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はてなキーワード: 青春とは

2023-06-11

anond:20230610122227

まあ若者犠牲にして無理に命を守る必要はなかったと思う。自己責任で出かけるか家に籠るかしてれば良かっただけだし。

青春を奪われた若者世代青春幻想抱いたまま上の世代を恨んでそうだけど、その矛先は今の老人じゃなくて、俺ら中年が老人になった時に俺らに向いてくるんだろうな。

2023-06-10

ヒップホップラップ?は悪党の詩とStraight Outta Compotonの2曲しか聴いた事がなかった。

ギャングスタ系って言うのかね。ブラント巻いたりブン殴ったりの。

STUSとPUNPEEの「夜を使いはたして」を初めて聴いた。めっちゃ良かった。

イントロ長えな……と思うけど、メロウトラックが始まると「お?」って思った。

刺さる曲だと確信する時の感覚があった。

内容は夜通し遊びまわっちゃうぜというだけのものなんだけど、表現がいちいち情緒的。

「夜を使いはたして」だもんな。まず曲名が良すぎる。

思春期に真夜中にフラフラ歩き回るのが好きだったし。というかと今でも全然好き。

この辺の言葉選びはヒップホップの魅力なのかもしれん。

ブンブン 唸るベースブームになる けどお茶の間じゃLOWカット

でもいつかのテレビ小僧もでっかいスピーカーの前で本物のRawを知り一人前になる

この曲一番のパンチラインなのかな。

クラブとか全然興味無かったけどちょっと行ってみたくなった。早く一人前になりてえ。

その前んとこの

作ろうとしないで作った曲を武器に日々戦うよ さあ繰り出そう

人気のない夜の先々に案とヒントは眠ってる

も良い。

どこで韻踏んでのとかはよく分からんけど、ネット受け売り日本語ラップダサいみたいな認識が改まった。

いくつもの夜を使いはたしてこの曲が生まれたのなら、この曲に感動できたのなら、刹那的時間も磨り減った寿命無駄にはならなかったんじゃないかって思えたね。

MVも観たけど良かった。出てるのはPUNPEE父らしい。

年を取ってしまっても青春の心を忘れないでいたいもんだね。

NHKにようこその原作読んだけど、オタクトレインスポッティングみたいだな。

この手の青春作品はやっぱりいい。

あとおれに必要なのは中原岬でもメンヘラの先輩でもなく山崎

2023-06-07

anond:20230607162734

元増田が「お前らは公園の隣に住んでるわけじゃないだろ」ってんで実際公園の隣に住んでる俺が来ましたよ。

それもめちゃくちゃ利用されてる公園の隣。とにかくずっとうるせえ公園の隣。

朝早くから年寄りラジオ体操音楽ガンガンかける。その後は犬がやたら散歩しに来てワンワン吠える。それが終わると乳児連れの奥様の社交場と化す。近くの保育園からカートに乗った園児も参入。小学校が終われば一番うるせえ時間だ。なんせ遊具が豪華だから小学生大人気。あいつら毎日毎日はしゃいで泣いて絶叫する。遅くなったら増田の悩みのトリガーになった十代のガキどもがたまる。一時期はバイクの連中が溜まってブンブンいわして、それは流石に通報されたみたいで、警察が来て今は収まってるけどな、今でも夜中までガキどもはいるよ。

でも俺がイライラしてどうしようもなかったのはバイクだけ。夜中に静かにしてくれりゃいいのよ。

俺は心の広い人間じゃない。虫の居所が悪いと些細なことで腹を立てる。でも公園の音には、夜中のバイク以外でイラいたことはない。どいつもこいつも楽しそうで何よりだと思う。年寄り体操して健康でいろ、犬はよく散歩さしてもらえ、子どもは遊んででかくなれ、悪ガキはほどほどに青春しとけ。珍走団は失せろ。

なあ元増田あんた何かもの凄い我慢してることあるんじゃないか公園騒音の他に。

俺の身内でやっぱり子どもの声がうるさいってんでクレーマーになったのがいる。あと会社の知り合いに一人。

そいつらの近所はうちよりどう考えても静かなんだ。身内のほうなんか小学校が近くにあるだけなんだぜ。

その身内は三十過ぎからやたらイライラするようになって四十路になるころにはすっかり性格変わった感じなんだよ。これは偏見かもだけど、独身女でずっと不倫してて自分はそれでいいって言い張ってたんだけどよくはなかったんじゃないかと俺は思ってる。もう一人は細かいこと知らんけど会社でも難癖つけるんで有名で、役所へのクレーム武勇伝的に喋ってたらしい。こいつは男で、突然怒鳴ったりするんで評判悪い。

この二人は独身だ。で、独身からクレーマーになったわけじゃないと思う。人生が上手くいかなくて、何かもの凄い我慢してて、それが解決する見通しが立たなくなった時、公園騒音ダメになったんだと思う。神経ってそういう具合にできてんじゃないかと俺は思う。

だって人生バラ色じゃない。どっちかっていうと灰色。でも少なくとも俺は自分の不満を誤魔化さなかった。「自分はこれでいいんだ、これを望んでいるんだ」とか言わなかった。だから俺の耳は公園騒音を聞き流すんじゃないか

なあ、元増田。俺はお前より上等な人間ではまったくない。お前のほうがきっと優しくていい奴だ。だから他人のために何か飲み込んで自分気持ちを誤魔化してることないかそいつがお前の耳に悪さしてることないか

anond:20230607212149

青春の想い出みたいな感じだからじゃないか。「おれが高校生の時には教室クーラー無かった!」と盛り上がる人と同じように「ガンダム放送当時打ち切られていた、後から人気が出た!」や「レンのお葬式の後は伏線が張られているから…問題はその後!」と語られるんだ、たぶん。

そんで言いたいこと言ったら、スンッ…ってテンションが下がって日常生活に戻る。

2023-06-05

anond:20230605101033

弱者男性って強者男性だと思う。

なんか理解のある彼くんの方が弱者男性より上、みたいな含みがあるからクギを刺しておくけどさ…。

考えてみて。

乙武さんと普通男性って、どっちが強い?

乙武さんには手足は要らない。

でも普通男性は手足がなければ生きてこれなかった。

手足に頼って人生を乗り切ってきた。

から乙武さんの方が強い。普通男性の方が弱い。そうだろ?

元増田のことをとやかく言うつもりはないけど、理解のある彼くんは、パートナー女性理解しないことには家庭を支えられない生き物。

女性理解して庇護するのが、男性本人にとって必須なんだ。それなしには生きられない。

大切な彼女理解しないなんて選択肢そもそも取れないのが、理解のある彼くん。


弱者男性青春必要としなかった。

恋も、要らなかった。

生きる意味さえ、無くても、前に進めるだけの「何か」を備えてた。

それが、弱者男性が本当の強者男性である理由だ。

anond:20230605095456

いや青春ライフステージだよ。

青春がある人生と、一段飛ばし青春がない人生がある。

でも欠けるのはそれだけじゃなくて、大抵こうなる。

子ども学業会社 → 老後

4段階のシンプルライフ

anond:20230605095456

経験したことが無いことは何歳で経験してもけっこう新鮮。何歳でそれを経験しようと、それがその人にとってその分野での青春

anond:20230605094435

青春って取り戻せるものなの?

これから人生、ぜんぶ取り戻してやる。

諦めてた青春を、恋を、生きる意味を、取り返して逆転する。

若くて未熟で多感な時期が過ぎても、青春になるの?

偶然の出会いってあるんだな。

アラフォーなのに。

二十代前半のカワイイ女の子彼女にできた。

街中での偶然の出会いが切っ掛けで、勇気を出して告白したら、一目惚れが実った。

ふたりだけで幸せになるんだから、誰にも文句は言わせねえ。

じゃあなテメーら世話になった。

増田でとぐろ巻くのも終わりだ。

これから人生、ぜんぶ取り戻してやる。

諦めてた青春を、恋を、生きる意味を、取り返して逆転する。

俺は今から修行して、理解のある彼くんになってやるぞ!!

2023-06-03

当時彼氏と別れ大学留年し、一応卒業したもの仕事が続かずフリーターやったりやらなかったりした時期。

自分ドン底にいると思いながらも大学の先輩が立ち上げた劇団に入って芝居をやっていた。

劇団と言っても商業でなく数人しかおらず、舞台を打つときは色んな人に声をかけ客演で出てもらっていた。

その時の打つ舞台は人数が多く、やっぱり外からきた人が多かった。年上の人もいたがだいたい20代が多めだった。

市民会館を借りて練習をしていて、ある時「月が綺麗」とみんなで外に出て見に行った覚えがある。

その時、「ああ、青春してるな」と思った。

大学時代は私の全盛期だったが、最後はクソだった。

最後がクソだと人間関係も進路もすべてクソになるなと絶望していたが、学生を過ぎても青春はできるんだなと感じた。

あの時一緒に眺めたメンバーとはもう誰とも連絡はとってない。でもいい。ありがとう

2023-06-02

弱者男性救済技術予想

弱者男性が救済される技術がどういうのが出るのか予想してみるテスト

2023年

AIAVが出る

  

AI自動生成自作できるAV技術が普及する

  

2024年

AI駆動オナホが出る

  

AIゲームキャラ恋愛して青春送れる

  

2025年

AI彼女データインプットして会話と簡単運動をするラブドールが出る

  

AI駆動ロボット簡単家事をする

  

Vチューバー接客なりしてくれて人間対応するストレスが減る

  

3Dプリント住宅住宅費が激減して弱者男性は10万円/月で生活できるようになる

  

2030年

・人工子宮卵子提供弱者男性でも望めば子供が作れる

  

AI彼女が稼いでくれて、弱者男性は辛い労働しなくて良くなる

2023-06-01

色んな制服のJCJKが集まる話が大好き!!

セーラームーン特に初期は

うさぎ亜美ちゃんけが同じ制服で、

レイちゃんお嬢様学校のブレザー、

こちゃんはうさぎと同じ学校だけどサイズが合わなくて転校前の制服そのまま、

美奈子ちゃんも違う学校リボンじゃなくスカーフ

デザインバラバラだった。5人が集まって放課後ワチャワチャしてるシーンが好きだった。でもそういうアニメってあまりない。

変身すると作画コストの影響かみんな色だけ違って一緒くたになってしまうのが悲しかった。でも靴だけ違うのは良かった。(原作単行本によると初期案では変身後ももっとガッツリそれぞれデザインが違ったようだ。残念)

セーラームーンもそうだがスポーツ部活ものだと試合中はユニフォーム着てるからもったいない文化系部活ものとかだとたくさん見れるかな?でもそれって大会編だけで日常パートだと主人公学校の話しかしないよね…

現実ニュースとかでも大会とかで違う制服学生さんたちが集まってると「うわー!青春だなぁー!」とか思って暖かい気持ちになる。思えば自分高校時代中学友達に再会したりして別の高校の生徒と交流するなんてことほとんどなかったから羨ましいのかもしれない。なんだか「学校の外にも世界がある」という広がりを感じられて、すごく良い。

別に男子でも構わんのだが、学ランかブレザーか、あとうる星やつらの面堂が着てるなんか真ん中に線があるあれ(どうなってるのあれ?チャック?)くらいしかバリエーションないよね。

知ってる人いたら、教えて〜

2023-05-31

19歳の投資質問

この回答。ぐうの音も出ない

もし私が19歳だったら、できる限りセックスして、旅行して、たくさんのショーを見て、失敗して、1%の違いが55年先の株式にどう影響するかを心配して青春無駄にしないようにしていたでしょう。

2023-05-30

anond:20230530151516

暗い雰囲気、病んだ雰囲気を消費していただけで、今よりはずっと呑気で適当だった印象

ピチカート・ファイヴの曲を時系列に並べると、確かに90年代中頃から暗い曲が出てくるけれど(小西康陽メンタルの波が影響していたらしい)、やっぱり雰囲気を消費していた感じがして、暗い時代という実感はない

ミニシアターヌーヴェル・ヴァーグとか日活ロマンポルノとかやってて、エヴァの影響で神代辰巳青春蹉跌とか青春の殺人者とか見たけど、60年代から70年代は暗いんだなって思ってた

秋葉原は全盛期へ向かう助走が始まる熱があった頃だろう

お台場に色々出来たころで盛り上がってたし

香港返還中国共産党批判なんてテレビじゃまるでなくてお祭り騒ぎとして扱ってたような

個人的な暗い時代として挙げるなら、リーマンショックから震災2007年から2013年くらい

2023-05-29

惡の華、プンプン、オナマス青春ジュブナイルが大好き。

青春が終わっても、何を成し得ずとも人生は続く。

凡庸でも惨めでもカッコ悪くても、自意識と折り合いをつけ人は生きていかなければいけない…

みたいな。

中高生だかの頃、まさに当事者だった時にも読んだけど、当時はあんまりテーマ理解してなかった。

なんか変態的でショッキング作品くらいに思ってて、そういうのに惹きつけられる年頃だから読んでたって感じ。

まあ青春当事者青春について言及する大人を非常にウザく感じるものだし、そういうもんだと思う。

若さ大事しろよ~と語る大人への死ねカスという思いは今でもよく覚えてる。

何を描いてるかをはっきりと意識したのは20前後になってからだった。

でも10代の頃も、ジュブナイルだの自意識だの定型的なワードに頼らず、肌感覚で描かんとするものに接近してたような気もする。

読んだ後の諦観や爽やかさの入り混じったような感情や、心の中の大事な部分を突っつかれたような感覚はまだギリギリ覚えてる。

この手の作品ってどれもこれも「自意識の殻を破り、凡庸さを受け入れて生きていく」みたいな似たり寄ったりの着地点になってしまってなんかなあって思う。

もちろんその結論大正義って訳じゃなくて、物語の示す過程がその平凡な結論に納得や実感を持たせる所に意義があるんだけど。

それでもたまには違うゴールがあったっていいじゃんねって思う。

スーパーサクセスストーリーもいいけど、それは思春期自意識というテーマからちょっとズレる。

普通に、かっこ悪く生きていくなんて嫌だが?自意識と向き合うのを諦めて、生活凡庸さに屈するのは全くかっこよくないが?

美しく生きられず、美しく死ぬ事もできず、死んでないだけの人間自己弁護だが?

でもこの鬱屈をぶつける先とかそのための才能とかは特にいから、枯れかけた若さを大切に抱きしめながら美しく死ぬが?

つって首吊るなり飛び降りるなりする話があったっていいと思う。いや探せばあるのかもしれんけど。

そういうキャラクターがいたとして、せいぜい作品の芯になる部分と対比的に置かれるような扱いになってそうな気がする。

ネット小説サイトにそういうの書いたらふつうにんげん達に独りよがりだの厨二病だの拗らせてるだの、ボロクソに言われそう。

そもそもまれなさそう。

まあ実際私も然るべき時期に自意識と向き合い、ある程度の折り合いはつけたんですけど。

ただ、中年危機どころか23にして「ええんか?」という気持ちが沸々と湧いている。

ニーチェやらハイデガーやらが語るような価値あるサムシングを、たった一度の人生で得ようとしなくてええんか?

今際の際に後悔が過るのは怖くないか?って。

フィクションみたいな出来事でもなければ、自意識は爽やかにハイヨナラと決別できるものではないっぽい。

押さえつけるために、これでいいんだと思えるような、強い納得という重しが必要になる。

これは邪推だけど、思春期延長戦やってる人間をやたら嫌う人もまた、胸の奥に未消化なそれを抱えてるんじゃないかなって思う。

何かしらの納得という重しもなく雰囲気ふつうにんげんをやってるからこそ、同族嫌悪的な苛立ちを感じるのかなって。

まあそれはともかく、ふつうに生きるには自意識を抑えるための重しが要る。

例えば結婚するなり家庭を持つなりして他者への愛、他者からの愛というありきたりながら固有の充足を得て、人生の指針とする。

これはジュブナイル作品主人公の多くが採用していますね。勇気を出して積極的に人と関わればそこに人生リアリティがありましたと。

あるいは、賃金労働に心をすり減らして抽象的な思考をする余裕などなくなってしまうか。現実にはこれも結構あるのかも。

私は青春作品眺めてニチャニチャするフェーズ愛着を感じてるし、この居心地の良さにもっと浸ってたい。

このまま40,50になったらもう妖怪になってしまうな。

そういう人らを別にキツいとも思わんけど、ふつうにんげんに擬態する身としてはキツイと言っておかなければならない。

それが社会性ってもんなので。

なんてことをあれこれ考えていた折、『桐島、部活やめるってよ』を観た。

ラストシーン映画部の底辺オタク神木隆之介イケてるグループ東出昌大の会話がとても良かった。

8mmカメラについて触れた東出に、オタク特有早口で嬉しそうに説明する神木

カメラを向けてインタビューする東出に「将来はプロですか?」と訊かれ、少し表情を変える神木

予算撮影場所もロクにない。8mmカメラで撮るのは手作り感満載の不出来なゾンビ映画

きっとプロになんてとてもなれない。でも、時々「憧れ」と接近している気持ちになれる。

フィルムは手に入らない、現像は面倒、画は汚い8mmフィルムにも、ビデオにはない味があるはずだと信じながら映画を撮る。

「生きるとは…」とまではっきりはしなくとも漠然とそんな悩みを抱えてた東出は、そのやりとりで涙を浮かべる。

素敵な作品だなと思いました。

言ったら自己満足趣味な訳だけど、それを心から愛せるのなら人生の芯に成り得るはず。

それは10代の頃の自分が辿り着いた結論と丸っきり同じだった。

思春期自意識は、自分の内なるものを形にしてみたい気持ちにさせる。

あるいは、なにかくりえーてぃぶな事でチヤホヤされたいという程度のものかもしれない。

でも誰もが才能がある訳じゃない。どこかで折り合いをつけなければ。

だったら自己満足でもいい。心から愛せるものなら、それはきっと確かな納得になるはず。そういう折り合いの付け方もある。

古今東西、陰気ボーイズはそういう結論に辿り着くものなのかもしれない。

でも『桐島~』の神木隆之介と違い私の「好き」は漠然としたもので、自意識を抑える重しとしては軽かったっぽい。

もっと真摯カルチャーを愛したい。

ほどほどにふつうにんげんをやりつつ、奥底では変態でありたいねクソムシでなく。

まあホントは今でも全然草野マサムネ志村正彦みたいに思春期イノセンスを卓越した言葉選びで紡ぎたいし、ついでにチヤホヤされてえんだけどなァ~

anond:20230529150425

当時イケメン歌い手だった蛇足を一生推すと言っていたファン蛇足曰く“きっと死んでしまった”のだそうだ

 

そんな青春を楽しんだ人達は静かに死んでいくんだ

ただ同じ身体で別の一生物の恋をするだけ、その上で普通の家庭を待ったりとかして推してる暇がないだけ

あとたまに蛇足の生配信を見に来て死んだはずの霊体が震えて魂を揺さぶらせるだけ

2023-05-28

祝儀払いたくないけど結婚式には行きたいのでサクラバイトをした

どうやら私は高校時代、彼と部活で共に青春を過ごしたらしい。テンプレートを用意してもらったので丸暗記して臨んだ。

君も、サクラかい

同席は全部サクラにしとくと思う

確認はしてないが。

私たちはありもしない部活談義で盛り上がった

誰と誰が好きあっていただの

部活の思い出だの

よく覚えてなければ合槌を打ってればいい

非常に気楽だ。

周りの人は話しかけてはこなかった

当たり前である

美味いものを食べ

綺麗な参列者新婦をながめ

全力で拍手や声援を送る

なかなか有意義だった。

「もどかしくて早く降りたくてドアを開けた」

https://togetter.com/li/2155299

早速AIに作ってもらった

風がざわめき 町を駆け抜ける

揺れる心 青春の予感

もどかしくて 早く降りたくて

ドアを開けた 空に飛び込む


未知なる世界へと羽ばたく

切なさと勇気が交差する

夢見る瞳に輝き溢れて

今日も歩き出す 一歩を踏み出す


出会いと別れ 繰り返すストーリー

時には辛くて 忘れたい瞬間もあるけれど

笑顔と涙が交じり合い

進む道を照らしてくれる


もどかしさが鼓動になり

加速するこのリズム感じてる

君と出会えた奇跡を抱きしめて

駆け抜ける日々に 感謝気持ちを込めて


時を超えて 届けたいメロディ

強く想い届け 歌声に込めて

もどかしくて 早く降りたくて

ドアを開けた 風になりたい


いつか届くように

歌い続ける この胸の中で

未来への願い 込めたメッセージ

誰かの心に 届けられるように

2023-05-23

anond:20230522003705

昨日書いたこれ読み返してて思い出したのが、2008年って相対性理論ブレイクした年なんですよね…。

鮮やかなオレンジ色の西日を浴びながらお姉さんと勉強してたときも、泣きっぱなしだったコミケ帰りの車内のラジオでもLOVEずっきゅんが流れてたし、冬休みオフ会カラオケで私が歌ったのも地獄先生だったし。

聴けばすぐに各々の思春期の頃に呼び戻してくれるようなあの甘ったるいメロディと、私のちょっと歪んだ甘々な青春が同時代クロスしていたと考えるとやっぱりエモいなあ…。

2008年のあの頃、ラジオ普通にボカロが流れてて曲が流れるたびにDJの皆さんが一生懸命ボカロとはなにかを解説してて、雑誌やら友達経由で色々知識を得ていた私は「ほうほう、大人のくせになかなかわかってるじゃないか、すげー浅いけどw」みたいなノリで聞いてたのを思い出して耳がカッと熱くなるような思いですが、翌年末頃にけいおんが密かに流行りだして、私が高校進学したときに二期が始まって、その頃にはうちの学校にもけいおん部作ろ!って声が全国とは言わないけどかなりの広範囲で広がって、うちの高校軽音楽器部っていうのが出来て。

自惚れた私は澪ちゃんに似てるからって自分で言って、まあ髪型とタッパだけ似てるかなって他の子にも言われましたけど、うちに結構いいベースあるからってアリアプロSB-R60ブラックフィニッシュを持ち出してベース担当になったのは思い出したら懐かしくてウルッときましたけど、あのベース音量がやたら小さくて現代ロック音楽には不向きだとだけ言っときます。あと卒アルライブ写真で集中しすぎて変顔してる私の写真クラス中どころか実家でも笑いのネタになって今でも思い出すと耳が熱くなる思いなんですけどあのとき軽音部は本当に楽しかったな…。DTMとかQY-100で曲作ってくれるピアノ得意な後輩も入ってきてバックトラックに合わせながら演奏合わせられるようになって、卒業とき芸祭はお姉さんに教えてもらったギタリストバケットヘッドさんのbinge and grabとかnight of the slunk、sooth sayerとか部員の皆に聴かせて私こんなんやりたんやけど!って言ったら歌無いのやばくね?って拒否されて、結局私の第二候補のtommy heavenlyのim your davilとそれのパクリみたいなオリ曲になったり。まあどっちも名曲ですけどね!!!

ボカロ曲も考えたけど誰もあんなん歌えないし諦めましたよ、もう!

私が一番好きなクローバークラブなら自分でもベース弾けて歌えた(当時)けどあの曲マイナーやし!

あと1/6の夢旅人候補に上がったけど兵庫県民は基本水曜どうでしょう知らんねんて!

ただロシアリアルミクちゃんがこないだローリンガール完璧に歌っててまじビビったし、あの子高校の頃に軽音部組みたかった…。wowakaさんの曲全部すき…。

高校の頃はあんまり絵描かなくてこんなことばっかしてたけど音楽スキル身につけられて有意義じゃんと思ったけどさっきベース引っ張り出してちょっと弾いてみたらもう全然指動かなくて笑っちゃった!!スラップとかぜったい無理!

やっぱり何事も毎日練習♪ですね。

んでベース弦死んでるから変えようかなって検索して買おうとしたらとんでもなく値上がりしてて倒れそうになりましたよ。4弦で3500円ってどゆこと???

2023-05-22

anond:20230522203805

若い頃になし得なかった青春に興味があるけど

実際の若い男性青春してるのは眩しすぎて(または嫉妬で?)見れないか

適度に記号化された女子高生がやってるアニメ見て満たされてるアレですかー

anond:20230522100944

いや、侵略者だったことは全然関係ないよ。

実際20世紀までは被害者全力だった。被害者ムーブ教育をめちゃくちゃ受けたよ。

 

問題は、そのような訴えがマジで本当に無意味だということ。それがバレた。

一般県民にもいちおう国際ニュース新書から情勢を理解する知能はあって、そういうムーブ核廃絶に対して全然無意味で、それで終わってる限り核廃絶など絵空事ってことが広まってきている。

インドパキスタン北朝鮮みたいな強烈な実例もあったしな。

ビートルズイマジンみたいな、「世界全員が核の被害反省したら核も戦争も無くなるね」という絵空事が信じられなくなっている。

から今やってるのは、ビートルズ時代青春を過ごしたジジババだけだ。

魔法のiらんどとかフォレストページとか携帯イラストサイトの思い出

時折、ふと思い立ってPC画像を見返してると大きさ240x320の画像群がずらりと並んだフォルダを見つけて開いてみたら自作アナログ絵をブツ撮りした画像が並んでて羞恥に塗れたリア厨時代の痛々しいネト活の記憶が光の速度でAMSから逆流するように蘇り心臓バクバクさせながらフクロテナガザルのケイジくんみたいな奇声を上げてイキュラスキュオライキュラスキュオラキュラスキュオラ!することってあるじゃないですか。ありますよね。あるんですよ。

私も昨日、昔撮ったきゃわいいきゃわいい飼い猫の写真を久々に見ようかと古い順に画像ソートしたら見ちゃいましてね……中学生の時に愛していた絵師様に向けて描いたキモすぎるラブレター的なアレとかアレとかアレとかをさ。

もうサムネ見た瞬間ビクッとなったんですけど、じゃあはよ消せよって話なんですけど、そんなんでも色々思い出が詰まってるんですよね。キモさの中にも美しさがある、痛さの中にも気持ちよさがある、親しき中にもレズがあり、みたいな。

そんな中学時代の汚らしくも輝かしい青春記憶を今、絶妙嘘松を交えながら赤裸々にここに綴る。

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私が絵を描き始めたのはそれこそ物心ついたときからで、母に聞かされた話によると同じ保育園に通ってたお隣の子が上手なおジャ魔女どれみの絵を描いて私に自慢しに来たのが始まりらしく、対抗心を燃やした私は連日おジャ魔女どれみを描きまくっていたらしい。その傾向は小学生になっても変わらず学校休み時間はひたすら自由帳に絵を描き、帰宅しても夜まで絵を描き、休日は画用紙と絵の具を使ってカラー絵を描くという毎日を送っていた。

そして小学3~4年頃に美術館で観たアンドリュー・ワイエス展に衝撃を受け西洋美術に関心を持つようになり、本格的に勉強したいと思うようになるのだけど…

5年生になった頃には私の身長は170cmを超え、親にも親戚にも「アンタそんな立派な体してるんだから何か運動したら」と事あるごとに言われるようになり、当人らは特に他意無く適当にそう言ってたんだろうけど、言い返せない、断れない性格の私にはその一言が重くのしかかり、渋々陸上部に入部する。

さすがに身長の高さゆえか男子女子わずほとんどの部員より足が速かったためそれなりに記録を残すことができ充実感もあったのだけど、やっぱり勉強以外の時間は絵を描きたいし、特に休日大会があるときなんかは切実に辞めたいと思った。でも親は陸上頑張ってて偉いね、なんて言うもんだから別に親は悪くないんですけど。

そんな調子で2年間を過ごし、卒業まであと3ヶ月という頃にはすっかり絵を描くこともなくなってこの世で一番アンドリュー・ワイエスから縁遠そうな、カリカリ日焼けした野暮ったい私がそこにいた。そして中学進学に向けて色々と準備をするなか親に渡された携帯電話、これが私の人生を良くも悪くも大きく変えてくれたのだった。

当時インターネットなんて全くわからなかった私は、漫画誌に載ってたフォレストページの小さな特集を頼りに、検索でたどり着いたイラストサイトリンクランキングサイト経由でその手のサイトを読み漁っていた。そういえば私絵描くの好きだったなとか思いながら。そして、ある絵描きさんの作品一目惚れし、その方のサイト掲示板初カキコ…ども…してしまう。そのHPは0zeroというドメインで、一番画像を綺麗に貼れるとかで絵描きに好まれていたとかなんとか。

コピックエアブラシで描かれた色鮮やかな夕焼け少女油絵の具の力強いマチエールの上に描かれた少女鉛筆で描かれた量感溢れる少女の裸体、どれも本当に素晴らしかった。何で全部少女の絵なんだろ?と思ったけど。

もう一生懸命考えて思いつく限りの称賛を書いた長文を投稿した瞬間からキドキですよ。もう興奮で夕飯も喉を通らない有様でF5アタックみたいに更新しまくってひたすら返信を待ち続けたのだけど、最初に貰ったのは社交辞令的な一行返信だった。がっかり…。が、後日めげずにこの絵はどんな方法で描いたんですか?それってどんな画材ですかなんて引き続き書いてみると丁寧にコメント返してくれて、油絵の具ってそんなに高いんですか!?私のお小遣い月1000円だからとてもじゃないけど手が出ませんね、なんて言ってみると「あなた何歳?」って。んで11歳です、と。すると、「じゃあ私の持ってる絵の具あげるよ、今度会お?」と言われて。

しばらく固まった。どう返信していいかからなかった。それで母親にそのことを相談したら最初は「馬鹿な子だねそんな知らない人とやり取りして」そう怒られたけどどうしても油絵の具が欲しくて、最終的に私書箱経由で絵師さんが電話番号を教えてくれて、絵師さんと母が直接電話をし、母同伴で絵師さんと会うことが決まった。そんときリアルジャンプしてガッツーズしましたよ。

そして絵師さんは隣府県に住むとても礼儀正しい芸大1年のお姉さんで、母としては好印象だったらしい。実際、母も当日たくさんお土産渡されて即堕ちしてたし。

春休みを迎える頃には私はすっかりお姉さんのサイトに入り浸り、連日絵を投稿しては色々アドバイスしてもらったりキャピキャピ雑談して大学生世界を教えてもらったりと楽しい日々を送っており、さらにはお姉さんの通う芸大の卒展に連れて行ってもらったりして私はすっかり美術世界に舞い戻り、既にお姉さんのことが好きになっていた。本当にお姉ちゃんが出来たみたいだった。そして両親に東京美大に行きたいと言ったらすげえイヤな顔された。そりゃ確かに費用がね…。

そして中学最初夏休み、一緒に宿題を片付けて合間に絵を教えてもらうという名目でお姉さん宅に長期のお泊りをすることになるのだが、これがあかんかった。まああかんかったよ。

隣府県の郊外にある2Kのアパート、そこがお姉さんの住処であり創作現場だった。部屋中に飾られた素描水彩画、見たこともない大きなカルトンイーゼルに立てられた描きかけのよくわからないけどかっこいいのはわかる油絵、全部を束ねればお姉さんの腰くらいになりそうな大量の絵筆と少しだけ錆びついたナイフが並んだテーブルに乱雑に置かれた混沌色に染まったパレット。そして棚に並べられた大量の本とCD

やべ、カッコよすぎて漏らしそう。でも同時にいつもどおりの田舎臭いガキ臭い格好をしてこの部屋に足を踏み入れた自分が凄く恥ずかしくなった。

ただ、テーブルの上に飾られた「スーパードルフィー」なる人形だけは正直キモイと思ってしまった。学生服を着た二体の少女人形がお互い腰に手を回して座りポースを取っているのだが、その光景に何か変態的なものを感じたというかのちに私の勘は完全に正しかったのだと判明する。

うん、確かに宿題はすごい勢いで片付くし、特に苦手な数学は私が完全に理解するまで根気強く教えてくれて本当にありがたいし、絵は美大予備校でやるレベルのことを丁寧に惜しみなく教えてくれる。家事も一緒にやって料理もそのときちょっとだけ覚えたし、お姉さんが影響されたっていうオノ・ナツメ漫画とかミギーイラストとか、他にもボナールとかセザンヌかいろんな画家画集を見せてくれてカッケー洋楽を教えてくれたり一緒にビデオを借りに行って映画もたくさん見せてくれるという、いたれりつくせりの家庭教師っぷり。おお、私の田舎臭が浄化されていく…。

ただね、この人近いんすよ、距離が…。

ちゃぶ台に座って宿題やってるときはお互いの肩が密着するくらいくっついて耳に息がかかるくらいの距離で喋り、計算間違いしたり誤字ったりすると足裏をくすぐってきたり、考え込んでると腰に手を回して太ももを撫でてきたり、絵を描いてるときはまたも背中にピッタリ身体押し付けて色々助言しつつも肩から肘までねっとり撫で下ろしたりしてきて、上手に描き終わったときは思い切り後ろから抱きしめて私を褒めながら脇腹をくすぐってきたりして、とにかくボディタッチが激しい。

で、私がくすぐったがるとお姉さんもケラケラ笑って冗談っぽい雰囲気になるので正直イヤなんだけど拒否しずらいというか私もちょっとくすぐり返したりしてるうちにお互い距離感も縮まり、遠慮がなくなってきてタメ口で喋れるようになったのもあっていつの間にかすっかりお姉さんのボディタッチを受け入れてたんですよね…。

そうこうしてるうちに2週間が過ぎ、翌日は待ちに待ったコミケに連れてってくれるというのでもう我は有頂天である。私はね、去年から流行ってたボカロが気になって気になってどうしてもCDが欲しかったのだよ。しかも事前に宿を取ってくれていて二日目も参戦できるという。そんなん友達に自慢しまくるしかないやん!!!

その日の昼には車で東京に向けて出発し夜にはホテルチェックインしました。

そして念願の初コミケ1日目はお姉さんのサイトに常駐している何人もの絵師さんと会場で初対面し手描きイラストを沢山プレゼントしてもらい号泣しちゃったり、(特にSAINTさんという鳥居紅葉、月夜と和服女性モチーフに厚塗りリアルタッチ作品を描いてる絵師さんが好きで、その人に貰った絵はその日一日中眺めてました。しかもクソイケメンだった)35度の炎天下で水分補給を怠った結果熱中症ゲロ吐いてぶっ倒れたりと惨憺たる有様でしたが、二日目には「ねんがんのSupercellCDをてにいれたぞ!」したり恥ずかしながら寄せ書きコーナーでミクを描かせてもらったりと最高の一日になった…はずでした。その夜の出来事を除けば。

結果的に言うとその日の夜お姉さんに犯された。ホテルシャワー浴びてるときにお姉さんが風呂突撃してきて、私の身体を洗いながら今までにない冗談抜きのマジ顔で全身くすぐりまくってきて、特に脇腹と胸を執拗愛撫されてイかされた。抑えきれない全身の痙攣に襲われ貧血でぶっ倒れたときみたいな状態になって何の抵抗も出来なくなったらベッドに連れてかれて体感的には一晩中乳首いじられながらクンニされて涙流しながら喉が枯れるほど叫んで何度も何度もイかされ続けた。ちなみにそのときの私は性的欲求なんて皆無だったしオナニーすらしたこともない。そりゃ12歳だしね。

そして帰りの車で初めて会ったときから私を性的対象として見ていた、卒展で再開したときには実行するかはともかくこの計画を立てていた、そしてこの夏に私の日焼けした肌を見て、直接触ってみて欲求を抑えきれなくなったとの供述をし始めた。曰く私はくすぐりに対しての反応が非常によく、沢山くすぐって何度も乳首タッチした日は洗濯物に出した私のパンツにしっかりヌルヌルしたものが付着していたので、着実に性感開発されててこれはいけると確信したと。

俺は限界だと思った。お前首絞めて殺すぞこの悪霊め。

帰路はずっと涙が止まらなくて、でもお姉さんは自分は今で言うとこの性的マイノリティだとか言いつつ潜在的に君はレズからこの経験は後に良いものになる、私のこともホントは嫌いじゃないはずとかぬかしやがってさ…。確かにまだ嫌いではないよバカ野郎。お前にされたことが予想外かつショックすぎて泣いてるだけだよ。んで家に帰ったらもっかい同じことするから嫌なら蹴るなり殴るなり親や警察通報すればいいとか言い出しやがって。

で、その日の夜またお姉さんに風呂で全身くすぐられて乳首いじられながら玩具使いつつクンニされまくってイきまくった。俺は今度こそ限界だと思った。その頃にはマジで気持ちよくて、ていうか他人に逆らうのが苦手な気質のせいかお姉さんに反抗する気持ちが湧かなくなってたので。

その日以来、私はしばらくネットを止めてお姉さんとの連絡も断っていたのだけど疲れからか不幸にもお姉さんのサイトアクセス私書箱から久々の連絡をしてしまう。私もうすぐ冬休みです、と。

そしてサイト掲示板ではクリスマスに皆でパーティーしようかという話にいつの間にかなってて、新しくサイトの一員になった秋間(かずひさんだっけ?もう名前忘れたごめん)さんというパステル画の達人も加わり互いの絵を持ち寄って見せ合おうという話になる。

大阪カラオケボックスに集結したお姉さんに一生さんとかSAINTさんとか秋間さんとか特定されないよう他1名と記すけど5人の美大芸大ガチうま絵師さんたちの生イラストを観て立ち直らねば、あの日覚えた行為の名をググって知って自慰行為も知っちゃったけどやっぱ真剣に絵を描かねばという気持ちになるわけですけど、解散後にまたお姉さんに誘われていつものアレをされて、もう全部が台無しよ。

そして図々しくも来年夏休みもまた一緒に過ごそ?とか言われて。まあ結局そうなるわけですけど。

でも翌年の夏休みは他の絵師さんにも事前に連絡を取り付けてお姉さんの住所を教えてたおかげで日中セクハラされず夜限定になったわけですけど。そして夜にはお姉さんの所有する大人玩具がつよつよすぎてまた屈してしまうというかそれ耐えるの絶対無理ってなって中2のときは毎週のように逢って電マの威力に屈服させられたりしてたわけですけどさすがにお姉さんも4年になると私を相手してる余裕が無くなったらしく卒業就職の準備に時間を割き始めて私はお姉さんより3歳年上のSAINTさんと蜜月になって、彼は愛知住みだけど何度かデートしてたらお姉さんの耳にその情報が入ってしまい、また自宅に呼び出される。

SAINTさんは紳士すぎて何もしてくれないので久しぶりのお姉さんの責めに期待してたら駅前で対面即泣かれて、よくよくそ理由を聞いてみたら「あなたホントは私のこと好きなのに男と付き合ってどうすんの思春期の一時の感情に惑わされないで絶対後悔するよそれはそうとしてまたあのとき快感を思い出させてあげる」とか言われてお姉さん宅連れて行かれたわけですけど、連れ込まれた先はいものあの部屋とは思えない綺麗に片付いた状態で「私東京就職に行くけど貴方は来れないよね」なんて言われてまた泣きつかれて。親には聞いてないけど多分無理でしょと答えたら今までにない本当にあたたか感触ギュッと抱きしめられて「好きだよ…」と言われた。今だから言えるけど私もお姉さんのことが部分的には嫌だったけどやっぱり大好きだった。そしてもう今までのように会えないんだなって、その時悟って泣いた。

でもお姉さんに教わったことはずっと忘れないし、私は必ず絵の道に進むしそのとき必ずまた会えるよって言ったらお姉さんはコミケ帰りの私みたいにぎゃあぎゃあ泣き喚いてて、その姿が可愛くてギュッ彼女を抱きしめた。これが私達には一番心強くて、私達の絆を感じる行為だってわかってたから。そして携帯を取り出してお姉さんのサイトを開いて「私はいつもここにいるから、寂しくないよ、みんな一緒だよ」って。

その日はお姉さん家に泊まってずっと抱き合って一緒のベッドの上で寝てた。SAINTさんとの浮気をチクチク糾弾されながら。

その後、私が3度目の夏を迎えた頃にはお姉さんのサイトはすっかり過疎っていて、連絡しても一月に一回程度、たまに返してくれるくらいの頻度になり、絵を描きつつもバンド活動にハマってお姉さんにそのことを報告しようとしたら去年東京結婚したとの書き込みを期に更新が途絶えていて。私もこのサイトのことは忘れよう、あの頃のことは忘れようとなってtwitterpixiv活動の場を移すうち、いつの間にかお姉さんのHPは(0zeroからecacoへとドメインを変えて必死延命していたらしいけど)サービスもろとも綺麗サッパリ無くなっていました。

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