はてなキーワード: 調子とは
まあ現状認識としては(確固たる根拠はないものの)遠からずだと思うんだ。
野球のピッチャーやゴルフ選手がなることがある「イップス」にも似ている。そこまでひどくはないものの。
抜け出すのは簡単ではないのかも知れない。
ただ気にしないようにする、肩の力抜く、だけで良い方に転がりだす可能性もあるし、そんなんじゃ効き目ない可能性もある。
深刻な脳の病気としてのいわゆる精神病とは違うだろうけど、メンクリに相談するのは逆にアリだと思う。例えばだけど安定剤の頓服持っとけばお守りになるだろう。
大原則として「困難は分割せよ」ということがある。別の表現では「スモールステップを設定せよ」
つまり一度にあれもこれもとか、一気に何かを成し遂げようではなく、緩めの目標を設定していこうということ。
テンパった時に深呼吸できたらその日は自分にハナマルあげましょう、みたいなしょーもないやつ。
「以前はあれもこれも完璧にできてたのに、どうにか100%に戻さなきゃ」とか思い詰めると結局「大き過ぎるステップ」を置くことになる。まあまあぼちぼちまで戻せれば生きていくには十分だろ、以前だってそこまで切れ者だったわけでなし…という“意識の低さ”が重要だろう。
あと困り気味の現状をわりとダダ漏れに周囲に(あるいは信頼できる人に)開示しておくのもいいのかも。精神的に鎧をしっかり着込んで身を固めるのは本来いいことのはずなんだけど、それが逆効果になる場合がある。
まあ調子に乗って素人のくせに知ったふうなことを述べてしまったが、自己責任で部分的に参考にするなり笑って読み捨てるなりして貰えれば。
いい方向に転がればいいですな
○ご飯
朝:バナナ。昼:袋ラーメン。夜:納豆オクラ沢庵梅干しごはん。間食:柿の種、チョコ、アイス。
○調子
むきゅーはややー。おしごとはおやすー。
○ポケットモンスター金(モンボを投げずにNPCからもらえて親が自分になるポケモン旅)
赤緑6週もして満足したので次は金銀世代。
今日はハヤト倒したところまで
なんか色々始まったので色々してた。
新しいTSローテーション開幕、メタデッキを一通りさわったんだけど、どれも難しいな……
近代シャドバは「盤面を取りこぼす」ことが滅多にないから、相手も自分もそれを見越して動くんだけど、このシーズンは全然盤面が残るから感覚が全然違って難しい。
大局観がいらない軽くて早いデッキ使った方が楽しそうだけど、どうだろうなあ。
接続が切れたら毎回、コントロールパネルを開いてペアリングしなおさないと接続されない。
これはやってられんわってなって、USBにレシーバーを刺すタイプのをAmazonに注文したら、急にbluetoothのやつが普通に使えるようになったわ。
前編はコチラ
https://anond.hatelabo.jp/20240901181941
スポニチがスッパ抜いて失笑を誘った。池袋の裏手で聴衆もほぼ無くビールケースに乗って面白カルト候補応援する姿が写真掲載され面白画像として出回った。
元記事は削除されてこれくらいしか残っていない。https://matomame.jp/user/20yama20/86adf5030479d91ccee5#9c0b66168507bff3b75a
日本解放第二期工作要綱とは1972年に日本の右翼活動家によって中国にて発見されたとされる、中共による日本赤化の工作の指針文書。要するに中国版の32年テーゼだ。因みに1972年は田中角栄による日中国交正常化があった年だ。それに伴って国府(台湾政府)とは断交した。
32年テーゼというのはコミンテルンが1932年に定めた日本共産党の革命指針の綱領で、日本は2段階革命のどこの段階かの判断に始まり、天皇制の打倒、小作の廃止、7時間労働などを定めていた。後半の2つは奇しくもGHQが実現している。
日本解放第二期工作要綱は、この32年テーゼと同じものを中共が作っていた!とするものだ。だから日中が国交を樹立すると共産主義になるぞ!と。
だがコミンテルンと中共の立場は全線違うからそんなもんはあり得ないし、そもそも効果が無い。日共は過去はコミンテルンの下部組織だったが中共とそういう関係であった事は無い。
しかも右翼活動家が偶然発見しただけで、他にはその文書を見たものは居ない。という事で、これは嘘だと考えられている。
もう一つの文脈が、西尾幹二が2007年頃?に発表したコミンテルン史観で、これが受容されるうちにドンドンとトンデモ化して行った。
例えば、満州事変はコミンテルンが画策した、日米開戦はコミンテルンの策略、GHQはコミンテルンだった!、などなど。杉田水脈は「コミンテルンは今も存在しその活動が活発になっている!」と言っている。大企業や学者や中央官庁で経歴をいくら積んでも比例代表制で党の票は回して貰えないが、コミンテルンが生きてると言うと比例上位に就けて貰えるのだな。あれもこれもコミンテルン!と仲間内で「議論」(陰謀論)を活発に言い合うと、コミンテルンの活動が活発になった事になるのだ。
田母神幕僚長がこのコミンテルン史観を論文で開陳して馘首された。
このコミンテルン大流行の後に小池はこれに引っかかっているのである。杉田水脈と小池が同じ程度と思う人は少なかろうが、少なくとも同じ程度だった事はあったという事だ。
最初は自民党に叛旗を翻して離党し反都議会自民議連を旗印にしたので初登庁には音喜多ら都議二人以外がお迎えをしないアウエイ状態であった。
しかし希望の塾を発足するとそんなコアの2人には発言権はロクに無くて議席の無い野田秘書が全部仕切るパシリ状態。
またこの頃の野田は歌舞伎町で豪遊している所を週刊誌に撮られている。
市ヶ谷商業高は牛込柳町近くの新宿区矢来町にあったが廃校になり、土地活用方を探していた。当地は人口減少が続く都心の坂と狭隘路の中にある土地で、高層ビルなどへの転用が難しい。また住宅街の奥にあってランドマーク的な使い方も無理がある。
そこで舛添は韓国を訪問した際に韓国人学校への転用の約束をしてきた。これに右派は大反対して反舛添の声を上げた。
舛添が金の問題で失脚して小池が都知事に就任するとこれを反故に。
これも極右ゴロとの付合いが影響していると思われる。
それでは転用方の代案は?と問われた小池は当時問題になっていた保育園に転用すると答えた。
だがこれは相当トンデモな解答で、保育園は電車で行くものではない。更に柳町は渋滞の名所で朝夕に送り迎えするのは困難だ。しかも付近は人口減少地帯で、保育園の立地としては完全に不適だ。また保育園としては施設が大きすぎる。
故に当地の保育園転用は考慮もされず放置状態となっていた。最近になって、付近の中学校の建て直しに伴い新宿区が特養ホームを建てる計画を立て、ようやく土地活用が進みつつある。
小池は元々リベラルだった。また、芦屋出身の兵庫民で選挙区も兵庫だったが、郵政選挙で小泉政権の刺客として東京10区に飛ばされた落下傘候補である。
つまり風や波に乗って立場を変えてきた人物であって、思想史とか戦後政治史とか全然頭に入っていない。戦後政治史というのは自民党史でもある。
一方、小池都知事と都民ファという潮流に乗ろうとした前原誠司は逆に90年代の保守のエリートみたいな経歴を持つ。松下政経塾にも行っていて、更に京大の高坂正堯ゼミ出身だ。高坂正堯門下生という事は、猪木正道や戸部良一らの防衛大校長らの系譜でもあり、それはオールドリベラリズムとリアリズムの系譜でもあるという事である。吉田茂の海洋国家論にも影響を受けているし憲法九条問題も、その護持は日米安保との合わせ技で安全保障と経済発展の安定土壌を手に入れる吉田らの施策と理解している。その結果、戦後日本は常軌を逸した経済発展を遂げ、戦争に負けたのに極東の中心となった。
国際的な立場が上がったので安全保障の美味しいトコ取りは出来ないというのが当時の課題であっし、9条改正問題はその為のものであった。
しかし小林よしのりブーム以後の保守論壇というのはバカが出来る人をパージする場となってしまい、9条は亡国の策略とかGHQはコミンテルンだとか言うのがまかり通ってしまう。
前原は焦っていたのだろう。自分が確りとした思想的地盤にのっているのにポピュリズムに駆逐されてその地盤が無くなり、保守政治との接点が無くなってしまった。一方、コミンテルンが未だに活動盛んと言えば政治的に重用される。
そこでポピュリストの権化である小池に接近して合流する事で党勢を伸ばせると考えた。
ところが調子に乗りすぎた小池は「排除します」発言をしてしまう。前原はこれを説得できると思ったようだが、何せ前提の知識や経験が違う。小池の「保守思想」の全てがネトウヨっぽい天ぷらだとは考えていなかったようだ。しかしそこに至るまでの経緯を見れば天ぷらというのは明らかだ。
その後希望の党は大敗して党勢ほぼゼロとなってしまう。ずっと時代の風と波に乗ってやってきた小池にとってここを起点にマスコミのバッシングが始まり7つのゼロも含めて問題にされ一つ一つの発言や施策の根拠をガチ詰めされる流れになるというのは恐怖だったのではないかと思う。
そこでそれまでのイデオロギー的振舞いは全部止めた、というところじゃないか?ずっとその後は本当に大人しくしていた。
2020年にコロナが流行し、当初安倍総理が甘く見て放置し、国民の怒りが上がってきた辺りで感染防御に切り替えた。この流れに乗って「3密」や移動抑制を呼びかけたところ、ポピュリストの才能がいい方向に作用して過去のヘマは忘れられて今に至る。
ひとつのノートの中に自分の精神を集約するという考えがしばしば私の心を捉える。私の注意力は散漫であり、精神活動の成果をただ生活の諸場面に撒き散らして終わってしまう。だがそれを一か所に押しとどめることができれば、そこに何か、私の精神の輝きと呼べるようなものが見えてくるのではないか、と期待するのである。
瞑想がその役割を果たしてくれればよいのにと思う。だがこうして左手で文章を書くことのほうが、はるかに強く光を集める。(注:この文章は紙のノートに利き手でない手で書いた文章を転記したものである)
瞑想によって心を集中させるには、私は自分に甘すぎるのかもしれない。単にコツが掴めていないだけかもしれないが。
これからの自分の人生に何一つ希望が持てていない。希望というか、楽しみにしていることがない。またそのような対象ができるとも思えない。というのは、未来において何かが得られることを心待ちにするという心理状態が、もはや私においては不可能と感じられるからだ。
つまりこういうことだ。手を尽くして欲しいものを掴み取ったとする。すると私は「手を尽くしたのでこれは当然のことだ。起こるべきことが起こっただけだ」と思うだろう。そこには高揚感や達成感はなく、自明な疲労感が残されるだけである。では苦労なく手に入れたとしたらどうか。その場合は「ただそのようになっただけだ。私の人生とは関係がない」と思うだろう。
要するに、私は非常に疲れやすいので、達成の小さな喜びは、達成に至るまでの労力に打ち消されてしまい、かといって単なる幸運を自分の手柄とも思えない、ということである。
そもそも達成したい事柄が自分にはほとんど存在しないのである。物質的成功はもはや煩わしいものとなっている。もちろん私は虚栄心にまみれた人間だから、ちょっとした成功でしばしば調子に乗ってしまう。そしてしばらくして我に返り、みじめな気分になるのだ。それは、その時の喜びが、純粋に虚栄心に由来するのであって、自分の本当の望みとは関係ないことを知るからだ。何かが上手くいくたびにそれがわかるのだ。
この記述自体が虚栄心によるのであって、私は自己認識に失敗している、と思う。
仮に努力の末に二兆円の資産を得たとしよう(自己認識の上では、別にそれが欲しいわけではないが)。私は喜ぶだろうか?働く必要がなくなり、時間的自由を得られたことを自分はポジティブに評価するだろうとは思う。つまり少し安心するだろうということだ。
私にとって物質的成功とは、物質的苦痛を減らす方法に過ぎない。苦痛は少ないに越したことはないが、耐えれば済む話でもある。快適に生きて快適に死んだとして、それをよい人生とは思えない。その意味で、快も苦痛も大差ないと考えている。
私は異常に理想が高いのだ。あるいは、私の理想は、現代社会で一般的なそれとは位相が異なっている。これは宗教的な感情である。
もちろん、物質的快楽よりも宗教的崇高さのほうが格上だから、と私の虚栄心がささやいているだけという可能性は否めない。というかたぶんそうなのだろう。自分のやる気の無さにもっともらしい説明を与えているだけだ。
異様な無気力。これだけが真実である。しかしそれが真実であるなら、私の人生の目的が形而上学的位相にのみ存在しうる(しないかもしれないが)、ということもまた真実ではないか?
「無気力は治療できる」という通念が、社会の物質的傾向を強化しているのだ。物質的傾向というのはここでは精神的位相を無視する傾向性のことを意味している。「我々に迎合しないのは甘えである。なぜならその手段は常に準備されているのだから」というわけだ。コンサータを飲んで労働にいそしまないのは甘えである。
勇気をもって NO を突き返そう。だがその NO が具体的にどのような形をとるのか分からないから困っている、と言える。出家か?だがこの道も物質世界に吸収されて久しい。
○ご飯
朝:なし。昼:袋ラーメン。夜:マクド(ダブルチーズバーガーのパティ2倍、てりやき、ベーコンレタス、ポテトL、オレンジジュース)。間食:柿の種、チョコ、アイス。
○調子
むきゅーはややー。おしごとはおやすー。
眠いっす。
まあゴムーン溜まったと前向きに捉えておこう。
○ご飯
朝:サラダ。昼:サンドイッチ。スープ。夜:サイゼ(白ワイン大、小エビのサラダ、青豆、エスカルゴ、ペペロンチーノ、粉チーズ)。間食:アイス。
○調子
むきゅーはややー。おしごとはむむむー。
洗濯は夫、掃除は妻、みたいな家事一つ一つに対してどちらが主に担当するか決めるのではなく、夫も妻も全ての家事育児を基本的にできるようにするのが現実的な解だと思われる。
なぜかというと、役割分担を事前に決めておくのはかなり難しいことだからだ。プレイヤーは2人しかいないのでどちらかが大変な時はすぐ代役の出番になるし、子育てだけでなく育児中の家事はそれまでの家事とは違ってきて、全体的にタスクの負荷やピーク量の予想がしづらい。
なので、役割分担という線引きが良い意味で使われるつまりお互いの自発を引き出すというより、悪い意味で自分の領域ではないから相手が大変でも手伝わない、という働きが強くなる。
一緒にやると効率が悪そうだが、意外とやりやすい。実際に測ったことがないからわからないが、体感的に2人でやると半分以下の時間で済む作業は結構多い。連携することで短縮できるものがある。ただそれ以上に夫婦で同じ時間を共有している、協力しているということが心理的にかなり効いてくる。自分と妻ともに相手が何かしてるのに自分だけゆっくりするのは気が引けるっていう性格だからかもしれないが。
この体制は妻が働いている時も専業の時も同じ体制だった。このやり方は妻が専業の時に自分に負担感が大きいと感じたが、うちの場合妻のメンタルは一家の調子のバロメーターなので、甘んじて受け入れることにした。
第二子が生まれた時に妻が大出血をして3ヶ月ほど調子が出なかったり、妻がノロにかかったり、頻繁に子供が入院したが、この体制は結構ロバスト性を発揮した。有給を消費しまくったが、うまく乗り切ることができた。
<追記:予想以上に伸びて困惑しています。コメントにお答えさせていただきます。>
とりとめなくいろいろ書いてしまいましたが五郎さんが質問にまともに答えてくれないように見えたことなど
じつは質問云々は言いたいことの一番ではなくて(もっといえばどうでもいい)、文中にもあるとおり、
私は誰かがバカにされている姿を見るのがどうも苦手になってしまったみたいだなあって話です。
その過程で、このチャンネルの「質問者をバカにするスタイル」に対して多少批判めいた内容になってしまっただけです。
・まともに答えようとしないの件については文中に追記しました。>まともに答えてるけど
・この切り抜きチャンネルは公認であり、たまたま見ただけです。本編も見ています。>切り抜き動画は常に信用するに値しない
・題名は何となくです。別に批判とかじゃないです。書いてあるとおり「悲しくなった」だけです。>「某」とタイトルで書いておきながら
・もちろん見ましたよー。語弊があったようなので追記しておきますね。>マグリットは少し前に同チャンネルで取り上げていたよ
・別にムカついてるわけじゃないです。書いてあるとおり「悲しくなった」だけです。>増田のムカつきどころがわからん
<以下本文>
https://www.youtube.com/watch?v=0jBFi5zGuJs
1年前の切り抜き動画で申し訳ないけど、たまたま山田五郎さんのYoutube動画を見てたらさ。
「”作品はすばらしいけど人間的にはクズ”という芸術家は過去にたくさんいましたが、
現在、そういった破天荒な芸術家は絶滅してしまったんでしょうか?」
みたいな質問に五郎さんが答えてたんだけど、これが、なんというか、終始、相手を一笑に付しているというか、
ずっと相手をうっすらバカにしながら「芸術家以外にもクズはいるだろ!」とかいうストローマン論法でもって
なんか、つい最近、自動車運転免許のクソ問題が話題になったじゃん。
そんとき「AはBである」は決して「AだけがBである」を意味しないってコメントついてたけどまさにそれ。
この質問者は「芸術家だけがクズ」なんて一言も言ってないのに五郎さんはなぜかそこに執着して
ひたすら「芸術家=破天荒ってのは偏見だ!」という主張を、半笑いしながら繰り返すのみ。
(追記:ブコメで指摘あったけどまったく答えてないとは言ってません。1割2割の話なんじゃないのと答えてくれてはいます。言い訳すると、この質問者はおそらくそのような一般論ではなくて五郎さんの個人的なもっとおもしろい見解や、具体的なエピソードを挙げてほしかったんじゃないかと勝手に思って、「まともに答えようとしない」と書いてしまいました。そこは訂正します」)
まあ、もともとこのチャンネルはワダさんっていう天然系キャラのお姉さんがアシスタントしててさ、
何もわからない役のその子に五郎さんが西洋美術史を教えるっていう体裁でやってきたチャンネルだから
彼の「おまえ、そんなことも知らないのかwww」っていう相手をバカにするスタイルは定番というか、
最初からなんだけどさ。そのスタイルを質問してきた一般の視聴者にも適用しちゃってることに対して、
なんだか、ものすごく共感性羞恥(バカにされバージョン)みたいな感情が湧いてくるんよ。
「そんなイメージがあるのはこのチャンネルの影響かもしれない。なぜなら破天荒な芸術家ばかり取り上げてるから」
と彼なりに主張を軟化させたかと思いきや「そういった意味でマグリットを取り上げないのは話すことないから」
「彼はまじめな人間だし作品も見たまんまなので」と、意味不明な論理でマグリット作品を切り捨て始めるんだよね。
五郎さんくらいの人間がマグリットや彼の作品をおもしろおかしく語れないはずがないので(追記 実際、今年の6月にやっています)
ああ、このひとは今主張してることを補強するためだけにこんなこと言っちゃうんだなあって、ものすごいガッカリしたし、
極めつけは5:15あたりにポロッと出た「だってマグリットは銀行員みたいな暮らししている人なんだもん」という言葉。
おいおい。とうとう馬脚を現してんじゃん!
自分は銀行員に対して思いっきり「まじめ」って偏見もってるんかいwww
こんな調子で終始言ってることはめちゃくちゃで、しかも質問者に対してあまりにもボロカスいうもんだから
アシスタントやスタッフがひたすら質問を言い換えたりフォローしまくってるんだけど、五郎さんはぜんぜんとまらないわけ。
挙句の果ては11:08あたりで、スタッフの「芸能界なら炎上したら仕事なくなるけど芸術家ならまだいけるんですか」
という角度をかえた質問にして、思いっきり噴飯しながら「何言ってるの!?」とあざけり倒すシーン。
「そんなもんいけるだろ。作品買ってくれればいいんだから」と、またおかしなことを言い出す始末で。
あのですね。このスタッフさんは「芸術家も炎上したら仕事なくなるのか」と聞いたわけですよね。
それに対して「炎上したって仕事があれば大丈夫」って。答えになってませんよね!?
それなのにアシスタントもスタッフも「なるほどー」とかいって全肯定しちゃってるの。
なんかもう裸の王様みたいで、見てて悲しくなってきちゃった。。。
発達障害のやつ、好きやけどほんまに嫌いやわ
常識ないし、自分のことばっかりやし、大した能力ないのに自分のこと特別と思い込んでるし、自意識過剰やし、八方美人やし、気持ち悪いねんな
で生きるの苦しそうにしてるし、自業自得やろ。
大人やのに成長してないんやろな
それを悪びれもないねんな なぜかそれを正当化できないのにしようとして乖離と矛盾が生まれて気持ち悪いだけの生物になってる自覚がない。
顔も整形がないとどうしようもないのに
整形のおかげでまともになって 図に乗る
見た目は大人、頭脳は子ども その名も発達障害 ガイジ この自覚がない時点で病気
劣ってるって自覚してそれを乗り越えようとする努力が美しくてその結果が賜物である
何もできないどころか落ちこぼれの分際で
ありのままの自分を他人に受け入れさせようとしたり、迷惑極まりないよ
ちゃんとしようとしてる人も沢山見てきたし
好きやけどって書いてある。
ただ8割が性根腐ってる 先天性以外の部分
後天的にどうにでもなる部分や何でも発達のせいにしたり、発達障害と思ってない私は普通ですみたいな顔して他人傷つけたり、生き様の話
それを正当化しようとしてる時点で
虚言癖やから嫌いやねんな。
すぐ空気入れて話膨らますし あと自分がガイジって自覚してない所もうざいねんな 2択やろ
産後ほったらかしおじさんの記事をきっかけに、子どもが産まれる時、産まれた後の数年の行動が、その後の結婚生活にもあとを引くぞ、みたいな話が出てきて、その流れで産後夫はどうすると良いのか?という話が盛んにされてる気がしてる。
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上の子が生後半年の頃、ワイフが産後うつになったので、専業主夫を交代して半年子どもを見た。夜は眠れず子どもの調子でいつ終わるか分からない世話をやり続ける。仕事で言えば超我儘顧客を抱える個人事業主って感じ
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こんなコメントを書いたら、そこそこ反応があった。
ここに関して、僕は男性にしては珍しく、生後半年の子どもを1歳になるまでの半年間、専業主夫としてみてきた経験があるので、他の女性/男性とは違った目線でコメントできるかと思う。
・どうして生後半年の子どもを専業主夫として見ることになったのか?
これは、ワイフが生後半年のタイミングで、明らかに産後うつな症状になり、様子がおかしかったから。
当時、僕自身、できるだけ子どもを見ているつもりだったが、子どもが産まれたくらいのタイミングで、ちょうど仕事が滅茶苦茶忙しくなり、家に帰りが21時を超えることもしばしばあった。
デスマなプロジェクトみながら、可能な限り子どもの面倒を見るのには、正直限界があり、当時は自分自身で一生懸命みているつもりだったが、あくまでも仕事や日々の疲れの隙間で、ワイフの手伝いをするのがせいぜいだったように思う。
生後半年でワイフが産後うつ、と書いたが、実際には僕自身の仕事がやっと落ち着き始めたタイミングで、周りを少し見渡せる余裕ができ、異変に気付いたから本当におかしかったのはいつからかは分からない。
産後うつに気付いて何か手を打たなければ、と思い、実家に助けを求めることも考えた。
ワイフの実家は遠く両親のパワーは足りず僕らを助けるほど余裕はない。僕の実家は近く親は保育士で子どもに慣れてる。
それを考えると、僕の親に協力を求めるのが現実的だったが、実際にそれをやってしまった場合、ワイフと僕、僕の実家との将来的な揉め事の火種になりそうな雰囲気をビンビンに感じた。
この状況下で、両方どうにかするの、もう無理やろ、って感じになった。
何かを諦めるしかない。
デスマプロジェクト、ちょうど落ち着いたし、もう良いやろ……頑張れる気はもうしなかった。
僕自身、うつの症状は出てるのは自覚してたので、心療内科に行ったら、あっさり診断書をもらい、それで休むことにした。
世の中で言われてるようなキラキラとした育児のための育休でなく、完全なる精神疾患による休みである。
しかし、これで家のことだけをやれる状況は作ることができた。
最初の2週間は、僕自身、実際にうつで診断書もらっただけあって、やる気が出ず、まともに動けなかった。
3週目あたりから、少しずつ家のことをやり始められるようになり、それを続けていたのだが、ワイフの調子が良くならなかった。
僕が何をやっても、ワイフは「私がやらなければ……」という強い強迫観念で落ち着かず一向に休まることがなかった。
家にいて僕の家事や育児を見てるから気になって落ち着かないのだ、ということになり、ワイフにはなんでも良いから昼間の間、外で働いてもらうことをお願いした。
ワイフ本人が落ち着かない、というのもあるが、急遽休職したので、経済的に助けてもらうと大いに助かる、というのもあった。
ワイフが仕事を見つけて、働き始めたことで、生後半年の息子を育てながらの専業主夫生活がはじまったわけである。
・本当はここまでが前置きで、ここからコメント書こうと思ったのだが、ここまでで、力尽きてしまった………
なので、ここからは適当に短めに。もしリクエストなどがあれば、別途。
手伝いとそうでないのには、大きな隔たりがある。
単純に休みや睡眠が自分の意思や計画通りに決まることがほぼないので、蓄積された疲れがボディーブローのように効く。
手伝いには、この疲れの蓄積が無いので、手伝いだけで全てを知った気になって、簡単な仕事だと揶揄するのは、仕事だけみて自分を見ていないのだ、と相手に勘付かせてしまう。
仕事でいえば、平日土日24時間関係なく急に電話するから電話あったら30分以内に対応せよ、手伝いの人がやってくれる間は休んでても良いから、その代わり手伝いの人がやった失敗はちゃんとリカバリ頼むね、やったほうが良いこと駄目なことはたくさんあるから自分で良い感じにやっといてね、できなかったら君の責任だから絶対に失敗しないでね、みたいな状況。
それが続いて、こっちはピリピリしてんのに、その仕事を軽視する発言や態度、非協力的な姿勢をされたら、そりゃキレるだろう。
結婚式とかで誓いの言葉として「健やかなるときも、病めるときも……敬い、慰め合い、共に助け合い……」というのは良く言ったもので、その言葉を裏切るか否かを突きつけられる最初の場面がここなのだと感じた。
何やるか否かの前に、とんでもなく大変でつらいのだから、敬い、慰め合う、というところから、まずは始めてほしい。
猛獣どう扱うか、みたいな雰囲気のテクニック集みたいなのが出てきて、コレじゃ未婚者が結婚したくなくなる/子ども欲しくなくなるじゃん、と思った。
つらいときに、敬い、慰め合い、助け合えば、良き伴侶、良き相棒となり、前よりずっと上手くやっていけるよ。
………続きはやるかも……
村上隆が日本の現代美術は世界に通じないとかTwitterでイキってた頃に田中功起がヴェネチア・ビエンナーレで特別賞取って、
別にオタクアートとかの文脈じゃなくても日本の現代美術は世界に通じてるじゃん、てなったあたりから風向きが変わって
展覧会でスタッフへの指示書きがパワハラ剥き出しだったり、アニメ制作に失敗したり、会社が倒産しそうって言い出したあたりで地に落ちて、
お土産屋とのコラボとかはじめて経営も大変なんだなという目線になり
最近また何か目立ち始めたけど、もう過去の人だなあという印象。
結局、村上が主張する富裕層向けのアートの世界っていうのが、いつまで経っても日本からはそんなに影響力があるものとして見えてこない。
KAWSとかアーシャムとかそういうファッションブランドとコラボするような人たちの作品を指しているのかな?と思うけど、
日頃美術館に通って現代美術を見てる人には突然そんな展覧会をやられても文脈が理解できなくて価値がわからない。
そういう種類のアートもNFTとかで調子に乗った挙句最近はバブルが弾けて落ち目になったと聞く。
今、村上隆コラボのブランド物を身につけてるお金持ちっているのだろうか。
結局彼がなりたかったような現代アーティストとしても失敗してしまったんじゃないだろうか。
○ご飯
朝:カロリーメイト。昼:サンドイッチ。サラダ。夜:人参、しめじ、ピーマン、ウインナーの和風スープ。目玉焼き。冷奴。納豆。ヨーグルト。バナナ。間食:豆乳。羊羹。
○調子
むきゅーはややー。おしごとはひままー。嵐の前の静けさ。偉い人は忙しそう。
カッツェ最終の素材集め。
来月使うデッキを選んでた。
歩きながらキョロキョロして、今日は川にサギがいるなあとか、ここ空き地になって直ちに家が建ったなとか、そういうどうでもいい細かいことに気づいて日々を楽しんでる。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2425534
こんなブコメを見た。
授業での練習課題「周囲の運転者を信頼し円滑な交通に努める」を、周囲を疑い注意深くあるべきと考え×と答えた。他にも同じ調子で答えたら教官「お前ふざけるなよ」と。全部綺麗事で答えたらOKに。未だ納得していない
この人は「周囲の運転者を信頼し」という文言を「綺麗事」と捉えたようだが、周囲の運転者への信頼は小学校の道徳の授業のような綺麗事とはちょっと違う。綺麗事、絵空事などではなく、もっと切実で現実的なものだ。
実は、この人が考えたように、周囲の運転者に全幅の信頼を寄せてはいけないことは学科で習う。交差点で信号が青だったとしても左右に注意して進行するように習うはずだ。信号無視して横から突っ込んでくるやつがいるかもしれないからだ。
でも、だからといって完全に疑心暗鬼になってしまうと、逆に円滑な交通を妨げてしまう。信号無視するやつが「必ずいる」と決め込んでしまうと、交差点のたびに一時停止して左右を確認しなければならなくなり、そんなやつは迷惑だし、すぐに誰かに追突されてしまうだろう。
大半の一般道は対面通行だが、通行区分を守らず逆走する車がいたら?と疑い始めたら、おちおちスピードを出すこともできずにずっと徐行していることになる。
交通ルールのない未開の島に自動車だけを持ち込んで島民たちに勝手に運転させたらそれに近いことになるだろうが、ルールのある交通社会はそうではない。身勝手な運転をするやつはいるが、事故の当事者になりたくないという点では全員一致しているし、だから守られるべき最低限のルールは守られる、そう信じて交通の流れに身を任せることが「周囲の交通への信頼」である。
実際の道路交通には、この信頼感を持てていない人がたまに混じる。仮免教習車や初心運転者である。
彼らは運転操作に不慣れだというばかりでなく、みんな交通ルールを守るはずだという「周囲の交通への信頼感」を自分の中に形成できていない。だから周りの動くものすべてが怖い。あらゆるものが急に自分の車の前に飛び出してきたらどうしようという恐怖と戦っている。だから運転がぎこちないのだ。上記ブクマの言う注意深さはこのようなものだ。
肉体的にももちろんつらいしそれが初めての出産であれば精神的によりつらいのは想像に難くない
でもそれって悪いけど男も同じでよく話題になる子供ができたって話をしたときに男が喜んでくれなくて最悪的な話あるけどさ
自分もそうだったからよく分かるんだけど嬉しくないわけじゃないんだよ
ただそれと同時に妻と子と家庭を背負って生きて、生かしていかなければならないっていうプレッシャーを感じて覚悟を決める時なのよ
子供が生まれたあとも仕事と両立しながら子供の面倒をできる限り見るだけじゃなくて妻のケアもしていかなきゃいけない
初めてづくしのなかで神経すり減らしながら仕事と家を両立していくことが求められ自分としても鬱憤を溜めまくってるのに
表面的には妻に優しく子育てに理解がある夫を演じて朝の3時とかに寝ない子供にブチギレる妻を尻目に
ベビービヨルンの抱っこ紐に子供を抱えて近所を散歩しながら6時になれば出社するみたいなことをしているわけよ
で周りに頭下げながら18時には仕事切り上げて妻の実家近くに引っ越して長い通勤時間を死んだ顔して吊り革掴んで帰って
「あなたは外で気分転換できていいよね」みたいな愚痴を浴びながら子供を遅めのお風呂に入れて
寝かしつけの時間が遅いっていう文句を何故か仕事して帰った自分が受けるわけよ
そんでなんでかわからんけど「主婦に休日はない」って謎理論で土日はこっちがずーーーーっと子供の面倒見るわけよ
体のダメージとかホルモンバランスを言い訳に横暴した恨みをこっちは忘れねーんだよ
子供が14歳、15歳になって法的にも自身の判断で親を選べるようになったら即離婚するからな
まだまだ10年近く先の話だからわからないけどそれで子供が母親と暮らすことを選ぶなら好きにしろよ
産後っていう言い方したのがよくなかったんだろうし
書きなぐったから赤子の頃と幼児の話も混じってるけどもう子供2歳半だよ
こっちはずっと体も削ってんだよ「体がつらい奥さんに対して心理的な負荷だけで文句言うな」みたなこと言ってるクソブクマカふざけんなよ
追追記
その他主語でか指摘ブコメさんたち申し訳ないこれは全くその通り
別に全男性が全女性に尽くしているわけでは全く無いその逆も大量にあるというかそっちのほうが多いだろう
はああああああ???
いっそのこと一人で育てるならそれはそれでいいんだよ
二人で分担しながらともに生きるはずがその負荷がこっちに寄ってる上に相手が文句たらたらなのをぐっと飲み込んで
はああああああ???
いまはn=1で男の俺が辛いって話してんだよ
それを世間の女の辛さで上書きしようとすんじゃねーよ
それやるなら辛いって悩んでる女にも同じことやれよ
はああああああ???
男が悩みを話せば「お互いに労われ」だぁ?????
こっちが労り続けてんだよ
会話が通じる相手ならこんなことになってねーんだよ
こっちの気持ちとか状況なんてとっっっっっっくに話してんだよ
その女を選んだのはお前だろ系ブコメ
返す言葉がございません
追追追記
いやーしんどいのはわかるけどやっぱり責任感が無くやらされてる感だけあるから辛さが増すんだと思うよ。自分が産み出したプロダクトを共同経営者が手伝い感覚でメンテして常に指示待ちだったら腹立つでしょっていう
はああああ?????
責任感が無い?指示待ち?
俺が家にいる時間は相手がほぼ何もしないし当然指示なんかもねーんだよ
帰ったら子供お風呂に入れて寝る準備しながらちょっと一緒に遊んで寝かしつけて
それが終わったら添い寝を相手とチェンジして片付けて掃除機使えないからクイックルかけて洗いもんして洗濯物畳んでんだよ
流石に不眠不休で仕事は続けられないから頼むから夜中泣いたらできるだけ見てくれってお願いだけかろうじてしてて
それすらブチギレ放棄するけど昔よりは夜寝てくれるようになったからまあなんとかだよ
朝だってこっちのほうがずっと早いから自分の準備は全部自分でやってるわ
で平日は相手がやらないからこっちがやってることだって土日は全部、全部、全部ちゃんとこっちでやってんだよ
何も知らずに責任感無いとか指示待ちとか言うてめーに腹が立ってしかたねーよふざけんなよボケ
自分なんかに育てさせてもらっていいんですか?ってくらいかわいいです
ただ疲れもあって面倒を見てる時間を楽しめてるかと言うと正直微妙です
でも子供にはなんの負の感情はなにもなくて本当に自分の子供として生まれてくれてありがとうしかない