はてなキーワード: 規則とは
社会的規則、モラル、マナー、そういったうんぬんかんぬんは他者なしには生きていけない人間という生き物にとって大事なものであることは重々承知しているが、あくまで人間がいるから社会ができるのであり、社会あっての人間という考えは大きな間違いである。よって今日も社会不適合者という言葉のプレッシャーと戦いながら家でのんびり夏の空を見上げる。
おそらく同じ市の同じ選挙で、他候補(現職)を応援していた(いわゆるカラス)してた増田です。
先の選挙、本当におつかれさまでした。
本文を頭から引用しながら、うちがどんな感じだったとか、雑感とか、を。
そんな仲間がいるんだ。さすが超社交スキルのある父だ。立候補者にとって選挙戦を手伝ってくれる人たちの支えなしではとてもじゃないができないだろう。それを手伝ってくれる仲間がいるのは、人徳に他ならない。
アナウンサー、ドライバー、事務所の留守番。仮に、各2人ずつ、朝から晩までで3交代だとしても、告示から投票日まで1週間で、延べ40人以上必要になる。
自分は、フリーランスなので比較的仕事に融通をきかせて手伝えた。現役を退いたおじいちゃんや、主婦の方達もいた。
けど、仕事を休んで手伝ってる人も多くいた。そういう人達を、ほぼ無償で集めなきゃいけない。(増田は、弁当と飲み物と手袋しかもらってない。)
かなりハードル高いよね。
「あんたよく帰ってきたね。もうお母さん疲れたよ。お父さんから必死のお願いがあって手伝いをしているけれど、お父さんが嫌われないようにゴミを捨てにいくにも誰かに会えば頭を下げて、会う人会う人すべての人に頭を下げてお願いしてる。選挙手伝ってくれてる人たちにも気を悪くしないように気を抜けないの。こんなことなら全力で反対すべきだったんだ。」
これもホントそう。候補者本人だけじゃなくて、家族の覚悟もめっちゃ要求される。
うちの候補の奥さんも、長年(文字通り、何年も)地域の様々なボランティアに積極的に参加していて、町のいろんなところでよく見かける。頭が下がります。
新人他候補さんが、投票日前日に、奥さんと一緒に、支援者に泣いて土下座してた。ってのも聞いたことある。これはキツい。
併設している幼稚園に隣の地区への統合による「閉園」が政策として突如として上がった。「待機児童がいる」にも関わらずだ。当然町の人々は「閉園」に賛成するものなどいなかったため「3000票」もの反対署名が集まった。すごい数である。どう考えても閉園に対して「民意」はなかったのに、議会では「賛成可決」となりわたしの母校に併設されていた幼稚園はあっけなく歴史の幕を閉じた。政治の闇というのは本当に恐ろしい。
我が家も共働きで、わが子を預ける為に「保育園」や「こども園の保育園児」枠に応募したけど、外れて途方に暮れた経験あり。
けど、「幼稚園」や「こども園の幼稚園児」枠は、比較的余ってるのでは?
市役所の公式サイトで、幼稚園の募集状況が確認できるけど、筆者さんが言及してる閉園された幼稚園は、
統合された後の幼稚園(正確には、統合後はこども園になったので、同園の幼稚園児枠)ですら、定員割れを起してる。
地元の愛着などは分かるけど、例え民意が募っても、現実として、子どもが集まらない幼稚園を閉園するのは、仕方がないことじゃないかなと。
市の財源も限られてるし。
「選挙」とは「絵空事の政策をのべる人」ではなく自分たちの声を真に届けてくれる人を、町のために本当にできることが何かを真剣に考えてくれる人を自分の目で慎重に選ぶべきなのだ。しかし今の選挙法では「真実」を見極めることは難しい点が相当にあるのも現実。
うちの候補に「立候補してなかったら、誰に投票します?」って聞いたら、少し笑いながら「投票したい人、あんまりいないなぁ。」って言われた。
どういう基準で言っているのか分からないけど、言うなれば、一番近くで市議さん達を見てきた人の言葉がこれだからね。
わが市政には、ろくな人材がいないなのか。それとも、選挙に出るような人は、やっぱ変わり者(うちの候補含む?)なのか。はたまた、皆が「政治の闇」に染まっているのか。
議会議員の立候補であれば、極限まで安く抑えれば70万円ほどに抑えられるのではないかといった予算感を持った。もちろんのことお金は使えれば使えるほど、広報にお金をかけることができるので100万円は最低かけたほうが良いというのがわたしの見解だ。
たしかに、新聞に折込広告出してる候補さんとかもいるからね(効果のほどは分からんけど)。
うちがいくらかかかったは、出納係ではなかったので、把握できなかったし、聞けなかった。
みんなが知りたいところだと思うけど、ごめんなさい。
うちの候補も、ネットは使ってないし、たしかに、周りもあんまり使ってない印象。
実際、うちの場合は、そこまでリソースが割けなかったってのもあると思う。
手伝ってくれてた人に、SNSとかが分かる人もそんなにいない感じだった。
ただ、他候補さんで、地域のお店にgoogleで星5つけまくってる人がいて、笑った。
選挙違反は程度によるけど、厳密に適用したら、多かれ少なかれ、ほぼ候補の皆さんアウトだと思う。
細かいので自分もそこまで詳しく理解しているわけじゃないけど、
公共物にポスターやのぼりつけてたり、マイク禁止の所でマイク使ってたり、認められてないビラ配ったりだとか。たくさん見かけました。
自分も、見せてもいいけど、渡してはいけないビラを使って話してたら、相手の方が持っていっちゃうことがあった。
父は社交性は抜群なのに人前で喋ることが「超」がつくほど苦手なため、自転車で市内を駆け回り、一人一人と話しながら回った。
一人一人と話す(&握手)というのは、実際は、結構効果があるから、これはそんなに悪くない手だと思う。
うちの候補も、道端に立って、いろんな人と話してた。知らない人からも、結構話しかけられたと言ってた。
ただ、自転車は危ないんだよね。
声援に応えながらで、よそ見とかしちゃうからね。小学生とか面白がって追いかけてきたりするし。
あと、「市内」ってのが、文字通り市内全域であったなら、もっと地元地域に密着してやった方がいいと思う。
うちの候補は、地元地域からほとんど出てない。選挙も、ランチェスター戦略が重要なんだと思う。
選挙カーはうるさい。それは候補者も市民もよくお分かりだろう。でもやらないわけにはいかないのだ。街宣カーでの選挙活動を嫌う候補者もいるが街宣カーを使わず独自の選挙法に走ると総じて当選率が低くなるデータがある。
選挙カー、うるさいよね。増田は、法律で禁止して欲しいと思ってるよ。
これ、候補の名前の浸透の為って言うけど、実際は、支援者の為なんだよね。
選挙カーが聞こえてくると、「○○候補、頑張ってるな。」って、一番分かりやすいからね。
車内からは、音量のほどがよく分からず、大き過ぎないか、冷や冷やしてアナウンスしてた。
けど、音量下げると、支援者からクレームが来るんだよね(^^;
「そもそも候補者との接点がない」というのが「誰に入れていいかわからない」という理由の1つになるだろう。ネットだけの情報では信用できるかなんてわからないし、そもそも仕事に疲れて関心が向かない。いかに候補者と市民の接点を作ることができるかを国として支えることができる仕組みが欲しいと思った。
「誰に入れていいかわからない」状態は、現職にとって有利な状態。
現職がルールを作っているのだから、現職有利になる流れを打破するのはなかなか難しいよね。
ただ、公開されてる市議会だよりを見ると、
この議案にだれが賛成して誰が反対したって、ちゃんと広報されてるからね。
市民側も、情報を拾いに行こうと思えば、それなりに拾えるとは思うよ。
ただ、少し話がそれるけど、
今回の市議選、現職で「議席削減」を訴えている人が何人かいたけど、
「あの人達、全然本気じゃないよ。口だけだよ。」って、うちの候補が言ってた。
まぁ、そりゃそうだよね。自分達の食い扶持だもんね。
「このままではまずい。敵対候補が応援演説に国会議員と県議会議員と市長を味方につけて行っている。うちらを潰す気だ。だけどうちは無所属だ。どこかの政党に属してしまうと政党の方針に従わなければならない。票を集めるには政党を味方につけた方がいいけど俺たちは自分たちの力で町を守りたい。悔しい。悔しいんだよ。だから明日からは演説で幼稚園問題の本質を話さないか?」
お父さんやその支援者さんは、もともと反市長でやってるんだろうから、相手は関係ないんじゃないかな。
政党候補が、同系列の県議や国会議員の応援を受けるのは、別に相手をつぶすとかじゃなく、普通のこと。
市民が困ってる声を、一番市民と接点が持てる、市議会議員が吸い上げ、市で対応できない部分は、県や国で対応するってのが政党の役割の一つだからね。
また逆に、他市や他県、都が独自でやった地域限定の政策や、上手くいった事例を、党を通じて、全国の県市町村に広めるってのもあるし。
例えば、うちの市は、UR団地の老朽化、高齢化、空室等が問題になってるけど、この問題を一市議会議員が、一人でどうにかするってのは、相当タフな仕事だと思うよ。
けど、政党を動かせば、国交大臣に直接訴えられるし、UR関係者とのミーティングも設定できるからね。(某大臣の例があるから、例えが悪かったかもだけど(^^;)
まぁ、うちの市議でずっとトップ当選してた方は、無所属ながらも、
新人時は、民主の推薦で当選して、いつの間にか自民に移って、気が付いたら県議になっちゃってたわけです。
たしかに、上手い人は、上手いんだけどね。
一方で、自民の国会議員が、選挙カーに乗って応援してた現職候補さんは、今回落ちてたけど。
夫と一緒に行う演説はいく先々で暖かい拍手が湧き上がっていた。涙をこらえるのに必死だった。こんなにも暖かい人たちがいる。応援してくれる人がいる。この時、1人の拍手が、声が、どれだけ重みがあるかを真に感じることができた。今でもこの文章を泣きながら書いている。
いやいや、無所属新人で、演説を聞いてくれる人が集まってくるっていうのは、それだけでも割とすごい。
もっと、早い段階で演説に力を入れていれば、また結果も違っていたと思います。マジで。
現職でも、どこの新人ロックバンドのライブだよ。って位に人が来ないことがあるからね。
来てるの関係者だけじゃんって(涙)
現職の演説は、実績を話すのが中心だから、報告してる風で、聞いててもつまんないのかもね。
結果は残念だったけど、無所属新人で、準備期間3ヵ月、手探りでの選挙活動で、900票ていうのは本当にすごい。
現職達は、半年以上前から準備してるからね。当選ラインの1200票、きちんと準備していれば、受かったと思います。
うちの候補も、皆から結構ダメ出しされてたし、文句も言われてた。
これから選挙戦に臨む方やお手伝いする方に知っておいてほしいのは「基本はボランティア」だということ。これは選挙上の規則でもある。これを理解せずにバイト代目当てで手伝いをすると「やってらんない」となる。手伝う側にもそれ相応の覚悟がいるのだ。
そう。手伝う方も、真剣だからね。言いたいことは言うって感じで。特に終盤になると、疲れもたまってくるし、皆ピリピリしてるよ。
うちの候補もそれが分かってるから、まぁ、大人の対応をしてたよね。候補も、めっちゃ疲れてるだろうにね。
正直、ここが一番共感した。
実際、普段はとても感じのいい人が、対立候補さんに対して、攻撃的になるのを見ると本当に悲しくなるんだよね。
政治って、全員に対して行っていくものだから、立場によって、意見が違う人が出てきてしまうのは、仕方ないんだけど、
理想を言えば、どうやって納得し合えるかを、探ることだと思うんだよね。
ある人が、「最高の勝ち方とは、相手を味方にすることだ。」って、言ってたんだけど、
最初から相手を攻撃的に捉えていたら、上手くいくわけないよなぁ。って。
人間が、お互いに分かり合いたいと思えるようには設計されてないの、何でだろうね。
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ちょっと調べてみたら、市議の中で、元の人が言及してた幼稚園に対し、廃園反対を訴えていた人が見つかった。
こういった市議さんを探して、連携していれば、廃園について、少しは市から譲歩が引き出せたかもしれないね。
もしかしたら、連携済みで、その過程で「政治の闇」を感じてしまい、自分達でやらなきゃダメだって、なったのかもしれないけど。
公職選挙法には『第六十九条 選挙人は、その開票所につき、開票の参観を求めることができる。』としか書かれてない。
なので住所を確認するのはその地区の選挙人かどうか確認するためだろう。他地区の住人だからって拒否されない場合もあるだろうが、明らかに問題を起こしそうな風体ならその時点で門前払いできる。
各選管ごとにhttps://www.town.hyogo-inami.lg.jp/reiki/act/frame/frame110000036.htmのような規則が定められている。
自治体によって異なるだろうが明確に撮影を禁止しているところはおそらく無い。報道には遠景から手元が映らないことなどを条件に撮影許可してるし。
が、「第8条 開票管理者又は選挙長は、この規程に違反し、開票所又は選挙会場の秩序をみだすおそれがあると認める者には、退場を命ずることができる。」とあるので「お願い」を聞いてくれなかった場合には合法的に退去させることができる。
http://www.city.shinjuku.lg.jp/kusei/senkyo01_002230.html新宿区選管の会議録では、撮影を禁止することも開票管理者の権限だとしている。裁判やって認められるかは知らないが。
起きたらとんでもないことになってて慌てが鬼なって精神的寿命がマッハなので、内容的にはここに全部含まれてると思うのでここだけ言及。
寝てる間についてた言及やブコメ見てたら「えっこれ系の単語ってこんな数あんの……マジで……」ってなって、流石に輸入上の事故とかじゃすまない上に何より言及されたようにスマートじゃなくてこんなたくさんの例外突っ込まれたら頭ばかになっちゃうので所感書いとく。でもマジで素人で音声/音韻方面の専門じゃないんでその辺は頼むわ。
新規に作られた言葉にまでこの現象が起こるようだと、もうこれ誤用とかじゃなくて新しいルールとして音韻論内(学問じゃなくて言語機能の方)に成立してるなーと普通に思う。
それが成立した経緯に、「似た発音の単語をたくさん輸入してしまって、ほとんどの人にはそれぞれどっちが正しいのかわからなくなってしまった」という歴史的事情と、音声学的な発音しづらさが相まって、「促音+有声破裂音+母音」の音素列に対して、「有声破裂音は無声化しても良い」っていうルールがもう出来ちゃってるなぁーって自分も普通に思った。
更に輪をかけて、functional loadの観点から言うと(音声上のある要素がどの程度その単語の識別に関わっているのかという概念)、「バックでもバッグでも通じるのでどっちでいい」みたいなブコメいくつかついてたけど、少しでもかじった身としては「よくねえわ!!!そんな単純だったら誰も苦労しねえわ!!!」ってなるけど、でも今回については確かにこれが寄与してるなーと思う。
functional loadの影響で消えたものだと最近だと半世紀くらい前に英語の短母音・長母音の区別が長さから音質(舌の位置)に変化した有名な話とか。どこの国でも国語教育に関わる奴ってのは頭がお堅いもんで、教科書には短母音と長母音というセクションがあるんだけど、生徒はみんな「はああああああ???いや、長いとか短いとかじゃなくて、別の音じゃん、それ」ってなるらしい。Pinkerが書いてた。Pinkerは研究自体自体の方はあまり評価されないけど(個人的にはかなりあの方面は正しいと思うけど)、こういう日常的な話書いてくれるから引き出すのに便利だ。流石にこのくだりどこにあったか増田で言及するために探すのは面倒なんで勘弁して。
あと日本語だと「おばさん」と「おばあさん」みたいなのはかなりの部分イントネーションで区別してるのも有名で、それぞれ逆のイントネーションで発音して自分でどう聞こえるとかもやってみると面白いよ。アワレにもこれを専門外の人が読んでたら向け。
ミッドガルでもミットガルでもエアリスが死ぬゲームの話してるのは分かるし、他の単語についても言われてみたら明らかだわなぁーってなった。
た歴史的経緯(英語の単音節語で似た単語死ぬほどあるよね……ブコメにあったけどpodとpotとか)、どっちでも通じるという光と闇の力が合わさり最強に見え、音韻論内で頭がおかしくなって区別が死んだのかもしれんね。
ただ、無声化「しなければならない」ではなくて「してもしなくてもよい」である以上、音韻規則のレベルにはまだなってなくて過渡期かな、と感じる。あと十年、下手したら今の子供がどういう規則を身につけて成長するのか凄く楽しみ。
ミッドガル/ミットガル以外に言われて一番あーって思ったのはドッヂボールとドッチボール。破擦音にまで拡大してる上に、「ドッチ」って日本人が認識するような輸入された単語は多分ないと思うので(日本語話者の形態論が外来語と和語と漢語についてかなりの程度区別を保ってるのは様々な例でよく知られているという逃げ口を使うので「どっち」は原因に考慮しない)、もうこれ輸入の失敗とかじゃねえなってなったので、現状の日本語としては普通に言及先の増田の方が正しいと思う。またメスガキに負けた。
とりあえず濁音の点について、この点は出ねぇよってなる理由はいろいろあるけど主要っぽく見えるのはこんな感じです。よしなに。単語を輸入されただけで輸入した言語に致命的な影響出たのはそれこそNorman Conquestとかがあるし、輸入上の間違いの例を知ってるからといって誘惑に負けて無理に現在の言語機能から切り離そうとするとヤクザが教壇に足乗っけて追ってくる。
※追記
この現象が起こりやすい単語と滅多に起こらない単語を追ったら少し楽しそうだと思ったけど、デバックにはバックが含まれてたり、ドラックにはラックが含まれてたり(rackとluck)、それぞれどういう原因で誤用の率が変動するのか考えるのむっちゃキツそうって思う。個人差と方言差の問題まである。いずれにしてもとりあえず、ありとあらゆる要因のせいで区別が消滅しかかっているのだろうね。
パートタイマー、アルバイト規則に則って、辞める日の1ヶ月以上前に直接の上司に退職届を出した。
結果としては受け入れてもらえなかった。
退職届受け取るだけ受け取って、お前はここでやるべきことがあるだの、今やめたらもったいない、将来の就活にも響くみたいなこと言われた。
他の増田が有名な話を書いてるけどこれは実は間違い。確かに日本語には「促音+濁音」で終わる単語は少ない、だから清音になるという説(※1)。
だけど、これには簡単に物凄い数の反例が出る。
「エッグ」のこと「エック」って言う?
「ゴッド」のこと「ゴット」って言う?
「マッドサイエンティスト」のこと「マットサイエンティスト」って言う?
こんな間違いする人1度も見たことないよね。
実のところ、この現象が起こるのって「ベッド」と「バッグ」だけなんだ。他にあるとしても、ごく一部の単語に集中する。「ビッグ→ビック」も、ビックカメラがbic cameraって社名にしたから。
実はこれは単に明治期の単語の輸入と誤用の問題なんだ。音声学的な説明は一応最後に書いとくね。
なんで「ベッド」と「バッグ」でだけこんなことが起きるのさ、ってのは、明治期の日本がドイツからかなりの単語を輸入してたのに由来する。
「ベット」はドイツ語なんだ。他の増田が書いてるこっちが当たり。「バック」は少しめんどくさいけどこれもドイツ語のせい。
ドイツ語が残ってるのは結構広範に渡って残ってる現象で、化学で"oxide"(英語読みならオクサイド)を日本で「オキシド」って呼ぶのも、化学をドイツから輸入した名残りだったりする。(※2)
どっかの予備校講師はクメンヒドロペルオキシドという名前に文句つけるのやめたのかな。hydro-もper-も英語読みならハイドロとパーだけど、ドイツ語だとヒドロとペルで良い(※3)。
話が少し逸れたけど、英語の"bed"はドイツ語では"Bett"。これがそれぞれ違う時期に輸入されたので、「寝台」をbedと呼んでもBettと呼んでもよくなった。でもそんな経緯を知らない現代の我々は混乱する。
荷物入れの「バッグ」を「バック」って言う話は少し面倒くさい。"bag"と"back"は英語だけど、"Rucksack"(リュックサック)がドイツ語。このせいで、「体のbackに背負うbagをRucksackと呼ぶ」という物凄いキメラみたいな構図が発生する。ここからリュックサックに限らず、荷物入れ(bag)を、backに背負わないものでさえ全部backと呼んでしまうようになってしまったのではないか、と思われている。Rucksackという単語が輸入されてなかったらこの混同は起きなかっただろう。
ただ、これだと、「でもやっぱ、ベットよりベッドの方が、こう、言いづらくね!?」っていうモヤモヤ晴れないよね。音声学の方から引用しとく。
話を凄く簡単にしちゃうけど、まず、日本語のtとdの音は、音の強さ・大きさが、他の言語のtやdと比べると平均から見てかなり弱いんだ。
これだけなら問題は起こらないんだけど、厄介なのは「ベッド」の「ッ」、促音と呼ばれているもの。これは実のところ「後ろの子音を長く発音する」という記号なの。いきなり聞くとえー?って思うかもしれないけど、これは実際波形取ると分かるんでそういうものだと取り敢えずわかって欲しい。(※4)
子音を長く発音するにはその分息がいっぱい必要。「ベッド」と言おうとするとき、「ベッ」の瞬間、貴方の口の中には次の「ド(do)」を出すのに必要な空気がいっぱいいっぱい溜まってるの。
だけど、さっきも言ったけど、日本語のdの音って弱いの。すっげえ弱いの。みこすり半で出ちゃうくらい弱い。そんな弱さに見合わないくらいの大量の空気を放出しながらデカエアに負けないでdの音を維持するのはすっげえキツいの。
それに比べるとtって音はdよりはまだ強いから楽だ。dの無声音なんだけど、とりあえずもう今パンパンにお口の中で溜まってる空気そのまんまぶちまけたら出ちゃうような音。気の強い音は空気に弱い。
「ベッ」の時点でパンッパンに空気が溜まってるから、本当は「ト」ってtの音を思いっきりぶちまけて出したくてたまんないのに、「ド」っていうふにゃふにゃした放出で我慢しないといけないの。すごく、すっごくつらい思いをすることになるの。
これが「ベッド」が「ベット」より言いづらい理由だったりする。
でも「ゴッド」を「ゴット」って言う奴はいないように、これは言いづらいけどきちんと普通に発音できるもの。
結局、「ベッド→ベット」「バッグ→バック」の例って、他にあるとしても似た音の単語の輸入や誤用に起因するものであって、構図が日本語に稀とかそういう問題ではないんだよね。
「ドラック」の誤用のルートは自分知らんけど、いずれにしても「バック」とかわざと書いてる人は間違いが慣用化したのを使ってるだけで、脳の中で変な処理は起きてないと思っていいよ。
(※1 本当は促音+有声破裂音+母音とか書きたいよね。ここでいう清音も本当は無性破裂音+母音と書いた方が正確に近い)
(※2 なんで「オクシド」じゃないの?って思ったら鋭い。現代日本語は外来語に後続する母音のない子音が含まれないときuを挟むのが普通だけど、iを使っていた時期があった。これはインクのことをインキって呼んだりするあたりに今にも名残がある。)
(※3 ドイツ語のrの発音が変わって[x]になったので今は正しくないけど当時は正しかった。)
(※4 後ろに子音が無い場合は1モーラ分のglottal stopが発生する。息を呑むような音だと思ったら良いよ。実は促音はすごいめんどいので流石に割愛。)
※追記
なんかとんでもないことになっててビビってて、到底手が回らないものの、とりあえず一番重要で言及しないと思ったこのあたりだけ:
>(この増田は否定してるけど)トラバへの回答で出てる『語末有声子音が強制的に無声化されるのはドイツ語の方のルール』を脳内にインストールした(してしまった)人の影響はあると思うけどどうなんだろ?
これについては似たようなことを言及してる方がいたので所感を下に書いておいた。言及先含めて興味があれば。私がいない間にたくさんの反例(反反例?)を見つけてくれた皆様、ありがとうございました。普通に有難いです。
「ベッド」と「ベット」等を混用する現象については書いた通りに思われますが、それだけではもう済まないですね。しかしながら、純粋に音声学的に解決出来る問題でもないように思います(以下追記したURL)
https://anond.hatelabo.jp/20190720173216
これは専門っぽい方を相手に言及したので、普通の人でも読めるように簡単に纏めると、
「歴史的な誤用の重なりや、似たような外来語の氾濫、音声学上の発音のしづらさ、ぶっちゃけどっちでも何を指してるのか通じるやんという多数の要因が相まって、現代人の脳内で促音+破裂音の組の処理自体に対して変化が起きつつある」という所感です。
現代はまだ「有声破裂音を無声化してもしなくてもいいし、無声破裂音を有声化してもしなくてもいいし、しかも適用される確率について単語によって非常に差がある、おまけに個人差や方言差やシチュエーションでの差も高い」という過渡期にあるようです。
しかしながら上のURLで書いたように音韻規則化されつつある事は(音韻規則というのは音の文法だと思ってもらえれば良いです)、頂いたデータ等から最早疑いようがないように思います。
これが最終的にどういう形に落ち着くかについては、マジで数十年待って何世代か先でどのように変化するのかを見て確かめるしかないでしょう。結果に関係なく楽しみです(そしてこういう変化は結構誰の予想も裏切る形に終わったりするから面白いのです)。ブコメや言及等頂いた皆様、ありがとうございます。
最初に、京都アニメーション関係者の皆様にお見舞いを申し上げる。皆様のどなたにも、こんな目に遭ってよい理由はなかった。亡くなられた方々には哀悼の意を表する。癒しがたい傷を負われた方々や深く傷つかれた方々に、心からお見舞いを言いたい。今現在、痛く、辛い思いをしていらっしゃることだろう。あなたは一人ではない。多くの人があなたを気遣っていることが、少しでもあなたの支えになることを願う。そして今生死の境をさまよっていらっしゃる方々に、匿名ながら応援の気持ちをお伝えしたい。どうか生き延びてほしい。
だが、こういう時だからこそ、以下の点は言っておかねばならないだろう。
今回の犯人――状況からみて病院に搬送され警察に事情聴取を受けている男が放火犯本人であるという前提の下で話を進めるが、他の多くの事件においてこのような前提を置くことは危険であることをご承知おき願いたい――が憎むべき罪を犯したこと、その罪は厳正に裁かれるべきこと、この点にはなんら疑いはない。個人的には、どこかで火災に遭って焼け死ねばいいのにとは思う。しかし、それはそれとして、彼を死刑にすべきではない。
死刑は撤廃するべきだ。たとえそれがどのような憎むべき極悪非道の人物であっても、死刑に処されるべきではない。理由の第一は、冤罪の危険性だ。今回はたまたまかなり高い確率で真犯人であろう人物が捕まったが、一家四人が惨殺され放火された別の事件では、おそらく真犯人ではないであろう人物が死刑判決を受け、現在も再審請求中である。人が人を裁く以上間違いはどこにでも存在する。間違った人が首を吊られるなどということはあってよいはずがなく、誤判をゼロにすることが不可能である以上、冤罪で処刑することを防ぐためには死刑を撤廃しなければならない。
理由の第二は、それが真相の究明に繋がらない場合も往々にしてあるからだ。中には改悛して洗いざらい吐いて刑場に向かう死刑囚もいようが、どうせ死刑なのだからとすべてを投げ出して語るべきことを語らず処刑される者もいる。仮釈放のない終身刑にでもしておけば、数十年後に重い口を開くことがあるかもしれない。被害者がどうして殺されたのか、本当の理由を知ろうと思うのなら死刑にせず生かしておいた方がよい。
理由の第三。死刑は過激な犯罪者を焚きつける可能性がある。オウム真理教の幹部を集団で処刑したのには開いた口が塞がらなかった。そんなに「国家権力に処刑された尊師と幹部たち」という物語を演出して、オウムの残党に彼らを神格化してほしかったのだろうか。死刑になりたかったから子供を大勢殺したのだと言い放った死刑囚がいた。彼らのような人物は、刑務所で死ぬまで惨めに生かしておくべきだっただろう。世の中を恨み、せめて大きな衝撃を与えてから死んでやろうと目論む者――ひょっとしたら、今回の放火犯もそういう動機を持っていたのかもしれない――に、死刑制度は大きな誘因を与えてしまう。彼らを英雄や殉教者にすべきではない。
理由の第四。欧州連合やスイス、ノルウェーといった主要な先進国は死刑を撤廃し、日本に強く死刑の廃止を求めている。彼らは死刑をその国の人権感覚の証と信じており、そして彼らの主張に同調する国は増えている。これが鯨食のようなそれぞれの国の伝統文化の話ならば妥協する理由はどこにもないが、別に絞首刑が日本の伝統というわけでもなし、欧州諸国、ひいては国際社会から人権侵害と糾弾されるリスクを抱えてまで維持すべきものでもなかろう。我々は中国や北朝鮮やサウジアラビアではなく、ドイツやフランスやスウェーデンと同じ側に立つべきだ。
そして、彼の行為を社会を統制するための口実にしてはならない。彼のやったようなことは事実上防ぎようがなかった。多少の安全対策で死ぬ人数は減らせたかもしれない。だが、セキュリティをどれだけ強化したところで、悪意をもった攻撃を100%防ぐことは不可能である。
犯罪防止の名の下で行われる様々な施策は、往々にして我々の自由やプライバシーと対立する。もちろんそのような行為をすべて否定するわけではない。軍用の銃器を保持する自由は制限されても仕方があるまい。だが、衆目を引く犯罪が起きる度にそれに応じた対策を採っていたら、我々の社会は生きるには窮屈になるはずだ。
新幹線の車内で凶悪事件が置きたことがあった。だからといって新幹線に乗る度にいちいち持ち物検査を受ける必要があるとなったら、ずいぶん窮屈で面倒だろう。包丁を使った通り魔事件が置きたとして、包丁の購入にいちいち面倒な手続きが必要になったとしたら、料理をする人は困るだろう。我々は秋葉原で執拗に職質をかけられ荷物を開示させられる屈辱ならよく知っているはずである。そのような社会に我々は生きたくない。
犯罪を犯す「法的な」「道徳的な」自由はどこにもない。そのようなものは認められるべきではない。だが「物理的な」自由、つまりやろうと思えば犯罪を犯せる環境を制限しようとすることには、慎重になるべきだ。
犯罪者は「事後に」厳しく罰せられるべきだ。強く非難され、その行為の報いを受けるべきだ。だが、「事前に」規制しようとするなら、それは無関係の者の自由をどこかで奪ってしまう。
包丁を屋外で振り回し無辜の市民を傷つける行為を「システム的に」抑止しようと思ったら、新居で料理道具を揃えようとするのに、あるいはふと思い立って台所に立つのにさぞや苦労するだろう。ガソリンを簡単に購入し持ち運べるのはおかしい、という主張もあったが、なぜ一人の悪人のために農機具を使用する人たちの利便性が損なわれなければならないのだろうか? そのような統制が行き着く先は中国のような監視社会だ。なんの統制もなくてよいとは言わないが――なんといっても私は日本の厳しい銃規制や航空業界の厳密な安全規則から恩恵を受けているので――我々平凡な庶民の自由やプライバシーが徐々に奪われていくことには警戒したほうがよい。
今回の事件の犯人は、相応の報いを受けるべきだ。だが彼は死刑に処されるべきではないし、彼の行為を元にして自由な社会に統制が加えられるべきでもない。
私たちオタクが自由に、幸福に生きていけるのは、自由とプライバシーが尊重された社会においてだけだ。中国のオタクが種々の不自由に耐えている姿を羨ましいとは思えない。我々の社会を監視社会にしてはならない。究極的には、自由は安全に優越するのだから。
ということで、これが死刑廃止派からの回答です> anond:20190719044907
1番は今回当てはまらないし2番は真相究明が済めばやっていいってことになるし3番はこの犯人の信者なんていないので実質的に4番の海外からの同調圧力だけってことか。まあええんちゃう。
1番は「どう考えても無実だったり10%しか疑わしくなかったり50%しか真犯人じゃなさそうな人が吊るされないためには99.99999%真犯人なやつも吊るすべきじゃない」って話やで。
個人的にはそこまで原理的な死刑反対論者ではなく、100%真犯人である人だけが処刑されるなら死刑制度存置を支持する。でも全知全能の神じゃなくて人間が裁判する以上どこまで行っても100%はありえず99.99999%にしかならないので(今回の被疑者だってそうだよ!)、その0.00001%が残っているうちは殺すべきではない。そして全知全能の神の存在が実証されない以上死刑は廃止すべき。
「夜寝れないのは朝早く起きて健康的な生活をしないからだ」とか「昼寝をしてだらけるのをやめれば、夜早く寝れる」って言われたから最近早寝を心がけていたけど、結局何も改善しなかった。
朝早く起きても結局夜寝付けないし、昼寝しなくても寝付けないし、むしろ昼はいつも眠い。超夜型なのかなあともちょっと思った。一時期クッソ不規則な生活してたら疲れたけど、朝起きるのも疲れる。
自分の作った作品を見てもらいたい、評価してほしいと思ってたけど、「見てもらえない」「評価してもらえない」ってのが自分の作品の程度なんだなって結論に至った。なんかストンと納得できてしまった。
評価は別に良い評価じゃなくてもいい。こんなもの書くなと言われても、私の作品を見て何かコメントをする気にできたんだな〜と思えるから。いやまあ相応に凹むけど、見てもらえないよりかは全然いい。
お前の作品なんか見るに値しないって言われてる気がして表垢活動ができない。
わたしの書いた作品に誰も興味を示してくれないということは、面白いとか面白くないとか言ってもらえる土俵にすら立たせてもらえないのだ。その土俵にお前の場所はねーよというのが、私の作品に対する評価なんだなと。思った。思ってしまった。
そうしたらちょっと楽にもなった。けれどつらい。すごくつらい。
誰だよ、エクセルはvlookup関数が出来れば中級者っていったのは。
if関数のネストとかフツーにSNSでつぶやかれまくってて。ifs関数が推奨されてますだと。
データ>入力規則とか普通に事務職でも使ってるじゃねーかよ。。
https://anond.hatelabo.jp/20190619220147の続き。
「東大生番組マジうぜえ」→「そうだ俺東大の卒業生だから関係者として提訴しよう」
とりあえずばばっと書いてみた。一部ぼかしを入れています。
本番組では、複数人の東京大学学生が出演し、芸能人たちとクイズの勝負を行っている。番組のコンセプトとして、「東大生だからできる/東大生なのにこのようなこともできない」ということを中心に据えていることは明らかである。しかしながら、このようなクイズの回答を知っていることと東京大学の学生であることは一切の関係がない。それにも関わらず、上のようなコンセプトが成り立つのは、世間に存在する「東大生はがり勉/世間知らず」という偏見を利用しているからに他ならない。「東大生」という特定の集団に対して、一方的な偏見や蔑視を押し付けるのは、蓋し社会的マイノリティに対するヘイトスピーチと同じ構図である。私は、東京大学卒業生および関係者として、このような偏見が放送されたことにより名誉を毀損され、精神的に苦痛を受けた。
そもそも、「東大」を冠してこのようなクイズ番組を放送することも問題である。第一に、上でも述べたが東京大学の全ての学生がこのようなクイズに精通しているわけでも、ましてや好んでいるわけでもない。集団から極めて限定された一側面を切り出し、それがあたかも全体の特徴であるかのように扱う。例えば特定の民族や人種に対しこのような扱いが許され得るだろうか。このような番組が不適切でないならば何が不適切な番組であるのか。東京大学の卒業生の一人として、「東大生」に対しこのようなイメージを結び付けられることは名誉の毀損である。
第二に、そもそもこの手のクイズは調べればすぐにわかる問題である。東京大学のどのような部局であっても、「調べればすぐにわかること」に重きを置いた研究・教育はなされていない。これは、東京大学憲章(https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/overview/b04.html)を見ても明らかであろう。しかしながら、このような低俗なクイズ問題を知性の象徴であるかのように扱い、東京大学の名前を使用することは東京大学およびその構成員の名誉を著しく貶めている。私も、東京大学関係者として名誉を毀損された。
私はこの番組に出演したことは一切ないが、本放送は「東大」を番組名に冠する以上、当事者は出演者だけではなく、東京大学関係者全員である。したがって、私も放送人権委員会運営規則第5条(6)に記されるところの「その放送により権利の侵害を受けた個人」にほかならず、これをもって放送人権委員会に当該番組の審理を要求する。
「東大生」といえば「がり勉」「変人」「常識知らず」という世間一般のイメージが存在することは否めない。実際、例えばインターネット検索エンジンgoogleで、大学名とともに上記のようなワードを入れて検索すれば、大量のウェブページがヒットする。文脈によってはポジティブな意味で使われていることもあるかもしれないが、ほとんどの場合ネガティブな意味で使われている。
このようなイメージ自体の真偽や是非はこの場で議論すべきことではないが、問題なのは本番組がこの種の偏見に基づいた作りとなっている点である。番組内では、数人の東京大学学生が出演し、彼らと芸能人たちの掛け合いが放送されている。その中で、上記のイメージに合わせるように、全編にわたって出演する学生の「面白おかしく」「常識から外れた」振る舞いが放送されている。この放送は東京大学およびその構成員に対する偏見を強く助長している。それにより、私は東京大学の関係者の一人として、多大な精神的苦痛を被り、名誉を毀損されるという「著しい不利益」を被った。
また、学生出演者の裁量がどこまであったかも明らかにされなければならない。このようなバラエティ番組において、テレビ局と出演者の力関係は一方的である。出演者はテレビに映されたいと思う一方で、作成側からすればまさに代わりはいくらでもいるからである。その中で、出演者が番組中で世間的には非常識な振る舞いをする、あるいはされられるに至った経緯は何か。そもそも台本・編集がある以上、歪な力関係を背景にした圧力・指示は一切なかったとは言えまい。後輩たちのこのような振る舞いを放送で目にすることは、私に東京大学卒業生として大きな精神的苦痛をもたらした。
私はこの番組に出演したことは一切ないが、本放送は「東大」を番組名に冠する以上、当事者は出演者だけではなく、東京大学関係者全員である。したがって、私も放送人権委員会運営規則第5条(6)に記されるところの「その放送により権利の侵害を受けた個人」にほかならず、これをもって放送人権委員会に当該番組の審理を要求する。
そもそも、特定の少数者に対するネガティブイメージ・偏見を扇動することは、あってはならないことである。本番組は東京大学に関するものであったが、これが特定の民族や宗教に関するものであったらどうだろうか。テレビは社会的影響が大きいなればこそ、この種の偏見やネガティブイメージには慎重でなくてはならない。本放送は、この点において明確に放送倫理を違えている。表現の自由の名のもとに、このような不当なステレオタイプを広める番組を作成し放送したフジテレビおよび関係者の人権感覚の欠如にはただただ驚かされる。今後さらなる人権侵害番組を作成させないためにも、貴委員会により正しい裁定が下されることを強く希望する。
早起きがてらサクっとJavaScriptでやってみるか〜と思ったら想像より面倒くさかった
https://jsfiddle.net/9s0x1d8h/
凡ミスあるかもだけどだいたいあってるはず
Dateクラスで無精できるかと思ったらDate(1, 1, 1);で1901年返ってきて草生えた
言語問わず、あえて規則だけ伝えてDate系のクラス使わないようにするほうが問題としては良いのかも
訂正版:結果は変わらないが気持ち悪いところ直した
https://jsfiddle.net/yct5bhr4/
訂正版2:記事への反応で指摘があったところ直した。ご指摘ありがとう
https://jsfiddle.net/z9a7npL0/
具体的にはisLeapYear()内でサムライが西向かなくなっていた
死にたいなあと思った時には増田に吐き出すようにしてるんだけど、今日もそれだ。
私は大学生の女で、中学から不登校。幸いなことに頭は悪くなかったから、高校受験は結構頑張って進学校に入学。でも不登校だったので、途中で留年して退学。大学受験は高卒認定を取って中堅大に入学。でも不登校なので、単位が全然取れなくて、今2回目の2年生をやってるところ。
親からは大学行かないなら金の無駄だと言われてて、自分でも全くもってその通りだと思う。両親には本当に申し訳ない。でもどうしても身体が動かないんだ…
周りの友達は、インターンとか、就活とか考え出してて、将来何をしたいとか、そんなの全然ない私は劣等感で酷い。毎日学校に通うこともできない女が社会で何をするってんだって感じだ。何にもできやしないよ…
自分でも、こんな人間は社会にいらないなあって思う。親の金で実家に住んで、親の金で実家の飯を食べて、親の金でインターネットを見て、親の金で学費を払ってもらってるのに大学に行かない。クソ人間だ。
でもつらいんだ。人によって「これがつらい、これだけはつらい」っていうこと、それぞれあると思うけど、私にとってそれが「規則正しく学校に通うこと」なんだ。しかも生憎、日本の社会って、学校に通えない人、通えなかった人にやけに厳しいように出来てるんじゃないかと思う。なんでこんな当たり前のことできないんだろうって思うけど、中学生の頃から今まで、8年とか、9年とか頑張ろうとしてずっと失敗してきたから、もう嫌になってしまった。
生きるのがこんなにつらいならもうやめちゃおうかなって気持ちだ。これから5,60年間、しんどい思いをして生きるよりも、死んじゃった方が苦しくないんじゃないかって気持ちだ。しかも、私が死ねば保険で両親にお金が入るって思えば親孝行なんじゃないか。あーあ、こんなこと、誰にも相談できない……