「手斧磨き」「ブコメデマおしえ」「プリントアウトすすめ」といったネットワークしぐさを身につけたはてなの人々は、お互いを慈しみ、支え合い、平和で豊かな生活を送っていました。しかし〈大災禍〉のさなか、匿名掲示板民の暴走をきっかけに、各地で燃え上がった特定祭りによってはてな民は虐殺。アーカイブの多くも失われてしまいました。今、本当のはてなしぐさを知る人は少ないのです……。
はてなの人々が育んだはてなしぐさは、良きネット民としていかに生きるかという行動哲学であり、人間関係を円滑にする共生のティップス・ライフハックでもありました。はてなしぐさを学び身につけることで、精神と身体を健康に保つことの大切さを知り、周りの人たちを幸せにしながら笑顔の絶えない生活を送ることができます。
はてなしぐさがどんなものかわかったかな?では実際にはてなしぐさを体験してみましょう!
相手を思って伝えた言葉でも、小さなすれ違いから互いに傷つけ合うこともある。どうしたら自分の気持ちを相手に伝えられるの?どうしたら相手の気持ちが分かるの?はてなの人たちはいつもそのことを考えながらネットに向かっていました。
ひとりよがりの言葉を何度も繰り返すより、正確な言葉で一刀両断するように伝えることがお互いの幸せにつながる。言葉に出す前にどれだけ深く考え抜いたかを一番大切にしていたはてなの人たちの間では、手斧のように磨かれた言葉だけが飛び交っていたんだ。
自分の考えていたことと違った受け取り方を相手にさせてしまったとき、はてなの人たちはそのことを反省して「上手く伝えられなくてすまん」と謝ったんだ。自分から先に謝ることで相手の気分も和み、コミュニケーションを円滑にする効果もあったんだよ。
自分の視点からは見えないことでも、相手の視点に立って見つめ直すことでたくさんの気づきが訪れる。日本の伝統的な盤ゲーム〈将棋〉プレイヤーが行っていた、相手の肩越しに盤面を見つめ直した様子になぞらえたはてなしぐさだよ。相手の気持ちを理解しない人には、「はてみんアイをしてみましょう」とみんなで声を掛け合ったんだ。
どんなテキストでも、まずは本文を最後までしっかり読み込む。はてなしぐさの鍛錬を積んだはてな民の中には、言葉と言葉のあいだから、テキストに書かれていないことまで深く読み取れるようになった人もいたんだ。普通の人から見るとまるで超能力のように映ることから、はてな民のテキスト読み取り能力は「エスパー」「エスパー利かす」と呼ばれました。
一般の人でも不適切な情報にアクセスできた成時代のネットワークでは、はてな民たちが付けていたソーシャルブックマークコメントが、望まない接触を予防するためのリスク判断に役立っていたんだ。また、コンテンツやブックマークコメントに「はてなスター」が付けられることで、信用性はより正確になったんだよ。
暴力的で不健全な情報で身体や精神を傷つけないために、コンテンツを見る前にひとめブックマークコメントに目を通すことは、はてなの人たちにとって当たり前のしぐさになっていたんだ。実際にコンテンツを見たあとは足りないリスク情報を補い合って、正確性や有用性を高めていたんだ。
曖昧な情報源を元に不安を煽ったり甘い響きの嘘で人を騙していても、「嘘は嘘であると見抜ける人でないと難しい」とも言われていた当時のネットコミュニケーションでは、デマも個人のスキルで判断するしかなかったんだ。情報の一次ソースを見つけて誤りを指摘するスキルを「ソース力」といって、ソース力の高かったはてなの人たちは、デマを見つけると丁寧にブコメで指摘し、正しい情報を流通させることに貢献していたんだ。
はてなの人たちは「ほほえむ気持ちで☆を付けよう!」と心掛けることで、スターの価値を高めていこうと考えていました。☆がたくさん付いたコメントはたくさんの人を笑顔にできたコメント。☆がたくさん増えたら笑顔もたくさん増える。そう考えて実行していたはてなの人たちは、コメントに付いた☆を見つけるとそっとほほえんだといいます。
テキスト読み取り能力の高いはてなの人たちは、言葉の先には生身の人たちの生活があることをいつも感じていたんだ。書き手の身体や精神の状態が優れないことがわかったときには、その人が健康で人間的な生活を送れるように、できる限りのアドバイスを送っていたんだよ。
はてなの人たちが見つけた多くの気付きの中に"不幸を回避してより豊かな人生を送るためには、その人に合った生活スタイルを選択することが大切"というものがあります。生きづらさを訴えるテキストに出会ったときには、その原因となっている無理や過剰を見つけ出して、「あなた○○向いていません」と伝えてあげたんだ。
当時はまだセラピーを受けないまま心的外傷を負ってしまったり、精神的に大きなダメージを受けた状態でネットワークコミュニケーションをしていた人も多くいました。テキストをエスパーしてそのことに気付いたはてなの人たちは、症状の現れたテキストをプリントアウトして、すぐに専門の心理カウンセラーに見せることを勧めたんだ。身体と精神の健康を保つことの大切さに気付いていたはてな民ならではのしぐさだね。
「くねくねしぐさ」は、自然発生的にたくさんの人が話し合い、一つのことに対して多様な議論が生まれる様子をあらわした言葉です。ときにそれは、はてな全体を巻き込んだ大きなうねりになることもあったんだよ。また、同じ思いを持つ人たちが実際に集まり、はてなコミティセッションが開かれることもありました。そこではどんな発言もほほえみながらみんなで受け止め、力を合わせて問題の解決をめざしたんだよ。
みんなで使うネットワーク空間だからこそ、他の人が嫌がるようなしぐさは控えよう。迷惑ネットしぐさに出会ったはてなの人たちは、すぐやめるようにみんなで声を掛けたんだ。
テキストを最後まで読まず、タイトルや始めの数行だけ読んで反射的に書かれたようなコメントは、「脊髄コメント」といって嫌われたんだ。特にテキストタイトルだけ読んで反応してしまうコメントに対しては、「本文だいじ」といって、もう一度しっかり読み直してコメントすることを勧めていたんだ。
わたしたちはみんな、ひとりひとりが社会にとって重要なリソース。はてなしぐさの実践から身体と精神、そして生命の大切さを知っていたはてなの人たちは、断りなく相手を傷つけることを何より嫌っていたんだ。健康への配慮に欠けた食事や喫煙などの悪習慣も「リソース泥棒」といって、きつく戒めていたんだ。
〈大災禍〉の際に起こった特定祭りは、様々な能力に秀でたはてなの人たちを狙った、逆恨みにも似たおぞましいものでした。ネットワーク上に記録されたはてなしぐさに目を付けられ、はてな民たちは徹底的に虐殺されたといいます。アーカイブも執拗に破壊され、その難を逃れられたのは卓越したエスパーを発揮したごく一部のはてな民だけでした。
はてなしぐさは〈果無草〉とも書き、途絶えることなく続く思想と生命の理想を表した言葉でもあります。はてなの人たちが残したはてなしぐさは、今と比べて不完全だった社会システムの中でも公平性と他者への思いやりを手放さず、支え合いの中で共生していくために生み出された、慈愛に満ちた行動哲学だといえます。
私たちはアーカイブの復元とともに、数少ないはてなの人たちからの聞き取りを続け、今も色あせることのないはてなしぐさを黄泉がえらせることで、平和で笑顔の絶えない社会の実現を目指します。