はてなキーワード: 負の感情とは
フェミニストは男にも使われる言葉だが、ここでは女性の権利向上の為に運動する「女性」とする
フェミニストを略した言葉、フェミを検索してみると、権利向上を謳うがあまり馬鹿な行動をしてしまう「女性」をあげつらう、といった物が多く見受けられる
これだから女性は、これだからは女は、みたいな書き込みがひしめき合っているのだ
彼等にとっては女は馬鹿な生き物でなければならないのだろう
インターネット上に蔓延するフェミニストネタを見てみると、まあそれはもう酷い
荒唐無稽というか、余りにも話が出来すぎているのだ
少し前に流行っていた嘘松に似ている、といえば分かりやすいだろう
これらを踏まえて視点を変えてみると恐ろしいモノが見えてくる
男性が同じ男性を気持ちよくさせる為に、馬鹿な女性をわざと演じている――
そんな可能性が出てくるのだ
ホモかよ
あらぬ話をでっち上げ、連鎖的に女性に対する負の感情を貯めていくその様子はまさに地獄である
以前にいた会社の時に,強い負の感情に飲み込まれた話を吐き出そうと思う.
私はとあるITベンダーが提供しているサービス導入を検討する際.
ベンダー側はベテラン風のテクニカルコンサルタントが担当することになった.
彼は40くらいの年齢で,これまでの経歴的にもずっとテクニカルコンサルとして生きてきたそうだ.
コンテナやFWなど一般的なIT技術の会話はもちろん,製品の仕様やそもそもの質疑応答すら満足にできず,かつ非を認めない,そんな人材であった.
別に嘘を言ったとかそんなことはどうでもいい.抽象的であやふやな回答を得るくらいなら,できないですって話をすぐ出して欲しい.
シナリオってなんだよ.仕事に演出が必要な時点で虚の世界に入っているようなもんだろう.
車外への営業活動以外で演出なんて持ち込むな.本気で時間の無駄なんだ.
私は事実に基づいているからこそ,会話が生産的になると信じているため,
常に話を盛ったり,煙に巻いたりする彼とは一切噛み合わなかった.
当然プロジェクトは伸びに伸びて,時間とお金が失われた最悪のプロジェクトだった.
お互いあまり成長に繋がらないことに多くの費やしたと思う.
今思えば会社間の関係だから,彼は腹を割って会話できなかったのかもしれない.
が,コンサルと聞くだけで,虚じゃないよね?と身構えてしまうほど,彼の印象が強くなってしまっている.
今,彼は別の会社に移って同じように技術コンサルをやっているらしい.
今は実のある仕事をしていることを祈るばかりだ.
こちら適応障害の者。具合悪いときは悪いなりにも、家事をしたり、のんびりしたり、自分のペースで生活するようにしてなんとか生きてる。もちろん本格的なうつ病の者よりは軽症なので余裕はあるのだが。
けど嫁がいまいち理解してくれない。すべてを説明しろという。なにか普段と違うことをするときは説明してほしいと。正直意味がわからない。とりあえずゆっくりさせてくれればいいんだが、嫁としてはそれができないらしい。
俺が自分のペースで過ごし始めると、「構ってくれないの寂しくなった」とか「関わり方が変わったよね」とか言ってくる。そしてメンヘラムーブをかましてふてくされ始める。俺はそんなのに構っているほど余裕は無いのだが。言いたくはないけど、そういうムーブがストレス要因になって俺の体調を悪くしているということが想像できないのだろうか?
とにかく俺のペースでゆっくりさせてほしい。正直自分の元気もないのにいきなり帰宅してクソデカため息履かれて会社の愚痴を吐かれてもすごいうざいだけ。知らんがなって思う。正直邪魔。
こうして自分のストレスを吐き出すためにせめて増田に書き捨てていこうとすると、むしろストレスが溜まってきた。死にそう。早く適応障害を直して元気に働きたい。こんなところで自分のキャリアを止めておくわけにはいかないのに。
何度も「俺はこういう症状で、こういう場合があるから、こうしてもらえると嬉しい」っていう説明をしているのに、いっこうにそうしてくれない。結局自分のことしか考えられない人間だから、まず自分、次に相手で後手になるんだろうね。
やめてほしい正直。嫁が家にいるのがストレス。マジ無理。
実家に帰ってる間は元気。ストレスから開放されるから。実家に帰るのが特効薬だっていうのは嫁も理解はしてるようだから、「またいつでも実家に帰っていいからね」ともっともらしいことをいう。けどそのくせ、俺が実家に帰ってる間に自分に嫌なことがあるとLINEでグダグダ言ってくる。知らんがな。こっちは療養しにきてるんだから、そんな負の感情を当てられても困るんだが。こないだなんて「自転車が壊れてる!!!!どうしよう!!!新しく買う!!?!?!?!」みたいに明らかにイライラした雰囲気でLINEしてきた。多分タイヤがパンクしてて買い物行けなくてブチギレたんだろうな。死ね。そのテンションで俺にLINEしてきたんだろうな。けどどうだ?自転車なんて別に高い買い物でも無いんだから勝手に買えばいいとは思わないか?高くても2~3万円だぞ。高くてもね。それに嫁は車の運転できないんだから自転車がないと困るのは必然、なら自分で考えて好きなの買ってくればいいじゃんと思う。俺の許可とか相談必要?自転車の一台も自分で買おうとしないとか意味不明ではないか?ほんと脳みそ空っぽ。ブチギレてイライラしたら、それを隠してるふうでLINEしてくるの辞めてくれないかな。わかるから、そういうの。
俺が元気な頃は、俺が家事炊事など全部やることで、つまり嫁に何もさせないことで嫁にストレスを溜めさせず結果として自分が楽になるという方法をとってきた。狂ってきたのはそれができなくなってからだな。
まず嫁は生活力がない。家事炊事も下手くそだし、あまつさえそれを指摘するとふてくされる。そしてほっておくとまともなご飯も作れない。味のしないカレーをつい最近作られたときはほんと自分のコロナ罹患を疑った。味のないカレーってむしろどうやったら作れるんだ。そして前述の通り、「このカレー味がないね、こうするといいと思うよ」っていうと「でもちゃんと作ったのに」とか言ってふてくされる。死ねよ。
まぁこれでもだいぶマシになったんだけどね。当初は「皿の裏を洗わない」とか「洗濯物を洗面所の床に放置する」とかザラだったから。
基本的に相手を考えて動くことができない人間。思いやりとか気遣いが一切足りない。すべてが自分が楽にできる状態でお膳立てされてないとふてくされる。私がんばってるんだからとしか言わない。
ほんと死んでほしい。それが無理なら俺に構わないでほしい。まじで。お願い。
今は自分の部屋(リモートワークのために設えた作業部屋)にこもってるから大丈夫だけど、多分この部屋にずっとこもってるとまたメンヘラムーブかましてくるんだろうな。いや、状況から想像して理解しろよ。めんどくせぇ。
死んだら同じ墓には入りたくないなぁ。俺は俺の実家の墓に入れてほしい。
今の職場は皆優しい人ばかりだ。
優しいと言うか心に余裕を持ってるというか。
誰かが怒鳴ったり負の感情を見せている所には当然遭遇したことも聞いたこともない。
「うわーこれ僕バカでしたね」
とか、
とか言ってしまうのだけど、よくよく周りを見るとこの手の自分に対する強い言葉すら使われていないようである。
社内チャットでそれら単語の使用者を調べても俺くらいしか言ってない。(検索可能な範囲内では。)
だからか、自虐でも強い言葉を使うと「そんな事ないですよ😅」みたいな動揺に似た笑いが起き、浮いた感じになる。
それを知ってから俺も皆に合わせるようになった。
正直堅苦しさもあるのだが、仕事をする上ではこれくらいで良いのかも知れない。
なに、そんなにオカルティックな話じゃない。
暇つぶしに聞いていってくれ。
まずは呪いをかける前の心構えだ。
これを誤ったり揺らいだりすると自分の呪いに飲まれることになる。
呪いをかける相手に個人的な感情を抱いてはいけない。友情や愛情などは以ての外だが恨みや嫌悪等の負の感情を抱くこともだめだ。
これが一番難しい。
まあ、だからこそ呪いの代行が職業として成り立ってきた歴史がある。呪術師とクライアントの関係は無責任極まりない関係だ。そこに私怨は発生しない。
では本題。
呪いのかけ方だが、その前にもう一つ、呪いの本質について話そう。
呪いは、広義的な意味では人と人の関係のこと。人間感の関係性や言葉などによる契約、もしくは態度や空気感によって相手の精神を思い通りに変化させる技だ。
「冷蔵庫にあるプリンは明日まで食べないでおいてね」とあなたがあなたの家族に伝えたとする。この時点であなたは家族に対して呪いをかけたことになる。
ただ、自覚的でない呪いは多くの場合強力な呪いとしては成立し得ないだろう。更に言うならばこの約束においてあなたは個人的な感情を抱いてしまっている。
約束を違えてプリンを家族に食べられてしまった場合、あなたは悲しみ?怒り?どちらにしろ負の感情を発露させることとなる。
あなたはあなたがかけた呪いによってあなた自身の感情を左右されてしまうことになる。これは呪いをかけるにあたって最も避けなければならない失敗を犯し、呪いにのまれてしまったということだ。
なぜ呪いをかけるにあたって個人的な感情を抱いてはいけないのかも理解できたと思う。
何度もいうが、強力な呪いをかけるには人間的な感情を一時的に捨て去る必要がある。
それを避けたいならば無関係の他人、それこそスペシャリストである呪術師に頼むのがいいだろう。
呪いのかけ方は千差万別だ。しかしやりやすい方法というのも、ある。
重要なのは、もっともらしい理由を相手に想像させること、自発的な行動を促すこと、反復してそれを定着させることだ。
極端である必要はない。必ず目を見て話す、逆に絶対に目を合わせないで話す、毎日相手に肩を触るなどのスキンシップを取るなど。
呪いの扱いに慣れてきたら規模を大きくしてみる。SNSの捨てアカウントでリプライを送りつづける、など。いかにも呪いっぽいもので言うならば(犯罪だが)虫の死骸をポストに毎日入れるとか。
相手の思考がどのような方向に向くか、相手のことを根気よく観察しながら常に影響を考えてアクションを起こし続ける。
まあ、これはわかりやすく言っただけのものだ。プロはここまで露骨なやり方を取らない。
テンプレートであなたが想像する呪術師であるならば、得体のしれない宗教というツールを使ってクライアントを媒体としてターゲットに呪いをかけるというパターンが多いだろう。
呪術師なんていう胡散臭いものに頼るのはそれを頼るくらいに胡散臭いものを信じている人だ。儀式という手続きを経ることでクライアントは呪いがかかったものと認識する。
もちろん疑う気持ちも持っているだろうが無意識下でそれを信じることによる影響は出ている。これによってクライアントからターゲットへの態度の微妙な変化など様々な要因が組み合わさることによりターゲットに向けて呪いが帰着することになる。
ここまで読んでもらってわかる通り、強力で身近な対象に向けた呪いは素人にはハードルが高い。なんとか呪いをかけるところまでこぎ着けても呪い返しにあったり予測できない不正確な効果を制御できない可能性もある。
無責任な立場で、何かが起きても対処できる範囲でのみ試してほしい。
何度も繰り返して扱いがうまくなれば実生活にも応用できるだろう。
ふと、ラブライブの話題を見かけたのでオタク的お気持ち表明的な何かを書いてみたいと思った。
私はサンシャインをきっかけに1度ラブライブを引退し、そしてなんだかんだでまたラブライブに戻ってきた。今ではμ'sやAqoursのみならず、虹ヶ咲や今やってるスーパースターも楽しんでいる。
紆余曲折あったが昔好きだったものをもう一度好きになれることは素敵だと感じたといった話だ。そして、それは1度は嫌いさえしたサンシャインのおかげなところが多いと思った。
ちょっとした昔話になる。
私は10年以上オタクみたいなことをやっていて、当然ラブライブ(μ's)の全盛期頃はラブライブが好きだった。ラブライバーの悪行(これすら懐かしい)みたいなものを見てドン引いたりもしつつ、緩くラブライバーめいた立ち位置にいたと思う。
そんな中、ラブライブ サンシャインが始まった。μ'sが好きだった以上、新しく始まるグループにそれほど興味はなく、アニメ1期は見たがそれを最後にラブライブ自体から離れてしまった。
私はμ's原理主義でもなんでもなかったが、当時の感覚ではラブライブとはイコールμ'sであって、ラブライブというシリーズという認識もなかった。
そのため単に好きだったものが終わって、別の作品が始まったという感じでラブライバーを次第に辞めていった。(実際サンシャインのなかなかアレな最終話のせいではあると思うが)
その後は、オタク自体を辞めるわけでもなく、アイマスの方に移っていった。しばらくはサンシャインに対してはずっと否定的で、わざわざネットに書き込んでdisることはなかったが、良い印象はなかった。
アイマスに乗り換えて、むしろ声優をより意識してコンテンツに触れることになった(ラブライバーをしていた当時は、声優自体よりμ'sというグループとして見ていたところが大きかった)
そんなこんなでアイマス由来の声優オタクになった私は、声優オタク故に逆にAqoursのことを見知ることが増える。実際アニメきっかけに引退したとはいえ、Aqoursのアニメで聞いた曲は良かったし、声優オタクをしていればAqours声優を目にする機会も多かった。
アイマスに移って日が経つと、μ'sも完全な思い出になり、Aqoursに対して否定的になる理由も薄れて、その頃には嫌ってもいなかった。
それでも今更ラブライブに戻ることも、サンシャインに触れることも遅く感じて、否定はしないが今更関わらない、といったスタンスでいた。その頃にはサンシャインも映画公開前後で、今更追いかけるのもなぁという気持ちが強かった。今更という単語を使いすぎているが、本当に当時は「今更なぁ」という感情がほとんどだった。
そんな中、2020年にラブライブの3作目(外伝的な扱いなのでナンバリングに入れるのかわからない)の虹ヶ咲のアニメが始まった。アニメ化の発表時にキャラデザがいつもと違うというツイートが流れてきて、何となく見てみるかと思っていた。
これまでのラブライブとは違った感じで、また別の作品として楽しめた。
それと同時に虹ヶ咲は私がサンシャインの2期以降を見るきっかけにもなった。虹ヶ咲の盛り上がりで、ラブライブに対しての熱が数年越しに湧いてきた。実際、虹ヶ咲の放送クール中にサンシャインのアニメを全部見たし、μ'sのアニメも見返した。
虹ヶ咲をきっかけにラブライブに復帰したμ'sの頃のオタクが、周りにも数人いたりもした。ラブライブそのものへの自分と周囲の熱が高まっていって楽しかった。
そんなこんなで、サンシャインを見るきっかけを得たあとはまあかなり好きになった。
実際サンシャインに対する負の感情は、なんとなくの意識から来ていたので5年近い冷却期間を経た上で見れば、ラブライブらしい作品で好きになれるのは当然だった。(その上でもアニメはなかなかアレだったが)
アニメとして点をつけるなら高得点にはならないが、それでも個人的に好きなアニメ、といった感じだろうか。今ではAqoursの曲もよく聞くし、機会があればライブにも行きたいと思う。
ここまで書いてみて、何が言いたかったかといえば、熱が冷めるがゆえに好きになれることもあるのだなと数年間をかけて感じた。それと同時に、当時割り切って見ていればもっと早く楽しめた可能性もあったので、オタクはこだわりを時には曲げることもいいかもしれない。
初代のファンが、2代目に否定的になって離れて、離れたが故に3代目以降をむしろフラットな視点で見ることができた。様々なコンテンツや界隈においても通じそうな概念である。
紆余曲折あって、本当に回り道をした上でハマった時から8年くらい経った今もラブライバーをしている(休止期間が長いが)
μ'sが一旦止まって、Aqoursで離れて、虹で帰ってくるという回り道があったために今ラブライブを楽しめていると思うと、本当に分からない。1度Aqoursを否定的に見たからこそ今好きになれている側面もあると思うと、結果的に良かったのかなとも感じた。
アイマスに切りかえてからはこれからアイマス以上にハマるコンテンツは無いと思った。そして今はむしろラブライブの方に偏重してしまっているきらいがある。
それもまた、どちらかに重心が移ったり、全く違うコンテンツに移ったり、あるいはオタク自体から離れたりとしつつ、どこかしらに行き着くのだろう。
結果良ければ〜ではないが、何となく落ち着くところに落ち着くものだなとここ数年間のオタク生活の中で感じた次第です。
とりあえず、一時期嫌っていたのが嘘のようにラブライブサンシャインが今は好きだ。キャラも曲もキャストもどれも素敵なコンテンツだと思う。
上場企業で平均ちょい上の収入で学生時代からの彼女と結婚という安定した生活をしているが
無趣味な上に妬み嫉み、無い物ねだりする性格なので人生全然楽しくない
テレビやYouTubeは美男美女と金持ちしか出てこないから見なくなった
昔のネットはイケてないやつの居場所があったが近年のネットは能力、魅力があるやつがそれを増幅するだけの場所になってしまった
趣味もネットでめちゃくちゃ金つぎ込んでる人見るともういいやってなる
妻を愛してはいるがマッチングアプリとか裏垢とか性生活を楽しみ散らかしている人見ると自分が損してるように感じてくる
せめて金持ちになろうと色々取り組んでいるが実を結ばない
もう何も情報を入れたくない
全部が羨ましく感じてしまう
妻とは休日が合わないので一人のときはただ負の感情と向き合うだけになってしまう
高級車とか見るとグッってなるけど
今の安定した生活も頑張って頑張ってやっと手に入れるくらいの低スペ人間だから
でもどうせ不安定だけど欲に忠実な生活してたら安定した生活に憧れてたんだろうと思う
常に無い物ねだりして生きていくんだと思う
そんなに重いの?
(以下、引用)
サラッと「息子に励まされた」「娘に話聞いて貰ってスッキリした」って言ってる知人結構いて、それぞれの家庭の関係性もあるだろうけど長く母親のカウンセラーをしていた身としてはうわっと思ってしまう。うちの子は大人びてて優しくて賢くてしっかりしてるからって言うけども、
当時私は本気で母の役に立ちたい、母を励ましたいって思っていたしイヤイヤ聞いていたわけではなかったけど、いつの間にか蓄積されていくもんだからね。親の負の感情なんて本当は聞きたくなんかないんじゃないのかね。シングルで子供に恋愛相談とか、申し訳ないけど吐き気がしちゃう。
私なんかより大人なの!子供から聞いてくるの!って言うけど、確かにその知人の精神年齢は低い。自分は毒親に育てられたから苦しいって悩んでいたけど、罵声や暴力振るわなくても毒親ってあるよ。逆に子供を長くジワジワ、確実に依存関係に導いてる気がしてる。
精神的に弱い親、不安定な親って姿を見せるのは私にとっては緩やかな脅しに感じる。母がまさにそうだった。親だって人間だから強くない?そうかもしれないけど子供はもっと未熟で弱いのよ。
(以上、引用)
仰る通りだと思うし、なんならわたしも親に相談される方の子供で親が負担に感じたり、もっと守ってくれる親だったら私のメンタルもう少し強かったのかなとか思ったりする。精神病持ちだし。
でも仕方ないと思ってる。だって親も人間だし。こっちが産んでもらったからって面倒を見る責任はないけど
親が悪いとかはないと思ってる。
これで親はが悪い!親は子の前では弱音を吐くな!親たるもの庇護に徹せよ!
って言われるなら、責任が重すぎて私は子どもなんて産めない。そんな完璧には絶対ならない。
最終章ではありますがまだやるべきことが残っているので第1篇となるでしょう。
- 母親の介護から逃げてから、その後 anond:20210322144223
- 母が精神病棟に入院した anond:20210403022555
以前に語ったとおり、母親は病気で自活が不可能となり父親による老老介護を受けた後に精神病棟に入りました。その後は体調不良のたびに転院を繰り返し、最後は実家からほど近い病院で息を引き取りました。最期を看取ることはできませんでした。そもそも職場から2時間近くかかりますし一報があった時点ですでに危篤状態でした。
その少し前から体調不良が続きいつ旅立ってもおかしくない状態でした。でもコロナにより面会はかなりの制限がついていたので、病院からほど近い父でも最期を看取ることは難しかったのとこと。特に第5波の現在ではまともに病院に入れることすら怪しいのですが。
母親に関しての良い記憶は殆どありません。私が子供の頃から彼女の周囲はストレスと負の感情が渦巻いていました。あらゆることに怒鳴り散らし厄介事を量産します。隣人、宅配業者や取引先とのトラブルは枚挙にいとまがありません。家族の中にあっても暴力と暴言は絶えず、幼いときから母親は嫌悪と畏怖の対象でした。常に誰かしらを敵に回すことでしか自分を保てず、最後は泣きわめいて八つ当たりを繰り返す人でした。機械音痴だったのが救いでしょう。彼女はスマホやPCどころか自身のケータイ電話すらもっていませんでした。仮にスマホを扱えたとしたらツイッターやらでどんなことを書いたかわかりません。
そんな母も亡くなりました。
一番最後に家族が聞いた言葉は「来てくれてありがとう」だったそうです。数すくない面会の中で唯一話せたのはそれだけだったとか。そもそも、4月以降の入院生活の多くで彼女は心を閉ざしていたようです。閉鎖病棟という空間が耐えられなかったのかもしれません。彼女自身が介護状態になってから父への依存がマックスになっていたこともあり、父に会えず家族の顔を見れない寂しさが彼女を内向的にしていったのでしょう。だから面会時に言葉を話したことに周りの看護師が驚いた、と聞きます。おしゃべりだった母親がおとなしく心を閉ざすということはよほど病院の生活が心を折るに充分だったに違いありません。
父はそれを後悔しているようです。
葬儀は直葬でした。リーズナブルで早いというそれだけの理由でしたがコロナ禍では最善の方法だと思います。母親の親戚縁者数名と私の家族だけで執り行いました。
葬式自体は何度か経験があるものの、直葬は初めてです。住職もなく火葬場に直接集まって遺体を焼いて納骨するだけというもので、移動時間を除けば1時間半で終わりました。
従来型のように通夜と告別式を執り行うことが悪いとは思いません。故人を悼む人の多さや気持ちの整理をつけるために必要な儀式もありますから。
高くとも50万せず、極めて簡易的でスピーディ。遺族の負担が本当に少ないのです。
なぜ喪主が大勢の人の前で挨拶をしなければならないのか。多くの時間とお金をかけて悲しみと疲れをふくらませる必要があるのか。ほとんど交流のない親戚や会社の人々に頭を下げなければいけないのか。お坊さんの固いお話。。。
それらをすべて省くだけでここまで楽になれるのかと感動しました。いままでの葬式は何だったのでしょう。
コロナは多くのものを奪いましたが、葬式に対する考えを改める機会をくれたことだけはメリットと受け取っています。
さて、旅立ちのあと家族と合流していくつかわかったことがあります。
母親はいくつか不動産を持っているのですが、その一つが少々どころかかなり厄介な物件だということ。保険嫌いだったのにいくつか保険に入っていたこと。預貯金はそこそこあるのですが、額よりその中身についてここで書くことが憚られるものであること。デパートの預け金が結構な額になること。そして、母親が成人後に殆ど健康診断等を受けていなかったということ。
母親が病院を嫌っているのはわかっていましたが、健康診断そのものをまともにしていないのは驚きです。歯もぼろぼろだったので長く歯医者にも行っていなかったのでしょう。
思えば母親の数々の病気は、去年の夏に倒れてからようやくわかったものですばかりです。糖尿病やガンなど、本当は健康診断で発覚するものばかりです。少なくとも献血でいいからしておけばなんらかの予兆を見て取れたかもしれません。
恐らく長いあいだ健康上の不安を抱えていたと思います。でもそれを認めずに騙し騙し過ごしていた結果がこれです。
さらに病気がわかっても頑なに医者を信用せずかなり説得が難しかったと聞きます。
自分の家族が崩壊寸前だった記憶が強いがために、幸せな家族という存在が実感できないのが本音です。配偶者の実家にお邪魔したとき、リビングに家族との写真が所狭しに飾ってあったのはかなり印象的でした。そうやって家族と記念写真を撮って飾っておく習慣が失われた家庭でしたから。実家で目につく写真といえば、唯一仏間くらいにしかありません。本当は以前にもありましたが引越しの際に殆どなくなってしまいました。
今一番不甲斐ないのは、遺産や死後の手続きの諸々を実家の家族に任せっきりだということでしょうか。でも多くがオートメーション化されているのでかなり手続きは簡単とのこと。いい時代ですね。
遺産の整理がついたら第2編を書くかもしれません。
家族には理解されず、なぜ仕事を辞めたと責められた。友人にも相談できなかった。
人をどう頼ったらいいのか分からない。誰も信じられない。
食事を摂ることも風呂に入ることもままならず一日中泣きながら布団に籠っていたが、多少は回復したようで、食事を作ったり散歩をするほどの元気は出てきた。
誰かの話を聴いていたいし、社会に触れていたい。
しかしテレビやラジオはノイズが多すぎて、すぐに拒絶してしまった。
時間を持て余しているので漫画アニメゲーム映画小説等のコンテンツを手に取ってみたが、物語がまるで頭に入らない。
薬漬けの脳は考えることをすっかりやめていた。
何気なくYouTubeを開いた時に目に留まり、今までは興味を持たなかったVtuberの動画を見始めた。
Vtuberと言ったら美少女のイメージだったけれど、それは人の形をしていなかった。
人間だけど人間ではない存在は心への負担が少なく、食事さえ拒否をしていた脳にもするりと入ってきた。
負の感情以外をすっかり忘れ去っていたけれど、配信を見ているうちにいつしか笑うことを思い出した。
その親しみやすさは時に弊害ともなるけれど、Vtuberは二次元のフィルターを通すことで発信された情報をまろやかに届けてくれる。ごく稀だが、コミュニケーションをとる事もできる。
前に、「選手に石投げたい気分」とか言ってるブコメに★がついてるの見て一気に不快になった。
こんなコメント書くやつも★いれるやつもどうかしてるよ。
それまでは、はてブ民はヤフコメとかまとめサイトの住人なんかよりよほど理性的だと思ってたけど、オリンピック関連に関しては脊髄反射的にネガコメ入れてるように見える。
無観客でやって感染の懸念もないし選手も5年間の苦労が報われるのに、何考えてんだよ。
今日の遅咲きだった大橋選手の金メダルだって素晴らしかったよ!
スケボーの堀米選手の金メダルのおかげで、日本でもスケボーが流行るかもしれない!
体操の内村選手だって、残念だったけど相当な覚悟をもって臨んだんだよ。
そんな選手たちに石を投げたいのかよ。
せっかく感動したのにはてブ見るたびにグチグチとネガコメ並んでて気分が冷める。
開催に反対するのは自由だよ。
でも開催されて日本人も世界の選手も頑張ってるんだから、主義主張を貫くことより柔軟に頭を切り替えて全力で応援しようよ。
【追記】
感染がまた増えてる原因はオリンピック開催を決めた政府でも、オリンピックそのものでもない。
医療従事者が大変なのもそいつらのせいなのに、そいつらのことは棚に上げてオリンピック憎しで負の感情をぶつけるのはお門違い。
だったら観客入れてる野球とか一部の音楽ライブの方がよほど責められるべきなんだが?
【追記2】
オリンピックが外出の原因になってるって言ってるやつ。
オリンピックの開会式場外ガヤ→約5200人(出展:ヤフーニュース)
全然桁が違うんですけど?
なんで野球は叩かないんですか?
おはようございます。野良兎というものです。かつて着ぐるみでの仮装を楽しんでいた生き物です。
今日はけじめとして、二次創作が嫌いになるまでの経緯を残しておこうと思います。
僕は着ぐるみというものが好きで、それが性癖と言える程度の存在です。どういう着ぐるみか想像つかない方は「着ぐるみ 美少女」などのキーワードで検索してください。
同時に、小説家と名乗るにはおこがましい程度の物書きをさせて頂いております。
僕は以前、twitterでオリジナルキャラクター(以下A子)の着ぐるみを活動させるアカウントを運営しておりました。お面自体は某工房製で、そちらや各所で多少迷惑をかけながら運営していたことを覚えています。
そんなある日、お面を作って頂いた工房から、イベントを行うので手伝ってほしいと言われました。内容としては「A子と同じ世界観で学校が舞台のオリジナルキャラクターのお面を二つ作って売りに出すから、A子に紹介役をして欲しい」とのこと。
今思えばこの時点で突っぱねるべきだったのですが、お世話になっている方だったので僕は引き受けることにしました。ただ、その時の違和感は今でも覚えています。
twitterアカウントを見れば学生ではないとすぐ分かるはずなのですが、その時は「まあ、忙しい方なので見てないんだろうな」程度に思っていました。A子はひとまず、その学校に転入させました。
それから、ステージでの脚本を考えて欲しい、自分のパートの振り付けを考えるように等、イベントまで様々な方に迷惑をかけながらそれらをこなし、イベント終了まで駆け抜けました。
そして、例のお面(以下B子、C子)が売りに出され、無事新しいオーナーを迎えることとなりました。新しい二人のオーナーもなりきりアカウントをしたいということで始めたのですが、残念ながら諸事情で間もなく三人のアカウントの活動を停止することとなります。私自身はそれからも、同人誌か何かを作るのも面白いかもしれないと思い、”B子C子二人のオーナーにその確認を取ったり”その際の構成を練ったりしながら過ごしていました。
事件の始まりは、B子の妹と名乗るキャラクター(以下妹)の着ぐるみがタイムラインに流れてきたことでした。
曰く、B子が好き過ぎて妹を作った、名前も決めた、許可も取った、とのこと。話など聞いてなどいないし、なんなら見た目とストーリーの整合性は取れてない。
その時は、キャラクター性すら全く決めていないB子のオーナーが許可を出したのだと、僕は判断しました。
許可を取ったということはほぼ公式宣言と同義。当然、構想段階だったものはすべて白紙。「先に言ってくれれば設定をどうにかできたかもしれないのに」と思いながら、僕はB子と妹のオーナーに対して負の感情を持ったまま手を引きました。
それからしばらくして、例の工房から「またイベントをするから、A子を連れて遊びに来て欲しい」と連絡がありました。お世話になっている相手なので、お邪魔しようと思ったのですが、脳裏にB子と妹のことがよぎりました。顔も見たくない相手が来る可能性があるので行くべきではない。そう思い、僕は事情を説明し断ることにしました。工房からの返事は「原作者には当然確認を取っているものだと思って返事をした、妹のオーナーはそんなに悪いヤツではないので出来たら許してやって欲しい」とのこと。
それからしばらくして、妹のオーナーから長文の謝罪メッセージが届きました。「悪気はなかった。野良兎さんの話が好きだ。ストーリーと整合性が取れていない理由は~、本当に申し訳ない、そのうえで本当に好きなので一緒に活動させて欲しい」のような内容だったと思います。
僕は勢いに押されて謝罪を受け入れ、妹オーナーと和解してイベントにお邪魔することを工房に伝えました。
その時の返事はだいたい以下のような内容でした。
「よかったね。あと、今回のイベントで前回の世界観と繋がっているキャラ二人(以下F子G子)出すから。表立ってそういう設定は出さないからいいでしょ。そんなわけでよろしく」
キレるタイミングを逃しがちな僕は、この場で何も言い返せませんでした。
イベント当日。妹オーナーはイベントスタッフらしく、僕に挨拶と手土産と謝罪を残し、慌しく駆け回っていました。
暇だった僕がぼんやりしていると、B子のオーナーを見つけました。声をかけると彼はヘラヘラしながら、
「すいません。先に言っておけばよかったんですけどね」
と。「先に言っておけば~」は俺が言うセリフであって貴方のセリフではないですよねと思いながら、「もういいよ。次からね」とあしらいました。
その日はステージを眺めて退散。新キャラに関する情報は何もありませんでした。
後日、妹オーナーやFの演者から改めて連絡があり、新キャラに関する設定を聞きました。
F子はB子の幼い頃の知り合いで、今は機械化している。G子は大企業の偉い人の娘で、交通事故により機械化。
F子はともかく、G子の関係性雑過ぎるなぁと思いながら更に切り込むと、どうやらF子の演者もB子にぞっこんらしく。
もうこれ、メアリースーみたいな夢女子と雑に用意されたモブやんけって感想しか抱けませんでした。
メアリー・スー https://ja.wikipedia.org/wiki/Mary_Sue
こんなんを同じ話に突っ込むのかと、僕は今までやってきたことを穢されたように感じました。
更に話をよく聞けば、妹オーナーは僕の話もアカウントの投稿も読んだことない状態で「話が好き」と言っていたらしく、そもそもA子やC子を殆ど知らず思考に入れていない。以上の事やその他多くの要素から、僕は妹オーナーが「イベントを荒らされたくないが為にご機嫌取りをした」という結論に至りました。
しばらくして、僕はA子に学校を退学させ、所持している面となりきりアカウントを全て処分しました。事実上のキャラクターの抹殺です。某工房製の面を視界に入れるだけで沸騰するような憎悪を感じるようになり、それに耐えられなくなったが為の苦渋の決断でした。六年間可愛がってきたキャラクターへの愛情よりも、キャラクターを都合よく使われ滅茶苦茶にされた憎悪が勝ってしまった事実は、今でも悲しく思います。
気が付けば、僕は二次創作を煙たがるようになっていました。同様に、版権もののコスプレや着ぐるみも。
理由は簡単。都合のいいキャラクターを選んで無許可で使う行為が、僕の経験とダブって見えるからです。その行為は、あなた方が犯罪者と罵り忌み嫌う無断転載と本質は何も変わらないのでは? その行為が、僕にA子を抹殺させたのでは? と。
僕も版権キャラクターの面を所持していたので、自責の念もかなりあります。すべての面を捨てたのは、そういう側面も少なからず存在します。出来ることなら抹消したい過去です。
きっと、純粋なファン活動としてコスプレや二次創作をやっている方も沢山存在するのでしょう。しかし、残念ながらもう僕の目には殆どのものがそう映らなくなりました。自分の承認欲や性欲を満たす道具としてキャラクターが無断で使われているように見えています。最早『異常者』と呼んで差し支えないほど、僕は多くを憎悪し、心の平穏の為にtwitterでも沢山のものをブロックするようになっていました。二次創作に類するもののせいで、たくさんのコンテンツを嫌いになっていました。殆ど、自業自得なのかもしれませんが。
ここまで恨みつらみを重ねてきましたが、別に「二次創作をやめろ」という気はありません。きっと権利も何もありません。
僕が言いたいのは「時々は、自分のやっていることを振り返ってみて欲しい」ということです。
本来二次創作は、公式に見つかっていないからか、公式が見て見ぬふりをしているから存在できるコンテンツです。
言い方を変えれば「公式が引き金を引けば、二次創作者の頭はいつでも合法的に吹っ飛ぶ」ということになります。
二次創作、あるいはそれに近い自称ファン活動をしている方々は、自分が殺されるかもしれないと考えたことがありますか? 自分の行動で誰かを殺してしまうかもしれないと考えたことがありますか? これはタチの悪い冗談でも脅迫でもないと、僕は考えます。
きっと僕を大袈裟だと嘲笑する方もいらっしゃるでしょう。しかし事実、娘のように可愛がっていたキャラクターを自分の手で抹殺するまで、僕は彼らと同じ思想に追い詰められました。
貴方は、本当にファン活動をしていますか? 貴方は第三者から、ファン活動をしているように見えていますか?
僕のような異常者を再び生まない為にも、たまにはそういうことを考えてもいいと思います。誰かの為に、或いは自分の身の安全の為に。
なんか当時のことを思い出してしまうな
盗用されたって思考は極論だと思うけど、その過程にある嫉妬とか努力じゃどうにもならない壁とか承認欲求不満とか、容疑者側にちょっと同情してしまった自分がいた
だから藤野が「私が殺した」って言ったとき、作中では引きこもってた彼女を外に出したことが原因とされてたけど、藤野はそもそも京本に嫉妬してたわけで、私が殺したってセリフが自分が当時抱いてた感情とリンクした
正確には、自分も殺していた可能性があったかもしれない、という思いだが
藤野の方は最終的に、自分の絵で喜んでくれる人のために負の感情とか絵を描くという途方もない作業を受け入れたみたいだけど、そういう風に良い方向へ向かえずにいる人間は無数にいるんだろうなって思った