2011-11-21

http://anond.hatelabo.jp/20111119084030

ゲーテは大作『ファウスト』において人生意味テーマとして扱っている。そこでは、今ある空虚を満たそうと欲望をどれほど追い求めてもその空虚は埋まらない、それどころか、欲望の充足を追求すればするほど、かえってその空虚が際立ってくる、ということを示している。金が欲しい、地位や名誉が欲しい、異性が欲しいなどの欲望は、欲望を満たしたとたんに次の新たな欲望が生じ、どこまでいっても満たされない、という「永遠欲求不満」の状態に置かれてしまう[28]。

ファウスト』第一部では、大学者のファウスト学問を究めつくしても人生はただむなしいだけと気づく。そこで悪魔メフィストファレスと交渉し、ファウストを満足させられたら死後の魂を差し出してもかまわない、と約束する。ファウスト悪魔の力で若さを得て、マルガレーテと恋をし身ごもらせるが、その結果母と兄を失うことになった彼女は生まれたばかりの赤ん坊を沼に沈めて殺してしまう。ファウストは「ああ、俺は生まれてこなければよかった」と嘆く。第二部では、懲りないファウスト皇帝の家臣となり、ふたたび悪魔を説き伏せ、黄泉の国からギリシャ神話伝説の美女、完全な美の体現のヘレナの霊を呼びださせ、結果としてふたたび恋におち、子供をつくり平和な家庭を築き、今度こそ満足のゆく生活を手にしたかのように見える。だが愛する子オフィリオンは平和な家庭を否定し、戦いを求めて旅立ち死んでしまう[29]。

では、その後ファウストが、「ここにこそ人生意味がある」と思え、「時よ止まれ!お前は美しい!」と叫ぶことができるようになったのはどのような時かというと、自分の欲望の満足させようという思いは捨て去り、万人のための自由な国を建設しよう、と人々のための「理想の国」実現に向けて戦いはじめた時であった。つまり、『ファウスト』における「人生意味」「本当の幸福とは何か」「本物の満足とはどのようなことか」というテーマの答えは、自分の欲望の満足へのこだわりは突き抜けて、それを手放し、自己(小我)を超越し、利他の状態に状態に至ったときにはじめて手に入るものだ、ということである[30]。

なお、ファウスト心の旅があらゆる学問への絶望から始まるように、人生意味や真の幸福というのは、学問思索によって得られるものではないのであり、「人生意味は○○である」とか「真の幸福とは○○」であるということを書物や文章を読んで学んだところで、それで人生意味幸福が得られるわけではなく、実際に「自分の命を懸命に燃やす」ことによってのみ人生意味や真の幸福はつかむことができる、と表現されているのである[31]。

wikipediaから引用だけど、「自分の命を懸命に燃やす」ことによってのみ人生意味や真の幸福はつかむことができる、というのが

何に価値を置くかはその人次第だけど恋愛好きな人の為に生きるってことに幸福に繋がる人が多いんでしょうね

記事への反応 -
  • 人は恋愛によっても、みたされることはないのである。 何度、恋をしたところで、そのつまらなさが分る外には偉くなるということもなさそうだ。 むしろその愚劣さによって常に裏切ら...

    • ゲーテは大作『ファウスト』において人生の意味をテーマとして扱っている。そこでは、今ある空虚を満たそうと欲望をどれほど追い求めてもその空虚は埋まらない、それどころか、欲...

    • http://anond.hatelabo.jp/20111119082328 http://anond.hatelabo.jp/20111119084030 http://anond.hatelabo.jp/20111120102809 http://anond.hatelabo.jp/20111120125509 何だこいつら気持ち悪いぞ アニメや漫画や小説のキャラとかセリフ...

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