちが実際に集まりはてなコミティセッションが開かれることもありました。そこではどんな発言もほほえみながらみんなで受け止め、力を合わせて問題の解決をめざしたんだよ。


迷惑ネットしぐさ

みんなで使うネットワーク空間からこそ、他の人が嫌がるようなしぐさは控えよう。迷惑ネットしぐさに出会ったはてなの人たちは、すぐやめるようにみんなで声を掛けたんだ。

脊髄コメント

テキスト最後まで読まず、タイトルや始めの数行だけ読んで反射的に書かれたようなコメントは、「脊髄コメント」といって嫌われたんだ。特にテキストタイトルだけ読んで反応してしまコメントに対しては、「本文だいじ」といって、もう一度しっかり読み直してコメントすることを勧めていたんだ。

主語かい

[アーカイブから復元中…]

〈あやまったら負け〉

[アーカイブから復元中…]

リソース泥棒

わたしたちはみんな、ひとりひとりが社会にとって重要リソースはてなしぐさの実践から身体と精神、そして生命の大切さを知っていたはてなの人たちは、断りなく相手を傷つけることを何より嫌っていたんだ。健康への配慮に欠けた食事や喫煙などの悪習慣も「リソース泥棒」といって、きつく戒めていたんだ。


はてなしぐさ おわりに

〈大災禍〉の際に起こった特定祭りは、様々な能力に秀でたはてなの人たちを狙った、逆恨みにも似たおぞましいものでした。ネットワーク上に記録されたはてなしぐさに目を付けられ、はてな民たちは徹底的に虐殺されたといいますアーカイブ執拗破壊され、その難を逃れられたのは卓越したエスパーを発揮したごく一部のはてな民だけでした。


はてなしぐさは〈果無草〉とも書き、途絶えることなく続く思想生命理想を表した言葉でもありますはてなの人たちが残したはてなしぐさは、今と比べて不完全だった社会システムの中でも公平性他者への思いやりを手放さず、支え合いの中で共生していくために生み出された、慈愛に満ちた行動哲学だといえます

私たちアーカイブ復元とともに、数少ないはてなの人たちから聞き取りを続け、今も色あせることのないはてなしぐさを黄泉がえらせることで、平和笑顔の絶えない社会の実現を目指します。

2015-02-21

ハッキング極意3】ブラックハッカーになれ。そして世界を変えろ

アノニマスの坊や達、こんばんは

僕だよ。

前回の記事

【ハッキング極意2】武器を持て

ハッカーになりたい君たちの要望に応えるべく再び黄泉の国から舞い戻ってきたよ。

ハッカー…素晴らしい響きだ。

皆それになりたいと思う。

ハッカーになりたいという若い子は恐らくクラッカーみたいなのになりたがっているだろう。

そう裏の世界活躍するブラックハッカーだ。

中高生くらいならばなりたいと思っても、どうなるのか誰も教えてくれない。

親切な人たちが教えてくれるYahoo知恵袋などで『ハッカーになりたいです』とか書くとどうだ?

貴方のいっているのはクラッカーですね?ハッカーとは別物ですよ」

違法なことはいけません。通報しました。」

など、どうでもいい説教をされてしまう。

清く正しい中学生がなんだか気を利かせて、「ホワイトハッカーになりたいです」とか「ハッカーになりたいです違法行為しません」

などなど、変に気を使っている。

若いんだから夢見させろや。

ブラックハッカーになろう!!

そうだ!なろう!!裏の世界人間になろう!!そして世界を変えるんだ!!

ハッカーの種類。

ハッカーと言っても色々居るわけだ。

撮り鉄とか葬式鉄とか、ウィルスをばらまくハッカーとか、脆弱性を見つけて小銭稼ぐハッカーとか、OS作るハッカーとか、セキュリティポリシー精読して炎上させるハッカーとかね。

おっと…ウィルスかい専門用語つかってしまったね。

一般人には聞き慣れない言葉だろう。

ウィルスというのは細胞を持たないが遺伝子をもつ最小の生物なのだが、細胞を持たないため非生物とも言われている構造体だ。非生物らしく結晶化もできる。

宿主となる細胞に増殖をしていく。

そのウィルスコンピュータ世界に入り込み進化したものコンピュータウィルスと言われていて、生命の謎を握る存在なのだ

こう言われてもピンとこないだろうから、君たちにわかやすいモノで表現するとすると

まり電光超人グリッドマン』に出てくる怪獣のようなものだと思ってくれればいい。

ブラックハッカー

ハッカーと言われている人たちは大体ブラックハッカーだ。

ブラック、そう闇と言われるハッカーたちは自分自分所属する集団のために違法行為を厭わない連中だ。

ダースベーダーのようなアンチヒーローだ!

プログラマスキルによってその仕事スピード20倍にも40倍にも開きが出ると言われている。

その特A級ハッカーウィザードと言われるが、そのとおり魔導士のような不思議な力を使う。

ブラックハッカー魔法

ブラックハッカー特に魔法が得意と言われている。

工数が3人月だとしよう。3人ハッカーがいる。

しかし謎の力の仕様変更により納期は変わらず工数が9人月になった。

にもかかわらずだ納期は間に合い、しかも!稼働時間も3人月しか計上されていない。

これは何処かのタイミングで時を止めていると言われている。

たまに勤務管理システム上は有休になっているが、入館ログには出勤の形跡があることがある。

これは休み仕事の状態が重なり合っている量子力学的な状態を不思議な力で作り出しているのだ。

量子コンピュータは0の状態と1の状態が一つのビットで同時に表現できると言われているが、ブラックハッカーはすでに人間の身でありながら実現しているのだ。

事実量子コンピュータブラックハッカーの脳を再現する形で実現しようとしている。

量子コンピュータを作っている企業下請けに大量のブラックハッカーが居るのもそういうわけだ。

ウィルスをばらまくハッカーもいると言ったがブラックハッカーもその能力を持っている。

例えばインフルエンザエボラ出血熱などを持って出勤するのも彼ら得意技の一つだ。

また、違法行為も厭わない。

どんな違法行為をやっているかは良い子の皆が真似をしてしまっては困るのでとてもここでは言えないがね…

ブラックハッカーたちの活躍

ブラックハッカーたちは暗黒の存在とは言え我々の社会には無くてはならないものになってしまっている。

闇が深い金融業界や、日本国政府もこのブラックハッカーに頼らざるえなくなっているのだ。

おそらくマイナンバーではブラックハッカーのそうそうたる面々が集うことになるだろう。

ブラックハッカーになるには

どうだろう。

ブラックハッカーになりたくなったか

なる方法は簡単だ。

僕はブラックハッカーだと宣言し、入社をすればすぐになれる。

読者から質問コーナー

さて、今日は前回のコメントに付いていた

「神はXをつかうのか?」という質問について答えようと思う。

良い質問だ。

これは教義に関わるかなりナイーブ問題なんだ。

でも、いつだったか1000年位前の公会議で神はXを使うという事になったんだよ。

なぜXを使うことになったのか

裏の人間は黒い画面を好み、黒い画面でいろいろやろうと思っていた。

だが、次第に艦これもやりたくなってきた。

そのうち艦これやりたさに信仰を捨てWindowsに走るものや、過激派組織APPLEに見を投じる者も出てきた。

しか信仰心の篤い者達は我慢したBashでなんとかやろうと我慢した。

VimTwitterをやったり、Wgetテキストサイトを見たりしていた。

だが、XVIDEOSの誘惑には勝てなかったのだ。

その当時のハッカーたちはLinuxでもXVIDEOSを見るシステムを開発しようとした。

それが『XVIDEOS Window System』つまりXだ。

Xは黒い画面とXVIDEOSの間から妥協として生まれたが、そのうちそれでも良いかという空気になりXは流行った。

Xを使うものは我慢していた艦これもやり始めたのだが、

なんとDMMに登録するとAV動画も見れるサービスがあることをしることになった。

Linuxでは艦これは出来てもDMM動画を見ることは出来ない。

悪しきWMVで公開されてDRMがかかっているし、ストリーミングも何故か映らないのだ!!

XVIDEOSの細切れで続きが何処にあるかわからないAVよりも、有料だけども安心して見れるDMMのほうが良いというものが増え

Windowsに逃げてしまう者が増えてしまった。

そうやってLinux信者数を減らしてしまい今では生きる場所裏社会のみになってしまったのさ。

そういう経緯があるので、神はXを使っていることになっている。

新作

http://anond.hatelabo.jp/20150224002209

2015-02-16

http://anond.hatelabo.jp/20150215195848

黄泉返れ!穢土しぐさ』というタイトルで、誰かナルトに詳しい人に穢土転生されたキャラ紹介をしてほしい。

2014-09-30

http://anond.hatelabo.jp/20140930003459

そのうち「戻ってきた!黄泉の国から戦士達が戻ってきた!」状態になります

2013-08-25

野崎まど『know』論・前編——知ルはいかにしてブッダとなったか

野崎まど『know』を読んだ。早川SFクラスタでやたらと評判がよいのでいつか読もうと思いつつも、過去に同氏の作品を拝見した中生まれていたわだかまりと作品の底のようなもの邪魔をしていたのだが、ここにようやく機会を得たので所感をはき出しておこうと思う。

本作のジャンルは?

一言でまとめると、『know』という作品はSF的/ライトノベル想像力によって描かれた『ブッダである。つまり〝知ル〟という名の少女が正覚を得るまでの生涯およびその後の万人救済を、それに連れ添ったものの手で描いた物語の体裁を採っている。宗派技術過激派大乗仏教といったところ。福音書と呼んでもよいのだが、本書に織り込まれた示唆エピグラフクライマックス創世記引用であることなど)に反して作中で知ルらが辿った道は真言宗のそれに近いように思えたため本稿ではそちらの用語を採用する。

こう考えると『know』というタイトルも知ルという少女を指すとも解釈できる。だが最もわかりやすいのは目次に並ぶ章題だろう。〝birth〟から〝death〟までまさしく一生が記されている。

物語を振り返る

さて本作の舞台は2081年の京都情報材と電子葉という未知のテクノロジーによって情報空間現実と思考との直結を果たした世界である。一方で情報へのアクセス保護格差法律で規定されるまでに進む。そんな中、語り手を務めるのは作中トップクラス情報エリートである

〝birth〟の章では全知を定められた十四歳の少女・知ルとの出会いとともに、社会革新の原動力となった研究、そして彼女誕生が描かれる。ちなみにこの配置のために作者は作劇上結構な力業を用いている。またここではもうひとりのクラス9・問ウも登場している。彼の姓であるアリステラというのは「最上級」を意味する名前。位置づけがわかりやすい。ただ女性なのは気にかかるが……。

〝child〟では神護寺を訪ねて高僧と悟りについて問答する。ここで択ばれた真言密教とは即身成仏を極意とし、また教えを秘する——つまりオープンの逆をゆく——ことを是とする仏教の一宗派であり、つまりは作品の主題と密接に関わる教義を掲げている。物語構成上から初日にふさわしいといえよう。

〝adult〟では京都御所に匿われた古文書を通じてイザナミイザナギの二柱の行いから生きたまま黄泉路を往く手段を学び取る。これで境界を越える準備は万端、残るは実践のみである

〝aged〟において知ルは当初の目論見通り入定を果たす。その前夜、主人公と知ルは〝知恵の実をかじる〟と称して情報交換における無上の行為に達する。つまりセックスをする。

〝death〟では知ルの死後の肉体と、彼女の還りを信じる主人公の姿が描かれる。この情景は高野山奥の院空海が今でも生存しているという伝説を想起させる。

物語の外側へ

そしてエピローグでは生還した知ルによる革新が成った社会が語られ、物語は終わる。

——わけだが、この小説価値はなんと言っても計算されたフィニッシング・ストローク最後の一撃)だ。

作中では真理に至るための方法を量子葉によって脳を育て、高密度の思考による情報ブラックホール化を行うことだと説明しているが、これはあらゆる意味で知ルを育てた天才技術者の言うように「我々では無理」なのだ。彼の生誕は2014年であり、刊行年の一年先に設定されていることに留意したい。アーサー・C・クラークの名作『幼年期の終わり』は年少の読者に対して希望を残したが、この作者の意地の悪さはそれさえ許さない。

しかも知ルが死後の世界で目にし、人々に広めたものが何であるかは一切語られることなく物語は終わる。

この物語が抱える問題意識情報格差である。作者はそれを人類間のレベルから、全知の存在たる神との格差へと推し進めた。だからすべての人が全知となった瞬間、格差は消滅し、万人救済が果たされることになる。しかしそれはあくまで作品世界内の話にすぎない。読者はその外にいる。その格差を肌で感じた瞬間、初めて読者は揺さぶられ、知ることへの欲求を呼び覚まされる——格差を埋めたいという渇望によって。ただ純粋に「知ることと生きることは同じ」と断じた知ルに比べて何と浅ましいことだろう。けれどそれもまごうことなき人間本質である。語り手が中途半端情報強者に位置づけられていたことも、妙に鼻持ちならない人物であったことも計算ずく。すべてはこの一行の効果を最大化するための小道具に過ぎない。

もとよりメタフィクション指向する作家であると感じてはいたが、人工的な世界を下敷きにすることでより巧みにそれを演出できるようになったらしい。

読者への挑戦状

で。

実はここまではすべて前置きである。読者を操ることを至上とするこの作家メタフィクションへの可能性をこの程度のウェルメイドな小説に留めるはずがない。

この作品に残された最後の謎はずばり〝ただひとりに向けられた暗号である。正直な話、この解明に挑む資格があるのは野崎まどの全作品を電子化して常に携帯するような気狂いだけに違いない。

けれど非才を尽くしてその手がかりくらいは拾い集めておきたいと思う。

(後編へ続く)

2011-11-21

http://anond.hatelabo.jp/20111119084030

ゲーテは大作『ファウスト』において人生意味テーマとして扱っている。そこでは、今ある空虚を満たそうと欲望をどれほど追い求めてもその空虚は埋まらない、それどころか、欲望の充足を追求すればするほど、かえってその空虚が際立ってくる、ということを示している。金が欲しい、地位や名誉が欲しい、異性が欲しいなどの欲望は、欲望を満たしたとたんに次の新たな欲望が生じ、どこまでいっても満たされない、という「永遠欲求不満」の状態に置かれてしまう[28]。

ファウスト』第一部では、大学者のファウスト学問を究めつくしても人生はただむなしいだけと気づく。そこで悪魔メフィストファレスと交渉し、ファウストを満足させられたら死後の魂を差し出してもかまわない、と約束する。ファウスト悪魔の力で若さを得て、マルガレーテと恋をし身ごもらせるが、その結果母と兄を失うことになった彼女は生まれたばかりの赤ん坊を沼に沈めて殺してしまう。ファウストは「ああ、俺は生まれてこなければよかった」と嘆く。第二部では、懲りないファウスト皇帝の家臣となり、ふたたび悪魔を説き伏せ、黄泉の国からギリシャ神話伝説の美女、完全な美の体現のヘレナの霊を呼びださせ、結果としてふたたび恋におち、子供をつくり平和な家庭を築き、今度こそ満足のゆく生活を手にしたかのように見える。だが愛する子オフィリオンは平和な家庭を否定し、戦いを求めて旅立ち死んでしまう[29]。

では、その後ファウストが、「ここにこそ人生意味がある」と思え、「時よ止まれ!お前は美しい!」と叫ぶことができるようになったのはどのような時かというと、自分の欲望の満足させようという思いは捨て去り、万人のための自由な国を建設しよう、と人々のための「理想の国」実現に向けて戦いはじめた時であった。つまり、『ファウスト』における「人生意味」「本当の幸福とは何か」「本物の満足とはどのようなことか」というテーマの答えは、自分の欲望の満足へのこだわりは突き抜けて、それを手放し、自己(小我)を超越し、利他の状態に状態に至ったときにはじめて手に入るものだ、ということである[30]。

なお、ファウスト心の旅があらゆる学問への絶望から始まるように、人生意味や真の幸福というのは、学問思索によって得られるものではないのであり、「人生意味は○○である」とか「真の幸福とは○○」であるということを書物や文章を読んで学んだところで、それで人生意味幸福が得られるわけではなく、実際に「自分の命を懸命に燃やす」ことによってのみ人生意味や真の幸福はつかむことができる、と表現されているのである[31]。

wikipediaから引用だけど、「自分の命を懸命に燃やす」ことによってのみ人生意味や真の幸福はつかむことができる、というのが

何に価値を置くかはその人次第だけど恋愛好きな人の為に生きるってことに幸福に繋がる人が多いんでしょうね

2011-09-27

あの花は気持ち悪かった

それは、オタク童貞的なこじらせた身勝手恋愛感・世界観を全面肯定している様に感じたから。

あの花に出てくるキャラクターはどれも魅力的だし、青春群雄劇的な展開で流れる様に話を進める様とか、秘密基地とかの誰もが懐かしさを感じるファクターを入れてきたりとか、OP&EDテーマの曲は物語と凄くマッチしてたし、メンマは最終的には成仏してしまう事を物語前半から定時して、安易なハッピーエンドが無い事を示唆しながら、与えられたシチュエーションではベストと思える終わり方を提示していたと思う。

見ていて面白かったし、感動もしたけど、何でかラストは入り込めなかった。

それは、最後、みんなが独白するシーンが小舞台みたいな急展開で、そこで感情移入が少し途切れてしまったせいかな?とも思っていたのだけど、物語が終わってから色々考える内にそれだけじゃないなー、と言えてきた。

まだ考えがまとまりきってはいないので、チラ裏だけど、書いてみようと思う。

あの花を凄くザクッとまとめると、以下の様になると思う。

みんながメンマの死を負い目をきっかけにトラウマを抱え、疎遠になってしまう。

それを、メンマ黄泉帰りをきっかけにトラウマを解消し、関係性を再構築する、と言う物語

もちろん、他の要素もいっぱいあるけど、話を分かりやすくする上でそう言う仮定の下に話を進めたい。

各々が抱えたトラウマを、ストーリーを通して、徐々に視聴者に提示するなんてのは非常に上手だった。

このストーリー過程で、ポケモンを探したり、花火を上げたり、めんまのためにメンバーは色々行動を起こす。

ただ、めんま以外の超平和バスターズの面々は、極論をすれば、常に"めんまのため"より"自分のため"が上に来ていたと言う描写になっている。

しかも、それをメンバー同士で隠しているから、いつまで立っても昔の様に信頼感を築けない。

結局、それではダメだと言うのに気付いたのが最終話で、自分をさらけ出す独白につながる。

で、メンマ告白をして受け止めて貰う。

で、意味大円団

ただ、この独白の段と言うのがちょっと納得いかなくて、この時のみんなの行動って、結局、"めんまのため"に何かした訳じゃなくて、"自分のため"なんだと思う。

懺悔って、相手のためを思ってする事じゃない。

こう考えていくと、"自分よりメンマのためを思って行動した"と言う描写が最後まで描かれていない事に気付いて、驚愕してしまった。

これ、何かで見た事あるって考えたら、ヲタクとか童貞こじらせた人の恋愛感・世界観に似てるなーと思った。

具体的には問題を解決するのに、"自分努力する"と、"自分努力を無条件に受け止めてくれる人がいる"の二つの要素で解決が付く、っていう価値観みたいなの

例えば、恋愛をする際に自己承認欲求が強すぎて、自分コンプレックスを全て相手にさらけ出して、それを全て受け止めてくれる、みたいなのが恋愛だと夢を見てしまう。

付き合いたてとかちょっと仲良くなっただけなのに、コンプレックス丸出しの痛い長文メールなんかを送った事無いだろうか?

僕は良くそういった事をやって、ある時は相手が上手くスルーしてくれたし、ある時はそれをきっかけに疎遠になったりもした。

付き合いたてとか、そもそもそこまでの信頼感が無い時にコンプレックスを剥き出しにされるのは、相手に取って負担も大きいし、そもそもそれを受け止める義理も無い。

それを受け止めてくれるのが"好き"って事でしょう?って言うのは恋愛幻想を抱き過ぎだと思う。

もちろん、恋愛に限らず、人との関係性の中で自分を全くさらけ出さないのなんてのはつまらないけど、それは相手と重ねた時とか相手を大事にする事で、信頼感を築いて、それを担保に少しづつ自分を出していく事じゃないかと思う。

もちろん、所謂リア充と言われる共感力が人並みに働く人はこう言うのを無意識に行えるんだけど、ヲタク童貞恋愛を拗らせた人はこれが全く出来ない。

相手のために何が出来るのか?これを言ったら迷惑だろうかと言う視点リアルさが欠けてるし、欠けてる事にも気づけていない。

あの花に戻って考えた時、幼少期を一緒に過ごした仲であると言う点でメンマとみんなの信頼感の描写がある訳だけど、これは与えられた物であって、努力とか工夫をして築き上げた物じゃないよね。

あの花の話は超平和バスターズの繋がりがメインであるけれども、それを得るための他者への気遣いだとか努力とかが全く無くて、努力した点って言うのは偽りの無い自分をそのままさらけだす努力、っていう自分のための内向きの努力しか描かれていない。

じんたんの"人の事を常に考えて行動して、自分を抑圧してしまう"キャラクターに付いての描写も、実は殆ど無かったと思う。

勿論、幼少期のじんたんはリーダー格で、先頭に立ってみんなを引っ張ったり、みんなの面倒を見たりしていたんだと思う。

ただ、これらはたまたま何かのきっかけでリーダー的な立場に立った人が、みんなが望むリーダー的行動を何となく取ってたに過ぎず、やっぱり努力や工夫をして得た物じゃない。。

これは、立場を失った高校生じんたんが結局、他者のために何も出来ないし、自分の抱えている問題(不登校)すら解決出来てない事より明らかだと思う。

敢えて挙げるなら、あなるがラブホに行った疑惑の時にじんたんが立ち上がったシーンはそうだけど、何というかあれは主人公補正みたいな、まぁ主人公だったら、あぁするよね、と言うのが大きくて、アレだけで、じんたんが仲間のために努力している、と言う描写だとするのはちょっと無理があると思う。

何か色々散漫になってしまったので、繰り返すと、結局、自分トラウマを包み隠さず独白する(自分の枠の中だけで他者を意識せず努力する)→トラウマを受け止めてくれて大円団、と言うのがイマイチだと思うのだ。

努力が常に内向きにしか向かって無くてお手軽・身勝手過ぎるし、受け止めてくれる他者への視点が欠如している。

エンディングでじんたんが高校に通う描写が出てくるけど、これだって結局、不登校と言う自分の問題を解決したにしか過ぎない。

彼らが、自分自身のためだけで無くて他人のために何か生み出した事と言えば、メンマ家のトラウマ花火によって解消した事だろうか?あれは動機はどうあれ評価出来ると思うけど。

もちろん、主人公達は高校生なのだから、他者への視点不器用しかるべきなんだと思うけど、視聴者のオッサン達が感動しちゃうなら、もうちょっと考えた方が良いんじゃないかな?と思った物で。

逆に言えば、最初からメンマトラウマを受け止めてくれたら、メンバー努力する描写が無いから、花火を上げる段になっても自分トラウマを表に出せない→それじゃ解決にならない→やっぱり自分に正直にならなきゃいけない、と1段、下の状態からみんなをstartさせる事で、超平和バスターズの面々の努力表現している点は上手いなーと思った。。

けど、それは目くらましで、結局、努力が内向きにしか過ぎないと思うんだよね。

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